2019年01月

でんこの元ネタ
■No.65 湯前ひびき(Yunomae Hibiki)
 ■タイプ:ディフェンダー
 ■誕生日:3月8日

■出身駅: くま川鉄道 湯前線 湯前駅(熊本)
ひびき01

ひびき02
こちらは国道219号の湯前町付近の光景です。
ひびき03
ご覧の交差点から南へと入ると駅前の道となります。
ひびき04
国道から駅への道を100mほど進むと駅舎が見えてきます。
ひびき05
こちらが湯前駅の駅舎の外観となります。
駅は1924年(大正13年)に当時の鉄道省が敷設した
湯前線のの終着駅として誕生しました。
駅の所属は1949年(昭和24年)に国鉄湯前線に、1987年(昭和62年)にJR湯前線となり、
第三セクター転換されて1989年(平成元年)にくま川鉄道湯前線の駅となっています。
ひびき06
切妻造りの木造平屋造りの駅舎は改修こそ行われたものの
建物自体は1924年(大正13年)の開業時のものがそのまま残っています。
ひびき11
駅前の広場の様子です。
国道から駅前ロータリーまでが赤いインターロッキングで舗装されていました。
ひびき33
ロータリーの西側に隣接してある駐輪場。
屋根がソーラーパネルになっていて太陽光発電を行っています。
ひびき07
駅舎の中の様子です。
待合のテーブルやベンチも木製となっていますが改札のラッチは金属製でした。
待合室内は「湯前ギャラリー」として観光案内の為に整備してありました。
ひびき08
その一環としてか待合室に掲示されていた湯前線の歴史年表です。
(画像クリックで拡大します
ひびき09
ホーム側から見た駅舎改札付近の様子。
ひびき10
改札脇にはご覧の国指定登録有形文化財のプレートがあります。
この駅舎は2014年(平成26年)12月19日づけで
「くま川鉄道湯前駅本屋」として文化庁の文化財指定
を受けています。
参考
文化財オンライン「くま川鉄道湯前駅本屋」
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/211267
ひびき34
改札前のホームの軒の柱にある「賽の鐘」と「潮の鐘」です。
これは湯前町にある「おっぱい神社」こと潮神社と、
「男性の神様」賽神社に由来するもの
です。
ひびき35
鐘の前には両神社の案内が書かれた説明板が掲示されていました。
ひびき12
ホームの様子です。
相対式ホーム2面1線となっていますが、
実質的には駅舎のある側のホームのみの単式1面1線の駅と考えて良いでしょう。
通常運行時に使用されているのも駅舎側のコンクリートのホームのみです。
ひびき13
行き違い設備などは無く、この駅まで到着した列車は
そのまま反対方向へと折り返して運行しています。
ひびき36
駅舎前のホーム上にある自販機。

ひびき14
そして駅前に戻り駅舎の前を東側に進むと
ガラス張りの平屋のテナントの入った建物が見えます。
ひびき20
こちらは「ふれあい交流センター『湯~とぴあ』」という施設です。
湯前町を始めとする近隣の1市4町5村では
「人吉球磨広域行政組合」という特別公共団体を結成しており、
行政サービスの一部を共同で行っています


「湯~とぴあ」はその広域行政組合によって作られた公共施設であり、
地元特産品を販売する販売所をはじめ、ダンスやバンド演奏が楽しめる音楽室、
各種体験に利用できる工作室などが設けられています。
レンタサイクルもこちらで貸し出しがされていました。
ひびき16
その「湯~とぴあ」の物産館の脇からは建物をくぐって
くま川鉄道の線路側へと出ることができます。
ひびき17
こちらが「湯~とぴあ」の線路側の光景です。
線路側のはオープンデッキのテラスが設けられていました。
ひびき18
テラスから見た湯前駅のホーム東端です。
ひびき19
反対側を見るとテラス前にくま川鉄道の終点の車止めがありました。

ひびき21
前の道へと戻り、「湯~とぴあ」の東の斜向かいにある
湯前町の商工会館の建物です。
ひびき22
その隣には小さな駅前のパチンコ屋が。
ひびき23
そして商工会館とパチンコ屋の向かいあたりにあるのが
こちらの半円のアーチです。
下の車と比べて頂ければ大きさが分かると思います。

湯前駅には広域行政組合によって整備され、
1990年(平成2年)に作られた複合施設である
「レールウィング」という広場があります。
こちらのアーチはそのレールウィングの入口に設けられたもので
ランドマーク的なモニュメントの役割を果たしています。
ひびき24
このアーチは金属製に見えますが実は木製であり、
上にはくま川鉄道のマスコットキャラでもある「せぐっちょ」という魚のキャラがいます。
ひびき25
ちなみに「せぐっちょ」の元ネタは「ヨシノボリ(葦登)」というハゼ科の淡水魚で
球磨川に生息をしている魚だそうです。
ひびき26
レールウィングの入口にある建物。
展望台のようになっており、コンクリート基礎の上は檜で建てられています。
ひびき27
広場入口にあるスモールハウス。
駅前の賑わいづくりの為に2017年(平成29年)9月に3棟が作られて
展示体験施設とマンガ図書館、そして「ユノカフェ」というカフェが入っています。
ひびき28
広場への入口に設けられた上屋の屋根。
ひびき29
屋根をくぐるとご覧の広場が広がっています。
こちらが「レールウィング」の多目的広場であり、
床は一面が総檜造りのウッドデッキとなっています。
これは湯前町の「町の木」が檜であり、
球磨檜の工芸品なども特産であるという背景から檜が用いられたと思われます。
ひびき30
ご覧の通りレールウィングの広場はくま川鉄道の湯前駅に面しており、
広場の端はいわば2番線ホームの体裁を取っています。
ひびき31
実際に列車からの乗降も可能であり、
通常営業時は使用されていませんがイベント時などに
実際にホームとして使用する事もできる
ようになっています。
ひびき32
レールウィングの人吉方は広場が狭くなっており
通常のホームのようになっています。



■モデル車両: くま川鉄道 KT-500形気動車 田園シンフォニー
ひびき38

JR湯前線がくま川鉄道へと第三セクター転換したのは1989年(平成元年)ですが、
転換に際してJR九州が湯前線へと1986年(昭和61年)に導入したのが
KT-100形(4両)とKT-200形(3両)の気動車でした。

しかし開業から30年近くが経ち車両が老朽化した為、
くま川鉄道では車両の入れ替えとして新たに2014年(平成26年)に新型のKT-500形を導入
1月にKT-501から503の3両、12月に504、505の2両が増備されています。
ひびき68
車両のデザインは日本各地の観光列車を手がけてお馴染みの
インダストリアルデザイナーの水戸岡鋭治氏の手によるもので、
「人吉球磨盆地特有の四季をイメージ」して車両ごとに季節のテーマを設定、
車体色や内装が各車両ごとで変えられています。

また、KT-500形をモチーフとした駅メモのでんこ「湯前ひびき」の衣装は
茶、赤、ベージュ、青、白の五色が使われていますが
これはKT-500形の501~505までの5両の配色と同じ
となっています。


KT-500形は平常時は普通列車として湯前線内を運行していますが、
2014年(平成26年)3月8日より1日1往復を観光列車「田園シンフォニー」として運行しており
アテンダントが同乗し、沿線名勝での徐行運転や
「おもてなし隊」による物産品の販売などを行っています。
ひびき59
観光列車「田園シンフォニー」運行の様子です。
アテンダントのアナウンスによる案内や
名所での案内、そしてタブレット交換の様子などを案内してくれました。
ひびき66
途中駅で停車時間を取ってのお土産の交換と販売も。
ひびき67
おかどめ幸福駅では「幸福の駅」を散策する停車時間もありました。


また2018年(平成30年)9月には
田園シンフォニーの公式テーマソングもリリースされ
くま川鉄道の全面協力のPVも作成されています。

参考
カサンドラ(casandra)/田園シンフォニー MV
(くま川鉄道「田園シンフォニー」公式イメージソング)




