2019年10月

でんこの元ネタ
■No.60 倶利伽羅しおり(Kurikara Shiori)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:3月14日

■出身駅: IRいしかわ鉄道 倶利伽羅駅(石川)
しおり01


しおり02
こちらが倶利伽羅駅の駅舎の外観となります。
駅は1908年(明治41年)に官設鉄道北陸線の倶利伽羅信号所として設置されたもので、
翌年の1909年(明治42年)に旅客駅へと昇格して倶利伽羅駅となりました。
駅舎の建物は1907年(明治40年)築とのことですので信号場時代からのものとなります。

その後国鉄、JRの北陸本線の駅として営業をしてきましたが、
2015年(平成27年)の北陸新幹線金沢延伸開業によって
JR北陸本線の直江津駅━金沢駅間が第三セクター化。
石川県内がIRいしかわ鉄道となり倶利伽羅駅もその所属となりました。
しおり03
駅前の様子です。
数件の家はあるものの山間の集落に作られた駅の周囲は
どちらかというと閑散とした印象です。
しおり04
駅舎入口の脇にある昔ながらの赤ポスト。
しおり05
建物の中の様子です。
こじんまりとした待合室の脇には木製のベンチが置かれており、
自動券売機とICOCAチャージ機、飲料の自販機などが置かれています。
改札の真ん中には簡易ICOCA改札機が。
しおり07
入口脇には無料貸し出しの傘の傘立てがありました。
しおり06
その傘立ての横の小さなテーブルには駅スタンプが。
図案は倶利伽羅古戦場の火牛でした。
しおり08
待合室に貼られていた倶利伽羅不動寺の案内です。
「倶利伽羅」の地名の由来である寺であり、
サンスクリット語で「黒い龍」が倶利伽羅の意味であることが書かれています。
しおり09
こちらは倶利伽羅駅の時刻表。
改札脇に掲示されていました。

しおり10
駅構内側から見た駅舎の改札付近です。
しおり11
改札脇の軒下にはベンチが置かれ、
その奥には倶利伽羅の火牛のオブジェが置かれていました。
しおり12
牛の前の壁にあった倶利伽羅駅の観光案内板です。
しおり13
こちらは構内側の駅舎前付近の様子です。
駅舎からは跨線橋でホームへと連絡しているのですが、
ご覧の通り結構な距離で離れており連絡通路が延びています。
しおり14
これは北陸本線の旧線がご覧のように駅舎の目の前を走っていた為で、
元々駅舎は線路に隣接して建てられたものだったからです。
1955年(昭和30年)に新しいトンネルが開通して線路も新線へと付け替えられた為、
ホームの位置も北西へと移動したという訳です。
しおり15
そして駅舎の東側、ホームからは南側にはご覧の広い駅の敷地があります。
かつての北陸本線の旧線の倶利伽羅駅━石動駅間は急勾配の難所で、
後押し用専用の蒸気機関車が峠越えの為に駅に待機していたそうです。
その為の敷地や旧線、そして旧ホーム跡などがこの敷地にありました。
しおり16
広場の一隅の線路沿いにある火牛の像です。
台座の銘板によると津幡町の観光協会によって
1986年(昭和61年)に建てられたものだそうです。
しおり17
火牛の反対側の広場の道路沿いにはこちらの大看板が。
倶利伽羅の合戦の錦絵が描かれたこの看板は、駅のホームに降りた人が
最初に目にする位置に建てられています。
しおり18
改札前に戻り、こちらは跨線橋の駅舎側の階段です。
この駅の階段には階段アートが施されています。
駅舎側の上段が倶利伽羅峠の八重桜、下段が源氏太鼓の図案となっています。
しおり19
こちらが跨線橋の中の様子です。
しおり20
ホーム側の階段にも階段アートが施されており、
倶利伽羅峠の戦いで戦った両家の家紋、
上段が平維盛の「丸に揚羽蝶」、下段が木曽義仲の「笹竜胆」となっています。
しおり21
ホームの様子です。
島式ホーム1面2線となっており、上下線ともに外側に側線も設けられています。
しおり22
この倶利伽羅駅はあいの風とやま鉄道とIRいしかわ鉄道の境界駅となっており、
南側の1番線がIRいしかわ鉄道の金沢方面行き、
反対側の2番線があいの風とやま鉄道の富山方面行きホームとなっています。
しおり23
ホーム上には富山方にご覧の建屋が、
金沢方には跨線橋前に上屋の屋根があります。
しおり24
屋根の下には風除けのガラスを備えたベンチがあります。
しおり25
跨線橋から金沢方の南西にも多少ホームは伸びていましたが
途中で立ち入り禁止の柵が設けられていました。

