2019年02月

でんこの元ネタ
■No.12 有栖川もぼ(Arisugawa Mobo)
 ■タイプ:ディフェンダー
 ■誕生日:7月25日

■出身駅: 京福電気鉄道 嵐山本線 有栖川駅(京都)
もぼ01

有栖川駅は1910年(明治43年)に嵐山電車軌道の駅として開業したもので、
当初の駅名は駅所在地の「京都府葛野郡太秦村大字嵯峨野」(註:開業当時の地名)から取った
「嵯峨野駅」という名前でした。

しかし京都で嵯峨野と言えば嵐山を含む一帯を指すことから
観光客が誤って下車をしてしまう事例が多発しており、
京福電気鉄道となった後の1975年(昭和50年)に現在の有栖川駅へと改名しています。

駅名の有栖川という名の元は駅の西200mほどを流れる川の名前で、
川は嵯峨大覚寺北方の観空寺谷から流れ出て嵯峨野を南に下り桂川に注いでいます。
「有栖」とは、荒樔(あらす)荒瀬(あらせ)の意で祓(はらい)を行う場所の意があり
身体に付いた汚れを洗い清める川なのだそうです。


もぼ02
こちらは三条通の右京区嵯峨野付近です。
西大路通から葛野大路通までの区間は嵐電が併用軌道、
つまり路面電車として走っている区間ですが、
太秦天神川駅を過ぎて以西も嵐電と三条通は並走しています。
もぼ03
三条通沿いにある京都嵯峨野郵便局。
この郵便局の前に信号機と横断歩道が設置されています。
もぼ04
西側から見た嵯峨野郵便局前の信号付近の三条通の光景です。
信号のすぐ西側はT字路となっており北へと道が伸びています。
もぼ05
T字路の角の、郵便局の斜向かいにあるコンビニ。
もぼ06
そのコンビニの脇の道を北へと100mほど進むと
途中で道幅が半減した後に嵐電の踏切へと差し掛かります。
もぼ07
この踏み切りは「有栖川1号踏切」という名前で、
こちらを基点に点対称に有栖川駅のホームが千鳥式に2面2線配置をされています。
もぼ08
踏切の南側のすぐ脇に入口のあるこちらが
駅の下り線嵐山方面行きのホームとなります。

もぼ09
ホームの様子です。
駅舎はありませんがホーム上に屋根の上屋が設けられています。
もぼ10
上屋の壁に掲示されている「嵐電 界隈館」のパネルです。
嵐電の各駅には駅最寄りの名所の写真が掲げられています。
有栖川駅には南西100mほどにある斎宮神社の写真が。
斎宮とは天皇に代わって伊勢神宮に仕える皇族の御所のことで、
有栖川の辺に野宮を建てて精進潔斎したと伝わる神社だそうです。
もぼ11
屋根とベンチの上屋はホームの西寄りにあります。
もぼ12
そしてホーム入口の踏切脇にある「千代の古道」の石標です。
千代の古道とは平安時代の貴族や天皇が
北嵯峨の大覚寺への遊行の折に通った道の事で、
新古今和歌集での藤原定家や後撰和歌集の在原業平など
平安時代の多くの和歌に詠まれた道でもあります。
もぼ13
下り線ホームから見た踏切です。
ホーム同士を連絡する構内通路は無く、
こちらの踏切を渡ってお互いのホームの行き来をする事になります。
もぼ15
こちらは踏切の北側にある四条大宮方面行きの上り線ホーム。
ホーム上に屋根とベンチの上屋はありますが、下りホームに比べて
こちらの上りホームは敷地の都合幅が狭くなっています。
もぼ16
駅の踏切から北へと伸びる道の光景です。
数件の店舗が駅近くにありますが基本的に北側は住宅地となっています。
道路を境界に右側が嵯峨野神ノ木町、左が嵯峨野有栖川町となります。
もぼ18
角に掲示されていた有栖川町の町内の案内板です。
もぼ17
踏切の方向へと南へ戻り、
駅の北東の線路沿いへと入ります。
もぼ19
線路沿いの道路脇には神ノ木町の町内会の花壇が。
もぼ20
そしてこの道路の、駅の東側すぐにこちらの踏切があります。
もぼ21
住宅の狭間の路地へと通じるこの踏切は
車は当然通れない広さで歩行者か自転車でないと渡れません。



■モデル車両: 京福電気鉄道 モボ621形 621号車
もぼ22

京福電気鉄道では長らく運用されていたモボ111形などの旧型車が
置き換えの必要な時期となりました。
その為サービス向上を目指して武庫川車両工業(現・阪神車両メンテナンス)で車両が製造され
1984年(昭和59年)よりモボ501形が投入されることとなります。

