2017年11月

下津井電鉄00
さて、お次は下津井電鉄についてです。

この鉄道は、日本の鉄道の多くが1067mmの狭軌であるのに対して
軌間762mmのナローゲージ(特殊狭軌)で走っていた鉄道です。


元々下津井は瀬戸内海の要港であり、海運や軍事の重要拠点として発展してきました。
また漁港としても「下津井直送」がブランドになるほどであり、
そして本州と四国の往来は岡山側の下津井と四国の丸亀を結ぶ航路が中心でした。

しかし1910年(明治43年)に国鉄宇野線の全通と宇高連絡線の開設によって
本四間の人と物流は宇野━高松ルートへとシフト
この事に危惧を覚えた下津井や丸亀の有力者が中心となり
四国渡航客を取り戻すために、下津井から国鉄線までの鉄道路線が計画されました。
これが下津井電鉄の起こりとなります。

早速1911年(明治44年)に鉄道の工事が着工されるも
鷲羽山付近の岩盤開削の難工事の影響もあって
1913年(大正2年)に下津井軽便鉄道として
茶屋町駅━味野町駅(児島駅)が先に開業しました。
そして1914年(大正3年)には味野町駅(児島駅)━下津井駅が開業。
茶屋町駅から下津井駅までの21kmが全通となりました。


しかし乗客は宇野線で岡山から宇野、そして宇高連絡線へと直通しているのに
わざわざ途中駅の茶屋町で下津井電鉄に乗り換えるはずもなく、
本来の目的であった本州四国連絡の利用者はほとんどいませんでした。

戦中戦後の燃料難を電化への転換で乗り切り、
鷲羽山近辺への観光客も増え始めたものの、
1972年(昭和47年)の山陽新幹線の岡山開通と、
それにあわせた道路網整備によって乗客数は一気に激減してしまいます。
皮肉な事に下津井周辺の岡山行きの乗客は下津井電鉄には乗らず、
時間も短く直通で便利な下津井電鉄バスへとシフトしたのです。
この結果、茶屋町駅━児島駅間の14.5kmは1972年(昭和47年)3月末で廃止となりました。

本来の電鉄敷設の目的であった下津井━丸亀航路への連絡の為、
児島駅━下津井駅間の6.5kmは存続。
徹底的な合理化や観光路線への転換を目指すなどして経営をスリム化した結果、
収益のあるバス事業で鉄道の赤字を補填してなんとか路線は存続をしてきました。

しかし1988年(昭和63年)の瀬戸大橋開通によって
四国への乗客は完全に瀬戸大橋線へとシフト。
バス事業の乗客も激減して鉄道の赤字を補填できなくなり、
1990年(平成2年)末で鉄道は全線が廃止となりました。



下津井電鉄01
こちらはJR宇野線の茶屋町駅です。
1910年(明治43年)に国鉄宇野線の駅として開業しました。
下津井電鉄02
宇野線(宇野みなと線)と本四備讃線(瀬戸大橋線)の分岐しているこの駅は
1988年(昭和63年)の瀬戸大橋開通に伴って高架されています。
下津井電鉄03
こちらは現在のJR茶屋町駅の西口駅前ロータリーです。
高架化事業によって区画整理と整備が行われて
下津井電鉄の遺構は残っていませんが、
現在はバスが発着しているこの広場がかつてのホーム跡の北端付近となります。
下津井電鉄04
その駅前広場を南へと進むと、
備品倉庫らしき建物があり、その奥には
西口広場よりもひとまわり小さい広場があります。
下津井電鉄05
営業当時の写真や、JRの高架化事業の工事時の写真などから見比べても
この広場が下津井電鉄の茶屋町駅の跡地でほぼ間違いありません。
駅舎風の屋根が設けられているのもおそらくは駅跡地を意識して整備されたものなのでしょう。
下津井電鉄としての茶屋町駅
1913年(大正2年)に開業しています。

駅メモでは茶屋町駅はJR宇野線の現役駅として登録されており、
下津井電鉄の茶屋町駅とは同一駅となっています。

下津井電鉄06
駅跡地のすぐ南に建つ茶屋町郵便局。
下津井電鉄07
郵便局の南隣の線路跡はコインパーキングとなっていました。
下津井電鉄08
道を挟んだ向かい側には丸屋根の駐輪場がありますが、
この長細い駐輪場が下津井電鉄の線路跡となります。
下津井電鉄09
駐輪場の先を更に南に線路跡を進みます。
線路は右の車道では無く、左の歩道付近だったようです。
下津井電鉄10
そしてその先にはご覧のサイクリングロードの入口があります。
これは倉敷市が下津井電鉄の線路跡地を整備したものです。


下津井電鉄11
遊歩道を2kmほど進んだところにある、
こちらが天城駅の跡地となります。
1913年(大正2年)の路線開業時に設けられた駅で、
見ての通り花壇かと思ったここがプラットフォームの跡地です。
下津井電鉄12
反対方向からみた駅付近。
かつては民家の敷地に廃駅舎がそのまま残っていたそうですが
近年解体されてしまったそうです。
下津井電鉄13
ホーム付近から南の児島方面をみた光景。
下津井電鉄71
こちらが天城駅の座標の地図ですが、
現実の駅跡に駅メモの座標もピンポイントで設定されています。
この駅に関しては座標のズレはありません。