しおり26
駅舎の前へと戻って線路沿いに左手の北東富山方へ。
進むとすぐに東側の広場の大看板の前へと出ます。
大看板の錦絵の裏側は倶利伽羅峠付近の観光案内図でした。
しおり27
案内図の大看板の前を過ぎてさらに北東の富山方へ。
序々に道路は下り坂となります。
しおり28
坂から南側に見える道は県道286号刈安安楽寺線で国道8号線の旧道にあたります。
1991年(平成3年)にくりからバイパスが開通するまで国道だった道路であり、
鉄道と併走するように走っています。
しおり29
さらに坂を下ると途中に線路側への道が分かれており、
ご覧の煉瓦造りの跨道橋があります。
駅舎からはおよそ90mほどに位置しているこちらは
国鉄北陸本線の旧線の遺構となります。
しおり30
手前の煉瓦作りの部分が明治に開通した旧線の橋となります。
かつてはこの橋の上を線路が走っていました。
しおり31
煉瓦の橋の北側の奥にあるこちらが現在上を鉄道が走っている橋となります。
「広畑函渠」と書かれたこの橋は1954年3月築と記されています。
北陸本線が新線に付け替えられたのが1955年(昭和30年)ですから
作られた年月はきちんと符合しています。
しおり32
橋を北側から見ると、ちょうど真上に倶利伽羅駅ホームの建屋が見えます。
つまりこの橋は駅ホームの真下に架かっているということが分かります。
しおり33
上で位置関係を類推するとおおよそご覧の様になります。

しおり34
駅舎へと戻って西側の目の前を見ると電話ボックスとバス停があります。
しおり35
その隣、駅舎の南西にはご覧の駅駐車場がひろがっています。
しおり36
駐車場前からさらに西へと進むとご覧の跨線橋が見えてきます。
しおり37
この橋は倶利伽羅駅跨線橋という橋で、
名前のとおり旧北陸本線のIRいしかわ鉄道の線路を跨いでいます。
しおり48
1994年(平成6年)に架けられた様ですので、
JR西日本の時代に架けられた橋ということになります。
しおり38
跨線橋から見た、駅のある富山方の光景。
しおり39
同じく金沢方の俯瞰です。
しおり40
跨線橋を渡ると北側にすぐ、今度は跨道橋があります。
こちらは国道8号線くりからバイパスを跨いでいる橋です。
駅の北側裏手を鉄道と併走するバイパスは、
かつての北陸本線のトンネルを拡張し道路転用した倶利伽羅トンネルへと続いています。
しおり41
鉄道の跨線橋への戻ると、北西の脇に線路沿いに下る道があります。
下ると線路脇に神社の社柱が立っているのが見えます。
しおり42
社号を見ると笠野神社とあります。
調べるとどうやらこの付近一帯の神社の神様を集めた惣社なのだそうです。
しおり43
苔が生した参道は非常に雰囲気があります。
しおり44
神社のお社。
しおり45
線路脇の道を跨線橋へと戻ります。
しおり46
西側から見た駅周辺の遠景です。



■モデル車両: IRいしかわ鉄道 521系電車
しおり47


しおり49
【上写真:JR西日本521系】
521系電車は元々は2006年(平成18年)にJR西日本が、
当時車両老朽化の激しかった北陸本線へと投入した交直流近郊形電車です。
JR西日本としては新製投入した交直流近郊形電車は521系が初めてで、
営業用の交直流電車としては初の2両編成となっています。

そして2015年(平成27年)3月の北陸新幹線開業により
北陸本線の金沢駅━直江津駅間が並行在来線として第三セクターへと転換
されます。
この転換によって富山県内の市振駅━倶利伽羅駅間があいの風とやま鉄道に、
石川県内の倶利伽羅駅━金沢駅間がIRいしかわ鉄道という新会社となりました。
しおり51
【上写真:あいの風とやま鉄道521系】
第三セクター転換となり、JR西日本からあいの風とやま鉄道とIRいしかわ鉄道へ
それぞれ北陸本線を走っていた521系の車両が譲渡されました。
そのうちあいの風とやま鉄道へは16編成で計32両の521系が譲渡されています。

