2020年11月

宗谷本線a37

さて、宗谷本線の続きです。


その1(旭川駅━比布駅)はこちら


宗谷本線a38
こちらは比布駅から北に3.1kmほど北上した
田んぼの中の町道の光景です。
この町道と宗谷本線が交わる比布町11号踏切の脇に次の駅があります。
宗谷本線a40
踏切から東に260mほどには道道520号鷹栖東鷹栖比布線が走っていますが
道道まではご覧の通り見渡す限りの田んぼが広がっています。
宗谷本線a39
切返して西へと向かって見た駅付近。
宗谷本線a47
駅の西側には細い歩行者と自転車のみ通行可の道が伸びています。
宗谷本線a48
南側にも線路に併走して歩行者自転車道が伸びていますが、
この道の標識にも地先車限定の表記がされています。
宗谷本線a41
こちらが北比布駅の待合室の外観です。
駅は1955年(昭和30年)に北比布仮乗降場(局設定)として開設されたもので
1959年(昭和34年)に駅へと昇格しました。
宗谷本線a43
ちなみにこちらは二つ南の南比布駅の待合室ですが、
並べて見ると北比布駅の待合室とうり二つであることが分かります。
北比布駅の待合室も2014年(平成26年)に建て直されたもので
南比布駅と北比布駅の待合室はほぼ同時に改築された様です。
宗谷本線a42
待合室の目の前の踏切東側脇にあるホーム入口。
宗谷本線a44
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅でとなります。
宗谷本線a45
この駅もホーム有効長が1両分で床が木製デッキという
いわゆる朝礼台と呼ばれる形式のホームとなっています。
宗谷本線a46
駅周辺を見渡してみても上川盆地の田んぼが広がるのみの光景となっています。


宗谷本線a49
こちらは北比布駅から北へと2.6km進んだ
次の駅の蘭留駅の駅前の道路の光景です。
宗谷本線a50
駅から東へと130mほどには国道40号線が併走しており
国道の比布町蘭留交差点が駅への入口となっています。
宗谷本線a51
こちらが蘭留駅の駅舎の外観です。
駅は1898年(明治31年)に北海道官設鉄道天塩線が
永山駅から当駅まで延伸開業した際に開設されました。
駅舎は1988年(昭和63年)に改築されたものとなります。
宗谷本線a52
駅前には駅舎前で行き止まりの広場があります。
舗装された広場は車を数台を停めることが可能な広さがあり
倉庫が広場に面して置かれています。
宗谷本線a53
駅と広場の東側すぐにあるバス停。
宗谷本線a54
駅舎の中はご覧の通りで、土間の床にベンチが設置されています。 宗谷本線a55
ホーム側から見た駅舎の入口です。
宗谷本線a56
駅舎のある東側の1番線ホームの様子です。
この駅も2番線が主本線の一線スルー方式となっており、
1番線ホームは上下副本線となり退避列車が停まるホームとなります。
宗谷本線a57
駅は千鳥式ホーム2面2線の構造となっています。
ホームの南端の旭川方に駅舎と構内踏切があります。
宗谷本線a58
こちらは1番線と2番線を連絡する構内踏切。
宗谷本線a59
西側の上下主本線となる2番線ホームです。
無人駅で特急通過駅なので駅舎の無い側が主本線となっています。
宗谷本線a60
ですので半分は通過線の役割である2番線には
ホーム上に待合室などの構造物はありません。
宗谷本線a61
また1番線の南側にはご覧の引き上げ線が設けられています。
1984年(昭和59年)までは駅での荷物取り扱いがあったそうですので
恐らくは貨物ヤードの名残りかと思われます。


宗谷本線a62
国道40号線の塩狩峠は石狩国と天塩国との境界にある事が名前の由来で、
石狩川水系と天塩川水系の分水嶺でもあります。
蘭留駅からは北西へおよそ5kmほどの国道40号線の塩狩峠付近には
東側へと入る分岐路があるのですが、この分岐路の先に
宗谷本線の次の駅が設けられています。
宗谷本線a63
線路につきあたって右にカーブを描いた道路は
左手に駅のホームを望みながら100mほどで駅舎へとたどり着きます。
宗谷本線a64
こちらが塩狩駅の駅舎の外観です。この付近は1899年(明治32年)に
蘭留駅━和寒駅間の延伸開業によって線路が敷かれていますが、
1916年(大正5年)にこの塩仮峠に塩狩信号所が設置されました。
駅へと昇格したのは1924年(大正13年)のこととなります。
現在の駅舎は1939年(昭和14年)に改築された切り妻屋根の駅舎です。
宗谷本線a65
駅舎は道路のつきあたりにあり、駅前付近の道は幅が倍となり
一応の車の展開程度はできるスペースがあります。
宗谷本線a66
道路から左手の改札ラッチを通り抜けて建物左手にまわり込むと
ご覧の二つの出入口があるのが分かります。
右の道路側が待合室、左が駅務室の入口となります。
宗谷本線a67
駅舎の中の待合室の様子です。
コンクリートの土間で木製ベンチがいくつか置かれています。
宗谷本線a68
駅舎の前はすぐにホームがあり、高台となっている駅舎から下る階段があります。
宗谷本線a69
こちらが駅舎の目の前にある1番線ホームです。
千鳥式ホーム2面2線の駅となっており、こちらの1番線が
一線スルー方式の上下主本線となっています。
宗谷本線a70
山中の峠の信号所だった駅だけにホームも土留めをした土のホームです。
宗谷本線a71
ホーム北端の名寄方には構内踏切が。
千鳥式に配置された駅の中央でお互いのホームを連絡していますが、
駅前の道路からは踏切に下る道が作られています。
宗谷本線a72
そしてこちらが2番線ホームです。上下副本線となり
列車交換時や退避列車が使用するホームとなります。
宗谷本線a73
二つの線路の間の間隔が開いていますが、これはかつて中央に待避線があった為で
現在は線路が撤去されているためです。
宗谷本線a74
駅舎の前の道路へと戻り国道方面へ戻ると
ちょうどカーブのところにユースホステルの建物が見えます。
宗谷本線a75
そのホステルの建物の目の前の、道路と線路の間にご覧の碑が建てられています。
これは「長野政雄氏殉職の地」顕彰碑で、当地で駅ができる前の1909年(明治42年)にあった
列車事故で殉職をした国鉄職員を記念したものです。

