でんこの元ネタ
■No.96 荻窪アヤ(Ogikubo Aya)
■タイプ:サポーター
■誕生日:2月23日
■出身駅: 東京メトロ 丸ノ内線 荻窪駅(東京)
こちらはJR荻窪駅の北口の光景です。
駅ビルであるルミネ荻窪が大きくそびえていますが、
1963年(昭和38年)に駅東側に南北地下自由通路が設けられており、
駅設備としては自由通路の北側の地上出入口のみとなっています。
荻窪駅は1891年(明治24年)に甲武鉄道の駅として開業しており、
1906年(明治39年)に国有化された後は中央線の駅として現在に至っています。
荻窪駅北口の前にはご覧の駅前ロータリーが設けられています。
この北口のロータリーは杉並区の再開発事業によって
2011年(平成23年)に整備が完了したものです。
こちらは北口駅前付近の地図です。
ご覧の通り駅と青梅街道との間に駅前広場が設けられており、
バス停やタクシーの乗降場、一般車両の車寄せが置かれています。
荻窪駅北口ロータリーに接しているこちらは青梅街道の光景です。
駅から東側の青梅街道は400m先の天沼陸橋でJRの線路を跨いでいます。
かつてはこの道路を市電が走っていたそうです。
荻窪駅の北口界隈は戦後に闇市が立った場所で、
市のそばに出来た数軒のラーメン屋が後の荻窪ラーメンへと発展します。
その為現在でも青梅街道沿いのこの付近には何軒かのラーメン屋が並んでいます。
天沼陸橋側からみた駅方面の青梅街道の様子です。
陸橋の西側の信号の交差点は荻窪駅前入口交差点という名前の交差点となります。
荻窪駅前入口交差点付近の地図。
右上が荻窪駅のある場所となります。
交差点から南の線路側へは一方通行の道路が延びています。
道が線路に突き当たった場所にご覧の荻窪地下道の地上出入口があります。
1966年(昭和41年)までこの場所には通称大踏切と呼ばれる踏切がありました。
踏切の廃止に伴って線路の南北を連絡する為に作られたのがこの地下道です。
地下道の中の様子です。
壁に無数の傷があるのは「はつり」と言ってタイルや煉瓦を
コンクリート壁から削り取った際にできる跡です。
所々に残るモルタルの跡からもかつての地下道の壁がタイル張りであったことが分かります。
地下道の入口から駅方面へと続く一方通行路。
かつてはこの道が青梅街道の旧道だったのだそうです。
その旧道から駅北口ロータリーへの出口付近。
ロータリーの反対側には交番がありますが、
この交番の南側の道も青梅街道の旧道であり
この先で現在の青梅街道と旧道が合流をしています。
北口駅前の道路が若干不自然な形に見えるのは旧道の付け替えがあったからなのです。
こちらは荻窪駅北口の地図に青梅街道の旧道を書き込んだものです。
北口の地上出口の東隣りに設けられている歩行者の広場は
再開発前には民間の建物が並んでいた場所でした。
この広場の線路沿いに「荻窪の荻」が植えられています。
当地にある「萩寺」こと光明院の萩が荻窪の地名の由来ですが、
都市化により荻窪の自生の萩はほぼ消滅。この萩を後世へと残そうと
1965年(昭和40年)に荻窪の萩の保存会が生まれました。
その保存会が自生の萩を株分けして移植した最初の場所がこの荻窪駅の線路脇なのです。
こちらがその「萩寺」こと光明院です。
JR荻窪駅から西の高尾方へ400mほどの環八と交わる付近の
北側線路沿いに荻窪の名前の由来となった寺があります。
こちらは荻窪駅の北口の入口付近の様子です。
南北自由通路の地上出口なのでご覧の通り階段があります。
階段を下ると自由通路の北側にJRの改札、
南側に東京メトロの改札があります。
北側のJR荻窪駅の東改札前付近の光景です。
改札の向かいには自動券売機があり、その横にはみどりの窓口もあります。
自由通路を南へと進み東京メトロ側へ。
こちらが自由通路南側の東京メトロ側の改札前の光景です。
自動券売機と自動改札、有人の窓口が設けられています。
メトロ側の改札前付近の見取り図。
改札の向かい側にある階段は駅の南口へと通じています。
そしてこちらが荻窪駅の南口の地上出入口の外観です。
地上出入口からの階段は南北自由通路の南端の
東京メトロの改札の目の前へと通じています。
南口地上出入口前の道路を挟んだ向かい側にあるこちらは
南口b地上出入口となります。
南口bの階段を下ると地下の南北自由通路の南端へ。
メトロ改札前の自由通路側から見た南口bの階段です。
そして南口bの地上出入口の西側すぐにあるこちらが
エレベータの地上出口となります。
この南口の目の前にある道路は「南口駅前通り」という区道で、