ひびき65
それでは「田園シンフォニー」に使われる
KT-500形の5両を順に見ていきたいと思います。

ひびき39
まずはKT-501で、車両イメージは「冬」となっており
車体色は茶色(    )となります。
ひびき41
車体に描かれた「冬」のロゴマーク。
ひびき42
正面の貫通扉にはト音記号をモチーフにした田園シンフォニーのロゴが描かれており、
また扉の上部の窓の上には「WINTER」と文字が入っています。
ひびき40
このKT-500形はくま川鉄道の沿線が田園地帯であることから
各車両共通のデザインとしてベートーヴェンの交響曲第6番「田園」がモチーフとなっています。
その為車体には「田園」の第一楽章の出だしの譜面がデザインされています。

「交響曲」は英語で「シンフォニー(symphony)」ですから
まさしく「田園シンフォニー」は「交響曲 田園」な訳です。
ひびき63
列車内に飾られている交響曲第6番田園の額。

また駅メモのでんこ「湯前ひびき」の「ひびき」という名前は
交響曲の「響」から取った
と思われます。
ひびき47
車内の様子です。
車両ごとに内装のカラーリングが異なっており、
モチーフが「冬」のこの車両はシックな配色となっています。
ひびき48
湯前方の先頭部の運転室脇にはご覧の「こども展望席」があります。
ひびき51
湯前方運転席の後部のソファ席。
ひびき70
ソファの下には非常時用の脚立がありました。
ひびき49
人吉方に作られた展望カウンターと展望席。
ひびき50
展望カウンターと並びのソファ席です。
ひびき69
対面ボックス席の折りたたみテーブル。
ご覧の様に開閉する仕組みとなっています。
ひびき71
木枠の窓の間に飾られた車両イメージの額。
ひびき72
つり革も木製でした。



ひびき45
KT-502「秋」。車体色は赤(    )です。
ひびき60
車体の「秋」のロゴマーク。
ひびき52
「秋」がモチーフの車内の様子です。
ひびき53
湯前方のソファ席。
この車両は展望カウンターは無く大きなソファー席となっています。
ひびき54
座席は折りたたみテーブルのある対面シートと
2列のシートが配置されていました。
ひびき55
そしてこの車両の人吉方には沿線の特産品が飾られた
ショーケースが置かれています。
ひびき56
人吉方の車端部の様子です。


ひびき44
KT-503「春」。車体色はベージュ(    )です。
ひびき61
「春」のロゴと田園シンフォニーの大きなロゴマーク。
ひびき57
車内客室の様子です。

以上の501から503までの3両が2014年(平成26年)1月に運行を開始した車両です。
この後の504、505の2両は同年12月に増備された車両となります。

ひびき43
KT-504「夏」です。車体色は青(    )となります。
ひびき62
「夏」のロゴマークの描かれた車体横。
ひびき58
車内の様子です。
「夏」がモチーフなので青が基調のデザインとなっています。


ひびき46
KT-505「白秋」。車体色は白(    )です。
ひびき64
くま川鉄道ではKT-500形の運用について
4両稼動、1両点検というサイクルで行っている様子で
私が行った日にはこちらの「白秋」が人吉温泉駅の車庫で点検中でした。
後日改めて撮ってきたいと思っています。


【写真撮影:2018年8月】

河口湖強羅03
ご存知の通り、富士急行は山梨県内を走る私鉄であり、
JR中央本線の大月駅から富士山駅でスイッチバックをして
河口湖駅までを走る全長26.6kmの鉄道です。

富士山ろくを走る「富士山に一番近い鉄道」である富士急は
大月からほぼ全ての区間が上り勾配という路線です。
河口湖強羅04
地元住民の通勤通学にも利用されている路線ですが
その性格上比重が高いのが「観光路線」としての一面で、
富士山をはじめとして富士五湖やグループの富士急ハイランドなど
数多くの強力な観光地を沿線に持っています。
河口湖強羅02
その為富士急自体も観光需要に力を注いでおり、
数々の観光列車を走らせるなどして需要を掘り起こした結果
近年では富士山周辺観光のインバウンド需要などもあって好調な売り上げを上げています。


河口湖強羅01
さて、こちらは富士急行線の河口湖駅です。
そんな富士急の終点にある駅で、山梨県の盲腸線の先端に位置する駅となります。

大月駅から河口湖駅までの所要時間はおよそ1時間ちょうどといったところであり、
富士急自体に乗って費やす時間は往復でも2時間強といったところでしょう。
河口湖強羅05
ですが起点の大月駅がJR中央本線の途中駅という性格もあって
富士急と併せて他の路線を乗り潰すということが非常にやりづらい路線でもあります。
また富士急の運賃も大月━河口湖で1140円という値段であり、
盲腸線であるが故に往復しなければならず、必ず2280円の出費を強いられます。
更に大月駅まで行く運賃と時間を考えれば手間はそれ以上でしょう。

河口湖強羅06
そんな富士急を片道だけの乗車で済ませて
他の盲腸線へとワープするルート
がありますので
今回はそのルートを辿りたいと思います。
という訳で河口湖駅の駅前のバスロータリーへ。
河口湖強羅07
こちらは河口湖駅前の6番バス乗り場です。
駅舎を背にしてロータリーの左側にあります。
河口湖強羅11
駅前のロータリーの案内図です。
場所をご参照下さい。
河口湖強羅08
富士急行バス河口湖線というのが今回目指すバスで、
この路線で河口湖駅から御殿場プレミアム・アウトレットへと行くことができます

参考
富士急行バス「路線バス>富士五湖地区を発着するバス」
http://bus.fujikyu.co.jp/rosen/fujigoko
河口湖強羅09
河口湖駅バス停から御殿場プレミアム・アウトレットまでの
運賃は1510円となっており、所要時間は1時間40分前後で設定されています。
河口湖強羅10
こちらが富士急行バスです。
河口湖駅前のロータリーは様々なバスが発着していますので
バス停の場所とバスのデザインは覚えておいて下さい。


河口湖強羅12
富士急ハイランド駅の前のバス停。
河口湖強羅13
須走浅間神社や山中湖など富士五湖エリアを通って
バスは御殿場方面へと向かいます。
河口湖強羅14
JR御殿場線の御殿場駅前です。
富士急からJR御殿場線へのワープ、ということであれば
こちらで下車すれば完了(河口湖━御殿場運賃1510円)
ですが
今回は通過します。


河口湖強羅15
そしてこちらは御殿場プレミアム・アウトレットのバスロータリーの光景です。
もちろんこの場所はどの鉄道の駅からも離れているのですが、
郊外に作られた商業施設という性格上から
近隣の主だった交通機関とのアクセスを取っている場所でもあります。

ですのでこの御殿場プレミアム・アウトレットを中継地点として使う事で
山梨・静岡エリアの各交通機関へのアクセスが可能となる
という訳です。
河口湖強羅16
こちらはプレミアム・アウトレットのメインの通りに置かれた
バス停の行き先案内図です。
3番乗り場が河口湖方面のバスの発着、
そして4番乗り場が箱根方面のバス停である事が記されています。
河口湖強羅17
3番の河口湖方面のバス停です。
河口湖強羅18
バスポールには路線図も書かれています。
河口湖強羅19
3番乗り場に停車する富士急行バスの車両。
富士急の河口湖駅からこちらの御殿場アウトレットまでは
おおよそ1時間30分程度の所要時間
となっています。

