でんこの元ネタ
■No.120 新藤原ぼたん(Shinfujiwara Botan)
 ■タイプ:サポーター
 ■誕生日:11月15日

■出身駅: 野岩鉄道 会津鬼怒川線  新藤原駅(栃木)
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こちらは鬼怒川沿いを走る国道121号線の、
鬼怒川公園駅から北に600mほど進んだ付近の光景です。
箱根や熱海と並んで「東京の奥座敷」と呼ばれた鬼怒川温泉郷の北端にあたる場所で
国道脇にご覧の鬼怒川温泉の標柱が建っています。
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この付近は鬼怒川左岸(東側)に国道121号線と東武鬼怒川線が並走しており、
国道から眼下には鬼怒川の河原やキャンプ場などが眺められます。

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鬼怒川温泉の標柱から北に200mほど進むと東武鬼怒川線の第45号踏切があります。
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この45号踏切から西側へはご覧の「小原通り」と書かれた集落の道が分岐していますが、
こちらが会津西街道の旧道であり小原沢を渡河した街道は今市へと至っていました。
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会津西街道はこの踏切で現在の国道121号線へと合流し、
ここから北は国道が会津西街道のルートを進んでいます。
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街道跡である国道121号線を北へと進みます。
右側には東武鬼怒川線の線路が並んで並走しています。
河と国道、そして鉄道が並ぶ光景はこの付近が狭隘な渓谷であることを示しています。
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そしてこの街道の途中の線路脇にはご覧の石仏が集まった一角があります。
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この石仏群は日光市指定の有形民族文化財である「勝善碑ならびに馬頭観世音碑群」です。
これらの石仏は会津西街道の往来の荷物輸送が主な収入源だった藤原の人々が、
難所で亡くなった馬の供養の為に死んだ馬の捨て場であった鬼怒川の断崖近くに
一頭ごとに建てた供養碑なのだそうです。
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北に進みカーブを曲がると民家が見え始めます。
会津西街道の藤原宿のあった盆地の南端付近となります。
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スキーのレンタル店の前を過ぎると国道はまもなく駅付近へと差しかかります。
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ご覧のT字路が駅への入口となる交差点であり、
国道からは50m先の駅を見ることができます。
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切り返して国道を南へと振り返って駅前交差点側から見た光景。
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「鯉のあらい」の看板のある川の脇に
見落としそうな細い道が枝分かれしています。
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道を進むと線路の下をくぐるご覧の地下道があります。
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地下道を通り抜けると反対の駅東側へと出る事ができます。

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駅前のT字路へと戻って国道を北へと進むとすぐに藤原バス停があります。
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バス停の先を北へと進むとまもなく右手にゆるやかなカーブがあります。
駅前交差点から90mほどのこのカーブには横断歩道があり、その東側には
ご覧の「藤原デイサービスななほし」という施設があります。
このデイサービスのある場所がかつての会津西街道藤原宿の本陣跡となります。
代々藤原の名主を務めた星家があった場所が本陣だったのだそうです。
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その本陣跡の国道を挟んだ向かいにあるのがこちらの清隆寺の入口です。
かつて鎌倉時代の1265年(文永2年)に日蓮上人が一週間藤原宿本陣に滞在したことから
その時の藤原の名主の星家が開基檀方となって1288年(正応元年)に開かれた寺です。
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会津西街道である国道121号線の、かつての藤原宿のあった付近の光景。
現在でも比較的民家や店舗が並ぶ集落となっています。
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街道沿いの藤原の集落の光景。
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国道の西側には日光を開山した勝道上人が開いたとされる慈眼寺があり
いくつもの市指定文化財があります。この寺は日光中興の祖とされる天海大僧正(慈眼大師)も
会津西街道を往来する際に好んで立ち寄ったとされる由緒ある寺です。
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慈眼寺、十二神社の前を通過すると宿場街の北方で
国道と県道が分岐しているT字路があり青看板の標識があります。
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こちらが国道121号線から県道63号藤原宇都宮線が分岐している交差点です。
この交差点が県道63号線の起点となっています。
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県道との分岐の交差点からさらに北へ。
会津西街道の標識と国道121号と352号の併用区間であることを示す標識があります。
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坂を上って国道を進むとまもなく左へのカーブに。
駅前の交差点からはおよそ900mといった距離となります。
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このカーブ脇にはそば店の大黒庵とハイセーコー食堂があります。
ハイセーコー食堂の方は店主がハイセーコーで勝ったお金で作った店だからなのだとか。
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カーブからさらに北へと進むとすぐに龍王峡大橋の北詰め付近となり
龍王峡ライン(県道19号藤原塩原線、旧日塩有料道路)の高架を国道がくぐっています。
この高架をくぐると野岩鉄道の龍王峡駅まではおよそ600mほどとなります。

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切り返して国道121号線の坂を下り南の駅方向へと戻ります。
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T字路から県道63号藤原宇都宮線に入って東へ。
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道は塩屋町を経て宇都宮へと通じており主要地方道に指定されています。
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鬼怒川の支流の堰場川に流れ込む七久保沢の橋付近。
かつての藤原の集落はこの七久保沢付近にあったそうです。
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切り返して国道121号線の会津西街道へと戻ります。

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国道121号線の旧藤原宿の街中を駅方向へと南下。
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宿場の中心地であった付近の街道を下ります。
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旧本陣跡の前を通り抜けて駅前の交差点へ。
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T字路を東に入るとすぐに左手に道はカーブを描いており、
50mほど進んだところに駅舎への入口があります。
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こちらが新藤原駅の駅舎の外観です。
駅は1919年(大正8年)12月28日に下野軌道藤原駅として開業したもので
現在の場所には1922年(大正11年)に駅が移設されました。
1943年(昭和18年)に東武鉄道の駅となり、1986年(昭和61年)の野岩鉄道の開業で
駅管理も野岩鉄道へと移管されています。
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切り返して駅舎側から見た国道側への光景。
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駅前にあるポストと案内地図。地図には龍王峡の案内が書かれている様ですが
ご覧の通りすっかり退色してしまって読み取れなくなっていました。
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この看板のある駅舎の向かいの家は、現在の駅舎に改築された頃の写真を見ると
商店として営業していましたが現在では店は廃業している様で、
建物は変わらないものの普通の民家となっています。
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ポストと看板の向かい側の、駅舎の南側には1番線線路脇の駐車スペースがありますが
この場所が1986年(昭和61年)に現駅舎が建つ前の東武時代の木造駅舎があった場所です。
当時の写真を見ると駐車スペース付近が旧1番線ホーム跡であり
その前の現在道路となっている場所にかつての駅舎が建っていた様です。
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駅舎前に隣接する道路の様子です。
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西側に設けられた野岩鉄道の職員駐車場。
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道の突き当りはちょうど藤原宿本陣跡のデイサービス施設の建物の裏となります。
つまり新藤原駅は藤原宿本陣跡の真裏に作られているという事です。
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突き当りを反対の東側へと曲がるとすぐに踏切となります。
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この新藤原駅北側の踏切は野岩鉄道の新藤原踏切です。
かつて鉄建公団の野岩線として作られた野岩鉄道は高規格で線路が敷かれており、
駅構内の構内踏切を除くとこちらが野岩鉄道唯一の踏切となります。
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反対側から切り返して見た踏切。
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踏切の東側には線路と並走した道が南北に走っています。
まずは線路に沿って南側へ。
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ホームからも見える駅裏の交差点です。
駅南の地下道の出口もこちらの交差点へと通じています。
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南側には関係者以外立入禁止の看板の出た線路沿いの道があって
奥には野岩鉄道の本社の建物と車両基地があります。
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交差点脇の地下道への入口の通路。
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交差点の東側は細めの坂道となっていて、日光市の藤原運動場や
国道交通省日光砂防事務所藤原出張所などへと通じています。
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坂から見た新藤原駅の俯瞰。
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ホームに沿って北の踏切方向へと戻ります。
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踏切を過ぎてさらに線路沿いの道を北へ。
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駅から120m北にある、野岩鉄道に入って最初のトンネルである
藤原トンネルの入口が見えます。
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トンネルの入口上から見た新藤原駅方面の光景。

