宗谷本線02_c26
引き続きで宗谷本線の記事です。


その1(旭川駅━比布駅)はこちら
その2(比布駅━士別駅)はこちら
その3(士別駅━名寄駅)はこちら
その4(名寄駅━美深駅)はこちら
その5(美深駅━音威子府深駅)はこちら



音威子府駅から先の宗谷本線は天塩川の右岸を併走して西進しています。
川を挟んだ反対側の左岸には国道40号線が同じく川と併走をしていおり、
およそ70kmに渡って鉄道、国道、河川が併走する事となります。
宗谷本線02_b09
音威子府駅から西へ5kmほどの距離の国道40号線から
筬島大橋という橋が天塩川を渡って北へと分岐しています。
この橋が国道から駅への入口となっており、およそ700mほど道を進むと
ご覧の交差点へと差し掛かります。
宗谷本線02_b10
交差点を反対の西側から。
宗谷本線02_b11
この交差点の南東角にはご覧の建物があり、入口には
「筬島農地改良センター」と書かれた跡がありました。
宗谷本線02_b12
この農地改良センターの脇を抜けて交差点南側の道の先には
旧筬島小学校の木造校舎があります。現在はアイヌ出身の木彫彫刻家の
砂澤ビッキ氏の記念館となっています。
宗谷本線02_b13
そして交差点の北側が駅への連絡道路となっており、
砂利道の突き当たりに駅舎があるのが見えます。
宗谷本線02_b14
こちらが筬島駅の駅舎の外観です。
1922年(大正11年)11月に鉄道省天塩線の延伸開業によって設置された駅で、
かつては木造駅舎が建てられていました。
1986年(昭和61年)に駅が無人化された後に木造駅舎は解体された様で
代わりに貨車駅舎が旧来駅舎の基礎跡の上に置かれました。
2012年(平成24年)に貨車駅舎に金属サイディングが貼られてリニューアルされています。
宗谷本線02_b15
駅舎の中の様子です。貨車駅舎ですので中はご覧の広さですが
中は綺麗に手入れがされています。
宗谷本線02_b16
駅舎の置かれている場所の地面の基礎跡。
宗谷本線02_b17
こちらが駅のホームとなります。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となります。
宗谷本線02_b18
ホームはご覧の通り土盛り砂利敷きのものです。
かつては線路の反対側にはもう1面島式ホームがあったそうで
一番外側は貨物用副本線として木材の積み出しが行われていたのだそうです。
宗谷本線02_b19
筬島駅は音威子府村大字物満内小字筬島に所在していますが、
大字物満内の2015年(平成27年)の国勢調査では世帯数7、人口10名となっていて
いわば廃村寸前の状態となっています。
その為2016年(平成28年)にはJR北海道より廃止駅の候補に挙げられており、
2021年(令和3年)4月からは駅は自治体管理へと移行となっています。
宗谷本線02_b20
ホーム西側に作られた花壇には「花駅長」の文字が。


宗谷本線02_b21
こちらは国道40号線から分岐して佐久橋で天塩川を渡る
道道218号板谷佐久停車場線です。国道からおよそ500mほどで
南側からご覧の交差点となり東側の駅へと通じています。
宗谷本線02_b22
反対の北側から見た交差点。この交差点の北側は
道道541号問寒別佐久停車場線という別の道道です。
宗谷本線02_b23
駅側の東から見た交差点。二つの道道がこちらの交差点で合流しており
駅までは重複区間となっています。
宗谷本線02_b24
交差点から駅への光景。
宗谷本線02_b25
こちらが佐久駅の駅舎外観となります。
1922年(大正11年)11月の鉄道省天塩線延伸によって開設された駅で、
ご覧の駅舎は1990年(平成2年)に改築されたものです。
宗谷本線02_b26
駅舎の中の様子です。「佐久ふるさと伝承館」と入口に書かれている様に
地元の中川町が建てた駅舎は地区の公共施設としての役割もあり、
待合のベンチの周りには町の様々な資料品が展示されています。
宗谷本線02_b28
生活品の展示された棚の上の壁には
切り出された材木を運ぶ馬橇(そり)の絵が。
宗谷本線02_b27
待合室左手にはハッカの蒸留装置や馬そりの実物が展示されていました。
宗谷本線02_b29
ホームへと出る改札付近の光景。
宗谷本線02_b30
こちらがホームの様子です。相対式ホーム2面2線の駅となっており、
無人駅ですが列車交換の可能な駅となっています。
宗谷本線02_b31
西側の駅舎のあるこちらが1番線で、下り線の稚内方面行きホームとなっています。
宗谷本線02_b32
ホーム南側の旭川方寄りに駅舎はあり、
その先の南端に構内踏切が設置されています。
宗谷本線02_b33
二つのホームを連絡する構内踏切。
線路部分にだけ板が張られている簡素なものですが、
この踏切は特急列車も通過する踏切です。
宗谷本線02_b34
駅の東側にある2番線ホームです。
上り線旭川方面行きホームとなっています。
宗谷本線02_b35
こちらの2番線ホームは構造物がホーム上には無く
ご覧の通り土盛りのホームがあるのみとなっています。
宗谷本線02_b36
2番線ホームの東側には行き止まりの車庫のある側線があります。
これはかつては副本線だったのだそうで、外側にさらに側線があったのだそうです。