東側へ進んだ先で青梅街道と合流しています。
南口周辺の地図。
駅前通りを南口から150mほど進んだ東の
荻窪四丁目交差点にある荻窪地下道の南側出入口です。
地下道の出入口は交差点の両側に設けられています。
南側からの荻窪地下道の様子。
こちら側もタイルを剥がした跡が残っています。
こちらは地下道が通っている付近の線路の光景です。
ここにかつての荻窪大踏切があり、青梅街道の旧道が線路を渡って通っていた場所です。
さらに駅前通りを東へと進んだ天沼陸橋交差点の信号で
ご覧の通り青梅街道と合流しています。
この地下道の南の出入口からこの青梅街道に合流するまでの道が
かつての青梅街道の旧道でした。開かずの踏切解消の為の
天沼陸橋の落成による青梅街道の付け替えは1955年(昭和30年)のことでした。
駅前通りの区道は駅の西側で環状八号線と交わっており、
2005年(平成17年)に道幅拡張が行われています。
しかし依然として交通量が多いことから環八から駅南口の先までの600mほどは
現在でも車両は一方通行となっています。
南口の出入口の目の前付近の区道の光景です。
この付近が駅改札のある南北自由通路の南端付近の真上となります。
南口の西側すぐには交番があり、
その先には線路に沿って南口のバス停があります。
南口の地上出口を下って再び地下の自由通路へ。
こちらが東京メトロ丸ノ内線荻窪駅のJR荻窪駅方面改札です。
この地下鉄の荻窪駅は1962年(昭和37年)1月に営団地下鉄荻窪線の延伸によって開設されたもので、
1972年(昭和47年)に丸ノ内線に編入されて現在に至っています。
横には出口専用の改札機が。
JR荻窪駅方面改札の改札内の様子です。
こちらは駅の西端に位置する改札なので
正面にホームへと下る階段があります。
階段を下ってメトロのホームへ。
東京メトロ丸ノ内線の荻窪駅ホームの様子です。
島式ホーム1面2線となっており、終点駅なのでどちらのホームも
池袋方面行きとなっています。
駅ホームはホームドアが設置されていますが
これは丸ノ内線全線ホームドア化によって2006年(平成18年)に設置されたものです。
ホームの中央部にはベンチが設けられています。
終点駅で日中は折り返しの電車が待っている事が多い駅ですが
なぜかホームのベンチで佇む人は意外と多い様子です。
島式ホームの西寄りにはエレベーターが、東寄りには売店が置かれており、
その間のホーム中央部にご覧のベンチは置かれています。
ホーム東端の階段にはエスカレーターが設置されていますが
こちらは1999年(平成11年)に設置されたものです。
1日におよそ9万人が乗り降りするホームは
ご覧の通りラッシュ時を想定してか広めに作られています。
一旦ホームの西端に戻り、西口方面への階段を登ります。
東側と比べて小さめですが、階段を上りきると
有人窓口のある改札前のスペースがあります。
改札の外に出た、東京メトロ荻窪駅の西改札改札前の光景です。
自動券売機の置かれた改札前からは通路は折り返すように
改札脇へと続いています。
折り返した通路にはすぐに地上へと出られる階段があり、
階段脇には同じく地上へのエレベーターへと続く通路があります。
壁にある西改札付近の見取図です。
上へと階段を上ると途中の踊り場にビルへの入口があります。
折り返してさらに上ると地上への出口が。
こちらが東京メトロの西口の地上出入口の外観です。
JRの線路も南側の駅前通りの区道へと通じています。
西改札の改札階へと戻り、地上出口への階段の前を過ぎて
通路を奥へと進みます。
こちらは西改札付近にある見取り図ですが、
改札裏から東の方向へと通路が延びているのが分かります。
地下連絡通路の様子です。
西改札側から東に向かっての光景です。
途中にご覧の自動改札機のある入口があります。
この連絡通路の途中にある改札が
東京メトロ荻窪駅のエレベーター専用改札口です。
車椅子などのバリアフリーを目的として設けられており、
直接エレベーターでホーム階へと下ることができます。
エレベーター改札を過ぎて通路をさらに西へ。
自販機やコインロッカーが見えてきた付近で
ご覧の駅の事務室の入口があります。
その先を進むとすぐに西側の改札に。
この通りメトロの東西の改札は連絡通路で結ばれています。
メトロの連絡通路から東の南北地下自由通路へと戻ったので
左手の南へと自由通路を進みます。
荻窪駅にはメトロの丸ノ内線の他にJRの荻窪駅も設けられており、
一般的には荻窪駅と言えばJRの駅の事を指しますが、
