さて。
お次は長野電鉄屋代線です。
元々は長野電鉄の路線でしたが
2012年(平成24年)4月に廃止され、バス路線へと変更がされました。
ですので現在は鉄道が走っていない廃線ですので乗車できません。
代替の交通手段に拠らないとGPSでの奪取は難しいでしょう。
現在は長電バスの「屋代須坂線」が、旧屋代線の路線を沿うように
ほぼ同じルートで営業をしています。
しなの鉄道線屋代駅、長野電鉄線須坂駅どちらからも一時間に一本、
バスが発車していますので比較的乗車に困ることは無いでしょう。
参考
長電バス「屋代須坂線」
http://www.nagadenbus.co.jp/local_suzaka/yashirosuzaka.html
こちらのサイトでは屋代須坂線の路線図もpdfファイルで公開しており、
バスの停留所の位置や路線ルートと共に「長野電鉄屋代線」の位置まで詳細に載っています。
非常に参考になりますのでリンク先で是非ご覧下さい。
こちらが屋代線の起点だった屋代駅です。
現在はしなの鉄道線の駅として営業中です。
屋代駅の中の、かつて屋代線が営業していた時の
ホームへ向かう連絡通路ですが、ご覧の通りバリケードで封鎖されていました。
その奥の通路はご覧の通り。
外から見るとこんな感じで、
今は使われていない、旧屋代線のホームへと現在も繋がっています。
それでは長電バス「屋代須坂線」に乗車して
長野電鉄屋代線の跡を追いたいと思います。
屋代駅のバス停は、駅を背にロータリー左側にあります。
以下は現在の各駅近辺の様子です。
長電バスの最寄バス停を参考で記載しておきましたので
GPSで駅奪取の際の参考にして下さい。
東屋代駅
バス停「屋代高見町」~「屋代高校前」間
1922年(大正11年)に河東鉄道の駅として開業したこの駅は
長野電鉄河東線の駅として長らく営業をしていました。
2002年(平成14年)に長野電鉄屋代線と路線名が改称されるも
屋代線の廃止によって2012年(平成24年)4月に廃駅となりました。
こちらは国道403号線の屋代中学校前交差点付近です。
交差点の奥に見えるのは上越新幹線の高架線であり、
その下を元信越本線のしなの鉄道が走っています。
交差点の西すぐのこちらが、かつて駅舎へと通じていた横道となります。
長電バスも国道403号を通っているのでこの横道の前を通過します。
かつてはここに、ご覧の駅舎が建っていたそうです。
ですが廃駅からまもなく駅舎は解体されており、
ほぼ同じアングルで撮った現在(2017年3月)ではご覧の通り更地となっています。
かつて駅舎やホーム、そして線路のあったあたりは
ご覧の通り跡形も無く更地となっていました。
Googleのマップでは、有り難い事に
屋代線の線路の無くなった今でも、その駅の場所だけは
未だに地図上に、現役の駅と同様に表示されています。
活用をすると非常に位置の把握がし易いです。
雨宮駅
「雨宮中学校」バス停付近(早朝夕刻は「雨宮北町」バス停付近)
こちらは県道335号線と、かつての屋代線が交わっていた
踏切の跡です。この踏切の西にかつての駅がありました。
こちらがかつての駅舎とホームです。
1922年(大正11年)に開業した単式1面の駅で、
屋代線廃止の2012年(平成24年)に廃駅となりました。
写真の中央あたりの広くなっている更地が
駅やホームのあった場所となります。
長電バスの「雨宮」バス停はかつての駅跡の北を走る
国道403号にありますので、バスからは駅跡は見えません。
岩野駅
「岩野」バス停付近
こちらは国道403号線の松代町岩野付近。
交差点の案内標識の根元に長電バス「岩野」バス停があります。
バス停の裏側あたりには、かつて線路が敷かれていた場所が
うっすらと続いています。
何も無い野原に鉄道の敷地の境界杭が残っているので
ここが鉄道用地であることが分かります。
バス停のすぐ西の、国道に横断歩道があるあたりが
かつての駅のあった場所付近となります。
駅があった当時はこの場所にご覧の小さな待合室と、
ホームが単式1面であったそうです。
同じ付近を現在(2017年3月)見てみると
ご覧の通り駅舎や電話ボックスは撤去されています。
かつての駅や駅前広場であった更地。
象山口駅
