でんこの元ネタ
■No.35 神畑いおり(Kabatake Iori)
 ■タイプ:ディフェンダー
 ■誕生日:8月1日

■出身駅: 上田電鉄 別所線 神畑駅(長野)
いおり01


いおり03
こちらは県道65号上田丸子線の神畑交差点付近の光景です。
上田市街から国道254号へと連絡し松本・諏訪方面への短絡路となる県道が、
この神畑交差点で南にT字に分岐をしています。
いおり04
この神畑交差点から分岐しているのは別所街道(県道177号鹿教湯別所上田線)で
別所温泉までのおよそ6kmをほぼ南にまっすぐ連絡しています。
いおり05
その神畑交差点から別所街道を南に60mほど進むと
上田電鉄の神畑踏切があります。
いおり06
南側から踏切を見ると、ご覧の通り神畑交差点までの近さが分かります。
いおり07
そしてこの神畑踏切の北西側の線路脇に
駅へと通じる連絡路があります。
いおり08
線路脇を進んだこちらが神畑駅の駅入口となります。
駅は1921年(大正10年)に上田温泉電軌の駅として開業したもので、
何度か路線の所属会社が変わったものの一貫して無人駅として現在に至ります。
いおり09
駅入口の階段前付近の様子です。
踏切脇の道路からの連絡通路の脇には駅の駐輪場があります。
また駐輪場の手前には民家の入口がありました。
いおり10
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の無人駅となっており駅舎はありません。
いおり11
代わりに中央付近に待合室の建屋が置かれています。
いおり12
待合室の中の様子。
奥の壁側がベンチとなっています。
いおり13
ホーム南側が入口となっており、
自動券売機は無いものの自販機が置かれています。
いおり14
ホーム建屋の屋根は待合室部分だけではなく
別所温泉方にも張り出しており、外にもベンチが置かれています。

いおり15
駅ホームの裏手である西側一帯は畑が広がっています。
いおり16
そしてホームの北西側にはりんごの木が並んだりんご畑となっています。
いおり18
畑の側から見た神畑駅の全景です。

いおり17
こちらは神畑駅から県道65号上田丸子線を南におよそ2km離れた
2駅隣りの下之郷駅が最寄りである生島足島神社です。

古来、朝廷に仕えて機を織る職能集団を「服部(はとりべ)」と言いましたが、
神宮に仕えて神の御衣を織る「神服部(かんはとり)」という人たちがいました。
神畑(かばたけ)の地名は生島足島神社の神服部が訛ったものとされています。



■モデル車両: 上田電鉄1000系電車(1001編成・1002編成)
いおり02


丸子鉄道と上田温泉軌道(→上田電鉄)が1943年(昭和18年)に合併して
上田丸子電鉄となったのが現在の上田電鉄のルーツであり、
1958年(昭和33年)に東急の系列会社となって現在に至ります。
いおり37
こちらは列車の車体につけられた上田電鉄の社章です。
1969年(昭和44年)に上田丸子電鉄は上田交通に社名変更されましたが、
その後鉄道部門が上田交通から分離し2005年(平成17年)に再び上田電鉄となります。
社章は1939年(昭和14年)発足の初代の上田電鉄のものが再び使われています


東急系列である為、上田電鉄では東急の払い下げ車両を歴代で使用してきました。
1000系の前任車両である上田交通7200系電車は1993年(平成5年)に
東急から譲り受けて上田交通へと入線しましたが、
その時点で既に26年使用されていた車両であった為、当然老朽化が進む事となりました。
この7200系を置き換える為に導入されたのが上田電鉄1000系電車となります。
いおり19
【上写真:東急1000系1015編成】
置き換え用として上田電鉄へと譲渡されたのは東急1000系電車で、
1991年(平成3年)に東急池上線用に作られた4次車で
「1000N'系」と呼ばれる編成のものです。
いおり20
【上写真:上田電鉄1000系1001編成(旧東急1000系1015編成)】
上田電鉄へと譲渡される事となった1000系のうち、
2008年(平成20年)3月に1015Fと1018Fの2編成が
東急テクノシステム長津田工場で改造が行われました。

運賃箱や整理券発行機などワンマン運行の為の設備の設置や
連結面の転落防止幌の設置などが行われた他、
デハ1000形の運転台寄りにパンタグラフを増設し2基搭載なったのが
主な改造工事の内容となります。

上田電鉄1000系の1001編成と1002編成となった2編成は
2008年(平成20年)8月1日に上田電鉄別所線での営業運転を開始
しました。

駅メモのでんこである神畑いおりの誕生日が8月1日に設定されていますが、
これは上田電鉄1000系の別所線での営業運転開始日が元ネタと考えて良いでしょう。
いおり21
また神畑いおりのコスチュームのカラーリングを見ると
灰色の地色に赤い帯色となっています。
これは上田電鉄で運行開始をした当時の東急色のカラーリング
灰色はステンレス車体の地色、赤(    )は車体の帯色と同じです。
帯色が胴の裾が車両前面と同じ太い一本線、袖が車体横と同じ2本線となっている事からも
元々の東急カラーがモチーフであるが分かります。
いおり22
【上写真:(上)伊賀鉄道200系】(下)一畑電車1000系】
上田電鉄と同じく東急1000系が譲渡されて使用されている例としては
伊賀鉄道200系や一畑電車1000系などがあり、最近では福島交通1000系も同様です。