こちらは南北自由通路に面しているJR荻窪駅の東改札の様子です。
東改札の内側の様子。
この通り東側は地下駅の造りの駅となっています。
改札の奥は左右への連絡コンコースとなっており
二つのホームへの階段が左右それぞれに設けられています。
左の南側にある1、2番線ホームへの階段。
こちらがJR荻窪駅の1、2番線ホームの様子です。
JRの駅は島式ホーム2面4線となっており、
こちらは中央総武線の各駅停車用ホームとなっています。
1番線が西行きの三鷹方面行きホーム、
そして2番線が東行きの新宿・千葉方面行きホームとなります。
JR中央線には東京メトロ東西線が三鷹まで直通乗り入れをしており、
荻窪駅から東西線直通の列車はご覧の通り2番線に停まる事となります。
ホームの東側付近の様子です。
乗降客の多い駅だけにホームの幅は広めに作られています。
JR中央線は現行で10両編成の為、荻窪駅のホーム有効長も10両分となっています。
ホームの中央付近にはセンターにベンチが置かれていますが、
ラッシュ時の安全の為なのかベンチの左右には自販機がガードの様に置かれています。
ホームの西側付近の光景です。
西端には跨線橋へと上る階段があります。
階段を上り跨線橋の上へ。
JR荻窪駅の西改札は橋上駅舎の造りとなっています。
基本的に連絡通路である跨線橋に作られた改札なので
ご覧の通り改札内のホームを連絡する通路はあまり広くはありません。
跨線橋の北側にある3、4番線ホームへと下る階段。
こちらがJR荻窪駅3、4番線ホームの様子となります。
中央線快速列車の上下線が停まるホームです。
ホームの西端側付近の光景。
こちらのホームも中央部付近にはベンチが置かれています。
中にはご覧の様なデザインされているベンチも。
東側へと進むと地下の改札へと通じる階段があり、
その先にはホームの東端の新宿方が見えてきます。
中央線快速ホーム東端部付近の光景。
こちらの島式ホームは東端側だけ少々狭くなっているのが
中央部付近の幅と見比べると分かります。
一番乗降客が多く見られるホーム中央部付近。
跨線橋の上へと戻り西改札へと戻ります。
こちらが西改札の改札外の様子です。
外側も跨線橋上の通路が南北を連絡しています。
南側の跨線橋上通路の様子です。
JR荻窪駅の三鷹方となる西側出口は南北にそれぞれ出入口があります。
しかしJRではこの三鷹方の出口には特に名前をつけておらず、
一般的には北も南も「西口」と呼称されています。
地図を見ると分かりますが南端は駅前通りの区道の上を跨ぐ跨道橋となっており、
道路の南北に入口が設けられています。
橋上から見た南側の駅前通りの光景です。
こちらが区道北側の、東に位置する跨線橋の階段です。
階段入口の軒にはJR荻窪駅の表記がされています。
区道北側の、こちらは西側の階段出口です。
環八方面へと向かう場合はこちらからとなります。
そして区道を跨いだ反対側にも下へと降りる階段が。
こちらは区道南側の地上出口となります。
ご覧の通り東京メトロの荻窪駅の西口出口と並んで作られています。
西改札から右手の北側は自動券売機が並ぶスペースがあり、
その外側はペデストリアンデッキへと接続をしています。
こちらは西口北側のペデストリアンデッキに設けられた広場部分。
荻窪駅北側に建っているタウンセブン外周へと接続しています。
改札前のデッキから地上へと降りる階段。
階段下の軒には駅名標が掲げられています。
出口からは40mほどのカーブをした道があり
荻窪白山通りの商店街の道へと連絡しています。
こちらは白山通り商店街の荻窪駅西口付近の光景です。
白山通りを右手の北方へと曲がると90mほどで青梅街道へと出ます。
歩道橋がある場所は青梅街道の旧道と現道がちょうど交わる付近となります。
■モデル車両: 東京メトロ2000系電車
【上写真:営団02系】
丸ノ内線では1988年(昭和63年)からご覧の02系電車が運用されてきましたが、
30年以上の経年による老朽化のほか、今後に丸ノ内線に導入予定の
CBTC(無線式列車制御システム)に02系では対応できないなどの理由から
新型車両の新造が行われる事となりました。
こうして新たに作られたのが丸ノ内線2000系であり、
2020年の東京五輪に向けて開発が進められ2018年(平成30年)に試作の第01編成が完成。
試運転を重ねた後に2019年(平成31年)2月23日より営業運転を開始しています。
駅メモのでんこである荻窪アヤの誕生日が2月23日に設定されていますが、
