2017年12月

でんこの元ネタ
■No.29 作草部チコ(Sakusabe Chiko)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:3月28日

■No.62 作草部マコ(Sakusabe Mako)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:7月8日

■出身駅: 千葉都市モノレール2号線 作草部駅(千葉)
チコ_マコ01
千葉都市モノレールは千葉市や千葉県などの出資による
第三セクター方式で1979年(昭和54年)に設立された鉄道事業者です。
筆頭株主の千葉市が92.97%(2016年3月現在)の株式を保有している
地方自治法に基づく千葉市の外郭団体であり、
千葉市議会へ毎年経営状況の報告を行っている会社ですので
実質的には千葉市の公営と言って過言では無い鉄道です。

鉄道はサフェージュ式と呼ばれる懸垂式モノレールであり、
1988年(昭和63年)3月28日に2号線がスポーツセンター駅━千城台駅間で開業しました。

サフェージュ (SAFEGE) 式 1957年(昭和32年)にフランスで開発された懸垂型のモノレールの形式。
サフェージュ式という名前は、開発に集まったフランス国内の25の企業連合を表わすフランス語
「 Societe Anonyme Francaise d'Etude de Gestion et d'Entreprises」(フランス経営経済研究株式会社)の頭字語。
車両上部のレール内に車輪がおさまっていて車体をぶら下げる形式で、
車輪がレール設備に覆われるため雨雪に強く急勾配に対応できるという長所がある。

日本では1966年(昭和41年)に三菱重工が半ば実験線の意味合いを兼ねて
湘南モノレールを開業したのがサフェージュ式の先駆けであり、
1988年(昭和63年)に開業した千葉都市モノレールの車両は
湘南モノレールの車両をベースに同じ三菱重工で製作されたものである。

この千葉都市モノレールをモチーフとしている
駅メモのでんこ「作草部チコ」の誕生日は3月28日に設定されていますが、
これはこの千葉都市モノレールの開業日が由来
となっています。


チコ_マコ02
こちらが作草部駅の外観となります。
ご覧の通り国道126号線の真上にある高架駅となっています。
千葉都市モノレールの開業は1988年(昭和63年)ですが、
スポーツセンター駅━千葉駅間の開通は1991年(平成3年)6月12日 となっており
作草部駅もこの6月12日が開業日
となっています。
チコ_マコ03
北側の都賀方から見た駅付近の国道の様子です。
チコ_マコ04
北から見た駅の外観。
チコ_マコ05
駅舎の外壁はライトイエローとライトピンクとなっています。
チコ_マコ06
国道西側の駅入口の階段。
チコ_マコ07
作草部駅前交差点から見た駅です。
チコ_マコ09
交差点から東へは作草部坂通りとなっています。
チコ_マコ08
こちらは東側の駅入口への階段です。
チコ_マコ10
階段を上がり高架上にある改札付近のコンコースの様子。
チコ_マコ12
千葉都市モノレール2号線は全線が複線となっており、
駅のホームは相対式2面2線となっています。
チコ_マコ11
こちらが都賀・千城台方面行き下り線の1番ホームとなります。
チコ_マコ13
千葉方面の上り2番線ホームです。
チコ_マコ14
駅の端から見下ろした北の都賀方面。
チコ_マコ15
南の千葉方面を見下ろした光景です。

以上が駅メモのでんこ「作草部チコ」と「作草部マコ」の苗字の由来駅である
千葉都市モノレール2号線の作草部駅の概要となります。



そして話は変わりますが、かつて鉄道では
鉄道施設間の連絡には電信を用いた電報が使われていました

施設ごとに電信技手がいてモールス信号によって連絡を取り合っていた訳ですが、
現在ではFAXや電子メールが使われており電信は廃止されています。

電信の時代には、カタカナでしか送信できないという特性を補う為に
鉄道用語のを省略する「電報略号」というものがありました。
その為、一つ一つの駅(信号場や貨物駅も含む)の名称について
カタカナ二文字の略号が「電報略号」として定められ、
実際に通信連絡で使われていました。

