2018年11月

でんこの元ネタ
■No.10 象潟いろは(Kisakata Iroha)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:11月23日

■出身駅: JR東日本 羽越本線 象潟駅(秋田)
いろは01

象潟駅は1921年(大正10年)に国鉄陸羽西線の延伸によって開業した駅であり、
1924年(大正13年)に羽越北線と陸羽西線がつながった事によって
所属が羽越線へと変更となります。
翌年の1925年(大正14年)に支線の開業によって羽越本線となり、
以後JRに移管の後も羽越本線の駅として現在に至っています。

いろは02
こちらは象潟駅の駅舎の外観です。
1966年(昭和41年)に改築された鉄筋平屋の駅舎ですが、
秋田デスティネーションキャンペーンを契機に
2012年(平成24年)に駅舎のリニューアルが行われ、
入口前に和風屋根に木製格子のついた防風壁が作られて現在の姿となっています。
いろは03
防風壁の内側の駅舎入口付近の様子です。
いろは04
入口脇にある駅名標。
いろは05
駅舎の中の様子です。
いろは06
入口の正面奥にある改札です。
駅長配置の有人直営駅となっており、
改札は列車別改札で、到着直前に案内があり改札されていました。
いろは07
入って左手には券売機ときっぷ売り場の入口があります。
いろは08
券売機の上の運賃表です。
いろは09
きっぷ売り場の中の様子となります。
特急券券売機があり、券売窓口のカウンターがあります。
いろは10
こちらが駅舎に入って右手の待合室側の壁です。
駅舎リニューアルによって和風テイストに改装されています。
いろは60
壁に掛かっていた駅名の由来。
いろは11
待合室の中の様子です。
木製の格子や飾り障子などで和風の装飾がされており、
広めの部屋の中央に木製ベンチが並んでいます。
自販機やコインロッカーのある付近はかつては売店があったそうです。
いろは13
待合室の一角にあるにかほ市の観光案内所。
9時から開いてレンタサイクルが借りられると聞いていたのですが
なぜか不在で閉まっていました。
この観光案内所はかつては「伯養軒」という
東北で有名な駅弁屋さんのスペースだったそうです。
いろは12
ホームに入って改札前付近の様子です。
いろは14
駅はいわゆる国鉄型と呼ばれる単式と島式の2面3線のホームとなっており、
こちらが駅舎のある1番線ホームとなります。
下り線の羽後本荘・秋田方面行きホームです。
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ホームにある観光案内の表示看板。
いろは15
1番線の南側の酒田方面側の光景です。
象潟駅は駅構内は列車交換の出来る複線ですが、
駅の前後は単線区間となっています。
いろは18
改札脇の待合室の窓の上には
「奥の細道 最北の地 象潟」の看板が掲示されています。
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1番線ホームにある観光案内所の窓です。
ホーム側にカウンターのある窓が観光案内所に必要だとは思えませんが、
元々が駅弁屋だったスペースの転用だと知れば納得がいきます。

いろは16
ホーム同士を連絡している跨線橋です。
いろは19
跨線橋からみた北の秋田方面の俯瞰。
いろは20
南の酒田方面への光景です。

いろは21
こちらは島式の2、3番線ホームです。
駅舎寄りの2番線がりの酒田・新潟方面行きとなり、
反対側の3番線は退避線となります。
いろは22
島式ホームの南側。
特急列車の停まる2番線はホームが継ぎ足されているのが分かります。
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こちらのホームにも観光名所の案内板はありますが、
1番線の国鉄式のものとは異なり絵入りとなっていて凝っています。
いろは23
3番線の東側には、南の酒田方面から分岐した退避線があります。
マルチプルタイタンパーなど保線車両が留置されていました。
いろは24
そして保線車両のある引き上げ線のさらに東側にもスペースがあり、
フェンスの向こう側にも草地が広がっています。
かつて貨物列車が全盛だった時代にはこの東側にも数本の貨物専用線があったそうですが
時代の移り変わりとともに専用線は廃止され、スペースはその名残りのようです。

いろは27
駅舎の前に戻ってこちらは駅前の広場の様子です。
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象潟駅の駅前は広場の中央部が駐車スペースとなっており、
その周囲をロータリーとして使用しています。
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駅前広場の南東の角にはご覧の店舗が。
1階は民芸品屋で2階が喫茶店という店舗ですが
恐らく同一のオーナーの店舗だと思われます。
私が訪れた時に駅近辺でちゃんと営業していたのはこちらくらいでした。
いろは30
店舗の並びにはご覧の案内看板と石碑が。
いろは32
石碑にほうには「天然記念物 象潟」と刻まれています。
これは象潟の地形そのものが国の天然記念物に指定されている事を示しているものです。
かつては鳥海山の噴火によって浅い潟湖と大小無数の島々の並ぶ景勝地であり、
松尾芭蕉が松島と並んで句に読んだほどの名勝でした。

そして江戸時代に地震で土地が隆起。
浅い海は陸地となり、大小の島々は田んぼに囲まれる事となりました。
この光景が1934年(昭和9年)に国に天然記念物として指定されています。

参考
文化庁 文化遺産オンライン「象潟」
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/215829

いろは31
石碑のとなりには象潟の光景を説明する案内板が設置されていました。

ふと思ったのですが、駅メモのでんこの「象潟いろは」が天然キャラなのは
象潟が天然記念物なので天然つながりなのでは
、と。

いろは33
こちらは駅前広場の正面中央にある時計塔です。
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時計の下には「ようこそ池田修三のふるさと象潟へ」とあり
特徴的なキャラクターの絵があります。
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駅舎の入口の脇の、待合室のガラス窓にもご覧の通り
「池田修三の町 象潟」と題された絵があります。
いろは36
さらに駅構内の1番線の改札脇にも
「池田修三のまち、象潟へようこそ」と書かれた
大きな看板が乗降客の出迎えをしています。
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待合室の隅には大きな立て看板とタペストリーで
池田修三氏のキャラクターが展示されていました。