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切り返して駅方向の踏切へと戻ります。
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踏切から駅舎の入口へ。
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新藤原駅の駅舎前付近の道路の様子です。
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先代駅舎跡である駐車場の南端の先には
ご覧の東武鉄道の新藤原乗務員詰所の建物があります。
新藤原駅は東武鉄道と野岩鉄道の境界駅で、東武の乗務員の乗務の北限の駅となるので
折り返しの待ち時間の為に東武側ホームの脇に詰所が設けられています。
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それでは駅舎と駅施設について見てみたいと思います。
東武鉄道の北限の駅としてながらく営業をしてきた駅ですが、
1986年(昭和61年)10月に野岩鉄道が開業したことによって駅管理も
東武鉄道から野岩鉄道へと移管
されています。
現在の駅舎も野岩鉄道移管時に建てられた野岩鉄道の設備となっています。
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駅舎前の階段脇に作られたバリアフリーのスロープ。
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入口前のスペースの様子です。木製のベンチとプランターが置かれています。
ホーム側との柵には扉がついており業務での通り抜けが可能です。
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駅舎の中の光景です。有人窓口があり改札も駅員が行っています。
自動券売機も置かれておらず切符は窓口での購入となります。
待合室として改札前にベンチが置かれています。
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自動改札機も置かれていませんが、東武鉄道の北限駅であるため
ご覧の通り簡易ICカード改札機が置かれているので
当駅以南の乗車であればICカードの使用が可能です。
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改札付近の様子。ホーム側には出場用のICカード改札機があります。
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駅構内側の改札前を南北に通る連絡通路。

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改札を入って右手の南側へと連絡通路を進むとまもなく
ホームへのスロープがあります。
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こちらが1、2番線ホームとなります。東武鬼怒川線の終着駅である当駅で
東武鉄道の列車が発着するホームとなっており、当駅折り返し列車は1番線、
野岩鉄道へと直通列車は2番線を使用する事となります。
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野岩鉄道が開通する前の単式の東武旧1番線ホームは、
現在の1番線線路の西側にありました。今使われている島式のホームは
野岩鉄道の開業時に駅舎と共に新しく作られたものとなります。
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ホームの上には全面に屋根が設けられていいます。
下今市方で2番線はホームが切り欠きとなっています。
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1番線ホーム側の下今市方の南端の様子です。
6両編成の特急列車が停まれる様にホーム有効長が伸ばされています。
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切り返して会津高原尾瀬口方の北へと見たホームの様子。
このホームの駅名標や表示は東武鉄道の仕様となっています。
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中ほどで隣の野岩鉄道ホームの南端と並びます。
2両がデフォルトの野岩鉄道ホームと比べて
こちらの東武ホームの有効長の長さが際立ちます。
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1番線の線路の終端。野岩鉄道開通前は新藤原駅はこちらの線路のみの駅でした。
現在は車止めの前に駅舎がありホームは反対の線路東側となっています。
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2番線ホーム側は駅舎前にもホームが伸ばされており、
隣の野岩鉄道ホームと北端の位置が揃えられています。
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切り返して再び南へと進みホームの入口へと戻ります。
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1、2番線ホームから連絡通路を戻って改札前へ。
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改札前から今度は左手北側へと連絡通路を進みます。
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駅舎と野岩鉄道ホームとを連絡する構内踏切。
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踏切を渡ると右に通路が曲がっており、こちらもホームへのスロープとなります。
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こちらが島式の3、4番線ホームです。
1986年(昭和61年)の野岩鉄道会津鬼怒川線の開業で作られたホームで
当駅から北の野岩鉄道へと乗り入れる列車が発着するホームとなります。
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西側の3番線の線路は、となりのホームの2番線と線路が共有で使用されています。
ですので当駅は島式2面で線路が3線となっています。
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ホーム南端の下今市方の光景。野岩鉄道のホームとなるので
隣の東武ホームに比べて有効長が短いのが分かります。
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ホーム南端の先に置かれた勾配標。
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切り返して会津高原尾瀬口方の北へ。
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今は使われていない売店跡がホームに残っています。
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北端の会津高原尾瀬口方。ホームの出入り口は連絡通路のあるこちらの北側のみです。



■モデル車両: 東武鉄道 6050系電車
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東武6050系電車は野岩鉄道会津鬼怒川線が開業する1985年(昭和60年)に
野岩鉄道と東武鉄道間の直通運転を行う為に作られた車両です。


元々は国鉄(当時)と東武日光線の競合による競争で、国鉄の準急形電車投入に対抗する為
居住性とスピードを兼ね備えた準急形車両として
1964年(昭和39年)から新製投入された東武6000系が元となっています。

登場当時は国鉄車両に対抗できるスペックの高い6000系でしたが、
さすがに登場から20年が経過するとまわりの車両も進化し車両設備も陳腐化してきます。
そこに1986年(昭和61年)10月の野岩鉄道開業による新藤原駅以北の開通によって
トンネルが大部分を閉める会津鬼怒川線への直通運転に備えた車両整備の必要もあり、
ちょうど車両更新の時期を迎えていた6000系を車体更新の上で
一部部品を流用した改造工事を行う事となりました。

こうして22編成44両あった東武6000系はその全車両が改造更新されており、
1985年(昭和60年)10月から翌1986年(昭和61年)10月までで全ての車両が
東武6050系として作り変えられています

