2018年09月

日高本線00
さて、お次は日高本線についてです。


元々は王子製紙が明治末期に苫小牧へと進出し工場を建てたことから始まります。
豊富な木材資源や支笏湖水流の水力発電を目論んで建設された工場の為に
発電所建設と資材運搬を目的として鉄道が敷設され、
王子製紙専用鉄道として貨物輸送にあたっていましたが
一般客の扱い許可を受け1913年(大正2年)に苫小牧軽便鉄道として開業します。

そして苫小牧軽便鉄道の東端の佐瑠太駅(現在の富川駅)から
東へと向かって日高拓殖鉄道が1922年(大正11年)に開業。
静内駅まで延伸した後に1927年(昭和2年)に国有化され国鉄日高線となります。

1943年(昭和18年)に鵡川駅よりの富内線の開業によって日高本線へと改称。
JR北海道へと移管されて現在に至っています。



日高本線05
こちらは道道19号苫小牧停車場線です。
国道36号線と駅との間の800mを連絡している道道です。
日高本線06
駅前広場に面した道道の終端にある
こちらは「苫小牧エスタ」という駅ビルです。
1982年(昭和57年)に駅舎の改築に合わせて駅ビルとして作られ、
JR出資の民間企業が運営を開始したものの
モータリゼーションによる駅前地区の空洞化により経営が悪化
2000年(平成12年)にJR北海道が買い取って直営としたものの
客足の減少は止まらず2016年(平成28年)に閉鎖されました。
日高本線07
建物の周りは囲いで囲われていますが、
白く塗られた万能板と呼ばれる囲いには
苫小牧市公式キャラクターの「とまチョップ」の4コママンガが描かれています。
日高本線08
苫小牧エスタから駅前広場の上には
駅舎と直接つながる連絡通路が作られています。
駅ビルが閉鎖されてしまったので通行禁止なっていますが。
日高本線19
連絡通路の東側にもバスの停まる駅前ロータリーが続いており、
茶色のレンガ調の目を引く建物が建っています。
手前の低い建物はテナント棟で店舗が入っていますが、
高い方の本棟は高齢者複合施設で老人ホームやデイサービスが集約されている建物です。
もちろん重要な施設なのですが、駅前一等地にあえて建っているところが
苫小牧の現状を物語っている気がします。
日高本線01
こちらが苫小牧駅の南口の外観です。
現在の駅舎は1982年(昭和57年)に改築された4代目の橋上駅となります。

駅は1892年(明治25年)に北海道炭礦鉄道の駅として開業したもので
1906年(明治39年)に国有化。そして1909年(明治42年)に
後の日高本線となる王子製紙専用線が乗り入れます。

王子製紙の専用線は1913年(大正2年)に苫小牧軽便鉄道となり、
日高拓殖鉄道を経て1927年(昭和2年)に国有化。
国鉄日高線となります。
その後JR北海道へと転換し室蘭本線、日高本線、千歳線の駅として
現在に至っています。
日高本線02
橋上の自由通路と改札付近の光景です。
日高本線10
自由通路の北側には、跨線橋から延びる連絡通路が
ご覧の様に伸びています。
日高本線11
連絡通路の先にはご覧の「MEGAドン・キホーテ苫小牧店」があり、
苫小牧駅周辺で一番大きな施設となっています。
日高本線13
ドンキホーテの建物内から見た連絡通路への入口。 日高本線12
駅前広場へと通じている苫小牧駅の北口の外観です。
日高本線14
北口駅前広場の様子。

日高本線03
改札内に入った構内。
島式2面4線のホームを橋上の連絡通路で繋いでいます。
日高本線15
構内にあった謎のゆるキャラ。
日高本線04
島式の1、2番線ホームです。
室蘭本線では途中駅であるものの苫小牧駅を境に運転系統が分かれており、
沼ノ端駅から乗り入れる千歳線も運行上の起点、
そして日高本線では名実ともに起点駅であるという特性上
各ホームにそれぞれの路線が入り乱れて停車しています。

そんな中で日高本線は1番線のみが停車ホームとなっています。
日高本線09
その1番線の、跨線橋の階段脇のホームの縁を見ると
ご覧の通り日高本線の0キロが表記されています。
日高本線16
1番線ホームの東端です。
この先には旅客扱いの無い苫小牧貨物駅があり
千歳線と日高本線が分岐しています。
日高本線17
こちらは北側の島式ホームの3、4番線です。
日高本線18
3番線は千歳線の札幌方面の特急列車が停車します。
またこちらのホームには3、4番線ともに
室蘭本線の岩見沢方面の普通列車が入線します。


日高本線28
苫小牧駅から東に3.4kmほど進んだ付近にある苫小牧貨物駅
かつては苫小牧駅構内だったこちらは
2011年(平成23年)3月のダイヤ改正で実態に合わせて貨物駅として分離されました。
千歳線と日高本線は実際にはこの貨物駅構内で分岐しています。
旅客扱いしていない貨物駅ですので駅メモには収録されていません。



日高本線20
こちらは苫小牧駅からは13kmほど進んだ、苫小牧港の南東に位置する
工場地帯の中の市道の光景です。
元々製紙工場があって鉄道の貨物専用線が引き込まれていたこの地域は
1960年代の苫小牧港開削によって工場の立ち並ぶ工業地帯として発展しました。
日高本線21
こちらが勇払駅の駅舎です。
1913年(大正2年)に苫小牧軽便鉄道の駅として開業。
国鉄の駅となった後の1962年(昭和37年)に、苫小牧港の建設で
日高本線の付け替えによって駅が北へ移転し現在の場所となりました。
日高本線22
駅前の市道には信号と横断歩道がありますが
広場は砂利が敷かれただけの空き地の状態です。
日高本線31
南の広場の端にはご覧の線路を越える地下道があり、
駅周辺の案内地図がありました。
日高本線23
駅舎の入口です。
日高本線24
中はガランとしており、壁際にベンチの置かれた待合室となっています。
日高本線25
ホーム側の駅舎の先には、ホームまでの舗装された通路が。
かつては交換施設や引き上げ線があった名残りで
駅舎とホームの間が離れています。
ホームを見るといかにも島式であった名残りが。
日高本線26
こちらがホーム上の様子です。
島式のように見えますが線路のあるのは片側のみであり
単式1面1線の無人駅となっています。
日高本線27
ホーム北端の苫小牧方を見ると引き上げ線の車止めが。
その奥の線路の曲がり具合を見るとかつてのポイント分岐の名残りが見れます。
日高本線289
ホームから駅の西側を見ると
市道との間にかつて線路の敷かれていた空き地が見えます。
そして市道を隔てた向こう側には日本製紙北海道工場勇払事業所が見えます。
かつて勇払駅の南側から日本製紙の工場までは専用線が敷かれていました。
日高本線30
ホーム側から見た駅舎方面です。



