門司港レトロ観光線00
さてさて。お次は平成筑豊鉄道門司港レトロ観光線となります。


門司港は明治時代に外国航路の拠点および貿易港として発展した港であり、
日本の近代化を西の玄関として支えた港でした。
この門司港からは鉄道連絡船である関門連絡船が下関との間を結んでおり、
九州の玄関口としての役割を果たしていました。

しかし関門鉄道トンネル(1942年(昭和17年)開通)、
関門国道トンネル(1958年(昭和33年)開通)などで
鉄道連絡線はその役割を序々に失っていき1964年(昭和39年)廃止。
また門司港も戦後に中国との大陸貿易が途絶えるなどしてその地位を失っていきました。

現在では小倉港や洞海港とあわせて「北九州港」と称されており、
その立地からアジアとの貿易拠点としての役割を果たしています。


しかし往年の繁栄を知る人には「衰退」と見える門司港は
おりしもバブルによる不動産開発の波に飲み込まれそうになります。
その中で北九州市は、函館や小樽などを参考として
古い建物を観光資源として残し整備する事を選択。
1988年(昭和63年)より「門司港レトロ事業」として整備再開発が開始され、
主に大正時代の建築物を中心としたレトロ調の観光スポットとして
1995年(平成7年)に完成をしています。


そして門司港駅から北に向かっては関門海峡の海岸沿いには
JR鹿児島本線の貨物支線が900mほど延びていました。
終端には外浜駅という貨物駅が設置されていたのですが、
この外浜駅の側線扱いでさらに3.4kmの線路が
北九州市所有の田野浦公共臨港鉄道として伸びていました。

JRの貨物支線と田野浦公共臨港鉄道の貨物列車は
2004年(平成16年)を最後に運行が無くなり翌年には休止。
その後の2008年(平成20年)に正式に路線廃止となっています。


そしてこの門司港の貨物廃線跡に目をつけたのが北九州市で、
JRの貨物線跡を市で買い取り、元々北九州市所有の田野浦公共臨港鉄道と併せて
観光目的の路線として観光客向けのトロッコ列車を運行する計画を立てました。

幸い廃線跡はほぼ再利用できる状態で残っており、
2008年(平成20年)に北九州市が第三種鉄道事業者(路線の保有)、
平成筑豊鉄道が第二種鉄道事業者(鉄道の運行)として九州運輸局へ許可申請。
2009年(平成21年)4月26日に門司港レトロ観光線として全長2.1kmが開業しました。
門司港レトロ観光線02
こちらはJR九州の鹿児島本線の終端である門司港駅の構内です。
かつては関門連絡線と連絡する九州の玄関口でしたが、
関門トンネルの開通によって現在は実質的には枝の盲腸線の終端駅となっています。
門司港レトロ観光線03
その門司港駅の改札を出て、駅舎の中の通路を東側へと向かいます。
門司港レトロ観光線01
こちらが門司港駅の東口の駅前の様子です。
元々は港に面した西側の駅舎前にロータリーがありましたが、
門司港レトロ事業によって駅舎前が噴水広場となった為
ロータリーはこちらの東側へと移されました。
門司港レトロ観光線05
そのロータリーの西側はバスやタクシーの乗降場となっていますが、
東側は駐車場スペースとなっています。
門司港レトロ観光線06
その駐車場のさらに東側にトロッコ列車の乗降場が設けられています。
門司港レトロ観光線07
こちらがトロッコ列車の乗降場である九州鉄道記念館駅の駅舎の外観です。
2009年(平成21年)の路線開設時に始発駅として設けられました。

当初の計画では「門司港駅」という仮称でしたが
ネーミングライツ権をJR九州が購入。
駅の目の前にある九州鉄道記念館の名前を付けました。
門司港レトロ観光線08
南側から見た駅の様子です。駅舎の南側に切符売り場があり、
切符を購入した乗客はスロープを通ってホームへと入ります。
門司港レトロ観光線09
スロープを通ってホームへ。
脇にはレトロ観光線の終端の車止めがあります。
かつてはJR鹿児島本線とつながっていましたが
現在は連絡する線路が撤去されて車止めとなっています。
門司港レトロ観光線10
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線となっており交換設備や引き上げ線などはありません。
到着した列車はそのまま折り返し運転をする事となります。
門司港レトロ観光線11
そして線路の終端を南側から回りこむと九州鉄道記念館への案内看板があり、
駅の東側の広場になっている場所へと出られます。
門司港レトロ観光線12
こちらが駅名の由来となっている九州鉄道記念館です。
JR各社ではそれぞれが鉄道博物館を持っていますが、
この施設はいわばJR九州の鉄道博物館となります。
門司港レトロ観光線13
記念館には初代九州鉄道本社社屋を転用した本館があり、
駅メモではおなじみの寝台特急月光などもこちらで展示されています。
門司港レトロ観光線14
こちらのレトロ観光線はトロッコ列車という性格上、
定期運行は毎年3月中旬から11月下旬の土日祝日および春・夏休み期間となっていて
常設の普通鉄道ではありますが年間130日程度の運行となっています。
ですから冬場や平日に行ってもご覧の様に駅は閉まっていますので
実乗されたい方は運航日の確認に注意が必要です。



門司港レトロ観光線15
九州鉄道記念館駅を出た列車はすぐに国道198号線を踏み切りで横切ります。
この国道は門司港を600mだけ走る港国道で、踏み切りの東100mほどには
国道3号線が線路と併走するように走っています。
門司港レトロ観光線16
踏み切りからは駅が見えますが、踏切脇の駐車場には
通り抜けができない旨の看板が鉄道により立てられていました。
門司港レトロ観光線17
国道を渡った線路は二車線の道路に沿って北上します。
写真の一番下の、幅の広い東港町踏切まではおよそ300mほどでしょうか。
門司港レトロ観光線25
踏切の目の前には港の岸壁前の広場が。
門司港レトロ観光線18
この付近はかつての門司港の港湾地域で、
現在は門司港レトロ地区として観光用に整備がされています。
門司港レトロ観光線23
岸に面して経っている「海峡プラザ」。
レトロ地区のみやげ物や飲食店などが入るショッピングモールです。
門司港レトロ観光線19
そして東港町踏切のすぐ北側に次の駅が見えてきます。
起点の九州鉄道記念館駅からは500mの距離にあります。


