でんこの元ネタ
■No.125 青海川しゅか(Omigawa Shuka)
 ■タイプ:サポーター
 ■誕生日:5月2日

■出身駅: JR東日本 信越本線 青海川駅(新潟)
しゅか02



しゅか03
こちらは県道257号田屋青海川停車場線の北端の終点近くの光景です。
名前の通り青海川駅へと通じている県道で、線路に突き当たった終端が駅前となります。
しゅか04
つき当たりを西側へと入ると駅前の舗装されたゆるい坂の敷地があります。
しゅか05
こちらが青海川駅の駅舎の外観となります。
駅は1899年(明治32年)に北越鉄道の駅として開業したもので、
1907年(明治40年)に国有化され信越本線の駅となっています。
しゅか06
前の駅舎は1953年(昭和28年)に改築されたコンクリート平屋の駅舎でしたが、
2007年(平成19年)の中越沖地震で駅の直江津形が土砂崩れで埋まってしまい、
一旦駅舎が撤去されて2008年(平成20年)3月に現在の駅舎が新たに建てられました。
しゅか123
青海川駅の俯瞰です。
しゅか09
駅舎の入口の前がホームの出入口となっており、
建物の壁に乗車券回収箱と運賃表が掲示されています。
しゅか07
駅舎の中の様子です。両側に木製ベンチが置かれた待合室のみの建物となっています。
しゅか08
待合室内には列車の運行情報を知らせる電光掲示板があり、
乗車駅証明書の発券機が置かれています。
しゅか11
奥のガラス扉にはトイレのマークがあります。
扉を出て外に出ると、ご覧のトイレが並んで設置されています。
しゅか10
駅舎の脇を進んで敷地の奥へ。途中にフェンスが設けられています。
かつてはこのフェンスから奥側に平屋の駅舎が建っていました
中越沖地震で青海川駅西側で土砂崩れが起きた際に、復旧に必要となることから
海岸段丘に設けられた駅の駅舎が撤去されて重機が搬入されました。
しゅか12
切り返して見た駅前の敷地。実質的な駅前広場です。

しゅか124
駅舎の前の入口からホームへと入ります。
無人駅なので駅員の改札はありません。
しゅか15
東の山側の1番線ホームの様子です。上り線直江津方面行きのホームとなります。
海岸段丘に作られたホームなのでスペースの都合で幅が狭めに作られています。
しゅか16
柏崎方の北へと進んだ光景です。
右手に国道8号線の赤い米山大橋が見えます。
しゅか17
ホーム北端から見える柏崎方の青海川トンネル。
しゅか18
切り返して南の直江津方へと向かって見た光景です。
しゅか19
駅舎の前からさらに直江津方へ。
しゅか20
この青海川駅は無人駅ながら観光列車「越乃Shu*Kura」の停車駅となっているので
ご覧の越乃Shu*Kura仕様の駅名標が置かれています。
しゅか21
1番線ホームの直江津方のホーム南端の光景です。
山側に土留めの防護柵が設置されていますが、
この付近は中越沖地震の時に土砂崩れが起きた場所です。
しゅか22
ホームの南側の先にはロックシェッドが見え、
その先には第3笠島トンネルがあります。
かつては当駅は千鳥配置のホームとなっていて、この付近の海側は
ロックシェッドの中までホームが伸びていました。
しかし地震の土砂崩れに巻き込まれ、復旧の際にホームも撤去されています。
しゅか23
切り返して再びホームの中央の駅舎側へ。
しゅか24
駅舎の壁には新潟県のレリーフがあり駅の位置が示されています。
しゅか25
相対式ホームを連絡している駅構内の跨線橋。
しゅか26
跨線橋の橋上の様子です。
しゅか27
海側の階段を下ってホームへと降ります。
しゅか28
こちらは駅の西の海側となる2番線ホームです。
柏崎方面行きの下り線ホームとなります。
しゅか29
直江津方のホーム南端の様子。
しゅか30
この先は中越沖地震の土砂崩れ後に撤去されたホーム跡となります。
しゅか31
切り返して北の柏崎方向へ。
しゅか32
2番線ホームの西側は青海川海水浴場の海岸がご覧の通り眼前に迫っています。
しゅか33
駅舎の向かい側となるホームの中ほどの海側には防風壁が設置されています。
しゅか34
跨線橋の下に設けられた越乃Shu*Kura仕様の駅名標。
この駅名標ある跨線橋下付近が2007年(平成19年)の中越沖地震前までのホーム端でした。
千鳥式の配置だったホームは復旧で直江津方面へと伸ばされて相対式となっています。
しゅか35
地震後に増設された柏崎方の北側ホーム端部の様子です。
後から作られた部分はホームが細くなっています。
しゅか36
切り返して南のホーム中央部へと戻ります。
しゅか37
2番線ホームの跨線橋階段付近。
しゅか38
跨線橋を渡って戻り再び駅舎前へ。
しゅか39
ホームから出て駅前の道に下ります。

しゅか40
駅前の県道257号田屋青海川停車場線の終点である道路端。
脇道と駅の敷地で三叉路の様になっています。
しゅか41
三叉路の脇にはご覧の道標があります。
停車場線の方向には「笠島(北国街道)」と書かれています。
しゅか42
青海川駅から南に11kmほど伸びる県道257号田屋青海川停車場線ですが、
その大半は山間を抜ける普通車1台ほどの幅のいわゆる「酷道」となっています。
しゅか43
駅から70mほど先にある国道8号線の米山大橋の赤い橋脚。
しゅか44
こちらが米山大橋です。国道8号線の改良工事によって
1967年(昭和42年)に竣工しています。
しゅか45
橋をくぐると、北側の橋脚の脇に小さな社があるのが見えます。
しゅか46
こちらが青海神社の参道です。橋脚脇の社へと登る階段があります。
一の鳥居には「諏訪神社」の社号標が掛けられています。
しゅか47
青海川駅の駅舎の中に津波の避難場所として書かれているのがこの神社で
12.5mほどの標高があるそうです。
しゅか48
参道二の鳥居の脇にある「青海大明神」の石碑。
しゅか49
社には「青海神社」の社号が書かれています。
しゅか50
境内から見下ろした県道の様子。

しゅか51
県道へと戻り東の山側へと進むとすぐに谷根川の橋を渡ります。
橋の北側には市の体験施設である柏崎さけのふるさと公園があります。
しゅか52
公園内に設けられた資料館。
しゅか53
資料館内には鮭の泳ぐ水槽が設けられ、鮭に関する資料が展示されています。
しゅか54
柏崎市では1978年(昭和58年)から谷根川での鮭の増殖事業を行っており、
公園には魚道でつながった飼育池があります。

しゅか55
県道257号田屋青海川停車場線をさらに東へと進み、
北陸自動車道の高架下をくぐります。
しゅか56
さらに県道を登るとご覧の交差点へと差しかかります。
駅からはおよそ450mほどの地点のこの交差点からは
国道8号線へと連絡する道が分岐しています。
しゅか62
交差点にある待合所。かつてのバス停の待合所の様ですが
使われている様子はありません。しかし駅への行き先看板などがあり
交差点のランドマークとしては目立ち活用されている様です。
しゅか58
交差点にあるお地蔵様。
かつて北国街道が青海川駅付近を通過するには、谷根川河口を渡るか
北の山側へと迂回して谷根川を渡るルートだったそうです。
そして北への迂回ルートには六地蔵があったという事で、
そのお地蔵様が現在もこの交差点に残っているという事の様でした。
しゅか57
県道257号線はこの交差点から東方向に直進しています。
200mほど進むと青海川の集落があり、
この先は徐々に道幅が狭くなって山間の険道となります。

