2018年02月

でんこの元ネタ
■No.46 黒崎あたる(Kurosaki Ataru)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:4月20日

■出身駅: JR九州鹿児島本線 黒崎駅(福岡)
あたる01

あたる02
こちらは黒崎駅の駅舎の外観となります。
前回1984年(昭和59年)に改築された駅舎が老朽化した事によって
現在(2018年1月)7回目の駅舎改築工事を行っている最中です。
あたる03
こちらの駅南口には駅前広場を兼ねたペデストリアンデッキが設けられています。
あたる18
デッキの下を走っている国道3号線。
駅はご覧の通り国道に面して建っています。
あたる04
ペデストリアンデッキで連絡している東側にある井筒屋。
北九州市を拠点としている東証一部上場の百貨店です。
あたる05
反対の西側にはご覧のコムシティが建っています。
この施設は公共施設と商業施設が入った官民複合施設であり、
八幡西区役所、筑豊電鉄黒崎駅前駅、西鉄バスセンターなどが入居しています。
あたる12
コムシティの1階にある筑豊電鉄の黒崎駅前駅
ライトレールの規格の電車の電停となっています。
このフロアには西鉄バスセンターもありバスも発着しています。
あたる17
駅は鹿児島本線の南側にあり
南口が駅舎のメインの入口なのですが、
その脇にもうひとつ「黒崎駅」と書かれた入口があるのが見えます。
あたる16
こちらは駅北側への連絡通路であり、
ご覧の北口を出ると線路を跨ぐ連絡通路を渡って駅北側へと通行ができます。
あたる06
戻って黒崎駅の駅舎の中に入ると
突き当たりにコンビニがありその前に改札口があります。
あたる07
改札内に入ると目の前にはご覧の「黒崎神社」があります。
これは地元の八幡西区に本拠を置く安川電機が設置した
ロボットがボールを転すおみくじマシンです。
あたる09
駅舎は橋上駅舎なのでホームの連絡は跨線橋に。
あたる10
跨線橋から見た西側の小倉方面の光景。
左手に見える高架は鹿児島本線と並走している
高規格で建設された国道3号黒崎バイパスです。
あたる11
反対の東側の博多方面の光景です。
奥に見えるライトグリーンの通路は駅の改札外にある
北口への連絡通路です。
あたる08
こちらは1、2番線ホームです。南側の駅舎寄りにあります。
1番線は鹿児島本線の下り線の博多・久留米方面の列車が使用するホームです。
また乗り入れている福北ゆたか線の小倉からの直通列車(直方・飯塚方面)も
この1番線を使用しています。
あたる14
駅舎から遠い北側の3、4番線ホームです。
3番線は福北ゆたか線の折り返し発着ホームで、
鹿児島本線の上り小倉方面の列車は一番北側の4番線を使用しています。
あたる13
3、4番線にあった国鉄型の駅名標。
あたる15
JR九州型の駅名標はこちらで、
中央には駅によってはイメージのイラストアイコンが描かれています。
黒崎駅は「黒崎祇園山笠の山車」。

【写真撮影・2018年1月】



■モデル車両: JR九州883系電車「青いソニック」
あたる19
JR九州の特急車両である883系は、
博多━大分間の輸送力強化を目指して投入された車両です。

883系が投入されたのは1995年(平成7年)4月20日で、
特急「にちりん」として博多━大分間で運行していた列車の一部を
新型車両である883系に置き換え「ソニックにちりん」として運行が開始されました。

駅メモのでんこの「黒崎あたる」の誕生日が4月20日に設定されているのは
この「ソニックにちりん」の運行開始日が元
であると思われます。
あたる20
(上写真:裏辺研究所「883系」 http://www.uraken.net/rail/alltrain/uratetsu883.html
投入された当初はご覧の様なカラーリングで、
先頭部がアクアブルー(   )で車体はシルバー(   )でした。

駅メモのあたるの服装はラグランの袖がアクアブルーで
ショートパンツのベースがシルバーとなっています。
あたるの元ネタは「青いソニック」と言われていますが
旧塗装の配色が明らかにデザインに入っていますので
実際には旧塗装と青いソニックの両方が元ネタかと思われます

車両デザインは一連のJR九州の車両を手がけている
鉄道車両デザインでは有名な工業デザイナーの水戸岡鋭治氏です。
あたる21
そして車両導入から10年が経った2005年(平成15年)には車両のリニューアルが行われ、
車体全体がインディゴブルーメタリック(   )に統一されました。
この青は沿線である九州東海岸の海の色をイメージしたそうです。
あたる22
(上写真:photolibrary https://www.photolibrary.jp
883系ソニックの導入された日豊本線など
東九州の線区はカーブも多く高速化が遅れていました。
なのでモータリゼーションに対するスピードアップを目指して
車両にはJR九州初となる制御振り子装置が採用されました。
あたる56
そしてこの883系「青いソニック」は投入時期によってフロントの形状が若干違います。
写真の上から順番に
 ■一次車(1994年(平成6年)8月新製)・・・フロント中央にフォグランプ
 ■二次車(1995年(平成7年)2月新製)・・・フロントがルーバー
 ■三次車(1996年(平成8年)2月、四次車(1997年(平成8年)2月新製)
                     ・・・三角にSのロゴマーク

となっています。

あたる25
また、883系ソニックは車体のロゴマークもご覧の様にデザイン化されています。
あたる28
(上写真:裏辺研究所「883系」 http://www.uraken.net/rail/alltrain/uratetsu883.html
こちらは青いソニックになる前の旧塗装での車体ロゴ。
あたる26
そして車両の脇にあるこのタンクも、
実際の走行には関係の無いデザイン上のイミテーションだそうです。