いおり23
こちらは上田方のモハ1000形です。
モ(電動車)ハ(普通車)でモーターを搭載した車両であることが分かります。
編成略記号ではMcとなりM(動力車)c(制御車)
運転台と動力の制御電動車の意味となります。
東急時代には池上線用4次車の蒲田方先頭車両であるデハ1310形(Mc)でした。
いおり24
屋根の上にはパンタグラフが2基搭載されています。
連結部側のパンタは東急時代から設置されていたものですが、
前方の運転席側のパンタは上田電鉄への譲渡の際に追加されたものです。
いおり25
1000系をモチーフとしている神畑いおりの背中のパンタグラフを
実際の車両と並べてみると、シングルアームの同じ形であることが分かります。
いおり32
上田方の車端部の運転台付近の様子です。
運転席上の壁には車両製造の東急車輛の平成3年(1991年)の製造銘板と
改造工事を行った東急テクノシステムの2008年(平成20年)のシールがあります。
いおり33
運転席のすぐ後ろの乗降扉は上田方面行きの際の
ワンマン運転の乗降口となっており整理券発行機が置かれています。
いおり34
車内の様子です。車端部には4人掛けのシートが、
中央部には9人掛けのロングシートが設置されています。
いおり35
9人掛けシートは座席間に仕切板が設けられており
3人づつのシートが3つ連なる形状となっています。
いおり36
別所温泉方の車端連結部付近の4人掛けシート。
いおり38
連結部付近の様子です。


いおり26
別所温泉方のクハ1100形です。
ク(制御車)ハ(普通車)ですので運転台のある車両となります。
こちらは編成略記号でTcですのでT(付随車)c(制御車)
運転台のある制御車両という意味は同じです。
こちらは東急時代には目黒方の先頭車両でクハ1000形(Tc)でした。
いおり27
別所温泉方車端の運転台付近の様子です。
運賃箱やその上の液晶ディスプレイは上田電鉄への譲渡時に増設されたものです。
いおり28
ワンマン運転用の運賃箱は2008年(平成20年)の上田電鉄入線時には
置き換えた7200系のものを転用していましたが、
順次更新されて現在では新しい型のものに交換されています。
いおり29
3ドアのうち一番運転席寄りの乗降口には
ご覧の整理券発行機が備え付けられています。
こちらも上田電鉄譲渡の2008年(平成20年)に増設されました。
いおり30
車内はロングシートとなっており、
中央部は9人掛けシートとなっています。
いおり31
上田方の連結部付近では片側のみ4人掛けシートがあり、
反対側はフラットな床の車椅子スペースとなっています。
東急時代にはここにも椅子がありましたが
上田電鉄への譲渡の際に撤去されてバリアフリー化され、
壁面にヒーターも増設されています。

【写真撮影:2020年3月】

でんこの元ネタ
■No.84 汐入みそら(Shioiri Misora)
 ■タイプ:サポーター
 ■誕生日:4月15日

■出身駅: 京浜急行電鉄 本線 汐入駅(神奈川)
みそら02


みそら39
こちらは汐入駅の駅舎の外観です。
駅は1930年(昭和5年)に湘南電気鉄道として開業したもので、
開業時の駅名は横須賀軍港駅でした。

その後1937年(昭和12年)に日中戦争が始まるなど戦時体制が強化されると
防諜上の理由から軍由来の駅名が全国で改称される事となります。
その為横須賀軍港駅も1940年(昭和15年)に横須賀汐留駅へと改称。
現在の汐入駅となったのは戦後の1961年(昭和36年)に
駅所在地の町名改正に伴ってのものでした。
みそら40
こちらは駅の西側に広がる駅前広場を俯瞰で見たものです。
鉄道の高架をくぐる、東西に走る市道に面して駅前ロータリーが設けられています。
みそら42
時計回りの一方通行となっているロータリーには
バス停や車寄せ、そしてタクシープールと乗降場があります。
みそら43
駅前ロータリーの出入口付近の市道の様子。
「汐入駅前広場」という名前の信号の交差点となっています。
みそら44
その目の前に建っている大きな建物は「ベイスクエアよこすか」で、
横須賀芸術劇場やホテルなどがある横須賀市の複合施設ですが、
元々は海軍下士官兵集会所のあった場所でした。
みそら45
戦後は米軍に接収されて米海軍下士官兵集会所(Enlisted Men's Club)として
使われていましたが1983年(昭和58年)に米軍から返還。
横須賀市による再開発によって1993年(平成5年)に複合文化施設エリアとなりました。
現在では建物の裏手の一角に石碑が置かれています。
みそら46
駅ロータリー前の市道から、駅と反対の北西側を見ると
50mほど先に大きな歩道橋があるのが見えます。
みそら47
この歩道橋は本町三丁目という交差点に架かっているもので、
その下には国道16号が走っています。
みそら48
歩道橋を渡って国道16号を駅の反対側へと渡ると
西側にはご覧のヴェルニー公園の入口があります。
みそら49
横須賀本港に面して1946年(昭和21年)に臨海公園として作られた公園で、
目の前には米軍横須賀海軍施設があり軍艦や空母などが見えます。
みそら50
2001年(平成13年)にフランス式庭園にリニューアルした際に、
横須賀の海軍施設建設を指導したフランス人技師レオンス・ヴェルニーの名を冠して
ヴェルニー公園へと名前が変更されました。
みそら51
東西およそ500mほどの長さのあるヴェルニー公園ですが、
汐入駅とは反対側の公園西端にはJR横須賀駅があります。
みそら52
公園内にある園内案内図です。

