2018年04月

ゆとりーとライン01
お次はゆとりーとラインについてです。


この路線は名古屋ガイドウェイバス志段味線という路線で、
名古屋市の大曽根駅から小幡緑地駅までを走る路線です。

守山地区のバス空白地帯の公共交通として
2001年(平成13年)に開発されたこの路線には、
日本ではここだけという「ガイドウェイバス」が走っています。
ゆとりーとライン94
このバスは専用高架区間では車体横に案内輪を出して走行し、
案内軌条というレールに導かれて走行をします。
ですので運転士は高架線ではハンドルを触らずに運行をしています。

高架区間(鉄道)と一般道区間(バス)の両方を運行する為、
運転士は自動車二種免許の他に鉄道の無軌条電車運転免許も取得しています。


ゆとりーとライン02
こちらはJR東海の中央本線の大曽根駅です。
ゆとりーとライン03
そのJR大曽根駅の北口の東側外観。
ゆとりーとライン04
駅の東側には三菱電機名古屋製作所の広大な敷地が広がっていますが、
駅前広場にはご覧の通り高架線が走っています。
ゆとりーとライン05
高架線の先にあるこちらがゆとりーとラインの大曽根駅となります。
ゆとりーとライン06
こちらは裏側からみた駅の外観です。
JR中央本線のホームからも駅舎が見えます。
ゆとりーとライン07
そして駅前広場の高架駅の階段を上がると、正面にご覧の改札があります。
ゆとりーとライン08
改札内の構内。
ゆとりーとライン09
階段を上がってホーム階へと登ります。
ゆとりーとライン10
こちらが大曽根駅のホームとなります。
ご覧の通り相対式ホーム2面2線となり、
それぞれ乗車ホームと降車ホームとなっています。
ゆとりーとライン11
大曽根駅はゆとりーとラインの起点駅となっていますので
ホーム南側にはご覧のバス展開場が設けられています。
ゆとりーとライン12
展開場で折り返すガイドウェイバス。
ゆとりーとライン13
展開を終えたバスが乗車ホームへと入線します。
ゆとりーとライン14
乗車ホームの案内表示です。
ゆとりーとライン16
駅を出たガイドウェイバスはすぐに右へとカーブを描き
市道名古屋環状線の上を東進していきます。



ゆとりーとライン15
こちらはナゴヤドーム前矢田駅の外観です。
大曽根駅からは名古屋環状線をちょうど1km東進した付近にあります。

名古屋市営地下鉄名城線のナゴヤドーム前矢田駅との乗り換え駅でもあり、
地下鉄駅の東端の上付近にゆとりーとラインの駅が作られています。
ゆとりーとライン17
こちらは東側から見た駅の外観。
ゆとりーとライン18
駅の南側にはご覧のペデストリアンデッキへ上る階段とエレベーターがあり、
駅の南の入口となっています。
ゆとりーとライン19
デッキは駅の南側にある名古屋市の複合公共施設「カルポート東」へと直結しており、
施設の前の通路を南に抜けると目の前にはナゴヤドームがあります。
ゆとりーとライン20
こちらはデッキと駅を繋ぐ跨道橋で、
直接駅構内へと通じています。
ゆとり-とラインは車内精算制なので駅に改札や券売機はありません
ゆとりーとライン21
こちらがデッキと直結している2番線の上り大曽根方面行きホームです。
駅は相対式ホーム2面2線となっています。
ゆとりーとライン22
ホーム下のデッキ通路フロア階です。
両方の通路を連絡しており、
名古屋ドーム方面への出口もあります。
ゆとりーとライン23
そしてこちらが1番線の下り小幡緑地方面行きホームとなります。



ゆとりーとライン24
市道をさらに東へと0.6kmほど進むと次の駅が見えてきます。
ゆとりーとライン25
こちらが砂田橋駅となります。
ゆとりーとライン26
東側から見た駅舎です。
ゆとりーとライン28
駅は県道30号線と交わる砂田橋交差点のすぐ西に駅はあり、
真下には名古屋市営地下鉄名城線の砂田橋駅があります。
そして駅の南側は名古屋教育大学付属名古屋小・中学校の敷地がひろがっています。
ゆとりーとライン29
付属中学校の交差点の斜向かいにはご覧の名古屋学院名古屋中・高校があり、
駅近辺がいくつもの学校が集まる区域となっています。
ゆとりーとライン27
こちらは駅北側にある入口です。
高架駅であるゆとりーとラインと地下駅である地下鉄名城線の入口が
並んで同じ敷地に作られているのが分かります。
ゆとりーとライン31
エレベーターにある駅の構内説明図。
ゆとりーとライン30
駅舎2階のコンコース階です。
この駅も相対式2面2線の駅ですのでこのコンコースで
ホーム同士の連絡をしています。
ゆとりーとライン32
北側の下り1番線の小幡緑地方面行きホームです。
ゆとりーとライン34
ホーム西端から大曽根方面を見るとナゴヤドームが。
ゆとりーとライン33
上り2番線の大曽根方面行きホーム。
ゆとりーとライン35
駅の東を見ると砂田橋交差点の上を北に向かって曲がる高架線が見えます。



ゆとりーとライン36
砂田橋駅を出て県道30号線の上を北上するゆとりーとラインは
矢田川を越える宮前橋の脇を走ります。
ゆとりーとライン37
再び高架線が県道の上に戻り、
名鉄瀬戸線の線路を跨いだ先に次の駅が見えてきます。


ゆとりーとライン38
こちらが守山駅の駅舎の外観です。
写真は北側から見たものとなります。
ゆとりーとライン39
駅の100mほど南にある名鉄瀬戸線の踏切。
踏切から東を見るとすぐ瀬戸線のに守山自衛隊前駅が見えます。
守山駅とは300m徒歩4分の乗り換え駅となります。
ゆとりーとライン41
県道30号線の歩道に設けられた駅の入口。
ゆとりーとライン40
この駅も2階がコンコース階となっていて
相対式2面2線のホームを連絡しています。
ゆとりーとライン42
こちらは西側の下り1番線小幡緑地方面行きホームです。
ゆとりーとライン43
東側の上り2番線小曽根方面行きホーム。
こちらのホームの裏側には自衛隊守山駐屯地の敷地が広がっています。



ゆとりーとライン44
県道30号線を引き続き北上するゆとりーとラインの高架線。
ゆとりーとライン45
0.6kmほど北上した金屋交差点の北に次の金屋駅があります。
開業当初は守山市民病院駅という名前だったそうですが
市民病院の民間譲渡によって2013年(平成25年)に現在の金屋駅に改称しています。
ゆとりーとライン46
北側から見た駅舎。
ゆとりーとライン47
こちらは駅西側の1番出口です。
県道の両側の歩道に出口があり跨線橋で駅舎と連絡しています。
ゆとりーとライン48
高架下から見える反対側の2番出口。
ゆとりーとライン49
駅舎2階のコンコース階。
相対式2面2線のホームを連絡しています。
ゆとりーとライン50
1番線の小幡緑地方面行き下り線ホームです。
駅名標には「旧 守山市民病院」と古い駅名が併記してあります。
ゆとりーとライン53
ホーム南端から見た大曽根方面の光景です。
左手のマンションの向こう側は自衛隊駐屯地が広がっています。
ゆとりーとライン51
大曽根方面行きの上り線2番ホーム。
ゆとりーとライン54
こちらは北端から見た駅北側の光景。
ゆとりーとライン52
ホーム側から見た出口へと連絡する跨道橋です。