しかし将来的なワンマン運転を目論んだ設計は
乗客の動線を妨げるなどの問題点が表面化することとなりました。

こうした経緯をふまえ、同じ武庫川車両工業の製造による
「新・嵐電スタイル」の車両として登場したのがモボ611形・621形・631形となります。
もぼ23
こちらの写真は上からモボ611形、621形、631形です。
パンタグラフの形がシングルアームだったりZ形パンタだったりの違いがありますが、
2分割の前面窓や前照灯の位置、前後配置の幅の広い乗降扉など
基本的な形は三つの形式の車両はどれも同じであることが分かります。

この中でモボ611形は1992年(平成4年)に、
モボ631形は1995年(平成7年)に製造されていますが、
「新・嵐電スタイル」の車両の中で最初に作られたのは
1990年(平成2年)製造のモボ621形でした。
モボ621形の車両で最初に製造されたのが621号車であり、
1990年(平成2年)7月25日が621号車の車両製造日
となっています。
駅メモのでんこ「有栖川もぼ」の誕生日が7月25日に設定されているのは
この「新・嵐電スタイル」で最初に作られたモボ621形621号車の製造日が由来
と見て間違い無いでしょう。
もぼ24
【写真引用:裏辺研究所 http://www.uraken.net/
こちらがデビュー時のモボ621形621号車の写真です。
京福電鉄の標準色であるダークアイボリー(    )と
ダークグリーン(    )のツートンカラーとなっています。

モボ621形をモチーフとしたでんこ「有栖川もぼ」の衣装も
ダークアイボリーをベースとした着物風ワンピースに、
帯や裏地、そしてギターの色がダークグリーンとなっています。
これはモボ621形の登場時の京福電鉄標準色を元にしていると思われます。
もぼ25
その後2010年(平成22年)3月には京福電鉄が嵐電開業100周年を記念して
シンボルカラーを京紫色(    )に制定します。
これによって嵐電の電車が順次京紫色へと塗り替えられていき、
モボ621形621号車も4両目の塗色変更車として2010年(平成22年)10月より
京紫色となって運用を開始しています。
もぼ26
現在も運行している京紫色のモボ621形621号車の外観です。
もぼ27
車内の様子です。乗降扉が前後配置となっており、
その間を間断無くロングシートが置かれています。
運転席後部には料金精算機が置かれており、
ワンマン運転の場合は運転士が対応をします。

【写真撮影:2018年12月】

島原鉄道a20
さて、島原鉄道の続きです。
諫早市を抜けて雲仙市へと入った島原鉄道は
島原半島の海岸線を時計回りに辿るコースを走っていきます。


その1(諫早駅━愛野駅)はこちら



島原鉄道a19
愛野駅の教会を模した駅舎を後にして次の駅へと進みます。
島原鉄道の線路は国道251号線へと変わった島原街道に沿って北西へと進みます。


島原鉄道a21
愛野駅からは直線で1.8kmほど北西に進んだ島原街道の光景です。
国道が東へとカーブを描き、小さな丘を越えた先に次の駅があります。
島原鉄道a22
反対側の東から国道を丘の方向へと進むと
踏切の先に島鉄バスの中阿母停留場があります。
島原鉄道a23
バス停と丘のちょうど中間あたりに
駅への入口があって案内の標識が置かれていました。
島原鉄道a24
こちらが阿母崎駅のホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
駅は1955年(昭和30年)開業ですので戦後に新設された駅ということになります。
開設時には吾妻崎駅という駅名だったそうですが、
5年後の1960年(昭和35年)に現在の阿母崎駅に改名されています。
島原鉄道a26
ご覧の様に駅は国道と隣接して設置されており、
ホーム東端から歩道へと直接出入りをする構造となっています。
島原鉄道a27
駅のホーム側から見た東端の出入口付近です。
島原鉄道a25
東側出入口寄りのホーム後方に駅の駐輪場があります。
自転車を停める乗客は自転車ごと一旦ホームへと入って停める必要があります。
島原鉄道a28
そして反対側のホーム西端にもご覧の国道へと上がる階段があります。
島原鉄道a29
国道側から見た西側の階段上の様子です。
駅がここにあると知らないと出入口があると気がつかないかもしれません。
島原鉄道a30
駅の眼前には一面に水田が広がっています。
元々この付近は諫早湾の海岸線であり、
大正初頭に開通した島原鉄道は開業当時は海岸線を走る鉄道でした。
駅付近の干拓が行われたのは昭和に入ってからのことですので
阿母崎駅の開業時には海は埋め立てられて田んぼになっていたはずです。