日高本線32
勇払駅から海岸線に沿って9.6kmを進むと次の駅が見えてきます。
日高本線33
こちらが浜厚真駅の駅の外観です。
1913年(大正2年)の苫小牧軽便鉄道の開業によって厚真駅として設置されたこの駅は
浜厚真駅へと駅名を変更した後1927年(昭和2年)に国鉄へと転換。
かつては普通の駅舎があったそうですが、
1987年(昭和62年)に車掌車転用の駅舎となって現在に至ります。

駅前の片側1車線の道は、駅前を終点とする
道道287号厚真浜厚真停車場線となっています。
日高本線34
駅舎の中の様子です。
車掌車駅舎なのでご覧の通りです。
日高本線35
駅舎の一角にはフェリーの乗り場への案内マップが。
この駅は本州日本海沿岸から苫小牧東港を発着する
新日本海フェリーの乗り場の最寄り駅となっています。
日高本線36
しかし案内図に従って駅前の道を西へと向かうと
ご覧の通り港までは何も無い原野が広がっています。
乗り場までは2kmほどで徒歩30分となっていますが
クマ目撃情報がある
のであまりお勧めはできません。

また写真中央に見える煙の出ている煙突は
北海道電力苫東厚真火力発電所のものです。
日高本線37
駅の東に100mほどのT字路には「浜厚真海浜公園」の標識があります。
道の奥の眼前に広がる海岸は北海道でも有数のサーフィンスポットだそうです。
日高本線38
再び駅舎へ。
日高本線39
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線のみの棒線無人駅となっています。
かつては千鳥式2面のホームの駅で列車交換もできたそうですが
今では雑草に埋もれた原野が残るのみとなっています。
日高本線40
ホーム側から見た駅舎付近です。



日高本線41
浜厚真駅を出てすぐに路線は国道235号線(浦河国道)と並走状態となります。
海岸沿いに国道と並んで4kmほど進むと次の駅近くへと差し掛かります。
写真は苫小牧から20km地点の国道の路側駐車帯。
日高本線42
その駐車帯から西の苫小牧側すぐに、次の駅があります。
日高本線43
国道から駅への道の入口です。
日高本線44
ホームへと通じる砂利道の脇に
コンクリートブロック造りの待合室があります。
日高本線45
中はご覧の通りで、床はコンクリートの土間では無く
地面がそのままむき出しとなっています。
日高本線46
こちらはホームへの入口です。
日高本線47
ホームの様子。単式ホーム1面1線の棒線無人駅です。
1959年(昭和34年)に住民の陳情により
国鉄日高本線の駅として新設されました。
日高本線48
ホーム正面にある27キロの距離標。
日高本線50
眼前には牧草地と原野が広がるのみです。
日高本線49
国道む向こう側の浜辺にも施設や建物は見当たりません。
日高本線51
駅前から西のすぐにある道南バスの田浦第一停留場。
浜田浦駅の最寄りのバス停ですが、運行本数はご覧の通りです。



日高本線512
こちらは鵡川駅の駅舎の外観です。
1913年(大正2年)に苫小牧軽便鉄道の開通によって開業した駅は、
国鉄への移管の後、1943年(昭和18年)に国鉄富内線の開通によって乗り換え駅となります。
しかしJR移管の前年の1986年(昭和61年)に富内線は廃止。
日高本線の単独の駅としてJR北海道へと移管されます。
日高本線53
駅舎は1987年(昭和62年)に改築されたもので
「むかわ交通ターミナル」の表示がありバスの待合室を兼ねています。
日高本線54
入口脇のショーケースの中には
シシャモに関するアイヌ神話についての展示がされています。
ししゃもも北海道の太平洋岸にのみ生息する魚であり、
胆振管内の鵡川町のししゃもは「鵡川ししゃも」として全国的に有名となっています。
日高本線64
駅前広場の東の一角にある苫米地商店の建物です。
かつては鵡川駅の駅弁としてシシャモの甘露煮のはいった幕の内弁当を作っていた店で、
1985年(昭和60年)にTBSで放送されたテレビドラマ「おふくろの青春」の
舞台となった駅弁屋のモデルとなった店です。
ですが現在は駅弁製造からは撤退しており、
店も店名の文字が欠けてしまっている状態でした。
日高本線55
駅舎の中の様子です。現在は無人駅となっていますので、
券売窓口もキオスクも閉じられています。
日高本線56
ホーム側の改札出口です。
現在(註:2018年5月)は列車の運行は鵡川駅までとなっていますので
「全ての列車が向かい側ホームから発車します」という
掲示がドアに張られていました。
日高本線57
ホーム側から見た駅舎出口付近です。
日高本線58
こちらは1番線ホームです。
苫小牧方面行きの上り線ホームでしたが
2015年(平成27年)1月の日高本線の高波被害以降
列車が運休している為列車の発着が無く使用を休止している状態です。
日高本線59
そしてこの駅は千鳥式ホーム2面2線となっていますので、
1番ホームの西側の苫小牧方に構内踏切があります。
日高本線60
こちらが2番線ホームです。
元々は下り線の静内・様似方面行き列車の発着するホームでした。
また当駅始発の折り返し列車もこのホームを使っていました。
待合室などは無くベンチがあるのみとなっています。
日高本線61
日高本線の運休以降、全列車は鵡川駅折り返しとなっていますので
ホームにもご覧の通り「苫小牧行のりば」の看板が新設されていました。
日高本線65
列車停車時の乗客の乗降の様子です。
日高本線68
そして2番線ホームの裏側には引き上げ線が見えます。
このホームは実はかつては島式ホームであり、
1943年(昭和18年)から1986年(昭和61年)まで富内線の線路が走っていました。
かつての鵡川駅は2路線の交わる連絡駅だったのです。
日高本線62
そしてホーム東端の構内踏切の方を見てみると。
日高本線63
踏切前にはご覧の列車代行バスの案内表示がありました。


