でんこの元ネタ
■No.125 青海川しゅか(Omigawa Shuka)
■タイプ:サポーター
■誕生日:5月2日
■出身駅: JR東日本 信越本線 青海川駅(新潟)
こちらは県道257号田屋青海川停車場線の北端の終点近くの光景です。
名前の通り青海川駅へと通じている県道で、線路に突き当たった終端が駅前となります。
つき当たりを西側へと入ると駅前の舗装されたゆるい坂の敷地があります。
こちらが青海川駅の駅舎の外観となります。
駅は1899年(明治32年)に北越鉄道の駅として開業したもので、
1907年(明治40年)に国有化され信越本線の駅となっています。
前の駅舎は1953年(昭和28年)に改築されたコンクリート平屋の駅舎でしたが、
2007年(平成19年)の中越沖地震で駅の直江津形が土砂崩れで埋まってしまい、
一旦駅舎が撤去されて2008年(平成20年)3月に現在の駅舎が新たに建てられました。
青海川駅の俯瞰です。
駅舎の入口の前がホームの出入口となっており、
建物の壁に乗車券回収箱と運賃表が掲示されています。
駅舎の中の様子です。両側に木製ベンチが置かれた待合室のみの建物となっています。
待合室内には列車の運行情報を知らせる電光掲示板があり、
乗車駅証明書の発券機が置かれています。
奥のガラス扉にはトイレのマークがあります。
扉を出て外に出ると、ご覧のトイレが並んで設置されています。
駅舎の脇を進んで敷地の奥へ。途中にフェンスが設けられています。
かつてはこのフェンスから奥側に平屋の駅舎が建っていました。
中越沖地震で青海川駅西側で土砂崩れが起きた際に、復旧に必要となることから
海岸段丘に設けられた駅の駅舎が撤去されて重機が搬入されました。
切り返して見た駅前の敷地。実質的な駅前広場です。
駅舎の前の入口からホームへと入ります。
無人駅なので駅員の改札はありません。
東の山側の1番線ホームの様子です。上り線直江津方面行きのホームとなります。
海岸段丘に作られたホームなのでスペースの都合で幅が狭めに作られています。
柏崎方の北へと進んだ光景です。
右手に国道8号線の赤い米山大橋が見えます。
ホーム北端から見える柏崎方の青海川トンネル。
切り返して南の直江津方へと向かって見た光景です。
駅舎の前からさらに直江津方へ。
この青海川駅は無人駅ながら観光列車「越乃Shu*Kura」の停車駅となっているので
ご覧の越乃Shu*Kura仕様の駅名標が置かれています。
1番線ホームの直江津方のホーム南端の光景です。
山側に土留めの防護柵が設置されていますが、
この付近は中越沖地震の時に土砂崩れが起きた場所です。
ホームの南側の先にはロックシェッドが見え、
その先には第3笠島トンネルがあります。
かつては当駅は千鳥配置のホームとなっていて、この付近の海側は
ロックシェッドの中までホームが伸びていました。
しかし地震の土砂崩れに巻き込まれ、復旧の際にホームも撤去されています。
切り返して再びホームの中央の駅舎側へ。
駅舎の壁には新潟県のレリーフがあり駅の位置が示されています。
相対式ホームを連絡している駅構内の跨線橋。
跨線橋の橋上の様子です。
海側の階段を下ってホームへと降ります。
こちらは駅の西の海側となる2番線ホームです。
柏崎方面行きの下り線ホームとなります。
直江津方のホーム南端の様子。
この先は中越沖地震の土砂崩れ後に撤去されたホーム跡となります。
切り返して北の柏崎方向へ。
2番線ホームの西側は青海川海水浴場の海岸がご覧の通り眼前に迫っています。
駅舎の向かい側となるホームの中ほどの海側には防風壁が設置されています。
跨線橋の下に設けられた越乃Shu*Kura仕様の駅名標。
この駅名標ある跨線橋下付近が2007年(平成19年)の中越沖地震前までのホーム端でした。
千鳥式の配置だったホームは復旧で直江津方面へと伸ばされて相対式となっています。
地震後に増設された柏崎方の北側ホーム端部の様子です。
後から作られた部分はホームが細くなっています。
切り返して南のホーム中央部へと戻ります。
2番線ホームの跨線橋階段付近。
跨線橋を渡って戻り再び駅舎前へ。
ホームから出て駅前の道に下ります。
駅前の県道257号田屋青海川停車場線の終点である道路端。
脇道と駅の敷地で三叉路の様になっています。
三叉路の脇にはご覧の道標があります。
停車場線の方向には「笠島(北国街道)」と書かれています。
青海川駅から南に11kmほど伸びる県道257号田屋青海川停車場線ですが、
その大半は山間を抜ける普通車1台ほどの幅のいわゆる「酷道」となっています。
駅から70mほど先にある国道8号線の米山大橋の赤い橋脚。
こちらが米山大橋です。国道8号線の改良工事によって
1967年(昭和42年)に竣工しています。
橋をくぐると、北側の橋脚の脇に小さな社があるのが見えます。