池田修三というひとは象潟出身の木版画家で、
1980年代には秋田の銀行の通帳やキャッシュカードにキャラクターが載っていたり
生命保険会社のカレンダーに採用され、
その作品は「秋田の人は誰もが見た事のある」という画家でした。

なんでも秋田の人は慶事などの際に池田修三氏の作品を贈る習慣があったそうで
実際に象潟の街を歩くといたるところで作品を目にする事ができます。

全国的には著名な画家ではありませんでしたが、
没後の2012年(平成24年)に秋田県のタウン誌で特集された事を契機に
近年その作品が再評価され注目をされているとの事です。
参考
なんも大学「池田修三という宝物 前編」
https://nanmoda.jp/2016/07/294/

なんも大学「池田修三という宝物 後編」
https://nanmoda.jp/2016/07/297/

イーアイデム ジモコロ「『フリーマガジンをきっかけに再評価』奇跡の画家・池田修三をたどる旅」
https://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/dango04


こちらも余談ではありますが、
駅メモのでんこ「象潟いろは」には「絵が画商に評価される」という話が
「でんこの話」である
のですが、その話のモチーフは
駅前に溢れる池田修三氏の作品なのでは、と思ったり。

いろは38
そして駅前広場の民芸品店の目の前には
こちらの「象潟停車場線」の起点の標識があります。
いろは39
駅の正面から西へと伸びているこの道は
県道168号象潟停車場線という、いわゆる停車場線の県道となっています。
いろは41
この県道は羽越本線と並走する国道7号線(羽州浜街道)を連絡する県道となります。
長さは117mという短さで、国道の象潟駅前交差点まではご覧の通りすぐです。

いろは42
国道7号線の象潟駅飴交差点から
北へとおよそ1.5kmほど進むと「道の駅象潟」があります。
なんでも東北最大の規模の道の駅だそうです。
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こちらが道の駅のメイン施設「ねむの丘」です。
1階の物産館の他に上層には展望温泉があって入浴が可能です。
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「ねむの丘」の横にはご覧の足湯施設が。
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こちらではご覧のにかほ温泉の足湯が無料で利用できます。
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そして「ねむの丘」の6階にはこちらの展望台が。
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西側には象潟の浜と日本海が一望できます。
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展望台の西側の解説板。
いろは49
そしてこちらが東側の解説板です。
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東側には象潟の地名の由来でもある
天然記念物の象潟の九十九島が一望できます。
象潟を上から展望できる施設はこちらだけです。
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道の駅の駐車場には松尾芭蕉の俳句の発句短冊碑なるものが。
象潟は「奥の細道」の旅の中でも最北の地となり
松尾芭蕉や奥の細道に関する史跡がいくつかあります。

いろは52
道の駅象潟と、象潟駅のちょうど中間あたりの国道7号線には
ご覧の蚶満寺(かんまんじ)の案内看板があります。
いろは53
案内に従い進むと羽越本線の踏切があり、
その奥に「皇宮山 蚶満寺」と書かれた寺標のある参道がありました。
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中へと入ると古くから文人墨客が訪れた名刹である寺の説明の看板が。
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象潟の地で句を読み、この蚶満寺へも訪れている松尾芭蕉の像がありました。
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芭蕉像の向かいには西施の像が。
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この象潟の地で芭蕉は
「象潟や 雨に西施が ねぶの花」
という句を詠んでいることから、
中国四大美人の一人である西施の像が置かれています。
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蚶満寺は象潟の九十九島の南端付近に位置しており、
境内からは島々を巡る遊歩道が伸びています。



■モデル車両: JR東日本 485系700番台 きらきらうえつ
いろは59

「きらきらうえつ」は羽越本線沿線への観光振興を目的として
2001年(平成13年)11月23日より新潟駅━酒田駅間で運行を開始した快速列車の名称です。

駅メモのでんこである「象潟いろは」の誕生日が11月23日に設定されているのは
モチーフであるきらきらうえつの運行開始日からと見て間違い無い
でしょう。
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車体外装は白を基調としており、
羽越本線沿線の色彩豊かな四季の風景をイメージカラー化して
パッチワーク風に様々な色をカラフルに配色
しているのが特徴的な車両です。

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「きらきらうえつ」の車両は元々は
国鉄時代に交直流型の特急車両として活躍をした
ご覧の485系がベースとなっています。

485系のうちの4両がJR東日本土崎工場(現・秋田総合車両センター)で改造。
足回りのみ485系の種車から流用し、
車体は新製されてあらたにジョイフルトレインとなりました。

形としては485系の改造車両となるため、
485系の700番台として番号が付与されています。
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他の485系700番台の車両としては、すでに廃車となっていますが
駅メモのマスターにはおなじみの「NO.DO.KA」などがあります。

「NO.DO.KA」と「きらきらうえつ」は共に
元の種車が485系であるジョイフルトレインであり、
いわば姉妹車とも言える存在
と言えるでしょう。


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それではきらきらうえつの各車両について個別に見てみたいと思います。