河口湖強羅20
そしてこちらが4番乗り場のバス停です。
箱根方面のバスがこちらで発着しますので、
河口湖方面から来た場合、この4番乗り場へ移動をして
バスを乗り換える事となります。
河口湖強羅25
ちなみに3番乗り場(河口湖方面)と4番乗り場(箱根方面)のバス停は
ごらんの通り隣にありますので迷う事はまず無いかと思われます。
河口湖強羅21
こちらが強羅駅方面へと向かう箱根登山バスです。
バスの形やデザインは同じですが、
バスごとに色が違うことがありますのでご注意下さい。
河口湖強羅22
乗車する路線は観光施設めぐりバスとなります。
運賃は御殿場アウトレットから強羅駅までで990円となります。
他の路線に乗ってしまうと強羅駅へは行きませんので
車体の「観光施設めぐりバス」の文字を確認して乗って下さい。
河口湖強羅23
こちらが時刻表です。
オレンジ色で「M」とある路線が観光施設めぐりバスです。
河口湖強羅24
路線図を見ると観光施設めぐりバス以外は強羅駅へと行かないことが分かります。
箱根湯本駅行きに乗ってレーダーを使って箱根登山鉄道をコンプするやり方もあります
実際に乗る事を旨とする為割愛させていただきます。

河口湖強羅26
観光施設めぐりバスの車内です。
河口湖強羅27
さすがに箱根を走るバスだけに
かなりの急坂を越えてバスは走ります。


河口湖強羅28
そしてバスは強羅駅へと到着。
御殿場アウトレットから強羅駅まではだいたい50分弱の所要時間です。
河口湖強羅29
こちらが強羅駅のバス停となります。
河口湖強羅30
バスポールの路線図です。
河口湖強羅31
御殿場方面へのバス停は道の反対側にあります。
河口湖強羅32
強羅駅の駅舎と踏切、そしてバス停の位置関係はご嵐の通りです。

河口湖強羅33
箱根登山鉄道の終点である強羅駅からは、
箱根湯本を経て小田原駅までの15.0kmを最大80パーミルの坂を走って
およそ1時間かけて鉄道が走っています。
強羅駅から小田原駅までの運賃は片道で670円です。
距離的にはさほど長い路線ではありませんが
スイッチバックを3度行うなど全線の乗車には時間が掛かります。
併せて盲腸線なので鉄道のみを使えば往復は必須でした。



河口湖駅から疑点場プレミアム・アウトレットを経て
箱根登山鉄道の終点である強羅駅までは以上のルートでバスで繋ぐことができます。

バスの乗り換えルートだけでも他にもルートはあるのですが、
乗り換え回数が増えたりするなどしますので上級者向けだと思います。
今回のルートであれば乗り換えは御殿場アウトレットでの1回ですし、
バスも30分から1時間間隔で出ていますので
比較的乗り継いでのバスワープがし易い
と思います。

富士急行と箱根登山鉄道。関東西部の2つの盲腸線を攻略の際に
検討の俎上に上がるルートだと思いますので
参考にしていただければ幸いです。


では。

嘉手納線a29
沖縄県営鉄道嘉手納線の続きです。


その1(那覇駅━城間駅)はこちら


嘉手納線61
城間(ぐすくま)駅の駅跡である、
城間大通りと国道58号線の交差する交差点のすぐ南側の
ガソリンスタンド前です。
嘉手納線62
市道の城間大通りから国道58号線に合流し、
国道を北上していくルートがかつての嘉手納線の廃線跡となります。
すっかり国道として整備をされてしまっていますので
かつての鉄道の面影は全く残っていません。
嘉手納線63
城間大通りから国道の反対側を見ると
ご覧の様に米軍の軍用地の入口となるゲートが見えます。
この付近の国道58号線の西側一帯は「牧港補給地区(キャンプ・キンザー)」という
アメリカ海兵隊の兵站施設となっています。
嘉手納線64
この付近の地図が通り沿いにありましたので
嘉手納線の廃線跡と廃駅の位置を書き込んでみました。

城間交差点から国道58号線をそのまま進む嘉手納線の廃線跡。
東へと大きく国道がカーブを描いた先、
城間交差点からはおよそ1.5kmほどの場所で
嘉手納線は国道から反れて南側の市道へと入っていきます。
嘉手納線65
国道58号線から反れた廃線跡は住宅地に飲み込まれてしまっており
300mほどはその痕跡は消し去られています。
ですが地図上で廃線跡を辿ると写真の住宅地の道路が現れます。
この道こそがかつての嘉手納線の廃線跡を転用した道路なのです。
嘉手納線66
廃線跡の道と県道153号線の交差点付近の光景です。
赤線の様に嘉手納線の線路が走っていたと思われます。
嘉手納線67
そして交差点から北に30mほどの付近に
かつての嘉手納線の駅がありました。


嘉手納線68
こちらが牧港駅(駅メモ未収録)の駅跡です。
駅は1937年(昭和12年)に住民の請願駅として設置されました。
嘉手納線の開通は1922年(大正11年)ですが、鉄道開通前は
牧港の集落の住人達は駅の設置に反対したそうです。

しかし開通後に鉄道駅の有用性に気がついた住人達は
駅用地を提供するなどし、開通から14年後に新たにこの場所に駅ができたのです。
開業時は単式1面1線の無人駅だったそうで、
沖縄線までのわずか8年間だけ営業を行った駅でした。
嘉手納線69
駅跡の向かいにはご覧の「マチナトガー」と呼ばれる湧き水があります。
「マチナト」が「牧港」で、「ガー」がどうやら湧き水の水場の意味の様です。


嘉手納線70
牧港駅跡を過ぎて、廃線跡の道を進み
県道153号線(牧港バイパス)の交差点を越えます。
嘉手納線71
交差点から100mほどのところにガジュマルの樹が立っていますが
その付近が次の駅の駅跡となります。

嘉手納線72
こちらが大謝名駅(駅メモ未収録)の駅跡付近です。
ガジュマルの樹の向かいの商店付近がかつての駅だった場所だそうです。
1922年(大正11年)の路線開通時に設置された駅で営業時は無人駅でした。
嘉手納線73
駅跡の向かいにあるガジュマルの樹です。
根元の石灰石を根が絡むように抱え込んでいます。
嘉手納線敷設の際に石灰石が削られており切り通しのようになっています。


嘉手納線74
大謝名駅跡を過ぎて廃線後の道を北へ。
嘉手納線75
駅跡から70mほどで住宅地に飲み込まれて
廃線跡の道は途切れてしまっています。
この先は戦後まもなく住宅が立ち並んだ場所で
鉄道の遺構は消え去ってしまっています。
嘉手納線76
廃線跡に沿って脇の路地を進むも
すぐに住宅の敷地に阻まれて完全に進めなくなります。
この先の廃線跡の延長線上120mほどの場所に
国道58号線の大謝名交差点があり鉄道も交差点の場所を通っていました。

元々は県道だった国道58号線の大謝名交差点は
旧県道の大謝名三叉路にあたります。
戦前は鉄道が下を通り、県道はその上を橋でオーバーパスしていたそうです。
嘉手納線77
この付近については宜野湾市役所が歴史文化遺産マップを作成しています。
宇地泊地区のリーフレットには鉄道跡のルートが書き込まれおり、
嘉手納線の軽便鉄道跡地をたどるのに非常に役に立つのでご参照下さい。
参考
宜野湾市公式「歴史文化遺産マップ」
http://www.city.ginowan.okinawa.jp/organization/bunkaka/isanbunkarekishimap.html



国道58号線の大謝名交差点の西側は
宜野湾市の区画整理事業が行われている土地で、
再開発によって廃線跡は途切れ遺構は残っていません。
嘉手納線78
こちらは大謝名交差点から北に800mほどの地点で
宜野湾警察署の西側の裏手付近となります。
二車線ある区間は再開発の手が入っており
廃線跡であるかは概ねそうであるとしか言えません。
道幅が狭く1車線になる付近からは嘉手納線の跡地と見て間違い無い様です。
嘉手納線79
嘉手納線の跡地が転用された道路です。
この先が次の駅の駅跡となります。

嘉手納線80
こちらが真志喜駅(駅メモ未収録)の駅跡付近です。
嘉手納線の全線開通の翌年である1923年(大正12年)に与儀駅と同時に新設されました。
嘉手納線81
駅跡の向かいを見ると、木の根元の土が切り通しのようになっており
かつてここが線路であった痕跡をうかがい知る事ができます。