これは元ネタ車両の2000系が丸ノ内線で営業運転を開始した日が元と見て良いでしょう。
【上写真:地下鉄博物館に保存される営団300系301号車】
車体の色は「世界有数の大都市“TOKYO”に活気を与える
インパクトのある形状や四季に映える色」として
丸ノ内線開業当時に走っていた300形電車の車体色を再現した
鮮やかなグローイング・スカーレット( )が用いられています。
車体の横には白いラインが入っており、サインウェーブが描かれていますが、
これは丸ノ内線開業当時の300系に描かれていた文様で
以降代々の丸ノ内線電車に描かれていたものです。
荻窪アヤの髪のスカーフのデザインがサインウェーブであるのは
丸ノ内線由来であるが故と言えるでしょう。
また丸ノ内線は軌間が1435mmの標準軌であり、
集電方式も第三軌条集電方式を採用しています。
これは東京メトロでは銀座線と二番目の丸ノ内線のみの方式です。
日本で最初の地下鉄である銀座線では
「トンネルの断面積を小さくできる」という理由から第三軌条が採用されており、
続いた丸ノ内線もこれに倣ったものです。
ですので丸ノ内線の車両にパンタグラフはありません。
【上動画はクリックで再生します。】
こちらは丸ノ内線2000系の駅発車シーンの動画です。
それでは以下で編成の各車両について見てみたいと思います。
荻窪方の一両目となる1号車の2100形です。
編成略記号ではCMでC(制御車)M(動力車)となり
運転台とモーターのある制御動力車となります。
こちらは1号車の客室内の様子です。
3ドアの通勤形車両で座席はロングシートとなります。
車両の連結部側である池袋方の車端はご覧の通り優先座席となっています。
黄色と黒のグラデーションの座席モケットの他、
車椅子やベビーカー用のフリースペースが設けられています。
そしてこの2000系車両では地下鉄車両では初めてとなるコンセントが設置。
モバイル機器の充電ができる様になっています。
また連結部の貫通扉は全面ガラスで視認性を良くしていますが、
衝突防止の為に丸ノ内線の路線図を元として
沿線名所のアイコンイラストを配置したデザインが描かれています。
通常座席の座席モケットは赤と黒のグラデーションで、
客室の内壁は薄いピンク色となっています。
そして荻窪アヤの衣装のベルトからはアクセサリーが下がっていますが
この小物は車内のつり革がモチーフであることが並べてみると良く分かります。
続いて荻窪方二両目の2号車2200形です。
編成略記号でM1となりM(動力車)となります。
客室内の様子です。2000系の内装は「丸」ノ内線だからでしょうか、
丸を意識したデザインとなっています。
ロングシートの車内は両端部の座席が優先座席となっており
つり革と座席の握り棒が黄色くなっています。
荻窪方の三両目の3号車となる2300形です。
編成略記号ではM2で中間電動車となります。
3ドアのロングシート車両であるのは他の車両と同様です。
両車端の座席が優先座席で、荻窪方が4席ロングシート、
池袋方が2席ロングシートとフリースペースとなります。
こちらは池袋方の優先座席です。
中間車両は基本的には内装は同じ作りとなっており、
天井の室内灯はLEDが用いられて省電力化されています。
4号車となる池袋方の三両目の2400形です。
車両動力を搭載している編成略記号M3の中間電動車です。
ご覧の通りロングシート車両であるのは他と同様です。
丸ノ内線2000系の中間車両客車はそれぞれ定員137名となっており、
座席数は44席が設けられています。
次は池袋方の二両目の5号車2500形です。
編成略記号M4でこの車両も中間電動車の客車車両となります。
こちらも中間車両客車なので3ドアロングシート車となります。
袖仕切り板や貫通扉などで使われているガラスは強化ガラスが使われています。
最後は池袋方の先頭車両の6号車の2000形となります。
1号車と同じく先頭車両車である6号車は
ロングシート車両ですが座席数が36席で定員122名と
中間車両に比べて若干定員が少なくなっています。
他の車両は全て池袋方に車椅子スペースが設けられていますが、
この6号車は池袋方先頭車両で運転台がある為
車椅子スペースは唯一荻窪方へと設置されています。
ご覧の通り丸ノ内線2000系は非常にスタイリッシュなデザインの電車であり、
モチーフとした駅メモのでんこの外観も非常にスタイリッシュな印象となっています。
都内に来れば比較的容易に乗る事が可能な車両ですので
是非一度乗って確かめてみてはいかがでしょうか。
【写真撮影:2020年10月】