度重なる台風や豪雨、高波などによって
日高本線は2015年(平成27年)以降長期に渡って列車が運休状態にあります。
その中で唯一列車運行がされていたのがこちらの苫小牧駅━鵡川駅間となります。
日高本線66
写真を撮った2018年(平成30年)5月の時点では
ご覧の通り列車は運行していました。
しかしながら同年9月に起こった北海道胆振東部地震によって
日高本線は直撃を受けてしまい苫小牧駅━鵡川駅間も運休状態
となりました。
結果、日高本線は全線がバス代行輸送となってしまい
列車の運行は完全にストップ状態
(註:2018年10月現在)となっています。
勇払駅━浜厚真駅間の厚真川橋梁が桁ずれを起こしているなどの被害があるそうですから
残ると思われていた苫小牧駅━鵡川駅間を含めた日高本線の全線廃止も
可能性としては低くない
と思われます。

 ※【2018年11月追記】苫小牧駅━鵡川駅間についてはJR北海道より
  「2018年12月上旬に復旧見込み」であることが発表されています。
  これにより当面の間は苫小牧駅━鵡川駅間の日高本線は存続する見込みとなりました。


日高本線67
こちらは日高本線の苫小牧駅━鵡川駅間の
au 4G LTEでの電波エリアマップです。
実際には原野の広がる地域が多いものの電波状態は良好で
全ての区間で駅へのアクセスが可能
となっています。


苫小牧駅から鵡川駅まで、駅数にすればわずか5駅です。
ですが営業キロで言えが30.5kmであり
これは東北本線の東京駅━大宮駅と同じ距離
となります。

日高本線69
恐らくこれから日高本線を攻略する方は
鉄道に乗ってのコンプリートはできないと思われます。
JRが運行している代行バスを使って苫小牧駅━様似駅間を往復すれば
丸一日がかりではありますが戻ってこれますので、
一番オーソドックスな攻略はこちらになるかと思います。

また道東バスの高速ペガサス号を使えば
札幌━浦河まで乗車することでアイテム使用にはなるものの
日高本線のコンプリートは可能です。
ただ札幌駅前━浦河ターミナル間で片道2930円の運賃ですので
鉄道とは関係無い道路を走った挙句に往復6000円ほどの出費となります。

私はレンタカーを借りて各駅を回りましたが、
時間制約と自由度から言えばこれが一番快適ではあるでしょう。


鵡川以降のつづきはその2にて。

では。

でんこの元ネタ
■No.67 窪川まぜ(Kubokawa Maze)
 ■タイプ:ディフェンダー
 ■誕生日:10月1日

■出身駅: JR四国 土讃線 窪川駅(高知)
まぜ01

窪川駅は1951年(昭和26年)11月に
当時の国鉄土讃線の延伸によって終着駅として開業した駅です。

1963年(昭和38年)にはこの窪川駅から土佐佐賀駅まで国鉄中村線が開通。
2路線の乗り換え駅となります。

そして1974年(昭和49年)に予土線の若井駅までの延伸開通によって
窪川駅まで予土線列車が乗り入れを開始。
3路線が乗り入れるターミナル駅となります。


1988年(昭和63年)にはJR中村線が土佐くろしお鉄道へと移管。
これにより窪川駅へと乗り入れる路線は
JRの土讃線、予土線と土佐くろしお鉄道の中村線の2社3路線となり現在に至っています。

まぜ02
こちらはJR四国の窪川駅の駅舎外観です。
鉄筋コンクリート造りの駅舎となっています。
まぜ03
駅舎の中の様子です。
広めの待合室に椅子が設置されていますが、
かつてkioskが営業いた場所はシャッターが閉まっていました。
まぜ04
そして入口の脇にはプラレールの入ったショーケースが。
JR四国とプラレールは様々なコラボを行っていますので
こちらもその一環で展示されているのでしょう。
セットの中には窪川駅も置かれていました。
まぜ05
改札を出るとホームとは跨線橋で連絡していますので
ご覧の様に駅舎前に階段までの通路があります。
まぜ06
跨線橋の中の様子です。
まぜ07
こちらは島式の2、3番線ホームです。
土讃線の高知方面行きの列車と、土佐くろしお鉄道中村線へと乗り入れる
JRの特急がこちらのホームに入線発着をしています。
まぜ08
ホーム北端の高知方面の様子です。
土讃線は全線が単線ですのでホームの先で線路が一本に集約しています。
まぜ09
中村方面のホーム南端も、土佐くろしお鉄道が単線なので
同じく線路が一本に集約しています。
まぜ10
跨線橋に戻って4番線へ。
まぜ11
こちらが単式の4番線ホームとなります。
予土線の宇和島方面行き列車が発着するホームとなります。
まぜ12
ですので通常はご覧の予土線の普通列車が停まっていますが。
まぜ13
たまに予土線のホビートレインが停まっていたりもします。

まぜ15
一旦駅の外へと出て、こちらは駅舎前の駅前広場の様子です。
県道19号窪川船戸線に沿って舗装された広場が車寄せとして使われています。
まぜ14
広場の傍ら、駅舎の入口脇にはご覧の石碑が大小二つあります。
大きい方は「昭和二十六年十一月 鉄道開通記念」とありますので
窪川駅まで土讃線が延伸開業した記念の石碑だと分かります。