下津井電鉄16
天城駅を出て南へと進むと倉敷川に差し掛かります。
川に架かる塩干橋はかつては鉄道橋でしたが
現在は遊歩道用に架け替えられています。
下津井電鉄17
橋に残る鉄道橋時代のものと思われる橋脚跡。


下津井電鉄15
天城駅からは川を隔てて500mほどの距離で次の駅が見えてきます。
こちらが藤戸駅の駅跡です。
ご覧の通り営業当時のプラットフォームが現存しています。
駅が開業したのは1950年(昭和25年)で、
下津井電鉄の駅としては比較的新しい駅でした。
下津井電鉄18
ホームの様子です。
下津井電鉄19
残っている営業当時の駅名標です。
下地の白い塗装もほぼ無くなっている状態で、写真では分かりませんが
肉眼で近寄って見るとうっすら微かに「ふじと」の文字が見えます。
下津井電鉄37
こちらは藤戸駅の座標を示す地図ですが、
実際の駅跡と駅メモの座標が30mほどずれています。
ゲームをやる上ではほぼ影響はありませんが、
実際に現地へと行く方はご注意下さい。



下津井電鉄26
駅跡を出て引き続き廃線跡のサイクリングロードを南下します。
下津井電鉄27
県道165号線と廃線跡が交差する地点。
下津井電鉄28
郷内川に架かっている串田西橋を渡ります。


下津井電鉄20
そしてまもなく林駅の跡地が見えてきます。
駅間はおよそ2kmほどです。
下津井電鉄23
線路跡の遊歩道に面して建っている犬渕公民館。
この公民館の南側がかつての林駅のあった駅跡となります。
下津井電鉄21
線路跡にそって駐車場として使われているスペースがありますが、
ここにかつての駅舎やロータリーがあったそうです。
駅は1913年(大正2年)の路線開業時に開設されており、
相対式2面2線で列車交換のできる駅だったそうです。
下津井電鉄22
こちらがかつての駅へと通じる駅前の通りです。
下津井電鉄25
駅跡から切り返すとご覧の光景です。
突き当たりの左すぐには県道165号線の犬渕交差点があります。

いろいろなサイトなどを見ると、みなさん林駅のあった場所については
遺構が無いので確信が持てていない様子です。
ですが私が確認したところ、ここが間違い無く駅前の道と広場だったそうです。
下津井電鉄24
写真の軽トラの停まっている駅前の建物は作業場になっていました。
そしてこのあたりで、頭にタオルを巻いたガタイのいいガテン系の男がうろうろしていたので
不審に思われたのか、男はここのつなぎを着た方に「何か下見ですか?」と声掛けをされました。
恐らくは車上荒らしの類だと思われたのでしょう。

男は言いました。「昔ここに駅があったと聞いて写真撮りに来ただけッス」と。
そして言われました。「ああ、ここです。このあたりがロータリーです」と。

という訳でここが林駅の跡地だと地元の方の確認が取れました(笑)
下津井電鉄36
こちらは林駅の座標を示した地図です。
赤が実際の林駅の跡地の位置ですが、
青が駅メモで設定されている林駅の座標となります。
実際の駅は県道21号の北側にあったのですが、
駅メモではなぜか県道の南側に座標が置かれています。
距離にしておよそ600mのずれが生じてしまっているのです。
座標の付近にはそもそも下津井電鉄は走っおらず、
全く無関係の住宅地ですのでご注意下さい。



下津井電鉄29
林駅跡を過ぎて廃線跡のサイクリングロードを進むと、
まもなく道は県道21号線へと合流します。
下津井電鉄30
県道21号線と並走する遊歩道。
ご覧の場所は第一農協交差点付近ですが、
このあたりの県道から瀬戸中央自動車道の水島インターにかけてが
かつての下津井電鉄の走っていた場所となります。
サイクリングロードの区間は線路跡がそのまま道でしたが、
この付近は道路やインターとして再開発されてしまい
廃線跡の痕跡は全く残っていません

下津井電鉄31
県道と並走したサイクリングロードは
水島インターをかわす為に北側に弧を描いて迂回します。
そして再び県道と並走状態となり、
すぐに瀬戸中央自動車道と県道21号線の下をくぐって抜けます。
下津井電鉄32
県道をくぐるとサイクリングロードは
再び下津井電鉄の廃線跡を進みます。
下津井電鉄33
こちらは相引池の南東角にある相引池南交差点です。
信号もあるこの交差点のすぐ南側付近がかつての福田駅跡だったそうです。
駅は1913年(大正2年)の路線開業時に設置されました。
下津井電鉄35
こちらは福田駅の座標を示した地図です。
赤の四角が現実の下津井電鉄・福田駅の跡地です。
そして青の四角が駅メモでの福田駅の座標位置です。
ご覧の通りおよそ500mほど位置がずれてしまっています

レーダーなどで行かずに取る方には関係ありませんが、
実際に廃駅跡を見たい方は、駅メモの座標は全く違う場所なので注意が必要です。



下津井電鉄34
福田駅を出て南下すると、山の中腹を通過する為
等高線に沿う形で蛇行しながら山を越えていきます。
このあたりの勾配はおよそ20パーミルもあったそうです。
下津井電鉄38
瀬戸中央道の下をくぐる廃線跡のサイクリングロード。
下津井電鉄39
高速道路を潜り抜けると、池の手前をカーブしていき
県道21号線へと徐々に並走状態となります。
下津井電鉄40
県道21号線と並走状態となると、
ご覧の様に道路脇が公園となっている場所に差し掛かります。
県道の反対側には福林湖があり、下電バスの福南山バス停が設置されています。
湖のほとりには木華佐久耶比咩(このはなさくやひめ)神社もあり、
かつてはこの付近に下津井電鉄の福南山駅があったそうですが
現在はその痕跡を見ることはできません。
また駅メモ的には福南山駅は登録されていませんので関係ありません