こちらが青海神社の参道です。橋脚脇の社へと登る階段があります。
一の鳥居には「諏訪神社」の社号標が掛けられています。
青海川駅の駅舎の中に津波の避難場所として書かれているのがこの神社で
12.5mほどの標高があるそうです。
参道二の鳥居の脇にある「青海大明神」の石碑。
社には「青海神社」の社号が書かれています。
境内から見下ろした県道の様子。
県道へと戻り東の山側へと進むとすぐに谷根川の橋を渡ります。
橋の北側には市の体験施設である柏崎さけのふるさと公園があります。
公園内に設けられた資料館。
資料館内には鮭の泳ぐ水槽が設けられ、鮭に関する資料が展示されています。
柏崎市では1978年(昭和58年)から谷根川での鮭の増殖事業を行っており、
公園には魚道でつながった飼育池があります。
県道257号田屋青海川停車場線をさらに東へと進み、
北陸自動車道の高架下をくぐります。
さらに県道を登るとご覧の交差点へと差しかかります。
駅からはおよそ450mほどの地点のこの交差点からは
国道8号線へと連絡する道が分岐しています。
交差点にある待合所。かつてのバス停の待合所の様ですが
使われている様子はありません。しかし駅への行き先看板などがあり
交差点のランドマークとしては目立ち活用されている様です。
交差点にあるお地蔵様。
かつて北国街道が青海川駅付近を通過するには、谷根川河口を渡るか
北の山側へと迂回して谷根川を渡るルートだったそうです。
そして北への迂回ルートには六地蔵があったという事で、
そのお地蔵様が現在もこの交差点に残っているという事の様でした。
県道257号線はこの交差点から東方向に直進しています。
200mほど進むと青海川の集落があり、
この先は徐々に道幅が狭くなって山間の険道となります。
交差点へと戻り、今度は北側の山沿いに分かれる道へと進みます。
坂を上り落石防護の柵に沿って海方向へと進みます。
この道が青海川駅から国道8号線へと連絡するメインの道路となります。
大型車両が国道から青海川駅へと重量無制限で通れる道はこちらの道路のみです。
交差点から米山大橋をくぐって国道に通じる600mほどのこの道は
商業施設が集まる道の駅風の丘米山(休止中)の南側へと通じています。
国道に達する手前付近には、後述しますが北国街道六割坂への入口があります。
フィッシャーマンズワーフやホテルなど商業施設が集まる一角。
米山大橋の北詰にあたるこちらは鴎ヶ鼻(恋人岬)の景勝地の入口にあたり
青海川駅付近で一番栄えている場所です。
佐渡弥彦米山国定公園の米山地区として分類される柏崎市の景勝地で、
岬の先には弁天岩と呼ばれる岩礁があります。
この岬はフィッシャーマンズワーフの手で「恋人岬」として整備され、
ご覧の様に柵には愛のカギが掛けられるスポットとなっています。
恋人岬から見る米山大橋とそのバックにそびえる米山。
その前には海側から見た青海川駅が見えます。
そして再び交差点まで戻って今度は南側へと別れる道へ。
50mほどで谷根川に架かる谷根橋を渡ります。
老朽化した石橋の為14tの重量制限が掛っています。
谷根橋の南側すぐにある青海川オートキャンプ場への入口。
キャンプ場入口の先で北へとカーブを描いた道は
北陸道の高架をくぐって山林の中の坂を上っていきます。
交差点からおよそ550mほどで国道8号線へと連絡しています。
国道8号側から見た青海川駅からの道の入口。
ちょうど米山大橋の南詰前に連絡しているのが分かります。
国道側から入る道の入口にはご覧の谷根橋の
重量制限の案内標識が置かれています。
駅からの連絡道のすぐ北側にある米山大橋。
米山大橋南詰付近から見下ろした青海川海岸付近の俯瞰です。
切り返して南の直江津方面へと見る国道8号線の光景。
この先には北陸道の米山インターチェンジがあります。
米山大橋の南詰の手前の、駅への連絡道入口前付近まで戻ります。
連絡道入口の向かいの国道海側にはご覧の酒店があります。
国道沿いにある酒店の前の駐車場の敷地付近の光景。
この酒店は「酒の新茶屋」という店です。
「東海道中膝栗毛」で名高い江戸時代の作家の十返舎一九が
北国街道の道中記を書いた「金草鞋」という作品で、
「鯨波を打ちすきて一里ほど行けば青海川という所あり。 立場にて茶屋あり」
と書かれて登場をしている青梅川の立場茶屋がこの店です。
この新茶屋の駐車場に向かってご覧の「北国街道」と書かれた道標が立っており、
駐車場の海側には下る小道の坂の入口があります。
この道がかつての北国街道です。
街道からは青海川駅を見下ろすことができます。
米山大橋の橋脚脇から青海川駅の山側へと抜ける旧街道。
谷を渡る鉄橋など無い江戸時代には、いったん河口まで下って
対岸へ渡るか、山側へと迂回するしかありませんでした。
青海川駅のすぐ山側を通り抜けて駅前の県道へ。