そしてその脇の小さい方の石碑には
「朝鮮民主主義人民共和国 帰国記念植樹」とあります。
横にはなぜかハート形に刈り込まれた植樹であろう木が。
これは高知の国労(国鉄労働組合)が中心となって
当時の社会党を世話人に北朝鮮への「帰国促進事業」を展開、
国鉄の切符を手配して帰国を支援した記念の植樹だそうです。
同様の植樹が高知駅前にもあります。
まぜ16
そして駅舎入口の反対側の脇にはこちらの「白いポスト」が。
青少年によろしくない本などを入れるこちらのポスト、
現在は都市部ではほとんど見かけません。
まぜ17
そのJR窪川駅前の広場から北側を見ると、
駐車場の先に緑の三角屋根の建物が見えます。
まぜ18
こちらが土佐くろしお鉄道の窪川駅の駅舎です。
まぜ19
駅舎には地元の路線バス会社である四万十交通の本社が入っており、
土佐くろしお鉄道の切符の販売の委託を受けています。
まぜ20
駅舎の中の待合室の様子です。
まぜ27
改札を出るとホームは一段高くなっていますので
階段が設けられています。
まぜ21
ホーム側から見た駅舎出口の外観です。
まぜ22
こちらが土佐くろしお鉄道の窪川駅ホームです。
単式ホームの1番線となります。

窪川駅のホームの番線は土佐くろしお鉄道が1番線、
JR四国が2から4番線という配線となっています。
まぜ23
こちらがホーム上にある土佐くろしお鉄道中村線のゼロキロポスト。
窪川駅が起点となりますので設置されています。
まぜ24
ホーム北端の先にはご覧の通り車止めが。
高知方面のJR線とは線路はつながっていません。
まぜ25
ホームの南端、中村・宿毛方面にはご覧の通り
連絡通路が延びていてJRの改札までつながっています。
まぜ26
JR改札方面から見た連絡通路。
こちらの方が県外からの乗客には見覚えがあるかもしれません。

まぜ28
駅外に戻ってJRの駅前広場を上から俯瞰で見た光景です。
まぜ29
駅前のT字路の信号を南へ。
まぜ30
県道沿いに喫茶店や食堂が駅前商店街のように並んでいます。
まぜ31
その商店の並ぶ向かい側には茶色い近代的な建物が。
まぜ32
窪川駅の南隣に隣接するこちらが
四万十町の町役場の建物です。
まぜ33
役場の前から駅の方向へと見返した光景です。
まぜ34
駅と役場の間にはご覧のガラス張りの跨線橋が架かっています。
四万十町役場は西庁舎と東庁舎が線路を挟んで建っており、
この跨線橋で連絡しています。
まぜ35
外部からも跨線橋は利用できます。
こちらは中の様子。
まぜ36
役場の跨線橋から見える、駅の跨線橋です。
まぜ37
駅と反対側の東側の跨線橋の袂です。
まぜ38
役場の連絡橋なので、当然反対側にはご覧の
町役場の東庁舎が。
まぜ39
役場東庁舎の南に隣接する窪川警察署の建物です。
まぜ40
町道を挟んだ役場の向かい側にはJAの施設が並んでいました。
駅周辺にこうした町の主要施設が集まっていることからも
窪川駅が四万十町の中心地区にある代表駅であることが分かります。

まぜ41
再び駅前へと戻って県道19号線を南下。
町役場の前を通過すると国道381号線との交差点となります。
国道を越えて進むと岩本寺への案内標識があります。
まぜ42
標識に従って突き当たりを右に曲がると岩本寺への途中にある
こちらは旧都築家別邸。
1901年(明治34年)築で実業家都築半平の別宅ですが、
四万十町役場が観光資源として運営している古民家です。

門の前には窪川で生まれた幕末明治の軍人、谷干城の銅像が建っています。
谷干城は西南戦争の折に熊本鎮台司令長官として西郷隆盛と熊本城で対峙。
数的劣勢の中で篭城し城を死守して勝利。「西郷を止めた男」として名を馳せた人物です。
まぜ43
旧都築邸の先へと進むと、真言宗智山派の藤井山岩本寺があります。
四国八十八箇所霊場の第三十七番札所となっており
お遍路さんの巡礼先となっています。



■モデル車両: 土佐くろしお鉄道 2000系
まぜ44

こちらの2000系気動車は、主に土讃線における特急列車の速度向上を目的として
JR四国と鉄道総合技術研究所(鉄道総研)が共同で開発した車両です。
ですので本来は「JR四国2000系」と名乗るべき車両ではあります。

四国の山地を走行し急勾配や急カーブが連続する区間を走る為に、
開発が困難とされてきた振り子式気動車を
機械的に車体傾斜を生じさせる制御付自然振り子で作って解決。
振り子式気動車としては世界初、
制御付振り子式車両としては日本初の車両
となっています。

まぜ45
【上写真引用元:Railstation.net
こちらは1989年(平成元年)に作られたJR四国2000系試作車両「TSE」です。
「TSE」とは「Trans Shikoku Experimental」(四国横断実験)の略で
2000系気動車の量産化を目指したプロトタイプとして作られた車両となります。

1989年(平成元年)3月より特急「南風」「しまんと」の臨時列車として運用を開始。
その後1990年(平成2年)より特急「しおかぜ」増備車として予讃線で運用。
1993年(平成5年)に8000系の登場によって再び土讃線へと戻され
主に特急「宇和海」として運用されました。

まぜ46
そしてプロトタイプのTSEでのでの性能試験を経て作られたのが
こちらのJR四国2000系量産車です。

1990年(平成2年)7月16日から
予讃線の特急「南風」「しまんと」として順次運用を開始。
1992年(平成4年)までに先頭車、中間車を合せて
80両以上が生産されている車両です。
まぜ47
こちらはJR四国2000系の高知・宿毛方の下り方面先頭車両である2000形です。
駅メモのでんこ「窪川まぜ」のコスチュームのモチーフとなっている
量産車のオーソドックスなカラーリング
です。