門司港レトロ観光線20
こちらが出光美術館駅の外観となります。
2009年(平成21年)の路線開業時に設置された駅で、
計画時の仮称は門司港レトロ地区の中心部にあたることから「レトロ中央駅」でした。
駅のすぐ北にある出光美術館を運営する財団法人出光佐三記念美術館が
ネーミングライツ権を購入した事で出光美術館駅の名前となっています。
門司港レトロ観光線21
駅は道路沿いに線路との間に作られており、
目の前の道からホームへはスロープで連絡しています。
門司港レトロ観光線22
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線となっており、入口付近に屋根の上屋があるのみとなっています。
門司港レトロ観光線24
スロープへと戻って入口の駅名標の裏側です。



門司港レトロ観光線26
こちらは出光美術館駅の真北の交差点で、
目の前に門司港レトロハイマートという高層マンションが建っています。
マンションですが、最上階は「門司港レトロ展望室」として観光用に開放されています。
門司港レトロ観光線27
景観を巡って市と建築主が争ったという建物ですが、
当初は15階建ての予定の建物を、幅を狭くして高さを倍にして景観問題を解決。
現在では門司港レトロ地区でひときわ目立つランドマークとなっています。
門司港レトロ観光線28
そしてレトロハイマートのすぐ北側に位置するのが、
駅名の元となった出光美術館です。
線路はご覧の美術館の裏側を通っており、裏手からは駅も見える位置にあります。
門司港レトロ観光線29
美術館から線路を挟んだ斜向かいとも言うべき北側には
かつてJRの貨物駅であった外浜駅がありました。
こちらがJR鹿児島本線の貨物支線の終端であり、
奥に北に続く線路は田野浦公共臨港鉄道の廃線跡を転用したものとなります。
門司港レトロ観光線30
線路はまっすぐに北へ。
美術館から門司メディカルセンターの裏手までおよそ250mほどとなります。
線路脇は市が整備した遊歩道が併走しています。
門司港レトロ観光線31
この付近には外浜貨物駅の側線が今でも残っています。
門司港レトロ観光線32
そして外浜駅の構内だった付近を過ぎると
踏み切りの先に門司港の船溜まりが見えてきます。
門司港レトロ観光線33
線路脇に整備された遊歩道です。
門司港レトロ観光線34
遊歩道からは小型船舶が係留されているのが至近で見られます。
門司港レトロ観光線35
岸壁の遊歩道と併走する線路。
北側の正面には関門橋が見えます。
門司港レトロ観光線37
さらに港の脇の遊歩道を進むと
次第に見える船が大型になってきます。
門司港レトロ観光線36
するとまもなく次の駅が見えてきます。
出光美術館駅からはおよそ900mほどの距離となります。



門司港レトロ観光線38
こちらは県道261号門司東本町線という全長1.4kmほどの県道です。
奥の鳥居は県道に立っている和布刈神社の一の鳥居で、
背後の山は旧門司城跡である古城山、その上に見えるのは関門橋の福岡県側の袂です。
門司港レトロ観光線39
県道沿いに建っている門司海員会館の目の前を通って
海側の西へ50mほど進むと、遊歩道が線路を渡っている踏切があります。
門司港レトロ観光線40
切返して海員会館前から県道方向を。
門司港レトロ観光線41
そして踏み切りの海側にノーフォーク広場駅の入口があります。
門司港レトロ観光線42
駅の入口の様子です。
2009年(平成21年)の路線開業時に設置された駅で、
計画当初の仮称は「文字ヶ関駅」でした。
ネーミングライツにより駅近くの割烹料理店が権利を購入し
ノーフォーク広場駅となっています。
門司港レトロ観光線46
駅の入口からはスロープでホームへ。
門司港レトロ観光線47
スロープの終端には、北九州市と姉妹都市の米国バージニア州ノーフォーク市からの
姉妹都市提携50周年を記念する銘板がありました。
門司港レトロ観光線43
こちらがホームの様子です。
貨物線に新設された駅だけに単式ホーム1面1線の棒線駅となっています。
ホームのみで駅舎も上屋も無いシンプルな造りの駅となっています。
門司港レトロ観光線44
駅付近を望む遠景です。
門司港レトロ観光線45
こちらは駅から北に130mほどにある県道との踏切です。
踏切の目の前には和布刈トンネルがあります。
門司港レトロ観光線48
ちなみにトロッコ列車がこの和布刈トンネルを抜ける際には
客車の天井に蛍光塗料で描かれた海底の生物が浮かび上がります。
門司港レトロ観光線49
踏切とトンネルのすぐ西の県道沿いには
こちらのノーフォーク広場の案内表示があります。
門司港レトロ観光線50
港に面したノーフォーク広場には
すぐ横にある門司海上保安部の巡視艇も見えます。
門司港レトロ観光線51
和布刈公園の入口から見える関門橋。


門司港レトロ観光線52
こちらは和布刈公園の北側にある潮風広場です。
関門橋の北側にあり、ノーフォーク広場駅からは山の反対側にあたります。
門司港レトロ観光線55
和布刈トンネルを抜けた先にある公園の様子を
トロッコ列車の客車から。
門司港レトロ観光線53
この広場には国内最大級のたこ型すべり台が置かれていますが、
EF30形電気機関車とオハフ33形客車の二両が静態保存されています。
門司港レトロ観光線54
こちらがFE30形の1号機です。
関門トンネルを挟んだ山陽本線の下関駅━門司駅間が直流電化で、
鹿児島本線の門司港駅━久留米駅間が交流電化という事情から
関門トンネルを牽引する機関車は交直流両用である必要があり開発されました。

和布刈公園の1号機は試作機で、
まさに関門トンネルの為に開発された機関車となります。
門司港レトロ観光線56
その後ろには客車のオハフ33が。
この場所に移設されて「かいもん号」という名前がつけられて
無料休憩所として軽食の売店も設置されました。
門司港レトロ観光線57
車両の横にある説明版です。
門司港レトロ観光線58
公園の前の市道から見た列車の様子です。
門司港レトロ観光線59
そして静態保存されている列車の東側に
トロッコ列車の駅が設置されていました。