「象山口」バス停付近
上信越自動車道の松代PAの南東に程近い場所に
かつての象山口駅がありました。
道路にはかつての踏切をコンクリートで埋めた跡がありますが、
その踏切跡の向こう側がかつての駅のあった場所です。
「象山口」バス停からは西にすぐの位置にあります。
こちらがかつて駅ホームがあった時代の光景です。
路線廃止後ですがまだホームや待合室が残っていました。
そしてやや角度が違いますが、現在(2017年3月)の同じ場所の様子です。
ホームも綺麗に撤去されて更地となっています。
駅の真横にあった都市ガスの整圧所と
看板(ポールサイン)は変わっていないので
かつての駅がここにあったという事が分かり易いのが幸いです。
このようにかつては看板の場所がまさに
駅の出入口となっていました。
北側からかつての駅の場所を眺めた光景です。
松代駅
「松代駅」バス停前
こちらが「松代駅」バス停です。
松代駅の駅舎です。
1922年(大正11年)の駅開業当時の駅舎が現在でも残っています。
廃駅となった今でもバスやタクシーの待合所として
駅舎は残されて活用されています。
駅舎前の道は駅前広場を兼ねて広くなっており、
両脇にバス停が設置されています。
駅前には童謡「汽車ポッポ」の歌碑がありました。
かつての駅構内の光景です。
駅舎とホームまでは残されているものの、
かつて線路の敷かれていた場所は更地となって砂利が敷かれ、
駐車場となっています。
駅舎のあるホームはかつての3番線であり、
ホームの目の前の駐車場となっている場所に
かつては島式の1面2線の1番線と2番線のホームがありました。
改札の脇の観光案内図には
松代駅の目の前に松代城(海津城)の跡が記されています。
駅の目の前には、戦国時代に武田氏が川中島支配の為に築城した
松代城(海津城)跡の南縁が見えます。
駅のかつての線路跡は城址公園の駐車場として利用されていました。
かつての屋代線の形にひろがる駐車場。
金井山駅
「金井山」バス停付近
こちらは「金井山」バス停です。
国道403号線上に設置されています。
バス停から西にすぐのところにご覧の横道があります。
反対側には小学校やJAなどがあります。
横道はかつての駅前への道であり、
駅前広場であった場所へと通じています。
舗装部分が終わったあたりの左手が
かつて駅のホームがあった場所となります。
線路の跡地に降りてみると良く分かりますが、
車が並んでいる場所はホームであり、
現在でもホームの遺構がそのまま残っているのが分かります。
駅は単式1面1線の棒線駅であり、
ホームにはご覧の通り待合室が置かれていました。
駅前広場であった場所に残る、
武田信玄の軍師、山本勘助の墓への案内板。
大室駅
「大室駅」バス停付近
こちらは「大室駅」バス停です。
バス停のあるこの場所が、かつての駅のあった場所となります。
かつての駅ホームがあった当時の様子です。
この駅は路線が長野電鉄河東線であった時代の
1951年(昭和26年)に新設された駅で、単式1面1線の棒線駅でした。
同じ場所は現在(2017年3月)は見ての通り更地となっています。
駅前広場から駅舎を背にしたであろう方向を見ると
線路があった跡が空き地として延びているのが分かります。
畑の向こう側には屋代線と並行して走っていた
国道403号線が見えます。
信濃川田駅
「川田駅」バス停前
「川田駅」バス停です。
ご覧の旧・信濃川田駅駅舎が現在(2017年3月)は
バスの待合室として使われています。
待合室の中の様子です。
屋代線の営業当時の運賃表や時刻表がそのまま残されています。
こちらはホームの様子です。
駅名標が撤去されずに残されており、
ホームには列車が静態留置されたままの状態となっています。
ホームの列車は長野電鉄2000系A編成という列車だそうで、
半世紀にわたって長野電鉄の看板車両として
特急列車として運行し活躍をしていたそうです。
マルーン色と言われるカラーリングのこの車両は
2011年3月に屋代線の最終営業列車として走行後廃車。
須坂駅に留置されていましたが、
その後信濃川田駅まで回送されて留置され現在に至っています。
そしてホームから須坂駅方面をみると、もう一両列車が留置されています。