ゆとりーとライン55
金屋駅から更に県道30号線を1kmほど北上し、
県道59号線と交差する大永寺交差点付近の光景です。
この交差点を越えると次の駅が見えてきます。
ゆとりーとライン56
交差点から100mほどで次の駅に。
ゆとりーとライン57
こちらが川宮駅の駅舎の外観です。
この駅もホームは2面2線となっています。
ゆとりーとライン61
こちらは県道の歩道に設けられた駅ホームへの入口です。
大曽根駅~金屋駅までの区間は駅舎が二層式で2階がコンコース階になっており
駅舎内でホーム間の移動が可能でした。
しかしこの川宮駅以北の駅は駅舎が一層となっており、
ホーム間の移動は一旦駅外に出て横断歩道を渡る必要があります
ゆとりーとライン58
小幡緑地方面行きの下り1番線ホーム。
ゆとりーとライン60
ホームと入口を繋ぐ跨道橋です。
ゆとりーとライン59
大曽根方面行きののぼり2番線ホーム。



ゆとりーとライン62
引き続きゆとりーとラインは県道30号線を北上します。
こちらは川村口交差点ですが、この付近で県道と高架線は左へとカーブを描きます。
ゆとりーとライン63
そして東へと進路を変えた県道をさらに進むと駅が見えてきます。
ゆとりーとライン64
川村駅の駅舎の外観です。
ゆとりーとライン65
反対側の東側から見た駅舎。
駅の東の目の前には県道202号線の交わる松川橋南交差点があります。
北側には庄内川に架かる松川橋が。
ゆとりーとライン66
小幡緑地方面行きの下り1番線ホームです。
他の駅同様にこの駅も相対式2面2線となっています。
ゆとりーとライン70
ホーム東端から小幡緑地方面を望んだ光景。
ゆとりーとライン67
地上出口とホームがご覧の階段で直結しています。
ゆとりーとライン68
こちらは反対側の小曽根方面行き上り2番線ホームです。
ゆとりーとライン69
ホームと階段を結ぶ跨道橋。



ゆとりーとライン71
県道202号線となった道をそのまま東進すると
ご覧の余慶橋交差点となります。
写真中央の橋が白沢川に架かる余慶橋となります。
ゆとりーとライン72
橋の南側には城土公園が川べりに延びており、
公園一帯は白沢渓谷という市街地にはめずらしい渓谷があり、
川をせき止めた滝とため池があってつり橋が架かっています。
ゆとりーとライン73
余慶橋を渡るとすぐに国道302号線を越える跨道橋となります。
下の国道は庄内川を渡る庄内川大橋の南詰となっており、
橋の上を橋が渡る格好となっています。
ゆとりーとライン74
国道を越えると駅が見えてきます。
ゆとりーとライン75
こちらが白沢渓谷駅の外観となります。
写真は駅の東側からみたものです。
ゆとりーとライン76
駅北側の1番出口。
周囲が小高くなってお脇に階段があります。
ゆとりーとライン78
1番出口と連絡している下り1番線ホーム。
小幡緑地方面行きのホームとなっています。
この駅も相対式2面2線の駅となります。
ゆとりーとライン80
駅の東側を見ると小幡緑地が広がっているのが見えます。
ゆとりーとライン77
こちらは2番出口。
ゆとりーとライン79
上りの2番線大曽根方面行きホームです。



ゆとりーとライン81
県道202号線を引き続き東進し、
突き当たって県道15号線に合流をしている竜泉南交差点付近です。
目の前には小幡緑地の守山スポーツセンターがあり、
センターの目の前で高架が左にカーブをしています。
ゆとりーとライン83
反対の東側から見たカーブ付近。
ゆとりーとライン84
ご覧の様にカーブを曲がるとすぐに駅が設置されています。
ゆとりーとライン82
こちらが小幡緑地駅の駅舎外観となります。
法規制上の鉄道扱いとなる専用軌道区間の
ガイドウェイバス志段味線の終点駅となります。
ゆとりーとライン85
東側から見た駅舎の光景。
駅舎前の高架下は駐輪場となっています。
ゆとりーとライン86
そしてスポーツセンター側の西側高架下には
ご覧のとおり駅の入口となる階段があります。
ゆとりーとライン88
駅入口からの階段の踊り場と、ホームへと連絡をする階段です。
ゆとりーとライン87
こちらは下り1番線ホーム。
相対式2面2線の駅構造となっています。
鉄道扱いの駅としてはここまででなのですが、
ガイドウェイバスはこの駅の先は一般道を走って運行を続けます。
ゆとりーとライン89
2番線の上り大曽根方面行きのホームです。
ゆとりーとライン90
そして駅の外へと戻り、
駅舎の東側の駐輪場まで来ると
ご覧の様に高架線がスロープ状に下っているのが見えます。
ゆとりーとライン91
スロープの先には地上と高架を繋ぐ「モードインターチェンジ」があります。
このインタチェンジで、高架を走るバスは案内軌条モードに、
市街地を走るバスは自動車モードへとチェンジを行う
訳です。
ゆとりーとライン92
インタチェンジを下るバス。
ゆとりーとライン93
高架線をゆとりーとラインとして走ってきたバスが
県道を普通のバスとして走り去っていきました。


バスとしてはこの後も運行をし、
最終的にはJR中央本線と愛知環状鉄道の高蔵寺駅の駅前まで運行をしています。

ですがこちらは駅メモの記事ですので、
ご紹介は鉄道扱いの小幡緑地駅までとなります。



ゆとりーとライン95
こちらはゆとりーとラインの大曽根駅━小幡緑地駅間における
au 4G LTEでの電波エリアマップです。
さすがに政令市の名古屋市内を走るだけに
全線が電波エリア範囲内となっています。
トンネルの無い高架線の路線ですのでアクセスできない場所はありません


レーダーでの取得についてですが、
JR中央本線の勝川駅━新守山駅間、名鉄瀬戸線の小幡駅━矢田駅間で
順次レーダーを飛ばしていけばゆとりーとラインの駅は全て取れます

名古屋市営地下鉄のフリー切符にもゆとりーとラインは含まれないなど
独立した盲腸線の様相の路線だけに、レーダーでの制覇は選択肢のひとつではあります。


しかしながら全国でもここだけというバスがトランスフォームする路線だけに
一度は乗ってみたほうがいいんじゃないかと。

では。
【写真撮影:2017年5月】

男山ケーブル01
続いては京阪男山ケーブルです。


京阪電気鉄道鋼索線が正式な名称ですが、
一般的には「男山ケーブル」で定着しています。

京阪本線の八幡市駅から男山山上駅までの0.4kmを連絡している鉄道であり、
鋼索線、つまりケーブルカーを運行している路線です。

開業は1926年(大正15年)に男山索道によってであり、
京阪の子会社となった後、戦時の休止を経て戦後は京阪直営で運行をしています。
男山ケーブル02
八幡市駅の目の前にある男山の山上には
日本三大八幡宮の一社である石清水八幡宮の上院(本宮)があり、
ふもとから山上の本院へと参拝する参拝客の足として作られました

石清水八幡宮は旧社格が官幣大社であり、
現在は神社本庁の別表神社という大きな神社でもあります。
神社のある京都府八幡市の市名の由来でもあるということからも
その格がうかがい知れるでしょう。


