でんこの元ネタ
■No.41 南郷にちな(Nango Nichina)
■タイプ:ディフェンダー
■誕生日:10月10日
■出身駅: JR九州 日南線 南郷駅(宮崎)
こちらは国道448号線が国道220号線に合流する南郷駅前交差点付近です。
名前の通りこの交差点の前にJR日南線の南郷駅があります。
交わる国道220号線から見た駅前付近。
国道448号線はこの南郷駅前から宮崎市方面は
併用区間として国道220号線と同じ道となっています。
東側からみた交差点付近の光景。
こちらがの駅舎の外観となります。
1936年(昭和11年)に国鉄志布志線の延伸によって開業した駅で、
駅舎の建物は1952年(昭和27年)に鉄筋コンクリート製に改築されたものです。
駅前広場の様子です。
国道の交わるT字路に面して
ロータリー状の広場が設けられています。
広場の東の一角にはご覧の宮崎交通バスのバス停があり
路線バスが発着をしています。
反対方向のバスのバス停は駅前交差点の東方に置かれています。
こちらの国道沿いには若干の店舗が集まっていました。
一旦駅舎の前へと戻ります。
こちらは駅舎の中の待合室の様子です。
部屋の中央部に物が置かれておらず開放的なので
実際よりも広めに感じます。
駅の入口の脇にはご覧の窓口が。
建物に南郷の観光協会が入っており、切符の委託販売を行っています。
窓口脇の時刻表と運賃表。
待合室の片隅に置かれたチョロ船(木造無動力帆船)とカツオ船の模型。
南郷はカツオの一本釣り漁法のメッカであり
一本釣りの漁獲量が20年間連続して日本一となっています。
こちらは改札付近の様子です。
改札のラッチ前の立て看板は先日JR九州が行ったキャンペーンで
南郷駅が「マンゴー駅」となった時のものです。
構内側から見た駅舎の改札付近です。
改札脇には観光協会のレンタサイクルの案内看板がありました。
駅舎の前にはホームとの連絡の為の構内踏切が。
踏切からホームを見るとご覧の様に右へとゆるやかにカーブを描いています。
こちらがホームの様子です。
この南郷駅は単式ホーム1面1線のみとなっています。
引き上げ線は構内にあるものの列車交換はできません。
ホーム東端の宮崎駅方面には構内踏切へのスロープが。
西端の志布志方面はご覧の光景となっています。
ホームから見た駅舎。
■モデル車両: JR九州 キハ125系気動車400番台 海幸山幸
こちらの列車は日南線の観光特急である「海幸山幸」という列車です。
車両のデザインはJR九州の観光列車を軒並み手がけている
水戸岡鋭治氏の手によるものです。
それまで優等列車の走っていなかった大隅半島の日南線に
宮崎県南部地域を結ぶ観光列車として
2009年(平成21年)10月10日より運行を開始しています。
駅メモのでんこ「南郷にちな」の誕生日が10月10日に設定されていますが、
これはにちなのデザインモチーフである
「海幸山幸」の営業運転開始日が元ネタと見て良いでしょう。
【上写真・高千穂鉄道TR-400形402号車「天鈿女(あまのうずめ)」】
「海幸山幸」の車両は元々は、宮崎県にあった第三セクター路線である
高千穂鉄道を走っていたTR-400形という気動車でした。
TR-400形は古事記や日本書紀の神話の舞台である高千穂を走る鉄道に
「トロッコ神楽号」として2003年(平成15年)3月から運転を開始した観光列車で、
一時期は観光利用客が倍増するなど一定の成果を上げた列車でした。
しかし高千穂鉄道は2005年(平成17年)9月6日の台風14号の被害によって
路盤の崩落や橋梁2箇所が流出するなどの億単位の被害を蒙り運行を休止。
そのまま復旧することができずに2008年(平成20年)に廃止となっています。
駅メモの「南郷にちな」は「暴風雨を異常に怖がる」という設定がされていますが
これは「海幸山幸」の前身である高千穂鉄道時代の被害がモチーフとなっている様です。
そして5年ほどしか使っていなかったTR-400形の2両は
