さて、次は島根県のローカル私鉄である
一畑電車北松江線です。
一畑電車は元々は宍道湖の北岸側にある一畑寺(一畑薬師)への
参拝を目的として計画された鉄道であり、
1914年(大正3年)4月に一畑軽便鉄道として
出雲今市駅(現・電鉄出雲市駅) ━雲州平田駅間が開業したのが始まりです。
1915年(大正4年)2月に雲州平田駅━一畑駅間、
そして1928年(昭和3年)4月には
小境灘駅(現・一畑口駅)━北松江駅(現・松江しんじ湖温泉駅)間が開業して
現在の一畑電車北松江線の原型が出来上がっています
こちらはJR出雲市駅の南口。
松江駅と並んで島根県の玄関口とも言える駅であり、
出雲大社へと参拝に訪れる観光客の集まる駅でもあります。
このJR出雲市駅の南口を出て右手に進み、
駅に沿ってとホテルの間を進むと駅が見えてきます。
こちらが一畑電車の電鉄出雲市駅の外観です。
この駅に初めて来る人はまずこの光景を目にする事だと思います。
南側から見た駅舎の外観。
現在の駅は2000年(平成12年)12月より高架駅となっており、
色ガラスの美しい駅舎となっています。
駅舎の建物の中を進み、駅待合室へ。
待合室には発券の窓口があり、
その脇には改札が設けられています。
この駅は改札は列車の発車10分前より行う様です。
改札内に入り、ホームへと上がる階段。
こちらが駅のホームです。
変形の島式ホーム1面2線となっています。
基本的には2番線が発着に使用されています。
元々は1914年(大正3年)4月に一畑軽便鉄道の出雲今市駅として開業し、
1910年(明治43年)に国鉄山陰本線の開業によって国鉄との共同駅となりました。
そして1957年(昭和32年)に国鉄の改称に併せて出雲市駅となった後、
1964年(昭和39年)に移転によって国鉄と駅が分離し、
電鉄出雲市駅となっています。
駅ホームの東端、2番線にある北松江線のゼロキロポスト。
出雲科学館パークタウン前駅。
1928年(昭和3年)に今市上町駅として開業した駅で、
戦後まもなく大和紡前駅と改称。
2002年(平成14年)に現在の出雲科学館パークタウン前駅となりました。
単式1面1線の棒線駅で、無人駅ですが近くに県立出雲高校があるので
朝の通学時間のみ駅務員が配置されます。
前駅ですから、当然ながらホームの眼前には出雲科学館が。
駅前の道は県道へとつながる、いわば線路の側道で、
歩道が駅側だけスロープ状になっていて
半高架の駅へ直接出入りができる様になっています。
駅の外観。
駅ホーム目の前には、一畑電車と並走して走るJR山陰本線があり、
ご覧の様にJRの電車が通過していきます。
大津町駅。
1914年(大正3年)4月開業の相対式ホーム2面2線の駅です。
無人駅ですが朝の通学時間のみ駅務員が配置されます。
こちらは駅舎側の1番線ホーム。
ホーム南端には構内踏切があり、
反対側のホームと連絡をしています。
2番線ホームです。
ホーム側から見た駅舎の様子。
かつてあった木造駅舎が2003年(平成15年)に改築されたものです。
駅舎の外観。
武志駅。
1914年(大正3年)に開業した駅で、単式1面1線の棒線無人駅です。
開業当時は田んぼしかなかったそうですが、
宅地化の進んだ現在でも駅周辺は結構田んぼがひろがっています。
駅舎は無く、ホーム上に待合室があるのみです。
待合の壁には旧タイプの駅名標がそのまま残っています。
ホームの北端は駐輪スペースとなっていて、
その先に駅の出入口となるスロープがあります。
駅の入口に駅開業以来あるという商店。
川跡駅。
1930年(昭和5年)に大社線の開通と同時に設けられた駅です。
当時この駅から松江方に0.1kmほどの場所に鳶巣駅という駅があったそうですが、
北松江線と大社線の交点となる場所に川跡駅が新設され鳶巣駅は廃止となりました。
島式ホーム2面4線を持つ駅で、業務委託駅となっており
駅務員配置の有人駅となっています。
上は主に北松江線で使われる2、3番線ホーム。
主に2番線が電鉄出雲市方面、3番線が松江しんじ湖温泉方面となっています。
普通は駅舎に近い方から1番線、2番線と番号を振るものですが、
ご覧の通りこの川跡駅は駅舎に近い左側から4、1、2、3番線となっています。
ホームと駅舎はご覧の構内踏切で連絡しています。
遮断機などは特に無く、駅員が直接ロープで開け閉めをしています。
ホーム側から見た駅舎です。