男山ケーブル03
こちらは京阪本線の八幡市駅の駅舎です。
男山ケーブル04
改札の目の前の観光案内所には石清水八幡宮の大きな看板が。
男山ケーブル05
駅を背に左手すぐには駅前広場とロータリーがあり、
その一角にはエジソンの胸像がありました。
男山ケーブル06
発明家トーマス・エジソンの最大の発明と言えば電球ですが、
その電球のフィラメントに京都・男山の真竹が使われたのは有名な話です。
そういった縁から駅前に胸像が置かれたのでしょう。
男山ケーブル07
そして駅前ロータリーとは反対側へと進むと
男山ケーブルの駅が見えてきます。
男山ケーブル08
こちらが京阪鋼索線(男山ケーブル)八幡市駅となります。
駅メモ上では京阪本線・八幡市駅と鋼索線の八幡市駅は同一駅扱いとなっていますが
駅舎はご覧の通り別々となっています。
男山ケーブル09
こちらが駅舎の中の改札です。
男山ケーブル10
中に入るとご覧のケーブルカーの乗り場が。
下から見て左側が乗車ホームとなります。
男山ケーブル11
乗り場の先を見るとこれから進むケーブルの軌道が見えます。
男山ケーブル35
ケーブルカーの車内の様子です。
現在の車両は2001年(平成13年)に更新された車両だそうです。

男山ケーブル14
下からこうして駅構内を見てみると
「のりば」と「おりば」の表示があるので
乗車ホームと降車ホームが分けられているのが分かります。

男山ケーブル12
こちらが降車ホームです。
駅名標は京阪電車の形式のものが降車ホームにのみあります。
男山ケーブル13
構内側から見た改札です。
降車ホームでケーブルカーを降りるとすぐにこの改札へ至る訳ですが、
改札機の並ぶ左側に切符の券売機が置かれています。
なぜ出口に券売機があるのかというと、
山頂の男山山上駅では切符が販売されていない為で、
男山山上駅で乗車した乗客はこの券売機で切符を買って精算することとなる為です。


男山ケーブル15
ふもとの八幡市駅を出て坂を登っていくケーブルカー。
左にカーブをしながら登るとトンネルが見えてきます。
男山ケーブル16
トンネルの入口で軌道が分かれており、
複線となって対抗の列車が見えてきます。
男山ケーブル17
列車交換。ケーブルカーという特性上どちら側が登りかは固定されておらず、
右側通行の列車と左側通行の列車がお互い交互に上下をしています。
男山ケーブル18
トンネルを出るとすぐに、全長108.7 mの男山橋梁に差し掛かります。
橋梁の途中まで複線が続いており、橋梁が終わるとすぐに次のトンネルとなります。
男山ケーブル19
再びトンネルに入り、トンネルを抜けたところに
山頂の駅が設けられています。
男山ケーブル20
駅構内へと入線。


男山ケーブル21
こちらが山頂にある男山山上駅の降車ホームとなります。
男山ケーブル24
山頂の駅に停車しているケーブルカー。
男山ケーブル25
軌道の終端です。
男山ケーブル22
降車ホームからまっすぐ進むとご覧の駅舎の出口に。
途中に改札や係員などはいません。
男山ケーブル23
駅舎の外観です。
男山ケーブル26
駅舎の入口に戻ると、左手は先ほど出てきた降車ホーム側ですが
入って右手はご覧の通り乗車ホームへの改札口となっています。
男山ケーブル27
この駅は改札はあるものの改札駅員はいない駅となっています。
(券売や改札の駅員はいないものの、運転扱いの係員は常駐)
ですのでこの駅から乗車する場合は切符は買わずにそのまま乗車となり、
ふもとの八幡市駅で出場の際に精算
となります。
男山ケーブル28
改札を抜けるとご覧の乗車ホームへ。



男山ケーブル29
男山山上駅の駅前広場には石清水八幡宮の案内図の看板が設置されており、
駅と八幡宮を連絡する歩道の地図となっています。
男山ケーブル30
八幡宮の本社へと至る歩道です。
男山ケーブル31
駅からおよそ5分、歩道を歩くとご覧の境内の茶店へとつきあたります。
男山ケーブル32
茶店の脇の階段を上がると八幡宮の参道へと通じていました。
男山ケーブル33
参道の奥にある南総門。
良く見ると参拝の帰りに社殿に背を向けないように
若干軸をずらして建っているのが分かります。
男山ケーブル34
そしてこちらが御本殿です。
この八幡様への参拝の為に男山ケーブルは作られました


男山ケーブル36
こちらは男山ケーブルの路線付近における
au 4G LTEでの電波エリアマップです。
さすがに京都市街が近いこともあり全線が電波圏内となっています。
GPSのアクセスに困る事は無いでしょう。


男山ケーブルは2駅しかありませんが、八幡市駅は京阪本線の駅と同一扱いですので
京阪電車に乗っていれば普通に取れるでしょう。

一方終点の男山山上駅は京阪本線からは直接アクセスできる場所はありません
アイテムを使わないチェックインをするにはケーブルに乗るか、
石清水八幡宮付近まで出向くしかありません。

しかしレーダーを使用するのであれば京阪本線からは取るのは容易ですし、
近辺を走るJR京都線(東海道本線)、東海道新幹線、阪急京都線などからも届きます。
レーダー使用であれば取るのは非常に容易だと思います。



駅メモでは日本全国の全ての鋼索線(ケーブルカー)が収録されている訳ではありません。
そんな中でこの京阪鋼索線(男山ケーブル)は収録された路線の一つとなっています。
せっかくの通常の列車ではないケーブルカーですから
アイテムでは無く直接乗ってみるのも一興かと。

では。

でんこの元ネタ
■No.08 天下サヤ(Tenga Saya)
 ■タイプ:アタッカー
 ■誕生日:9月4日

■出身駅: 南海本線 天下茶屋駅(大阪)
さや01

さや21
こちらは国道26号線の天下茶屋駅筋交差点です。
国道が南海と並走するように南北に走っていますので
天下茶屋駅の入り口の筋(南北に走る道路)ということになります。
さや22
交差点を東に入って進むとご覧の光景が。
100mほどで南海の高架線が見えてきます。
さや23
道の上には駅の北端部がご覧の様に。
さや25
駅に沿って西側を南下すると駅前となります。
駅前にはショッピングモールがあり広い駐車場が広がっています。
さや24
こちらが天下茶屋駅の西口の外観となります。

この駅は南海でも一番古い駅の一つであり、
駅の開業は前身の阪堺鉄道によって1885年(明治18年)となっています。
1944年(昭和19年)に一旦近鉄となったものの
路線の譲渡によって1947年(昭和22年)に南海の駅になっています。

そして1984年(昭和59年)に天下茶屋駅から出ていた南海天王寺支線が廃止され、
その代替として地下鉄堺筋線が1993年(平成5年)にこの駅まで延伸します。
さや52
地下鉄延伸に際して駅舎も1995年(平成7年)には南海の駅の高架化が完成。
各駅停車のみが止まる下町のマイナーな地上駅は
地下鉄との連絡によって乗客数が3倍強に膨れ上がります

これによって2003年(平成15年)のダイヤ改正では
特急を含め南海の全列車が停車する駅へと昇格。
それれまで南海本線と高野線の乗り換え駅は新今宮駅が指定されていたのも
ダイヤ改正以降は天下茶屋駅が相互乗換駅に指定されています。