廃線後に共にJR九州へと売却されました。
JR九州小倉工場で改造を施されて特急「海幸山幸」となり、
キハ125形に編入され400形として現在に至っています。
特急名となった「海幸山幸」という名前も、古事記や日本書紀にある
日向神話の山幸彦と海幸彦が元となっています。
高千穂鉄道時代も日本神話とモチーフとしていましたが、
JR九州で生まれ変わった後も引き続き日本神話が元となっています。
駅メモの「南郷にちな」の衣装が巫女のようなデザインなのも
このあたりの神話モチーフが由縁なのでは無いでしょうか。
こちらはキハ125-401の「山幸」です。
高千穂鉄道TR-401「手力男(たぢからお)」が種車となっている車両となります。
「手力男」とはアメノタヂカラオ(天手力男神)のことで、
日本神話では岩戸に隠れた天照大神が岩戸から覗いたときに
その怪力で天の岩戸を引き開けた神様、と言え場ば分かるかと思います。
またJRに移籍してからつけられた名前の
「山幸」とは山幸彦のことで山の猟が得意な神様です。
日本神話の火折尊(ホオリノミコト)にあたり、
神武天皇(初代天皇)の祖父にあたるそうです。
車体の外装には地元の日南市の特産である
「飫肥杉」がふんだんに貼られています。
列車のデザインコンセプトである
「木のおもちゃのようなリゾート列車」を表現した外装となっています。
また、観光列車として風景を楽しむ為に窓が大窓となっています。
車内に入り、こちらは南郷方の車端部の様子です。
運転台があり、乗降扉の後方にはサービスカウンターと
ソファーシートが置かれています。
カウンターの反対側のソファーシートです。
そして車両の中央部の座席スペースとなります。
こちらの車両は全席が指定席で、2+1のシートが7列で21席となっています。
こちらは1列のシート。
2列のほうのシートです。
肘掛や窓枠などにも化粧材として飫肥杉が使われています。
そして宮崎方の乗降扉の手前のこちらのスペース。
私は最初はフリースペースなのかと思っていましたが
よく見てみると車椅子用に取られたスペースでした。
車椅子スペースの目の前にはご覧の多機能トイレが。
壁には切り絵のようなデザインが施されていました。
宮崎方の車端部にも気動車なので運転台があり、
その脇の貫通扉には隣の車両「山幸」ののれんが掛かっていました。
キハ125-402の「海幸」です。
高千穂鉄道TR-402「天鈿女(あまのうずめ)」元となっている車両です。
「天鈿女」とは天鈿女命(アマノウズメ)という女性の神様で、
天の岩戸の前で踊りを踊って天照大神の気を引き岩戸を開けさせた、
と言えば分かると思います。
またJR九州でつけられた「海幸」とは海幸彦のことで海の漁の得意な神様です。
古事記の海幸彦の神話はのちに浦島太郎の元ネタとなった事でも知られています。
日本神話では火照命(ホデリノミコト)にあたり
阿多の隼人(日向から大隅にかけての豪族)の祖神とされています。
南郷方の車端部には運転台と、貫通扉に隣の「海幸」ののれんがかかっています。
そして乗降扉の後部には長いすのソファーシートと
車椅子スペースを兼ねたサロンスペースがあります。
こちらがソファーシート。
その向かいにあるサロンスペースのカウンターです。
上の棚には飫肥杉の木工細工が並べられています。
車内客室の客席の様子です。
2+1のシートが10列あり30席が設けられてています。
座席のヘッドカバーの色が違うのが分かりますが、
これは宮崎方の3列が自由席となっているが故です。
テーブルは座席の背もたれには無く、
肘掛の中に収納されたものを取り出す方式となります。
窓のカーテンは遮光カーテンでは無くすだれが使われていました。
上の荷物棚にも杉材が使われていました。
そして宮崎方の車端部です。
乗降デッキとなっており運転台があります。
扉の前には小さなベンチシートが。
余談ですがこちらは「海幸山幸」の車内販売で買った「おつまみセット」です。
【写真撮影・2018年8月】