島原鉄道a31
阿母崎駅から北東へと2.2kmほど進むと次の駅となります。
干拓前の海岸線を走っていた鉄道は
山田川付近から旧吾妻町の市街地へと入ります。
こちらは国道251線(島原街道)から北に150mほどを並走している市道で
写真の付近に次の駅があります。
島原鉄道a32
反対側から見た駅前の市道です。
まわりは住宅街ながら、駅近くには旅館などもあります。
島原鉄道a33
市道に面した、一面が舗装された駅前広場。
島原鉄道a34
吾妻駅の駅舎の外観です。
1912年(大正元年)の島原鉄道延伸の際に設置された駅で
開業時には山田村駅の駅名でした。
1960年(昭和35年)に現在の吾妻駅となっています。
島原鉄道a44
駅前の顔出し看板です。
島原鉄道の愛野駅から吾妻駅までの切符は「愛しの吾が妻」として
縁起物の切符として人気
となっています。
島原鉄道a35
駅舎の中に入ると改札窓口があり、
窓口の目の前には開放形の待合室があります。
この駅は7時から18時までは窓口が営業している有人駅となっています。
島原鉄道a36
駅は相対式ホーム2面2線となっており、列車交換が可能となっています。
こちらが駅舎のある南側のホームです。
上り線の諫早方面行きとなります。
島原鉄道a37
ホームを連絡している構内踏み切りです。
島原鉄道の構内踏切は他の駅もそうですが警報機や遮断機はありません。
島原鉄道a38
北側の下り線ホームです。島原方面行きとなります。
島原鉄道a39
下り線ホームの待合室の様子です。
屋根とベンチの上屋が設けられています。
島原鉄道a42
そして上屋の西側脇には駅構外へと出られる階段があります。
島原鉄道a41
こちらがいわば北口というべき駅前の光景です。
島原鉄道a43
駅の北側はご覧の通り水田と家が混在しており、
完全な住宅地になっている南側に比べると裏手の風情です。



島原鉄道a45
吾妻駅を出た島原鉄道は海岸線に沿って東へと向かいます。
途中で諫早湾潮受堤防の横を通過しつつ3kmほど東進すると次の駅となります。
こちらは並走する国道251号線(島原街道)から北に50mほどを並走している市道で、
ご覧の付近から駅へと連絡する道があります。
島原鉄道a46
切り替えして東側から見た駅前の市道。
島原鉄道a47
T字路を北に入ると諫早湾に面した駅へと通じた道となります。
島原鉄道a48
海岸を目の前にして駅の駐輪場が2棟。
その間を抜けるとホームへの構内踏切があります。
島原鉄道a49
こちらが古部駅の駅外観です。
駅の目の前に諫早湾の有明海が広がっておりご覧の絶景となっています。
1912年(大正元年)の路線延伸時に設置された駅で無人駅となっています。
島原鉄道a50
ホームの様子です。
島式ホーム1面2線となっており、海側が2番線の島原行きホーム、
反対が1番線の諫早行きホームとなっています。
島原鉄道a51
ご覧の通り駅舎は無、ホーム上に待合の上屋があるのみとなっています。
島原鉄道a52
ホームの北側はすぐに諫早湾があり、
対岸には多良連峰が見えます。
島原鉄道a53
諫早湾の西側を望むと、干拓事業で有名になった潮受堤防を
肉眼ではっきりと見ることができます。
島原鉄道a54
そしてホームを降り再び駅前へ。
島原鉄道a55
駅前の東側を見ると平屋の建物がいくつかあります。
島原鉄道a56
東側の建物は保線の倉庫で、6棟ほど建物が建っています。
島原鉄道a57
そして西側には広めの砂利敷きの広場があり
車を停める事ができます。
島原鉄道a58
広場の西南角には砂利道が市道へと通じており
敷地から外へと出る事が可能です。



島原鉄道a59
古部駅から線路は諫早湾の海岸線に沿って走っており、
国道251号線(島原街道)も並走しています。
1.2kmほど東に進むと次の駅付近となります。
島原鉄道a60
西側から見た島原街道の駅前の交差点付近です。
島原鉄道a61
反対の東側から見た交差点付近。
島原バスの大正駅前バス停が見えます。
島原鉄道a62
国道の交差点を北へと進むと踏切があり、
その手前に駅の入口があります。
島原鉄道a63
こちらが大正駅の外観です。
島原鉄道a65
駅の目の前の踏切の反対側には
ご覧のいけす料理の割烹料理屋があります。
島原鉄道a66
料理屋の向かいにはまるで民家のような建物の
JA島原雲仙瑞穂経済営農センター。
裏手には農作物の選果場があります。
島原鉄道a67
料理店とJAの建物の間の道を北に抜けると
目の前には有明海の海が広がっています。
島原鉄道a68
駅付近の有明海の光景です。
島原鉄道a69
海岸の防波堤には「平成3年度 大正海岸高潮対策工事」の銘板が。
島原鉄道a70
海岸から切り返して見た駅方向の光景です。
島原鉄道a64
踏切の南側へと戻りこちらが駅の入口となります。
島原鉄道a74
入口からホームへと上がるとすぐに駐輪場があり、
乗客はホーム上に自転車を停めることとなります。
島原鉄道a71
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅です。
駅は1955年(昭和30年)に既に営業していた路線に新設されたものです。
昭和にできたのに大正駅なのは、駅のある場所がかつては大正村という
大正時代にできた村であったことからです。
島原鉄道a72
駅舎はありませんが、ホーム上には木造の待合の上屋があります。
島原鉄道a73
待合室の様子です。
中はベンチが置かれるのみとなっています。



