2018年12月

でんこの元ネタ
■No.56 橿原らら(Kashihara Rara)
 ■タイプ:ディフェンダー
 ■誕生日:12月13日

■出身駅: 近畿日本鉄道 橿原線 橿原神宮前駅(奈良)
らら22

1923年(大正12年)に大阪電気軌道畝傍線が延伸したことによって
橿原神宮前駅が終点として設置されたのが駅の始まりです。
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こちらは橿原神宮の一の鳥居の目の前の表参道広場ですが、
開設当初の橿原神宮前駅は文字通り神宮の目の前のこの場所にあったそうです。

1923年(大正12年)には吉野鉄道が吉野口駅から延伸して橿原神宮前駅へと乗り入れ。
大阪鉄道が1929年(昭和4年)3月に延伸によって橿原神宮駅、久米寺駅を設置。
同年8月には吉野鉄道に大阪電気軌道に買収され、
同年10月には大阪鉄道が大阪電気軌道の傘下となって
橿原神宮一帯の鉄道が実質的に大阪電気軌道一社に統一されます。
らら24
そして1940年(昭和15年)は皇紀2600年にあたることから
初代神武天皇を祀る橿原神宮の周辺整備と神域拡大が行われます。

まず1939年(昭和14年)には橿原神宮の神域拡大で
橿原神宮前駅の移動が余儀なくされて畝傍線が新線へと付け替え。
大阪電気軌道の久米寺駅を橿原神宮駅駅へと改称して西大寺━橿原神宮駅間が橿原線となります。
この旧久米寺駅の橿原神宮駅駅が現在の近鉄の橿原神宮前駅と同じ場所の駅となります。

翌年の1940年(昭和15年)には大阪鉄道の久米寺駅を橿原神宮駅駅に改称。
戦中戦後の鉄道再編によって関西急行鉄道、近畿日本鉄道へと所属会社が変わります。

長らく「『橿原神宮駅』駅」という名前が「駅駅」の珍しい駅名でしたが
1970年(昭和45年)に「橿原神宮前駅」へと改称され
現在のすっきりとした駅名となっています。
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こちらが駅の中央口の駅舎外観です。
駅が統合されて橿原神宮駅駅となった1940年(昭和15年)に建てられたものです。
設計は建築家の村野藤吾氏の手によるもので、コンクリート駅舎ながら
奈良近辺の関西地方で見られる高塀造(大和棟)と呼ばれる建築様式を模しており、
急な屋根の下に緩やかな錣屋根のある造りはまるで神社かお寺かと思わせる外観です。
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中央口の目の前にはご覧の駅前ロータリーがあり、
ロータリーの中央部は駅前公園となっています。
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公園の真ん中にある黄色いポスト。
神話では神武天皇が日向(宮崎県)の高千穂から橿原へと東遷されたことから
宮崎市と橿原市が姉妹都市となった縁で設置されているそうです。
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駅前広場から駅舎正面に伸びているこちらの道路は
県道125号橿原神宮公苑線で、300mほどで分岐して
橿原神宮の表参道の一の鳥居へと通じています。
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駅舎の中の様子です。
かなり広々とした改札前のホールで、天井はまるで吹き抜けのように高く
天窓や木製の建具が取り付けられています。
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内側の屋根の妻には奈良絵のような大きなレリーフが。
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出札窓口の上には大和三山と橿原神宮が描かれています。
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中央口の改札を駅構内側から。
標準軌の大阪電気軌道(橿原線)と
狭軌の大阪鉄道(南大阪線・吉野線)の駅を統合したという性格上
二つの駅をコンコースで繋いだような構造となっています。
中央口は橿原神宮への正面入口ではありますが、
駅から見ると中間点に作られた出口なので
内側から見ると比較的目立たずこじんまりと設置されています。
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中央口から東側のコンコースの光景です。
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コンコースの東端と、二つの島式ホームの南端が接する形となっており、
目の前には橿原線を跨ぐ構内踏切があります。
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こちらは駅の一番東側にある島式ホームです。
構内踏切からはスロープで連絡しています。
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西側の1番線は標準軌の橿原線のホームとなっており、
同じく標準軌の京都線への乗り入れを中心に名古屋や伊勢志摩、
大阪難波方面へも発着があります。

一方東側は番線が振られていませんがかつての0番線乗り場で狭軌となっています。
通常は使用しませんが、お召し列車や団体列車、臨時列車が停車することがあります。
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そして旧0番線側のスロープ脇付近にはご覧のゼロキロポストが。
これは近鉄吉野線のゼロキロポストとなります。
この場所にあるのは1番線は吉野線と繋がっ通じておらず、
繋がっているのが旧0番線だけだからでしょうか。

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そしてこちらは1番線の西側に並んであるもう一つの島式ホームの入口です。
中央コンコースの東端とこちらの島式ホームの南端は続きとなっています。
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この島式ホームは2、3番線ホームとなっており
両方ともに橿原線の標準軌となっています。
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西側の3番線ホームはご覧の通り
コンコースの手前で車止めとなっています。
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一方の2番線は構内踏み切りを越えて南側の引き上げ線へと繋がっています。
南には吉野線や南大阪線の線路がありますが
橿原線とは軌間が違うため繋がってはいません。

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一方、0番線のさらに東側には「51号線」と呼ばれる引き上げ線があって
ご覧の台車振替場(標準軌・狭軌台車取り替え施設)があります。
これは狭軌の南大阪線の車両の検査を
標準軌の大阪線にある五位堂検修車庫で行う為の施設であり、
南大阪線の車両は台車をここで取り替えて検査へと向かいます。
らら61
この台車振替場の建物がある付近は
かつては小房線(おうさせん)という路線のホームがありました。
南大阪線の前身であった大阪鉄道が国鉄桜井線と畝傍駅で連絡していた時の路線で
1945年(昭和20年)に休止され、正式な廃止となった後にホームが撤去されて
後に台車振替場が建てられた、という訳です。

