2019年12月

でんこの元ネタ
■EX No.01 エルミーヌ・ワロン(Hermine Wallonne)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:10月4日

■出身駅: 無し(苗字のワロンはベルギー南部のワロン地域(Walloon Region)から)


駅メモのでんこであるエルミーヌ・ワロンは2018年(平成30年)7月に
「エルミーヌのミステリートレイン」という謎解きイベントで実装されたキャラクターです。

鉄道で移動をしながら謎を解く、というイベントの為に用意されたのは
推理小説での名作「オリエント急行殺人事件」をモチーフとしたキャラでした。


エルミーヌ04
「オリエント急行殺人事件(Murder on the Orient Express)」
イギリスの推理小説の巨匠アガサ・クリスティ(Agatha Christie)の手による小説で、
彼女の手によるエルキュール・ポアロシリーズの8作目の作品となります。

1934年(昭和9年)に発表された本作は著者の代表作の1つに挙げられている名作であり、
この「オリエント急行殺人事件」をはじめとする一連の推理小説の主人公が
エルキュール・ポワロ(Hercule Poirot)という名探偵で、
「灰色の脳細胞 (gray matter) 」の名セリフで
シャーロック・ホームズなどと並ぶ推理小説界を代表する探偵に数えられています。

エルミーヌ01
推理小説界の名作はこれまでに数多くの映像化がされてきました。
代表的なのは1974年(昭和49年)にアメリカで制作された
映画「オリエント急行殺人事件」でしょう。

豪華なキャストが話題となった本作は北米で公開されヒットを記録。
その年のアカデミー賞で6部門にノミネートされるなどしており
ポワロ映画の代表作とされています。
エルミーヌ02
主演のポワロを務めたイギリスの俳優アルバート・フィニー(Albert Finney)
その怪演で印象深い役者ですが、ポワロを演じたのはこの映画一作のみとなります。

エルミーヌ03
そして数々のポワロ作品の中で外せないのが
1989年(平成元年)から2013年(平成25年)まで24年に渡って制作された
イギリスのテレビドラマ「名探偵ポワロ」でしょう。
1990年(平成2年)からは日本でもNHKで吹き替え版が放送されていた作品です。

ポワロを演じたデヴィッド・スーシェ(David Suchet)の演技は
「最も原作に近いポワロ」と称され名探偵ポワロのイメージを決定付ける名演を見せています。


こうして多くの映像化もされた名探偵エルキュール・ポワロは
19世紀中頃の生まれでベルギー南部のフランス語圏(ワロン地方)出身とされています。
駅メモのでんこのエルミーヌ・ワロンの苗字であるワロンは
モチーフであるポワロの出身地から取られている
と考えて良いでしょう。
エルミーヌ43
またエルミーヌのデザインを見てみると
帽子は鹿撃ち帽(ディアストーカー)に虫眼鏡といういでたちであり、
探偵をモチーフにしている事は明らかです。
本当は鹿撃ち帽に虫眼鏡、パイプというアイテムはポワロでは無くホームズ由来なのですが
探偵を示すかなり一般的なアイコンとなっていますのでやむを得ないでしょう。


余談ですがベルギー王国は連邦制となっており3つの地域に分かれています。
首都のブリュッセル首都圏、フランス語が公用語の南部ワロン地域、
そしてオランダ語の一種であるフラマン語が公用語の
北部フランダース(フランデレン)地域となります。

フランダースといえば1975年(昭和50年)に世界名作劇場で放映された
アニメ「フランダースの犬」が有名であり思い出されますが、
ベルギーの地域を区切ってみるとあの話は北部ベルギーの話である事が分かります。



■モデル車両: 国際寝台車会社(ワゴン・リ) オリエント急行
エルミーヌ05


オリエント急行は国際寝台車会社(ワゴン・リ)によって運行された長距離寝台急行で、
1883年(明治16年)10月4日に開通記念列車が
パリ━ コンスタンティノープル(イスタンブール)間を走行

寝台車2両、食堂車1両、荷物車(兼車掌車)2両の編成で走りました。

このオリエント急行をモチーフとしているでんこエルミーヌ・ワロンの誕生日は
10月4日に設定されていますがこれは開通記念列車の走行日が元ネタ
であると見て良いでしょう。


