2017年01月

一畑電車_北松江線00
さて、次は島根県のローカル私鉄である
一畑電車北松江線です。



一畑電車は元々は宍道湖の北岸側にある一畑寺(一畑薬師)への
参拝を目的として計画された鉄道であり、
1914年(大正3年)4月に一畑軽便鉄道として
出雲今市駅(現・電鉄出雲市駅) ━雲州平田駅間が開業したのが始まりです。

1915年(大正4年)2月に雲州平田駅━一畑駅間、
そして1928年(昭和3年)4月には
小境灘駅(現・一畑口駅)━北松江駅(現・松江しんじ湖温泉駅)間が開業して
現在の一畑電車北松江線の原型が出来上がっています




一畑電車_北松江線01
こちらはJR出雲市駅の南口。
松江駅と並んで島根県の玄関口とも言える駅であり、
出雲大社へと参拝に訪れる観光客の集まる駅でもあります。
一畑電車_北松江線02
このJR出雲市駅の南口を出て右手に進み、
駅に沿ってとホテルの間を進むと駅が見えてきます。

一畑電車_北松江線03
こちらが一畑電車の電鉄出雲市駅の外観です。
この駅に初めて来る人はまずこの光景を目にする事だと思います。
一畑電車_北松江線04
南側から見た駅舎の外観。
現在の駅は2000年(平成12年)12月より高架駅となっており、
色ガラスの美しい駅舎となっています。
一畑電車_北松江線05
駅舎の建物の中を進み、駅待合室へ。
一畑電車_北松江線06
待合室には発券の窓口があり、
その脇には改札が設けられています。
この駅は改札は列車の発車10分前より行う様です。
一畑電車_北松江線07
改札内に入り、ホームへと上がる階段。
一畑電車_北松江線08
こちらが駅のホームです。
変形の島式ホーム1面2線となっています。
基本的には2番線が発着に使用されています。

元々は1914年(大正3年)4月に一畑軽便鉄道の出雲今市駅として開業し、
1910年(明治43年)に国鉄山陰本線の開業によって国鉄との共同駅となりました。
そして1957年(昭和32年)に国鉄の改称に併せて出雲市駅となった後、
1964年(昭和39年)に移転によって国鉄と駅が分離し、
電鉄出雲市駅となっています。
一畑電車_北松江線09
駅ホームの東端、2番線にある北松江線のゼロキロポスト。



一畑電車_北松江線10
出雲科学館パークタウン前駅
1928年(昭和3年)に今市上町駅として開業した駅で、
戦後まもなく大和紡前駅と改称。
2002年(平成14年)に現在の出雲科学館パークタウン前駅となりました。
単式1面1線の棒線駅で、無人駅ですが近くに県立出雲高校があるので
朝の通学時間のみ駅務員が配置されます。
一畑電車_北松江線11
前駅ですから、当然ながらホームの眼前には出雲科学館が。
一畑電車_北松江線12
駅前の道は県道へとつながる、いわば線路の側道で、
歩道が駅側だけスロープ状になっていて
半高架の駅へ直接出入りができる様になっています。
一畑電車_北松江線13
駅の外観。
一畑電車_北松江線14
駅ホーム目の前には、一畑電車と並走して走るJR山陰本線があり、
ご覧の様にJRの電車が通過していきます。



一畑電車_北松江線15
大津町駅
1914年(大正3年)4月開業の相対式ホーム2面2線の駅です。
無人駅ですが朝の通学時間のみ駅務員が配置されます。
こちらは駅舎側の1番線ホーム。
一畑電車_北松江線16
ホーム南端には構内踏切があり、
反対側のホームと連絡をしています。
一畑電車_北松江線17
2番線ホームです。
一畑電車_北松江線18
ホーム側から見た駅舎の様子。
かつてあった木造駅舎が2003年(平成15年)に改築されたものです。
一畑電車_北松江線19
駅舎の外観。



一畑電車_北松江線20
武志駅
1914年(大正3年)に開業した駅で、単式1面1線の棒線無人駅です。
開業当時は田んぼしかなかったそうですが、
宅地化の進んだ現在でも駅周辺は結構田んぼがひろがっています。
一畑電車_北松江線21
駅舎は無く、ホーム上に待合室があるのみです。
待合の壁には旧タイプの駅名標がそのまま残っています。
一畑電車_北松江線22
ホームの北端は駐輪スペースとなっていて、
その先に駅の出入口となるスロープがあります。
一畑電車_北松江線23
駅の入口に駅開業以来あるという商店。



一畑電車_北松江線24
川跡駅
1930年(昭和5年)に大社線の開通と同時に設けられた駅です。
当時この駅から松江方に0.1kmほどの場所に鳶巣駅という駅があったそうですが、
北松江線と大社線の交点となる場所に川跡駅が新設され鳶巣駅は廃止となりました。

島式ホーム2面4線を持つ駅で、業務委託駅となっており
駅務員配置の有人駅となっています。
上は主に北松江線で使われる2、3番線ホーム。
主に2番線が電鉄出雲市方面、3番線が松江しんじ湖温泉方面となっています。
一畑電車_北松江線25
普通は駅舎に近い方から1番線、2番線と番号を振るものですが、
ご覧の通りこの川跡駅は駅舎に近い左側から4、1、2、3番線となっています
一畑電車_北松江線26
ホームと駅舎はご覧の構内踏切で連絡しています。
遮断機などは特に無く、駅員が直接ロープで開け閉めをしています。
一畑電車_北松江線29
ホーム側から見た駅舎です。
一畑電車_北松江線27
こちらが駅前の光景。
一畑電車_北松江線28
駅舎の外観です。
長らく開業以来の木造駅舎でしたが1995年(平成7年)に改築されています。



一畑電車_北松江線30
大寺駅
1931年(昭和6年)開業の駅で、単式1面1線の棒線無人駅です。
一畑電車_北松江線31
…まあぶっちゃけて言いますと、駅の目の前は全部田んぼです。
一畑電車_北松江線32
駅から徒歩5分ほどの、国道431号線がバイパスと分岐するあたりには
青木遺跡という遺跡があり、国指定文化財の史跡となっています。



みこと_くに01
美談駅
みこと_くに02
1952年(昭和27年)開業の駅で、単式1面1線の棒線無人駅です。
鉄道的には周囲が田んぼの無人駅であり、とりたてて記すべき事項はありません。

こちらの記事で美談駅については詳細の紹介をしていますので
興味のある方はご参照までに。
参考
「でんこの元ネタ ■No.37 美談みこと(Midami Mikoto)■No.38 美談くに(Midami Kuni)」


ですが駅メモ的には美談みこと・くに姉妹の由来駅であり、
日本神話などを元にしたなかなか興味深い地でもあります。
みこと_くに20
こちらは駅から徒歩10分ほどにある美談神社です。
駅メモの美談姉妹の設定の元となった伝承はここから始まっていますので
時間のある方は訪れてみてはいかがでしょうか。



一畑電車_北松江線33
旅伏駅
1914年(大正3年)4月開業の駅ですが単式ホーム1面1線の棒線無人駅です。
一畑電車_北松江線34
駅近くの国道431号線の交差点には
国指定史跡の国富中村古墳や、枯山水の日本庭園の康國寺などへの
案内標識があります。
一畑電車_北松江線35
国道の交差点から、名勝への案内とは逆の南に進むと
ほどなくして旅伏駅が見えてきます。
一畑電車_北松江線36
駅舎の外観です。
一畑電車_北松江線37
駅舎の中は待合スペースのみとなっています。



