2017年01月

三江線c55
JR三江線の続きです。

その1(三次駅━口羽駅)はこちら
その2(口羽駅━浜原駅)はこちら
その3(浜原駅━因原駅)はこちら



三江線b74
鹿賀駅
1949年(昭和24年)11月に開業した駅で
単式1面1線の棒線無人駅です。
三江線b75
こちらは江の川沿いの県道295号線の鹿賀駅付近。
向こう側に鹿賀大橋が見える場所です。
三江線b76
こちらが鹿賀駅の外観。
ホームに待合室があるのみとなっています。
三江線b77
県道と駅をつなぐ小路の脇にはご覧の看板が。
三江線b78
ホームから小路を見るとご覧の感じです。
三江線b79
ホームから反対側の江の川方向を見るとご覧の光景が。
三江線b80
待合室はご覧の感じで。
入口の軒に鳥避けのCDがぶら下げられまくっていました。
三江線b81
この駅の神楽愛称は「道返し」でした。

三江線b85
余談ですが、この鹿賀駅の最寄りには一部の好事家には有名な
「コインレストランかわもと」があります。
三江線b84
鹿賀駅からは目の前の鹿賀大橋を渡った江の川の対岸の国道沿いにあります。
距離にしておよそ400mほどですので歩いて6、7分といったところでしょうか。
三江線b86
こちらが店内で、要するに全てが自動販売機のドライブインです。
三江線b87
そしてこの店のメインがこのうどんとラーメンの自動販売機です。
三江線b88
何がメインかというとこの自動販売機、
代金を投入するとご覧の調理されたかしわうどんが全自動で調理されて出てくるんです。
かつて昭和の時代にはあちこちのドライブインで見かけたこの機械、
平成の現代では現役で稼動している機械を見つけるのは至難なのです。
…だからどうした、とか言わない方は是非。
三江線b99
そしてこのあたりはドライブインのある対岸は国道が走って道が広いのですが、
三江線に沿って走る方の道路は県道なのにご覧の通り車一台分しか幅がありません
運転に自信の無い方は覚悟のほどを。




三江線b82
石見川越駅
1931年(昭和6年)5月に開業した駅であり、
現在は単式1面1線の棒線無人駅となっています。
三江線b83
こちらは駅前の県道295号線。
ご覧の通り県道としてはかなり狭くなってきています。
三江線b89
こちらが駅舎の外観。
三江線b90
入口の軒下を見ると、駅名の看板にツバメの巣が。
三江線b91
駅舎の中です。昭和の香りが残っています。
三江線b92
駅舎の表側もまるで映画のセットのような雰囲気です。
三江線b93
駅の隣にある郵便局。
駅周辺には他には、駅正面の平屋の床屋さんしか無いので
この郵便局はひときわ目立ちます。
三江線b94
駅の神楽愛称は「頼政」



三江線b95
田津駅
1949年(昭和24年)11月開業の駅で単式1面1線の棒線無人駅です。
三江線b96
こちらが駅近辺の道路。
このあたりでは県道が三江線から逸れてしまっており、
駅の前を走るのは一般の市道です。
三江線b97
反対方向からみた駅の外観です。
見ての通り市道の脇で小高くなった場所を線路が走っており
駅も石垣の上に設けられています。
三江線b98
駅ホームへと登る階段。
三江線c01
ホーム上には待合室しか無く、中はご覧の通りベンチがあるのみです。
三江線c02
そして駅入口の階段と、隣の民家との間なのですが、
こちらに実は犬が飼われていまして。
この犬が超吠える犬らしく、私が見た時にはご覧の通り板で覆われていました。
駅に人が来るたび吠えるんでしょうね。
こうしてカメラを向けた瞬間「ヴヴゥゥゥゥ」と低いうなり声をあげてましたし。
三江線c04
ちなみにここまでの写真を見ると、この駅がすごい山の中の駅の様に見えますが
前の道の反対側は江の川の河原なのでご覧の通り広々としています。
三江線c03
駅の神楽愛称は「羯鼓・切目」となっていました。



三江線c05
川戸駅
こちらの駅は1930年(昭和5年)4月に開業した駅です。
この年は三江線の最初の区間である江津駅━川戸駅間 の13.9kmが開業した年で、
つまりこの駅は開業当初からの駅であり、最初の終着駅だった訳です。
現在はご覧の単式1面1線のホームのみの駅となっています。
現在は駅員はおらず無人駅となっています。
三江線c06
しかし開業当初の終着駅だけあって当初は相対式2面2線の駅でしたが、
1999年(平成11年)3月にJRの合理化の影響で三江線の他の駅同様に
こちらの駅も交換設備が撤去されました。
その為線路こそ撤去されていますが、
かつてのホームは今でも線路の反対側に残っています。
三江線c07
こちらが駅舎の外観です。
開業当時の駅舎が今でも現役で使われている様です。
三江線c08
駅舎の中の待合室の様子です。
駅務室は現在は地域のサロンとして使用されている様です。
三江線c16
駅舎の中から見た駅前の様子。
三江線c09
ホーム側の駅舎の軒先です。
三江線c10
駅舎の端の部屋の前にはかつて貨物を扱っていた名残りなのか
「第一種計量管理事業場」の札が掲示されていました。
現在はNPOが入居している様です。
三江線c11
この駅の神楽愛称は「鈴鹿山」でした。
神楽の駅名標が廃ホームの上にあったので、スマホではこれが限界でした…
私有地や鉄道用地に無断で立ち入る馬鹿な真似はしない方針ですので。