この事故は旭川在住の小説家・三浦綾子によって1966年(昭和41年)に
「塩狩峠」という小説として発表されてベストセラーとなり
1973年(昭和48年)には映画化され塩狩峠の名は日本中に知られる事となりました。
宗谷本線a76
顕彰碑の目の前の線路脇にある「塩狩峠」の木標です。
宗谷本線a77
そしてホステルや碑から道路の反対側は丘となっており
斜面を上へと登る階段があり、上には建物が建っているのが見えます。
宗谷本線a78
こちらは「塩狩峠記念館」で、「塩狩峠」を執筆した三浦綾子氏の
旭川の旧宅を移築した記念館となります。
宗谷本線a79
そして記念館の前の丘にはおよそ1600本の桜の木の並木の
「塩狩峠一目千本桜」があります。
1978年(昭和53年)から地元の和寒町や旭川鉄道管理局(当時)などで植樹したもので
北海道でも有数の桜の名所となっています。
宗谷本線a80
塩狩駅の名所案内にも千本桜の案内が。


宗谷本線a81
こちらは塩狩峠から7.4kmほど国道40号線を北上した和寒町の中心街付近の光景です。
ご覧の交差点の北側に宗谷本線の次の駅があります。
宗谷本線a82
切り返して見た交差点付近。
この交差点付近では南東から北西方向へと国道40号が走っており、
宗谷本線もすぐ北側を併走しています。
宗谷本線a83
この駅前の交差点に名前はついていませんが、
駅と反対側の南側の道路は交差点を起点とする道道48号和寒幌加内線となっており、
130mほど進むとY字路となって道道99号和寒鷹栖線が分岐しています。
宗谷本線a84
国道40号の交差点から北側の駅方向へ。
40mほどで駅前の広場となります。
宗谷本線a85
駅前広場から見た国道40号線方向の光景。
宗谷本線a86
こちらが和寒駅の駅舎の外観です。
1899年(明治32年)に北海道官設鉄道天塩線が蘭留駅から当駅まで延伸して開設され、
現在の駅舎はJR移管後の1988年(昭和63年)に改築されました。
駅舎の外観は塩狩峠をイメージしているのだそうです。
宗谷本線a87
駅舎前の駅前広場はご覧の通りかなり広めの舗装されたスペースとなっています。
特に広場内に区画などはされていませんが、ご覧の通り車を停めてもかなりの余裕があります。
宗谷本線a88
駅舎の中の様子です。
土間の床の待合室にベンチが設置されています。
待合室の北側には駅務を行う事務室がありますが
1995年(平成7年)に出札業務が廃止され無人となったので
現在は保線員の詰め所として使われています。
宗谷本線a89
ホーム側から見た駅舎出入口付近の様子です。
宗谷本線a90
駅舎のある駅西側の1番線ホームです。
和寒駅は単式1面1線と島式1面2線の計2面3線の駅となります。
1番線は下り線の名寄・稚内方面行きホームとなります。
宗谷本線a91
千鳥式に配置された二つのホームは跨線橋で連絡されています。
宗谷本線a92
ホーム南側の旭川方の光景。
増設されたのか細いホームが延びています。
宗谷本線a93
南側から見た駅構内の様子です。
宗谷本線a94
こちらが駅の跨線橋の中の様子です。
宗谷本線a95
橋から見た駅構内の俯瞰。
宗谷本線a96
島式ホーム側の階段上にはパイプ椅子が置かれており
屋根の無い島式ホームの待合室の役割も果たしている様子です。
宗谷本線a97
こちらが島式の2、3番線ホームです。
駅舎に近い西の内側が2番線で上り線旭川方面の列車が使用します。
一番外の3番線は上下線双方の待避線となっています。
宗谷本線a98
ホームの端は柵が立てられて2番線側のみが舗装された
擬似の切り欠きホームのようになっています。
宗谷本線b01
そして3番線ホームのさらに外側にも2本の留置線があるのが見えます。
これはかつての貨物側線で往年の駅の反映の名残と言えるでしょう。
宗谷本線a99
ホーム南端の跨線橋の裏側。
こちらも2番線側のみが舗装されて柵が立っています。
宗谷本線b02
駅舎を抜けて再び駅の外へ。
宗谷本線b03
北側の駅舎の横にはご覧の青い跨線橋があります。
これは宗谷本線の西側と東側とを連絡する連絡橋で
1973年(昭和48年)に作られました。
宗谷本線b04
そして駅前から北側の駅敷地に隣接して
こちらの和寒町交流施設ひだまりの建物があります。
建物は2002年(平成14年)に建てられたもので
当初は地域の交流施設でしたが2018年(平成30年)に
物産販売所を兼ねた観光案内所が設置され和寒町をPRする場所となりました。