カーブを描いて下り、民家の間を抜けてると
駅前の県道257号田屋青海川停車場線へとたどりつきます。
県道側から見た北国街道への入口。
北国街道の県道からの入口の前には案内の道標が立っています。
駅方向へと駅前の県道を進み、道標のある駅つき当たりを
駅舎とは反対の右手へと入ります。
線路沿いの道を直江津方向へ。
80mほど進んで谷根川に突き当たる付近で、左手に線路をくぐるガードがあります。
高架下をくぐり海側の階段を上ります。
ガードの西側に設けられた通路。
海側へと進むと、青海川海水浴場の海岸へと降りる階段と、
信越本線の旧線の橋桁を利用した木橋との分岐となります。
青海川駅の西側にある青海川海水浴場の様子です。
砂浜ではなく石の多い海岸なので裸足での海水浴はなかなか大変そうです。
駅南に見える岬は松ヶ崎で海岸から「お弁が滝」という滝が見えます。
海側から見た青海川駅。
切り返して見た青海川海水浴場の海岸の様子です。
谷根川の河口の先に見える岬は鴎ヶ鼻で「恋人岬」の別名がつけられています。
河口から谷根川の左岸を進んで見た光景。
信越本線の旧線に掛けられた歩道と、現信越本線線路下をくぐると
海岸は市道へと連絡しています。
こちらは海岸へと降りた階段。再び上って上の歩道へと戻ります。
旧線の橋脚を使って掛けられた木製の歩道橋。
元々は柏崎市の整備した歩道橋が架けられていましたが老朽化。
新潟県環境局が「中部北陸自然歩道」の一部として再整備され
ご覧の木橋が架けられました。
鉄道が通ったりするなどしているので北国街道の正確な旧道ではないかもしれませんが、
青海川の海岸で谷根川を渡って六割坂に向かうのが街道のルートだったので
この整備された遊歩道にも「北国街道」の表記が書かれています。
ちょうど信越本線の青海川トンネルの真横あたりで
線路方向へと向かって直角に曲がる遊歩道。
トンネルの脇から六割坂の坂道を登ります。
北国街道有数の難所とされた六割坂からは
青海川駅をご覧の通り見下ろす事ができます。
北国街道旧道の六割坂から上の市道への入口付近。
この入口には「出羽三山塔」という月山、湯殿山、羽黒山の名が刻まれた石碑があります。
北国街道旧道の下り口付近の市道。この市道は前の方で書いた
谷根橋前の交差点から国道8号線米山大橋北詰を連絡している道です。
青海川駅は日本全国にいくつかある「日本一海に近い駅」のひとつとされており、
実際に晴れた日に駅ホームから見る日本海は絶景となっています。
そのロケーションからいくつもの映像作品で舞台として登場するなどしており、
現在もこの駅目当てに観光客が訪れる観光スポットとなっています。
■モデル車両: JR東日本 キハ40形・48形気動車「越乃Shu*Kura」
2014年(平成26年)にJR東日本では春季に新潟を舞台とした
「新潟ディスティネーションキャンペーン」が行われました。
「うまさぎっしり新潟『彩とりどりの春めぐり』」と題して
「食」「花」「雪」「酒」「匠」の5要素を元に春の新潟をアピールする試みの中で、
日本酒の醸造が盛んな新潟県の「酒」をコンセプトに新たな観光列車が企画されました。
こうして2014年(平成26年)5月2日に高田駅━十日町駅間で
観光列車「越乃Shu*Kura」の運行が開始されています。
列車名の「越乃」は越後、「Shu」は酒、「Kura」は蔵の意味で、
「*」は米、雪、花を表して「越後の酒蔵と豊かな自然」をイメージしています。
駅メモのでんこの青海川しゅかの誕生日が5月2日に設定されていますが、
これは「越乃Shu*Kura」の営業運転開始日が元と考えて良いでしょう。
車両は国鉄時代に製造されたキハ40系の気動車が使われており、
2014年(平成26年)に観光列車化の改造が行われています。
こちらは十日町駅でホームに入線する「越乃Shu*Kura」の動画です。
以下では「越乃Shu*Kura」の編成の各車両について見てみたいと思います。
上越妙高方の先頭車両となる1号車のキハ48形-558です。
国鉄時代の1981年(昭和56年)12月21日に富士重工で新製された
寒地仕様の片運転台車両であり、盛岡客車区へと配置されたのち
1988年(昭和63年)3月に八戸機関区へと転属しています。
2014年(平成26年)4月にJR東日本郡山車両センターにて改造がされ
観光列車「越乃Shu*Kura」の1号車となって新潟運輸区に転属。
現在に至るまでジョイフルトレインとして運行をしています。
乗降扉は長岡片の2号車との連結部手前の車端に設けられています。
通路の山側に設置されている洗面台。
貫通路の両脇には男性用トイレと男女共用洋式トイレが設けられています。
1号車客室内の様子です。「びゅう旅行商品専用車両」となっており
旅行商品のチケットを購入した乗客のみが乗れる車両となります。