■No.96 荻窪アヤ(Ogikubo Aya)
■タイプ:サポーター
■誕生日:2月23日
■出身駅: 東京メトロ 丸ノ内線 荻窪駅(東京)
こちらはJR荻窪駅の北口の光景です。
駅ビルであるルミネ荻窪が大きくそびえていますが、
1963年(昭和38年)に駅東側に南北地下自由通路が設けられており、
駅設備としては自由通路の北側の地上出入口のみとなっています。
荻窪駅は1891年(明治24年)に甲武鉄道の駅として開業しており、
1906年(明治39年)に国有化された後は中央線の駅として現在に至っています。
荻窪駅北口の前にはご覧の駅前ロータリーが設けられています。
この北口のロータリーは杉並区の再開発事業によって
2011年(平成23年)に整備が完了したものです。
こちらは北口駅前付近の地図です。
ご覧の通り駅と青梅街道との間に駅前広場が設けられており、
バス停やタクシーの乗降場、一般車両の車寄せが置かれています。
荻窪駅北口ロータリーに接しているこちらは青梅街道の光景です。
駅から東側の青梅街道は400m先の天沼陸橋でJRの線路を跨いでいます。
かつてはこの道路を市電が走っていたそうです。
荻窪駅の北口界隈は戦後に闇市が立った場所で、
市のそばに出来た数軒のラーメン屋が後の荻窪ラーメンへと発展します。
その為現在でも青梅街道沿いのこの付近には何軒かのラーメン屋が並んでいます。
天沼陸橋側からみた駅方面の青梅街道の様子です。
陸橋の西側の信号の交差点は荻窪駅前入口交差点という名前の交差点となります。
荻窪駅前入口交差点付近の地図。
右上が荻窪駅のある場所となります。
交差点から南の線路側へは一方通行の道路が延びています。
道が線路に突き当たった場所にご覧の荻窪地下道の地上出入口があります。
1966年(昭和41年)までこの場所には通称大踏切と呼ばれる踏切がありました。
踏切の廃止に伴って線路の南北を連絡する為に作られたのがこの地下道です。
地下道の中の様子です。
壁に無数の傷があるのは「はつり」と言ってタイルや煉瓦を
コンクリート壁から削り取った際にできる跡です。
所々に残るモルタルの跡からもかつての地下道の壁がタイル張りであったことが分かります。
地下道の入口から駅方面へと続く一方通行路。
かつてはこの道が青梅街道の旧道だったのだそうです。
その旧道から駅北口ロータリーへの出口付近。
ロータリーの反対側には交番がありますが、
この交番の南側の道も青梅街道の旧道であり
この先で現在の青梅街道と旧道が合流をしています。
北口駅前の道路が若干不自然な形に見えるのは旧道の付け替えがあったからなのです。
こちらは荻窪駅北口の地図に青梅街道の旧道を書き込んだものです。
北口の地上出口の東隣りに設けられている歩行者の広場は
再開発前には民間の建物が並んでいた場所でした。
この広場の線路沿いに「荻窪の荻」が植えられています。
当地にある「萩寺」こと光明院の萩が荻窪の地名の由来ですが、
都市化により荻窪の自生の萩はほぼ消滅。この萩を後世へと残そうと
1965年(昭和40年)に荻窪の萩の保存会が生まれました。
その保存会が自生の萩を株分けして移植した最初の場所がこの荻窪駅の線路脇なのです。
こちらがその「萩寺」こと光明院です。
JR荻窪駅から西の高尾方へ400mほどの環八と交わる付近の
北側線路沿いに荻窪の名前の由来となった寺があります。
こちらは荻窪駅の北口の入口付近の様子です。
南北自由通路の地上出口なのでご覧の通り階段があります。
階段を下ると自由通路の北側にJRの改札、
南側に東京メトロの改札があります。
北側のJR荻窪駅の東改札前付近の光景です。
改札の向かいには自動券売機があり、その横にはみどりの窓口もあります。
自由通路を南へと進み東京メトロ側へ。
こちらが自由通路南側の東京メトロ側の改札前の光景です。
自動券売機と自動改札、有人の窓口が設けられています。
メトロ側の改札前付近の見取り図。
改札の向かい側にある階段は駅の南口へと通じています。
そしてこちらが荻窪駅の南口の地上出入口の外観です。
地上出入口からの階段は南北自由通路の南端の
東京メトロの改札の目の前へと通じています。
南口地上出入口前の道路を挟んだ向かい側にあるこちらは
南口b地上出入口となります。
南口bの階段を下ると地下の南北自由通路の南端へ。
メトロ改札前の自由通路側から見た南口bの階段です。
そして南口bの地上出入口の西側すぐにあるこちらが
エレベータの地上出口となります。
この南口の目の前にある道路は「南口駅前通り」という区道で、