1883年(明治16年)からのオリエント急行はまだ全通しておらず、
ルーマニアとブルガリア国境のドナウ川を渡船、ブルガリアの鉄道で黒海まで出て
最後は汽船でコンスタンティノープルへと向かうルートでした。

1889年(明治22年)にはコンスタンティノープルまでの直通列車が
ベオグラード・ソフィア経由で実現。
王侯貴族や高級官吏、富豪などのごく限られた人々が利用できる豪華列車が運行されるも、
1914年(大正3年)の第一次世界大戦によって
国を跨いで走るオリエント急行は運休
を余儀なくされました。


第一次世界大戦の休戦後の1919年(大正8年)には
パリ━ヴェネツィア間のシンプロン急行を延長する形で
シンプロン・オリエント急行(Simplon Orient-Express)が運行を開始します。

1930年代はオリエント急行の最盛期となり、
ドーバー海峡に面したフランスのカレーやパリから、
イスタンブールやアテネへと毎日オリエント急行が運行していました。
アガサ・クリスティの「オリエント急行殺人事件」が発表されたのもこの年代で、
主人公の探偵ポワロはシンプロン・オリエント急行に乗車して捜査を行っています。


1941年(昭和16年)の第二次世界大戦の勃発でオリエント急行は再び運休。
戦後の1945年(昭和20年)に再び運行を再開するものの、
座席車や簡易寝台車を含む編成となっており、
最盛期の豪華クルーズトレインの姿には蘇っていませんでした。

そしてモータリゼーション時代の到来や航空機の性能向上によって
鉄道で長距離を移動するオリエント急行の乗客は減っていきます。
これにより1971年(昭和46年)は国際寝台車会社(ワゴン・リ)が寝台車の営業から撤退。
1977年(昭和52年)には最後のオリエント急行の名を冠した列車が廃止され、
パリ━イスタンブール間の直通列車は消滅しています。


その後、旧国際寝台車会社の客車を使用して
戦前のオリエント急行を模した観光列車が運行されており、
主なところではノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行(NIOE 1977年~2007年)
ベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス(VSOE 1982年~)といった列車が挙げられます。

エルミーヌ07
そして1988年(昭和63年)にはTV局の企画によって
「オリエントエクスプレス'88」が運行され日本でもオリエント急行の車両が走行しています。

当時ヨーロッパで運行されていた
ノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行(NIOE)の車両を使用した列車は
1988年(昭和63年)9月にパリを出発。仏独を経由してソ連(当時)中国を走り、
およそ一ヶ月をかけて最後は香港の九龍へと至っています。

香港から貨物船で運ばれ日本の山口県笠松に陸揚げされたオリエント急行の車両は
10月17日に日本国内で運行を開始。12月25日まで本物のオリエント急行が
クルーズトレインとして全国各地を走りぬけました。

日本国内の走行に関しては当時発足したばかりのJRグループが協力。
豪華な客室での旅というコンセプトやノウハウはその後の
「北斗星」「トワイライトエクスプレス」、そして「四季島」や「瑞風」といった
日本の寝台特急に大きな影響を与えています


また国際寝台車会社(ワゴン・リ)のオリエント急行車両は
その重厚な内外装や歴史から列車運行以外の用途に使われる例も見られます。

滋賀県大津市には1966年(昭和41年)に開業した「紅葉パラダイス」という遊園地がありました。
びわ湖温泉が併設された温泉宿泊施設(健康センター)併設型のレジャー施設は
その後に「びわ湖温泉 紅葉パラダイス」と名称を変えていますが、
紅葉パラダイスのTVコマーシャルは当時の関西人ならば誰もが知っている存在でした。
エルミーヌ06
この紅葉パラダイスに1978年(昭和53年)に設置されたのが
「ホテル・オリエント・エクスプレス」です。
国際寝台車会社(ワゴン・リ)製の本物の個室寝台車8両を設置した宿泊施設は話題を呼びましたが、
当時はオリエント急行の車内を浴衣の宿泊客が往来し、
横では売れない演歌歌手の歌謡ショーが繰り広げられるというかなりシュールな光景
だった様です。
その後の紅葉パラダイスは経営不振によって1998年(平成10年)に閉鎖。
ワゴン・リの客車も老朽化などでその数年前に撤去され、
行き場を無くした客車は関西の山中に放置状態で朽ち果てたそうです。