下津井電鉄42
県道を並走するサイクリングロード。
下津井電鉄43
300mほどでサイクリングロードは県道と分かれて進みます。
下津井電鉄44
左手に見える大池のほとりを走る廃線跡。
下津井電鉄45
坂道を下りながら進みます。
下津井電鉄46
そしてご覧のピンク色のカフェの前で
県道276号線にサイクリングロードが突き当たります。
ここから下津井電鉄の廃線跡は県道に転用されてしまった様子で
東にむかって県道として進む事となります。
下津井電鉄47
稗田西交差点から稗田南交差点方向へ
400mほど県道を廃線跡として進むと
再びサイクリングロードへと分岐する地点となります。
下津井電鉄48
再度自転車専用道となる廃線跡。


下津井電鉄49
こちらが稗田駅の跡となります。
1913年(大正2年)の路線開業時に琴浦駅として開業し、
その後1920年(大正9年)に稗田駅と改称されました。

現在の駅跡地に営業時のプラットホームなどは残っていませんが、
ご覧の通り自転車道の傍らに模擬プラットホームと模擬駅名標が復元されています。
下津井電鉄52
駅名標の下には駅と下津井電鉄の由来が。
(クリックすると拡大します)
下津井電鉄50
ホームの反対側にある「稗田さくら公園」がかつての駅舎の跡地だそうです。
下津井電鉄51
公園から道路へと連絡するこの道はかつての駅舎への道なのでしょうか。
下津井電鉄41
こちらは稗田駅の座標についての地図です。
駅メモで登録されている稗田駅は、実際の駅跡地からは
北に600mほどずれた位置に設定
されています。
ゲームをする上ではさほど影響のあるズレでは無いのですが
実際に駅跡へと向かわれる方はご注意下さい。



下津井電鉄55
稗田駅を出てサイクリングロードを進みます。
廃線跡は次第に住宅地の中へと差し掛かります。
下津井電鉄56
1.4kmほど進んだところに次の柳田駅の跡があります。


下津井電鉄57
こちらが柳田駅の駅跡となります。
営業時の駅の構造物は残っていませんが、
駅跡にはプラットホームを模した花壇が設置されており
模擬駅名標も設けられています。
下津井電鉄58
こちらが柳田駅の座標の地図です。
実際に柳田駅のあった場所からは
駅メモで設定されている柳田駅の座標は西に500mほどずれています
下津井電鉄53
ちなみに駅メモ座標での柳田駅の場所の光景です。
私も最初は駅メモ座標を信用してここが駅跡だと思ってしましました。
実際には下津井電鉄の廃線跡からもかなり外れてしまった場所で
駅があったはずなど無い場所です。
なぜこんなに座標がずれて設定されているのかは分かりません。



下津井電鉄59
こちらはローソン倉敷小川七丁目店です。
中央を用水が走る市道に面したこのコンビニの裏手に
かつての下津井電鉄の児島小川駅がありました。
下津井電鉄60
コンビニのすぐ北にはご覧の歩道橋があります。
この歩道橋の南側一帯がかつての駅の敷地でした。
下津井電鉄61
歩道橋から南側を見た光景です。
横断歩道の向こう側が駅敷地となります。
下津井電鉄62
児島小川駅の跡地です。
中央の道に挟まれて木の生えている場所の向こう側あたりが
かつての駅舎の跡地のようです。
1913年(大正2年)の路線開業時に小田駅として開業し、
相対式ホーム2面2線の駅でした。
下津井電鉄63
そして駅舎跡地と細い道を挟んだ北西の向かい側、
コンビニ駐車場の北隣に隣接してあるのがこちらの「小川駅前集会場」です。
名前から分かる通り、かつての駅跡を示す貴重な存在です。
下津井電鉄64
そして駅跡の北の歩道橋の脇にある、市道沿いのご覧の民家には
非常に興味深い遺構が残っていました。
下津井電鉄65
それがこちらの橋脚です。
民家の庭に明らかに不必要な石柱が立っている光景がここにはありました。
小田川を渡る橋梁の橋脚の遺構だと思われます。
東京の京王御陵線の廃線跡には民家の庭に残る有名な橋脚がありますが、
まさか倉敷でもこんな光景が見られるとは。
下津井電鉄66
(上写真:民家の庭先に残る京王多磨御陵線の橋脚遺構)
下津井電鉄69
こちらは児島小川駅の座標についての地図です。
駅メモでの駅座標と実際の駅舎跡は50mほどずれていますが
これは誤差の範囲と言って良く、基本的には同じ場所だと考えて良いと思います。



下津井電鉄67
そして児島小川駅の駅跡からさらに廃線跡のサイクリングロードは南下しており、
カーブを描きながら小田川に突き当たるところで自転車専用道は終わっています。
下津井電鉄68
小田川の大正橋の北隣にはかつては下津井電鉄の橋梁があったのですが
現在はわずかに橋台の一部らしき跡が見られるのみです。
川の対岸の廃線跡は文化センターと公園として再開発されており
鉄道の痕跡は全く残っていません

