でんこの元ネタ
■No.119 青森せいらん(Aomori Seiran)
 ■タイプ:アタッカー
 ■誕生日:3月15日

■出身駅: 青い森鉄道 青い森鉄道線 青森駅(青森)
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こちらは県道16号青森停車場線の新町一丁目付近から駅方向へと見た光景です。
主要地方道に指定されいるこの県道は駅の東側正面から伸びる停車場線であり
「新町通り」の愛称がついています。
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両側に屋根のあるアーケード歩道が設けられた幅25mの道路は
青森市の中心市街地に位置しており、多くの公共施設も近隣に設けられています。
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こちらは駅にほど近い新町通り沿いにある青森市役所駅前庁舎です。
元々は青森市のコンパクトシティ構想による再開発で2001年(平成13年)に建てられた
AUGA(アウガ)という第三セクター複合施設でしたが、運営が破綻し盛大に失敗した結果
2017年(平成29年)より商業フロアは青森市役所の駅前庁舎となりました。
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アウガの前からさらに西へと進むとまもなく駅が見えてきます。
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新町通りと駅前ロータリーの合流する駅前のT字路。
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こちらは駅前の新町通り付近の地図です。
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切り返して駅側から東へと向かって見た新町通りの様子。
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この整備された駅前通りは、駅から400mほどの八甲通りより東側は
ねぶた祭りの際の山車灯籠が曳かれる会場の一部となっています。

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駅前広場と新町通り(県道16号青森停車場線)がぶつかる三叉路へと戻ります。
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こちらが青森駅の東口側の駅外観です。駅は1891年(明治24年)9月1日に
当時の日本鉄道の盛岡駅━青森駅間の開業で開設されたもので、
東北本線と奥羽本線の北の終着駅であり、青函連絡船との乗り換え駅でした。

1988年(昭和63年)の青函トンネル開通や2016年(平成28年)の北海道新幹線開業によって
本州と北海道の連絡ターミナルとしての役割は終えつつあり、
現在は北東北の観光の玄関口へとシフトが成されています。
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この青森駅の駅舎については2021年(令和3年)より改築工事が行われ
2024年(令和6年)に新駅舎が完成する予定となっています。
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その為現在(註:2022年)はご覧の通り旧駅舎は解体されている状況です。
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JR東日本のリリースより青森駅前駅ビルの完成予想パース。
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現在建築中であるのは複合施設となる駅ビルであり、
五代目となる青森駅の駅舎自体はすでに工事の仮囲いの奥に完成し供用されています。
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こちらは解体される前の4代目青森駅駅舎(1959年~2021年)です。

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さて、こちらは駅前広場の地図です。
駅の正面にあたる広場の大部分は駅前のバスターミナルとなっています。
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駅前バスロータリーの北側にある青森市観光交流情報センターです。
観光案内所や交流コーナーを設けた建物ですが、建物の半分は
駅前のバスも待合室とバスのチケット発券窓口となっています。
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情報センターの目の前のバスロータリー北側付近。
JRバスや十和田観光鉄道バスなど遠距離系バスの11番乗り場が設けられています。
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ここに停まるJRバス東北の車両は新幹線カラーに塗られているので
ご覧の通りH5系北海道新幹線カラーのバスが停まっていたりします。
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駅前のバスロータリーは3レーンが設けられ11のバス乗り場が設置されています。
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まず3レーンのうち一番西側の駅舎沿いのレーンの光景です。
1~4番乗り場の置かれたこちらは駅ビル予定地前の歩道に設けられています。
背後には建設中の青森駅ビルの工事の仮囲いがあり
駅ビル落成の際には駅の目の前の乗り場となります。
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反対の南側から見た西側1~4番乗り場のレーンの様子。
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この1~4番レーンはご覧の通りJRバスと青森市営バスが使うレーンです。
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こちらはロータリーの西側2番目の島となる5~7番乗り場のレーン。
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両側をバスの通行帯に挟まれた島は北側のバスターミナル側から
車道の横断通行帯を渡って入る仕組みとなっています。
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この5~7番レーンも市営バスと市内循環バスや公営のシャトルバスの発着場となっています。
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一番東側に位置する8~10番レーンの島。
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東の県道側から見えるレーンは待機するバスなどの為に
車道が広めに作られています。
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こちらの8~10番レーンはJRバスの他、弘南バスや十和田観光バス、
下北交通バスといった民間バス会社の発着レーンが設けられています。

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駅舎側の歩道からバスロータリーの南側へと移動をします。
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一般車両の通行できる車道がバスロータリーを迂回して
コの字にクランクしています。
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一般車両は駅舎前のバスロータリー内へは侵入禁止となっていますので
南側一帯の公共駐車場を利用する事となります。
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そしてバスロータリーから車道を挟んだ南側にあるのがご覧の駅前公園です。
多くの駅の駅前広場が駅舎に隣接して作られているのに対して
この青森駅は歩行者の利用する駅前広場が駅舎前の道を挟んだ向かい側にあるという
少し珍しい配置となっています。
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駅前公園の様子です。かつては仙台鉄道局青森管理部の庁舎が建っていた場所で、
戦後は青森車掌区など国鉄の様々な機関が入っていました。
駅前再開発によって2006年(平成18年)に国鉄から青森市が買収し
0.6ヘクタールの土地を公園として整備したものです。
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国鉄庁舎は駅前方向へと向かって建っていたそうですが、
現在の公園はタイル貼りに整備され遊具や噴水、トイレ棟などが設けられています。
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噴水の裏手の、公園南端のニコニコ通りへと面する一角。
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公園側から見た西の駅舎側の道路の様子です。
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駅前公園と駅ビルとの間には南へ線路沿いに伸びる道路があります。
バスロータリーの入口側であり、100mほどでニコニコ通りとの交差点のあるこの道路は
かつてはりんご市場の露店が立ち並ぶ場所だったそうです。
露店群は1989年(平成元年)の青函連絡船廃止に伴う再開発で撤去されています。
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駅前から100mほど南に進んだニコニコ通りとの交差点のT字路。
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このT字路から東に350mほどの区間がニコニコ通りと呼ばれるアーケード街となります。
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新町地区と古川地区の境を走るこの通りは昭和30年台から40年台にかけて
露店が立ち並ぶ商店街として賑わった通りなのだそうです。
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ニコニコ通りと西の駅方向へと戻って再びT字路に。
駅前公園と反対側の交差点つき当り正面には歩道の跨線橋があります。
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青森駅の南側をまたぐ跨線橋は名前をあすなろ橋といい
1990年(平成2年)に架けられた全長337.7mの斜張橋です。
橋の主塔が青森にちなんだ「A」の形となっています。
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あすなろ橋から見た眼科の線路や青森駅の光景です。

