2015年11月

はい。今回は東京の廃駅についてまとめて見たいと思います。

東京都で廃駅が登録されている数は8つ。
そのうち、今回は西の4つについてです。



■武蔵横山駅(京王電鉄御陵線)
■多摩御陵前駅(京王電鉄御陵線)


こちらの二つは同じ京王電鉄御陵線の駅なので一緒に扱います。

まずは武蔵横山駅から多摩御陵前駅までの、京王御陵線のルートを
地図で描いてみたいと思います。
001
(地図はクリックすると拡大します)


京王御陵線01
まずは中央線と京王御陵線の交わっていた場所に。
当時の国鉄中央本線、そしてその先の甲州街道を
京王御陵線は高架でオーバーパスしていたそうです。

京王御陵線02
北に向かって進むこのあたりが、
かつて武蔵横山駅があったという場所になります。

京王御陵線03
こちらが現在(2015年11月)甲州街道の並木町交差点。
京王御陵線04
こちらは1965年ですから今から40年前に、
ほぼ同じ位置から撮られた武蔵横山駅の高架の解体現場の写真です。

八王子市郷土資料館で2011年(平成23年)に行われた
「八王子と鉄道」展の図録の57ページを参照すると、
武蔵横山駅は甲州街道の並木町交差点の南側にあったと記されています
上の写真はどうやら、現在の並木町交番の一帯、
中央線のアンダーパスの北の西側付近にあたる様子です。



京王御陵線05
この並木町交差点のガソリンスタンド。
武蔵横山駅から甲州街道を挟んだ反対側のこのあたりを
京王御陵線の高架が延びていた様ですが、
このガソリンスタンドの裏手の駐車場に、御陵線の遺構が残っていました。


京王御陵線07
並木町交差点を北に100mほど進むと南浅川の橋があります。
ここを右折して、
京王御陵線08
川沿いの道を50mほど進みます。

京王御陵線09
こちらにコインパーキングも設置されている駐車場があります。
自動販売機の左の後ろの平屋の前に、御陵線の遺構はありました。
以下の地図の赤丸の場所です。
京王御陵線06

京王御陵線10
この平屋の民家の前の、パイロンのおかれたコンクリート。
これ、京王御陵線の高架の橋脚の根元の残骸です。
付近の道の角度や、駅のあった位置などからもドンピシャです。
京王御陵線11
京王御陵線12



そして、ここから南浅川を渡った反対側には
京王御陵線の橋脚そのものが残っています
京王御陵線13

京王御陵線14

こちらが先ほどの橋脚の残骸と、
そのまま残っている橋脚の位置です。

京王御陵線15
京王御陵線16
京王御陵線17
京王御陵線18
…話には聞いていましたが、やはり実物を見ると圧巻ですね。

工事現場での解体を知っている人間にとっては、
この橋脚の解体がどれだけ手間か、は気が遠くなりそうです。
見える部分にだけでなく、地下にも橋脚を支えるフーチン(フーチング)という、
京王御陵線19
こんなのが埋まってるはずですから。
だから先ほどの橋脚の残骸も、半端に地上に残っている訳なんです。



そして京王御陵線が通っていたとおぼしき場所を徒歩にて。
京王御陵線20


京王御陵線21
こちらの陵南公園の北側、都道187号多摩御陵線にぶつかるこの場所が、
かつて多摩御陵前駅のあったとされる場所です。


京王御陵線22
こちらの医院がある場所が、駅のあった場所だそうで。

京王御陵線23
同じ場所にこのように御陵前駅(多摩御陵前駅)が建っていたそうですが
空襲で焼けてしまったとのことです。




私は西八王子駅から中央線を伝って武蔵横山駅跡まで来て、
そこから京王多摩御陵線の走っていた跡をたどりながら
多摩御陵前駅跡まで徒歩で来ました。
途中いろいろと探索をしながらでしたので
一時間ほどの行程でした。

この京王多摩御陵線の二つの廃駅、
別にわざわざ歩いて来なくても、
中央線で西八王子駅━高尾駅間で普通にGPSで取得が可能です。
ですから、現地まで行って駅奪取をする人は恐らく稀でしょう。


私中央線から取りましたが、
いつか直接やって来ようと思っていましたので、
これで本当に多摩御陵線を取れた気がします。




来た道を同じ道を、資料写真を取りながら戻っていると。

京王御陵線24
来るときにもいた猫が、
堂々と線路の真ん中(だった場所)でくつろいでました。



東京の廃駅はまだまだありますので続きはその2で。
では。

小湊鉄道01
さて、お次は小湊鐵道です。

JR内房線の五井駅から、いすみ鉄道と接続する上総中野駅までの、
千葉県の房総半島を縦貫する路線の内側、東京湾側を走る路線です。




小湊鉄道02
こちらが起点の五井駅
駅としての開業は1912年(明治45年)3月28日ですが、
小湊鐵道の駅としては1925年(大正14年)3月7日の開業となります。
小湊鉄道03
五井駅構内にある小湊鐵道の車両基地。
小湊鉄道04
JR五井駅の改札の中に入ると、
内房線ホームへの階段の前になにやら通路があります。

小湊鉄道05
こちらが小湊鐵道のホームへの連絡通路となり、
Suicaが使えない小湊鐵道の為に、JR出札用のSuica簡易読み取り機があります。
通路の奥には、小湊鐵道の切符発売所も。