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きらきらうえつの1号車である酒田・象潟方面の先頭車両クハ484-702です。
ク(制御車)ハ(普通車)ですので運転台のある普通座席車両となります。
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また、カタカナに続く3桁の数字は4(交直流対応)8(特急電車)という意味があります。
実際は普通車なのですが元が485系なので485系700番台となっています。
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乗降扉は車両の後方の新潟方のみにあり、
デッキには日本海側にトイレと洗面所が、
山側にはスロープとなった客室への通路があります。
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切り返して2号車への扉方向の様子。
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トイレは洋式と男性用が並んでおり、奥が洗面所となります。
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洗面所の様子です。
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こちらは車内客室の様子です。
日本海側に2×10列、山側に2×9列の計38席となっています。
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客室前方の運転台の真後ろにはレストバーベンチが設けられた
簡易展望スペースとなっており自由に入る事ができます。


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酒田・象潟方面二両目の2号車モハ484-702です。
モ(中間電動車)ハ(普通車)ですのでモーターを搭載している車両となります。
この車両は「きらきらラウンジ車両」となっており定員には含まれていません。
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この車両の南側、新潟方面側の屋根には
ご覧のひし形パンタグラフが載っています。
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乗降扉はこの車両も新潟方にのみ設けられており、
デッキも乗降スペースのみとなっています。
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デッキから客室へと入るとまずあるのがこちらの「きらきら情報コーナー」です。
ジオラマのようになっている沿線地図と、プロジェクションマッピングにより
沿線の観光情報を案内しています。
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反対側の壁には沿線の観光情報やパンフレット類が。
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情報コーナーから奥へと進むと合計18席のボックス席があります。
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このボックス席のラウンジはかつては自由に座れるスペースでしたが
現在では茶屋での飲食物購入者が40分利用できるスペースとなっています。
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ラウンジの通路の窓の上には沿線各地の名物が飾られています。
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そしてボックス席の奥にはご覧の茶屋があります。
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こちらでは飲食物やグッズなどを販売しており、
購入者はラウンジのボックス席の利用が出来ます。
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また売店の目の前の通路にはカウンターが設けられてミニビュッフェとなっており
こちらでも飲食などの利用が可能となっています。


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酒田方面からは三両目、新潟方面から二両目の3号車のモハ485-702
モ(中間電動車)ハ(普通車)のモーター搭載車ですが
こちらの車両にはパンタグラフは無く、また車内には通常の座席があります。
いろは85
車両の新潟方にある乗降デッキ。
号車表示の隣に車椅子マークがついていることからも分かる通り
この車両にはデッキに多目的トイレが設置されています。
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トイレの隣には多目的室があり、車掌に頼むと利用が可能です。
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客室内の様子です。
日本海側に2×11列、山側には2×8列に車椅子用座席が2席あり
合計で40席となっています。
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こちらが山側の9列目と10列目の車椅子対応座席。
車椅子固定用のベルトも装備されています。
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座席のある客室から酒田方へと抜けると
ご覧のスペースがあります。
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通路にも窓のある山側のスペースは「きらきらルーム」と題されており、
カウンターと折りたたみの椅子が設置されて塗り絵が置かれていました。
このスペース、元は喫煙室だったものを改造したそうです。
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日本海側のスペースにはご覧のスタンプ台が。
きらきらルームの向かいには業務用室が置かれていました。


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新潟方の先頭車両となる4号車のクハ485-701です。
ク(制御車)ハ(普通車)ですから運転台のある普通車両ということになり、
基本的には1号車と同じ形と考えて差し支えありません。
いろは94
こちらは4号車の乗降デッキです。
基本的には1号車と同系なのですが、先頭車両同士で逆方向を向いている為に
こちらの4号車のみは乗降デッキが酒田方にあります(他の3両は全て新潟方にある)。
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客室側からみた乗降デッキとの扉付近です。
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こちらが客室内です。
合計で38席なのは1号車と同じですが、
4号車は日本海側が2×9列、山側が2×10列となっています。
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こちらも先頭部には簡易展望スペースがあります。
いろは98
最前部の運転台の様子です。

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21世紀の初頭から17年に渡って羽越本線の観光列車として運行し
すっかり馴染まれているきらきらうえつですが、
2019年(平成31年)9月での引退が事実上決定となっています。

というのは2019年10月には新潟県・庄内ディスティネーションキャンペーンが予定されており、
それに合わせて新観光列車である「海里」が運行開始する事が
プレスリリースで発表されているからです。
参考
JR東日本 新潟支社「新潟・庄内の食と景観を楽しむ列車「海里」デビュー」
http://www.jrniigata.co.jp/press/20181016kairi.pdf


鉄道系のニュースではJR東日本はきらきらうえつの引退廃車を決めたとの報道もありますし、
実際に私がきらきらうえつに乗車している際にも
車掌が乗客に、2019年10月にきらきらうえつと海里が入れ替えになる旨を案内していました。

ですのできらきらうえつに乗れるのもあと1年となります。
引退直前は混雑が予想されますので、
是非とも今のうちに「象潟いろは」のモデル車両を見ておくことをお勧めします。

では。

【写真撮影・2018年11月】

でんこの元ネタ
■No.66 蛍茶屋みなも(Hotarujaya Minamo)
 ■タイプ:アタッカー
 ■誕生日:8月2日

■出身駅: 長崎電気軌道 蛍茶屋支線 蛍茶屋停留場(長崎)
みなも01


みなも02
こちらは国道34号線の新長崎街道の光景です。
JR長崎駅から東へおよそ2kmほどの距離に位置する場所です。
国道の中央部には併用軌道(道路上に敷設された線路)が見えます。
みなも04
走っている路面電車は長崎電気軌道の蛍茶屋支線であり、
この付近に支線の終端が設けられています。
みなも03
終点の電停へと入線する路面電車の前面展望です。
みなも05
こちらが蛍茶屋停留場の外観となります。
島式ホーム1面2線となっており、北側が1号線、南側が2号線となっています。
みなも06
電停自体は上屋として屋根があるのみで、
長椅子のベンチが置かれた簡素な作りとなっています。
島式ホームは長崎電気軌道ではこの電停のみだそうです。
みなも07
ホームには行灯式と呼ばれる電車の行き先表示機が設置されています。
こちらは入口の東端の表示機。
みなも08
そしてこちらはホーム西端に置かれた行き先表示機です。
みなも09
西端の先の長崎駅方面には列車を入れ替える
シーサスクロッシングがあるのが見えます。