一畑電車_北松江線38
1914年(大正3年)4月に一畑軽便鉄道の終着駅として開業した駅です。
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の計3線の駅であり、
一畑電車では唯一の社員のいる直営駅となっています。
上は駅舎側の単式の1番線ホーム。
一畑電車_北松江線44
1番ホームにはこの駅が映画「RAILWAYS」のロケ場所であった事を示す
看板が掲出されています。
一畑電車_北松江線39
また駅構内には車両区があり、一畑電車の車両基地となっています。
一畑電車_北松江線40
こちらはホーム西端にある、ホームを繋ぐ連絡地下通路。
一畑電車_北松江線41
島式の2、3番線ホームです。
一畑電車_北松江線42
こちらが駅舎の外観。
二階には一畑電車の本社が入っています。
一畑電車_北松江線43
駅舎の中の改札前の様子。



一畑電車_北松江線45
布崎駅
1915年(大正4年)2月に開業した駅です。
駅の場所が1916年(大正5年)に300mほど東に移動して
現在の位置となりました。
駅は単式1面1線の棒線無人駅となっています。
一畑電車_北松江線46
こちらは駅の入口前にある一畑電車布崎変電所です。
1927年(昭和2年)に建設されたもので、一畑軽便鉄道が電化する際に
その電力を供給する目的で作られました。
産業遺産として国指定有形文化財に指定されています。

参考
文化庁「文化遺産オンライン:一畑電車布崎変電所」

http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/199282
一畑電車_北松江線47
変電所前のご覧の道を進むと駅があります。
一畑電車_北松江線48
駅舎は無くホーム上にご覧の待合室があるのみの駅となっています。
一畑電車_北松江線49
待合室の中の様子です。
一畑電車_北松江線50
ホームの裏手は袋小路の広場となっており、
駅の駐輪場となっています。



一畑電車_北松江線51
湖遊館新駅駅
1995年(平成7年)10月に新設された駅で、
山陰最大のアイススケートリンク「湖遊館」のオープンに合わせて開業しました。

この駅には他の駅にある駅名標が無く、
駅の名前を表示するのはご覧の待合室に掲出されているものだけです。
また駅名は「湖遊館新駅」駅が正式なものですので
駅まで付けると最後が「駅駅」となってしまいます
一畑電車_北松江線52
こちらが駅ホームの様子。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅で、駅舎は無く待合室のみがあります。
一畑電車_北松江線53
ご覧の通り駅周辺には田んぼしかありません。
一畑電車_北松江線54
こちらは待合室から見た光景ですが、
田んぼの向こうに小さく見えるドーム状の建物が
駅名の由来の湖遊館です。



一畑電車_北松江線55
園駅
1915年(大正4年)2月開業の駅で、単式ホーム1面1線の棒線無人駅です。
一畑電車_北松江線56
こちらが駅の外観です。
国道431号線に面して駅があります。



一畑電車_北松江線57
一畑口駅
1915年(大正4年)2月に小境灘駅として開業した駅です。
単式1面1線、島式1面2線の計3線のホームを持つ駅です。
こちらは駅舎のある1番線ホームで、松江方面行きの列車が使用します。
一畑電車_北松江線58
ホームには一畑口駅についての説明が書かれた看板が掲出されています。
(画像クリックで拡大します)
一畑電車_北松江線59
その脇には目玉のおやじのモニュメントが。
一畑電車_北松江線66
改札口脇の駅舎前にご覧の通り並んでいます。
一畑電車_北松江線67
ホーム側から見た改札口。
一畑電車_北松江線60
ホーム同士は駅北側の構内踏切で連絡しています。
この一畑口駅は当初はさらに北に3.3km線路が延びていて、
そこに後から松江方面の路線を接続した形でした。
一畑電車_北松江線61
一畑口駅から北の線路だけ廃止されたものの
使用部分の駅ホームや線路はそのまま残された為、
結果として平地なのにスイッチバックというめずらしい形の駅となりました。
一畑電車_北松江線63
ですので駅の北側はご覧の通り線路が集約して行き止まりとなっていますし。
一畑電車_北松江線62
南側は線路がダイヤモンドクロッシングで交差して
その先で分岐しています。
一畑電車_北松江線64
構内踏切から見た駅。
スイッチバックとなった結果、この踏み切りを通過する列車はありませんので
いつでも通る事ができる状態となっています。
一畑電車_北松江線65
こちらが島式の2、3番線ホーム。
2番線を出雲方面行きで使用しており、3番線は現在は使っていません。
一畑電車_北松江線68
駅前の様子です。
駅前広場はかなり広めのスペースがあります。
一畑電車_北松江線69
駅舎の外観です。



さて、ここからこの部分は駅メモとはちょっと関係の無い部分となります。
それは一畑口駅━旧一畑駅間にかつてあった3.3kmの廃線跡についてです。
駅メモには旧一畑駅は登録されていませんので。

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一畑電車_北松江線70
こちらは一畑口駅のホーム北側の引込み線部分です。
一畑電車_北松江線71
こちらがその引込み線の終端の車止めです。
この車止めの先にはかつて、1915年(大正4年)に一畑軽便鉄道の開通によって
鉄道が敷設されていました。
一畑電車_北松江線72
車止めの先の交差点ですが、その先には直線で伸びる道路があります。
この道路は県道23号斐川一畑大社線で、
かつての一畑軽便鉄道の線路の路盤跡に作られた道路です。
一畑電車_北松江線73
かつての鉄道跡である県道を進みます。
一畑電車_北松江線74
そして写真の車の停まっているあたりの横が
かつて一畑駅があったとされる場所となります。
一畑電車_北松江線75
地図で示すとご覧のあたりとなります。
一畑電車_北松江線77
道路の脇にはこの地区の地図がありました。
一畑電車_北松江線78
看板の現在地から、道を挟んだ向かい側に「北垣駅前」の文字が見えるでしょうか。
その左には「一畑坂下車庫」の記載もあります。
一畑電車_北松江線76
ご覧の道の左側付近が、かつて一畑駅のホームのあった場所です。
一畑電車_北松江線79
古い写真などの資料から判断すると、
この写真の付近が一畑駅の駅舎があったとおぼしき場所となります。
一畑電車_北松江線80
旧駅舎の跡と思われる場所の真後ろの用水路には
レールを使って作られた木の橋が架けられていました。
一畑電車_北松江線81
駅舎跡から用水路を挟んだ反対側。
地図に「北垣駅前」と書かれた付近です。
一畑電車_北松江線82
駅跡から80mほど県道を北に行った付近です。
用水の橋の先あたりに見える看板の左側に
一畑寺(一畑薬師)への参道となる階段があります。
一畑電車_北松江線83
駅舎の残った当時の写真と比べても、
このあたりの民家の形がほぼ同じですので
写真道の民家の向こう側あたりが駅だったのはほぼ間違い無いと思います。

以上駅メモとは直接の関係は無いものの、
そもそも一畑電車が作られたのはこの一畑駅まで鉄道を通して
一畑薬師への参拝の足とする為でしたので
特に廃線跡についてご紹介させていただきました。
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一畑電車_北松江線84
こちらはau 4G LTEでの電波エリアマップです。
一畑電車の北松江線の電鉄出雲市駅━一畑口駅間は
路線やその周辺がほぼ完全に電波エリア圏内となっています。
この区間にはトンネルもありませんので
どの場所からでも駅へのアクセスは問題ありません

実際に一畑電車に乗車してチェックインをしてみても
ストレスを感じる事はまずありませんでしたので
普通にプレイをしていれば何ら問題は起きないと思います。

またこの路線は国道431号線をはじめとして
並行する道路も非常に整備されているので
車などでのアクセスも非常にし易い路線だと思います。


一畑口駅以東の区間は1928年(昭和3年)に後から開業した区間となります。
こちらの区間についてはその2にて続きとしたいと思います。

では。
【※以上写真撮影:2017年1月】

でんこの元ネタ
■No.37 美談みこと(Midami Mikoto)
 ■タイプ:サポーター
 ■誕生日:2月20日

■No.38 美談くに(Midami Kuni)
 ■タイプ:ディフェンダー
 ■誕生日:7月14日

■出身駅: 一畑電車北松江線 美談駅(島根)
みこと_くに01
元々は1914年(大正3年)4月29日に一畑軽便鉄道として
出雲今市(現・電鉄出雲市)━雲州平田間が開業した際に
現在の美談駅付近にも線路が敷設されました。