オリエント急行の後継の観光列車のうち、
ノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行(NIOE)を運行していた
インターフルーク社(Intraflug)は1993年(平成5年)にNIOEを経営難から売却。
オリエンタル急行の車両は数社を点々とした後、
権利関係の問題から2007年(平成19年)にNIOEの名前は使えなくなり
オリエント急行を名乗る事ができなくなりました。

こうした経緯の中、国際寝台車会社(ワゴン・リ)のオリエント急行車両も
所有者を転々とする車両が続出し、散逸の憂き目を見る状態でした。

そんな中でワゴン・リのオリエント急行の車両が一両、
日本の箱根の美術館で保存展示されて現在でも見ることが可能
となっています。

エルミーヌ08
こちらは箱根登山バスの千石案内所です。
国立公園内となっている仙石原周辺は美術館が数多く集まり別荘地となっています。
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案内所の前の道は県道75号湯河原箱根仙石原線の終点近くですが、
この案内所から県道を50mほど東に進むと箱根ラリック美術館の入口があります。
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美術館の駐車場西側の市道側の入口。
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駐車場に面した東西に長い建物の窓からは
オリエント急行の独特の青い車体が覗けます。
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駐車場から美術館敷地内への入口です。
エルミーヌ13
美術館の敷地内は庭園の中に建物が散在するスタイルで配置されており、
箱根の自然の景観を生かした作りとなっていました。
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その庭園の中央にある、ガラス張りの中のクラシックカーです。
実は車は作品の単なる台座に過ぎず、
ボンネットの先端のカーマスコットがラリック作のいわば主人公となります。

ラリック美術館のオーナー一族は東京都内で映画館やビル、ボーリング場などを
いくつも所有している資産家であり、映画館のシネスイッチ銀座などもその一つです。
そしてオーナーは元々クラシックカーの蒐集家で、
カーマスコットがラリックの作品であることを知って魅せられたことから
美術館が作れるほどのラリック蒐集家となったのだそうです。
エルミーヌ15
さすがに美術館の中は撮影ができませんので、
ラリック作品については各自調査にて。
エルミーヌ16
そして美術館の入口近くへと戻ると、
すぐ左手にあるこちらが「特別展示 ル・トラン」であり
オリエント急行の車両が展示してあるスペースとなります。
ル・トラン(le train)とはフランス語で「列車」という意味です。
エルミーヌ17
ル・トランと並んでカフェ・レストラン「LYS(リス)」が併設されており、
レストランの受付でオリエント急行の車内見学の予約をします。
こちらが予約の際にもらえる乗車券。
入場の際には改札挟で実際に切符を切って入場します。
エルミーヌ18
受付の脇にある、展示車両と同じ型の模型のディスプレイ。
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ル・トランの室内の様子です。
さすがに美術館なので壁と屋根のある完全な室内で静態保存されており
保存環境としては申し分の無い状態です。
エルミーヌ20
入場すると車両内へと入る前に、列車手前のデッキにて映像を鑑賞。
エルミーヌ21
展示されている車両の説明と、箱根への搬入の様子がDVDで流れます。

元々美術館の建設時の図面にはオリエント急行の展示スペースは無かったそうなのですが、
列車の車内装飾がラリックの手による事を知ったオーナーが
スイスでオリエント急行の車両を探して購入。
追加で建築の図面が引き直されたのだそうです。