三江線c12
川平駅
こちらも1930年(昭和5年)4月の三江線開業と同時に開かれた駅です。
現在は単式ホーム1面1線のみの無人駅となっています。
三江線c13
かつてはこの駅も交換設備を持つ駅で、
今は使用されていない相対式ホームが線路の反対側に今も残っています。
駅名標もまだ綺麗に残っていました。
三江線c14
ホーム前には線路が撤去された後の枕木がまだ残っており、
また駅の先では線路が不自然に湾曲しているなど
かつての交換設備の跡を見ることができます。
三江線c15
こちらが駅舎の外観。
昭和5年の開業当時からの駅舎がまだ残っています。
三江線c18
駅前広場には立派な池が作られていました。
三江線c19
駅舎の中の様子。
有人駅だった時の窓口は紙で目隠しがされていました。

この開業当時からの駅舎や周囲の風景の残る川平駅は
映画のロケなどでも何度も使われている様子です。
参考
JR西日本 Blue Signal「あの風景を探して『砂時計』」
https://www.westjr.co.jp/company/info/issue/bsignal/10_vol_132/landscape/index.html
石見フィルムコミッション~石見な風景「映画『砂時計』撮影風景」
http://iwamiko.blog88.fc2.com/blog-entry-137.html

三江線c17
こちらは駅の神楽愛称は「大江山」でした。



三江線c20
千金駅
この駅は三江線開業後しばらくしてからの1958年(昭和33年)7月に
後から追加新設をされた駅です。
駅はご覧の通りの単式1面1線の棒線無人駅です。

この駅も三江線の中で有数の秘境駅の一つに数えられている駅です。
まあ、江津市内からは車で15分ほどで付近まで来れますし
単に列車本数が少なくて周囲のみ家が少ないというロケーションなだけですが。
三江線c21
こちらが駅の全景。
駅周辺は小山と田んぼが広がるのみで、
農家がポツンポツンと散在する、いわゆる「散村」となっています。
三江線c23
この駅は県道112号線からはおよそ400mを
田んぼの中の農道というかあぜ道を進まないとたどり着けません。
地図によってはご覧の通り途中で道が無くなっていますし。
三江線c22
こちらが県道から駅へと向かう道。
普通乗用車で入ると舗装部分いっぱいになる道幅で、
離合(すれ違い)もままなりませんし
運転に慣れていない方はターンして戻るのにも困ると思います。
三江線c24
400m進むと見える三江線の金田踏切。
この踏切の脇に千金駅のホームがあります。

代行バスや社会実験で三江線の各駅を繋ぐバスが運行された時も
この千金駅はバスが通過したそうですが、
確かにバスは駅まで行けないですね…
三江線c25
駅舎は当然無く、ホーム上の待合室のみとなっています。
三江線c26
待合室の外壁には「千金駅」の看板が。
駅の神楽愛称は「大和武尊」でした。



三江線c27
江津本町駅
こちらの駅も千金駅と一緒に1958年(昭和33年)7月に開設された駅です。
単式1面1線の棒線無人駅となっています。

隣の市街地にある江津駅からはわずか1.1kmの距離にある駅であり、
徒歩でも17、8分ほどで着いてしまいます。
にも関わらず、「本町」と名前についておきながら
駅周辺があまりに何も無いことから
この駅も秘境駅の一つに数えられていたりもしています
三江線c28
駅前の県道112号線はご覧の通り。
三江線c29
自動販売機が1台あるのみです。
三江線c32
駅舎はこの駅にも無く、ホーム上に待合室があるのみです。
こちらはその待合室を県道側から見た光景。
三江線c39
待合室の中はご覧の感じです。
三江線c30
ホーム南端の三次方面側まで来ると、
見ての通り眼前の江の川が広がっています。
もう河口が近いだけに川幅も広くなかなかの光景です。
三江線c33
反対側のホーム北端の江津側を見ると
目の前にすぐ江津トンネルが見えます。
三江線c31
こうして見てみると
駅のロケーションが分かりやすいかと。
三江線c34
そして駅前の県道112号線の、
トンネル脇を北へと少し進んでみますと。
三江線c35
県道が太い配水管の下を潜っていました。
三江線c36
配水管の先すぐにはなにやら民家が見えます。
三江線c37
曲がり角まで進むと眼下には市街地が広がっていました。
駅からすぐのこの市街地には江津の寺社が集まっており
古い町並みがひろがっている地区でもあります。
三江線c38
江津本町駅の神楽愛称は「恵比須」となっています。


三江線c54
江津本町駅を出ると三江線は引き続き江の川のほとりを走ります。
河口部の江の川はかなり広くなっていますが、
何よりも三江線に乗っていて街が工場が煙突が見えるのが新鮮すぎて。