みそら92
こちらはヴェルニー公園の北側、ベイスクエアよこすかとは
国道16号を挟んだ反対側の、本町三丁目交差点の西側付近の光景です。
駅からの市道の突き当たりにあるこの場所は
かつての横須賀海軍工廠の跡地で長らく横須賀のシンボルだった場所です。
海軍の造船所は戦後米軍に接収されたものの1959年(昭和34年)に返還。
住友重機械の旧浦賀工場となって青函連絡船など数多くの造船がされました。

オイルショック不況などにより1978年(昭和53年)に造船所が閉鎖されると
ダイエーが土地を取得しショッピングセンターを建設。
1991年(平成3年)にショッパーズプラザ横須賀が誕生しました。

2016年(平成28年)に施設はイオンへと継承されており、
現在はCoaska Bayside Stores(コースカベイサイドストアーズ)として
改修工事が行われ2020年(令和2年)4月に開業予定となっています。

みそら53
こちらは米海軍下士官兵集会所(EMクラブ)跡であるベイスクエアよこすかの、
駅と反対側の北側の裏手付近の光景です。
みそら54
この路地が通称「どぶ板通り商店街」です。
日本のジャズの聖地であったEMクラブから米国海軍ベースまでの間の
この通りは米軍兵士も数多く立ち寄る商店街でスカジャン発祥の地とされ、
アメリカテイストに溢れる商店街として栄えました。
みそら55
ベトナム戦争以降は米兵の数こそ減ったものの、
アメリカと日本の文化が融合した街は今でも観光地として
多くの人が訪れる街となっています。
みそら59
側溝の蓋にはトランペットが。
みそら60
EMクラブ跡からおよそ400mのどぶ板通りは
こちらの県道26号横須賀三崎線(三崎街道)が終端となっています。

みそら56
駅前ロータリーへと戻り、前の市道を東へと進んで
京急の高架をくぐります。
みそら62
高架橋の東側はこの地区の古くからの街がある地区で、
歩道にはアーケードがあって商店街となっています。
みそら57
反対側から見た駅前の高架橋付近。
みそら58
高架の手前にはご覧の汐入駅の東側の入口があります。
みそら61
駅入口のすぐ目の前の信号はT字の交差点となっており、
線路に沿った北西側にはおよそ120mほどの汐留通りが延びています。
みそら63
汐留通りを40mほど進んで駅側を見ると
ガード下が駅の駐輪場となっています。
みそら64
駐輪場を抜けたガードの反対側は
ちょうど駅前ロータリーの北東角に。
みそら65
汐留通りに戻って北へと進むとまもなく丘に突き当たります。
丘の上には緑ヶ丘女子高の校舎があります。
みそら66
高校のある丘の下はちょうど汐入駅のホーム北端付近であり、
汐留通りの終端のすぐ脇には線路をくぐるガードがあります。
ガードを抜けるとベイスクエアよこすかの裏手へと出ます。
みそら68
切り返して反対の西側から見たガード付近。
みそら69
汐留通りの「汐留」という地名は汐入駅のある場所の旧町名であり
旧駅名の横須賀汐留駅の由来でもあります。
1961年(昭和36年)に町名が改正されたことで汐入町となって
汐留の名前は無くなっていますが、山側の古い街には今でも汐留の旧町名が残っています。


みそら70
再度駅前のロータリーの広場へと戻ります。
みそら41
駅舎の入口から改札前のコンコースへ。
改札は一ヶ所でコンコースの中央にあり、
東西の通路両端から駅の外へと出る事ができます。
みそら71
コンコース東端にあるコンビニ。
京急ストアが運営しており、元々は駅売店として構内にありましたが
2017年(平成29年)に改札外のこの場所へと移されています。
みそら72
コンコース東側の光景。
自動券売機があるのもこちら側です。
みそら73
改札の正面付近。
広告や案内板が集まっています。
みそら74
こちらが汐入駅の改札です。
自動券売機が並び、有人の窓口が設置されています。
みそら75
改札内に入ると正面にはホームへと上がる階段があります。
みそら76
階段左手には1番線へのエレベーターが。
みそら77
右手には2番線へのエレベーターがあり、
その奥にはトイレが設置されています。
みそら78
階段から見た改札前です。
みそら79
改札正面の階段を登るとすぐに中二階があって
1番線ホームと2番線ホームへの通路を連絡しています。

みそら80
こちらが1番線ホームです。
汐入駅は相対式ホーム2面2線の駅となっており、
こちらの1番線は下り線の浦賀方面行きとなります。
みそら81
浦賀方のホーム北東端にある京急21号トンネル。
みそら82
ご覧の通り京急21号トンネルは丘の上にある
緑ヶ丘女子高の校舎の真下を通過しています。

みそら83
1番線は駅の西側、横須賀港のある海側に位置しています。
ホームの裏側には再開発が行われた駅前ロータリーがあります。
みそら84
地上駅ですがホームの大半が盛土の上にあることから
構造としてはほぼ高架駅のような造りとなっています。
みそら85
品川方に見える京急20号トンネル。
駅はトンネルに挟まれた間に設けられています。
みそら91
ホーム上にはベンチが置かれていますが
仕切られた待合室のようなものは置かれていません。


