2019年09月

南阿蘇鉄道92
次は南阿蘇鉄道高森線についてです。



1916年(大正5年)に国鉄宮地軽便線の駅として鉄道院によって開設された駅で、
宮地線と改称された後の1928年(昭和3年)2月に現在の南阿蘇鉄道にあたる
立野駅━高森駅が宮地線の支線として開業しています。

そして豊肥本線の全通によって開業から10ヶ月で
立野駅━高森駅間は高森線として分離され、以後は国鉄高森線として運行されます。


計画では宮崎県側を走る高千穂線と繋がって九州を横断する路線となる予定でしたが
建設中の高森トンネルが異常出水によって工事中断に追い込まれるなど難航。
1980年(昭和55年)の国鉄再建法で工事凍結となり、
高森線と高千穂線が繋がることはありませんでした。


その後高森線は第1次特定地方交通線として廃止が承認されたものの
1986年(昭和61年)に第三セクター転換。
南阿蘇村が56.5%の株を保有するというローカル鉄道となり
現在に至るまで南阿蘇鉄道として運行をしています。



南阿蘇鉄道01
こちらは国道57号線の南阿蘇村大字立野付近の光景で、
ご覧の信号から南側へと県道174号立野停車場線が分岐しています。
南阿蘇鉄道02
立野停車場線はS字を描くように国道から南へ進み、
旧立野小学校の廃校跡地の外周を回るように西へと進路を変えて進みます。
南阿蘇鉄道03
西へと曲がってから260mほど進むと、
左手に線路を見下ろしつつ駅前へと辿り着きます。
南阿蘇鉄道04
駅前の広場の様子です。
線路は一段低い場所を走っており、駅も高台の広場から見下ろす位置にあります。
南阿蘇鉄道05
こちらが立野駅へと下る駅前広場からの入口です。
南阿蘇鉄道06
ホームのある駅舎前まで下る階段。
南阿蘇鉄道07
階段を下りきると目の前に、駅舎への案内板と
トロッコ列車の運行情報を掲示する案内板があります。
南阿蘇鉄道08
こちらがJR豊肥本線の立野駅の駅舎となります。
1916年(大正5年)に開設された駅で、当駅から西への路線はスイッチバックとなっています。

2016年(平成28年)4月の熊本地震で肥後大津駅━阿蘇駅間が運休しており、
現在(註:2019年9月)駅も休止状態となっています。
南阿蘇鉄道09
駅舎の中の様子です。
板張りの内装にベンチのある待合室があり、
券売窓口の前には改札のラッチがあります。
南阿蘇鉄道10
改札を抜けるとご覧の様に
ホームへと上るスロープが右手に延びています。
南阿蘇鉄道11
こちらがホームの様子となります。
JRのホームは島式ホーム1面2線となっており、
北側の駅舎のある側が1番線で上り線熊本方面行き、
南が2番線で下り線大分方面行きとなります。
南阿蘇鉄道14
豊肥本線の各駅に設置されている、駅名の由来の入った駅名標。
南阿蘇鉄道15
熊本地震でホームの一部が崩れるなど被害があった為、
ホームと構内のレールは2018年(平成30年)に新しく作り直されています。
列車が運行している当時には
全列車がスイッチバックの為一旦この駅で停車をしていました。
南阿蘇鉄道13

南阿蘇鉄道16
JRの駅舎を出て、階段前の案内看板の前を通過すると
反対側に南阿蘇鉄道のホーム入口となるスロープがあります。
南阿蘇鉄道17
こちらが上から見た南阿蘇鉄道の立野駅の駅の外観です。
ホーム上に駅舎が置かれており、ホーム西端のスロープと駅舎の間には
上屋の屋根が設置されているのが分かります。