小湊鉄道06
通路奥の階段を下り小湊鐵道のホームへ。
小湊鉄道07
ローカル鉄道としてはなかなか本数も頑張っているんじゃないでしょうか。
小湊鉄道08
ご覧の通り、ホームの停車中の列車に乗って発車を待ちます。
小湊鉄道11
意外と混雑している車内。
観光の乗客が思ったより多く、一両の車両の座席がほぼ埋まりました。



小湊鉄道22
列車が出発すると、しばらくはこんな感じで
房総半島の平坦部を走ります。


小湊鉄道41
上総村上駅
1927年(昭和2年)2月開業の駅で
相対式ホーム2面2線の無人駅となっています。
駅の最寄には館山自動車道の市原インターチェンジがあるという場所です。
こちらは五井方面行きの上り1番線ホーム。
小湊鉄道42
ホームは駅構内の構内踏切で連絡しています。
小湊鉄道43
下り線上総中野方面行きの2番線ホームです。
小湊鉄道44
こちらが駅前の様子。
小湊鉄道45
駅舎の外観です。
開業以来の駅舎であり、国の有形文化財への答申が行われている建物の一つです。
小湊鉄道46
こちらが駅舎の中の様子。
小湊鉄道47
ホーム側から見た駅舎です。



小湊鉄道48
海士有木駅
1925年(大正14年)3月開業の駅であり、
相対式ホーム2面2線を持つ無人駅となっています。
こちらは駅舎のある五井方面の1番線ホーム。
小湊鉄道49
駅舎はホーム脇に一段低くなった場所にあります。
小湊鉄道50
駅舎側からみたホームの光景です。
小湊鉄道51
こちらの駅もホーム西端に先に構内踏切があって
二つのホームを連絡する形となっています。
小湊鉄道54
上総中野方面行きの2番線ホーム。
ホーム中ほどには5と1/2の距離標があります。
小湊鉄道52
こちらが駅舎の外観です。
小湊鉄道53
駅舎の中の様子。
こちらの駅舎も国の有形文化財への答申が行われた建物の一つなので
開業以来の風情が残されています。
小湊鉄道55
ホーム側から見た駅舎の光景です。



小湊鉄道56
上総三又駅
1932年(昭和7年)に開業した駅で
単式1面1線のみの停留場タイプの棒線駅です。
駅は無人駅となっています。
小湊鉄道57
ホームの駅舎付近。
駅舎はホームの北端側にあり、その先には踏切が見えます。
小湊鉄道58
駅舎の中はご覧の通りです。
小湊鉄道59
待合スペースの出入口に扉は無く吹き抜けています。
小湊鉄道60
駅舎の外観です。
この駅は一度、1989年 (平成元年)に
ドイツ製のログハウス風駅舎に改築されているのですが、
2001年 (平成13年) 2月の不審火により駅舎が全焼しています。
今の駅舎はその時に一ヵ月半ほどで建て替えられたものです。



小湊鉄道61
上総山田駅
1925年(大正14年)に養老川駅として開業した駅で、
その後1954年(昭和29年)に現在の上総山田駅となりました。
相対式ホーム2面2線を持つ無人駅です。
駅舎のあるホームが五井方面の上り1番線です。
小湊鉄道62
駅ホームの北側には構内踏切があり、
ホーム間の連絡を行っています。
小湊鉄道63
その構内踏切の脇の駅舎北側には
引込み線が一本延びています。
小湊鉄道64
上総中野方面の下り線2番線。
小湊鉄道65
こちらが駅舎の外観です。
この駅も開業以来の建物で国の有形文化財への答申の対象となっています。



小湊鉄道67
光風台駅
1976年(昭和51年)12月開業という小湊鐵道で一番新しい駅です。
駅の北西すぐの光風台でニュータウン開発が行われたことで駅が新設されました。
島式ホーム1面2線で駅員の常駐する有人駅となっています。
小湊鉄道66
こちらが駅舎の外観。
小湊鉄道68
駅の入口から改札あたりまでの光景です。
小湊鉄道69
待合室はバスのものを兼ねているのか
改札外の入口脇に設置されていました。
小湊鉄道70
ホームは島式が1面のみなのですが、
駅舎とホームが離れている為ご覧の跨線橋があります。



小湊鉄道71
馬立駅
1925年(大正14年)開業の駅で相対式2面2線のホームの無人駅です。
こちらは駅舎のある上総中野方面の下り1番線ホーム。
小湊鉄道72
1番ホームの脇の、駅舎の北側には引込み線が一本あります。
小湊鉄道73
引込み線と1番ホームの間にある12と1/2の距離標。
小湊鉄道74
ホームの南側の駅舎の先にはコンクリート躯体のトイレがあり、
その先には構内踏切が設けられています。
小湊鉄道75
線路の向こう側のホームが五井方面の上り2番線です。
小湊鉄道76
こちらが駅舎。この駅も駅舎の建物が
国の有形文化財への答申の対象となっています。