みなも12
電停の北側の国道沿いの目の前にはご覧のビルがあります。
こちらはNEビルという、長崎電気軌道の自社ビルです。
ビル名の「NE」はおそらく長崎(Nagasaki)電気軌道(Electric Railway)の
頭文字だと思われます。
みなも13
ビルの1階にはご覧のファミリーマート蛍茶屋店が入居しています。
みなも14
そしてコンビニの横にはご覧の長崎電気軌道の蛍茶屋営業所の入口があります。
みなも15
コンビニの真上の2階が営業所となっているのですが、
1階の入口の真上あたりがガラス張りとなっているのは
ここに蛍茶屋の配車室があるからです。
この電停を見渡せる場所からマイクで配車指令が
運転士に次の乗務の指示を飛ばしています。

みなも10
終点である蛍茶屋電停の、その先である東側の蛍茶屋交差点を見ると
国道である長崎街道の中央部を走っていた軌道が
S字を描いて国道から外れているのが見えます。
みなも11
切り替えして見た蛍茶屋交差点付近の光景。
みなも16
国道から外れて専用軌道となった線路は
すぐにご覧の建物への入っていきます。
みなも17
中を見ると、建物の1階部分の奥まで線路が伸びているのが分かります。
こちらは長崎電気軌道の蛍茶屋車庫で、
「NEビル2」というビル名が見える通り長崎電気軌道の自社建物となります。
みなも18
車庫の脇には駐車場の入口があり、
長崎電気軌道が経営する有料駐車場となっています。
また看板から分かる通り、車庫の建物には
レンタルビデオ店とファミレスがテナントとして入居しています。

みなも19
蛍茶屋車庫の北隣には、新長崎街道から分岐した細い道があります。
こちらの道こそが長崎街道の旧道となります。

旧道の入口付近には「遠山左衛門尉景晋」と書かれた案内板があります。
なんでもこの場所は長崎奉行だった遠山左衛門尉景晋の住居だった場所だそうで、
遠山左衛門尉景晋は時代劇でおなじみの「遠山の金さん」の父にあたる人物だそうです。
みなも20
車庫の裏手の旧街道を進むと橋が見えてきます。
みなも21
川は中島川といい、橋は「一の瀬橋」という橋で
かつては長崎街道の長崎の入口とされた橋だそうです。
みなも22
橋を切り返して反対側から見ると、
川のほとりの橋の目の前に蛍茶屋車庫があるのが分かります。
みなも23
車庫の裏門の脇には、一の瀬橋を中心とした一帯を
「一の瀬口」として長崎市指定の史跡となっている表示板がありました。
みなも24
そして橋の南側の旧街道沿いにあるのが
こちらの「蛍茶屋」の石碑です。
みなも25
石碑の横には史跡の説明板があります。

そもそも「一の瀬」という言葉は「川の一番渡りやすい場所」という意味であり、
長崎街道が中島川を渡るこの地が一番渡河しやすい場所だったことが分かります。

一の瀬橋が架けられたのが承応2年(1653年)だそうですが、
案内板によると1800年代にこの一の瀬橋のたもとに茶屋が設けられました。
茶屋というと時代劇のだんご屋を思い浮かべますが、
こちらにあったのは酒を酌み交わす料亭だった様です。

中島川のほとりのこの一帯は樹木が茂った土地で、
夏には川を蛍が飛び交う風流な景色だったことから
茶屋には「蛍茶屋」の名前がつき、これが現在に至る由来となっています

みなも26
新長崎街道から見下ろした、蛍茶屋車庫と一の瀬橋一帯の俯瞰です。


みなも27
こちらは長崎の鳴滝にある「シーボルト宅跡」です。
国の重要文化財に指定されている史跡となります。
みなも28
案内に従い門の中に入るとシーボルトの胸像があります。

江戸時代後期に長崎に、出島のオランダ商館付きの医師として来日した
ドイツ人医師シーボルトは長崎郊外の鳴滝に塾を開き蘭学を教えました。
これが「鳴滝塾」であり、歴史の教科書に必ず載っている史実です。
みなも29
そして胸像から先を見るとご覧の洋館が建っています。
これは長崎市が1989年(平成元年)に鳴滝塾跡地の隣に開設した
シーボルト記念館の建物となります。
参考
文化庁 文化遺産オンライン「シーボルト宅跡」
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/163991

日本人なら誰もが知っている鳴滝は蛍茶屋電停の北の一帯を指す地名であり、
電停からシーボルト記念館まではおよそ700mほどの距離となっています。
みなも30
こちらは蛍茶屋電停の隣の新中川町電停の目の前にある
シーボルト記念館への案内標識です。
現在記念館の最寄りは公式には新中川町電停となっていますが
実際には蛍茶屋電停からもほぼ等距離の中間地点に記念館は位置しています。



■モデル車両: 長崎電気軌道 370形
みなも31
こちらは長崎電気軌道370形と呼ばれる車両となります。

それまで長崎電気軌道で走っていた木造車の老朽化が進んだことから
1961年(昭和36年)から全金属製の2軸ボギー車への車両置き換えが始まりました。
みなも43
また長崎電気軌道としては初となる全車体が鋼製となり、
パンタグラフもZパンタが採用されるなどデザイン的にも長崎電気軌道オリジナルとなっています。