島原鉄道a75
大正駅から先も島原鉄道は有明海の海岸と国道251号線(島原街道)を並走します。
国道を2kmほど東進するとご覧の、次の駅への入口となる信号があります。
島原鉄道a76
反対の東側からみた駅への交差点の様子です。
島原鉄道a77
呉服店の前の道を入って100mほど北進すると駅が見えてきます。
島原鉄道a78
西郷駅の駅舎の外観です。
1912年(大正元年)の路線延伸で設置された駅で
合併前の旧瑞穂町の中心駅でした。
島原鉄道a79
駅前の広場は舗装されており、
小さいながらも送迎の乗用車程度であれば転回できるスペースがあります。
島原鉄道a80
駅舎の中へと進むと、窓口の前を通り
ホーム側に待合スペースがあります。
駅務室も残っておりかつては有人駅でしたが、
2000年(平成12年)に無人化されています。
島原鉄道a81
駅のホームの様子です。駅は千鳥式ホーム2面2線となっており、
駅舎のある南側のこちらは上り線の諫早方面行きホームとなります。
ホームが千鳥式なのはかつてタブレット交換を行っていた時の名残りの様です。
島原鉄道a82
駅舎はホームの西の端にあり、目の前に構内踏切があります。
島原鉄道a83
二つのホームを連絡する構内踏み切り。
島原鉄道a84
北側の上り線ホームです。
下り線の島原方面行きホームとなっています。
島原鉄道a85
こちらのホームには上屋があり、
ベンチの置かれた待合所となっています。



島原鉄道a86
西郷駅から東も線路は有明海の沿岸を走りっており、
2.5kmほど進んだ、神代川を渡った先に次の駅が設置されています。
国道は鉄道の南側から北側へと並走する位置を変え、
ご覧の信号が次の駅への入口となります。
島原鉄道a87
この交差点を北へと進むとご覧の神代漁港が。
島原鉄道a88
漁港とは反対の南へと標識に従い交差点を入って進むと
200mほどで駅が見えてきます。
島原鉄道a89
駅前の東西に走る市道の奥が駅の敷地となっており
道の正面に駅舎が置かれていました。
島原鉄道a90
こちらが神代町駅の駅舎の外観となります。
路線が延伸した1912年(大正元年)に置かれた駅で、
1987年(昭和62年)に改築された駅舎は隣の西郷駅と同じ形となっています。
島原鉄道a99
市道に面した駅前広場は舗装されており
数台分の駐車スペースが設けられています。
島原鉄道a98
広場の西の駅舎前に置かれた保線区の建物です。
島原鉄道a91
入口から駅舎の中に入ると、券売窓口の前を通って
待合所がある構造も隣の西郷駅と同じ造りです。
一点だけ違うのは通路脇に警報機が設置されていることでしょう。
島原鉄道a92
警報機はこちらの構内踏切の為のものです。
ご覧の通り駅の西側はホームの先でカーブを描いており
列車の接近が肉眼では確認できません。
その為安全上の理由から警報機が設置されています。
島原鉄道a93
駅舎のある北側のホームです。
相対式ホーム2面2線となっており、
こちらは下り線の島原方面行きとなります。
島原鉄道a94
駅舎はホームの中央付近にあり、
構内踏切も駅舎の目の前にあります。
島原鉄道a96
警報機のある構内踏切を渡って反対側のホームへ。
島原鉄道a95
南側の上り線諫早方面行きホームです。
島原鉄道a97
待合所の上屋がホーム上にあり、
その脇に警報機が置かれています。



島原鉄道b01
神代町駅を出た島原鉄道は引き続き有明海沿岸を東進します。
眼前の海は諫早湾を抜け島原湾へと名前と変えます。
国道251号線(島原街道)と共に4kmほど進むと多比良町へと入り、
多比良港から伸びている国道389号線と交差して400mほどの共用区間となります。

島原街道から国道389号線へと入って踏切を渡り、
150mほど進むとご覧の信号の交差点となります。
ここで国道389号線は南へと直角に交差点を曲がっています。
島原鉄道b02
交差点を北へと曲がると駅への道となり、
50mほどで駅となります。
島原鉄道b03
駅側から見た国道389号線の交差点方向の光景です。
行き止まりの道が駅前広場の役割を果たしています。
島原鉄道b04
駅の正面向かいにある酒屋さんです。
入口前には「総合案内所」の立て看板が立っています。
島原鉄道b06
酒屋の奥の線路沿いには駅の駐輪場が設置されていました。
島原鉄道b05
多比良町駅の駅舎外観です。
1913年(大正2年)の路線延伸によって設置された駅で
業務委託化こそされたものの現在に至るまで有人駅となっています。
島原鉄道b07
駅舎の中の様子です。
中央にベンチが設置されており、
券売窓口には委託の係員が常駐していました。
島原鉄道b08
ホーム側から見た駅舎の改札前の光景です。
島原鉄道b09
駅舎のある南側の1番線上り線諫早方面行きホームです。
相対式ホーム2面2線の駅となっています。
島原鉄道b10
他の駅同様にこの駅もホーム同士は構内踏切で連絡していますが、
この駅に関しては踏切が2つ、構内に設置されています。
こちらは東側の構内踏切。
島原鉄道b11
駅舎はホームの西寄りにあり、駅舎前にも構内踏切があります。
島原鉄道b12
西側の構内踏切です。
駅舎の正面なので幅が広くなっています。
島原鉄道b13
北側にある2番線下り島原方面行きのホームです。
島原鉄道b15
下りホームには大きめの待合の上屋が設けられています。
島原鉄道b14
そして上屋の横にはサッカーボールの石碑が。
これは多比良町駅が高校サッカーの強豪校である国見高校の最寄駅であり、
2000年(平成12年)に全国大会三冠達成を記念して設置されたものです。



