でんこの元ネタ
■No.46 黒崎あたる(Kurosaki Ataru)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:4月20日

■出身駅: JR九州鹿児島本線 黒崎駅(福岡)
あたる01

あたる02
こちらは黒崎駅の駅舎の外観となります。
前回1984年(昭和59年)に改築された駅舎が老朽化した事によって
現在(2018年1月)7回目の駅舎改築工事を行っている最中です。
あたる03
こちらの駅南口には駅前広場を兼ねたペデストリアンデッキが設けられています。
あたる18
デッキの下を走っている国道3号線。
駅はご覧の通り国道に面して建っています。
あたる04
ペデストリアンデッキで連絡している東側にある井筒屋。
北九州市を拠点としている東証一部上場の百貨店です。
あたる05
反対の西側にはご覧のコムシティが建っています。
この施設は公共施設と商業施設が入った官民複合施設であり、
八幡西区役所、筑豊電鉄黒崎駅前駅、西鉄バスセンターなどが入居しています。
あたる12
コムシティの1階にある筑豊電鉄の黒崎駅前駅
ライトレールの規格の電車の電停となっています。
このフロアには西鉄バスセンターもありバスも発着しています。
あたる17
駅は鹿児島本線の南側にあり
南口が駅舎のメインの入口なのですが、
その脇にもうひとつ「黒崎駅」と書かれた入口があるのが見えます。
あたる16
こちらは駅北側への連絡通路であり、
ご覧の北口を出ると線路を跨ぐ連絡通路を渡って駅北側へと通行ができます。
あたる06
戻って黒崎駅の駅舎の中に入ると
突き当たりにコンビニがありその前に改札口があります。
あたる07
改札内に入ると目の前にはご覧の「黒崎神社」があります。
これは地元の八幡西区に本拠を置く安川電機が設置した
ロボットがボールを転すおみくじマシンです。
あたる09
駅舎は橋上駅舎なのでホームの連絡は跨線橋に。
あたる10
跨線橋から見た西側の小倉方面の光景。
左手に見える高架は鹿児島本線と並走している
高規格で建設された国道3号黒崎バイパスです。
あたる11
反対の東側の博多方面の光景です。
奥に見えるライトグリーンの通路は駅の改札外にある
北口への連絡通路です。
あたる08
こちらは1、2番線ホームです。南側の駅舎寄りにあります。
1番線は鹿児島本線の下り線の博多・久留米方面の列車が使用するホームです。
また乗り入れている福北ゆたか線の小倉からの直通列車(直方・飯塚方面)も
この1番線を使用しています。
あたる14
駅舎から遠い北側の3、4番線ホームです。
3番線は福北ゆたか線の折り返し発着ホームで、
鹿児島本線の上り小倉方面の列車は一番北側の4番線を使用しています。
あたる13
3、4番線にあった国鉄型の駅名標。
あたる15
JR九州型の駅名標はこちらで、
中央には駅によってはイメージのイラストアイコンが描かれています。
黒崎駅は「黒崎祇園山笠の山車」。

【写真撮影・2018年1月】



■モデル車両: JR九州883系電車「青いソニック」
あたる19
JR九州の特急車両である883系は、
博多━大分間の輸送力強化を目指して投入された車両です。

883系が投入されたのは1995年(平成7年)4月20日で、
特急「にちりん」として博多━大分間で運行していた列車の一部を
新型車両である883系に置き換え「ソニックにちりん」として運行が開始されました。

駅メモのでんこの「黒崎あたる」の誕生日が4月20日に設定されているのは
この「ソニックにちりん」の運行開始日が元
であると思われます。
あたる20
(上写真:裏辺研究所「883系」 http://www.uraken.net/rail/alltrain/uratetsu883.html
投入された当初はご覧の様なカラーリングで、
先頭部がアクアブルー(   )で車体はシルバー(   )でした。

駅メモのあたるの服装はラグランの袖がアクアブルーで
ショートパンツのベースがシルバーとなっています。
あたるの元ネタは「青いソニック」と言われていますが
旧塗装の配色が明らかにデザインに入っていますので
実際には旧塗装と青いソニックの両方が元ネタかと思われます