こちらは長野電鉄モハ1000形1003という車両だそうです。
1985年(昭和60年)に廃車となった後は
小布施駅の「ながでん電車の広場」で静態保存されていましたが
屋代線廃止の2011年にこの場所に移動されて現在に至るそうです。
駅周辺の様子。
駅前ロータリーは現在はバスの展回場として活用されています。
若穂駅
「若穂病院」バス停付近
こちらが若穂病院のバス停です。
病院前のバス停から南に上信越道の方を見ると
かつての駅の付近となります。
ここがかつての駅のあった場所で、
現在は線路のあった場所が遊歩道として整備されていました。
駅周辺には現在は何も残っていないのですが、
かつての踏切から駅の反対側には
ご覧の通り線路跡の土地が伸びており、
道の近くは長野電鉄の駐輪場として利用されている立看板があって
ここが長野電鉄の土地である事が分かります。
こちらは駅があった当時の写真です。
1966年(昭和41年)に設置された屋代線では新しい駅で
単式1面1線の棒線駅でした。
ほぼ同じアングルで撮った現在(2017年3月)の同じ場所です。
綿内駅
「綿内駅」バス停付近
こちらが長電バスの綿内駅バス停。
旧駅の駅前のスペースが
そのままバスの展開場所として使用されています。
こちらがかつての駅舎です。
現在はバスの待合所としてそのまま使われています。
屋代線の営業時代には
ご覧の通り軒に駅名標が掲示してありました。
この駅名標は電気で夜は光ったそうです。
駅舎の中の待合室の様子。
壁にはご覧の、綿内駅仕様の時計が設置してありました。
この時計も夜は光るそうです。
待合室からホームへと出て
かつての改札の様子です。
そして待合室の隣の駅務室を窓からのぞいてみると
綿内駅の光る駅名標が置いてありました。
こちらはホームの様子です。
かつては相対式2面2線のホームの駅で
列車交換が可能だった様ですが、
線路や駅舎の反対側のホームは綺麗に撤去されていました。
須坂駅側のホーム東端の先にある、
かつてのホームを連絡していた構内踏切の跡です。
踏切から見た駅の全景です。
井上駅
「幸高」バス停付近
国道403号線の、幸高停留場のある場所から北に150mほどの位置に
かつての井上駅がありました。
こちらが現在(2017年3月)の井上駅跡の様子です。
かつての跡地にはご覧の駅のあった記念の看板が立てられていました。
看板の説明書きのアップ。
かつての線路やホームのあった場所の光景です。
単式1面1線のホームの棒線駅でした。
駅舎や線路、ホームなどがあった時代の井上駅の写真です。
上の写真とだいたい同じ場所で撮った現在(2017年3月)の様子。
こちらは須坂駅から北に200mほどの場所にある
大笹街道にあるかつての踏切です。
ご覧の通り線路の跡はまだ道に残っていますが、
列車はもう一切この踏切は通過しませんので現在は単なる道です。
写真の奥方向が須坂駅。
この踏切を須坂駅と反対方向に見ると、
ご覧の通り旧屋代線の跡は「河東線記念公園」として残されているのを
現在でも見ることができます。
看板などが整備されているので、いかにも線路のある場所が
旧屋代線の様な気がしてしまいますが
こちらは単に引込み線と車庫が残っているエリアであり、
屋代線が走っていたのは写真右の舗装されてしまっている部分となります。
証拠に舗装された道を辿って奥に行くと
ご覧の通り旧屋代線のバラスト(砂利)がそのまま残った
旧屋代線の敷地が続いているのを見ることができます。
そしてバス終点の須坂駅。
現在も長野電鉄線の現役の駅です。
こちらが駅舎の様子。
須坂駅前のバスの発着場です。
須坂駅の中に入って改札の前を見ると、
屋代駅と同じように、
封鎖をされた階段がありました。
「5番線ホーム」と書いてあります。
バリケードの奥をのぞいて見ると。
カラーコーンや看板などで封鎖されて
屋代線ホームへは降りられないようにしてありました。
とりあえず営業をしている1番線から4番線のホームに降りてみることにします。
旧屋代線の5番線ホームには動いていないであろう車両が止まっており、
ホームにはブルーシートで覆いがされています。
こんな感じで、旧屋代線のホームは使われてはいないものの、
今も現存していました。