しおり52
【上写真:IRいしかわ鉄道521系】
そしてIRいしかわ鉄道には5編成10両の521系が同じく譲渡されました。
しおり53 【左写真:石川県旗】
車両の前面と横には水色(    )がカラーリングされています。
これは石川県の県旗の青を用いたもので、IRいしかわ鉄道のコーポレートカラーでもあり
「日本海と豊かな緑・清い水・澄んだ空気」を表わしています。
しおり50
そして521系の先頭部は貫通扉があるのですが、
横に転落防止幌という、ホームの乗客が連結部に落下するのを防止するガードがあります。
このガードと車体横のラインについて、IRいしかわ鉄道では5編成それぞれを
「加賀五彩」(藍・古代紫・臙脂­・黄土・草)の五色でそれぞれアクセントとして塗っています。
 ○第10編成:草/緑色(    
 ○第14編成:古代紫/紫色(    
 ○第30編成:藍/青(    
 ○第55編成:黄土/金(    
 ○第56編成:臙脂/赤(    
しおり54
そしてIRいしかわ鉄道521系をモチーフとした駅メモのでんこ、
倶利伽羅しおりのカチューシャの飾りは転落帽子幌の形をしています。
加賀五彩についても袖が緑、カチューシャ本体と肩が紫、スカート裾に金など
各所にデザインのアクセントとして使われているのが分かります。

こちらは倶利伽羅駅への521系の入線の動画です。
(クリックで動画は試聴できます。)

それでは編成の各車両を見てみたいと思います。
しおり55
まずこちらが金沢方に編成されるクモハ521形です。
ク(制御車)モ(電動車)ハ(普通車)ですので
運転台がありモーターを搭載している制御電動車という意味となります。
編成略記号でもMcとなりM(電動車)c(制御車)ですから同じ意味です。
しおり56
車内の様子です。
前面に貫通扉がついており、連結時は運転台の真ん中が開放されるため
運転席は密閉できるようになっています。
しおり57
車内のシートは転換クロスシートとなっています。
つり革や取っ手などは黄色にコーティングされていました。
しおり58
寒冷地を走る為、ドアにはボタンがついており
乗降時には乗客が自分でドアの開閉を行う半自動となっています。
また中央の乗降扉の両脇には補助席が設けられており
非混雑時には使う事ができます。
しおり66
こちらは車両後部の乗降扉の脇にある整理券発行機です。
床に直置きではなく、専用のカウンターの上に載っています。
JR北陸本線時代にはワンマン運転をしていたので整理券を発行していましたが、
IRいしかわ鉄道への変換後は車掌が乗務しワンマン運転は行っていないので
発行機にはカバーがされて使われていません。
しおり59
富山方の連結部側の車端のシートはロングシートとなっていて
ご覧の通りの優先座席となっています。


しおり60
そしてこちらが富山方に編成されるクハ520形です。
ク(制御車)ハ(普通車)ですので運転台のある制御車となります。
編成略記号ではTpc'ですのでT(付随車)p(パンタグラフ)c'(制御車)となり、
運転台はあるがモーターで自走はできずパンタグラフのある制御付随車という意味となります。
しおり61
車体横の車両番号。
しおり62
屋根の上に搭載されているパンタグラフです。
しおり63
倶利伽羅しおりのパンタグラフと並べてみると
同じ形をしているのが良く分かります。
しおり64
こちらが車内の様子です。
転換クロスシートであるのは同様となります。
こちらの車両は優先席がロングシートでは無いので
ヘッドカバーによって優先座席を区別しています。
しおり645
車両後部の金沢方の連結部手前付近の様子です。
こちらの車両にはトイレがついていますが車椅子対応トイレとなっています。
そしてトイレの前には車椅子が待機できるスペースが設けられており
手すりや車椅子用の表示があります。


【写真撮影:2019年10月】

でんこの元ネタ
■No.34 碇ヶ関ひいる(Ikarigaseki Hiiru)
 ■タイプ:サポーター
 ■誕生日:12月1日

■出身駅: JR東日本 奥羽本線 碇ヶ関駅(青森)
ひいる01


ひいる02
こちらは国道7号線で
江戸時代には羽州街道と呼ばれた脇往還(五街道に準じる主要道)でした。
国道には駅への案内標識がありますが、
標識の真横の道は県道202号碇ケ関大鰐停車場線という県道となります。

その奥30mほどの信号が碇ヶ関駅入口交差点であり、
信号から西へと分岐している県道237号碇ケ関停車場線が駅への連絡道路となります。
ひいる03
国道から駅までの140mほどの連絡道路が県道237号線で、
停車場線特有の短い県道となっています。
ひいる04
こちらが碇ヶ関駅の駅舎の外観となります。
駅は1895年(明治28年)に当時の官営鉄道の奥羽北線が
弘前駅からこちらの碇ヶ関駅まで延伸した際に設置されました。
4年後の1899年(明治32年)には奥羽北線がさらに延伸されて途中駅となっています。
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駅舎の中の様子です。
広めの待合室にはベンチが置かれています。
平川市への簡易委託駅となっており
券売窓口ではPOSによる指定席の発券も行っています。
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待合室のホーム側改札脇に掲示されていた駅名の由来の看板です。
駅で補足した張り紙もありましたので併せて。
ひいる42
同じく改札脇にあった碇ヶ関の温泉の由来です。
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ホーム側から見た改札付近。
関所を模した軒と提灯が下がっています。
ひいる43
提灯はご覧の様に夜には実際に灯りがともります。
ひいる34
駅は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線のいわゆる国鉄型と言われる形式で、
こちらは駅舎のある1番線ホームとなります。
奥羽本線の上り秋田方面行きの列車が使用しています。
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1番線ホームにある碇ヶ関駅の観光案内看板。
ひいる36
2つのホームはご覧の跨線橋で連絡されています。
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跨線橋から見た駅構内の様子です。
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こちらは島式の2、3番線ホームです。
基本的に3番線が下り線の青森方面行き列車のホームとなります。
駅舎側の2番線は上下共用の待避線で一部の列車が上下線ともに停まります。