宗谷本線b05
和寒駅から北西に一直線に5kmほど進むとご覧の踏切があります。
宗谷本線b06
およそ500mほど東に国道40号線が宗谷本線と併走して北上しており、
ほぼ障害物の無い一直線の町道からはその交差点を彼方に見ることができます。
宗谷本線b07
こちらが町道の東6線踏切。
この踏切の脇に次の駅が設置されています。
宗谷本線b08
反対の西側から見た踏切付近の光景。
線路の周囲に木々が生えているのは鉄道防風林で風雪から列車を守っています。
宗谷本線b09
こちらが東六線駅の駅の外観です。
1956年(昭和31年)に旭川鉄道管理局設定の東六線仮乗降場として開設された駅で、
3年後の1959年(昭和34年)に正式な駅へと昇格しています。

駅名の東六線とは殖民開拓の区画に由来するもので、
原野を碁盤の目に区画する際に基線と呼ばれる基準の道から
並行する道路を「東~線」「北~線」とし、
直交する道路を「西~号」「南~号」とした事が元となっています。
ですので東六線とは基線から東に六本目の道路となります。
宗谷本線b10
こちらが東六線駅の待合室の建物です。
トタン板の張られた建物に「東六線乗降場」と駅名標が掲げられています。
宗谷本線b11
待合室の中はご覧の通りで土間は打たれておらず地面が剥き出しであり
壁際に木製のベンチが作られています。
宗谷本線b12
ホームへは待合室の前から石が敷かれており
南側のスロープが唯一の入口となります。
宗谷本線b13
こちらがホームの様子です。
単式1面1線の棒線無人駅となっておりいわゆる朝礼台の
有効長1両分の木製ホームが設置されています。
宗谷本線b14
鉄道防風林の外側は一面の田畑が広がっています。
宗谷本線b15
ホーム側から見た待合室。
宗谷本線b16
駅周辺に広がる田んぼや畑の光景です。


宗谷本線b17
こちらは東六線駅から北西に3.6kmほど進んだ
剣淵町の中心市街にある剣淵駅の駅舎の外観です。
駅は1900年(明治33年)に北海道官設鉄道天塩線が
和寒駅から士別駅まで延伸された際に設置されました。
現在の駅舎は1988年(昭和63年)に建替えられたものとなります。
宗谷本線b18
駅舎の前から西へと伸びる道路は道道293号温根別剣淵停車場線で
剣淵駅が終点の停車場線となっており、130mほど先の交差点で北へと曲がっています。
なお停車場線が曲がる交差点の南西側には剣淵町役場があります。
宗谷本線b19
駅前にある駅周辺の地図です。
宗谷本線b20
ご覧の通り駅舎の前には舗装された広場があります。
特に構造物や区画などは無い舗装された駅の敷地となっています。
宗谷本線b21
広場を挟んで駅舎の反対側正面の道道脇にある駅前商店(丸八おざわ商店)。
宗谷本線b22
この丸八おざわ商店は剣淵駅の簡易委託販売所となっており
乗車券の販売を行っていて駅舎の壁にご覧の通りその旨が掲示されています。
宗谷本線b23
丸八おざわ商店の道道の向かい側にある駅前旅館。
宗谷本線b24
駅前広場から道道の停車場線と直交して北へと向かう町道。
250mほどで道道984号温根別ビバカルウシ線に合流しています。
宗谷本線b25
駅舎の中の様子です。入口を入るとコンクリートの土間の待合室があり
片隅にプラスチックのベンチが置かれています。
宗谷本線b26
そして外の入口の左側を見るともう一対入口の扉があり
「剣淵町観光物産館」と「バスターミナル」と書かれています。
中は町のバスターミナルと物産の展示された棚があり、
駅待合室とはガラス戸で仕切られて別の部屋となっています。
宗谷本線b27
ホーム側から見た駅舎の様子です。
宗谷本線b28
現在は無人化された駅の為、ホームと外との間に柵などはなく
自由に出入りができる状態となっています。
宗谷本線b29
ホームの様子です。
駅は相対式ホーム2面2線となっていて駅舎のある西側が1番線となります。
宗谷本線b30
こちらは一線スルーの上下主本線となっており
基本的には列車はこちらに停まります。
宗谷本線b31
ホームの床は舗装はされておらず砂利敷きとなっています。
宗谷本線b32
こちらがホーム同士を連絡する跨線橋です。
ガーター橋の桁がこの駅でも跨線橋に転用されているのが分かります。
宗谷本線b33
上から見た駅構内の俯瞰。
宗谷本線b34
こちらが2番線ホームとなります。
上下副本線となり列車交換時や特急の退避などで使用されるホームです。
宗谷本線b35
かつては2面3線の国鉄形の駅だった為、
2番線ホームのさらに東側にも線路が敷かれ島式のホームでしたが
現在では線路が撤去されて単式ホームとなっています。


宗谷本線b36
剣淵駅から宗谷本線を直線で5km北上すると次の駅となります。
こちらは剣淵町北部の12線道路の宗谷本線踏切付近の光景です。
線路の脇には鉄道防風林の木々が見えます。
宗谷本線b37
宗谷本線の12線踏切。
この踏切の南側の脇に次の駅が設置されています。
宗谷本線b38
反対の西側から見た踏切付近。
宗谷本線b39
踏切から南側を見ると駅のホームが見えます。
宗谷本線b40
道路脇のこちらが北剣淵駅の待合室の外観です。
1959年(昭和34年)に鉄道管理局設定の北剣淵仮乗降場として新設された駅で
正式な駅へと昇格したのはJR北海道に移管した1987年(昭和62年)となります。
宗谷本線b41
待合室の中の様子です。
駅名標も特には掲げられておらず全て木造の建物は物置にしか見えませんが、
中はご覧の通り板張りの床にベンチが設けられています。
宗谷本線b42
待合室の前からけもの道のような通り道を南に進むと
すぐに線路脇へと出てホームの入口が見えます。
宗谷本線b43
ホーム北端の入口です。
スロープでは無く木製の階段となっています。
他の同様の駅はホーム土台は鉄骨などで作られているのですが
この駅のホームは土台まで木造となっていました。
宗谷本線b44
北剣淵駅のホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅で列車有効長1両分の朝礼台ホームとなります。
宗谷本線b45
鉄道防風林と地平線までの畑が広がっているのみで
農家を数軒見る以外には駅周辺には何もありません。
駅から西の道道536号剣淵原野士別線までは1.4km、
東の国道40号までは1.5kmの距離があり、
国道に接続する道央自動車道の士別剣淵ICが周囲の唯一といって良い施設となります。
宗谷本線b46
ホームから12線道路への光景。