元々旧型の485系「にちりん」が走っていた時は
閑散区間で座席に酒瓶が転がるような状態だったそうで、
「デザインという整理」によって列車を楽しい空間にする事で
乗務員のモチベーションを高め状況を改善する
という目的があったとのことです。


あたる23
まずは博多・大分方の先頭車両である1号車のクロハ882形です。
カナの形式記号ではク(制御車)ロ(グリーン車)ハ(普通車)ですので
運転台がありグリーン席と普通席の両方がある車両だと分かります。
形式略号ではThsc'となり、付随車(T)車椅子対応車(h)グリーン車(s)制御車(C')となります。
あたる27
こちらは車内先頭部側にあるグリーン車の様子です。
1号車の半室がグリーン席となっており、
2+1列シート15席が設置されています。
あたる29
車両先頭の運転台の後ろにはご覧のパノラマキャビンが設けられています。
列車の前景を楽しめるこちらはフリースペースとなっていますが、
グリーン席にあるのでグリーン券が無いと利用できません
あたる30
この車両には車両中央部に乗降扉があり、
扉の前にはご覧の車椅子対応トイレが設置されています。
あたる31
1号車の後ろの半分は普通席となっています。
荷物棚のある側の後ろ2席は座席が1列のみとなっており
車椅子対応座席となっています。

あたる24
こちらは博多・大分方2両目の2号車であるサハ883形200番台です。
サ(付随車)ハ(普通車)ですのでモーターの搭載されていない客車となります。
形式略号はTA2付随車(T)となります。
「TA」となっているのはソニックの車両がM-TA方式のユニットで構成されているからで
TA2の2号車はM2の3号車と対になっています。
あたる32
1両目側の端のデッキはマルチスペースと呼ばれる共用エリアとなっています。
あたる33
このマルチスペースの通路の両側には
携帯電話の通話スペースが設けられています。
あたる34
そして乗降扉のエリアの先にガラスの自動ドアがあり
その先が2号車の客室となります。
あたる35
客室の車内はご覧の通りで、
座席のヘッドレストはソニック特有の特徴的な耳のある形となっています。
駅メモのあたるが耳付きのカチューシャをしているのは
このあたりのデザインが元ネタ
だと思われます。
あたる36
小倉方の車両の端にはご覧のハットラック形の荷物棚が設置されています。

あたる37
博多・大分方3両目の3号車となるモハ883形200番台です。
モ(中間電動車)ハ(普通車)となり、形式略号ではM2(中間電動車)となります。
2号車で取り入れ変圧した電力で駆動するモーターを搭載した車両です。
あたる38
車両の博多・大分方のデッキスペースには通常のトイレが設置されており、
乗降口の前の客室扉はガラス製となっています。
あたる39
3号車の客室車内です。
あたる41
座席の形状は他の号車と同じですが、モケットやヘッドレストの色が
ブラウン系統の落ち着いたカラーリングとなっています。
あたる42
座席背面と座席テーブルのアップ。
あたる40
客室の小倉方にはデッキスペースが無く、
立客用に簡単なカウンターはあるものの
ご覧の通り扉無しで乗降扉の前までつながっています。

あたる43
博多・大分方4両目の4号車であるサハ883形100番台です。
こちらも2号車と同じく付随車(サ)普通車(ハ)であり、
形式略号はTA1として5号車(M1)とユニットを組んで
パンタグラフや主変圧器、主整流器などを搭載している付随車です。

あたる45
博多・大分方5両目の5号車、モハ883形100番台です。
3号車と同じくモ(中間電動車)ハ(普通車)であり、
形式略号M1として4号車(TA1)とユニットを組んでいる
モーターを搭載した中間電動車です。
あたる59
この車両の乗降デッキはご覧の様に
旧塗装の車体と同じマリンブルーとなっています。
あたる54
通路の作りは3号車のデッキと似ており、
博多・大分方のデッキには通常のトイレが設置されています。

あたる47
博多・大分方6両目(小倉方2両目)の6号車であるサハ883形0番台です。
付随車(サ)普通車(ハ)で屋根にパンタグラフが搭載されています。
形式略号TAとして7号車(Mc)とユニットを組んでいます。
あたる53
車端部の博多・大分方にはご覧の通り自販機が設置されており、
その向かい側には車掌室の扉があります。
あたる46
車内客室の様子はご覧の通りで、座席モケットやヘッドッレストの色以外は
他の普通席と同様の形式です。

あたる50
そして小倉方の先頭車両である7号車のクモハ883形です。
ク(制御車)モ(中間電動車)ハ(普通車)で運転台がありモーターを搭載しています。
形式略号はMc(制御電動車)となっています。
あたる51
博多・大分方の乗降デッキと客室の間の扉。
あたる52
客室は普通席であり、先頭部側には乗務員室の扉があります。
グリーン席である1号車先頭部では前景が見れましたが
こちらの車両では壁によって前景は見えません。



基本的には上で紹介した形式が883系の青いソニックでの車両となりますが、
一部にはこれと異なる形式の車両が編成されています。
あたる48
(上写真:裏辺研究所「883系」 http://www.uraken.net/rail/alltrain/uratetsu883.html
こちらの車両は特急ソニックで、5両編成であった883系の第6編成から第8編成を
7両編成にする為に2008年(平成20年)7月に増備された883系1000番台です。