小湊鉄道29
上総牛久駅


小湊鉄道30
上総川間駅



小湊鉄道77
上総鶴舞駅
1925年(大正14年)3月に開設された駅で、
現在は単式ホーム1面1線の無人駅となっています。
小湊鉄道78
線路を挟んだ向こう側には、現在はもう使用されていない
ご覧の島式ホームが残っています。
小湊鉄道79
ホームの駅舎前付近。
小湊鉄道80
駅舎の外観です。
この駅の駅舎も国の有形文化財への答申の対象となっています。
小湊鉄道81
駅舎の脇には「関東の駅百選」選定記念の石碑があります。
小湊鉄道83
場所はご覧の通り。
小湊鉄道82
石碑の裏のホーム側には、関東の駅百選選定を記念して
桜を30本植えたことを示すもモニュメントもありました。
小湊鉄道84
この駅はそのロケーションなどから
数々の映像作品やドラマCMなどで使われている駅です。
目の前はご覧の通り田んぼで、余計な障害物が無いので非常に絵になりますので。

ただ、田んぼ側はホーム前の農家の田畑と私道や母屋の敷地なので
許可を得ていなければこちら側からの寄りはこの絵で限界です。
後は望遠レンズでも使うしか無いでしょうね。



小湊鉄道85
上総久保駅
1933年(昭和8年)開業の駅で、単式1面1線の無人駅です。
小湊鉄道88
こちらは駅前の道から駅への入口。
小湊鉄道89
外側から見た駅の様子です。
小湊鉄道86
ご覧の通り駅周辺は散村となっていてほぼ何もありません。
すこし離れた近くを県道が走るのみで、
離れた小山の方にはいくつものゴルフ場があるという地域です。
小湊鉄道87
現在(2017年1月現在)県道81号線から駅の横を抜ける市道を工事をしていますが
まだ工事が終わっていないので、県道側からは駅へは行けませんからご注意を。
小湊鉄道90
工事中の市道の踏み切りから駅を見るとこんな感じで。
小湊鉄道91
市道を線路の反対側から見るとこんな感じです。
道が完成したら便利になるでしょう。



小湊鉄道92
高滝駅
1925年(大正14年)3月に開業している駅です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅で、
駅舎が国の有形文化財への答申の対象となっています。
小湊鉄道93
ホームの向かい側には、かつては使っていたであろうホームが残っています。
小湊鉄道97
こちらが駅舎の外観。
小湊鉄道98
駅舎の中の様子です。
小湊鉄道95
駅前広場の一角には市の軒もありました。
小湊鉄道96
県道81号線から駅前広場へと入る入口です。
この駅は周囲を高滝湖にぐるりと囲まれており、
高滝ダムなどへの最寄り駅となっています。



小湊鉄道34
里見駅
この駅も1925年(大正14年)3月開業の駅です。
千鳥式の相対式ホーム2面2線を持つ駅で、駅員配置の有人駅となっています。
小湊鉄道a02
ご覧の通り駅構内は結構な広さがあります。
小湊鉄道13
この駅では行き違いの列車が待機しており、
小湊鉄道12
今ではほとんど見かけなくなったタブレットの交換を行ってました。
小湊鉄道35
その昔は八高線などでも見かけた光景ですが、
現在では首都圏でもレアな風景となりました。
小湊鉄道99
駅前の県道81号線の交差点からみた駅方向の光景です。
駅の横の敷地はバスの発着転換場となっています。
小湊鉄道a01
駅舎の外観。
この駅の駅舎も国の有形文化財への答申の対象だそうです。



小湊鉄道a03
飯給駅
1926年(大正15年)9月開業の無人駅で、単式1面1線の無人駅です。
駅周辺には桜の木が植えられており、また駅の周囲には菜の花が植えられて
毎年春には花の咲き乱れる美しい光景が見られる駅だそうです。
小湊鉄道a04
こちらは駅の前の県道160号線。
踏切のすぐ脇に入口があり、
車が3、4台は停められるスペースとなっています。
小湊鉄道a05
駅の敷地すぐにあるこの大きな板の囲いは、
かつてギネスに申請して断られたという
「自称世界一広いトイレ」です。
中には全面ガラス張りの個室があるそうですが、
女子用なので見ることができません。
小湊鉄道a06
世界一のトイレを通りすぎ、普通の大きさの男子トイレの先へと進むと
青いトタン張りの駅待合室が見えてきます。
小湊鉄道a07
駅外側から見た待合室。
小湊鉄道a08
待合室の中はご覧の感じです。
小湊鉄道a09
もう一度ホーム側からの待合室の様子を。



小湊鉄道a10
月崎駅
1926年(大正15年)9月開業の駅です。
現在は単式1面1線のみが使用されている無人駅です。
小湊鉄道a11
ホームの対面には、今は使われていない島式ホームが残っています。
小湊鉄道a12
他の駅は駅舎のみが答申の対象となっている所も多いですが、
こちらの月崎駅は駅舎の他にご覧の下り線ホームも併せて
国への有形文化財への答申が行われています。
小湊鉄道a13m
こちらが駅舎の外観。
駅前の広場はなかなかの広さがあります。
小湊鉄道a14
広場の向かい側にはヤマザキショップ朝日屋があり、
簡易委託によって乗車券の販売が行われています。



小湊鉄道a15
上総大久保駅
1928年(昭和3年)5月開業の駅で、単式1面1線の無人駅です。
小湊鉄道a16
地元の小学生が駅の待合の壁に描いたトトロがなんとも味が。
小湊鉄道a17
駅名の看板の文字が「かづざ」なのがポイントです。
小湊鉄道a18
こちらは県道32号線から駅の方向へと向かう道。
公民館を過ぎて、今は使われていない農協のコンクリートの建物を過ぎると
踏切の手前に駅へと至る横道があります。
小湊鉄道a19
駅への横道。
小湊鉄道a20
進むと駅が見えてきます。
小湊鉄道a21
駅前の様子。
広場右手のモダンな建物は建築家の設計したトイレです。
小湊鉄道a22
列車が停まると駅はこんな感じです。