旧屋代線ホームの前には、これも恐らく旧屋代線の車両が停車中で、
列車の中は物置となっていました…
さて、廃線である長野電鉄屋代線については以上です。
こちらはau 4G LTEでの電波エリアマップとなります。
平野部で住宅などもある地域を走る列車なだけに、
GPSの電波が途切れるような状況はありませんでしたので
バスで普通にやっていれば駅へのアクセスは問題ないでしょう。
そして現在では廃線ですので列車ではなくバスでの移動となりますので
現在では駅舎やホームが無い駅がほとんどとなります。
車窓を眺めているだけだと駅に気がつかないケースも有り得るので
取り忘れには注意したい所です。
あと実は、雨宮駅から井上駅までについては、
上信越自動車道の更埴JCT~松代PA~長野IC~須坂長野東ICまでの区間で
全てGPSで奪取できます。
屋代駅と東屋代駅はしなの鉄道で、須坂駅は長野電鉄で取れますので、
ご参考までに。
私は鉄道マニアでは無いので、こうして廃線の廃駅を巡ったのは初めてでしたが、
やってみたら意外と楽しかったです。
みなさんにも一度やってみることをお勧めしたいです。
では。
【写真撮影:2017年3月、屋代駅・須坂駅は2016年6月撮影】
お次は長野電鉄屋代線です。
元々は長野電鉄の路線でしたが
2012年(平成24年)4月に廃止され、バス路線へと変更がされました。
ですので現在は鉄道が走っていない廃線ですので乗車できません。
代替の交通手段に拠らないとGPSでの奪取は難しいでしょう。
現在は長電バスの「屋代須坂線」が、旧屋代線の路線を沿うように
ほぼ同じルートで営業をしています。
しなの鉄道線屋代駅、長野電鉄線須坂駅どちらからも一時間に一本、
バスが発車していますので比較的乗車に困ることは無いでしょう。
参考
長電バス「屋代須坂線」
http://www.nagadenbus.co.jp/local_suzaka/yashirosuzaka.html
こちらのサイトでは屋代須坂線の路線図もpdfファイルで公開しており、
バスの停留所の位置や路線ルートと共に「長野電鉄屋代線」の位置まで詳細に載っています。
非常に参考になりますのでリンク先で是非ご覧下さい。
こちらが屋代線の起点だった屋代駅です。
現在はしなの鉄道線の駅として営業中です。
屋代駅の中の、かつて屋代線が営業していた時の
ホームへ向かう連絡通路ですが、ご覧の通りバリケードで封鎖されていました。
その奥の通路はご覧の通り。
外から見るとこんな感じで、
今は使われていない、旧屋代線のホームへと現在も繋がっています。
それでは長電バス「屋代須坂線」に乗車して
長野電鉄屋代線の跡を追いたいと思います。
屋代駅のバス停は、駅を背にロータリー左側にあります。
以下は現在の各駅近辺の様子です。
長電バスの最寄バス停を参考で記載しておきましたので
GPSで駅奪取の際の参考にして下さい。
東屋代駅
バス停「屋代高見町」~「屋代高校前」間
1922年(大正11年)に河東鉄道の駅として開業したこの駅は
長野電鉄河東線の駅として長らく営業をしていました。
2002年(平成14年)に長野電鉄屋代線と路線名が改称されるも
屋代線の廃止によって2012年(平成24年)4月に廃駅となりました。
こちらは国道403号線の屋代中学校前交差点付近です。
交差点の奥に見えるのは上越新幹線の高架線であり、
その下を元信越本線のしなの鉄道が走っています。
交差点の西すぐのこちらが、かつて駅舎へと通じていた横道となります。
長電バスも国道403号を通っているのでこの横道の前を通過します。
かつてはここに、ご覧の駅舎が建っていたそうです。
ですが廃駅からまもなく駅舎は解体されており、
ほぼ同じアングルで撮った現在(2017年3月)ではご覧の通り更地となっています。
かつて駅舎やホーム、そして線路のあったあたりは
ご覧の通り跡形も無く更地となっていました。
Googleのマップでは、有り難い事に
屋代線の線路の無くなった今でも、その駅の場所だけは
未だに地図上に、現役の駅と同様に表示されています。
活用をすると非常に位置の把握がし易いです。
雨宮駅
「雨宮中学校」バス停付近(早朝夕刻は「雨宮北町」バス停付近)
