2017年06月

倉吉線64
倉吉線はかつて鳥取県倉吉市を走っていた国鉄の路線です。
1912年(明治45年)に倉吉軽便線として
上井駅(現在の倉吉駅)━倉吉駅(打吹駅)間が開業したのが始まりです。

1922年(大正11年)に改正された鉄道敷設法では
第89号で「岡山県勝山ヨリ鳥取県倉吉ニ至ル鉄道」と定められて
正式に国の計画路線となりました。
これによって倉吉駅から、現在の姫新線の中国勝山駅までが予定線となります。

1941年(昭和16年)には関金駅まで延伸、
そして1958年(昭和33年)には山守駅まで延伸して
「国鉄倉吉線」として営業していた区間の全線が開業しています。

そして国鉄の経営悪化によって1980年(昭和55年)に国鉄再建法が制定。
倉吉線は第1次廃止対象特定地方交通線に選定され真っ先に廃止整理対象となります。
その結果1985年(昭和60年)に倉吉線は廃止され、
中国勝山駅までの延伸は叶わず73年の歴史にピリオドが打たれたのです。



倉吉線01
こちらはJR倉吉駅の駅舎の外観です。
1903年(明治36年)開業という歴史のある駅で、
山陰本線の駅として全ての特急が停車する駅です。
智頭急行の特急スーパーはくとはこの駅を始発駅としています。
現在の駅舎は2011年(平成23年)に橋上駅舎化がされ改築されたものです。

1912年(明治45年)に駅名を上井駅と改名した後に倉吉軽便線が開業。
以後廃止に至るまで倉吉線の起点駅となっていました。
倉吉線02
こちらは現在の倉吉駅3番線ホーム。
単式ホームであることからも分かる通り、
橋上駅舎に改築される前は駅舎側の1番線として使われていたホームです。
倉吉線03
その旧1番線である現3番線の、鳥取方面側の東側には
ご覧のモニュメントが設置されています。
倉吉線04
ここにはかつて倉吉駅の跨線橋があり、
この場所がちょうど1番ホームの跨線橋の階段前でした。
倉吉線05
そしてモニュメントの東側の写真のあたりが
かつて1番線ホームを切り欠いて作られていた
倉吉線の5番線ホームがあった場所となります。
倉吉線06
倉吉駅の駅舎東側にある駅よこプラザの前にある
バスターミナルがかつての倉吉線の跡であり、
ここから東に向かった倉吉線が大きく南へカーブを描いて
南方へと伸びていました。



倉吉線07
こちらは天神川の西岸にある国道179号線の見日町東交差点です。
かつてここを倉吉線が走っていました。
倉吉線08
交差点のすぐ西には天神側の支流の玉川が流れており、
倉吉線の新玉川橋梁の橋台が残っているのが見られます。
倉吉線09
川を渡った先の倉吉線跡は整備されて
「緑の彫刻プロムナード」という市の遊歩道となっています。
倉吉線10
川から遊歩道を200mほど進むとモニュメントが。

倉吉線11
このモニュメントがある場所が、
かつて倉吉線の上灘駅のあった場所となります。
上灘駅は1912年(大正元年)に倉吉軽便線開通の4ヵ月後に設けられた駅で、
単式ホーム1面1線と小さな駅舎を持つ駅だったそうです。
倉吉線12
こちらは市道沿いにある上灘駅跡を示す石の標柱。です。
倉吉線13
標柱から市道を北に見ると、
写真中央付近を倉吉線が通っていたので踏切があったはずです。
その北の信号は県道の見日町交差点です。
倉吉線14
市道の踏切跡を旧線の遊歩道から。
倉吉線15
石碑の後ろ、市道の西側にはかつての駅前広場とおぼしきスペースがあります。
倉吉線16
こちらは駅跡に設けられた「上灘コンフォートステーション」という
公衆トイレの設けられた建物です。
倉吉線17
残された写真などから推測すると
おおよそご覧の様な感じで駅舎とホームがあった様です。



倉吉線18
こちらは県道161号線の明治町二丁目交差点。
倉吉線19
交差点角の交番の裏に蒸気機関車のC11-75が留置されているのが見えます。
倉吉線20
SLの前の市道から南方を見た光景です。
ここにかつての打吹駅がありました。
1912年(明治45年)の倉吉軽便線開業時に終点として開業した駅であり、
倉吉線開業後は倉吉駅を名乗った倉吉市の中心駅で
単式1面1線と島式1面2線のホームが線路南側にありました。

駅舎は単式ホームに面して
南方に伸びる駅前通りを正面に見据えてあったそうですので
おおよそご覧の感じで駅があったと推測されます。

駅舎より写真手前側の市道は、駅の廃止後に駅前通りを延伸したものだそうで
営業当時には無かった道となります。
倉吉線21
市道を横から。遊歩道が倉吉線の廃線跡ですから
このあたりに市道を跨ぐように駅構内の敷地がありました。
ホーム3線に引き上げ線があったそうですからかなり広かったはずで、
現在は公園となっているスペースを見てもその広さが推測できます。
倉吉線22
駅構内だった市道東側の場所の広場にはモニュメントが。
この付近も「緑の彫刻プロムナード」の一部として整理されています。
倉吉線23
広場の南東には倉吉線鉄道記念館が。
倉吉線24
中には倉吉線の歴史展示がされており、
入場料無料で見学ができます。



倉吉線25
こちらは倉吉市西倉吉町にある「ロードステーションにしくら」です。
廃線跡地に公園とトイレが設けられています。
そしてこの場所が倉吉線の西倉吉駅の跡地となります。
西倉吉駅は1941年(昭和16年)に倉吉線が延伸された際に開設された駅で、
島式ホーム1面2線と貨物用ホームを持つ駅でした。
倉吉線26
そしてトイレの建物の裏手にはご覧の通り、
ホームと線路が一部残されています。
倉吉線27
残っているのは単式ホームで、駅舎がご覧のあたりにあった様です。
右側の道は県道501号倉吉東郷自転車道線という県道で、
倉吉線の廃線跡を利用している道路です。
かつてはこの県道の場所に島式ホームがあったそうですが
道路の拡張工事によって撤去されました。
倉吉線28
残された線路の先端の場所には
「花と緑のふれあいロード」の案内看板があります。
県道501号線としては書類上はこの駅跡の前後にも続いているのですが、
「廃線跡に作られた遊歩道」としてはこの西倉吉駅跡が起点となります。



倉吉線29
こちらは国道313号線から遊歩道へと通じる道ですが、
この道がかつての駅への道でした。
倉吉線31
ここに「ロードステーションおがも」が設けられており、
かつての小鴨駅の跡地となります。
小鴨駅も1941年(昭和16年)に倉吉線が関金駅まで延伸した際に設けられました。
倉吉線30
単式1面1線の棒線駅で、かつては駅舎があったらしいですが
廃止時にはご覧の様な感じでホームに簡単な待合があるのみでした。
倉吉線32
駅前のスペースにある案内板。
西倉吉駅から続く遊歩道「花と緑のふれあいロード」の
ほぼ中間地点にあたります。
倉吉線33
旧小鴨駅付近の、廃線跡である遊歩道の様子です。
倉吉線34
周辺は一面の田んぼが広がっています。