宗谷本線b47
北剣淵駅を出た宗谷本線は引き続き一直線に北へと向かいます。
こちらは3.7kmほど北の士別市街にある道道297号士別停車場線の光景です。
駅から350mほどで国道40号線へと連絡をする停車場線となります。
この停車場線の西端に駅があり道道の起点となっています。
宗谷本線b48
こちらが宗谷本線の士別駅の駅舎の外観となります。
1900年(明治33年)に北海道官設鉄道天塩線が和寒駅から当駅まで延伸され設置されました。
駅舎は三代目となり1966年(昭和41年)にRC造りに改築されたものです。
宗谷本線b49
建物の前にある士別の観光案内地図。
宗谷本線b50
駅舎の前はかなり広めの駅前ロータリーとなっており
広場に四方の市道や道道が接続する形状となっていました。
宗谷本線b51
駅前広場の東側の、停車場線への入口の角にある士別軌道の士別駅前バス停。
士別軌道はかつてこの地を走っていた軽便鉄道で1959年(昭和34年)に軌道事業は廃止。
現在はバス事業のみとなっておりこちらはそのバス停です。
宗谷本線b52
広場の南側を見ると駅前交番が置かれており、
その奥の南側はJAがあって煉瓦造りの農業倉庫がいくつか見えます。
宗谷本線b53
交番前から見た道道297号士別停車場線。
宗谷本線b54
反対の広場北側には駅前の蕎麦屋さんがあります。
宗谷本線b55
蕎麦屋の向かいの広場北側に面した線路沿いの敷地は
ご覧の通り駅利用者の駐輪場となっています。
宗谷本線b56
その北側は士別市の駅駐車場に。
宗谷本線b57
駅舎の入口へ戻ります。
宗谷本線b68
入口脇にある黒板の伝言板。
都市部では今はほとんど見られません。

宗谷本線b58
外から駅舎へと入ると雪国なのでまず風除室があります。
宗谷本線b59
左へ風除室を抜けると改札前のコンコースへ。
有人駅なので券売窓口があり駅員が常駐しています。
宗谷本線b60
改札前から北側の半室はガラスで仕切られた待合室となっており、
狭いながらもベンチが置かれ、駅そば店と売店が営業をしています。
売店は2002年(平成14年)までキオスクだったそうで、撤退後に今の店となっています。
待合室は入口の風除室からも直接入る事が可能です。
宗谷本線b61
ホーム側から見た駅舎の改札口付近です。
宗谷本線b62
駅のホームの様子です。
士別駅は全ての特急が停車するので高速通過の為の一線スルーとはなっておらず、
駅舎のある東側の1番線は旭川方面行き列車の上り線ホームとなっています。
宗谷本線b67
1番線ホーム南側にある大きな額。
「サフォームランドしべつ」と書かれ羊の群れが描かれています。
サフォーク種とは羊の品種で、顔が黒く主に羊肉をとる食肉種の羊です。
絵をよく見ると全てが羊毛で描かれており、士別が羊の街であることをアピールしています。
宗谷本線b63
駅舎のある1番線はホームの大部分に屋根があり風雪がしのげます。
宗谷本線b64
跨線橋の裏側となるホーム北端付近。
宗谷本線b65
「YOUKOSOサフォークの街士別へ」
看板の横は待合室の窓です。
宗谷本線b66
駅の北寄りにある跨線橋。
宗谷本線b69
橋から見た駅構内の俯瞰です。
宗谷本線b70
島式ホーム側への階段。
宗谷本線b71
こちらが島式ホームの2、3番線となります。
2番線は下り名寄・稚内方面行きの下り線ホームとなり
特急も停まるのでホームが伸ばされています。
宗谷本線b72
有効長を伸ばす為に増設されたホーム南側の様子です。
宗谷本線b73
ホーム北側の跨線橋寄りには屋根があります。
「羊のまち 士別へようこそ」の観光看板も。
宗谷本線b74
一番西側の3番線ホームは臨時列車と下り列車1本のみ使用という
事実上使われていない状態となっています。
冬季は雪の為3番線は閉鎖されるそうですが、
ご覧の通り夏でもホームにロープが張られていました。



宗谷本線は旭川駅から士別駅までで53.9kmとなっていますが、
全長359.4kmなので路線はまだまだ北へと続きます。
士別駅以北のつづきについてはその3にて。

では。

宗谷本線00

つづいては北海道の宗谷本線についてです。

日本で一番北に位置するJR宗谷本線は、
1898年(明治31年)に北海道官設鉄道の天塩線として
旭川駅━永山駅間が開業した事がルーツとなります。

1903年(明治36年)に名寄駅まで延伸した天塩線は1905年(明治38年)に国有化。
その後1912年(大正元年)に宗谷線へと路線名が改称されています。
宗谷本線97
音威子府駅まで延伸された宗谷線は、その後現在の宗谷本線とは違う
浜頓別経由の東側のルートで延伸
され、
1922年(大正11年)に稚内駅まで開通して宗谷本線となります。