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改造工事を終えた東武6050系の最初の編成である6151Fが運用に就いたのは
1985年(昭和60年)11月15日
のことでした。

駅メモのでんこである新藤原ぼたんの誕生日が11月15日に設定されており、
これは東武6050系が更新後に営業運転を開始した日と同一となっています。
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以後6000系は次々と短期間に急ピッチで6050系への改造工事が進められており、
1年あまりで編成全てが更新されて東武日光線と東武鬼怒川線の快速・区間快速を中心に
運用をされ野岩鉄道会津鬼怒川線への直通運転を行っています。
また1990年(平成2年)の会津鉄道の会津田島以南の電化後は
会津鉄道会津線へも直通運転が行われています。

東武6000系の改造によって22編成44両が作られた6050系ですが
野岩鉄道開業に際して1985年(昭和60年)と1986年(昭和61年)に1編成づつ、
1988年(昭和63年)には直通乗り入れ電車の車種統一などで8編成が、
会津鉄道電化の1990年(平成2年)には会津鉄道所有車の200番台が1編成
それぞれ完全新造されて増備されています。
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【上写真:野岩鉄道6050系100番台】
6050系新造車のうち3編成が100番台として野岩鉄道に、
1編成が200番台として会津鉄道へとそれぞれ東武鉄道から譲渡されており、
野岩鉄道6050系100番台、会津鉄道6050系200番台としてそれぞれ運用されています。

6050系の更新車両と新造車は台車の形式が違うのだそうですが、
その他細かい差異はあれどほぼ同一の車両であると言って差支えは無いでしょう。
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東武6050系の車体のカラーリングはジャスミンホワイト(    をベース色としており、
帯色にパープルルビーレッド(    サニーコーラルオレンジ(    を配しています。
駅メモのでんこの新藤原ぼたんの衣装を見ると配色が同じであることが良く分かります。
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この6050系の配色はその後東武100系スペーシアに採用されるなど
東武鉄道の日光方面優等列車のイメージカラーとなっています。


その後6050系は2017年(平成29年)4月のダイヤ改正で快速、区間快速と
浅草━新栃木間の区間急行が廃止された事で
東武日光線南栗橋駅より南での運用が無くなりました。

また2022年(令和4年)3月のダイヤ改正では
東武鉄道所有の6050系の旅客運用が全廃となり、
会津鉄道所有61201Fと野岩鉄道61101Fも廃車となった事から
旅客運用をされている6050系は野岩鉄道の2編成のみとなりました。
ぼたんa04
2022年(令和4年)10月に駅メモで6050系をモチーフとした新藤原ぼたんが登場しましたが、
キャラのリリース時に運用されている6050系は野岩鉄道6050系100番台の
鬼怒川温泉駅━会津高原尾瀬口駅間を走る2編成のみ
となっています。


【上動画はクリックで再生します。】
こちらは新藤原駅へと入線する6050系の動画です。
以下ではこの6050系について各車両について見ていきたいと思います。


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鬼怒川温泉方に編成されるモハ6150形です。
モ(動力車)ハ(普通車)となりモーターを搭載している普通車両となります。
編成略記号ではMcM(動力車)c(制御車)となり、動力のある運転台付き車両となります。
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パンタグラフは両側車端の屋根上に1基づつ計2基が搭載されています。
このうり運転台側の1基は霜取り用パンタグラフです。
寒冷地を走る東武日光線や野岩鉄道では冬季に架線に雪や霜が付着する為
進行方向前側のパンタグラフで霜を落とし後方のパンタで給電を行っています。

新藤原ぼたんの背中には車両と同じ下枠交差式のひし形パンタグラフがあります。
またカメラの三脚を見ると集電シューと同じ形状であることが分かります。
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鬼怒川温泉方車端の運転台後部付近の様子です。
運転台の仕切り壁の背後には両側に2人掛けロングシートがあります。
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そのロングシートの横の乗降扉付近。車両は片側2ドアのセミクロスシート車両となっており
扉の両側の座席がロングシートとなります。
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車内客室の様子。扉間の座席はご覧の通りボックスシートとなっています。
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会津高原尾瀬口方の連結部付近。こちらも車端両側に2人掛けロングシートがありますが
優先座席となっていてモケットの色がブルーグレーとなっています。
つり革も優先座席付近だけ三角の黄色のものに。
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切り返して見た車内客室。


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二両編成の会津高原尾瀬口方に編成されているクハ6250形です。
ク(付随車)ハ(普通車)で動力を持たない客車車両となります。
編成略記号ではTcT(付随車)c(制御車)ですので
運転台があり動力の無い制御車両という意味となります。
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会津高原尾瀬口方の車端運転台後方付近。
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こちらは運転台の扉の上に設置されている行先表示器です。
同じ編成で2両ごとに行き先が異なる運用がされることも多かった為
乗客の誤乗防止の為に大きく目立つ回転幕式の表示器が設けられていました。
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運転台の中の様子。貫通扉付近に見えるステップは非常用の梯子で、
大半をトンネル区間が占める野岩鉄道を走る事から備えられているものです。
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車内客室の光景です。セミクロスシート車両であるのは同様です。
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鬼怒川温泉方の車端付近。乗降デッキの先の
連結部前東側には和式トイレが設置されています。
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トイレの向かい側は車いすなどに対応のフリースペースが。
妻側の壁にはくずもの入れが設けられています。
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切り返して見た車内。車端にトイレがあるのでクハ6250形の優先座席は
ご覧の通り後部乗降扉の運転台側の脇にあります。
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会津高原尾瀬口方へと向かって運転台方向へと見た車内。
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ボックスシート席は1525mm間隔で配置されており
作られた当時としては広めとなっています。
グループ利用を想定した折り畳みテーブルが窓側にあり
テーブル脇のボタンを押して開閉し使用することができます。


ぼたんa26
新藤原ぼたんのリリース時には野岩鉄道6050系100番台しか営業運転をしておらず
上の詳細写真も野岩鉄道車のものですので、参考として2017年(平成29年)に撮っていた
東武鉄道6050系の車内の様子の写真も載せておきます。
ご覧の通り基本的には外観は変わりません。



ぼたん98
この6050系という電車は元の種車の東武6000系から数えると2022年現在で58年、
東武6050系へと改修されてからでも37年が経過している車両です。
ですので6050系をモチーフとしている駅メモのでんこの新藤原ぼたんにも
各所で「パーツが古い」といった類の設定が見受けられます。
ぼたんa05
そして唯一6050系が残る状況となった野岩鉄道では
2022年(令和4年)8月より6050系改修費用のクラウドファンディングを実施。
資金の調達に成功しており、2023年(令和5年)3月に改修を予定しています。