【上の埋め込み動画は試聴ができます。】
JR東日本では2010年(平成22年)に東北新幹線新青森開業キャンペーンを行って行っており、
「MY FIRST AOMORI」として9月よりドラマ仕立てで計7本のCMが放映されました。
その中で碇ヶ関駅のホームが、劇中駅員の旧所属駅のホームとして使われています。

ひいる44
そして碇ヶ関駅の北側には、国道7号線沿いに隣接するように
道の駅いかりがせきがあります。
ひいる45
「津軽『関の庄』」という愛称がつけられている様に
江戸時代に津軽藩が設置した碇ヶ関の関所にちなんでおり、
敷地内には碇ヶ関御関所という関所の資料館が設置されています。
ひいる46
また同じく道の駅の敷地内には関の庄温泉という温泉が併設されており
かけ流しの温泉に入浴することができます。
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敷地内にある、駅メモラーには欠かせない足湯です。

【写真撮影:2016年7月】
※写真等は後日追加して加筆の予定です。



■モデル車両: JR東日本 E751系電車 特急「つがる」
ひいる05

盛岡━青森間を運行していた特急「はつかり」は
485系電車が20年を経過したことから老朽化が進んでいました。

交直流電車である485系の後継としてはE653系電車がすでに開発されていましたので、
485系を取り替えるのであれば本来はE653系を投入すれば車両交代は可能でした。

しかしながらJR東日本ではコストを考慮した結果、
将来の直流区間への乗り入れを考慮しない交流専用電車を
E653系をベースとした別形式として開発

1999年(平成11年)から2000年(平成12年)かけて6両編成3本がE751系として製造されました。

ひいる06
(写真上:特急いなほ、下:特急つがる)
駅メモ的な余談で言えば、E653系というのは常磐線のスーパーひたちとして開発され、
後に羽越本線に投入された特急いなほの車両です。

そのE653系をベースに開発されたのがE751系ということですから、
碇ヶ関ひいる(E751系)は豊栄なほ(E653系)を元にして作られたということになります
残念ながらその経緯を設定として生かす話は駅メモにはありませんが、
元ネタの車両を並べてみるとなるほど似ているのが分かります。
ひいる07
2000年(平成12年)3月11日に盛岡━青森間の特急「スーパーはつかり」として走ったのが
E751系としての営業運転デビューとなりますが、
2002年(平成14年)12月1日に東北新幹線の盛岡━八戸間の開業に併せて
E751系は八戸━青森間の特急「つがる」として営業運転を開始
しました。

このE751系をモチーフとしている駅メモのでんこ「碇ヶ関ひいる」の誕生日は
12月1日に設定されていますが、これはE751系が特急つがるとしてデビューした日と同じです。
岩手県の盛岡駅始発ではなく、青森県内の八戸から青森までの運行開始日であり
「つがる」の名称での運用開始日を誕生日に設定したのは青森色を強める為なのでしょうか。


以下が特急つがるの各車両についてとなります。
ひいる08
まずは秋田方の先頭車両である1号車のクロハE750形です。
ク(制御車)ロ(グリーン車)ハ(普通車)となりますので
運転台があり、グリーン車と普通車が半室づつある車両という意味となります。
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反対側から見た1号車の全景。
ひいる11
車体横の列車形式番号です。
ひいる09
1号車のグリーン席は運転室の真後ろである秋田方にあります。
この車両の乗降扉は反対の青森方にのみとなっていますので、
グリーン車のマークはご覧の様に先頭側につけられていました。
写真左の扉は運転席の扉ですので当然乗客は使用できません。
ひいる10
青森方の乗降扉付近です。
こちらにはグリーン席のマークはありませんが
これは半室グリーン車なので乗客が間違えない様にする配慮なのでしょう。
ひいる12
乗降デッキの中の様子です。
1号車にはサニタリースペースが設けられており、
車椅子対応様式トイレ、男性トイレ、洗面台、そして多目的室があります。
ひいる13
青森方の連結部手前にある洗面台。
ひいる14
洗面台の向かい側には洋室トイレ、男性用トイレが並んでいます。
ひいる15
こちらは洗面台の並びにある多目的室です。
中には椅子と折りたたみのテーブルがありました。
ひいる16
1号車の青森方の半室となる普通車自由席の様子です。
2+2席のシートが5列と、車椅子対応座席が2席あり合計22席となります。
ひいる17
青森方の車端に設けられた車椅子対応座席。
車椅子対応トイレのあるデッキからすぐの場所にあります。
ひいる18
そしてこちらが秋田方の奥にあるグリーン席の様子となります。
2+2席が4列で計16席のグリーン席が設置されています。
座席の幅やシートピッチが普通席より広いのはもちろん、
普通席には無いヘッドレストがあり、床もじゅうたん敷きとなっていました。