そして文化センターの南側に、ご覧の児島駅があります。
下津井電鉄70
下電の児島駅は初代は小田川の大正橋の南詰付近にあり、
1972年(昭和47年)に路線の部分廃止に伴って
現在の児島図書館の前付近へと移転。
そして1987年(昭和62年)の市の区画整備事業によって
上の写真の駅舎となりました。
駅メモでの下津井電鉄・児島駅は1987年以降の場所に設定されています。


ここまでが下津井電鉄の1972年(昭和47年)の部分廃止区間となります。
廃線はまだまだ続きますが、とりあえず一旦ここまでで区切りたいと思います。



下津井電鉄72
こちらはau 4G LTEでの下津井電鉄の茶屋町駅━児島駅間の電波状況のマップです。
詳細を書く必要が無いほど全域が電波エリア内である事が分かります。

下津井電鉄73
こちらは茶屋町駅からレーダーを飛ばした範囲です。
下津井電鉄の廃駅には林駅までが届くことが分かります。
下津井電鉄74
そしてこちらは茶屋町駅から3駅南の
上の町駅からのレーダーの範囲図です。
茶屋町駅からは届かなかった福田駅━児島駅間が取れる事が分かると思います。

つまりJRの瀬戸大橋線からレーダーを飛ばせば
茶屋町━児島駅間の廃線区間は乗らないでも取れる
という事です。



それでは児島駅以南の1991年(平成3年)廃止区間については
その2として続きたいと思います。

では。

でんこの元ネタ
■No.58 妹尾まりか(Senoo Marika)

 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:4月27日

■出身駅: JR西日本宇野線(瀬戸大橋線) 妹尾駅(岡山)
まりか01

妹尾駅は1910年(明治43年)に国鉄宇野線の開通と同時に開業した駅です。

宇野線はかつては鉄道連絡線である宇高連絡船へとつながる、
本州と四国を連絡する為の重要な幹線交通路でした。

しかし1988年(昭和63年)に瀬戸大橋が開通すると宇高連絡線も廃止となり、
本州と四国の鉄道連絡は本四備讃線(瀬戸大橋線)へとシフト。
かつては全線が本四連絡幹線であった宇野線は
瀬戸大橋へと連絡をする本四備讃線のアプローチ線としての岡山駅━茶屋町駅間と、
地方ローカル線としての茶屋町駅━宇野駅に役割を分ける事となりました。

妹尾駅はこのうち、現在も幹線交通路の役割を果たす岡山駅━茶屋町駅にある駅です。
ですので駅の所属はJR西日本の宇野線となります。


妹尾駅のある区間では「瀬戸大橋線」の名称も使われていますが、
瀬戸大橋線は愛称であり、実際には宇野線(岡山━茶屋町)、本四備讃線(茶屋町━多度津)、
そして予讃線(多度津━高松)と3路線を跨いでいる路線です。

またこの妹尾駅の区間では「宇野みなと線」という名称も使われていますが、
こちらも2016年(平成28年)3月より宇野線の岡山駅━宇野駅間で使われている愛称となります。
まりか02
こちらは妹尾駅の北口駅前の光景です。
地方のローカル駅によくある、こじんまりとした駅前広場スペースがあります。
広場の西側には自転車と歩行者の潜れる地下道があり
南口へと線路を潜って往来ができます。
まりか04
駅舎を背にした駅前からの光景です。
北側は江戸時代からの古い集落であり、
現在でも住宅の集まったご覧の光景となっています。
駅正面の道は県道175号妹尾停車場線であり、
写真の突き当たりまでおよそ200mが県道となっています。
駅前の県道がこの状態なのでバスは駅前広場までは乗り入れていません
まりか03
北側から見た妹尾駅の駅舎です。
1991年(平成3年)にご覧の橋上駅舎へと建て替えられています。
まりか05
北口の西側線路沿いにはご覧の三角屋根のテントが並んでいます。
これは駅前に設けられた駐輪場の屋根です。

まりか06
そしてこちらは妹尾駅の南口の光景です。
こちらの駅前広場は広く整備されています。
初めてこの駅に来た人はこちらがメインの入口だと思うことでしょう。

これは干拓地で荒れ地の広がっていた駅南側が
「せのおニューシティ」として両備ホールディングスによる
住宅団地としての大規模宅地開発が行われた事によるもので、
橋上駅舎への建て替え費用もこの開発デベロッパーが全額負担したそうです。
まりか07
駅前広場に接する道はご覧の通りで、
二車線の道ではあるもののさほど広くはありません。

元々妹尾は児島湾に面する漁港だったそうで、
駅の南側の東畦地区一体はかつては湾の遠浅の干潟だったそうです。
江戸時代後半から徐々に干拓が行われていたものの、
宇野線開通時の明治末には線路は海岸線に沿って走っていたそうです。
駅以南の土地が大々的に干拓されたのは昭和に入ってからだそうで、
北口の住宅密集地とはうってかわり干拓地らしく平坦な光景が続いています。
まりか08
南口からの駅舎の外観です。

