三岐鉄道北勢線a14
つづいては三岐鉄道北勢線についてです。

北勢線は1913年(大正2年)に北勢鉄道として開業した路線で、
当時日本全国で生まれた軽便鉄道の路線です。

軌間762mmといういわゆるナローゲージの路線で、
三重交通、三重電気鉄道を経て1965年(昭和40年)に近鉄の路線となり、
およそ40年にわたって近鉄の路線として営業を行ってきました。

しかし近鉄が事業改善の為に不採算路線の廃止を進めるようになり、
北勢線も廃止を表明。これを受けた地元住民や自治体が三岐鉄道へ運行を依頼。
これを受けて路線は地元自治体の支援を条件に10年間の約束で、
2003年(平成15年)に三岐鉄道北勢線となります。

近鉄が不採算で投げ出した路線でしたが、
地元自治体が経営改善へと積極的に協力。
駅の統廃合にあたって用地取得や駅周辺整備を積極的に行い、
協力姿勢を見せて乗客数の向上へとつなげます。
結果、10年を過ぎた現在でも三岐鉄道は北勢線の運行を継続し現在へと至っています。


かつて隆盛をほこった軽便鉄道もほとんどが廃止となっており、
現在日本で運行しているナローゲージ路線は4路線のみとなっています。


三岐鉄道北勢線01
こちらは近鉄とJRが同居する桑名駅の東口駅前の光景です。
2017年 (平成29年) 8月より桑名市による駅周辺の再開発事業が行われており、
駅東口の階段を降りた目の前には乗用車とタクシーの駅前ロータリーがあります。
その前には新設される駅の自由通路の工事の為の仮囲いが設けられてていて
仮囲いに沿った南への歩道には西桑名駅への案内表示がされています。
三岐鉄道北勢線02
一般者のロータリーから、駅前交番を挟んでさらに南側にはバスロータリーがあり、
そのバスロータリーの西側に三岐鉄道の起点となる駅があります。
三岐鉄道北勢線03
こちらが西桑名駅の駅舎の外観となります。
駅は1914年(大正3年)に北勢鉄道の駅として作られ、
当初の駅名は大山田駅でした。
1931年(昭和6年)に西桑名駅に改名され、三重交通、近鉄を経て
事業譲渡により2003年(平成15年)より三岐鉄道の駅となっています。
三岐鉄道北勢線05
現在の駅舎は1977年(昭和52年)の桑名駅前再開発によって
バスロータリーの位置から若干南西の現在位置へと移転しています。
駅の入口はロータリーの歩道から数段高くなっており、
バリアフリーの施設は設けられていません。
三岐鉄道北勢線04
駅舎の壁に掲げられた北勢線の看板です。
三岐鉄道北勢線06
入口付近の駅舎の中の様子です。
北側の桑名駅寄りと東のバスロータリー側の二ヶ所の入口があります。
三岐鉄道北勢線07
改札前の様子です。
券売窓口の前に自動改札機が4台設置されています。
三岐鉄道北勢線08
ホーム側から見た駅舎内の様子です。
三岐鉄道北勢線11
そしてこちらがホーム側の改札前の光景となります。
三岐鉄道北勢線09
駅のホームの様子です。
単式ホーム1面1線となっており、
到着した列車はこの駅で折り返し運転をする事となります。
三岐鉄道北勢線10
近鉄とJRの「東」側にあるのに「西」桑名駅であるのは
設置当時の駅名だった大山田村が町制施行で西桑名町となったからです。
三岐鉄道北勢線13
1977年(昭和52年)の駅舎移転前には車庫が置かれた駅だったそうですが、
現在では線路の終端に車止めの置かれた折り返し駅となっています。
三岐鉄道北勢線14
ホーム中ほどの改札のすぐ北側には
ご覧のホーム待合室があります。
三岐鉄道北勢線15
中には木製のベンチが設置されており、
ホーム反対側の窓からは改札外の駅の入口が見えます。


三岐鉄道北勢線17
駅から100mほど南へと下るとこちらの踏切があります。
三岐鉄道北勢線16
JRや近鉄の線路と併走してナローゲージの北勢線の線路が敷かれています。
三岐鉄道北勢線18
そしてこちらが西桑名駅の南方600mほどにある関西線跨線橋です。
1913年(大正2年)に作られたというこの橋は
供用されて既に100年以上が経過しているといういわば歴史遺産です。