車両デザインは一連のJR九州の車両を手がけている
鉄道車両デザインでは有名な工業デザイナーの水戸岡鋭治氏です。
あたる21
そして車両導入から10年が経った2005年(平成15年)には車両のリニューアルが行われ、
車体全体がインディゴブルーメタリック(   )に統一されました。
この青は沿線である九州東海岸の海の色をイメージしたそうです。
あたる22
(上写真:photolibrary https://www.photolibrary.jp
883系ソニックの導入された日豊本線など
東九州の線区はカーブも多く高速化が遅れていました。
なのでモータリゼーションに対するスピードアップを目指して
車両にはJR九州初となる制御振り子装置が採用されました。
あたる56
そしてこの883系「青いソニック」は投入時期によってフロントの形状が若干違います。
写真の上から順番に
 ■一次車(1994年(平成6年)8月新製)・・・フロント中央にフォグランプ
 ■二次車(1995年(平成7年)2月新製)・・・フロントがルーバー
 ■三次車(1996年(平成8年)2月、四次車(1997年(平成8年)2月新製)
                     ・・・三角にSのロゴマーク

となっています。

あたる25
また、883系ソニックは車体のロゴマークもご覧の様にデザイン化されています。
あたる28
(上写真:裏辺研究所「883系」 http://www.uraken.net/rail/alltrain/uratetsu883.html
こちらは青いソニックになる前の旧塗装での車体ロゴ。
あたる26
そして車両の脇にあるこのタンクも、
実際の走行には関係の無いデザイン上のイミテーションだそうです。

元々旧型の485系「にちりん」が走っていた時は
閑散区間で座席に酒瓶が転がるような状態だったそうで、
「デザインという整理」によって列車を楽しい空間にする事で
乗務員のモチベーションを高め状況を改善する
という目的があったとのことです。


あたる23
まずは博多・大分方の先頭車両である1号車のクロハ882形です。
カナの形式記号ではク(制御車)ロ(グリーン車)ハ(普通車)ですので
運転台がありグリーン席と普通席の両方がある車両だと分かります。
形式略号ではThsc'となり、付随車(T)車椅子対応車(h)グリーン車(s)制御車(C')となります。
あたる27
こちらは車内先頭部側にあるグリーン車の様子です。
1号車の半室がグリーン席となっており、
2+1列シート15席が設置されています。
あたる29
車両先頭の運転台の後ろにはご覧のパノラマキャビンが設けられています。
列車の前景を楽しめるこちらはフリースペースとなっていますが、
グリーン席にあるのでグリーン券が無いと利用できません
あたる30
この車両には車両中央部に乗降扉があり、
扉の前にはご覧の車椅子対応トイレが設置されています。
あたる31
1号車の後ろの半分は普通席となっています。
荷物棚のある側の後ろ2席は座席が1列のみとなっており
車椅子対応座席となっています。

あたる24
こちらは博多・大分方2両目の2号車であるサハ883形200番台です。
サ(付随車)ハ(普通車)ですのでモーターの搭載されていない客車となります。
形式略号はTA2付随車(T)となります。
「TA」となっているのはソニックの車両がM-TA方式のユニットで構成されているからで
TA2の2号車はM2の3号車と対になっています。
あたる32
1両目側の端のデッキはマルチスペースと呼ばれる共用エリアとなっています。
あたる33
このマルチスペースの通路の両側には
携帯電話の通話スペースが設けられています。
あたる34
そして乗降扉のエリアの先にガラスの自動ドアがあり
その先が2号車の客室となります。
あたる35
客室の車内はご覧の通りで、
座席のヘッドレストはソニック特有の特徴的な耳のある形となっています。
駅メモのあたるが耳付きのカチューシャをしているのは
このあたりのデザインが元ネタ
だと思われます。
あたる36
小倉方の車両の端にはご覧のハットラック形の荷物棚が設置されています。