1925年(大正14年)には電化をにらんで社名が一畑電気鉄道となり
全線が1927年(昭和2年)10月に直流1500V電化。
そして美談駅が出来たのは戦後の1952年(昭和27年)1月15日となります。
みこと_くに02
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
みこと_くに04
駅に駅舎は無く、ホーム上にご覧の待合室があるのみです。
現在は待合室の壁は透明なポリカーボネイトの波板となっています。
みこと_くに05
こちらは美談駅の隣の大寺駅の待合室ですが、
屋根の形などが美談駅のものと同じなのが分かると思います。
美談駅の待合室も改修される前には同じ形の待合室がありました

ですが2011年(平成23年)9月に
「自転車と公共交通を組み合わせ、新たな都市の在り方や、
ツーリズムについて実践的に考察をするプロジェクト」
なるものが行われた際、その一環として
美談駅の待合室の壁がご覧の木材と透明波板へと改修されました。
みこと_くに06
こちらが美談駅の待合室の中の様子です。
みこと_くに08
待合室の横にはご覧の、一畑電車の各駅にある神話の絵が。
みこと_くに03
駅の入口はホームの東端にあり、
ご覧の通りスロープで出入りをする仕組みとなっています。
みこと_くに09
スロープ前には駐輪場があり、
すぐに駅前の道となっています。
みこと_くに10
駅の西端目の前にある一畑鉄道美談3踏切。
みこと_くに11
踏切から見た駅の様子です。
みこと_くに12
駅ホーム裏手からみた光景。
みこと_くに13
北側から見た駅の全景です。
みこと_くに14
駅の横の踏切から直線で北に100mほど進むと
一畑鉄道と並行して走る国道431号線の交差点があります。
みこと_くに15
この交差点から国道を西に500mほど進むとあるのが
こちらの美談神社の鳥居です。
駅は「みだみ」と読みますが、こちらの神社は美談と書いて「みたみ」と読みます。
みこと_くに16
こちらが神社の参道の階段。
みこと_くに17
駅の駅名が書いてある看板を「駅名標」と言いますが、
神社の場合は同様のものを「社号標」と言います。
こちらは参道脇にある美談神社の社号標です。
みこと_くに18
参道の半ばにある狛犬。「出雲構え獅子」と呼ばれる形で、
「構え獅子」とは腰を上げて今にも飛びかかろうというポーズの狛犬の事です。
みこと_くに19
鳥居のあるご神木の脇を抜けると本殿が見えてきます。
みこと_くに20
こちらが美談神社の本殿です。
「出雲風土記」では「彌太彌社(みたみのやしろ)」として記されています。
経津主命(フツヌシ)、息長足姫命(オキナガノタラシヒメ)、
武甕槌命(タケミカヅチ)、比女遲命(ヒメジヒメ)を祭っているそうで、
これらの神様は戦いに関する神様だそうです。
みこと_くに21
さすがに出雲の神社らしく、注連縄(しめなわ)がかなり太いです。
みこと_くに22
ちょっと写真では見辛いですが、軒瓦に「美」の金文字があしらわれています。


出雲風土記によると
「この世をお造りになった大神の御子、和加布都努志(ワカフツヌシ)の命が、
天と地が初めて分かれた後、高天原の御領地の田を管理する長として、
ご奉仕になった。その神が郷の中に鎮座しておられる。
だからミタ(御田)をミル(見る)意で三太三という」

という美談の地名の由来が一節として記されています。

つまり美談神社に祭られている神様は大神の御子ということです。
大神とは「大国主命(おおくにぬしのみこと)」であり出雲大社の祭神です。
そしてこの大国主命の御子、つまり神様の子が祭られているのが美談神社という事になります。
みこと(命)くに(国)という名前の設定由来は
美談という苗字を冠したことからも、
この大国主命という出雲の神様が由来と考えるのが自然の様な気がします。

こういった美談駅に関する情報は
一畑電車の公式ホームページにも各駅の情報として掲出されています。
参考
一畑電車「停車駅のご案内:7.美談」
http://www.ichibata.co.jp/railway/operate/stations/11.html
でんこの設定や命名については、当該鉄道会社の公式サイトである
このページが参考にされたと考えるべき
ではないでしょうか。


また参考までに、713年に元正天皇が風土記の編纂を命じた際に
この地の地名を「好い漢字で2文字で表記するように」という命令が出たそうで
これによって726年に三太三を美談に変えたそうです。
これが現在の「美談」という地名の元の様です。

【※以上写真撮影:2017年1月】


■モデル車両(みこと): 一畑電車3000系
みこと_くに23
当時の一畑電気鉄道(現・一畑電車)が車両の近代化を目指して
南海電気鉄道より南海21000系を譲り受けて改造を施したものが
一畑電車3000系電車となります。


一畑電車3000系は元々は南海電鉄21000系という電車であり、
南海電鉄で1958年(昭和33年)から1964年(昭和39年)にかけて
新製され導入された車両です。

この南海21000形は南海電鉄高野線という、
都市部の平坦区間と山岳部を併せ持つ路線の為に
「平坦区間での高速走行の性能」と「山岳区間での登坂性能」を
併せ持つ「初代ズームカー」として開発
されました。
「ズームカー」という名前の由来はカメラのズームレンズからきており、
「焦点距離を広範囲に変えられるズームレンズのように
平坦区間から山岳区間まで広範囲に速度を制御でき運行できる」

ということから名づけられています。

しかし1990年(平成2年)には後継車両の南海2000系が導入され、
1993年(平成5年)より初代ズームカーの淘汰が始まります。

同じ南海電鉄の多奈川線や和歌山港線に転用する為に
南海21000形の編成を中間車両を抜いた2両編成へと再編成。
この時に余剰となった中間車両は廃車解体となっています。
また、せっかく多奈川線や和歌山港線での転用された車両も
1997年(平成9年)2月には早々と廃車の憂き目に遭っており、
南海電鉄高野線に残った最後の8編成も
同年にさよなら運転が行われて全車廃車となりました。

この高野線での最後の8編成のうち、
クロスシート車だった第1、2編成は静岡の大井川鐵道に譲渡されて
大井川鐵道21001系となって現在も運用されています。
みこと_くに24
こちらが大井川鐵道21001系となった南海21000形ズームカー。
一畑電車3000系とは姉妹電車と言って良い存在です。
みこと_くに25
転換クロスシートの車内の様子です。
【※大井川鐵道写真撮影:2016年4月】

そしてロングシート車の第3・5~7編成の
先頭車8両(モハ21005、21006、21009~21014)が一畑電気鉄道(当時)へと譲渡され、
1996年12月27日に2連4本列車として改造が竣工して
一畑電車3000系へと生まれ変わっています。

こうして生まれ変わった8両は一畑電車の車両近代化を担って
1997年(平成9年)2月20日より北松江線にて運用が開始されています。
この2月20日が一畑電車3000系をモデルとするキャラクターである
「美談みこと」の誕生日として設定されています。


みこと_くに26
しかし一畑電車でも列車の世代交代の波が押し寄せて来ます。
一畑電車3000系も老朽化が進み、置き換えの為に
東急1000系電車を一畑1000系(写真右)として導入し、
置き換えられた3000系電車が2015年以降順次廃車となっていきます。
4編成のうち2編成が2015年(平成27年)2月に運用離脱。
1編成が故障の為2015年12月に同じく運用離脱をして
それぞれ廃車解体となっています。