1928年(昭和3年)に宮地線の支線として
立野駅━高森駅間の開通によって設置されたもので単式ホーム1面となっています。
国鉄時代には高森線の0番線ホームだったそうです。
南阿蘇鉄道18
ホーム西端の入口スロープを上がると
ご覧の通りベンチが置かれて待合スペースとなっています。
南阿蘇鉄道19
ホーム上にある駅舎の東端は待合室となっており、
中にはトロッコ列車の当日券を発売する窓口があります。
ただ、駅自体が休止中だった為中には入れず、外からの写真となります。
南阿蘇鉄道25
建屋がホーム上のある為ホーム上は狭くなっている箇所が。
南阿蘇鉄道20
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線となっています。
南阿蘇鉄道21
上屋の屋根とベンチが置かれているホームですが、
運行休止中の為所々に雑草が生えている状態です。
南阿蘇鉄道22
そしてホーム西端のスロープ前にある
南阿蘇鉄道のゼロコロポスト。
南阿蘇鉄道23
このゼロキロの距離標の目の前は構内踏切となっており、
後ろには駅前広場へと上がれるスロープがあります。
これはかつて駅前広場のスロープ前に大きな木造駅舎があった時の
ホームへの連絡通路だったものです。
南阿蘇鉄道24
南阿蘇鉄道の線路はホームから西のJR側へと伸びており、
JRホームの先で合流をしています。
南阿蘇鉄道26
駅前広場へと戻り、こちらは駅の向かい正面にある
ニコニコ饅頭の店舗です。
1907年(明治40年)創業で、1916年(大正5年)の駅開業に合わせて
こちらの駅前へと移転し営業をしているという老舗です。
南阿蘇鉄道27
ニコニコ饅頭と駅入口の間にはかつて八角形の建物があって
土産物屋が入っていました。
駅への階段と建物二階が直結していましたが、
恐らく熊本地震の影響で現在は解体撤去されていました。


南阿蘇鉄道28
こちらは立野駅から東に350mほどの、
県道174号立野停車場線が小学校跡の前で直角に曲がる場所のすぐ東の地点です。
この場所に2018年(平成30年)に「立野ダム展望所」という広場が設けられました。
南阿蘇鉄道29
立野ダムは立野渓谷を流れる白川に洪水調節を目的として建設されているダムで、
駅前のニコニコ屋でダムカードの配布も行われています。
南阿蘇鉄道30
そして南阿蘇鉄道を見に来た観点から言えば、
この展望所の一番のポイントはなんといっても立野橋梁に尽きると思います。
南阿蘇鉄道31
こちらが展望所から見た立野橋梁です。
1924年(大正13年)に完成した国鉄高森線の橋梁です。
橋脚に鉄骨を組んで作ったトレッスルを用いたトレッスル橋で、
九州ではここだけにしか無いという珍しい橋です。
土木学会の選奨土木遺産にも指定されています。

立野駅から500mほどの場所に架けられたこの橋も
熊本地震の影響で被災しており、復旧に向けて修復工事の準備が進められています。


南阿蘇鉄道32
こちらは国道325号線の阿蘇大橋の架け替え工事の現場です。
熊本地震による阿蘇山の外輪山の崩落によって、
JR豊肥本線と共に阿蘇大橋も土砂に流されてしまいました。
その為新たな阿蘇大橋を旧橋から800mほど南の位置で架け直しているのが
ご覧の写真の現場となります。
南阿蘇鉄道33
その新・阿蘇大橋から500mほど南に見えるのが
南阿蘇鉄道で名高い第一白川橋梁です。
1927年(昭和2年)に竣工した橋はバランストアーチ橋という形式の橋で、
60mを超える高さは建設当時の日本で一番高い鉄道橋でした。

熊本地震の被災によって架け替えが決定しており、
総工費約40億円で2022年(令和4年)の復旧の見込みです。


南阿蘇鉄道34
こちらは南阿蘇村の村道ですが、国道325号線の旧道にあたる道路です。
立野駅から東へ4.5kmほどに位置するこちらの信号が次の駅への入口となります。
南阿蘇鉄道35
この交差点には駅方面から見るとご覧の大きな行先案内標識があります。
駅への道には駅がある事を示す標識も。
南阿蘇鉄道36
旧国道の交差点から南へ90mほど下ると駅前の広場が見えてきます。
南阿蘇鉄道46
道路の曲がり角に面した駅前広場は舗装されかなりの広さがあり、
駐車場としてもかなりの広さがあります。
南阿蘇鉄道47
広場の東側に面して立つ阿蘇森林組合南部支所の建物。
南阿蘇鉄道49
南側の駅ホーム脇近辺には周辺の案内地図が掲示されていました。
南阿蘇鉄道48
また広場西側の駅舎前を過ぎると集合住宅が見えますが、
ホーム脇に駐輪場と何台分かの駐車場がありました。
南阿蘇鉄道37
そしてこちらが南阿蘇鉄道の長陽駅の駅舎の外観です。
1928年(昭和3年)の国鉄宮地線の支線の開業によって開設された駅で、
後の国鉄高森線の駅として長らく営業をしてきました。
1971年(昭和46年)までは有人駅だったそうで、
現在は無人駅ながら1927年(昭和2年)築の開業以来の木造駅舎が残っています。
南阿蘇鉄道38
駅舎の中の様子です。
待合室には木製のベンチや机などが置かれ、
本棚などもあってさながら町の集会場のような状態です。
かつての駅務室は現在では駅舎カフェ久永屋というカフェが入居しており
土日のみの営業を行っています。
南阿蘇鉄道39
こちらは駅舎の入口脇に置かれた古いかき氷機。
駅舎に入居するカフェの小洒落たレトロコンセプトによるものなのか、
建物の周辺にはこういったレトロアイテムが散在していました。
南阿蘇鉄道40
改札を抜けてホーム側から見た駅舎の様子です。
南阿蘇鉄道41
駅舎前に置かれた、明らかに恋人同士を座らせる為に作られたであろうベンチ。
中央へ傾斜がつけられており、強制的に二人が寄り添う設計です。
南阿蘇鉄道42
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線駅となっています。
南阿蘇鉄道43
阿蘇山の外輪山と中央火口丘の間のカルデラ盆地の南側を鉄道は走っており、
白川が近くを流れることもあって駅周辺は比較的平らな光景が広がります。
南阿蘇鉄道44
ホームの東側の縁石が崩落していますが
熊本地震の影響でしょうか。
南阿蘇鉄道45
駅前の広場とホームの間にフェンスなどは無く、
中には駅舎を通らなくとも自由に入れる状態です。