また、車両の一番奥にグリーン席を設けた事により
通路を普通車の乗客が通ることはありません。
ひいる19
奥には運転席への扉が。


ひいる20
秋田方の2両目のモハE751形100番台です。
モ(電動車)ハ(普通車)ですのでモーターの搭載された普通車両となります。
ひいる22
この車両の屋根の上にはパンタグラフが搭載されており、
主変換装置も搭載している中間電動車となります。
ひいる23
乗降デッキの様子です。
2号車も青森方にのみ乗降扉があり、通路の両側には
車掌などが詰める業務洋室が設けられています。
ひいる24
客室内の様子です。
普通車自由席のシートが2+2席が18列で計72席となります。


ひいる25
秋田方からは3両目、青森方から2両目となる3号車のモハE750形100番台です。
モ(電動車)ハ(普通車)でモーターを搭載している中間電動車です。
ひいる26
乗降デッキの様子です。
この車両も青森方にのみ乗降扉が設けられています。
デッキには共用洋式トイレ、男性用トイレ、洗面所があります。
ひいる27
洗面所は1号車のものに比べるとやや小さめとなっています。
ひいる28
3号車の客室内です。
普通車自由席の車両で2+2席が18列で72席となります。


ひいる29
そして青森方の先頭車両であるクハE751形です。
ク(制御車)ハ(普通車)ですので運転台のある車両ということになります。
ひいる33
車体の横の列車形式番号。
ひいる30
乗降扉はこの車両も青森方にのみあります。
運転席のすぐ後ろに位置していますので、乗降スペースのみとなっています。
ひいる31
客室内の様子です。
この車両は2+2席が17列で計68席となっています。


このE751系は新造されて盛岡━青森間を「スーパーはつかり」として
走り始めた時には6両編成の特急でした。
ですのでモハE750形基本番台モハE751形基本番台という2両が
編成の間に挟まれて運行を行っていました。

2010年(平成22年)12月の東北新幹線の八戸━新青森間延伸によって
E751系は一旦運用を離れ、2011年(平成23年)4月より秋田━青森間で運用復帰しますが
その際に4両編成に短縮されており、離脱した2両(3編成で合計で6両)はその後廃車となっています。
ひいる32
E751系の先頭車両前面には「Tsugaru」のロゴが入っています。
これは特急つがるとなった2002年(平成14年)以降のことで、
それ以前にはスーパーはつかりとして「Hatsukari」と書かれていたそうです。

【写真撮影:2019年7月】

南阿蘇鉄道a97
南阿蘇鉄道高森線の続きです。


その1(立野駅━中松駅)はこちら



南阿蘇鉄道94
こちらは国道325号線の旧道と熊本県道39号矢部阿蘇公園線が交わる交差点で、
すぐ近くの東側には熊本名水百選のひとつでもある池の川水源があります。
南阿蘇鉄道93
その交差点から250mほど南の旧道沿いにある「熊本より十里」の石標。
南阿蘇鉄道95
石標からさらに80mほど南に下ると
スズキの看板の立った自動車整備工場があり、
その脇にインターロッキングで舗装された横道があります。
南阿蘇鉄道96
この、整備工場の敷地の真ん中を横切る横道の奥に
南阿蘇鉄道の駅が設けられていました。
南阿蘇鉄道97
こちらが中松駅の駅舎の外観です。
1928年(昭和3年)の路線開業時に開設された駅で、
第三セクター転換後の1987年(昭和62年)に現在の駅舎へと改築されています。
駅舎は熊本大学工学部准教授の桂英昭氏の設計によるもので
モダンな外観となっています。
南阿蘇鉄道98
駅前広場の様子です。
整備工場の敷地の奥の駅舎前に横に広がっています。
南阿蘇鉄道99
広場の東側にある駅周辺の案内地図です。
南阿蘇鉄道a01
こちらは駅舎の入口付近の光景。
南阿蘇鉄道a02
入口の脇には終戦間際に駅が機銃掃射された歴史が記されていました。
南阿蘇鉄道a03
駅舎の中の様子です。
南阿蘇鉄道a05
この駅舎の中には「ひみつ基地ゴン」というカフェが入居していました。
以前は蕎麦屋さんが入っていたそうですが、
2016年(平成28年)7月の南阿蘇鉄道部分復旧と同日にカフェがオープンしています。