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ニコニコ通りのT字路を南側から見た光景。
交差点に近いあすなろ橋の南側には青森市民ホールの建物が見えます。
ホールの建物は元は2001年(平成13年)に
日本郵政公社が建てた「ぱ・る・るプラザ青森」でしたが、
2006年(平成18年)に不採算で廃止された施設を
青森市が買い取って市民ホールとしたもの
です。
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ホール前からT字路を通過し、駅前公園の前を抜けて
北に進んで駅前ロータリーへと戻ります。
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バスロータリーをかわしてコの字にクランクする車道に面して
ご覧のミッドライフタワーが建っています。青森市のコンパクトシティ計画による再開発で
2006年(平成18年)に作られた複合施設であり、上階は高齢者対応型マンションとなっています。
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バスロータリー外周のコの字の車道を北へと向かい
新町通りとの交差点のT字路へ。
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交差点からさらに北側へと進んで青森市観光交流情報センターの北側へと進みます。 せいらん53
観光交流情報センターの北側はご覧の通りタクシープールとなっており、
建物沿いの歩道はタクシー降車場と障碍者用の乗降場となっています。
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タクシープールの光景。
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このタクシープールの駅舎に近い西側が
青森駅東口のタクシー乗り場となっています。
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駅前広場隣接の車道をクランク状に進み北へと向かうと
すぐにご覧のT字路の交差点へと行き当たります。
東口の駅前広場に入った一般車両はこの道路が広場退出の動線となっています。
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青森ベイブリッジが背後に見えるこの交差点角には
ねぶた関連の博物館である青森市文化観光交流施設「ねぶたの家ワラッセ」があります。
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青森駅の北側にあたるこのワラッセの背後は陸奥湾であり
かつての青函連絡船が発着していた青森港があります。
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ワラッセの前にある交差点に面した広場。
西側には倉庫のような外観のA-FACTORYという商業施設があります。
新青森駅開業と同日の2010年(平成22年)12月に開業したJR東日本の関連施設で、
物販・飲食一体型の市場形式の施設となっています。
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そして広場から北へと進むとワラッセの裏手にはご覧のあおもり駅前ビーチがあります。
2021年(令和3年)に作られた人口干潟で県からNPO団体が管理を委託されており、
シーカヤックなどのアクティビリティなども楽しめるのだそうです。
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こちらはビーチ開設の1年前の2020年(令和2年)の同じ場所の光景です。
かつてはこのビーチの場所は青函連絡船の第1桟橋があって連絡船が入港していた場所でした。
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ワラッセの前のT字路から線路のある西側へと進むと
すぐに北へとカーブを描いた道路はA-FACTORYの西側から青森ベイブリッジの下をくぐります。
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ベイブリッジをくぐった先には跨線橋があり、右手に連絡船が係留されています。
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青森駅ホーム北端と連絡船桟橋とをつなぐ跨線橋。
往時は駅から直接連絡船へと乗り換えのできるルートでしたが
青函連絡船の廃止された現在ではこの跨線橋も閉鎖されています。
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跨線橋の先の右手には連絡船が。かつての青森港連絡船第2桟橋の場所に
青函連絡船八甲田丸が係留されており、海上博物館船として公開されています。
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1964年(昭和39年)に就航した八甲田丸は1988年(昭和63年)の連絡船廃止まで就航しており、
現在の場所で1990年(平成2年)から青森市所有の展示施設となっています。
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船内では連絡船の歴史を示す展示品公開のほか、
操舵室や車両甲板内など現役時には一般が立ち入れなかったエリアも公開されています。
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連絡船の西側には道路を挟んで青森駅の北側の構内留置線が伸びています。
かつては何本もの線路のあった駅北側も現在はこの留置線のみが残され使用されています。
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連絡船から見た青森駅方面の光景。


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駅前広場へと戻って青森駅東口の入口へと向かいます。
現在旧駅舎の跡地に駅前複合商業施設の駅ビル建設が行われており、
2024年(令和6年)に完成予定となっています。
新駅ビルに駅舎機能はありませんが、一階が青森駅東西自由通路の一部となる予定で
その為完成まで青森駅に入るには建設予定地を迂回が必要です。
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駅ビル建設予定地と隣の駅ビルのラビナとの間に設けられた
青森駅東口の仮通路の入口です。新駅ビル開業まではこちらが東口の入口となります。
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仮通路の階段を上るとすでに完成している新駅舎の建物の中にある
自由通路の東側の階段踊り場があり、そのまま自由通路の階上へと上がることができます。
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東口の入口から自由通路の橋上までの見取り図。
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自由通路の階段は青森駅の駅舎内に設けられているので
階段上のスペースも駅舎内となっています。
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駅舎二階階段上の西側にはご覧の青い森鉄道の切符売り場と自動券売機があります。
2022年(令和4年)の青森駅5代目駅舎完成で青い森鉄道の本社も駅舎西側部分へと入居しているので
改札前の西側部分に窓口が設けられました。
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青い森鉄道窓口の向かい側の東側にある青森駅の改札の様子です。
橋上駅舎となった5代目青森駅駅舎では改札はこの一か所のみとなっています。
改札脇にはJRの改札窓口と、自動券売機が並んで設置されています。
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券売機前から南の奥へと進むとみどりの窓口の入口が。
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中に入るとみどりの窓口と駅たびコンシェルジュ(旧・びゅうプラザ)の窓口があり
待合いの椅子が設置されています。
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室内に置かれたねぶたの灯籠。
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NewDays青森東口待合店もこの室内に設置されています。
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コンコースへと戻って改札の前へ。

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こちらが青森駅自由通路の様子です。
「8・7・2青森駅自由通路」という名称の都市計画道路であり、
2021年(令和3年)3月より供用開始された幅6mで全長170mの歩行者専用通路となっています。
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通路南側はご覧の通りガラス張りとなっていて青森駅構内を見渡すことができます。
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北側の自由通路の壁は「駅前アートギャラリー」と題された展示スペースとなっており
りんごの木箱をイメージしたという壁に設けられたいくつもの展示棚に
市民の作品が収められています。
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「木の温もりと親しみを感じる回廊」をテーマとしてデザインされた通路の壁や天井には
木材が一面に使われており、大きな南面の窓の調光と併せて明るい空間となっています。
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自由通路西詰の階段上付近。エレベーター前のスペースが
小さなホール状となっていて西口周辺を見渡すことができます。
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階段部はご覧の通り二階まで吹き抜けており広く明るい造りとなっています。
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一階部分の様子です。
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雪国なので出入口には風除室が設けられています。
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こちらが青森駅西口の外観です。
かつては西口にも小さな駅舎がありましたが、自由通路の供用によって
ご覧の通り西端の出入口として通路と一体化した構造となっています。
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こちらは自由通路が供用される前の4代目旧青森駅西口駅舎。
西口は1948年(昭和23年)に設けられたもので、当時津軽線を津軽半島沿岸をたどり
津軽鉄道と接続して環状線とする構想があったことから
津軽線発着の駅舎としての性格を期待されていた様です。
せいらんa50
西口駅前広場の様子です。再開発により駅前広場の整備が進められています。
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駅の出入口北側に作られた駅前駐輪場。
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駅前広場に面している道路は3・6・6号青森駅西口線という都市計画道路で
再開発に伴って整備が行われています。
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西口から50mほど北西側へと進むとT字路があり、その角には
ご覧のJR東日本盛岡支社の青森総合事務所の建物があります。
せいらんa54
現在T字路までが都市計画道路に指定されていて、
交差点の北側は住宅地の市道となっています。
かつてはこの北側一帯に津軽森林鉄道の起点があり貯木場などの敷地だったそうです。
廃線跡の敷地は住宅地として再開発され、県営住宅や公共施設などが作られています。
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切り返して道を駅方向である、都市計画道路の北端のT字路まで戻ります。
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T字路を北の海方向へと進むと100mほどで青森駅の5、6番線ホームに突き当り
道路はホームに沿って西側へとカーブを描いています。
せいらんa57
そのカーブ手前付近に公園の入口があり、奥には船の係留場があるのが見えます。
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公園は「入口広場」と呼ばれて時計塔があり、
奥には青森県の公共マリーナが設けられています。
このマリーナはかつての連絡船の作業船の西船溜まりであり、
連絡船廃止後に県が整備を行って公共マリーナとしたものです。
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公共マリーナと青森駅との間の道をさらに奥へと進むと
駅裏手の保線車両が留置されているのが見えます。
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そしてつきあたりには民間の青森マリーナがあります。