小湊鉄道39
養老渓谷駅
1928年(昭和3年)に朝生原駅として開業したこの駅は
現在は単式1面1線の駅となっています。
小湊鉄道40



小湊鉄道14
そして列車は終点の上総中野駅に到着。
1928年(昭和3年)5月に小湊鉄道の駅として開業した駅で、
その後1934年(昭和9年)に国鉄木原線がこの駅まで開業して
二つの路線の乗り換え駅となりました。
小湊鉄道15
こちらが駅舎の外観。
小湊鉄道16
小湊鉄道17
小湊鉄道18
駅前はご覧の通りです。
小湊鉄道19
さすがに終点まで来ると時刻表の本数も、起点の五井駅に比べて少ないですね。



小湊鉄道20
小湊鐵道の全線乗車の所要時間はおよそ1時間20分程度です。
電波の状況は、山中を抜けるルートなどもありますが
ごらんの通り、基本的にはほぼ全線が圏内であると言って良いと思います。
駅の奪取は普通にやれば問題が無いでしょう。

運賃は五井駅━上総中野駅の全線で1650円です。
私は五井駅で「房総横断記念乗車券」というのを1700円で購入しました。
小湊鉄道21
こちらは一方通行ですが、小湊鐵道といすみ鉄道を全線で乗り降り自由です。
いすみ鉄道が全線で720円しますので、五井━大原間で2370円である事を考えると
路線踏破目的であれば、こちらの切符が一番お徳かと思います。



まあ、いすみ鉄道とのアクセスの調整はしていませんので、
私は上総中野駅でおよそ1時間待つ事になりました。
コンビニなどは上総中野駅近辺では見かけず、お蕎麦屋さんくらいしかありませんでしたので、
例によって食料などは事前にご準備下さい。


では。

久留里線01

さて、お次は久留里線です。



千葉県の房総半島の中心部を走る盲腸線で、
全ての千葉県の路線を踏破するにあたって、関門のひとつと言える路線でしょう。


実際、房総半島の外周部を走る内房線と外房線は、東京近郊区間に当たる為、
多くの人がいわゆる「大回り乗車」を利用している事と思います。
ですが、行き止まりのこの久留里線は、大回り乗車はできない為、
単独で乗車が必要となります。


幸いなことに、JR東日本が発売している「休日おでかけパス」のフリー区間に
この久留里線も含まれれています。
久留里線02
埼玉の私は、このフリー切符だけで、久留里線乗車の元が取れますので利用させて頂きました。


始発で最寄駅を出て、内房線経由で木更津駅に。
こちらが久留里線の起点となります。


久留里線04

さすがに7時台に下り列車に乗る人はまばらで、車内はこんな感じ。
非電化区間ながら、さすが東京近郊区間なだけあって車両は今風です。

久留里線05
路線図もなんか小洒落て観光を意識してるんでしょうか。


久留里線05
ご覧の通りワンマン運転の案内が車内に掲示されていましたが、

久留里線07
久留里線08

ご覧の通り、通勤時間帯の為か、車掌が乗車をして
車内で精算業務を行っていました。
なんでも 検札は特に行っていなかったです。



この久留里線、乗車する前はローカルすぎて電波が届かない場所がたくさんあるんじゃないか、
なんて思っていた
のですが。

久留里線11

ご覧の通り、久留里線全線がauでは電波の圏内でした。
さすが東京近郊区間路線。



久留里線12
久留里線13

こんな感じの風景の中を運行する久留里線。


こちらは途中の俵田駅ですが。
久留里線14

これがこの駅の入り口ですw
途中の無人駅はこんな感じで。



久留里線15
そして終点の上総亀山駅に到着。

久留里線16
こちらが駅の外観です。

久留里線17
久留里線18
こちらが駅前の風景。
朝八時半と言うこともあるかもしれませんが、
自動販売機以外で、とりあえず何かを購入するのは不可能でしたw


久留里線19
久留里線20
久留里線21

上総亀山駅構内で、普段撮れない角度の写真を撮ってみたりして。




基本的にこの路線、東京近郊区間ですがSuicaは利用できません。
事前に切符の購入をしておいたほうが良いでしょう。

電波に関しては不都合はありませんでしたので、
普通にやれば全駅難なく取れると思います。
他路線からのレーダーでの取得はできないので、
実際に現地で取るしかないでしょう。



では。

さて。
お次は長野電鉄屋代線です。


元々は長野電鉄の路線でしたが
2012年(平成24年)4月に廃止され、バス路線へと変更がされました。

ですので現在は鉄道が走っていない廃線ですので乗車できません。
代替の交通手段に拠らないとGPSでの奪取は難しいでしょう。



現在は長電バスの「屋代須坂線」が、旧屋代線の路線を沿うように
ほぼ同じルートで営業をしています。
長野電鉄屋代線05
しなの鉄道線屋代駅、長野電鉄線須坂駅どちらからも一時間に一本、
バスが発車していますので比較的乗車に困ることは無いでしょう。