美術館の開設は2005年(平成17年)3月ですが、
車両が箱根へと搬入されたのはその前年の2004年(平成16年)3月のことだそうです。
DVDの映像を見ると車両を据えた後に建屋が作られた事が分かります。
エルミーヌ22
こちらが車両の外観です。
この車両はWSP 4158DEという車両で1929年(昭和4年)製造となります。
国際寝台車会社(ワゴン・リ社)がパリとイタリアの国境の町ヴェンティミリアを結ぶ
「プルマン・コート・ダジュール急行(Pullman Cote d'Azur Express)」を
運行する際に作られた車両です。
エルミーヌ23
プルマン車とは欧州では食卓を持つ高級座席車のことで、
コート・ダジュール急行のプルマン車は「コート・ダジュール型」と呼ばれ
当時の欧州各地の列車に連結していたプルマン車のなかでも最も豪華なものでした。
コート・ダジュール急行は1941年(昭和16年)第二次世界大戦による運休となりますが、
1982年(昭和57年)にノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行(NIOE)で
現役の運行へと復帰し、2001年(平成13年)まで実際に運行をしていました。
エルミーヌ24
オリエント急行の車体はロイヤルブルー(    )を基調としています。
上半分は白(    )に塗られたツートンカラーで、
間に黄色(    )のラインが入っています。
白(無彩色)も黄色(補色)もロイヤルブルーに関連する色彩ですので
基調色に準じて高級感を出すデザインである事が分かります。
エルミーヌ42
エルミーヌの衣装のカラーリングもロイヤルブルーが基調となっていて
アクセントに黄色のラインが入れられており、
オリエント急行の車両がモチーフであることが分かります。
エルミーヌ41
またエルミーヌの羽織っているポンチョの肩には丸いアクセントがありますが、
こちらはワゴン・リの車両で用いられる丸窓や装飾と同じ形となっています。
エルミーヌ25
車体の横にあるこちらは国際寝台車会社(ワゴン・リ)のエンブレムです。
日本の寝台特急「北斗星」のエンブレムはこのワゴン・リのエンブレムを模したものなのだそうです。

エンブレムの下にある番号はUIC番号と呼ばれるもので、
国際鉄道連合が規定している識別番号で欧州の国際列車についているものです。
「51 85 09-30 000-1」の内容を見ると
 51(国際列車用・固定ゲージ客車)
 85(スイス国鉄)
 09(私有特別車)
 30(最高速度140 km/h、暖房方式)
 000-1(車体シリアル番号とチェックディジット)

となります。
ラリック美術館で購入する前は車両はスイスにあったそうですから
購入当時の番号が残されいるものと思われます。

エルミーヌ26
美術館では車体横の乗降扉からではなく、車両後部の貫通部から入るので
こちらは後部の貫通扉付近の光景です。
通路などに使われいる木製の内装はマホガニー製なのだそうです。
エルミーヌ27
貫通扉の目の前は乗降扉のある乗降デッキとなっており、
円形の手動ブレーキのハンドルもありました。
エルミーヌ28
乗降扉のデッキ反対側にあるトイレ。
展示車両ですので使用は禁止となっています。
エルミーヌ29
乗降デッキから客室への通路。
エルミーヌ30
通路の途中の室内窓からは個室の中の様子が見えます。
エルミーヌ31
こちらがオリエント急行のプルマン車「コート・ダジュール」の客室内の様子です。
アール・ヌーヴォーとアール・デコの両時代に渡って活躍した
ルネ・ラリックの手がけた室内の装飾は豪華ですが落ち着きのある雰囲気です。
エルミーヌ32
車内の装飾品で一番目を引くのはなんといっても
「彫像と葡萄」と題されたガラス工芸品の装飾レリーフでしょう。
列車内に150枚以上あるとされるレリーフはそれぞれが違った図案となっており、
ガラスの内側に銀を貼った鏡面加工を施すことで
列車の移動や昼夜の光の加減などで光が反射され、
作品が様々な表情を見せるという仕掛けになっています。
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卓上や天井のランプシェードもラリックの作品だそうですが、
天井のシェードのモチーフは不明なのだそうです。
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椅子や床の絨毯にはご覧の花柄が用いられています。
生地はゴブラン織りというかつてはフランス王室ご用達だった織物が用いられ、
通気性を保つ為に椅子の中には藁がつめられているそうです。

日本では水戸岡鋭治氏デザインの観光列車が数多く走っていますが、
多くの水戸岡列車の座席モケットには花柄が用いられています。
実際に観光列車のデザインについて水戸岡氏はラリックに言及していますが、
花柄のモケットだけを見てもデザインのルーツのひとつは
オリエント急行のラリックの内装デザインである事が実際の列車内を見て得心しました。
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入ってきた側とは反対側の車端もご覧の様に客室の奥は通路になっており、
同じように4人が掛けられる個室があります。
個室の壁にはルネ・ラリックの娘のシュザンヌ(スザンヌ)・ラリック作の
「花束」と題されたパネルが置かれています。