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橿原線の二つの島式ホームの南側の構内踏切ですが、
その先にはご覧の東口改札が設けられています。
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こちらが東口の駅舎の外観となります。
中央口より後に立てられた東口駅舎も中央口に倣って
高塀造風になっています。
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改札前の光景です。
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パーテションのように改札前に立つ壁には
万葉集でも有名な持統天皇の
「春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣ほしたり 天の香具山」
の和歌がレリーフで飾られています。
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こちらが駅前のロータリーの様子です。
ここから東へ向かって県道124号橿原神宮東口停車場飛鳥線という道路が延びており
数々の史跡の残る飛鳥・斑鳩方面へと通じています。

らら49
再び駅構内へと戻り、東口改札前の構内踏切を渡ります。
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踏切と中央コンコース、そして2、3番線ホームの交わる場所には
ファミリーマートとマツモトキヨシが駅構内店としてあります。
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以前はこちらのコンコース中央に
ご覧の様に柿の葉寿司の売店があったのですが、
現在は撤去されて中央改札の正面の店舗のみとなっている様です。
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中央改札口の前を通過して中央コンコースを西へと進むと
ごらんの様に地下へと潜る階段があります。
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こちらが地下通路となります。
南大阪線の下を通っており、各ホームと西口改札を連絡しています。
かつては南大阪線のホームが構内踏切でつながっていましたが
1995年(平成7年)にこちらの地下通路が作られました。
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島式ホームの4、5番線ホームです。
橿原神宮前駅が狭軌の路線である南大阪線の終点かつ吉野線の起点となっており、
下り線であるこちらの4、5番線は吉野方面行きの吉野線ホームとなっています。
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この駅が南大阪線の折り返しの拠点駅であり、
区間準急はこの駅が終点となっています。
また吉野線の各駅の有効長が4両分なので
南大阪線を走ってきた列車はここで切り離し作業をすることとなります。
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こちらがこの駅で一番西側にある、島式ホームの6、7番線ホームです。
南大阪線ホームとして大阪阿部野橋方面行きの上り線となります。
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かつては上下線ともに乗車ホームと降車ホームに分けられていた時代もあったそうですが
列車数が増えた結果、現在はどちらのホームも乗降ができる状態となっています。
らら56
西口駅舎の外観です。
中央口の駅舎のデザインに近づけらた印象の建物となっています。
かつてこの駅が「久米寺駅」だった時の由来でもある久米寺へは
こちらの出口が最寄りとなっています。
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正面ロータリー側だけではなく、
線路沿いの北側にも駅舎に駅名標がついています。
らら58
駅前にはご覧のロータリーが設けられています。
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ロータリーから駅の正面に伸びる県道133号戸毛久米線。
駅前のロータリーがこの県道の終点となっています。
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駅舎へと戻ると改札へは地下へと降りる階段で向かいます。
これは南大阪線をくぐる地下通路の先に、同じ高さで地下改札口があるためです。
地下でありながら駅舎屋根の天窓から外光が差し込んでおり
改札前は明るくなっています。



■モデル車両: 近畿日本鉄道 22000系 ACE新塗装
らら01


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近鉄では1960年代から特急車両として11400系のエースカーと呼ばれる車両が走っていました。
このエースカーの老朽化に伴い入れ替え車両として1992年(平成4年)に登場したのが
ご覧の22000系、愛称「ACE」という車両です。
近鉄の車両は代々オレンジと紺のツートンカラーでしたが、
このACEは前面塗装がオレンジ(    )一色となっています。
これまでは側面にも帯状に連続して紺色(    )が塗られていましたが、
ACEでは窓部分のみのブロックパターンとなっています。
らら21
そして22000系AECも導入から23年が経過したことから
車体のリニューアル工事が行われ、車体塗装も変更となりました。
一番最初にリニューアル工事が行われたのが上の22110F(Fは編成(Formation)の略)で、
2015年(平成27年)12月13日にリニューアルカラーでの運行を開始
しています。
塗装はクリスタルホワイト(    )を基調に、上下にブライトイエロー(    )を配色。
窓下にはゴールド(    )のラインを入れています。

駅メモのでんこ「橿原らら」の誕生日が12月13日となっていますが、これは
22000系22110編成のリニューアル後の営業運転開始日が元
と考えて間違い無いでしょう。


22000系AECには4両編成と2両編成の2種類の編成がありますが、
2両編成は4両編成から中間車両を抜いたものと考えて概ね間違い無いので
(正確には4両編成先頭車のパンタグラフは一つだが、2両編成の先頭車には2つ載っている)
こちらでは4両編成について各車両を見てみたいと思います。
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大阪方(大阪難波・大阪上本町・京都方面)の先頭車両であるモ22100形です。
編成略記号はMcとなりM(動力車)C(制御車)となるので
モーターを搭載し運転台のある車両となります。
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車両の後方の屋根には下枠交差式のパンタグラフが。
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乗降の扉は車両の前部と後部にあり、
こちらは運転台のすぐ後ろの前部乗降デッキとなります。
先頭車両も貫通式なので運転台の脇を通り抜ける通路があります。
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こちらが客室内の様子です。
2+2列の座席が14列あり計56席となっています。
前方の車端部にはスーツケースの置ける荷物スペースが。
らら68
車両後部の名古屋方の乗降デッキは
乗降スペースのみとなっています。


らら06
大阪方の二両目、モ22200形です。
編成略記号はMでモーター搭載の動力車となります。
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客室内は2+2列の座席が14列と、
車椅子対応座席が2席で合わせて58席となっています。
らら15
こちらが大阪方最後列にある車椅子対応座席です。
目の前の客室の扉がこちらだけ両開きで広くなっており
車椅子で通り易くなっています。
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大阪方にある乗降デッキです。
こちらの車両は乗降デッキは一箇所のみとなります。
乗降扉は車椅子対応の為幅広となっており、
デッキには車椅子対応トイレ、男性用トイレ、そして洗面所があります。
らら70
洗面台の様子です。