こちらは県道335号線と、かつての屋代線が交わっていた
踏切の跡です。この踏切の西にかつての駅がありました。
こちらがかつての駅舎とホームです。
1922年(大正11年)に開業した単式1面の駅で、
屋代線廃止の2012年(平成24年)に廃駅となりました。
写真の中央あたりの広くなっている更地が
駅やホームのあった場所となります。
長電バスの「雨宮」バス停はかつての駅跡の北を走る
国道403号にありますので、バスからは駅跡は見えません。
岩野駅
「岩野」バス停付近
こちらは国道403号線の松代町岩野付近。
交差点の案内標識の根元に長電バス「岩野」バス停があります。
バス停の裏側あたりには、かつて線路が敷かれていた場所が
うっすらと続いています。
何も無い野原に鉄道の敷地の境界杭が残っているので
ここが鉄道用地であることが分かります。
バス停のすぐ西の、国道に横断歩道があるあたりが
かつての駅のあった場所付近となります。
駅があった当時はこの場所にご覧の小さな待合室と、
ホームが単式1面であったそうです。
同じ付近を現在(2017年3月)見てみると
ご覧の通り駅舎や電話ボックスは撤去されています。
かつての駅や駅前広場であった更地。
象山口駅
「象山口」バス停付近
上信越自動車道の松代PAの南東に程近い場所に
かつての象山口駅がありました。
道路にはかつての踏切をコンクリートで埋めた跡がありますが、
その踏切跡の向こう側がかつての駅のあった場所です。
「象山口」バス停からは西にすぐの位置にあります。
こちらがかつて駅ホームがあった時代の光景です。
路線廃止後ですがまだホームや待合室が残っていました。
そしてやや角度が違いますが、現在(2017年3月)の同じ場所の様子です。
ホームも綺麗に撤去されて更地となっています。
駅の真横にあった都市ガスの整圧所と
看板(ポールサイン)は変わっていないので
かつての駅がここにあったという事が分かり易いのが幸いです。
このようにかつては看板の場所がまさに
駅の出入口となっていました。
北側からかつての駅の場所を眺めた光景です。
松代駅
「松代駅」バス停前
こちらが「松代駅」バス停です。
松代駅の駅舎です。
1922年(大正11年)の駅開業当時の駅舎が現在でも残っています。
廃駅となった今でもバスやタクシーの待合所として
駅舎は残されて活用されています。
駅舎前の道は駅前広場を兼ねて広くなっており、
両脇にバス停が設置されています。
駅前には童謡「汽車ポッポ」の歌碑がありました。
かつての駅構内の光景です。
駅舎とホームまでは残されているものの、
かつて線路の敷かれていた場所は更地となって砂利が敷かれ、
駐車場となっています。
駅舎のあるホームはかつての3番線であり、
ホームの目の前の駐車場となっている場所に
かつては島式の1面2線の1番線と2番線のホームがありました。
改札の脇の観光案内図には
松代駅の目の前に松代城(海津城)の跡が記されています。
駅の目の前には、戦国時代に武田氏が川中島支配の為に築城した
松代城(海津城)跡の南縁が見えます。
駅のかつての線路跡は城址公園の駐車場として利用されていました。
かつての屋代線の形にひろがる駐車場。
金井山駅
「金井山」バス停付近
こちらは「金井山」バス停です。
国道403号線上に設置されています。
バス停から西にすぐのところにご覧の横道があります。
反対側には小学校やJAなどがあります。
横道はかつての駅前への道であり、
駅前広場であった場所へと通じています。
舗装部分が終わったあたりの左手が
かつて駅のホームがあった場所となります。
線路の跡地に降りてみると良く分かりますが、
車が並んでいる場所はホームであり、
現在でもホームの遺構がそのまま残っているのが分かります。
駅は単式1面1線の棒線駅であり、
ホームにはご覧の通り待合室が置かれていました。
駅前広場であった場所に残る、
武田信玄の軍師、山本勘助の墓への案内板。
大室駅
「大室駅」バス停付近
こちらは「大室駅」バス停です。
バス停のあるこの場所が、かつての駅のあった場所となります。
かつての駅ホームがあった当時の様子です。
この駅は路線が長野電鉄河東線であった時代の
1951年(昭和26年)に新設された駅で、単式1面1線の棒線駅でした。