パンタグラフのある手前が電動車のモハ883形1000番台
奥が付随車のサハ883形1000番台となります。
あたる57
それまでの883系の車両は車体がステンレス製であり、
外板のひずみを防ぎ強度を上げる為に「ビード」と呼ばれるでこぼこがありました。
あたる58
これに対して増備車の883系1000番台では車体はアルミニウム製であり、
他のソニックの車両にように車体にでこぼこがありません
あたる60
通常の883系と1000番台の連結部付近を見てみると
両者はそもそも車両の形状から違う事が良く分かります。

あたる55
こちらが増備車の1000番台で4号車となるモハ883形1000番台の乗降口付近です。
デッキの足元までの窓が旧車体に比べて幅が広くなっているのが分かります。
また行先表示が字幕式では無くLED表示へと変わっているのが分かります。
あたる61
こちらが旧車体の4号車ですが、こうして並べてみると違いが良く分かります。
あたる67
中間電動車(モ)であるこの車両には屋根にパンタグラフが搭載されています。
ソニックの他の形式の車両のパンタグラフは付随車についており、
モーターの載っている中間電動車でパンタグラフがあるのはモハ883形1000番台のみです。
あたる44
博多・大分方のデッキスペースです。
あたる62
客室内はご覧の通りです。
ソニックの座席は某夢の国のキャラの様な特徴あるヘッドレストですが、
この1000番台の座席はご覧の通り通常の形状のシートとなっています。
あたる65
ヘッドレストのアップ。
あたる63
(上写真(下):裏辺研究所「883系」 http://www.uraken.net/rail/alltrain/uratetsu883.html
小倉方のデッキはご覧の通りでトイレが設置されています。

あたる64
そしてこちらが5号車となるサハ883形1000番台です。
あたる66
こちらも増備車4号車と同様の形のシートとなっています。

【写真撮影:2018年1月】

勝田線00
お次は国鉄勝田線についてです。


元々は宇美や勝田の炭鉱からの石炭輸送を目的として
1918年(大正7年)に貨物線を開業した筑前参宮鉄道が元となる鉄道です。
翌1919年(大正8年)には全線開通によって
「参宮鉄道」の名前の通り宇美八幡宮への参拝客の輸送を目的とした
旅客営業を開始しました。


昭和30年代には石炭から石油へとエネルギーの転換が進んで
炭鉱が次々と廃鉱となり、国鉄に閑散ローカル路線として扱われて
勝田線は1985年(昭和60年)に廃止となりました。

廃止当時もすでに博多のベッドタウンとして周辺の宅地開発が進んでおり、
旅客輸送の需要は十分にあったと言われています。
しかしながらその需要に対して国鉄は目を向ける事は無く、
「石炭貨物輸送の役割を終えた閑散貨物路線」扱い
一日数本しか列車を運行しませんでした。

結果、並行路線で本数を走らせた西鉄のバスに旅客を奪われ営業係数は悪化。
利益を上げることが可能だった路線をみすみす捨てる結果となりました。
こういった状態は「国鉄最大の失策のひとつ」とされています。

現在の勝田線廃線跡を見ると二つのイオンモールや福岡空港が至近にあり、
また線路を共有していた篠栗線が直接博多駅まで乗り入れているなど
「何故勝田線を廃線にしてしまったのか」という意見を裏付ける状況となっています。



勝田線01
こちらはJR鹿児島本線とJR篠栗線の吉塚駅です。
かつてはこの駅が廃線となった勝田線の起点駅でした
写真は西口の光景となります。
勝田線02
駅の南方にある東西を繋ぐ自由通路。
勝田線03
こちらが吉塚駅の東口の光景です。
手前に見える高架線は山陽新幹線の高架で、
新幹線の高架の向こう側がかつての勝田線の廃線跡にあたります。
勝田線04
こちらは吉塚駅構内の南端にある篠栗線のゼロキロポストです。
島式の4、5番線ホームの先に設置されており、
ゼロキロポストの向こう側は山陽新幹線の線路です。

かつて吉塚駅から1.5kmほどは吉塚駅の駅構内扱いとして
篠栗線と勝田線が線路を共用して走っていたそうです。
その当時は線路が地上にあり、
現在の篠栗線の高架線の東側に沿って走っていました。
勝田線05
こちらは単式の1番線ホーム。
鹿児島本線の上り黒崎・小倉方面行きとなります。
勝田線06
島式の2、3番線ホーム。
鹿児島本線の下り博多・久留米方面行きであり、
2番線は吉塚駅止まりの列車が使用します。
勝田線07
そしてこちらが福北ゆたか線(篠栗線)ホームである
島式の4、5番線となります。
4番線が上り篠栗・直方方面、5番線が下り博多行きとなります。
勝田線08
そして4、5番線ホームの北端から見た
駅の北側の光景です。
写真右手に見える駅ビルの北側あたりが勝田線の廃線跡となります。



勝田線09
こちらは篠栗線(福北ゆたか線)の柚須駅です。
線路上の分岐点はここから西の吉塚駅寄りにありましたが、
実際に篠栗線と勝田線の線路が分かれて離れる分岐点がこちらにありました。

1985年(昭和60年)に勝田線が廃止された後に
分岐点跡を利用して1988年(昭和63年)に新設されました。
ですのでこの駅は勝田線時代には存在していません。
勝田線11
1番線ホームの東端を見ると、
徐々に右手にホームが広がっているのが分かります。
これがまさに勝田線が分岐していく形の名残りとなります。
勝田線13
柚須駅の構内図を見ると分岐の形が分かり易いと思います。
勝田線の廃線跡にスロープ、そして多目的トイレが設けられています。
勝田線12
そしてトイレの裏は駐輪場となっています。
ホームからは不自然に斜めに作られた駐輪場ですが、
勝田線の分岐した廃線跡だと分かれば納得でしょう。
勝田線10
そして概ね青線で示したような形で勝田線は分岐して行き、
廃線跡の遊歩道へとつながっていきます。
勝田線14
柚須駅前から南へと伸びる廃線跡の遊歩道。