まりか09
こちらは橋上駅舎の跨線橋コンコースの中の様子です。
まりか10
コンコースにある改札口。
まりか12
こちらは跨線橋から見た東側の岡山方の光景。
まりか11
同じく跨線橋からの西側の宇野方の光景です。
この妹尾駅付近は駅の前後あたりから岡山方面へ数キロが複線区間となっています。
元々宇野線が単線の路線である為妹尾駅に交換設備が設けられていたのですが、
これを駅に停車しての列車交換ではなく、列車が走行しながらすれ違える様に
交換設備の線路有効長を数キロに渡って延伸
したという訳です。
ですので妹尾駅近辺の複線区間は数キロに渡って駅構内の扱いだそうです。
まりか13
こちらが1番線の上り線岡山方面のホームです。
駅の北側ホームが1番線となっています。
これは旧駅舎が北側にあったことによるものです。
まりか14
この1番ホームの東側に進むと、
かつての貨物ヤードであったと思われる引き上げ線が
ホームを切り欠いてあります。
まりか15
引き上げ線の全景です。

まりか16
跨線橋を渡って2番線へ。
まりか17
こちらが2番線ホームです。
児島・宇野方面行きの下り線となります。



■モデル車両: JR四国5000系電車マリンライナー
まりか18
【上写真・JR四国5000系電車】

マリンライナーはJR西日本とJR四国が
岡山駅━高松駅間で共同運行している快速列車です。
基本的にJR四国5000系(3両)とJR西日本223系5000番台(2両)の
計5両による編成で運行されています。

このうち、駅メモのでんこ「妹尾まりか」の
デザインモチーフとなっているのはJR四国5000系の方であり、
服の配色やパンタグラフの形状から5000系が元ネタであることが分かります。


元々岡山と四国の高松を連絡していたのは
JR宇野線と、宇野━高松間を運行する宇高連絡線でした。
そして1988年(昭和63年)4月に瀬戸大橋の開通によって
茶屋町━宇多津間の本四備讃線が開業したことによって
宇高連絡線ルートの代替としてデビューをしたのがこの快速マリンライナーです。

まりか19
こちらは現在宇野線を走っているJR西日本213系0番台です。
この電車は1987年(昭和62年)に瀬戸大橋線用車両の先行投入として
宇野線宇高航路連絡快速「備讃ライナー」に投入され、、
1988年(昭和63年)より瀬戸大橋線で快速マリンライナーとして
運行を開始した車両です。


そして213系は15年にわたって瀬戸大橋線でマリンライナーとして活躍をしてきました。
このマリンライナーで使用していた213系は3両編成13編成39両でしたが、
全ての車両がJR西日本の所有車両であり、共同運航のJR四国は走行実績に準じて
JR西日本に年間数億円の車両使用量を支払っていました


瀬戸大橋線はJR西日本にとっては広い管内の在来線の一つでしかありません。
しかし経営の厳しいJR四国にとっては瀬戸大橋線は旅客の見込める「最重要路線」でした。

瀬戸大橋線に関しては岡山と四国の温度差から複線化が進まないという背景もありました。
ですから「車両は鉄道会社の看板商品」と考えていたJR四国にとって、
「ほっていたら、(マリンライナーは)二十年先も同じ車両のままかもしれない。」
という危惧を持つには十分な状況だったのです。

こうしてJR四国側が「導入経費を全て(四国が)持つ」という姿勢で
交渉を行った結果、2003年(平成15年)10月に新型マリンライナーが投入されたのです。


マリンライナーをモチーフとするでんこ「妹尾まりか」の誕生日は4月10日に設定されています。
これは快速マリンライナーの営業運転開始日である1988年(昭和63年)4月10日が元ネタです。
しかしこの時にまりかのモチーフのJR四国5000系はまだ誕生しておらず、
走っていたのは上で述べたJR西日本213系0番台でした。

まりかのモチーフのJR四国5000系のデビューは2003年(平成15年)10月1日ですので、
誕生日は車両ではなく「マリンライナー」として設定されたという事でしょう。

まりか20
こちらがJR四国5000系の5100形の外観です。
マリンライナーの児島方(四国側)の先頭車両となる電車です。
編成略記号で表わすとTswcとなり、
S(グリーン車)、W(トイレ)、C(運転台)のある動力の無い付随車(T)となります。
まりか22
一番の特徴はダブルデッカー(二階建て車)であることですが、
ご覧の通り車体の横のラインは赤基調と青基調の2系統があります。
余談ですが「妹尾まりか」の服のデザインには赤が使われていませんので
モチーフは青基調の方の車体だと推測
ができます。
まりか21
そして車体の後端部には、岡山の桃太郎に因んだロゴマークが描かれています。
種類は犬、猿、キジの3種類があります。
JR四国の5000系は6編成ありますので、この先頭車両の5100形も6両あります。
サイドラインの赤、青、ロゴの犬、猿、キジで2×3=6となり、
ちょうど6両それぞれが違うデザインで区別できるという訳です。
まりか23
こちらは車両の先端部にある乗降口です。
まりか24
中に入ると運転台(編成略記号はControlのC)があり、
その後ろには前面展望の楽しめる「パノラマシート」が4席設置されています。
グリーン席扱いの席なのですが、乗降デッキとの間に仕切り扉が無く吹き抜けの為か、
パノラマシートには座席後部に毛布が常備されています。
まりか25
階段を降りたダブルデッカーの1階の客席の様子です。
普通車指定席となっています。
まりか26
1階席の客室後方の階段を上がると、車両後方(岡山方)のデッキとなり、
車椅子対応座席が2席と多機能トイレ、そして男性用トイレがあります。
まりか29
車椅子対応座席のあるデッキを車両外から見た光景です。
まりか27
そしてこちらが2階のグリーン席の様子です。
1階の普通席には無いシート背面のテーブルがあり
リクライニングの深さも普通席よりも深いなど
細い差別化がされています。
まりか28
グリーン席後方(岡山方)にある荷物置き場。