みそら86
こちらは2番線ホームの様子です。
上り線の品川方面行きの列車が停まるホームとなります。
みそら87
駅の東側の山側にあるホームで、
裏手には旧汐留の町内の住宅が広がっています。
みそら88
ホーム東端の浦賀方の光景。
みそら89
高校の下にある21号トンネルの長さが表示されていました。
駅付近のトンネルは1930年(昭和5年)の路線開業時に作られたものです。
みそら90
ホームには鉄骨スレート造りの屋根の上屋が設けられています。



■モデル車両: 京浜急行電鉄新1000形電車(1次車・2次車)
みそら01

かつて京急では1959年(昭和34年)に登場した1000系は
車両製造数356両と一時は京急保有車両の過半数を占め、
通勤形車両として51年にわたって昭和そして平成の時代を走った
京急の代名詞とも言える電車です。

その旧1000系も長年の運用によって老朽化が進み、
置き換えの車両として2002年(平成14年)より登場したのが新1000系となります。

旧1000系と新1000系は共に名称は「京急1000系」ですが、
2010年(平成22年)まで8年ほど同時に運用されていた時期がある為
新しい1000系電車は区別の為に「新1000形」と呼称
されています。


車体は京急バーミリオン(    )をベースとして
白(    )とのツートンカラーとなっており、
基本的に京急の車両はみなこの配色となっています。
みそら37
新1000系をモチーフとしている駅メモのでんこの汐入みそらの
コスチュームを見ると車体と同じ京急カラーのツートンとなっています。
みそら38
また汐入みそらのスカートの腰まわり部分を見ると
車両の前照灯と標識灯と同じ形をしています。


新1000系の運用開始日は2002年(平成14年)4月15日となります。
駅メモのでんこの汐入みそらの誕生日が4月15日に設定されているのは
この新1000系の営業運転開始日が元ネタであると考えて良いでしょう。

(上動画はクリックで再生します)
こちらは新1000系1033編成の発車シーンです。
音を聞くと発車時に「ドレミファソラシドー」と音階を刻んでいるのが分かります。
(※註:実際の音階は「ファソラシドレミファソ」)
これはドイツ・シーメンス社製のインバータ、通称「ドレミファインバータ」と呼ばれるもので
好事家には「歌うインバータ」などとも呼ばれています。

電車を加速させるときにはモーターに電流を流しますが、
この電流を流す量を適切に調節するのが「制御器」という装置です。
「VVVFインバータ制御(可変電圧可変周波数制御)」という装置を用いて制御をしていますが、
この時モーターからゆがみによる振動で「磁励音(じれいおん)」というノイズが発生します。

この磁励音をシーメンス社の技術者が耳障りにならないように調整し、
遊び心も加わって音階を刻んでいるのがドレミファインバータとなります。
みそら03
京急の車両で使われているドレミファインバータは
「GTO-VVVFインバータ」というもので、
1998年(平成10年)に導入された京急2100系の8両編成10本、
そして2002年(平成14年)に導入された京急新1000系の1次車(8両編成3本・4両編成2本)、
2003年(平成15年)導入の新1000系2次車(8両編成2本・4両編成2本)が
このドレミファインバータを搭載している編成でした。
みそら04
【上写真:京急2100系】
最初にドレミファインバータを搭載した2100系は
コストダウンと車両性能の向上を目的として外国製機器を数多く搭載しており、
インバータにドイツ・シーメンス社のドレミファインバータが
採用されたのもその一環としてでした。
そして2100系の運用での試験データを反映させて改良されたインバータが
新1000系でも引き続き採用されたという流れとなります。

ちなみに新1000系の3次車から5次車もシーメンス社製のインバータを使用していますが、
IGBT-VVVFインバータという物を使っているためドレミファと歌いません


そして外国製機器を採用したが故のデメリットとして
製品故障時の保守に関しての外国メーカーと日本メーカーの
対応姿勢の違いの顕在化
がありました。

故障に関してその原因究明などまできめ細かく行う日本メーカーに対して
外国メーカーは保障期間内での部品交換が基本であり、
また対応は日本から離れた本国で行われるなどという状況でした。
日本製の機器とは仕様が異なる点があるなども理由となり、
結果として車両更新時にインバータは日本製のものに順次交換されていきました。


最初にドレミファインバータを採用した京急2100系では
現在は全ての編成で日本製のものに換装されています。
そして京急新1000系1次車、2次車でのインバータの状況は以下の通りです。

◆新1000系1次車
 ■1001編成(8両編成)・・・2017年(平成29年)9月更新
 ■1009編成(8両編成)・・・2019年(平成31年)2月更新
 ■1017編成(8両編成)・・・2019年(平成31年)12月更新
 ■1401編成(4両編成)・・・2016年(平成28年)3月更新
 ■1405編成(4両編成)・・・2010年(平成22年)2月更新
◆2次車
 ■1025編成(8両編成)・・・2019年(令和元年)7月更新
 ■1033編成(8両編成)・・・ドレミファインバータ車
 ■1409編成(4両編成)・・・2018年(平成30年)8月更新
 ■1413編成(4両編成)・・・2018年(平成30年)12月更新


更新された新1000系のインバータは東芝製IGBTへと置き換わっており、
現在「歌う電車」は1033編成のみとなっています。
GTOサイリスタの製造終了や独シーメンス社の日本市場撤退などという状況や、
他の新1000系の更新のペースなどを鑑みても、
今すぐ京急から歌う電車が消えてもおかしく無い状況であると言えます。