さや26
そしてその高架駅となった南海の駅の真下を東西に繋ぐコンコース。
さや27
反対側の東口に抜けると、駅前には大きめのロータリーが作られています。
さや29
東口の南側の商店街から駅への光景。
さや28
天下茶屋駅の東口の外観です。
駅前ロータリーのあるこちらが正面といった感じでしょうか。
さや30
駅前広場の北側に一角にはご覧のアーケードの入口があります。
さや31
アーケード商店街の中の様子です。
さや32
ロータリーに面して駅舎の1階にある
大阪府警西成警察署の天下茶屋交番。

さや33
駅舎の下のコンコースに戻り、
こちらの階段のある方が南海の駅の入口となります。
さや34
階段を上ると南海の改札口が。
さや35
改札内に入ると各ホームへと連絡する
階段のある構内のコンコースがあります。
さや36
この駅は相対式ホーム2面の間に島式ホーム1面が挟まれた
3面4線の駅となっていますが、
こちらは一番東側にある単式の1番線ホームとなります。
南海高野線の下り高野山方面行きとなります。

さや37
こちらは駅の中央部にある島式の2、3番線ホームとなります。
1番線(高野線下り)と向き合っている2番線
南海高野線上り新今宮・なんば方面行き、
3番線は南海本線下り和歌山市方面行きのホームで
関西空港方面もこの3番線からとなります。
さや39
ですので2番線側の駅名標は高野線の緑色のものに。
さや38
3番線側の駅名標は南海本線の青色となっています。

さや40
そしてこちらが4番線ホーム。
駅の一番西側の単式ホームとなります。
南海本線の上りなんば行きホームとなります。
さや41
3番線と4番線の南海本線は南海空港線と連絡しているので
ご覧の通りラピートが運行しています。


さや42
そして南海の改札を出て駅1階のコンコースへと一旦戻ります。
さや43
コンコースを挟んだ南海の入口の向かい側には
ご覧のOsaka Metro(旧・大阪市営地下鉄)の
堺筋線の天下茶屋駅の改札があります。
さや44
改札内の光景です。
さや45
地下鉄駅の構内図。
南海の駅が地上の高架駅なのに対して
地下鉄の駅の方は島式1面2線と単式1面1線のホームを持つ
2面3線の地下駅となっています。

さや46
こちらは1番線ホームへと降りる階段です。
さや47
1番線ホーム。
天下茶屋駅は堺筋線の終点駅ですので全てのホームが
天神橋筋六丁目駅方面行きとなっています。
この1番線はいわば予備ホームで
ここから発車する列車は1日1本のみとなっています。

さや48
そしてこちらは島式の2、3番線ホームへと下る階段。
さや49
こちらの島式の2線のホームが
通常の発着に使用されているホームとなります。

さや50
1番線ホームの南端から南側を見た光景です。
この駅は終点駅ですが、駅に到着した列車は一旦ホームを離れて
奥にある留置線へと退避した上で、再度ホームに戻って出発をします。
さや51
入線してくる堺筋線の列車。

【写真撮影:2018年4月】



■モデル車両: 南海50000系 ラピート
さや02
南海50000系は南海電鉄の特急形車両です。

関西空港の開港に際し、関空と大阪なんばを繋ぐ様に走る南海本線が
空港アクセス鉄道としての役割を担う事となり、
1994年(平成6年)9月4日の空港開業に合わせて
この南海50000系ラピートも運行を開始
しています。

このラピートをモチーフとしている駅メモのでんこ
「天下さや」の誕生日も9月4日に設定されていますが、
これはこのラピートの運行開始日が元と見て間違い無いでしょう。
さや16
「ラピート」という名称は一般公募で選ばれた
「速い」という意味のドイツ語「rapid」に由来しているそうで、
列車には「rapi:t」と表記されています。
さや05
南海電鉄の企業イメージを担うとされた空港特急のデザインには
建築家の若林広幸氏に車両デザインを依頼。
車両全体のデザインコンセプトは「ダンディ&エレガンス」だそうです。
さや17
車両の外装のデザインには「ダンディ・粋・端正・信頼感・躍動感」を具現化。
航空機の流線型のイメージが全体的に用いられています。
さや18
先頭車両の先頭部の側壁にはフィン(突起)が設けられて
その中に前照灯、標識灯、尾灯が埋め込まれています。
そしてライトから側壁には砲弾型の飾りがデザインとして作られています。
さや20
乗降の扉は開閉は空気式の開閉のプラグドアとなっており
遮音性と気密性の向上を目指しています。
さや19
内装デザインには「エレガンス・洗練・美的・華やか・豊かさ・ゆとり」を設定しており
ゆとりのあるなかなか快適な空間に仕上がっています。


それでは以下で各車両について見て行きたいと思います。

さや03
ラピートは関西空港駅側が1号車となっていますが、
こちらはその関空側1両目の1号車のクハ50701形となります。
ク(制御車)ハ(普通車)ですのでご覧の通り運転台のある先頭車両となっています。
形式記号ではTc2となりこちらも制御車であることを現しています。

前面非貫通型となっており、「レトロフューチャー」をデザインコンセプトとした
独特の形状から非公式ながら「深海潜水艇」や「鉄人28号」といった愛称がついています。
鉄道の重量感と航空機の流線型によって力強さと速さを融合させているそうです。
外壁の結合部にリベットの様に露になっているボルトが
そのレトロ感と無骨さを増しています。

内部の座席については1号車~4号車まではレギュラーシートとなっており
JRで言えば普通車にあたる、4列シートとなっています。


さや04
こちらは関空側2両目となる2号車のモハ50201形です。
モ(中間電動車)ハ(普通車)であり、
形式記号はM3(主制御器搭載の中間電動車)となります。
ご覧の通り難波側の屋根には下枠交差式のパンタグラフが搭載されています。


さや06
関空側3両目のサハ50601形です。
サ(付随車)ハ(普通車)で、形式記号でもT(付随車)です。
さや11
3号車車内の様子です。
レギュラーシートの2+2の4席となっており、
座席のもけっとは豹柄が採用されています。
窓はご覧の通り全て楕円形という特徴ある窓になっています。
さや12
座席の下にはペダルが付いていて
回転式リクライニングシートとなっています。
さや13
扉の上には液晶ディスプレイ式の車内表示機が。
空港特急ですので日本語、英語・韓国語・中国語の4ヶ国語で表示がされます。
さや14
3号車はなんば寄りの車端に乗降口がありますが、
乗降デッキには自動販売機が設置されています。
またこの車両の反対側の関空寄りにはトイレや洗面所が設けられています。


さや07
そして関空側4両目の4号車であるモハ50101形
モ(中間電動車)ハ(普通車)であり、M2(中間電動車)となります。


さや08
関空側5両目、なんば側からは2両目となるモハ50001形です。
この車両もモ(中間電動車)ハ(普通車)で、
車両の形式記号はM1(中間電動車)になります。

ラピートの5号車と6号車は「スーパーシート」となっており
JRで言えばグリーン車にあたる車両です。
普通車にあたるレギュラーシートが4列座席なのに対して
スーパーシートは3列座席となってシートピッチやサイズも大きく
ゆったりとしています。

この5号車にも関空寄りのデッキにトイレと洗面所があります。


さや09
そしてこちらがなんば側の先頭車両である6号車のクハ50501形です。
ク(制御車)ハ(普通車)ですので運転台があります。
形式記号もTc1(制御車)となります。
さや10
車内の様子です。
奥がなんば側の先頭側であり、手前が関空側となります。
この車両もスーパーシートの車両ですので座席は1+2の3列であり、
関空側の一番手前が車椅子対応席となっていて1+1席となっています。