らら07
大阪方三両目、名古屋方(近鉄奈良・賢島・近鉄名古屋方面)二両目となる
モ22300形です。編成略記号はMですので動力車となります。
この車両も大阪方の屋根にパンタグラフが載っています。
らら17
車両の両端に乗降扉があるので乗降デッキも二つありますが、
大阪方の乗降デッキには自動販売機が置かれています。
販売機の向かいは車内販売準備室ですが、
現在は車内販売が行われてませんのでシャッターが閉められています。
らら13
客室内のシートは2+2列シートがが15列あり
合計で60席となっています。大阪方の端には荷物置き場があり、
カーブでスーツケースが走らないようにロープが掛けられています。
らら71
名古屋方の乗降デッキは乗り降りのスペースのみとなります。
らら72
連結部から1号車の方を見るとトイレなどがある1号車のデッキと続いており、
まるで一つのデッキのように見えます。


らら08
そして名古屋方の先頭車両となるモ22400形です。
らら73
この車両は運転台の真後ろの名古屋方にのみ乗降扉があります。
デッキにはガラス張りの喫煙ルームが設けられています。
らら75
喫煙ルームの中の様子です。
レストバーベンチが置かれています。
らら74
喫煙室前の通路の様子です。
らら09
こちらは客室内の様子。
2+2列の座席が14列あり計56席となっています。
らら12
客室を出た大阪方には男女兼用トイレ、女性専用トイレ、
そして洗面所があります。洗面所にはおしぼりホルダーがあるのが近鉄流です。

【写真撮影:2018年6月】

日高本線c25
日高本線の続きです。

その1(苫小牧━鵡川)はこちら
その2(鵡川━静内)はこちら


日高本線b08
再びこちらは静内駅前の光景です。
日高本線b09
駅の駐車場スペースに停まっているJR北海道バス。
日高本線b10
団体名ステッカーには「列車代行『様似~静内』」と書かれています。
日高本線の代行バスは静内を境に西側の鵡川駅━静内駅間と
東側の静内駅━様似駅間の二系統に分かれています。
こちらは東の静内から様似までの代行バスということになります。
日高本線b11
静内駅の駅舎前にある代行バスの停留場に停まるバス。
この様似方面行きの代行バスの運行する区間がこの後に巡る駅となります。



日高本線b12
静内駅からの日高本線は、国道235号線(浦河国道)と太平洋の海岸に沿って
ひたすら並走し東進しています。
およそ9kmほど進むとご覧の場所となり次の駅となります。
日高本線b13
横断歩道の目の前に舗装された駅前広場が。
日高本線b19
広場は広く見えますが、実は入口付近の半分は
静内町の農協の農業倉庫の敷地です。
日高本線b14
こちらが東静内駅の駅舎の外観となります。
駅は1933年(昭和8年)に国鉄日高線が延伸した際に設置されたもので、
JR移管後に一旦貨車駅舎となったものの
1994年(平成6年)に現在の駅舎が建てられています。
日高本線b15
駅は無人駅で、
駅舎の中央の三角屋根部分がホームへの通路となっています。
日高本線b16
通路の途中には待合室の入口があり、
中はご覧の通り外周にベンチの置かれたスペースとなっています。
日高本線b17
駅舎とホームは若干離れていますが、
これはかつてはこの駅が交換可能な駅だった為で、
駅舎とホームの間には線路と構内踏切があった為です。
日高本線b18
ホームの様子です。
島式ホームの片面のみを使用した1面1線の棒線駅となっています。
日高本線b20
待合室へと戻り、壁に張られた代行バスの停留場の案内です。
日高本線b23
代行バスの停留場は駅前からすぐ西の国道に設置されていました。
日高本線b21
こちらが下りの様似方面行きの乗り場です。
日高本線b22
そしてこちらが上りの静内方面行き停留場。



日高本線b24
東静内駅を出た日高本線は、海岸線を走る国道235号線(浦河国道)とは
分かれて内陸部の山中へと進路を取ります。
そして6kmほど進むと再び海岸線へと線路が出て、
ご覧の写真のあたりで国道と並走となり次の駅があります。
日高本線b25
国道から駅への道です。
駅舎の前には舗装された広場があります。
日高本線b30
駅舎前の広場は西へと広がっており、
線路沿いに舗装の途切れた砂利敷きのスペースがあります。
日高本線b26
こちらが春立駅の駅舎となります。
1933年(昭和8年)の国鉄日高線の延伸で設置された駅です。
この駅も民営化後に一旦貨車駅舎となりますが、
2000年(平成12年)に現在の駅舎が建てられています。
日高本線b27
駅舎の中の待合室の様子。
日高本線b28
ホームと駅舎はこの駅もご覧の通り若干離れています。
かつてはこの駅も列車交換が可能な駅でしたが、
駅は相対式ホームだった為、駅舎とホームの間の空間は線路跡では無い様です。
日高本線b29
そしてこちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線駅となっています。
現在残っているホームは、かつて相対式ホームだった時代の南側ホームであり
撤去されたもう1線のホームは駅舎と反対側にあったそうです。
日高本線b31
駅舎の待合室に貼られた代行バスの停留場の案内です。
日高本線b32
案内に従って駅から国道へと戻り、東側の横断歩道の先を見ると
代行バスのバス停が見えます。
日高本線b33
こちらが下りの様似方面行きの停留場。
日高本線b34
そしてこちらが上りの静内方面行きの代行バス停留場です。



日高本線b35
春立駅を出た日高本線は、海岸沿いに天狗山という山があることから
再び国道235号線(浦河国道)からは離れ、
布辻川に沿って北上する道道796号西端春立線と並走する事となります。
こちらは春立駅から2.4kmほど進んだ道道の様子です。
日高本線b36
周辺は牧草地帯で人家もまばらなのにポツンと店があるのは
やはりここが駅前だからでしょうか。
日高本線b37
店舗の先にあぜ道のような砂利道があるますが、
こちらが駅への道となります。
日高本線b38
日高東別駅の外観です。
駅前の県道や駅の待合室などに案内標識や駅名標が見える位置に無く、
ここに駅があると知らない人には光景に馴染みすぎて見つけにくい駅だと思います。