宗谷本線02_b37
こちらは道道438号天塩中川停車場線と道道541号問寒別佐久停車場線が
駅前のおよそ170mほどを東西に走る重用区間の光景です。
宗谷本線02_b38
駅から東側の交差点で二つの道道は合流しており、
北側の道道438号天塩中川停車場線は天塩川を渡って国道40号線へと連絡、
南の道道541号問寒別佐久停車場線は宗谷本線と併走し隣の佐久駅前までつながっています。
宗谷本線02_b44
二つの停車場線の起点となる駅前広場の入口ゲート。
宗谷本線02_b39
ゲート前では駅前広場に接して南北に町道が走っています。
宗谷本線02_b40
駅前広場の様子です。二つの道道の重用区間の東の終端に位置しており、
入口から駅舎の正面への部分は舗装がされていますが
左右の敷地は砂利敷きとなっています。
宗谷本線02_b42
町道へと出る広場の入口脇にある中川町のガイドマップ。
宗谷本線02_b41
駅前広場のゲートを駅舎側から見た光景です。
宗谷本線02_b43
こちらが広場の東側にある天塩中川駅の駅舎の外観となります。
駅は1922年(大正11年)11月に鉄道省天塩線が
音威子府駅から当駅まで延伸された際に誉平(ぽんぴら)駅として設置されました。
現在の駅名となったのは国鉄となった後の1951年(昭和26年)のこととなります。
宗谷本線02_b45
今の駅舎は1953年(昭和28年)に建てられた木造駅舎で、
以前は改修によってサイディングの貼られた味気無い外観の建物でした。
この駅舎が地元の中川町によって2014年(平成26年)に駅舎改修が行われており、
町有林のトドマツの間伐材を燻煙防腐処理して下見張りという
建築当時の姿へとレトロ回帰されて今の姿となっています。
宗谷本線02_b46
そして駅舎の左の前、広場の南側にはこちらの建物があります。
この建物はかつての保線事務所で駅の出札業務もこちらで行っていました。
しかし2016年(平成28年)に天塩中川駅での工務社員の配置が廃止されたことで
保線員もこちらには詰めておらず現在は使われていません。
宗谷本線02_b47
駅舎の中の様子です。2014年(平成26年)の駅舎改修では
建物の所有がJR北海道から中川町へと移管しており、
待合室のベンチや扉、窓枠などにも町有林のトドマツが使われています。
宗谷本線02_b48
広場側の出入口には雪国らしく風除室が。
宗谷本線02_b49
かつて駅務の事務所のあったスペースは交流プラザとして
町の施設となっています。かつての券売窓口の場所には
窓口を模したカウンターも作られています。
宗谷本線02_b50
ホーム側の出入口付近。
宗谷本線02_b51
こちらが駅のホームの様子です。
相対式ホーム2面2線の駅で列車交換が可能となっています。
駅舎のある東側のこちらが1番線ホームで上下主本線となっており、
列車交換が無い場合は基本的に上り列車も下り列車もこちらの1番線で発着を行っています。
宗谷本線02_b52
ホーム側から見た駅舎の外観。
作られてからまだ10年経っていません(註:2021年現在)が
70年前の駅舎を再現しているのでレトロな佇まいです。
宗谷本線02_b53
北側の稚内方のホームの様子です。
駅舎北側に貨物ヤードがあったのは近辺の他駅と一緒で
現在でもその跡を見ることができます。
宗谷本線02_b54
駅舎のホーム側の屋根には雪止めが設けられていますが、
良くみる金具が点在しているのでは無く、棒でバリケードのように作られており
ホーム側への雪の落下を防いでいます。
宗谷本線02_b55
南側の旭川方のホームの光景。
反対側のホームと連絡をしている構内踏切は南端の先に設けられています。
宗谷本線02_b56
こちらがホーム同士を連絡している構内踏切です。
宗谷本線02_b57
西側のホームは1番線ホームに比べて有効長が短い為、
踏切からはご覧の通りホーム入口のスロープが離れているので
通路の石畳が敷かれています。
宗谷本線02_b58
こちらが西側にある副本線の2番線ホームです。
列車の出発信号機がこちらは上り列車側にしか無いので
構造的に上り列車しか停車することができません
宗谷本線02_b59
ですので列車交換時のすれ違いの時に上り列車が使用する、と考えるところですが
近年はこの天塩中川駅での列車交換は設定されておらずその必要がありません。
なので一部の上り列車が使用するのみのホームとなっています。
宗谷本線02_b60
ホームの外側にはかつては引き上げ線があった為、土地に空間があります。
待合室やベンチなどはホームに作られておらずシンプルなホームとなっています。
宗谷本線02_b61
2番線から見た駅舎。
この駅は特急停車駅で1番線には特急が止まりますが、
有効長の関係から特急が増結された場合には一部ドアカットがあります。


宗谷本線02_b62
こちらは道道541号問寒別佐久停車場線の中川町字歌内付近の光景です。
佐久駅の駅前から北にほぼ宗谷本線と併走している道路ですが
8.4kmほど進んだところで次の駅の駅前へと辿り着きます。
宗谷本線02_b63
反対の北側から見た、駅前の交差点付近。
宗谷本線02_b65
駅から正面には町道が伸びており、天塩川を渡って
およそ1.4kmほどで国道40号線へと連絡をしています。
宗谷本線02_b64
切り返して町道から駅方向へ。
道道の先に砂利敷きの駅への道が伸びています。
宗谷本線02_b66
駅へと連絡する道を東へ。
宗谷本線02_b67
砂利道が分岐する右手に駅が見えます。
ちなみに分岐の左手も駅の敷地の様でバラスト(砂利)が集積されていました。
宗谷本線02_b68
こちらが歌内駅の駅の外観です。1923年(大正12年)11月の
国鉄天塩線の延伸によって宇戸内(うとない)駅として開業をしました。
1951年(昭和26年)7月に現在の歌内駅へと改名されています。
宗谷本線02_b69
駅前はご覧の砂利道のつきあたりが広場の代わりとなっているもので
車の転回程度は可能となっています。
宗谷本線02_b70
駅は1984年(昭和59年)に宗谷本線のCTC導入によって無人駅となっており、
その後昭和から平成へと変わったあたりで木造駅舎が解体されています。
現在のヨ3500車掌車を改造した貨車駅舎は解体された木造駅舎の
基礎の上に置かれたもので、現在でもコンクリート基礎が残っています。
宗谷本線02_b71
駅舎の中の様子です。いわゆるダルマ駅と呼ばれる貨車駅舎なので
中はご覧のこじんまりとした部屋にベンチが置かれているものとなります。
宗谷本線02_b72
壁には増設された窓があり、奥にはトイレも増設されています。
時刻表を見ると一日上下3本づつとなっていました。
宗谷本線02_b73
ホーム側から見た駅舎の様子です。
貨車駅舎の置かれた場所を見ると、残った基礎から
元の木造駅舎がそれなりの大きさの建物であったことが分かります。
宗谷本線02_b74
駅のホームの様子です。単式ホーム1面1線の棒線無人駅で
土盛り砂利敷きのホームとなっています。
宗谷本線02_b75
かつては相対式2面2線の駅だったのだそうで、
現在のホームの線路反対側の東にもう1面の単式ホームがあったそうです。
また旧駅舎の基礎の北側には貨物ヤードの引込み線のあったのだそうです。
宗谷本線02_b76
駅のある中川町字歌内の2015年(平成27年)の国勢調査データーでは
世帯数8、人口18名となっています。そのためJRの調査で
1日平均の乗降客数が1名以下となっており、何度か駅廃止の俎上へと上がっていました。
そのため2020年(令和3年)4月からは中川町へと駅の維持管理が移管されています。