さや15
そしてこちらは関西空港のロビーに設置してあった
「関空戦士ラピートルジャー」です。
見れば分かりますが南海がラピートをモチーフに作り上げたヒーローです。
なんでも海外から大阪なんばへ来る観光客へのアピールの為に誕生したのだとか。
『世界征服を企む「怪人ゴキブラー」と戦うために
大阪秘密警察が開発した、対怪人用サイボーグ』
だそうです。
2015年度(平成27年度)に活動をしたラピートルジャーですが
ご覧の通りまだ関空にいました。


【写真撮影:2017年6月】
 ※特に車内については追加で撮影をしてくる予定です。

信楽高原鉄道00
さて、次は信楽高原鉄道についてです。


正式には「信楽高原鐵道」と表記するこの鉄道は、
元々は1933年(昭和8年)に開業した国鉄信楽線という国鉄の路線でした。
路線は旅客営業も行っていましたが、
その大きな役割は信楽で焼かれた信楽焼きの陶器の貨物輸送でした。

江戸時代には宇治茶を入れる茶壷が有名で
童謡「ずいずいずっころばし」はこの信楽焼きの茶壷の運搬を唄った歌です。
戦後には火鉢がメインの産物となり、
陶器の運搬の効率化が信楽の課題となります。
その為に鉄道敷設の陳情が繰り返されて出来たのが国鉄信楽線であり、
「信楽焼きの火鉢を運ぶ貨物路線」として繁栄したのです。


戦中の1943年(昭和18年)には不要不急線に指定され、
またモータリゼーションによって陶器の運搬もトラックへと転換。
貨物の輸送量の落ちた信楽線は赤字ローカル線へと転落していきます。

1980年(昭和55年)には国鉄再建法による「特定地方交通線」に指定され
実際に1981年(昭和56年)には特定地方交通線第1次廃止対象として廃止が決定。
1987年(昭和62年)に一旦JR西日本の路線となった後、
三ヶ月を経て信楽高原鐵道へと第三セクター転換が成されました。


信楽高原鉄道01
こちらは貴生川駅の南口の駅前の光景です。
JR草津線の駅であり、近江鉄道の終点と信楽高原鐵道の起点でもある
この地域のターミナルともいう駅です。
信楽高原鉄道03
南口ロータリーの出口付近にあるJA甲賀の建物です。
1階に売店がありますが、開店時間が朝9時半ですので注意が必要です。
信楽高原鉄道02
こちらが南口の駅舎の外観です。
1986年(昭和61年)に改築されて橋上駅舎となりました。
改築前の駅舎はこちらの南口側にあったそうです。
信楽高原鉄道04
階段を見ると両壁にはこの地域ならではのタヌキと忍者の絵が。
信楽高原鉄道05
上から階段を見ると「ようこそ甲賀流忍者のふるさとへ」と書かれていました。
信楽高原鉄道06
跨線橋上の駅のコンコースです。
信楽高原鉄道07
こちらは反対側の北口の駅前ロータリーの光景です。
信楽高原鉄道08
北口から見た駅舎の外観。
信楽高原鉄道09
階段の袂には水口地区の観光案内板があります。
信楽高原鉄道10
その右手後方には近江鉄道の島式ホームが見えます。
信楽高原鉄道11
北口の階段は側壁では無く階段の蹴込みに
リアルな忍者の絵が描かれていました。
信楽高原鉄道13
上から見下ろした北口ロータリーの俯瞰。
信楽高原鉄道12
北口方面から見た橋上のコンコースの光景です。
信楽高原鉄道14
コンコース北寄りにある近江鉄道の入口。
信楽高原鉄道15
橋上から見下ろした近江鉄道ホームの様子です。
信楽高原鉄道23
コインロッカーも忍者仕様。
信楽高原鉄道22
その並びの、改札の向かい側には
ご覧の乗車証明書発行機があります。
信楽高原鐵道に乗る乗客はこちらで発券を受ける必要があります
信楽高原鉄道16
こちらが南寄りにあるJRと信楽高原鐵道の改札口です。
共同使用駅となっていてJR西日本の直営駅であり、
駅構内もJRが管理を行っています。

ですが券売機や窓口、そして改札機ではJRの切符しか扱っておらず
委託されていない信楽高原鐵道の切符は発券販売をしていません
信楽高原鐵道を利用する乗客は乗車証明書を見せて改札を通過し
料金は列車内での精算となります。
信楽高原鉄道17
改札内に入ると左手に信楽高原鐵道の案内表示のある通路が。
信楽高原鉄道18
突き当たりには当然のようにタヌキが方向を案内。
信楽高原鉄道19
階段を下ると信楽線のホームへと辿りつきます。
JR草津線の下り3番線ホームの反対側に切り欠きホームとして
信楽線ホームが設けられています。
信楽高原鉄道21
信楽線ホームの終端の車止め。
ゼロキロポストは見当たりません。
信楽高原鉄道20
こちらがホームの様子となります。
隣のJR草津線は電化されているので架線がありますが、
信楽線は非電化なので架線がありません。
信楽高原鉄道24
JRの3番線ホームと信楽線ホームの中間には
ご覧のICカード用の自動改札機が2台設けられています。
草津線は全線がICOCAのサービスエリアに含まれていますので
乗り換え客用に設置された様です。
信楽高原鉄道25
ホームに設置されている時刻表です。
左が信楽高原鐵道のものですが列車数は一日15本となっていました。
右のJR草津線の時刻表と比べると本数の違いが分かると思います。
信楽高原鉄道26
ホーム南端から先を見ると線路は右にカーブを描いています。
国道の跨線橋をくぐると左手がJR草津線、右手が信楽高原鐵道と
並走する線路が分かれていきます。



信楽高原鉄道27
JR草津線と分かれた信楽高原鐵道は
杣川に架かる杣川橋梁を渡った後、
田んぼの中を一直線に走る築堤を上って行きます。

全長が14.7kmの信楽高原鐵道ですが
起点の貴生川駅から次の駅までは9.6kmあり、
最初の駅間が路線の大半を占めるというなかなか珍しい路線となっています。

信楽高原鉄道28
飯道山の山ろくを山中を進み
線路と並走する国道307号線が新名神高速道路とも並走する付近、
貴生川駅からは6.5kmの場所にあたるこちらに小野谷信号場があります。
信楽高原鉄道29
こちらは貴生川駅へと向かう列車の中からみた信号場の様子です。
ご覧の通り1線スルーの単純な列車交換用の信号場であることが分かります。
信楽高原鉄道30
この信号場の信号を見ると、線路に対して真横を向いています。
これは1991年(平成3年)3月に作られたこの小野谷信号場が
同年12月以降使用を停止している
が故で、
以降現在に至るまでこの信号場の設備は使用されていません。
ちなみに信号場自体は現在でも廃止はされていません。


信楽高原鉄道31
そして信号場からおよそ2kmを進んだこちらは
新名神高速道路の信楽ICの入口付近です。
信楽高原鉄道32
そのインターチェンジの反対側の国道脇には
ご覧の石碑が建っているのが見えます。
信楽高原鉄道33
石碑には
「信楽高原鐵道列車 JR西日本直通乗り入れ列車 正面衝突事故現場」
と刻まれていました。
1991年(平成3年)5月14日に42名の死者を出した
列車事故の現場がこの場所となります。
信楽高原鉄道34
石碑の横を見ると事故犠牲者の慰霊塔が建っていました。
先ほどの小野谷信号場が完成3ヶ月で使われなくなったのも
この事故が原因となっており、、
また信楽高原鐵道の歴史を語る上でも欠かすことのできない事故でした。