みそら05
新1000系をモチーフとしている駅メモのでんこの汐入みそらは、
「音楽に関することが好きで、特に作曲が大好き」と設定されています。
これは「歌う電車」をモチーフにしていることは明らかであり、
シーメンス社のドレミファインバータを搭載している電車こそが
汐入みそらの元ネタ
であるということになります。
右手に譜面を持っているのもドレミファインバータがモチーフと考えて良いと思われます。

そしてそう考えた場合、現在走っている汐入みそらの元ネタ車両は
京急新1000系1033編成の1編成のみ
ということとなります。



そんな音楽でんこの汐入みそらの元ネタのドレミファインバータは
現実の世界でも数多くのアーティストにフィーチャーされています。

こちらはくるり「赤い電車」という曲です。
京急側からの依頼で作られたタイアップによる京急テーマソングとなります。
ボーカリスト兼ギタリストの岸田繁は鉄道雑誌で連載を持つほどの
鉄道ファンとして知られており、この曲は前奏にドレミファインバータの音が取り入れられています。

こちらは鉄道モチーフの楽曲でおなじみのSUPER BELL"Z MOTOR MAN「京浜急行VVVF」
聞けば分かる通りドレミファインバータ車がモチーフとなっている楽曲です。

そしてこちらはGIRLS4EVERというアイドルグループ(※註:現在は解散)
「けーきゅーでいこう!~恋のロマンスシート~」という曲です。
曲中でドレミファと歌っているのはまさにドレミファインバータが元となっています。

このように現実の世界でも京急のドレミファインバータは
多くのミュージシャンにモチーフとされている
のがお分かりいただけるかと思います。



それでは京急新1000系ドレミファインバータ車について
各車両を見て行きたいと思いますが、ここでは現在唯一のドレミファ車の編成である
新1000系1033編成について見ていきたいと思います。

みそら06
こちらは浦賀方の先頭車両であるデハ1000形1033です。
デ(電動車)ハ(普通車)なのでモーターを搭載した動力車であることが分かります。
編成略記号ではMucとなっておりM(動力車)u(浦賀方)c(制御車)となります。
運転台のある制御電動車の意味となりますが
浦賀寄り車両であることを記載しているのが京急独自となります。
みそら14
車内客室の様子です。
浦賀方車端の運転台すぐ後ろには2人掛けの短いロングシートがあります。
みそら15
浦賀方の乗降扉の山側すぐ隣はご覧の様に座席の無い部分がありますが、
これはバリアフリー対応の車椅子スペースです。
みそら16
中央部はバケットタイプの8人掛けロングシートとなっており、
途中に仕切り板があって3人掛けと5人掛けに仕切られています。
みそら17
そして品川方の車端の連結部付近はボックスシートとなっており、
乗降デッキ側には補助シートが設けられています。
このボックスシートのモケットは青色となっており、
窓には優先席のステッカーが貼られていました。


みそら07
浦賀方の2両目となるサハ1000形1034です。
サ(付随車)ハ(普通車)ですので動力を持たない客車となります。
編成略記号はTpuT(付随車)p(パンタグラフ)u(浦賀方)となります。
みそら35
この車両にはご覧の様にパンタグラフが2基設置されており、
車両の端の屋根の上にシングルアーム形のものが一つづつ置かれています。
みそら36
新1000系をモチーフとしている汐入みそらの背中のパンタグラフと
実際の車両の物とを見比べると同じ形をしているのが分かります。
みそら18
浦賀方車端のボックスシート席。
この席も青色モケットで優先座席となっています。
みそら19
車両中央部のロングシート。
みそら20
品川方の車端部にもボックスシート席が設置されていますが
こちらはモケットが赤く優先座席とはなっていません。


みそら08
浦賀方の3両目、サハ1000形1035です。
サ(付随車)ハ(普通車)で動力の無い客車であるのは2両目と同様です。
この車両の編成略記号はTuで、T(付随車)u(浦賀方)なので
完全な客車車両であることが分かります。
みそら21
浦賀方の車端付近のボックス席です。
赤いモケットの通常シートとなります。
みそら22
客室中央のロングシート部分。
みそら23
品川方のボックスシートは青いモケットの優先座席となっています。


みそら09
そしてこちらが浦賀方4両目のデハ1000形1036となります。
デ(電動車)ハ(普通車)でモーターのある動力車です。
編成略記号でもMuとなりM(動力車)u(浦賀方)で動力車の意味となっています。
みそら24
客室内は、浦賀方の車端のボックス席は青い優先座席なります。
みそら25
中間車両ですので中央はロングシートで
両端がボックスシートとなっているのは他の車両と同様です。
みそら26
品川方の普通座席の赤いボックスシート。


みそら10
続いては浦賀方5両目、品川方からは4両目のデハ1000形1037です。
この車両もデ(電動車)ハ(普通車)で動力車となっています。
編成略記号はMsとなっておりM(動力車)s(品川方)となります。
みそら32
浦賀方車端のボックス席は普通座席で、
反対の品川方が優先座席のボックス席となります。
中央部はご覧の通りロングシートが。
みそら33
品川方の優先座席付近の様子です。