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客室の大きな窓はハンドルを回して開閉をする仕組みとなっています。
車両の窓内側にはもう一枚、窓枠下部のみを覆うガラスがはめ込まれています。
これは防風の為と物の落下を防ぐ為のものだそうです。
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窓の下にはご覧の呼び出しのボタンが。
乗客がスチュワート(乗務員)を呼ぶ際に使われたものです。
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そしてテーブルの下を見ると一本足で折り畳めるようになっており、
なにやら金具がついています。
エルミーヌ45
そしてテーブルの上の壁にはご覧の丈夫そうなフックが。
これは跳ね上げたテーブルを固定するベルトを掛けるフックです。
清掃の際やプルマン車でダンスを行った際などに
畳んだテーブルを固定する為のものなのだそうです。
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客室内の角にあった手動で引く警笛のレバー。

エルミーヌ35
こちらはラリック美術館「ル・トラン」の見学に際して供されるティーセットです。
季節によって内容は若干変わる様です。
エルミーヌ36
使われている食器にはノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行(NIOE)の
ロゴがひとつひとつに描かれていました。
エルミーヌ40
ティータイムのテーブルに置かれていたオリエント急行のパンフレット。
展示されている車両はノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行(NIOE)のものですが、
卓上に置かれたパンフはなぜか
ヴェニス・シンプロン・イスタンブール・オリエント急行(VSOE)のものでした。


ラリック美術館のプルマン車WSP 4158DEは
第二次大戦前はコートダジュール急行を走っており、
オリエント急行に加わったのは国際寝台車会社(ワゴン・リ)の手による運行ではなく
その後に民間企業が復活させたNIOEの運行となってからでした。
ですから厳密にはポワロが活躍したとされる1930年代には
オリエント急行ではありませんでした


しかしコートダジュール急行は国際寝台車会社の運行路線でしたし、
プルマン車WSP 4158DEも国際寝台車会社製の車両で間違いありません。
マホガニーとラリックの装飾品が使われた内装もまごうこと無きオリエント急行のものであり
NIOEでの運行実績や、日本を走ったオリエント急行'88などでも走行している車両は
「オリエント急行」の名を冠するにふさわしい車両であると思います。

【写真撮影:2019年12月】

でんこの元ネタ
■No.80 那珂湊ねも(Nakaminato Nemo)
 ■タイプ:アタッカー
 ■誕生日:1月28日

■出身駅: ひたちなか海浜鉄道 湊線 那珂湊駅(茨城)
ねも01


那珂湊駅の開業は1913年(大正2年)12月で、
軽便鉄道として開業した湊鉄道湊線の勝田駅━那珂湊駅間の終着駅としてでした。
その後1924年(大正13年)には湊線が磯崎駅まで延伸して途中駅となり、
1928年(昭和3年)に阿字ヶ浦駅までの延伸で現在の湊線が全通します。


1929年(昭和4年)には国鉄との相互乗り入れにより
湊線の列車の国鉄水戸駅までのの直通運転が開始。
そして1944年(昭和19年)には戦時の県内交通統合によって
水浜電車、茨城鉄道と湊鉄道が統合。茨城交通湊線となります。

国鉄水戸駅までの直通運転は1963年(昭和38年)で休止となったものの、
1969年(昭和44年)には阿字ヶ浦海水浴場へのレジャー客を見込んで
上野駅━阿字ヶ浦駅間を運行する臨時列車、6両編成の急行あじがうら号が設定されます。
この海水浴臨時列車はその後の海水浴ブームの終焉とともに
快速、普通列車へと格下げされた後に1992年(平成2年)に運行を終了。
このあじがうら号の運行があった為、
湊線の昔からの駅のホーム有効長は6両編成に耐える長さとなっています。


2005年(平成17年)に茨城交通が地元自治体のひたちなか市に対して
赤字の湊線を2008年(平成20年)3月で廃線にしたい旨を表明。
茨城県、ひたちなか市、茨城交通の協議によって第三セクター化が合意されて
2008年(平成20年)4月1日よりひたちなか海浜鉄道へと移管されます。

赤字によって廃止寸前だったローカル鉄道の湊線ですが、
その後堅実な施策によって収支は持ち直して黒字化。
現在は終点の阿字ヶ浦駅から国営ひたち海浜公園までの3.1kmの延伸計画が進むなど
異例の回復振りから「奇跡のローカル線」と呼ばれるまでになりました。