南阿蘇鉄道50
こちらは国道325号線の旧道である村道から、
南阿蘇西小学校の北側の交差点を300mほど入った付近の光景です。
センターラインの無い村道と鉄道が交差し、
南阿蘇鉄道の加瀬1号踏切があります。
南阿蘇鉄道51
踏切を渡って線路沿いに進むと70mほどで次の駅が見えてきます。
南阿蘇鉄道52
南阿蘇鉄道の加勢駅の駅舎の外観です。
この駅は高森線が第三セクター転換した後の1986年(昭和61年)に設置されました。

駅前の村道が坂になっており、線路とホームは築堤上にあるため
駅舎も基礎が高く作られています。
南阿蘇鉄道53
正面の階段を上って駅舎の中の様子です。
ベンチの置かれたシンプルな待合室となっています。
南阿蘇鉄道59
駅舎のホーム側の光景です。
この駅の駅舎はホームの北端に位置しています。
南阿蘇鉄道54
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となります。
南阿蘇鉄道55
現在(註:2019年8月)現在で列車の運行の無い休止状態の駅ですが、
ホーム内や駅舎まわりの生垣は綺麗に刈り揃えられており手入れがされています。
南阿蘇鉄道56
この駅はホームの両端にも入口があります。
まずこちらは駅舎に近い北側のスロープです。
生垣の中の坂が駅前の道路まで通じています。
南阿蘇鉄道57
一方のこちらは南側のホーム端のスロープです。
こちらは踏切脇へと通じています。
南阿蘇鉄道58
南口ともいうべきこちらの出口前にある、
加瀬2号踏切です。



南阿蘇鉄道60
引き続き国道325号線の旧道を外輪山の内側に沿って東進すると
1.5kmほどでこちらの長陽村下田交差点へと差し掛かります。
鉄道と併走してきた旧道のこの交差点が、次の駅への入口となります。
南阿蘇鉄道61
旧道から50mほどで駅舎が。
南阿蘇鉄道62
こちらが阿蘇下田城ふれあい温泉駅の駅舎です。
1928年(昭和3年)の路線開業時に阿蘇下田駅として開設された駅で、
南阿蘇鉄道へと第三セクター転換された後の1993年(平成5年)に
現在の駅名へと改名され、併せて駅舎も改築されています。

駅名標も「阿蘇下田城」となっており、
かつてこの駅の近くにあった下田城を模している駅舎は
お城のような外観となっています。
南阿蘇鉄道63
駅舎の左手、東側には舗装されたスペースがあり
駐車場と駐輪場があります。
南阿蘇鉄道68
駐車場とホームの境目付近にある縁結びの石。
元々は阿蘇観光ホテルという天皇が熊本に行幸した際に宿泊したホテルにあったものですが、
ホテルが閉館となった為にこちらの駅へと移設されています。
南阿蘇鉄道64
駅舎の西側は行き止まりとなっており
村営の集合住宅の敷地となっています。
南阿蘇鉄道65
駅舎の中の様子です。
熊本地震で駅舎も河原が落ち柱がゆがむなどの被害を受けた為、
現在は駅のホームと併せて改修のため休館となっています。