みそら11
こちらは品川方3両目のサハ1000形1038です。
サ(付随車)ハ(普通車)ですので自走できない客車車両となります。
編成略記号ではTsとなりT(付随車)s(品川方)となります。
みそら31
この車両は浦賀方のボックスシートが青の優先座席、
品川方が赤の普通座席となっています。


みそら12
品川方2両目となるサハ1000形1039です。
サ(付随車)ハ(普通車)であるのは他の車両と同様です。
またこの車両の編成略記号はTpsで、T(付随車)p(パンタグラフ)s(品川方)となります。
みそら34
パンタグラフは車両の両端の屋根の上に計2基、
シングルアーム形のものが搭載されています。
みそら30
車内の様子です。
ボックス席は浦賀方が普通座席の赤、品川方が優先座席の青です。
その間には他の車両同様にロングシートが置かれています。


みそら13
そしてこちらは品川方の先頭車両であるデハ1000形1040です。
デ(動力車)ハ(普通車)でありモーター搭載の車両となります。
編成略記号はMscとなっておりM(動力車)s(品川方)c(制御車)となり、
運転台のある制御電動車という意味となっています。
みそら27
客室内の様子です。
先頭車両ですので品川方の運転台すぐ後ろの座席は短いロングシートです。
そして運転席側のロングシート海側の座席が短くなっており、
車椅子が停まれるバリアフリースペースとなっています。
みそら28
浦賀方の連結部側のロングシートはご覧の通り
優先座席となっています。
みそら29
ボックス席の背もたれ裏側にある補助席のランプです。
運転席でロックが掛けられるそうで、空いている時間には
解除されてランプが点灯し、座る事ができるようになります。


【写真撮影:2020年3月】

でんこの元ネタ
■No.78 海部なる(Kaifu Naru)
 ■タイプ:アタッカー
 ■誕生日:3月26日

■出身駅: 阿佐海岸鉄道 阿佐東線 海部駅(徳島)
なる01

海部駅の開業は1973年(昭和48年)10月で、
当時の国鉄牟岐線の牟岐駅━海部駅間の延伸によって終着駅として開業しました。


元々は改正鉄道敷設法の別表第107号による
「高知県後免ヨリ安芸、徳島県日和佐ヲ経テ古庄附近ニ至ル鉄道」の一部という
鉄道敷設の計画があり、1942年(昭和17年)には国鉄牟岐線として牟岐駅までが開業しています。

そして牟岐駅から西の区間は阿佐線として1959年(昭和34年)に建設線に昇格。
1964年(昭和39年)3月に発足した日本鉄道建設公団(鉄建公団)が建設を進めることなります。

こうして1973年(昭和48年)に牟岐駅━海部駅間 (11.6km)が開業。
既にあった牟岐線に組み込まれて海部駅が牟岐線の終着駅となります。

翌年の1974年(昭和49年)には海部駅より西の区間の工事が阿佐東線として着工。
1980年(昭和55年)2月には海部駅から宍喰駅までの区間でレール敷設までが完了します。
しかし同年10月に国鉄再建法の施行によって阿佐東線の工事が凍結
甲浦駅までの区間がほぼ完成した状態で線路は宙に浮く事となりました。


そして8年後の1988年(昭和63年)に
徳島県などが阿佐東線の第三セクター会社での引き受けを決定。
阿佐海岸鉄道が設立されて工事が再開され、
1992年(平成4年)3月26日に海部駅━甲浦駅間が阿佐海岸鉄道阿佐東線として開業をしました。
これによって海部駅はJR牟岐線と阿佐海岸鉄道の接続駅となります。

ちなみに駅メモのでんこ「海部なる」の誕生日が3月26日に設定されていますが、
これは阿佐海岸鉄道の開業日が元ネタとなっていると思われます。


なる25
こちらは海部川に架けられた国道55号線の新海部川橋です。
1968年(昭和43年)に国道付け替えによって架橋されました。
現在は標識では海部大橋と書かれています。
なる27
国道の海部大橋の上流側に並んで架かっているJR牟岐線の海部川橋梁。
なる26
海部大橋の南東側のたもとには海陽町役場海部庁舎の建物があります。
なる28
その役場の庁舎の南東側すぐ目の前には
国道と県道298号上皆津奥浦線との分岐があります。
なる29
この県道と国道の分岐の交差点の南側角を見ると、
JR牟岐線の線路に構造物のみのトンネルが見えます。
このトンネルは町内トンネルというトンネルで、
1973年(昭和48年)の国鉄牟岐線の牟岐駅━海部駅間の延伸で設けられました。

開業時には小山を抜ける普通のトンネルでしたが、
おりしもトンネル周辺では宅地開発工事が進んでおり
トンネルの地山も造成で削られていました。
なる30
結果開業から3年後の1976年(昭和51年)ごろには
トンネルまわりの土は完全に削り取られ、構造物のみが剥き出しとなりました。
かくして全長44mの短いトンネルは「意味の無いトンネル」として
好事家の間では有名なトンネルとなったのです。
なる31
造成によって山が削られた場所付近にはご覧のように家が並んでいました。
なる32
トンネル脇の国道55号線はご覧の様に切り通しとなっています。
国道はトンネルの5年前に開通していますから、
先にできた国道に合わせてトンネルの地山が削られ造成されたのでしょう。