特撮にフィーチャーしたカフェの様でガラスケースには特撮のおもちゃが多数展示されています。
「秘密戦隊ゴレンジャー」では「スナックゴン」という店が登場していますが、
どうやら店名はここからのモチーフの様子です。
ゴレンジャーのゴンではキレンジャーがいつもカレーを食べていましたが、
こちらのカフェもカレーが看板メニュー(要予約)となっています。
南阿蘇鉄道a04
ホーム側から見た駅舎の改札付近の光景です。
南阿蘇鉄道a06
駅舎の前に立つ「星獣戦隊ギンガマン」の巨大ロボのギンガイオー。
カフェが開店する日曜日に看板ロボとしてホームに立っている様です。
南阿蘇鉄道a07
ホームの様子です。
相対式ホーム2面2線の駅となっており、列車交換が可能な駅となっています。
駅舎のあるこちらは下り高森方面行きの1番線ホームとなります。
南阿蘇鉄道a08
1番線の西側に立てられた戦時の列車空襲を記した立て看板です。
南阿蘇鉄道a09
この駅も駅前とホームの間にフェンスなどは無いので
自由に出入りすることが可能となっています。
南阿蘇鉄道a10
ホーム西側の駅舎前、カフェスペースの前あたりに置かれた木製の長いすです。
この駅にもカップルが座る椅子が置かれていました。
南阿蘇鉄道a11
西端にはホーム同士を連絡する構内踏み切りが。
南阿蘇鉄道a12
駅の南側には2番線ホームがありました。
本来は上り線の立野方面行きのホームなのですが、
熊本地震以降は当駅より立野方面は復旧しておらず、
2016年(平成28年)の部分復旧以降もホームはパイロンで封鎖され
使用されていませんでした。



南阿蘇鉄道a13
国道325号線の旧道と併走しつつ阿蘇のカルデラを東進する南阿蘇鉄道。
3kmほど進むと次の駅への入口となります。
南阿蘇鉄道a14
反対の東側から見た駅への入口となる交差点付近。
駅への入り口であることを示す案内標識が立っています。
南阿蘇鉄道a15
南へと道路を進むと、右手には農業倉庫があります。
南阿蘇鉄道a16
倉庫脇の道沿いにはこの地域の農協を率いた人物の胸像が。
南阿蘇鉄道a17
胸像からさらに南に進むと、
旧道から140mほどで駅舎があるのが見えてきます。
南阿蘇鉄道a178
阿蘇白川駅の駅舎の外観です。
1928年(昭和3年)の路線開業時に設置された駅であり、
第三セクター転換後の1988年(昭和63年)に現在の教会風の駅舎へと改築されました。
南阿蘇鉄道a19
駅舎の前はインターロッキングでタイル舗装されており、
駐車場や駐輪場が設置されていました。
南阿蘇鉄道a20
駅舎の北西側の向かいにあるトイレの建屋です。
コンクリート作りにタイル貼りの立派な建物で、
二つのトイレの間の壁にはかつては滝のように水が流れていたそうです。
南阿蘇鉄道a27
トイレの向かいのホーム沿いにある北朝鮮への集団帰国事業の記念碑。
1960年(昭和35年)と刻まれているのが歴史を感じさせます。
南阿蘇鉄道a21
駅舎の東側にある駅の駐車場。
南阿蘇鉄道a22
一角にある南阿蘇村の観光案内マップです。
南阿蘇鉄道a23
こちらが駅舎の中の様子です。
壁沿いに木製の長いすが造り付けられています。
この駅の駅舎には「Cafe 75th St.」というカフェが
2013年(平成25年)より入居しています。
南阿蘇鉄道a24
ホーム側から見た駅舎の出入口です。
南阿蘇鉄道a28
窓にはカフェの店名が書かれており、
軒下には他の駅にもあったカップルチェアーが置かれていました。
南阿蘇鉄道a25
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線駅となっています。
南阿蘇鉄道a26
旧国道沿いには近くに集落などもあるのですが、
駅のホームからはご覧の通り阿蘇のカルデラの平地が広がって見えます。
南阿蘇鉄道a29
カルデラの向こうに綺麗に形が見える阿蘇山の外輪山。
南阿蘇鉄道a30
ホームの西端には駅構外と出入りができる入口がありました。