嘉手納線82
真志喜駅跡を過ぎて北に進むと
廃線跡は崖上を通過しており眼下に芋畑を見下ろしています。
ニトリの裏手を通過する廃線跡。
駅跡から1kmほどは廃線跡が道路として続いています。
嘉手納線83
大山地区の付近では廃線跡と道路がずれており、
線路のあった場所には住宅が立ち並んでいます。
その横を並走するように走る生活道路をいかにも廃線跡と思いがちですが
実際には嘉手納線はややずれて走っていた様です。
嘉手納線84
そしてゲートボール場として使われていた空き地を通り過ぎると
その先が次の駅跡付近となります。

嘉手納線85
こちらが大山駅(駅メモ未収録)の駅跡付近となります。
1922年(大正11年)の路線開業時にに開設された駅で、
単式ホーム2面2線で列車交換の可能な有人駅だったそうです。
貨物用の側線と蒸気機関車用の給水給炭設備まである大きな駅でしたが
周辺の集落からは離れた場所にあり不便で、
駅開設の翌年には南に真志喜駅が新設されています。
嘉手納線87
駅跡敷地の南端付近と思われる旧ゲートボール場の空き地。
嘉手納線88
駅跡に建つマンションの敷地の大きさを見ると
交換可能駅であったという当時の駅跡というのも納得がいきます。
嘉手納線89
大山駅の駅跡を過ぎた北側の光景です。
駅跡付近の生活道路が不自然に湾曲しているのが分かりますが、
このあたりが駅の敷地であったと考えると符号する形となっています。

廃線跡が再び道路と合流し、およそ800mほどはそのまま生活道路として進みます。
国道58号線の伊佐浜交差点付近で廃線跡は国道と合流。
隣の伊佐(北)交差点付近までおよそ300mほどは国道付近が廃線跡となります。

嘉手納線92
そしてこちらは国道58号線の北前付近。
廃線跡が国道から分岐した伊佐(北)交差点からは北へ700mほどの地点です。
国道58号線の東側一帯は米軍普天間基地となっており、
歩道橋のあるこの場所には普天間基地の第5ゲート(北前ゲート)があります。

嘉手納線の廃線跡は国道の東側を100mほど離れて並走しており、
この第5ゲート前の信号から150mほどの場所には嘉手納線の遺構が残っています。
嘉手納線90
ゲートの真東付近の嘉手納線の廃線跡です。
この付近は廃線跡を転用した道路と住宅が細切れに混在しています。
嘉手納線91
切り返して見た廃線跡付近。
赤線で示したのが線路があったと思われる場所です。
嘉手納線93
そして廃線跡の道は普天間川へとぶつかりますが、
こちらに嘉手納線の遺構があります。
嘉手納線94
普天間側に架かるその名も「軽便橋」です。
名前の通りこの橋はかつて嘉手納線の軽便鉄道の橋梁があった場所にある橋です。
嘉手納線95
橋の橋脚を見ると分かりますが、
この橋脚はかつて軽便鉄道の渡っていた鉄道橋を支えていたものです。
元々は「佐阿天原橋梁」の橋脚でしたが、
上に載る橋が1988年(昭和63年)に「軽便橋」として架け換えられました。

嘉手納線96
軽便橋の北側の先は当然ながら廃線跡となりますが、
ご覧の通り住宅が行く手を阻んでおり、再開発に飲み込まれてしまった様です。
それもそのはずで、普天間川(佐阿天川)の北側は沖縄線の後に米軍が接収。
「ハンビー飛行場」が建設され米軍基地となっていたのです。

1981年(昭和56年)にハンビー飛行場跡地が変換された後は
地主組合による土地区画整理事業で再開発が行われ、
ショッピングセンターなどが立ち並ぶ街となっています。
嘉手納線97
そしてこちらが旧ハンビー飛行場の敷地内だった、
かつての嘉手納線の駅跡付近の光景となります。
嘉手納線98
北谷駅(駅メモ未収録)とされる場所です。
1922年(大正11年)の路線開業時に作られた駅ですが、
ご覧の通りかつての駅跡は現在は6階建てのマンション敷地となっています。

嘉手納線の廃線跡の資料を辿ると「沖縄県介護保険広域連合」の建物付近が
かつての北谷駅の駅跡であるとされています。
嘉手納線99
しかし沖縄県介護保険広域連合のサイトを見ると
2013年(平成25年)に庁舎が移転していることが記されています。
庁舎のあった場所に建っているマンションの不動産情報を見ると
2016年(平成28年)3月築とありますので、
かつての庁舎は解体されてマンションとなった事が分かります。
嘉手納線a01
資料からマンションの手前付近が駅跡らしいですが、
米軍飛行場建設でブルドーザーで整地され、
戦後の再開発で区画整理となっていることから
遺構は残っておらず痕跡を見つけるのは不可能となっています。
駅がここだったという話は、恐らく飛行場敷地の地権者の登記などから
この場所に駅があった、とされているのだと思われます。
嘉手納線a02
駅跡のすぐ近くにある安良波ビーチ。
こちらも飛行場の返還後に整備された海岸です。


嘉手納線a03
北谷駅跡から北へ900mほどの北谷町美浜の市道付近の様子です。
すぐ東側には国道58号線が走っており、その国道の東側は
米軍のキャンプ桑江があって海軍病院などが置かれています。
嘉手納線の次の駅跡はこの先の中学校の前付近にありました。
嘉手納線a04
こちらが北谷町立桑江中学校の校門前付近です。
この付近にかつての桑江駅(駅メモ未収録)があったそうです。

他の駅同様に1922年(大正11年)の路線開業時に作られた駅ですが、
跡地の校門前の道路が2車線の広い道路であることからも分かる通り
復興と再開発の手が入っており、駅前後のルートを正確に手繰る痕跡はありません。


嘉手納線a05
中学校前の桑江駅跡を後にすると
廃線跡は国道58号線の西側を並走する様に北上していました。
国道に沿って築堤が築かれていて並走しながら線路は北に向かっていたそうですが
今ではその築堤の痕跡を見ることはできません。

嘉手納線a06
そしてこちらは桑江駅跡から北に2.4kmほどに位置する
国道58号線の北谷町砂辺付近の様子です。
ファミリーマート嘉手納第一ゲート前店が国道沿いにある付近と言うと
位置が分かりやすいでしょうか。
嘉手納線の廃線跡はこの南側付近で国道を斜めに横断するように走っていたそうです。
嘉手納線a08
コンビニの店名からも分かる通り、
ここには米軍嘉手納基地の第一ゲートがあります。
国道58号線の砂辺(南)交差点がゲートへの入口前の信号で、
ゲートへの道にはご覧の通り米軍基地との境界線がペイントされています。
このゲートの南側付近にかつての嘉手納線の駅があったそうです。
嘉手納線a09
平安山駅(駅メモ未収録)の駅跡付近の光景です。
駅名は平安山と書いて「へんざん」と読みます。
この駅も1922年(大正11年)の路線開業時に設けられています。

嘉手納線a10
嘉手納基地の第一ゲート前を過ぎて国道は北上していますが、
ここから先は嘉手納線の廃線跡は米軍基地の敷地内へと東に切れ込んで行きます。
当然ながら民間人がその跡を辿ることはできません。

嘉手納線a11
こちらは第一ゲートから国道58号線を2.1kmほど北へと進んだ地点です。
近くにはローソンネーブルカデナ店があり、
「奥まで101km」の国道の距離標があります。
(※奥は国頭村奥の事で国道58号線の沖縄県内の北端)
この場所から東へおよそ500mほど嘉手納基地の中に入った場所が
地図上では野国駅(駅メモ未収録)の駅跡のあった場所となります。