三江線c40
そして江津駅です。
三次駅から108.1kmやってきたここが終着駅です。
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線を持つ駅で、
三江線は島式ホームの3番線を使用しています。
三江線c41
かつてこの3番線の外側には数多くの側線があって貨物などが走り、
日本製紙江津工場への専用線まであったそうです。
ですが現在は線路は全て撤去されており、広大な敷地が残るのみとなっています。
三江線c42
その敷地の、3番線ホームとの反対側に
三江線のゼロキロポストがぽつんと取り残されていました。
山陰本線に所属する江津駅ですが、三江線の起点駅となっています。
三江線c43
島式ホームの西端にはなにやら石灯籠のようなものが。
三江線c44
反対のホーム東端には植え込みが作られていました。
三江線c45
この島式ホーム、3番線側から駅名標を見るとご覧の通り
三江線のラインカラーの水色となっていますが。
三江線c46
反対側の2番線は山陰本線の下り線(浜田・益田方面)なので
駅名標もオレンジ色になっています。
三江線c50
ホームにある三江線の時刻表。
まあ、ご覧の通りの本数です。
三江線c47
駅舎のある1番線とはこのブルーの跨線橋で連絡。
三江線c48
こちらが単式の1番線ホームです。
山陰本線の上り線(出雲市・松江方面)となっています。
三江線c49
1番線の西端に行くと、「鐵路平安」の石碑のあるお社がありました。
なんでも江津駅開業50周年を記念して建てられたのだとか。
三江線c51
こちらが江津駅の駅舎の外観です。
目の前を国道9号線(山陰道)が走っています。
三江線c52
駅舎の中の様子です。
三江線c53
改札の上のこの電光掲示板に三江線の列車が表示されるのも
廃止までの期間だけなのですね…
三江線c56
最後となるこの駅の神楽愛称は「八十神」でした。




三江線c57
こちらが三江線の因原駅━江津駅間の
au 4G LTEでの電波エリアマップです。
駅間で電波のエリア圏外の場所はあるものの
駅の場所ではどの駅もエリア圏内なので
端末でのGPSの取得には困りませんでした。
三江線c58
ただ一駅、田津駅だけは見ての通りエリア圏外となっています。
しかし私は都合4回、この田津駅を通過しましたが
一度もこの田津駅へのチェックインには困りませんでした

しかしながら一応、電波圏内の区域も田津駅のエリア境界ギリギリですし、
何よりもこの区間で唯一の電波圏外駅なので
チェックイン時には注意
をして下さい。

三江線c59
むしろ気をつけていただきたい、と感じたのは、
この電波エリア圏内的には何の問題も無い江津本町駅です。
三江線c60m
というのも江津本町駅付近で何度も、ご覧の場所にGPSが飛んでしまい
しばらくこの位置で固定されてしまうといった事が何度も起きているからです。
この位置は江津駅と江津本町駅のエリア境界ギリギリの場所で、
一応江津本町駅のエリアに入っていると思うのですが、
この位置でのチェックインの結果は何度やっても江津駅となりました。
三江線c61
とはいえ江津本町駅は電波圏内ですので
ご覧の通り駅の座標の取得は十分に可能なはずです。
ですから上の現象は私のandroid端末固有の問題なのかもしれませんが
一度ではなく何度も起きていましたのでご注意下さい。



さて、これで三江線の全区間を書き終えました。
2018年3月末での廃止が現時点で規定の決定事項となっていますので、
今のうちに巡っておかなければ列車では回れなくなってしまうので
今回(2016年12月)に全駅訪問をしてきました。

列車と車の両方で三江線をそれぞれ巡って見た感想としては、
さんざん言われていて皆さんご存知の話ではありますが、
やはり列車の本数が少ないので、
列車だけでは工夫をしても回れる数には限界があるという事
です。
三江線自体だけではなく、三江線周辺の路線も本数が少ないですので
それなりの対応なり準備計画が必要でしょう。

また車で巡るには、これも多方面で言われている事ですが
いわゆる「酷道」と言われる(県道や市道なので「酷道」ではないのかもしれませんが)
車のすれ違いのできない道があちこちにあるという点です。
三江線c62
一例を挙げるとこんな感じです。
普通乗用車ではだいたい道幅いっぱいな感じになります。
運転に慣れている方であれば三江線の列車より早く移動できますが、
途中で往生している地元民では無い車を数度見かけましたので
車移動の場合はそれなりの運転テクニックを持って行って下さい

列車廃止後は代替交通手段、多くはバスなどになると思いますが、
正直108.1kmの長さの三江線を全線通しで走るバスは現実的では無いと思います。
見ての通りの道も多いので、区間ごと(恐らく自治体単位)に細切れになったバス路線が
道の状態や利用客数から考えても少ない本数で運行される事になる
と考えるのが現実的ではないでしょうか。
そう考えると、現在でも難易度のレベルが高い三江線の攻略が
廃止後はさらに数段上がってしまうという結論にならざるを得ません