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道を戻ってT字路を過ぎ駅西口の前まで。
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南側も80mほどでT字路の交差点があります。
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交差点から西へと分岐している3・5・7工業学校通り線。
350mほどで国道280号線へと連絡をしている道路です。
「駅西口通り」とも呼ばれるこちらの通りが西口の駅前通りとなりますが、
名前の由来となった工業高校は2011年(平成23年)に移転しており
跡地は住宅地として造成されています。
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切り返して道を戻りT字路を駅と反対の南方向へ。
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青森駅の南側に架かっている跨線橋のあすなろ橋の西詰めがこちらにあります。
東詰めはニコニコ通りに面した繁華街ですが、西側のこちらは住宅地となっています。

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切り返して駅前の通りを駅西口へと戻ります。
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自由通路を再び渡って改札前まで。
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改めて青森駅改札口の様子です。
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改札内の光景。
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橋上駅舎となっているので改札前から各ホームへは
ご覧の跨線橋の通路で連絡されています。
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跨線橋上から見た青森駅構内の光景。
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切り返して改札方向へと見た跨線橋の通路の様子です。

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跨線橋の構内連絡通路の一番東側寄りに位置する1、2番ホームへと下る階段付近。
基本的に通路の北側に階段が設けられていて、南側にはホーム直通のエレベーターがあります。
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階段の様子。
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こちらが青森駅の3本のホームの一番東側にある1、2番線ホームです。
青い森鉄道の終点として列車が発着するホームであり、八戸方面への下り列車が発着をしています。

1891年(明治24年)に日本鉄道が青森駅まで延伸してできた駅は
ながらく東北本線の終着駅として北海道への玄関口を務めてきた駅ですが、
2010年(平成22年)に新幹線開業で東北本線青森━八戸間が
経営分離され第三セクター化されています。
その為青森駅の1、2番線ホームは第三種事業者として青森県が所有している施設であり、
JR東日本が保有する3~6番線とは所有者が別となっています。
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ご覧の通り駅名標は青い森鉄道の形式となっており、
新青森方面の列車が停まることもある2番線と1番線とでは若干表記が異なっています。
せいらん91
ホーム中ほどにある待合室。ベンチが置かれエアコンが設置されています。
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青森県の所有施設なので待合室内には青い森鉄道のグッズの自販機が。
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さらにホームを北側へと進みます。
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こちらは「そば処 八甲田 2号店」という駅そばが営業していた跡ですが、
青森駅駅舎改修に伴って2021年(令和3年)2月に東口改札外の店舗と共に閉店となっています。
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かつての連絡船の岸壁があった名残りで北側の埠頭へと向かって伸びる線路とホーム。
せいらん96
北側のホームの途中には柵が設けられて旅客はホーム北端側へは入れなくなっています。
これは東北本線が経営分離された後の2011年(平成23年)に設けられたものです。
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1、2番線の線路も柵の付近に車止めが置かれて終端となっています。
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隣のホームから見た1、2番線のホーム北端の様子。
かつての連絡船へと連絡する跨線橋がまだ残っていますが
すでに使用は停止されており旅客は入ることはできません。
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切り返して南側へと向かって見た1、2番線ホーム。
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かつては夜行列車が発着した旧東北本線のホームは
現在では短編成のローカル列車が発着しています。
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駅の構造上ホームの出入りは南側の跨線橋からのみとなっており
ホーム上の施設も南寄りに集約されています。
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階段前付近の様子。
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跨線橋とホームとを連絡するエレベーターは階段の裏手にあり
ホームの端から回り込む形となっています。
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バリアフリーに対応した連絡エレベーター。
せいらんa06
切り返してエレベーター側からホームへ向かっての光景です。

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こちらは跨線橋の連絡通路へと戻ってこちらは中ほどにある
3、4番線ホームへの階段上付近の光景です。
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階段を下ってホームへ。
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3、4番線ホームの光景です。奥羽本線の終点で下り線秋田方面へと折り返す列車と
津軽線の蟹田方面行きの上り列車が使用しています。
3番線以降はJRの列車が使うホームであり
JR東日本が第一種鉄道事業者としてホーム施設を所有
しています。
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3、4番線それぞれの駅名標。
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北へと進むとこちらのホームも待合室が設けられています。
せいらんa12
待合室の中の様子です。JR東日本の施設なので
ベンチもスチールの網製となっています。
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こちらのホームもかつての長編成の優等列車発着の名残りで
有効長の長いホームとなっています。
せいらんa14
北の海側へと向かってホームを進みます。
かつては連絡船へ乗り込む跨線橋が稼働していたので
ホームの北側にも人の往来がありました。
せいらんa15
しかし現在は連絡船は廃止され、駅舎のある南側のみが出入口となっているので
ご覧の通り北側寄りのホームの屋根は錆が進み明らかに手入れの度合いが違っています。
隣の青い森鉄道の1、2番線では車止めとなっているエリアも
こちらのホームでは旅客が立ち入れる状態となっています。
せいらんa16
かつての連絡船への北側跨線橋の階段前付近。
ご覧の通りフェンスで封鎖されています。
線路は跨線橋のさらに北へと伸びる留置線に。
せいらんa17
切り返して3、4番線ホームを南へと戻ります。
ホームの長さはおよそ360mとなっており在来線ホームとしては日本有数の長さです。
せいらんa18
待合室のあるホーム中ほど付近。
せいらんa19
ホーム側から見た北側跨線橋の階段前付近です。
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このホームも北端の跨線橋真下にエレベーターがあり
階段の裏手へと回り込んで乗ることができます。
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エレベーター側からホームへ。