これによって6050系には観光列車的な改修がされるという事となり、
登場以来の姿を保っている6050系は2022年度中までしか
見られないという公算が大きい
ということになります。

もちろん今後もしばらくは野岩鉄道で6050系を見ることはできるでしょうが
原型の6050系を見ることができる期間は残り僅かであるという事は念頭に置くべきでしょう。



ぼたんa24
ここからは余談となりますが、6050系モチーフのでんこが登場すると分かった当初は
「とうとう東武鉄道のでんこが登場するのか」と思いました。

しかし、
 ■東武6050系は野岩鉄道開業の為に生み出された形式
 ■リリース時に走る6050系は野岩鉄道のもののみ
 ■苗字の由来である新藤原駅は野岩鉄道管理駅
 ■開業以来野岩鉄道が保有する車両は6050系のみ


といった点を考え、また駅メモのでんこには第三セクター由来のものが多い状況などから
新藤原ぼたんは野岩鉄道由来のでんこであると推測するに至りました。
ですので駅については野岩鉄道の駅として扱っています。


そして車両については
 ■野岩鉄道6050系も元は東武鉄道からの譲渡車である事
 ■東武鉄道との関係性(地理的なものや営業的なもの)が
  6050系が野岩鉄道で開業時に採用された理由と考えられる事
 ■誕生日の11月15日は東武での営業運転開始日(野岩鉄道はまだ無かった)


といった観点もあり、
また野岩鉄道6050系100番台も東武6050系の1形式カテゴリーであると考え
大きなくくりで「東武6050系」を車両の元ネタと考えるのが合理的かと思った次第です。


無論公式な発表はされていないので、あくまで推測でしかありません。
後日に公式発表され異なっていた場合には修正をしたいと思います。


では。

【写真撮影:2022年10月ほか】

でんこの元ネタ
■No.119 青森せいらん(Aomori Seiran)
 ■タイプ:アタッカー
 ■誕生日:3月15日


駅メモのでんこである「青森せいらん」についての記事の続きです。
後半はモチーフとなった列車の紹介部分となります。

その1(由来駅紹介部分)はこちら



■モデル車両: 青い森鉄道 青い森703系電車
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青い森鉄道703系電車はJR東日本E721系をベースとして2013年(平成25年)に
2編成4両を新造導入した車両です。総合車両製作所横浜事業所で作られた車両は
2014年(平成26年)3月15日のダイヤ改正より営業運転を開始しています。
せいらんa70
駅メモのでんこの青森せいらんの誕生日が3月15日に設定されていますが、
これは青い森鉄道703系の営業運転開始日が元ネタであると見て良いでしょう。

せいらんa69
【上写真:JR東日本E721系0番台】
青い森鉄道703系のベースとなっているJR東日本E721系
仙台空港アクセス線の開業で共通の直通運転車両の増備の必要が生じたことを契機に
老朽化が進んでいた仙台地区の車両置き換えおよび輸送改善の為に導入されました。
2007年(平成19年)2月1日に東北本線で営業運転を開始したのを皮切りに
常磐線、仙山線で順次投入され、1年間で2両編成39本78両が導入されました。
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そしてこのE721系からは近隣の第三セクター鉄道でも同型の電車が導入されています。
2007年(平成19年)3月には仙台空港鉄道SAT721系
2019年(平成31年)7月に阿武隈急行AB900系
それぞれE721系の同型車両として新造導入されています。

またJR東日本で2016年(平成28年)11月に導入されたE721系1000番台
青い森鉄道703系で採用された前照灯3灯が継承されており、
製造工場も総合車両製作所横浜事業所で同じという共通点がある車両です。


せいらんa71
【上写真:青い森鉄道701系】
2002年(平成14年)12月に青い森鉄道が誕生した当初は
JR東日本701系を譲り受けた青い森鉄道701系が2編成4両走っていました。
2010年に八戸━青森間も経営分離され青い森鉄道へ編入されると
さらに7編成をJR東日本より譲り受け、合計で9編成18両が現在も在籍しています。
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【上写真:IGR7000系】
ちなみに青い森鉄道と同時に誕生したいわて銀河鉄道でも
JR東日本701系を譲り受けIGR7000系として走らせています。


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車体のカラーリングはステンレス車体の地色にスカイブルー(    がベース色となっています。
そして車体の各所には青い森鉄道のイメージキャラクターのモーリーがあしらわれています。
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青森せいらんの衣装の上着は下部がウェーブを描いていますが、
これはモーリーと並べてみると同じ形状であることからモチーフになっていると思われます。
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また703系限定の仕様として、車体に描かれたモーリーのうち
一両に1体だけピンク色のモーリーがあしらわれています。
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青森せいらんの上着の胸元上部のデザインは車両妻面の前面がモチーフとなっているのは
キャラと列車を並べてみると良く分かります。
せいらんa73
現在(註:2022年)青い森鉄道では2両11編成が運用されています。
そのうち703系は2編成ですので、見れる確率は単純計算で2/11でおよそ18パーセントとなります。
例えば青森駅で703系を待っていても運用の関係から朝夕の通勤時間帯を外してしまうと
日中には3時間に一本程度しか703系を見ることはできません。
ですので確実に703系を見るには計画性が必要であると思われます。


【上動画はクリックで再生します。】
こちらは青森駅を発車する青い森鉄道703系の動画です。
以下で703系の編成の各車両について見てみたいと思います。

せいらんa77
八戸方の青い森702形です。編成略記号はTcT(付随車)c(制御車)となり
動力を持たず運転台のある制御車となります。
片側3扉の通勤通学に対応をした近郊形の車両となっています。
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車両先頭部である八戸方の運転台の様子です。
中央に貫通扉があり連結時には貫通路として隣の車両と行き来ができます。
せいらんa88
運転台のすぐ後ろに乗降デッキがあり、扉脇には2人掛けロングシートがあります。
セミクロスシート車両となっており扉間には
2席×2列のボックス席が片側2セットずつ設置されています。
せいらんa92
ボックス席の座席はご覧の通りで、足元に柱が無く広いスペースが取られています。
また窓側にはドリンクが置ける小さなテーブルが設けられています。
せいらんa89
車両中央部の乗降デッキ付近。ここも扉脇は両側とも
2人掛けロングシートが配されています。
扉のステップには足元注意の為の黄色の点字ブロックが。
せいらんa90
青森方の車両後部の乗降デッキ付近です。
この702形は青森方にご覧の円形のトイレが設けられています。
車いす対応の多目的トイレで、反対側には車いすの置けるフリースペースもあります。
トイレ側の扉脇ロングシートは優先座席に。
せいらんa91
フリースペースにはヒーターと手すりがあり、
その奥には2人掛けロングシートがあります。
せいらんa93
この青森方の乗降扉脇には車いす対応のピクトグラムが貼られています。
せいらんa94
切り返して八戸方へと見た1号車車内客室の光景です。