門司港レトロ観光線61
こちらが関門海峡めかり駅の外観となります。
2009年(平成21年)の路線開業時に終着駅として設置されました。
線路沿いにはテント布の屋根が設けられており
繁忙期に乗客が待機の列を作る場所となっています。
門司港レトロ観光線62
テントの奥には観光案内を行う「めかり総合案内所」があり
この駅の券売業務も行っています。
その案内書に脇にホームへの入口が設けられていました。
門司港レトロ観光線60
テントや案内所などの前にはご覧のように車寄せとなるロータリーがあり
バス停もこのロータリーに設置されていました。
門司港レトロ観光線63
目の前の海は関門海峡で、
源平の合戦で有名な壇ノ浦とはここの海の事です。
海の向こう側に見える対岸は山口県の下関となります。
門司港レトロ観光線64
そしてこちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線となっています。
門司港レトロ観光線65
この駅は終着駅ですが、線路は駅の先までずっと伸びています。
元々の田野浦公共臨港鉄道の廃線跡なのですが、
駅から800mほど先までが回送線として現在も使われており
トロッコ鉄道の車庫である瀬戸町車庫までつながっています。
門司港レトロ観光線66
いわゆる駅舎は無く、入口付近のホーム西端に上屋の屋根があります。



門司港レトロ観光線67
こちらはレトロ観光線のトロッコ列車です。
機関車も客車もオリエント急行をイメージした青(    )で統一して塗られており、
「潮風号」の愛称がつけられています。
門司港レトロ観光線68
機関車のDB10形ディーゼル機関車101号機です。
編成の北側の関門海峡めかり駅側の先頭車両となります。
門司港レトロ観光線69
反対側の編成南端の九州鉄道記念館駅側を走るDB10型102号機
レトロ観光線ではこの2両以外に機関車はありません。

元々は2両とも南阿蘇鉄道で1986年(昭和61年)から2006年(平成18年)まで
トロッコ列車「ゆうすげ号」を牽引していた機関車で、
2009年(平成21年)より平成筑豊鉄道の所属列車となっています。
門司港レトロ観光線70
途中の客車はトラ70000形客車で、701号と702号の2両となります。
島原鉄道で「ハッピートレイン号」として1997年(平成9年)から
2008年(平成20年)までの間を走っていたトロッコ客車となります。

2009年(平成20年)に機関車と併せて購入され平成筑豊鉄道の所属となり、
若干の改造が施されて車体も青色となっています。
門司港レトロ観光線71
客車内の様子です。


門司港レトロ観光線72
こちらはau 4G LTEでの門司港レトロ観光線の電波状況を示したマップです。
政令市の北九州市を走る路線だけあって全線が電波エリア圏内となっています。
駅へのアクセスに困る事は無いでしょう。


門司港レトロ観光線は全長が2.1kmという路線の為、
徒歩でも片道30分程度で全線を歩く事が可能です。

またJR鹿児島本線の起点の門司港駅からレーダーで
終点の関門海峡めかり駅までが射程5
となっています。
対岸の山口県の下関駅から射程8で届きますし、
門司駅からですらなつめスキルを使えば射程13で届くという状況です。
乗る事にさえこだわらないならば路線コンプはさほど難しくは無い路線です。

門司港レトロ観光線73
しかし線路も列車も全てが一度、廃止になったり廃車になっているこの路線、
3月から11月までのシーズン中でないと乗れませんが
今では連日勢況で席が埋まっている状態です。

JRのフリー切符でも乗れますので、乗らないともったいないと個人的には。

では。

六甲ライナー15
さて、お次は神戸の六甲ライナーです。


正式な名称は「神戸新交通六甲アイランド線」であり、
ゴムタイヤで走り自動運転を行う案内軌条式鉄道(AGT)の路線となります。
駅メモでは神戸新交通六甲アイランド線の方で登録されていますが
一般的には愛称の「六甲ライナー」の方が馴染みが深いでしょう。
1990年(平成2年)2月に全線が開業し、現在に至るまで
新興の六甲アイランドと歴史ある東灘区とを運行しています。



六甲ライナー01
こちらはJR神戸線(東海道本線)の住吉駅です。
六甲ライナー02
JR西日本の駅ですが、ご覧の通り六甲ライナーの乗り換え案内があります。
今回はこちらの六甲ライナーについて書きたいと思います。

六甲ライナー03
こちらは住吉駅の南口です。
1988年(昭和63年)に駅舎が改築されて橋上駅舎となっています。
JRの駅としては北口の方にターミナルビルがあるなどひらけていますが、
六甲ライナーは駅の南側を走っているため、
いわばこちら側が六甲ライナーの駅舎となっています。

駅は1990年(平成2年)の路線開業によって設置されました。
六甲ライナーの免許と許可が下りたのが1986年(昭和61年)ですので
神戸市は六甲ライナー建設を織り込んで住吉駅の改築を行ったということになります。
六甲ライナー04
南口の駅舎へと上る階段です。
六甲ライナー05
階段を上がり橋上に上がると目の前にご覧の光景が見えます。
六甲ライナー06
こちらが六甲ライナーの住吉駅の改札の光景となります。
改札前には格安チケット販売店が。
六甲ライナー07
駅構内側から見た改札付近です。
六甲ライナー08
改札の目の前にはホームへと上がる階段が。
六甲ライナー09
そして階段の脇の壁にはご覧の彫刻のレリーフが展示されています。
これは神戸の彫刻家、新谷英子氏が1975年に(昭和50年)に制作した「オーロラ」という作品で、
発表当時は神戸・三ノ宮の地下街「さんちか」に設置したものが
こちらへと移設されたものです。
六甲ライナー10
階段の裏手にはエスカレーターが設置されており、
その奥へと行くとトイレがあります。
六甲ライナー11
ホーム階の様子です。
島式ホーム1面2線となっており、フルスクリーンのホームドアが設置されています。
六甲ライナー12
北側が1番線、南側が2番線となっており、
終点駅ですのでどちらもマリンパーク方面行きとなります。
通常は1番線が発着に使われ、2番線は原則平日朝のラッシュ時のみ使われる様です。
六甲ライナー13
こちらはホーム西端から見た六甲ライナーの軌道の終端です。
六甲ライナー14
反対のホーム東端からみたマリンパーク方面の様子。
写真中央に見えるタワーマンションの隣の奥に東灘区役所があり、
その先で右手の南へと軌道は直角に近いカーブを描いています。