ねも02
こちらは那珂湊駅の駅舎の外観となります。
建物は修理などの手は入っているものの開業以来のものという事ですから
築100年以上を経ている建物ということになります。
ねも03
駅前にはご覧のロータリーがあります。
時計回りに通行する広場の中央にはタクシーの待機スペースもあります。
ねも04
駅前広場の南側には隣接して県道6号水戸那珂湊線が走っており、
目の前は那珂湊駅前という信号となっています。
ねも06
県道から駅前広場への入口にある案内板。
イデオグラム(表意文字)をつかったデザインが特徴的です。
ねも05
駅舎の東側の目の前にある那珂湊の観光案内地図です。
那珂湊の街中の各所でも同じデザインの案内を見ることができますが、
これはひたちなか海浜鉄道の駅名標をデザインしたデザイナーの
小佐原孝幸氏の手によるもの
です。
ねも41
観光案内図の脇にある白いポスト。
今では都会では見かけないかなりローカルなアイテムとなりました。
ねも43
一旦駅舎の入口の前へ。
ねも42
駅舎の入口を挟んで観光案内版の反対の西側を見ると
バスの待合所が駅舎内に併設されています。
ベンチの置かれた待合室は外からはもちろん、
駅舎の中からも出入りができるようになっています。
ねも44
バス待合所のさらに西側の隣はご覧の茨城交通那珂湊営業所があります。
かつては飲食店や弁当屋がテナントとして入居していた場所なのだそうですが、
現在ではかつて湊線を運行していた茨城交通が入っています。
ねも45
茨城交通の営業所からさらに西へと進むと
駅舎の先の線路沿いはバス駐車場となっており
茨城交通のバスが停まっているのが見えます。
ねも07
駅舎の中に入り、こちらが待合室の様子です。
木製のベンチの並んだ待合室で、
壁まわりには駅や鉄道の写真や資料が並んでいました。
ねも08
待合室の東側には券売窓口があり、自動券売機も1台設置されています。
券売機の横には1998年(平成10年)に選定された「関東の駅百選」のプレートが。
ねも09
こちらはホームへと出る改札口の様子ですが、
引き戸のガラスをよく見ると黒猫のシールが貼られていました。
ねも10
ホーム側から見た改札付近です。
ねも11
駅舎のある単式ホームの1番線です。
上り線の勝田方面行き列車の発着するホームとなります。
ホーム上の建屋の屋根も開業以来のものが生かされていますが、
広いホームは2017年(平成29年)に舗装が直されて綺麗に改修されています。
ねも15
ホーム西端にはフェンスが設けられていますが、
カットされた古いホームがそのまま残っており
改修前と改修された後のホームの違いを比べて見る事ができます。
ねも12
木造の梁と柱の上屋は、その下に入ると改めてその大きさを感じます。
ホーム上に物置として立てられたプレハブが全く邪魔になっていない事で
その広さを感じる事ができるかと思います。
ねも13
ホーム上に掛けられている旧式の駅名標。
茨城交通時代の形式のものだと思われますが、
高田の鉄橋駅ができて直されているため駅名標自体は新しくピカピカでした。
その横の名所案内は100年使っていそうな風格がありますが。
ねも14
改札口前付近となるホームの東端です。
ホームの一部が改修されてバリアフリーのスロープが作られていました。
ねも16
そのスロープの目の前、改札を入ったすぐ右手にあるのが
こちらの運転指令所です。
ねも17
指令所の前には信号機器ボックスが置かれているのですが、
こちらの下が那珂湊駅に住み着く猫の住処となって「駅猫」と呼ばれるようになりました。

2009年(平成21年)から住み着きはじめた黒猫は「おさむ」と名づけられ
「駅猫おさむ」として全国的に有名な存在になりました。
ひたちなか海浜鉄道のPRに貢献した存在でしたが、
2019年(令和元年)6月に高齢の為黒猫おさむは永眠しています。
ねも18
こちらはおさむ存命時の信号機ボックスの様子です。
指定席のサボが貼られているのが分かります。
ねも19
那珂湊駅の駅名標の「湊」の字に描かれた猫はこの「駅猫おさむ」であり、
名実ともにこの駅のシンボルのひとつであった事が分かります。