倉吉線37
こちらは国道313号線からかつての上小鴨駅へと通じていた道路。
駅跡を背に撮ったこの写真から200mほどで国道へと連絡しています。
倉吉線35
振り返って駅跡付近の様子。
ご覧の場所にかつては駅舎がありました。
この駅も1941年(昭和16年)の関金駅までの延伸で開設されたもので、
単式ホーム1面1線の棒線駅だったそうです。
倉吉線36
駅跡には「ロードステーションかみおがも」が設けられ、
公園とトイレが設置されています。
倉吉線38
倉吉線の廃線跡に作られた遊歩道「花と緑のふれあいロード」も
この駅跡の先で終点となっています。
倉吉線39
廃線跡である遊歩道の、ホームのあったあたりの様子。
倉吉線40
駅跡から西に100mほど進むと遊歩道は
国道313号線と合流して終点となっています。
倉吉線41
県道である遊歩道の入口にはご覧の表示が。



倉吉線42
こちらは倉吉市関金町付近の県道45号線。
倉吉線43
この場所から、いかにも駅前商店街といった趣きの道が
県道から分かれて伸びています。
ちなみにこの付近の地名は「倉吉市関金町大鳥居駅前です。
倉吉線45
一番駅に近かった場所の建物には
「駅前自治公民館」の看板が掛かっていました。
倉吉線44
この駅前通りの並木の一番奥がかつての関金駅の跡地です。
1941年(昭和16年)に打吹駅からこの関金駅まで倉吉線が延伸し、
山守駅まで延伸された後にも事実上の終着駅として機能していた駅です。
ホームは島式ホーム1面2線と貨物用1線があったそうで、
倉吉線で列車交換ができたのはこの駅が一番最後となります。

駅舎はご覧の様な感じで、関金温泉の玄関口の駅として
結構立派な駅舎があった様子です。
倉吉線46
駅舎の跡地の奥はかつての駅構内だった場所です。
駅のヤードらしく開けた場所となっており、
廃線跡は現在は県道50号線として綺麗に整備されています。



倉吉線47
こちらは関金町泰久寺地区の南方を通る県道45号線。
ご覧の場所でスロープ状の横道があります。
倉吉線48
坂の脇には泰久寺と書かれた標識と共に
カヌーの形をした「ここは泰久寺です」の看板があります。
目印らしい目印はこれくらいでしょうか。
倉吉線49
分岐した坂道を進みます。
倉吉線50
すると県道からも見える場所で
ご覧の様に跨道橋の橋台が残っていました。
という事は橋台の右手の築堤は倉吉線のものとなります。
倉吉線51
築堤の上へ登ってみるとレールが残っていました。
倉吉線52
築堤を抜けて左カーブを進んで50mほどでしょうか。
墓地の目の前にご覧の横道があります。
ここが泰久寺駅の入口です。
倉吉線53
ご覧の通り山の林の中にホームがほぼ原状のまま残っていました。
単式1面1線の駅で、二両編成でもはみ出るほど有効長の短いホームだということですが
現物を見ると確かにはみ出るだろうなという長さでした。
倉吉線54
こちらの駅名標は当時のものが残っている訳ではなく、
廃線トレッキングが催されていてレプリカが設置されたそうです。
倉吉線55
営業時にはご覧の場所に小さな駅舎があったそうです。
倉吉線56
こちらが倉吉方で、先ほどの跨道橋はすぐです。
倉吉線57
そしてこちらが終点の山守方。



倉吉線58
さて、ここは住所で言うと倉吉市関金町堀となりますが、
ご覧の杭までが、かつて倉吉線の線路のあった場所となります。
中央の道が倉吉線の廃線跡であり、写真中央付近の木の生えているあたりが
倉吉線終点だった山守駅の跡地となります。
左に見える道は県道45号線。
倉吉線59
終端を切り返した写真がこちらで、
右の赤い屋根の建物は山守郵便局となります。
倉吉線60
県道45号線に戻り、ご覧の小路が分かれている箇所があります。
この道こそが山守駅への道であり、
写真右中央の大きな木は駅前にあった桜の木です。
倉吉線62
いうなればここが駅前な訳ですが。
倉吉線61
駅舎とホームはご覧の感じでありました。
単式ホーム1面1線の駅で機回し線などは無く、
列車は単純に折り返すのみでした。
線路とバラストが舗装に変わっている以外は
営業当時の光景とほぼ変化はありません



以上が倉吉線の全9駅となります。
現在も鉄道が走っているのは起点の倉吉駅のみです。


倉吉線の廃止代替バスとしては
日本交通バス(日交バス)の関金線(明高行き)が走っており、
倉吉線の全線を攻略可能となっています。

ただ、倉吉線終点の山守駅付近のバス停は「今西上」停留場なのですが、
倉吉駅前からこの今西上停留場まではほぼ1時間前後の間隔で
一日9本しかバスの本数がありません(H27.6月現在)。
倉吉駅前━今西上停留場までは片道720円(H27.6月現在)となっています。

そして山守駅(今西上停留場)から倉吉駅へ戻るにもバスに乗るしかありませんが、
今西上停留場の最終バスは18時20分発となっています。
終バス以降に山守駅に行っても帰れませんから、
最終に間に合うバスで山守駅まで行く、と考えると
下り線で使えるバスは一日6本となります。
バスの所要時間は50分程度なので、往復には3時間弱は見るべきでしょう。
倉吉線起点の倉吉駅は前後何十キロも山陰本線しか走っていませんから、
実際に山守駅まで倉吉線を制覇するなら相応の計画が必要です。


倉吉線63
そしてこちらは倉吉駅からレーダーを飛ばした場合の
射程についてです。
ご覧の通り射程12駅のフルでも泰久寺駅までしか届かず、
終点の山守駅を取る事はできません

そして残念な事に三条なつめのスキルを使って射程を14まで延ばしても
倉吉駅からは山守駅には届かない
のです。

しかし、ここで倉吉線は倉吉駅から南西へと走っている事を思い出して下さい。
山陰本線で倉吉駅から西に3つ隣の浦安駅からは射程12で山守駅までレーダーが届きます
西に5駅隣の赤碕駅でも山守駅には射程9で届きますので、
山陰本線で倉吉駅以西に乗って順次レーダーを飛ばせば
倉吉線は現地まで行かずにコンプできる
という事になるのです。



でも、個人的には山守駅まで行って倉吉線は取ってほしいな…とか思ったりして。

では。

でんこの元ネタ
■No.27: 苔縄やちよ(Kokenawa Yachiyo)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:12月3日

■出身駅: 智頭急行智頭線 苔縄駅(兵庫)
やちよ02
この駅は1994年(平成6年)12月3日の智頭急行の開業で開設された駅です。
智頭線自体が日本鉄道建設公団(鉄建公団)による建設で作られた為、
線路も高規格で作られており苔縄駅付近も高架線となっています。