なる33
トンネル脇の切り通しから130mほど南東の高知方面へと進むと
ご覧の信号のある交差点があります。
なる34
この国道55号線の交差点の南西80mほどに駅があり、
いわばこの交差点は駅への入口となっています。
なる35
交差点の南西側の先はゆるやかな登り坂となっています。
この先は太平洋岸へと出て高知方面へと向かっています。
なる36
切り返して西側からみた駅入口の交差点付近。
なる37
交差点の東側角には寂れた感じの食堂がありました。
なる38
俯瞰で見た交差点付近の光景です。
南側は700mほどで鞆浦港があり、その先には太平洋が広がっています。
なる39
国道と駅とを連絡している道路です。
中央部にあるのは鞆浦港まで流れている川で、
その両側にそれぞれ道路が併走しています。
なる40
こちらが海部駅の駅舎の外観です。
1973年(昭和48年)に開業した駅は路線と共に
全国で高規格の鉄道路線を敷設した鉄建公団によって作られ、
四国初の高架駅として誕生しました。
その為駅のホームも町道を跨いだ高架上に設けられています。
なる41
ちょうど駅の入口前付近の川には橋が架けらられていて
往来ができる様になっています。
なる42
駅前にはご覧の小さな駐車場のような駅前広場が設けられていました。
なる43
広場から見た駅舎一階部分の正面です。
なる44
こちらはホームへと上る階段のふもと付近です。
階段入口に設けられた上屋は1992年(平成4年)の
阿佐海岸鉄道の開業時に改築されて現在の形となりました。
なる45
JR時代には券売窓口と駅事務所のあった場所ですが、
阿佐海岸鉄道が開業すると駅は簡易委託化。
そして1995年(平成7年)に海部町観光案内所が置かれ発券業務も委託されていました。
2015年(平成27年)には観光案内所は移転し、改装されて現在では
「あまべの杜」という青少年交流施設が入居しています。
なる46
階段前で目を引くのがこちらの「開通記念之碑」です。
阿佐海岸鉄道の開通を記念し、海部出身の自民党代議士の
森下元晴・元厚相の揮毫によって1993年(平成5年)に建てられたものです。
なる47
その横の階段脇にはご覧の観光案内の地図が。
なる48
さらに奥へと進むと地図の裏手に駅舎一階部分への入口があります。
なる49
入口を中へと入ると、通路には駅のトイレと
一階部分への入口の扉があります。
なる50
駅舎一階の中をのぞくと交流施設の
備品が置かれているのが見えました。
ここはJR時代には駅舎の待合室や券売窓口のあった場所となります。
なる51
表の階段下へと戻り、町営バスの停留場のバスポール。
運行本数はご覧の通りです。
なる52
ホームへと上る階段を下から見上げた光景です。
鉄建公団が鉄道を建設した当時はバリアフリーの概念が無かった為、
高架駅にエレベーターもエスカレーターも無い例が全国で散見されますが
この駅も例に漏れず高架ホームへ昇る手段は階段のみとなっています。
なる54
階段を登りきったホーム入口付近の光景です。

なる53
こちらが東の駅舎側にある海部駅の1番線ホームとなります。
この駅は相対式ホーム2面2線ですが、
JR牟岐線の終点駅ですので1番線はJR西日本仕様の駅名標となっています。
なる55
ホームから甲浦方面への線路はつながっていますが、
JRの列車は全てこの駅で停まって折り返しとなります。
なる56
1973年(昭和48年)の駅開業時には駅にはこの1番線のみしか無く、
国鉄牟岐線の終着駅として単式ホーム1面1線の駅だったそうです。
反対側の2番線ホームは阿佐海岸鉄道の敷設時に増設されたものです。
なる57
こちらはホーム同士を連絡する構内踏切です。
先ほど述べたように高架線に新たにホームを増設したのですが
連絡通路を作るには予算が厳しかった為に作られたものです。
地上ではよく見る構内踏切ですが高架線上では非常に珍しいと言えます。
なる58
構内踏切から見た駅構内。
なる59
列車が停まるとご覧の光景となります。
なる60
駅の西側に位置する2番線ホームです。
こちらのホームの駅名標は阿佐海岸鉄道の仕様となっています。
なる61
中ほどにはガラスで囲まれた待合室が。
なる62
ホーム南端の先に見えるのは奥浦トンネルで
阿佐海岸鉄道に乗り換えると最初にくぐるトンネルとなります。
なる63
阿佐海岸鉄道の開業で増設されたホームは
実質的に阿佐海岸鉄道の専用ホームとなっており
甲浦方面からの列車がこのホームで折り返して運行しています。


なる82
駅前へと戻り、駅下の高架を西へとくぐると
左手に駅の駐輪場があります。
なる83
高架の先はすぐ突き当たりでご覧の料理店の建物があります。
駅の裏手となる西側は山が迫っているため
ご覧の通り集落内の狭い道が伸びているのみです。
なる84
裏手の北側へは道路が線路と併走して延びており、
その先は町内トンネルの地山を削った造成地があります。
なる85
裏手から見た海部駅。



■モデル車両: 阿佐海岸鉄道 ASA-100形気動車
なる64

ASA-100形気動車は1992年(平成4年)3月に
阿佐海岸鉄道阿佐東線が開業した際に新規製造された車両となります。
開業時に阿佐海岸鉄道が保有していたのは
ASA-100形が1両とASA-200形が1両の計2両でしたので、
このASA-100形は1両しか存在しないということになります。