資料を見る限りでは駅跡付近は嘉手納基地の滑走路となっていますので
恐らく駅の痕跡は全く残ってはいないでしょう。


嘉手納線a12
こちらは野国駅跡から1.3knほど北に位置する
嘉手納町役場の前の光景です。
嘉手納線a13
そしてこちらが嘉手納町役場の建物。
嘉手納線a14
役場の前の道を北へと進むとすぐにモニュメントがあります。
嘉手納線a15
こちらが沖縄軽便鉄道嘉手納線の嘉手納駅の跡地を示すモニュメントです。
嘉手納駅は駅メモに登録されている駅ですので
この駅を取らなければ沖縄県はコンプリートできません

駅は1923年(大正12年)の嘉手納線開業時に北端の終着駅として設置されたもので、
2面2線のホームを持つ有人駅であり、
側線も有して貨物の取り扱いも多い有人駅だったそうです。
嘉手納線a16
台座に刻まれた嘉手納線のと嘉手納駅の説明文。
嘉手納線a17
同じく台座にある嘉手納駅の営業時の写真です。
嘉手納線a18
モニュメントの先を北へと進むと「ロータリー広場」が見えてきます。
嘉手納線a19
広場の前にある看板。
嘉手納線a23
東側には再開発で作られたロータリープラザという嘉手納町の施設が建っており、
防衛省沖縄防衛局や入国管理局が入っています。
嘉手納線a20
こちらが広場の様子であり、嘉手納駅の駅跡とされている場所となります。
元々はこの広場は「嘉手納ロータリー」という
直径約120mの日本一の大きさのロータリーの中央部でした。

ロータリーは戦後の米軍統治時代に軍用道路1号線の一部として
米軍によって作られたもので、
作られた場所が嘉手納駅があった場所だったそうです。
嘉手納線a22
広場から役場までは直線の道が伸びていますが、
嘉手納駅跡の石碑付近から南はかつての国道58号線の旧道です。
2007年(平成19年)に現在のルートに国道58号線が付け替えられた際に
旧道の東側半分が削られ道幅が狭くなりました。

石碑より広場側はかつての嘉手納ロータリーの内側であり、
駅跡も写真の付近ではないかという話もあります。
ですが一旦米軍によって整地されてしまっている為
おおよその位置を推測するしか無いのが現状となります。
嘉手納線a24
こちらは嘉手納町役場の前にあった観光案内版の地図です。
嘉手納線a25
この地図に嘉手納線の通っていたとされるルートを書き込んでみました。



嘉手納線a26
こちらが嘉手納線の城間駅━嘉手納駅間の廃線跡の、
au 4G LTEでの電波エリアマップとなります。
ご覧の通り全ての区間で電波状態は良好ですのでアクセスに困る事は無いでしょう。

そして駅メモで嘉手納線の廃駅として収録されているのは
与儀駅、城間駅、嘉手納駅の3つのみですので
城間駅と嘉手納駅の中間地点がお互いの駅の境界となります。
この境界線付近にちょうどあるのが北谷駅跡となります。

ではレーダーを使用するとどうなるのか。
嘉手納線a27
こちらは嘉手納線の真志喜駅跡付近でのレーダーの射程です。
駅メモで真志喜駅は登録されていない為、チェックイン先は城間駅となりますが。

そしてこの真志喜駅付近でチェックインをすると
ちょうど12駅目で嘉手納駅がレーダー射程に入っているのが分かります。
通常時でのMAXの12駅射程では真志喜駅跡付近からが射程圏の様です。
この真志喜駅は嘉手納線で北谷駅からは南に2駅隣で
距離にしておよそ3kmといったところに位置しています。

ちなみになつめスキルを使って+2駅の14駅射程でも
やはり真志喜駅跡付近がレーダー射程の境界
となります。
スキルを使っても射程圏がほぼ変わらないのは
射程ボーダー付近であるゆいレールの駅間距離が近すぎる為
です。


そして2018年(平成30年)11月30日に駅メモでは
レーダーブースターというアイテムが実装
されました。
「レーダーの検知数を+4駅」というアイテムの登場により、
レーダーMAX(12駅)+なつめスキル(+2駅)+ブースター使用(+4駅)で
射程距離が最大18駅まで伸びる
というアイテムとなります。

これによって元々全県で18駅しか無い沖縄県は
県内のどこでアクセスしても全県の駅がレーダー射程圏内という事態となりました。

これまでは「どんなアイテムを使っても嘉手納駅だけは取れない」という状態で
「駅数は少ないながらも難易度は低くない」とされていた沖縄県コンプが
ブースター登場で途端にイージーになったということ
です。
那覇空港駅などは外国からのアクセスで取れる駅として有名ですから
「世界中から沖縄県がコンプできる」という時代となった訳です。


まあ、これまでも飛行時に携帯電波の使えないLCCではなく、
JALなど機内Wi-Fiの使える旅客機で沖縄北方の海上でアクセスすれば
通常チェックインで嘉手納駅が取れていた訳ですから
「何をいまさら」という意見もあるかと思います。
嘉手納線a28
しかし、個人的にはこの嘉手納駅跡の碑を肉眼で見た人こそが
真の沖縄マスター
なんじゃないか、と思っていたりします。


では。

嘉手納線60
続いては沖縄県営鉄道嘉手納線についてです。

駅メモでは単に「嘉手納線」として登録されているこの路線は、
1922年(大正11年)に沖縄県営鉄道の2番目の路線として開業した鉄道です。
古波蔵駅━ 嘉手納駅間の22.4kmが正式な嘉手納線の区間でしたが、
先に営業をしていた与那原線に乗り入れて全列車が那覇駅まで運行をしていました。

廃線の駅として駅メモで登録されているのは
与儀駅、城間駅、嘉手納駅の3駅のみ
ですが、
その廃線跡を巡りこちらでは那覇駅━嘉手納駅間を見ていきたいと思います。



嘉手納線01
こちらは沖縄都市モノレールの旭橋駅のすぐ南の列車内から見た光景です。
建設中の青いシートに覆われているのは建設中の那覇バスターミナルです。
(註:撮影は2018年4月で、那覇バスターミナルは同年10月に開業済み)

中央を走る国道330号線を挟んでバスセンターの向かいにあるのは
リーガロイヤルグラン沖縄というホテルの建物です。 嘉手納線02
旭橋駅からホテルへのデッキの、
ちょうど写真の真下あたりにかつて那覇駅(駅メモ未収録)
ここにあった事を示す碑があります。
嘉手納線03
歩道へと降りて、仮設のチケット売り場の向こう側へとまわると
旭橋交差点の北東角の歩道にご覧のモニュメントがありました。
嘉手納線12
ちょうどモニュメントの横に案内地図があり
この場所を示してくれていました。
嘉手納線04
モニュメントに記された歴史や写真です。
この碑の真裏あたりがかつて那覇駅の転車台があった付近だそうです。
嘉手納線05
こちらは碑にあった沖縄県営鉄道の路線図です。
嘉手納線06
那覇駅の構内配線図もあったので、赤でモニュメントの位置を示しました。
嘉手納線07
こちらは旭橋駅の東側、モニュメントからは北西の
バスセンターの北西側に面する道路の光景です。
嘉手納線08
ここに「仲島の大石(なかじまのうふいし)」という県指定の天然記念物があります。
かつては海岸の海の上にあったという大石は、
近隣住民に縁起の良い岩として大切にされてきたものです。
那覇駅が営業していた時には駅構内の機関庫の北に位置していたもので、
場所の変わらぬその存在からかつての那覇駅の位置関係が分かるという目印なのです。
嘉手納線09
かつての廃駅跡である那覇バスセンターの敷地から、
嘉手納線はおおよそではありますが赤線の様に東南へと進んでいました。

嘉手納線10
バスセンターの東の先にある国道330号線の旭町交差点。
国道はここから壺川通りとなって南へとカーブを描きますが、
県営鉄道の線路もおおよそ赤線のように
国道と並走するように南へと曲がっていったと考えられます。
嘉手納線11
マンションの裏手の、国道の東側を並走している市道を南下。
この道が廃線跡そのものかは定かではありませんが、
残された遺構などからおおよそこの道か
または沿うように県営鉄道の線路は南下したと思われます。
嘉手納線13
市道を南下すると阿手川公園の前を通過してすぐに
ご覧のように道が左に曲がって正面が突き当たっています。
嘉手納線15
県営鉄道の線路はこの正面のビル付近を
そのまま南へと直線で走っていたと思われます。
ビルが建っていることからも分かる通り
ここから先は住宅が立ち並び完全に鉄道の面影は残っていません。