宗谷本線02_b77
こちらは道道583号上問寒問寒別停車場線の終点近くの光景です。
隣の歌内駅の前を通る道道541号問寒別佐久停車場線は山側に迂回するルートを取り
南北に走るこの道道の、ご覧の交差点から700mほど北に合流をしています。
宗谷本線02_b78
交差点の西側は道道395号問寒別停車場下国府線という別の道道で、
宗谷本線と天塩川を跨いで国道40号線へと連絡をしています。
宗谷本線02_b79
交差点東側は町道となっており、
二つの道道がこの交差点で合流をして南側の駅へと向かっています。
町道から交差点の向こう側の道道395号線沿いは問寒別の集落で
この近辺では比較的大きな集落となっています。
宗谷本線02_b80
交差点から駅までは二つの道道の重用区間で
舗装が途切れると砂利敷きの駅前広場となります。
宗谷本線02_b81
駅前広場の様子です。広場の一角には北海道ではよく見るD型倉庫が。
宗谷本線02_b82
砂利道と草地で境界が分かりづらいですが、駅前広場の敷地は
どうやらこの広めの空間の一角のみの様です。
宗谷本線02_b83
そして広場の南側にあるのがこちらの問寒別駅の駅舎です。
1923年(大正12年)11月に鉄道省天塩線の延伸開業で設置された駅で、
木造駅舎の置かれた有人駅でしたが1986年(昭和61年)に無人化されると
すぐに駅舎も解体されてヨ3500形車掌車を元とした貨車駅舎が設置されました。
宗谷本線02_b89
旧駅舎の基礎跡の上に現在の貨車駅舎が置かれているのは他の駅と同様で
ご覧の通り今でもコンクリートの基礎跡を確認する事ができます。
宗谷本線02_b84
駅舎の中の様子です。貨車駅舎のダルマ駅ですので
中は他の貨車駅舎と同様にベンチが置かれるのみとなっています。
壁には問寒別駅の歴史が掲示されるなどしており手入れと管理の行き届いた状態です。
宗谷本線02_b85
ホーム側から見た駅舎。2015年(平成27年)に幌延町によって
貨車駅舎の外壁に鋼製サイディングが張られてリニューアルされており
ダルマ駅ながら綺麗な外観となっています。
宗谷本線02_b86
こちらがホームの様子です。単式ホーム1面1線の棒線無人駅です。
この駅もかつては相対式2面2線ホームと、
駅舎北側に貨物引込み線のある駅だったそうです。
宗谷本線02_b87
土盛り砂利敷きのホームの線路の反対側には鉄道防雪林が広がっています。
2015年(平成27年)国勢調査では問寒別駅のある幌延町字問寒別の世帯数は113、
人口は224名となっています。駅前に有る程度の市街地が形成されていることからも
近辺では比較的大きな集落であることが分かります。
宗谷本線02_b88
しかしながら駅前に家があるこの駅でも一日平均乗降客数は3名以下であり
JR北海道より2020年度での廃止候補の駅の一つに挙げられました。
これに対して地元の幌延町は「市街地がある」事を理由として
2021年4月以降当駅施設を自治体管理へと移行する事を了承しています。


宗谷本線02_b90
こちらは問寒別駅から西へ2.1kmほどに位置する町道です。
この付近は河川に阻まれるなどして行き止まりの道が多く、
ご覧の道も問寒別駅と集落側からのみたどり着ける町道となります。
宗谷本線02_b92
切り返して踏切と反対側の北側を見るとご覧の光景で
周辺に建物は見あたりません。
宗谷本線02_b91
町道と宗谷本線の交わる踏切は「中問寒別糠南線踏切」という名前で
踏切の東側を見るとご覧の通りホームがあるのが見えます。
宗谷本線02_b93
踏切の南側に伸びている道は天塩川支流の問寒別川に突き当たり
砂利道となって行き止まりとなっています。
旧川の三日月湖が残るこの付近は問寒別川が天塩川に合流する付近で
釣り師にとってはイトウの名釣り場なのだそうです。
宗谷本線02_b94
切り返して踏切方面へと戻ります。
踏切南側には線路脇には伸びる砂利道が。
宗谷本線02_b95
砂利道を進むとすぐ左手に駅のホームがあります。
宗谷本線02_b96
こちらが糠南駅の駅の全景です。駅は1955年(昭和30年)に
旭川鉄道管理局設定の糠南仮乗降場として設置されたもので
国鉄分割民営化となった1987年(昭和62年)に正式駅へと昇格しています。
宗谷本線02_b97
駅前の砂利道からホームまでは鉄道用地内の草地であり、
ホームのスロープまでけもの道状に道があります。
この線路脇の草地にはかつては木造の待合室があったそうですが
1987年(昭和62年)の台風12号(通過時は温帯低気圧)で崩壊したそうです。
宗谷本線02_b98
こちらが駅のホームの様子です。単式ホーム1面1線の棒線無人駅です。
木造ホームで有効長が1両分といういわゆる朝礼台と呼ばれるタイプのホームとなります。
宗谷本線02_b99
東側から見た駅ホームの光景。奥が稚内方となります。
宗谷本線02_c02
駅の周辺を見渡すとご覧の通りの光景で周囲は牧草地となっていて、
近辺では牧草を丸めてラッピングした牧草ロールを見ることができます。
宗谷本線02_c01
そしてホームの稚内方の西端の入口近くに設けられているのが
この駅を全国的に有名にしているこちらのヨド物置の待合室です。
前述の台風で駅の木造待合室が崩壊した後に、地元の有志が設置したもので
普通の物置の側面に窓が設けられています。
宗谷本線02_c03
ホームから張り出して増設された木製デッキの上に待合室が置かれていますが、
明らかにホームと待合室前のデッキの色が違うのは、JR北海道管理のホームと
町管理の待合室ではメンテナンスの頻度が違うからでしょうか。
宗谷本線02_c04
待合室のデッキの構造と物置の置かれ方から、
元々は大引き(ホームから土台へと架けられた横梁)の上に
一枚張りで床板が張られていた様子です。
宗谷本線02_c05
しかし恐らくは老朽化の為床板が脆くなって踏み抜く危険が出た為、
後から上張りで床板が増し貼りされて補強された様です。
予算の都合なのでしょうが、物置の前だけ渡し板のように補強した通路が
この駅を管理する予算や人員の不足を物語っています
(転落の危険を残す補修は意味が無いので普通はやらないのです。)
宗谷本線02_c07
待合室に物置を転用したのも安価に設置できるからなのだそうですが、
それが逆にこの駅を有名にした上に毎年イベントが開かれて
愛好家の訪問が絶えない観光資源にまでなったのですから分からないものです。
宗谷本線02_c06
待合室の中はご覧の通りで普通の物置の壁に時刻表などが掲示されています。
ベンチの代わりに置かれたビールケースが2つと
除雪の為のスコップやスノーダンプがありました。
宗谷本線02_c08
ホームから踏切への光景です。
糠南駅は問寒別駅と同じ幌延町字問寒別にある為、
駅周辺だけの国勢調査資料はありませんが
新聞記事などによると糠南駅周辺には酪農を廃業した民家が1件あるのみで
JRの調査でもここ10年以上地元の駅利用者は確認されていません。
宗谷本線02_c09
ですのでこれまでも何度も駅は廃止の候補として挙げられてきました。
しかし地元の幌延町が「秘境駅等鉄道系資産によるまちおこしの象徴的存在であり
民間有志による大規模イベントも開催されている」として存続の意向を示し、
2021年4月以降は町の駅施設管理による駅存続へと移行されています。
ただ、待合室のあるデッキの現状を見ると決して前途は安楽では無いでしょう。