みこと_くに27
そして最後に残った一畑電車3000系の1編成が
こちらの3006編成(デハ3006+デハ3016)となります。
みこと_くに28
川跡駅での一畑電車3000系3006編成。
みこと_くに29
こちらは川跡駅すぐ西側の一畑電車川跡1踏切付近。
実際に走行している一畑電車3000系を見たくて
北松江線を武志駅の方へと向かう列車を撮りました。
みこと_くに30
大社線の終点、出雲大社前駅に停車中の一畑電車3000系。
みこと_くに31
大津町駅━武志駅間の田んぼの中を走る一畑電車3000系です。

必要以上に一畑電車3000系の写真を載せたのは、
もう線路上で動くこの列車を見ることはできなくなったからです。
この最後に残った3000系である3006編成ですが、
2017年(平成29年)1月20日を以て営業運転を終了しています。
翌21日と22日にイベントとしてラストランを行い、
3000系は一畑電車での役割を終えました。

この後、最後の3000系である3006編成は廃車となり解体される事になります。
どこかで保存をしてほしいところですが、
入れ替えの新車両を島根県の補助金補助を受けて購入している関係で
ほかに流用することはできないんだそうです。


調べてみると、島根県の「一畑電車支援計画」によって
平成23年度から10年計画で沿線自治体の支援計画が立てられていました。
支援計画を見てみると「老朽化の激しい3000系8両の更新」が
平成25年度から平成27年度で予定されていた
事が分かります。
みこと_くに53
そして支援計画の予算を見ると、
平成25年に3000系の車両更新費用として660百万円が計上されています。
みこと_くに54
実際に3000系8両の車両が更新されたタイムテーブルを見ても、
ほぼ支援計画に沿って忠実に更新が遂行されていた事が分かります。

ということは余談ですが、計画を見る限り
「美談くに」のモデルの5000系や2100系などの元京王5000系列車も
あと5年で全て更新され廃車となるのはほぼ間違い無い
でしょうね。


上の3000系の写真は1月20日の営業運転最終日に撮ったものですが
他の車両の処理の流れから見て、
恐らく2月から3月には車両が解体されることでしょう。。。


■モデル車両(くに): 一畑電車5000系5009編成
みこと_くに32
こちらの車両は1998年(平成10年)に一畑電車に登場した5000系で、
元は京王電鉄を走っていた京王5000系電車という通勤形列車が元となっています。


一畑電車では上の5000形の他に一畑電車2100系という列車も運行しています。
みこと_くに33
こちらの2100系も上の5000系と同じでベースは京王5000系という列車です。
見比べてもなんとなく似ているのが分かりますが
それもそのはずで元の車両は同じ列車なのです。

こちらの2100系は一畑電車の車両近代化の一環として
1994年(平成6年)から1995年(平成7年)にかけて
4編成8両が導入されています。


みこと_くに34
その後の1998年(平成10年)に2編成4両が導入されたのが
こちらの一畑電車5000系であり、
同じ京王5000系をベースとしていながら
出雲大社方面への観光輸送を重視した車両として作られています。
みこと_くに35
観光車両をベースコンセプトとしているこの5000系は
車体の塗装にも工夫が凝らされています。
みこと_くに36
ベースの白は「出雲平野の雲」、屋根と車体裾の青は「宍道湖」
車体の下部や全面窓の淵に使われた黒は
「出雲大社の厳粛の趣き」を表現しているそうです。

そしてこの一畑電車5000系は2両編成2本の計4両が導入されています。
みこと_くに37
こちらがそのうちの一両である5010編成。
デハ5010とデハ5110の2両で編成されています。
車端部やドア付近以外はクロスシートとなっており、
回転式クロスシートの部分は小田急ロマンスカーのシートを流用しています。
こちらが一畑電車5000系の導入当時の姿と言って良いと思います。


みこと_くに38
そしてこちらが一畑電車5000系5009編成。
デハ5009とデハ5109の2両で編成されていて
現在は「しまねの木」として運行しています。
一畑5000系のうち「美談くに」のモデルとなっているのは
こちらの5009編成
となります。

5009編成も5010編成と同じく1998年(平成10年)に一緒に導入された車両ですが、
こちらの5009編成は2013年に「木質化改装」を行ったという点が5010編成と異なります。

島根県が県産木材の需要拡大を目的に制定している
「島根県森林整備加速化・林業再生事業費補助金」の平成25年度事業として、
一畑電車5000系5009編成の内装を島根県参木材で改装するという事業が採択されました。
観光電車として島根県と島根県産木材の良さが広くPRできるという点が評価されて
補助金の支出が採択された結果、
約3660万円(補助金3000万円)の事業費で5009編成の木質化が行われました。

工事はJRや関西私鉄などの車両の検査整備や改修などを請け負う
島根県の後藤工業で行われ、
2014年(平成26年)7月14日より一畑電車での営業運転が開始となりました。
「美談くに」のキャラクターの誕生日は7月14日に設定されていますが
これはこの5009編成の木質化改装後の運転開始日が出典となっています。
みこと_くに39
こちらが木質化された一畑電車5000系5009編成、
通称「しまねの木」の車内の様子です。

木質化が図れる箇所については最大限木材を使用して
「木の温もりある室内」を目指した一方、
木材を使用することで懸念される車両火災については
難燃化、不燃化を施しているそうです。
みこと_くに40
ボックスシート部分などのパーテションには島根県内産の杉を使用。
みこと_くに45
つり革や荷物棚も木質化されています。
みこと_くに46
こちらは二人掛けの方のボックスシート。
みこと_くに47
反対側には、普通列車としてはめずらしい
一人掛けパーテションつきのボックスシートがあります。
みこと_くに48
ボックスシートについているテーブルも木製で、
見ての通り折りたたみ式となっています。



みこと_くに52
また余談ですが、一畑電車5000系電車は
元々が京王5000系電車がベースとなっているのは先に述べた通りです。

地方のローカル私鉄は首都圏のメガ私鉄の車両を使用しているケースが多々あります。
特にこの京王5000系電車は地方鉄道への譲渡に際して京王側の売り込みがあったそうで
多くの地方私鉄がこの京王5000系の車両を使用しています。

みこと_くに50
まずは先に述べた一畑電車2100系

みこと_くに49
こちらは銚子電気鉄道3000形
京王電鉄から伊予鉄道に譲渡された伊予鉄道700形が
さらに銚子電鉄へと譲渡されて運行しています。

みこと_くに51
こちらは富士急行1200系
富士急行では京王5000系ベースの車両として
上の1200系と1000系が走っています。

特に上の写真の富士急1200系1205編成は
2009年(平成21年)8月より「富士登山電車」として塗装や内装がされて走っていますが、
その前の2006年(平成18年)9月から2009年までの間は「マッターホルン号」として
スイスのマッターホルン・ゴッタルド鉄道の車両デザインを模した塗装で走っていました。

この1205編成の車両は、1994年(平成6年)に富士急行1200系が5編成投入された時に
一番最後に富士急行線に入線した車両です。
1205編成の入線日は1994年(平成6年)11月2日ですが、
この11月2日というのは「大月シーナ」の誕生日であり、
つまりはこの富士急行1200系1205編成がシーナのモデル車両なのです。

という事で、一畑電車5000系の「美談くに」と富士急1200系の「大月シーナ」は
京王5000系という同じ車両をベースとしている
事が分かります。
特にゲーム上では設定はされてはいませんが、
なかなか面白い話なのではないでしょうか。