参考
長電バス「屋代須坂線」

http://www.nagadenbus.co.jp/local_suzaka/yashirosuzaka.html
長野電鉄屋代線01
こちらのサイトでは屋代須坂線の路線図もpdfファイルで公開しており、
バスの停留所の位置や路線ルートと共に「長野電鉄屋代線」の位置まで詳細に載っています
非常に参考になりますのでリンク先で是非ご覧下さい。
長野電鉄屋代線02




長野電鉄屋代線03
こちらが屋代線の起点だった屋代駅です。
現在はしなの鉄道線の駅として営業中です。
長野電鉄屋代線04
屋代駅の中の、かつて屋代線が営業していた時の
ホームへ向かう連絡通路ですが、ご覧の通りバリケードで封鎖されていました。
長野電鉄屋代線06
その奥の通路はご覧の通り。
長野電鉄屋代線07
外から見るとこんな感じで、
長野電鉄屋代線08
今は使われていない、旧屋代線のホームへと現在も繋がっています。

それでは長電バス「屋代須坂線」に乗車して
長野電鉄屋代線の跡を追いたいと思います。
長野電鉄屋代線11
屋代駅のバス停は、駅を背にロータリー左側にあります。


以下は現在の各駅近辺の様子です。
長電バスの最寄バス停を参考で記載しておきましたので
GPSで駅奪取の際の参考にして下さい。



東屋代駅
 バス停「屋代高見町」~「屋代高校前」間

1922年(大正11年)に河東鉄道の駅として開業したこの駅は
長野電鉄河東線の駅として長らく営業をしていました。
2002年(平成14年)に長野電鉄屋代線と路線名が改称されるも
屋代線の廃止によって2012年(平成24年)4月に廃駅となりました。
長野電鉄屋代線41
こちらは国道403号線の屋代中学校前交差点付近です。
交差点の奥に見えるのは上越新幹線の高架線であり、
その下を元信越本線のしなの鉄道が走っています。
長野電鉄屋代線42
交差点の西すぐのこちらが、かつて駅舎へと通じていた横道となります。
長電バスも国道403号を通っているのでこの横道の前を通過します。
長野電鉄屋代線43
かつてはここに、ご覧の駅舎が建っていたそうです。
長野電鉄屋代線44
ですが廃駅からまもなく駅舎は解体されており、
ほぼ同じアングルで撮った現在(2017年3月)ではご覧の通り更地となっています。
長野電鉄屋代線45
かつて駅舎やホーム、そして線路のあったあたりは
ご覧の通り跡形も無く更地となっていました。
長野電鉄屋代線10
Googleのマップでは、有り難い事に
屋代線の線路の無くなった今でも、その駅の場所だけは
未だに地図上に、現役の駅と同様に表示されています
活用をすると非常に位置の把握がし易いです。



雨宮駅
 「雨宮中学校」バス停付近(早朝夕刻は「雨宮北町」バス停付近)
長野電鉄屋代線46
こちらは県道335号線と、かつての屋代線が交わっていた
踏切の跡です。この踏切の西にかつての駅がありました。
長野電鉄屋代線47
こちらがかつての駅舎とホームです。
1922年(大正11年)に開業した単式1面の駅で、
屋代線廃止の2012年(平成24年)に廃駅となりました。
長野電鉄屋代線48
写真の中央あたりの広くなっている更地が
駅やホームのあった場所となります。

長電バスの「雨宮」バス停はかつての駅跡の北を走る
国道403号にありますので、バスからは駅跡は見えません。



岩野駅
 「岩野」バス停付近
長野電鉄屋代線49
こちらは国道403号線の松代町岩野付近。
長野電鉄屋代線50
交差点の案内標識の根元に長電バス「岩野」バス停があります。
長野電鉄屋代線55
バス停の裏側あたりには、かつて線路が敷かれていた場所が
うっすらと続いています。
何も無い野原に鉄道の敷地の境界杭が残っているので
ここが鉄道用地であることが分かります。
長野電鉄屋代線51
バス停のすぐ西の、国道に横断歩道があるあたりが
かつての駅のあった場所付近となります。
長野電鉄屋代線52
駅があった当時はこの場所にご覧の小さな待合室と、
ホームが単式1面であったそうです。
長野電鉄屋代線53
同じ付近を現在(2017年3月)見てみると
ご覧の通り駅舎や電話ボックスは撤去されています。
長野電鉄屋代線54
かつての駅や駅前広場であった更地。



象山口駅
 「象山口」バス停付近
長野電鉄屋代線56
上信越自動車道の松代PAの南東に程近い場所に
かつての象山口駅がありました。
道路にはかつての踏切をコンクリートで埋めた跡がありますが、
その踏切跡の向こう側がかつての駅のあった場所です。
「象山口」バス停からは西にすぐの位置にあります。
長野電鉄屋代線57
こちらがかつて駅ホームがあった時代の光景です。
路線廃止後ですがまだホームや待合室が残っていました。
長野電鉄屋代線58
そしてやや角度が違いますが、現在(2017年3月)の同じ場所の様子です。
ホームも綺麗に撤去されて更地となっています。
長野電鉄屋代線59
駅の真横にあった都市ガスの整圧所と
看板(ポールサイン)は変わっていないので
かつての駅がここにあったという事が分かり易いのが幸いです。
長野電鉄屋代線60
このようにかつては看板の場所がまさに
駅の出入口となっていました。
長野電鉄屋代線61
北側からかつての駅の場所を眺めた光景です。