六甲ライナー16
東灘区役所の西側で南に進路を取った六甲ライナーは
住吉川の東岸の高架上を南下します。
六甲ライナー17
川沿いを800mほど進むと次の駅の駅舎が見えてきます。
こちらは東側の駅舎の裏手と、その前の住吉川に架かる歩道橋です。
六甲ライナー18
こちらが魚崎駅の駅舎の外観となります。
1990年(平成2年)の路線開業で作られた駅で、ご覧の通りの高架駅となっています。
駅へと上る階段はこちら一箇所のみとなっています。
六甲ライナー22
階段の裏手奥へと進むと改札階へと上がるエレベーターがありました。
六甲ライナー19
また階段のたもと付近は歩道が広くなっており「花の広場」と題される
駅前の小さな広場となっています。
六甲ライナー20
広場にある村界碑です。 なんでもこの付近は住吉村と魚崎村の境界争いがあったそうで
和解で境界が確定した際に立てられた様です。
広場の歩道の脇には「村界碑広場」と石標が。
六甲ライナー21
広場から見た東側の住吉川の歩道橋。
六甲ライナー23
南側から見た駅舎の外観です。
六甲ライナー24
階段を上って改札階に。
六甲ライナー25
こちらが改札前の光景となります。
六甲ライナー26
改札を背に南側を見ると右手が駅から出る階段ですが、
正面には南へと伸びる阪神電車の魚崎駅との連絡通路が延びています。
六甲ライナー27
ご覧の様に住吉川の西岸にある六甲ライナーの魚崎駅から
南へと100mほどの対岸に阪神魚崎駅があって、
川岸を通る高架デッキの連絡通路で両駅が繋がれています。
六甲ライナー28
駅の中へと入って改札内の様子です。
入ってすぐに両側に階段とエスカレーターがあります。
六甲ライナー29
こちらがホームの様子です。
相対式ホーム2面2線となっていて、こちらが駅東側にある
1番線の下りマリンパーク方面行きホームとなります。
六甲ライナー30
反対側に西側にある、2番線上り住吉方面行きホームです。
六甲ライナーでは相対式ホームはこの駅のみとなっています。


六甲ライナー31
南側から見た阪神電車と六甲ライナーの立体交差と
阪神魚崎駅の様子です。
六甲ライナー32
阪神電車を越えて130mほど進むと今度は
下に国道43号線、上に阪神高速3号神戸線の高架が通るその間を軌道が通り抜けます。
六甲ライナー33
高速の下を抜けた軌道が住吉川の岸を450mほど下ると
阪神高速5号湾岸線の橋梁の手前に次の駅の駅舎が見えてきます。
3号神戸線の高架から駅までの住吉川の両岸は
住吉川公園として整備がされています。



六甲ライナー34
こちらが南魚崎駅の駅舎となります。
橋脚のように建物が建っておりタワー状の駅舎となっています。
この駅も1990年(平成2年)の路線開業時に設けられました。
六甲ライナー35
地上部の駅舎北側には煉瓦造りの塀と門が作られており
駅の敷地を囲っています。
六甲ライナー36
門の脇には、灘五郷の一つで上灘と呼ばれた酒造地区である魚崎郷の案内銘板が。
六甲ライナー37
門の目の前には住吉川公園の南端があり、
公園名を刻んだ石が置かれていました。
六甲ライナー38
門の中に入ると、運河に面した駅舎の周囲を道路が一周まわっています。
六甲ライナー39
中に入るとタワーの中身はほとんどが階段であることが分かります。
六甲ライナー40
二階へと上るとこちらにも出入口があります。
駅の目の前を、住吉川を渡る市道の橋梁が走っており
駅舎から橋梁へと直接出る事ができます。
六甲ライナー41
駅の二階出入口を外から見た様子です。
六甲ライナー42
三階踊り場です。
一般の乗客は入れませんが三階には管制室があるそうです。
六甲ライナー43
そして四階がこの駅の改札階となります。
券売機と自動改札機が置かれています。
六甲ライナー56
エレベーター脇にある駅周辺の案内地図です。
六甲ライナー44
構内に入って改札の内側付近の光景。
六甲ライナー45
ホーム階へと上がる階段です。
六甲ライナー46
こちらがホームの様子です。
島式ホーム1面2線となっています。
六甲ライナー47
東側が1番線下りマリンパーク方面、西側が2番線上り住吉方面行きとなっています。
六甲ライナー49
ホーム南端から見えるマリンパーク方面の軌道です。
この駅を出るとすぐに列車は運河を渡りお海の上となります。
六甲ライナー48
西側に見える駅舎の駅名標。
六甲ライナー50
こちらがホーム北端からの住吉方面の様子です。
六甲ライナー51
そしてホームから駅の北西を見ると、眼下に「菊正宗」の看板が見えます。
六甲ライナー52
南魚崎駅の北西200mほどの場所にある「菊正宗酒造記念館」です。
中では酒造用具の展示などで酒造りの歴史を伝えています。
酒造の街である上灘らしく、近くには櫻正宗記念館白鶴酒造資料館などもあるようです。



六甲ライナー54
南魚崎駅を出た列車はすぐに運河を渡って
神戸市の東部第2工区と呼ばれる人工島へと渡ります。
いわゆる埋立地として出来た島で全てが工業地帯の島であり、
六甲アイランドへと渡る六甲大橋はこの東部第2工区から架けられています。
六甲ライナー53
そしてこちらが六甲大橋です。
六甲ライナーと自動車道路が同じ橋で渡る鉄道道路併用橋です。
六甲ライナー55
橋から東側を見ると、阪神高速5号湾岸線の六甲アイランド橋が見えます。