この駅は1958年(昭和33年)に日高線に新たに設置された駅で、
延伸開業時には無かった駅です。
日高本線b39
駅は単式1面1線の棒線無人駅であり、
ホームは砂利敷きとなっています。
日高本線b40
駅舎は無く、ホーム上にブロック作りの待合所があり
中はご覧の通りベンチが置かれています。
日高本線b41
待合室の壁の、代行バスの停留場の案内です。
日高本線b42
駅から県道へと戻ってすぐ東に停留場のバスポールが立っています。
片側にしかありませんが上下線共にこのポール付近に停車しているようです。



日高本線b43
日高東別駅を出ると日高本線は引き続き天狗山を迂回しつつ山中を進み、
6km少々進んだところで再び海岸線へと出ます。
ずっと海岸沿いを通ってきた国道235号線(浦河国道)と合流すると
三石川の河口付近の旧三石町(現・新ひだか町)の街があり、次の駅となります。
日高本線b46
駅は国道沿いにあり、駅前広場が直接国道に面しています。
日高本線b49
国道の駅向かいには旅館と、北海道名物のセイコーマートが。
日高本線b50
旅館前に上り静内方面行きの代行バスの停留場が置かれています。
日高本線b44
そして反対側の、駅舎側の国道脇に置かれたこちらは
下り様似方面行きの代行バスの停留場で、
その後ろにひろがるのが駅前広場です。
日高本線b45
そしてこちらが日高三石駅の駅舎となります。
1933年(昭和8年)に国鉄日高本線の延伸によって終着駅として開業。
二年後の1935年(昭和10年)には浦河駅まで路線が延伸されて中間駅となります。
この駅も民営化後に一旦貨車駅舎となるも、
1993年(平成5年)に現在の駅舎に改築。
駅舎は新ひだか町の公共施設「ふれあいサテライトみついし」との合築となっています
日高本線b51
駅前広場に置かれた三石の案内板。
かつては三石町の案内板でしたが、町が合併したので「町」の文字が消されています。
日高本線b47
中の様子です。
入口の正面のスペースが駅の待合室となっています。
待合室の中央に一部の欠けた円形のベンチがありますが、
これは日高が優駿の里であることから馬蹄をイメージしている様です。

またかつては建物には食堂や観光案内所などが置かれていましたが、
2017年(平成29年)に近隣に新ひだか町の町民総合センターができたことで
機能が集約され、建って20年以上が経過したこちらの駅舎からは撤退されています。
日高本線b48
ホーム側から見た駅舎の出口付近です。
日高本線b52
駅のホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線駅となっています。
日高本線b53
かつては列車交換のできる相対式ホーム2面2線だったそうで、
現在は下り線は撤去されているものの下りホームはまだ跡が残っていました。
日高本線b54
待合室に貼られていた代行バスの停留場の案内です。



日高本線b55
日高三石駅を出た日高線は、海沿いに軍艦山という山があることから
迂回して三石川の南の河岸に沿って北東へと進みます。
4kmほど進むと町道沿いに次の駅がありました。
日高本線b56
こちらが蓬栄駅の駅の外観です。
1958年(昭和33年)に新設された駅であり、
町道脇に作られた事から駅舎や駅前の広場などはありません。
日高本線b57
反対の東側から見た駅前付近です。
町道の奥には、二つの山の間に小山が見えますが
こちらが「蓬莱岩」で、なんでも
「川から下って来た怪物と住民が戦い死んだ怪物が岩になった」
という伝承がある岩だそうです。
駅の地名でもある「蓬」の字はこの蓬莱岩が由来だそうで。
日高本線b58
ホームの東端にはコンクリート造りの小さな待合室があります。
中はご覧の通り窓とベンチが置かれています。
日高本線b59
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅で、いわゆる停留場タイプの駅となります。
日高本線c26
この駅の駅舎にも代行バスの停留場の案内が貼られていますが。
日高本線c27
待合室の目の前が停留場なので迷うことはまずありません。



日高本線b60
こちらは道道234号美河三石停車場線の新ひだか町三石本桐付近の光景です。
内陸に迂回した日高本線はそのまま内陸部を南西へと進みますが、
日高三石駅から3.4kmの、道道234号と日高本線が交わる付近に次の駅があります。
日高本線b61
道道から駅へと西に向かって連絡している150mほどの町道です。
日高本線b62
こちらが本桐駅の駅舎の外観です。
駅は1935年(昭和10年)の国鉄日高線の延伸によって設置されました。
無人化された後に駅舎の写真左側は改築され短く詰められています。
日高本線b63
駅舎の中の様子です。
出口脇の長椅子のような台はかつて貨物を取り扱った時代の
荷物の受け渡し口だそうです。
日高本線b64
ホーム側の出口の光景です。
駅舎を出ると右へと通路が延びており、
ホーム北端にある構内踏切まで連絡しています。
日高本線b65
こちらがホームへの構内踏切。
日高本線b66
ホームの様子です。
島式ホーム1面2線の駅で列車交換が可能となっています。
ポイントはスプリング式となっており、
特殊自動閉塞導入により運転要員が不要となって無人駅となっています。
日高本線b67
駅舎入口のガラス戸に貼られた列車代行バスの停留場の案内図。
この駅は駅舎から若干停留場が離れています。
日高本線b68
駅舎から県道まで戻って、黄色が目立つご覧の商店の前まで。
日高本線b69
商店の前の交差点の北隣すぐが代行バスの停留場です。
日高本線b70
こちらが下り線の様似方面行き。
日高本線b71
上り線の静内方面行きの代行バス停留場です。



日高本線b74
こちらは道道384号荻伏停車場線の光景です。
国道235号(浦河国道)から北へと伸びた道道は、
ご覧の交差点で道道348号線とぶつかり東へと進路を変えます。
日高本線b73
駅への標識に従い東へと進む道道。
日高本線b75
道は左へとカーブを描いて駅前へと連絡しています。
日高本線b76
こちらが萩伏駅の駅舎です。
1935年(昭和10年)の国鉄日高線の浦河延伸の際に設置された駅です。
元々は建物の駅舎があったようですが、駅の無人化に際して貨車駅舎へと改築された様です。