宗谷本線02_c10
こちらは道道302号雄信内停車場線の光景です。
道の傍らには数軒の廃屋が点在しています。
宗谷本線02_c11
この道は停車場線のの曲がり角から南西に300mほどで
道道256号豊富遠別線と合流しており、重用区間となって
南1.2kmほど先の国道40号線へと連絡をしている道路です。
宗谷本線02_c12
その停車場線がカーブで北へと曲がり、80mほど進むと駅舎につきあたります。
宗谷本線02_c13
こちらが雄信内駅の駅舎の外観です。
1925年(大正14年)7月に鉄道省天塩南線の延伸で開業した駅で、
現在の駅舎は1953年(昭和28年)に建てられたものとなります。
宗谷本線02_c14
駅舎前の南側には駅前広場となる砂利敷きの敷地が広がっています。
停車場線の終端の広場は広さは十分にあるので車の転回や駐車も可能です。
宗谷本線02_c15
駅舎の中の様子です。1984年(昭和59年)までは
旅客窓口が営業していたので当時の窓口がそのまま残っています。
コンクリート土間の待合室の東側には木製ベンチが設けられています。
宗谷本線02_c16
ホーム側の駅舎出入口付近の様子です。
扉の脇には木製の駅名標が掛けられています。
宗谷本線02_c17
駅のホームの様子です。相対式2面2線の駅となっており列車交換が可能です。
駅舎のある南側のこちらのホームが下り稚内方面行きホームの1番線です。
宗谷本線02_c18
ホーム西端の稚内方の光景。
かつての貨物引き上げ線の線路も残っているのが見えます。
宗谷本線02_c19
駅舎はホームの東端側の旭川方に建てられています。
東の先端部には隣のホームとの連絡をする構内踏切が設置されています。
宗谷本線02_c20
構内踏切の様子です。線路部分にだけ板の張られた簡素なものとなっています。
宗谷本線02_c21
北側にある上り線旭川方面行きの2番線ホームです。
土盛り砂利敷きのホームのみで上屋などはありません。
宗谷本線02_c22
ホームの更に北側にはかつては副本線の線路があったそうですが
平成に入ってまもなむ撤去されています。
宗谷本線02_c23
旅客扱いの駅員が廃止された後も閉塞を扱う運転要員は詰めていましたが
1986年(昭和61年)には宗谷本線のCTC化によって
それも廃されて完全に無人駅となります。
駅舎の駅事務室だったスペースは冬季の保線要員の詰所として使われているそうです。
宗谷本線02_c24
住民基本台帳によると雄信内駅のある幌延町字雄興の
2017年(平成29年)の世帯数は2、人口は5名となっています。
駅周辺も廃屋ばかりで人の姿は無く駅周辺は「廃村」と呼ばれる状態となっています。
宗谷本線02_c25
なので駅についてもJR北海道から廃止の提案があったものの、
地元の幌延町が「宗谷本線の歴史を伝える国鉄型木造駅舎の
希少性について考究が必要」として存続を希望。
2021年(令和3年)4月より駅施設を自治体維持管理へと移行しています。



旭川から宗谷本線の駅を順に追って、やっと上川管内から宗谷管内へと入りました。
まだまだ線路は100km近く続いていますので続きはその7にて書きます。

では。

でんこの元ネタ
■No.101 田原町つばさ(Tawaramachi Tsubasa)
 ■タイプ:アタッカー
 ■誕生日:3月27日

■出身駅: えちぜん鉄道 三国芦原線 田原町駅(福井)
つばさ01



田原町駅は1937年(昭和12年)4月1日に三国芦原電鉄の駅として新設されました。
三国芦原線は1928年(昭和3年)に開業していた路線のため、
駅はすでに営業している路線に新たに作られたものです。

1942年(昭和17年)に三国芦原電鉄が京福電気鉄道に合併されて
三国芦原線も京福電気鉄道の路線となったものの
戦時の1944年(昭和19年)に鉄道は一旦休止。

1950年(昭和25年)11月に駅の場所が東寄りの現在の位置へと移転のうえ
営業再開され、併せて福井鉄道も田原町駅まで延伸されて
京福電気鉄道と福井鉄道の乗り換え駅となります。
つばさ02
駅メモラーにとっては京福電気鉄道といえば
京都を走る軌道線の「嵐電」こと嵐山線が思い浮かぶ
ことでしょう。
社名に京都の「京」と福井の「福」を冠する通り
京福電気鉄道は京都市内のる嵐山本線・北野線と
福井を走る越前電気鉄道線(越前本線と三国芦原線)を併せて運営する会社でした。

しかし福井の京福電気鉄道は2000年(平成12年)末と2001年(平成13年)夏に
半年で2回もの列車同士の衝突事故を起こしてしまい、
国土交通省と中部運輸局福井運輸支局より全線の運行停止と
事業改善命令が命ぜられました。

これによって京福電気鉄道は収支の見通しが立たず
福井県内の鉄道事業を運営する福井鉄道部の営業継続を断念。
2001年(平成13年)10月に越前本線と三国芦原線の廃止届を提出します。


こうして豪雪地帯である福井市内は京福電気鉄道の運行を失って
バス代行に頼る冬を迎えた訳ですが、それまで鉄道を利用していた
通勤通学客の多くが自家用車へシフト。結果として市内幹線道路は大渋滞となります。
当然ながら代行を含めたバスのダイヤも遅延で無ダイヤ状態となり、
はからずも積雪地で鉄道を廃止したらどうなるかという
一種の公共交通の比較社会実験を行う事となった
のです。
つばさ03
当時の報道で「壮大な負の実験」と称されたこの状況を受けて
福井県と沿線市町村は第三セクター方式による鉄道存続を選択。
2002年(平成14年)9月にえちぜん鉄道が設立され、
京福電気鉄道から2003年(平成15年)に事業譲渡がされました。


地元自治体が出資をした第三セクター会社の運営となった事で
えちぜん鉄道では既存の駅施設の改修や新規駅の設置などが進みます。
つばさ04
そしてえちぜん鉄道と福井鉄道との間での相互直通乗り入れ運転の計画も具体化され、
LRV(ライトレール)車両の運行の為に低床ホームの整備が進みます。
つばさ05
その為、えちぜん鉄道と福井鉄道が連絡接続をする田原町駅では
既存の駅施設改修や駅周辺整備、そして両路線の線路の接続が行われました。
つばさ06
こうして2016年(平成28年)3月27日より
えちぜん鉄道の鷲塚針原駅から福井鉄道の越前武生駅までの間を
「フェニックス田原町ライン」と名づけて直通運転が開始。
愛称の「フェニックス」は戦災、震災、水害、雪害など多くの苦難を乗り越えた福井市の象徴で
えちぜん鉄道の三国芦原線と勝山永平寺線、福井鉄道の福武線をあわせた路線図が
まるでフェニックスが翼を広げたような形となることから命名
されています。