こう考えると、列車がまだ廃止されていない今のうちに
極力都合をつけて、三江線だけでも先に攻略を済ませておくべきだと思います。



今回書いた情報も、あくまで基本は私の状況に拠るものです。
端末の違いや通信キャリアの違いなどで多少の差異は出ると思いますが、
三江線を攻略する、という点ではそれなりに参照できるように
集めた情報を書いたつもりです。

ですのでみなさんの攻略時に多少でも助けになれば幸いです。

では。

でんこの元ネタ
■No.11: 粟生津しいら(Aozu Siira)
 ■タイプ:ディフェンダー
 ■誕生日:10月26日

■出身駅: JR越後線 粟生津駅(新潟)
しいら01
この駅の開業は1914年(大正3年)7月20日で、
元々は越後鉄道の停留場として開設された駅です。
1927年(昭和2年)10月1日に越後鉄道が国有化されて国鉄越後線となり、
民営化でJR東日本の駅となって現在へと至っています。
しいら02
こちらがホームの様子。
単式ホーム1面1線のみのいわゆる停留場と呼ばれるタイプの駅です。

元々は島式ホーム1面2線の駅で列車交換も可能だったそうですが、
国鉄時代に赤字による合理化が全国で進められた1980年代あたりで
この駅の交換設備も撤去されて棒線駅となった様です。
しいら16
ホーム側からの駅舎の入口。
しいら03
こちらが駅舎の外観です。
この駅舎は1970年に改築されたものだそうです。
しいら04
こちらが駅舎の中の様子。
待合室として椅子が置いてあるほかは基本的にガランとしています。
ホームへの出入口の脇には、かつて駅務の窓口であった場所が
板張りで塞がれていました。
しいら05
塞いだ板は掲示板代わりに使われており、
ご覧の通りこの駅ではSuicaが使えない旨の掲示が為されていました。
しいら06
そしてその脇には、2016年1月26日を以て自動券売機が撤去される旨の掲示が。
この駅のホーム入口脇には、ローカル線でよく見る食券販売機のような
縦長の自動券売機が設置されていたのですが、
撤去されてオレンジ色の乗車証明書発券機へと交換されていました。
しいら07
駅の北側の裏手にも広めに駐車スペースがあり、
その一角に美容院が。駅前の民間の店は
ホームからも見えるこの美容院くらいでした。
しいら08
駅前の市道を美容院と反対方向へと進むと
すぐ隣にあるのがご覧のJA越後中央粟生津です。
しいら09
農協の脇にはご覧の越後線の農協踏切が。
駅のホームの南端の目の前が踏切なのが分かるかと思います。
しいら10
踏切を東に進むとすぐにあるのがご覧のコンビニ。
駅からは直線で70~80mほどですが、
駅入口からはぐるっと回らないと行けないので
だいだい2、300mは歩いた場所にあります。
粟生津駅近辺で食料品などが買える唯一の場所と言って良いと思います。
しいら11
コンビニの目の前にはご覧の国道116号線が走っており、
その向こう側には地平線が見えるほどの田んぼが一面に広がっています。
しいら12
駅の西方には住宅地が広がっていたので、
「粟生津」と名前のつく施設をしばし散策してみると
駅から西に徒歩3分の所にあった粟生津郵便局です。
しいら13
南西に駅から徒歩5分の粟生津小学校。
しいら14
小学校の向かいにあった粟生津保育園。
しいら15
駅のホームにはご覧の名所案内が設置されていたんですが…

【※以上写真撮影:2016年5月】


■モデル車両: JR東日本新潟支社485系「NO. DO. KA」
しいら17
2001年10月に登場したカーペット車のジョイフルトレインで、
JR東日本新潟支社の保有車両であり、新潟車両センターに所属しています。


元々は国鉄末期の1980年台以降にいわゆる「お座敷列車」などで
ジョイフルトレインが登場し、団体専用列車や臨時列車などで活躍をしてきました。
しかしその多くは客車か気動車(ディーゼル車)であったため、
交直流電車をベースとしたジョイフルトレインとして作られたのが
シルフィードと呼ばれる列車でした。
しいら21
こちらは3号車の車体のものですが、
JR新津車両所で1990年改造となっています。
下の日本車両の昭和50年(1975年)というのは
改造のベースの種車とされるサロ189形のものでしょうが、
実際には車体は新製されて一部の部品を流用したにすぎない、とされています。
しいら22
新造された車両には、485系1000番台の予備品が
主に制御装置やモーター、台車などに使用された事から485系の形式番号が付与され、
上沼垂運転区(現・新潟車両センター)に配置されて
1990年9月1日よりシルフィードとして営業運行を開始しています。
「粟生津しいら」の「しいら」のネーミングは、
モデル車両の前身であった「シルフィード」を訛らせた物
とされています。