東側へ進んだ先で青梅街道と合流しています。
南口周辺の地図。
駅前通りを南口から150mほど進んだ東の
荻窪四丁目交差点にある荻窪地下道の南側出入口です。
地下道の出入口は交差点の両側に設けられています。
南側からの荻窪地下道の様子。
こちら側もタイルを剥がした跡が残っています。
こちらは地下道が通っている付近の線路の光景です。
ここにかつての荻窪大踏切があり、青梅街道の旧道が線路を渡って通っていた場所です。
さらに駅前通りを東へと進んだ天沼陸橋交差点の信号で
ご覧の通り青梅街道と合流しています。
この地下道の南の出入口からこの青梅街道に合流するまでの道が
かつての青梅街道の旧道でした。開かずの踏切解消の為の
天沼陸橋の落成による青梅街道の付け替えは1955年(昭和30年)のことでした。
駅前通りの区道は駅の西側で環状八号線と交わっており、
2005年(平成17年)に道幅拡張が行われています。
しかし依然として交通量が多いことから環八から駅南口の先までの600mほどは
現在でも車両は一方通行となっています。
南口の出入口の目の前付近の区道の光景です。
この付近が駅改札のある南北自由通路の南端付近の真上となります。
南口の西側すぐには交番があり、
その先には線路に沿って南口のバス停があります。
南口の地上出口を下って再び地下の自由通路へ。
こちらが東京メトロ丸ノ内線荻窪駅のJR荻窪駅方面改札です。
この地下鉄の荻窪駅は1962年(昭和37年)1月に営団地下鉄荻窪線の延伸によって開設されたもので、
1972年(昭和47年)に丸ノ内線に編入されて現在に至っています。
横には出口専用の改札機が。
JR荻窪駅方面改札の改札内の様子です。
こちらは駅の西端に位置する改札なので
正面にホームへと下る階段があります。
階段を下ってメトロのホームへ。
東京メトロ丸ノ内線の荻窪駅ホームの様子です。
島式ホーム1面2線となっており、終点駅なのでどちらのホームも
池袋方面行きとなっています。
駅ホームはホームドアが設置されていますが
これは丸ノ内線全線ホームドア化によって2006年(平成18年)に設置されたものです。
ホームの中央部にはベンチが設けられています。
終点駅で日中は折り返しの電車が待っている事が多い駅ですが
なぜかホームのベンチで佇む人は意外と多い様子です。
島式ホームの西寄りにはエレベーターが、東寄りには売店が置かれており、
その間のホーム中央部にご覧のベンチは置かれています。
ホーム東端の階段にはエスカレーターが設置されていますが
こちらは1999年(平成11年)に設置されたものです。
1日におよそ9万人が乗り降りするホームは
ご覧の通りラッシュ時を想定してか広めに作られています。
一旦ホームの西端に戻り、西口方面への階段を登ります。
東側と比べて小さめですが、階段を上りきると
有人窓口のある改札前のスペースがあります。
改札の外に出た、東京メトロ荻窪駅の西改札改札前の光景です。
自動券売機の置かれた改札前からは通路は折り返すように
改札脇へと続いています。
折り返した通路にはすぐに地上へと出られる階段があり、
階段脇には同じく地上へのエレベーターへと続く通路があります。
壁にある西改札付近の見取図です。
上へと階段を上ると途中の踊り場にビルへの入口があります。
折り返してさらに上ると地上への出口が。
こちらが東京メトロの西口の地上出入口の外観です。
JRの線路も南側の駅前通りの区道へと通じています。
西改札の改札階へと戻り、地上出口への階段の前を過ぎて
通路を奥へと進みます。
こちらは西改札付近にある見取り図ですが、
改札裏から東の方向へと通路が延びているのが分かります。
地下連絡通路の様子です。
西改札側から東に向かっての光景です。
途中にご覧の自動改札機のある入口があります。
この連絡通路の途中にある改札が
東京メトロ荻窪駅のエレベーター専用改札口です。
車椅子などのバリアフリーを目的として設けられており、
直接エレベーターでホーム階へと下ることができます。
エレベーター改札を過ぎて通路をさらに西へ。
自販機やコインロッカーが見えてきた付近で
ご覧の駅の事務室の入口があります。
その先を進むとすぐに西側の改札に。
この通りメトロの東西の改札は連絡通路で結ばれています。
メトロの連絡通路から東の南北地下自由通路へと戻ったので
左手の南へと自由通路を進みます。
荻窪駅にはメトロの丸ノ内線の他にJRの荻窪駅も設けられており、
一般的には荻窪駅と言えばJRの駅の事を指しますが、