つばさ07
こちらは県道30号福井丸岡線の福井市田原付近の光景です。
古くは五畿七道の1つである北陸道であり、旧国道8号線である道路で
1985年(昭和60年)に市民公募で「フェニックス通り」の名称となっています。
つばさ08
フェニックス通りの南側は福井市の中心市街地を通り抜けており、
古くは福井藩の1万石以上の上級家臣の武家屋敷が並んでいたことから
「大名町通り」と呼ばれ市民に慣れ親しまれていました。
つばさ09
こちらはフェニックス通りに面した西側にあるフェニックス・プラザです。
福井中央卸売市場の移転跡地に1985年(昭和60年)に建てられた多目的ホールであり、
現在は福井市の所有となっている建物です。
つばさ10
フェニックス通りの中央部分には福井鉄道福武線の軌道線が走っていますが
ご覧の通りフェニックス・プラザの北側で西へと反れて専用線へと入ります。
線路に併走して道路も分岐しており、車に注意を促す看板が設けられています。
つばさ11
分岐の北側にはこちらの歩道橋が。
つばさ12
歩道橋から見たフェニックス通りの南側の福井市街方の光景です。
つばさ13
反対のフェニックス通りの北側のあわら市方面の俯瞰。
えちぜん鉄道の踏切があるのが見えます。
つばさ14
歩道橋北側のえちぜん鉄道新田原町踏切。
つばさ15
踏切から見る南側の福井口駅方の光景です。
つばさ16
そして反対の北側の三国港駅方を見ると駅があるのが見えます。
つばさ17
踏切の北側へと渡ると周囲には福井大学をはじめとして
いくつもの学校が集まっており通学時間には学生の姿が多く見られます。
県道は九頭竜川を渡って北へ向かい国道8号線の現道へと合流をしています。
つばさ18
切返して北側から見た踏切方面の様子です。
つばさ19
北側から見た歩道橋には福井鉄道の軌道による幅員減少の標識がありました。
つばさ20
その歩道橋の西側には線路と県道に囲まれた
三角形の形の駅前広場があるのが見えます。
つばさ21
広場にある周辺の地図です。
県道に面する三角の広場は北広場と書かれています。
つばさ35
田原町駅の駅周辺や広場の整備は駅舎改修の後に進められており、
2018年(平成30年)に完成し供用されています。設計は公共空間設計で実績を持ち
数多くの駅周辺デザインを手がけている東京のGK設計が行っており、
「公園の中に電車が滑り込んでくるような景色を持つ駅」としてデザインされています。
つばさ22
北広場の南東端付近です。
田原町駅前のバス停留場の待合室が置かれています。
駅前広場の整備前にはここにはコンビニが建っていたそうです。
つばさ23
県道の歩道に接する付近はインターロッキングで舗装されていますが
広場の内側は芝生が貼られています。
中央部にはステージのような大きなベンチが。
つばさ26
広場南側の福井鉄道の線路沿いは小高く土が盛られていました。
つばさ25
ベンチ近くにある広場の案内図です。
裏側には広場使用の注意書きが。
つばさ24
広場北側の様子です。
県道から線路に沿った部分は駅前広場の整備前から
駅舎と県道を連絡する通路であった部分でした。
現在も駅入口までインターロッキング舗装がされています。
つばさ27
切返して駅側から見た光景。
線路沿いには屋根つきの駐輪場が設けられています。
つばさ28
こちらがえちぜん鉄道田原町駅の駅舎外観です。
以前の木造駅舎は1950年(昭和25年)の福井鉄道乗り入れ時に作られたもでした。
現在のえちぜん鉄道側の駅舎は2016年(平成28年)1月に供用開始されたものとなります。
つばさ30
ホームへの通路の横には駅務を行う建屋が建てられており、
壁の駅入口付近には駅周辺の案内地図がありました。
つばさ31
奥の券売窓口の手前の壁には駅舎の駅名標があり、
その下には吹き出し形に形取られた駅構内図がありました。
つばさ29
えちぜん鉄道の券売窓口付近。
島式ホームへの入口と構内踏切が目の前にあります。
つばさ32
券売窓口前から西側のホームへと入るスロープです。
低床ホームの2番線につながっているので勾配はゆるやかです。
つばさ33
こちらが2番線ホームの様子です。2番線と3番線は島式ホーム1面ではありますが、
南側の2番線がLRV(ライトレール)車両に対応する為低床ホームとなっており
北の3番線とは段差があります。また東側が扇形に広がっている形状もあって
実質的には別々の単式ホームの様相と言える形となっています。
つばさ34
2番線ホーム側にある待合室。
木製ベンチの置かれた部屋は空調が効いています。
つばさ36
ホーム西端の鷲塚針原方の光景です。
2番線は福井鉄道とえちぜん鉄道の相互直通列車専用の乗り場となります。
なのでホームから東は福井鉄道福武線、西はえちぜん鉄道三国芦原線となっています。
つばさ37
駅の出入口に近いホーム東側の越前武生方の様子です。
つばさ38
2番線ホームと3番線ホームを連絡する階段。
同じ島式ホームのプラットホームですが嵩上げされたホームと
低床ホームではこれだけの段差があります。
つばさ39
階段の脇にはバリアフリーの為設けられた2番線と3番線をつなぐスロープが。
つばさ40
島式ホームの北側の3番線ホームです。
こちらのホームは嵩上げされた高床式ホームであり、
えちぜん鉄道三国芦原線の専用ホームとなっています。
つばさ41
低床式ホームの2番線とは段差がある為柵で仕切られており、
3番線側には木材で目隠しの壁が設けられています。
つばさ42
3番線ホームにあるこちらの壁はホーム待合室の壁ですが、
出入りは2番線側からしかできず3番線側は壁のみとなっています。
つばさ43
ホーム東側の福井方の様子です。先にはフェニックス通りの新田原町踏切が見えます。
田原町駅の線路は駅改修で付け替えが行われていますが
えちぜん鉄道側の線路は旧来のものがそのまま使われています。
つばさ44


つばさ46
こちらはフェニックス通りへと戻り、福井鉄道の軌道が田原町駅へと向かって
道路から専用線へと入る付近の光景です。
つばさ45
フェニックス・プラザと線路の間には
ご覧の西へと入る道路が分岐しています。
つばさ47
道を進むと屋根のついた横断歩道があり、
右手に駅、左手にはフェニックス・プラザへの入口があります。
つばさ48
福井鉄道田原町駅の駅舎外観です。
えちぜん鉄道と福井鉄道直通運転開始に際して改築されたもので、
福井鉄道側の駅舎は2015年(平成27年)3月に完成し供用されています。
つばさ49
駅舎前は歩道の幅が広く作られ駅前広場の役割となっており、
入口前には車寄せが作られています。
つばさ50
駅前付近の見取り図です。
つばさ51
駅舎前の東側はご覧の様に小さな公園の様になっており
木の植えられた四角いベンチが置かれています。
つばさ53
入口の目の前に設置されている案内図の看板。
駅舎側には駅周辺の地図が描かれ、道路側には広場の見取図が載っています。
つばさ52
この広場の東側を見るとご覧の線路沿いの広場へと出る事ができます。
こちらは南広場と名づけられており駅周辺整備事業で整備されたものです。
つばさ55
ご覧の通り福井鉄道の線路の目の前に設けられた広場で
通過する電車を間近で見ることができます。
つばさ54
そして南広場の東側奥へは屋根のついた通路が広場沿いに延びており、
つきあたりには「田原町ミューズ」という多目的待合所があります。
つばさ57
田原町の駅周辺整備で駅前広場などと一緒に2018年(平成30年)1月に作られたもので
「音楽が溢れる街」を目指して作られたホールスペースとなっています。
つばさ56
中はご覧の通りの多目的スペースとなっており、
通常時は田原町駅の待合室として利用ができ、
イベントの開催などもできるスペースとなっています。