またこの駅を名前由来としている駅メモのキャラクター、
苔縄やちよは誕生日を12月3日と設定
されていますが、
これは智頭急行の智頭線の開業日と同じですので
元ネタと考えて間違い無い
でしょう。
やちよ03
ご覧の通りホームは単式1面1線の棒線駅となっています。
やちよ04
ホームにある駅周辺の観光案内。
やちよ05
高架上から見た駅の西側には苔縄の集落が広がります。
やちよ06
東側には田んぼが広がり、
千種川の向こう側にはすぐには国道373号線が走ります。
そして国道のすぐ脇には白旗山からの山ろくが絶壁となって迫っています。
やちよ07
苔縄駅の外観です。
高架駅である事が良く分かります。
やちよ08
駅の東側には整備された駅前ロータリーが。
やちよ09
ロータリーには駅名の彫られた石が置かれていました。
やちよ10
こちらが駅の駅舎です。
やちよ11
駅舎の中は待合室とトイレなどがあり、
駅外側にはショーウィンドーが設けられており
ギャラリーとなっています。
やちよ12
ホームへと上がる階段。
駅舎には発券や改札の設備は無く、直接ホームへと上がる事が可能です。
またエレベーターなどのバリアフリー施設も無いので
ホームへはこの階段を上がるしかありません。

やちよ13
駅前広場の左手の北方を見ると
苔縄医院があり、その脇には苔縄大師堂というお堂があります。
やちよ14
ご本尊は薬師如来の様です。

やちよ15
そして駅から西側を見ると、眼前に山が見えます。
この山は苔縄にある411mの愛宕山が見えます。

上郡付近を歩くと鎌倉の太平記の時代の武将、赤松円心の名前を数多く見かけます。
太平記の巻第六「赤松入道円心に大塔宮の令旨を賜はる事」には
「先づ播磨の佐用荘苔縄の山に城を作り」とありますが、
この山は護良親王の令旨に応えて円心が挙兵した赤松城(苔縄城)の城跡でもあります。
やちよ16
駅から西に200mほど進んだ所にある、
苔縄駅への入口となる市道の交差点。
この交差点の目の前には廃校となっている赤松小学校があり、
小学校の裏手が城跡へと登る道だそうです。
やちよ17
交差点から北に50mほどにはご覧の「苔縄筆塚」なるものが。
やちよ18
筆塚の後ろの道が参道にあたる様で、
法雲寺の寺標もありました。
この法雲寺は赤松円心が開基の臨済宗の寺だそうで、
赤松家の菩提寺であり、かつては寺領も持つ名刹だったそうです。



■モデル車両: 智頭急行HOT7000系気動車
やちよ01
智頭急行HOT7000系気動車は智頭急行の特急形気動車です。

元々智頭線自体は1922年(大正11年)の改正鉄道敷設法第85号で
「兵庫県上郡ヨリ佐用ヲ経テ鳥取県智頭ニ至ル鉄道」と定められた計画路線でした。
戦前、戦後とこの地域を走る鉄道が地元より要望されるも、
日本鉄道建設公団(鉄道公団)によって実際に智頭線が着工されたのは
実に1966年(昭和41年)のことでした。

しかし度重なる周辺路線の計画変更などに影響され、
また国鉄の経営悪化による1980年(昭和55年)の国鉄再建法によって
智頭線の建設が中断凍結される事となりました。

国鉄再建法では「建設中のAB線(地方鉄道新線)のうち、
輸送密度の見込みが4000人/日を下回るものについて予算執行の凍結」

とされました。
この時の智頭線の予想輸送密度は3900人/日でわずかに基準に届かず、
その為、ほぼ用地の収用が終わって建設途上だった智頭線の工事が止まりました。

そして1983年(昭和58年)に鳥取県知事に就任した西尾邑次氏が
鳥取県内の特定地方交通線の処理を進め、
智頭線についても専門機関に委託して経営の調査を行った結果
「地域輸送のみならば赤字であるが、
国鉄との特急列車の直通を行えば黒字になる」
との調査結果を得ました。
この結果を受けて「智頭線建設促進期成同盟会」が作られ、
第三セクター会社設立準備組織となって智頭線の建設が再開されます。

そして1986年(昭和61年)には第三セクター会社が設立され、
1994年(平成6年)には12月3日智頭急行智頭線が開業となった訳です。
やちよ19
この智頭急行開業時に新大阪駅━倉吉駅間に開設されたのが
特急スーパーはくと
であり、その特急に使用されたのが
こちらのHOT7000系気動車という訳です。

当時の国鉄は、鳥取県側の出した「通過旅客数1652人/日」という
特急導入時の智頭線の旅客見積もりに対して非常に懐疑的だったそうです。
しかし鳥取県側は高速道路の整備などを見越して
智頭線を高速で運転できる高規格で建設した結果、
スーパーはくとは大阪駅━鳥取駅間を2時間30分台で連絡しました。

すると1994年(平成6年)の開業からわずか4ヶ月で
阪神淡路大震災に見舞われるというアクシデントはあったものの、
運転再開後は順調に需要を伸ばしていきました。

そうした結果、スーパーはくとが鳥取と京阪神を繋ぐ山陰本線の代替路線として機能し、
通過旅客数は国鉄に疑われた数字の倍を叩き出し、
伊丹空港━鳥取空港の航空路線を廃止に追い込んで
競合の高速バスから乗客を奪うという結果
となりました。
現在でも智頭急行の収益の大多数をこのスーパーはくとが上げているそうです。
やちよ20
と、まあ前振りの説明が長くなりましたが、
この智頭急行HOT7000系という列車が導入された経緯は必要と考えて
あえて書かせていただきました。

HOT7000系の形式称号の「HOT」とは
「Hyogo(兵庫県)、Okayama(岡山県)、Tottori(鳥取県)」という
沿線自治体の三県の頭文字から取られているそうです。
また7000系の7000という数字は
この車両の機関出力が700PS(700馬力)であることが由来となっています。

この車両の走る智頭急行智頭線やJR因美線といった路線は
中国山地を通過する山岳路線となっています。
こういった急勾配や急カーブなどがある路線を高速走行する為に、
HOT7000系には制御付き自然振り子機構が装備されています。
やちよ21
こちらは学研の図鑑「機関車・電車」(1973年)より引用の振り子式車両の説明。


智頭急行HOT7000系「スーパーはくと」は通常5両編成で運行しています。
以下でスタンダードな編成を例に見てみたいと思います。
やちよ22
こちらはHOT7010形。鳥取・倉吉方の1号車で
流線型非貫通先頭車です。
やちよ23
運転台の様子。
先頭の走行映像を撮れるカメラが装備されているのが分かりますでしょうか。
やちよ24
客室内にはモニターが設置されていて、
運転台で撮られた先頭映像が常時見られるというサービスが。
やちよ25
1号車の車内の様子です。座席は自由席。

やちよ26
2号車のHOT7030形。中間普通車です。
やちよ27
こちらも自由席車なので座席のモケット(布地)は1号車と同じです。

やちよ28
3号車のHOT7040形。中間普通車で指定席車となっています。
やちよ29
背もたれや肘掛けが木質化されているなど
少々グレードアップされています。
また端部の座席が車椅子対応の為片側1席づつとなっていました。

やちよ30
4両目のHOT7050形。
中間車両であり、グリーン席と普通席の合造車となっています。
やちよ31
こちらは4号車の指定席部車内。
やちよ32
そして4号車グリーン席部の車内です。
こちらは1+2シートとなっていました。
グリーン席のモケット(布地)の色は車両によって違うそうです。