せいらんa78
青森方に編成される青い森703形です。
編成略記号McでM(電動車)c(制御車)となりモーター搭載で
運転台のある制御電動車となります。
せいらんa79
こちらの車両は運転台と反対側の車両後方の屋根上に
シングルアーム式A-PS109パンタグラフを搭載しています。
青森せいらんの背中のパンタグラフと並べると同じ形である事が分かります。
せいらんa80
2号車連結側の車内の様子です。両側に4人掛けロングシートの優先座席があります。
優先席のモケットは座面が濃いグレーに背ずりが赤とえんじのストライプとなっています。
また床も赤系のストライプ模様となっていてユニバーサルデザインとなっています。
せいらんa81
車内客室の光景。ワンマン運転対応車両なので運転台と反対側の車両後部の扉脇には
乗車証明書の発券機が置かれています。
せいらんa95
乗降扉は脇のボタン開閉式で乗客が開け閉めを行えます。
黄色でボタンが囲われて視認し易くなっていますが、
青森せいらんの衣装のベルトを見ると
この開閉ボタンをモチーフとした飾りがあしらわれています。
せいらんa82
セミクロスシート座席の車内。ボックス席の背板とロングシートの袖仕切り板は
白の不透明の樹脂製となっています。
せいらんa83
青森方車端の運転台背後の乗降デッキ付近。
せいらんa84
運転台の中の様子です。
ワンマン運転時には車掌スペース後方に収納されている料金箱をスライドさせて
貫通路中央に引き出して使用する仕組みとなっています。
せいらんa85
切り返して八戸方へと見た2号車車内。
せいらんa86
車両後方の客室内光景です。


せいらんa97
以上で青い森鉄道703系の紹介はすべてとなります。
JR東日本E721系をベースとする同型車両は東北各地で走っていますので
その関連性を考えるのもまたなかなか面白いと思います。

では。


【写真撮影:2022年9月】

でんこの元ネタ
■No.119 青森せいらん(Aomori Seiran)
 ■タイプ:アタッカー
 ■誕生日:3月15日

■出身駅: 青い森鉄道 青い森鉄道線 青森駅(青森)
せいらん01



せいらん03
こちらは県道16号青森停車場線の新町一丁目付近から駅方向へと見た光景です。
主要地方道に指定されいるこの県道は駅の東側正面から伸びる停車場線であり
「新町通り」の愛称がついています。
せいらん04
両側に屋根のあるアーケード歩道が設けられた幅25mの道路は
青森市の中心市街地に位置しており、多くの公共施設も近隣に設けられています。
せいらん06
こちらは駅にほど近い新町通り沿いにある青森市役所駅前庁舎です。
元々は青森市のコンパクトシティ構想による再開発で2001年(平成13年)に建てられた
AUGA(アウガ)という第三セクター複合施設でしたが、運営が破綻し盛大に失敗した結果
2017年(平成29年)より商業フロアは青森市役所の駅前庁舎となりました。
せいらん07
アウガの前からさらに西へと進むとまもなく駅が見えてきます。
せいらん09
新町通りと駅前ロータリーの合流する駅前のT字路。
せいらん08
こちらは駅前の新町通り付近の地図です。
せいらん10
切り返して駅側から東へと向かって見た新町通りの様子。
せいらん101
この整備された駅前通りは、駅から400mほどの八甲通りより東側は
ねぶた祭りの際の山車灯籠が曳かれる会場の一部となっています。

せいらん12
駅前広場と新町通り(県道16号青森停車場線)がぶつかる三叉路へと戻ります。
せいらん13
こちらが青森駅の東口側の駅外観です。駅は1891年(明治24年)9月1日に
当時の日本鉄道の盛岡駅━青森駅間の開業で開設されたもので、
東北本線と奥羽本線の北の終着駅であり、青函連絡船との乗り換え駅でした。

1988年(昭和63年)の青函トンネル開通や2016年(平成28年)の北海道新幹線開業によって
本州と北海道の連絡ターミナルとしての役割は終えつつあり、
現在は北東北の観光の玄関口へとシフトが成されています。
せいらん14
この青森駅の駅舎については2021年(令和3年)より改築工事が行われ
2024年(令和6年)に新駅舎が完成する予定となっています。
せいらん15
その為現在(註:2022年)はご覧の通り旧駅舎は解体されている状況です。
せいらん17
JR東日本のリリースより青森駅前駅ビルの完成予想パース。
せいらん18
現在建築中であるのは複合施設となる駅ビルであり、
五代目となる青森駅の駅舎自体はすでに工事の仮囲いの奥に完成し供用されています。
せいらん16
こちらは解体される前の4代目青森駅駅舎(1959年~2021年)です。

せいらん19
さて、こちらは駅前広場の地図です。
駅の正面にあたる広場の大部分は駅前のバスターミナルとなっています。
せいらん20
駅前バスロータリーの北側にある青森市観光交流情報センターです。
観光案内所や交流コーナーを設けた建物ですが、建物の半分は
駅前のバスも待合室とバスのチケット発券窓口となっています。
せいらん21
情報センターの目の前のバスロータリー北側付近。
JRバスや十和田観光鉄道バスなど遠距離系バスの11番乗り場が設けられています。
せいらん22
ここに停まるJRバス東北の車両は新幹線カラーに塗られているので
ご覧の通りH5系北海道新幹線カラーのバスが停まっていたりします。
せいらん23
駅前のバスロータリーは3レーンが設けられ11のバス乗り場が設置されています。
せいらん24
まず3レーンのうち一番西側の駅舎沿いのレーンの光景です。
1~4番乗り場の置かれたこちらは駅ビル予定地前の歩道に設けられています。
背後には建設中の青森駅ビルの工事の仮囲いがあり
駅ビル落成の際には駅の目の前の乗り場となります。
せいらん25
反対の南側から見た西側1~4番乗り場のレーンの様子。
せいらん34
この1~4番レーンはご覧の通りJRバスと青森市営バスが使うレーンです。
せいらん26
こちらはロータリーの西側2番目の島となる5~7番乗り場のレーン。
せいらん27
両側をバスの通行帯に挟まれた島は北側のバスターミナル側から
車道の横断通行帯を渡って入る仕組みとなっています。
せいらん35
この5~7番レーンも市営バスと市内循環バスや公営のシャトルバスの発着場となっています。
せいらん28
一番東側に位置する8~10番レーンの島。
せいらん29
東の県道側から見えるレーンは待機するバスなどの為に
車道が広めに作られています。
せいらん36
こちらの8~10番レーンはJRバスの他、弘南バスや十和田観光バス、
下北交通バスといった民間バス会社の発着レーンが設けられています。