そして2001年(平成13年)10月に内部設備をカーペット車両に改装するなどされて
愛称を「NO.DO.KA」(のどか)に変更。カラーリングも現在のものに塗装し直されました。
改造後に「NO.DO.KA」として初めて団体列車として運行された日が
2001年10月26日
であり、この日が「NO.DO.KA」をモデルとしている
「粟生津しいら」の誕生日となっています。
しいら18
こちらが車両の中の座席。
車体に「CARPET TRAIN」と書いてあるだけあって
中はカーペット式のいわゆるお座敷列車となっています。
しいら19
座席はご覧のテーブルが置かれて一台に4人掛けとなっており、
テーブル角にご覧の通り座席番号が振られていました。
みどりの窓口などでの座席指定の際には
このテーブル1台を「ボックス席」として扱っている様です。
しいら20
こちらは先頭車両の先端に設置されている展望席。
写真は1号車のものですが、3号車にも同様の展望席が設けられています。
誰でも座れる展望席ですが大抵は家族連れか子供の集団に占拠されており、
展望席入口付近に入りたそうにしている無言のお兄さんが2、3人佇んでいるのが
毎回のお決まりの光景のようですね…

この展望席の後ろに運転席へと上るステップがあり、
運転士は扉を開けて中のステップから展望室真上の運転席に入ります。
しいら23
こちらは「NO.DO.KA」のパンタグラフ。
しいら24
列車の全体像が分かるので、
走り去る「NO.DO.KA」を連続で撮ってみました。


この「NO.DO.KA」はジョイフルトレインの中でも
「きらきらうえつ」などの様に定期運行されている列車ではなく
季節の臨時列車などで時折見かけるのみなので
乗車するチャンスとタイミングがなかなか難しい列車でした。
「粟生津しいら」の元ネタ車両ということで
一度は乗ってみたかったので、やっと念願叶った次第です。


では。

【※以上写真撮影:2017年1月】

でんこの元ネタ
■No.50 豊栄なほ(Toyosaka Naho)
 ■タイプ:ディフェンダー
 ■誕生日:9月28日

■出身駅: JR白新線 豊栄駅(新潟)
なほ01
この駅は1952年(昭和27年)12月23日に白新線の駅として開業しており、
当初の駅名は「葛塚駅(くずつかえき)」という名前でした。
これは駅の所在地の自治体が当時は新潟県北蒲原郡区葛塚町であったことからです。

その後葛塚町が周辺2村と合併して1955年(昭和30年)3月31日に豊栄町となっており、
1970年(昭和45年)に豊栄市として市制施行がされ、
葛塚駅の名称も1976年(昭和51年)4月1日には「豊栄駅」に改称されています。

その後豊栄市は2005年(平成17年)3月に新潟市に編入合併となって
現在は新潟市の一部となっています。
なほ02
こちらが豊栄駅の駅構内の様子。
この駅には単式ホーム1面1線、島式ホーム1面2線の計3線のホームがあります。
まずは南側にある島式の2番線と3番線の光景を。
なほ03
島式ホームの東端、新潟方面側です。
こちらのホームは2番線が9両分の有効長があるのに対して
3番線は4両分しかありません。
ですので2番線ホームは後から長さを足した様子で
3番線の端が切り欠いた様になっていました。
なほ04
上から構内を見下ろしてみると様子がよく分かります。
一番左が3番線で右へ2、1番線となっています。
1番線と2番線がそれぞれ本線として使用されており、
3番線は豊栄駅折り返しの普通列車や貨物列車の退避に使われています。
なほ05
同じく島式ホームの、こちらは西端の新発田方面側。
やはり3番線が屋根のある部分まででカットされているのが分かります。
なほ06
島式ホームの新潟側から見た豊栄駅の跨線橋。
この駅は橋上駅舎となっていて、
2006年(平成18年)3月25日に旧駅舎を全面改築して供用されています。
なほ07
こちらは単式ホームの1番線。
駅の南側にあるホームですが、旧豊栄市の市街地は駅の南側にあり
かつてはこの駅も南口しか無かったそうです。
なほ08
単式の1番線の西の新発田方面側にあった貨物の施設。
引込み線があって、どうやら貨車へとあおり板を渡して
荷物を積み込む施設の様です。
現在は使われていないのでしょうが、新潟県内の他の駅でも見かけました。 なほ09
こちらは駅の南口から見た駅舎の光景です。
元々あった駅前はこちら側ですが、
2006年(平成18年)の駅舎改築後に駅前ロータリーも整備されたそうです。
なほ10
南口の駅前の光景です。
なほ16
南口の広場の右手を見ると、
ホーム沿いの場所に何やら列車の車輪が見えます。
なほ17
近づいてみるとSLの動輪でした。
なほ18
D51の動輪の横には「歓天喜地」と書かれた石碑がありました。
こちらは白新線開通を記念して建立された石碑のようです。
なほ11
こちらの駅は橋上駅舎ですので、
跨線橋が東西駅前を繋ぐ自由通路となっていて
自転車も通行可能だそうです。
自由通路の中央部には駅の改札が。
なほ12
こちらは駅の北口から見た駅舎の様子です。
なほ14
駅の北側には元々出口はありませんでしたが、
1970年代以降に急激に宅地開発が進んで人口が増えた地域でもあります。
ですのでご覧の通り、駅前からは住宅地が広がっています。
なほ13
改築後に整備された駅前広場にも、立派な駐輪場が設置されていました。
なほ15
こちらは北口にもありましたが、
駅舎の壁に取り付けられている鳥のレリーフです。
これは国の天然記念物であるカモ科の渡り鳥であるオオヒシクイであり、
豊栄駅最寄の福島潟が日本一のオオヒシクイの越冬地であることから
駅舎の壁にあしらわれています。
なほ19
改札を入った内側の駅舎内の光景です。
橋上駅舎なので跨線橋の上にご覧の施設が設けられています。
なほ20
きらきらうえつの最初の停車駅でもあるので
リゾート列車のアピールに余念の無い豊栄駅。
なほ21
こちらは改札横にある駅の待合室なのですが。
なほ22
待合室の右の壁に何やら小窓があります。
なほ23
駅の改札外の自由通路の、改札脇に売店としてコンビニが設置されているのですが
この小窓はなんと売店の買い物が待合室内からもできるという。
芸というか小技が利いています。