やちよ35
5号車のHOT7000形。
京都方に連結される流線型非貫通先頭車です。
内装がやや違う他は基本的に鳥取方先頭の7010形と同じです。

やちよ34
そしてこちらはHOT7020形です。
HOT7000系では唯一方向転換の可能な車両であり、
先頭車両の7000形や7010形などが検査や修理などの時には
編成に立ったり、多客時には中間車両として増結される予備車です。
やちよ36
座席は指定席車の仕様となっていました。

やちよ33
またこのHOT7000系スーパーはくとでは洗面所にも意匠が凝らしてあり、
手を洗う洗面陶器は因州中井窯、カーテンは倉吉絣、
洗面の証明や車両の自動ドアには因州和紙が使われています。
やちよ37
座席には折りたたみテーブルの他に
足元にはフットレストが設けられ、
また窓側の席には充電用のコンセントも設置されていました。
やちよ38
車内販売はありませんが自動販売機なら車内にも。

「乗り物酔いをする」とされて近年は数が減り始めている振り子式車両ですが、
酔いに弱い方でなければ乗り心地は非常に快適だと感じました。
モータリゼーションの波に飲み込まれてジリ貧となる鉄道が多い中、
競合する飛行機や高速バスを蹴散らした智頭急行HOT7000系は
なかなか興味深い車両だと思います。
【写真撮影:2017年6月】

でんこの元ネタ
■No.21: 王子しぐれ(Oji Sigure)
 ■タイプ:サポーター
 ■誕生日:11月29日

■出身駅: 東京メトロ南北線 王子駅(東京)
しぐれ02
地下鉄の王子駅としては1991年(平成3年)の
帝都高速度交通営団(営団地下鉄)の南北線開業が王子駅の開業となります。

王子駅としては1883年(明治16年)に
日本鉄道の上野━熊谷間の開業と同時に開設された駅であり、
現在のJR東北本線では最も古い駅のひとつです。
また都電の王子駅前電停としても
1915年(大正4年)に王子電気軌道(現・都電荒川線)の電停として開業しています。
ですので王子駅自体はかなり古い歴史を持っています。


しぐれ03
こちらが東京メトロの王子駅の地上1番出口。
しぐれ04
明治通り沿いの都電の電停の東側の
東武ストア前の広場の一角に設けられています。

しぐれ05
こちらはメトロ王子駅の2番出口。
しぐれ07
1番出口とは明治通りを挟んだ反対側に位置しますが、
JR王子駅とも駅前ロータリーの反対側に位置しています。

しぐれ08
そしてこちらが3番出口。
JR王子駅の一番大きな出口である北口を出て左手すぐにあり、
南北線王子駅の地上出口としても一番大きな出口ですので
この3番出口が南北線王子駅のメイン出口と思う方も多いと思います。
駅前ロータリーに面した京浜東北線の高架下にあり、
JRとの乗り換えの乗客の多くはこの出口を使うでしょう。

しぐれ09
メトロ王子駅の4番出口です。
北本通り(国道122号線)の東側にあるこの出口はメトロ王子駅では一番北にある出口であり、
JR王子駅からは最も離れた位置にあります。

しぐれ10
最後は5番出口。
王子駅前にそびえる北とぴあの目の前にある出口です。
しぐれ11
出口部分の外観。

しぐれ12
地上出口から地下へと降りると
ご覧の改札前へと地下コンコースで集約しています。
しぐれ13
バリアフリー用に別に、
エレベーター前にも自動改札機が一台設置されていますが
基本的にメトロの王子駅の改札は一箇所のみです。
しぐれ14
改札内へ入ると、目の前すぐにホームへと降りる階段があります。
しぐれ15
こちらがホームの様子です。
島式ホーム1面2線となっていて、
1番線が赤羽岩淵・浦和美園方面、
2番線が白金高輪・目黒・日吉方面となっています。
しぐれ16
ホームと線路の間にはフルスクリーンタイプのホームドアが。
しぐれ17
ホーム北端にはエレベーターが。
このエレベーターで上がると改札機があって外に出ることができます。


この王子駅が由来となっているキャラクターの王子しぐれは
東京メトロ南北線の車両がモチーフとなっているでんこですが、
駅メモでは王子駅は東京メトロ南北線の他に
JR京浜東北線の駅としても同一駅で登録がされています

しぐれ18
こちらがJR王子駅の駅舎外観。
ご覧の通りの高架駅となっています。
しぐれ19
こちらがメインともいうべき、駅前広場を正面に見据えた北口です。
しぐれ21
北口の改札機の前を通過し、そのまま高架下の通路を進むと
高架の反対側へと出られます。
しぐれ20
こちらが北口の反対側の親水公園口。
近代的に整備された表側とはうって変わった光景が広がっています。
しぐれ22
そしてこちらが明治通り沿いの高架下にある中央口。
しぐれ23
中央口から出て左手の南側にはご覧の飛鳥山公園の入口があります。
しぐれ24
ここには北区が設置した無料の「あすかパーレール」という
全長48mのモノレールがあります。
しぐれ25
こちらがJR王子駅のホーム。
島式1面2線のホームの駅であり、
京浜東北線のみが停車しています。
1番線が大宮方面の北行、2番線が横浜方面の南行となります。
しぐれ26
ホームから東側を見ると何本もの線路が走っています。
こちらは東北本線の線路で、
写真の列車が走る奥2本が、湘南新宿ラインも走る東北本線の貨物線、
その手前の2本が宇都宮線と高崎線の走る東北本線列車線となっています。
東北本線の列車は王子駅は通過で、停車するのは京浜東北線のみです。


しぐれ27
そして駅メモでは東京メトロやJRの王子駅とは別駅扱いとなりますが、
都電荒川線の王子駅前停留場についても王子には欠かせませんので記したいと思います。
しぐれ28
こちらが王子駅前停留場の外観。
JR王子駅のホームと石神井川に挟まれた
新幹線の高架下にあり、王子駅北口のロータリーとは
明治通りを挟んだ反対側に位置します。
しぐれ29
停車場のホームの様子。
相対式2面2線となっています。
しぐれ30
この三ノ輪橋からやってきた車両は
王子駅前停留場まで専用軌道を走ってきますが、
ここから車との併用軌道となり明治通りを走ります。



そしてこの王子駅については
駅メモではある特殊な事情がある駅となっています。
それは「王子駅にいながら別の駅が取れてしまう」という事です。
しぐれ31
こちらは王子駅付近の駅メモの駅エリアを示したボロノイ図です。
王子駅の座標が京浜東北線ホーム中央付近に、
そして都電の王子駅前停留場の駅座標が明治通りのど真ん中に設定されている事で
駅メモではメトロの王子駅では王子駅前停留場が、
都電ホームでは王子駅が取れてしまうという
逆転現象が起きてしまっているのです。
しぐれ32
実際の王子駅付近の写真に境界を書き込んでみると
その特殊性が良く分かると思います。
我々がJR王子駅の駅舎だと思っているあたりは
駅メモでは全て都電の王子駅前停留場のエリアだった
のです。