つばさ58
駅舎へと戻ってこちらは福井鉄道側の駅入口です。
つばさ59
券売窓口の向かい側にはガラス張りの待合室があります。
木製ベンチが両側にあり空調も効いており
電車の到着が部屋から良く見える待合室となっています。
つばさ60
駅前の道路側から見た待合室と、券売窓口とは反対側の待合室出入口。
つばさ61
窓口前の通路を通り抜けると目の前はすぐに構内踏切があり、
左の目の前が1番線ホームへと入るスロープとなっています。
福井鉄道の田原町駅は2016年(平成28年)3月より駅員のいる有人駅となっており
列車到着時には駅員が1番線ホーム入口で改札を行っています。
つばさ62
駅は列車別改札となっており、電車の発車時刻の5分前までは
ご覧の通りバーが下ろされていてホームへの立ち入りができなくなっています。
つばさ63
こちらが田原町駅の1番線ホームです。
福井鉄道の専用ホームとなっており、低床式ホームとなっています。
軌道線である福武線の終点であり、奥のホーム西側に車止めが設けられています。
つばさ64
西側奥の様子です。車止めまではご覧の長さがあり、
1編成を留置する事が可能で夜間滞泊も設定されています。
つばさ65
ホームは単式ホームであり、終点駅なので列車は折り返し運転で
越前武生方面行きのみとなっています。
つばさ66
1番線ホームには駅名標は置かれていません
番線表示に越前武生方面行きであることが書かれているのみとなっています。
つばさ67
駅舎を出て駅前の市道へと戻って東の鷲塚針原方へ。
つばさ68
少し進むと左手にあるのがこちらの福井田原町郵便局です。
つばさ69
郵便局の先はつきあたりとなっており、
線路側には踏切があるのが見えます。
つばさ70
こちらが田原町駅の西側に位置する
えちぜん鉄道三国芦原線の田原町踏切です。
つばさ71
踏切を渡った北側は田原町商店街で、福井大学や藤島高校(旧制福井中学)など
周辺には福井を代表する学校が集まっている地域でもあります。
つばさ72
田原町踏切から駅舎までの線路沿いは駅前整備で整備されており、
インターロッキングで舗装され駐輪場なども設けられています。


つばさ74
この田原町駅の改修された駅舎についてはえちぜん鉄道駅舎、福井鉄道駅舎ともに
福井市の設計事務所であるヒャッカが設計を手がけています。
つばさ75
また田原町駅の改修後の駅のサイン(案内図や表示)のデザインについては
福井市のデザイン事務所のGOOD MORNINGが行っており、
吹き出し形の「おしゃべりなサイン」としてにぎわいや楽しさをイメージしています。
この事務所はえちぜん鉄道の相互乗り入れ車両「ki-bo」についても
名称やロゴデザインなどを行っている会社です。



■モデル車両: えちぜん鉄道 L形電車「ki-bo」
つばさ73


えちぜん鉄道L形電車はえちぜん鉄道と福井鉄道の
相互直通運転の為にえちぜん鉄道に導入された
低床2車体連接の路面電車車両です。
車両には「ki-bo」(キーボ)という愛称がつけられています。

「フェニックス田原町ライン」としてえちぜん鉄道三国芦原線の鷲塚針原駅と
福井鉄道福武線の越前武生駅間を走る直通運転は
2016年(平成28年)3月27日より開始
されていますが、
「ki-bo」の営業運転もおなじ3月27日より開始されています。
つばさ76
「ki-bo」をモチーフとしている駅メモのでんこの
田原町つばさの誕生日が3月27日に設定されていますが
これは「ki-bo」の営業運転開始日が元ネタと考えて良いでしょう。

車両はドイツのアドトランツ社が製造した通称「ブレーメン形」と呼ばれる車両
後継車種の「インチェントロ」が元となっています。
このドイツの路面電車車両を日本の新潟トラシスがライセンス生産。
日本向けにカスタマイズして供給しているもので、
現在の日本で新型路面電車といえばこの形式とも言える車両です。
つばさ77
こちらが日本各地で導入されている「ブレーメン形」の低床車両です。
「ki-bo」と並べてみると非常に良く似た外観で同系列の車両であることが分かります。

実際に「ki-bo」と同じフェニックス田原町ラインを走る福井鉄道の「FUKURAM」は
3年先の2013年(平成25年)に導入されていますが、
運行や保守の観点からえちぜん鉄道も導入にあたって
先行の福井鉄道と車両を共通化
しているという経緯もあります。
つばさ80
車両は正式には「L形」と名づけられていますが、
「L」は「LRV(Light rail vehicle・ライトレール車両)」のLだと思われます。
予算の半分は環境省の二酸化炭素排出抑制対策事業費等補助金を利用しており、
残りを福井県が負担して6億円の予算で2編成が導入されています。

福井鉄道の「FUKURAM」が3連接車両であるのに対して
「ki-bo」はご覧の通り2連接車両であり、乗車定員もFUKURAMより少なくなっています。
つばさ78
「ki-bo」モチーフの田原町つばさの登場に際しては、
まとめ髪の元であろう車体の「角」と称される突起が話題となりました。
この突起はバックミラーの代用として取り付けられたCCDカメラであり、
運転士が左右後方の死角を確認する為のものです。

そして「ブレーメン形」の日本各地の車両を見ると
どの車両にも同じ角が装備されているのが分かります。
つまり実はこの「角」は「ki-bo」独自のものでは無いということです。
つばさ79
「ki-bo」のネーミングやロゴデザインなどは田原町駅のサインのデザインも行った
福井市のデザイン事務所GOOD MORNINGが手がけています。

「黄色」+「坊、相棒、ロボ」→「ki-bo」(キーボ)というネーミングで
希望の意味も込められています。
相互乗り入れ運転で福井鉄道側のFUKURAM(フクラム)と合わせると
「希望、ふくらむ。」となる
仕掛けなのだそうです。


こちらは「Ki-bo」が田原町駅2番線ホームへと入線する様子です。
以下で車両の細部について見てみたいと思います。
つばさ81
越前武生方に連接されているこちらが「ki-bo」のA車です。
こちらの車両には屋根の上にシングルアームのパンタグラフが搭載されています。
つばさ82
「ki-bo」モチーフの田原町つばさの背中のパンタグラフと
実車のパンタグラフを並べてみると同じものであることが分かります。
つばさ89
A車の越前武生方の車端部の運転台。
ワンマン運転なので運転台の後ろが降車デッキとなっています。
つばさ93
車内の様子です。中央部は2席+2席のボックスシートとなっており、
東側に2組、西側に1組半の計14席が設けられています。
つばさ90
連接部に近い鷲塚針原方には西側に乗車扉があり、
扉の正面の東側には優先座席となる2人掛けロングシートがあります。
つばさ91
ボックスシートの様子。通路と座席部には小さいながら段差があり、
段鼻に黄色いステップが取り付けられて注意を喚起していました。
つばさ94
座席モケットは福井が拠点の繊維会社セーレンのものが使用されており、
製品名の「viscotecs」のタグがつけられています。
つばさ92
切り返して鷲塚針原方から見た車内客室の光景。
つばさ95
A車とB車の連接部の様子です。
連接部の床はA車側かフラット、B車側が円形の形でつながっています。