他の駅と違うのはこの駅に勤めていた職員がそのまま個人で簡易委託を請けて
窓口業務を続けていたという点で、貨車駅舎ながら駅には窓口も設置されています。
日高本線b77
こちらが駅舎の中の様子です。
日高本線b82
駅前はご覧の通り道幅がかなり広くなっており
そのまま駅前の広場として機能していた様です。
日高本線b83
駅の正面の向かいには旅館もありました。
日高本線b78
ホーム側から見た駅舎付近。
日高本線b80
駅舎とホームは若干離れて置かれており、
ご覧の通り簡易的に通路が作られていました。
かつてはこの空間に線路が敷かれて列車交換が可能な駅だった様です。
日高本線b79
こちらがホームです。
単式ホーム1面1線となっています。
日高本線b81
ホームの両端の光景を見てみると、
線路の線形やホームと敷地の形などが
かつてこの駅が島式ホームの駅だったことを物語っています。
日高本線b84
駅舎の入口のサッシに貼られた代行バスの停留場の案内です。
バス停は若干駅から離れた道道にあることが分かります。
日高本線b85
案内図に従って駅前の道から道道の交差点を南に曲がり
少し進むと左手にバス停の待合所が見えます。
日高本線b86
こちらが代行バスの停留場を示すバスポールです。
JR北海道バスの既存のバス停を共用で使用しています。
日高本線b87
道道を挟んだ代行バス停留場の向かいには
地元の荻伏神社の一の鳥居がありました。



日高本線b88
こちらは荻伏駅からは東に4kmほどに位置する
浦河町字絵笛の牧草地帯の町道です。
日高本線b89
周辺はご覧の通りに一面が馬の牧場が広がっています。
この写真の中央に次の駅があるのですが、
光景に埋もれて線路も駅もどこにあるやらさっぱり分かりません
知らないとここに駅があるとは気がつかないのではないでしょうか。
日高本線b90
こちらの牧場の間に見える柵が、駅への道となります。
日高本線b91
用水路の橋を渡って牧場の中を横切る道を進みます。
日高本線b92
牧場なので、人珍しさに放牧中の馬が寄ってきます。
なんでもこのあたりは有名な競走馬が引退後の余生を過ごす牧場らしく、
競馬をやらない私でも名前を知ってる馬も放牧されているそうで。
日高本線b93
牧場の中の民家の脇を抜けると日高本線の線路が現れて
道はT字路に突き当たります。
町道から線路まではおよそ200mといったところでしょうか。
日高本線b94
線路に沿って右手の南を見ると駅が見えます。
日高本線b95
こちらが絵笛駅の駅の入口となります。
日高本線b96
駅のホームの様子です。
ご覧の通り単式ホーム1面1線の棒線無人駅です。
砂利敷きのホームには転落防止に工事用の単管で柵が設けられていました。
日高本線b97
ホーム脇には一段低い場所に小さなブロック造りの待合所が。
日高本線b98
駅の周囲もどこまでも牧場が続いていて、
本当に牧場以外は何もありません。
日高本線b99
そしてこの絵笛駅の代行バスのバス停ですが、
これが日高本線の中では一番駅から離れているのです。
まずは駅から町道まで戻ります。
2016年(平成28年)3月まではこの町道に代行バスの停留場があったそうなのですが。
日高本線c01
駅から町道を南へと、国道235号線(浦河国道)まで下ります。
距離は駅前から国道までおよそ2.1kmあり、
車なら5分ですが徒歩では30~40分程度かかります。
日高本線c02
太平洋の見える、駅への町道と国道のT字の交差点です。
「絵笛入口」の標識が見えます。
日高本線c03
T字の交差点から東にすぐの場所に
ご覧のJR北海道バスの絵笛停留場があります。
2016年(平成28年)4月以降はこちらがJR日高本線の代行バス停留場となっています。
仮に徒歩でここから駅まで往復した場合、
移動だけで1時間半は必要ということになるでしょう。



日高本線c05
こちらは浦河駅の駅舎の外観です。
1935年(昭和10年)に国鉄日高線がこの駅まで延伸した際に終着駅として開業しました。
駅舎は線路の北側に開業当時のものが残っていて現在も使用されています。
日高本線c06
北側の駅舎の目の前には舗装された駅前広場があります。
中央には標識が立ってロータリー状になっており、
広場の横には砂利敷きの駅敷地が広がっていています。

しかしながら広場の舗装も年季が入ってでこぼこになっており、
また駅前には旅館が一軒建っているのみですので
駅の表側ながら、なぜか裏口感を感じる光景となっています。
日高本線c04
駅前広場に面する町道も二車線で広いのですが、
繁華街的なものも無くいかにも田舎の郊外といった風情です。
日高本線c07
町道の反対側には小山があり、妙龍寺というお寺があって
駅前から山に登る参道の階段があります。
日高本線c08
駅舎の中の様子です。
入口は雪国らしく風除室があって扉が二重となっています。
日高本線の途中駅では数少ない社員配置駅となっており、
改札前には時間限定の営業ながら券売窓口が置かれています。
日高本線c09
ホーム側の駅舎の改札付近の光景です。
日高本線c10
改札脇の駅舎の壁には2003年(平成15年)に浦河高校の美術部が制作した
「丘と海のまきば」と題する絵が展示されていました。
日高本線c11
こちらがホームの様子です。
現在は単式ホーム1面1線のみの駅となっています。
日高本線c12
かつては島式ホームが別に1面あって、計2面3線の駅でした。
跨線橋があるのはかつてのホーム同士の連絡の為のもので
島式ホームへと降りる階段もありました。
日高本線c13
現在のホームの向かいの、写真の付近がかつての島式ホームの跡です。
跨線橋の撤去された階段部分は壁の色が違っており、
かつてのホーム跡の名残りが残っています。
日高本線c14
またこちらはホームの様似方の光景ですが、
かつての切り欠きの貨物ホームが残っています。
ここにもかつては貨物用引き上げ線が分岐していました。
日高本線c15
こちらは駅の跨線橋の様子です。
ホームが1面しか無い現在では本来のホーム連絡の役割は不要であり、
現在は日高本線の北側と南側を連絡する自由通路として利用されています。
ですので駅の外からも自由に跨線橋の利用が可能となっています。
日高本線c16
跨線橋の南側の出口は国道235号線へと通じています。
日高本線c17
国道235号線(浦河国道)の浦河町役場交差点です。
駅の跨線橋はこの交差点前に出口があります。
日高本線c18
交差点の南西の斜向かいには名前の通り
浦河町役場の建物が建っています。
日高本線c19
実は浦河駅ができた当時は跨線橋の出口から南側の国道以南は海でした
このあたりは1970年代後半(昭和50年代)に埋め立てが進み、
現在では駅から海岸は300mほどの距離となっています。
跨線橋の脇にはかつての海岸の名残りとして
「波返し」と呼ばれる海側へ湾曲した防波堤が残っています。
日高本線c20
こちらは駅舎の中の掲示板に貼られた代行バスの停留場の案内です。
案内によると跨線橋を渡って国道へと出た町役場の前付近に停留場がある様です。
日高本線c21
こちらが上り線の静内方面行きの代行バス停留場です。
浦河町役場の正門脇にあるJR北海道バスの役場前バス停が
代行バスの浦河駅停留場としても利用されています。
日高本線c22
反対側にある下り線の様似方面行きの停留場。