しゅか60
交差点へと戻り、今度は北側の山沿いに分かれる道へと進みます。
しゅか59
坂を上り落石防護の柵に沿って海方向へと進みます。
この道が青海川駅から国道8号線へと連絡するメインの道路となります。
大型車両が国道から青海川駅へと重量無制限で通れる道はこちらの道路のみです。
しゅか61
交差点から米山大橋をくぐって国道に通じる600mほどのこの道は
商業施設が集まる道の駅風の丘米山(休止中)の南側へと通じています。
国道に達する手前付近には、後述しますが北国街道六割坂への入口があります。
しゅか70
フィッシャーマンズワーフやホテルなど商業施設が集まる一角。
米山大橋の北詰にあたるこちらは鴎ヶ鼻(恋人岬)の景勝地の入口にあたり
青海川駅付近で一番栄えている場所です。
しゅか71
佐渡弥彦米山国定公園の米山地区として分類される柏崎市の景勝地で、
岬の先には弁天岩と呼ばれる岩礁があります。
しゅか72
この岬はフィッシャーマンズワーフの手で「恋人岬」として整備され、
ご覧の様に柵には愛のカギが掛けられるスポットとなっています。
しゅか73
恋人岬から見る米山大橋とそのバックにそびえる米山。
その前には海側から見た青海川駅が見えます。

しゅか64
そして再び交差点まで戻って今度は南側へと別れる道へ。
しゅか63
50mほどで谷根川に架かる谷根橋を渡ります。
老朽化した石橋の為14tの重量制限が掛っています。
しゅか65
谷根橋の南側すぐにある青海川オートキャンプ場への入口。
しゅか66
キャンプ場入口の先で北へとカーブを描いた道は
北陸道の高架をくぐって山林の中の坂を上っていきます。
しゅか67
交差点からおよそ550mほどで国道8号線へと連絡しています。
しゅか68
国道8号側から見た青海川駅からの道の入口。
ちょうど米山大橋の南詰前に連絡しているのが分かります。
しゅか69
国道側から入る道の入口にはご覧の谷根橋の
重量制限の案内標識が置かれています。
しゅか74
駅からの連絡道のすぐ北側にある米山大橋。
しゅか75
米山大橋南詰付近から見下ろした青海川海岸付近の俯瞰です。
しゅか76
切り返して南の直江津方面へと見る国道8号線の光景。
この先には北陸道の米山インターチェンジがあります。

しゅか77
米山大橋の南詰の手前の、駅への連絡道入口前付近まで戻ります。
連絡道入口の向かいの国道海側にはご覧の酒店があります。
しゅか78
国道沿いにある酒店の前の駐車場の敷地付近の光景。
この酒店は「酒の新茶屋」という店です。
しゅか79
「東海道中膝栗毛」で名高い江戸時代の作家の十返舎一九が
北国街道の道中記を書いた「金草鞋」という作品で、
「鯨波を打ちすきて一里ほど行けば青海川という所あり。 立場にて茶屋あり」
と書かれて登場をしている青梅川の立場茶屋がこの店です。
しゅか80
この新茶屋の駐車場に向かってご覧の「北国街道」と書かれた道標が立っており、
駐車場の海側には下る小道の坂の入口があります。
しゅか81
この道がかつての北国街道です。
街道からは青海川駅を見下ろすことができます。
しゅか82
米山大橋の橋脚脇から青海川駅の山側へと抜ける旧街道。
谷を渡る鉄橋など無い江戸時代には、いったん河口まで下って
対岸へ渡るか、山側へと迂回するしかありませんでした。
しゅか83
青海川駅のすぐ山側を通り抜けて駅前の県道へ。
しゅか84
カーブを描いて下り、民家の間を抜けてると
駅前の県道257号田屋青海川停車場線へとたどりつきます。
しゅか85
県道側から見た北国街道への入口。
しゅか86
北国街道の県道からの入口の前には案内の道標が立っています。
しゅか87
駅方向へと駅前の県道を進み、道標のある駅つき当たりを
駅舎とは反対の右手へと入ります。
しゅか88
線路沿いの道を直江津方向へ。
しゅか89
80mほど進んで谷根川に突き当たる付近で、左手に線路をくぐるガードがあります。
しゅか90
高架下をくぐり海側の階段を上ります。
しゅか91
ガードの西側に設けられた通路。
しゅか92
海側へと進むと、青海川海水浴場の海岸へと降りる階段と、
信越本線の旧線の橋桁を利用した木橋との分岐となります。
しゅか93
青海川駅の西側にある青海川海水浴場の様子です。
砂浜ではなく石の多い海岸なので裸足での海水浴はなかなか大変そうです。
しゅか96
駅南に見える岬は松ヶ崎で海岸から「お弁が滝」という滝が見えます。
しゅか94
海側から見た青海川駅。
しゅか95
切り返して見た青海川海水浴場の海岸の様子です。
しゅか97
谷根川の河口の先に見える岬は鴎ヶ鼻で「恋人岬」の別名がつけられています。
しゅか98
河口から谷根川の左岸を進んで見た光景。
信越本線の旧線に掛けられた歩道と、現信越本線線路下をくぐると
海岸は市道へと連絡しています。
しゅか99
こちらは海岸へと降りた階段。再び上って上の歩道へと戻ります。

しゅかa01
旧線の橋脚を使って掛けられた木製の歩道橋。
しゅかa02
元々は柏崎市の整備した歩道橋が架けられていましたが老朽化。
新潟県環境局が「中部北陸自然歩道」の一部として再整備され
ご覧の木橋が架けられました。
しゅかa03
鉄道が通ったりするなどしているので北国街道の正確な旧道ではないかもしれませんが、
青海川の海岸で谷根川を渡って六割坂に向かうのが街道のルートだったので
この整備された遊歩道にも「北国街道」の表記が書かれています。
しゅかa04
ちょうど信越本線の青海川トンネルの真横あたりで
線路方向へと向かって直角に曲がる遊歩道。
しゅかa05
トンネルの脇から六割坂の坂道を登ります。
しゅかa06
北国街道有数の難所とされた六割坂からは
青海川駅をご覧の通り見下ろす事ができます。
しゅかa07
北国街道旧道の六割坂から上の市道への入口付近。
この入口には「出羽三山塔」という月山、湯殿山、羽黒山の名が刻まれた石碑があります。
しゅかa08
北国街道旧道の下り口付近の市道。この市道は前の方で書いた
谷根橋前の交差点から国道8号線米山大橋北詰を連絡している道です。

しゅかa09
青海川駅は日本全国にいくつかある「日本一海に近い駅」のひとつとされており、
実際に晴れた日に駅ホームから見る日本海は絶景となっています。
そのロケーションからいくつもの映像作品で舞台として登場するなどしており、
現在もこの駅目当てに観光客が訪れる観光スポットとなっています。



■モデル車両: JR東日本 キハ40形・48形気動車「越乃Shu*Kura」
しゅか01



2014年(平成26年)にJR東日本では春季に新潟を舞台とした
「新潟ディスティネーションキャンペーン」が行われました。

「うまさぎっしり新潟『彩とりどりの春めぐり』」と題して
「食」「花」「雪」「酒」「匠」の5要素を元に春の新潟をアピールする試みの中で、
日本酒の醸造が盛んな新潟県の「酒」をコンセプトに新たな観光列車が企画されました。
しゅかa10
こうして2014年(平成26年)5月2日に高田駅━十日町駅間で
観光列車「越乃Shu*Kura」の運行が開始
されています。
しゅかa11
列車名の「越乃」は越後、「Shu」は酒、「Kura」は蔵の意味で、
「*」は米、雪、花を表して「越後の酒蔵と豊かな自然」をイメージしています。
しゅかa12
駅メモのでんこの青海川しゅかの誕生日が5月2日に設定されていますが、
これは「越乃Shu*Kura」の営業運転開始日が元と考えて良いでしょう。