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こちらは跨線橋の連絡通路の一番西端にある
5、6番線ホームへと下る階段付近の様子です。
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ホームへと下る階段。
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5、6番線ホームの様子です。
奥羽本線と津軽線の列車が発着するホームとなります。
青い森鉄道の経営分離以前は6番線が津軽線ホームとして使われていました。
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5番線と6番線の駅名標。
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南側の跨線橋階段から北へホームを進むとすぐに
黒いガルバリウム鋼板貼りの待合室があります。
せいらんa27
待合室の中の様子。森の中をイメージしているのか
白い壁に木製の飾りがあしらわれています。
ベンチもご覧の通り木製の白いものが両側に。
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さらに北の奥へとホームを進みます。この5、6番線ホームは
中ほどにご覧の防風雪対策用と思われる仕切りが設けられています。
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ホーム上のベンチと仕切り。
一番北側の仕切りには青森の観光名所の写真がラッピングされています。
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仕切りのある区画の奥にあるもう一つのガルバリウム貼りの建物。
待合室だと思われますが施錠がされており、入口脇には四季島のロゴがあります。
ですのでおそらく四季島専用の待合室と思われます。
せいらんa30
さらに奥へと進みホーム南側へ。
出入口も無く列車も停まらないホーム南側はご覧の通り
ベンチなどの構造物も無くがらんとした光景となっています。
せいらんa32
ホームの地面に残る「連絡船」と書かれた案内のペイント。
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5,6番線ホームの海側北端部の様子です。
せいらんa34
切り返して北側へと向かって見たホーム。
せいらんa35
四季島の待合室を過ぎてホーム中ほどの防風板のある付近の光景です。
せいらんa36
在来線旅客用の待合室付近。
せいらんa37
南側の跨線橋階段前付近です。
二両編成の普通列車はおおむねこの付近に停車をします。
せいらんa38
階段裏のホーム南端のエレベーター。
せいらんa39
このホームのエレベーターへは東側の5番線側からのみ入れます。



青森駅についてまとめところ、駅の紹介でほぼでんこ一人分の字数となってしまいました。
ですので車両についての紹介をその2として記事を分割する事とします。

続きはその2にて。

では。


【写真撮影:2022年9月】

でんこの元ネタ
■No.118 徳島ると(Tokushima Ruto)
 ■タイプ:サポーター
 ■誕生日:11月1日

■出身駅: JR四国 高徳線 徳島駅(徳島)
ると01



ると03
こちらは国道192号線の八百屋町交差点から西へと向かった光景です。
1953年(昭和28年)の四国国体に併せて整備された道路であることから
「国体道路」の名前で呼ばれている道路です。
ると04
300nほど国道を進むとご覧の元町交差点の信号となります。
「新町橋通り」の名前のついている駅前通りと交わる交差点で、
徳島市のメイン通りともいえる交差点です。
ると05
元町交差点から北側へは、この交差点を起点として県道13号徳島停車場線となっています。
駅と国道192号線とを連絡する停車場線は全長91mの長さながら
計7車線のメイン通りとなっています。
ると06
元町交差点から西側へと伸びる国道192号線。
JR徳島線と並走して西へと伸びる国道は新居浜方面へと通じています。
写真の左手には新町川の河畔の県営駐車場があり
阿波踊りの期間にはスタンドが組まれて有料桟敷席の会場となっています。
ると07
切り返して国道を戻り元町交差点へ。
ると08
今度は元町交差点を駅と反対の南側へと進みます。
交差点から南は国道438号線の単独区間が始まっていますが、
通りの愛称は駅前から続けて「新町橋通り」となっています。
ると09
交差点から150mほどで新町川に架かる新町橋に差しかかります。
川岸は「新町ボードウォーク」として遊歩道が整備されています。
ると10
この新町橋は徳島城の城山と眉山の間にあり、
江戸時代には吉野川名産の阿波藍を積み出す船着き場で
土蔵が立ち並ぶ商業の中心地だったそうです。
ると11
国道192号線から500mほどに位置する新町橋二丁目交差点。
南に進んだ国道438号線はこの交差点で眉山を眼前に左折しています。
ると12
南東方向へと進路を変えた国道438号線。
名前を変えて二軒屋通りとなって江戸時代からの商店街を抜けて
その先は香川県と徳島県の県境の山地へと向かっています。
ると13
新町二丁目交差点から駅を背にした南側には阿波踊り会館があり
建物前の道路は会館のロータリーとなっています。
ると14
阿波踊り会館の中では物販店舗や阿波踊りの公演があり、
また背後の眉山へと上るロープウェーの乗り場も併設されています。
ると15
切り返して新町橋通りの国道438号線を北の駅方向へと戻ります。
ると16
再び国道192号線と交わる元町交差点へ。
ると17
元町交差点から北側の県道13号徳島停車場線へと入って
駅方向へと進みます。中央分離帯に植えられたヤシの木は
国体開催時の駅周辺整備によって1952年(昭和27年)に植えられたものです。
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停車場線を進み駅前へ。国道から90mほどで駅前広場へと到達します。
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こちらがJR徳島駅前の光景となります。
1899年(明治32年)2月に徳島鉄道の駅として開業したもので、
国有化されて徳島線となり、JRへの分割民営化で高徳線の所属駅となっています。
現在は高徳線、牟岐線、徳島線、鳴門線の4線が乗り入れている
この地域のターミナル駅となっています。
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県道徳島停車場線と駅前広場との合流点付近。
駅の構造状出入口は南側のみとなっており、駅前広場はこちらのみとなります。
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徳島駅前の広場付近の地図です。
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停車場線の正面付近にあたる広場の中央付近には
高速バスの降車場が屋根付きで二列設けられています。
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降車場の東隣の駅舎出入口正面の前付近にはご覧のタクシープールが。
かなりの台数が停まる事ができ日中には多くの客待ちのタクシーが見られます。
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タクシープールの目の前のタクシー乗降場で客待ちをするタクシー。
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駅前広場の西側の外周部付近の様子です。
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広場の一番西側の島は広さがあって公園の様に植え込みとベンチがあります。
そして観光・宿泊案内所が設けられて日中は案内業務を行っています。
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案内所の裏手、広場の北西角付近には駅前駐車場が。
駅レンタカーもこの駐車場に併設されています。
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駅前広場の東の半分はバス乗車場となっています。
一番中央寄りの島は徳島市バスが使用する乗車場の島となります。
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市バスの東隣の徳島バスの乗降場の島。
ると27
この徳島バス乗降場の島は裏側が広く取られていて
半ば公園のように植え込みやベンチなどが置かれています。
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島の端には喫煙所も設けられていました。
ると29
そして駅前広場の一番東側には高速バスの乗降場があります。
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広場の東縁の光景。バス乗降場の裏手の歩道には
駅前の地下駐輪場の入口があります。

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駅舎の入口付近の光景です。駅前広場の北側の歩道部分に
建物からの軒屋根が設けられています。
ると35
反対側から見た入口付近。現在の駅舎は1992年(平成4年)に改築された4代目にあたるもので
ショッピング施設棟とホテル棟が併設された駅ビルとなっています。
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こちらは駅舎の中の1階部分の見取り図です。
ると36
中へと入ると駅ビルの1階が徳島駅の入口となっています。
ると37
正面の改札前付近。自動改札機の無い有人改札となっており
改札の前後にキオスクの店舗とコンビニエンスストアが設置されています。
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窓口前の自動券売機付近の様子。
ると39
駅舎の出入口付近へと戻って西側を見ると
待合用のベンチの置かれたスペースがあります。
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1階西側の待合用のベンチ。
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ベンチの前にはJR四国運営の旅行センターとみどりの窓口があります。
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北側の改札方向へと抜ける通路にもベンチが置かれて
乗降客の待合いに利用が可能です。
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ベンチ前に置かれた阿波踊りの人形。
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人形の斜向かいには駅ビルのエレベーターがあり、
改札方面への通路となっています。