勝田線15
遊歩道は200mほどで終わり、
しばらくは並走する市道脇の民有地となります。
さらに600mほど進んでイオン福岡東店が見えてくるご覧のあたりで
勝田線の廃線跡が公園となります。
勝田線20
見返すと廃線跡はパチンコ屋の駐車場に。
勝田線16
公園にある緑道の案内マップ。
ちょうどここから勝田線の廃線跡は糟屋町から志免町へと入ります。
そして志免町内では廃線跡は緑道として整備が成されていました。
そしてこの緑道の起点付近がかつての御手洗駅の駅跡となります。
勝田線18
駅跡はご覧の通り細長い公園として整備されています。
勝田線17
かつての駅のホームは写真を参考にすると
おおよそご覧のあたりにありました。
駅は1941年(昭和16年)に地元企業の寄付によって新設で作られたもので
勝田線の開業からの駅ではありません。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅で、
駅舎は無くホームに簡素な待合スペースがあるのみでした。
勝田線19
駅跡から南へと進む廃線跡は再び緑道に。


勝田線21
駅跡から廃線の遊歩道を400mほど下ると
幅の広い市道に突き当たります。
勝田線22
踏切があったであろうこの交点は
西に500mほど行けば福岡空港の北端にあたる場所です。

勝田線23
市道を越えて左にカーブを描きながら400mほど進むと
遊歩道は住宅地の中を縫うように進んでいます。
車止めには住所が刻まれていました。
勝田線24
枕木を転用したであろう木の歩道を抜けると
ご覧の特徴的な木製アーチのトンネルがあります。
こちらは廃線跡の左右に住宅が接近して隣接している区間だったので、
遊歩道の快適性と、住宅のプライバシーの為の目隠しを両立した結果
このような半シースルーのトンネルになったそうです。
勝田線25
トンネルを抜けて進むとまもなく次の駅の駅跡となります。



勝田線26
こちらが上亀山駅跡公園で、
その名前の通りここが上亀山駅の駅跡となります。
駅跡の公園はご覧の通り基本的にはグラウンドとなっています。
勝田線28
公園の南側にはトイレが設置されており、
その脇には県道に連絡している、いかにも駅前の道のような入口があります。
赤い建物は西校区ボランティアセンターという公共の建物なので
いかにもこちらがかつての駅入口の様に見えます。
勝田線27
しかし営業当時の写真や資料を見ると、
ホームは線路の北側にあったことが分かります。
位置的にはご覧のような感じで単式1面1線のホームがありました。

1919年(大正8年)の路線開業時に作られた駅であり、
住宅地の中の駅は嵩上げがされておらず
ホーム上に待合スペースがあるのみの駅だったそうです。
勝田線29
駅跡の公園の東側からは、廃線跡の遊歩道が更に続きます。

勝田線の廃線跡は県道24号線を越えた後にカーブを描いて南下。
イオンモール福岡の敷地内となって一旦廃線の遺構は無くなります。

イオンの敷地を出て再び遊歩道となり、
すぐに次の駅跡となります。



勝田線30
こちらは県道24号線と県道91号線が交わる鉄道公園前交差点です。
勝田線31
この交差点の一角に志免鉄道記念公園があり、
こちらが勝田線の志免駅の駅跡となります。
駅は1919年(大正8年)に新志免駅として開業したもので、
石炭輸送や特急回送など様々な用途で活躍をした駅でした。
勝田線40
交差点近くに設置されたポイント切替の転轍機。
勝田線37
公園のモニュメントには営業当時の勝田線の写真が
タイルになって貼られていました。
勝田線36
そしてモニュメントの傍らには、勝田線の遺構が
経産省の近代化産業遺産に指定されている旨のプレートがありました。
読むと鉄道としてよりも、石炭産業の一部として指定された様です。
勝田線38
鉄道公園として整備のされた公園内。
勝田線39
いたるところの構造物に枕木などが流用されています。
勝田線32
また、公園内にはホームの遺構がそのまま残されています。
ホーム上の構造物は公園として整備された際のものですが
プラットホームは営業当時のものです。
勝田線33
そして鉄道公園とホームの中央を分断して走る県道91号志免須恵線。
新しい県道の建設によってホームも中央部が削られてしまっています。
勝田線34
県道を挟んだ北側に分断されたホーム。
こちらには駅名標のレプリカなどが置かれています。
勝田線35
駅は島式ホーム1面2線で、
大きな木造の駅舎がホーム南端近くにありました。
おおよその位置は写真などを参考にすると
ご覧のような感じであった様です。
勝田線41
駅跡から南へとさらに廃線跡は続きます。



勝田線42
こちらは県道68号線の宇美八幡宮北交差点です。
目の前の宇美川には朱色に塗られた欄干の宇美橋があります。
宇美橋の向こう側に宇美八幡宮があり、
勝田線は元々は「筑前参宮鉄道」として
この宇美八幡宮参拝を目的のひとつとして作られました。
勝田線43
その宇美八幡宮に向かって勝田線の廃線跡の遊歩道は
県道に沿う様に南下をしています。
志免駅の駅跡からおよそ3kmほど南下したこの付近が次の駅の駅跡となります。
勝田線44
こちらが下宇美駅の駅跡となります。
ホームは営業当時に使われていたものの北側の一部が遺構として残されています。
駅は1919年(大正8年)の路線開業時に開設されました。
勝田線45
県道側から駅跡を見ると目の前にある西鉄バスの下宇美バス停。
勝田線46
駅跡には「下宇美緑道公園」と名前が付けられており、
モニュメントの時計塔には説明版がありました。
勝田線47
当時の写真や資料を元にするとご覧の感じで駅はありました。
ホームは隣の黄色いガソリンスタンドの方まで延びていた様で、
単式1面1線の棒線無人駅であり、
駅舎は無くホーム上の待合スペースのみの駅でした。
勝田線48
宇美橋側から見た駅跡の光景。
県道を挟んだ駅跡の向かいには営業時には病院が写っていましたが
現在(2018年1月)では更地となっていました。
勝田線49
かつてのホーム南端付近からの光景です。
勝田線50
南側を見ると遊歩道はここまでで終わっており、
その先は宇美川を渡って廃線跡は生活道路へと変貌しています。