日本海側に設けられたカウンター上の「展望ペアシート」。
2人掛けの座席が並べられています。
ペアシートの仕切りにはロゴマークがあしらわれています。
展望ペアシートの長岡方の脇はご覧の通り車椅子スペースとなっていて
仕切り扉の脇に車椅子固定用ベルトが設置されています。
山側から通路を挟んだ海側へと向かって作られた「くつろぎペアシート」。
こちらはパーテションで区切られています。
上越妙高方に設置された4人掛けボックスシート。
ボックスシートの奥の運転台後部は業務用スペースとなっており
提供する飲料や食品などが収納されカウンターが置かれています。
びゅう商品専用車両なので、時期と季節により酒食が提供されます。
切り返して長岡方から見た1号車車内。
上越妙高方の、車椅子スペースの向かい側のくつろぎペアシート。
仕切り壁に書かれた車両番号と改造銘板です。
3両編成の真ん中に位置する2号車のキハ48形-1542です。
1981年(昭和56年)2月16日に新潟鐵工所で製造された車体で、
寒地仕様の片運転台車両となります。
新製後は山形機関区へと配置され、新潟運転所、八戸運輸区を経て
2014年(平成26年)に新潟トランシスで観光列車に改造を受けています。
2号車の上越妙高方は1号車乗降デッキとつながっており、
乗降デッキの扉を開けると連結部があってすぐに客室内につながっています。
2号車客室内の様子です。サービスカウンターが設置されており、
大桶と酒棒をモチーフのスタンディングテーブルを設置したイベントスペースとなっています。
座席は設置されていないのでこの車両に定員は設定されていません。
イベントスペースの山側にはご覧のバーベンチが設置。
海側にはカウンターが設けられています。
長岡方の客室仕切り扉付近。扉は格子戸になっています。
脇にはカウンターを兼ねたダストボックスがあって、
上に乗車記念スタンプが置かれています。
仕切り壁に書かれた車両番号と改造銘板。
1号車は郡山車両センターでしたが、
この車両は新潟トランシスのものがつけられています。
切り返して見た車内。
こちらが上越妙高方に置かれたサービスカウンター「蔵守~ Kuramori~」。
軽食や酒類などが販売されており、日本酒の利き酒メニューなども置かれています。
カウンター前から上越妙高方の貫通路の扉へ向かった光景。
展示の棚が設けられています。
こちらは長岡方の客室からデッキへと出る扉。
格子に飾られた扉を出ると2号車長岡方車端の乗降デッキに出ます。
片運転台の2号車の運転台はそのまま残されていますので、
運転台後方の乗降デッキから3号車へは運転台中央の貫通路から行き来をします。
連結部から切り返して2号車側を見た光景。
運転台の車掌側はカーテンで仕切られています。
長岡方の先頭車両となる3号車のキハ40形-552です。
1、2号車は片運転台のキハ48形なのに対して
この3号車は両運転台のキハ40形が使われています。
寒地仕様のキハ40形500番台の車両は1979年(昭和54年)10月31日に新製され
秋田運転区に配置。八戸機関区を経て2014年(平成26年)に
JR東日本郡山車両センターで観光列車化の改修工事を受けています。
3号車の長岡方の乗降デッキです。
この車両の乗降デッキはこちらのみとなっているので
客室内へはこちらのデッキから入る事となります。
デッキから長岡方へと延びる2号車連結部への貫通路。
3号車側も運転台があるので、2つの運転台を通り抜けて行き来する事となります。
切り返してデッキ方向へ。
乗降デッキから3号車客室内へと入った光景です。
一般発売用の座席指定車両であり、
駅で切符を買った人はこちらの車両に乗ることとなります。
座席は2+2席の回転リクライニングシートが6列設置されています。
客室の長岡方の運転台後方には
両側に4人掛けソファーのフリースペースが設けられています。
客室から見た運転台の様子。
切り返して見た3号車客室の光景です。
列車のエクステリアのカラーリングは藍下黒( )という深い青に
雪の色である白を合わせたツートンカラーとなっています。
「越乃Shu*Kura」をモチーフとしている駅メモのでんこの青海川しゅかの衣装も
この藍下黒を用いたエクステリアデザインを模したものとなっています。
またキャラクターの衣装のネクタイのデザインを見ると
ロゴマークがモチーフであることが分かります。
インナーのシャツの側は座席のモケットがモチーフとなっています。
袴の帯部分にあしらわれた四角い装飾は
LEDに交換されている前照灯と同じ形をしています。
「越乃Shu*Kura」の停車駅には酒樽をイメージした独自の駅名標が置かれています。
水(波)、大地(稲穂)、ジャズの3つのテーマが描かれており、
各駅ごとに名所や名産が3つづつあしらわれています。
【写真撮影:2023年7月】