三岐鉄道北勢線19
JR関西線を渡る跨線橋を過ぎて300mほど住宅地の中の進むと
次の駅が見えてきます。
駅自体は住宅地の真っ只中にありますが、
南に150mほどを国道421号線が走っています。
三岐鉄道北勢線20
駅の真東にあるこちらの踏切は市道の踏切ですが
相対式ホームである駅の構内に連絡路が無い為、
実質的にホーム同士を連絡する通路を兼ねています。
三岐鉄道北勢線21
南側のホームにあるこちらが馬道駅の駅舎となります。
駅は1914年(大正3年)に北勢鉄道として開業したもので、
駅舎も開業当時のものが現役で使われていますが
2005年(平成17年)にリニューアル工事が行われて改装されています。
三岐鉄道北勢線22
駅舎を裏手から見た様子です。
ホームに沿って用水路が流れており、駅舎はその上に建てられています。
三岐鉄道北勢線23
駅舎の中の様子です。
三岐鉄道の駅は東員駅からの遠隔監視となっており、
馬道駅も無人で自動改札機とカメラによる管理となっています。
三岐鉄道北勢線24
こちらが駅舎のある南側のホームの様子です。
下り線の阿下喜方面行きホームとなります。
三岐鉄道北勢線25
待合室の様子です。
下りホームの中ほどにあります。
三岐鉄道北勢線26
木造の上屋が設けられており、 木枠の窓に年代が感じられます。
三岐鉄道北勢線27
そしてこちらは踏切脇の北側にある上りホームの入口です。
三岐鉄道北勢線28
駅の北側にある上り西桑名方面行きのホームです。
三岐鉄道北勢線30
こちらのホームには改札は無く、入口のあるホーム東端には
乗車駅証明書発行機とインターホンが設置されています。
三岐鉄道北勢線29
上りホームには駅舎が無いので
上屋のみが設置されています。

三岐鉄道北勢線31
こちらは駅の西側の踏切です。
踏切を渡ると石段の階段があります。
三岐鉄道北勢線32
石段を登った上には走井山(はしりいざん)公園という
戦国時代の矢田城の城跡に作られた公園があります。
三岐鉄道北勢線33
城跡に桑名藩主松平(久松)定重が作ったという勧学寺。
桑名市内で一番古い寺だそうです。
三岐鉄道北勢線34
そして勧学寺の手前を西へと石段を登ると
桜の植えられた城跡の公園があります。
三岐鉄道北勢線35
公園の説明板です。
三岐鉄道北勢線36
一方こちらは城跡の公園への石段の途中にある「村正屋敷」跡を示す案内看板です。
そのあまりの切れ味からマンガや物語などで「妖刀村正」としてしばしば登場するほどの、
まさしく「名刀」を作る伊勢国の刀鍛冶の名工の名跡が「村正」となります。
その村正の住んでいた屋敷の場所が
この走井山であったことが書物に残っているそうです。
三岐鉄道北勢線37
案内板によると馬道駅の北隣にあるマンションの場所が
かつての村正屋敷の跡地
なのだそうです。



三岐鉄道北勢線38
こちらは馬道駅から西へ0.9kmの地点にある
三岐鉄道の踏切付近です。
三岐鉄道北勢線45
踏切から100mほどの場所には国道258号線が走っており、
国道の下をくぐって列車は次の駅へと至ります。
三岐鉄道北勢線39
住宅地の中にある次の駅の様子です。
三岐鉄道北勢線40
西別所駅の駅舎の外観です。
1914年(大正3年)に北勢鉄道の駅として開業したもので、
駅舎は2004年(平成16年)に改築されたものです。
三岐鉄道北勢線41
こじんまりとした駅舎の中にはベンチと自動券売機があります。
改築された時には既に無人駅でしたが、
自動改札の前には有人用の窓口も作られていました。
三岐鉄道北勢線44
ホーム側から見た改札前付近です。
駅舎の屋根が待合スペースを兼ねておりベンチが置かれ、
改札脇には自動精算機があります。
三岐鉄道北勢線42
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線駅となっています。
三岐鉄道北勢線43
かつてはこの駅からの折り返し列車の為に信号があったそうですが
2005年(平成17年)には信号は撤去されています。
三岐鉄道北勢線46
駅舎から駅前の道へと出ると、
南側には鋳物の鉄工所の建物と敷地が広がっています。
この鉄工所は、1677年(寛文7年)に春日神社の青銅の鳥居を鋳造した
辻内氏の子孫にあたり、桑名における機械鋳物生産の先駆けなのだそうです。
三岐鉄道北勢線47
道路を横断している鉄工所の軒をくぐってさらに南へと進むと
駅前商店ともいうべき店があります。
この店のすぐ裏手には県道63号星川西別所線が走っています。