そういえはこの付近の緑道は、以前の写真を見るとタイル舗装だったのですが
私が行った時はご覧の通りアスファルト舗装になっていました。
恐らくはメンテナンスの手間や費用の問題でしょうか。



勝田線51
こちらはJR香椎線の宇美駅です。
勝田線52
香椎線としては単式ホーム1面1線の駅で、
到着した列車が折り返し運転をしている駅ですが、
かつてはこの駅が勝田線と香椎線の乗り換え駅でした。
勝田線53
なぜか駅前広場に置かれたでっかい「U」のモニュメント。
勝田線54
香椎線は元々は博多湾鉄道(博多湾鉄道汽船)の路線であり、
勝田線は筑前参宮鉄道の路線でした。
別々の会社がこの地に駅を開設したため、両駅はおよそ100m離れていました。
両駅の路線は西鉄に吸収され、戦時に国鉄となり同一駅となりましたが
乗り換えで100mの移動をする状態は廃止まで変わりませんでした。
勝田線56
駅前の広い広場を南西に向かうと南西角付近にご覧の駐車場があります。
勝田線55
駐車場の南側付近が勝田線の駅跡であり、
宇美駅の駅舎とホームはおおよそご覧のあたりにあった様です。
勝田線57
駅の南の廃線跡は道路の拡張によってその面影はありません。



勝田線59
こちらは県道68号線にある西鉄バスの勝田バス停です。
宇美駅からおよそ3km南のこの付近がかつての勝田線の筑前勝田駅の駅跡となります。
勝田線60
バス停の目の前の廃線跡は原田緑道公園として整備がされています。
勝田線58
駅は営業当時の航空写真ほか資料を参考にすると
ご覧の付近にあった様です。
勝田線61
こちらの写真奥にあるスーパーセンタートライアルのあたり
(西鉄バス原田橋バス停付近)を筑前勝田駅跡とする情報も多くありますが、
機回し線など線路は延びていたものの
実際に廃線の時にあった駅の位置は勝田バス停付近だった様です。
勝田線62
(上地図:国土地理院地図「大宰府1969年」を参照の上加工して使用)
こちらが昭和40年代の筑前勝田駅付近の地図です。
現在の付近の地図と見比べれば、駅が勝田バス停付近にあったことが分かります。

この付近は駅の構内を流れる井野川が
1973年(昭和48年)には溢れて勝田線を水没されるなどしており、
井野川やその本流である宇美川が何度も河川改修をされています。
具体的にいつ井野川が付け替えられたのかは不明ですが、
勝田線の廃線跡が現在は川になっているのはそういった事情の様です。
勝田線63
勝田バス停前の県道にある中村商店。
筑前勝田駅の駅跡の目の前にあり、いかにも駅前商店といった風情です。
勝田線64
駅舎跡付近の公園内の階段には鉄道の枕木が使用されていました。



以上で国鉄勝田線の廃線跡については全てとなります。

勝田線66
こちらはau 4G LTEでの勝田線付近の電波エリアマップです。
さすがに博多近郊の地域だけに電波の入らない場所はありません


勝田線65
こちらはJR香椎線の終点の宇美駅からのレーダー範囲です。
勝田線の宇美駅でもあるこの駅からは、
レーダーで取れる勝田線の廃駅は志免駅から筑前勝田駅までの3駅となります。
上亀山駅、御手洗駅には宇美駅からは射程圏外となります。
勝田線67
そしてこちらは福岡市営地下鉄空港線の福岡空港駅からのレーダー範囲の一部です。
宇美駅からは届かなかった上亀山駅と御手洗駅が取れるのがお分かり頂けるでしょう。
上亀山駅と御手洗駅についてはJR篠栗線(福北ゆたか線)の柚須駅~長者原駅間、
JR香椎線の伊賀駅~酒殿駅間でもレーダー射程圏内となります。

ちなみに二つの路線を乗って勝田線を集めるのが煩わしいという方は、
JR篠栗線(福北ゆたか線)で博多から電車に乗り
吉塚駅~筑前山手駅間を移動しながらレーダーを打てば
射程10があればコンプ可能
です。


勝田線68
そして実際に現地まで行きたい方は、西鉄バス34系統「大濠公園━原田橋」線
吉塚駅東口バス停~勝田バス停まで利用すれば
ほぼ勝田線に近いルートを走っているので全駅チェックインが可能です。
平日なら15分に1本、休日でも30分に1本は走っている路線なので
比較的利用がし易いバス路線だと思います。
所要時間は片道で40分ほど、運賃は540円となります。


また車で勝田線を巡りたい場合、
福岡空港近辺でのレンタカーの利用という方法もあります。
空港近辺はどの都市もレンタカーが充実しており、
当日予約なしでも恐らく利用は可能でしょう。
また複数のレンタカー会社が陣取っているので
短時間の安いプランでの利用なども可能ですので
十分に選択の候補になると思われます。
福岡空港と勝田線の上亀山駅はおよそ500mほどの距離ですので
一考の余地はある
のではないでしょうか。