まりか31
こちらの車両はマリンライナーでは無い、
JR西日本の神戸線などで新快速として走っている223系2000番台の車両です。
ダブルデッカーの車両以外のマリンライナーの開発ベースとなっている列車ですので
この車両を参考として以下をご覧ください。

まりか30
児島方(四国側)2両目となる5200形です。
完全な中間付随車(編成略記号T)であり、動力などは搭載されていません。
形状としては窓の形が若干違う(223系にはある換気用の内開き窓が廃止)以外は
ほぼ223系2000番台と同じ仕様です。
まりか32
車内の様子です。
223系2000番台と全く同じタイプの転換クロスシートとなっています。

まりか33
児島方(四国側)3両目の5000形です。
運転台とモーターを搭載している制御電動車(編成略記号Mc)となります。
まりか34
屋根の上にはご覧のパンタグラフがあります。
JR四国5000系でパンタグラフのあるのはこの5000形のみで、
駅メモの「妹尾まりか」の背中のパンタグラフのモチーフはこれです。
まりか35
車内はご覧の通りです。
基本的に座席の仕様は223系2000番台と同様です。
運転台部分が幌で常時貫通しており
乗客が隣の車両へと行き来が可能となっています。
まりか36
こちらは連結している5000形の先端の様子です。


さて、このマリンライナーは基本的にはJR四国とJR西日本の共同運行の列車です。
JR四国の3両に、JR西日本の2両を連結した5両が通常編成となっています。
まりか37
こちらがマリンライナーの岡山方の先頭車両である
JR西日本223系5000番台のクモハ223です。
名前の通りク(運転台のある制御車)、モ(モーター)、ハ(普通車)の車両です。
マリンライナーでは7編成が走っており、5000番台ということで
クモハ223-5001~5007までの7両があります。

JR四国側のマリンライナーと同じく223系2000番台をベースとしており、
排障器(スカート)の形状が違うといった程度の差異しか
JR四国5000形や5200形とは無いので
ほぼ同じ車両と言って差し支え無い
のではないでしょうか。
まりか38
こちらが車内の様子です。
223系2000番台そのままといった内装です。

まりか39
そして岡山方の2両目であるクハ222です。
名前の通り運転台のある普通車ですがモーターはありません。
まりか40
こちらが車内の様子です。
この車両も223系2000番台と同様の内装仕様となっています。
まりか41
車両の岡山方には車椅子対応のトイレが。
まりか42
反対の児島方(四国側)はご覧の通り運転席があり、
中央の貫通扉で隣の車両と行き来ができる様になっています。


以上が「妹尾まりか」のモチーフとなったマリンライナーの紹介となります。
そしてこのでんこのデザインには、本体の他に
左手に持つアタッシュケースについても
その元ネタとなった列車が存在
しています。
まりか43
こちらがそのアタッシュケースの元ネタである
ジョイフルトレイン「La Malle de Bois(ラ・マル・ド・ボァ)」です。
名前の「La Malle de Bois」はフランス語で「旅の道具箱(トランク)」の意味となります。
ですから「妹尾まりか」はかばんを手に持っているという訳です。

この列車はJR西日本岡山支社が「おかやまデスティネーションキャンペーン」と、
同時期に予定されている「瀬戸内国際芸術祭2016」などに合わせて
導入をした観光列車です。
2016年(平成28年)4月9日に岡山駅━宇野駅間で「ラ・マルせとうち」として運転開始し、
岡山駅━尾道駅間の「ラ・マル しまなみ」、岡山駅━琴平駅間の「ラ・マル ことひら」と併せて
7月以降の毎週に定期運行をしています。
まりか44
岡山駅では5番線がこのラ・マルド・ボアの発着ホームなのですが、
構内には5番線への案内表示がご覧の様にほうぼうに設置されています。
まりか45
ホームの電光掲示板にもラ・マルせとうちの文字が。
まりか46
こちらが岡山駅5番線ホームです。
まりか49
ホームのゴミ箱もラ・マルド・ボア仕様に。
まりか47
ホームにあるラ・マルド・ボア利用者用の自転車組み立て場です。
横には宇高連絡船が出港するときに鳴らされたという八点鐘が。
まりか48
本来は船で時刻を知らせるシップベル(船鈴)ですが、
ここでは発車ベルとして使われています。
まりか50
そしてこちらが「La Malle de Bois(ラ・マル・ド・ボァ)」列車です。
上はクモロ213-7004
ク(運転台のある制御車)、モ(モーター)、ロ(グリーン車)となります。
岡山方に連結されている車両で2号車となり、
元はマリンライナー開業時走っていたクモハ213-4が種車です。
まりか52
こちらは宇野駅で並ぶ、初代マリンライナーの213系とラ・マルド・ボアです。
こうして並べてみると元は同じ種類の車両であることが良く分かります
まりか62
車内の宇野方(四国側)端部にはご覧のサービスコーナーがあり、
ドリンク類やスイーツ、オリジナルグッズなどが購入できます。
まりか64
サービスコーナーの先は通常の座席スペースで、
2列シートとカウンター席があります。
この列車の座席は全席グリーン指定席となります。
まりか63
そしてこの列車には「旅の道具の旅シリーズ」と題された現代アートが4点展示されています。
こちらの作品は水筒、パンを焼く型、弁当箱、
カトラリ(食卓用のナイフ、フォーク、スプーンなどの総称)とケースの載った
「旅の弁当号」です。
まりか65
蛇腹カメラ、レンズケース、三脚、真空管、フィルムの載った「旅の写真号」。