信楽高原鉄道35
そして信楽ICの入口から国道304号(近江グリーンロード)を
さらに400mほど南下するとご覧の光景となります。
信楽高原鉄道36
こちらが次の紫香楽宮跡駅の駅への入口となります。
信楽高原鉄道37
国道から駅へと至る駅前の広場です。
信楽高原鉄道38
広場の奥には踏切と案内板があり、
その脇のスロープが駅への入口となっています。
信楽高原鉄道39
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっていて駅舎はありません。
路線が第三セクター転換をした1987年(昭和62年)に
JR時代には無かった新駅として開業した駅となります。
信楽高原鉄道40
ホームに置かれる信楽焼のたぬき。
信楽高原鉄道41
待合室は屋根とベンチのみの簡素なものとなります。
信楽高原鉄道42
ホーム北端に隣接するこの踏み切りは「療養所踏切」という名前であり、
東海自然歩道の一部となっています。
信楽高原鉄道43
ホームから見た国道側の駅前スペースの様子。
信楽高原鉄道44
駅から南東に200mほどの、国道を挟んだ駅の斜向かいとも言うべき場所には
ご覧の紫香楽病院があります。
現在は独立行政法人の所属となっていますが元々の国立病院にあたります。
信楽高原鉄道45
そして病院の裏手にあたる、駅西に500mほどの住宅街の中のこちらに
駅名の由来となっている史跡があります。
信楽高原鉄道46
「宮跡」と書かれたバス停。
信楽高原鉄道47
石の標柱に「紫香楽宮跡」とあるので分かる通り、
こちらが国の史跡に指定されている紫香楽宮跡の入口となります。
信楽高原鉄道49
史跡の砂利道を進むと案内板のある広場にたどり着きます。
信楽高原鉄道48
広場から伸びる参道のような坂を上ると史跡があります。
信楽高原鉄道50
史跡の様子。こちらの内裏野地区の遺跡がが
1926年(大正15年)に「紫香楽宮跡」として国の指定を受けましたが、
現在では調査によって聖武天皇が紫香楽宮で大仏造立をはじめた甲賀寺跡とされています。



信楽高原鉄道95
こちらは国道304号の牧交差点の光景です。
この交差点から東へ500mほど伸びているのが
県道136号雲井停車場線です。
信楽高原鉄道51
県道を東に300mほど入った雲井小学校の前付近です。
この小学校前の道が国道と駅を連絡する道路となっています。
信楽高原鉄道52
左にカーブしながら進むと見えてくる駅前広場と駅舎。
信楽高原鉄道53
こちらが雲井駅の駅舎の外観となります。
1933年(昭和8年)に国鉄信楽線が開通した際に設けられた駅で、
国鉄時代は信楽線唯一の中間駅でした。
後に新設された紫香楽宮跡駅とは南に600mしか離れていません。

また「雲井」という言葉には「宮中・禁中」という意味や「皇居のある場所」という意味があり、
紫香楽宮に所以のある地名である事が分かります。
信楽高原鉄道62
駅前には舗装されている駅前広場が。
信楽高原鉄道63
広場には観光案内の看板や表示があります。
信楽高原鉄道61
駅舎の南側にある、駅舎より立派なトイレの建屋。
信楽高原鉄道64
トイレの奥は駅の駐輪場となっていました。
信楽高原鉄道54
駅舎の中の待合室の様子です。
信楽高原鉄道55
構内に入るとすぐにホームへ上る階段があります。
信楽高原鉄道57
ホーム側から見た駅舎。
信楽高原鉄道56
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
信楽高原鉄道58
ホーム前の線路の反対側を見ると
何やら花壇のようなスペースが残っているのが見えます。
これはかつてこの駅が列車交換可能だった時の
反対側の線路とホームの名残りの様です。
信楽高原鉄道59
ホーム南端の先の線路見ると、交換設備が撤去された駅で見られる
不自然にレールが曲がっている様子が見えます。
信楽高原鉄道60
逆にホーム北端側を見ると線路の西側には
かつての貨物用の引込み線のあった砂利道があります。
1962年(昭和37年)に無人化されるまではこの駅でも貨物の取り扱いがありました。



信楽高原鉄道65
国道304号線をさらに2kmほど南に下ると
こちらの勅旨西恩寺橋交差点に差し掛かります。
信楽高原鉄道66
交差点の橋を渡るとご覧の駅へと至る道が伸びています。
信楽高原鉄道67
道の脇には勅旨西恩寺の広大な駐車場があり
その奥には寺が見えます。
信楽高原鉄道68
さらに道を進むと踏切が見え、
その横に駅が現れます。
信楽高原鉄道69
踏切の南側にある勅旨駅の遠景です。
勅旨とは「天皇の命令書である勅書の一種である公文書」のことであり、
紫香楽宮や天皇陛下に関連する地名であることは明らかでしょう。
信楽高原鉄道70
ご覧の駅前のスペースと入口のスロープが踏切脇に。
スロープ脇に見えるのは駅舎では無くトイレの建物です。
信楽高原鉄道72
上までスロープを上がると駐輪場があり、
抜けて進むとホームへの入口となります。
信楽高原鉄道73
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅で、駅舎は無く
ホーム上に待合の為の屋根とベンチがあるのみです。
駅は国鉄信楽線時代の後期にあたる1963年(昭和38年)に開業しています。
信楽高原鉄道74
駅の裏側には田んぼが広がっており、
ホームと田んぼの間にあぜ道のような通路が設けられています。
信楽高原鉄道75
信楽焼きの狸とキロポスト。
信楽高原鉄道76
ホーム南端の前にはご覧の田中踏切があります。
信楽高原鉄道77
南側から見た駅の様子。



信楽高原鉄道78
国道304号線の勅旨西園寺橋交差点(勅旨駅最寄り)から1kmほど南に下ると
ご覧の玉桂寺の案内看板が見えてきます。
信楽高原鉄道79
こちらが国道から玉桂寺、そして玉桂寺前駅へと至る道路となります。
信楽高原鉄道80
駅への横道を300mほど進むと橋が見えてきます。
信楽高原鉄道81
橋の袂の前にはご覧の玉桂寺へと誘導する小坊主の看板が。
信楽高原鉄道82
小坊主から200mほど進むと信楽高原鐵道の線路に突き当たり、
線路に沿って右に進みます。
信楽高原鉄道83
そして線路沿いにさらに200mほど進むと駅が見えてきます。
信楽高原鉄道84
こちらが駅前の様子です。
信楽高原鉄道85
駅側から見た駅前の様子。
周辺に何も無いのが分かります。
信楽高原鉄道86
駐輪場の向かいの藪へと通じる道。
藪ごと柵で囲われています。
信楽高原鉄道87
駅前のスペースの奥には
ホームへと上がる入口の階段が。
信楽高原鉄道88
こちらがホームの様子となります。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となります。
国鉄信楽線時代には無かった駅で、
1987年(昭和62年)の第三セクター転換時に新設された駅となります。
信楽高原鉄道89
ホームの中ほどにはご覧の通路が。
信楽高原鉄道90
駅入口の脇のスロープと、ホーム中ほどからの通路は
ご覧の様に合流していました。
信楽高原鉄道91
合流した通路には網の扉がありますが、
扉を入って坂を上ると吊り橋が見えてきます。
信楽高原鉄道92
この吊り橋は「保良の宮橋」という橋で、
信楽高原鐵道と大戸川を跨いでいます。
信楽高原鉄道93
橋から見た駅の対岸には
駅名の由来となっている高野山真言宗の玉桂寺が見えます。
信楽高原鉄道94
吊り橋の北側を見ると駅が俯瞰で望めます。