六甲大橋を渡って六甲アイランドに入るとすぐに次の駅となります。
南魚崎駅からは南に1.5kmの距離にあたります。


六甲ライナー57
六甲大橋を渡り終えて六甲アイランドに入ってすぐの光景です。
六甲ライナー58
橋を渡り終えた自動車道は駅の下を通る道を抜けて
すぐに公園に突き当たって左右へと曲がる事となります。
六甲ライナー59
駅からk北へと俯瞰した六甲大橋の光景です。
六甲ライナー60
こちらは南側から見たアイランド北口駅の駅舎の外観。
六甲大橋の出口とも言える場所にあるので
あたかも六甲アイランドの巨大なゲートの様です。
六甲ライナー61
その両脇にはデッキへと上がる階段が。
駅の周辺にはペデストリアンデッキが整備されています。
六甲ライナー65
駅付近の見取り図の載った案内板がデッキに。
六甲ライナー62
デッキから見た駅舎です。こちらは東側からの光景となります。
1990年(平成2年)の路線開業で設置されたというのは
他の六甲ライナーの駅と同じです。
六甲ライナー63
反対の西側から見た駅舎。
六甲ライナー64
えきの入口付近です。ペデストリアンデッキに面して出入口が設けられています。
六甲ライナー66
改札内へと入ると手前に階段、奥にエスカレーターがあります。
六甲ライナー67
こちらが階段の様子です。
高架の上に駅がありますので階段は長めです。
六甲ライナー68
上りきってホーム階へと到達すると
階段前は広いコンコースとなっており、両側のホームへと連絡しています。
六甲ライナー71
ホームは分類としては島式ホーム1面2線になるそうなのですが、
Y字型に両端が広がっており単式ホームが2つある駅にしか見えません。
六甲ライナー70
こちらが東側にある1番線の下りマリンパーク方面行きホームです。
ご覧の通りほぼ独立したホームとなっています。
六甲ライナー69
反対側の西側にある2番線の住吉方面行きの上り線です。
南に行くに従って1番線とは大きく距離が離れていきます。
六甲ライナー72
1番線のホーム北端から見た外の光景。
六甲ライナー73
一方の2番線のホーム北端からの光景です。
駅の北にはすぐに六甲大橋がある為、このように上りと下りの軌道が分かれています。
六甲ライナー74
そして南側の軌道の様子です。
こちらは六甲アイランドをほぼ一本で進むので
二つの軌道が合わさっています。
六甲ライナー75
北側から見た駅舎はこの様になっています。



六甲ライナー76
アイランド北口駅を出た列車は一直線に南へと進みます。
両側にビルや巨大マンションが並ぶ中を進むと
まもなく人工河川や噴水のあるリバーモールという地区へと到達します。
ここまでおおよそ駅間距離が400mという短さで次の駅となります。


六甲ライナー77
こちらがアイランドセンター駅の北側の外観となります。
駅の出入口は南側にあるのでこちらはいわば裏手となります。
六甲ライナー78
人工河川の流れる東側を回って駅の南側へ。
六甲ライナー93
駅舎の南東側には神戸ファッション美術館の建物が建っています。
東側は建物が近く、地上には人工河川が流れています。
六甲ライナー92
一方の駅南西にはご覧の広大な駅前広場が広がっています。
六甲ライナー79
南側の駅の外観です。
高架駅となっていますので地上からは階段で改札階へと上がります。
駅は1990年(平成2年)の路線開業で作られました。
六甲ライナー80
階段を上がると目の前に改札が見えますが、
その手前に左右の通路が連絡しており交差点になっています。
六甲ライナー81
東側の通路は神戸ベイシェラトンホテルの建物と連絡しており、
吹き抜けのシェラトンスクエアへとつながっています。
六甲ライナー82
シェラトン側から見た連絡通路。
六甲ライナー83
駅舎とホテルの建物が近い為、地上からは駅舎の全景が見えづらいですが、
ホテルの窓から見るとご覧の通りよく見えます。
六甲ライナー84
こちらは西側のコンコース手前にある駅周辺の案内図です。
西側には副駅名ともなっている「神戸ファッションマート」があります。
六甲ライナー86
こちらが神戸ファッションマートの外観です。
複合商業施設でショッピングフロアの他にイベントフロアも有しており
様々なイベントが行われる施設です。
六甲ライナー85
駅舎の中に戻って改札の光景です。
六甲ライナー94
券売機の横にある駅構内図。
六甲ライナー87
改札内の様子です。
奥に進むとエスカレーター、階段、そしてエレベーターがあります。
トイレは奥では無く階段脇に設置されていました。
六甲ライナー88
ホームの様子です。
路線開業の1990年(平成2年)設置のこの駅も島式ホーム1面2線となっており、
フルスクリーンのホームドアなのも他の駅と同様です。
六甲ライナー89
東側が1番線の下りマリンパーク方面、西側が2番線で上り住吉方面行きとなります。
六甲ライナー90
ホーム南端からのマリンパーク方面への軌道の様子です。
六甲ライナー91
北側の住吉方面の軌道の光景です。



六甲ライナー95
六甲ライナーの軌道は色場の脇を抜けて南下。
アイランドセンター駅から南の軌道沿いは「六甲アイランドリバーモール」という
周辺施設と一体化した広場として整備がされています。
駅から南へ150mほどで道路が。
六甲ライナー97
向陽中央通りという名前の道路を渡ると
左手に高層マンションがあり、その南側に広大なグラウンドが設けられています。
六甲ライナー98
グラウンドの入口には六甲アイランドの大きなマップがありました。
六甲ライナー99
引き続きグラウンドの東側を南へ進むと人工河川を渡り
すぐにまた道路を横断します。
道路の南側すぐに次の駅の駅舎が見えてきました。
アイランドセンター駅からおよそ400mの距離となります。


六甲ライナーa01
こちらがマリンパーク駅の北側の外観です。
駅の出入口はこの駅も南側にありますので、いわば裏手にあたります。
六甲ライナーa02
駅北の広場スペースが「六甲アイランドリバーモール」の南端となります。
六甲ライナーa06
東側の駅前にはリバーモールの人工河川の終端の池が。
六甲ライナーa03
こちらは西側から見た駅舎の外観。
六甲ライナーの駅は全て路線開業の1990年(平成2年)設置ですので
この駅も終着駅として同年に作られました。
六甲ライナーa04
西側の駅前です。
広場に面して「デカパトス」という複合スポーツ施設があり
目の前にフットサル場が見えます。
六甲ライナーa05
フットサル場の北側にはデカパトスの大きなプール施設が。
六甲ライナーa07
そして駅の南側には、まるで高速道路のジャンクションのごとく
ペデストリアンデッキが縦横に設けられています。
六甲ライナーa08
南側のデッキ下にある駅へと上がる階段です。
六甲ライナーa09
デッキに上がると橋脚に隠れるように駅の入口がありました。
六甲ライナーa10
駅舎の入口から改札前付近の光景です。
六甲ライナーa11
改札を背に切り返して見るとご覧の通りです。
六甲ライナーa12
こちらは改札内の様子。
六甲ライナーa13
配置は若干違いますが、階段、エレベーター、
そしてトイレがあるのは他の駅と同じです。
六甲ライナーa14
上に昇ってホームの様子です。
島式ホーム1面2線となっています。
六甲ライナーa15
1番線と2番線がありますが、
終点駅なのでどちらも上りの住吉方面行きとなります。
通常時は2番線が使われ、1番線は朝のラッシュ時のみ使用されている様です。
六甲ライナーa17
ホーム北端から見た住吉方面です。