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ちなみにこの駅ビルのエレベーターの裏側は吹き抜けており
ご覧の通りエレベーターがガラス張りとなっています。
ると91
そのガラス張りのエレベーター脇のエスカレーターを下ると
駅ビルの地下へと下ることができます。
ると93
地下階は飲食店などのテナントが入った店舗街となっています。
ると94
その一角の物産展をのぞいてみると、
ショーケースに遊山箱が売られているのを見ることができます。
駅メモのでんこの徳島るとが手に持っているのも徳島県ゆかりの遊山箱で、
実物が一番手早く見られるのはこちらの駅地下だと思います。

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駅ビル地上階へと戻って改札前へ。
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こちらは駅構内ホーム側から見た改札付近です。
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改札を入ると目の前の地面にある駅構内の案内図。
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改札を入った目の前となる2番線ホームです。
徳島駅のホームはどのホームからも各方面へと発着を行っていますが、
2番線は主に高徳線と徳島線の特急が発着しています。
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改札から東方向へと進んだ光景です。跨線橋があり、
隣のホームとの連絡を行っています。
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ホーム東端の牟岐方の光景です。
駅の北側一帯はJR四国徳島運転所の車両基地なので
数多くの側線が見えますが、東方向へと伸びる牟岐線は単線となっています。
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切り返して2番線ホームを西方向へ。
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ホーム中央付近の改札前へと戻ります。
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改札前から2番ホームを今度は西方向へ。
すぐにもう一つの跨線橋の階段が目の前に現れます。
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階段脇の通路を入るとすぐに左手にある鉄道警察隊の警察官派遣所。
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通路をさらに奥へと進むと右手の跨線橋下に待合室が設けられています。
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待合室の中の様子。プラスティック製のベンチが置かれています。
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その先を西へと進むと自販機が並んだ先に2番ホームの西端が。
跨線橋の階段前が2番線ホーム端となります。
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線路側の跨線橋階段脇を戻って改札方向へ。
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先ほどの待合室の線路側の出入口です。
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木製ベンチの置かれた階段脇を抜けて改札前へ。

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ここで駅の構内図を見ると、2番線ホームの西端付近にはご覧の通り
「1番ホーム」の表記があります。実際に見てみるとホームが切り欠きとなっており
その先の西方向へと切り欠きホームが伸びているのが分かります。
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こちらが2番線ホーム西端の先にある1番線ホームです。
切り欠きホームとなっており、主に当駅折り返しの徳島線普通列車が使用しています。
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ホーム入口の東側脇にあるアンパンマン仕様の駅名標。
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1番線ホームの駅名標。牟岐線には連絡していない番線なので
隣駅が徳島線の佐古駅のみの表示となっています。
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この1番線ホームは1992年(平成4年)の駅舎改築時に新設されたものです。
改築以前には1番ホームの左手(南側)の現在は駅ビルのある場所に
頭端式の1、2番線ホームがあったそうです。
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1番線西端の佐古方の様子です。
徳島線の阿波池田方面や高徳線の高松方面などへ向かうことができます。
ると68
切り返して東方向へ。1番線の出入口は東端から2番線に抜けるのみです。
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ホーム側から見た1番線ホーム東端の2番ホームとの接点付近。
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目の前のホーム切り欠きの終端には1番線の車止めがあります。

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こちらは駅の西側の跨線橋の、2番ホーム側の階段付近の様子です。
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西側跨線橋上の通路の光景。
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反対側の3、4番線ホームへと下る階段です。
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駅の北側の島式ホームの3、4番線ホームです。
主に牟岐線の特急や普通列車が発着しており、高徳線や鳴門線の列車も
こちらのホームから発着する列車があるというホームです。
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3、4番線ホームの中央付近。二つの跨線橋に挟まれた
このホームで乗客が一番集まる付近でもあります。
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階段の裏手へとまわって西側の高松方のホーム端付近です。
牟岐線は徳島駅起点でこの駅から西へは走っていませんので
こちら側は高徳線につながっています。
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ホーム端の小屋から先は立ち入り禁止となっていますが
ご覧の通り若干ホームが伸びています。
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切り返してホームを東方向へ。
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階段の脇を抜けてホームの東方へと進みます。
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東側跨線橋の階段下にはエレベーターの乗降口が。
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バリアフリーで設置されたエレベーター乗降口付近の様子です。
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3、4番線ホームの東側の光景。
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ホーム東端の牟岐・阿波海南方の様子です。
こちらは単線の牟岐線へと通じる線路が伸びています。
駅北側に広がる徳島運転所の車両基地の構内踏切が見えますが
当然ながら旅客は立ち入り禁止となっています。
ると83
再度切り返して西の駅舎方向へ。
駅舎は近代的な駅ビルに改築されていますが、
ホームの施設は以前のものが活用されている様子がよく分かります。
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東に進み階段脇からホームの中央部へと戻ります。

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3、4番線ホームから東側の跨線橋を上がります。
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跨線橋上の通路の光景です。
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東側跨線橋から見た徳島駅構内。
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南の1、2番線側の階段を下ります。
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東側跨線橋から2番線ホーム改札前へと戻ります。



■モデル車両: 国鉄8620形蒸気機関車68692号

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8620形は国鉄の前身である鉄道院が導入をした旅客列車牽引用のテンダー式蒸気機関車です。
ると96
「テンダー」とは機関車本体の後ろに石炭と水を搭載している「炭水車」のことで、
分離せず機関車本体に水と石炭を積む機関車はタンク式と呼びます。

明治末期頃に欧米から大型の機関車が輸入されて日本の鉄路を走るようになりました。
しかし当時の日本の運輸状況は外国産の機関車よりも若干小型の機関車が必要であり、
それらを受けて蒸気機関車の国産化技術の蓄積をも目的として
日本国内で開発製造されたのが8620形機関車
です。

1914年(大正3年)から1929年(昭和4年)までの15年で
672両が製造された8620形は当初は日本全国の主要幹線で運用されており、
昭和に入った1930年台以降は後継機の導入によって
近郊旅客用や支線区の貨物用へと転用されていきます。

1955年(昭和30年)には637両とほぼ全ての機体が残って運用されていた8620形ですが、
ディーゼル機関車の導入や路線の電化無煙化によって徐々に数を減らし始めます。

最後に残った8620形は人吉機関区の48679号機および58654号機の二両であり、
湯前線の貨物列車として運用されていましたが
1975年(昭和50年)3月9日を最後に運用を休止されています。
ると97
【上写真:走行するSL人吉】
そのうち58654号機は廃車後に人吉市SL展示館にて保存されていましたが、
九州鉄道開業100周年記念事業の一環として1987年(昭和62年)にSLあそBOYとして復活。
2005年(平成17年)に故障で再度休車となるも2009年(平成21年)にSL人吉として復活し
現在でもJR九州で観光列車として運用をされています。
ると95
【上写真:8620形蒸気機関車の8630号機と58654号機】
かつて日本中を走っていた8620形は2022年(令和4年)現在でも
19両が全国各地で静態保存されています。
そして京都鉄道博物館の8630号機と上記のSL人吉の58654号機の二両のみが
現在(註:2022年)で動態保存をされている機体
となります。