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阿蘇白川駅からつぎの駅は東に800mほどにありますが、
こちらは並走する国道325号線の旧道の駅入口付近の交差点です。
カーブミラーに駅への案内標識があります。
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反対の東側から見た、駅入口の交差点付近。
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旧道からゆるやかな坂を下って南へと150mほど進むと駅があります。
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こちらが南阿蘇白川水源駅の駅舎となります。
2012年(平成24年)に新しく設置された駅であり、
地元自治体の南阿蘇村の請願駅として全額自治体負担により開設されました。
3月に駅が開業し、3ヶ月遅れの7月にご覧の駅舎が作られています。
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駅舎の目の前の道路沿いに設けられた駅前広場。
舗装されており駐車場として利用されています。
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旧道から駅への道は、駅前広場の横を抜けて
駅舎の東側で白川水源踏切という踏切となります。
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踏切の南側には農耕用の道路が伸びており
あたり一面が田んぼとなっています。
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道が農耕用道路であることを示す看板。
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線路の南側のカルデラに広がる広大な田んぼ。
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南側から見た駅の全景です。
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駅舎へと戻って中の様子です。
村の作った駅舎はコミュニティ施設を兼ねた造りとなっており、
中はさながらラウンジのようになっています。
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駅舎の中に入居している「駅cafe´倶梨伽羅」。
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ホームへの出入口は自動ドアとなっていて
脇のガラスには路線図が貼られていました。
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こちらがホーム側の駅舎の出入口です。
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ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線駅となっています。
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駅周辺はご覧の通りの田んぼが広がる光景です。
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ホーム東端には駅舎を通らず直接外に出られる階段があります。

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駅前の道から旧道へと戻ると
交差点の東側すぐに水加工場があります。
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こちらの水加工場はくすいでは白川水源の水をボトリングしています。
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加工場から旧道をさらに東へ200mほど進むと
物産店がありその脇に鳥居があります。
こちらが南阿蘇で一番有名な水源である白川水源への入口となります。
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白川吉見神社の参道がそのまま白川水源へのルートとなっており、
旧道から鳥居をくぐって北へと進みます。
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川のほとりの参道を400mほど進むと
水源の入場料を徴収する受付が。
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受付を過ぎると目の前に鳥居があり、
白川吉見神社の社殿があります。
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そして鳥居の脇に白川水源の池が。
駅名の由来となっている水源はこちらとなります。
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こちらが白川水源の澄んだ水をたたえる池です。
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池の脇には水汲み場が設けられており、
入場者は水をボトルへと詰めることができます。



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南阿蘇鉄道は引き続き国道325号線の旧道と並走し東進。
こちらは白川水源駅から1.8kmほど東に進んだ付近の光景で、
次の駅への入口となる交差点の光景です。
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反対側から見た交差点付近。
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旧道から南へと150mほど進むと南阿蘇鉄道の踏切があり、
その脇に駅が設置されています。
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こちらが南阿蘇鉄道の豆塚踏切です。
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踏切のすぐ南には駅前広場への入口が。
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こちらは駅の南側から踏切までの道の光景です。
踏切手前で駅前広場への入口があるのがよく分かります。
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見晴台駅の駅舎外観です。
第三セクター転換後の1986年(昭和61年)に開設された駅です。
現在の駅舎は二代目の駅舎で、初代駅舎の老朽化により建て直されたものです。
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こちらは南阿蘇鉄道が作ったテレホンカードの画像ですが、
写っているのが初代の見晴台駅の駅舎です。
ご覧の通り屋上が展望台となっている駅舎でまさしく見晴台として建てられた駅舎でした。
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駅舎の前の広場の様子です。
舗装された駅前広場で数台の車を停めることができます。
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駅舎の中の様子です。
ベンチの置かれた待合室としての機能のみのこじんまりとした駅舎です。
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ホーム側から見た駅舎付近。
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こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
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南阿蘇町と高森町の境界に近い駅ですが、
周辺はカルデラの平地に広がる田畑の光景です。
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駅から見えるカルデラの風景。
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駅舎の中へと戻ると、一角に午後の紅茶に関する掲示があります。

(上動画はクリックすると再生可能です。)
この見晴台駅は2016年(平成28年)冬よりキリン午後の紅茶のCMの舞台となっており、
2018年冬の第四弾までシーズンごとにストーリー性のある映像の舞台となりました。
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駅舎の横にあるこちらのキリンの自販機は
CMのセットとして置かれたもので元々は無かったものです。
撮影後も地元の要望により自販機は残されて稼動していますが、
中の商品は全て午後の紅茶のみととなっていました。