このうち1961年(昭和36年)に新製導入された7両は昭和36年から360形とされ、
翌年の1962年(昭和37年)に計画通りに続けて導入された7両が370形とされました。
現在360形は361~367の7両、370形は371~377の7両が現役で走っています。
みなも32
こちらが360形の365号車です。
みなも34
そしてこちらが370形の376号車。
並べてみると360形と370形はほぼ同じ形である事が分かります。
それもそのはずで、370形は360形の増備車であり基本的には同じ設計の車両だからです。
同じ形式の車両で360形が一次車、370形が二次車だと考えても良いかもしれません。
みなも36
360形の導入時に起きた衝突事故などの教訓から、
翌年導入の370形では台車やバンパーの強化など目に見えにくい改良が行われています。
そんな中で外観で一目で分かる違いはご覧の尾灯の位置でしょう。
360形では下にある尾灯が370形では方向幕の横についています
みなも33
このように360形と370形は外見がほぼ一緒であるため、
通常であればどちらがでんこのデザインモチーフであるのかは区別がつかなかったでしょう。
しかしながら「蛍茶屋みなも」が登場したのは4月1日であったため、
登場日にご覧のように駅メモではエイプリルフールのネタとして
370形がでんこのリリース告知に登場
しています。
この事から「蛍茶屋みなも」の元ネタ車両は370形であると推測できる訳です。
みなも35
という訳で、全ての車両ではありませんが
「蛍茶屋みなも」のモチーフとなった370形の車両を可能な範囲で並べてみます。
上から372号車、373号車、376号車、377号車となります。


みなも38
そして車内について、こちらの360形364号車の中を見てみたいと思います。
蛍茶屋みなものモチーフは370形ですが、360形も内装については同一ですので
この364号車をモデルとしたいと思います。
みなも37
こちらがその車内の様子です。
折り返し運転を行う路面電車ですので、
車両の両端に運転台があり、車両中央部の両側に乗車扉、
車端部の運転台前に降車扉がある点対称の配置のロングシート車両となっています。
みなも39
運転台裏付近の光景です。
みなも40
こちらが運転台の様子です。
みなも41
運転台横に掲示されていた車両の経歴書。
長崎電気軌道の電車には車両によってはこうした経歴書が掲示されています。


360形と370形の電車はその半数以上が「カラー電車」と呼ばれる
車体を全面広告とした車両となっています。
他社の電車で言えばいわゆる「ラッピング列車」という奴です。
みなも42
しかし「蛍茶屋みなも」のデザインモチーフは
クリーム色(    )とグリーン(    )のツートンカラーという
長崎電気軌道の標準の配色が元となっています。
ですのでこちらにオリジナル配色の370形373号車の写真を載せておきます。

【写真撮影:2018年10月】

日高本線70
日高本線の続きです。


その1(苫小牧━鵡川)はこちら



日高本線71
こちらは鵡川駅の入口の扉に掲示されている
日高本線の列車代行バスの案内です。
日高本線712
そして掲示の通り駅前に停車する代行バス。
あくまで「路線運休の間の代替交通手段」としての代行バスですが、
日高本線の運休区間を廃止する意向であるJR北海道ですので
実質的にはこの代行バスが日高本線廃止までの恒久的運行であることは否めません。

日高本線73
そしてこちらは鵡川駅から東へ200mほどの、
道道10号線の日高本線の鵡川大踏切です。
日高本線74
踏切から駅寄りの線路にはご覧の様に枕木で車止めが設置されていました。



日高本線75
こちらは鵡川駅から海岸線に沿って走る日高本線を4kmほど東に進んだ付近です。
国道からも離れて周辺一帯が原野となっているこちらに次の駅があります。
日高本線76
北の駅方向を見ると原野しか見えませんが、
南へと切り替えして見るとご覧のように散発ではありますが民家も付近には建っています。
日高本線77
再び北へ駅方向へと向かい、踏切前の十字路の角にあるこちらが
汐見駅の駅の外観となります。
1959年(昭和34年)に国鉄日高本線に住民の陳情によって開設された駅であり、
ホーム脇にコンクリートブロック造りの待合室があります。
日高本線78
駅のホーム側から見た待合室です。
日高本線79
待合室の中に入ると、殺風景なブロックの外観とはうって変わり
破れかけながらソファーが置かれてベンチには座布団も置かれていました。
日高本線81
待合室に掲示されていた代行バスの停車場所の案内です。
日高本線82
こちらが代行バスの停車する待合室の前の光景です。
日高本線83
バスの停車場所でもある駅の脇の踏切は「汐見駅踏切」という名称ですが
長期の列車運休の為、遮断機の棒は取り外されています。
日高本線80
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線のみの棒線無人駅となります。
ホーム西端の入口付近には屋根が設けられています。