六甲アイランドの住宅地域は島の中央部にあり、
周囲を公園がまるで城壁のごとく四方を囲んでいます。
平安京で言えば中央の朱雀大路のごとく六甲ライナーが走っており、
マリンパーク駅はいわば朱雀門の位置にあたります。
六甲ライナーa16
こちらはホーム南端から南側の光景です。
終着駅の先にも軌道は続いており、
西へカーブを描いた軌道は六甲島検車場へと続いています。
駅の500m南の大阪湾がよく見えます。
六甲ライナーa18
駅の外へと出て駅舎の南側のぺデストリアンデッキの様子です。
広いデッキは広場の様になっています。
六甲ライナーa19
デッキから六甲島検車場の方向を。
六甲ライナーa20
南端のデッキの先に見える大阪湾。



六甲ライナーa21
こちらは六甲ライナー付近のau 4G LTEでの電波エリアマップです。
神戸市内ということもあり全区間で電波エリア圏内となっています。
トンネルなどはありませんのでどの場所からもアクセスが可能となっています。


レーダーに関してですが、
まず起点の住吉駅からレーダーを飛ばしても六甲アイランドの駅まで届きません。
これは付近をJR神戸線や阪神、阪急が走っている為で、
JRからでは12駅射程では六甲アイランドの駅すら取れません

阪神の魚崎駅からですと、射程12駅でアイランドセンター駅まで、
なつめスキルの射程14駅でやっと終点のマリンパーク駅まで届きます
しかしこの射程もタイトで、魚崎駅から少しでも動くとすぐにマリンパーク駅が射程圏外となります。

電車利用で六甲ライナーを終点のマリンパークまで12駅レーダーで取るには
南魚崎駅まで来る必要があります。
しかし全長4.5kmで全線所要時間が9分、片道250円という六甲ライナーは
4~6分間隔で運行されていますので往復しても1時間掛かりません

という状況なので、六甲ライナーでわざわざ1駅だけ乗って
レーダーを飛ばすメリットは正直言ってあまり感じられません

六甲ライナーa22
ですからとりあえず神戸に行ったら乗りましょう。


では。

北丹鉄道00
さて、お次は京都北部の北丹鉄道についてです。


1923年(大正12年)に福知山駅━河守駅間が開業した路線は
当初は計画中だった国鉄宮津線への福知山からの短絡を目論んで建設されましたが、
内陸部を回る予定だった宮津線が計画変更で海岸部経由へと変更。
長大な路線敷設を賄う体力が無かったことから北丹鉄道は河守以北の延伸を断念します。

すでに開通していた福知山駅━河守駅間でも建設予算の都合によって
路線の多くの区間を由良川の河川敷に敷設するという状態で、
区間によっては堤防に内側を列車が走る区間もあったほどでした。

結果、洪水の多い由良川の増水によって幾度となく浸水し運休。
常に経営難に見舞われる事となり、保線へと予算が回らず線路が荒廃します。
その為列車の最高速度はわずか25km/hに制限されるなどし、更なる利用者減を招く事態となります。

1966年(昭和41年)には河守駅━宮津駅間を日本鉄道建設公団が宮守線として着工。
北丹鉄道は鉄道路盤の国の買い上げに一縷の望みを託し運行を続けます。

そして1969年(昭和44年)の河守鉱山の閉山によって貨物輸送が激減。
とうとう持ちこたえられなくなった北丹鉄道は1971年(昭和46年)に休止し、
そのまま廃止となり会社も解散となりました。


その後紆余曲折があって1988年(昭和63年)に第三セクターの宮福鉄道が開業。
北丹鉄道の為し得なかった福知山と宮津の連絡が成し遂げられました。



北丹鉄道01
こちらはJR西日本の福知山駅の北口です。
JRとしては山陰本線と福知山線の乗り入れる駅であり、
WILLER TRAINS(京都丹後鉄道)もこの駅を起点としています。

そして今回廃線跡を巡る北丹鉄道も、この福知山駅を起点としていました。
駅は1923年(大正12年)の北丹鉄道の開業によって設置されたものです。
北丹鉄道02
駅の北口には大きなロータリーのある広場がありますが、
その広場の西側に建っているのがこちらのJR西日本福知山支社のビルです。
福知山は北近畿の鉄道の要衝ですのでこのように支社が置かれていますが、
かつての北丹鉄道の福知山駅はこの福知山支社のビルの南側にあったそうです。



現在は立体交差事業によって高架線となっているJRの線路に沿って
北丹鉄道は福知山駅前から線路の北側を西へと併走して進みます。
北丹鉄道03
こちらは駅の北を東西に走る府道523号福知山停車場篠尾線の交差点です。
駅からは西へおよそ350mほどの場所にある信号の交差点となります。
すぐ西側には京都府福知山総合庁舎がある付近です。

山陰本線と併走をしてきた北丹鉄道の廃線跡は
この交差点へと向かって北にカーブを描いて走っていました。
北丹鉄道04
府道の交差点を横切った廃線跡は、そのまま北へと道なりに右カーブを描いて進みます。
写真の道路はかつての廃線跡だそうです。
北丹鉄道05
ごらんの交差点から先は、廃線跡は住宅地の開発に飲み込まれており
全く痕跡が残っていません。ですが前後の位置関係から
赤線で示した通りに廃線跡は直進をしていたと考えられます。
北丹鉄道06
裏手に回りこむと川が流れていました。
廃線跡は赤線のように進んでいたと思われます。
北丹鉄道07
廃線が消えた交差点から北におよそ130mほどの
昭和通りと新広小路通りの交わる交差点です。
廃線跡は交差点を斜めに横断して北へとまっすぐに進んでいたと思われます。
北丹鉄道08
交差点の先は廃線跡は住宅地に消えている為、
100mほど北の裏手へと回りこみます。
廃線跡の敷地は私立幼稚園の敷地となっており、
その幼稚園の敷地の真ん中を鉄道は通っていた様です。