嘉手納線14
そして市道が突き当たった場所からおよそ南に300mの、
廃線跡と思われる市道を延長した先にあるのが
こちらの壺川東公園となります。
嘉手納線16
公園にはご覧の通りディーゼル機関車と線路があります。
機関車は大東島で戦後サトウキビ運搬に使われていたものですが、
下の線路は沖縄県営鉄道で使われていたものなのです。
嘉手納線17
ブロックで作られた碑に記されている通り、
かつての沖縄県営鉄道がこの公園を通っており、
公園造成工事の際にレールが出土したことから
鉄道が走っていた場所にレールを復元
したそうです。
嘉手納線18
公園から廃線跡はさらに南へ。


嘉手納線19
こちらは壺川東公園から南の廃線延長上におよそ400mほどの場所で
国道330号線が西へと進路を変え壺川通りから与儀大通りと名を変えて、
新たに国道507号線が終点となっている古波蔵交差点のすぐ北の地点です。
中央に立つビルは古波津商事ビルです。
嘉手納線20
この古波津商事ビルの北西の、駐車場の片隅にご覧の通り
橋の橋台が残っているのです。
嘉手納線21
橋台のすぐ北側の住宅地の路地です。
恐らく橋台の位置からしてご覧の様に線路が走っていたことでしょう。
嘉手納線22
古波蔵交差点の歩道橋から見た古波津商事ビル付近の光景です。
かつてこのビルの付近に沖縄県営鉄道の古波蔵駅(駅メモ未収録)がありました。
嘉手納線23
交差点の国道330号線の左折路から
古波津商事ビルの入口前へと通じる道があります。
嘉手納線24
こちらが古波津商事ビルの前の駐車場です。
嘉手納線25
ビルの右側、方角では北となる一体が空き地となって駐車場になっていますが
かつてここにサトウキビから精製するアルコール工場があったそうで、
古波蔵駅は古波津商事ビルと工場跡の空き地の間にあったそうです。
ちょうど写真中央の電柱の向こう側あたりでしょうか。
嘉手納線26
県営鉄道の線路が通っていたと思われる場所を赤線で示しました。
多少のズレがあると思いますが概ねはご覧の感じで走っていた様です。
嘉手納線27
ちょうど駐車場前の国道沿いにご覧の看板がありましたので
廃線跡と駅の場所を書き込んでみました。


嘉手納線28
こちらは古波蔵交差点から国道330号線を北に1kmほど進んだ
那覇警察署の付近の光景です。
警察署のすぐ北には与儀交差点があります。
嘉手納線29
こちらが与儀交差点。国道330号線と県道222号線(市民会館通り)が交差しており、
国道はこの交差点で与儀大通りからひめゆり通りへと名前を変えます。
この付近にかつての沖縄県営鉄道の与儀駅があったそうです。
尚、与儀駅は嘉手納線の駅として駅メモで収録されています

与儀駅は1923年(大正12年)に設置された駅で、
前年の1922年(大正11年)に嘉手納線が開業した一年後に作られた駅となります。
当時は単式1面1線の無人駅だったそうです。
嘉手納線30
こちらがおおよその沖縄県営鉄道の廃線跡と
与儀駅があったとされる付近の光景です。
駅は与儀交差点から与儀公園の入口付近にあったそうです。
嘉手納線31
与儀交差点に面した与儀公園の入口です。
嘉手納線32
こちらはひめゆり通り側の公園入口ですが、
シーサーに挟まれた入口の目の前に非常に興味深いものがあります。
嘉手納線33
ご覧のD51形蒸気機関車です。
D51-222という車両で小倉工場で生産され九州を走り、
最後は南延岡機関区に所属をしていた車両で、
D51の中では「標準形」と呼ばれる一番ポピュラーな形をしています。


嘉手納線はかつては築堤の上を走っていたそうですが、
戦後の復興で築堤は崩されて現在の国道330号線と姿を変えました。
ですのでこの付近では国道330号線が廃線跡ということになります。
嘉手納線34
与儀駅跡からの国道は「ひめゆり通り」と名を変えますが、
その由来となっているのが、駅跡から北に800mほどにあるこちらのひめゆり橋となります。

かつてはここに嘉手納線の橋が架かっており鉄道が走っていました。
その脇には人が一人渡っても揺れるという人道橋があり
ひめゆりの由来である県立第一高等女学校の生徒が通学に使っていました。

ある大雨の日にこの橋を渡っていた女学生が安里川に転落するという事故があり、
安全の為に女学生の名をとった木橋に架け替えられました。
そして昭和初期に更に丈夫な橋へと架け替えられて「ひめゆり橋」となり
現在へとその名が受け継がれています。
参考
栄町市場商店街「栄町市場について」
http://sakaemachi-ichiba.net/about.html

嘉手納線35
そして廃線跡であるひめゆり通りを、ひめゆり橋から100mほど進むと
沖縄都市モノレールの安里駅が見えてきます。
嘉手納線37
こちらの高架駅がモノレールの安里駅です。
かつての沖縄県営鉄道の安里駅(駅メモ未収録)
奇しくもモノレールの安里駅とほぼ同じ場所
にあります。
嘉手納線38
こちらはモノレールの安里駅ホームから見た駅の東側の光景です。
正面に見える「りうぼう」というスーパーの敷地付近が
「ひめゆり学徒隊」で有名な沖縄県立第一高等女学校の跡地となります。
嘉手納線36
モノレール駅の東側の光景に県営鉄道の線路跡と
駅があったと思われる付近を書き込みました。
この付近は沖縄戦と戦後の復興で鉄道の痕跡が残っておらず
駅の正確な位置は不明なのです概ねの目安と考えて下さい。


嘉手納線39
安里駅から北も嘉手納線は、
現在の国道330号線と同じルートを走っていました。
写真はモノレールのおもろまち駅で、
安里駅からはおよそ800mほど北に位置しています。
嘉手納線40
こちらはおもろまち駅の西側の光景ですが、
ここには沖縄戦最大の激戦であったシュガーローフ(安里52高地)がありました。
米軍が「シュガーローフ」「ハーフムーン」と呼んだ丘陵の間を
嘉手納線(現在の国道330号線上にあった)は切り通しで敷設されていました。
嘉手納線41
おもろまち駅から600mほど北上した国道330号線の真嘉比交差点付近です。
まだ嘉手納線と国道のルートは重なっています。
嘉手納線42
さらに400mほど北上した、こちらはモノレールの古島駅の南側付近の光景です。
この付近の嘉手納線の廃線跡は、戦後の復興開発の波に飲み込まれてしまっており
現在ではその正確な位置を把握することは困難です。
ですが過去の文献や、廃線の線形や地形などから推測すると
おおよそこの付近で嘉手納線の線路は写真左手の西側へと
国道から反れて敷設されていたはずです。
嘉手納線43
そしてこちらは古島駅からおよそ北西に300mほどの場所にある
県道82号線(環状2号)と県道251号線(パイプライン通り)の交る古島交差点です。
住宅や道路となり完全に跡形もありませんが
赤線で示したように嘉手納線はこの交差点まで敷設されていました。
嘉手納線44
古島交差点から見た北側への光景です。
ここから北の県道251号線が沖縄では「パイプライン」と呼ばれており、
沖縄本土復帰までは道路下に米軍の嘉手納基地などへの送油管が通っていました。
嘉手納線45
そのパイプライン通りを250mほど進むと次の駅跡の地点となります。
嘉手納線47
県道251号線である事を示す標識。
「内間」の地名が書かれています。