三岐鉄道北勢線48
こちらは西別所駅からは県道63号星川西別所線を1.2kmほど西に進んだ
蓮花寺交差点付近の光景です。
三岐鉄道北勢線49
歩道橋のある交差点を北へと入ると、
すぐに県道と併走する市道があります。
その市道を西に120mほど進むと
桑名市在良地区市民センターの敷地前となります。
三岐鉄道北勢線50
市道に隣接する市民センターの敷地です。
中には広い駐車場が広がっています。
三岐鉄道北勢線51
その敷地の北東にある市民センターの建物。
三岐鉄道北勢線52
市民センターから敷地の西側を見ると
駐車場の北側に三岐鉄道の駅があるのが見えます。
三岐鉄道北勢線53
こちらが蓮花寺駅の駅舎の外観です。
1914年(大正3年)の北勢鉄道開業時に設置された駅ですが、
元々は現在より130mほど東の在良小学校の体育館の北側付近にありました。
2008年(平成20年)に三岐鉄道が利便性の観点から
現在の市民センター敷地へと駅を移転。
駅前にコミュニティバスも停まれるようになりました。
三岐鉄道北勢線54
駅南側の市道から見た、市民センターと駅舎です。
三岐鉄道北勢線55
駅舎の西側方面にも駐車場の敷地がひろがっており、
ホームに沿って駐輪場も設けられていました。
三岐鉄道北勢線56
西側の市道へと通じる敷地の出入口。
すぐ北には蓮花寺駅の真西の踏切が見えます。
三岐鉄道北勢線57
駅舎に戻って改札付近の様子です。
東員駅からの遠隔管理の無人駅ですので自動改札のみで
窓口などは設置されていません。
三岐鉄道北勢線58
改札内に入るとホームへの通路がスロープ状となっています。
三岐鉄道北勢線59
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線駅です。
三岐鉄道北勢線60
現在の駅は作られて10年ほどと比較的新しく、
100年の歴史のある北勢線の中では近代的な印象の駅となっています。



三岐鉄道北勢線61
蓮花寺駅から県道63号星川西別所線を700mほど西進すると、
県道の上を東名阪高速道路の高架が跨いでいます。
三岐鉄道北勢線62
この高速道路の高架の側道に駅への案内板が立てられています。
三岐鉄道北勢線63
側道を100mほど北上すると三岐鉄道の線路につきあたります。
三岐鉄道北勢線64
そして左手を見ると高架の向こう側に駅が見えます。
三岐鉄道北勢線75
高架下にはご覧の小さなお社があり
公園が設置されていました。
三岐鉄道北勢線65
こちらが在良駅の駅の外観です。
駅の設置は北勢鉄道の開業した1914年(大正3年)ですが、
現在の駅舎は2006年(平成18年)に新築されたものです。
東名阪高速道路の高架が駅の真上を通っています。
三岐鉄道北勢線66
駅前の市道は住宅地の生活道路の様相で
北側には用水が流れています。
三岐鉄道北勢線67
駅舎の前には砂利敷きの広場があり、
屋根つきの駐輪場が設けられています。
三岐鉄道北勢線68
駅舎の入口へと戻ると建物に扉は無く、
代わりに入口前に風雨の吹き込みを防ぐガラス張りの暴風壁が立てられていました。
三岐鉄道北勢線69
中はさながら通路の一部といった様相で、
自動改札機が出場用と入場用それぞれ一基づつのみ設置されています。
三岐鉄道北勢線70
駅舎の東側改札内には連絡通路が延びており
構内踏切を渡ってホームへと入ります。
三岐鉄道北勢線72
こちらが駅の全景です。
島式ホーム1面2線となっており列車交換の可能な駅となっています。
三岐鉄道北勢線74
列車交換の様子です。
三岐鉄道北勢線71
そしてこちらがホームの様子です。
屋根の上屋とベンチが設置されているのみで、
南側が下り阿下喜方面、北側が上り西桑名方面行きとなっています。
三岐鉄道北勢線73
駅の東端の上を走る東名阪高速道路の高架が
さながら構内踏切の屋根の役割を果たしています。



三岐鉄道北勢線76
こちらは在良駅からは東に900mほど進んだ
県道63号星川西別所線の坂井橋交差点です。
名前の通り坂井橋が架かっており、
川はこの橋の上流が員弁川、下流が町屋川と名前と変えています。
三岐鉄道北勢線77
この坂井橋の北詰から50mほど北の、
三岐鉄道の踏切脇にかつて駅がありました。
三岐鉄道北勢線78
踏切の南東にかつて坂井橋駅(駅メモ未収録)という駅がありました。
2005年(平成17年)まで80年以上営業していた駅でしたが、
事業合理化によって500m西に駅が新設されたことから廃止となっています。