また伊予鉄道700系や高松琴平電気鉄道1100形なども京王5000系ベースの車両ですが
私はまだ四国には行っていないので写真はありません


では。
【※以上写真撮影:2017年1月】

でんこの元ネタ
■No.04 恋浜みろく(Koigahama Miroku)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:4月1日

■出身駅: 三陸鉄道南リアス線 恋し浜駅(岩手)
みろく01
三陸鉄道南リアス線は1984年(昭和59年)4月1日に開業していますが、
こちらの駅は1985年(昭和60年)10月16日に小石浜駅として新設開業しています。
みろく03
こちらが駅のホーム。
単式ホーム1面1線の駅で、駅舎は無く
ホームに待合室があるのみの無人駅となっています。

「恋し浜駅」という現在の駅名になったのは2009年(平成21年)7月20日で、
小石浜地区で直販されているホタテブランド「恋し浜」に因んで付けられた駅名です。
駅名に「恋」の字がついた事からこの駅は、
以後恋の願掛けスポットとして知られる様になっています。
みろく04
まずこちらはホーム上の待合室の様子です。
既に待合室としての機能は失われており、
ホタテの貝殻を使った絵馬を奉納する恋の願掛けスポットとなっています。
みろく06
こちらは駅ホームの西側にバリアフリーの一環として
2014年(平成26年)9月16日に設置されたスロープですが、
待合室に奉納しきれなかったホタテ絵馬が
スロープの壁にくくりつけられています。
みろく05
こちらは駅によくある観光案内看板の枠を活用して作られた「幸せの鐘」で、
2010年(平成22年)11月13日にご覧の場所に設置されています。
この鐘にはバラの新品種「恋し浜」と、きらめく星と翼をもつ天使をモチーフとした
ステンレス製の透かし彫りがあしらわれています。
みろく07
またこちらは駅のホームにある、
恋し浜駅を詠んだ地元の方の短歌、
「三鉄の 藍(愛)の磯辺の 小石(恋し)浜
 かもめとまりて 汐風あまし」

が掲示されています。
みろく08
こちらは駅のの出口となる階段です。
みろく09
恋し浜駅は見ての通り高台に駅がありますので
ホームから道路へと出るにはご覧の階段を使わないとなりません。
みろく17
こちらは駅前の様子です。
右端にみえる平屋の建物は
駅の目の前にある「恋し浜ホタテデッキ」で、
ホタテの販売や三陸鉄道グッズの販売などをしているそうです。
私が行った時は開いてなかったんで知りませんが。
みろく16
少し離れたところから見た駅の様子。
みろく18
駅近くの道にある道標を見ると分かりますが、
この駅付近の地名は「小石浜」であり
「恋し浜」は地名から転じたものだという事が分かります。
みろく19
上で紹介したバリアフリーのスロープを進むと
ご覧の駅の裏手の広場へと出ることができます。
みろく20
この広場は小石浜公民館の敷地の一角となっています。
みろく21
こちらは駅の前の道を海の方向にだいぶ離れた場所ですが。
みろく22
この道を10分ほど進むと小石浜漁港が見えてきます。
【※以上写真撮影:2016年7月】


■モデル車両: 三陸鉄道36系
みろく02
三陸鉄道は元々は、1970年台に開通した国鉄宮古線(宮古駅━田老駅間)、
国鉄盛線(盛駅━吉浜駅間)、国鉄久慈線(普代駅━久慈駅間)の
いわゆる「国鉄三線」という路線でした。

これらの路線が一次特定地方交通線に指定されたことを受けて
岩手県と沿線市町村による第三セクター路線として転換が決定。
国鉄三線の間の未開業区間の建設を加えて
1984年(昭和59年)4月1日に北リアス線、南リアス線として全通開業したものです。


三陸鉄道の車両は全ての車両が「36形」を名乗っています。
これは「三陸(さんりく)」と「36」をかけて付けられたものであり、
「36形」は正式には「さんりく形」と読むのが正しいそうです。


みろく10
こちらは36-100形気動車の車両で、
いわば三陸鉄道の列車の現在の標準形ともいうべき車両です。
1984年(昭和59年)4月1日の三陸鉄道の開業日に合わせて
車両番号36-101から36-110の10両が作られて営業運転を開始しています。
駅メモで三陸鉄道36形をモデルとする「恋浜みろく」の誕生日は4月1日ですから
同じ4月1日に運行を開始している
この36-100形がみろくのモデルと考えて良いのではないでしょうか。
みろく11
こちらは36-100形の車内の様子。



また、三陸鉄道では36-100形の他にも36形の車両が何種類か存在し走っています。
駅メモ的に言えばみろくとは別の車両、ということになると思いますが
以下参考としていくつかご紹介します。

みろく12
こちらの車両は36-700形気動車。
2011年(平成23年)3月に起きた東日本大震災で
三陸鉄道が大ダメージを受けたのはみなさんご承知の通りですが、
震災によって南リアス線の盛駅に留置されていた車両も
津波の被害を受けて廃車となりました。

この震災の被害を受けて
クウェートからの支援により新造導入されたのが
ご覧の36-700形
でとなります。
みろく13
その為、車体にはご覧の通りクウェートへの感謝が記されています
この36-700形は2013年(平成25年)4月3日より3両が運転開始。
さらに2014年(平成26年)4月には三陸鉄道の復興による全線運転再開に伴って
3両が新造されて増備されています。

上の写真の車両は車両番号が36-706なので
2014年に追加新造された車両。
みろく14
こちらは車両番号が36-702なので
2013年に新造された最初の3両のうちの一つとなります。

36-700形は見れば分かる通り、36-100形とは若干形が異なります。
こちらの形式の車両はいわば「みろくの姉妹車」と言って良いのではないでしょうか。


みろく15
またこちらは36-R形気動車で、
「レトロ車両」と呼ばれるものです。
元々は36-600形の車両がベースとなっているそうです。

写真の車両は車両番号36-R3ですが、このR形車両はデザインからして
三陸鉄道の通常の車両とは違いますのでみろくとは別と考えて良いと思います
【※以上写真撮影:2016年7月】

でんこの元ネタ
■No.48 小鳥谷スピカ(Kozuya Spica)
 ■タイプ:サポーター
 ■誕生日:5月25日

■出身駅: IGRいわて銀河鉄道 小鳥谷駅(岩手)
スピカ01
1891年(明治24年)9月1日 に当時の日本鉄道の東北本線の駅として開業したこの駅は
国鉄、JR東日本とながらく東北の大動脈である東北本線の駅として営業をしてきました。

2002年(平成14年)12月1日に東北新幹線の盛岡駅━八戸駅間の開業に伴って
JR東北本線の盛岡駅━八戸駅間がいわゆる「並行在来線」として分離。
第三セクターに転換され、このうち岩手県内の盛岡駅━目時駅間が
「IGRいわて銀河鉄道」となりました。

「IGRいわて銀河鉄道」については
岩手県を中心に沿線市町村や地元企業等の出資で
2001年(平成13年)5月25日に第三セクター会社である
「IGRいわて銀河鉄道株式会社」が登記されています。
小鳥谷スピカの誕生日が5月25日である事が公表されましたが
これはこのIGRの会社登記日が元であると思われます



第三セクター転換に伴って、
1992年(平成4年)に当時のJR東日本によって
簡易委託が廃止され無人駅となっていた小鳥谷駅が、
IGRいわて銀河鉄道の駅となると同時に簡易委託駅として有人駅になりました。