こちらは南北自由通路に面しているJR荻窪駅の東改札の様子です。
東改札の内側の様子。
この通り東側は地下駅の造りの駅となっています。
改札の奥は左右への連絡コンコースとなっており
二つのホームへの階段が左右それぞれに設けられています。
左の南側にある1、2番線ホームへの階段。
こちらがJR荻窪駅の1、2番線ホームの様子です。
JRの駅は島式ホーム2面4線となっており、
こちらは中央総武線の各駅停車用ホームとなっています。
1番線が西行きの三鷹方面行きホーム、
そして2番線が東行きの新宿・千葉方面行きホームとなります。
JR中央線には東京メトロ東西線が三鷹まで直通乗り入れをしており、
荻窪駅から東西線直通の列車はご覧の通り2番線に停まる事となります。
ホームの東側付近の様子です。
乗降客の多い駅だけにホームの幅は広めに作られています。
JR中央線は現行で10両編成の為、荻窪駅のホーム有効長も10両分となっています。
ホームの中央付近にはセンターにベンチが置かれていますが、
ラッシュ時の安全の為なのかベンチの左右には自販機がガードの様に置かれています。
ホームの西側付近の光景です。
西端には跨線橋へと上る階段があります。
階段を上り跨線橋の上へ。
JR荻窪駅の西改札は橋上駅舎の造りとなっています。
基本的に連絡通路である跨線橋に作られた改札なので
ご覧の通り改札内のホームを連絡する通路はあまり広くはありません。
跨線橋の北側にある3、4番線ホームへと下る階段。
こちらがJR荻窪駅3、4番線ホームの様子となります。
中央線快速列車の上下線が停まるホームです。
ホームの西端側付近の光景。
こちらのホームも中央部付近にはベンチが置かれています。
中にはご覧の様なデザインされているベンチも。
東側へと進むと地下の改札へと通じる階段があり、
その先にはホームの東端の新宿方が見えてきます。
中央線快速ホーム東端部付近の光景。
こちらの島式ホームは東端側だけ少々狭くなっているのが
中央部付近の幅と見比べると分かります。
一番乗降客が多く見られるホーム中央部付近。
跨線橋の上へと戻り西改札へと戻ります。
こちらが西改札の改札外の様子です。
外側も跨線橋上の通路が南北を連絡しています。
南側の跨線橋上通路の様子です。
JR荻窪駅の三鷹方となる西側出口は南北にそれぞれ出入口があります。
しかしJRではこの三鷹方の出口には特に名前をつけておらず、
一般的には北も南も「西口」と呼称されています。
地図を見ると分かりますが南端は駅前通りの区道の上を跨ぐ跨道橋となっており、
道路の南北に入口が設けられています。
橋上から見た南側の駅前通りの光景です。
こちらが区道北側の、東に位置する跨線橋の階段です。
階段入口の軒にはJR荻窪駅の表記がされています。
区道北側の、こちらは西側の階段出口です。
環八方面へと向かう場合はこちらからとなります。
そして区道を跨いだ反対側にも下へと降りる階段が。
こちらは区道南側の地上出口となります。
ご覧の通り東京メトロの荻窪駅の西口出口と並んで作られています。
西改札から右手の北側は自動券売機が並ぶスペースがあり、
その外側はペデストリアンデッキへと接続をしています。
こちらは西口北側のペデストリアンデッキに設けられた広場部分。
荻窪駅北側に建っているタウンセブン外周へと接続しています。
改札前のデッキから地上へと降りる階段。
階段下の軒には駅名標が掲げられています。
出口からは40mほどのカーブをした道があり
荻窪白山通りの商店街の道へと連絡しています。
こちらは白山通り商店街の荻窪駅西口付近の光景です。
白山通りを右手の北方へと曲がると90mほどで青梅街道へと出ます。
歩道橋がある場所は青梅街道の旧道と現道がちょうど交わる付近となります。
■モデル車両: 東京メトロ2000系電車
【上写真:営団02系】
丸ノ内線では1988年(昭和63年)からご覧の02系電車が運用されてきましたが、
30年以上の経年による老朽化のほか、今後に丸ノ内線に導入予定の
CBTC(無線式列車制御システム)に02系では対応できないなどの理由から
新型車両の新造が行われる事となりました。
こうして新たに作られたのが丸ノ内線2000系であり、
2020年の東京五輪に向けて開発が進められ2018年(平成30年)に試作の第01編成が完成。
試運転を重ねた後に2019年(平成31年)2月23日より営業運転を開始しています。
駅メモのでんこである荻窪アヤの誕生日が2月23日に設定されていますが、
これは元ネタ車両の2000系が丸ノ内線で営業運転を開始した日が元と見て良いでしょう。