日高本線84
こちらは汐見駅から9kmほど東へと進んだ付近で、
道道289号富川停車場線の起点となるT字路付近です。
交差点の北のすぐの場所に駅があります。
日高本線89
T字路から東側へと伸びる道には
道道289号線である事を示すヘキサゴンの標識が。
日高本線96
切り替えした交差点付近の光景です。
日高本線86
駅と道道を連絡する駅前の道。
日高本線95
道を進んだ駅前広場の様子です。
日高本線97
広場に置かれた駅周辺の地図。
日高本線87
こちらが富川駅の駅舎の外観となります。
1913年(大正2年)に苫小牧軽便鉄道の終着駅である佐瑠太駅として開業。
その後佐瑠太駅から日高拓殖鉄道が延伸していき
1927年(昭和2年)苫小牧軽便鉄道と日高拓殖鉄道が国鉄日高線となります。
そして1944年(昭和19年)に現在の富川駅へと駅名が改称されています。
日高本線88
こちらが駅舎の中の様子です。
有人駅だった名残りで中は広いですががらんとしています。
日高本線90
待合室の壁に掲示されている代行バスの停車場の案内。
日高本線91
案内に従って道道289号線へと戻ると
ご覧のバス停が置かれていました。
日高本線92
駅構内へと戻り、こちらはホーム側から見た駅舎の入口です。
日高本線93
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線となっています。
線路のカーブがかつて列車交換可能なポイントがあったことを物語っていますが
かつては片面使用の島式ホームがもう1面あった2面2線の駅だったそうです。
日高本線94
ホーム向かいに見える、かつてのホーム跡や線路跡であろう敷地です。



日高本線98
こちらは道道351号正和門別停車場線の終点付近の光景です。
富川駅からは7.7ほど東に離れたこの道の北端に駅があります。
日高本線99
終端の駅前にあるJA門別町の建物。
日高本線a01
停車場線の突き当たりにご覧の駅前広場があります。
日高本線a02
広場の中央に立つ時計塔です。
てっぺんには風見鶏ならぬ風見馬が。
日高本線a03
日高門別駅の駅舎の外観となります。
駅は1924年(大正13年)に日高拓殖鉄道の開業によって門別駅として設置されました。
ご覧の駅舎は1990年(平成2年)に改築されたものです。
日高本線a04
駅舎の中の様子です。
旧・門別町の代表駅だけに中は広く、
ホームへと連絡する通路部分と待合室が分かれています。
日高本線a05
駅の入口脇にあった周辺の案内板です。
日高本線a06
ホーム側から見た駅舎の出口付近です。
日高本線a07
改札を出ると線路の前で右へと通路が延びています。
日高本線a08
駅舎とホームは構内踏切で連絡をしていますが、
ご覧の通り駅舎を通らずとも外から直接構内へと入れる状態です。
日高本線a09
こちらがホームの様子です。
島式ホーム1面2線となっており列車交換の可能な駅でした。
日高本線a14
ホーム東端の様似方の光景。
日高本線a15
西端の苫小牧方の光景です。
ご覧の通り分岐は一線スルー方式にはなっていないので
列車運行時は方向別にホームを使い分けていたと思われます。
そして南側には引き上げ線があるのが見えます。
日高本線a10
ちなみにこちらは待合室にあった列車代行バスについての掲示物ですが、
代行バスは駅舎の目の前を停留場としている様です。



日高本線a11
こちらは日高門別駅から5kmほど東に進んだ
国道235号線(浦河国道)の交差点です。
海岸線と国道、そして日高本線の並走しているこちらに次の駅があります。
日高本線a12
国道沿いの信号の南側には砂利の広場があり
小さな建物があるのが見えます。
日高本線a20
駅前の広場の様子です。
日高本線a13
そしてこちらが豊郷駅の駅舎の外観となります。
1924年(大正13年)の日高拓殖鉄道時に波恵駅として開業、
その後1944年(昭和19年)に豊郷駅となって現在に至ります。
1977年(昭和52年)に無人化されており、時期は不詳ですが
現在の待合室はその後に建て替えられたものの様です。
日高本線a16
待合室の中の様子です。
窓が広くサンルームのようになっています。
日高本線a17
ホーム側からみた待合室付近の光景です。
日高本線a18
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線のみの棒線無人駅となっています。
日高本線a19
ホームの向かい、駅の南側には太平洋が広がっていますが、
駅と海の間にはご覧の牧場があって馬が放牧されていました。
日高本線a21
待合室に掲示されている代行バスの停車場の案内です。
日高本線a22
国道の駅前東側にある静内方面行きの代行バス停留場です。
日高本線a23
そして西側の鵡川方面行きのバス停となります。



日高本線a24
豊郷駅から次の駅までは駅間が4.8kmあるのですが、
太平洋岸の浜を国道と日高本線が並走して走っています。
そしてほぼ次の駅の手前、豊郷駅からは4kmほどのこちらが
国道235号線の鹿能舞川(けのまいがわ)河口付近の光景となります。
日高本線a25
こちらがその鹿能舞川に架かっていた日高本線の橋梁です。
ご覧の通りガーター橋は流出してそのまま砂浜に放置されています。
日高本線a27
桁には橋梁名などがご覧の通り記載されています。
日高本線a26
砂浜に残る橋脚。
日高本線a28
付近を見てみると、鉄道の路盤は砂浜という脆弱な場所に
敷設がされていたことが分かります。
2015年(平成27年)1月の高潮を直接のきっかけとして被害を受けた路線は、
その後の2016年(平成28年)8月の台風10号など
度重なる豪雨や台風などで更に被害が拡大しています。
日高本線が運休しているその理由をここは目の当たりにできる場所です。