【※以上写真撮影:2017年1月】


■モデル車両: JR東日本E653系
なほ24
【写真:2016年1月豊栄駅にて撮影】
元々は常磐線の特急ひたちとして走っていた485系列車の
老朽置換えの為に開発された列車だそうで、
1997年(平成9年)に1次車、1998年に2次車、2005年2月に3次車が製造され
おもに「フレッシュひたち」としてこのE653系列車は走っていたそうです。

その後2012年3月ダイヤ改正でE657系電車(勿来メイのモデル列車)
上野駅━いわき駅間の「スーパーひたち」「フレッシュひたち」として
投入される事が決定。
E653系はそれまで特急の定期運用が行われていなかった
いわき━仙台間に新設される特急列車に転用される予定となります。

ところが2011年3月の東日本大震災によって
ご存知の通りいわき━仙台間の常磐線は寸断されてしまいこの計画は頓挫。
2012年9月に羽越本線特急いなほで運用される485系の置換えとして
このE653系が投入される事が発表されました。
なほ25
【写真:2016年1月新潟駅にて撮影】
羽越本線へと転用されるE653系1000番台は郡山総合車両センターで
仕様変更改造が実施されて特急いなほへと変身。
現在のいなほのカラーリングもここで実施されたもので、
「日本海に沈む夕日に輝く波とあかね空をゆるやかな曲線で表現」
しているそうです。
なほ26
普通車の座席は新潟を代表する織物「小千谷ちぢみ」をモチーフにしているとか。
なほ27
グリーン車の方はご覧の感じで
一列ごとに間仕切りが設けられ、またフリースペースも設置されていました。
なほ28
でんこ的に重要なパンタグラフも一枚。
なほ29
こうして「フレッシュひたち」から「いなほ」へと生まれ変わった列車は
2013年(平成25年)9月28日のダイヤ改正で「いなほ7号・8号」として
正式に羽越本線での定期運用を開始
しています。
豊栄なほの誕生日が9月28日に設定されていますが、
これはこのE653系1000番台の「特急いなほ」としての羽越本線デビューの日付
です。



元々は常磐線を走っていた「豊栄なほ」が、
「勿来メイ」と交代をして常磐線から羽越本線へと転属となり、
現在は「象潟いろは」や「粟生津しいら」などと一緒に日本海沿岸を走っている訳です。
このあたりは駅メモ的に元ネタを調べるとなかなか面白い話かと。


では。

でんこの元ネタ
■No.51: 敷島ヒメギ(Shikishima Himegi)
 ■タイプ:サポーター
 ■誕生日:8月28日

■出身駅: JR上越線 敷島駅(群馬)
ヒメギ04
1924年(大正13年)3月31日に開業した駅で、
駅名はこの地域が旧敷島村であったことに由来します。
上越線a01
ホームは単式1面1線と島式1面2線の計3線があります。
上越線a02
こちらが跨線橋で連絡している島式ホーム。
駅舎側の中央のホームは旅客使用されておらず、
フェンスで区画がされています。
ですので番線表示もこちらは一番外側が2番線とされており、
実質的に単式2面2線の駅となっています。
上越線a03
ホーム側から見た駅舎の入口。
上越線a04
こちらが駅舎の外観です。
元々は古い木像の駅舎だったそうですが、目の前の県道の整備に伴って
2003年(平成15年)よりご覧のモダンな駅舎となっています。
上越線a05
駅舎の中の様子。
新駅舎が出来た当時は有人駅でしたが、新駅舎供用から1年ほどで無人駅となり
駅務の窓口はご覧の通りピカピカのまま使用されていません。
上越線a06
そして駅メモ的に特筆すべきなのがこちらの待合室のベンチです。
この駅は2016年12月に追加されたでんこの「敷島ヒメギ」の由来駅です。
名前の「ヒメギ」はこのベンチの背に彫られているヒメギフチョウ」からと言われており、
こちらがその蝶の彫り物です。
上越線a07
こちらがそのヒメギフチョウで、敷島駅が生息地の最寄りであることから
ベンチにこの蝶があしらわれた様子です。