同じ場所は現在(2017年3月)は見ての通り更地となっています。
駅前広場から駅舎を背にしたであろう方向を見ると
線路があった跡が空き地として延びているのが分かります。
畑の向こう側には屋代線と並行して走っていた
国道403号線が見えます。
信濃川田駅
「川田駅」バス停前
「川田駅」バス停です。
ご覧の旧・信濃川田駅駅舎が現在(2017年3月)は
バスの待合室として使われています。
待合室の中の様子です。
屋代線の営業当時の運賃表や時刻表がそのまま残されています。
こちらはホームの様子です。
駅名標が撤去されずに残されており、
ホームには列車が静態留置されたままの状態となっています。
ホームの列車は長野電鉄2000系A編成という列車だそうで、
半世紀にわたって長野電鉄の看板車両として
特急列車として運行し活躍をしていたそうです。
マルーン色と言われるカラーリングのこの車両は
2011年3月に屋代線の最終営業列車として走行後廃車。
須坂駅に留置されていましたが、
その後信濃川田駅まで回送されて留置され現在に至っています。
そしてホームから須坂駅方面をみると、もう一両列車が留置されています。
こちらは長野電鉄モハ1000形1003という車両だそうです。
1985年(昭和60年)に廃車となった後は
小布施駅の「ながでん電車の広場」で静態保存されていましたが
屋代線廃止の2011年にこの場所に移動されて現在に至るそうです。
駅周辺の様子。
駅前ロータリーは現在はバスの展回場として活用されています。
若穂駅
「若穂病院」バス停付近
こちらが若穂病院のバス停です。
病院前のバス停から南に上信越道の方を見ると
かつての駅の付近となります。
ここがかつての駅のあった場所で、
現在は線路のあった場所が遊歩道として整備されていました。
駅周辺には現在は何も残っていないのですが、
かつての踏切から駅の反対側には
ご覧の通り線路跡の土地が伸びており、
道の近くは長野電鉄の駐輪場として利用されている立看板があって
ここが長野電鉄の土地である事が分かります。
こちらは駅があった当時の写真です。
1966年(昭和41年)に設置された屋代線では新しい駅で
単式1面1線の棒線駅でした。
ほぼ同じアングルで撮った現在(2017年3月)の同じ場所です。
綿内駅
「綿内駅」バス停付近
こちらが長電バスの綿内駅バス停。
旧駅の駅前のスペースが
そのままバスの展開場所として使用されています。
こちらがかつての駅舎です。
現在はバスの待合所としてそのまま使われています。
屋代線の営業時代には
ご覧の通り軒に駅名標が掲示してありました。
この駅名標は電気で夜は光ったそうです。
駅舎の中の待合室の様子。
壁にはご覧の、綿内駅仕様の時計が設置してありました。
この時計も夜は光るそうです。
待合室からホームへと出て
かつての改札の様子です。
そして待合室の隣の駅務室を窓からのぞいてみると
綿内駅の光る駅名標が置いてありました。
こちらはホームの様子です。
かつては相対式2面2線のホームの駅で
列車交換が可能だった様ですが、
線路や駅舎の反対側のホームは綺麗に撤去されていました。
須坂駅側のホーム東端の先にある、
かつてのホームを連絡していた構内踏切の跡です。
踏切から見た駅の全景です。
井上駅
「幸高」バス停付近
国道403号線の、幸高停留場のある場所から北に150mほどの位置に
かつての井上駅がありました。
こちらが現在(2017年3月)の井上駅跡の様子です。
かつての跡地にはご覧の駅のあった記念の看板が立てられていました。
看板の説明書きのアップ。
かつての線路やホームのあった場所の光景です。
単式1面1線のホームの棒線駅でした。
駅舎や線路、ホームなどがあった時代の井上駅の写真です。
上の写真とだいたい同じ場所で撮った現在(2017年3月)の様子。
こちらは須坂駅から北に200mほどの場所にある
大笹街道にあるかつての踏切です。
ご覧の通り線路の跡はまだ道に残っていますが、
列車はもう一切この踏切は通過しませんので現在は単なる道です。
写真の奥方向が須坂駅。
この踏切を須坂駅と反対方向に見ると、
ご覧の通り旧屋代線の跡は「河東線記念公園」として残されているのを