あたる37
博多・大分方3両目の3号車となるモハ883形200番台です。
モ(中間電動車)ハ(普通車)となり、形式略号ではM2(中間電動車)となります。
2号車で取り入れ変圧した電力で駆動するモーターを搭載した車両です。
あたる38
車両の博多・大分方のデッキスペースには通常のトイレが設置されており、
乗降口の前の客室扉はガラス製となっています。
あたる39
3号車の客室車内です。
あたる41
座席の形状は他の号車と同じですが、モケットやヘッドレストの色が
ブラウン系統の落ち着いたカラーリングとなっています。
あたる42
座席背面と座席テーブルのアップ。
あたる40
客室の小倉方にはデッキスペースが無く、
立客用に簡単なカウンターはあるものの
ご覧の通り扉無しで乗降扉の前までつながっています。

あたる43
博多・大分方4両目の4号車であるサハ883形100番台です。
こちらも2号車と同じく付随車(サ)普通車(ハ)であり、
形式略号はTA1として5号車(M1)とユニットを組んで
パンタグラフや主変圧器、主整流器などを搭載している付随車です。

あたる45
博多・大分方5両目の5号車、モハ883形100番台です。
3号車と同じくモ(中間電動車)ハ(普通車)であり、
形式略号M1として4号車(TA1)とユニットを組んでいる
モーターを搭載した中間電動車です。
あたる59
この車両の乗降デッキはご覧の様に
旧塗装の車体と同じマリンブルーとなっています。
あたる54
通路の作りは3号車のデッキと似ており、
博多・大分方のデッキには通常のトイレが設置されています。

あたる47
博多・大分方6両目(小倉方2両目)の6号車であるサハ883形0番台です。
付随車(サ)普通車(ハ)で屋根にパンタグラフが搭載されています。
形式略号TAとして7号車(Mc)とユニットを組んでいます。
あたる53
車端部の博多・大分方にはご覧の通り自販機が設置されており、
その向かい側には車掌室の扉があります。
あたる46
車内客室の様子はご覧の通りで、座席モケットやヘッドッレストの色以外は
他の普通席と同様の形式です。

あたる50
そして小倉方の先頭車両である7号車のクモハ883形です。
ク(制御車)モ(中間電動車)ハ(普通車)で運転台がありモーターを搭載しています。
形式略号はMc(制御電動車)となっています。
あたる51
博多・大分方の乗降デッキと客室の間の扉。
あたる52
客室は普通席であり、先頭部側には乗務員室の扉があります。
グリーン席である1号車先頭部では前景が見れましたが
こちらの車両では壁によって前景は見えません。



基本的には上で紹介した形式が883系の青いソニックでの車両となりますが、
一部にはこれと異なる形式の車両が編成されています。
あたる48
(上写真:裏辺研究所「883系」 http://www.uraken.net/rail/alltrain/uratetsu883.html
こちらの車両は特急ソニックで、5両編成であった883系の第6編成から第8編成を
7両編成にする為に2008年(平成20年)7月に増備された883系1000番台です。

パンタグラフのある手前が電動車のモハ883形1000番台
奥が付随車のサハ883形1000番台となります。
あたる57
それまでの883系の車両は車体がステンレス製であり、
外板のひずみを防ぎ強度を上げる為に「ビード」と呼ばれるでこぼこがありました。
あたる58
これに対して増備車の883系1000番台では車体はアルミニウム製であり、
他のソニックの車両にように車体にでこぼこがありません
あたる60
通常の883系と1000番台の連結部付近を見てみると
両者はそもそも車両の形状から違う事が良く分かります。

あたる55
こちらが増備車の1000番台で4号車となるモハ883形1000番台の乗降口付近です。
デッキの足元までの窓が旧車体に比べて幅が広くなっているのが分かります。
また行先表示が字幕式では無くLED表示へと変わっているのが分かります。
あたる61
こちらが旧車体の4号車ですが、こうして並べてみると違いが良く分かります。
あたる67
中間電動車(モ)であるこの車両には屋根にパンタグラフが搭載されています。
ソニックの他の形式の車両のパンタグラフは付随車についており、
モーターの載っている中間電動車でパンタグラフがあるのはモハ883形1000番台のみです。
あたる44
博多・大分方のデッキスペースです。
あたる62
客室内はご覧の通りです。
ソニックの座席は某夢の国のキャラの様な特徴あるヘッドレストですが、
この1000番台の座席はご覧の通り通常の形状のシートとなっています。
あたる65
ヘッドレストのアップ。
あたる63
(上写真(下):裏辺研究所「883系」 http://www.uraken.net/rail/alltrain/uratetsu883.html
小倉方のデッキはご覧の通りでトイレが設置されています。

