でんこの元ネタ
■No.66 蛍茶屋みなも(Hotarujaya Minamo)
 ■タイプ:アタッカー
 ■誕生日:8月2日

■出身駅: 長崎電気軌道 蛍茶屋支線 蛍茶屋停留場(長崎)
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こちらは国道34号線の新長崎街道の光景です。
JR長崎駅から東へおよそ2kmほどの距離に位置する場所です。
国道の中央部には併用軌道(道路上に敷設された線路)が見えます。
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走っている路面電車は長崎電気軌道の蛍茶屋支線であり、
この付近に支線の終端が設けられています。
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終点の電停へと入線する路面電車の前面展望です。
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こちらが蛍茶屋停留場の外観となります。
島式ホーム1面2線となっており、北側が1号線、南側が2号線となっています。
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電停自体は上屋として屋根があるのみで、
長椅子のベンチが置かれた簡素な作りとなっています。
島式ホームは長崎電気軌道ではこの電停のみだそうです。
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ホームには行灯式と呼ばれる電車の行き先表示機が設置されています。
こちらは入口の東端の表示機。
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そしてこちらはホーム西端に置かれた行き先表示機です。
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西端の先の長崎駅方面には列車を入れ替える
シーサスクロッシングがあるのが見えます。

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電停の北側の国道沿いの目の前にはご覧のビルがあります。
こちらはNEビルという、長崎電気軌道の自社ビルです。
ビル名の「NE」はおそらく長崎(Nagasaki)電気軌道(Electric Railway)の
頭文字だと思われます。
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ビルの1階にはご覧のファミリーマート蛍茶屋店が入居しています。
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そしてコンビニの横にはご覧の長崎電気軌道の蛍茶屋営業所の入口があります。
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コンビニの真上の2階が営業所となっているのですが、
1階の入口の真上あたりがガラス張りとなっているのは
ここに蛍茶屋の配車室があるからです。
この電停を見渡せる場所からマイクで配車指令が
運転士に次の乗務の指示を飛ばしています。

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終点である蛍茶屋電停の、その先である東側の蛍茶屋交差点を見ると
国道である長崎街道の中央部を走っていた軌道が
S字を描いて国道から外れているのが見えます。
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切り替えして見た蛍茶屋交差点付近の光景。
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国道から外れて専用軌道となった線路は
すぐにご覧の建物への入っていきます。
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中を見ると、建物の1階部分の奥まで線路が伸びているのが分かります。
こちらは長崎電気軌道の蛍茶屋車庫で、
「NEビル2」というビル名が見える通り長崎電気軌道の自社建物となります。
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車庫の脇には駐車場の入口があり、
長崎電気軌道が経営する有料駐車場となっています。
また看板から分かる通り、車庫の建物には
レンタルビデオ店とファミレスがテナントとして入居しています。

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蛍茶屋車庫の北隣には、新長崎街道から分岐した細い道があります。
こちらの道こそが長崎街道の旧道となります。

旧道の入口付近には「遠山左衛門尉景晋」と書かれた案内板があります。
なんでもこの場所は長崎奉行だった遠山左衛門尉景晋の住居だった場所だそうで、
遠山左衛門尉景晋は時代劇でおなじみの「遠山の金さん」の父にあたる人物だそうです。
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車庫の裏手の旧街道を進むと橋が見えてきます。
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川は中島川といい、橋は「一の瀬橋」という橋で
かつては長崎街道の長崎の入口とされた橋だそうです。
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橋を切り返して反対側から見ると、
川のほとりの橋の目の前に蛍茶屋車庫があるのが分かります。
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車庫の裏門の脇には、一の瀬橋を中心とした一帯を
「一の瀬口」として長崎市指定の史跡となっている表示板がありました。
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そして橋の南側の旧街道沿いにあるのが
こちらの「蛍茶屋」の石碑です。
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石碑の横には史跡の説明板があります。

そもそも「一の瀬」という言葉は「川の一番渡りやすい場所」という意味であり、
長崎街道が中島川を渡るこの地が一番渡河しやすい場所だったことが分かります。

一の瀬橋が架けられたのが承応2年(1653年)だそうですが、
案内板によると1800年代にこの一の瀬橋のたもとに茶屋が設けられました。
茶屋というと時代劇のだんご屋を思い浮かべますが、
こちらにあったのは酒を酌み交わす料亭だった様です。

中島川のほとりのこの一帯は樹木が茂った土地で、
夏には川を蛍が飛び交う風流な景色だったことから
茶屋には「蛍茶屋」の名前がつき、これが現在に至る由来となっています