駅は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の合計2面3線のホームを持っています。
スピカ02
こちらが駅舎側の単式ホームである1番線です。
下り線ホームとして二戸・八戸方面行きの列車が使用しています。
スピカ04
島式ホームの2番線、3番線とは跨線橋で連絡しています。
跨線橋の鉄骨部分はIGRのイメージカラーである「スターライトブルー」に塗られています。
スピカ03
1番線の駅舎の横には「藤島のフジ」の看板が立っています。
また跨線橋の階段を塞いだ壁にも「藤の駅」の文字が。
これはこの小鳥谷に国指定天然記念物の「藤島のフジ」があることからです。
スピカ05
藤島のフジの看板の並びには花壇のコーナーが。
スピカ06
こちらが駅舎の外観です。
かつて駅務が行われていた場所には「農産物直売所『ニコニコ駅こずや』」が開設され
地域の物産が販売されていました。
スピカ07
駅舎の中の様子。
スピカ08
駅入口の様子です。
スピカ09
奥州街道から駅へと至る県道。


スピカ10
余談ですが、私の行った日はなぜか駅周辺に紙垂(しで)など
デコレーションが多かったのですが。
スピカ11
なるほど。「小鳥谷まつり」というのが行われる日だったんですね。
なんでも山車が出たりするお祭りのようです。
見たかったのですがスケジュールの関係で祭りは見れず。
スピカ12
しかし街のあちこちで奉納的なお囃子のついた舞いのような儀式は
目にする事ができました。
【※以上写真撮影:2016年9月】


■モデル車両: IGR7000系
スピカ13
元々は東北本線であったIGRいわて銀河鉄道を走る車両の為、
JR東日本の交流電化区間用の標準車両である701系がベースとなっている車両です。
IGRいわて銀河鉄道ではJR東日本からの譲渡車両のほかに
701系をベースにした新造車両も作っています。

スピカ14
こちらがその、東北本線を走るJR東日本701系。
スピカ16
そしてこちらはIGR7000系の兄弟車ともいうべき青い森701系です。
IGRいわて銀河鉄道と同時に第三セクター化された青い森鉄道も
同じ東北本線からの移管であり、車両もJR東日本701系の譲渡車両と
701系ベースの新造車両を走らせている点が全く一緒となっています。

スピカ15
IGR7000系は、その車体帯色に岩手の夜空のイメージである「スターライトブルー」と
星の輝きのイメージである「スターライトイエロー」を使用しています。
スピカ17
車内の様子です。

JR東日本からの譲渡車両はロングシート仕様だそうですが、
IGRいわて銀河鉄道で新造した車両はご覧のセミロングシートという
片側がロングシートで片側はボックスシートの仕様の車両となっています。


IGR岩手銀河鉄道では2両編成7本(14両)が運行しているそうですが、
そのうちJR東日本から譲受されたのが4本(8両)、
IGRいわて銀河鉄道で新しく作った新製車が3本(6両)だそうです。

JR東日本からの譲渡車は
JR時代の車番がクモハ701-1038~1041、クハ700-1038~1041の計8両で、
IGRいわて銀河鉄道ではIGR7001-1~4、IGR7000-1~4という車番となっています。
こちらの車両の車内は先に述べたロングシート車です。
JR東日本時代に新造された日付が1996年(平成8年)2月6日~8日となっており、
IGRいわて銀河鉄道がJR東日本から車両購入をした日付が
2002年(平成14年)12月1日
となっています。
ちなみにこの購入日はIGRいわて銀河鉄道の開業日でもあります。
こちらのJR譲渡車は車番が0番台となっています。

一方IGRいわて銀河鉄道で新造した6両は
IGR7001-101~3、IGR7000-101~3の6両です。
セミロングシート車両のこちらは
車両の新製日は2002年(平成14年)9月12日だそうです。
これらの新造車両は車番が101番台となっています。


まあ、列車の車番を並べても鉄じゃない私にはよく分からないんですが…
【※以上写真撮影:2016年9月】

上越線b89
上越線の続きです。

その1(高崎駅━土合駅)はこちら



上越線は土合駅以南が群馬県内の駅となっており、
土合駅から北は上り線(高崎・東京方面)は清水トンネル、
下り線(長岡・新潟方面)は新清水トンネルと
上下線共にトンネル区間となっています。
上越線a93
こちらは土合駅のすぐ北にある、
上り線の清水トンネルの高崎側(南側)出口。
この出口を入ってすぐのトンネル内に、
JR東日本の高崎支社と新潟支社の境界線があるそうです。
トンネル内の土合駅━土樽駅間に群馬・新潟県境もあり、
「トンネルを抜けるとそこは雪国」であり新潟県となります。


上越線a39
土樽駅
この駅は1931年(昭和6年)に土樽信号場として開設され、
臨時駅としてスキー客の乗降を行った後に
1941年(昭和16年)に駅に昇格しています。

上越線では湯檜曽、土合とならんで秘境駅と呼ばれる駅の一つです。
こちらは下り線の長岡方面行きホーム。
上越線a40
冬季にはご覧の通り融雪のお湯がホームに出ていました。
上越線a41
そしてこの、今立っている下り線ホームの外側を見ると
雪に埋もれてはいるものの、ホームがあることに気がつきます。
古い駅名標までついていて、間違いなくホームですが
今立っているホームとは連なるように隙間無くもう一つのホームがあります。
上越線a42
こうして駅の全景を見ると分かりますが、
上り線、下り線共にホームが二重に連なっているのが分かります。

これはかつてこの駅が、線路が4本ある駅だった名残りです。
元々は真ん中の2本が主に特急などの優等列車が通過する上下線の本線であり、
その外側に土樽駅に停車する普通列車の為の副本線がありました。
旅客ホームは副本線のみにあったので、
相対式2面のホームの間に4本線路の走る構造だった訳です。

しかし2008年(平成20年)にホームの改築が行われて
この駅の副本線は廃止となり、新たに本線用の旅客ホームを
旧副本線の線路の真上にそのまま増設した
という訳です。
上越線74
そう言われて見てみると、
たしかにホームをそのまま増設したような構造になっています。
上越線a43
跨線橋の上から駅構内を見渡すとその事がはっきりと見て取れます。
上越線a44
跨線橋の中はこんな様子で。
上越線a45
階段を降りると旧上り線ホームへと降りる事になります。
上越線a50
階段前には土樽駅付近の清水トンネルが
近代産業遺産である事を示すモニュメントが。
上越線a46
旧ホームから現ホームへはご覧の通り階段の目の前でつながっています。
上越線a47
内側の旧ホームにある資材置き場。
上越線a48
こちらが土樽駅の駅舎の外観です。
上越線a49
駅前の道路の様子。
目の前の高架は関越自動車道で、駅から南に500mほどの場所に
土樽パーキングがあります。
上越線a51
駅舎の入口を入ると、風雪の吹き込みを防ぐ風除室の構造になっていて
再び引き戸があります。
上越線a52
待合室はこんな感じでした。


上越線75
そして土樽駅━越後中里駅間には、こちら側にもループ線が。
上越線76
ご覧の通り雪山の中を走ります。



上越線a94
越後中里駅
1931年(昭和6年)9月に上越線の水上駅━越後湯沢駅間の開通によって
開設された駅で、単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の計2面3線を持つ駅です。
駅としては無人駅となっています。

新潟方面から来た上り列車の多くがこの越後中里駅止まりで折り返し運転となっており、
この駅から水上方面へと走る列車は一日5本しかありません。
上の写真は駅舎側の単式の1番線ホーム。
上越線a95
ホームを繋ぐ跨線橋です。
上越線a96
こちらが島式の2、3番線ホーム。
1番線が主に下り列車のホームなのに対して
こちらの島式ホームは2番線が下り、3番線が上りホームとなっています。
上越線a97
越後中里駅の駅舎の外観です。
現在の駅舎は1980年(昭和55年)に改築されたものです。
上越線a98
駅舎から見た駅前の光景。
旅館が立ち並ぶ完全に観光地の光景となっています。
上越線b08
駅舎の中の光景。
上越線a99
再び駅の跨線橋を見てみると、
駅舎と反対側が建物の中央へとつながっているのが分かります。
上越線b01
こちらが跨線橋の中の様子です。
上越線b02
先に進むと改札が現れます。
上越線b03
改札外から見返すとこんな感じで。
こちらが越後中里駅の東口の様です。
上越線b04
改札を出るとロビーのようになっていて
レストランやスポーツショップなどがありました。
上越線b05
そして改札正面の階段を降ります。
上越線b06
こちらが越後中里駅の跨線橋と直結していた建物で、
中里スキーセンターという越後中里スキー場の中央設備です。
上越線b07
スキーセンターの眼前はこんな光景で、
完全にスキー場の真っ只中なのが分かると思います。
つまり越後中里駅の東口はスキー場直結だという事です。