中に入れないので窓から覗いた光景ですが、
かつての待合室の様子が見えます。
この駅の駅舎は営業時は温泉が建物内にあった為、
受付カウンターはさながら番台のようになっています。
南阿蘇鉄道66
こちらはホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線駅となっています。
駅名標はご覧の標識のようなものしかありませんでしたが、
これは昔からのこの状態だったようで震災で無い訳ではない様子でした。
南阿蘇鉄道67
訪ずれた時(註:2019年8月)にはホームも改修中で、
転圧という砂利を付き固めた状態になっていました。
完成時にはおそらくアスファルトで綺麗に舗装されていることでしょう。
南阿蘇鉄道69
ホーム前には阿蘇のカルデラの平地が広がっており
なかなかの景観を見ることができます。

南阿蘇鉄道70
こちらは阿蘇下田城ふれあい温泉駅から西へ400mほどにある
下田橋梁という南阿蘇鉄道の橋梁です。
この橋梁の西側の小山がかつての下田城の跡でした。
南阿蘇鉄道71
橋梁をくぐって坂を進むとご覧の道の分岐点へと出ます。
南阿蘇鉄道72
こちらに下田城跡の木標が立っています。
ロケーション的に城があったであろう雰囲気はあるものの、
遺構などは見当たらない小山のみとなっています。
この城跡こそが駅名の由来となった下田城の跡となります。



南阿蘇鉄道73
南阿蘇鉄道は国道325号線の旧道と併走を続け、
2kmほど東に進んだ付近に次の駅が設けられています。
こちらは旧道から駅へと連絡する道路が分岐する交差点です。
南阿蘇鉄道74
反対の東側から見た駅への交差点付近です。
角に商店があり、その前にはバス停もあります。
南阿蘇鉄道75
駅への案内看板に従って南へ。
南阿蘇鉄道76
80mほどでご覧の三差路となります。
左の道の方が広いですが、
ミラーにある案内標識は右側が駅であることを示しています。
また駅への方向には「田舎ごはん きしゃぽっぽ」の案内看板も。
南阿蘇鉄道77
分岐から田んぼの脇の道を100mほど進むと駅舎が見えてきます。 南阿蘇鉄道78
こちらが南阿蘇水の生まれる里白水高原駅の駅舎となります。
第三セクター転換後の1992年(平成4年) に開設された駅で、
開設時には日本一長い駅名の駅でした。
南阿蘇鉄道79
駅舎の前には舗装された駅前広場がありますが駅で袋小路となっており、
駅前の道はいわゆる取付道路であることが分かります。
南阿蘇鉄道80
広場の西端には、駅舎と同じ八角形をしたトイレが。
南阿蘇鉄道83
駅舎の向かいあたりの広場に立てられた案内地図の看板には
この駅の日本一長い名前についての説明文が書かれています。
南阿蘇鉄道81
反対側の東側には広場に隣接してご覧の食堂があります。
こちらが駅への道の分岐に看板があった「きしゃぽっぽ」となります。
南阿蘇鉄道82
駅舎の中の様子です。
この駅も熊本地震による運休区間にある駅の為、
休止中で駅車内には入れませんので窓から見た光景となります。
南阿蘇鉄道84
ホーム側から見た駅舎の外観です。
無人駅ですので駅舎の中を通らずともホームへは入る事ができます。
南阿蘇鉄道85
そしてこちらがホームの様子。
単式ホーム1面1線の棒線駅となっています。
駅の西側はご覧の通り田んぼがカルデラに広がっています。
南阿蘇鉄道89
中ほどに置かれていたカップルチェアー。
長陽駅にあったものと色違いですが同じ形のベンチでした。
南阿蘇鉄道86
東側を見るとホームのすぐ先に跨線橋が。
南阿蘇鉄道87
こちら駅の東に架かる村道の跨線橋で、川地橋という名前の橋でした。
南阿蘇鉄道88
橋から見た駅の全景です。



南阿蘇鉄道90
そして南阿蘇鉄道は引き続き国道325号線の旧道と併走をしながら東へと進み、
3kmほどで次の中松駅となります。

2016年(平成28年)4月に起きた熊本地震によって
南阿蘇鉄道は全線運休を余儀なくされていますが、
3ヶ月後の7月にはこちらの中松駅から終点の高森駅までの間で部分復旧をしています。