嘉手納線46
こちらが嘉手納線の内間駅(駅メモ未収録)があったとされる付近の光景です。
内間駅は1922年(大正11年)の嘉手納線開業時の駅で、
当初は無人駅だったものの後に有人駅となっています。
嘉手納線48
駅跡の前に建つ日本年金機構の浦添社会保険事務所。


嘉手納線49
県道の脇に設置されている「パイプライン通り」の標識です。
嘉手納線50
内間駅後からしばらく、嘉手納線はパイプライン通りを
廃線跡として北上をしていきます。
1.8kmほど進んだこちらは通り沿いにある屋富祖郵便局です。
ご覧の通りコンビニを併設している郵便局です。
嘉手納線51
そして通りを挟んだ郵便局の向かいには
琉球バスの大平特別支援学校前停留場があります。
嘉手納線52
停留場の名の通りバス停の裏は特別支援学校の敷地なのですが、
歩道脇の敷地の脇に嘉手納線の遺構が残っています
嘉手納線53
こちらがこの場所で1991年(平成3年)の街路工事で出土した
嘉手納線の線路のレール
です。
嘉手納線54
一緒に立っている石の三角杭はかつてこの道路に
パイプラインが走っていた当時に、軍用地の境界を示す為のものです。
当初はここに2本復元されていたはずですが、
現在では1本のみが残っていました。
嘉手納線55
そして支援学校の目の前の交差点がY字に分岐をしているのですが、
嘉手納線はこの交差点でパイプライン通りから
城間大通りという市道へと曲がっていたそうです。
嘉手納線56
廃線跡の市道を北西へと進みます。

嘉手納線57
城間大通りをちょうど1kmほど進むと国道58号線へとぶつかりますが、
ここにある城間交差点の角にあるガソリンスタンド(エッソ石油エクスプレス城間SS)付近が
嘉手納線の駅である城間駅の駅跡となります。
駅メモでは廃線の嘉手納線の駅は3駅しか登録されていませんが、
那覇側から数えてこの城間駅は2つ目の登録駅
となりますので
チェックインを忘れないように気をつけて下さい。

城間は(ぐすくま)と読み、城間駅は1922年(大正11年)の嘉手納線開業時に設置されました。
無人駅も多かった嘉手納線でこの駅は17.67坪の駅舎を持つ有人駅だったそうです。


嘉手納線58
こちらは嘉手納線の那覇駅から城間駅までの区間での
au 4G LTEでの電波エリアマップです。
ご覧の通りこの付近は全ての場所が電波圏内となっていますので
駅へのチェックインに困る事は無い
でしょう。

嘉手納線を地図に青線で示し、登録駅の与儀駅と城間駅の場所も
併せて地図上に示しましたのでご参照下さい。

嘉手納線59
こちらは沖縄都市モノレール(ゆいレール)で一番北にある
古島駅からのレーダーエリア範囲を示した図です。
射程8で与儀駅、射程11で城間駅に届くのがご覧いただけると思います。


全長22.4kmの嘉手納線、那覇駅━古波蔵駅間の1.2kmを足せば23.6kmの路線です。
那覇駅━城間駅間は8.4kmの営業距離でおおよそ半分といったところでしょう。
城間駅━嘉手納駅間の嘉手納線北部についてはその2に続きたいと思います。

では。

でんこの元ネタ
■No.75 阿下喜ニナ(Ageki Nina)
 ■タイプ:アタッカー
 ■誕生日:2月7日

■出身駅: 三岐鉄道 北勢線 阿下喜駅(三重)
ニナ02


阿下喜駅が開業したのは1931年(昭和6年)7月8日 のことで、
当時この地で桑名の財界人が中心となって発起された北勢軽便鉄道の駅としてでした。

阿下喜の地は北の美濃からの街道と、桑名へと通じる濃州道(員弁街道)が交わる宿場町で、
江戸時代には桑名から員弁(いなべ)川を舟運が遡る商業が栄えた土地だったそうです。
ここに三重県北部では3番目となる軽便鉄道の敷設が計画され、
1914年(大正3年)に大山田駅(現・西桑名駅)━ 楚原駅間が開通しました。

その後の延伸によって1916年(大正5年)には六石駅(2004年廃止)まで延伸したものの、
阿下喜駅までのわずか1.4kmの区間の工事が地形に阻まれて
第一次世界大戦の最中という条件もあり難航。
結局免許を取得し着工したのは1930年(昭和5年)となり、
翌年の1931年(昭和6年)に阿下喜駅が終着駅として開業しました。

ニナ29
こちらが現在の阿下喜駅の駅舎の外観となります。
元々は木造の駅舎が建っていましたが、
2006年(平成18年)に改築されて現在の駅舎となっています。
駅舎入口に扉は無く、ポリカーボネイトの防風板が設置されています。
ニナ28
駅前の広場の様子です。
中央に街頭が立つ島のあるロータリー状となっています。
ニナ30
左手を見ると駅舎前の赤川という川に小橋が架かっていて
脇には駅周辺の名所案内の看板があります。
ニナ31
対岸から見た赤川の小橋。
ニナ32
橋を渡った駅の対岸にはコンビニエンスストアがあります。

ニナ33
駅前ロータリーに面する道路から北へと70mほど進み、
先ほどのコンビニの前を通過するとまもなく信号があります。
ニナ34
この信号の角にあるのが「阿下喜温泉 あじさいの里」です。
ニナ35
こちらの施設は2006年(平成18年)に設置されたいなべ市の公共施設であり、
天然温泉の大浴場のほかに健康増進施設や食堂、物販店を併設しています。

三岐鉄道ではこの阿下喜温泉までの入場券付き往復切符を企画切符として発売しており、
この施設が阿下喜駅の観光名所の一つとなっています。

ニナ36
駅舎へと戻りこちらは入口付近の光景です。
ニナ37
駅舎内へと入ると左手の壁に待合室へのドアがあります。
ニナ38
待合室にはベンチと自販機が置かれており、
エアコンで空調も効いているのでなかなか快適でした。
ニナ39
待合室の向かい側にはトイレがあります。
ニナ03
通路の奥には自動改札機が設置されており、その前には有人窓口があります。

北勢線では起点の西桑名駅以外の全駅が東員駅の運転司令室での集中管理となっており、
この阿下喜駅も駅舎改築時に無人遠隔管理に対応した設備となっています
が、実際には朝の時間帯と午後には駅員が配置されており
列車到着時には有人での対応を行っています。
ニナ05
ホーム側から見た改札付近の光景です。
ニナ40
こちらがホームの様子です。島式ホーム1面2線となっています。
かつては単式ホーム1面のみの駅でしたが、
2006年(平成18年)の改修によって構内2線化が行われて島式ホームとなりました。

尚、駅名標は他の駅の様にプラスチック製のものが無く、
掲示パネルに画鋲で留められた紙製でした。
ニナ41
写真の列車が停まっている側が1号線、反対が2号線ホームとなります。
ニナ07
ホーム西端の西桑名方の光景。
ニナ10
こちらは駅舎手前で止まっている1号線の車止め付近です。
ニナ09
同じく2号線の車止め付近。

ニナ42
そして駅の南側、1号線の線路の反対側にはご覧の転車台と線路が見えます。
こちらはボランティアで運営されている軽便鉄道博物館の施設となります。

停まっている電車はモニ226で、1983年(昭和58年)に廃車になるまで
北勢鉄道時代から現役で走っていた車両です。
また転車台は阿下喜駅の北側で埋もれていたもので
かつては木材運搬の為に活躍をしていたものを2004年(平成16年)に
この場所に復元したものです。
ニナ43
駅舎の南側に駐輪場が設けられていますが、
線路に沿って奥へと進むと転車台があります。
ニナ45
地上から見た転車台と軽便鉄道博物館の施設です。
通常時は博物館は閉まっておりモニ226も車庫前に留置されています。
ニナ46
この軽便鉄道博物館は毎月2回、第1第3日曜日に開館しており
ミニ電車を走らせ博物館の中も公開しています。
ニナ47
こちらが博物館の中の様子です。
ミニ電車などを格納する車庫の壁に北勢線に関する展示がされています。