ると98
そして静態保存されている19両の8620形蒸気機関車のうちの一両である68692号機
徳島市の徳島中央公園に1970年(昭和45年)から留置されています。
これは「国鉄の動力近代化によって姿を消しつつある蒸気機関車の姿を
文化財として保存し教育し資する」
という目的でこの地に置かれたものです。
当時の国鉄四国総局長と徳島市長との間で無償貸与契約が結ばれて貸与された機体は
屋根とプラットフォームの設けられた「SL展示場」として公園内で保存されています。
ると99
こちらはその68692号機が保存されている徳島中央公園の様子です。
この地はかつての徳島25万石の蜂須賀家の居城であった徳島城の城址であり、
徳島市が蜂須賀家から買い取った当地を1906年(明治39年)に公園として整備したものです。
るとa01
ご覧の通り徳島駅の北側に隣接して公園はあるのですが、
駅とはJRの車両基地と城址のお堀で分断されていて迂回せねばならず
徒歩でおよそ10分程度のアクセスとなります。
るとa02
徳島城の本丸のあった城山の南側付近の公園内道路の様子です。
駅ホームの東端の真北付近の、線路にほど近いご覧の場所に
SL展示施設が設けられています。
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園内道路の反対の西側から見たSL展示場前付近。
るとa03
こちらが徳島中央公園のSL展示場です。
るとa05
展示場前に立てられた説明版。68692号機は
日立製作所笠戸事業所で1923年(大正13年)1月6日に作られ
同年11月6日に仙台鉄道局に配属された機体です。

戦時中の1942年(昭和17年)に松山機関庫に転属されて四国へ渡り、
1962年(昭和37年)に徳島気動車区小松島支区へと転属されています。
徳島の牟岐線をはじめ四国各地で運用された機体は説明版によると
1969年(昭和44年)7月22日で運用を終えています。
るとa06
同じく展示場前に置かれた68692号機の諸元の書かれた碑です。
「1C」というのは車輪の軸配置を表すもので、頭の数字は先輪の数、
アルファベットは動輪の数を表しCは3番目なので3輪となります。
ですので1Cは右方向へと進むと「○○○。」の形で車輪が並ぶ機関車となります。
るとa07
展示場の中へと入ります。機関車1両分の長さのプラットフォームが作られていて、
駅舎をイメージ的模したと思われる建屋の屋根が建てられています。
るとa08
中はご覧の通りで、線路がつながっていれば列車が発着できそうな
駅の様相の展示施設となっています。
るとa19
車両先端側のホーム脇に、外側へと向けて取り付けられていた
国鉄形の木製の徳島駅駅名標。
るとa09
切り返して車両先頭側から見た展示場内。
徳島市の施設であり、徳島市公園緑地課が施設と車両の管理を行っています。 るとa10
こちらが静態保存されている68692号機の様子です。
細かく何度か仕様の変更がされている8620形ですが、
本機は一番オーソドックスな形状であると思います。
るとa11
ホームから容易に触れられる環境の為、本来窓や出入口である開口部には
部品の盗難避けの為か格子や金網が取付られています。
るとa12
運転台の様子です。
るとa13
車体横の車両銘板。
るとa14
ホームと反対の北側から見た68692号機の車体です。
木や藪があるもののこちら側からは足回りを見ることができます。
るとa15
テンダー車側の車両後部から見た光景。

るとa16
少し離れて見たSL展示場とその周辺の様子です。
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そして展示場の西側には線路が伸びており、
十数メートル先にはトンネルを模した徳島県内の鉄道路線図がありました。
るとa18
路線図には徳島県内路線の開業日が記されていますが、
なぜか鍛冶屋原線だけ書かれていませんでした。

るとa20
駅メモのでんこの徳島るとについては
そのモチーフ車両が国鉄8620形蒸気機関車68692号機と考えられています。
パンタグラフが無く蒸気機関車特有の黒基調のデザインや煙突を模した帽子のデザインなどは
駅メモでSLモチーフのキャラに共通している特徴です。

徳島県内でSLといえば小松島市、鳴門市、そして徳島市の三か所に保存されています。
るとa21
こので中で徳島市は2022年(令和4年)7月に駅メモのモバイルファクトリーと
包括連携協定を締結
しており、でんこの徳島るとのキャラクターが
「徳島市わくわくアンバサダー」に就任
しています。
参考
徳島市 市政情報「株式会社モバイルファクトリーとの包括連携協定」
https://www.city.tokushima.tokushima.jp/shisei/machi_keikaku/partnership/renkei/mobilefactory.html

るとa23
また、ゲーム内ではイベントとして2022年(令和4年)8月より
「徳島市×駅メモ!&アワメモ!コラボデジタルスタンプラリー」が開催されています。
そしてイベントのチェックポイントの一つには徳島中央公園の68692号機も設定されています。

こうした点をふまえ考えると、徳島市にゆかりのキャラクターである事は明白であり、
徳島市内唯一の静態保存SLである8620形68692号機が元ネタだと推察される訳です。
徳島るとは公式アンバサダーではありますが、元ネタ車両のアナウンスはされていないので
以上はあくまで状況による推察となります。
るとa22
そして徳島るとの左手には遊山箱が下げられています。

「遊山」とは「遊びに出かけること」を意味しますが、元々は仏教用語だったそうです。
徳島では桃の節句や菖蒲の節句などで子供たちが野山や海など原へ遊山をする風習がありました。
その遊山で子供たちが使った杢張り三段重ねの重箱を「遊山箱」と言います。
るとa24
徳島市内では昭和半ばまで使用されていたそうですが、近年は使われなくなりつつありました。
最近では徳島商工会議所を中心に遊山箱の伝統を復活させる活動が行われているそうです。

【写真撮影:2022年8月ほか】

でんこの元ネタ
■No.117 白川あそ(Shirakawa Aso)
 ■タイプ:サポーター
 ■誕生日:7月26日

■出身駅: 南阿蘇鉄道 高森線 阿蘇白川駅(熊本)
あそ01



あそ46
こちらは南阿蘇村の旧白川村を通っている国道325号線の旧道の吉田新町付近の光景です。
800mほど北にはバイパスとして作られた現国道325号線が並走しており、
旧道は2002年(平成14年)に国道指定を外されて村道となっています。
あそ47
この旧道の、ご覧の郵便局の向かい付近に南阿蘇村商工会館があるのですが、
その駐車場のフェンスに吉田新町の歴史についての看板があります。
あそ48
説明によると、かつて熊本から阿蘇カルデラ内を経て豊後竹田へと
南郷往還という街道が通っており看板のある吉田新町付近はかつての追分(道の分岐点)で
南郷谷(阿蘇山カルデラの南側盆地)の中心地として栄えた街なのだそうです。
この旧国道付近はかつての街道のメイン通りだった様です。
あそ49
商工会館から東側すぐにある吉田新町のT字路の交差点。
あそ50
東側の角は西安寺という寺の入口なのですが、
その入口付近にご覧の南郷往還の石碑が建っていて
(豊後)竹田方面と日向方面への分岐点であったことが記されています。
あそ51
旧国道からT字路を北へと入っていくと100mほどでご覧の駐車場が開けています。
この付近はかつての旧白川村の役場の跡地であり、この地域の中心地だった場所です。
あそ52
跡地の駐車場の西側には現在は南阿蘇村白水庁舎が置かれており、
北側の奥には村立白水小学校が2021年(令和3年)4月に作られています。
あそ53
南へと切り返して旧国道へと戻ります。