ステンレス製の車体の大部分を占める水色(    )は
JR四国のコーポレートカラーですので多くの四国車両のベース色となっています。
また前照灯まわりには警戒色である黄色(    )が塗られています。


まぜ48
2000系量産車は基本的にJR四国の所有する車両ですが、
その中でこちらの2000系‐2030を先頭とする4両だけは
土佐くろしお鉄道の所属車両
となります。
これは特急「南風」と「あしずり」がJR四国の特急であり、
土佐くろしお鉄道へと直通乗り入れ運転をしている事が理由となります。

特急列車をJR四国の車両だけで運用した場合、
土佐くろしお鉄道にはJR四国へ一方的に車両使用料の支払いが発生してしまいます。
これを防ぐ為に、土佐くろしお鉄道側も特急車両を4両保有することで
JR四国から土佐くろしお鉄道への車両使用料の支払いも発生。
お互いの使用料を相殺することで支払い額を調整できる、という理由だそうです。
まぜ49
土佐くろしお鉄道所属の2000系気動車4両(2030、 2130、 2230、 2231) は
1990年(平成2年)10月1日に車両落成をしています。

駅メモのでんこ「窪川まぜ」の誕生日が10月1日に設定されているのは
この土佐くろしお鉄道車の落成日と一致
することから元ネタであると考えられます。
JR四国所属車ではなく土佐くろしお鉄道車をあえてモチーフとすることで
キャラクターの南国感を強調したかったのではないでしょうか。

車体のカラーリングは落成当時はJR四国車と同様のノーマル配色だった様ですが、
2000年(平成12年)にアンパンマン列車となった四国車両が好評だったことから
土佐くろしお鉄道車の4両も2001年(平成13年)3月よりアンパンマン列車となり
車体のアンパンマンのラッピングが施されました


アンパンマンの車体デザインはこれまで4回変更されており、
現在の5代目デザインは2009年(平成21年)9月から運用されています。

まぜ76
【上写真:JR四国2000系アンパンマン列車(緑)・写真引用元 Railstation.net
土讃線のアンパンマン列車は2種類あり、
先に2000年(平成12年)10月に登場したJR四国車は
「アンパンマン列車1号」としてグリーン(    )を基調としたグリーン編成となります。
まぜ77
これに対して後発の土佐くろしお車は「アンパンマン列車2号」として
オレンジ(    )基調のオレンジ編成となっています。

まぜ78
また2000系を使った特急の名前となっている「南風」は
特急列車としては「なんぷう」と読みますが、
紀伊半島南部から四国そして九州宮崎あたりでは「まぜ」と読む場合があります。
「真風」とも書く「まぜ」は、「春ごろから夏にかけて吹く南寄りのあたたかい風」という意味で、
土佐くろしお鉄道が走る高知の室戸付近では今でも漁師の間で使われている表現だそうです。

駅メモのでんこ「窪川まぜ」の「まぜ」は「特急南風」を高知の方言に読み替えたものを
元にしている
と考えると由来が符合します。



それでは実際にでんこのモチーフとなっている土佐くろしお鉄道2000系について
各車両ごとに見ていきたいと思います。
まぜ50
こちらが2000形2030です。
下り窪川方の非貫通型先頭車両であり、
グリーン席と普通席が半室づつの合造車となっています。
まぜ58
車体横に書かれた車両の番号。
まぜ51
窪川方の車端部の乗降デッキです。
運転台の真後ろのデッキの為、乗降扉のみとなっています。
まぜ52
車両の窪川方の半室となるグリーン席の客室内の様子です。
2+1のシートが6列あり18席となっています。
まぜ53
客室中央部の半室を仕切るドア。
まぜ54
車両の多度津方の半室の指定席エリアの客室内です。
4×6列の24席となっていますが、
見ての通りシートモケットにアンパンマンが描かれています
まぜ55
グリーン席との仕切りの扉や壁にもアンパンマンのキャラが描かれ
客室全体がアンパンマン一色となっています。
まぜ56
ちなみに参考までにこちらはノーマルのJR四国2000系の
2000形の指定席エリアの様子です。
まぜ57
多度津方の乗降デッキです。
かつて車販準備室だった場所に現在は自動販売機が設置されています。
またその向かいにはかつてカード式公衆電話の置かれた棚がありますが
現在は電話機は撤去されています。
まぜ73
そしてデッキの自販機との反対側には
洗面台とトイレが設置されています。


まぜ59
窪川方の二両目、2200形2231です。
モーターや運転台の無い中間付随車となっています。
まぜ60
窪川方車端部の乗降デッキです。
乗降扉のみとなっています。
まぜ61
車内客室の様子です。
2+2のシートが17列あり68席となっています。
まぜ66
シートや内装は普通のものですが、
通路の天井を見るとカレーパンマンをはじめとした
キャラクター達が描かれていました。
まぜ62
多度津方の車端の乗降デッキです。
こちらも乗降扉のみとなります。


まぜ63
窪川方の三両目、多度津方からは二両目となる2200形2230です。
二両目の2231同様に中間付随車、いわゆる客車であり
同じ2200形ですので細部も基本的に同様となります。
また2230と2231は同じ形式の車両である為、編成で順番が入れ替わる事があります
まぜ64
こちらは窪川方の乗降デッキ。
扉ののみとなっているのは2231と変わりません。
まぜ65
車内客室の様子です。
こちらも転換シートの座席が68席となります。
まぜ67
多度津側の乗降デッキです。
こちらも扉のみとなっています。


まぜ68
そして多度津方の先頭車両である2100形2130です。
運転台付きの貫通型先頭車となっています。
まぜ69
車体横の車両番号。
まぜ70
こちらが窪川方の乗降デッキです。
この車両にはトイレと化粧台、そして喫煙ルームが設置されています。
まぜ72
乗降デッキに面した折り戸の喫煙ルーム。
まぜ71
喫煙ルームと作った為、残りのスペースには
ご覧のゴミ箱と鏡の化粧台スペースが作られました。
まぜ74
客室内は普通車座席となっており
2+2が13列で52席が設置されています。
まぜ75
多度津方の乗降デッキです。
運転台の真後ろにありますが、
連結時には運転台の貫通扉をご覧の通り、通り抜けができます。