日高本線a29
こちらは鹿能舞川からは東に600mほど、
豊郷駅からは4.8km東に位置する国道235号線(浦河国道)の光景です。
日高本線a30
ほぼ太平洋の浜と言って良いここに次の駅があります。
日高本線a31
切り返して東側から見た駅前付近の国道の光景です。
日高本線a32
清畠駅の駅舎の外観です。
隣の豊郷駅とほぼ同じ作りの待合室となっています。
駅は1924年(大正13年)に日高拓殖鉄道の開業時に
慶能舞駅(けのまいえき)として開業しています。
日高本線a33
こちらの駅の駅前広場は舗装されており
中央に花壇もあるロータリーとなっています。
日高本線a34
駅舎の中は豊郷駅と同様にベンチがあるのみです。
日高本線a35
サンルームのような駅舎を出ると目の前にはホームが。
日高本線a36
ホーム側からみた駅舎方向の光景です。
日高本線a37
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅で、ホーム上は砂利敷きとなっています。
日高本線a38
西側の苫小牧方を見ると線路がカーブしておりポイントの名残りが見られますが、
これは交換設備では無く引き上げ線の分岐の跡です。
日高本線a389
ホームからは浜を挟んで、ご覧の通り海が見えるほど近くにあります。
日高本線a40
待合室の戸に貼られた代行バスのバス停移設の告知。
日高本線a41
駅前の国道にはご覧の様に代行バスのバス停と待合所が置かれていました。
日高本線a42
こちらが上りの鵡川方面行きのバス停。
日高本線a43
下りの静内方面行きのバス停です。



日高本線a44
こちらは国道235号線(浦河国道)から見た
清畠駅━厚賀駅間の日高本線の様子です。
日高本線a45
ご覧の通り路盤が流れ出て線路がぐにゃぐにゃに曲がっています。
2015年(平成27年)の高潮被害以降も相次ぐ台風や高波で被害が拡大しており
ご覧の通りの惨状となっています。


日高本線a46
こちらは厚賀駅の駅前の道路の様子です。
駅前広場の南側に面して道路が走っています。
日高本線a47
広場から西側の道路は日高町の町道ですが、
東側の駅前の道は道道208号比宇厚賀停車場線となっています。
日高本線a48
駅前広場の様子です。
舗装された広場中央に電灯が立っていてロータリー状となっています。
日高本線a49
広場に面してタクシー会社があるのがいかにも田舎の駅前といった風情です。
日高本線a50
こちらが厚賀駅の駅舎の外観です。
1924年(大正13年)日高拓殖鉄道が開業すると
およそ10年にわたって終着駅でしただった駅です。
現在の駅舎は1989年(平成元年)に改築されたもので
木造のなかなかおしゃれな外観の駅舎となっています。
日高本線a51
駅舎の中の待合室の様子です。
がらんとしていますが、かつては売店が置かれていたそうです。
日高本線a52
ホーム側から見た駅舎の改札付近。
表では漢字で書かれた駅名標がホーム側ではひらがなとなっています。
日高本線a53
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線駅となっています。
日高本線a54
ホーム西端から鵡川・苫小牧方面を見ると
線路が湾曲しているのが見えますが、これはかつてのポイントの跡です。
日高本線a55
現在のホームの向かい側には片面使用の島式ホームがかつてはあり、
列車交換の出来る2面2線のホームの駅だったそうです。
ですが1993年(平成5年)ころには撤去されてしまっています。
日高本線a56
駅舎の入口へと戻りガラス戸を見ると、
代行バスの停留場の案内が貼られています。
日高本線a57
駅前の県道に置かれた代行バスのバス停。
こちらが上りの鵡川方面行きの停留場となります。
下りの静内方面行きはバス停のポールは無く、
バスは駅前広場の前に停車するようです。



日高本線a58
厚賀駅からはほぼ波打ち際と言っても過言では無い浜辺を走る日高本線。
こちらは5.5kmほど東に進んだ国道235号線(浦河国道)の様子です。
日高本線a59
浜辺の築堤の上を走る国道の、浜辺側に警戒色に塗られた
フェンスの切れ目が設けられており、砂利の坂が駅へと続いています。
しかしこのあたりの国道は交通量も多く、見晴らしが良く車のスピードも出ていますので
こちらから駅へ入るのはお勧めできません
日高本線a61
すぐ東を見ると、大節婦川の橋梁の手前で
日高本線の路盤が崩落している光景が見えますが、
この崩落現場の手前で左に入る道があります。
日高本線a60
道を進むと国道の築堤に何やらトンネルがあるのが見えてきます。
日高本線a62
こちらのトンネルが大狩部駅への入口となります。
ご覧の通り代行バスの停留場もこちらに設けられています。
日高本線a63
トンネルを進むと海が見えてきます。
日高本線a64
出口の目の前にあるこちらのブロック造りの建物がこの駅の待合室です。
駅は1958年(昭和33年)に、既に運行している国鉄日高本線に新設されたものです。
待合室も開業当時に作られたものだそうです。
日高本線a66
中はご覧の通りで、窓は無く木製のベンチがあるのみとなっています。
日高本線a67
壁には代行バスの停留場の案内が貼られており、
上下線共に先ほどのトンネルの出口が案内されています。
日高本線a65
待合室周辺の、駅前広場ともいうべきスペースの光景です。
ホームは広場より一段低くなっています。
日高本線a68
待合室からホームへと下る階段。
日高本線a69
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
ホームの有効長もおよそ30mほどと短いのが分かります。
日高本線a70
ご覧の通りホームの目の前はすぐに海となっており
景観としては最高なのですが、風が強いため木製の防風板が設けられています。
日高本線a71
広場へと戻り、ホーム西の鵡川・苫小牧方へと進むと 海岸へと下る道がありました。
途中には門が設けられて立ち入り禁止と書かれており、
その先の線路は砂利で埋もれて道となっていました。