しゅかa13
車両は国鉄時代に製造されたキハ40系の気動車が使われており、
2014年(平成26年)に観光列車化の改造が行われています。

こちらは十日町駅でホームに入線する「越乃Shu*Kura」の動画です。
以下では「越乃Shu*Kura」の編成の各車両について見てみたいと思います。

しゅかa14
上越妙高方の先頭車両となる1号車のキハ48形-558です。
国鉄時代の1981年(昭和56年)12月21日に富士重工で新製された
寒地仕様の片運転台車両であり、盛岡客車区へと配置されたのち
1988年(昭和63年)3月に八戸機関区へと転属しています。
しゅかa15
2014年(平成26年)4月にJR東日本郡山車両センターにて改造がされ
観光列車「越乃Shu*Kura」の1号車となって新潟運輸区に転属。
現在に至るまでジョイフルトレインとして運行をしています。
しゅかa16
乗降扉は長岡片の2号車との連結部手前の車端に設けられています。
しゅかa17
通路の山側に設置されている洗面台。
しゅかa18
貫通路の両脇には男性用トイレと男女共用洋式トイレが設けられています。
しゅかa19
1号車客室内の様子です。「びゅう旅行商品専用車両」となっており
旅行商品のチケットを購入した乗客のみが乗れる車両となります。
しゅかa20
日本海側に設けられたカウンター上の「展望ペアシート」。
2人掛けの座席が並べられています。
しゅかa59
ペアシートの仕切りにはロゴマークがあしらわれています。
しゅかa22
展望ペアシートの長岡方の脇はご覧の通り車椅子スペースとなっていて
仕切り扉の脇に車椅子固定用ベルトが設置されています。
しゅかa21
山側から通路を挟んだ海側へと向かって作られた「くつろぎペアシート」。
こちらはパーテションで区切られています。
しゅかa23
上越妙高方に設置された4人掛けボックスシート。
しゅかa24
ボックスシートの奥の運転台後部は業務用スペースとなっており
提供する飲料や食品などが収納されカウンターが置かれています。
しゅかa25
びゅう商品専用車両なので、時期と季節により酒食が提供されます。
しゅかa26
切り返して長岡方から見た1号車車内。
しゅかa27
上越妙高方の、車椅子スペースの向かい側のくつろぎペアシート。
しゅかa28
仕切り壁に書かれた車両番号と改造銘板です。


しゅかa29
3両編成の真ん中に位置する2号車のキハ48形-1542です。
1981年(昭和56年)2月16日に新潟鐵工所で製造された車体で、
寒地仕様の片運転台車両となります。
しゅかa30
新製後は山形機関区へと配置され、新潟運転所、八戸運輸区を経て
2014年(平成26年)に新潟トランシスで観光列車に改造を受けています。
しゅかa31
2号車の上越妙高方は1号車乗降デッキとつながっており、
乗降デッキの扉を開けると連結部があってすぐに客室内につながっています。
しゅかa32
2号車客室内の様子です。サービスカウンターが設置されており、
大桶と酒棒をモチーフのスタンディングテーブルを設置したイベントスペースとなっています。
座席は設置されていないのでこの車両に定員は設定されていません。
しゅかa34
イベントスペースの山側にはご覧のバーベンチが設置。
しゅかa35
海側にはカウンターが設けられています。
しゅかa33
長岡方の客室仕切り扉付近。扉は格子戸になっています。
脇にはカウンターを兼ねたダストボックスがあって、
上に乗車記念スタンプが置かれています。
しゅかa36
仕切り壁に書かれた車両番号と改造銘板。
1号車は郡山車両センターでしたが、
この車両は新潟トランシスのものがつけられています。
しゅかa37
切り返して見た車内。
しゅかa38
こちらが上越妙高方に置かれたサービスカウンター「蔵守~ Kuramori~」
しゅかa39
軽食や酒類などが販売されており、日本酒の利き酒メニューなども置かれています。
しゅかa40
カウンター前から上越妙高方の貫通路の扉へ向かった光景。
展示の棚が設けられています。
しゅかa43
こちらは長岡方の客室からデッキへと出る扉。
しゅかa42
格子に飾られた扉を出ると2号車長岡方車端の乗降デッキに出ます。
しゅかa44
片運転台の2号車の運転台はそのまま残されていますので、
運転台後方の乗降デッキから3号車へは運転台中央の貫通路から行き来をします。
しゅかa41
連結部から切り返して2号車側を見た光景。
運転台の車掌側はカーテンで仕切られています。


しゅかa45
長岡方の先頭車両となる3号車のキハ40形-552です。
1、2号車は片運転台のキハ48形なのに対して
この3号車は両運転台のキハ40形が使われています。
しゅかa46
寒地仕様のキハ40形500番台の車両は1979年(昭和54年)10月31日に新製され
秋田運転区に配置。八戸機関区を経て2014年(平成26年)に
JR東日本郡山車両センターで観光列車化の改修工事を受けています。
しゅかa47
3号車の長岡方の乗降デッキです。
この車両の乗降デッキはこちらのみとなっているので
客室内へはこちらのデッキから入る事となります。
しゅかa48
デッキから長岡方へと延びる2号車連結部への貫通路。
3号車側も運転台があるので、2つの運転台を通り抜けて行き来する事となります。
しゅかa49
切り返してデッキ方向へ。
しゅかa50
乗降デッキから3号車客室内へと入った光景です。
一般発売用の座席指定車両であり、
駅で切符を買った人はこちらの車両に乗ることとなります。
座席は2+2席の回転リクライニングシートが6列設置されています。
しゅかa51
客室の長岡方の運転台後方には
両側に4人掛けソファーのフリースペースが設けられています。
しゅかa52
客室から見た運転台の様子。
しゅかa53
切り返して見た3号車客室の光景です。


しゅかa54
列車のエクステリアのカラーリングは藍下黒(    という深い青に
雪の色である白を合わせたツートンカラーとなっています。
「越乃Shu*Kura」をモチーフとしている駅メモのでんこの青海川しゅかの衣装も
この藍下黒を用いたエクステリアデザインを模したものとなっています。
しゅかa55
またキャラクターの衣装のネクタイのデザインを見ると
ロゴマークがモチーフであることが分かります。
しゅかa56
インナーのシャツの側は座席のモケットがモチーフとなっています。
しゅかa57
袴の帯部分にあしらわれた四角い装飾は
LEDに交換されている前照灯と同じ形をしています。

しゅかa58
「越乃Shu*Kura」の停車駅には酒樽をイメージした独自の駅名標が置かれています。
水(波)、大地(稲穂)、ジャズの3つのテーマが描かれており、
各駅ごとに名所や名産が3つづつあしらわれています。