博多から程近く、廃線時の閑散とした時代とはうってかわって
住宅地の広がる大都市近郊にある廃線ですので非常に訪れ易いと思います。
全線で13.8kmという路線なので徒歩で全てはなかなか大変ですが、
交通機関を使って是非現地まで行ってみてはいかがでしょうか。


では。

宮之城線a81
国鉄宮之城線の続きです。


その1(川内駅━宮之城駅間)はこちら



宮之城線88
宮之城駅までは1926年(大正15年)に開通をした宮之城線でしたが、
路線はさらに北西へと大口までを目指して延伸を続けます。



宮之城線89
宮之城駅から廃線跡の市道を3kmほど東に進むと
次の佐志駅の駅跡が見えてきます。
宮之城線91
こちらが駅跡です。
廃線部分は道路へと変貌をしていますが
ホームは当時のものが概ねご覧の様に残っていました。

駅は1934年(昭和9年)の路線延伸によって開設されたもので、
待合室のみの駅舎のある単式ホーム1面1線の棒線無人駅でした。
宮之城線90
ホームの北端部は若干削り取られている様子で、
営業時には赤線で示した場所に小さな駅舎がありました。
宮之城線92
駅舎のあった場所の裏手付近の敷地には
駅跡を示す石碑と車輪が置かれていました。



宮之城線93
こちらは佐志駅から廃線跡を転用した市道を2kmほど北上した付近であり、
ここに次の駅の駅跡があります。
宮之城線94
かつての薩摩湯田駅の駅跡がこちらとなります。
1934年(昭和9年)の路線延伸時に開設された駅で、
この駅も単式ホーム1面1線のみの棒線無人駅だったそうです。
宮之城線95
駅のホームはご覧の感じでありました。
ホーム上には待合の上屋があるのみで駅舎は無かったそうです。
宮之城線96
ホーム北側にあたる盛り土の上には
駅跡を示す石碑と車輪があります。
敗戦後もかつてここには駅前のイチョウの木があったのですが
現在は伐採撤去されてしまった様です。
宮之城線97
ホームから垂直に伸びるこの道は
かつての停車場線ともいうべき道であり、
駅付近を走る市道と駅を連絡していました。
廃線跡が道路に転用された際にホームの盛り土が削り取られた様です。
宮之城線98
駅跡の南側に隣接して建っている
湯田下営農研修館。周囲にあるのはこの建物くらいです。



宮之城線99
薩摩湯田駅を出た宮之城線は東にカーブを描き
そのまま東進するルートを取ります。
宮之城線a10
道路に転換された廃線跡を進んで2.5kmほど進むと次の駅跡となります。
この付近の廃線跡は農免道路として整備されていました。
宮之城線a09
かつての駅前には駅前商店であったであろう民家が見えます。
宮之城線a01
こちらが薩摩鶴田駅の駅跡となります。
現在はご覧の鶴田鉄道記念館と公民館を兼ねた建物が建っています。

この駅も1934年(昭和9年)の路線延伸時に開設された駅ですが、
翌年にさらに延伸されるまでの間は終着駅でした。
宮之城線a02
中を覗くとご覧の様に鉄道関連の展示物が並んでいました。
宮之城線a03
記念館前の敷地を見ると外にも鉄道関連の展示物が。
宮之城線a04
駅前の一角にはご覧の「つるた駅ニュータウン」の地図があるのですが、
この場所はかつての薩摩鶴田駅の跡地を宅地開発した一角となっています。
宮之城線a05
かつて線路のあったニュータウンの一角の様子です。
宮之城線a06
当時の写真などを参考に
ニュータウンの地図にかつての駅の配置を書き込むと
おおよそご覧のような感じとなっていました。
宮之城線a07
鉄道記念館の建物の東に残る短いホームは
営業当時の写真などからおそらく使用していたホームの一部と思われます。
元々のホームはもっと長く、記念館の建物付近まで延びていた様子です。
宮之城線a08
駅舎は記念館の位置ではなく、ご覧の道路よりのあたりにあった様です。
駅は相対式2面2線でしたが1985年(昭和60年)の無人駅化後は
駅舎側の1面のみを使用していたそうです。



宮之城線a11
こちらは国道267号線から県道402号線が分岐している
求名橋付近の様子です。
橋の欄干には車輪を模した飾りがあります。
宮之城線a12
橋の袂のこの付近がかつての薩摩求名駅の駅跡となります。
宮之城線a15
駅の西側の廃線跡から見た駅の遠景です。
宮之城線a14
駅跡にはご覧の「下中福良自治公民館」と看板の出ている建物があります。
この建物こそが営業当時の薩摩求名駅の駅舎が現存しているものです。
鉄道が走っていた当時から駅舎には公民館が同居していました。
宮之城線a13
営業時のホームはご覧の様に駅舎の北側にありました。
駅舎自体は改札と待合室のスペースが塞がれており、
営業当時とは若干形が変わっています。
宮之城線a35
こちらは二つ隣の薩摩永野駅に保存されている
薩摩求名駅の駅名標。