島原鉄道b16
こちらは島原鉄道の愛野駅から多比良町駅間の区間の
au 4G LTEでの電波エリアマップです。
この区間も全線が電波エリア圏内となっていますので
駅へのアクセスに困ることは無い
でしょう。


島原半島の外周を走る島原鉄道は
雲仙市を抜けて島原市へと入ります。
島原市内の区間についてはその3に続きたいと思います。

では。

島原鉄道00
さて、次は長崎県の島原鉄道についてです。

島原半島の北岸から東岸を走る鉄道路線である島原鉄道は
開業が1911年(明治44年)というなかなか古い歴史のある路線です。

北目線と呼ばれる旧・島原鉄道の諫早駅━南島原駅間と
同じく南目線と呼ばれた南島原駅━加津佐駅間の口之津鉄道が合併し、
かつては諫早駅から加津佐駅までの島原半島を80km弱走る鉄道でした。

しかし旧・口之津鉄道の区間が赤字の8割を占めるという状況もあり、
2008年(平成20年)に島原外港駅━加津佐駅間のおよそ35kmが廃止されており、
現在は諫早駅━島原外港駅間の43.2kmを運行しています。


島原鉄道01
こちらは諫早駅の東口の外観です。
1898年(明治31年)に当時の九州鉄道の長崎線の駅として開業。
国鉄長崎線の駅となった後に
1911年(明治44年)に島原鉄道が開業して乗り換え駅となりました。

1934年(昭和9年)に2代目の木造二階建ての駅舎に改築された後は
ながらく同じ駅舎が使われていましたが、
2022年に長崎新幹線が開業予定で諫早駅も新幹線停車駅となる為
諫早市の駅周辺整備事業によって2018年(平成30年)8月より
ご覧の3代目となる橋上駅舎の供用が開始されています。
島原鉄道02
東口駅前の様子です。
駅前ロータリーは供用開始しているものの、
再開発中の周辺は仮囲いが立っており
新幹線開業に向けて着々と工事が進められています。
島原鉄道04
東口駅前の交差点の角にある県営バスの諫早バスターミナル。
島原鉄道03
駅前ロータリーを起点として県道16号諫早停車場線が走っており、
バスセンターの前を南に曲がり国道207号線までおよそ400mほどを連絡しています。
島原鉄道05
こちらは諫早市の駅周辺整備事業による
諫早駅東口の開発イメージ図です。
2022年にはこの図が現実に出来上がる予定となります。
島原鉄道06
駅舎の東口から中へ。
島原鉄道07
中は吹き抜けのエントランスホールとなっており、
新幹線駅らしく長いエスカレーターが上階へと通じていました。
島原鉄道08
そしてエスカレーターの裏手には「島鉄のりば」の案内表示があり
短い階段とエスカレーターが。
島原鉄道09
通路を奥へと進むと駅舎内に島原鉄道の諫早駅がありました。
島原鉄道10
券売窓口脇には切符の自動販売機があり、
通路の両脇にはベンチが設置されて待合室を兼ねています。
島原鉄道は基本的にワンマン運転の車内清算なので
ホームへの出口にいわゆるラッチはありませんでした。
島原鉄道11
券売機の上の運賃表です。
島原鉄道12
ホーム側から見た駅舎入口。
島原鉄道13
駅舎とホームとを繋ぐ連絡通路です。
駅ビルが工事中の為、グリーンフェンスで柵が設けられていました。
島原鉄道14
こちらがホームの様子です。
島原鉄道のホームは単式1面1線となっています。
島原鉄道15
隣にはJR長崎本線の線路が走っており、
起点駅なので車止めが駅舎側に設置されています。
島原鉄道16
車止めの前付近のホーム北端にはベンチが並び
列車待ちの待合スペースとなっています。
島原鉄道17
そしてベンチスペースの脇にあるこちらのパネルは「150形蒸気機関車」のもので、
イギリスから輸入された日本で最初の蒸気機関車であり
1号機関車と呼ばれているものです。