【写真撮影:2023年7月】

でんこの元ネタ
■No.129 五所川原べにか(Gosyogawara Benika)
 ■タイプ:サポーター
 ■誕生日:3月18日

■出身駅: JR東日本 五能線 五所川原駅(青森)
べにか01



べにか02
こちらはJR東日本の五能線の五所川原駅の駅舎外観です。
べにか03
駅は1918年(大正7年)に陸奥鉄道(現在の五能線の一部)の終着駅として開業したもので、
1924年(大正13年)に陸奥鉄道が延伸するように国鉄五所川原線が開業して
国鉄の駅となります。1930年(昭和5年)には現在も残る津軽鉄道が開業。
陸奥鉄道が国鉄に買収された後の1936年(昭和11年)には
現在の五能線が全線開通しています。
べにか04
現在の駅舎は1976年(昭和51年)7月に改築されたもので、
2013年(平成25年)に「秋田デスティネーションキャンペーン」の一環でリニューアルされ
市内の豪商の邸宅である布嘉御殿を模したレンガ調となっています。
べにか05
こちらは五所川原駅付近の地図です。
べにか58
駅メモでリリースされたでんこの五所川原べにかの苗字の五所川原は
この五所川原駅が由来
であると考えて良いでしょう。
べにかa41
駅舎の南側にある観光案内所。
観光資源の多い五所川原の五所川原市観光協会本部が入居しています。 べにか06
駅前広場を南の方向へ見た光景。
五所川原駅の駅前は道路と駅の敷地が一体となって舗装されて広場の様になっていますが
ロータリーやモニュメントといった類のものは特に置かれていません べにか07
駅舎の南側の隣に立つ立佞武多の格納庫
毎年8月の五所川原立佞武多で巡行した山車が一時格納されるための格納庫です。
ご覧の通り20m以上ある山車が入るサイズとなっています。
べにか08
格納庫の斜向かいにある五所川原警察署の五所川原駅前交番。
べにか09
交番の斜向かい、格納庫の南側に隣接して商工会議所の入っている
五所川原商工会館の建物があります。
べにか10
さらに駅前の路を南へ。駅の東西を連絡している新生大橋の下をくぐります。
べにか11
新生大橋から見た駅方向への駅前道路。
べにか12
北の駅方向へと道を戻ります。
べにか13
南側から見た駅前広場。
べにか14
県道252号五所川原停車場線の起点となる五所川原駅前の広場です。
駅舎の正面から東へと停車場線が伸びています。
べにか15
停車場線の北側の駅舎向かいにある弘南バスの五所川原駅前案内所。
駅前を起点とするバスターミナルとなっています。
べにか16
バスターミナルの中の様子。
基本的に椅子が並ぶ待合室でバスのチケット売り場がありますが、
ご覧の通りそば屋と売店が併設されています。
べにか17
バスターミナル前の駅前広場の様子。
向かい側のJR五所川原駅の駅舎北側には津軽鉄道の津軽五所川原駅があります。
べにか18
津軽五所川原駅の駅舎外観です。津軽鉄道の開業は1930年(昭和5年)ですが、
開業時の五所川原駅は国鉄との共同使用でした。
ご覧の駅舎は1956年(昭和31年)に完成したもので、駅舎に合わせて駅も国鉄から分離し
津軽五所川原駅となって現在に至ります。
べにか19
駅舎の中の様子です。昭和中期の雰囲気がそのまま現代の残っています。
べにか20
待合室の片隅には有人の窓口が。
多くの掲示物が壁にあり、ストーブも設置されています。
べにか21
駅構内へと入る改札のラッチ付近。
べにか22
改札の駅構内側の光景です。外にも待合室を通らず改札できるラッチがあります。
跨線橋はJRと共用となっており、階段脇へと通じています。

べにか23
津軽五所川原駅を背に駅前広場へと戻ります。
広場を北の方向へと進んで端へ。区画の様子からバスターミナル前が広くなっているのは
弘南バスがバス発着の為に私有地を道と一体の様に舗装したものである事が分かります。
べにか26
バスターミナルの建物敷地端部の空地。脇には
駅前広場から狭い一方通行の道が分かれています。
べにか24
こちらは駅前から線路沿いに北へと接続する市道の様子です。
べにか25
切り返して北側から見た駅前広場。駅前広場の前の道路自体は通常の幅の道路であり、
広場が広くなっている様に見えるのは隣接している駅やバスターミナルの敷地が
一体となって道路とつながっているからです。

べにか27
こちらは駅舎の正面から西方向へと延びる県道252号五所川原停車場線の光景です。
駅から国道339号線までの200mほどを連絡する駅前通りとなります。
べにか28
この駅正面の通りは毎年8月の五所川原立佞武多の運行コースとなっており
20m級の立佞武多の通行の為、電線が地中化されて電柱がありません。
べにか29
こちらが五所川原停車場線の終点となる大町交差点です。
国道339号線が南北に通る五差路となっています。
毎年8月の立佞武多ではこの大町交差点が巡行の開始場所となっています。

べにか30
大町交差点から北方向の国道339号線。
「小泊道」と呼ばれ津軽藩の準街道だった道で、田園地帯を抜ける道ながら
津軽鉄道と並走する街道沿いには民家が集まっています。
べにか31
弘前市から北上して五所川原を通過するこの国道339号線は、
津軽半島の日本海側を通るルートを通り70kmほど先の竜飛岬へと通じています。
べにか32
竜飛岬にある「日本唯一の階段国道」はこの国道339号線上にあります。
べにか33
切り返して南の大町交差点方面へと戻ります。
べにか34
五差路を越えて国道339号線を南進します。
べにか35
大町の五差路から200mほど南に進むと、新生大橋の西詰の交差点があります。
べにか36
西詰から見た新生大橋。JRの線路を超える跨線橋として
1986年(昭和61年)に架けられて駅の東西を連絡しています。
べにか37
新生大橋から見た五所川原駅構内の俯瞰です。
べにか38
こちらは新生大橋西詰と反対側の、交差点の西方向へと伸びる道路です。
並走する国道101号線と100mほどの距離で連絡しています。
べにか39
交差点の南方向の様子です。
南東角には五所川原市役所の敷地が広がっています。
べにか40
こちらが五所川原市役所の本庁舎です。
50年近く使用され老朽化した旧庁舎に代わって2018年(平成30年)に
現在の場所に三代目の市役所庁舎として建設されました。
べにか41
国道沿いの市役所敷地にある立佞武多のモニュメント。
べにか42
切り返して南側から見た国道339号線の市役所付近です。
べにか43
さらに国道を北上して大町交差点の五差路まで戻ります。
べにか44
大町交差点の五差路を今度は西方向へ。
駅からの県道252号五所川原停車場線はこの大町交差点で終点となり、
国道339号線と国道101号線をつなぐ250mほどの市道は
「立佞武多通り」と名付けられています。
べにか45
立佞武多の巡行コースでもあるため電線地中化が為され電柱が無い通り。
べにか46
大町交差点からちょうど200mのカーブ付近北側にあるこちらの建物が
五所川原市立の「立佞武多の館」です。
べにか47
1996年(平成8年)に五所川原の立佞武多が復活されたのを契機に、
20mを越す立佞武多の常設展示と保管の為に2004年(平成16年)に開館した
文化施設となります。
べにか48
毎年1基作られる立佞武多は3年使われることから、この立佞武多の館には
実際に使われる3基の立佞武多が常設展示で保存されています。
べにか49
立佞武多の館の西側すぐにある、立佞武多通りと国道101号線が交わる柏原交差点です。
県道151号蒔田五所川原線もこの交差点から北へと延びています。
べにか50
この柏原交差点から国道101号線を100mほど南に進むと
吉幾三コレクションミュージアムがあります。
べにか56
五所川原出身の著名人と言えば長らく作家の太宰治でしたが、
現代では数々のヒット曲を出した吉幾三が随一と言えるでしょう。
べにか51
こちらは柏原交差点から西方向へと延びる国道101号線です。
べにか52
160mほど西進し柏原交差点から160mほどのご覧の信号の交差点までが
立佞武多の巡行ルートとなっています。この信号で立佞武多は南にルートを変える為、
ご覧の通り南のつがる総合病院方面への道も電線が道路を横切っていません。
べにか53
信号から引き続き国道101号線を西に進むとまもなく岩木川に架かる乾橋となります。
五所川原の市街地はこの橋までで、対岸は田んぼのひろがるつがる市となります。
べにか54
乾橋から見た岩木川の河川敷。五所川原は右岸側となります。
べにか55
橋から切り返して見た東の五所川原駅方向の様子です。