上越線b09
岩原スキー場前駅
この駅は1933年(昭和8年)に仮乗降場として開業しており、
戦時にスキー場が連合軍に接収されて一旦廃止となったものの
1952年(昭和27年)に仮乗降場として再開業。
臨時停車場などとなった後、
1987年(昭和62年)に国鉄分割民営化でJRとなると正式に駅に昇格しました。
駅としては無人駅となっています。
上越線b10
単式ホーム2面2線を持つ駅で、
上の写真が上り(水上方面)ホームとなります。
下りホームへと連絡する跨線橋や構内踏切などは無く、
駅構外の地下道を通ってホームへと渡ることとなります。
上越線b11
こちらが駅前広場にある下り線への連絡地下道の入口です。
上越線b12
地下道の中の様子。
上越線の線路の下を潜ってホームへと向かいます。
上越線b13
地下道の下り線ホームの出口。
上越線b14
こちらが長岡方面の下り線です。
下りホームにはいわゆる大きな駅名標は設置されていません。
上越線b15
こちらは県道268号線と関越自動車道が交差する付近です。
奥に進むと駅が見えてきます。
上越線b16
こちらが駅舎。
上越線b17
ホーム側から駅舎をみるとご覧の感じです。



上越線b18
越後湯沢駅
在来線の上越線の他に上越新幹線の停車駅でもあり、
また第三セクターの北越急行ほくほく線の停車駅でもあります。

在来線は島式ホーム2面4線と単式ホーム1面1線の計5線となっています。
上は0番線と1番線のある島式ホームです。
1番線は上越線の下り予備ホームとなっています。
上越線b19
こちらはホームの階段脇にある0番線のほくほく線ホーム。
ほくほく線は正式には六日町駅が起点ですが、
六日町━越後湯沢間はJRに乗り入れを行っており、
こちらがその終端となります。
上越線b20
また1番線ホームにはご覧の、彫刻のついた温泉の出る泉が設置されています。
有名温泉地の駅には時折こうした温泉の出るオブジェがありますが
ここ越後湯沢も新潟県有数の温泉ですので設置されていました。
上越線b21
こちらが島式の2、3番線ホーム。
通常の列車はこちらのホームをつかって運行しています。
上越線b24
こちらは上下線共に使用しているので
駅名標も両方向に矢印が伸びています。
上越線b22
そして線路の反対側には単式ホームの4番線が見えるのですが。
上越線b23
ご覧の通り4番線への階段は封鎖されており、
現在は使用されていない様です。
上越線b25
跨線橋の中の様子。
大きな駅なのでコンコースの様に広い通路です。
上越線b26
こちらが駅の西口の外観です。
上越線b27
西口は駅前すぐに温泉街が眼前に広がっています。
上越線b28
斜面に作られた駅なので、入口はご覧の様に階段となっています。
上越線b29
こちらは東口の外観。
上越線b30
東口は駅前広場が広く、バスやタクシーのターミナルとなっています。
上越線b31
改札前は駅ビル「CoCoLo湯沢」と直結しており、
東口と西口を繋ぐコンコースとなっています。


上越線b32
新潟県に入ってすぐ、越後湯沢駅を出発すると、
併走している上越新幹線の冬季臨時駅であるガーラ湯沢駅があります。
通常(夏季)は列車が運行していないので、
越後湯沢駅━石内駅間を上越線で通過の際に
忘れずにGPSで奪取
して下さい。
上越線b33
ご覧の通り、上越線の越後湯沢駅━石打駅間に
普通にガーラ湯沢駅の取れる区間がありますので
列車からのチェックインで難なく取れます。



上越線b34
石打駅
現在は島式ホーム1面2線の駅となっており、
越後湯沢駅管理の業務委託駅として駅務員が日中は詰めています。

かつては清水トンネルを挟む上越国境越えの
新潟側の拠点として石内機関区が置かれていた駅で、
石打駅━水上駅は開業時から電化されていた区間でもあります。
また多くの優等列車が停車する旅客輸送の拠点駅でもあった為、
スキー客を中心に観光客でにぎわう駅でした。

しかし補助のいらない機関車の投入、高速道路の整備、
そして上越新幹線の開通などで石内駅はその役割を徐々に失ない、
現在はかつての賑わいはありません
上越線b35
こちらは駅舎側の単式の1番線ホームです。
かつてはスキー臨時列車などが停車したホームなのだそうですが
現在は線路と架線が撤去されており使用はできません。
この1番線がある為、使われている島式ホームは2番線と3番線となっています。
上越線b36
ホームと駅舎を繋ぐ地下通路。
上越線b37
通路を進んでと駅舎へと向かいます。
上越線b38
駅舎の中の様子。
改札前には待合室があり、またなぜか小上がりの畳まであります。
上越線b39
駅の外観です。
駅前にはバスが止められる駐車スペースが広く取られており、
現在でも時折観光バスが止まったりします。
上越線b40
駅前にはご覧の通り土産物屋などが並んでいて
かつての賑わいの名残りが残っていますが、
現在は全てが閉店してしまっており
半ば荒れかけた外観となっています。
上越線b41
板で窓が封鎖された一軒の、破れた庇をめくってみると
ご覧の通り「KIOSK」の文字がありました。
上越線b42
そして駅前広場の一角には銅像があります。
こちらは上越線の敷設に邁進した地元の政治家である
「上越線の父」こと岡村貢氏の銅像です。



上越線b43
大沢駅
この駅は1943年(昭和18年)に越後大沢信号場として開設されたものが
1949年(昭和24年)に駅に昇格したものです。
上越線b44
駅は相対式2面2線ホームとなっており、
雪が吹き込まない様にしっかりと壁で囲われた跨線橋で連絡されています。
上越線b45
こちらは長岡方面行きの下り線ホーム。
跨線橋の階段前には待合室が設けられています。
上越線b46
そして待合室の裏には、ホームから斜面の上へと上がる坂道があります。
上越線b47
坂を登って上にあがると。
上越線b48
ご覧の立派な神社があります。
大澤神社という神社だそうです。
上越線b49
ご覧の通り上越線に向かって鳥居があり、
鳥居の先に階段が下りホームに直結しています。
ちょうど下り列車がこの階段の前に停車するので
まるで駅の中に神社がある様に見えるので以前から気になっていました。
上越線b50
県道451号線からご覧の細い路地というか農道を進むと
次第に駅が見えてきます。
まるで農家の敷地の中を進む様なので、駅が見えていながら
「本当にこの道で合っているのか?」と不安になりながら進みました
が。
上越線b51
坂を上って折り返すと駅への道があります。
上越線b52
こちらが駅舎の外観です。
上越線b53
待合室の中の様子。
上越線b54
駅舎は上り線ホーム北端の先にあり、
ご覧の様にホームへと上がります。



上越線b55
上越国際スキー場前駅
1997年(平成9年)12月にスキーシーズンのみの営業の臨時駅として開設され、
その後2003年(平成15年)4月より常設の駅に昇格した駅です。
相対式2面2線の駅ですが、ご覧の通り駅ホーム以外に設備はありません。
当然ながら無人駅となっています。