つばさ83
鷲塚針原方に連接されるこちらがB車です。
台車はA車、B車ともに各車1台づつとなっており、
左右の車輪が車軸の無い独立した台車を使用しています。
つばさ84
こちらは鷲塚針原方の先頭部の運転台です。
つばさ86
運転台後方の料金箱。料金箱の前付近は車椅子やベビーカーの優先スペースで
床にご覧の優先を示すサインが表示されています。
つばさ87
車端部運転台後方の乗降デッキ付近。低床車両として乗降口が低くなっている為、
座席のある通路部とデッキには6cmの段差があってスロープ状となっているので
床にはスロープ注意を示すサインが描かれていました。
つばさ85
B車の車内の様子です。基本的に千鳥配置で反転しているだけで
座席や設備などの配置はA車と同様となっています。
つばさ88
反転して越前武生方から見た車内。
つばさ96
乗車扉の床も入口と通路に段差があってスロープになっているので
足元に注意喚起のサイン表示が描かれています。


【写真撮影:2021年3月】

でんこの元ネタ
■No.100 恋山形ちづ(Koiyamagata Chizu)
 ■タイプ:サポーター
 ■誕生日:12月3日

■出身駅: 智頭急行 智頭線 恋山形駅(鳥取)
ちづ03



ちづ21
こちらは国道373号線(智頭街道)の大内集落付近の光景です。
江戸時代にはこの道は鳥取藩が参勤交代の為に
姫路へと抜ける智頭往来として利用をしていました。
ちづ22
国道脇に設置された智頭町営コミュニティバスの大内停留場。
ちづ23
そのバス停の先には横断歩道があり、
駅のあることを示す道路標識が設置されています。
ちづ24
この国道の西側を併走して流れているのは千代(せんだい)川という河川ですが、
駅への標識はこの川に架かる大内橋の方向を示しています。
ちづ25
反対の北側から大内橋方向を望んだ国道373号線の光景。
ちづ26
北側からも駅を示す標識が橋方向を示しているのが見えます。
ちづ27
大内橋から見た国道373号線(智頭街道)。
ちづ28
橋を渡って千代川の西岸へと進むとすぐに、
駅への入口となる交差点があります。
ちづ29
交差点の角にはご覧のハート形の駅案内板があり
ここが駅への入口であることを示しています。
ちづ31
交差点の南西角にある大内コミュニティセンター。
ちづ30
その先の南側の川沿いには大内の集落があり民家が並んでいます。
ちづ32
反対の交差点北側は川沿いの田んぼが広がっています。

ちづ33
そしてこちらが駅への道となる交差点から西の坂道ですが、
坂の入口脇には「林道小又線起点」と書かれた木杭があります。
ちづ34
駅への坂の左手斜面には大内集落の墓地がありますが、
道に設置された街頭は駅のイメージカラーのピンクに塗られています。
ちづ35
坂の途中から見下ろした国道や川のの方面の光景。
ちづ36
駅への坂を進むと左手へとカーブを描き
智頭急行の高架線が見えてきます。
ちづ06
ふもとの交差点からはおよそ120mほどで
智頭急行の小股高架橋を道がくぐっています。
この高架橋は駅構内扱いとなっているのですが、
ガード下にはご覧の恋山形駅の駅名標が掲げられています。
ちづ37
駅前側となるガードの南側の光景です。
十字路となっており東側が駅への入口となっています。
ちづ38
こちらが恋山形駅への入口となる道です。
切り通しとなっている道の中央部はピンク色に塗られて
「恋ロード」とペイントされています。
ちづ39
この恋ロードは2017年(平成29年)4月にペイントされたのもで、
塗られた当時はご覧の通り綺麗にピンク色でした。
ちづ40
駅へと通じる取付道路。60mほどで駅前の広場となります。
ちづ41
こちらが駅前の広場の様子です。
行き止まりの袋小路ですが駅のホーム前は若干広くなっており
車が展開する程度であれば可能な広さです。
ちづ42
広場に面した恋山形駅の駅の外観です。
1994年(平成6年)12月3日に智頭急行の開業と同時に開設されました。
智頭町に1935年(昭和10年)に編入合併された旧山形村の村域にあることから
計画段階では「因幡山形駅」の仮称でした。
ちづ43
しかし駅開業にあたっては地元の要望があり、
「来い山形」という願いを込めて恋山形という駅名となりました。
開業当初は普通の無人駅でしたが、2013年(平成25年)6月に
「恋駅プロジェクト」の一環として駅がピンク色に塗られました

その為、恋をモチーフとした駅の各所には様々な仕掛けが施されています。
ちづ49
駅広場の入口付近には地面のペイントが十字になっている箇所があります。
こちらは駅の待合室の壁を利用したカップルの撮影スポットが作られています。
ビッグハートの前の小さなハートの上に二人で立ち、
反対側のカメラ台にタイマーをセットしたカメラを置くと
二人の間に大きなハートの浮かぶ絵が撮れるという仕掛けです。
ちづ50
駅前広場の南側は擁壁となっていますが、
その擁壁にご覧の大きなハートマークが描かれています。
このハートは電飾となっており夜間にはイルミネーションとして光ります。
ちづ52
そして広場の東の奥にはご覧の待合室が設置されています。
「恋の待合室」と題されたこの建物は2018年(平成30年)6月に
恋山形駅がピンク色の駅となって5周年を記念して設けられました。
ちづ53
中はご覧の通りでハート形のテーブルが置かれ
智頭急行の鉄道むすめが描かれた自販機も置かれています。
ちづ54
待合室の自販機は飲料の他に恋山形駅の絵馬やキーホルダーなども売られいます。
ちづ51
こちらは駅ホームへの入口の脇に設置されている「恋のポスト」です。
2016年(平成28年)に設置されたものですが、
このポストは郵便局のものでは無く智頭急行の私設ポストとなります。
ちづ55
「恋のポスト」に投函された郵便は智頭急行で回収され、
駅最寄の山形郵便局でハート形の風景員が押されて配達されます。