現在でも見ることができます。
看板などが整備されているので、いかにも線路のある場所が
旧屋代線の様な気がしてしまいますが
こちらは単に引込み線と車庫が残っているエリアであり、
屋代線が走っていたのは写真右の舗装されてしまっている部分となります。
証拠に舗装された道を辿って奥に行くと
ご覧の通り旧屋代線のバラスト(砂利)がそのまま残った
旧屋代線の敷地が続いているのを見ることができます。
そしてバス終点の須坂駅。
現在も長野電鉄線の現役の駅です。
こちらが駅舎の様子。
須坂駅前のバスの発着場です。
須坂駅の中に入って改札の前を見ると、
屋代駅と同じように、
封鎖をされた階段がありました。
「5番線ホーム」と書いてあります。
バリケードの奥をのぞいて見ると。
カラーコーンや看板などで封鎖されて
屋代線ホームへは降りられないようにしてありました。
とりあえず営業をしている1番線から4番線のホームに降りてみることにします。
旧屋代線の5番線ホームには動いていないであろう車両が止まっており、
ホームにはブルーシートで覆いがされています。
こんな感じで、旧屋代線のホームは使われてはいないものの、
今も現存していました。
旧屋代線ホームの前には、これも恐らく旧屋代線の車両が停車中で、
列車の中は物置となっていました…
さて、廃線である長野電鉄屋代線については以上です。
こちらはau 4G LTEでの電波エリアマップとなります。
平野部で住宅などもある地域を走る列車なだけに、
GPSの電波が途切れるような状況はありませんでしたので
バスで普通にやっていれば駅へのアクセスは問題ないでしょう。
そして現在では廃線ですので列車ではなくバスでの移動となりますので
現在では駅舎やホームが無い駅がほとんどとなります。
車窓を眺めているだけだと駅に気がつかないケースも有り得るので
取り忘れには注意したい所です。
あと実は、雨宮駅から井上駅までについては、
上信越自動車道の更埴JCT~松代PA~長野IC~須坂長野東ICまでの区間で
全てGPSで奪取できます。
屋代駅と東屋代駅はしなの鉄道で、須坂駅は長野電鉄で取れますので、
ご参考までに。
私は鉄道マニアでは無いので、こうして廃線の廃駅を巡ったのは初めてでしたが、
やってみたら意外と楽しかったです。
みなさんにも一度やってみることをお勧めしたいです。
では。
【写真撮影:2017年3月、屋代駅・須坂駅は2016年6月撮影】
コメント
コメント一覧 (4)
金井山駅が親戚の家の最寄り駅です。
ちなみに綿内駅には待合室に「ここはわたうちのえきです」と書かれた時計ありませんでした?
コメントありがとうございます。
情報ありがとうございます。非常に参考と勉強になりました。
元々私は鉄道マニアでも何でも無く、偶然はじめたスマホアプリの駅集めゲームをやるうちに、
生来の情報整理の性癖からゲーム攻略の情報をこうして整理しているといった次第です。
とはいえ、ハタから見たら間違いなくやっているのは乗り鉄の行動なんですがw
なので鉄の範疇としては全くの初心者の上、
屋代線を見に行ったのはかなり初期の段階だったので内容が甘い訳です。
自分でもそう思うので、現在順次過去の内容を手直ししている状態でして。
関東東北あたりはゲームの為に一周したのですが、鉄的な興味も沸いてしまい
折を見て各路線を再訪問している状態です。
こうして勉強にもなったのもいい契機ですので、近々屋代線跡をゆっくり巡ろうと思います。
重ねてコメントありがとうございました。
>ちなみに綿内駅には待合室に「ここはわたうちのえきです」と書かれた時計ありませんでした?
ああ、私はバスで綿内駅は通過しちゃったんで、前しか通っていないんですよね。
幸い関東の人間で車もあるので、時間ができたらゆっくり見に行こうと思ってはいたのですが。
こうしてコメントをいただいたのは「そろそろ見に行くタイミングだ」という天か何かからのお告げなのかもしれませんw
先日はコメントいだだきありがとうございました。
時間が空きましたが、やっと屋代線の廃線跡を先日再び巡る事ができました。
今回は一駅づつゆっくり回れましたので、綿内駅の時計なども見れました。
記事も大幅に修正してみましたのでよろしかったらご覧ください。