運行本数は少なくなっているものの中松駅で折り返し運転で鉄道は走っていますので、
南阿蘇鉄道の記事についてもこの中松駅を区切りとして分けたいと思います。


南阿蘇鉄道91
こちらはau 4G LTEでの南阿蘇鉄道の立野駅━中松駅間の電波エリアマップです。
ご覧の通り全線が電波エリア圏内となっています。
地上を走っていれば駅へのアクセスに困る事は無いでしょう。


アイテムを使用しての駅の取得ですが、
JR豊肥本線で列車が運行している(註:2019年8月現在)肥後大津駅からは
レーダーでは立野駅(射程6)が取れるのみです。

一方、JR豊肥本線の東側で列車の走る阿蘇駅からですと
起点の立野駅には届かないものの、
長陽駅(射程6)から阿蘇白川駅(射程12)までレーダーが届きます。
阿蘇駅の2駅東にある宮地駅からは南阿蘇白川水源駅(射程8)から
高森駅(射程7)までも届きますので、東側からですと立野駅以外は全てレーダーで取れます

熊本を拠点としている九州産交の産交バスでは
快速たかもり号(熊本━高森)特急やまびこ号(熊本━大分)といったバス路線を運行しており、
JR豊肥本線にほぼ沿うように走っていますので
途中でレーダーを使えば南阿蘇鉄道のコンプは可能
となります。



熊本地震以降で鉄道の復旧している中松駅より南については
その2にて続きたいと思います。

では。

【写真撮影:2019年8月】

札沼線b38
JR札沼線の非電化区間についての続きです。
浦臼町、新十津川町を走る区間について書きたいと思います。


非電化区間その1(北海道医療大学━札比内)についてはこちら



札沼線a31
こちらは晩生内駅の駅舎の外観です。
1935年(昭和10年)の国鉄札沼線延伸の際に設置された駅となります。

隣の札比内駅からは国道275号線とほぼ併走して札沼線は北上しており、
札比内駅との距離はおよそ4.5km離れています。
札沼線a33
隣の札比内駅もそうでしたが、この駅の木造駅舎も
かつてはもう少し横に長かったものが減築されて小さくなっています。
札沼線a32
駅前には線路と並行してご覧の町道が通っています。
特に駅前広場というものはありませんが、
ご覧の通り駅前の道が十分すぎるほど広いので十二分に広場の役割を果たしています。
札沼線a34
駅舎の正面から西へと伸びる町道。
札沼線a35
こちらは駅舎の中の様子です。
木製のベンチの向かいに革張りのベンチが置かれていました。
札沼線a36
ホーム側の改札前の光景です。
この駅もかつてホームは島式だった為、駅舎とホームとの間に
線路が敷かれていた敷地が空いています。
札沼線a37
こちらがホームの様子となります。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅です。
札沼線a38
特に南の札幌方の線路はポイント跡をうかがわせるカーブを描いており、
隣の晩生内駅と同様に、かつて島式ホームで交換可能だった跡が残っています。
札沼線a39
線路の反対の東側目の前を走る国道275号線。



札沼線a40
こちらはJR札沼線の札的通り踏切です。
国道275号線とほぼ併走状態ほ北上する札沼線の、
晩生内駅から2.9kmほどの位置にある踏切です。
札沼線a41
東におよそ90mほどに併走している国道275号線は
踏切からも十分に目視する事ができます。
札沼線a42
東の国道側から見た踏切。
札沼線a43
この札的通り踏切の北側の線路脇に次の駅の待合室とホームがあります。
札沼線a45
こちらが札的駅の駅の全景です。
駅は1960年(昭和35年)に路線上に新たに新設設置されました。
札沼線a44
踏切脇の広場に面してホーム南端の階段があり、
その脇にご覧の待合室が設けられています。
この待合室は駅の外側に入口は無く、ホーム上にのみ出入口があります。
札沼線a46
待合室の中の様子です。
木造モルタル作りの待合室の中には木製のベンチが置かれていました。
小型の除雪機も待合室の傍らに。奥のドアはトイレとなります。
札沼線a47
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅です。
札沼線a48
この駅は後から新設された駅なので開設当初から
駅の様子はほとんど変わっていない様子です。
札沼線a49
そしてホーム南端の階段前の広場に木材が敷かれた場所がありますが、
これはかつて広場を横切って用水路が流れていた名残りらしいです。
そう思って板の横を見ると確かに線路が用水路を跨ぐ箇所がありました。