電信が無くなり通信用にFAXやメールの用いられる現在でも
駅の電報略号は定められており、近年新しく開業した駅にも略号があります。

なぜ電報略号の話をしたのかというと、
千葉モノレール2号線の千葉公園駅の電報略号は「チコ」であり、
駅メモの「作草部チコ」の名前の由来とされている
からです。
チコ_マコ16
こちらが千葉公園駅の外観です。
作草部駅と同じく1991年(平成3年)が開業日となっています。
チコ_マコ17
駅は名前の通り千葉公園駅の一角に設けられています。
チコ_マコ18
公園内からみた駅とモノレール。
チコ_マコ19
駅舎は高架駅で、国道126号線が千葉公園前交差点で
ちょうどカーブを描いた場所に設置されており、
この駅以南は国道から外れて軌道が敷かれています。
チコ_マコ20
国道側から見た駅舎の外観です。
チコ_マコ23
高架上の改札前のコンコース。
チコ_マコ21
ホームは相対式2面2線となっています。
こちらは下り都賀・千城台方面の1番線。
チコ_マコ22
千葉方面の上り2番線ホームの様子です。
チコ_マコ24
駅を出るモノレール。



■モデル車両(チコ): 千葉都市モノレール1000形電車
チコ_マコ25
千葉都市モノレール1000形は三菱重工業製のモノレール車両です。
サフェージュ式と呼ばれる懸垂式モノレールは
日本では千葉都市モノレールの他には湘南モノレールのみとなっています。

元々1970年(昭和45年)に湘南の地に敷設された湘南モノレールは
三菱重工業のモノレール設備機器の本格導入、拡販の為のテスト路線
の意味合いがありました。
その湘南モノレールで、千葉都市モノレール計画向けの低騒音試験車両として
1980年(昭和55年)に湘南モノレール400形が運行を開始していますが、
この車両が千葉都市モノレール1000形のベースとなっています。

チコ_マコ27
こちらは千葉都市モノレール1000形の第11編成(1021-1022)で、
1991年(平成3年)に製造導入された1000形の二次車となります。
チコ_マコ28
行先表示器が字幕式なのは二次車まで(三次車以降はLED表示)ですので
開業時に運行していた一次車に比較的近い形の車両と言えます。
ただ、一次車のボディはステンレスの地色だったのに対して
こちらの二次車は銀色の塗装が施されています。
チコ_マコ29
こちらは同じく1000形二次車第12編成1023の車内の様子です。
千葉都市モノレールは二両編成で先頭車同士を連結していますので
基本的には同じ形の車両となります。
シートはロングシートで、赤紫の花柄のモケットとなっています。
チコ_マコ30
連結部には扉が設けられていますが、
モノレールという特性上から扉には
「非常の場合以外はとおらないで下さい」
との但し書きがあって通る事ができません。
チコ_マコ31
そしてこちらは四次車となる1000形第18編成です。
駅メモとのコラボとして2017年(平成28年)12月2日より
「作草部チコ号」としてコラボヘッドマークが掲出
されています。
千葉都市モノレールの車両は基本的に
広告などでラッピングされているのがほとんどの為、
ヘッドマーク以外は元のカラーリングが見れる貴重な車両となっています。

ちなみに車体のラインには、
千葉都市モノレールのシンボルカラーであるコバルトブルー(   )と
スカイブルー(   )があしらわれています。


■モデル車両(マコ): 千葉都市モノレール0形電車
チコ_マコ26
千葉都市モノレール0形電車はサフェージュ式の懸垂式モノレール車両です。
1000形と同じく三菱重工業製の車両で
「アーバンフライヤー0形」(URBAN FLYER 0-type)の愛称持っています。

「空(そら)」をデザインコンセプトとしており、
先頭部を斜めにカットしたウェッジラインは先進性と空への上昇感、
車体色のブル-は「空」を都市イメージの象徴として表現した色となっています。