日本発の鉄道路線である新橋━横浜間を走っていたこの機関車は
1911年(明治44年)に島原鉄道の開業用として鉄道院から譲渡。
貴重な資料であるとして1930年(昭和5年)に鉄道省に返還されるまで
島原鉄道を現役で走っていました。
島原鉄道18
この1号機関車の実機は1997年(平成9年)に国の重要文化財に指定され、
現在は埼玉県さいたま市の鉄道博物館で静態保存されています。
【写真:裏辺研究所 http://www.uraken.net/rail/alltrain/150.html



島原鉄道19
諫早駅から島原鉄道は南西へと進路を取り
諫早市の中心市街地へと進んで行きます。
左手に諫早城址を過ぎるとまもなく次の駅があります。
島原鉄道20
本諫早駅の駅舎の外観です。
1911年(明治44年)6月に開業したこの駅は、隣の諫早駅よりも2ヶ月早く開業をしています。
現在の駅舎は1989年(平成元年)に改築されたものです。
島原鉄道23
駅西側にはご覧の引き上げ線があり
列車が留置されています。
島原鉄道21
駅舎の前から西への、ちょうど引き上げ線の前あたりの線路沿いには
ご覧の広大な駐車場があります。
島原鉄道32
駐車場にはご覧の島原鉄道の看板が。
島原鉄道22
また駅の直ぐ東側の隣にはコンビニがあり、
駅前の駐車場の一部がコンビニ用となっています。
そしてこのコンビニの前は県道55号有喜本諫早停車場線の終端にもなっています。
島原鉄道31
駐車場の中央付近の前の道路には諫早市役所を示す標識があり、
信号から100mほど北に市役所の建物が見えます。
このことからもに本諫早駅は諫早市の中心部にある事が分かります。
島原鉄道24
駅舎の中の様子です。
駅員が駅務を行う駅務室がある為、
乗客の入れる待合部分の室内はL字形になっています。
6時から22時まではホームへの改札口に駅員が立って改札を行っています。
島原鉄道25
ホーム側から見た駅舎と駅構内の様子です。
駅は相対式ホーム2面2線となっています。
島原鉄道26
駅舎のある1番線ホームで、下り線の島原方面行きとなります。
島原鉄道29
駅構内の1番線が本線の1線スルーの形となっており、
また終点の諫早駅に列車交換施設が無い為に
日に数本、1番線から発車する諫早駅行きの列車が設定されています。
島原鉄道27
ホーム東端にある構内踏切。
1番ホームと2番ホームを連絡していますが遮断機や警報機はありません。
島原鉄道28
2番線ホームです。諫早方面行きの上り線となります。
島原鉄道30
こちらのホームには長いすが置かれています。

島原鉄道34
また本諫早駅の北西500mほどには、諫早城の城跡である諫早公園があります。
こちらは公園に移築されている国指定の重要文化財である眼鏡橋です。
島原鉄道33
公園の本丸跡。
ちょうど駅の方向を眼下に望むことができます。
島原鉄道35
諫早公園にある高城神社です。
高城とは諫早城のことであり、諫早家初代龍造寺家晴公を祭っている神社です。
1882年(明治15年)の創建となります。



島原鉄道36
本諫早の駅前から県道を東に1.5kmほど進むと次の駅が近づきます。
島原鉄道39
諫早の市街地の東に位置するこの付近は
幹線道路も近く区画整理事業が進められ始めている地域です。
島原鉄道37
コンビニの前の交差点から南へと進むこちらが駅への道です。
島原鉄道38
80mほど進むと整体院の先に踏切があり、その脇に駅があります。
島原鉄道40
こちらが幸駅の外観です。
島原鉄道は明治に開業をしていますが、この幸駅の開業は2000年(平成12年)で
この路線では一番新しい駅となります。
島原鉄道41
駅の入口は踏切の脇にあり
スロープでホームへと連絡をしています。
島原鉄道42
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の無人駅となっています。
島原鉄道43
駅名標のすぐ右の柱にはご覧の「六難関十幸運」の文字が。
これは島原鉄道の初代社長の植木元太郎氏が残した言葉だそうで、
駅名標の上にはその英訳の
「Ten-fold fortunes lie beyond six-fold adversities.」とあります。
島原鉄道44
後から新設された駅だけに完全な棒線駅となっています。
島原鉄道45
ホーム東端にある駅周辺の案内図です。
島原鉄道46
駅へのスロープの脇にはホーム裏へと下りる別のスロープがあり、
ホーム下を利用した自転車置き場が設けられています。
島原鉄道47
そしてスロープ手前の駅入口付近を見ると
南側に広がる広大な駐車場への連絡路があるのが見えます。
島原鉄道48
駅南の駐車場は、目の前にある日本ハム諫早プラントの専用駐車場です。
企業私有地となっておりガードマンが巡回していますので
無断の立ち入りはできません。
島原鉄道49
駅の南東に隣接する日本ハム諫早プラントです。