あたる64
そしてこちらが5号車となるサハ883形1000番台です。
あたる66
こちらも増備車4号車と同様の形のシートとなっています。

【写真撮影:2018年1月】

でんこの元ネタ
■No.64 角館あけひ(Kakunodate Akehi)
 ■タイプ:アタッカー
 ■誕生日:3月16日

■出身駅: JR東日本田沢湖線 角館駅(秋田)
あけひ01

あけひ03
こちらはJR東日本の田沢湖線の角館駅の駅舎の外観です。
駅は1921年(大正10年)に生保内軽便線として開業。
国鉄生保内線となり、1966年(昭和41年)に田沢湖線へと編入されました。

1970年(昭和45年)には国鉄角館線(秋田内陸南線→秋田内陸線)が開業して乗換駅となり、
新在直通運転による秋田新幹線開業によって1997年(平成9年)に新幹線停車駅となりました。
あけひ05
入口の脇には「東北の駅百選」の選定駅であることを示すプレートが。
「小京都にふさわしく武家屋敷風の入母屋式薬医門を形どった駅」として
2002年(平成14年)に選出されています。
現在のこの武家屋敷風の駅舎は1976年(昭和51年)に改築されたものです。
あけひ19
駅前に置かれた鉄輪です。
1921年(大正10年)から生保内線(現・田沢湖線)を走っていた
蒸気機関車のものだそうです。
あけひ20
駅舎へと向かう北側の駅前通りの様子です。
あけひ04
駅はJRとしては単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の計2面3線を持っています。
こちらは駅舎側の単式の1番線ホーム。上り線の盛岡方面行きとなっています。
あけひ07
駅の南方の大曲・秋田方にある跨線橋。
ホームを連絡しています。
あけひ08
跨線橋から見た北方の盛岡方面の光景。
あけひ09
同じく跨線橋から見下ろした大曲・秋田方面の光景です。
あけひ06
島式ホームの2、3番線です。
駅舎寄りの2番線は大曲・秋田方面の下り線となります。
そして3番線は上り線と下り線それぞれの退避列車の入るホームで
角館駅始発の列車もこのホームを使用しています。


あけひ10
一旦駅舎の外に出て、右手を見るとご覧の連絡通路があり
その先には秋田内陸縦貫鉄道の角館駅の駅舎があります。
あけひ11
連絡通路の先にある駅舎の入口です。
あけひ12
駅舎の中の様子です。
第三セクターのローカル線らしくこじんまりとしたスペースに
券売窓口とグッズの販売所が並んでいました。
あけひ13
改札の建物と続きになっている駅の待合室の建物。
中はご覧の待合室のスペースが設けられており、
こちらはそれなりの広さがありました。
あけひ14
ホーム側からみた改札の様子です。
あけひ15
目の前のホームは頭端式1面1線となっており、
駅舎とホームの間には鉄製のフェンスが立って仕切られています。
改札は列車別改札となっており通常時は閉じられています。
あけひ16
列車が入線するとご覧の通りとなります。
秋田内陸線のホームと線路を挟んだ反対側に見えるホームは
JR東日本の1番線ホームです。
あけひ17
内陸線のホームの様子です。
あけひ18
秋田内陸線の線路の終端です。
終端の向こう側を見ると、内陸線の駅舎前とJRの1番線ホームが
仕切り無しでつながっていて自由に行き来できるのが分かります。

【写真撮影:2016年9月】



■モデル車両: JR東日本 新幹線E6系電車
あけひ02

JR東日本では1997年(平成9年)3月に、
在来線である田沢湖線を狭軌(1067mm)から標準軌(1435mm)へと改軌して
新在直通運転のミニ新幹線の運用を開始しました。
これがいわゆる秋田新幹線の開業となります。
あけひ21
(上写真:秋田新幹線E3系)
開業当時の秋田新幹線はE3系の車両が投入され運行していました。
そして開業から16年が経った秋田新幹線では
東北新幹線区間での最高速度320km/h運転を行うべく
秋田新幹線の第二世代車両が開発されました。
あけひ22
こうして開発されたのがこちらのE6系の新幹線となります。
2013年(平成25年)3月16日のダイヤ改正から「スーパーこまち」として
秋田新幹線に車両が投入
されたのを皮切りに
E3系からE6系への車両の置き換えが進み、
現在では盛岡━秋田の秋田新幹線区間ではE6系がメインとなって走っています。