北丹鉄道09
幼稚園を背に北側を見るとご覧の光景です。
この先が駅のあった場所なのですが、
駅ホームの他に機回し線と車庫への引き込み線が1本づつあったそうで
敷地の幅はそれなりにあったと思われます。
北丹鉄道10
北へと進んでみるとご覧の通り、
同じ形をした家が一列に並んでいてなんとも壮観な光景となっています。
恐らくこの付近は引き込み線のあったあたりであり、
ある程度幅のある細長い土地をハウスメーカーが開発分譲した結果だと思われます。
北丹鉄道11
同じ形の家の分譲地から一本東側の道へと進み、
北に進むとまもなく公園が見えてきます。
こちらの公園が北丹鉄道の福知山西駅の駅跡となります。
北丹鉄道12
公園の外観です。この公園には「西駅公園」という名前がつけられており
かつての駅跡であったことを示しています。
北丹鉄道13
公園の中の様子です。北丹鉄道では一番規模の大きな駅だったそうで、
駅舎の他に北丹鉄道の本社も置かれていたので
それなりの広さの敷地の公園となっています。
北丹鉄道14
公園の北西の一角にある「北丹鉄道本社跡」の石碑です。
1983年(昭和58年)に福知山市によって建立されたそうです。
北丹鉄道15
そしてこの公園が駅跡であることを示すのがこちらの蒸気機関車です。
北丹2号と呼ばれる蒸気機関車で開業より走っていましたが
1956年(昭和31年)に廃車となっています。
こちらに展示されているのは実車では無く、
2004年(平成16年)に福知山市によって復元されたレプリカです。
北丹鉄道16
機関車の脇には駅名標を模した石碑が。
北丹鉄道46
ちなみにこのレプリカが静態保存されている線路は営業当時の位置に作られています。
北丹鉄道47
公園となった後の写真のあるこちらこちらの写真を参照すると
営業当時の駅の位置関係が良く分かります。
駅の北に伸びる道路が廃線跡と言われていますが、
実際には道路の西側に並ぶ住宅のあたりまでが線路だった様です。
ですのでレプリカの横のホーム状の部分は
実際に営業当時に使われたホームの一部
であることが分かります。
北丹鉄道17
横から見た、駅跡を出る廃線跡。



廃線跡は北へと向かい、由良川にぶつかるとカーブを描き
河川敷の左岸(東岸)を北東方向へと進みます。

鉄道を河川敷に敷設したのは建設資金の都合からと言われており、
結果洪水の多い由良川の出水の影響を何度も受ける事となります。
北丹鉄道18
河川敷に近い田んぼの中の光景ですが、
こちらがかつての下川駅の駅跡となります。
二車線の市道がかつての廃線跡で、写真中央を奥へとまっすぐに伸びる道は
あぜ道に見えますが宮津街道の旧道だそうで、
街道と鉄道が交差するこの地が駅設置場所に選ばれた様です。
北丹鉄道20
福知山西駅からは北東に直線で3km、営業距離で3.4kmの地点のこの駅は
開業当初からあった駅では無く、戦後の1948年(昭和23年)に住民要望で設置された駅だそうです。
なんでも住民が自分で駅を作る事を条件に設置されたそうで、
土を運んで3ヶ月かけてホームを作り上げた
そうです。
そのため地面に単式ホーム1面1線があるのみで駅舎も無い無人駅でした。
北丹鉄道19
駅跡の目の前に設置されている下川バス停です。



北丹鉄道21
下川駅跡を背に廃線跡と北へと進むと450mほどで牧川を渡ります。
かつては牧川橋梁が架かっていたそうですが、市道の自動車橋へと架け替えられています。
北丹鉄道23
小高くなった橋から南の下川駅跡方面を見た光景。
北丹鉄道22
こちらは逆に橋から北へと廃線跡の市道を500mほど進んだ地点で、
右へと分岐している道路は府道527号筈巻牧線の起点です。
もう少し北へと進むと次の駅の駅跡となります。


北丹鉄道24
写真の左中央に見える白い建物は天津小学校の校舎です。
この小学校の南側付近にかつての駅があったそうです。
北丹鉄道25
こちらのT字の交差点付近がかつての上天津駅の駅跡付近となります。
廃線を転用した市道の東縁付近が駅跡と思われますが
遺構が全く残っていないので正確な位置は不明です。
当時の写真を見ると駅舎はホームの西側にありました。
北丹鉄道26
ただ、こちらの小学校の南を東西に走る道路は
かつての駅への取り付け道路だったそうで、
この道の正面付近の市道付近が駅跡であることは当時の写真からも間違いありません。



下天津駅跡を北に進むと、市道はすぐに国道175号線の宮津街道へと合流します。
廃線跡は国道と由良川の間を進んでいた様で、用水路を跨ぐ小さい橋梁跡などが
国道の東脇に点在している様です。
北丹鉄道27
こちらは国道上の下天津バス停。
上天津駅からちょうど2kmほど北上したこのバス停付近に
次の駅の駅跡がありました。
北丹鉄道28
こちらが下天津駅の駅跡付近となります。
1923年(大正12年)の北丹鉄道の開業時に作られた駅で、
福知山西駅に次ぐ大きさの駅だったそうです。
北丹鉄道29
交差点前にはかつての駅へと下りる舗装された道が
現在でも荒れながらも残っていました。
北丹鉄道30
駅跡へ西から伸びている道路。
現在は市道に交差点で合流していますが、かつては駅へと通じる道でした。
北丹鉄道31
北丹鉄道の下天津駅跡から西に250mほどの場所には
京都丹後鉄道の下天津駅が設置されています。
北丹鉄道32
高架駅のホームから西側を見ると、北丹鉄道の下天津駅跡付近を
ご覧の様に俯瞰で見下ろすことができます。


北丹鉄道33
国道175号線を北上し、こちらは国道176号線が分岐する下天津交差点です。
名前が同じですが下天津駅跡からは北に700mほどに位置します。
北丹鉄道34
下天津交差点から北にすぐの場所にあるのがこちらの丹後国標柱です。
大きい方に「従是北丹後国加佐郡」、小さい方には「従是南京都府天田郡」とありますので
ここが宮津街道の京都と丹後の境だったようです。
北丹鉄道35
標柱を過ぎるとまもなくご覧の付近へと差し掛かります。
この付近で北丹鉄道の廃線跡は国道に東側から西側へと道を跨いでいた様です。
北丹鉄道36
そしてすぐに目の前に現れるのがこちらのトンネルです。
これは北丹鉄道の日藤第一トンネルで、国道と同じ高さに嵩上げされて
歩道へと転用されている鉄道遺構となります。
北丹鉄道37
日藤第一トンネルの北側の出口。
北丹鉄道38
そしてトンネルを抜けるとご覧のように道を渡ってすぐに
再びトンネルが現われます。
北丹鉄道39
日藤第二トンネルです。こちらのトンネルは嵩上げされていませんので、
第一トンネルに比べると隧道が縦長なのが分かります。
北丹鉄道40
第二トンネルの北側出口付近の光景です。
北丹鉄道41
トンネルを抜けるとご覧のように廃線跡の国道と由良川はかなり接近しています。
北丹鉄道42
国道から由良川の堤防が分かれているこのあたりで
北丹鉄道の廃線跡は再び国道の東側へと道を跨ぎます。
北丹鉄道43
国道を跨いでいる京都丹後鉄道の跨道橋。
北丹鉄道の廃線跡は国道と堤防の間付近と思われます。
北丹鉄道44
引き続き国道脇の田んぼとの間を廃線跡が北上すると、
まもなく廃線跡は国道脇の舗装された小路となります。
北丹鉄道45
その先には、市の体育館の南の小川に架かる
北丹鉄道のガーター橋の遺構がまだ残っていました。
この橋梁を渡るとまもなく次の駅跡となります。