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こちらは県道177号高森停車場線の起点付近です。
県道28号線と駅とを連絡する県道でいわゆる停車場線となります。
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駅前の県道は高森町の中心街を通っており
周辺には町の公共施設や役所などが集まっています。
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こちらが高森駅の駅舎の外観となります。
1928年(昭和3年)の路線開業時に設置された駅で、
国鉄時代そして第三セクター転換後もずっと終着駅として営業をしてきた駅となります。
現在の駅舎は第三セクター転換後の1987年(昭和62年)に建て替えられたものです。
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駅舎の前の様子です。
ロータリー状にはなっておらず、交差点が広くなっている様な形状となっています。
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駅舎の目の前に建つ「野の花と風薫る郷」の碑。
これは駅のある高森町が町のキャッチフレーズとして使っているフレーズです。
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碑の南側にはご覧のSLが静態保存されています。
この車両はC12 241で、1940年(昭和15年)に仙台に新製配置。
新潟、秋田、福岡、鹿児島などを経て1973年(昭和48年)に熊本機関区へと配置。
実際に国鉄高森線を走った後に1974年(昭和49年)に廃車となって
こちらの高森駅前に保存されています。
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SLから南側の一帯はご覧の通り駅の駐車場となっています。
道の駅と言っても差し支えが無いほどの広さと駐車台数のある駐車場です。
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駅舎に戻って中へ。
入口には風除室があり両脇にベンチが置かれていました。
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中の様子です。
駅の駅舎ですので券売の窓口ありますが、
地元の物産などがご覧の様に並べられて販売されており、
さながら観光物産館となっています。
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ホーム側の駅舎の出入口付近の様子です。
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こちらが駅のホームとなります。
単式ホーム1線1面となっており、
併走する留置線が複数敷かれています。
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終着駅でホームの奥には車両基地があります。
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駅北側の車庫や車両基地の様子。
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駅舎の前まで戻ると、ホームから外へと直接出られる入口があります。
木が植えられてインターロッキングで舗装された公園のような広場が
駅舎の北側、ホームの東側に設けられています。
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駅北側の広場には屋外ステージやベンチなどもあり、
まさしく公園そのもののスペースとなっています。
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広場から駅舎の東側をまわって進むと駅前へ。


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こちらは2019年(令和元年)8月に高森駅に掲示されていた時刻表。
一日4往復で、朝の1往復のみ普通列車、後の3往復がトロッコ列車となっています。
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こちらは普通列車として走っていたMT-3000形気動車です。
写真の3001は1993年(平成5年)に作られた、いわゆるレールバスと言われる
ワンマン運転用の気動車です。
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そしてこちらがDB16形ディーゼル機関車によって牽引されている
観光列車のトロッコ列車「ゆうすげ号」です。
南阿蘇鉄道は将来的な乗客減少を見越して開業以来観光列車として
トロッコ列車を走らせての乗客誘致を行ってきました。
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こちらがトロッコ列車の客車の様子です。
熊本地震以前は普通列車13往復、トロッコ列車2往復(運行日のみ)が走っていましたが、
被災後は中松駅━高森駅間の限定運行となっていますので
ほぼ観光客用にトロッコ列車を走らせるのみの状態となっています。



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こちらはau 4G LTEでの電波エリアマップです。
ご覧の通り運転の再開している中松駅━高森駅の区間は全線が電波圏内であり
駅へのアクセスに困る事はありません。


南阿蘇鉄道は現在、立野駅━中松駅間が不通となっており、
全線復旧は2022年(令和4年)を見込んでいます。
その為現在は鉄道を使っては南阿蘇鉄道へは行けない状態です。

起点の立野駅の前後区間を走るJR豊肥本線も復旧は2020年(令和2年)予定ですので
もう暫くの間は南阿蘇鉄道に乗るにはバスや車での移動が必要となります。
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こちらは路線復旧の2022年(令和4年)に完成予定の
高森駅の駅舎および周辺の再開発の計画書です。
全線復旧に併せて南阿蘇鉄道の周辺ではいくつかの再開発計画が進んでいる様でした。


熊本地震さえ無ければ、熊本駅から東へ30kmほどの
南阿蘇鉄道へのアクセスはさほど悪くはありませんでした。
しかし路線の根元の立野駅周辺が不通の今、
南阿蘇鉄道へたどり着くこと自体に手間が掛かる状態となっています。

駅メモでレジェンドマスター(9100駅)を取るのは南阿蘇鉄道に乗らなくとも可能ですし、
攻略の優先順位は恐らく大多数のプレイヤーにとっては低いものとなるでしょう。
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しかしながら阿蘇のカルデラの景色、そして水と空気はかなりのものでした。
恐らく行って後悔はしないと思いますので、是非一度は。

では。

【写真撮影:2019年8月】

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