せいらん30
駅舎側の歩道からバスロータリーの南側へと移動をします。
せいらん31
一般車両の通行できる車道がバスロータリーを迂回して
コの字にクランクしています。
せいらん32
一般車両は駅舎前のバスロータリー内へは侵入禁止となっていますので
南側一帯の公共駐車場を利用する事となります。
せいらん33
そしてバスロータリーから車道を挟んだ南側にあるのがご覧の駅前公園です。
多くの駅の駅前広場が駅舎に隣接して作られているのに対して
この青森駅は歩行者の利用する駅前広場が駅舎前の道を挟んだ向かい側にあるという
少し珍しい配置となっています。
せいらん37
駅前公園の様子です。かつては仙台鉄道局青森管理部の庁舎が建っていた場所で、
戦後は青森車掌区など国鉄の様々な機関が入っていました。
駅前再開発によって2006年(平成18年)に国鉄から青森市が買収し
0.6ヘクタールの土地を公園として整備したものです。
せいらん38
国鉄庁舎は駅前方向へと向かって建っていたそうですが、
現在の公園はタイル貼りに整備され遊具や噴水、トイレ棟などが設けられています。
せいらん39
噴水の裏手の、公園南端のニコニコ通りへと面する一角。
せいらん40
公園側から見た西の駅舎側の道路の様子です。
せいらん41
駅前公園と駅ビルとの間には南へ線路沿いに伸びる道路があります。
バスロータリーの入口側であり、100mほどでニコニコ通りとの交差点のあるこの道路は
かつてはりんご市場の露店が立ち並ぶ場所だったそうです。
露店群は1989年(平成元年)の青函連絡船廃止に伴う再開発で撤去されています。
せいらん42
駅前から100mほど南に進んだニコニコ通りとの交差点のT字路。
せいらん43
このT字路から東に350mほどの区間がニコニコ通りと呼ばれるアーケード街となります。
せいらん44
新町地区と古川地区の境を走るこの通りは昭和30年台から40年台にかけて
露店が立ち並ぶ商店街として賑わった通りなのだそうです。
せいらん45
ニコニコ通りと西の駅方向へと戻って再びT字路に。
駅前公園と反対側の交差点つき当り正面には歩道の跨線橋があります。
せいらん46
青森駅の南側をまたぐ跨線橋は名前をあすなろ橋といい
1990年(平成2年)に架けられた全長337.7mの斜張橋です。
橋の主塔が青森にちなんだ「A」の形となっています。
せいらん47
あすなろ橋から見た眼科の線路や青森駅の光景です。

せいらん48
ニコニコ通りのT字路を南側から見た光景。
交差点に近いあすなろ橋の南側には青森市民ホールの建物が見えます。
ホールの建物は元は2001年(平成13年)に
日本郵政公社が建てた「ぱ・る・るプラザ青森」でしたが、
2006年(平成18年)に不採算で廃止された施設を
青森市が買い取って市民ホールとしたもの
です。
せいらん49
ホール前からT字路を通過し、駅前公園の前を抜けて
北に進んで駅前ロータリーへと戻ります。
せいらん50
バスロータリーをかわしてコの字にクランクする車道に面して
ご覧のミッドライフタワーが建っています。青森市のコンパクトシティ計画による再開発で
2006年(平成18年)に作られた複合施設であり、上階は高齢者対応型マンションとなっています。
せいらん51
バスロータリー外周のコの字の車道を北へと向かい
新町通りとの交差点のT字路へ。
せいらん52
交差点からさらに北側へと進んで青森市観光交流情報センターの北側へと進みます。 せいらん53
観光交流情報センターの北側はご覧の通りタクシープールとなっており、
建物沿いの歩道はタクシー降車場と障碍者用の乗降場となっています。
せいらん54
タクシープールの光景。
せいらん55
このタクシープールの駅舎に近い西側が
青森駅東口のタクシー乗り場となっています。
せいらん56
駅前広場隣接の車道をクランク状に進み北へと向かうと
すぐにご覧のT字路の交差点へと行き当たります。
東口の駅前広場に入った一般車両はこの道路が広場退出の動線となっています。
せいらん57
青森ベイブリッジが背後に見えるこの交差点角には
ねぶた関連の博物館である青森市文化観光交流施設「ねぶたの家ワラッセ」があります。
せいらん58
青森駅の北側にあたるこのワラッセの背後は陸奥湾であり
かつての青函連絡船が発着していた青森港があります。
せいらん59
ワラッセの前にある交差点に面した広場。
西側には倉庫のような外観のA-FACTORYという商業施設があります。
新青森駅開業と同日の2010年(平成22年)12月に開業したJR東日本の関連施設で、
物販・飲食一体型の市場形式の施設となっています。
せいらん60
そして広場から北へと進むとワラッセの裏手にはご覧のあおもり駅前ビーチがあります。
2021年(令和3年)に作られた人口干潟で県からNPO団体が管理を委託されており、
シーカヤックなどのアクティビリティなども楽しめるのだそうです。
せいらんa68
こちらはビーチ開設の1年前の2020年(令和2年)の同じ場所の光景です。
かつてはこのビーチの場所は青函連絡船の第1桟橋があって連絡船が入港していた場所でした。
せいらん61
ワラッセの前のT字路から線路のある西側へと進むと
すぐに北へとカーブを描いた道路はA-FACTORYの西側から青森ベイブリッジの下をくぐります。
せいらん62
ベイブリッジをくぐった先には跨線橋があり、右手に連絡船が係留されています。
せいらん63
青森駅ホーム北端と連絡船桟橋とをつなぐ跨線橋。
往時は駅から直接連絡船へと乗り換えのできるルートでしたが
青函連絡船の廃止された現在ではこの跨線橋も閉鎖されています。
せいらん64
跨線橋の先の右手には連絡船が。かつての青森港連絡船第2桟橋の場所に
青函連絡船八甲田丸が係留されており、海上博物館船として公開されています。
せいらん65
1964年(昭和39年)に就航した八甲田丸は1988年(昭和63年)の連絡船廃止まで就航しており、
現在の場所で1990年(平成2年)から青森市所有の展示施設となっています。
せいらん66
船内では連絡船の歴史を示す展示品公開のほか、
操舵室や車両甲板内など現役時には一般が立ち入れなかったエリアも公開されています。
せいらん67
連絡船の西側には道路を挟んで青森駅の北側の構内留置線が伸びています。
かつては何本もの線路のあった駅北側も現在はこの留置線のみが残され使用されています。
せいらん68
連絡船から見た青森駅方面の光景。