こちらが駅前の光景。
駅舎の外観です。
長らく開業以来の木造駅舎でしたが1995年(平成7年)に改築されています。
大寺駅。
1931年(昭和6年)開業の駅で、単式1面1線の棒線無人駅です。
…まあぶっちゃけて言いますと、駅の目の前は全部田んぼです。
駅から徒歩5分ほどの、国道431号線がバイパスと分岐するあたりには
青木遺跡という遺跡があり、国指定文化財の史跡となっています。
美談駅。
1952年(昭和27年)開業の駅で、単式1面1線の棒線無人駅です。
鉄道的には周囲が田んぼの無人駅であり、とりたてて記すべき事項はありません。
こちらの記事で美談駅については詳細の紹介をしていますので
興味のある方はご参照までに。
参考
「でんこの元ネタ ■No.37 美談みこと(Midami Mikoto)■No.38 美談くに(Midami Kuni)」
ですが駅メモ的には美談みこと・くに姉妹の由来駅であり、
日本神話などを元にしたなかなか興味深い地でもあります。
こちらは駅から徒歩10分ほどにある美談神社です。
駅メモの美談姉妹の設定の元となった伝承はここから始まっていますので
時間のある方は訪れてみてはいかがでしょうか。
旅伏駅。
1914年(大正3年)4月開業の駅ですが単式ホーム1面1線の棒線無人駅です。
駅近くの国道431号線の交差点には
国指定史跡の国富中村古墳や、枯山水の日本庭園の康國寺などへの
案内標識があります。
国道の交差点から、名勝への案内とは逆の南に進むと
ほどなくして旅伏駅が見えてきます。
駅舎の外観です。
駅舎の中は待合スペースのみとなっています。
1914年(大正3年)4月に一畑軽便鉄道の終着駅として開業した駅です。
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の計3線の駅であり、
一畑電車では唯一の社員のいる直営駅となっています。
上は駅舎側の単式の1番線ホーム。
1番ホームにはこの駅が映画「RAILWAYS」のロケ場所であった事を示す
看板が掲出されています。
また駅構内には車両区があり、一畑電車の車両基地となっています。
こちらはホーム西端にある、ホームを繋ぐ連絡地下通路。
島式の2、3番線ホームです。
こちらが駅舎の外観。
二階には一畑電車の本社が入っています。
駅舎の中の改札前の様子。
布崎駅。
1915年(大正4年)2月に開業した駅です。
駅の場所が1916年(大正5年)に300mほど東に移動して
現在の位置となりました。
駅は単式1面1線の棒線無人駅となっています。
こちらは駅の入口前にある一畑電車布崎変電所です。
1927年(昭和2年)に建設されたもので、一畑軽便鉄道が電化する際に
その電力を供給する目的で作られました。
産業遺産として国指定有形文化財に指定されています。
参考
文化庁「文化遺産オンライン:一畑電車布崎変電所」
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/199282
変電所前のご覧の道を進むと駅があります。
駅舎は無くホーム上にご覧の待合室があるのみの駅となっています。
待合室の中の様子です。
ホームの裏手は袋小路の広場となっており、
駅の駐輪場となっています。
湖遊館新駅駅。
1995年(平成7年)10月に新設された駅で、
山陰最大のアイススケートリンク「湖遊館」のオープンに合わせて開業しました。
この駅には他の駅にある駅名標が無く、
駅の名前を表示するのはご覧の待合室に掲出されているものだけです。
また駅名は「湖遊館新駅」駅が正式なものですので
駅まで付けると最後が「駅駅」となってしまいます。
こちらが駅ホームの様子。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅で、駅舎は無く待合室のみがあります。
ご覧の通り駅周辺には田んぼしかありません。
こちらは待合室から見た光景ですが、
田んぼの向こうに小さく見えるドーム状の建物が
駅名の由来の湖遊館です。
園駅。
1915年(大正4年)2月開業の駅で、単式ホーム1面1線の棒線無人駅です。
こちらが駅の外観です。
国道431号線に面して駅があります。
一畑口駅。
1915年(大正4年)2月に小境灘駅として開業した駅です。
単式1面1線、島式1面2線の計3線のホームを持つ駅です。