まりか51
こちらはクロ212-7004
二両編成のラ・マルド・ボアのモーターの無い方の車両です。
番号としてはこちらが1号車であり、
元マリンライナーのクハ212-4が元車両となります。
まりか59
運転席の後ろはサイクルスペースとなっており
指定席券を持つ乗客は無料で利用できます(要予約)。
まりか53
こちらが車内の様子。
まりか54
ご覧のの2列シートとカウンター席となっています。
まりか55
カウンター脇の荷物スペースもご覧のデザインに。
まりか56
そしてカウンターの上には、
アーティストの作品集や島の情報を得られる書籍の収められた書棚があります。
まりか57
こちらのカウンターには
宇高連絡船をモチーフとしたというオリジナルのトランク型絵本の
「連絡船の物語」と題されたアートがあります。
まりか58
そのカウンターの向かいには車椅子対応のトイレが。
まりか60
この車両にも現代アートの展示がされており、
m 運転席後方のこちらは測量器、方位磁針、地球儀の載った「旅の計画号」。
まりか61
こちらは車両後方側のランタンとトランク3つが載った「旅の鞄号」です。

まりか66
またこのラ・マルド・ボアは車内にコンダクターが乗務していて
乗客へのサービスを行っています。
まりか67
この観光列車の為に途中の駅もご覧の様に
現代アート風に塗装が為されていました。
まりか68
かつての宇高連絡線への連絡口の宇野駅も
ご覧のラ・マルド・ボア仕様に。

【写真撮影:2017年10月】

でんこの元ネタ
■No.59: 嵯峨野もみじ(Sagano Momiji)

 ■タイプ:アタッカー
 ■誕生日:4月27日

■出身駅: 嵯峨野観光鉄道嵯峨野観光線(駅としての指定は無し)
もみじ01

嵯峨野観光鉄道はJR西日本が100%出資している子会社です。

明治時代に開通した山陰本線の線路を電化複線化する為、
1989年(平成元年)に嵯峨駅(現在の嵯峨嵐山駅)━馬堀駅間で
旧線から新線へと路線の付け替えが行われました。

この時に旧線は一旦廃線となるも、京都府の要請などにより
「観光鉄道として再利用する」として設立したのが嵯峨野観光鉄道でした。

1991年(平成3年)4月に嵯峨野観光線として
トロッコ嵯峨駅━トロッコ亀岡駅間の7.3kmが開業したものの、
当初の予測では先行きは厳しいものでした。

しかしJR西日本から出向した社長以下の奮闘により、
嵯峨野観光鉄道は初年度から予想を大きく上回る利益を計上し、
京都嵐山の観光の目玉スポットとされるまでに成長しました。


この嵯峨野観光鉄道の「嵯峨野」が、
駅メモのでんこである「嵯峨野もみじ」の苗字の由来
だと言われています。
ほとんどのでんこが実在駅を苗字の由来としている中で
路線名が由来となるこちらのケースはレアケースと言えるでしょう。

路線については以下の記事で紹介していますので
そちらをご参照ください。

参考
「【攻略】嵯峨野観光鉄道」
http://stationmemories.blog.jp/archives/26650542.html




■モデル車両: 嵯峨野観光鉄道DE10形ディーゼル機関車1104号機
もみじ02
【上写真・嵯峨野観光鉄道DE10形ディーゼル機関車】
もみじ03
【上写真・嵯峨野観光鉄道SK200形】


もみじ04
DE10形は国鉄が開発した中型ディーゼル機関車です。
上の写真は「国鉄色」と呼ばれるDE10の基本とも言える塗装の車両となります。

旅客列車や貨物列車の牽引と、スイッチャーと呼ばれる
ヤードなどでの列車の入れ替えを目的として開発された機関車であり、
電化、非電化区間に関わらず日本各地で活躍を続ける機関車です。

1966年(昭和41年)から1978年(昭和53年)まで700両余りが生産され、
その形式名から「デーテン」と呼ばれ親しまれています。


もみじ06
そしてこちらがDE10形1104号機です。
嵯峨野観光鉄道が所有している唯一の機関車となります。

国鉄の開発したDE10形機関車の1104号機は
1971年(昭和46年)6月25日に落成し、
京都の福知山機関区に配置されました。
その後機関区が運転所となり、国鉄からJR西日本へと会社が変わっても
この1104号機は一貫して福知山運転所の所属機関車として現役を過ごしました。

そして1991年(平成3年)1月31日に廃車となって
JR西日本から嵯峨野観光鉄道へと転籍。
車体が現在の専用塗色に塗り替えられ、
4月27日の嵯峨野観光鉄道の営業開始より専用車として
トロッコ列車を牽引して現在に至っています。

この列車をモデルとする駅メモのでんこ「嵯峨野もみじ」は
誕生日が4月27日と設定されています。
これは嵯峨野観光鉄道の開業日が由来と見て間違い無いでしょう。


嵯峨野観光鉄道ではトロッコ列車と呼ばれる「嵯峨野号」は1編成のみであり、
基本的にDE10形1104号が唯一の機関車として編成を牽引しています。
そして機関車は東側のトロッコ嵯峨駅方に連結されています。
これは嵯峨野観光線のトロッコ嵯峨駅━トロッコ嵐山駅間が
JR山陰本線の下り線使用している事が理由です。