■No.125 青海川しゅか(Omigawa Shuka)
■タイプ:サポーター
■誕生日:5月2日
■出身駅: JR東日本 信越本線 青海川駅(新潟)
こちらは県道257号田屋青海川停車場線の北端の終点近くの光景です。
名前の通り青海川駅へと通じている県道で、線路に突き当たった終端が駅前となります。
つき当たりを西側へと入ると駅前の舗装されたゆるい坂の敷地があります。
こちらが青海川駅の駅舎の外観となります。
駅は1899年(明治32年)に北越鉄道の駅として開業したもので、
1907年(明治40年)に国有化され信越本線の駅となっています。
前の駅舎は1953年(昭和28年)に改築されたコンクリート平屋の駅舎でしたが、
2007年(平成19年)の中越沖地震で駅の直江津形が土砂崩れで埋まってしまい、
一旦駅舎が撤去されて2008年(平成20年)3月に現在の駅舎が新たに建てられました。
青海川駅の俯瞰です。
駅舎の入口の前がホームの出入口となっており、
建物の壁に乗車券回収箱と運賃表が掲示されています。
駅舎の中の様子です。両側に木製ベンチが置かれた待合室のみの建物となっています。
待合室内には列車の運行情報を知らせる電光掲示板があり、
乗車駅証明書の発券機が置かれています。
奥のガラス扉にはトイレのマークがあります。
扉を出て外に出ると、ご覧のトイレが並んで設置されています。
駅舎の脇を進んで敷地の奥へ。途中にフェンスが設けられています。
かつてはこのフェンスから奥側に平屋の駅舎が建っていました。
中越沖地震で青海川駅西側で土砂崩れが起きた際に、復旧に必要となることから
海岸段丘に設けられた駅の駅舎が撤去されて重機が搬入されました。
切り返して見た駅前の敷地。実質的な駅前広場です。
駅舎の前の入口からホームへと入ります。
無人駅なので駅員の改札はありません。
東の山側の1番線ホームの様子です。上り線直江津方面行きのホームとなります。
海岸段丘に作られたホームなのでスペースの都合で幅が狭めに作られています。
柏崎方の北へと進んだ光景です。
右手に国道8号線の赤い米山大橋が見えます。
ホーム北端から見える柏崎方の青海川トンネル。
切り返して南の直江津方へと向かって見た光景です。
駅舎の前からさらに直江津方へ。
この青海川駅は無人駅ながら観光列車「越乃Shu*Kura」の停車駅となっているので
ご覧の越乃Shu*Kura仕様の駅名標が置かれています。
1番線ホームの直江津方のホーム南端の光景です。
山側に土留めの防護柵が設置されていますが、
この付近は中越沖地震の時に土砂崩れが起きた場所です。
ホームの南側の先にはロックシェッドが見え、
その先には第3笠島トンネルがあります。
かつては当駅は千鳥配置のホームとなっていて、この付近の海側は
ロックシェッドの中までホームが伸びていました。
しかし地震の土砂崩れに巻き込まれ、復旧の際にホームも撤去されています。
切り返して再びホームの中央の駅舎側へ。
駅舎の壁には新潟県のレリーフがあり駅の位置が示されています。
相対式ホームを連絡している駅構内の跨線橋。
跨線橋の橋上の様子です。
海側の階段を下ってホームへと降ります。
こちらは駅の西の海側となる2番線ホームです。
柏崎方面行きの下り線ホームとなります。
直江津方のホーム南端の様子。
この先は中越沖地震の土砂崩れ後に撤去されたホーム跡となります。
切り返して北の柏崎方向へ。
2番線ホームの西側は青海川海水浴場の海岸がご覧の通り眼前に迫っています。
駅舎の向かい側となるホームの中ほどの海側には防風壁が設置されています。
跨線橋の下に設けられた越乃Shu*Kura仕様の駅名標。
この駅名標ある跨線橋下付近が2007年(平成19年)の中越沖地震前までのホーム端でした。
千鳥式の配置だったホームは復旧で直江津方面へと伸ばされて相対式となっています。
地震後に増設された柏崎方の北側ホーム端部の様子です。
後から作られた部分はホームが細くなっています。
切り返して南のホーム中央部へと戻ります。
2番線ホームの跨線橋階段付近。
跨線橋を渡って戻り再び駅舎前へ。
ホームから出て駅前の道に下ります。
駅前の県道257号田屋青海川停車場線の終点である道路端。
脇道と駅の敷地で三叉路の様になっています。
三叉路の脇にはご覧の道標があります。
停車場線の方向には「笠島(北国街道)」と書かれています。
青海川駅から南に11kmほど伸びる県道257号田屋青海川停車場線ですが、
その大半は山間を抜ける普通車1台ほどの幅のいわゆる「酷道」となっています。
駅から70mほど先にある国道8号線の米山大橋の赤い橋脚。
こちらが米山大橋です。国道8号線の改良工事によって
1967年(昭和42年)に竣工しています。
橋をくぐると、北側の橋脚の脇に小さな社があるのが見えます。