一方で幌延経由の現在のルートは天塩線として延伸され
1926年(大正15年)に音威子府駅━稚内駅間が全通。
天塩線のルートが稚内までのメインルートとなり、
1930年(昭和5年)には天塩線ルートが宗谷本線となって
浜頓別ルートは北見線として分離されました。


宗谷本線01
こちらはJR北海道の旭川駅の北口の外観です。
1898年(明治31年)7月に北海道官設鉄道上川線の駅として開設され、
翌月の8月には天塩線(現在の宗谷本線)がこの駅を起点として開業しています。

駅舎は2010年(平成22年)に作られた四代目駅舎であり、
旭川鉄道高架事業の一環として高架駅となっています。
旭川の市街地は駅の北側に広がっており、
こちら側がいわばメインの出入口と言えるでしょう。
宗谷本線02
北口駅前の広場に面してご覧の市道が東西に作られており
駅へとアクセスをする車両の連絡道となっています。
宗谷本線03
駅前の広場の東半分はロータリーとなっており、
バス乗降場やタクシープールがそれぞれ専用で設けられています。
宗谷本線04
そして広場の西半分は「旭川駅北広場」という広大なタイル敷きの広場となっています。
ベンチの置かれた駅前公園の西側にはイオンモールが面しています。
宗谷本線18
イオンモール旭川駅前店。
駅周辺整備事業の一環として2015年(平成27年)に開業しており、
建物はJR北海道が主体となって建設されたものです。
その為上階にはJRイン旭川が入っています。
宗谷本線07
こちらは旭川駅の駅舎1階の見取り図です。
タワーマンションの様に建物の外周を通路が囲んでおり、
その中央部に部屋や施設がある構造となっています。
宗谷本線05
北口の西側入口から入った西側コンコースの光景です。
イオンモールとは隣接している為、西側コンコースから直接出入りが可能です。
宗谷本線06
旭川駅の西改札。
駅には東西それぞれに南北自由通路が設けられており、
改札も西と東にそれぞれ作られています。
宗谷本線15
西改札の改札内の様子です。
改札機の内側は広めのスペースとなっており、
正面に駅舎2階へと上がる階段があります。

宗谷本線08
駅舎建物の北側と南側には東西を連絡する通路があります。
こちらは北側の連絡通路の様子です。
外側はガラス張りで北口広場の様子が望め、
内側にはテナントやみどりの窓口などがあります。
宗谷本線09
駅舎の東側の南北自由通路の様子です。
宗谷本線10
東改札口の様子。
旭川駅の改札は東西それぞれの自由通路に面する2つとなります。
宗谷本線11
駅舎南側の東西連絡通路。
宗谷本線12
旭川駅の南口側から見た駅舎外観です。
道道98号旭川多度志線が駅の東側を走っており、
南口駅前の小さなロータリーが道道98号線に連絡しています。
宗谷本線14
駅の南側には忠別川が流れていて河川敷が目の前であり、
2014年(平成26年)完成の「北彩都あさひかわ整備事業」によって整備された
あさひかわ北彩都ガーデンが広がっています。
宗谷本線13
ですので市街地の駅北側の光景とはうってかわって
南側はご覧の通り自然公園の様相となっています。

宗谷本線16
東改札口へと戻り、こちらは改札内の様子です。
宗谷本線17
東西の改札からはそれぞれ正面に階段があり、
どちらも上ると同じ駅舎2階のコンコースへと通じています。
宗谷本線19
こちらが旭川駅の改札内2階コンコースとなります。
島式ホーム3面6線と単式ホーム1面1線の計4面7線の駅であり、
各ホームへと連絡をする為に2階中央部にこちらのコンコースが設けられています。
宗谷本線20
2階コンコース部の見取り図です。
宗谷本線21
一番南側に位置する島式の1、2番線ホームです。
構造上1~3番線までしか入線できない主に富良野線が使用していますが
他の路線の列車も発着しています。

宗谷本線24
次のこちらは3、4番線ホームです。
主に旭川駅に停車す特急列車が使用しているホームです。
その為ホーム上には売店や自動販売機のブースが他のホームよりも充実しています。
宗谷本線25
特急の停まる3、4番線ホームと5、6番線ホームには
ご覧の特急乗車口案内装置が設置されています。

宗谷本線22
続いて島式の5、6番線ホームです。
函館本線や宗谷本線などの普通列車も停車していますが
特急列車もこちらのホームから発着をしています。
宗谷本線27
5番線に停車する特急宗谷。
奥の隣の3番線には特急カムイが停まっているのが見えます。

宗谷本線23
そして一番北側に位置するこちらが単式の7番線ホームです。
こちらのホームは普通列車のみが使用しています。

宗谷本線26
こちらは旭川駅にある0キロポストです。
4路線が乗り入れている旭川駅ですが、
函館本線は函館駅、石北本線は新旭川駅、富良野線は富良野駅に0キロポストがありますので
旭川駅に存在する0キロポストは宗谷本線のもののみということになります。