この車両デザインは2012年(平成24年)にグッドデザイン賞を受賞しています。
チコ_マコ32
車体に描かれているアーバンフライヤーのロゴマークは
千葉氏の家紋である「月星紋」をアレンジしたものです。
チコ_マコ34
また車体に入っている白いストライプは
飛行機雲をイメージしたものだそうです。
チコ_マコ35
こちらが車内の様子で、セパレート型のハイバックシートを全席に採用しています。
シートピッチ(幅)を広く取ることでホールド感を高めた座席であり、
加減速時の横揺れや前方への足の投げだしを抑制するシート形状となっています。
チコ_マコ36
扉の上のLED表示板。
チコ_マコ37
車端部と運転台の様子です。
チコ_マコ38
そしてこの車両の特徴の一つとしてあるのが
運転台の通路部分がご覧の様にガラス張りとなっていて
直下の光景が眺望できる
という点です。
チコ_マコ39
こちらは車内後方の連結部付近の光景です。
一般席とはカラーリングが逆のシートモケットの優先席があります。
この0系の座席には荷物棚が無いのですが、
優先席の上にのみ荷物棚が設けられています。
また、1000系では通れなかった連結部の扉が
こちらの0系では通行可能
となっています。
チコ_マコ40
そして車両の両端部には「ギネス世界記録」の表示が。
千葉都市モノレールは「懸垂式モノレール営業距離世界最長」で
ギネスブックに掲載されています。

チコ_マコ33
そしてこちらは0形第24編成「作草部マコ号」です。
千葉都市モノレールと駅メモのコラボとして
2017年(平成28年)12月1日から運行を開始したヘッドマーク掲出車両です。

チコ_マコ41
(上写真・「駅メモ!号」※写真をクリックすると拡大します)
チコ_マコ42
(上写真・反対側から見た「駅メモ!号」※写真をクリックすると拡大します)
そしてこちらが、千葉都市モノレールと駅メモのコラボによって
2017年(平成28年)12月7日から運行を開始したラッピング車両「駅メモ!号」です。
チコ_マコ43
ラッピング車両には0形第21編成を使用しています。
千葉都市モノレールは積極的にラッピング車両を走らせていますが
これまでのラッピング車両は全て1000形でした。
0形アーバンフライヤーをラッピングするのはこの「駅メモ!号」が初となります。
チコ_マコ44
こちらが001号車を先頭とした場合の車体右側。
チコ_マコ45
左側の車体のデザインとなります。
チコ_マコ46
左側の続き。
チコ_マコ47
そして千葉都モノレールの公認キャラクターとなったでんこである
作草部チコ、作草部マコの姉妹についてですが。
チコ_マコ48
この姉妹キャラだけは両車端に必ず描かれているのですが、
ご覧の通り目を閉じたヴァージョンと開いたヴァージョンが用意されています。


以上で千葉都市モノレールに関するでんこの元ネタの紹介となります。
では。
【写真撮影:2017年12月】

下津井電鉄a36
さて、廃線である下津井電鉄の続きです。

その1(茶屋町駅━児島駅間)の記事はこちら


先にその1でご紹介した区間は1972年(昭和47年)に廃止されています。
しかし今回ご紹介する児島駅━下津井駅間の区間は
1991年(平成3年)の全線廃止に至るまで更に20年近く営業を行っていました。



下津井電鉄81
こちらはJR児島駅から西へ800mほどの場所にある
文化センター交差点付近です。
この交差点の近くにかつての駅が現在も残っています。
下津井電鉄75
こちらが下津井電鉄の児島駅の駅舎跡です。
1987年(昭和62年)の倉敷市の再開発事業によって改築移転された駅舎が
廃線となった後も観光案内所などが入って残されています。
下津井電鉄77
下津井電鉄の廃線跡は倉敷市に譲渡されており、
児島駅以南は「風の道」としてサイクリングロードに整備されていて
この旧駅舎がその起点となっています。
下津井電鉄76
駅舎の入口から中に進むとご覧の通り
営業当時のモダンな作りが残されています。
下津井電鉄78
駅舎内の光景です。
屋内にプラットホームが設けられています。
下津井電鉄80
駅舎の二階部分はご覧の通りテラスとなっており
かなりおしゃれな駅だった事が分かります。
下津井電鉄79
ホームの様子です。
かつては頭端式2面1線の駅でした。
下津井電鉄82
そして児島駅のホームの先にはスロープが設けられており、
下電バスの児島営業所の脇を抜ける廃線跡へと降りられる様になっています。
下津井電鉄83
駅脇の下電バス児島営業所の様子です。