宮之城線a16
こちらは国道504号線の広橋バス停です。
この近くにかつての宮之城線の広橋駅がありました。
宮之城線a17
ご覧のバス停脇の坂の上がかつての駅跡です。
宮之城線a18
かつての駅跡には薩摩町の町立の薩摩学校給食センターが建っています。
宮之城線a19
給食センターから西へ伸びるご覧の道は
かつての宮之城駅方面への廃線跡です。
宮之城線a20
国道504号からさつまクリニックの裏手を見ると
築堤の上を走る廃線跡の道路を望むことができます。
宮之城線a21
駅跡には営業時の写真を参考にすると
おおよそご覧の感じでホームと木造の駅舎があった様子です。
宮之城線a22
こちらはホームと線路があった付近の光景です。
駅は1935年(昭和10年)の宮之城線延伸に際して設置されました。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅だった様子です。
宮之城線a23
そして給食センターの敷地の廃ホーム跡付近から
国道504号と穴川の方角を見ると、川の向こう側に橋台跡があるのが見えます。
宮之城線a24
国道から見た対岸の橋台。
宮之城線a25
当時の写真と橋台の遺構から、
ご覧のように国道と穴川をガーター橋が架かっていた様です。
宮之城線a26
隣の薩摩永野駅に保存されている広橋駅の駅名標。



宮之城線a27
広橋駅から国道504号線に沿って西に4kmほど進んだ廃線跡の道路です。
道の脇には桜は植えられていて桜並木となっています。
宮之城線a28
その先へと東に進むと腕木式信号があり、
シーサスクロッシングの線路が現れます。
宮之城線a29
線路が終わる先がかつての駅跡となります。
宮之城線a36
終端に留置されている国鉄ヨ8000形車掌車のヨ8958。
宮之城線a30
こちらが駅跡に建つ永野鉄道記念館です。
宮之城線の廃線の資料などを保存展示する為に
駅の廃止後にさつま町によって建てられました。
宮之城線a31
駅舎の中はご覧の通り、駅の待合室風に作られています。
営業当時の建物では無く廃線後に建てられたものですが
駅名標などは当時の物が使われている様子です。
宮之城線a32
こちらは記念館の中の展示スペースです。
普段は近くに鍵を預かる委託管理者の店があるそうで扉は閉まっていますが
希望者が申し出れば見学ができるそうです。
宮之城線a33
営業当時の駅舎は木造で、
写真を参考にするとご覧のあたりに建っていた様子です。
駅は1935年(昭和10年)の延伸によって終着駅として開業し、
1937年(昭和12年)の宮之城線全線開通によって中間駅となりました。

シーサスクロッシングが残る事からも分かる通り
この駅は営業当時はスイッチバック駅となっており、
島式ホーム1面2線でした。
宮之城線a34
駅舎跡の南側にあるホームの遺構です。
現在でも鉄道記念館の一部として当時のホームが保存されています。
ホーム上には薩摩永野駅だけでなく、広橋駅と薩摩求名駅の駅名標も。
宮之城線a37
脇の線路には保線用のモーターカーが留置されています。
宮之城線a41
そしてスイッチバック駅ですのでホームの東側で
ご覧の様に線路が一本にまとまって行き止まりとなっていました。
宮之城線a38
こちらは鉄道記念館側から見た正面の道路。
かつてはこの道が「停車場線」であり、
突き当たりに走る県道50号線と連絡をしている道路でした。
宮之城線a39
県道側から見た駅前の道。
宮之城線a40
県道50号線には鉄道記念館への案内板があります。
宮之城線a42
駅から再び西側に来た廃線後を戻ると
すぐにご覧の道路の分岐点があります。
宮之城線a43
こちらがスイッチバックの分岐点で、
写真右側の桜並木のある方が川内・宮之城方面、
左が薩摩大口方面となります。



宮之城線a45
スイッチバックで分かれた宮之城線は北方に進路を取り、
山間のトンネルを幾つも抜けながら7kmほど進みます。
写真のご覧の道が、かつての駅と県道を連絡する道路となります。
宮之城線a46
鉄道記念公園として整備されているこちらが針持駅の駅舎跡です。
宮之城線a49
市による公園の使用心得の看板がありました。
宮之城線a47
こちらは公園に置かれた駅名標。
宮之城線a48
同じく公園に置かれた「針持駅跡之碑」と刻まれた石碑です。
宮之城線a44
1937年(昭和12年)の宮之城線延伸による全線開業時に設置された駅であり、
島式ホーム1面2線を持つ列車交換可能駅でした。
しかし無人化で線路も片面が撤去され、
廃止時には駅舎と反対側の1面のみが残され使用されていたそうです。
写真の黄色線は撤去された方の線路の位置を示したものです。
宮之城線a50
駅跡の公園北隣にある針持駐在所。
宮之城線a51
駅敷地の南西隣にある消防団の倉庫です。
宮之城線の営業時には木造の倉庫だった様で廃止後も使われていた様ですが
現在ではご覧のコンクリート造りに建て替えられていました。
宮之城線a52
駅跡南側から宮之城方面を見た光景です。
廃線跡の道路が、営業時の線路の形そのままに残っているのが分かります。



宮之城線a54
針持川の西側を川に沿うようにS字を描きながら北上し
3.6kmほど進むと次の駅が見えてきます。
宮之城線a55
こちらが西太良駅の駅跡となります。
宮之城線a56
駅の敷地はこちらも鉄道記念公園して市の公園になっていました。
宮之城線a57
公園に置かれた駅名標です。
宮之城線a58
こちらにも「西太良駅跡之碑」と刻まれた石碑がありました。
宮之城線a53
公園の場所が駅舎のあった場所となり、
前の道がホームと線路の跡となります。
当時の写真を参考にするとおおよそ配置はご覧の通りです。

1937年(昭和12年)の路線延伸時に開業した駅で
島式ホーム1面2線の駅でした。
1971年(昭和46年)に交換設備が撤去されて以降は
駅舎と反対側の1面のみが使用されていました。
宮之城線a59
公園の北隣にある消防団の倉庫。
宮之城線a60
駅の北すぐの廃線跡は切り通しとなっており、
営業当時から使われている跨線橋が今も使われています。