ASA-100形の運行開始日は1992年(平成4年)3月26日ですが、
これは上でも書いた通り阿佐海岸鉄道の路線自体の開業日でもあり、
すなわち駅メモのでんこ「海部なる」の誕生日と同日でもあります。

なる17
【上写真:土佐くろしお鉄道TKT-8000形気動車】
車両製造は新潟鐵工所によるもので、
土佐くろしお鉄道TKT-8000形をベースに作られているので
基本的な構造はTKT-8000形とASA-100形は同一
となっています。

なる66
こちらがASA-100形の外観となります。
並べてみると土佐くろしお鉄道TKT-8000形とそっくりなのが分かると思います。
ディーゼルエンジンを搭載した気動車で車体はステンレス製となっています。
なる65
車体に描かれた赤(    )、青(    )、緑(    )のカラーリングは
室戸阿南海岸国定公園の美しい海岸線と
太平洋の打ち寄せる波と砂浜をイメージ
しています。

【上動画はクリックで再生します。】
こちらはASA-100形の入線の様子です。
なる70
ASA-100形をモチーフとしている駅メモのでんこの海部なるを見ると
車体のカラーリングと同じ色を衣装にあしらっているのが分かります。
なる67
そして一両のみしか作られなかったASA-100形には
ご覧の通り「しおかぜ」の愛称がつけられています。
なる68
ヘッドマークは甲浦方に「あさちゃん」、海部方に「てっちゃん」の
二種類の伊勢えびのキャラクターが描かれています。
なる69
これは阿佐海岸鉄道の宍喰駅の改札前にある、
水槽の駅長室にいる二匹の伊勢えび駅長にちなんだものです。
なる71
なるの頭に付いている筒のような髪飾りは
信号炎管という運転席上の屋根にある保安部品がモチーフです。
気動車にはパンタグラフがありませんので
代わりに屋根の上で目立つこの信号炎管がつけられたのでしょう。
なる72
また衣装のトップスのバスト下のデザインは
車両前面にある前照灯と標識灯をモチーフとしているのが
並べてみると良く分かります。

なる73
車内の様子です。
セミクロスシート車両となっており、車両の両端部の座席はロングシート、
中央部の座席は転換クロスシートとなっています。
なる74
車両の中央部にある転換クロスシート席。
2+2席が5列で計20席分があります。
なる75
そして客室の両端部にはロングシートが。
ロングシート席は計30席分となっており、
車両全体では座席は合計50席となっています。
なる76
車端部の様子です。
運転台は左側にあり、前面部には貫通扉があります。
乗降口は左右に折り戸式のものが設けられています。
なる77
ワンマン運転用の運賃箱と乗車証明の発行機はご覧の通り
カバーがかけられて使われていませんでした。
料金の精算は運転士と直接受け渡しをする様で、
運賃箱は運転席の扉としてのみの役割となっていました。
なる79
また、ASA-100形は両車端部に運転台があり基本的には同じ形ですが、
海部方と甲浦方で若干の形状の違いがあります。
甲浦方の車端にはご覧のTVモニターが設置されています。
また運転席後部のパイプスペースと思われる出っ張りの脇には
細長い両替機がありました。
なる78
一方のこちらは海部方の車端部ですがTVモニターは無く、
代わりに運転台後ろのパイプスペース下部は棚状になっていました。
なる80
天井を見ると空調の吹き出し口が。

なる23
また阿佐海岸鉄道では利用促進策に積極的で、
定期的に列車に装飾を施す列車を走らせるなど
「お金をかけずにできるアイデア」を実施しています。
こちらは私が訪れた2017年(平成29年)夏に実施していた「天の川列車」。
トンネルの多い阿佐東線の特性を生かし天井をLEDで埋め尽くしています。
なる81
こちらは2020年(令和2年)2月に実施していた「吊るし雛列車」の様子です。


なる24
そして阿佐海岸鉄道では2020年度(令和2年)の営業運行開始を予定して
DMV(Dual Mode Vehicle、デュアル・モード・ビークル)の準備が進められています。

このDMV導入によって阿佐海岸鉄道の阿佐東線は全線がDMV専用路線に転換され、
JR四国と阿佐海岸鉄道の会社境界が海部駅から阿波海南駅へと変更、
阿佐東線とJR牟岐線のレールも分離される予定なのだそうです。

全線がDMV化される阿佐東線は鉄道用の信号機も撤去してスタフ閉塞に切り替えるそうで、
これによって従来の鉄道車両が走る事はできなくなります
どのような影響がこれによって生まれるのかというと、
でんこのモデルとなったASA-100形の車両が不要となるということです。

不要となったASA-100形の車両は運が良ければ
他社への車両譲渡や静態保存などの道もありますが、
引き取り先が無ければ廃車解体への道をたどる事も十分に考えられます。
つまり、せっかくでんこのモデルとなった車両が
最悪あと1年で見られなくなる可能性がある
という事です。


ASA-100形と同じ1992年(平成4年)3月26日に導入されたASA-200形は
その導入日から「海部なる」のモチーフの一つの可能性がある車両なのですが、
2008年(平成20年)6月の車庫での脱線事故によって廃車解体となり
現在ではその姿を見ることはできません。

ですからASA-100形も営業運転をしている今見ておかないと
遠くない将来に見ることができなくなる
と思われます。
なので今のうちに一度は阿佐海岸鉄道を訪れてASA-100形に乗車される事をお勧めします。

【写真撮影:2020年2月】

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