事前の情報では旭川駅5番線ホームに0キロがあるという話が多かったのですが、
実際に現地で私が見たのはご覧の2番線と3番線のもののみでした。


宗谷本線28
こちらは国道39号線の4条通18丁目交差点付近の光景です。
旭川駅の北方を起点とする国道が1.2km東に進んだこちらの交差点で
直角に北へと進路を変えて網走方面へと向かっています。
宗谷本線29
その交差点から西に120mほどの場所を
ご覧の宗谷本線の高架線が横切っていますが、
この高架線の国道沿い南側に次の駅が設置されています。
宗谷本線30
国道から見えるこちらが旭川四条駅の高架ホームです。
駅は国鉄時代の1957年(昭和32年)に旭川四条仮乗降場(局設定)として設置開業。
当時駅の東には旭川電気軌道という路面電車の旭川四条駅があり、
旭川市長の請願によって仮乗降場が作られたのだそうです。
(※旭川電気軌道は1972年(昭和47年)末で廃止)
宗谷本線31
高架下の歩道には駅があることを示す案内の看板が。
宗谷本線33
反対側から見た高架下付近です。
宗谷本線32
この高架の西側にはご覧の鉄道関係のショップがあります。
そのショップと高架の間の道を南へと入るとすぐに駅の入り口があります。
宗谷本線34
こちらが旭川四条駅の入口付近の光景です。
高架駅の高架下にはご覧の待合室が設けられており
駅名標が表示されています。
宗谷本線35
待合室の中の様子です。
中はベンチが置かれ空調が設けられています。
宗谷本線36
待合室から高架下の出口を出ると
目の前に階段があり2つのホームへと連絡しています。
階段脇にはかつての駅務の窓口もありますが
1999年(平成11年)頃に無人化されている為シャッターが降りています。
宗谷本線37
階段は踊り場がコンコース状となっており
相対式のホームへの階段にそれぞれつながっています。
宗谷本線38
1番線への階段。
宗谷本線39
こちらが1番線ホームの光景です。
駅は相対式ホーム2面2線となっており、
1番線は旭川方面行きの上り線ホームとなります。
宗谷本線40
開業時には地上駅だった旭川四条駅は1973年(昭和48年)の
旭川駅━新旭川駅間の高架化事業によって高架駅となり、
それまで仮乗降場だったものが正式に駅へと昇格をしています。
宗谷本線41
階段踊り場へと戻ってこちらは2番線へと上る階段です。
宗谷本線42
2番線ホームの様子です。
こちらは名寄・稚内方面行きの下り線ホームとなります。
宗谷本線43
ホームへの入口はどちらのホームも北端の階段のみとなっています。
上屋の屋根が階段前にありますが、基本的にはホームのみと駅となっています。
宗谷本線44
階段を下って高架脇の通りへ。
待合室の向かいには食堂があります。
宗谷本線45
高架脇の道から国道へ出たところの歩道には
駅周辺の案内地図が立てられていました。
宗谷本線46
駅から東方向の国道39号線の光景。


宗谷本線47
こちらの道路は道道329号新旭川停車場線で、
新旭川駅から石狩川を渡って国道40号までの2kmほどを東西に繋ぐ道道です。
宗谷本線48
停車場線の東端にあるこちらが新旭川駅の駅舎となります。
駅は1922年(大正11年)に石北線が愛別駅まで敷設された際に
宗谷本線上に起点駅として新設されました。
駅舎は開業当時からのものと言われており、
建物の北側が撤去されるなど何度か改修は行われている様子です。
宗谷本線49
駅舎前の駅前広場。
中央に植え込みがある円形のロータリー状とはなっていますが
さほど広くはなくこじんまりとした広場となっています。
宗谷本線50
駅前広場に接して南北に走る市道。
道道の停車場線とは直角に交わっています。
宗谷本線51
切り返して市道を北側から駅方向を望んだ光景。
宗谷本線52
駅舎へと戻って中へと入ります。
宗谷本線53
こちらが駅舎の中の様子です。
コンクリートの土間にベンチの置かれた待合室となっています。
かつてはホーム側に改札のラッチがあったのだそうですが、
恐らくは待合室の改修で撤去された様です。
宗谷本線54
ホーム側から見た改札口付近。
宗谷本線55
こちらが駅舎のある4番線ホームです。
宗谷本線の下り名寄方面と石北本線の下り北見方面行きホームとなります。
宗谷本線56
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の計2面3線のいわゆる国鉄形と呼ばれる形式で、
通常は駅舎のあるホームが1番線となるのですが
新旭川駅ではなぜか駅舎から一番遠い側線が1番線となっています。
宗谷本線57
跨線橋の階段裏側の4番線ホーム北端付近。
宗谷本線58
こちらが島式ホームと連絡している駅の跨線橋です。
宗谷本線59
跨線橋上から俯瞰で見た駅構内の様子。
宗谷本線60
こちらが島式の2、3番線ホームです。
宗谷本線と石北本線ともに旭川方面行きの上り線ホームとなります。
宗谷本線61
ホーム東側の2番線の外側に側線がありますが、
このホームの無い側線が1番線でホームの番線が2番線、3番線となります。
宗谷本線62
ご覧の通り島式ホームはかなり広めに作られています。
この駅は宗谷本線と石北本線が分岐する「日本最北の分岐駅」なのだそうです。
宗谷本線63
島式ホームの出入口は南端の跨線橋の階段のみで、
階段前には3番線側からのみ見られる時刻表が立てられています。
宗谷本線64
そして2番線の跨線橋裏をのぞいて見ると
架線柱に石北本線の0キロポストが取り付けられているのが見えます。
宗谷本線65
跨線橋を渡って駅舎側へと戻ると
たしかに単式ホームが4番線であることが分かります。


宗谷本線66
こちらは道道331号永山停車場線の光景です。
駅から東の国道39号線までの250mほどを連絡している道路で、
「永山駅前通」という名前がついていますが道道に指定されいる停車場線です。
宗谷本線67
この停車場線の西端が起点となっている駅前ロータリーとなります。
中央部が駅の駐車場となっており、広めに作られた歩道が車寄せの役割を果たしています。
宗谷本線83
ロータリーから停車場線への入口の分離帯にあるモニュメント。
「開拓の塔」と題されており2009年(平成21年)に駅前整備の際に建てられたものの様です。

ちなみに「永山」という地名はこの地を屯田し開拓した
帝国陸軍第7師団(北鎮部隊)の司令官の永山武四郎将軍の名前が由来です。
宗谷本線68
そしてロータリーに面しているこちらが永山駅の駅舎の外観です。
駅は1898年(明治31年)8月に北海道官設鉄道天塩線が開業した際に
最初の終着駅として設置されたものです。