ねも20
改札から運転指令所の目の前にはこちらの構内踏切があります。
駅は単式ホームと島式ホームの2面がありますが、
こちらの構内踏切でお互いを連絡しています。

ねも21
こちらのホームが島式の2、3番線ホームとなります。
2面のホームがありますが、基本的に旅客で使われているのは
駅舎と反対側の北側にある3番線のみとなります。
ねも22
2番線は普段は乗り降りには使用されておらず主に留置線としてのみ使われています。
3番線には阿字ヶ浦方面行きの下り列車が停まります。
ねも23
2番線側の線路は途中で1番線の線路へと合流しており、
構内踏切や駅舎に近い東側ではホームと線路が離れてしまっていて乗降ができません。
その為ベンチも3番線の方向にのみ向けられています。


ねも46
駅前へと戻って、目の前の県道6号線を西へ100mほど進むと信号がありますが、
交差点にはご覧の案内看板が設置されています。
案内に従って住宅地の道を進みます。
ねも47
県道から一本南へと入った住宅地の中にこちらの山上門があります。
東京の文京区にある小石川後楽園は水戸徳川家の江戸上屋敷にあった庭園ですが、
この江戸上屋敷の正門右側にあったのがこちらの山上門です。
1936年(昭和11年)に原型のままこちらに移設されました。
ねも48
門の中はあづまが丘公園という公園となっており、
門から階段で公園内の丘を登ると上が広場となっています。
ねも49
そしてこの広場にあるのがこちらの那珂湊反射炉です。
幕末に日本近海に頻繁に外国船が現れるようになって
沿岸の警備と異国船のうち払いの為に高性能の大砲の鋳造が求められました。
その為、鉄製の大砲鋳造を目的とした大型の金属溶解炉が全国に十数か所作られましたが
この反射炉はそのうちの一つとなります。
ねも50
水戸藩主徳川斉昭の命で作られ1857年(安政4年)に完成した洋式高炉では
モルチール砲やカノン砲が鋳造され実際に配備もされました。
ねも51
那珂湊駅の駅名標の「那」の字に描かれているのは
この那珂湊反射炉
であり、幕末の水戸藩の史跡の一つでもあります。
ねも55
駅から反射炉までの地図。

ねも52
駅名標のモチーフについて「那」と「湊」については紹介しましたが、
残る「珂」の字に描かれている鉄道車両はこちらのケハ601となります。

1960年(昭和35年)に新潟鐵工所で試験的に作られた日本初のステンレス製気動車であり、
茨城交通が購入して海に近い湊線で実際に運用された車両です。
1992年(平成4年)に廃車となった後は台車が外されて那珂湊機関区に留置。
錆びない車体は倉庫として利用され、近年はギャラリーとしても利用されています。

ねも53
また駅前から県道6号線を東へと800mほど進むと那珂湊漁港があります。
ねも56
観光案内地図での駅から港まで。
ねも54
この那珂湊漁港は那珂湊駅近辺で随一の人気観光スポットでもあり、
港で水揚げされた新鮮な魚貝をなかみなとお魚市場で購入したり
取れたての魚を食べる事も可能となっています。



■モデル車両: ひたちなか海浜鉄道 キハ20形 205
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国鉄キハ20系の気動車は、国鉄が1957年(昭和32年)に開発した一般形気動車です。
10系客車のノウハウを踏まえ、それまでのキハ10系気動車よりも車体を大型化。
平坦用がキハ20形、寒冷地用がキハ22形で1エンジン車、
勾配路線用がキハ52形で2エンジン車となっています。

車体のベースの色は国鉄制定色のクリーム4号    )で、
国鉄部内の慣用色名称は「小麦色」、一般的にはベージュ色と呼ばれる色となります。
また車体の裾の色は国鉄制定色の朱色4号    )で、
慣用色名称は「金赤色」と呼ばれています。
このクリーム4号と朱色4号の組み合わせは1959年(昭和34年)9月に
国鉄一般形気動車色として気動車の標準色に制定
されています。


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写真の車両は国鉄キハ20形のラストナンバー
(※この形式で最後に作られた車両)であるキハ20-522
であり、
1965年(昭和40年)9月に帝国車輛にて製造され
国鉄小牛田機関区へと配属された車両となります。

その後一ノ関、加古川、姫路と機関区を転籍した後にJR西日本へと承継され
1989年(平成元年)に姫路機関区で除籍。
翌年の1990年(平成2年)より水島臨海鉄道に譲渡されて
水島臨海鉄道キハ210へと改番されています。