北丹鉄道48
国道175号線沿いのこちらが北丹鉄道の公庄駅付近となります。
駅は1923年(大正12年)の路線開業時に開設されました。

川西体育館の西側を通った廃線跡が、
体育館の北側に差し掛かったグラウンドあたりがかつての駅跡だったそうです。
国道沿いの黒田商店という雑貨店の斜向かいあたりに公庄駅の駅舎があったそうで、
単式ホーム1面1線の東側には貨物の引込み線があったそうです。
北丹鉄道49
そして北丹鉄道の公庄駅跡のすぐ北隣の目の前には
京都丹後鉄道の公庄駅があります。
北丹鉄道50
位置的には京都丹後鉄道の公庄駅の駅前ロータリーが
北丹鉄道の廃線跡であったことは間違い無いでしょう。


北丹鉄道51
公庄駅跡を出て引き続き国道の廃線跡を北へ。
駐在所の前と通過します。
北丹鉄道52
京都丹後鉄道と併走する国道を北上。
廃線跡は国道と京都丹後鉄道の間付近とも
京都丹後鉄道の敷地が廃線跡を利用したとも言われますが、
遺構が断片的にしか残っておらず正確なところは分かりません。
北丹鉄道53
左手にお寺や神社のある前を通過します。
北丹鉄道54
引き続き右手に京都丹後鉄道の築堤が見える国道を北上。
北丹鉄道55
国道と京都丹後鉄道の間に「緑の一里塚」なる休憩施設が見えてきます。
北丹鉄道56
そして右手に側道が現れ、その先にガソリンスタンドが見えると
次の駅の駅跡となります。公庄駅跡からは1.7kmほどの距離にあたります。


北丹鉄道57
こちらのガソリンスタンドのある信号の交差点が
北丹鉄道の蓼原駅のあった場所となります。
北丹鉄道58
国道175号線の東側、ガソリンスタンドの看板の下付近に
小屋が見えますがこちらは野菜の無人販売所だそうで、
この小屋付近に駅があったとのことです。

1923年(大正12年)の路線開業で出来た駅ですが
単式ホーム1面1線のみの無人駅だったそうで、
国道と鉄道に廃線跡が飲み込まれており痕跡は残っていません。



北丹鉄道59
蓼原駅跡を出た廃線跡は国道沿いに北へと向かいます。
この付近では国道と京都丹後鉄道がぴったり併走状態となっていますので
どちらかに廃線跡は飲み込まれてしまっていると思われます。
北丹鉄道60
駅跡から400mほど進むと国道と鉄道は左右に別れます。
廃線跡は左手の国道に沿って伸びており、
国道の東側沿いに北丹鉄道の路盤の跡が現在でも残っているのが分かります。
そしてまもなく北丹鉄道の終点が見えてきます。


北丹鉄道62
こちらは国道175号線(宮津街道)の河守交差点です。
府道493号西坂蓼原線が東へと分岐をしています。
この交差点の東側の真横がかつての河守駅の駅跡となります。

駅は1923年(大正12年)の北丹鉄道開業によって終着駅として設置されました。
ホームは1面1線でしたが、東側には機回し線が、ホーム裏手の西側へは留置線が延びていました。
北丹鉄道63
河守交差点の南東角にある砂利敷きの空き地です。
かつてはここにタクシー会社があってプレハブの事務所がありました。
この空き地が河守駅の駅構内の南端付近となります。
北丹鉄道64
そして旧タクシー会社敷地から県道を挟んだ北隣には
こちらの大江駅前商店街があります。この商店街は行政主導で作られたもので、
河守駅の跡地だった旧大江町の町有地が提供
されて
宮福鉄道(現・京都丹後鉄道)大江駅開業翌年の1989年(平成元年)に
書店や電気店、雑貨店など9店舗で開業しました。
北丹鉄道66
店舗の建物が立ち並ぶあたりがかつての線路の場所で、
その西側の商店街の通りになっている付近にホームがありました。
北丹鉄道61
おおよその図を書き込むとご覧のような感じで駅はありました。
ホームは現在の県道を跨いでおり、県道の場所付近に駅舎があったそうです。
北丹鉄道67
駅舎があったとされる県道付近。
北丹鉄道68
そして駅跡である商店街の東側には
京都丹後鉄道の大江駅があります。



北丹鉄道69
こちらは北丹鉄道の区間のau 4G LTEでの電波エリアマップです。
国道沿いの福知山市内の路線だったということもあり
全線が電波エリア圏内となっています。
駅へのアクセスに困る事はまず無いでしょう。


元々国鉄宮福線への転換を目論んでいた北丹鉄道は、
その廃線跡に併走するようにWILLER TRAINS(京都丹後鉄道)宮福線が走っています。
日本鉄道建設公団が建設した宮福線は高規格な為、
途中にいくつものトンネル箇所があります


しかしそれを考慮しても尚、京都丹後鉄道宮福線に乗ってレーダーを飛ばせば
基本的に北丹鉄道は全てコンプが可能
となります。
レーダーを使わなくても宮福線から直接チェックインできる駅もいくつもありますので
わざわざ現地へと出向かなくてもコンプできるという訳です。


まあ、福知山自体が京都や大阪などから結構な時間がかかる地であるという事もありますので
北丹鉄道を実際に現地まで行く人はそれなりの物好きだと思います。
北丹鉄道70
しかし、福知山には北丹鉄道の資料の集まった
「福知山鉄道館ポッポランド」もありますし、是非一度は行ってみてほしいなと。
北丹鉄道71
資金難でポッポランド、事実上の廃館になっちゃってますけど。


では。

↑このページのトップヘ