下津井電鉄84
児島駅の駅跡は日中しか開放されていない為、
廃線跡のサイクリングロードの起点にはご覧のゲートがあります。
下津井電鉄85
架線柱の残る廃線跡を進むとすぐにある
遊歩道の案内板です。
下津井電鉄86
廃線跡地を利用したサイクリングロードです。
架線柱が残されており廃線だと分かるようになっています。
児島以北の区間は40年以上前に廃線になった区間なので
普通の道路として整備されていましたが、
児島駅以南のこちらのサイクリングロードは
平成になってからの廃止区間なので
同じサイクリングロードでもコンセプトが感じ取れます。
ちなみに地面はアスファルトではなく、
コストの安い真砂土による土系舗装がされていました。
下津井電鉄87
そして児島駅から1.1kmで次の駅が見えてきます。


下津井電鉄88
こちらが備前赤崎駅の駅跡となります。
1914年(大正3年)に児島駅━下津井駅間の開業に伴って開設された駅です。
開業時は相対式ホーム2面2線の駅で、
廃駅となった現在でもその遺構が残っています。
駅名標は営業時のものはありませんが、
サイクリングロード用に模した看板が設置されています。
下津井電鉄89
ホーム南端のこちらは明らかに構内踏切の跡であり、
かつてはここにあった構内踏切でホームが連絡していたと思われます。
下津井電鉄90
そして東側のホームの上が、かつての駅舎のあった跡地となります。
下津井電鉄91
駅前の道から駅敷地への光景です。



下津井電鉄92
駅跡を背に南へと廃線跡を進みます。
下津井電鉄93
駅跡から200mほど進むと廃線跡は国道430号線へと差し掛かります。
下津井電鉄94
電車は国道を垂直に横切っていたのでしょうが、
廃線跡のサイクリングロードを進んできた自転車は
信号のある交差点まで大きく迂回する必要があります。
下津井電鉄95
国道を越えて進む廃線跡のサイクリングロード。
下津井電鉄96
廃線跡と道路が並走状態となる付近、
前の駅跡からは500m、国道からも300mほどの
呉服店の先あたりに次の廃駅跡が見えてきます。


下津井電鉄97
こちらが阿津駅の駅跡です。
児島駅━下津井駅間の開業は1914年(大正3年)ですが
この駅は1949年(昭和24年)に新設されて開業した駅となります。
単式ホーム1面1線の駅だった様子で駅舎は無かった様です。



下津井電鉄98
駅跡を出るとご覧の通りで
このあたりの区間は花が植えられるなどかなり手入れのされている区間となります。
下津井電鉄99
そして鷲羽山の麓を登り始めると、土系舗装だった廃線跡は
アスファルトの舗装へと変わって上り坂となります。
下津井電鉄a01
1988年(昭和63年)に開業したJR瀬戸大橋線(本四備讃線)の高架をくぐる廃線跡。
3年ほどは高架下を電車が走っていました。
下津井電鉄a02
瀬戸大橋線をくぐると瀬戸内海と瀬戸中央道に挟まれた場所を
廃線跡が進みます。
下津井電鉄a03
海の方をみると児島競艇場が眼下に見下ろせます。
下津井電鉄a05
この付近に次の廃駅跡があります。