こういった事情がある為、
「東京メトロの王子駅で王子駅が取れない」だとか
「京浜東北線の車内からなかなか王子駅が取れない」という現象が起きる訳です。
事情を知っていれば王子駅を取る事は可能ですので
境界線を把握の上落ち着いてアクセスをして下さい。

ちなみにJR京浜東北線ではホームより北に列車がいる際に
比較的王子駅へのアクセスがしやすいです。
またメトロ南北線のホームでは基本的には王子駅は取れませんので
地上に出て移動するか、レーダーなどを使用して下さい。
ご参考までに。



■モデル車両: 営団9000系電車
しぐれ01
営団9000系電車は1991年(平成3年)に南北線の部分開業に際して
南北専用の車両として4両編成で登場した車両です。
導入当時は南北線は帝都高速度交通営団(営団)の路線でしたが
2004年(平成16年)4月の営団民営化にともなって
現在は東京地下鉄(東京メトロ)の路線となっています。
しぐれ33
東京メトロによるとこの9000系は車両の設計にあたって
「地域との調和、人に対するやさしさをテーマ」としているそうで、
車体に入れられた帯色には、ラインカラーであるエメラルドグリーンに
白のラインを入れた上下ツートーンの色として
緑豊かな都会のオアシスをイメージしてデザインされているそうです。

ちなみ南北線のラインカラーであるエメラルドグリーン    の由来は
「沿線の日本庭園」をイメージして策定されたそうです。
しぐれ35
車体のラインカラーについてですが
先頭車両の運転室扉のところでラインの帯がご覧の通り、
前面に回り込む帯と側面への帯とに分かれています。
南北線の9000系では一次車(02~08編成)、二次車(09~13編成)、
三次車(14、15編成)まで同様となっています。
基本的な車体外観については一次車から三次車まではほぼ変わりません
また四次車(16~21編成)では細かなマイナーチェンジはあるものの
基本的が車体外観は一~三次車と同じと思って良いでしょう。
しぐれ36
そして南北線の9000系で01編成だけは車体のラインが
前面部と側面部が1本につながっています。
これは01編成が南北線の9000系車両を作る上でのプロトタイプだったが故で、
この様にラインのつながった車両は01編成のみとなっています。
しぐれ34
こちらは上の写真の14編成(三次車)の先頭車両の車内の様子です。
基本的にロングシート車両となっています。
しぐれ42
中間車の内部はご覧の通り。
しぐれ37
運転台の様子。
南北線では基本的にワンマン運転を行っており、
また駅にはホームドアが設置されていることから
ATO(Automatic Train Operation、自動列車運転装置)が採用されているそうです。
しぐれ38
こちらは9000系のパンタグラフ。
全ての編成で2両目と4両目の電動車の上についています。
一次車から四次車までがこの菱形のパンタグラフで、
2009年(平成21年)に増備された五次車のみがシングルアーム形となっています。
駅メモの王子しぐれのパンタグラフは菱形で描かれていますので
しぐれは五次車では無いのは確かな様です。


さて、駅メモの王子しぐれの誕生日は11月29日となっています。
この日は1991年(平成3年)の営団地下鉄南北線の
赤羽岩淵駅━駒込駅間の開業日であり、
営団9000系電車の運用開始日
でもあります。
そしてこの南北線開業日に運行を開始した9000系は
01編成から08編成までの、試作車および一次車
となります。
この事を勘案すれば、王子しぐれのモデル車両は
営団9000系一次車、とすべきなのかもしれません。

ですが実は一次車は2016年(平成28年)度から2018年(平成30年)度にかけて
「B修」と呼ばれるリニューアル工事が順次行われています。
これは東京メトロでは車両を車齢40年程度まで継続使用する方針であり、
その為に20年程度経年した車両に大規模な更新工事を施工しており
これをB修(B修繕工事)と呼びます。
しぐれ39
そしてこちらがB修の済んだ、一次車の07編成の外観です。
先頭車前面にスカート(排障器)が新設されたほか、
車体のラインカラーの帯がウェーブ状になっているのが分かるかと思います。
しぐれ40
そしてこれまで1本だったラインの帯が
リニューアル車では上下2本になっているのが分かると思います。
しぐれ41
(写真:上・旧塗装、下・新塗装)
これはハーフサイズのホームドアの駅に停車した際に
車体のラインカラーを見やすくする為に措置で、
乗り入れ先の埼玉高速鉄道や東急目黒線での車体の見分けを考慮したものです。
しぐれ43
こちらがリニューアル後の一次車の車内の様子。
床材をライトグリーン系にしたり、座席の袖仕切りが大きくなるなど
細かい部分が更新されています。

このように、本来ならば王子しぐれの誕生日である
11月29日に運用を開始した一次車は、
キャラクターのモチーフとなった当時とは
現在ではデザインが変更
されてしまってしまっています。
モデルとなった当時のデザインと同じなのは
二次車から四次車あたりの編成となります。


しぐれ44
駅メモでのキャラクターを見てみると、
ラインカラーの配色などは
やはり旧来の塗装と同じパターンとなっているのが分かりますので
見比べてみて下さい。

では。
【写真撮影:2017年6月】

でんこの元ネタ
■No.47: 三条なつめ(Sanjo Natsume)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:6月30日

■出身駅: 京阪電気鉄道京阪本線・鴨東線 三条駅(京都)
なつめ01
1912年(大正元年)に京津電気軌道(現在の京津線)の
三条大橋駅が開業したのがこの駅の起源となります。

京阪電気鉄道の三条駅としては1915年(大正4年)の開業なのですが、
京阪京津線の前身である京津電気軌道が1925年(大正14年)に京阪に合併。
1949年(昭和24年)には京津線の三条大橋駅と京阪本線三条駅が統合されていますので
三条大橋駅の開設を起源とすることで問題は無いかと思います。