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新長崎街道から見下ろした、蛍茶屋車庫と一の瀬橋一帯の俯瞰です。


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こちらは長崎の鳴滝にある「シーボルト宅跡」です。
国の重要文化財に指定されている史跡となります。
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案内に従い門の中に入るとシーボルトの胸像があります。

江戸時代後期に長崎に、出島のオランダ商館付きの医師として来日した
ドイツ人医師シーボルトは長崎郊外の鳴滝に塾を開き蘭学を教えました。
これが「鳴滝塾」であり、歴史の教科書に必ず載っている史実です。
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そして胸像から先を見るとご覧の洋館が建っています。
これは長崎市が1989年(平成元年)に鳴滝塾跡地の隣に開設した
シーボルト記念館の建物となります。
参考
文化庁 文化遺産オンライン「シーボルト宅跡」
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/163991

日本人なら誰もが知っている鳴滝は蛍茶屋電停の北の一帯を指す地名であり、
電停からシーボルト記念館まではおよそ700mほどの距離となっています。
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こちらは蛍茶屋電停の隣の新中川町電停の目の前にある
シーボルト記念館への案内標識です。
現在記念館の最寄りは公式には新中川町電停となっていますが
実際には蛍茶屋電停からもほぼ等距離の中間地点に記念館は位置しています。



■モデル車両: 長崎電気軌道 370形
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こちらは長崎電気軌道370形と呼ばれる車両となります。

それまで長崎電気軌道で走っていた木造車の老朽化が進んだことから
1961年(昭和36年)から全金属製の2軸ボギー車への車両置き換えが始まりました。
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また長崎電気軌道としては初となる全車体が鋼製となり、
パンタグラフもZパンタが採用されるなどデザイン的にも長崎電気軌道オリジナルとなっています。

このうち1961年(昭和36年)に新製導入された7両は昭和36年から360形とされ、
翌年の1962年(昭和37年)に計画通りに続けて導入された7両が370形とされました。
現在360形は361~367の7両、370形は371~377の7両が現役で走っています。
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こちらが360形の365号車です。
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そしてこちらが370形の376号車。
並べてみると360形と370形はほぼ同じ形である事が分かります。
それもそのはずで、370形は360形の増備車であり基本的には同じ設計の車両だからです。
同じ形式の車両で360形が一次車、370形が二次車だと考えても良いかもしれません。
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360形の導入時に起きた衝突事故などの教訓から、
翌年導入の370形では台車やバンパーの強化など目に見えにくい改良が行われています。
そんな中で外観で一目で分かる違いはご覧の尾灯の位置でしょう。
360形では下にある尾灯が370形では方向幕の横についています
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このように360形と370形は外見がほぼ一緒であるため、
通常であればどちらがでんこのデザインモチーフであるのかは区別がつかなかったでしょう。
しかしながら「蛍茶屋みなも」が登場したのは4月1日であったため、
登場日にご覧のように駅メモではエイプリルフールのネタとして
370形がでんこのリリース告知に登場
しています。
この事から「蛍茶屋みなも」の元ネタ車両は370形であると推測できる訳です。
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という訳で、全ての車両ではありませんが
「蛍茶屋みなも」のモチーフとなった370形の車両を可能な範囲で並べてみます。
上から372号車、373号車、376号車、377号車となります。


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そして車内について、こちらの360形364号車の中を見てみたいと思います。
蛍茶屋みなものモチーフは370形ですが、360形も内装については同一ですので
この364号車をモデルとしたいと思います。
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こちらがその車内の様子です。
折り返し運転を行う路面電車ですので、
車両の両端に運転台があり、車両中央部の両側に乗車扉、
車端部の運転台前に降車扉がある点対称の配置のロングシート車両となっています。
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運転台裏付近の光景です。
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こちらが運転台の様子です。
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運転台横に掲示されていた車両の経歴書。
長崎電気軌道の電車には車両によってはこうした経歴書が掲示されています。


360形と370形の電車はその半数以上が「カラー電車」と呼ばれる
車体を全面広告とした車両となっています。
他社の電車で言えばいわゆる「ラッピング列車」という奴です。
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しかし「蛍茶屋みなも」のデザインモチーフは
クリーム色(    )とグリーン(    )のツートンカラーという
長崎電気軌道の標準の配色が元となっています。
ですのでこちらにオリジナル配色の370形373号車の写真を載せておきます。

【写真撮影:2018年10月】