下津井電鉄a04
琴海駅です。
1914年(大正3年)の路線の区間開業時に設置された駅です。
島式ホーム1面2線の駅だったそうで、当時のホームが現在でも残っています。
駅名標は廃線跡がサイクリングロードに整備された際に設置されました。
下津井電鉄a06
ホームからは瀬戸内海の児島の大畠漁港が見下ろせます。
漁港のすぐ北が児島競艇場です。
下津井電鉄a07
そして駅の北側の隣にはご覧の変電所の設備が。
「本四連絡橋公団 児島変電所」とありますが、
こちらは鉄道では無く瀬戸中央道の高速道路の変電所となります。
下津井電鉄a08
ホームの北側が広場のようになっていますが
駅舎はこちらではなく、ホームから線路を挟んだ海側に
ご覧のような位置関係であったそうです。



下津井電鉄a09
鷲羽山の等高線に沿うように山の中腹をクネクネと走る廃線跡。
下津井電鉄a10
そして瀬戸中央道の下を廃線跡が潜ります。
瀬戸大橋の開業が1988年(昭和63年)ですので
このトンネルも建設時には下津井電鉄が走っていました。
下津井電鉄a11
廃線跡の高架下。
下津井電鉄a12
高速道路の下を抜けると切り通しの先に
次の駅の駅跡が見えてきます。


下津井電鉄a13
こちらが鷲羽山駅の駅跡です。
1931年(昭和6年)に臨時駅として新設開業し、
すぐに正式な駅へと昇格した駅です。
単式ホーム1面1線の棒線駅だったそうで、
現在公衆トイレのある付近にかつての駅舎があったそうです。
下津井電鉄a14
駅跡の東端には鷲羽山の山頂へと至る道と、
県道へと下って連絡する坂があります。
下津井電鉄a15
そしてホームの西側へと進むと
西端にはご覧の展望台が設置されています。
下津井電鉄a16
展望台からは、鷲羽山の先に瀬戸大橋のうちの一つである
下津井瀬戸大橋が至近に一望できます。
路線の末期にはこの瀬戸大橋へのビューを売りに
観光路線への脱却を目指したほどの景色が見れます。



下津井電鉄a17
鷲羽山駅を出るとご覧のの下りを進み、
県道393号線(鷲羽山スカイライン)とX状に交わります。
下津井電鉄a18
県道と廃線跡の交点付近です。
下津井電鉄a19
県道脇の築堤下を進む廃線跡。
アスファルトだった舗装は再び土系舗装へと戻っています。
下津井電鉄a20
跨道橋の下を潜るとすぐに、
次の駅の駅跡となります。


下津井電鉄a21
東下津井駅の駅跡です。
1914年(大正3年)の路線開業時に開設された駅です。
駅跡は雑草が覆い茂る状態となっていました。
下津井電鉄a22
駅の南側のかつては踏切であったであろう道路。
廃線跡と並走するのは県道393号線(鷲羽山スカイライン)で、
その左の小高くなった上には下津井中学校があります。
下津井電鉄a23
その踏切跡の前にはハマダベーカリーがあります。
下津井電鉄の営業時からあったパン屋で
たまごパンを始め田舎とは思えないクオリティの知る人ぞ知るパン屋だったそうです。
ご覧の通り店は開いておらず、もしかすると現在はもう営業していないのかもしれません。
下津井電鉄a24
駅跡から東に一本はいった裏手の道路です。
かつてはこの先に木造の駅舎があったそうです。
下津井電鉄a29
駅舎のあった場所は当時の写真などを参考にすると
おおよそご覧のあたりだった様子です。



下津井電鉄a25
駅跡を出て県道を並走する廃線跡。
下津井電鉄a26
進むと道は序々に下がり始め切り通しを進みます。
下津井電鉄a27
獣道の様になっている廃線跡のサイクリングロード。
このあたりの左手は瀬戸大橋架橋記念公園となっています。
下津井電鉄a28
車道と交わる廃線跡。
この先廃線跡のサイクリングリードは大きく左手へとカーブを描きます。
下津井電鉄a30
下津井の集落の外周を抜ける廃線跡。
このあたりでは右手は山ろくの県道、左手には住宅地が広がっています。
下津井電鉄a31
そして県道21号線の跨線橋の下を潜ると次の駅が見えてきます。
下津井電鉄a32
獣道のようになったサイクリングロードの終端と
その先に現れる廃線跡のレールです。