日高本線c23
こちらは静内駅━様似駅間におけるau 4G LTEでの電波エリアマップです。
基本的にこの区間も日高本線の走る地域はほぼ全線が電波エリア圏内となります。
特に気にする事無く駅へのアクセスが可能だと思って構いません。
日高本線c24
ただ一箇所だけ、日高東別駅━日高三石駅間で天狗山の山ろくの区域に
ご覧の通り電波エリア圏外の場所がありますが、
駅へアクセスするにはさほど影響が無い事は見ればお分かりいただけると思います。


浦河駅以東の日高本線についてはその4にて。
では。

でんこの元ネタ
■No.52 浦佐ノア(Urasa Noa)
 ■タイプ:アタッカー
 ■誕生日:4月29日
ノア01

浦佐駅は1923年(大正12年)の上越北線の延伸で開業した駅で、
1931年(昭和6年)に清水トンネルの開通による上越線の全通以降は
関東と新潟とを結ぶ在来幹線の駅となります。

貨物列車も運行する重要な幹線の駅という一面はありましたが、
旅客駅としては冬のスキー客が訪れる他は
地元民の利用する小さなローカル駅にすぎませんでした。
しかし1981年(昭和56年)の上越新幹線の開通によって
この浦佐駅に新幹線ホームが設置されたものの
今でも上越新幹線全駅で最も利用者が少ない駅となっています。
ノア02
こちらは東口の駅舎外観です。
八海山口という副称が浦佐駅の東口にはつけられています。
1982年(昭和57年)11月に上越新幹線開業の前年に改築されたもので、
手前の在来線の橋上駅舎と、奥の新幹線高架駅舎が併設された
新幹線駅特有の独特のつくりとなっています。
ノア03
駅の目の前を国道17号(三国街道)が走っており、
国道に面して並走するように駅が設けられています。
ノア07
駅舎側から見た駅前の広場の光景。
この東口広場が整備されたのは1978年(昭和53年)のことであり
新幹線開業の3年前の事でした。
元々の浦佐駅の出口は西口側でしたので、
こちらの東口側は比較的新しく開発された側の出口となります。
ノア05
そして国道に面した東口ロータリーの、南側を見ると
銅像が建っているのが見えます。
ノア04
こちらがこの浦佐駅を含む旧新潟3区を選挙区としていた
第64代内閣総理大臣の田中角栄氏の等身大の銅像です。

角栄氏は議員時代にはこの浦佐のある魚沼地区での支持拡大を元に地盤を築き、
上越新幹線開業に際しては六日町駅や小出駅が候補だった新幹線駅を
この浦佐に決定する影響力があった、と噂されるなど
浦佐の街とは浅からぬ関係がありました。

銅像は角栄氏の後援組織である越山会が中心となり、
存命中の1985年(昭和60年)に2億円の寄付を集めて建立したものです。
ノア06
建立当初は銅像のみで屋根はありませんでした。
しかし角栄氏の娘で元外相の国会議員の田中真紀子氏が
「パパが寒くてかわいそうだから屋根をつけてほしい」と要望。
「銅像に屋根をかけるなど聞いたことがないし、風圧などで強度も危険」とする
銅像を管理していた元越山会の角友会と対立し、
真紀子氏側が屋根設置を求めて南魚沼簡裁に調停を申し立てました。
結果2005年(平成17年)にご覧の屋根がついています。

ノア08
こちらは橋上の改札前の光景です。
改札前は広場のように広くなっており、
正面にコンビニの売店があってその裏手は広い待合広場となっています。
ノア09
改札前を通り過ぎて西へと進むと、
新幹線の下をくぐる為に低くなった通路が伸びています。
ノア12
こちらが浦佐駅の西口の駅舎外観です。
西口は「毘沙門口」の副称があります。
ノア13
こちらにも駅前ロータリーがありますが、
元々新幹線開業前の上越線のローカル駅だった時代の駅前広場はこちらでした。
ノア14
現在は南魚沼市にある浦佐駅は元は大和町という町の中心駅でした。
ですので西口の駅前には大和町の旧市街が今でも残っています。
ノア15
駅舎の改築によってこちらの西口も区画整理が行われた為
その記念碑が駅前に置かれていました。
ノア16
西口の入口を入るとご覧のように広いロビーに
大きな階段があっていかにも新幹線駅といった造りとなっています。
ですが売店などは全く無く人影がまばらなのがむしろ寂寥感を感じさせます。