ニナ22
所は変わってこちらは三岐鉄道三岐線の伊勢治田駅です。
三岐鉄道は三重県内北部で並走するように二つの盲腸線を運行しています。 ニナ21
そして三岐線で終点から4駅目の伊勢治田駅と、北勢線の終点の阿下喜駅は
ご覧の通り2.1kmの距離にあります。
ですので徒歩移動でも30分弱での移動が可能となります。
ニナ23
伊勢治田駅の駅前広場から、前の道を北へと進んで
三岐線の踏切を越えます。
ニナ24
圓福寺というお寺の前を通過。
ニナ25
古い住宅地を抜けて坂を下ると
国道365号線の権現坂交差点となり角にコンビニがあります。
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権現坂交差点。
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国道を越えて更に坂を下り、S字のカーブの先で員弁川を渡ると
阿下喜の市街地へと入りすぐに駅が見えてきます。

三岐鉄道では三岐線と北勢線の両方で使える一日パスを発売していますので
徒歩でのワープは鉄道ファンの間では割とメジャーなルートの様です。



■モデル車両: 三岐鉄道 270系電車
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北勢線は元々は北勢軽便鉄道として開業しましたが、
その後国家総動員法による陸運統制令に基づく閣議決定によって
三重県の6鉄道が合併して1944年(昭和19年)に三重交通となり、
1965年(昭和40年)には近鉄に買収され近鉄北勢線となります。

そして当時の近鉄が北勢線の近代化事業の一環として
1977年(昭和52年)に近畿車輛で新規製造を行ったのがこちらの270系となります。
導入時にはモ270形(制御電動車)が271~276の6両、
ク170形(制御車)が171、172の2両と計8両が新たに新製されました。
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ところで北勢線は特殊狭軌線(ナローゲージ)と呼ばれる軌間762mmとなっています。
写真の運転士と対比して見てみると、車体にコンパクトさを感じると思います。

そもそも新幹線などで用いられている国際標準軌が1435mmであり、
日本で広く採用されている1067 mmの軌間は狭軌となります。
ですからJRなども本来はナロー(狭)ゲージ(軌)なのですが、
歴史的経緯で日本では狭軌がスタンダードとなっていることから
日本でナローゲージと言えば軌間762mm以下の鉄道を指すのが一般的です。


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こちらがモ270形で、モーターを搭載して列車を引く制御電動車となります。
基本的に北勢線では電動車が阿下喜方に編成されます。
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モ270形の車両の桑名方の屋根にはパンタグラフが載っていますが
小さい車体との対比でその大きさが目立ちます。
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車内の様子です。座席はロングシートとなっています。
やはりナローゲージ車両ですので普段JRなどの車両の大きさに
感覚が慣れていると若干の狭さを感じます。
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阿下喜方の車端部の様子です。
運転台のすぐ後ろには冷房装置が置かれています。
これは2006年(平成18年)より行われた冷房化工事で設置されたもので、
車両重心などの問題から床置きとなっています。
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こちらが1977年(昭和52年)に新規導入された
モ270形の271から276までの6両です。

2005年(平成17年)以降には車両の高速化工事、
そして2006年(平成18年)以降には車両の冷房化工事が行われていますが、
車両ごとに工事の行われたタイミングや内容が違う為、
こうして並べると各車両ごとに微妙に形が違っているのが分かります。

また高速化工事が行われたことで271、272の2両はクモハ270形に、
同じく高速化工事が行われたものの冷房の搭載されていない273から276までの4両は
クモハ273形へとそれぞれ車両形式番号の変更が行われています。

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こちらは1990年(平成2年)に北勢線に増備されたモ277形です。
近鉄内部線及び八王子線(現・四日市あすなろう鉄道)用の260系を流用して作られた車両で
導入しされたのはこの277の一両のみとなっています。
番号的には270形の続き番号となっています。


以上の271から277までの7両が「三岐鉄道270系」の電車です。
駅メモのでんこ「阿下喜ニナ」のモチーフが270系であると考えれば
以上の7両がモデル車両
となります。
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ですが実際の運用ではこの270系を阿下喜方の先頭車両として
それぞれの編成を組んでおり、三岐鉄道では7編成が走っています。
271F(Fは編成の意)から277Fの7編成はそれぞれ固定の編成となっていますので、
ここでは270系電車と一体のものとして見て
以下に編成の付随車両についても記したいと思います。


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こちらはクモハ170形の171です。
元々はク170形として、モ270形の6両と共に
1977年(昭和52年)に新規導入された車両です。

北勢線では西桑名方の先頭車両は制御車(動力を持たず運転台のある車両)が編成されており
このク170形も導入時は制御車でしたが、2006年(平成18年)の高速化工事で
台車が動力着きに交換されて制御電動車となったことから
形式番号がクモハ170形へと変更されています。
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同じくクモハ170形の車両である172。
この形式の車両で新製されたのは171と172の2両のみです。
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172の車内の様子です。
車両の両端部に冷房機が設置されており
座席はロングシートとなっています。


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桑名方の制御車であるク140形です。

元々この車両は、三重交通三重線の車両として
1960年(昭和35年)からサ2000形として7両が作られたものです。

1964年(昭和39年)に三重電気鉄道湯の山線が改軌されると
全車が北勢線に転籍。三重電気鉄道が近鉄に合併されると
サ140形の141から147へと車両形式番号が改番されました。
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そして北勢線の近代化が行われた1977年(昭和52年)に
奇数番号の141、143、145は西桑名側に270系の運転台が新設され
モ270形と固定編成を組む事となります。
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こちらは偶数番号の142と144です。
北勢線近代化の際にはこちらの2両も阿下喜方に運転台が付けられましたが、
三岐鉄道移管後の2003年(平成15年)には運転台が撤去されて
再び付随車へと戻されてサ140-1形の142と144となっています。
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そして146と147の2両は北勢線への転籍以来、中間付随車として
編成の中央のロングシートの客車車両として運行しています。


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こちらはサ130形となります。
中間車両として連結される付随車であり
元々は三重交通サ360形として運行していましたが、
近鉄への吸収合併によってサ130形に改番されています。

車体は各部の丸みの強い準張殻構造となっていて
車端部が直線の切妻となっている270形とは若干イメージが異なります。
また三岐鉄道では運転台を取り付けた車両があったり
妻面への貫通扉の設置など各車両ごとに細かく改造が行われており、
同じ130形でも部分によって微妙に形が違っています。


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こちらは三岐鉄道200形の編成で、
湘南型の2枚窓構成のク202、付随車のサ101とサ201の3両が
270形のモ277に連結されて4両編成となっています。

元々は三重交通モ4400形という電車でしたが、
三重電気鉄道、近鉄を経て車番が改番されており、
また三岐鉄道の近代化事業で現在の編成となっています。

車体の色は三岐鉄道への転用時には黄色でしたが、
2013年(平成25年)の北勢線開業100周年記念の一環として
三重交通の標準色であったクリーム色とグリーンのツートンとなりました。


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北勢線ではこのように数種の車両が在籍しています。
時代によって3両から4両の編成で変遷している様子ですが、
基本的に固定編成となっており、パンタグラフが載った電動車が
阿下喜方につながれるのは変わっていない様です。


三岐鉄道270系の8両が北勢線に配置されたのは
1977(昭和52)年10月11日となります。
また北勢線が開業したのは1914年(大正3年)4月5日です。
駅メモのでんこ「阿下喜ニナ」の誕生日は2月7日に設定されていますが、
車両や路線の歴史を調べてみても2月7日に因んだものは見当たりません。

こうした点をふまえると、2月7日という誕生日の設定、
そしてニ(2)ナ(7)という名前などは、
モチーフとなった車両の270系という数字から因んだという説がどうやら有力な様です。

【写真撮影:2017年12月】

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