べにか57
県道252号五所川原停車場線を東へと戻り再び駅へ。
べにか59
入口の風除室を抜けて駅舎の中へと入ります。
べにか60
駅舎の中の様子です。広めの改札前コンコースがあり、
待合室は仕切られて別室で設けられています。
べにか61
コンコース南側には通常の自動券売機1台と、
話せる指定席券売機が1台設置されています。
べにか62
そして券売機と改札の間にあるこの銀色の区画はかつてのみどりの窓口跡です。
2021年(令和3年)にみどりの窓口が廃止された為、駅事務室の一部へと改装されました。
べにか63
こちらはコンコース北側に隣接して設けられた待合室。
ローカル駅らしく広めで椅子の数も多い待合室となっています。
べにか64
待合室東側の入口近くには自販機コーナーがありますが、
こちらはかつてのKIOSKの跡で2020年(令和2年)に撤退後に自販機が置かれました。
べにか65
五所川原駅の改札付近の様子です。
べにか66
改札から跨線橋へと連絡をしている構内通路。
べにか67
階段脇の津軽五所川原駅駅舎への連絡口です。
べにか68
こちらは階段側から見た連絡通路の様子。
べにか69
跨線橋の階段を上がります。
JR利用者も津軽鉄道利用者も同じこの階段からホームへと向かいます。
べにか70
橋上の通路を進むとまもなく中ほどから階段が分岐しています。
べにか71
この中ほどの階段はJRホームへと連絡をしているもので、
五能線の乗降客はこちらの階段を使う事となります。
べにか72
こちらが五所川原駅の1、2番線ホームです。
JR管轄の島式ホームで、五能線の上下線が発着しています。
べにか73
147.2kmの長さで43の駅がある五能線ですが、
終日社員配置となっている直営駅は五所川原駅のみとなっています。
なお五能線の「五」は五所川原の五が由来です。
べにか74
ホームの南へと進むとご覧の待合室があります。
べにか75
待合室の中の様子です。エアコンのある普通の待合室ですが、
窓枠とベンチが木製となっています。
べにか76
ホーム南端の川部方の光景です。青森駅や弘前駅はこちらの方向となります。
新生大橋の下付近がちょうどホーム端となっています。
べにか77
切り返してホームを北方向へ。
全線が単線の五能線なので駅で列車交換が行われます。
2番線の外側には臨時列車用の留置線がありますが
あまり使われている様子はありません。
べにか78
島式ホームの北側に設けられている建屋の屋根。
廃レールを流用して建てられているのは各地のローカル線で見られる光景です。
べにか79
ホーム北端側の様子。この1、2番線ホームは跨線橋が北側端部にあるので
旅客の出入りは基本的にホーム北端からのみとなっています。
べにか80
北側の秋田方の光景。
べにか81
跨線橋の階段を上って橋上へと戻ります。

べにか82
こちらはJR五能線ホームへと下る階段の上端付近です。
跨線橋の通路は東へ向かってさらに伸びていますが、
階段から奥側は津軽鉄道ホームへと連絡している通路となります。
べにか83
津軽鉄道への連絡通路。
べにか84
跨線橋の通路角にはコインロッカーやベンチなどが置かれており、
壁にはレリーフも掲示されていました。
べにか85
こちらが津軽鉄道の津軽五所川原駅のホームです。
元々島式ホームであり、ホームにも3番線と4番線の表記がありますが
東側の4番線は機関車や貨車が留置されて旅客には使われておらず、
始発駅としての単式ホーム1面1線での使用となっています。
べにか86
ご覧の通りホームにはレールの展示物や掲示物などが多数置かれており、
使用しなくなった貨車の壁も掲示板代わりとなっています。
べにか87
ホーム上にある待合室。広めの室内にプラスティック製ベンチが置かれています。
奥の部分は物置代わりに資材が置かれていました。
べにか88
待合室の奥側にあるトイレの建屋。
べにか89
ホーム北側の津軽中里方の様子です。
立入禁止の先には運転室が置かれていて駅員が待機しています。
べにか90
南に向かってみたホームの様子。
べにか91
津軽鉄道ホームの南端付近です。跨線橋の階段が南端にあるので
このホームへの旅客出入口は南側のみとなります。
べにか92
階段脇から見える津軽鉄道の車庫。
べにか93
跨線橋の階段を上って連絡通路へと戻ります。
津軽鉄道のエリアに入るには、津軽鉄道の乗車券もしくは入場券が必要で
JRのきっぷでは立ち入る事はできません。



■モデル車両: JR東日本 キハ48形「リゾートしらかみ くまげら編成」
べにか00



リゾートしらかみは1997年(平成9年)より五能線で運行されている観光列車です。
秋田新幹線開業に伴って秋田駅━弘前駅間を全席指定の快速列車として走り、
全国の観光列車のさきがけとして20年以上にわたって運行されている列車です。

べにか94
こちらは1997年(平成9年)3月より「リゾートしらかみ」として運用を開始した
初代青池編成だったクルーズトレインです。
キハ48形533、540、1521、1543の4両編成で「リゾートしらかみ」として運用を開始。
それまで編成名は無かったものの、2003年(平成15年)にリゾートしらかみに
「?編成」が投入されると初代編成は「青池編成」と名付けられ、
キハ48形1543が?編成へと転用の為抜かれて3両編成となります。

そして2006年(平成18年)のダイヤ改正でリゾートしらかみに
「くまげら編成」が投入されたことから中間車のキハ48形1521も
くまげら編成に転用
されて青池編成は展望車両のみの2両編成となります。

その後2010年(平成22年)12月にハイブリット車への置き換えによって
キハ48形533と540は「リゾートしらかみ」の運用から外れる事となり、
以後は「クルージングトレイン」として団体専用列車などでの運用となっています。
べにか95
こちらは2010年(平成22年)12月に東北新幹線の開業に合わせて投入された
HB-E300系気動車の二代目青池編成です。4両編成で
HB-E301-1、HB-E300-101、HB-E300-1カ、HB-E302-1が編成されています。
現在3編成で運用されている「リゾートしらかみ」の「青池編成」として現在も活躍中です。
べにか96
この車両は東北新幹線の八戸延伸で行われた
「北東北ディスティネーションキャンペーン」に合わせて
2003年(平成15年)4月に増備され運用を開始したリゾートしらかみ初代橅編成で、
キハ48形701、702、1701の三両に青池編成のキハ48形1543を加えた
4両編成で運用を開始しハイブリッド車と入換となった2016年(平成28年)7月まで
リゾートしらかみとして走りました。

2018年(平成30年)4月からは塗装変更されて「あきたクルーズ号」として
秋田港に寄港するクルーズ客船の乗客専用列車として運用されましたが
2020年(令和2年)9月に全車廃車となっています。
べにか97
こちらは2016年(平成28年)7月に初代と入れ替わりで運用を開始した
ハイブリッド車両HB-E300系気動車の二代目橅編成です。
HB-E301-5、HB-E300-105、HB-E300-5カ、HB-E302-5の4両で編成されており、
現在も「橅編成」として運用されている編成となります。


べにか98
そしてこちらが2006年(平成18年)3月18日のダイヤ改正で運用を開始した
リゾートしらかみでは3編成目となるくまげら編成です。
当初はキハ48形703、704の二両に旧青池編成から
キハ48形1521を加えた三両編成でしたが、
2010年(平成22年)12月のダイヤ改正でキハ48形1503が増備されて四両編成となり
現在の「くまげら編成」として運用されています。
べにか99
このリゾートしらかみ「くまげら編成」をモチーフとしている駅メモのでんこの
五所川原べにかの誕生日が3月18日に設定されていますが、
これは「くまげら編成」の営業運転開始日が元ネタと考えて良いでしょう。


【※上動画はクリックで再生します。】
こちらは秋田駅4番線ホームへと入線するリゾートしらかみ「くまげら編成」の動画です。
それでは以下で編成の各車両について見てみたいと思います。


べにかa02
弘前方の先頭車両である1号車のキハ48-703です。
元は両運転台形のキハ40形520を種車としており、
片運転台に改装された為キハ48形に改番された車両です。