三岐鉄道北勢線79
旧・坂井橋駅跡からは西に300m、在良駅からは1.2kmほどの地点に
こちらの県道63号星川西別所線の跨線橋があります。
跨線橋を渡り終えると県道は国道421号線へと合流します。
三岐鉄道北勢線80
その跨線橋の北西、国道沿いのT字路角にこちらの
大型ショッピングセンターの敷地があります。
三岐鉄道北勢線81
こちらがショッピングセンターの敷地の入口です。
元々は大型スーパーのユニーが運営する「ピアゴ (PIAGO)」でしたが、
ユニー・ファミリーマートとドンキホーテの提携によって
「ダブルネーム業態転換店舗」が作られる事となりました。
三岐鉄道北勢線82
その転換第一弾の5店舗の一つに選ばれたことから、
2018年(平成30年)3月にピアゴが「MEGAドン・キホーテUNY星川店」となりました。
三岐鉄道北勢線83
敷地の駐車場は車は左回りとなっており、
いったん東縁を南に下って、書店の店舗前から駐車場へと入る仕組みとなっています。
三岐鉄道北勢線84
その書店の横、敷地の南東の角に三岐鉄道の駅が設けられています。
三岐鉄道北勢線85
こちらが星川駅の駅舎の外観となります。
駅の開業は2005年(平成17年)3月と比較的新しい駅で、
三岐鉄道存続にあたって地元自治体の考案した事業合理化の一環で設置されました。
形としては500m東に開業当時からあった坂井橋駅を引き継いだもので、
星川駅の開業と同日で坂井橋駅が廃止となっています。
ユニーの敷地に駅舎が建てられており、駅舎の土地はユニーからの借地だそうです。
三岐鉄道北勢線86
ひときわ目を引く駅舎の大きな星。
三岐鉄道北勢線87
こちらが駅舎の中の様子です。
入ってすぐに改札があり、左手に券売窓口と券売機があります。
三岐鉄道北勢線88
奥に設置されている待合室です。
三岐鉄道北勢線89
改札は自動改札機が設置されています。
平日日中は駅員が配置されていますが、
その他の時間は東員駅からの遠隔管理となっています。
三岐鉄道北勢線90
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線駅となっています。
三岐鉄道北勢線91
ホームから見える駅の南側は田畑や住宅が見えるローカルな光景で
駅舎前の商業施設のにぎやかさとは対照的です。
三岐鉄道北勢線92
南側から見た駅の全景。



三岐鉄道北勢線93
星川駅の次の駅は西に1.4kmほど進んだ場所にありますが、
線路は住宅地の中を進んで行き、近くに県道や国道は走っていません。
北側に500mほど離れたところを国道421号線が走っていますが、
国道から駅へと向かう道はご覧の通り完全に生活道路です。
三岐鉄道北勢線94
道を進むと三岐鉄道の踏切が見えてきますが、
自動車のすれ違いも難しい踏切の脇に駅が設置されています。
三岐鉄道北勢線95
駅の目の前の道路の様子です。
三岐鉄道北勢線96
こちらが七和駅の駅舎の外観となります。
1914年(大正3年)の路線開業時からの駅で、
現在の駅舎は2005年(平成17年)に改築されたものとなります。
三岐鉄道北勢線97
中に入ると自動改札のみで有人の窓口は設置されておらず、
待合用の長いすが置かれていました。
三岐鉄道北勢線98
ホーム側から見た駅舎です。
構内踏切でホームと駅舎は連絡していますが、
無人駅のため改札前の右手に自動精算機が置かれていました。
三岐鉄道北勢線99
ホームの様子です。
島式ホーム1面2線で南側が1番線の下り阿下喜方面行き、
北側が2番線上り西桑名方面行きとなっています。
三岐鉄道北勢線a01
ホーム中央部には上屋が設置されており、
屋根の下に壁と一体となるベンチが設けられています。



三岐鉄道北勢線a02
こちらは県道623号線四日市東員線の北端の終点近くの
三岐鉄道の踏切付近です。
七和駅からは西にちょうど1kmほどの場所となります。
三岐鉄道北勢線a03
切り替えして南側からみた県道623号線の踏み切り付近。
この踏切脇に次の駅があります。
三岐鉄道北勢線a04
こちらが穴太駅の駅舎となります。
駅自体は1914年(大正3年)の路線開業時に作られたものですが、
現在の駅舎と駅周辺の設備は2005年(平成17年)に大規模な駅改修によって作られたものです。
三岐鉄道北勢線a06
現在の駅のホームと駅舎は線路の南側にありますが、
開業から90年あまりの間は旧駅ホームは線路の北側に設置されていました。
今使われているホームの線路反対側の道路が
かつての駅ホームのあった場所だそうです。
三岐鉄道北勢線a05
駅舎前の広場です。
車が60台停められる広大な駐車場となっており、
歩道が駅の車寄せを兼ねています。
三岐鉄道北勢線a07
他の駅もそうですが、三岐鉄道の駅の改修には地元自治体が関わっており、
広場の夜灯にも鉄道の意匠が施されています。
三岐鉄道北勢線a08
駅舎の中の様子です。
この駅も遠隔監視による無人駅となっており
改札は自動改札となっています。
三岐鉄道北勢線a09
切符も自動券売機での販売となっていますが、
将来的に見越してなのか有人用の窓口も設置されていました。
三岐鉄道北勢線a12
ホーム側からみた改札付近の様子です。
三岐鉄道北勢線a10
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線となっています。
三岐鉄道北勢線a11
ホーム自体は比較的新しい為、PCコンクリート板を使った造りとなっています。
駅舎前付近には屋根があります。