島原鉄道50
幸駅を出た列車はまもなく国道57号線(島原街道)と並走します。
1.9kmほど東進して宗方交差点を過ぎると次の駅となります。
島原鉄道51
駅の案内標識に従って国道を曲がると見える
JAながさき県央小野支店の建物。
島原鉄道52
その脇を入ると駅があります。
島原鉄道53
こちらが小野本町駅の外観です。
1911年(明治44年)の路線開業時に小野村駅として設置された駅は
かつては駅舎があったそうです。
1964年(昭和39年)に現在の小野本町駅となっています。

駅の待合室の壁に描かれているのは
この地で大正時代に生まれた郷土芸能の小野島新地節です。
新地節は諌早の干拓事業の労働歌であり
干拓地独特の板鍬持ちとかがり担いと二人一組で踊る踊りです。
島原鉄道54
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
島原鉄道55
現在は駅に駅舎は無く、ホーム上にご覧のベンチのある上屋があります。
ホーム前の田んぼとの間の空き地にかつては下り線ホームがあって
列車交換ができたそうですが、現在では敷地以外にその痕跡は見られません。
島原鉄道56
駅前のJAの目の前の道路は
国道との間に駅前ロータリーのような側道があります。
かつて駅舎があったその面影なのでしょうか。



島原鉄道57
こちらは国道57号線(島原街道)の尾崎交差点の光景です。
県道124号大里森山肥前長田停車場線という県道が北からこの交差点まで走ってきており、
ここから東へと国道と県道の併用区間となっている場所です。
島原鉄道58
交差点の北西角にあるハーレーの販売店。
島原鉄道59
そのバイク店の目の前の県道にご覧の島原鉄道の踏切があります。
島原鉄道60
そして踏切脇に駅への入口があり、
ちょうどバイク店の裏が次の駅となっています。
隣の小野本町駅からは0.7kmと至近にある駅となります。
島原鉄道61
こちらが干拓の里駅の外観となります。
1995年(平成7年)の開設と比較的に新しい駅となります。
これは北に1kmほどの場所に「諫早ゆうゆうランド干拓の里」という
諫早市の公共施設が1994年(平成6年)に出来たことから
施設へのアクセスの為に設置されたものです。
島原鉄道62
踏切側の駅の東端にスロープがあり
こちらからホームへと上がる事ができます。
島原鉄道63
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅です。
島原鉄道64
駅舎は無くホーム上の上屋があります。
島原鉄道65
この駅の駅名標にはムツゴロウのキャラクターが描かれていますが、
これは「諫早ゆうゆうランド干拓の里」のキャラクターです。
同じキャラが描かれていることからも、施設のアクセスに併せてできた駅であることが分かります。
島原鉄道66
駅の北側には田んぼが広がっており
ホームと田んぼの間の道は砂利道となっています。
島原鉄道73
目の前に広がる田んぼ。
島原鉄道67
駅前を南北に走る県道124号線。
この道を北へと進むと干拓の里があります。



島原鉄道68
こちらは国道57号線の森山駅前交差点付近の光景です。
干拓の里駅からは2kmほど東に進んだ付近ですが
この付近は有数の渋滞箇所の様で、国道の拡張工事が行われていました。
島原鉄道69
交差点の北側を見るとご覧の橋脚が建設中です。
なんでも現道の国道57号線を一般道路として拡張するほか、
並走して自動車専用道路を設けているそうです。
島原鉄道70
森山駅前交差点から50mほど東へと国道を進むと横断歩道があり、
自転車店の脇に駅へと通じる道があります。
島原鉄道71
わき道を北に進むとすぐに周囲が開けて
駅が見えてきます。
島原鉄道72
森山駅の外観です。
1911年(明治44年)の路線開業時からの駅で、
現在の上屋は1987年(昭和62年)に改築されて作られたものです。
島原鉄道75
駅前には舗装された広場があって駐車スペースとなっています。
広場の向こう側には建設中の国道57号バイパスの高架の橋脚が。
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広場の西側を見ると線路に沿って
保線区の倉庫が見えます。
島原鉄道76
ホームの様子です。
相対式ホーム2面2線となっており列車交換が可能な駅となります。
上屋のある南側のホームは上り線の諫早方面行きとなります。
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ホーム上の上屋の様子です。
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待合の上屋の壁にある駅周辺の案内地図。
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そしてホームの西端には構内踏切があり
相対式のホーム同士を連絡しています。
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こちらは北側のホームです。
下り線の島原外港方面行きとなります。
ホームのみで上屋やベンチなどは置かれていません。
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駅の北側はご覧の様に一面の水田が広がっています。
この付近は江戸時代から昭和にかけて干拓が行われた地区であり、
そのさらに北側には近年の干拓事業でニュースにもなった中央干拓地が広がっています。