松代駅
 「松代駅」バス停前
長野電鉄屋代線62
こちらが「松代駅」バス停です。
長野電鉄屋代線63
松代駅の駅舎です。
1922年(大正11年)の駅開業当時の駅舎が現在でも残っています。
廃駅となった今でもバスやタクシーの待合所として
駅舎は残されて活用されています。
長野電鉄屋代線64
駅舎前の道は駅前広場を兼ねて広くなっており、
両脇にバス停が設置されています。
長野電鉄屋代線71
駅前には童謡「汽車ポッポ」の歌碑がありました。
長野電鉄屋代線67
かつての駅構内の光景です。
長野電鉄屋代線66
駅舎とホームまでは残されているものの、
かつて線路の敷かれていた場所は更地となって砂利が敷かれ、
駐車場となっています。
長野電鉄屋代線65
駅舎のあるホームはかつての3番線であり、
ホームの目の前の駐車場となっている場所に
かつては島式の1面2線の1番線と2番線のホームがありました。
長野電鉄屋代線68
改札の脇の観光案内図には
松代駅の目の前に松代城(海津城)の跡が記されています。
長野電鉄屋代線69
駅の目の前には、戦国時代に武田氏が川中島支配の為に築城した
松代城(海津城)跡の南縁が見えます。
駅のかつての線路跡は城址公園の駐車場として利用されていました。
長野電鉄屋代線70
かつての屋代線の形にひろがる駐車場。



金井山駅
 「金井山」バス停付近
長野電鉄屋代線72
こちらは「金井山」バス停です。
国道403号線上に設置されています。
長野電鉄屋代線73
バス停から西にすぐのところにご覧の横道があります。
反対側には小学校やJAなどがあります。
長野電鉄屋代線74
横道はかつての駅前への道であり、
駅前広場であった場所へと通じています。
長野電鉄屋代線75
舗装部分が終わったあたりの左手が
かつて駅のホームがあった場所となります。
長野電鉄屋代線77
線路の跡地に降りてみると良く分かりますが、
車が並んでいる場所はホームであり、
現在でもホームの遺構がそのまま残っているのが分かります。
長野電鉄屋代線76
駅は単式1面1線の棒線駅であり、
ホームにはご覧の通り待合室が置かれていました。
長野電鉄屋代線78
駅前広場であった場所に残る、
武田信玄の軍師、山本勘助の墓への案内板。



大室駅
 「大室駅」バス停付近
長野電鉄屋代線79
こちらは「大室駅」バス停です。
長野電鉄屋代線80
バス停のあるこの場所が、かつての駅のあった場所となります。
長野電鉄屋代線81
かつての駅ホームがあった当時の様子です。
この駅は路線が長野電鉄河東線であった時代の
1951年(昭和26年)に新設された駅で、単式1面1線の棒線駅でした。
長野電鉄屋代線82
同じ場所は現在(2017年3月)は見ての通り更地となっています。
長野電鉄屋代線83
駅前広場から駅舎を背にしたであろう方向を見ると
線路があった跡が空き地として延びているのが分かります。
長野電鉄屋代線84
畑の向こう側には屋代線と並行して走っていた
国道403号線が見えます。



信濃川田駅
 「川田駅」バス停前
長野電鉄屋代線85
「川田駅」バス停です。
長野電鉄屋代線86
ご覧の旧・信濃川田駅駅舎が現在(2017年3月)は
バスの待合室として使われています。
長野電鉄屋代線87
待合室の中の様子です。
長野電鉄屋代線88
屋代線の営業当時の運賃表や時刻表がそのまま残されています。
長野電鉄屋代線89
こちらはホームの様子です。
駅名標が撤去されずに残されており、
ホームには列車が静態留置されたままの状態となっています。
長野電鉄屋代線90
ホームの列車は長野電鉄2000系A編成という列車だそうで、
半世紀にわたって長野電鉄の看板車両として
特急列車として運行し活躍をしていたそうです。
マルーン色と言われるカラーリングのこの車両は
2011年3月に屋代線の最終営業列車として走行後廃車。
須坂駅に留置されていましたが、
その後信濃川田駅まで回送されて留置され現在に至っています。
長野電鉄屋代線91
そしてホームから須坂駅方面をみると、もう一両列車が留置されています。
長野電鉄屋代線92
こちらは長野電鉄モハ1000形1003という車両だそうです。
1985年(昭和60年)に廃車となった後は
小布施駅の「ながでん電車の広場」で静態保存されていましたが
屋代線廃止の2011年にこの場所に移動されて現在に至るそうです。
長野電鉄屋代線93
駅周辺の様子。
長野電鉄屋代線94
駅前ロータリーは現在はバスの展回場として活用されています。



若穂駅
 「若穂病院」バス停付近
長野電鉄屋代線95
こちらが若穂病院のバス停です。
長野電鉄屋代線96
病院前のバス停から南に上信越道の方を見ると
かつての駅の付近となります。
長野電鉄屋代線97
ここがかつての駅のあった場所で、
現在は線路のあった場所が遊歩道として整備されていました。
長野電鉄屋代線98
駅周辺には現在は何も残っていないのですが、
かつての踏切から駅の反対側には
ご覧の通り線路跡の土地が伸びており、
道の近くは長野電鉄の駐輪場として利用されている立看板があって
ここが長野電鉄の土地である事が分かります。
長野電鉄屋代線99
こちらは駅があった当時の写真です。
1966年(昭和41年)に設置された屋代線では新しい駅で
単式1面1線の棒線駅でした。
長野電鉄屋代線a01
ほぼ同じアングルで撮った現在(2017年3月)の同じ場所です。