元のキハ40形500番台は寒冷地ローカル線用に開発された番台で、
キハ40-515は1978年(昭和53年)1月17日に新製され
小牛田機関区に配属された車両でした。
べにかa03
秋田方の車端にある「リゾートしらかみ くまげら編成」のロゴ。
編成名の由来の「くまげら」は北海道と青森秋田付近に生息するキツツキ科の鳥で、
白神山地も生息地としており1965年(昭和40年)に国の天然記念物に指定されています。
べにかa07
秋田方の車両端にある乗降デッキ。1号車の乗降扉はこの後方一か所のみです。
車椅子対応で扉の幅が広めとなっています。
べにかa08
2号車との連結部方向へと延びる貫通路。様式多目的トイレと男性用トイレ、
そして洗面台が通路の両側に設けられています。
べにかa09
元々種車のキハ40形の時には運転台だったスペースですが、
リゾートしらかみに改装された際に後部運転台は取り払われて
代わりにトイレと洗面台のスペースとなったものです。
べにかa10
1号車客室内の様子です。2+2席のシートが10列並んでおり、
最後列海側は車椅子座席となっているので合計で39席となっています。
べにかa11
弘前方の運転台後部にある展望スペースです。
フリーの座席が置かれており、自由に座って展望を楽しむことができます。
運転台との仕切り壁も大きなガラス窓で前面展望が見やすくなっています。
べにかa12
カウンターに置かれた乗車記念スタンプ。
べにかa13
リゾートしらかみで行われる三味線演奏などのイベントには
この展望室がイベントスペースとして使われる場合があります。
べにかa14
切り返して見た1号車客室内。
べにかa15
1号車10列目A席の車椅子用座席です。
車椅子を置くスペースとなっている為10列目にB席はありません。


べにかa04
秋田方二両目となる2号車のキハ48形1521です。
1997年(平成9年)に初代リゾートしらかみ旧青池編成に組み込まれていた車両で、
2006年(平成18年)にくまげら編成の登場によってトレードされ組み込まれました。

元は1979年(昭和54年)12月に作られて山形機関区に配属された気動車で、
リゾートしらかみのの誕生に際して改装された車両となります。
べにかa16
2号車弘前方の貫通路付近。乗降扉が無く1号車デッキと2号車客室を
連絡する通路が連結部付近に設けられています。
べにかa17
客室側から見たデッキとの仕切り扉付近。
べにかa18
2号車はボックスシート車両となっており、通路は山側に設けられています。
弘前方の通路にはご覧のブナの木が。
べにかa19
通路の様子です。
ボックス席と通路には扉は無くセミコンパートメントとなっています。
べにかa20
ボックスシートはご覧の通り、向かい合わせに2+2席の座席があり
真ん中にテーブルが設置されています。
2号車にはボックスシートが8セットあり計32席となっています。
べにかa21
切り返して見た2号車の通路の光景です。
べにかa22
秋田方の車両端部にある乗降デッキ。
2号車の乗降デッキはこちら側のみにあります。
べにかa23
3号車との連結部付近の貫通路。片運転台のキハ48形をベースとしているので
四両編成では必然的に2号車と3号車のところで運転台が向き合う事となります。
運転台の車掌のスペースはカーテンで覆われています。
べにかa24
外から見た連結部の貫通路付近。
キハ48形の運転台がそのまま残っている事が分かります。
べにかa25
種車ではトイレだった場所は業務用室となっています。
客室がボックスシートの個室車両となっているので
仕切り扉も山側に寄せて設けられています。


べにかa05
こちらは秋田方三両目、秋田方からは二両目となるキハ48形1503です。
1986年に製造されて北秋田運転所に配属された車両で、
リゾートしらかみくまげら編成への転用の為2010年(平成22年)に改装されました。
べにかa26
3号車秋田方の車端部の光景です。2号車の乗降デッキから貫通路で連絡しており、
客室との仕切り扉がありますがこちら側には乗降扉はありません。
べにかa27
運転台は残されており、トイレだった場所は業務用室となっており
改装前の車両の名残りが残っています。
べにかa28
客室内に入ると弘前方にはご覧のイベントスペースがあります。
透明なポリカーボネイト板で客室と仕切られベンチが置かれたスペースは
車内イベントなどの際に利用されています。
べにかa30
3号車客室内の様子です。2+2席のシートが10列あり計40席の定員となっています。
イベントスペースのベンチはフリー席なので定員には入っていません。
べにかa31
切り返して秋田方から見た車内。
べにかa32
こちらは3号車秋田方の乗降デッキです。
運転台のあった場所を改装して作られたデッキで、
乗降のみのスペースとなっています。
べにかa33
3号車のデッキは連結部のすぐ前にあり、
貫通路で4号車デッキとつながっています。


べにかa06
秋田方の先頭車両であるキハ48形704です。
1978年(昭和53年)1月製造のキハ40形520が種車であり、1号車と同様に
両運転台の気動車が2006年(平成18年)3月に片運転台の展望車へと改装されています。
べにかa34
川部方の車端の乗降デッキです。
この車両の乗降扉はこちら側にのみ設けられています。
べにかa35
3号車側の連結部へと延びる貫通路。
元は運転台のあったスペースには、通路両側にトイレや洗面台があります。
べにかa36
通路脇に設けられた洗面台、男女共用洋式トイレ、男性用トイレ。
べにかa37
4号車の客室内の様子です。
2+2席が10列並んで計40席となっています。
べにかa38
4号車秋田方の運転台後方の展望スペース。
座席指定フリーのベンチが設置されていますが、
1号車のものとは若干形が違っています。
べにかa39
前面が展望できる大きな窓やスタンプの置かれたカウンター、
座席側との透明な仕切り壁などは1号車と同様となっています。
べにかa40
切り返して秋田方から見た4号車客室内。
同様の先頭車両の1号車には車椅子座席がありましたが
こちらの4号車の座席は全て通常座席となっています。



べにかa43
1990年(平成2年)に五能線に登場したノスタルジックトレインをルーツに持つ
リゾートしらかみは日本の観光列車のさきがけと言える存在の列車です。

閑散路線の古い気動車を改装して観光列車として走らせ、
集客により営業収益を挙げるビジネスモデルは
以降全国各地で同様に観光列車を生み出すこととなりました。
べにかa01
リゾートしらかみと同じくキハ40系統の列車を改装した観光列車は
駅メモででんことなっている車両を抜き出してみてもご覧の通り
全国で複数の列車が走っています。


べにかa42
リゾートしらかみをモチーフとした五所川原べにかの衣装を見てみると
首から胸元、腰までのデザインが車両の前面をモチーフとしている事が分かります。
べにかa45
白神山地に生息する「くまげら」をモチーフとした車両の前面屋根上の赤い突起は
くまげらの鶏冠をイメージしたものだそうです。
前面の赤(    から黄色(    のグラデーションは
日本海の夕日をイメージしたデザインで、車両の横にも
同様の配色の帯色が施されています。
べにかa44
五所川原べにかの衣装の配色も赤から黄色の帯色が袖や裾に用いられており
くまげら編成がモチーフである事が良く分かるデザインになっています。

べにかa46
こちらはリゾートしらかみが走る五能線の起点駅である東能代駅のホーム待合室です。
ご覧の通りくまげら編成がモチーフとなったデザインとなっており、
待合室には種車のキハ40形の運転台も置かれています。
べにかa47
キハ40系の列車は製造から40年以上が経過している車両となっており、
「頑丈で長持ち」で定評のある車両もさすがに新型車両への置き換えが進んでいます。
JR東日本では2021年(令和3年)3月を以ってジョイフルトレイン以外のキハ40系は
全車運用が終了
しています。

リゾートしらかみも3編成のうち2編成がハイブリッド車両となっており、
キハ40系の編成はくまげら編成のみとなっています。これはどういう事かと言うと、
くまげら編成は近い将来いつ車両が置き換えられても不思議では無いという事です。

なぜ今後長い運用が期待できるハイブリッド車両編成ではなく、
今すぐ廃車になってもおかしくないキハ40系の編成を
でんこのモチーフにしたのかは分かりません。


現時点で言えるのは、近い将来五所川原べにかのモチーフ車両が
廃車になる可能性は低く無いので乗れる今のチャンスを逃さずに
乗っておく事をお勧めする次第です。


では。


【写真撮影:2023年9月】

でんこの元ネタ
■EX No.19 千寿ヶ原ひとは(Senjyugahara Hitoha)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:7月28日