下津井電鉄a33
下津井駅の廃駅跡です。
1914年(大正3年)の下津井軽便鉄道(後の下津井電鉄)の全通時に
終着駅として開業した駅で、
単式1面1線、島式1面2線の計3線のホームを持つ駅でした。
他の下津井電鉄の敷地が倉敷市に無償譲渡されたのに対して
こちらの下津井駅の駅跡は今も下津井電鉄の所有地だそうです。
下津井電鉄a34
ご覧の単式ホームの上に木造平屋の駅舎と事務所棟がありました。
廃線後もしばらくは駅舎は残されていましたが、
老朽化が進んだ為現在は取り壊されています。
下津井電鉄a35
そして島式ホームの駅舎から一番遠かった番線側は
フェンスで仕切られていたものの、
下津井電鉄で走っていた電車が留置保存されていました。
下津井電鉄a37
こちらはホーム南端にある構内踏切の跡です。
下津井電鉄a38
駅舎のあった単式ホームのフェンスにある掲示板。
こちらの電車の保存活動をしている「下津井みなと電車保存会」の
活動紹介が掲示されていました。
下津井電鉄a39
かつての駅前であった場所の様子です。
商店跡がありましたが、現在は営業している様子はありません。
下津井電鉄a40
商店と駅前の道を挟んだ反対側には
下津井電鉄の初代社長である白川友一氏の銅像が。
この下津井の選挙区で代議士となり「軽便鉄道助成法」に尽力した人物です。
下津井電鉄a41
駅前通りの様子です。
下津井電鉄a42
通りの目の前にはご覧の下津井港が。
本州と四国とを結ぶ「四国往来」のメインルートとして
下津井━丸亀間航路の本州側の拠点だった港
です。
この場所へと連絡をする為に下津井電鉄は作られました。



以上で下津井電鉄の廃線跡については全てとなります。
その2でご紹介した児島駅━下津井駅間は
1972年(昭和47年)の児島駅以北の廃止以降も営業を続け、
観光路線としての脱皮を試みるなどして悪戦苦闘をした区間です。
当時としてはめずらしいワンマン運転などで努力をしたものの
瀬戸大橋の開通によって1991年(平成3年)に廃止されています。


下津井電鉄a43
こちらは児島駅━下津井駅間のau 4G LTEでの電波エリアマップです。
下津井のある児島半島は全域が電波圏内ですので
廃線跡で電波に困る事は基本的に無いでしょう。
下津井電鉄a44
そしてこちらは児島駅以南の下津井電鉄付近のボロノイ図です。
児島半島を縦に貫いてJR瀬戸大橋線(本四備讃線)が走っており、
この瀬戸大橋線から下津井電鉄の阿津駅、琴海駅、鷲羽山駅の三つの廃駅が
直接チェックインで取れる
事が分かります。

鷲羽山駅付近に記した赤い太線は瀬戸大橋線のトンネル区間ですが、
琴海駅と鷲羽山駅を取るのに影響は少ないことは分かると思います。
下津井電鉄a45
そしてJR瀬戸大橋線の児島駅からのレーダー範囲を見てみると、
ご覧の通り児島駅(下津井電鉄)から下津井駅までの区間の全駅が
射程8で届く
ことが分かります。

つまり瀬戸大橋線の児島駅で児島駅(下津井電鉄)、備前赤崎駅、
東下津井駅、下津井駅の四つをレーダーで取り、
そこから瀬戸大橋を渡るまでの間で阿津駅、琴海駅、鷲羽山駅の三駅を直接チェックインすれば
児島駅━下津井駅間の廃線廃駅は全て揃うということです。


駅メモの他の廃線もそうですが、
この下津井電鉄も近くの現役路線からレーダーを使えば乗らずに取れてしまいます。
しかしこれも他の駅メモと廃線と同様なのですが、
廃線跡がサイクリングロードとして残されており
比較的駅や廃線の遺構が残っていて実際に見ることが可能です。

是非とも時間があれば廃線跡を巡ってみて下さい。

では。

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