駅舎は建物自体はどうやら開業以来のものの様ですが、
何度か改修が行われている様で外壁にはサイディングが張られて今風となっています。
宗谷本線69
ロータリーの北側には歩道に仕切られた先には
もう一つ別の転回用のロータリーがあります。
駅の北西の一帯は農業倉庫やかつての駅の貨物ヤードがあった場所なので
元は取付道路に入った車両の転回用なのでしょうか。
宗谷本線70
駅舎の中に入るとご覧の通りで 改札前には有人の窓口があり駅員が配置されています。
待合のベンチも数があり、中はご覧の通り広めに作られています。
宗谷本線71
改札はご覧の通り通常字にはチェーンが掛けられており
列車到着時に改札を行う列車別改札となっています。
宗谷本線82
ホーム側の改札脇には木製の駅名標が。
宗谷本線72
こちらは駅舎側の1番線ホームです。相対式ホーム2面2線の駅となっており、
1番線は基本的に旭川方面の上り列車が停車するホームとなります。
宗谷本線73
南側は跨線橋がその存在感を示しており、
橋の下にはシャッターの倉庫も設けられていました。
宗谷本線74
ホーム北側は駅舎の先ですぐ終端となっています。
こちら側も壁はサイディングで綺麗になっていますが、
軒の柱は昔ながらの木造のままで元が古い木造駅舎であることが分かります。
宗谷本線78
ホーム北端の名寄方にある「電子閉そく終了」の標識。
宗谷本線ではこの永山駅より南が都市部で使われる自動閉塞式(PRC付帯)なのに対して
ここから北側は特殊自動閉塞の電子符号照査式(電子閉塞)となります。
こちらは旭川方面に向かう線路なので、この先は列車運行管理システムの管理下となります。
宗谷本線75
跨線橋の中の様子です。
通路の中央部に白線が引かれています。
宗谷本線76
橋から見た駅構内の様子。
宗谷本線では車両基地の旭川運転所がある為に
新旭川駅までは電化されていて架線がありますが、
この永山駅から北は非電化区間で架線はありません。
宗谷本線77
2番線ホームの様子です。
基本的に下りの名寄・稚内方面行き列車のホームとなります。
ホーム上には跨線橋以外の建物は置かれていません。
宗谷本線79
かつては建物があった場所も現在は撤去されて基礎の跡が残るのみなので
ホームはご覧の通り幅が広めとなっています。
出入口はホーム南端の跨線橋の階段のみとなります。
宗谷本線80
跨線橋の階段脇にある「電子閉そく開始」の標識。
ここから北は特殊自動閉塞の電子閉塞区間となります。

電子閉塞区間ではRPCアンテナを使用して信号分岐器を制御するので
下り列車は車載器の調整が必要となります。
その為この永山駅には終日運転主任が常駐しており、
通過の特急や回送列車なども含む全ての下り列車は必ず2番線に停車します。
宗谷本線81
2番線のホーム南端付近の光景。
跨線橋の柱の裏側付近となります。


宗谷本線84
こちらは国道39号線の永山町15丁目交差点から西へと入った
田んぼの中の道路の光景です。
この付近では宗谷本線と国道39号は併走しており、
交差点からおよそ300mほどで踏切がありその脇に駅が設置されています。
宗谷本線85
踏切の南側にあるこちらが北永山駅の駅の全景となります。
駅は1947年(昭和22年)に北永山仮乗降場(局設定)として開業したもので
正式な駅へと昇格をしたのは国鉄時代の1959年(昭和34年)のことでした。

元々は600mほど北に駅はありましたが、
近隣の旭川農業高校の移転に伴って1990年(平成2年)に
現在の場所にホームが移設されています。
宗谷本線86
駅の目の前にある永山町14丁目踏切と
踏切から見た駅の光景です。
ご覧の通り駅舎は無くホーム上に待合室の置かれた無人駅となります。
宗谷本線87
反対の西側から見た駅方向の光景です。
周囲は見渡す限りの田んぼがひろがっており構造物がみあたりません。
宗谷本線88
こちらが駅の入口です。
踏切脇の歩道からホームへと上がる階段へと連絡をしています。
宗谷本線89
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
宗谷本線90
駅が移設されたのが1990年(平成2年)と比較的新しい為
ホーム床はPC板が用いられ土台と手すりは鉄骨、待合室はプレハブ作りとなっています。
宗谷本線91
待合室の中の様子です。
板張りの床に木製ベンチが置かれた簡素なものとなっています。
宗谷本線92
ホーム南端の旭川方の様子です。
出入口はこちらにしか設けられていません。