札沼線a50
こちらは国道275号線の浦臼町役場の前の交差点の様子です。
札的駅からもJR札沼線は国道と併走しており、1.8kmほどでご覧の役場付近となります。
札沼線a51
信号の角にある浦臼町役場の建物。
札沼線a52
役場前の国道の信号からは道道603号浦臼停車場線という県道が延びており、
西へ200mほどの停車場線として国道と駅を連絡しています。
札沼線a53
こちらが浦臼駅の駅舎外観です。
駅は1934年(昭和9年)に国鉄札沼北線が延伸し南端の終点駅として開業。
南から延伸してきた国鉄札沼南線が当駅まで延伸したことによって
全通した国鉄札沼線の駅となります。

現在の駅舎は1997年(平成9年)に浦臼町が建て替えたもので
「ふれあいステーション」を併設する近代的な駅舎となっています。
札沼線a60
駅前の道路は広めに作られており、
またバスの車寄せもあるので広場の役割を十分に果たせる道幅があります。
札沼線a54
駅舎の中の様子です。
ご覧の通り暖房も備えた綺麗な待合室が設けられています。
この待合室は駅の待合室ですが、
「ふれあいステーション」に入居している歯科医院の入口もこの待合室にあります。
札沼線a55
待合室からホームへの出口。
札沼線a56
ホームへと上がる階段は待合室の出口前にありますが
駅舎の中に入らなくとも外から直接ホームへも入れる構造となっています。
札沼線a57
ホーム上から見た入口の階段付近。
札沼線a58
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線となっています。
列車交換の設備は無く、すれ違うには石狩月形駅まで南に下るしかありません。
札沼線a59
かつては相対式ホームの駅で貨物側線もあるなどかなり大きな駅だった様ですが、
現在では敷地こそその名残りを感じるものの、綺麗な棒線駅となっています。
札沼線a61
この浦臼駅からは、石狩月形方面行きの上り列車は一日6本あります。
しかしそのうち5本は当駅での折り返し列車であり、残りの1本が新十津川からの列車です。

そして新十津川方面行きの下り列車は1日1本のみとなっています。
つまり浦臼駅より北は始発が最終列車となっています。



札沼線a62
引き続き国道275号線とJR札沼線は併走しながら北上を続け、
3.4kmほど進むとご覧の砂利道が西へと伸びています。
開けた場所で周囲に目印はありませんが、
Docomoの携帯基地局のアンテナが砂利道の脇に立っており、
その奥に次の駅が設けられています。
札沼線a63
田んぼの中のあぜ道のような道を
国道から西へと160mほど進むと駅が見えてきます。
札沼線a64
こちらが鶴沼駅の駅の外観です。
1956年(昭和31年)に路線上に旅客駅として新設追加された駅となります。
駅舎は無く待合室の小さな建物が設けられています。
札沼線a65
ホームへと上がる階段です。
手すりやホームの基礎、そして階段は鉄骨で作られています。
札沼線a66
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となります。
札沼線a67
元々は一両分の有効長のホームだった様で、
北側に木製のホームが増設され延長されています。
札沼線a68
こちらは駅の待合室です。
木造にトタンの壁と屋根の小さな建物です。
札沼線a69
待合室の中の様子です。
中の壁もトタン張りで、木製のベンチが置かれていました。
札沼線a70
駅の時刻表はご覧の通り、上下共に1本づつというダイヤとなっています。
浦臼駅以北の駅では上り方面の列車に乗ると日帰りはできません
札沼線a71
そしてホーム脇に見えるこちらのコンクリートの構造物ですが、
これは用水路が線路の下を立体交差する為の水門です。