こちらが青海神社の参道です。橋脚脇の社へと登る階段があります。
一の鳥居には「諏訪神社」の社号標が掛けられています。
青海川駅の駅舎の中に津波の避難場所として書かれているのがこの神社で
12.5mほどの標高があるそうです。
参道二の鳥居の脇にある「青海大明神」の石碑。
社には「青海神社」の社号が書かれています。
境内から見下ろした県道の様子。
県道へと戻り東の山側へと進むとすぐに谷根川の橋を渡ります。
橋の北側には市の体験施設である柏崎さけのふるさと公園があります。
公園内に設けられた資料館。
資料館内には鮭の泳ぐ水槽が設けられ、鮭に関する資料が展示されています。
柏崎市では1978年(昭和58年)から谷根川での鮭の増殖事業を行っており、
公園には魚道でつながった飼育池があります。
県道257号田屋青海川停車場線をさらに東へと進み、
北陸自動車道の高架下をくぐります。
さらに県道を登るとご覧の交差点へと差しかかります。
駅からはおよそ450mほどの地点のこの交差点からは
国道8号線へと連絡する道が分岐しています。
交差点にある待合所。かつてのバス停の待合所の様ですが
使われている様子はありません。しかし駅への行き先看板などがあり
交差点のランドマークとしては目立ち活用されている様です。
交差点にあるお地蔵様。
かつて北国街道が青海川駅付近を通過するには、谷根川河口を渡るか
北の山側へと迂回して谷根川を渡るルートだったそうです。
そして北への迂回ルートには六地蔵があったという事で、
そのお地蔵様が現在もこの交差点に残っているという事の様でした。
県道257号線はこの交差点から東方向に直進しています。
200mほど進むと青海川の集落があり、
この先は徐々に道幅が狭くなって山間の険道となります。
交差点へと戻り、今度は北側の山沿いに分かれる道へと進みます。
坂を上り落石防護の柵に沿って海方向へと進みます。
この道が青海川駅から国道8号線へと連絡するメインの道路となります。
大型車両が国道から青海川駅へと重量無制限で通れる道はこちらの道路のみです。
交差点から米山大橋をくぐって国道に通じる600mほどのこの道は
商業施設が集まる道の駅風の丘米山(休止中)の南側へと通じています。
国道に達する手前付近には、後述しますが北国街道六割坂への入口があります。
フィッシャーマンズワーフやホテルなど商業施設が集まる一角。
米山大橋の北詰にあたるこちらは鴎ヶ鼻(恋人岬)の景勝地の入口にあたり
青海川駅付近で一番栄えている場所です。
佐渡弥彦米山国定公園の米山地区として分類される柏崎市の景勝地で、
岬の先には弁天岩と呼ばれる岩礁があります。
この岬はフィッシャーマンズワーフの手で「恋人岬」として整備され、
ご覧の様に柵には愛のカギが掛けられるスポットとなっています。
恋人岬から見る米山大橋とそのバックにそびえる米山。
その前には海側から見た青海川駅が見えます。
そして再び交差点まで戻って今度は南側へと別れる道へ。
50mほどで谷根川に架かる谷根橋を渡ります。
老朽化した石橋の為14tの重量制限が掛っています。
谷根橋の南側すぐにある青海川オートキャンプ場への入口。
キャンプ場入口の先で北へとカーブを描いた道は
北陸道の高架をくぐって山林の中の坂を上っていきます。
交差点からおよそ550mほどで国道8号線へと連絡しています。
国道8号側から見た青海川駅からの道の入口。
ちょうど米山大橋の南詰前に連絡しているのが分かります。
国道側から入る道の入口にはご覧の谷根橋の
重量制限の案内標識が置かれています。
駅からの連絡道のすぐ北側にある米山大橋。
米山大橋南詰付近から見下ろした青海川海岸付近の俯瞰です。
切り返して南の直江津方面へと見る国道8号線の光景。
この先には北陸道の米山インターチェンジがあります。
米山大橋の南詰の手前の、駅への連絡道入口前付近まで戻ります。
連絡道入口の向かいの国道海側にはご覧の酒店があります。
国道沿いにある酒店の前の駐車場の敷地付近の光景。
この酒店は「酒の新茶屋」という店です。
「東海道中膝栗毛」で名高い江戸時代の作家の十返舎一九が
北国街道の道中記を書いた「金草鞋」という作品で、
「鯨波を打ちすきて一里ほど行けば青海川という所あり。 立場にて茶屋あり」
と書かれて登場をしている青梅川の立場茶屋がこの店です。
この新茶屋の駐車場に向かってご覧の「北国街道」と書かれた道標が立っており、
駐車場の海側には下る小道の坂の入口があります。
この道がかつての北国街道です。
街道からは青海川駅を見下ろすことができます。
米山大橋の橋脚脇から青海川駅の山側へと抜ける旧街道。
谷を渡る鉄橋など無い江戸時代には、いったん河口まで下って
対岸へ渡るか、山側へと迂回するしかありませんでした。
青海川駅のすぐ山側を通り抜けて駅前の県道へ。