三岐鉄道北勢線a13
こちらは三岐鉄道の西桑名駅━穴太駅間の
au 4G LTEでの電波エリアマップです。
ご覧の通り全線で電波県内となっていますので
路線上で駅へのアクセスに困る事はありません



西桑名駅から七和駅までが三岐鉄道では桑名市の市内区間となります。
穴太駅からは東員町となり、さらにその先はいなべ市を路線は走っています。
比較的民家や市街地の中を走ってきた桑名市内を抜けましたので、
この後は次第に線路は田んぼや山間部を走る事となります。

つづきはその2にて。
では。

でんこの元ネタ
■No.78 海部なる(Kaifu Naru)
 ■タイプ:アタッカー
 ■誕生日:3月26日

■出身駅: 阿佐海岸鉄道 阿佐東線 海部駅(徳島)
なる01

駅の開業は1973年(昭和48年)10月で、
当時の国鉄牟岐線の牟岐駅━海部駅間の延伸によって終着駅として開業しました。


元々は改正鉄道敷設法の別表第107号による
「高知県後免ヨリ安芸、徳島県日和佐ヲ経テ古庄附近ニ至ル鉄道」の一部という
鉄道敷設の計画があり、1942年(昭和17年)には国鉄牟岐線として牟岐駅までが開業しています。

そして牟岐駅から西の区間は阿佐線として1959年(昭和34年)に建設線に昇格。
1964年(昭和39年)3月に発足した日本鉄道建設公団(鉄建公団)が建設を進めることなります。

こうして1973年(昭和48年)に牟岐駅━海部駅間 (11.6km)が開業。
既にあった牟岐線に組み込まれて海部駅が牟岐線の終着駅となります。

翌年の1974年(昭和49年)には海部駅より西の区間の工事が阿佐東線として着工。
1980年(昭和55年)2月には海部駅から宍喰駅までの区間でレール敷設までが完了します。
しかし同年10月に国鉄再建法の施行によって阿佐東線の工事が凍結
甲浦駅までの区間がほぼ完成した状態で線路は宙に浮く事となりました。


そして8年後の1988年(昭和63年)に
徳島県などが阿佐東線の第三セクター会社での引き受けを決定。
阿佐海岸鉄道が設立されて工事が再開され、
1992年(平成4年)3月26日に海部駅━甲浦駅間が阿佐海岸鉄道阿佐東線として開業をしました。
これによって海部駅はJR牟岐線と阿佐海岸鉄道の接続駅となります。

ちなみに駅メモのでんこ「海部なる」の誕生日が3月26日に設定されていますが、
これは阿佐海岸鉄道の開業日が元ネタとなっていると思われます。

なる02
こちらが海部駅の外観となります。
高規格の鉄道路線建設をする鉄建公団の作った駅だけに
1973年(昭和48年)にできた当時は四国初の高架駅として誕生しました。
その為駅のホームも町道を跨いだ高架上に設けられています。
なる03
ホーム上から見た駅の南側の光景です。
駅から80mほどの場所を鉄道と併走するように国道55号線(土佐東街道)が走っています。
また駅から800mほど先は鞆奥漁港があり太平洋が広がっています。
なる04
高架駅ですので駅舎は高架と一体となったもので、
駅南側の広場から階段でホームへと上る造りとなっています。
なる05
階段下にはご覧の、高架下の建屋に入る入口のガラス扉があります。
なる06
中の様子です。
入ってすぐの手前のスペースはいわば駅のロビーだった場所で、
右手にはトイレが設置されています。
奥にあるガラス扉の中はかつての券売窓口のスペースで、
待合のベンチも設置されていました。
現在は地区の交流施設の一部となっており、
半ば倉庫となって備品が収納されていました。
なる07
階段下には阿佐海岸鉄道の開通記念碑があります。
揮毫は海部郡海陽町出身の国会議員、森下元晴・元厚相によるものです。
閉まっている階段前のシャッターは
1995年(平成7年)に作られたかつての海部町観光案内所で、
その後2015年(平成27年)に改装され「あまべの杜」という青少年交流施設となっています。
なる08
階段下には屋根が設けられており、
公衆電話ボックスと町営バスのバス停が置かれていました。
なる09
ホームへと上る階段を下から見上げた光景です。
鉄建公団が鉄道を建設した当時はバリアフリーの概念が無かった為、
高架駅にエレベーターもエスカレーターも無い例が全国で散見されますが
この駅も例に漏れず高架ホームへ昇る手段は階段のみとなっています。
なる10
こちらが1番線ホームです。
JR四国の牟岐線のホームとなっていて駅名標もJR四国仕様となっています。
開業当初は単式1面1線の駅だった為、こちらの1番線ホームのみの駅でした
阿佐海岸鉄道の開業時にホームが増設されて相対式2面2線となっています。
なる16
ホーム上の待合室の中の様子です。
建屋の壁はコンクリートブロックで作られておりベンチが置かれています。
なる12
海部駅は高架駅ですが、ご覧の様に駅には
ホーム同士を連絡する構内踏切があります。
1992年(平成4年)に阿佐海岸鉄道が開業した際に2番線ホームが増設されたのですが、
高架上に新たに連絡通路を作るには予算が厳しかった為
直接線線路を横断する安価な構内踏切が作られたと言われています。
なる11
2番線ホームです。
阿佐海岸鉄道のホームとなっており、
駅名標も阿佐海岸鉄道の仕様のものが設置されています。
なる14
ホーム上には待合の上屋があるのみで、
駅外へと出る階段などは設けられていません。
2番線への出入りはホーム北端から構内踏切を通じてのみとなります。