札沼線a72
引き続き北上を続けるJR札沼線ですが、
併走してきた国道275号線とは若干距離が開いてきます。
こちらは次の駅に近い12号線踏切ですが、国道からは800mほど離れています。
札沼線a73
踏切からさらに西へと80mほど進むと、
田んぼの中の砂利の道が北へと伸びています。
札沼線a74
砂利道を北へと80mほど進むと
用水路に架かるガードレールの欄干の橋が。
札沼線a75
欄干には「於札内駅通線」と書かれており、
この砂利道が駅への道であることを示しています。
札沼線a76
橋を渡ってさらに進むと、踏切の先に駅が見えてきます。
札沼線a77
こちらがJR札沼線の水野作場踏切です。
「作場」とは耕作地の事で田畑を指します。
つまり水野さんの田んぼの踏切という意味ということに。
おそらくこの周辺は水野さんの田んぼなのでしょう。
札沼線a78
この踏切にはご覧の道路標識があります。
これは「車両通行止め」の標識ですので、
12月31日から3月31日の間はこの踏切を車両は通れないという事になります。
歩行者は通行止めでは無いので駅へは行ける様です。
札沼線a79
そしてこの踏切にはもう一つ、
「鉄製のキャタピラーで横断すると故障します」の看板が。
これは冬季の除雪車に対する注意の様で、
故に除雪ができないので冬季は車両通行止めとなるという。
一つの踏切でなかなか密度が濃いです。
札沼線a80
そして踏切の北側の線路脇にあるこちらが
於札内駅の外観です。
駅は1959年(昭和34年)に鉄道管理局設定の仮乗降場として設置されました。
国鉄分割民営化の1987年(昭和62年)に駅に昇格して現在に至ります。
札沼線a81
踏切側のホーム南端に階段があり上る事ができます。
札沼線a82
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅です。
駅舎は無く待合室が設置されています。
札沼線a83
昭和に作られたホームなので鉄骨造りで
床はPCコンクリート板敷きでした。
札沼線a84
トタン張りの待合室の入口の上には
錆びた国鉄仕様の駅名標が。
札沼線a85
待合室の中は物置のようですが
窓があり木製のベンチも設置されていました。
札沼線a86
中に掲示されている時刻表。
上下線とも1本づつです。
札沼線a87
ホーム上から見た駅前の踏切と駅までの道の様子。
札沼線a88
こちらは駅前の道を、北側を見た光景です。



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こちらは新十津川町を走る南16号線という町道です。
この付近の開拓地では入植にあたって
300間(およそ550m)の等間隔で縦横に道路を作って碁盤目のように区画をしました。
その区画の目にあたる道路が号線道路と呼ばれています。
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この南16号線とJR札沼線が交わるこちらの踏切が
下徳富下9号線踏切となります。
札沼線と併走してきた国道275号線からは西へ850mほどに位置しており、
於札内駅からは北に1.5kmほどとなります。
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この踏切の北側の線路脇に南下徳富駅のホームが置かれています。
駅は1956年(昭和31年)に新設されたもので、
2012年(平成24年)までは道路に面したホーム脇に小さな木造の待合室がありました。
老朽化の為に木造待合室は撤去されており、現在ではホームのみの駅となっています。
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ホームは踏切脇からバラストを踏みスロープで上がりますが、
かつて待合室があった場所の前にガラス掲示板が新設されており
時刻表もこの掲示板に納められていました。
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駅のホームの様子です。
単式1面1線ホームの棒線無人駅となります。
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北側はPCコンクリート板の床であるのに対し
南のスロープ側は木製の床となっています。
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駅周辺を見回してみるとご覧の通り、
どちらを見ても一面に田んぼが広がる光景で近くに建物は見当たりません。



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こちらは国道275号線の西側550mほどを南北に併走している町道です。
この道のさらに80mほど西にはJR札沼線の線路も併走しています。
南下徳富駅からは2kmほど北に位置するこの付近に次の駅があります。
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切り替えして北側から付近を見ると、
ちょうど南12号線と南13号線の中間付近のこの付近には
JAの資材倉庫が並んでいます。
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この倉庫街の町道の途中に駅への取付道路が西へと延びていました。
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下徳富駅の駅舎の外観となります。
1934年(昭和9年)の国鉄札沼線延伸に際して設置された駅で、
ご覧の駅舎は1979年(昭和54年)まで有人駅舎だったものです。
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駅舎側から見た駅前の様子です。
舗装された広場に木が生えており、国道と連絡する道路の両脇は
JAの倉庫へと通じています。
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駅舎の中の様子です。
有人駅だった時代の出札窓口はベニ板で封じられていますが
広めの待合室は往時のままの様子で
プラスチックのベンチが並べられていました。
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ベニヤの上に貼られていた下徳富駅のポスター。
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ホーム側へと出ると土盛りのホームが若干離れてあり、
上る階段が正面にありました。
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こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線駅となっています。
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この駅のホームもかつては島式ホームで列車交換が可能でした。
しかし交換設備は撤去されており、
駅舎とホームの間にはかつての線路のあったスペースが残っています。
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またホームの南端の札幌方の先には貨物用ホームの跡が残っています。