■出身駅: 国土交通省 立山砂防工事専用軌道 千寿ケ原連絡所(富山)
ひとは01



ひとは03
こちらは立山駅の駅舎の外観です。
1954年(昭和29年)8月に立山開発鉄道(現・立山黒部貫光)の立山ケーブル開業し
千寿ヶ原駅として駅が開業。翌年の1955年(昭和30年)7月には
立山開発鉄道立山線が延伸して千寿ヶ原駅まで乗り入れて接続駅となります。
ひとは04
こちらは駅舎の一階にある立山線のホームと改札です。
富山地鉄の電鉄富山駅から列車が乗り入れる様になった立山線は
1962年(昭和37年)に富山地鉄へと譲渡され、以後は富山地鉄立山線の駅となっています。
駅名が現在の立山駅となったのは1970年(昭和45年)7月からとなります。
ひとは09
駅前広場に面する南側正面には、二階へと上がる階段があり、
その階段脇にはアルペンルートの切符売り場があります。
ひとは05
駅舎の二階はご覧の通り広めの待合スペースとなっています。
立山ケーブルの改札のあるこのフロアは
立山黒部アルペンルートの富山側の入口であり、
シーズン中は多くの観光客が訪れる場所となっています。
ひとは06
立山駅の立山黒部貫光立山ケーブルカーのホームの様子です。
標高475mの立山駅と977mの美女平駅間の1.3kmをつなぐ鋼索線のふもと側駅です。
アルペンルートや立山登山に向かうは実質的にこのケーブルカーに乗る必要があります。

ひとは07
こちらは立山駅の駅周辺の地図です。
ひとは08
駅舎前のロータリーの様子。
ひとは10
ロータリーの駅舎目の前にある立山駅総合案内センター。
元は旅館だった建物なのだそうで、駅前発着のバスのチケットの取り扱いや
マイカーの回送サービスなどを行っています。
ひとは11
案内センターの南側には旅館千寿荘があり、
ロータリーの南東角付近に酒店や喫茶店の建物が並んでいます。
ひとは12
そしてこのロータリー南東角から奥へと進むと
国土交通省の施設の置かれたエリアとなります。
ひとは13
南の奥にあるこちらが国土交通省北陸地方整備局立山砂防事務所の建物です。

世界有数の暴れ川である常願寺川の治水は明治大正時代には
富山県の事業として行われていました。しかしその難易度の高さから
1929年(大正15年)に常願寺川の砂防事業は国の直轄事業となって
現在へと至っています。

こちらの事務所は1950年(昭和25年)に
建設省中部地方建設局立山砂防工事事務所として当地に設置されました。
現在の建物は1997年(平成9年)に作られたものです。
ひとは14
その隣の敷地に建つこちらは立山カルデラ砂防博物館です。
1998年(平成10年)6月に開館した建物で、
3階建ての富山県棟(立山カルデラ展示室等)と
2階建ての国土交通省棟(SABO展示室ほか)の2棟が国有地に建てられています。
ひとは15
入口から砂防博物館の中へ。
ひとは16
二階の連絡廊下で県棟から国土交通省棟へ。
国土交通省棟は国土交通省立山砂防防災情報センターとなっていて
2階に無料のSABO展示室があります。
ひとは17]
このSABO展示室には
酒井工作所製5tディーゼル機関車5-Tld-251が静態保存されています。
1979年(昭和54年)以降に北陸重機製の機関車が主力となるま
で砂防軌道で活躍をしていた機体です。
ひとは18
博物館内での静態保存なので状態は非常に良好に保たれています。
機関車の後ろには人送客車に模した展示スペースが設けられています。
ひとは35
砂防博物館の展示で説明されている酒井工作所製5tディーゼル機関車の写真。


ひとは19
カルデラ砂防博物館の正面へと戻り、入口の右手脇の小道へと入ります。
ひとは20
「砂防工事専用軌道」の案内表記に従って進み、
富山県棟と国土交通省棟の連絡廊下の下をくぐって裏手へとまわり込みます。
ひとは21
国土交通省棟の裏手に鎮座する祠。
ひとは22
祠の裏手には水谷連絡所へと至る立山砂防軌道の線路が敷かれています。

ひとは23
そして祠の前の広場の建物寄りは、スロープで下れるようになっており
ご覧の通り半円形に一段低くなっています。
ひとは24
「砂防工事専用軌道」の案内板があり、南側に通路が。
ひとは25
建物の南端はご覧の通り砂防軌道の車両基地があります。
国土交通棟の一階南側部分が車庫となっていて機関車が格納されています。
ひとは26
車庫の向かい側にある「軌道用砂乾燥設備」と書かれた建物。
坂の多い砂防軌道の滑り止めの為に撒く砂を乾燥する為の設備と思われます。
ひとは267
車庫の先の通路はご覧の通りトンネルとなっていて、
砂防軌道の線路の下をくぐって常願寺川方向へと連絡しています。
ひとは28
トンネルを川岸側へと出て、東方向へと伸びるスロープ。
ひとは30
スロープのつき当たりにはホームと軌道を跨ぐ踏切がありました。
ひとは29
常願寺川に面して設けられたプラットホーム。
ひとは31
ホーム東側には「トロッコ展示レーン」と題された静態保存の建屋と
案内の看板が設置されています。
ひとは32
こちらに静態保存されている加藤製作所製5t機関車5-Tg-5です。
立山砂防軌道の機関車として1963年(昭和38年)に導入された ガソリンエンジンの機体で、
1970年代初頭まで砂防軌道の機関車として活躍していました。
ひとは33
その後は千寿ヶ原構内の入換機(スイッチャー)として使用されており、
1980年(昭和55年)より静態保存機となって現在に至っています。
ひとは34
機関車の連結されて展示されている人送用客車。
銘板では「人車-10」「人車-11」とあります。
ひとは36
砂防博物館の展示で説明されている加藤製作所5tガソリン機関車の写真。


ひとは37
再び立山砂防事務所の正面へ。
全長17.7kmの立山砂防軌道のふもと側の起点はこの事務所敷地内にあります。
ひとは38
案内図を見ると、砂防事務所の裏手を起点として砂防博物館の西側の斜面を
スイッチバックで登る軌道の様子が描かれています。
ひとは39
立山砂防事務所の正面入口。ふもとの起点の連絡所には駅舎などはありませんので
この砂防事務所の1階フロアから乗降場へと入る事となります。
ひとは40
砂防事務所1階のトロッコ乗降場へと出る出入口。
駅で言えば改札にあたる扉といったところでしょうか。
旅客営業路線ではないので、ここから先は現場となりヘルメット着用が義務となります。
ひとは41
砂防事務所とトロッコ乗降場をつなぐウッドデッキ。
国有林へ外来種の種子を持ち込まない様に、デッキ入口には足裏洗浄場があります。
ひとは42
こちらが国土交通省立山砂防工事専用軌道の千寿ヶ原連絡所
トロッコ乗降用のプラットホームとなります。
内務省直轄の常願寺川砂防施設建設工事の為の工事用軌道として敷設され、
1929年(昭和4年)の千寿ヶ原━樺平間の部分開通によって設置された連絡所です。

常願寺川流域の砂防施設建設に伴う資材人員の輸送を目的としている鉄道の為、
鉄道事業法や軌道法ではなく労働安全衛生法に基づき
運行される工事用軌道
となっています。
ひとは43
駅メモのエクストラでんこである千寿ヶ原ひとはの苗字の由来は
この千寿ヶ原連絡所が元ネタ
と考えて良いと思われます。
ひとは44
千寿ヶ原連絡所のホームに停まる砂防軌道のトロッコ。
工事用軌道の為基本的に一般旅客の乗降はできず、
一般人は砂防博物館の開催する見学会への
参加でのみ乗ることが出来る
という路線です。
ひとは45
立山砂防軌道から見た千寿ヶ原連絡所の俯瞰。
ひとは46
千寿ヶ原連絡所の西側の敷地は貨物ヤードとなっており、
複数本の留置線や積み込み用の橋型クレーンがあります。
ひとは47
こちらは県道43号線から千寿ヶ原連絡所の西側中ほどにある通用門への道です。
ひとは48
貨物ヤードへの搬入口となるこの門の脇には
「立山砂防工事専用軌道 運行管理所」と書かれた看板の架かる建物があります。
ひとは49
千寿ヶ原連絡所の西端の門。
ひとは50
こちらは砂防博物館の立山砂防軌道の前面展望映像で見た
千寿ヶ原連絡所の光景です。