なんでも専門家が見るとベンチの蝶はヒメギフチョウと違うんだそうですが、
別に図鑑の図案じゃないのでそこに突っ込む必要無いと思うんですけどね。
せっかく善意でベンチに意匠をあしらってくれたというのに。
度し難い見本の様な話だと思います…

ヒメギ01
駅近辺には商店などは数えるほどしかありませんが、
そのうちの一つが駅前交差点の駅舎の眼前にある赤城田舎まんじゅうの荒井商店。
隣には昔ながらの薬局がありました。
ヒメギ02
そして駅の並びにあるのがこちらのスーパー田子。
食料品を買えそうなところは駅前ではこちらくらいかと…。
コンビニとかは近くには見当たりませんでしたし。
ヒメギ03
あとはご覧の、群馬銀行とヤクルトの販売店くらいしか。
【※以上写真撮影:2016年12月】


■モデル車両: JR東日本(旧国鉄)C61-20
ヒメギ05
国鉄C61形蒸気機関車は計33両が製造された車両であり、
1947年(昭和22年)から1949年(昭和24年)にかけて作られた蒸気機関車です。
当時余剰ぎみだった貨物用機関車のD51形などのボイラーを流用し、
旅客用に転用改造をして戦後の旅客需要急増に対応をしました。

C61-20は1949年(昭和24年)8月1日に
三菱重工業三原製作所にて製造番号 659として完成。
青森機関区、仙台機関区などに所属をして
特急「はつかり」や「はくつる」などの牽引を担当していました。

東北本線や奥羽本線の電化が進んで活躍の場を失ったC61-20は
1971年(昭和46年)に宮崎機関区に配転。
9月19日より運用を開始し、急行「日南51号」から貨物列車までを牽引して稼動したものの
1973年(昭和48年)8月28日に廃車となりました。
敷島ヒメギの誕生日が8月28日に設定されていますが、
これはC61-20の国鉄時代に廃車日が元になっていると思われます



廃車後のC61-20は他のC61の様に解体はされず、
群馬県伊勢崎市へと無償譲渡され、
伊勢崎市の華蔵寺公園遊園地で静態保存されました。


そして21世紀となり、国鉄も民営化してJRとなりましたが
JR東日本でのSLイベント運転の需要が高まって
新たな稼動可能なSLを全国で探した結果、
華蔵寺公園のC61-20が保存状態が良好である事が分かり
2009年12月に正式に復元が発表されました。


大宮総合車両センターで復元工事の行われたC61-20は
2011年(平成23年)3月31日付けで車籍復帰。
所属先となる高崎車両センターへ回送されたC61-20は
2011年(平成23年)6月4日に上越線の高崎発水上行きの
「快速SL C61 復活号」で営業運転を再開しています。
廃車になってから復活まで、その間38年でした。


ヒメギ29
ヒメギの元ネタ車両に関しては現在のところ諸説あります。
「でんこ(D)のNo.51」だからD51-498ななのではないか、との説もあります。
帽子に付いている照明に副灯がある点も、D51-498にも2015年に副灯が増設されて
現在は2灯となっていますし。
ただ、当初から髪飾りの形が
C61-20の煙突室のハッチのハンドルの形と一緒と言われており、
D51-498ののものとは形が違うので、
この点から元ネタ車両はC61-20だと言われています。


ヒメギ06
という訳で、現在C61-20のメインの職場である「SLみなかみ号」です。
敷島駅のあるJR上越線を走っています。
ヒメギ07
SLが発車する2番線ホームは、
エスカレーターからしてご覧の通りSL仕様に飾られています。
ヒメギ08
高崎駅2番線ホームもご覧の通りで、
自販機までSLラッピングになっています。
ヒメギ09
ホームの案内板にも「SL」の表示が。
ヒメギ10
高崎駅2番線ホームにC61-20が入線してきました。
ヒメギ11
高崎駅ホームでは単なる撮影会状態に。
まあそうなるでしょうね。


ヒメギ12
高崎駅を出発したSLみなかみ号は新前橋駅停車後、
次の渋川駅で30分ほど停車をします。
ヒメギ13
当然ながら渋川駅でも撮影会状態に。
ヒメギ14
渋川駅駅舎の反対側から撮ったC61-20です。
ヒメギ15
真上からはなかなか見る機会が無いと思って
跨道橋の上からも一枚。


ヒメギ16
沼田駅、後閑駅と停車をしたC61-20は
この列車の終着の水上駅の2番線ホームへと入線します。
ヒメギ17
客車切り離しを終えて発車をするC61-20。
ヒメギ18
この後上りでの運転を控えている為、
転車台へと向かって行きます。
それにしてもSLと雪景色は似合いすぎです。

ヒメギ20
この水上駅にはかつて水上機関区があって敷地と引込み線がありました。
その一角に転車台と蒸気機関車を留置する引込み線を設け、
下り列車到着から上り列車発車までの間、蒸気機関車を見学できる様に
「転車台広場」という広場が作られています。
ヒメギ19
転車台で方向を転換するC61-20。
ヒメギ21
方向転換を終えてバックしていくC61-20。
ヒメギ22
こちらがSLの転車台です。
ヒメギ23
水上駅でのSL留置線に入るC61-20。
ヒメギ25
およそ3時間近くこの留置線で停車するので
その為の準備をしている様子です。
ヒメギ26
めったに無い機会なので資料を兼ねて、
留置中のC61-20の全身をそれぞれアップで撮っておきました。