■No.41 南郷にちな(Nango Nichina)
■タイプ:ディフェンダー
■誕生日:10月10日
■出身駅: JR九州 日南線 南郷駅(宮崎)
こちらは国道448号線が国道220号線に合流する南郷駅前交差点付近です。
名前の通りこの交差点の前にJR日南線の南郷駅があります。
交わる国道220号線から見た駅前付近。
国道448号線はこの南郷駅前から宮崎市方面は
併用区間として国道220号線と同じ道となっています。
東側からみた交差点付近の光景。
こちらがの駅舎の外観となります。
1936年(昭和11年)に国鉄志布志線の延伸によって開業した駅で、
駅舎の建物は1952年(昭和27年)に鉄筋コンクリート製に改築されたものです。
駅前広場の様子です。
国道の交わるT字路に面して
ロータリー状の広場が設けられています。
広場の東の一角にはご覧の宮崎交通バスのバス停があり
路線バスが発着をしています。
反対方向のバスのバス停は駅前交差点の東方に置かれています。
こちらの国道沿いには若干の店舗が集まっていました。
一旦駅舎の前へと戻ります。
こちらは駅舎の中の待合室の様子です。
部屋の中央部に物が置かれておらず開放的なので
実際よりも広めに感じます。
駅の入口の脇にはご覧の窓口が。
建物に南郷の観光協会が入っており、切符の委託販売を行っています。
窓口脇の時刻表と運賃表。
待合室の片隅に置かれたチョロ船(木造無動力帆船)とカツオ船の模型。
南郷はカツオの一本釣り漁法のメッカであり
一本釣りの漁獲量が20年間連続して日本一となっています。
こちらは改札付近の様子です。
改札のラッチ前の立て看板は先日JR九州が行ったキャンペーンで
南郷駅が「マンゴー駅」となった時のものです。
構内側から見た駅舎の改札付近です。
改札脇には観光協会のレンタサイクルの案内看板がありました。
駅舎の前にはホームとの連絡の為の構内踏切が。
踏切からホームを見るとご覧の様に右へとゆるやかにカーブを描いています。
こちらがホームの様子です。
この南郷駅は単式ホーム1面1線のみとなっています。
引き上げ線は構内にあるものの列車交換はできません。
ホーム東端の宮崎駅方面には構内踏切へのスロープが。
西端の志布志方面はご覧の光景となっています。
ホームから見た駅舎。
■モデル車両: JR九州 キハ125系気動車400番台 海幸山幸
こちらの列車は日南線の観光特急である「海幸山幸」という列車です。
車両のデザインはJR九州の観光列車を軒並み手がけている
水戸岡鋭治氏の手によるものです。
それまで優等列車の走っていなかった大隅半島の日南線に
宮崎県南部地域を結ぶ観光列車として
2009年(平成21年)10月10日より運行を開始しています。
駅メモのでんこ「南郷にちな」の誕生日が10月10日に設定されていますが、
これはにちなのデザインモチーフである
「海幸山幸」の営業運転開始日が元ネタと見て良いでしょう。
【上写真・高千穂鉄道TR-400形402号車「天鈿女(あまのうずめ)」】
「海幸山幸」の車両は元々は、宮崎県にあった第三セクター路線である
高千穂鉄道を走っていたTR-400形という気動車でした。
TR-400形は古事記や日本書紀の神話の舞台である高千穂を走る鉄道に
「トロッコ神楽号」として2003年(平成15年)3月から運転を開始した観光列車で、
一時期は観光利用客が倍増するなど一定の成果を上げた列車でした。
しかし高千穂鉄道は2005年(平成17年)9月6日の台風14号の被害によって
路盤の崩落や橋梁2箇所が流出するなどの億単位の被害を蒙り運行を休止。
そのまま復旧することができずに2008年(平成20年)に廃止となっています。
駅メモの「南郷にちな」は「暴風雨を異常に怖がる」という設定がされていますが
これは「海幸山幸」の前身である高千穂鉄道時代の被害がモチーフとなっている様です。
そして5年ほどしか使っていなかったTR-400形の2両は