せいらん69
駅前広場へと戻って青森駅東口の入口へと向かいます。
現在旧駅舎の跡地に駅前複合商業施設の駅ビル建設が行われており、
2024年(令和6年)に完成予定となっています。
新駅ビルに駅舎機能はありませんが、一階が青森駅東西自由通路の一部となる予定で
その為完成まで青森駅に入るには建設予定地を迂回が必要です。
せいらん70
駅ビル建設予定地と隣の駅ビルのラビナとの間に設けられた
青森駅東口の仮通路の入口です。新駅ビル開業まではこちらが東口の入口となります。
せいらん71
仮通路の階段を上るとすでに完成している新駅舎の建物の中にある
自由通路の東側の階段踊り場があり、そのまま自由通路の階上へと上がることができます。
せいらん72
東口の入口から自由通路の橋上までの見取り図。
せいらん73
自由通路の階段は青森駅の駅舎内に設けられているので
階段上のスペースも駅舎内となっています。
せいらん75
駅舎二階階段上の西側にはご覧の青い森鉄道の切符売り場と自動券売機があります。
2022年(令和4年)の青森駅5代目駅舎完成で青い森鉄道の本社も駅舎西側部分へと入居しているので
改札前の西側部分に窓口が設けられました。
せいらん74
青い森鉄道窓口の向かい側の東側にある青森駅の改札の様子です。
橋上駅舎となった5代目青森駅駅舎では改札はこの一か所のみとなっています。
改札脇にはJRの改札窓口と、自動券売機が並んで設置されています。
せいらん76
券売機前から南の奥へと進むとみどりの窓口の入口が。
せいらん77
中に入るとみどりの窓口と駅たびコンシェルジュ(旧・びゅうプラザ)の窓口があり
待合いの椅子が設置されています。
せいらん78
室内に置かれたねぶたの灯籠。
せいらん79
NewDays青森東口待合店もこの室内に設置されています。
せいらん80
コンコースへと戻って改札の前へ。

せいらんa40
こちらが青森駅自由通路の様子です。
「8・7・2青森駅自由通路」という名称の都市計画道路であり、
2021年(令和3年)3月より供用開始された幅6mで全長170mの歩行者専用通路となっています。
せいらんa41
通路南側はご覧の通りガラス張りとなっていて青森駅構内を見渡すことができます。
せいらんa42
北側の自由通路の壁は「駅前アートギャラリー」と題された展示スペースとなっており
りんごの木箱をイメージしたという壁に設けられたいくつもの展示棚に
市民の作品が収められています。
せいらんa43
「木の温もりと親しみを感じる回廊」をテーマとしてデザインされた通路の壁や天井には
木材が一面に使われており、大きな南面の窓の調光と併せて明るい空間となっています。
せいらんa44
自由通路西詰の階段上付近。エレベーター前のスペースが
小さなホール状となっていて西口周辺を見渡すことができます。
せいらんa45
階段部はご覧の通り二階まで吹き抜けており広く明るい造りとなっています。
せいらんa46
一階部分の様子です。
せいらんa47
雪国なので出入口には風除室が設けられています。
せいらんa48
こちらが青森駅西口の外観です。
かつては西口にも小さな駅舎がありましたが、自由通路の供用によって
ご覧の通り西端の出入口として通路と一体化した構造となっています。
せいらんa49
こちらは自由通路が供用される前の4代目旧青森駅西口駅舎。
西口は1948年(昭和23年)に設けられたもので、当時津軽線を津軽半島沿岸をたどり
津軽鉄道と接続して環状線とする構想があったことから
津軽線発着の駅舎としての性格を期待されていた様です。
せいらんa50
西口駅前広場の様子です。再開発により駅前広場の整備が進められています。
せいらんa52
駅の出入口北側に作られた駅前駐輪場。
せいらんa51
駅前広場に面している道路は3・6・6号青森駅西口線という都市計画道路で
再開発に伴って整備が行われています。
せいらんa53
西口から50mほど北西側へと進むとT字路があり、その角には
ご覧のJR東日本盛岡支社の青森総合事務所の建物があります。
せいらんa54
現在T字路までが都市計画道路に指定されていて、
交差点の北側は住宅地の市道となっています。
かつてはこの北側一帯に津軽森林鉄道の起点があり貯木場などの敷地だったそうです。
廃線跡の敷地は住宅地として再開発され、県営住宅や公共施設などが作られています。
せいらんa55
切り返して道を駅方向である、都市計画道路の北端のT字路まで戻ります。
せいらんa56
T字路を北の海方向へと進むと100mほどで青森駅の5、6番線ホームに突き当り
道路はホームに沿って西側へとカーブを描いています。
せいらんa57
そのカーブ手前付近に公園の入口があり、奥には船の係留場があるのが見えます。
せいらんa58
公園は「入口広場」と呼ばれて時計塔があり、
奥には青森県の公共マリーナが設けられています。
このマリーナはかつての連絡船の作業船の西船溜まりであり、
連絡船廃止後に県が整備を行って公共マリーナとしたものです。
せいらんa59
公共マリーナと青森駅との間の道をさらに奥へと進むと
駅裏手の保線車両が留置されているのが見えます。
せいらんa60
そしてつきあたりには民間の青森マリーナがあります。

せいらんa61
道を戻ってT字路を過ぎ駅西口の前まで。
せいらんa62
南側も80mほどでT字路の交差点があります。
せいらんa63
交差点から西へと分岐している3・5・7工業学校通り線。
350mほどで国道280号線へと連絡をしている道路です。
「駅西口通り」とも呼ばれるこちらの通りが西口の駅前通りとなりますが、
名前の由来となった工業高校は2011年(平成23年)に移転しており
跡地は住宅地として造成されています。
せいらんa64
切り返して道を戻りT字路を駅と反対の南方向へ。
せいらんa65
青森駅の南側に架かっている跨線橋のあすなろ橋の西詰めがこちらにあります。
東詰めはニコニコ通りに面した繁華街ですが、西側のこちらは住宅地となっています。

せいらんa66
切り返して駅前の通りを駅西口へと戻ります。
せいらんa67
自由通路を再び渡って改札前まで。
せいらん81
改めて青森駅改札口の様子です。
せいらん82
改札内の光景。
せいらん83
橋上駅舎となっているので改札前から各ホームへは
ご覧の跨線橋の通路で連絡されています。
せいらん84
跨線橋上から見た青森駅構内の光景。
せいらん85
切り返して改札方向へと見た跨線橋の通路の様子です。

せいらん86
跨線橋の構内連絡通路の一番東側寄りに位置する1、2番ホームへと下る階段付近。
基本的に通路の北側に階段が設けられていて、南側にはホーム直通のエレベーターがあります。
せいらん87
階段の様子。
せいらん88
こちらが青森駅の3本のホームの一番東側にある1、2番線ホームです。
青い森鉄道の終点として列車が発着するホームであり、八戸方面への下り列車が発着をしています。