ヒメギ27
そして帰りの上り運行の出発時刻の迫る
水上駅1番線ホーム。
転車台で転換したC61-20が客車に連結する為には
一旦ここを通過していくと思って待ち構えていると。

案の定やってきましたので
動画で走る姿を撮影してみました。
スマホでの撮影なので画質等をご容赦を。

戻ってきたC61-20が客車と連結する様子も動画で撮ったのですが、
スマホの自動露出では雪が基準になって暗くなってしまいました…
まあ汽笛など雰囲気を味わうと思って下さい。
ヒメギ28
一応客車の方も撮っておきました。
【※以上写真等撮影:2017年1月】

でんこの元ネタ
■No.49: 勿来メイ(Nakoso Mei)
 ■タイプ:ディフェンダー
 ■誕生日:現在不明

■出身駅: JR常磐線 勿来駅(福島)
メイ01
1897年(明治30年)2月25日に開業した駅で、
常磐線の下り列車で福島県内に入って最初の駅です。
単式ホーム2面2線の駅で、業務委託駅として駅務員が常駐しています。
メイ02
こちらは東京方面行きの上り1番線ホーム。
メイ03
2番線ホームとはご覧の跨線橋で連絡しており、
またホームには「勿来の関」の最寄りである事を示す立看板が設置されています。
メイ04
こちらがその看板のアップ。
平安時代に奥州平定などで活躍をした、源頼朝や足利尊氏の祖でもある
「八幡太郎」こと源義家の読んだ和歌、
「吹く風を勿来の関と思へども道もせに散る山桜かな」(千載和歌集)
が記されています。
メイ05
こちらは2番線ホーム。
メイ06
2番線ホームの外側には、かつて貨物線として使われていた
何本もの留置線が残っていますが、
2006年(平成18年)にこの駅での貨物扱いが終了して以来不要となっており
ご覧の通り撤去作業が進められていました。
メイ08
駅舎の外観です。
2013年(平成25年)3月18日にリニューアル工事が竣工し、
勿来の関所をイメージしたゲートが入口に立てられるなどしています。
また東北の駅百選に選出されている駅でもあります。
メイ09
駅前広場にも源義家の銅像と関所をイメージしたオブジェがあります。

この勿来駅から南に2kmほどのところに「勿来の関」の跡があって
勿来の関公園として整備されているそうです。
「勿来」という言葉は漢文として読むと「来る勿れ」、
つまり「来るんじゃないぞ」という意味
となります。

平安時代より和歌の歌枕(定番の題材)の一つとされて
数多くの和歌で勿来の関が詠まれています。

いわきの勿来の関については江戸時代に藩が整備したのが始まりの観光地ですが、
考古学的な発掘調査を根拠とした所在地の推定は勿来の関所については現在確定しておらず、
つまり、実は今を以てどこにあったか、現存したのかも分かりません
【※以上写真撮影:2016年12月】


■モデル車両: JR東日本E657系
メイ07
こちらは勝田駅に停車するE657系列車。
いわゆる常磐線の特急「スーパーひたち」「フレッシュひたち」として運用されている車両です。


メイ10
E657系は2012年(平成24年)3月3日に臨時特急「復興いわきフラガール号」として
上野━いわき間を運行したのが営業運転デビューとなります。

そして直後の2012年(平成24年)3月17日実施のダイヤ改正によって
それまでの651系やE653系の置き換えとして常磐線に投入され、
特急「スーパーひたち」「フレッシュひたち」となって運用を開始しました。

その後2015年(平成27年)3月14日のダイヤ改正では
上野東京ラインの開業に伴って常磐線特急が品川駅まで乗り入れを開始。
これに伴って特急「スーパーひたち」「フレッシュひたち」の名称は
速達タイプの列車が「ひたち」、停車タイプの列車が「ときわ」に改称されました。

勿来メイの誕生日が3月14日と発表されていますが、
E657系で3月14日に関係するのは2015年のこの出来事くらいですので
誕生日の由来はこの特急ひたちの品川乗り入れによる改称が由縁と思われます



車両のカラーリングは赤みを帯びた白をベースに窓部分に黒を、
窓下に紅梅色の帯を配して「白梅・赤梅」を表現しているそうです。

ちなみにこの時置き換えられたE657系は改造が加えられて秋田へ転属。
羽越本線特急「いなほ」として転用されています。
この特急「いなほ」は2016年11月に追加されたでんこ「豊栄なほ」のモデルの車両です。
つまり駅メモ的に現うと、元々常磐線を走っていた「豊栄なほ」が「勿来メイ」と交代。
「豊栄なほ」は常磐線から羽越本線へと転属になった、ということ
です。


また追加の情報があれば書き加えます。
では。

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