宗谷本線93
こちらは国道40号線の光景で、
国道が宗谷本線を跨ぐ比布跨線橋の南側に位置する場所となります。
宗谷本線94
跨線橋の両側には側道が伸びており、
その側道の入口付近には道北バスの基線3号停留場とバスの待合室があります。
宗谷本線95
バス停を過ぎて東側の側道を進むと180mほどで駅が見えてきます。
宗谷本線98
こちらが南比布駅の駅の全景となります。
旭川市内を走ってきた宗谷本線はこの駅から比布町内へと入ります。
駅は国鉄時代の1955年(昭和30年)に南比布仮乗降場(局設定)として設置されたもので
正式な駅へと昇格したのは4年後の1959年(昭和34年)でした。
宗谷本線96
駅前は比布跨線橋の側道となっており、
宗谷本線と共に側道も跨線橋の下をくぐっています。
宗谷本線99
こちらが南比布駅の待合室です。
2014年(平成16年)10月まで先代の木造待合室がありましたが
築50年以上で老朽化していた為解体され、同じ場所に二ヵ月後の12月に
現在の待合室が建て直されました。
宗谷本線a01
待合室の中の様子です。全て木製のこじんまりとした建物ですが、
きちんと基礎が組まれ間柱が立てられており
恒久的な建築物として作られているのが分かります。
宗谷本線a02
待合室の目の前のホーム南端にご覧のスロープが設けられています。
ホームへの出入口はこのスロープのみとなります。
宗谷本線a03
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となります。
宗谷本線a04
有効長が1両分の木製デッキのホームで
俗に言う朝礼台と呼ばれる形式のホームとなります。
宗谷本線a05
ホームから見た駅周辺はご覧の通り一面の田んぼが広がっており、
ところどころに家が散在する散村となっています。
宗谷本線a06
駅前から跨線橋をくぐった反対側の光景です。
宗谷本線a07
右手に分岐する細い道には「地先車両限定」と書かれた標識があります。
「地先」とは所有地や私有地のことなので「付近の住民以外は通れない」という意味となります。
宗谷本線a08
左手の道の先には駅側よりやや多めの家が見られます。
跨線橋脇の広場にはご覧の看板が。
宗谷本線a09
橋から駅方向の光景です。


宗谷本線a10
こちらは南比布駅から直線で北に2.4kmの位置にある比布駅の駅舎の外観です。
北海道官設鉄道天塩線が1898年(明治31年)に延伸した際に設置された駅で
比布町の中心地にある町の代表駅となります。
現在の駅舎は2016年(平成28年)に改築された三代目で
比布町で新たな観光施設として新築したものです。
宗谷本線a11
駅舎前には道路に接したご覧の広めの舗装された広場があります。
かなりの広さの広場は車止めなどで車両が入れない仕様となっており
歩行者や自転車でないと入れません。
宗谷本線a12
駅舎の入口の北側の壁の前にはスロープが設けられており、
その脇の壁際には国鉄時代の駅名標のレプリカが置かれています。
宗谷本線a13
そして反対側の入口南側にはご覧の顔出し看板が置かれています。
これは1980年(昭和55年)に撮影された藤本のピップエレキバンのCMに因んだ看板です。

【上動画はクリックで再生します。】
このピップエレキバンのCMが放映されたことで比布駅は全国的に名が知れ渡り
訪問する観光客で駅や町が賑わったというものです。
宗谷本線a14
広場の東側の道路沿いには観光案内の大看板がありますが、
その脇に置かれた物置には「小比布駅」と書かれていました。
宗谷本線a15
広場北側の道路沿いに建てられている自転車置き場。
宗谷本線a16
駅前広場の南側はご覧の通り駅駐車場となっています。

宗谷本線a17
広場に接して駅の前を南北に走る町道です。
いちごのキャラが看板に描かれているのは比布町がいちごの名産地だからです。
宗谷本線a18
切り替えして北側から見た駅前の町道。
宗谷本線a19
そして駅舎の正面から東に向かって伸びるこちらの道路が
比布駅を起点とする道道390号比布停車場線となります。
「駅前通り」の名がついており、比布町役場や比布神社など
比布町の中心市街地を抜けて1.2km先で国道40号線に連絡をしています。
宗谷本線a20
停車場線を切り返して駅舎へと戻ります。
宗谷本線a21
駅舎の入口を入るとまず風除室があります。
宗谷本線a22
風除室の壁にはピップエレキバンのCMに関する写真やサインが。
宗谷本線a23
こちらが待合室の様子です。町が観光拠点として整備しただけに
中はご覧の通り木材の腰壁が貼られるなど非常に綺麗なつくりとなっています。
宗谷本線a24
駅舎入口とホーム側出入口との間の北側にある
こちらが交流スペースを兼ねたカフェスペースの「ピピカフェ比布駅」です。
宗谷本線a25
ホーム側の出入口もご覧の通り風除室が作られています。
国鉄時代の1984年(昭和59年)に無人駅となっている為
駅務のスペースや改札ラッチは作られていません。
宗谷本線a26
構内側から見た駅舎の改札口付近です。
入口の脇に立派な木製の駅名標が掛けられています。
宗谷本線a27
駅舎のある1番線ホームの様子です。
相対式ホーム2面2線で一線スルー方式の駅となっており、
こちらの1番線は上下線の副本線となっています。
宗谷本線a28
これは比布駅が宗谷本線の特急通過駅となっている為で、
主本線に長い編成の特急が停まる必要が無い為、
高速で通過する特急を駅舎と反対側の簡素な主本線を通らせる為です。
宗谷本線a29
ですので特急から退避をする普通列車は上下線ともに
駅舎のある1番線に停車する為、乗客の乗り降りに便宜が図られているという訳です。
宗谷本線a30
1番線ホームにある名所案内の看板。
宗谷本線a31
駅の南側にある跨線橋の中の様子です。
相対式の2つのホームを連絡しています。
宗谷本線a32
上から見た駅構内の俯瞰。
宗谷本線a33
2番線ホームの様子です。
こちらが一線スルーの上下主本線となっていますが特急が停車することは無い為、
主にに列車交換時に普通列車が停車する際に使用されています。
宗谷本線a34
ですので主本線のホームながら、舗装された1番線に対して
こちらの2番線ホームは砂利と土のホームとなっています。
宗谷本線a35
2番線ホームの南端の旭川方。
宗谷本線a36
ちなみにこの駅の跨線橋は1955年(昭和30年)に作られたものですが、
よく見るとプレートガーター橋の橋桁を転用してあるのが分かります。



宗谷本線は全長259.4kmの52駅という非常に長大な路線となります。
比布駅から先の駅についてはその2へと続きたいと思います。

では。

【写真撮影:2020年8月】

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