1996年(平成8年)に茨城交通へと譲渡されて茨城交通キハ205と改番。
塗装も旧国鉄色へと塗り直されています。


元国鉄キハ20-522であるこの車両は、
国鉄色(  ) ━首都圏色(  ) ━加古川色(  ) ━水島臨海鉄道色(   ) ━茨城交通色(   
と車体の塗色を変えており、現在は再び国鉄色へと塗り直されています。
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こちらは2016年(平成28年)に車窓から見たキハ20-205(旧国鉄キハ20-522)です。
国鉄色の車体ですが、経年劣化でかなり色褪せてしまっているのが分かります。
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そのキハ20-205は、2019年(令和元年)6月から9月まで全般検査が行われており、
併せて車体の全面塗装が行われて塗り直されています。
見比べると同じ国鉄色ながら色が鮮やかになっているのが分かります。
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この車両をモチーフとしている駅メモのでんこ那珂湊ねもの衣装は
ご覧の通り国鉄色が用いられているのが分かります。
ロングブーツについている丸いものは前面の赤色灯だと思われます。
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また那珂湊ねもの首のペンダントはヘッドライト(前照灯)と同じ形であり、
イヤーガードは前照灯の脇にあるタイフォン(警笛)がモチーフとなっています。
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そして那珂湊ねもの上着の裏地は花柄となっています。
湊線の終点の阿字ヶ浦駅から北に4kmほどにある国営ひたち海浜公園では
毎年4月中旬から5月上旬ころが見ごろのネモフィラが一面に咲き誇り
絶景として有名となっています。
上着の裏地の花柄は国営ひたち公園のネモフィラがモチーフであると思われ、
那珂湊ねもの名前の「ねも」はこのネモフィラが由来だと考えられています。


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キハ20系の基本形式であるキハ20形は暖地向けの両運転台車両であり
エンジンは1基を搭載している形となります。
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国鉄時代に合計で409両が製造されたキハ20形ですが、

①1957年(昭和32年)製造の初期形のバス窓車(1~103)
②1958年(昭和33年)から1962年(昭和37年)製造である
 室内が白熱灯である二段上昇窓車(201~484)
③1963年(昭和38年)から1965年(昭和40年)製造の
 二段上昇窓で室内蛍光灯車(501~522)


と大きく3種類に分類ができます。
ひたちなか海浜鉄道のキハ20-205は国鉄時代のキハ20-522ですから
③の二段階上昇窓で蛍光灯の車両ということになります。
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基本的にキハ20形には車内にトイレが設置されていましたが、
キハ20-522は1990年(平成2年)に水島臨海鉄道キハ210となった際に
トイレが撤去されて座席が設置
され、併せて冷房化工事が行われています。

そして1996年(平成8年)1月28日に茨城交通へと譲渡され入線
茨城交通キハ205と改番されます。
これは当時の茨城交通が「性能が安定し長寿命で故障が少ない」として
日本全国からキハ20系気動車をかき集めていた一環であり、
湊線はさながら全国の鉄道車両の動態保存場と化していました。
そしてこの車両をモチーフとする那珂湊ねもの誕生日が1月28日に設定されていますが、
これはキハ205の湊線への入線日が元ネタとなっていると考えて良いでしょう。

入線後から7ヶ月後の1996年(平成8年)8月にはキハ205にワンマン化工事が実施。
ワンマン運転に必要な機器類が車内に設置されました。
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車内の様子です。
客室内の中央部の座席はボックスシートとなります。
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乗降扉付近の車端部の座席はロングシートとなっています。
かつては車端部もボックスシートだった様子ですが、
トイレの撤去やワンマン設備の設置によってロングシート座席に改修された様です。
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水島臨海鉄道時代に撤去されたトイレがあった付近。
運転台の右後ろの助手席真後ろあたりにかつてトイレがありました。
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こちらが運転台の様子です。
車両の前後両方に運転台のある両運転台と呼ばれる形式で、
かつては客室と運転台の間には壁と扉がありました。
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通路上の天井には扇風機が。
そして水島臨海鉄道時代に増設されたデンソー製の冷房があるのが見えます。
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ボックスシートは中央のシートのみ背もたれが分厚くなっているのが分かりますが、
これは壁にエンジンからの排煙ダクトが通っている為です。
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運転席後ろの壁に貼られていたキハ205の車両の生い立ち。

【写真撮影:2019年11月】

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