島原鉄道82
森山駅から路線は引き続き国道57号(島原街道)と並走。
2kmほど東へと進むと次の駅付近となります。
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こちらの信号機と横断歩道から駅への道が通じており、
奥には建設中の国道57号のバイパスが見えます。
島原鉄道84
標識が無いと駅への道だとは気がつきにくいですが
住宅地の路地のような道を進み、高架の下をくぐると駅が見えてきます。
島原鉄道85
こちらが釜ノ鼻駅の駅の外観です。
路線開業後の1935年(昭和10年)に新たに設置された駅で、
上屋の壁に描かれているのは、本村浮立と白塔掛打という
森山地区に伝承され諫早市の無形民俗文化財に指定されている伝統芸能です。
島原鉄道88
駅前はご覧の通り国道57号線の自動車専用バイパスの高架が建設中で、
完成すればこの付近の島原鉄道はバイパスが並走することとなります。
島原鉄道86
ホーム側から見た駅の上屋の様子です。
屋根のベンチがあり、ホームへの入口が上屋の中にあります。
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こちらがホームの様子で、単式1面1線の棒線無人駅となります。
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この付近も江戸時代以降の干拓地にあたり、
駅の目の前にはご覧のように水田が広がっています。



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釜ノ鼻駅からも引き続き国道57号線と島原鉄道は並走しており、
2km弱ほど東へ進むと次の駅となります。
こちらは諫早東高下交差点で、この交差点を北へと進むと駅があります。
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交差点の角にある衣料品店。
島原鉄道92
この衣料品店前の交差点に駅への案内標識があります。
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衣料品店の脇の道を北に進むと店の裏手に線路と踏切が。
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踏切脇に駅への入口があり、
ちょうど衣料品店の裏手が駅となっています。
島原鉄道95
こちらが諫早東高校前駅の駅の外観となります。
1984年(昭和59年)に開設された駅ですので比較的新しい駅となります。
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ホームは単式1面1線で棒線駅となります。
駅舎は無くホーム上に待合の上屋が設けられています。
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上屋の様子です。
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壁には駅周辺の案内地図が。
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ホーム北端の諫早方の光景。
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こちらは南端の島原方の光景です。
田んぼの中をカーブを描いて線路が走っています。
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国道の交差点へと戻り、小川の側道へと入ると100mほどで
駅名の由来となっている諫早東高校があります。



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こちらは諫早東高校前駅から南東へと800mほどの場所で、
島原鉄道は諫早市から雲仙市へと入ってこちらは愛野町付近となります。

これまで国道57号線だった島原街道が分岐して国道251号線へと名前を変え、
鉄道は引き続き島原街道に沿って走っています。
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国道251号線沿いに建っている愛野記念病院です。
写真は国道から一本入った住宅地の病院裏手となります。
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裏手の道を西へと進むとすぐに駅前広場が。
島原鉄道a03
こちらが愛野駅の駅舎の外観となります。
1911年(明治44年)の島原鉄道開業時に最初の終着駅として愛野村駅として設置されました。
翌年には島原鉄道が延伸して中間駅となりました。
現在の駅舎は1986年(昭和61年)に改築されたもので
「愛の駅」として屋根に十字架のある協会を模した建物となっています。
島原鉄道a07
駅舎の前にある、かつての温泉軽便鉄道の愛野村駅があったことを示す
駅名標を模した記念碑です。
島原鉄道a08
1923年(大正12年)には当駅より温泉軽便鉄道が開業。
雲仙鉄道となった後の1938年(昭和13年)に廃止されるまでは
この駅は乗り換え駅でした。
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駅舎の西側の線路沿いの道路。
こちらがかつての温泉軽便鉄道の跡だそうです。
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そして駅舎の前のこちらは「ほほえみの像」。
なんでも愛野町は「日本ロマンチスト協会」の本部があるそうで、
像は「愛のオブジェ」の一つとして設置されたものだそうです。
また駅舎の外装もロマンチスト協会とのタイアップで
2009年(平成21年)にデザイン公募によって塗り替えられたものです。
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駅前の広場の様子です。
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こちらは駅舎の中の様子です。
現在は無人駅ですが、2017年(平成29年)までは有人駅でしたので
かつての券売窓口が残っています。
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ホーム側から見た駅舎の様子。
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南側の駅舎のある1番線ホームです。
駅は相対式2面2線となっており、こちらは上り線の諫早方面行きとなります。
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ホーム東側の構内踏切です。
こちらでホーム同士が連絡されています。
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こちらが2番線ホームとなります。
下り線の島原方面行きとなります。
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2番線ホームの裏手には引き上げ線が1線あり
ホームの目の前にバラスト(線路に敷く砂利)が積まれています。
東側には保線の倉庫と車止めがありました。



島原鉄道a18
こちらは島原鉄道の諫早駅━愛野駅間のau 4G LTEでの電波エリアマップです。
ご覧の通り全線が電波圏内となっていますので駅へのアクセスに困る事は無いでしょう。


路線は諫早市の近郊区間を抜けて雲仙岳の麓の島原半島の外周へと入ります。
風光明媚で有名な島原鉄道の続きはその2以降にて。

では。
【写真撮影:2018年11月】

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