尚、駅メモのでんこ「角館あけひ」の誕生日が3月16日に設定されているのは
モチーフとなったE6系の秋田新幹線での営業運転開始日が元ネタ
で間違い無いでしょう。




※記事については追って追記の予定です。

勝田線00
お次は国鉄勝田線についてです。


元々は宇美や勝田の炭鉱からの石炭輸送を目的として
1918年(大正7年)に貨物線を開業した筑前参宮鉄道が元となる鉄道です。
翌1919年(大正8年)には全線開通によって
「参宮鉄道」の名前の通り宇美八幡宮への参拝客の輸送を目的とした
旅客営業を開始しました。


昭和30年代には石炭から石油へとエネルギーの転換が進んで
炭鉱が次々と廃鉱となり、国鉄に閑散ローカル路線として扱われて
勝田線は1985年(昭和60年)に廃止となりました。

廃止当時もすでに博多のベッドタウンとして周辺の宅地開発が進んでおり、
旅客輸送の需要は十分にあったと言われています。
しかしながらその需要に対して国鉄は目を向ける事は無く、
「石炭貨物輸送の役割を終えた閑散貨物路線」扱い
一日数本しか列車を運行しませんでした。

結果、並行路線で本数を走らせた西鉄のバスに旅客を奪われ営業係数は悪化。
利益を上げることが可能だった路線をみすみす捨てる結果となりました。
こういった状態は「国鉄最大の失策のひとつ」とされています。

現在の勝田線廃線跡を見ると二つのイオンモールや福岡空港が至近にあり、
また線路を共有していた篠栗線が直接博多駅まで乗り入れているなど
「何故勝田線を廃線にしてしまったのか」という意見を裏付ける状況となっています。



勝田線01
こちらはJR鹿児島本線とJR篠栗線の吉塚駅です。
かつてはこの駅が廃線となった勝田線の起点駅でした
写真は西口の光景となります。
勝田線02
駅の南方にある東西を繋ぐ自由通路。
勝田線03
こちらが吉塚駅の東口の光景です。
手前に見える高架線は山陽新幹線の高架で、
新幹線の高架の向こう側がかつての勝田線の廃線跡にあたります。
勝田線04
こちらは吉塚駅構内の南端にある篠栗線のゼロキロポストです。
島式の4、5番線ホームの先に設置されており、
ゼロキロポストの向こう側は山陽新幹線の線路です。

かつて吉塚駅から1.5kmほどは吉塚駅の駅構内扱いとして
篠栗線と勝田線が線路を共用して走っていたそうです。
その当時は線路が地上にあり、
現在の篠栗線の高架線の東側に沿って走っていました。
勝田線05
こちらは単式の1番線ホーム。
鹿児島本線の上り黒崎・小倉方面行きとなります。
勝田線06
島式の2、3番線ホーム。
鹿児島本線の下り博多・久留米方面行きであり、
2番線は吉塚駅止まりの列車が使用します。
勝田線07
そしてこちらが福北ゆたか線(篠栗線)ホームである
島式の4、5番線となります。
4番線が上り篠栗・直方方面、5番線が下り博多行きとなります。
勝田線08
そして4、5番線ホームの北端から見た
駅の北側の光景です。
写真右手に見える駅ビルの北側あたりが勝田線の廃線跡となります。



勝田線09
こちらは篠栗線(福北ゆたか線)の柚須駅です。
線路上の分岐点はここから西の吉塚駅寄りにありましたが、
実際に篠栗線と勝田線の線路が分かれて離れる分岐点がこちらにありました。