1987年(昭和62年)には京津線部分が京津三条駅となり、
京阪本線の三条駅が地下化されて京津線と京阪本線が分離されています。

そして1997年(平成9年)の京都市営地下鉄東西線の開業に伴って
京津三条駅から御陵駅間の京津線が廃止。
京都市営地下鉄東西線には新たに三条京阪駅が新設され
三条駅との連絡駅となっています。
なつめ15
こちらが京阪の三条駅の駅ビルです。
1987年(昭和62年)の京阪本線地下化によって三条駅も地下駅となっています。
なつめ16
駅ビルは三条通と川端通の交差点である三条大橋交差点の角にあります。
こちらは三条大橋交差点付近の様子。
この三条大橋東詰が東海道五十三次の最終地点でもあります。
なつめ17
三条大橋の外観。
現在はコンクリート製の二車線道路となっており、
欄干などが木製で残されています。
なつめ31
三条大橋の説明の立て札。
(写真クリックで拡大します)
なつめ18
鴨川の三条河原から見た三条大橋方面。
川の東側を左岸と呼ぶそうなのでこちらは左岸です。
なつめ19
振り返って南側には三条河原の光景が広がります。
今はカップルのデートスポットらしいですが、
その昔は三条河原からこの写真の向こう側の六条河原あたりは
刑場として歴史的に有名な場所でもあります。
なつめ20
この三条河原の、鴨川の東側の川端通の横に
三条駅の駅前広場が整備されています。
なつめ21
駅前広場の南端に、川端通に面して立つ京阪三条南ビル。
こちらも駅の入口となっています。
なつめ22
駅前広場。
かつての京阪京津線の京津三条駅跡地を整備したものだそうで、
バスの発着ターミナルが設けられており
南北に広いコンコースが設けられています。
なつめ23
広場の北端、駅ビルの目の前の三条大橋交差点付近には
高山彦九郎の皇居望拝の銅像があります。
二宮尊徳や楠木正成と並んで戦前の修身教育で取り上げられた人物ですが、
京都の若い人にはは通称「土下座さん」だとか。
なつめ30
そして三条大橋の東詰めの南のたもとには
ご覧の「花の回廊」の石碑があります。
なんでも1987年(昭和62年)の京阪本線と琵琶湖疏水の地下化によって
鴨川河道の拡張が可能となり、平安京遷都1200年を契機に
京都市と京都府が三条から七条までの鴨川左岸に遊歩道を整備したものだそうです。
なつめ24
地上の入口から降りると
地下にはコンコースが設けられています。
なつめ25
地下コンコースにある、京阪の三条駅の改札。
なつめ32
駅前広場の南端の京阪三条南ビルからも
地下コンコースへと連絡していますが、
駅改札まではご覧の長い通路を通る必要があります。
なつめ26
改札内の様子です。
なつめ27
三条駅は地下化された後は
島式ホーム2面4線を持つ駅となっています。
こちらは上りの1、2番ホーム。
三条駅は京阪本線の終着駅であるとともに
京阪鴨東線の起点駅でもあります。
ですのでこちらの出町柳駅方面行きのホームは鴨東線ホームという事になります。
なつめ28
そしてこちらが淀屋橋駅・中之島線方面の下り線3、4番ホーム。
京阪本線が三条駅が終点ですので、ここから先が京阪本線となります。
なつめ29
この駅で待っていると、ご覧の通り
京阪の様々な車両を見ることができてなかなか面白い場所でもあります。


■モデル車両: 京阪電気鉄道8000系電車 8008編成
なつめ02
京阪8000系は1989年(平成元年)に登場した京阪電気鉄道の特急形車両です。
特急系車両として運用していた京阪3000系の老朽化と、
1989年(平成元年)10月の京阪鴨東線開業に伴って投入がされました。

当初は3000系の6両編成を7両編成にする為に、
8000系の7両編成1本と中間車5両が製造され投入されています。

中間車は3000系の編成に組み込まれて9月27日より運用が開始。
そして10月5日には8000系のみの編成である8001Fが運用開始をしています。
なつめ04
(写真:京阪8000系8001F旧塗装)

当初は特急の運用増加分のみの製造の予定だった8000系車両ですが、
いざ運用が運用されると、乗客が新型車両の8000系に乗車する為に
駅で待つ姿が多数見かけられるようになったそうです。

その為京阪では3000系の8000系への置き換えを推進。
結果、投入開始から4年後の1993年(平成5年)には
8000系は7両編成10本(70両)の数ととなっています。

1995年(平成7年)にはリニューアル工事が行われて
2階建車両(8800形ダブルデッカー)が編成に増結されることとなり、
1997年(平成9年)と1998年(平成10年)に5両ずつダブルデッカー車両が新造。
順次8000系編成へと組み込まれて8両編成での運用が開始されています。


そして2008年(平成20年)には京阪8000系が新塗装化。
オレンジ、イエロー、ブラックを基調とした色に
一番最初に塗り替えられたのが8008編成
でした。
なつめ03
京阪電鉄によると、この新塗装の特急色は
「上部を赤色(エレガント・レッド)、下部を黄色(エレガント・イエロー)とし、
赤色と黄色の間に金色(エレガント・ゴールド)の帯を配し、
十二単や紅葉、祝祭、金蒔絵などエレガントなイメージを連想させるカラーデザイン」

とのことです。
参考
京阪電気鉄道「6月30日(月)、新カラーデザインの特急車両がデビューします」
http://www.keihan.co.jp/corporate/release/orig_pdf/data_h20/2008-06-27.pdf


駅メモのでんこである三条なつめの衣装も
オレンジ、イエロー、ブラックが基調であることから
京阪8000系の新塗装車両がモチーフ
である事が分かります。

新塗装となった8008編成は6月28日に試運転が開始され、
2008年(平成20年)6月30日より京阪本線と中之島線、鴨東線で運用を開始しています。
三条なつめの誕生日が6月30日に設定されているのは、
この京阪8000系新塗装車の8008編成投入日が由来であるのは明らかでしょう。


なつめ05
こちらが8008編成の先頭車両である8008。
運転台のある電動車です。
なつめ06
二両目の8108。こちらも電動車となっています。
なつめ07
三両目の8508。客車のみの付随車です。
なつめ08
そして四両目の8808。
見ての通りの二階建て車両(ダブルデッカー)であり、
8008編成には1998年(平成10年)に組み込まれています。
なつめ09
五両目の8758。
簡易運転台車となっています。
なつめ10
六両目の8158。
電動車であり屋根には集電器(パンタグラフ)があります。
なつめ11
七両目の8058。
折り返し時の先頭車両であり、当然運転台のある車両です。

なつめ12
車内の様子。
平屋の車両は基本的に転換クロスシートとなっています。
なつめ13
五両目の端の優先席付近。
なつめ14
ダブルデッカー車両の中の様子です。

【以上写真撮影:2017年6月】

長良川鉄道a83
引き続き長良川鉄道についてです。


その1(美濃太田駅━美濃市駅間)はこちら
その2(美濃市駅━郡上八幡駅)はこちら



長良川鉄道a84
自然園前駅
1986年(昭和61年)に国鉄越美南線が長良川鉄道へと転換した際に
新たに設けられた駅です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
長良川鉄道a85
こちらは国道156号線で、奥に見えるトラス鉄橋は
長良川に架かる中元橋です。
長良川鉄道a86
この橋の袂のカーブ付近のご覧の横道が
駅へと通じる道となります。
長良川鉄道a87
道の脇にひっそりと掲示されている駅への案内。
長良川鉄道a88
案内に従って、ほぼあぜ道とも言える道細めのを進むと
駅が見えてきます。
長良川鉄道a89
こちらが駅の全景。
長良川鉄道a90
駅周辺はご覧の通りで
長良川流域の山村であり、目だった施設などはありません。
長良川鉄道a91
駅の前を流れる用水路のほとりが
綺麗に遊歩道として整備されていて、
これだけの大自然の中でわざわざ何故?と思ってみたり。
最初はこの遊歩道付近に自然園があるのかと思ってしまいました。
長良川鉄道a92
駅名の由来となった郡上八幡自然園は
駅からみると長良川の対岸にあります。
長良川に架かる先ほどの中元橋の対岸袂が自然園です。
学校や団体などに向けて長良川の河畔でキャンプなど自然学習を行う
野外教育施設となっています。
参考
郡上八幡自然園
http://www.shizenen.com/