あそ54
旧役場前のT字路から旧国道を東へ。
あそ55
役場のT字路から300mほど進むと南側へと分岐するT字路がありますが、
こちらが駅へと通じている道路の分岐となります。
あそ56
こちらが駅への道の入口交差点付近の光景です。
角には駅への案内標識があります。
あそ60
T字路の国道側には白川水源まで800mの案内標識が。
あそ57
白川水源の方向へ東に進んで180mほどで倶利加羅谷川という川の橋があり、
南阿蘇村の吉田と白川の町字の境界となっています。
隣駅までは駅間800mなのでこの川の向こう側は隣駅の区域と思って良いでしょう。
あそ58
切り返して西の駅方向へと旧国道を戻ります。
あそ59
交差点付近にある白川駅前バス停。
あそ61
駅入口のT字路の東側角にはうどん屋の店舗があります。
あそ62
反対の西側角には2019年(令和元年)にできたギャラリー併設のカフェが。
あそ63
駅前の道を南へと入っていくとすぐに右手に倉庫が並んで建っています。
あそ64
倉庫の向かい側にはご覧の空地が。
あそ07
倉庫の南端の道沿いの一角にはこの地域の名士の胸像が建っていました。
あそ65
駅前の道路を南の駅舎方向へ。
あそ66
駅舎近くの西側には駅前の酒店があります。
あそ67
酒店の隣にあるガレージ。古い写真を見るとかつてはタクシー会社の車庫だった様です。
現在は看板が無いのでおそらく廃業したものと思われます。
あそ68
そして旧国道からはおよそ140mほどの位置にあるこちらが阿蘇白川駅の駅舎となります。
駅は国鉄宮地線の支線の開業によって1928年(昭和3年)2月12日に開設されました。
10か月後の1928年(昭和3年)12月には宮地線が全通して豊肥本線と改称となり、
阿蘇白川駅のある支線は国鉄高森線へと分離改称されています。
あそ16
旧白川村の代表駅であったこの駅の駅舎は南阿蘇鉄道への転換後の1988年(昭和63年)に
当時の竹下内閣のふるさと創生一億円事業によって改築されました。
中には鐘がさがっているという時計塔の立つ洋風の外観はこの時に作られたもので、
駅舎前の道がインターロッキングタイルで舗装されるなどバブル時代の名残が感じられます。
あそ69
改築される前の阿蘇白川駅の駅舎写真が高森駅にありましたが、
以前はご覧の通りの木造のローカル駅舎だった様です。
あそ70
駅舎の前付近の様子。
国道と駅との取付道路の真正面に駅舎が置かれている
地方のローカル駅ではよくある構造となっています。
あそ71
駅舎の左右には駐車スペースが設けられており
一角には駅周辺の観光案内の大看板が置かれています。
あそ72
駅前の観光地図の看板。
あそ73
西側の駅舎斜向かいにはタイル造りの駅前トイレが作られています。
あそ74
このトイレも駅舎と同じくふるさと創生事業で建てられたもので、
中央の壁には水が滝となって流れる仕掛けが作られていました。
しかしこちらもメンテナンス上の理由からながらく滝は流されておらず、
現在ではご覧の通り埋められて花壇となっていました。
あそ75
駅舎西側の広場スペース。
あそ26
広場の一角の、トイレの向いのホーム沿いに置かれた石碑。
内容を見ると1960年代に行われた帰国事業に関するものでした。
あそ76
広場をさらに西側の奥へと進むと村営住宅の駐車場と連絡道路があります。
こちらも村の整備によるものなのでインターロッキング舗装がされています。
あそ77
西端の奥には、駅ホームの橋と通じている通り道が。
あそ78
切り返し駅舎方向へと戻ります。
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駅舎東側にある駅の駐車場スペース。

あそ80
入口へと戻って駅舎の中へと入ります。
あそ81
待合室の中央には鏡張りの柱が立っており、
西側では駅舎内にカフェがあって営業をしています。
あそ82
無人駅ではありますが、カフェがあることもあって待合室内は
ご覧の通り本や小物などがどが飾られて手入れがされている事が分かります。
あそ85
待合室内のカフェの入口。
あそ86
中はカウンターの置かれた対面キッチンのカフェとなっています。
あそ83
ホーム側から見た駅舎待合室の出入口。
あそ84]
こちらが駅ホームの様子です。単式ホーム1面1線の棒線駅となります。
あそ87
ホーム西端の立野方の光景。
端部からは駅の外へと出入りができる状態となっています。
あそ88
切り返してホームを東方向へ。
あそ89
駅舎はホームの東側寄りに建てられています。
あそ90
壁に取り付けられた駅名標。
あそ91
ホーム東端の高森方の様子です。
あそ92
眼前のホーム南側にはご覧の通り水田が広がり、
その向こう側には阿蘇山の外輪山が見えます。
水田に水が張られる5月頃には、列車が水に反射するリフレクション写真が撮れる事から
駅付近は多くの愛好家が集まるスポットでもある様です。
あそ93
また阿蘇白川駅では2020年(令和2年)10月より駅長犬が就任しており、
ホームには駅舎と同じ形をした犬小屋の駅長室が置かれています。
あそ94
トロッコ列車の運行日にはタイミングが合えばご覧の通り
駅長犬「ゆう」が出勤して会うことができる様です。
あそa29
トロッコ列車を出迎える勤務中の駅長犬。
勤務中はきちんと制帽をかぶりネクタイをしています。

あそ95
駅ホーム西端へと戻り、ホーム端の出入口から線路に沿って細い通り道を進みます。
あそ96
道は140mほどで村道へと通じており、
南阿蘇鉄道の竹崎踏切の北側へと出ることができます。
あそ97
踏切を渡ると線路沿いに東へと道が続いており、
駅の南側へと回り込むことができます。
あそ98
南側から見た阿蘇白川駅。

あそ99
駅メモのでんこの白川あそは南阿蘇鉄道のトロッコ列車がモチーフとなっており、
「白川」の名前も南阿蘇鉄道の駅名から取られていると考えられます。
南阿蘇鉄道で「白川」の名前がつく駅名は「阿蘇白川駅」と「南阿蘇白川水源駅」の二つとなります。

「あそ」は阿蘇山や南阿蘇鉄道も由来の要素に含まれているでしょうし、
「白川」にはこの地域を代表する名所の白川水源も要素であると思われます。

しかしながら「白川あそ」という名前は「阿蘇白川」を反転させた状態の名前でもあり、
苗字の由来駅として考えた場合阿蘇白川駅が元と考えるのは一番無難な考えだと思われます。
あそa01
こちらは駅から1.4kmほど東にある白川水源です。湧水量はおよそ60トンで、
1985年(昭和61年)に環境庁(現:環境省) の日本名水百選に選定されている
日本を代表する湧水の一つです。
あそa02
そしてこちらがもう一つの「白川」を冠する駅である南阿蘇白川水源駅です。
白川水源への鉄道アクセスの為に2012年(平成24年)に
南阿蘇村の請願駅として新設された駅となります。