カーブを描いて下り、民家の間を抜けてると
駅前の県道257号田屋青海川停車場線へとたどりつきます。
県道側から見た北国街道への入口。
北国街道の県道からの入口の前には案内の道標が立っています。
駅方向へと駅前の県道を進み、道標のある駅つき当たりを
駅舎とは反対の右手へと入ります。
線路沿いの道を直江津方向へ。
80mほど進んで谷根川に突き当たる付近で、左手に線路をくぐるガードがあります。
高架下をくぐり海側の階段を上ります。
ガードの西側に設けられた通路。
海側へと進むと、青海川海水浴場の海岸へと降りる階段と、
信越本線の旧線の橋桁を利用した木橋との分岐となります。
青海川駅の西側にある青海川海水浴場の様子です。
砂浜ではなく石の多い海岸なので裸足での海水浴はなかなか大変そうです。
駅南に見える岬は松ヶ崎で海岸から「お弁が滝」という滝が見えます。
海側から見た青海川駅。
切り返して見た青海川海水浴場の海岸の様子です。
谷根川の河口の先に見える岬は鴎ヶ鼻で「恋人岬」の別名がつけられています。
河口から谷根川の左岸を進んで見た光景。
信越本線の旧線に掛けられた歩道と、現信越本線線路下をくぐると
海岸は市道へと連絡しています。
こちらは海岸へと降りた階段。再び上って上の歩道へと戻ります。
旧線の橋脚を使って掛けられた木製の歩道橋。
元々は柏崎市の整備した歩道橋が架けられていましたが老朽化。
新潟県環境局が「中部北陸自然歩道」の一部として再整備され
ご覧の木橋が架けられました。
鉄道が通ったりするなどしているので北国街道の正確な旧道ではないかもしれませんが、
青海川の海岸で谷根川を渡って六割坂に向かうのが街道のルートだったので
この整備された遊歩道にも「北国街道」の表記が書かれています。
ちょうど信越本線の青海川トンネルの真横あたりで
線路方向へと向かって直角に曲がる遊歩道。
トンネルの脇から六割坂の坂道を登ります。
北国街道有数の難所とされた六割坂からは
青海川駅をご覧の通り見下ろす事ができます。
北国街道旧道の六割坂から上の市道への入口付近。
この入口には「出羽三山塔」という月山、湯殿山、羽黒山の名が刻まれた石碑があります。
北国街道旧道の下り口付近の市道。この市道は前の方で書いた
谷根橋前の交差点から国道8号線米山大橋北詰を連絡している道です。
青海川駅は日本全国にいくつかある「日本一海に近い駅」のひとつとされており、
実際に晴れた日に駅ホームから見る日本海は絶景となっています。
そのロケーションからいくつもの映像作品で舞台として登場するなどしており、
現在もこの駅目当てに観光客が訪れる観光スポットとなっています。
■モデル車両: JR東日本 キハ40形・48形気動車「越乃Shu*Kura」
2014年(平成26年)にJR東日本では春季に新潟を舞台とした
「新潟ディスティネーションキャンペーン」が行われました。
「うまさぎっしり新潟『彩とりどりの春めぐり』」と題して
「食」「花」「雪」「酒」「匠」の5要素を元に春の新潟をアピールする試みの中で、
日本酒の醸造が盛んな新潟県の「酒」をコンセプトに新たな観光列車が企画されました。
こうして2014年(平成26年)5月2日に高田駅━十日町駅間で
観光列車「越乃Shu*Kura」の運行が開始されています。
列車名の「越乃」は越後、「Shu」は酒、「Kura」は蔵の意味で、
「*」は米、雪、花を表して「越後の酒蔵と豊かな自然」をイメージしています。
駅メモのでんこの青海川しゅかの誕生日が5月2日に設定されていますが、
これは「越乃Shu*Kura」の営業運転開始日が元と考えて良いでしょう。
車両は国鉄時代に製造されたキハ40系の気動車が使われており、
2014年(平成26年)に観光列車化の改造が行われています。
こちらは十日町駅でホームに入線する「越乃Shu*Kura」の動画です。
以下では「越乃Shu*Kura」の編成の各車両について見てみたいと思います。
上越妙高方の先頭車両となる1号車のキハ48形-558です。
国鉄時代の1981年(昭和56年)12月21日に富士重工で新製された
寒地仕様の片運転台車両であり、盛岡客車区へと配置されたのち
1988年(昭和63年)3月に八戸機関区へと転属しています。
2014年(平成26年)4月にJR東日本郡山車両センターにて改造がされ
観光列車「越乃Shu*Kura」の1号車となって新潟運輸区に転属。
現在に至るまでジョイフルトレインとして運行をしています。
乗降扉は長岡片の2号車との連結部手前の車端に設けられています。
通路の山側に設置されている洗面台。
貫通路の両脇には男性用トイレと男女共用洋式トイレが設けられています。
1号車客室内の様子です。「びゅう旅行商品専用車両」となっており
旅行商品のチケットを購入した乗客のみが乗れる車両となります。