なる15
そしてこちらは海部駅のすぐ北側のJR牟岐線にある町内トンネルです。
全長44mで、全国で2番目に短い鉄道トンネルなのだそうですが、
1973年(昭和48年)に竣工した際には小山をくぐる普通のトンネルでした。
しかしトンネル周囲の宅地造成の為に小山が削られた結果、
3年後の1976年(昭和51年)にはすっかりと山の土が無くなってしまい
トンネルのコンクリートの構造物のみが残る形となった
のです。
以来「トンネルだけのトンネル」という珍しい光景
海部駅の名物の一つとなっています。



■モデル車両: 阿佐海岸鉄道 ASA-100形気動車
なる13

ASA-100形気動車は1992年(平成4年)3月に
阿佐海岸鉄道阿佐東線が開業した際に新規製造された車両となります。
開業時に阿佐海岸鉄道が保有していたのは
ASA-100形が1両とASA-200形が1両の計2両でしたので、
このASA-100形は1両しか存在しないということになります。

ASA-100形の運行開始日は1992年(平成4年)3月26日ですが、
これは上でも書いた通り阿佐海岸鉄道の路線自体の開業日でもあり、
すなわち駅メモのでんこ「海部なる」の誕生日と同日でもあります。

なる17
【上写真:土佐くろしお鉄道TKT-8000形気動車】
車両製造は新潟鐵工所で、
土佐くろしお鉄道TKT-8000形をベースに作られているので
基本的な構造はTKT-8000形とASA-100形は同一
となっています。

なる18
こちらがASA-100形の外観となります。
並べてみると土佐くろしお鉄道TKT-8000形とそっくりなのが分かると思います。
ディーゼルエンジンを搭載した気動車で車体はステンレス製となっています。
なる19
車体には室戸阿南海岸国定公園の美しい海岸線と
太平洋の打ち寄せる波と砂浜をイメージして赤、青、緑のカラーリングが施されており、
一両しか無いASA-100形には「しおかぜ」の愛称がつけられています。
なる20
車内の様子です。
セミクロスシート車両となっており、車両の両端部の座席はロングシート、
中央部の座席は転換クロスシートとなっています。
なる21
車端部の光景を見ると運転席は左側に置かれており、
全面の貫通扉があります。
乗降の折り戸が右側は最前部、左側は運転席の後ろに設けられています。
なる22
車両の南側の甲浦方には
ご覧のブラウン管のテレビモニターが設置されています。


なる23
また阿佐海岸鉄道では利用促進策に積極的で、
定期的に列車に装飾を施す列車を走らせるなど
「お金をかけずにできるアイデア」を実施しています。
こちらは私が訪れた2017年(平成29年)夏に実施していた「天の川列車」。
トンネルの多い阿佐東線の特性を生かし天井をLEDで埋め尽くしています。

なる24
そして阿佐海岸鉄道では2020年(令和2年)の営業運行開始を予定して
DMV(Dual Mode Vehicle、デュアル・モード・ビークル)の準備が進められています。

このDMV導入によって阿佐海岸鉄道の阿佐東線は全線がDMV専用路線に転換され、
JR四国と阿佐海岸鉄道の会社境界が海部駅から阿波海南駅へと変更、
阿佐東線とJR牟岐線のレールも分離される予定なのだそうです。

全線がDMV化される阿佐東線は鉄道用の信号機も撤去してスタフ閉塞に切り替えるそうで、
これによって従来の鉄道車両が走る事はできなくなります
どのような影響がこれによって生まれるのかというと、
でんこのモデルとなったASA-100形の車両があと1年で不要となる
ということになります。