綿内駅
 「綿内駅」バス停付近
長野電鉄屋代線a02
こちらが長電バスの綿内駅バス停。
長野電鉄屋代線a03
旧駅の駅前のスペースが
そのままバスの展開場所として使用されています。
長野電鉄屋代線a04
こちらがかつての駅舎です。
現在はバスの待合所としてそのまま使われています。
長野電鉄屋代線a05
屋代線の営業時代には
ご覧の通り軒に駅名標が掲示してありました。
この駅名標は電気で夜は光ったそうです。
長野電鉄屋代線a06
駅舎の中の待合室の様子。
長野電鉄屋代線a07
壁にはご覧の、綿内駅仕様の時計が設置してありました。
この時計も夜は光るそうです。
長野電鉄屋代線a09
待合室からホームへと出て
かつての改札の様子です。
長野電鉄屋代線a08
そして待合室の隣の駅務室を窓からのぞいてみると
綿内駅の光る駅名標が置いてありました。
長野電鉄屋代線a10
こちらはホームの様子です。
かつては相対式2面2線のホームの駅で
列車交換が可能だった様ですが、
線路や駅舎の反対側のホームは綺麗に撤去されていました。
長野電鉄屋代線a11
須坂駅側のホーム東端の先にある、
かつてのホームを連絡していた構内踏切の跡です。
長野電鉄屋代線a12
踏切から見た駅の全景です。



井上駅
 「幸高」バス停付近
長野電鉄屋代線a13
国道403号線の、幸高停留場のある場所から北に150mほどの位置に
かつての井上駅がありました。
長野電鉄屋代線a14
こちらが現在(2017年3月)の井上駅跡の様子です。
かつての跡地にはご覧の駅のあった記念の看板が立てられていました。
長野電鉄屋代線a15
看板の説明書きのアップ。
長野電鉄屋代線a16
かつての線路やホームのあった場所の光景です。
単式1面1線のホームの棒線駅でした。
長野電鉄屋代線a17
駅舎や線路、ホームなどがあった時代の井上駅の写真です。
長野電鉄屋代線a18
上の写真とだいたい同じ場所で撮った現在(2017年3月)の様子。



長野電鉄屋代線30
こちらは須坂駅から北に200mほどの場所にある
大笹街道にあるかつての踏切です。
ご覧の通り線路の跡はまだ道に残っていますが、
列車はもう一切この踏切は通過しませんので現在は単なる道です。
写真の奥方向が須坂駅。
長野電鉄屋代線31
この踏切を須坂駅と反対方向に見ると、
ご覧の通り旧屋代線の跡は「河東線記念公園」として残されているのを
現在でも見ることができます。
長野電鉄屋代線32
看板などが整備されているので、いかにも線路のある場所が
旧屋代線の様な気がしてしまいますが
こちらは単に引込み線と車庫が残っているエリアであり、
屋代線が走っていたのは写真右の舗装されてしまっている部分となります。
長野電鉄屋代線33
証拠に舗装された道を辿って奥に行くと
ご覧の通り旧屋代線のバラスト(砂利)がそのまま残った
旧屋代線の敷地が続いているのを見ることができます。



そしてバス終点の須坂駅
現在も長野電鉄線の現役の駅です。
長野電鉄屋代線20
こちらが駅舎の様子。
長野電鉄屋代線21
長野電鉄屋代線22
須坂駅前のバスの発着場です。
長野電鉄屋代線26
須坂駅の中に入って改札の前を見ると、
屋代駅と同じように、
封鎖をされた階段がありました。
「5番線ホーム」と書いてあります。
長野電鉄屋代線23
バリケードの奥をのぞいて見ると。
長野電鉄屋代線24
カラーコーンや看板などで封鎖されて
屋代線ホームへは降りられないようにしてありました。
長野電鉄屋代線25
とりあえず営業をしている1番線から4番線のホームに降りてみることにします。
長野電鉄屋代線27
旧屋代線の5番線ホームには動いていないであろう車両が止まっており、
ホームにはブルーシートで覆いがされています。
長野電鉄屋代線28
こんな感じで、旧屋代線のホームは使われてはいないものの、
今も現存していました。
長野電鉄屋代線29
旧屋代線ホームの前には、これも恐らく旧屋代線の車両が停車中で、
列車の中は物置となっていました…



さて、廃線である長野電鉄屋代線については以上です。
長野電鉄屋代線a19
こちらはau 4G LTEでの電波エリアマップとなります。
平野部で住宅などもある地域を走る列車なだけに、
GPSの電波が途切れるような状況はありませんでしたので
バスで普通にやっていれば駅へのアクセスは問題ない
でしょう。

そして現在では廃線ですので列車ではなくバスでの移動となりますので
現在では駅舎やホームが無い駅がほとんどとなります。
車窓を眺めているだけだと駅に気がつかないケースも有り得るので
取り忘れには注意したい所です。


あと実は、雨宮駅から井上駅までについては、
上信越自動車道の更埴JCT~松代PA~長野IC~須坂長野東ICまでの区間で
全てGPSで奪取できます。
屋代駅と東屋代駅はしなの鉄道で、須坂駅は長野電鉄で取れますので、
ご参考までに。