日本海側に設けられたカウンター上の「展望ペアシート」。
2人掛けの座席が並べられています。
ペアシートの仕切りにはロゴマークがあしらわれています。
展望ペアシートの長岡方の脇はご覧の通り車椅子スペースとなっていて
仕切り扉の脇に車椅子固定用ベルトが設置されています。
山側から通路を挟んだ海側へと向かって作られた「くつろぎペアシート」。
こちらはパーテションで区切られています。
上越妙高方に設置された4人掛けボックスシート。
ボックスシートの奥の運転台後部は業務用スペースとなっており
提供する飲料や食品などが収納されカウンターが置かれています。
びゅう商品専用車両なので、時期と季節により酒食が提供されます。
切り返して長岡方から見た1号車車内。
上越妙高方の、車椅子スペースの向かい側のくつろぎペアシート。
仕切り壁に書かれた車両番号と改造銘板です。
3両編成の真ん中に位置する2号車のキハ48形-1542です。
1981年(昭和56年)2月16日に新潟鐵工所で製造された車体で、
寒地仕様の片運転台車両となります。
新製後は山形機関区へと配置され、新潟運転所、八戸運輸区を経て
2014年(平成26年)に新潟トランシスで観光列車に改造を受けています。
2号車の上越妙高方は1号車乗降デッキとつながっており、
乗降デッキの扉を開けると連結部があってすぐに客室内につながっています。
2号車客室内の様子です。サービスカウンターが設置されており、
大桶と酒棒をモチーフのスタンディングテーブルを設置したイベントスペースとなっています。
座席は設置されていないのでこの車両に定員は設定されていません。
イベントスペースの山側にはご覧のバーベンチが設置。
海側にはカウンターが設けられています。
長岡方の客室仕切り扉付近。扉は格子戸になっています。
脇にはカウンターを兼ねたダストボックスがあって、
上に乗車記念スタンプが置かれています。
仕切り壁に書かれた車両番号と改造銘板。
1号車は郡山車両センターでしたが、
この車両は新潟トランシスのものがつけられています。
切り返して見た車内。
こちらが上越妙高方に置かれたサービスカウンター「蔵守~ Kuramori~」。
軽食や酒類などが販売されており、日本酒の利き酒メニューなども置かれています。
カウンター前から上越妙高方の貫通路の扉へ向かった光景。
展示の棚が設けられています。
こちらは長岡方の客室からデッキへと出る扉。
格子に飾られた扉を出ると2号車長岡方車端の乗降デッキに出ます。
片運転台の2号車の運転台はそのまま残されていますので、
運転台後方の乗降デッキから3号車へは運転台中央の貫通路から行き来をします。
連結部から切り返して2号車側を見た光景。
運転台の車掌側はカーテンで仕切られています。
長岡方の先頭車両となる3号車のキハ40形-552です。
1、2号車は片運転台のキハ48形なのに対して
この3号車は両運転台のキハ40形が使われています。
寒地仕様のキハ40形500番台の車両は1979年(昭和54年)10月31日に新製され
秋田運転区に配置。八戸機関区を経て2014年(平成26年)に
JR東日本郡山車両センターで観光列車化の改修工事を受けています。
3号車の長岡方の乗降デッキです。
この車両の乗降デッキはこちらのみとなっているので
客室内へはこちらのデッキから入る事となります。
デッキから長岡方へと延びる2号車連結部への貫通路。
3号車側も運転台があるので、2つの運転台を通り抜けて行き来する事となります。
切り返してデッキ方向へ。
乗降デッキから3号車客室内へと入った光景です。
一般発売用の座席指定車両であり、
駅で切符を買った人はこちらの車両に乗ることとなります。
座席は2+2席の回転リクライニングシートが6列設置されています。
客室の長岡方の運転台後方には
両側に4人掛けソファーのフリースペースが設けられています。
客室から見た運転台の様子。
切り返して見た3号車客室の光景です。
列車のエクステリアのカラーリングは藍下黒( )という深い青に
雪の色である白を合わせたツートンカラーとなっています。
「越乃Shu*Kura」をモチーフとしている駅メモのでんこの青海川しゅかの衣装も
この藍下黒を用いたエクステリアデザインを模したものとなっています。
またキャラクターの衣装のネクタイのデザインを見ると
ロゴマークがモチーフであることが分かります。
インナーのシャツの側は座席のモケットがモチーフとなっています。
袴の帯部分にあしらわれた四角い装飾は
LEDに交換されている前照灯と同じ形をしています。
「越乃Shu*Kura」の停車駅には酒樽をイメージした独自の駅名標が置かれています。
水(波)、大地(稲穂)、ジャズの3つのテーマが描かれており、
各駅ごとに名所や名産が3つづつあしらわれています。
【写真撮影:2023年7月】