信楽高原鉄道96
信楽高原鐵道が終点へと近づくと信楽の市街地へと光景は変化し、
いたるところに陶器が並ぶ信楽焼き一色となります。
信楽高原鉄道97
こちらは国道304号線の信楽駅口交差点。
駅からは300mほど離れているものの、国道からは駅に一番近い交差点です。
この交差点から駅までは県道137号信楽停車場線となっています。
信楽高原鉄道98
駅方向へと向かう県道の光景。
信楽高原鉄道99
甲賀市役所の信楽支所の前を通過します。
信楽高原鉄道a01
さらに東へと進むと大戸川と信楽川を渡る旭橋に。
二つの川はこの橋の下流すぐで合流しています。
信楽高原鉄道a02
そして旭橋を渡って100mほどで駅が見えてきます。
信楽高原鉄道a03
こちらが信楽駅の駅舎の外観となります。
信楽高原鉄道a04
駅舎の前にはご覧の巨大な高さ5mの信楽焼の狸が。
良く見るとこの狸は公衆電話となっています。
信楽高原鉄道a14
狸の後ろには観光案内の看板が。
この看板、近づいて触れてみるとさすが信楽だけあって陶製でした。
信楽高原鉄道a15
看板脇の、狸の背後には広場があって椅子とテーブルが置かれていますが
こちらも当然信楽ですので陶器製です。
信楽高原鉄道a06
駅前広場の北側はロータリーとなっており、
その奥には車両基地が設けられています。
信楽高原鉄道a05
駅舎の中の様子です。
信楽高原鐵道では唯一の有人駅として駅員が常駐しています。
信楽高原鉄道a11
券売窓口の前にはご覧の駅長が。
信楽高原鉄道a16
改札脇にはこの駅が近畿の駅100選に選出されたことが掲示されていました。
信楽高原鉄道a07
こちらがホームの様子です。
相対式2面2線のホームを持つ駅ですが、
乗客の乗降はご覧の駅舎側のホームのみで行われています。
信楽高原鉄道a12
ホーム上にある巨大な土瓶と抹茶茶碗、そして茶筅(せん)です。
信楽高原鉄道a08
駅構内の駅舎前からホームを望む光景です。
信楽高原鉄道a09
南側を見ると信楽線の終端が見えますが、
その手前に構内踏切があり反対側のホームへと連絡しているのが分かります。
信楽高原鉄道a10
こちらが信楽駅の相対式のもう一つのホームとなります。
ホーム上にはご覧の様に無数の信楽焼の狸が置かれています。
信楽高原鉄道a13
駅の南側の信楽高原鐵道の終端。


これで信楽高原鐵道は全駅の紹介となります。
あとはこの路線の車両についてご紹介を。

信楽高原鉄道a17
こちらはSKR310形の311号車です。
2001年(平成13年)に導入された車両となります。
信楽高原鉄道a18
ご覧の通り車体には忍者がラッピングされています。
「SHINOBI-TRAIN」としてJR草津線と信楽高原鐵道で同じコンセプトで
忍びと狸のコラボレーションラッピングが施されて
2017年(平成29年)から運行されているものです。
信楽高原鉄道a19
ちなみにこちらはJR草津線の「SHINOBI-TRAIN」と、
貴生川駅で並んだ両路線のラッピング車両です。
信楽高原鉄道a20
車内の座席はご覧の通りで
忍者と狸のあしらわれたカバーがかけられています。
信楽高原鉄道a21
列車のいたるところに忍者がこれでもかと潜んでいました。


信楽高原鉄道a22
こちらはau 4G LTEでの電波エリアマップです。
信楽高原鐵道はその全線が電波エリア圏内となっているのが分かります。
ですからアクセスに関しては何も問題はありません


そしてレーダーの射程についてですが、
盲腸線である信楽高原鐵道はその根元の起点である貴生川駅からですと
近くの近江鉄道の駅が干渉してしまう為、
2駅目の雲井駅までしかレーダーは届きません

周辺を走るJR草津線やJR関西本線からも
概ね雲井駅までしかレーダーは届かず、
僅かに草津線の三雲駅━甲西駅間で勅旨駅に射程12となる場所がある程度です。

ただ鉄道から離れた場合、
信楽高原鐵道のそばを新名神高速道路が走っていますので
この高速道路からですと余裕で全駅がレーダー射程内となります。


信楽高原鉄道a23
まあ、狸と忍者はいっぱい見れますから
できれば列車に乗って攻略してあげて下さい。

では。

でんこの元ネタ
■No.02 為栗メロ(Shiteguri Mero)
 ■タイプ:アタッカー
 ■誕生日:7月15日

■出身駅: JR東海 飯田線 為栗駅(長野)
メロ01

メロ02
さて、こちらが天竜川のほとりに設けられた
JR飯田線の為栗駅の全景となります。
昨今有名となっている「秘境駅」のひとつに数えられる駅としても知られています。
メロ04
駅への入口の手前には沢に架けられたその名も「してぐりはし」があります。
メロ05
為栗橋と並行して架かっている飯田線の為栗橋梁。
メロ14
上から見ると橋梁の架かる沢の様子が分かります。
メロ06
橋を渡ると駅前のスペースとなり、
ホームへと上がるスロープの入口があります。

駅は1936年(昭和11年)に三信鉄道の停留場として開業しており、
1943年(昭和18年)に国有化して駅となっています。
メロ03
こちらが駅のホームです。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
メロ08
駅舎は無く、ホーム上にご覧の待合スペースがあるのみとなっています。

メロ09
ホーム北端を見ると、線路の反対側に民家があるのが見えます。
外見は手入れがされていますがどうやらこの家は空き家で無人だそうで、
持ち主が定期的に管理をしているそうです。
メロ10
この民家にはどのように入るのかと思いきや、
駅ホームと天竜川の間に何やら人の痕跡のあるけもの道がありました。
メロ11
けもの道の先、ホーム北端には「通行しないで下さい」の看板があり、
線路の反対側には民家へ通じる道がありました。
どうやらこちらは無人駅でたまに見かける勝手踏切
(生活道路として黙認されている非正規の踏み切り)となっている様です。
メロ12
ホームの正面の線路反対側に見える納屋。
メロ13
納屋の南側の線路際にはお墓があるのが見えます。
メロ07
駅のすぐ西側にはご覧の通り天竜川が間近まで迫ってきています。
駅が出来た当時には駅西の河畔近くに為栗の集落があったそうです。
しかしここから南に4kmほど川下に1951年(昭和26年)に
中部電力の平岡ダムが竣工。ダム上流側の水位が上がったことによって
為栗の集落も川底に沈む事となりました。