【写真撮影・2018年8月】

江差線96
【上写真:江差線キハ40 photolibrary

さて、続いてはJR江差線の廃線区間である
木古内駅━江差駅間についてです。


現在残っているJR江差線の区間は
第三セクターの道南いさりび鉄道へと転換
していますので
いさりび鉄道について書いた以下の記事をご参照下さい。
 【攻略】道南いさりび鉄道線 その1。(木古内━上磯)
 【攻略】道南いさりび鉄道線 その2。(上磯━五稜郭)




江差線01
こちらは道南いさりび鉄道の木古内駅の駅舎です。
かつての旧江差線の木古内駅駅舎を改修して使用しています。

この木古内駅から現在のJR海峡線と同じルートを南下し、
道道5号線の踏切を越えた付近で西へと江差線の線路は延びていました。
以後線路はしばらく道道5号線と並走するように走ります。


江差線02
こちらは道道5号線江差木古内線で木古内駅から2km少々進んだ付近です。
横断歩道と信号機があります。
江差線03
信号の目の前には木古内町郷土資料館があります。
この建物は2011年(平成23年)に廃校となった鶴岡小学校の廃校舎を転用したものです。
門には「鶴岡小学校」の表札がそのまま残っています。
江差線04
その郷土資料館の西側に面した道に
ご覧の通り「道南トロッコ鉄道 鶴岡公園駅」の表示があります。
こちらがかつての駅への道となります。
江差線05
道を進むと待合室と踏切が見えてきます。
江差線07
こちらがかつての渡島鶴岡駅の駅舎です。
駅舎と言っても待合室のみの建物ですが、
江差線が営業していた当時の建物が今でもそのまま使用されています。
私が訪問したときには改装中でちょうど駅舎の中に新たなカウンターなどを
大工さんが作っている最中でしたが。
江差線09
駅舎の前にある「天ノ川駅」の駅名標。
かつて江差線の線路脇にあった、駅を模した観光モニュメントにあったものですが
現在はここに置かれていました。
江差線10
反対側の駅舎脇には観光案内板が。
江差線06
駅舎のすぐ脇にあるこちらが駅のホームです。
江差線営業当時のホームがそのまま残っています
駅は1964年(昭和39年)に国鉄江差線の駅として新設されたもので
2014年(平成26年)の木古内駅━江差駅間廃止まで使われていました。

現在では廃線跡の線路を利用して「道南トロッコ鉄道」という
軌道自転車が営業しており「鶴岡公園駅」となっています。
江差線08
踏切跡のホームと反対側、木古内方面の様子です。
江差線11
道道5号線へと戻って郷土資料館の隣を見ると
鶴岡農村公園の駐車場があります。
江差線12
駐車場の西の端にある農村ふれあいセンター。
江差線13
そして駐車場の一角にはこちらの表示板がありました。
内容を読むと「鶴岡」というこの地の地名が山形の鶴岡が由来である事、
1885年(明治18年)に庄内藩士105戸が開拓の為入植したこと、
木古内町と鶴岡市が姉妹都市であることが分かります。
江差線14
同じく駐車場の一角にある記念の石碑です。
江差線15
公園はご覧の様に草地の広場となっていますが、
広場の片隅には「江差線追想」という石碑のある枝垂桜が植樹されています。
江差線16
そして農村公園にはご覧の水路が作られていますが。
江差線17
水路は江差線の線路沿いに作られており、
ご覧の様に水路の横にはホーム跡があります。

江差線18
そして再び道道5号線に戻り
鶴岡農業公園の先を見ると禅燈寺というお寺の参道があり、
中を進むと山門があります。
江差線19
山門の先を見ると本道との間の参道に
踏切が設けられているのが見えます。
この踏切は江差線の営業当時には実際に使われていたものであり
「お寺の山門の前を列車が横切る」というシュールな光景で有名なスポットでした。
江差線21
踏切から見た江差方面。
観光用の軌道自転車が今でも走っていますので廃線はそのまま残されています。
江差線20
旧渡島鶴岡駅跡の最寄りのバス停はこちらの「鶴岡禅燈寺前停留場」で
公園の入口前の道道沿いに置かれています。



江差線22
木古内川に沿って道道5号線を西へ3kmほど進むと
次の駅のあった付近へと到着します。
江差線23
かつての駅前商店であった戸辺商店。
江差線24
その戸辺商店の西隣にある砂利の空き地がかつての駅前広場となります。
現在では周辺の工事の現場事務所があり仮設のプレハブが置かれています。
広場の奥がかつての駅のホームのあった場所となります。
江差線27
反対の東側からみた駅前広場付近。
江差線25
こちらが吉堀駅の駅舎です。
駅は1935年(昭和10年)の国鉄上磯線の延伸で開設され、
2014年(平成26年)の木古内━江差間廃止によって廃駅となりました。

今も残っている黄色い駅舎はヨ3500形車掌車を改造した現役当時のものです。
駅舎に沿ってホームがあったのですが、現在ではご覧のように
廃線跡ごろ草に埋もれてしまっています。
江差線39
こちらは営業当時の駅の様子です。
江差線26
かつての駅前広場にある函館バスの吉堀停留場。
江差線28
こちらが函館バスの路線バスとなります。