廃線後に共にJR九州へと売却されました。
JR九州小倉工場で改造を施されて特急「海幸山幸」となり、
キハ125形に編入され400形として現在に至っています。
特急名となった「海幸山幸」という名前も、古事記や日本書紀にある
日向神話の山幸彦と海幸彦が元となっています。
高千穂鉄道時代も日本神話とモチーフとしていましたが、
JR九州で生まれ変わった後も引き続き日本神話が元となっています。
駅メモの「南郷にちな」の衣装が巫女のようなデザインなのも
このあたりの神話モチーフが由縁なのでは無いでしょうか。
こちらはキハ125-401の「山幸」です。
高千穂鉄道TR-401「手力男(たぢからお)」が種車となっている車両となります。
「手力男」とはアメノタヂカラオ(天手力男神)のことで、
日本神話では岩戸に隠れた天照大神が岩戸から覗いたときに
その怪力で天の岩戸を引き開けた神様、と言え場ば分かるかと思います。
またJRに移籍してからつけられた名前の
「山幸」とは山幸彦のことで山の猟が得意な神様です。
日本神話の火折尊(ホオリノミコト)にあたり、
神武天皇(初代天皇)の祖父にあたるそうです。
車体の外装には地元の日南市の特産である
「飫肥杉」がふんだんに貼られています。
列車のデザインコンセプトである
「木のおもちゃのようなリゾート列車」を表現した外装となっています。
また、観光列車として風景を楽しむ為に窓が大窓となっています。
車内に入り、こちらは南郷方の車端部の様子です。
運転台があり、乗降扉の後方にはサービスカウンターと
ソファーシートが置かれています。
カウンターの反対側のソファーシートです。
そして車両の中央部の座席スペースとなります。
こちらの車両は全席が指定席で、2+1のシートが7列で21席となっています。
こちらは1列のシート。
2列のほうのシートです。
肘掛や窓枠などにも化粧材として飫肥杉が使われています。
そして宮崎方の乗降扉の手前のこちらのスペース。
私は最初はフリースペースなのかと思っていましたが
よく見てみると車椅子用に取られたスペースでした。
車椅子スペースの目の前にはご覧の多機能トイレが。
壁には切り絵のようなデザインが施されていました。
宮崎方の車端部にも気動車なので運転台があり、
その脇の貫通扉には隣の車両「山幸」ののれんが掛かっていました。
キハ125-402の「海幸」です。
高千穂鉄道TR-402「天鈿女(あまのうずめ)」元となっている車両です。
「天鈿女」とは天鈿女命(アマノウズメ)という女性の神様で、
天の岩戸の前で踊りを踊って天照大神の気を引き岩戸を開けさせた、
と言えば分かると思います。
またJR九州でつけられた「海幸」とは海幸彦のことで海の漁の得意な神様です。
古事記の海幸彦の神話はのちに浦島太郎の元ネタとなった事でも知られています。
日本神話では火照命(ホデリノミコト)にあたり
阿多の隼人(日向から大隅にかけての豪族)の祖神とされています。
南郷方の車端部には運転台と、貫通扉に隣の「海幸」ののれんがかかっています。
そして乗降扉の後部には長いすのソファーシートと
車椅子スペースを兼ねたサロンスペースがあります。
こちらがソファーシート。
その向かいにあるサロンスペースのカウンターです。
上の棚には飫肥杉の木工細工が並べられています。
車内客室の客席の様子です。
2+1のシートが10列あり30席が設けられてています。
座席のヘッドカバーの色が違うのが分かりますが、
これは宮崎方の3列が自由席となっているが故です。
テーブルは座席の背もたれには無く、
肘掛の中に収納されたものを取り出す方式となります。
窓のカーテンは遮光カーテンでは無くすだれが使われていました。
上の荷物棚にも杉材が使われていました。
そして宮崎方の車端部です。
乗降デッキとなっており運転台があります。
扉の前には小さなベンチシートが。
余談ですがこちらは「海幸山幸」の車内販売で買った「おつまみセット」です。
【写真撮影・2018年8月】