かくして為栗の集落の為に作られた駅は集落の消滅によって
生活利用者のほとんどいない無人駅となった訳です。
メロ21
こちらは駅前から南方へと伸びる道を望む光景です。
標識も無いのでまったくそんな気はしませんが、
駅前からの道は長野県の県道430号線為栗和合線という立派な県道です。
メロ15
駅を背に南へと駅前の道を進むとすぐに見える
JR飯田線の為栗第5トンネル。
メロ16
トンネルの脇を抜ける道の先には
天竜川に架かっている「天竜橋」という吊り橋が見えます。
実質的に駅と外界を結んでいる唯一の橋となります。
メロ17
トンネル脇から吊り橋までの光景。
メロ18
こちらが吊り橋の様子です。
歩くと若干揺れますが、鋼のしっかりした吊り橋ですので
高所恐怖症でなければ恐怖感を感じるほどでは無いと思います。
ちなみにこの吊り橋も県道の一部です。
メロ19
吊り橋から北方を見た光景です。
こちらは為栗駅の眼下の天竜川で、
為栗の集落が沈むのもこのあたりの岸寄りとなります。
奥に見える鉄橋はJR飯田線の万古川橋梁です。
メロ20
吊り橋の駅との反対側の岸の様子です。
橋の袂には車止めの杭があり、杭は「天竜橋」の標柱にもなっていました。
メロ22
駅の対岸の橋の袂からは広くなった県道が延びています。
メロ23
橋のすぐ近くにはご覧の通り車の停められるスペースが。
為栗駅への車はここまでとなります。
メロ24
天竜橋から伸びる県道430号線の様子です。
センターラインは無いものの車のすれ違える幅はある道路です。
メロ25
吊り橋からおよそ700mほど進み、県道1号線との合流点も間近なこちらに
天竜川の名勝「信濃恋し」の看板があります。
その脇には信濃恋し遊歩道の表示が。
信濃恋し かつてのこの付近の天竜川は通船が盛んだった頃に、
舟が蛇行部分に差し掛かるとあたかも「信濃が恋しい」と訴えるがごとく
舟の先が逆方向を向いてしまうことからいつしか「信濃恋し」と呼ばれるようになりました。

この地では恋人同士が「信濃恋し」に小石を投げこめばその恋が実り、
夫婦が小石を投げ込めば円満に生涯仲良く暮らすことが出来、
一つの小石に自分の名を、もう一つの小石に想う相手の名前を記して
「信濃恋し」に投げ込めば想いが叶うと言われる縁結びの地としても知られています。
メロ26
遊歩道の表示の横にはご覧の道脇へと反れる歩道があります。
メロ27
すっかり手入れが放棄された状態で
雑草は覆い茂り欄干は朽ちた道を下ります。
メロ28
河畔まで降りると目の前には「信濃恋し」の天竜川が。
現在はダムで水量が増していますがこれはこれで
なかなかの美しい光景ではあります。
メロ29
再び県道に戻ると、信濃恋しの看板のすぐ先にはご覧の建物が見えます。
メロ30
為栗駅前から伸びる県道430号線と県道1号線の交差点にあるこの建物は
「ふるさと味覚小屋」というログハウスのレストランです。
おそらく為栗駅から一番近い有人の建物だと思います。
メロ31
レストランにある信濃恋しと為栗駅への案内表示。

【写真撮影・2018年3月】



■モデル車両: 国鉄ED30形電気機関車(初代)
メロ32
こちらが駅メモの「為栗メロ」のモチーフとなった国鉄ED30形電気機関車となります。

元々は現在のJR飯田線の豊橋駅━大海駅間を開業した豊川鉄道が
新規の電気機関車「デキ54」として発注した車両
なのですが、
製造途中の1943年(昭和18年)に豊川鉄道が戦時買収されて国鉄となり、
車両の完成した1944年(昭和19年)8月から豊川鉄道の形式番号のままで
国鉄所属の車両として国鉄飯田線で運用
をされています。

ちなみに「為栗メロ」の誕生日は7月15日と設定されています。
JR飯田線の前身のひとつであり「デキ54」を発注した豊川鉄道が
最初に開通させた区間である豊橋駅━豊川駅間を開業したのが
1897年(明治30年)7月15日ですので、
メロの誕生日はこの豊川鉄道の開業日が元ネタと考えられています。


1952年(昭和27年)にED30形(初代)「ED30 1」と改称改番されると
国鉄宇部線へと転属されて運用。
1961年(昭和36年)には再度改番されてED25形(2代)「ED25 11」となります。

しかし翌年の1962年(昭和37年)には宇部線転籍からわずか7ヶ月で
廃車を前提とする第2種休車となって運用から外れ、
1963年(昭和38年)には車籍が抹消されて除籍され、
廃車となってしまいました。


しかし当時伊豆急行が貨物列車牽引用機関車を必要としていたことから
国鉄を除籍となった「ED25 11」は伊豆急行へ払い下げとなり、
国鉄時代の形式番号「ED25 11」のままで
貨物列車として運用をされることとなりました。

ながらく貨物を牽引した「ED25 11」ですが
1980年(昭和55年)に伊豆急行が貨物の運用を廃止。
仕事を失った「ED25 11」はスイッチャー(入換機)としての
頭端式ホームである伊豆急下田駅での客車の入れ替えや、
工事車両の牽引などにのみ仕様される状態となります。

1994年(平成6年)に伊豆急行での車籍が抹消されて廃車となるも、
伊豆急行の親会社である東急に引き取られ、
長津田車両工場でのスイッチャー業務に当たることとなります。
本線上での運用では無い為、無車籍の構内用移動機械扱いとしての存在ではありましたが
その強力な牽引力は重宝されることとなります。
メロ33
こちらの写真は東急の長津田工場入線した頃のものです。
機械扱いの為車籍に意味はありませんが、
長津田工場では再び「ED30 1」を車体に表示。
通称でも「ED30 1」と呼ばれる事となります。

伊豆急行時代までのこの車両の車体は小豆色(   )、
国鉄では「赤13号」と呼ばれる色をしていましたが、
東急の長津田車両工場に入るとエメラルドグリーン(    )に塗装が直されています。

この「ED30 1」をモチーフとしている駅メモの「為栗メロ」の名前である
「メロ」は車体色のエメラルドが由来であろうと言われています。
国鉄時代~伊豆急行時代までは小豆色でしたので、
エメラルドグリーンの服を着ている「為栗メロ」のデザインモチーフは
この東急時代の物である事は明らか
でしょう。
ですのでメロのモチーフの車両は本来は
「東急電鉄ED30形電気機関車」とするのが正しい気はします。


そしてエメラルドグリーン色となった「ED30 1」は長らく長津田車両工場で活躍をしますが、
2009年(平成21年)に長津田工場に新たなディーゼル牽引車2両が導入されたことから
その役割を終えることとなります。
車籍が無いので廃車ではありませんが、用途廃止となった「ED30 1」は
同年(2009年)6月に解体処分となりその役割を終えています。

1944年(昭和19年)製造のかなり旧式の車両でしたので、
本来であればとうの昔に廃車となって消えていてもおかしくない車両でした。
しかし廃車にされるたびにグッドタイミングで次の引き取り手が現れ、
新たな役割を与えられて活躍することで65年の長きにわたって
この「ED30 1」は使われてきました。
「為栗メロ」は超強力な幸運の持ち主という設定がされていますが、
「ED30 1」はまさにこの「幸運」の設定を体現している経歴を持っていると思います。



今回こちらで使った「ED30 1」の2枚の写真は
「みづほトラベル」様より転載させていただきました。
m_banner(バナークリックでリンク先に飛びます)

とうの昔に廃車になっている「ED30 1」の写真を今から撮るのは当然不可能であり、
また写真素材サイトなどを探して「ED30 1」の素材提供は見当たりませんでした。

個人で「ED30 1」の写真を公開されている鉄道愛好家の方は何名かいましたが、
皆さん「写真素材の転用禁止」の方ばかりで正直途方に暮れていました

そんな中でこの「みずほトラベル」様のみが「写真の使用フリー」をうたってらっしゃいましたので
今回こうして転載させていただいた次第です。
こちらに感謝と共に明記させていただきます。

↑このページのトップヘ