ひとは51
スイッチバックを登る砂防軌道。
ひとは52
千寿ヶ原から8.5kmの鬼ヶ城連絡所。
ひとは53
11.7kmの樺平連絡所。
ひとは54
樺平の18段スイッチバック付近の光景です。
どちらを見ても線路が見える様子は壮観です。
ひとは56
終点の水谷連絡所の光景。
千寿ヶ原から18km、標高1117mの常願寺川砂防工事の最前線基地です。
かつてはここから白岩までも軌道があり、道路などに名残りの廃軌道跡が残ります。
ひとは58
水谷連絡所のトロッコ乗降場付近。
ひとは57
こちらは水谷から白岩方面へと通じる廃線トンネル跡です。
現在は車両も通る連絡道となっていますが、ナローゲージのトンネルは
普通車はミラーを畳まないと通れません




■モデル車両: 北陸重機工業製5tディーゼル機関車
ひとは02



ひとは61
国土交通省立山砂防工事専用軌道は富山県の立山カルデラを流れる
常願寺川の砂防工事の為に敷設された工事用軌道であり、
国土交通省北陸地方整備局の管轄で国の事業の為に
砂防施設建設の資材人員の輸送を目的とする鉄道です。
ひとは63
江戸時代より河川改修が行われていた常願寺川で
富山県が本格的に砂防事業に着手したのは1906年(明治39年)でした。
しかし県が構築した砂防堰堤は豪雨に耐え切れず次々と崩壊。
常願寺川の砂防は1926年(大正15年)に当時の内務省直轄の国の事業となります
ひとは62
国の事業となった事で、資材や人員を輸送するための工事用軌道の建設が決定。
1929年(昭和4年)に千寿ヶ原━樺平間がまず開通し、
水谷までのインクラインが敷設された後に
堰堤を築く白岩までの軌道が1931年(昭和6年)に開通しています。

インクライン(ケーブル)や索道(ロープウェイ)が軌道へと置き換えられたのは
1965年(昭和40年)の事で、有名な樺平の18段スイッチバックなどもこの時に作られました。
ひとは64
軌間610mmというナローゲージ(狭軌)である立山砂防軌道ではかつては
加藤製作所、酒井工業所といったナローゲージ機関車メーカーの
機関車が用いられていました。両社が内燃機関車事業から撤退すると、
立山砂防軌道の機関車も北陸重工業製の機関車が導入される事になります。
ひとは65
【上写真:旧明延鉱山にて動態保存の「80年代型」の北陸重工2-10-190】
北陸重工業製の機関車が最初に立山砂防軌道に導入されたのは
酒井工業所の機体と似た外見の1972年(昭和47年)の5-Tld-251でした。
本格的に北陸重工製機関車が立山砂防軌道に入ったのは1979年(昭和54年)の2機で、
その後1980年代に7両が製造され稼働しています。
ひとは60
【上写真:稼働中の「00年型」北陸重工製28-10-2】
「80年代型」の車両は1994年(平成6年)が導入の最後で、
以後はボンネットの形がひし形が特徴の「00年型」の車両にマイナーチェンジされます。
「00年型」は2000年(平成12年)に1機が作られたものの、
その後は既存車両が老朽化する2014年(平成26年)まで作られませんでした。

2014年以降は経年劣化の機関車の更新の為か
10機近くの機関車が新たに投入されています。
2020年(令和2年)時点で機関車の数は9機とされているようですので、
現行で立山砂防軌道を走る機関車は全てこの「00年型」の機体であると思われます。
ひとは66
2019年(令和元年)9月に駅メモに実装されたエクストラでんこの千寿ヶ原ひとはですが、
名前からも立山砂防軌道をモチーフとしているのは明らかであり、
衣装のデザインなどを見ても立山砂防軌道の機関車が元ネタであると考えて良いでしょう。
ひとは67
ポンチョの裏地が格子柄となっていますが、
これは機関車のサイドグリルがモチーフと思われます。
静態保存されている加藤製作所や酒井工業所の機関車はグリル(金網)ではなく
ルーバー
になっていますので、千寿ヶ原ひとはのモチーフはグリルを使用している
北陸重工業製の機関車
であると考えられます。

でんこリリース時に走っていたのは北陸重工業製機関車のみという点も勘案すれば
千寿ヶ原ひとはのモチーフは北陸重工業製5tディーゼル機関車である
と考えるのが合理的だと思われます。


ひとは59
あらためてこちらは北陸重機工業製5tディーゼル機関車です。
車体は全長3660mmで車幅が1437mm、全高2070mmとなっており、
軌間の610mmは黒部渓谷鉄道や三岐鉄道の762mmよりも狭い軌間です。
エンジンはいすゞ製BB-6BG1TRJというディーゼルエンジンが搭載されています。

なおこの5t機関車は鉄道営業法や軌道法に基づく鉄道車両では無いので
車籍なども無く、建設機械としての扱いとなります。
鉄道車両の「車籍」とは国土交通省の受理によるものなので、
国土交通省の所有車両でありながら国土交通省の受理が無いという
なかなかおもしろい位置づけとなっています。
ひとは68
こちらは機関車に連結された客車車両です。
ひとは69
3両のトロッコ客車の車番は機関車側から「5-10-98」「5-10-97」「63-10-58」でした。
機関車もそうですが、車番の最初の数字は年号の年の様で、
「5」は平成5年、「63」は昭和63年と見られます。
ひとは70
客車の中の様子です。3人掛けシートが3列配置されており9名の乗車が可能です。
ひとは71
客室内の銘板を見ると富山県富山市のIHI傘下の
特殊機械メーカーの三越(さんえつ)の製造となっています。

ひとは72
立山砂防工事専用軌道は2006年(平成18年)7月28日に
国の登録記念物に指定
されています。
これは文化財保護法による「遺跡」としての登録で、
近代産業遺産としての保護の必要性が認められたものです。

駅メモのエクストラでんこの千寿ヶ原ひとはの誕生日が7月28日に設定されていますが、
これは立山砂防軌道が国の登録記念物に指定された日が元ネタであると思われます。
参考
文化庁 国指定文化財等データベース「立山砂防工事専用軌道」
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/411/00003492



ひとは73
昭和の時代には軌道を歩いたりトロッコに一般人が便乗する事なども可能だった様ですが、
近年は国の施設ということもあって運用が厳格になっており、
基本的に立山砂防軌道への民間人の立ち入りはできません

一般人が現在の立山砂防軌道に乗るには、毎年募集がされている
立山カルデラ砂防博物館主催の「砂防見学会」への参加する方法しかありません。

7月から10月のみの開催で毎回10数名の定員であるので5~10倍の抽選となる事、
天気によっては当日中止となる場合もある事などから
国内でも有数の乗車困難な鉄道とされています。

また実際に乗車ができても、国土交通省管轄の国の事業の見学となるので
自由奔放に車両や施設を撮影するといった事はできません

当然ながら軌道は国有地の国有林を走っているので
無断で侵入しての撮影も法に抵触するのでできず、
「一生に一度、乗れるか乗れないか」とも言われる路線となっています。
ひとは74
私は2019年(令和元年)に駅メモで千寿ヶ原ひとはが登場した後、
「元ネタ」への乗車を目指して抽選に応募するも、4年にわたって選外となっていました。
ですので今回、ご縁があって立山砂防軌道への乗車のお誘いを頂けたことは
誠に幸いでしたし感謝をいたします。


では。

【写真撮影:2023年9月ほか】

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