ちづ56
恋山形駅の駅入口です。
駅舎が無くホームのみの駅なのでこちらの階段が駅構内への入口となります。
入口を入ると目の前には1番ホームの端があり、その先には
反対側のホームへの構内踏切があります。
ちづ57
こちらは駅入口のすぐ脇にある1番線ホームへの入口の階段。
ちづ17
ホームへと上がると目の前にはご覧の「恋」と書かれた
ハート形のモニュメントの置かれた建屋があります。
モニュメントのまわりには奉納されたハート形の絵馬が。
ちづ58
そしてモニュメントの上を見ると「恋がかなう鐘」が下がっていました。
ちづ59
こちらが1番線ホームの様子です。駅は相対式ホーム2面2線となっており、
南側のこちらは上下副本線で、列車交換時の普通列車退避に使われます。
普通列車同士の交換の際には1番線には智頭方面行き下り列車が入線します。
ちづ60
ホーム上の構造物は建屋からベンチやくずカゴ、番線表示や駅名標まで
ことごとくがピンク色に塗られてハートの形をしています。
ちづ61
駅の西側の智頭方は線路が高架線となっています。
ローカル無人駅ながら施設は鉄建公団が作っただけに
ホームなどの設備も鉄骨とコンクリートで作られています。
ちづ62
ちづ63
こちらが駅構内のホームを連絡している構内踏切です。
鉄建公団による高規格線として作られた智頭急行には踏切は2つしかなく、
この踏切はそのうちの一つです。
ちづ64
踏切を渡って駅の北側の2番線ホームへの入口。
ちづ65
こちらが2番線ホームの様子です。
上下主本線となり基本的に恋山形駅へ停車する列車はこちらに停まります。
また駅を通過する特急列車はこちらの2番線を通り抜けていきます。
ちづ66
ホーム西側の智頭方の光景。一線スルー方式となっているのが見えます。
普通列車同士の交換の場合は2番線には上郡方面行きの上り列車が入線します。
ちづ67
西側から東の上郡方を望んだ光景です。
駅が切り通しの中にあるのがよく分かります。
ちづ68
ピンクの建屋にはハートマークと智頭急行の鉄道むすめが描かれています。

ちづ69
駅前の広場へと戻り、坂を下って駅入口の町道まで戻ります。
ちづ70
入口の向かい側にはご覧のピンク色の立て看板が。
自販機が100m先にある事が示されています。
ちづ71
看板に従い駅入口の正面の道を智頭急行の高架に沿って西へと進みます。
ちづ72
坂を下って100mほどで道はカーブを描き北へと曲がって
高架線の下をくぐって国道方向へと向かいます。
ちづ73
カーブの角の高架下は木材業者のヤードとなっており
道路に面してご覧の自販機が置かれています。
ここは2018年(平成30年)に駅前の待合室に自販機が置かれるまでは
恋山形駅周辺で唯一の飲み物が買える場所でした。
ちづ74
自販機のある高架下から国道373号線まではおよそ150mほどです。
ちづ75
高架の柱には恋山形駅があることを示すピンクの案内板が掲げられていますが
その下にご覧の通り自販機が設置されています。
ちづ76
恋山形駅の入口となる大内橋から、自販機の高架下へと通じる
ピンク色の小又橋までは国道373号線を西へおよそ230mほどの距離にあります。
ちづ77
小又橋から国道373号線(智頭街道)をさらに西へと進むと
民家の並ぶ集落が見えてきます。
ちづ78
恋山形駅入口の大内橋からおよそ900m、自販機の小又橋からは700mほど西に
こちらの郷原交差点のY字路があります。
ちづ79
郷原集落のある国道373号線の郷原交差点付近の光景です。
恋山形駅から一番近い店舗のある集落となります。
ちづ80
その郷原交差点の北西角近くにあるのがこちらの山形郵便局です。
智頭杉で作られたこちらの郵便局が
恋山形駅のピンクのポストの風景印を押す郵便局です。

ちづ81
駅前の自販機の立看板まで戻ると、看板の脇には
「後醍醐天皇の事跡を伝える 古刹西行寺」と書かれた木標があるのが見えます。
ちづ82
その木標のある駅前の十字路を南へと進み坂を上ります。
ちづ83
国道から駅への入口の大内橋の南詰には「林道小又線」と
書かれた木標がありましたがこの坂がその林道となります。
ちづ84
本格的に林道に入る直前の脇には西光寺へと入る脇道があって
ご覧の通り寺の境内や庫裏があります。
ちづ85
寺は高台にあり、南側からは駅を見下ろすことができます。



■モデル車両: 智頭急行 HOT3500形気動車
ちづ01


ちづ86
智頭急行HOT3500気動車は第三セクター線の智頭急行が開業した
1994年(平成6年)12月3日に線内の普通列車用に投入された車両
です。

このHOT3500をモチーフとしている駅メモのでんこの
恋山形ちづの誕生日が12月3日に設定されていますが、
これは智頭急行の開業日およびHOT3500の営業運転開始日が元ネタと考えられます。
ちづ87
車両の形式称号のHOTは智頭急行の沿線である
兵庫県(H)、岡山県(O)、鳥取県(T)が由来であり、
形式の3500は機関出力が約350馬力(実際は355馬力)であることに因んでいます。
ちづ88
HOT3500形の車体のカラーリングは白を基調としており、
海をイメージした青(    と紅葉をイメージした赤(    が使われています。
これはご覧の通り「スーパーはくと」ことHOT7000系と同じカラーリングであり
いわば「智頭急行色」とも呼べる配色となっています。



こちらはHOT3500形が大原駅へと入線する動画です。
以下では車両について詳細を見てみたいと思います。
ちづ89
HOT3500形の外観です。智頭急行の開業時に10両が作られた列車で、
特急列車の130 km/h運転に支障をきたさない様にスーパーはくとの車両と同じ
コマツ製SA6D125H-1という高出力エンジンを1基搭載しています。
ちづ90
車両の前面部のガラスは角が柱ではなくカーブガラスとなっている
いわゆる「パノラミックウィンドウ」と呼ばれる形状をしており
運転士の視界を確保したデザインとなっています。
ちづ91
こちらは車内へと入って上郡方の車端部の様子です。
ワンマン運転を行っているので運転台脇に料金箱が設置されています。
ちづ92
上郡方には乗降扉前にトイレが設置されており、
車椅子設置スペースと優先座席のロングシートがあります。
智頭駅から北はJR西日本の因美線へと乗り入れて鳥取駅まで運行している為、
優先座席のモケットもJR西日本仕様のものが設置されています。
ちづ93
車両の中央部はボックスシートとなっています。
転換式では無く固定式で、2席+2席が片側4組づつの合計32席分となります。
ちづ94
智頭方の車端部は片側のみロングシートとなっています。
反対側にはディーゼルの排気塔がある為カウンター状となっており
短いロングシートが置かれています。
ちづ96
こちらが排気塔のあるカウンターと隣の短いロングシートです。
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智頭方から見た車内客室の様子。


ちづ97
余談ですが、HOT3500形が走る智頭急行はカナで「ちずきゅうこう」と表記し、
智頭駅も「ちず」と駅名標に表記がされています。
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しかし智頭急行の走る智頭町は「ちづ」と表記をしており
駅名と地名で読み仮名が異なる形となっています。

駅メモのでんこの恋山形ちづの名前が「ちづ」となっているのは
上記を鑑みるに地名の智頭町の「ちづ」が元ネタとなっていると考えるのが妥当でしょう。


【写真撮影:2021年2月】

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