■モデル車両: 南阿蘇鉄道 トロッコ列車「ゆうすげ号」
あそ02


南阿蘇鉄道は旧国鉄特定地方交通線であった高森線を引き継ぐ形で
1986年(昭和61年)4月より運行を開始している第三セクター路線です。

本来は宮崎県側の高千穂線とつながって九州横断鉄道となる予定でしたが
建設中の高森トンネルの異常出水(1977年・昭和52年)などもあって
高森駅から先が開業する事はありませんでした。

この為、南阿蘇鉄道は第三セクター転換された当初から
「人口希薄地帯の盲腸線」のローカル鉄道であることを余儀なくされており、
沿線外の観光客を誘致する方策を取る必要がありました。
その為に南阿蘇鉄道では1986年(昭和61年)7月26日からトロッコ列車を運行開始しています。
あそ39
【上写真:DB10形による南阿蘇鉄道「ゆうすげ号」(写真引用:JS3VXWの鉄道管理局)】
運行にあたっては貨車移動機を本線走行可能なように改造した
DB10形のディーゼル機関車2両が用意されました。
国鉄で入換機として使われていたDB101と、水資源開発公団の入換機だったDB102の二両が
本線走行ができるように改修されて南阿蘇鉄道で1986年(昭和61年)7月に車籍を登録。
観光列車であるトロッコ列車「ゆうすげ号」として運用し観光客を誘致する原動力となりました。

二両のトロッコ客車の前後を機関車で挟む形で運用されたDB10形は
経年劣化による出力低下を理由に2006年(平成18年)に引退するまで
20年にわたって南阿蘇鉄道のトロッコ列車を牽引し続けました。
あそ35
【門司港レトロ線で運用中のDB10形機関車(旧南阿蘇鉄道DB10形)】
南阿蘇鉄道で廃車となった二両の機関車は平成筑豊鉄道へと売却され、
2009年(平成21年)より門司港レトロ観光線で観光トロッコ列車を牽引しており
現在でも運行期間中にはその走るる方を見ることができます。
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駅メモのでんこの白川あその誕生日が7月26日に設定されているのは
南阿蘇鉄道でトロッコ列車「ゆうすげ号」が営業運転を開始をした日と見て良いでしょう。

また、その営業開始の7月26日から走り始めた機関車は現行のDB16形ではなく
平成筑豊鉄道へと移籍をしたDB10形
であるという事は覚えておくべき点かと思われます。
山の阿蘇から海の門司へと渡り歩いている点も興味深いところです。

初代のDB10形のカラーリングは写真見ると分かる通り黒ベースに赤という配色でした。
この初代に似せて作ったという二代目のDB16形は
赤茶(    黄金色(    という配色
となりました。
ゆうすげ号モチーフのでんこの白川あその衣装を見ると、前照灯まわりは赤く
スカートにあしわれたフロントグリルは黄色となっています。
これは二代目のDB16形の配色と同様ですので、
デザインに関してはDB16形のゆうすげ号がモチーフであると考えて良いと思われます。
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そしてDB10形機関車の代換として2007年(平成19年)3月24日から
運用開始をしたのがこちらのDB16形ディーゼル機関車となります。
保守用や産業用の内燃機関車では日本有数の企業である北陸重機工業製の車両であり
日本宝くじ協会の助成を受けた宝くじ号でもあります。



【上動画はクリックで再生します。】
こちらは阿蘇白川駅へと入線するトロッコ列車「ゆうすげ号」の動画です。
それでは以下でトロッコ列車の各車両について見てみたいと思います。

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立野方に編成される機関車のDB1601です。
DB16形の機関車で客車3両を挟む形で前後に連結されており、
こちらの機関車は上り立野方面行きで編成を牽引しています。
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反対の高森方に連結されるDB1602です。下り高森方面への牽引車です。
途中の中森駅に交換設備があるのみの南阿蘇鉄道では機関車が転換できませんので
この様に前後に機関車を配置する形となっています。

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3両の客車の高森方に配置されている1号車のTORA200形です。
トロッコ列車の機関車がDB16形へと変わった2007年(平成19年)に
DB16形と同じ北陸重機にて新たに新造された客車
です。
それまでのオープンだったトロッコ客車に対してこの車両は
開閉式窓の密閉形客車となっています。
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この形式の車両は1両のみで、車体には「TORA-20001」の車両番号が書かれています。
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乗降扉は高森方の車端に設けられています。
車端には壁を背にした座席が設けられていますが、休日はほぼトロッコ列車しか走らない路線なので
この座席は地元の乗客の利用を念頭に設けられたものなのだそうです。
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車内はご覧の通り木製の背もたれのボックス席が設けられ
合計で43席となっています。
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切り返して見た車内。
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こちらは3両のちょうど中間に位置する2号車のトラ700形客車70001です。
名前に名残りが残るようにトラ70000形という国鉄からの無蓋車(屋根の無い貨車)を種車として
客席などを設ける改造を施した客車車両です。
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車両の妻側にある全般検査の銘板。
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連結部付近の車体を見ると、元々の種車である
トラ70000形無蓋貨車の形が残っています。
元が貨車なので車輪付近にはサスペンションとして板バネが使われています。
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2号車の乗降扉付近。この車両は車体の中央部付近に片側一か所づつ、
折り戸の扉の乗降口が設けられています。
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車内の様子です。無蓋貨車の荷室に後付けで窓と屋根を追加しています。
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座席は4人掛テーブル付ボックスシート10セットが設置されており
計40席となっています。立野方の貫通路は腰の高さのスイングドアとなっています。
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切り返して見た車内。高森方貫通路の扉は
TORA200形側に通常の扉が設置されています。
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客室の屋根は骨組みにシートが張られたものとなっていますが、
天井には国鉄車両から流用された扇風機が回っていました。
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そして立野方3号車の客車であるトラ700形70002です。
こちらも70001と一緒に1986年(昭和61年)に貨車からトロッコ客車へと改造をされた車両です。
長らくは貨車に座席が置かれただけの体の車両でしたが2007年(平成19年)に
塗装色の変更や座席の交換、自動ドア化などの改装工事が施されています。
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立野方の車両妻部分に取り付けられた全般検査の銘板。
こちら側から見ると元が貨車であったことが良く分かります。
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立野方方向へと見た3号車客室内の光景です。
機関車側には貫通路はありません。
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切り返して高森方へと見た車内。こちらの車両も
ボックスシート10セットの計40席となります。
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こちらはボックスシートの様子。
木製すのこ状の背もたれにベンチシートとなっており、
中央の木製テーブルにはドリンクホルダーが設けられていました。

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駅メモのでんこの白川あそはこの南阿蘇鉄道のトロッコ列車がモチーフと見られ、
車両の随所にデザインに用いられた箇所が見受けられます。
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スカートにあしらわれたルーバー状の飾り。
DB16形機関車のフロントグリルと同じ色形をしています。
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機関車の車体と同じ赤茶色の腰掛けベルトについているライト。
こちらもDB16形の前照灯と同じ形です。
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スカートのウエストベルト部分を見ると、トラ700形客車の腰板部分と
同じデザインとなっていることが並べると良く分かります。

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白川あそのモチーフはトロッコ列車「ゆうすげ号」であることはまず間違いが無いでしょう。
公式の発表が無いので推測となりますが、デザインモチーフの観点から考えると
トロッコ列車の編成全体が白川あその元ネタなのではないかと思われます。

では。


【写真撮影:2022年8月ほか】

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