不要となったASA-100形の車両は運が良ければ
他社への車両譲渡や静態保存などの道もありますが、
引き取り先が無ければ廃車解体への道をたどる事も十分に考えられます。
つまり、せっかくでんこのモデルとなった車両が
最悪あと1年で見られなくなる可能性がある
という事です。


ASA-100形と同じ1992年(平成4年)3月26日に導入されたASA-200形は
その導入日から「海部なる」のモチーフの一つの可能性がある車両なのですが、
2008年(平成20年)6月の車庫での脱線事故によって廃車解体となり
現在ではその姿を見ることはできません。

ですからASA-100形も営業運転をしている今見ておかないと
遠くない将来に見ることができなくなると思われます。
なので今のうちに一度は阿佐海岸鉄道を訪れてASA-100形に乗車される事をお勧めします。

【写真撮影:2017年8月】

でんこの元ネタ
■No.22 巽レン(Tatsumi Ren)
 ■タイプ:アタッカー
 ■誕生日:4月16日

■出身駅: 大阪市交通局(現・Osaka Metro) 千日前線 南巽駅(大阪府)
レン01

南巽駅のある千日前線は、元々は大阪市交通局時代の
1969年(昭和44年)4月16日に
5号線として野田阪神駅━桜川駅間が開業
したのが始まりです。
その後計画に沿って徐々に延伸していき、
1970年(昭和45年)の桜川駅━谷町九丁目駅間の開通によって
野田阪神駅━新深江駅間の10.1kmが千日前線となりました。

駅メモのでんこ「巽レン」の誕生日が4月16日に設定されているのは
5号線(千日前線)開業日が元
と見て間違い無いと思われます。

そして11年後の1981年(昭和56年)12月に新深江駅━南巽駅間の3.0kmが延伸開業。
これによって南巽駅も千日前線の終着駅として開業しました。

レン02
こちらは国道479号線の大阪内環状線の生野区巽中付近です。
1993年(平成5年)に国道へと昇格するまではこの道路は府道1号大阪内環状線でした。
レン03
その国道の東側、デイリーヤマザキ南巽駅前店と路地を挟んだ向かい隣に
こちらの南巽駅の1番出入口があります。
レン05
一方、1番出入口から国道を挟んだ反対の西側を見ると
こちらにも地上出入口があるのが分かります。
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こちらが地上2番出入口となります。
レン07
1番、2番の地上出入口から国道を南へ100mほど下ると
こちらの南巽駅前交差点があります。
レン08
その南巽駅前交差点の南西角にあるのが
こちらの地上3番出入口です。
南巽駅にある地上出入口は1~3番の3つで全てとなります。
レン15
こちらは地上出入口から地下へと下った改札前付近の光景です。
国道の真下を南北に通路が通っており、その途中に改札が設けられています。
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駅構内側から見た改札。
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改札内の通路です。
ホーム階へは更にここから階段で下ります。
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階段の途上から見たホームです。
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ホームの様子です。
島式ホーム1面2線となっています。
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ホームドアは2014年(平成26年)に設置されています。

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そして3番出口のある南巽駅前交差点からさらに南へ110mほど下ると
ご覧の横断歩道があり、東側には「巽神社参詣道」の看板が立っています。
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参詣道の道路を東へと進むとすぐに鳥居が見えてきます。
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こちらが巽神社です。
1907年(明治40年)に巽村の八幡神社を主体に村内5社を合祀し巽神社となっています。
主体の八幡神社は平安時代の和名類聚抄という辞書に「河内国渋川郡五邑の氏神」とあり
1000年以上の歴史がある社のようです。
レン12
境内の様子です。神社の名前の元となった
巽の地名は大阪城からみて辰巳(南東)の方角に位置するため
についたそうです。
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境内に置かれた神社の由緒を記した由緒記です。
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そしてこちらは巽神社の一の鳥居です。
国道から巽神社までは東に70mほどですが、
一の鳥居は国道の西側30mほどの場所にあります。
かつてはこの一の鳥居から神社の参道だったそうですが、
現在では参道が分断され国道が横切る形となっています。

レン21
こちらは府道159号平野守口線の巽小学校付近の光景です。
この道路は府道には指定されているものの、実質的には住宅地の生活道路です。
南巽駅からは北西に250mほどに位置します。
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こちらは道路の脇にある「田村亦三顕彰之碑」です。
巽村発足に際して名前を決めて役場を立ち上げた人物だそうです。
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その顕彰碑のある児童公園です。
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公園には史跡の由緒を案内する看板が立っていました。
この場所にかつての巽村の役場があったそうです。
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看板をアップで。


ところで2018年(平成30年)の11月1日から12月31日まで行われた
駅メモのイベント「でんこと全国各地の駅におでかけしよう」では
実質的にでんこの名前の由来駅がイベントチェックポイントとなっていました。