吉堀駅から次の神明駅までは13.2kmの距離があります。
分水嶺でもある吉堀峠をかつての鉄道は越えていましたが、
道道5号線からは離れて北のウグイ川に沿って迂回するルートを走っていました。
江差線29
こちらは鉄道跡が再び道道5号線と並走に戻る付近。
峠を越えたので並走する川が天野川に変わり、
神明ノ沢川が天野川に合流する付近となります。
道道5号線からご覧の道を300mほど入ると写真の踏切跡があります。
江差線30
踏切脇のこちらがかつての神明駅のあった跡地となります。
1957年(昭和32年)に国鉄江差線の時代に新設開業した駅でした。
江差線31
撤去される前の神明駅の駅舎とホームです。
見比べると確かにここが駅だったことが分かります。
江差線32
駅舎のあった場所を見ると、地中まであった基礎を除いて埋め戻した跡が
綺麗に建物の形に残っていました。
地元自治体が江差線施設の撤去作業を10年がかりで進めていますので
恐らく神明駅の施設は最近(註:2018年)解体されたのだと思います。
江差線33
まだレールの残る廃線跡から江差方面を見ると
50km1/2の距離標が線路脇に残っていました。
江差線34
振り返って駅の跡地の光景です。
江差線35
道路まで戻ると駅舎の反対側の踏切脇が舗装された広場のようになっており、
函館バスの神明停留場が設置されていました。
江差線36
広場は道路と一体の様に舗装されていましたが、
鉄道用地の境界杭が埋もれていましたので道路では無い様子でした。
江差線40
踏切から木古内方面の廃線跡。
民家への砂利道の脇に線路が残っていました。
江差線38
広場の東隣の町道沿いにあった看板。
この地でかつて農水省の整備事業があったことを示す看板ですが
完了昭和64年とありますので、事業は江差線廃止の25年前ということになります。
江差線37
東側から駅跡を見ると、町道にはまだ踏切の標識が残っていました。



江差線41
神明駅から道道5号線を下って3km弱を進むと
湯ノ岱温泉への案内表示、湯ノ岱郵便局の前を通り
かつての駅前へと差し掛かります。
江差線42
横断歩道のあるこちらの交差点が駅跡への入口で、
道道には駅への案内表示も残っていました。
江差線49
反対側から見た駅前の交差点。
江差線50
駅と反対側の交差点前にはご覧の酒屋がありました。
江差線43
道道と駅を連絡する駅前の道路です。
江差線47
湯ノ岱駅の駅舎は駅前の道の突き当たりの
ご覧の場所に建っていました。
江差線44
こちらが駅の跡地となります。
1935年(昭和10年)の国鉄上磯線の延伸によって作られた駅ですが、
列車交換のできる島式1面2線のホームの他に留置線もあったそうで
跡地はなかなかの広さとなっています。
江差線45
この駅も江差線の施設撤去事業が進められて駅舎やホームは既に無く、
建設の許可表を見ると跡地には町立の複合施設が作られている様です。
江差線46
かつてのホームと、同じ場所の撤去後の様子です。
江差線51
駅舎跡から駅前の道付近を見ると
建物や商店が空き地の向かって建っており、
かつて駅がここにあったことが分かります。
江差線48
駅跡の建築現場の現場事務所の脇には
プレハブのバス待合室が置かれて湯ノ岱停留場が置かれていました。



江差線52
こちらは湯ノ岱駅から西へ4kmほど道道5号線を進んだ付近です。
道道と天野川に沿って走っていた江差線の天野川第一橋梁がこちらにあります。
鉄道の営業当時には絵になる人気撮影スポットだったそうです。
江差線53
橋梁の先で道道は右へとカーブをしていますが、
その傍らの草むらにに唐突に踏切の標識が立っている場所があります。
江差線54
その踏切跡へと入って左側に、かつて「天ノ川駅」と呼ばれた
鉄道駅を模した観光モニュメントがありました。
跡地の廃線脇には64キロの距離標もまだ残っています。

正式な鉄道駅ではありませんので駅メモにも収録はもちろんされていませんが、
江差線の歴史の中では忘れられないモニュメントでした。


江差線55
湯ノ岱駅からは7kmほど、天ノ川駅モニュメントからは3kmほどの
道道5号線の光景です。「宮越」の地名標識があり、
その先に青看板のある分岐があります。
江差線62
反対方向からみた分岐付近。
江差線56
分岐の真ん中の歩道にある函館バスの宮越停留場です。
江差線57
分岐した道を進むとすぐに左にカーブしており、
その先すぐに江差線の踏切跡があります。
江差線59
踏切の目の前に砂利の広場がありますが
こちらがかつての宮越駅の駅跡となります。
1964年(昭和39年)の国鉄江差線時代に新設された駅でした。
江差線58
駅舎とホームはご覧の場所にありました。
江差線60
駅前広場のすぐ南には天野川が流れており、
道には宮越橋という橋が架かっています。
江差線61
橋から見た駅跡方向の光景です。



江差線63
宮越駅跡から2km少々、道道5号線を北西へと進むと
次の駅への入口が見えてきます。
江差線64
こちらが道道から駅へと連絡する道です。
江差線69
反対方向から見た道道の駅入口付近。
江差線65
道の先のこちらがかつての江差線の桂岡駅の駅跡です。
1936年(昭和11年)に国鉄江差線が湯ノ岱駅から江差駅まで延伸した際に
設置された駅となります。
江差線67
営業当時の駅の様子です。
道道からの道路の正面に車掌車駅舎があり
その奥に単式のホームがありました。
江差線66
撤去後の駅跡地の様子です。
江差線68
道道5号線へと戻り、駅入口付近にある函館バスの桂岡停留場。



江差線70
桂岡駅からも道道5号線と並走していた線路は
河北小学校付近で右手へと反れて道道から離れます。
反れてしばらく進んだご覧の交差点付近が次の駅の駅跡となります。
江差線71
中須田駅の駅の跡地です。
江差線の江差延伸当時はこの駅はありませんでしたが、
付近の住民の要望で1948年(昭和23年)に仮乗降場として新設されました。
江差線72
営業当時の駅の様子です。
車掌車駅舎とプラットホームのみの駅でした。
江差線74
駅舎跡から南の木古内方面を見ると
道の反対側の廃線跡にまだレールが残っていました。
江差線75
踏切だったであろう場所には痕跡は全くありませんでしたので
道路の舗装は比較的新しい様です。
江差線73
その踏切跡から右手を見ると目の前に函館バスの豊田停留場が。
江差線76
西側から見た駅跡とバス停付近の様子です。