1985年(昭和60年)に勝田線が廃止された後に
分岐点跡を利用して1988年(昭和63年)に新設されました。
ですのでこの駅は勝田線時代には存在していません。
勝田線11
1番線ホームの東端を見ると、
徐々に右手にホームが広がっているのが分かります。
これがまさに勝田線が分岐していく形の名残りとなります。
勝田線13
柚須駅の構内図を見ると分岐の形が分かり易いと思います。
勝田線の廃線跡にスロープ、そして多目的トイレが設けられています。
勝田線12
そしてトイレの裏は駐輪場となっています。
ホームからは不自然に斜めに作られた駐輪場ですが、
勝田線の分岐した廃線跡だと分かれば納得でしょう。
勝田線10
そして概ね青線で示したような形で勝田線は分岐して行き、
廃線跡の遊歩道へとつながっていきます。
勝田線14
柚須駅前から南へと伸びる廃線跡の遊歩道。



勝田線15
遊歩道は200mほどで終わり、
しばらくは並走する市道脇の民有地となります。
さらに600mほど進んでイオン福岡東店が見えてくるご覧のあたりで
勝田線の廃線跡が公園となります。
勝田線20
見返すと廃線跡はパチンコ屋の駐車場に。
勝田線16
公園にある緑道の案内マップ。
ちょうどここから勝田線の廃線跡は糟屋町から志免町へと入ります。
そして志免町内では廃線跡は緑道として整備が成されていました。
そしてこの緑道の起点付近がかつての御手洗駅の駅跡となります。
勝田線18
駅跡はご覧の通り細長い公園として整備されています。
勝田線17
かつての駅のホームは写真を参考にすると
おおよそご覧のあたりにありました。
駅は1941年(昭和16年)に地元企業の寄付によって新設で作られたもので
勝田線の開業からの駅ではありません。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅で、
駅舎は無くホームに簡素な待合スペースがあるのみでした。
勝田線19
駅跡から南へと進む廃線跡は再び緑道に。


勝田線21
駅跡から廃線の遊歩道を400mほど下ると
幅の広い市道に突き当たります。
勝田線22
踏切があったであろうこの交点は
西に500mほど行けば福岡空港の北端にあたる場所です。

勝田線23
市道を越えて左にカーブを描きながら400mほど進むと
遊歩道は住宅地の中を縫うように進んでいます。
車止めには住所が刻まれていました。
勝田線24
枕木を転用したであろう木の歩道を抜けると
ご覧の特徴的な木製アーチのトンネルがあります。
こちらは廃線跡の左右に住宅が接近して隣接している区間だったので、
遊歩道の快適性と、住宅のプライバシーの為の目隠しを両立した結果
このような半シースルーのトンネルになったそうです。
勝田線25
トンネルを抜けて進むとまもなく次の駅の駅跡となります。



勝田線26
こちらが上亀山駅跡公園で、
その名前の通りここが上亀山駅の駅跡となります。
駅跡の公園はご覧の通り基本的にはグラウンドとなっています。
勝田線28
公園の南側にはトイレが設置されており、
その脇には県道に連絡している、いかにも駅前の道のような入口があります。
赤い建物は西校区ボランティアセンターという公共の建物なので
いかにもこちらがかつての駅入口の様に見えます。
勝田線27
しかし営業当時の写真や資料を見ると、
ホームは線路の北側にあったことが分かります。
位置的にはご覧のような感じで単式1面1線のホームがありました。

1919年(大正8年)の路線開業時に作られた駅であり、
住宅地の中の駅は嵩上げがされておらず
ホーム上に待合スペースがあるのみの駅だったそうです。
勝田線29
駅跡の公園の東側からは、廃線跡の遊歩道が更に続きます。