そして巽レンのチェックポイントは北巽駅か南巽駅のどちらかとなっていました
つまりこのでんこの名前由来駅は「北巽駅と南巽駅の両方」であると
事実上公式にアナウンスされたに等しい
ということになります。
レン29
こちらの地図は南巽駅のコンコースにある、駅周辺の史跡の案内図ですが、
北巽駅と南巽駅のそもそもの名前の由来である巽村の中心部は南巽駅周辺であり、
実際に巽神社や巽村役場跡なども南巽駅周辺にあります。

ですので個人的には「巽レンの実家駅は南巽駅」だと思うのですが、
オフィシャルが北巽駅と南巽駅を並列に扱っている以上は
両方の駅を由来駅として扱うべき
でしょう。


というわけで、以下では北巽駅についても紹介したいと思います。
この駅も1981年(昭和56年)12月の南深江駅━南巽駅間の延伸で設置された駅ですので
南巽駅と開業日時は同一となります。
レン26
こちらは国道479号線(内環状線)と府道173号大阪八尾線の交差する
北巽駅前交差点の信号です。
南巽駅からは北へ1.1kmほどの距離の場所にあたります。
この交差点が北巽駅の北端の真上にあたる場所であり、
それぞれの角には駅の地上出入口が設けられています。
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東側の角にある2番出入口です。
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南の角の3番出入口。
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そして西の角にある4番出入口となります。
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こちらは北巽駅前交差点の北側の角にある銀行の、
その隣にある大阪シティバス(旧・大阪市営バス)の北巽バスターミナルです。
バスと地下鉄は元々ともに大阪市交通局の事業でしたので、
バスターミナルの建物に地下鉄の北巽駅の1番出入口が併設されています。
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こちらがそのバスターミナル内の1番出入口です。
1~4番までの出入口は、同じ地下コンコースの北側へと通じています。

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一方でこちらは北巽駅前交差点から内環状線を南へ100mほど下った付近の光景です。
ちょうど駅のホームの南端の真上に位置するこちらに
駅の5番地上出入口が設置されています。
北巽駅の地上出入口は5箇所で、南側はこの5番出入口のみとなります。
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改札や券売機のある地下コンコースの様子です。
ちょうどホームの真上に概ね同じ長さで通路が設置されています。
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改札内の通路の様子です。
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ホームの様子です。
島式ホーム1面2線となっており、1番線が下りの南巽方面行き、
2番線が上りの野田阪神方面行きとなっています。
レン37
ホームは8両分の有効長があるものの
千日前線が4両編成で運行している為、
列車の停車しない部分には柵が設置されています。



■モデル車両: 大阪市交通局(現・Osaka Metro) 25系
レン04

大阪市営地下鉄では1984年(昭和59年)より通勤形電車として
アルミ合金製の20系を導入しました。

この20系をベースとして、車体をアルミ合金からステンレスへと変えて
1990年(平成2年)より開発導入されたのが新20系と呼ばれる車両群で、
21系(御堂筋線)、22系(谷町線)、23系(四つ橋線)、24系(中央線)、
そして25系(千日前線)の5種類の列車が運行しており、
Osaka Metroとなった現在の標準型車両となっています。


レン38
南巽方の先頭車両である1号車の2600形です。
千日前線では25600番台の列車番号が振り分けられています。
レン45
列車細別記号はTec1となり、空気圧縮機や補助電源装置などの補機を搭載している
制御車(運転台を持つ車両)です。
レン46
千日前線は第三軌条方式となっており、
電気はレール横の専用軌条から集電靴で取っていますので
屋根の上にパンタグラフは載っていません。
レン43
車両前面の左上と端部側面には新20系になって採用された、
ご覧のVVVFインバーター装置搭載を示すロゴがあります。
レン44
車内はご覧の様にロングシートとなっています。


レン39
南巽方の二両目である2号車の2100形です。
千日前線では25100番台となっています。
列車細分記号はMb1で、片方の台車に集電装置を装備する電動車となります。


レン40
こちらは野田阪神方の二両目である3号車の2300形です。
細分記号はMb2で、二両目と同じく片方の台車にのみ集電装置がある電動車です。
25系の2300形なので25300番台の数字が割り振られています。


レン41
そして野田阪神方の先頭車両である2900形です。
列車細分記号はTec2で、補機を搭載する制御車(運転台のある車両)です。
25900番台が各列車へと割り振られています。
レン42
他の車両でもそうですが元々新20系の車両の車体には
大阪市営地下鉄のマークである「マルコ」マークが描かれていました。
マルコマークは大阪市のO(オー)と高速鉄道のコを組み合わせて作られました。

しかし2018年(平成30年)に地下鉄が民営化されOsaka Metroとなり、
社章も立体的な螺旋状のM(メトロの頭文字)のマークとなったことから
マルコマークの上にOsaka Metroのマークのステッカーが貼られています

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