私は鉄道マニアでは無いので、こうして廃線の廃駅を巡ったのは初めてでしたが、
やってみたら意外と楽しかったです。
みなさんにも一度やってみることをお勧めしたいです。

では。
【写真撮影:2017年3月、屋代駅・須坂駅は2016年6月撮影】

さて、只見線の続きです。


その1(会津若松駅~会津川口駅)はこちら
その2(会津川口駅~只見駅・代行バス区間)はこちら



只見線52
只見駅の駅前です。
広大な駐車場です。


只見線53

只見線54

只見線55


…まあ、ご覧の通り、駅の近辺を散策して
雄大な自然には心が洗われましたが、店っぽい物は見当たりませんでした。

只見駅まで来る方は、食料を調達持参してから電車乗った方がいいですよ。


そして、駅の待合室で時刻表を熟読して待つこと二時間。


只見線56
きた。

只見線57
やっと来た!。

只見駅にとってこの日3本目の列車。
そして山奥で真っ暗になっちゃった中来た、私にとっては救いの列車w



では新潟の小出駅まで、残りの行程を行きましょうか。


会津川口駅を出発すると、すぐに車内に車掌が現れて検札を開始します。
本日只見線での検札はこれで二回目です。



まずは只見線で福島県最後の駅となる田子倉駅

まあ、田子倉駅は2013年に廃止されています廃駅ですので、
正確には只見駅が福島最後なんですが。

廃駅で路線図には載っていないので、
まずはその位置を地図で確認をしましょう。

只見線02
只見線_田子倉駅02

田子倉駅近辺の電波状況を調べてみると、
私の使用するauの4G LTEでは以下の通りです(2015年11月現在)。
只見線_田子倉駅_電波

ご覧の通り、只見駅では十分に繋がりますが、
田子倉駅跡近辺ではちょっと電波が厳しい様子です。
これでは例え地上から近くに行っても取れませんから、
どうやら只見駅でレーダーでの取得が必要です。

只見駅━田子倉駅間で狙ってのGPSで奪取しようと考えた方、無駄です
何故かというと、次の地図をご覧下さい。
只見線58

はい。ご覧の通り、田子倉駅というのは元々
只見線の福島・新潟県境の「六十里越トンネル」と「田子倉トンネル」の継ぎ目に、
ほんの一瞬地上に出た所に作られた駅なんですね。
なので田子倉駅跡の前と後ろは長大なトンネルなんです。
当然携帯の電波なんぞ届きません。

ちなみに。
只見線59
Docomoなら繋がるらしいですよ。
私はauだから関係ないですが。


ちなみに以下が只見駅からレーダーでアクセスをした時の画面です。
只見線60
ご覧の通り田子倉駅がレーダーに掛かります。
やはり只見駅からレーダーで取る以外の選択肢は田子倉駅に関しては薄い様子です。


只見線61
というわけで、田子倉駅跡を通過した後の「六十里越トンネル」を抜けて。


只見線62
大白川駅に到着をします。

こちらが大白川駅からのレーダーでのリンク状況。
只見線63
ご覧の通り、隣の田子倉駅まで営業キロで14.2kmあります。
大白川駅から3駅先の越後須原駅までで13.9kmの営業キロですから、
距離の近い駅からレーダーに掛かるゲームの仕様では
田子倉駅は隣駅といえどもなかなかリンクはしづらいでしょう。

やはり田子倉駅は、レーダー使用の場合は
営業キロ6.6kmの只見駅から取ったほうが良さそうです。



そして次は柿ノ木駅です。
こちらも2015年3月を以って廃止となった廃駅です。
只見線01
只見線_柿ノ木駅01

この柿ノ木駅の電波状況(au 4G LTE(2015年11月現在))は、
只見線_柿ノ木駅_電波
こちらも柿ノ木駅は圏外の様ですね。
大白川駅は昔は圏外だった様子ですが、現在はエリアがカバーされています。
柿ノ木駅に関しては、大白川駅からのレーダーなら一番に掛かります。
大白川駅━入広瀬駅間で電波の届いたところからでも十分に柿ノ木駅はGPSで奪取できますので
アイテムを使いたくない方はそちらでお取り下さい。
ただ、失敗した時に危険が大きい(列車本数少なく取り直しが容易でない)ので注意は必要です。



そして列車は進みます。
入広瀬駅を過ぎた列車は、
只見線64
只見線65
只見駅から五駅目の越後須原駅

只見線66
六駅目の越後田中駅

只見線67
七駅目の越後広瀬駅

只見線68
そして終点手前の八駅目、藪神駅



只見線69
やっと終点の小出駅に到着をしました。

只見線70
13時07分発の列車で会津若松駅を出発しましたが、 小出駅に到着したのは19時48分。
実に7時間近くかかっての只見線全線踏破でした。

只見線71
小出駅に停車する只見線の列車。20時前ですが本日の最終列車です。

只見線72
小出駅の全景です。
これだけ立派な駅舎のホームも幾つもある小出駅ですが、
入り口に改札は有りません



この只見線、そのほとんどが無人駅の上、
一部電波の届かない駅まで存在し、列車の本数も一日数本。
しかも不通区間まであるという、なかなかフルコースの揃った路線でした。

全線を踏破するには、この只見線をその日のメインにするつもりで
綿密に計画を立てないとならないでしょう。



とりあえず全線紹介できたので、では。

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