日高本線a72
こちらは大狩部駅からは東へ2kmほど進んだ節婦の集落付近の光景です。
節婦川の河口に漁港があり民家が集まっている地区で、
国道が若干内陸へとカーブを描いているので
海岸寄りに集落を縦貫する町道が走っています。
日高本線a81
町道に沿ってある節婦郵便局。
日高本線a76
こちらは節婦駐在所の建物で、
この駐在所の脇に駅へと通じる道路が南北に走っています。
日高本線a73
こちらがその駅へと通じる道路です。
日高本線a74
駅舎の側から切り返した駅前の道の様子。
日高本線a75
節婦駅の駅舎の外観となります。
駅は1926年(大正15年)の日高拓殖鉄道の延伸によって開設された駅で、
現在の駅舎は2009年(平成21年)に建て替えられたものとなります。
日高本線a77
中はご覧の通りで板張りの化粧壁のこじんまりとした待合室があり
多目的トイレが併設されています。
日高本線a78
ホーム側から見た駅舎の出口です。
日高本線a79
そしてこちらがホームの様子です。
単式1面1線の棒線駅となっています。
現在のホームはかつては列車交換可能な島式ホームで、
駅舎のある場所にも線路が敷設されていました。
日高本線a80
ホーム上に置かれていた石には「せっぷ」と白ペンキでペイントが。
日高本線a83
待合室のガラス戸に戻ると代行バスの停留場の案内があります。
日高本線a84
案内に従って町道の駐在所まで戻ると、
隣に代行バスの待合所がありました。
バスは上下線ともにここに停まるようです。



日高本線a82
こちらは道道209号滑若新冠停車場線の終端付近の光景です。
国道235号線との重複区間から、新冠町内で再び道道として分岐。
日高本線の南へ迂回するようにコの時を描いて写真の区間へと至ります。
日高本線a85
道道が踏切に差し掛かる手前に
ご覧の駅前ロータリーがあります。
日高本線a88
こちらが新冠駅の駅舎の外観となります。
駅は1926年(大正15年)の日高拓殖鉄道の延伸によって開設されたもので、
当初は現在の駅舎よりももう少し東に駅がありました。
1999年(平成11年)に駅舎が改築され、
新冠町のコミュニティセンターが併設された駅舎となりました。
日高本線a86
駅前ロータリーに面した道道と日高本線の踏切です。
現役者から50mほど東のこの踏切付近がかつての旧駅舎のあった場所だそうです。
日高本線a87
開設時は「高江駅」という駅名だったこの駅の旧駅跡を示す石碑が
踏切の脇の芝生に立てられていました。
日高本線a89
駅舎の中の様子です。
町の施設との合築駅舎であるだけに中のスペースは綺麗で広くなっています。
日高本線a90
ホーム側から見た駅舎の改札付近です。
こちら側はひと目で駅だと分かる外観となっています。
日高本線a91
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線駅となっています。
1999年(平成11年)の駅舎改築時にホームも西へ移動されていますので
ホームは鉄骨にPC板を渡した近代的な造りとなっています。
日高本線a92
駅舎に戻って壁を見ると代行バスの停留場の掲示が。
この駅の駅前ロータリーは整備されていますので、
ロータリーがバスの発着場となっているようです。



日高本線a93
こちらは駅の北側を東西に走る町道です。
新冠駅からは東へおよそ5kmの距離があります。
日高本線a94
この町道と交わり南北に走るこちらの道が道道992号静内停車場線です。
静内は静内川の河口付近の河岸に開けた街で、
海岸線を走る国道235号線(浦河国道)も静内付近では内陸へと迂回をしています。
しかし日高本線は海岸に近い街中を走っており、
国道と駅を結ぶ道がこちらの停車場線となります。
日高本線a95
道道の停車場線は町道をまたぎ駅前のロータリーを終点としています。
日高本線a96
駅前ロータリーの真ん中には競走馬のオブジェがあります。
これは静内という町が日本有数の競争馬の産地として全国的に有名であるが故でしょう。
日高本線a8897
こちらが静内駅の駅舎の外観となります。
1926年(大正15年)の日高拓殖鉄道の延伸によって開業した駅で、
現在の駅舎は2001年(平成13年)に厩舎をイメージして改築されたものです。
日高本線a98
こちらが駅舎の中の様子です。
日高本線では起点の苫小牧駅の除くと唯一の有人駅となっており
駅員が常駐してみどりの窓口もあります。
日高本線a99
駅の券売窓口前のスペースからは
ご覧のように広々とした待合スペースがあり、
立ち食いそば屋や売店も設置されて営業しています。
日高本線b01
待合スペースからはご覧の通路が。
建物にはJR静内駅の他に新ひだか町の観光協会と
道南バスターミナルが併設されています。
現在この駅舎の利用者のほとんどか路線バスや高速バスの乗降客だそうで、
日高本線が事実上運行していない状況では
実質的にこの駅舎はバスターミナルとして機能していると言って良いと思います。
日高本線b02
ホーム側から見た駅舎の出口です。
日高本線b03
こちらがホームの様子です。
駅は相対式ホーム2面2線となっており、
こちらは駅舎のある側のホームです。
下り1番線の様似方面行きとなります。
日高本線b04
駅舎の出口前のホームには「苫小牧方面のりば」のペイントが。
日高本線b05
ホームの東端に構内踏切があってホーム同士の連絡をしていました。
日高本線b06
2番線の上り鵡川・苫小牧方面行きホームです。



日高本線b07
こちらは日高本線の鵡川駅━静内駅間のau 4G LTEでの
電波エリアマップとなります。
沿岸部を走る日高本線の線路上はほぼ全線が電波圏内であると分かります。


現在のところ、運休している日高本線の鵡川駅━様似駅間においては
代行バスが運行されているのはご承知の通りですが、
バスはこの静内駅を境として鵡川駅━静内駅間と
静内駅━様似駅間の2区間に分けられて運行
されています。
ですので記事についても代行バスに合わせて
静内駅で一旦区切りたいと思います。

静内駅以東についてはその3にて。
では。

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