ノア21
橋上へと戻ってこちらが改札の光景です。
自動改札機があるのは実は新幹線の改札で、
上越線に乗る在来線改札口は窓口前の狭い一本の通路のみです。
ノア10
こちらが在来線改札口付近の様子です。
ノア17
在来線の改札内に入るとご覧の通り広いコンコースがあります。
こちらも必要以上のスペースが空いてがらんとしています。
これだけスペースがあるにもかかわらず、在来線改札内には
エレベーターもエスカレーターも設置されておらず
ホームとの昇り降りは階段のみ
となっています。
ノア18
島式ホームの1、2番線ホームです。
在来線ホームとなっており、1番線が下り長岡・新潟方面行きとなります。
2番線は臨時ホームとなっており通常時に使用されることはありません。
ノア19
ご覧の通り1、2番線ホームは高架下に作られており、
真上には上越新幹線の高架線が走っています。
ノア23
跨線橋から見た在来線ホームの俯瞰です。
左から4、3、2番線となり1番線は右の新幹線駅舎の下となります。
ノア20
こちらは島式の3、4番線ホーム。
一番外側の4番線ホームが上り線の越後湯沢・水上方面行きとなっています。
ノア22
内側の3番線は2番線同様に通常時は使用されていない予備ホームとなります。

ノア11
一旦改札に戻り、こちらは新幹線ホーム付近の様子です。
浦佐駅では、在来線ホームと新幹線ホームを連絡する通路や出入口は無く、
上越線と新幹線を乗り換えるには一旦改札外へ出る必要があります。
ノア24
新幹線改札を入ると最初に右手に目に入るのがこちらのオブジェです。
これは浦佐駅からは北東に4kmほどにある
魚沼市の西福寺開山堂の天井のレプリカとなります。

西福寺には「江戸のミケランジェロ」と呼ばれた石川雲蝶の彫刻が多く残されており、
開山堂の天井には「道元禅師猛虎調伏の図」という大作があります。
1981年(昭和56年)に小出高校の絵画クラブが文化祭でこの大作のオブジェを制作。
ダンボールを素材としながらなかなかの力作に仕上がりました。

作品は文化祭後にJR浦佐駅の新幹線コンコースに飾られ、
これが現在に至るまで写真の通り展示されているのです。
ノア25
改札内の新幹線コンコースの様子です。
さすが新幹線の改札内だけに広々としていますが、
階段奥の新潟方はガラスで区切られて閉鎖されていました。
ノア26
柱には現美新幹線の紹介の看板が掲示されていました。
ノア29
こちらは11番線ホームへと上がるエスカレーター。
ノア27
浦佐駅新幹線ホームの11番ホームです。
新幹線ホームは相対式2面2線となっており、
こちらは下り線新潟方面行きホームとなっています。
ノア28
相対式ホームですのでそれぞれのホームの作りは単式のシンプルなもので、
線路側は柵が設けられています。
ノア30
反対側の12番線ホームで、こちらは上り線の越後湯沢方面行きとなります。
ノア31
そしてこれは11番ホームも同様なのですが、
新幹線ホームの新潟方の階段はご覧の様に鉄の門が設置されて入れません。
これは階下の新幹線コンコースがおよそ半分を閉鎖している為です。
ノア32
そして相対式ホームの間の線路を見ると、
11番線と12番線の間に2本の線路があるのが見えます。
これは優等列車が通過する通過線ですが、
この駅では通過線が本線でホーム停車の番線が副本線となっています。

【写真撮影・2017年1月】



■モデル車両: JR東日本 E3系700番台 現美新幹線
ノア33

現美新幹線は上越新幹線で運行されているジョイフルトレインであり、
「世界最速の芸術鑑賞」のキャッチフレーズの元で
2016年(平成28年)4月29日に越後湯沢駅━新潟駅間で運用を開始しています。

駅メモのでんこ「浦佐ノア」の誕生日が4月29日に設定されていますが
これは現美新幹線の運用開始日が元と見て良い
でしょう。
ノア34
E3系の新幹線は元々は、新在直通運転を行う秋田新幹線への
投入の為に開発された新幹線車両です。

E3系では1997年(平成9年)に作られた
0番台のR2編成からR16編成までが最初の量産車となります。
そして増備の為のプロトタイプ的なR17編成の開発を経た後に
2002年(平成14年)から2005年(平成17年)にかけて作られた
R18編成からR26編成が増備車両となり、
現美新幹線へと充当されたR19編成もこの増備車でした。
ノア35
2002年(平成14年)11月18日に新製されたR19編成は
5億円の費用をかけて川崎重工業車両カンパニー兵庫工場にて改装。
2016年(平成28年)1月4日に改装が完成し0番台(基本番台)から700番台へと改番されました。
また運用が新潟県内に限定となった為、
所属先も秋田車両センターから新潟新幹線車両センターへと変更となっています。


ノア75
現美新幹線のエクステリアデザイン(外装)については
映画監督で写真家の蜷川実花氏が手掛けています。

演出家の蜷川幸雄氏の娘でもある蜷川実花氏は
写真家として第26回木村伊兵衛写真賞をはじめ幾つもの賞を受賞しており、
多くの女優やタレントの写真集を手掛けるなど活躍をしています。
また2007年(平成19年)には映画監督としてもデビュー。
2012年(平成24年)の「へルタースケルター」では22億円の興行収入を挙げています。
ノア74
外装には「日本三大花火」のひとつでもある長岡の花火の写真がラッピングされており、
黒を基調とした車体と共に独特の存在感を放っています。

ちなみに駅メモのでんこ「浦佐ノア」のビスチェとラップスカートは
外装の花火をモチーフとしたと思われるデザイン
となっています。


それでは現美新幹線の各車両についても見てみたいと思います。
ノア41
まずは越後湯沢方の先頭車両、11号車のE311-702です。
編成略記号ではM1scとなっておりM(動力車)S(グリーン車)C(制御車)となります。
ノア43
乗降扉は新潟方の車端にのみあります。
ノア44
乗降デッキの様子です。
車掌室、車椅子対応トイレ、多目的室、洗面所などがあります。
ノア45
乗降デッキと客室への扉の間にある車掌室。
ノア46
12号車への通路側にある多目的室の扉。
ノア47
同じく通路に作られた洗面所です。
ノア42
こちらが11号車の客室内の様子です。
普通車指定席車両となっており、2+2列のシートが6列(最後尾に車椅子対応席あり)で
合計23席が設置されています。
元々が秋田新幹線こまちのグリーン席ですので
座席は非常にゆったりとしています。
ノア48
新潟方最後列の車椅子対応座席です。
ノア49
現美新幹線ということで各車両には現代美術のアーティストの作品が展示されていますが、
こちらの11号車は現代絵画の松本尚氏の作品となっており、
今回の室内のデザインは「五穀豊穣」「祝祭」「光」をコンセプトとしているそうです。