勝田線の廃線跡は県道24号線を越えた後にカーブを描いて南下。
イオンモール福岡の敷地内となって一旦廃線の遺構は無くなります。

イオンの敷地を出て再び遊歩道となり、
すぐに次の駅跡となります。



勝田線30
こちらは県道24号線と県道91号線が交わる鉄道公園前交差点です。
勝田線31
この交差点の一角に志免鉄道記念公園があり、
こちらが勝田線の志免駅の駅跡となります。
駅は1919年(大正8年)に新志免駅として開業したもので、
石炭輸送や特急回送など様々な用途で活躍をした駅でした。
勝田線40
交差点近くに設置されたポイント切替の転轍機。
勝田線37
公園のモニュメントには営業当時の勝田線の写真が
タイルになって貼られていました。
勝田線36
そしてモニュメントの傍らには、勝田線の遺構が
経産省の近代化産業遺産に指定されている旨のプレートがありました。
読むと鉄道としてよりも、石炭産業の一部として指定された様です。
勝田線38
鉄道公園として整備のされた公園内。
勝田線39
いたるところの構造物に枕木などが流用されています。
勝田線32
また、公園内にはホームの遺構がそのまま残されています。
ホーム上の構造物は公園として整備された際のものですが
プラットホームは営業当時のものです。
勝田線33
そして鉄道公園とホームの中央を分断して走る県道91号志免須恵線。
新しい県道の建設によってホームも中央部が削られてしまっています。
勝田線34
県道を挟んだ北側に分断されたホーム。
こちらには駅名標のレプリカなどが置かれています。
勝田線35
駅は島式ホーム1面2線で、
大きな木造の駅舎がホーム南端近くにありました。
おおよその位置は写真などを参考にすると
ご覧のような感じであった様です。
勝田線41
駅跡から南へとさらに廃線跡は続きます。



勝田線42
こちらは県道68号線の宇美八幡宮北交差点です。
目の前の宇美川には朱色に塗られた欄干の宇美橋があります。
宇美橋の向こう側に宇美八幡宮があり、
勝田線は元々は「筑前参宮鉄道」として
この宇美八幡宮参拝を目的のひとつとして作られました。
勝田線43
その宇美八幡宮に向かって勝田線の廃線跡の遊歩道は
県道に沿う様に南下をしています。
志免駅の駅跡からおよそ3kmほど南下したこの付近が次の駅の駅跡となります。
勝田線44
こちらが下宇美駅の駅跡となります。
ホームは営業当時に使われていたものの北側の一部が遺構として残されています。
駅は1919年(大正8年)の路線開業時に開設されました。
勝田線45
県道側から駅跡を見ると目の前にある西鉄バスの下宇美バス停。
勝田線46
駅跡には「下宇美緑道公園」と名前が付けられており、
モニュメントの時計塔には説明版がありました。
勝田線47
当時の写真や資料を元にするとご覧の感じで駅はありました。
ホームは隣の黄色いガソリンスタンドの方まで延びていた様で、
単式1面1線の棒線無人駅であり、
駅舎は無くホーム上の待合スペースのみの駅でした。
勝田線48
宇美橋側から見た駅跡の光景。
県道を挟んだ駅跡の向かいには営業時には病院が写っていましたが
現在(2018年1月)では更地となっていました。
勝田線49
かつてのホーム南端付近からの光景です。
勝田線50
南側を見ると遊歩道はここまでで終わっており、
その先は宇美川を渡って廃線跡は生活道路へと変貌しています。

そういえはこの付近の緑道は、以前の写真を見るとタイル舗装だったのですが
私が行った時はご覧の通りアスファルト舗装になっていました。
恐らくはメンテナンスの手間や費用の問題でしょうか。



勝田線51
こちらはJR香椎線の宇美駅です。
勝田線52
香椎線としては単式ホーム1面1線の駅で、
到着した列車が折り返し運転をしている駅ですが、
かつてはこの駅が勝田線と香椎線の乗り換え駅でした。
勝田線53
なぜか駅前広場に置かれたでっかい「U」のモニュメント。
勝田線54
香椎線は元々は博多湾鉄道(博多湾鉄道汽船)の路線であり、
勝田線は筑前参宮鉄道の路線でした。
別々の会社がこの地に駅を開設したため、両駅はおよそ100m離れていました。
両駅の路線は西鉄に吸収され、戦時に国鉄となり同一駅となりましたが
乗り換えで100mの移動をする状態は廃止まで変わりませんでした。
勝田線56
駅前の広い広場を南西に向かうと南西角付近にご覧の駐車場があります。
勝田線55
駐車場の南側付近が勝田線の駅跡であり、
宇美駅の駅舎とホームはおおよそご覧のあたりにあった様です。
勝田線57
駅の南の廃線跡は道路の拡張によってその面影はありません。