長良川鉄道a93
山田駅
1932年(昭和7年)に国鉄越美南線の延伸によって
美濃山田駅として開業した駅です。
かつては駅舎もあって駅員がおり貨物も扱う駅だったそうですが
1960年(昭和35年)に早々に無人駅となっています。
長良川鉄道a94
古い写真を見るとこの駅がかつては相対式2面のホームを持ち
交換設備に引き上げ線まである駅だった事が分かります。
しかし現在では完全な棒線駅となっており、
線路の不自然な湾曲がその名残りを留めるにすぎません。
長良川鉄道a95
駅の真上には1997年(平成9年)に東海北陸自動車道が開通しており、
駅の近くにはぎふ大和ICが設けられています。
その為、かつての駅の敷地の多くは
現在は道路公団の道路敷地となっています。
長良川鉄道a96
駅の外観です。
高速道路の高架下となってしまった駅には
バラックの待合室と駐輪場があるのみとなり
なんともうら寂れた感覚を呼び覚ます光景となっています。
長良川鉄道a97
駅の入口には、かつてあった駅舎の基礎の跡が残っていました。
長良川鉄道a98
駅を背にして見た正面の道。
100mほど進んだ山の手前で国道156号線へと連絡しています。



長良川鉄道a99
徳永駅
1955年(昭和30年)に国鉄越美南線の駅として開業した駅です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
長良川鉄道b01
こちらは県道61号線。
写真の奥に100mほどで国道156号線と交わっています。
この県道と長良川鉄道との踏切の脇に駅はあります。
長良川鉄道b02
県道から見た駅の外観。
長良川鉄道b03
ホームへの入口付近の様子です。
長良川鉄道b04
ホーム上の待合室はけっこうな広さがあります。
長良川鉄道b05
駅の西側の目の前にはご覧の通り
大型の書店やホームセンターなどが集まっており
一大ショッピングモールとなっています。
その為駅周辺は比較的ひらけた印象です。



長良川鉄道b06
郡上大和駅
1932年(昭和7年)に国鉄越美南線の延伸により開業した駅で、
開業時には美濃弥富駅という名前でした。
相対式ホーム2面2線の駅となっており列車交換が可能となっています。
こちらは駅舎側の美濃太田方面の上り線ホーム。
長良川鉄道b09
ホーム側から見た駅舎の様子です。
長良川鉄道b07
ホームは構内踏切で連絡しています。
この踏切を中心に二つのホームが入れ違いに配置されており、
いわゆる千鳥式のホーム配置となっています。
長良川鉄道b08
下り北濃方面行きのホーム。
美濃弥富駅時代の古い写真などを見るとこちらの線路は
ホーム前に車止めがあり引き上げ線となっていました。
1986年(昭和61年)の長良川鉄道への転換時に設備が追加されて
交換可能駅に改修された様です。
長良川鉄道b10
下りホーム側の構内踏切の前には出入口が設けられており、
駅舎を通らずに駅の裏側からも構内への入場が可能となっています。
長良川鉄道b11
駅舎の外観。
長良川鉄道b12
待合室には出札の窓口などもありますが
現在では無人駅となっているので使われてはいません。
長良川鉄道b13
駅前の道は250mほど進むと国道156号線へとつながります。
駅周辺には郡上市の旧大和町の住宅地が広がっています。
長良川鉄道b14
そして駅舎の駅務室だった場所には
喫茶店がテナントとして入居していました。
他の長良川鉄道の駅ですとテナントが切符販売などを委託されているのですが
この駅の喫茶店は委託は受けてはいませんので発券業務は行っていません。



長良川鉄道b15
万場駅
1955年(昭和30年)に国鉄越美南線の駅として開業しました。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
長良川鉄道b16
駅への道はご覧の通り、
線路沿いの車一台分の道を進む必要があります。
長良川鉄道b17
駅を両端側から見た光景。
長良川鉄道b18
こちらは駅の真横の、まさしく駅前の光景です。
ずっと長良川鉄道と並走していた国道156号線は
この駅付近では離れて長良川の対岸にあり、
代わりに近くを県道52号線が走っています。
ですが国鉄時代からの駅の割には駅までの道は細く、
駅周辺の整備はされていませんでした。



長良川鉄道b19
上万場駅
1987年(昭和62年)に長良川鉄道への転換時に新設された駅です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
長良川鉄道b20
県道52号線から横道に入って80mほど進んだ踏切の脇に
駅への入口があります。
長良川鉄道b21
踏切から見た駅の全景です。
長良川鉄道b22
踏切を挟んだ駅との対角には駐輪場が設けられています。
長良川鉄道b23
一応踏切と反対側のホーム北端からも出入りができますが、
出た先は見ての通りほぼ田んぼのあぜ道です。



長良川鉄道b24
大中駅
1933年(昭和8年)に国鉄越美南線が
美濃白鳥駅まで延伸した際に設けられた駅です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅であり、
この駅から旧白鳥町へと入ります。
長良川鉄道b25
線路沿いの道を駅の北側から。
長良川鉄道b26
こちらが駅舎の外観です。
長良川鉄道b27
駅舎の脇にはタイル張りのスペースがあり、
ホームに上がる階段があります。
長良川鉄道b28
こちらは駅舎の中の様子。
シンプルな待合室ですが、
ホームへの入口の青い「おおなか」の文字が印象的です。
長良川鉄道b30
駅の道路側には住宅が広がっているのに対して
ホームの眼前はご覧の通り一面の田んぼとなっています。



長良川鉄道b29
大島駅
1955年(昭和30年)にすでに開通していた国鉄越美南線に
新たに開設された駅です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
長良川鉄道b31
国道156号線から枝分かれした市道からすぐの場所に
ご覧の駅へと通じる道があります。
一見すると住宅地の行き止まりの路地にしか見えませんが、
民家の間に埋もれるように小さな駅舎が設けられています。
ここに駅があると知らないとちょっと見つけづらいかもしれません。
長良川鉄道b32
こちらが駅舎の外観です。
長良川鉄道b33
駅舎の中の様子。
長良川鉄道b34
ホーム側から見た駅舎です。



長良川鉄道b35
美濃白鳥駅
1933年(昭和8年)に国鉄越美南線の延伸によって開業した駅です。
駅メモでは「白鳥ハル」の由来駅として設定されています。
長良川鉄道b37
相対式ホーム2面2線を持つ列車交換可能駅ですが、
交換が無ければ上下線共に駅舎のある上の写真の1番線に列車は入線します。
長良川鉄道b39
こちらはホーム側から見た駅舎。
長良川鉄道b36
1番線ホーム北端にある構内踏切。
対面にある2番線との連絡をしています。
長良川鉄道b38
こちらは2番線ホーム。
長良川鉄道b40
かつてはこちらの2番線ホームにはログハウス風の待合室があったそうですが
現在は撤去されており、基礎部分が残るのみです。
長良川鉄道b41
そして駅の南方の美濃太田方には
車両庫があり、側線が設けられています。
ハル02
こちらは駅の駅舎の外観です。
国鉄時代からの駅舎であり、かつては入口の軒の上に
毛筆体の駅名標があったそうです。
長良川鉄道b43
大きめの広場となっている駅前には
バスの転回できるターミナルも設置されています。
ハル03
また、旧白鳥町の代表駅であるこの駅の駅前には
商店や公共施設が集まっており、
ここがこの地域の中心地であることが分かります。
ハル04
そしてこちらは駅前広場にある「白鳥おどり」の石像。
「白鳥の拝殿踊」が国の選択無形民俗文化財となっているこの踊りは
「世界一スピードが早くなる盆踊り」と呼ばれ
見ていてもなかなかの圧巻な踊りです。