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こちらの写真の、ガソリンスタンドの奥に見える建物は
新十津川町役場の庁舎です。
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この交差点は中央18交差点で、
国道275号線と道道625号学園新十津川停車場線が
それぞれこの交差点で直角に曲がって交わっています。
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交差点の角にあるコンビニエンスストア。
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この交差点から南へと道道625号学園新十津川停車場線が下っており、
その名前の通り道の先には駅があります。
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通りの脇に建っている地元のJAのたまねぎ出荷の貯蔵庫。
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コンビニ前の交差点から250mほど南に進んだところで
道路は行き止まりとなります。
脇には道道625号線の終点の標識が。
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行き止まりの右手、西側には駅前広場の敷地が隣接しています。
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広場の奥には新十津川駅の駅舎が。
この駅は元々1931年(昭和6年)に留萌本線の石狩沼田駅から当駅までを
国鉄札沼北線として開業した際に終着駅としてできたものです。
開業当初は中徳富駅という名前でした。

3年後には浦臼駅まで延伸し途中駅となり、
その翌年の1935年(昭和10年)に札沼線が全通。
1953年(昭和28年)には駅名を現在の新十津川駅へと改称しています。
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駅前の広場の様子です。
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そして新十津川駅の駅前広場に隣接する形であるのがこちらの空知中央病院です。
駅前でひときわ目立つ大きな建物ですが、
実はこの病院は新十津川駅とも密接な関係があります。
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駅前広場の病院側の目の前にある、
新十津川町の案内マップです。
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広場の一角にはこちらの顔出し看板が。
「日本一早い最終列車が出発する終着駅」と書かれています。
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駅舎の中の様子です。
1986年(昭和61年)に無人駅となり券売窓口も使われなくなりましたが、
新十津川町観光協会が窓口を2018年(平成30年)より観光案内所として活用しています。
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ホーム側から見た駅舎前の様子です。
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こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線のみとなっており、
終着駅ですので列車はそのまま折り返す事となります。
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ホーム脇にある76キロ1/2の距離標。
起点の桑園駅からの距離となります。
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かつては途中駅だった時代もあるこの駅は
駅舎とホームとの間にスペースがあり、
かつては交換設備の線路があったであろうことをうかがわせます。
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ホーム上にある名所案内の案内板。
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そしてこの駅を全国的に有名にしているのが
「日本一終電の早い駅」であるという点です。
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浦臼駅━新十津川駅間は2016年(平成28年)以降は一日に一往復しか運行されておらず、
朝九時台に到着した列車は当駅到着の最終列車となり、
十時ちょうどの当駅発石狩当別行きの列車が始発で最終列車となっています。
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朝に到着する「最終列車」がホームに停まると
駅の目の前にある空知中央病院に併設された保育所の園児達が
列車の乗客をお出迎えを行っています。
この空知中央病院では新十津川駅の駅ノートの管理も行っており、
病院のWebには駅ノートのページが設けられています。
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そしてこちらは新十津川駅の駅長犬のララ。
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新十津川駅のホームからは200mほど北に線路が延びています。
空き地の真ん中に線路があり、両脇にはJAの倉庫が並んでいます。
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こちらが札沼線の北端の車止めです。
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かつて1972年(昭和47年)まではここから北へと線路が延びていました。
新十津川駅━石狩沼田駅間が廃止となって線路は撤去され、
現在ではご覧の様に車止めの先の、かつての廃線跡には住宅が建っています。
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そして駅舎を後にして、駅前の停車場線を再び北上し、
国道275号線との交点の交差点まで戻ります。
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こちらの交差点のコンビニの駐車場には
ご覧の中央バスの新十津川役場停留場が置かれていました。
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時刻表を見ると、札沼線の列車と接続できるバスが
滝川駅方面に出ている事が分かります。
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こちらからバスに乗ると、石狩川を渡って4kmほどにある
JR函館本線の滝川駅まで行く事ができます。
札沼線を乗車する愛好家には良く知られているバスワープのルートのようです。



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こちらは札比内駅━新十津川駅間のau 4G LTEでの電波エリアマップです。
この区間も全線が電波エリア圏内となっていますので
駅へのアクセスに困る事はありません



こちらの札比内駅━新十津川駅間に関しては、
東側4kmほどを並行して北上しているJR函館本線からレーダーを飛ばせば
通常射程県内で全ての駅がレーダー取得が可能
です。
札沼線が廃線となった後でもアイテムを使えば
路線コンプはさほど手間では無いでしょう。


しかしJR北海道の廃駅は撤去が非常に早く、
早ければ廃止の翌日から早速撤去が始まったりします。
私は昨年廃止された駅がもう跡形も無くなっているのも見ましたし、
施設の撤去だけはJR北海道は非常に迅速です。

という訳で札沼線の姿が見れる時間もあとわずかです。
今のうちに見に行く事をお勧めします。

では。
【写真撮影:2018年5月】

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