松本氏はインスタレーションという、
特定の室内や屋外などにオブジェや装置を置いて作家の意向に沿って空間を構成し
変化異化させて場所や空間全体を作品として体験させる芸術
を得意としています。
ノア50
作品はトンネルの多い上越新幹線の環境を利用した光のインスタレーションとなっていて
暗くなったトンネル内で見えるカーテンや座席モケットの作品が
トンネルを出ると黄色い光に包まれて消える、その変化を楽しむ仕掛けだそうです。
ノア51
客室の先は運転台がありますので、
扉は施錠されて関係者以外は立ち入りができません。


ノア40
こちらは越後湯沢方の二両目車両となる12号車のE326-702です。
編成略記号ではM2となっており、M(動力車)としてモーターと変圧器を搭載しています。
屋根にはシングルアームのパンタグラフが一基搭載されています。
ノア52
乗降扉は車両の越後湯沢方にあり、
11号車のデッキと連結部を経てつなぎとなっています。
扉の脇にはAED装置が。
ノア53
客室内の様子です。
12号車は現代美術家の小牟田悠介氏の作品となります。
小牟田氏は折り紙をモチーフにした作品やステンレスを用いた作品などで知られる作家です。

鏡面ステンレスのタイルを用いたこの車両の作品は
新潟の車窓と乗客が鏡に映りこむことで
まるで自分がアートの一部になったかのような体験が生まれる
という作品だそうです。


ノア39
こちらは越後湯沢方の三両目、13号車E329-702となります。
編成略記号はT1となりますので動力などを持たないT(付随車)であり
いわゆる客車となる車両です。
ノア54
乗降扉は越後湯沢方にあり、デッキは乗降スペースのみとなっています。
ノア55
デッキから客室へと入るとご覧のキッズスペースがあります。
この空間はパラモデル(Paramodel)という林泰彦氏と中野裕介氏の両名による
アートユニットの手による作品となっています。

Paramodelは「極楽模型制作」をテーマに様々な形式の作品を発表していますが、
中でもタカラトミーの「プラレール」を大量に使用したインスタレーションが有名です。
ノア56
この13号車のキッズスペースも
プラレールの線路をモチーフをした図案に山を模したオブジェが配されており、
現代アートの中で本物のプラレールで実際に子供が遊べる空間となっています。
ノア57
そして13号車の新潟方の半室はカフェとなっています。
カフェの壁の作品は現代絵画家の古武家賢太郎氏の作品で、
古武家氏は自然木に色鉛筆で直接書き込む手法の幻想的な作風が特徴です。
13号車の作品は新潟の旧道「三国街道」を中心とした上越の風景を表現しているそうです。
ノア58
カフェのカウンターとキッズスペースの間には
ごらんのテーブルが置かれています。
ノア61
新潟方にあるカフェからデッキへの扉です。
ノア60
カフェを出て新潟方へと出ると14号車への通路があります。
連結部の13号車側には乗務員室が。
ノア63
乗務員室の向かいには洗面所が置かれています。


ノア38
新潟方三両目の14号車E328-702
編成略記号はT2でこちらもT(付随車)となります。
ノア62
13号車の通路から連結部を経てつながっている14号車の乗降デッキです。
旅行トランクなどを置ける荷物棚があります。
ノア59
14号車は七大陸最高峰登頂を達成した探検家であり、
写真家の石川直樹氏の写真が展示されています。

元々新潟では十日町市と津南町で「大地の芸術祭」という芸術祭が3年周期で開催されるなど
いくつかの芸術祭が行われて現美新幹線が生まれるきっかけとなっています。
ノア64
こうした芸術祭に参加する際に撮影された新潟の春夏秋冬を人々の暮らしを捉えた写真に、
表面のアクリルに映り込む車窓の景色が合わさることで
写真の中の止まった時間と流れ行く車窓の風景が融合する空間が生まれるとのことです。


ノア37
新潟方の二両目の15号車であるE325-702です。
編成略記号ではM1となりM(動力車)としてモーターや変圧器を搭載しています。
ノア65
この車両も屋根にはシングルアームのパンタグラフが。
ノア66
15号車の乗降扉は越後湯沢方にあり、
乗降デッキも荷物棚が置かれた程度の乗り降りのスペースのみとなっています。
ノア67
この車両は現代美術家の荒神明香氏の作品が展示されています。
荒神氏は、大小の異なるアクリルレンズを空間に吊るした「contact lens」など
日常的な風景を抽象化し非日常的な光景空間へと再構築する
インスタレーションを制作する作家です。
ノア68
この車両では、水面で揺れ動く物体をイメージした作品が釣り糸で吊り下げられており
列車がスピードを上げるとともにゆらゆらと水面を漂うように揺れ動く仕掛け
となっています。
ノア69
新潟方の車端部は16号車へと通じる通路となっており、
両脇にはトイレ、男性用トイレ、洗面台、そして公衆電話が設置されています。

ノア36
こちらが16号車となるE322-702です。
新潟方の先頭車両となります。
編成略記号ではM2cとなり、M(動力車)C(制御車)ですので
運転台のあるモーター搭載車両となります。
ノア70
乗降扉は越後湯沢方にあり、15号車の通路とつながっています。
16号車のスペースには乗降デッキと荷物棚がある程度となっています。
ノア71
こちらの車両はアメリカ人のアーティスト、
ブライアン・アルフレッド(Brian Alfred)氏の作品となります。
ノア72
ペインティングやコラージュ、アニメーション映像などの作品を発表しているアルフレッド氏は
実際に新潟を旅した記憶からの四季の風景をポエティックに表現しています。
ノア73
16号車の客室の先は運転台となっていますので
乗客が入れるのはここまでとなります。

【写真撮影・2018年11月】

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