勝田線59
こちらは県道68号線にある西鉄バスの勝田バス停です。
宇美駅からおよそ3km南のこの付近がかつての勝田線の筑前勝田駅の駅跡となります。
勝田線60
バス停の目の前の廃線跡は原田緑道公園として整備がされています。
勝田線58
駅は営業当時の航空写真ほか資料を参考にすると
ご覧の付近にあった様です。
勝田線61
こちらの写真奥にあるスーパーセンタートライアルのあたり
(西鉄バス原田橋バス停付近)を筑前勝田駅跡とする情報も多くありますが、
機回し線など線路は延びていたものの
実際に廃線の時にあった駅の位置は勝田バス停付近だった様です。
勝田線62
(上地図:国土地理院地図「大宰府1969年」を参照の上加工して使用)
こちらが昭和40年代の筑前勝田駅付近の地図です。
現在の付近の地図と見比べれば、駅が勝田バス停付近にあったことが分かります。

この付近は駅の構内を流れる井野川が
1973年(昭和48年)には溢れて勝田線を水没されるなどしており、
井野川やその本流である宇美川が何度も河川改修をされています。
具体的にいつ井野川が付け替えられたのかは不明ですが、
勝田線の廃線跡が現在は川になっているのはそういった事情の様です。
勝田線63
勝田バス停前の県道にある中村商店。
筑前勝田駅の駅跡の目の前にあり、いかにも駅前商店といった風情です。
勝田線64
駅舎跡付近の公園内の階段には鉄道の枕木が使用されていました。



以上で国鉄勝田線の廃線跡については全てとなります。

勝田線66
こちらはau 4G LTEでの勝田線付近の電波エリアマップです。
さすがに博多近郊の地域だけに電波の入らない場所はありません


勝田線65
こちらはJR香椎線の終点の宇美駅からのレーダー範囲です。
勝田線の宇美駅でもあるこの駅からは、
レーダーで取れる勝田線の廃駅は志免駅から筑前勝田駅までの3駅となります。
上亀山駅、御手洗駅には宇美駅からは射程圏外となります。
勝田線67
そしてこちらは福岡市営地下鉄空港線の福岡空港駅からのレーダー範囲の一部です。
宇美駅からは届かなかった上亀山駅と御手洗駅が取れるのがお分かり頂けるでしょう。
上亀山駅と御手洗駅についてはJR篠栗線(福北ゆたか線)の柚須駅~長者原駅間、
JR香椎線の伊賀駅~酒殿駅間でもレーダー射程圏内となります。

ちなみに二つの路線を乗って勝田線を集めるのが煩わしいという方は、
JR篠栗線(福北ゆたか線)で博多から電車に乗り
吉塚駅~筑前山手駅間を移動しながらレーダーを打てば
射程10があればコンプ可能
です。


勝田線68
そして実際に現地まで行きたい方は、西鉄バス34系統「大濠公園━原田橋」線
吉塚駅東口バス停~勝田バス停まで利用すれば
ほぼ勝田線に近いルートを走っているので全駅チェックインが可能です。
平日なら15分に1本、休日でも30分に1本は走っている路線なので
比較的利用がし易いバス路線だと思います。
所要時間は片道で40分ほど、運賃は540円となります。


また車で勝田線を巡りたい場合、
福岡空港近辺でのレンタカーの利用という方法もあります。
空港近辺はどの都市もレンタカーが充実しており、
当日予約なしでも恐らく利用は可能でしょう。
また複数のレンタカー会社が陣取っているので
短時間の安いプランでの利用なども可能ですので
十分に選択の候補になると思われます。
福岡空港と勝田線の上亀山駅はおよそ500mほどの距離ですので
一考の余地はある
のではないでしょうか。



博多から程近く、廃線時の閑散とした時代とはうってかわって
住宅地の広がる大都市近郊にある廃線ですので非常に訪れ易いと思います。
全線で13.8kmという路線なので徒歩で全てはなかなか大変ですが、
交通機関を使って是非現地まで行ってみてはいかがでしょうか。


では。

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