【上写真:地下鉄博物館に保存される営団300系301号車】
車体の色は「世界有数の大都市“TOKYO”に活気を与える
インパクトのある形状や四季に映える色」として
丸ノ内線開業当時に走っていた300形電車の車体色を再現した
鮮やかなグローイング・スカーレット( )が用いられています。
車体の横には白いラインが入っており、サインウェーブが描かれていますが、
これは丸ノ内線開業当時の300系に描かれていた文様で
以降代々の丸ノ内線電車に描かれていたものです。
荻窪アヤの髪のスカーフのデザインがサインウェーブであるのは
丸ノ内線由来であるが故と言えるでしょう。
また丸ノ内線は軌間が1435mmの標準軌であり、
集電方式も第三軌条集電方式を採用しています。
これは東京メトロでは銀座線と二番目の丸ノ内線のみの方式です。
日本で最初の地下鉄である銀座線では
「トンネルの断面積を小さくできる」という理由から第三軌条が採用されており、
続いた丸ノ内線もこれに倣ったものです。
ですので丸ノ内線の車両にパンタグラフはありません。
【上動画はクリックで再生します。】
こちらは丸ノ内線2000系の駅発車シーンの動画です。
それでは以下で編成の各車両について見てみたいと思います。
荻窪方の一両目となる1号車の2100形です。
編成略記号ではCMでC(制御車)M(動力車)となり
運転台とモーターのある制御動力車となります。
こちらは1号車の客室内の様子です。
3ドアの通勤形車両で座席はロングシートとなります。
車両の連結部側である池袋方の車端はご覧の通り優先座席となっています。
黄色と黒のグラデーションの座席モケットの他、
車椅子やベビーカー用のフリースペースが設けられています。
そしてこの2000系車両では地下鉄車両では初めてとなるコンセントが設置。
モバイル機器の充電ができる様になっています。
また連結部の貫通扉は全面ガラスで視認性を良くしていますが、
衝突防止の為に丸ノ内線の路線図を元として
沿線名所のアイコンイラストを配置したデザインが描かれています。
通常座席の座席モケットは赤と黒のグラデーションで、
客室の内壁は薄いピンク色となっています。
そして荻窪アヤの衣装のベルトからはアクセサリーが下がっていますが
この小物は車内のつり革がモチーフであることが並べてみると良く分かります。
続いて荻窪方二両目の2号車2200形です。
編成略記号でM1となりM(動力車)となります。
客室内の様子です。2000系の内装は「丸」ノ内線だからでしょうか、
丸を意識したデザインとなっています。
ロングシートの車内は両端部の座席が優先座席となっており
つり革と座席の握り棒が黄色くなっています。
荻窪方の三両目の3号車となる2300形です。
編成略記号ではM2で中間電動車となります。
3ドアのロングシート車両であるのは他の車両と同様です。
両車端の座席が優先座席で、荻窪方が4席ロングシート、
池袋方が2席ロングシートとフリースペースとなります。
こちらは池袋方の優先座席です。
中間車両は基本的には内装は同じ作りとなっており、
天井の室内灯はLEDが用いられて省電力化されています。
4号車となる池袋方の三両目の2400形です。
車両動力を搭載している編成略記号M3の中間電動車です。
ご覧の通りロングシート車両であるのは他と同様です。
丸ノ内線2000系の中間車両客車はそれぞれ定員137名となっており、
座席数は44席が設けられています。
次は池袋方の二両目の5号車2500形です。
編成略記号M4でこの車両も中間電動車の客車車両となります。
こちらも中間車両客車なので3ドアロングシート車となります。
袖仕切り板や貫通扉などで使われているガラスは強化ガラスが使われています。
最後は池袋方の先頭車両の6号車の2000形となります。
1号車と同じく先頭車両車である6号車は
ロングシート車両ですが座席数が36席で定員122名と
中間車両に比べて若干定員が少なくなっています。
他の車両は全て池袋方に車椅子スペースが設けられていますが、
この6号車は池袋方先頭車両で運転台がある為
車椅子スペースは唯一荻窪方へと設置されています。
ご覧の通り丸ノ内線2000系は非常にスタイリッシュなデザインの電車であり、
モチーフとした駅メモのでんこの外観も非常にスタイリッシュな印象となっています。
都内に来れば比較的容易に乗る事が可能な車両ですので
是非一度乗って確かめてみてはいかがでしょうか。
【写真撮影:2020年10月】