その路線の形式から、トロッコ嵐山駅からトロッコ嵯峨駅へと向かう列車は
JR山陰本線の下り線を逆走する事となります。
その為、万が一にJRの列車とトロッコ列車が正面衝突をした時に
機関車がクッションの役目を果たし客車を守る為、
トロッコ嵯峨駅方へと機関車が連結されている
のです。

もみじ05
こちらは京都鉄道博物館に留置されているDE10形1156号機です。
1972年(昭和47年)に製造されて姫路第一機関区配置され、
梅小路運転区に1992年(平成4年)に転属、現在に至っています。
もみじ08
こちらが梅小路運転区の写真ですが、
ご覧の通り京都鉄道博物館の敷地内に運転区が併設されています。
この運転区には数多くのSLが在籍しており、
DE10形1156号機は運転区内でスイッチャー(列車の入れ替え)を担当しています。

この1156号機はJR西日本所属の機関車ですが、
車体のカラーリングが嵯峨野観光鉄道の1104号機と同じ色に塗られています。
これは、この1156号機が嵯峨野観光鉄道の予備機となっているからで、
1104号機の整備や検査などの時には嵯峨野観光線を代走で走っています。

もみじ07
そしてこちらが編成の西側、トロッコ亀山駅方に連結されている
嵯峨野観光鉄道のSK200形です。

この車両自体に動力は無く基本的には客車なのですが、
先頭車両として運転台が設けられています。
この運転台から機関車を遠隔制御する事で
推進運転(後方から列車を押して走る事)を行います。
日本の法令では鉄道は進行方向最前部の車両の前頭で操縦する事が義務だそうですので
その為にこのSK200形が運転台のある制御車となっているという事です。
もみじ10
こちらが車内の様子です。
木製の椅子の客車である事が分かります。

駅メモのでんこ「嵯峨野もみじ」のデザインでは
ブレスレットがこちらのSK200形のフロントガラスの形をしていますので
キャラクターのデザインモチーフの一部である事が分かります。

もみじ09
こちらは機関車の真後ろに連結されるSK300形です。
機関車を入れるとトロッコ嵯峨駅方の2両目となり、
客車としては5号車の番号が振られています。

トロッコ列車の他の車両は密閉式の通常の車両なのですが、
この5号車の壁と床は格子となっており風雨が素通しとなります。
これは嵯峨野観光鉄道の初代社長の
「美しい自然・環境を身体全体で感じ
四季の移り変わりを実感できる最もリッチな車両」

というコンセプトによるもので、
この車両は「ザ・リッチ」と名づけられています。
1998年(平成10年)に嵯峨野観光鉄道に増備された車両となります。

この車両は当然ながら、風雨の強い日など悪天候時には乗車ができません。
ですから嵯峨野観光鉄道の他の客車は事前に座席予約ができますが、
当日の天候コンディションの見極めの必要な「ザ・リッチ」のみは
座席は当日券しかありません
乗車手配の際にはご注意ください。



ところで嵯峨野観光鉄道の客車についてですが、
5両全ての車両が「トキ25000形無蓋車」という貨車を転用改造したものとなっています。
もみじ14 もみじ15
【上画像:トキ25000形無蓋車
 貨車画像:伊勢崎軌道様 http://www.sea.sannet.ne.jp/isesakikidou/index.html


全国にいくつかの路線でトロッコ列車が運行されていますが、
ほとんどと言っても良いくらい、どのトロッコ列車もこの貨車を種車として
乗客の乗れる客車へと改造が施されたものです。
そして嵯峨野観光鉄道の客車もその例に漏れず、
SK200形はトキ27541、SK300形はトキ25833(いずれも車番)が元の貨車となっています。

トキ25000形無蓋車は1966年(昭和41年)より新しく設計された
36トンの貨物を積める貨車であり、
昭和41年(1966年)から昭和50年(1975年)までの間に
何度かの改良が施されながら4500両余が作られました。

石炭輸送や材木、砂利、土砂、機械などの物資輸送で活躍をしたトキ25000形ですが、
貨物ヤード経由の輸送廃止や貨物のコンテナ化などによって
現在ではそのほとんどが役目を終えて廃車となっているそうです。



そして以下は嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車の、
編成の中間に連結されるSK100形の客車です。
もみじ11
こちらが4号車となるSK100-1
トロッコ亀山駅方(西側)の二両目となります。
もみじ12
編成のちょうど真ん中となる3号車のSK100-11
もみじ13
そして2号車のSK100-2です。
それぞれがガラス窓のついた密閉式の客車となっており、
赤がベースの車体には黄色と黒の模様が描かれています。
「嵯峨野もみじ」のキャラクターを見れば
これらの客車のデザインがモチーフとなっているのは容易に分かると思います。
もみじ16
車内の様子です。
座席は木製のものがボックス状に配置されています。
元がトキ25000形の貨車(トキ28370、トキ28266、トキ28360)なので
車両の足回りも貨車の板バネで少々固い感じはします。
ですがこれはトロッコ列車という観光列車ですから
居住性よりもイベントとしての楽しさの方が重要だと思います。
ですから乗り心地は問題無いでしょう。
もみじ17
京都市外からも近く、ごらんの保津峡の景勝を楽しめるこの鉄道は
一度は乗って損の無い鉄道だと思います。

山陰本線でアクセスやレーダーでのコンプができますけど、
乗った方が楽しいですよ。

では。
【写真撮影:2017年10月】

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