1891年(明治24年)に日本鉄道が青森駅まで延伸してできた駅は
ながらく東北本線の終着駅として北海道への玄関口を務めてきた駅ですが、
2010年(平成22年)に新幹線開業で東北本線青森━八戸間が
経営分離され第三セクター化されています。
その為青森駅の1、2番線ホームは第三種事業者として青森県が所有している施設であり、
JR東日本が保有する3~6番線とは所有者が別となっています。
せいらん89
ご覧の通り駅名標は青い森鉄道の形式となっており、
新青森方面の列車が停まることもある2番線と1番線とでは若干表記が異なっています。
せいらん91
ホーム中ほどにある待合室。ベンチが置かれエアコンが設置されています。
せいらん92
青森県の所有施設なので待合室内には青い森鉄道のグッズの自販機が。
せいらん93
さらにホームを北側へと進みます。
せいらん94
こちらは「そば処 八甲田 2号店」という駅そばが営業していた跡ですが、
青森駅駅舎改修に伴って2021年(令和3年)2月に東口改札外の店舗と共に閉店となっています。
せいらん95
かつての連絡船の岸壁があった名残りで北側の埠頭へと向かって伸びる線路とホーム。
せいらん96
北側のホームの途中には柵が設けられて旅客はホーム北端側へは入れなくなっています。
これは東北本線が経営分離された後の2011年(平成23年)に設けられたものです。
せいらん98
1、2番線の線路も柵の付近に車止めが置かれて終端となっています。
せいらん97
隣のホームから見た1、2番線のホーム北端の様子。
かつての連絡船へと連絡する跨線橋がまだ残っていますが
すでに使用は停止されており旅客は入ることはできません。
せいらん99
切り返して南側へと向かって見た1、2番線ホーム。
せいらんa01
かつては夜行列車が発着した旧東北本線のホームは
現在では短編成のローカル列車が発着しています。
せいらんa02
駅の構造上ホームの出入りは南側の跨線橋からのみとなっており
ホーム上の施設も南寄りに集約されています。
せいらんa03
階段前付近の様子。
せいらんa04
跨線橋とホームとを連絡するエレベーターは階段の裏手にあり
ホームの端から回り込む形となっています。
せいらんa05
バリアフリーに対応した連絡エレベーター。
せいらんa06
切り返してエレベーター側からホームへ向かっての光景です。

せいらんa07
こちらは跨線橋の連絡通路へと戻ってこちらは中ほどにある
3、4番線ホームへの階段上付近の光景です。
せいらんa10
階段を下ってホームへ。
せいらんa078
3、4番線ホームの光景です。奥羽本線の終点で下り線秋田方面へと折り返す列車と
津軽線の蟹田方面行きの上り列車が使用しています。
3番線以降はJRの列車が使うホームであり
JR東日本が第一種鉄道事業者としてホーム施設を所有
しています。
せいらんa079
3、4番線それぞれの駅名標。
せいらんa11
北へと進むとこちらのホームも待合室が設けられています。
せいらんa12
待合室の中の様子です。JR東日本の施設なので
ベンチもスチールの網製となっています。
せいらんa13
こちらのホームもかつての長編成の優等列車発着の名残りで
有効長の長いホームとなっています。
せいらんa14
北の海側へと向かってホームを進みます。
かつては連絡船へ乗り込む跨線橋が稼働していたので
ホームの北側にも人の往来がありました。
せいらんa15
しかし現在は連絡船は廃止され、駅舎のある南側のみが出入口となっているので
ご覧の通り北側寄りのホームの屋根は錆が進み明らかに手入れの度合いが違っています。
隣の青い森鉄道の1、2番線では車止めとなっているエリアも
こちらのホームでは旅客が立ち入れる状態となっています。
せいらんa16
かつての連絡船への北側跨線橋の階段前付近。
ご覧の通りフェンスで封鎖されています。
線路は跨線橋のさらに北へと伸びる留置線に。
せいらんa17
切り返して3、4番線ホームを南へと戻ります。
ホームの長さはおよそ360mとなっており在来線ホームとしては日本有数の長さです。
せいらんa18
待合室のあるホーム中ほど付近。
せいらんa19
ホーム側から見た北側跨線橋の階段前付近です。
せいらんa20
このホームも北端の跨線橋真下にエレベーターがあり
階段の裏手へと回り込んで乗ることができます。
せいらんa21
エレベーター側からホームへ。

せいらんa22
こちらは跨線橋の連絡通路の一番西端にある
5、6番線ホームへと下る階段付近の様子です。
せいらんa23
ホームへと下る階段。
せいらんa24
5、6番線ホームの様子です。
奥羽本線と津軽線の列車が発着するホームとなります。
青い森鉄道の経営分離以前は6番線が津軽線ホームとして使われていました。
せいらんa25
5番線と6番線の駅名標。
せいらんa26
南側の跨線橋階段から北へホームを進むとすぐに
黒いガルバリウム鋼板貼りの待合室があります。
せいらんa27
待合室の中の様子。森の中をイメージしているのか
白い壁に木製の飾りがあしらわれています。
ベンチもご覧の通り木製の白いものが両側に。
せいらんa28
さらに北の奥へとホームを進みます。この5、6番線ホームは
中ほどにご覧の防風雪対策用と思われる仕切りが設けられています。
せいらんa29
ホーム上のベンチと仕切り。
一番北側の仕切りには青森の観光名所の写真がラッピングされています。
せいらんa31
仕切りのある区画の奥にあるもう一つのガルバリウム貼りの建物。
待合室だと思われますが施錠がされており、入口脇には四季島のロゴがあります。
ですのでおそらく四季島専用の待合室と思われます。
せいらんa30
さらに奥へと進みホーム南側へ。
出入口も無く列車も停まらないホーム南側はご覧の通り
ベンチなどの構造物も無くがらんとした光景となっています。
せいらんa32
ホームの地面に残る「連絡船」と書かれた案内のペイント。
せいらんa33
5,6番線ホームの海側北端部の様子です。
せいらんa34
切り返して北側へと向かって見たホーム。
せいらんa35
四季島の待合室を過ぎてホーム中ほどの防風板のある付近の光景です。
せいらんa36
在来線旅客用の待合室付近。
せいらんa37
南側の跨線橋階段前付近です。
二両編成の普通列車はおおむねこの付近に停車をします。
せいらんa38
階段裏のホーム南端のエレベーター。
せいらんa39
このホームのエレベーターへは東側の5番線側からのみ入れます。



青森駅についてまとめところ、駅の紹介でほぼでんこ一人分の字数となってしまいました。
ですので車両についての紹介をその2として記事を分割する事とします。

続きはその2にて。

では。


【写真撮影:2022年9月】

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