ハル12
美濃白鳥駅から北の、終点の北濃駅までの区間はひとつの閉塞区間となっており、
長良川鉄道ではスタフ閉塞式での列車運行が行われています。
その為美濃白鳥駅では運転士と駅員がスタフ(通票)の交換を行う様子が見られます。



長良川鉄道b42
白鳥高原駅
1955年(昭和30年)に国鉄越美南線の二日町駅として開業した駅です。
長良川鉄道への転換後も駅名は変わりませんでしたが、
1996年(平成8年)に「スキー場の最寄り駅」として
白鳥高原スキー場に由来して半ば戦略的に駅名が変わりました。
しかし実際にはスキー場までは12km以上ある上に
北濃駅の方が近い
為、最寄り駅の機能は果たしておらず、
周囲は民家や田畑が点在している状態です。
長良川鉄道b44
駅の外観。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅です。
長良川鉄道b45
駅は踏切の脇にあり、
踏切から国道156号線までは50mほどの距離ですが
駅周辺は民家がまばらで田畑が広がる状態です。



長良川鉄道b46
白山長滝駅
1988年(昭和63年)に新設された駅です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
長良川鉄道b47
この駅の一番の特徴はなんといってもこちらで、
白山信仰の美濃国側の中心である長滝白山神社の入口に駅があるという点です。
長良川鉄道b49
国道156号線が白山神社の前に差し掛かると
神社の駐車場の入口が長良川鉄道の踏切となっています。
長良川鉄道b50
こちらが駐車場にある石碑。
「霊峰 白山への道」と刻まれており「美濃馬場」とあります。
信仰の対象である霊峰白山の山頂へは加賀、越前、美濃の三方からの道があり、
それぞれの起点を「馬場」と言い、
三つの道の起点を「白山三馬場」と言います。
そしてこちらの長滝白山神社は美濃国から白山へと至る道の起点であり
「加賀馬場」として、禅頂(山に登って修行すること)の拠点となっていたそうです。
長良川鉄道b51
そして駐車場から参道の入口のすぐ右手に駅があり、
長良川鉄道に沿うように北西へと参道が伸びています。
昔は神社と寺が一体の「神仏習合」の状態で
「白山中宮長滝寺」と呼ばれていたそうですが、
明治の神仏分離令によって長滝白山神社と長滝寺に分けられました。
神社も寺も参道を共にしていますので、
入口には寺と神社の社名標があります。
長良川鉄道b58
本殿へは鳥居の先へおよそ4~5分ほどです。
長良川鉄道b52
神社の社名標の脇には、文化財を示す表示杭が立っています。
この寺と神社にはご覧の杭の数だけ指定文化財があるということになります。
長良川鉄道b53
こちらが駅の全景です。
他の長良川鉄道の駅がコンクリートなどで同じ規格で作られているのに対し、
この駅は神社に景観を合わせたのか、待合室や手すりなどが木製となっています。
長良川鉄道b54
参道から枝分かれしている駅横の道。
長良川鉄道b55
神社参道の入口とは反対側の、ホーム北端に
ご覧の駅への入口が設けられています。
長良川鉄道b56
ホームへの出入りはこちらの一箇所のみとなっています。
長良川鉄道b57
南端は駐車場や参道入口に近いのですが
ご覧の通り行き止まりに。
長良川鉄道b59
ちょっと逆光ですが、国道側から見た駅の様子です。



長良川鉄道b60
北濃駅
1934年(昭和9年)に国鉄越美南線の延伸によって開業した駅で、
当初は福井県側の越美北線(九頭竜線)と接続する予定でしたが
この駅から北へと線路が延伸することは無く、
開業以来ずっと越美南線の終着駅として現在に至っています。
長良川鉄道b77
ホームは島式の1面2線となっていますが
使用されているのは1番線のみであり、
2番線は使用されていません。
長良川鉄道b61
こちらは駅前の国道156号線様子です。
長良川鉄道、国道156号線、長良川の三つが並走しています。
長良川鉄道b62
駅舎の外観。
木造の終着駅です。
長良川鉄道b63
駅舎の中の待合室の様子。
長良川鉄道b75
待合の壁にはご覧の終着駅の案内が掲示されています。
長良川鉄道b64
待合室の隣は食堂がテナントとして入居しています。
駅務の委託は受けていないので切符の販売などはしていません。
長良川鉄道b65
駅舎からホーム側へ。
長良川鉄道b66
ホーム側から見た駅舎の様子です。
長良川鉄道b67
駅舎からホームへは構内踏切で連絡をしています。
長良川鉄道b68
こちらがその構内踏切にある、
長良川鉄道の終点の看板です。
長良川鉄道b69
看板の奥にも線路は続きますが、ほどなくして途切れています。
長良川鉄道b70
美濃と越前を繋ぐが故に「越美」の名前を冠した路線ですが、
その構想がここで途切れた、と考えるとなんとも趣き深いです。
長良川鉄道b71
そして構内踏切は島式ホームの奥まで続いており、
駅舎と反対側まで出ることができます。
長良川鉄道b73
線路沿いに続く道を進むとホーム横にあるのが。
長良川鉄道b74
こちらの転車台となります。
長良川鉄道b72
この転車台は国指定の登録有形文化財に指定されています。
参考
文化遺産オンライン「旧国鉄越美南線北濃駅機関車転車台」

http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/180976
長良川鉄道b76
転車台の脇には由来が掲示されていました。




長良川鉄道b78
こちらは長良川鉄道の郡上八幡駅━北濃駅間の
au 4G LTEでの電波エリアマップです。
この区間も全線が電波サービスエリア内となっています。
基本的に列車内から駅へのアクセスは問題が無いでしょう。



長良川鉄道は起点の美濃太田駅から終点の北濃駅までは
72.1kmの距離があり、全線の所要時間は2時間ちょうど前後となっています。
列車に乗車して往復すればおおよそ半日は必要ですし、
出発の時間によってはほぼその日一日を長良川鉄道に費やす事となるでしょう。
長良川鉄道b79
こちらは終点二つ手前の美濃白鳥駅からのレーダーの射程です。
射程12で探知するのは長良川鉄道の駅のみです。
盲腸線である長良川鉄道を近隣の路線からレーダーでコンプする事は
このレーダー射程を見ても無理であることが分かります。
つまりこの路線を攻略したければ現地に行くしか無いという事になります。

関市以北は東海北陸自動車道と国道156号線が
ほぼ長良川鉄道と並走するように走っています。
車使用の場合はこのあたりの道路から駅を取る事は可能でしょうが、
こちらは私は検証をしていませんので
地図を見てのみの意見となります。


山間の走る路線なので電波状況を心配したのですが、
予想に反して長良川鉄道は全線の電波状況が良好でした。
そして乗るしか攻略方法が無いのなら、乗るしか無いと思いませんか?

では。

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