なお余談ですが、この駅は仮名書き17文字と、
JR線では最も長い旅客駅名の駅だそうです。
上越線b56
こちらは下りホーム側の階段。
上越線b58
階段を降りた前は向かいのホテルの駐車場となっています。
上越線b57
階段前は一応公道なのですが、
駐車場とほぼ一体化しているように見えます。
ですので階段前のプレハブも駐車場の詰め所にしか見えませんが
こちらが駅の待合室となっています

上越線b59
待合室の中も普通にコインロッカールームでしか無いので、
駅名が貼ってなければ駅の施設だと気がつかないかもしれません。
上越線b60
駅構内にホームを連絡する施設は無く、
待合室脇の上越線の跨道橋を潜って反対側へと向かいます。
上越線b61
こちらが反対側の上り線ホームの階段。
上越線b62
上り線ホームの様子です。



上越線b63
塩沢駅
1923年(大正12年)11月開業の駅で、
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の計2面3線を持つ駅です。
越後湯沢駅管理の業務委託駅で日中は駅務員が詰めています。
上は駅舎側の単式の1番線ホーム。
上り線の越後湯沢方面行きとなっています。
上越線b64
こちらが島式の2、3番線ホームです。
基本的に電化されていて電車の走る上越線ですが、
2番線は架線が撤去されており、またホームにも柵が設けられています。
その為この駅で2番線からの旅客扱いは無く、保線車両などが使うのみとなっています。
3番線は上越線の長岡方面下り列車が停車します。
上越線b65
こちらが駅舎の外観です。
開業以来2回建て替えられており、現在のこの駅舎は
2012年(平成24年)10月に立てられた三代目の駅舎です。
上越線b66
駅の外から見た跨線橋。
上越線b67
駅舎の中の様子です。



上越線91
六日町駅
1923年(大正12年)11月に開業した古い駅であり、
単式ホーム1面1線と島式ホーム2面4線を持つ地上駅で橋上駅舎となっています。
1997年(平成9年)3月には北越急行ほくほく線が開業しており
ほくほく線の起点駅として乗り換え可能となっています。
上越線92



上越線93
五日町駅
1923年(大正12年)開業の駅で、
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の計2面3線の駅です。
2014年(平成26年)より無人駅となっています。



上越線b74
浦佐駅
1923年(大正12年)に上越北線の延伸によって開設された駅です。
現在は島式2面4線を持つ駅となっており、
上越線の他に上越新幹線の停車駅ともなっています。
新幹線が止まりますので当然がら社員常駐の直営駅となっています。

ご覧の1、2番線ホームは新幹線の高架下に設置されています。
1番線が下り線長岡方面行きのホームとなっており、
2番線は予備ホームとなっています。
上越線b75
こちらは島式の3、4番線ホーム。
高架下ではなく屋外にあるこちらのホームは
4番線が上り線越後湯沢方面行きホームとして使用されています。
上越線b76
3番線は予備のホームです。
上越線b77
駅の二階でそれぞれのホームが連絡しており、
改札内に広めの通路が作られています。
上越線b78
こちらが外から見た改札口。
窓口前を右手に行くと在来線ホームとなり、
正面の自動改札は新幹線ホームのものです。
上越線b79
改札前の、東口と西口を繋ぐ通路です。
上越線b80
こちらが改札に近い方にある東口の外観です。
上越線b81
こちらが東口駅前の光景。
駅前を国道17号が走る東口は新興の市街地側となっています。
上越線b82
この東口の駅前広場で国道沿いに
新潟県では忘れてはならないものがあります。
上越線b83
田中角栄先生の銅像です。
説明は不要でしょう。
雪が降るので銅像なのに屋根がついてます。
これも説明は不要(以下略
上越線b84
改札前の自由通路に戻って今度は西側へと向かいます。
こちらは新幹線の敷地を跨ぐ分ちょっと長くなっています。
上越線b85
西口の外観です。
上越線b86
こちらは新幹線が通る前から元々あった駅前なので
見ての通り旧市街が広がり、田舎の大きめな駅の駅前といった風情です。



上越線94
八色駅
1965年(昭和40年)開業で、相対式ホーム2面2線の無人駅です。



上越線b68
小出駅
1923年(大正12年)9月に上越線の駅として開業した駅であり、
只見線が部分開通した1942年(昭和17年)11月からは乗り換え駅となっています。
上越線b69
単式ホーム1面1線と島式ホーム2面4線の計3面5線のホームがあり、
跨線橋でそれぞれのホームが連絡しています。
上越線b70
こちらが島式の2、3番線ホーム。
駅舎のある単式の1番線が上越線下り長岡方面行きホームなのに対して、
こちらの島式ホームのうち3番線が上越線の上りホームとなっています。
2番線は予備ホームになっているそうです。
上越線b71
こちらが只見線が使用している島式の4、5番線ホーム。
上越線08
上越線の車内からは、この小出駅を起点とする只見線の姿が見えます。
上越線b87
只見線ホームの南側に残っている、蒸気機関車時代の転車台です。
上越線b72
こちらが駅舎の外観。
魚沼市の代表駅ですが小出の市街は川の対岸にあって
少し離れています。
上越線b73
駅名の看板の下には「渡辺謙 書」の文字が。
何でも俳優の渡辺謙氏が当地出身だそうで。



上越線89
越後川口駅
1921年(大正10年)開業のこの駅は
単式ホーム1面1線(飯山線)と島式ホーム1面2線(上越線)計2面3線の駅で
長岡駅管理の業務委託駅となっています。

1927年(昭和2年)には現在の飯山線が開通しており
乗り換え駅となっています。
上越線90
こちらが駅舎の外観。
現在の駅舎は2016年(平成28年)にリニューアルされたものです。



上越線88
小千谷駅
1920年(大正9年)開業の駅で単式ホーム2面2線を持つ駅です。
長岡駅管理の業務委託駅となっています。
新潟エリア内でのSuicaはこの駅より北の設備のある駅で使用が可能となります。



上越線87
越後滝谷駅
1920年(大正9年)開業の駅であり、
単式ホーム2面2線の無人駅となっています。



上越線86
宮内駅
1898年(明治31年)に信越本線の開業によって開設された駅で、
上越線の駅としては1920年(大正9年)からの供用となります。

上越線の実際の路線としての上越線の終着駅はこの宮内駅で
この先長岡駅までは正式には信越本線となりますが、
実際に宮内駅発着の上越線は無く、線路名称上のみの終着駅となります。



上越線10
上越線09
そして列車運行の終点の長岡駅に。
駅メモでは渋川駅━長岡駅が上越線の範囲となっていますが、
この区間だけでもおよそ3時間を要する旅でした。



上越線b88
こちらは越後中里駅━長岡駅間の、新潟県内の上越線の
au 4G LTEでの電波エリアマップです。
在来線の上越線に関して言えば新潟県内は全線が電波圏内となっています。
実際に列車に乗ってもチェックインには困りませんでしたので
この区間でGPS位置情報の取得について心配をする必要はまず無用でしょう。



山間を走る印象の強い上越線ですが
新潟県内では主に川沿いの田園地帯を走ることが多く
比較的電波の状態の良い路線でした。

やはり水上駅━越後中里駅間の一日の列車が5本の区間を
どう攻略するか、がこの上越線の最大のポイントで、
あとは時間はかかるものの(在来線での全線所要時間でおよそ3時間半)
電波的には難しくは無い路線だと思います。

この上越線からは飯山線や只見線など、
他にも攻略に労力のいるローカル路線が分岐していますので
新潟近辺を攻略する際には何度も上越線に乗ることになると思います。

ですので分割しての攻略もアリだと思いますが
後は日程や予算との相談では無いでしょうか。


では。

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