こちらは駅舎のある1番線ホームで、松江方面行きの列車が使用します。
ホームには一畑口駅についての説明が書かれた看板が掲出されています。
(画像クリックで拡大します)
その脇には目玉のおやじのモニュメントが。
改札口脇の駅舎前にご覧の通り並んでいます。
ホーム側から見た改札口。
ホーム同士は駅北側の構内踏切で連絡しています。
この一畑口駅は当初はさらに北に3.3km線路が延びていて、
そこに後から松江方面の路線を接続した形でした。
一畑口駅から北の線路だけ廃止されたものの
使用部分の駅ホームや線路はそのまま残された為、
結果として平地なのにスイッチバックというめずらしい形の駅となりました。
ですので駅の北側はご覧の通り線路が集約して行き止まりとなっていますし。
南側は線路がダイヤモンドクロッシングで交差して
その先で分岐しています。
構内踏切から見た駅。
スイッチバックとなった結果、この踏み切りを通過する列車はありませんので
いつでも通る事ができる状態となっています。
こちらが島式の2、3番線ホーム。
2番線を出雲方面行きで使用しており、3番線は現在は使っていません。
駅前の様子です。
駅前広場はかなり広めのスペースがあります。
駅舎の外観です。
さて、ここからこの部分は駅メモとはちょっと関係の無い部分となります。
それは一畑口駅━旧一畑駅間にかつてあった3.3kmの廃線跡についてです。
駅メモには旧一畑駅は登録されていませんので。
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こちらは一畑口駅のホーム北側の引込み線部分です。
こちらがその引込み線の終端の車止めです。
この車止めの先にはかつて、1915年(大正4年)に一畑軽便鉄道の開通によって
鉄道が敷設されていました。
車止めの先の交差点ですが、その先には直線で伸びる道路があります。
この道路は県道23号斐川一畑大社線で、
かつての一畑軽便鉄道の線路の路盤跡に作られた道路です。
かつての鉄道跡である県道を進みます。
そして写真の車の停まっているあたりの横が
かつて一畑駅があったとされる場所となります。
地図で示すとご覧のあたりとなります。
道路の脇にはこの地区の地図がありました。
看板の現在地から、道を挟んだ向かい側に「北垣駅前」の文字が見えるでしょうか。
その左には「一畑坂下車庫」の記載もあります。
ご覧の道の左側付近が、かつて一畑駅のホームのあった場所です。
古い写真などの資料から判断すると、
この写真の付近が一畑駅の駅舎があったとおぼしき場所となります。
旧駅舎の跡と思われる場所の真後ろの用水路には
レールを使って作られた木の橋が架けられていました。
駅舎跡から用水路を挟んだ反対側。
地図に「北垣駅前」と書かれた付近です。
駅跡から80mほど県道を北に行った付近です。
用水の橋の先あたりに見える看板の左側に
一畑寺(一畑薬師)への参道となる階段があります。
駅舎の残った当時の写真と比べても、
このあたりの民家の形がほぼ同じですので
写真道の民家の向こう側あたりが駅だったのはほぼ間違い無いと思います。
以上駅メモとは直接の関係は無いものの、
そもそも一畑電車が作られたのはこの一畑駅まで鉄道を通して
一畑薬師への参拝の足とする為でしたので
特に廃線跡についてご紹介させていただきました。
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こちらはau 4G LTEでの電波エリアマップです。
一畑電車の北松江線の電鉄出雲市駅━一畑口駅間は
路線やその周辺がほぼ完全に電波エリア圏内となっています。
この区間にはトンネルもありませんので
どの場所からでも駅へのアクセスは問題ありません。
実際に一畑電車に乗車してチェックインをしてみても
ストレスを感じる事はまずありませんでしたので
普通にプレイをしていれば何ら問題は起きないと思います。
またこの路線は国道431号線をはじめとして
並行する道路も非常に整備されているので
車などでのアクセスも非常にし易い路線だと思います。
一畑口駅以東の区間は1928年(昭和3年)に後から開業した区間となります。
こちらの区間についてはその2にて続きとしたいと思います。
では。
【※以上写真撮影:2017年1月】
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