宮之城線a61
国道267号線を沿うように北上し2.8kmほど進むと
ご覧の「羽月駅前」交差点があります。
宮之城線a62
名前の通りこの交差点の目の前が羽月駅の跡地となります。
宮之城線a64
駅跡の敷地はこちらも市の公園となっています。
宮之城線a65
公園に置かれた駅名標。
宮之城線a66
こちらにも「羽月駅跡之碑」と刻まれた石碑が置かれていました。
宮之城線a67
公園の裏手の国道と反対側のこちらが
かつての宮之城線の廃線跡となります。
宮之城線a63
駅舎とホームは当時の写真を参考にすると
おおよそご覧のあたりにありました。
公園の石碑などのあるあたりが駅舎の場所と思いがちですが、
実際には交差点から廃線跡への道路付近が駅舎だった様です。

駅は1937年(昭和12年)の開業で、
単式ホーム1面1線の棒線駅だった様です。
宮之城線a68
公園の南側には廃線後に道路になった駅舎跡がありますが、
その南側にも駅の敷地だった公園駐車場があります。
宮之城線a69
国道を挟んだ駅跡の向かい側にあるJA北さつまの駅前配送センター。
宮之城線a70
その斜向かいにある羽月駅前簡易郵便局。
駅は廃線でなくなってもうだいぶ経ちますが、
付近には駅前の名前がいたるところに残っていました。



宮之城線a72
こちらは旧・大口市(現・伊佐市)の中心街にある大口ふれあいセンターです。
1988年(昭和63年)に鉄道が廃止された駅の跡地に、
「大口歴史民族鉄道資料館」などを設けた市の建物として
1992年(平成4年)に建てられました。
宮之城線a71
このふれあいセンターの目の前の道が
かつての薩摩大口駅の駅舎への道路であり、
写真を参考にするとおおよそご覧の感じで木造駅舎が建っていたようです。
宮之城線a74
そしてこちらはふれあいセンターの南方にある
南国交通バスの降車場です。
宮之城線a73
大口終着のバスの降車場であるここが
かつて宮之城線が走ってきた時に使っていた
薩摩大口駅0番線ホームのあった場所
だそうです。

駅廃止の1年前に宮之城線は廃止されていますが
0番線のホームは路線廃止後は閉鎖されていたそうです。
宮之城線a75
宮之城線0番ホーム跡のバス停の南側には
「大口ポケットパーク」が設けられており、
腕木式信号機や国鉄ヨ8000形車掌車のヨ8952が留置されています。
宮之城線a76
公園に設置されている案内板。
宮之城線a77
ポケットパークの様子です。



以上で宮之城線の廃線跡の全駅となります。

宮之城線a80
こちらはau 4G LTEでの電波エリアマップです。
宮之城線の走っていた区域については基本的に全線が電波エリア内と考えて良いでしょう。

宮之城線a79
こちらも参考までに薩摩大口駅からのレーダーの射程範囲です。
薩摩大口駅からは薩摩求名~薩摩大口間の宮之城線の駅が全て取れる事が分かります。


宮之城線の宮之城駅から薩摩大口駅までの間を公共交通機関で攻略するには
南国交通バスの「宮之城~湯田~求名駅~曽木~大口」線の利用が一番適しているでしょう。
宮之城停留場━大口バスセンター間で所要時間は1時間10分前後、
運賃は820円
となっています。
以下はこの路線バスの運行ルートです。
宮之城線a78
(上画像をクリックすると拡大します)

こちらの路線バスも基本的には国道267号線をそのまま辿るルートとなっています。
ですので宮之城線の当該区間の駅が国道267号線上にエリアがあるかどうか、
がそのままチェックインの可否になると思って良いでしょう。
以下はバスの停留場と宮之城線の駅の対比表です。

 ■佐志駅  :チェックイン不可(要レーダー)
 □薩摩湯田駅:柏原橋停留場(大願寺~山越 間で取得可能)
 □薩摩鶴田駅:鶴田駅入口停留場(鶴田中学校前~羽有 間で取得可能)
 □薩摩求名駅::求名駅前(求名下手~橋掛口 間で取得可能)
 □広橋駅 :搦停留場(駅のエリアが狭く搦停留場付近のみチェックイン可能)
 ■薩摩永野駅:チェックイン不可(要レーダー)
 □針持駅  :針持停留場(境田~関白陣 間でチェックイン可能)
 □西太良駅 :西太良駅停留場(門前~下殿 間でチェックイン可能)
 □羽月駅  :羽月駅前停留場(南中学校前~山之口(羽月) 間でチェックイン可能)
 □薩摩大口駅:大口バスセンター停留場(ニシムタ(大口店)~終点でチェックイン可能)

このバス路線では佐志駅と薩摩永野駅が直接のチェックインができません
別の方法で直接に佐志駅と薩摩永野駅のエリアまで行くか、
レーダーなどのアイテム使用が必要となるでしょう。


その1でも書きましたが、直接チェックインを狙うにしても
アイテム使用をするにしても車で移動するのが宮之城線では一番楽でしょう。
車の使用が可能な方には一番にお勧めします。


公共交通機関では、鹿児島空港発のバスなどでも宮之城線の攻略が可能ですが、
空港連絡バスだけでのコンプリートができないだけに、路線バスなどとの併用が必要でしょう。

一つだけ確実に言えるのは、
「宮之城線は既存鉄道路線からはレーダーを使ってもコンプはできない」
ということです。
こちらを含めた様々な情報を吟味して攻略をして下さい。


では。

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