江差線77
こちらは函館バスの大留停留場。
道道5号線沿いで桂岡駅跡からは北西に3kmほど進んだ付近です。
江差線78
バス停の目の前はご覧のショッピングセンターがあります。
江差線79
ショッピングセンターの先の大留交差点で道道5号線は
直角にカーブする国道228号線に合流。
この交差点から江差までは国道と道道の重複区間となります。
江差線87
反対側から見た交差点付近の様子です。
この大留交差点の北に、かつての上ノ国駅がありました。
江差線80
こちらが駅の駅舎の入っている建物です。
駅は1936年(昭和11年)の国鉄江差線延伸時の設置ですが、
上ノ国町商工会館と駅の合築の建物として1992年(平成4年)に改築されています。
江差線81
その商工会の入口の東側を見ると
棟続きの平屋部分のガラス戸に「上ノ国駅」と書かれています。
こちらが駅の待合室部分への入口となります。
江差線82
東側に回りこんでの駅舎付近の光景です。
写真中央を線路が走っていて駅舎沿いにホームがありました。
江差線84
待合室のホーム側出口の外観です。
江差線85
出口からかつてホームのあった場所まで
細い舗装が伸びているのが分かります。
江差線83
かつての駅のホームはご覧の様にありました。
旅客で使うホームは駅舎側の単式1面1線のみでしたが、
貨物用ホームと引き上げ線がありましたので
相対式の様にホームが並んでいました。
江差線86
駅の江差方面側の廃線跡を塞ぐように建っている金物屋の店舗。
江差線の廃止が2014年(平成26年)の事ですから、
廃線跡に建つこの店はまだ出来て2年(註:2018年現在)程度と思われます。



江差線88
こちらは道道215号江差停車場線の南端の光景です。
JR江差線の江差駅と江差市中心街とを結び国道228号線まで至る
全長1.6kmほどのいわゆる停車場線となります。
この南端にかつての駅がありました。
江差線89
駅より南側は市道となりますが、
道道から市道に変わったところで道幅が狭くなっているのが分かります。
江差線91
停車場線に面した駅前広場です。
ロータリー状となっており中央部が駐車場スペースとなっています。
江差線92
江差駅の駅舎は広場の奥にご覧のように建っていました。
駅は1936年(昭和11年)に国鉄江差線の終着駅として開業。
1975年(昭和50年)に鉄筋コンクリートの駅舎に改築されていました。
江差線90
駅の跡地の様子です。
かつては貨物側線もある駅だったそうですが、晩年は単式1面1線の駅でした。
廃線から2年後の2016年(平成28年)の年末に解体作業が進み、
現在は駅跡地には市営住宅の建設が進んでいます。
江差線93
広場の北側にある旧江差駅資料展示館です。
駅の営業当時は「えさし おもてなしプラザ」として
観光案内と物産販売が行われていた建物です。
江差線94
展示館の中の様子です。
江差線95
掲示してあった営業当時の江差駅の駅舎の写真です。
江差線99
展示館の前にある函館バスの陣屋団地停留場。



以上でJR江差線の廃線区間については全駅となります。
江差線97
こちらはau 4G LTEでの電波エリアマップです。
基本的に道道5号線の区間は電波が届くので駅へのアクセスは問題がありません。

ただ一点、吉堀駅━神明駅間の吉堀峠を越える区間については
電波圏外の区間が続きます

道路に「携帯電話不感地帯」の標識が立っていたりするくらいですので
この区間についてはアクセスもできません。

特に神明駅がアクセスしづらいと思いますが、
駅跡の場所から湯ノ岱駅方面へ少し離れれば電波はつながりますので
落ち着いて道道5号線に戻り神明駅のエリアでアクセスして下さい。
最悪はレーダーなどを使えばリカバリーは容易です。



では既存の鉄道路線からレーダーを使って
江差線を取りに行く場合は一体どうなるのかというと、
結論から書くと営業中の鉄道上から江差線の全駅取得は不可能です。
江差線98
こちらは北海道新幹線の知内信号場、
駅メモではJR海峡線の廃駅である知内駅からのレーダー射程範囲です。
ご覧の通り射程12で中須田駅までは届くのが分かります。

なつめのスキルを使ってレーダー射程14にした場合でも
江差線で届くのは上ノ国駅まで
であり終点の江差駅だけ届きません。

しかし唯一レーダーで江差駅を取れる瞬間があるのですが、
それはイベント期間にレーダー射程が+2となっている場合です。
この時になつめを使うとレーダー射程が最大16まで延びます。
そして知内駅から射程16があるとギリギリ江差駅までレーダーが届くのです。


ちなみにですが道南いさりび鉄道の駅からの方が江差駅には距離的には近いのですが、
函館市電の路線にも近づいてしまう為レーダーでは市電の干渉で
江差線にはむしろ届かなくなる
という事情があります。
ですので江差駅へのレーダーについては
新幹線で青函トンネルを抜けたあたりが勝負となります。



そして実際に公共交通機関で江差駅跡まで行きたい、という場合は
函館バスの木古内江差線がJR江差線の代替バスとして運行しています。
江差線a01
こちらがそのバスの時刻表(註:2018年4月改正分)ですが
一日6往復となっており片道で所要時間一時間半、運賃1120円が必要となります。


ちなみにJR函館本線の八雲駅からも江差へとバスが出ているのですが、
こちらは片道二時間半が必要な上、一日2往復のみの運行で運賃片道1830円となります。
しかも江差駅以外はレーダー使用が必要となりますので
予算は5000円程度必要となるプランとなります。

せっかく江差まで行くのであれば
思い切って自由の利くレンタカーを利用する方が楽
だと思うのですが、
免許が無いなど車を使えない場合もありますので
事情に合せてプランを検討して下さい。


以上で江差線の廃線については全てです。

では。

↑このページのトップヘ