嘉手納線60
続いては沖縄県営鉄道嘉手納線についてです。

駅メモでは単に「嘉手納線」として登録されているこの路線は、
1922年(大正11年)に沖縄県営鉄道の2番目の路線として開業した鉄道です。
古波蔵駅━ 嘉手納駅間の22.4kmが正式な嘉手納線の区間でしたが、
先に営業をしていた与那原線に乗り入れて全列車が那覇駅まで運行をしていました。

廃線の駅として駅メモで登録されているのは
与儀駅、城間駅、嘉手納駅の3駅のみ
ですが、
その廃線跡を巡りこちらでは那覇駅━嘉手納駅間を見ていきたいと思います。



嘉手納線01
こちらは沖縄都市モノレールの旭橋駅のすぐ南の列車内から見た光景です。
建設中の青いシートに覆われているのは建設中の那覇バスターミナルです。
(註:撮影は2018年4月で、那覇バスターミナルは同年10月に開業済み)

中央を走る国道330号線を挟んでバスセンターの向かいにあるのは
リーガロイヤルグラン沖縄というホテルの建物です。 嘉手納線02
旭橋駅からホテルへのデッキの、
ちょうど写真の真下あたりにかつて那覇駅(駅メモ未収録)
ここにあった事を示す碑があります。
嘉手納線03
歩道へと降りて、仮設のチケット売り場の向こう側へとまわると
旭橋交差点の北東角の歩道にご覧のモニュメントがありました。
嘉手納線12
ちょうどモニュメントの横に案内地図があり
この場所を示してくれていました。
嘉手納線04
モニュメントに記された歴史や写真です。
この碑の真裏あたりがかつて那覇駅の転車台があった付近だそうです。
嘉手納線05
こちらは碑にあった沖縄県営鉄道の路線図です。
嘉手納線06
那覇駅の構内配線図もあったので、赤でモニュメントの位置を示しました。
嘉手納線07
こちらは旭橋駅の東側、モニュメントからは北西の
バスセンターの北西側に面する道路の光景です。
嘉手納線08
ここに「仲島の大石(なかじまのうふいし)」という県指定の天然記念物があります。
かつては海岸の海の上にあったという大石は、
近隣住民に縁起の良い岩として大切にされてきたものです。
那覇駅が営業していた時には駅構内の機関庫の北に位置していたもので、
場所の変わらぬその存在からかつての那覇駅の位置関係が分かるという目印なのです。
嘉手納線09
かつての廃駅跡である那覇バスセンターの敷地から、
嘉手納線はおおよそではありますが赤線の様に東南へと進んでいました。

嘉手納線10
バスセンターの東の先にある国道330号線の旭町交差点。
国道はここから壺川通りとなって南へとカーブを描きますが、
県営鉄道の線路もおおよそ赤線のように
国道と並走するように南へと曲がっていったと考えられます。
嘉手納線11
マンションの裏手の、国道の東側を並走している市道を南下。
この道が廃線跡そのものかは定かではありませんが、
残された遺構などからおおよそこの道か
または沿うように県営鉄道の線路は南下したと思われます。
嘉手納線13
市道を南下すると阿手川公園の前を通過してすぐに
ご覧のように道が左に曲がって正面が突き当たっています。
嘉手納線15
県営鉄道の線路はこの正面のビル付近を
そのまま南へと直線で走っていたと思われます。
ビルが建っていることからも分かる通り
ここから先は住宅が立ち並び完全に鉄道の面影は残っていません。

嘉手納線14
そして市道が突き当たった場所からおよそ南に300mの、
廃線跡と思われる市道を延長した先にあるのが
こちらの壺川東公園となります。
嘉手納線16
公園にはご覧の通りディーゼル機関車と線路があります。
機関車は大東島で戦後サトウキビ運搬に使われていたものですが、
下の線路は沖縄県営鉄道で使われていたものなのです。
嘉手納線17
ブロックで作られた碑に記されている通り、
かつての沖縄県営鉄道がこの公園を通っており、
公園造成工事の際にレールが出土したことから
鉄道が走っていた場所にレールを復元
したそうです。
嘉手納線18
公園から廃線跡はさらに南へ。


嘉手納線19
こちらは壺川東公園から南の廃線延長上におよそ400mほどの場所で
国道330号線が西へと進路を変え壺川通りから与儀大通りと名を変えて、
新たに国道507号線が終点となっている古波蔵交差点のすぐ北の地点です。
中央に立つビルは古波津商事ビルです。
嘉手納線20
この古波津商事ビルの北西の、駐車場の片隅にご覧の通り
橋の橋台が残っているのです。
嘉手納線21
橋台のすぐ北側の住宅地の路地です。
恐らく橋台の位置からしてご覧の様に線路が走っていたことでしょう。
嘉手納線22
古波蔵交差点の歩道橋から見た古波津商事ビル付近の光景です。
かつてこのビルの付近に沖縄県営鉄道の古波蔵駅(駅メモ未収録)がありました。
嘉手納線23
交差点の国道330号線の左折路から
古波津商事ビルの入口前へと通じる道があります。
嘉手納線24
こちらが古波津商事ビルの前の駐車場です。
嘉手納線25
ビルの右側、方角では北となる一体が空き地となって駐車場になっていますが
かつてここにサトウキビから精製するアルコール工場があったそうで、
古波蔵駅は古波津商事ビルと工場跡の空き地の間にあったそうです。
ちょうど写真中央の電柱の向こう側あたりでしょうか。
嘉手納線26
県営鉄道の線路が通っていたと思われる場所を赤線で示しました。
多少のズレがあると思いますが概ねはご覧の感じで走っていた様です。
嘉手納線27
ちょうど駐車場前の国道沿いにご覧の看板がありましたので
廃線跡と駅の場所を書き込んでみました。


嘉手納線28
こちらは古波蔵交差点から国道330号線を北に1kmほど進んだ
那覇警察署の付近の光景です。
警察署のすぐ北には与儀交差点があります。
嘉手納線29
こちらが与儀交差点。国道330号線と県道222号線(市民会館通り)が交差しており、
国道はこの交差点で与儀大通りからひめゆり通りへと名前を変えます。
この付近にかつての沖縄県営鉄道の与儀駅があったそうです。
尚、与儀駅は嘉手納線の駅として駅メモで収録されています

与儀駅は1923年(大正12年)に設置された駅で、
前年の1922年(大正11年)に嘉手納線が開業した一年後に作られた駅となります。
当時は単式1面1線の無人駅だったそうです。
嘉手納線30
こちらがおおよその沖縄県営鉄道の廃線跡と
与儀駅があったとされる付近の光景です。
駅は与儀交差点から与儀公園の入口付近にあったそうです。
嘉手納線31
与儀交差点に面した与儀公園の入口です。
嘉手納線32
こちらはひめゆり通り側の公園入口ですが、
シーサーに挟まれた入口の目の前に非常に興味深いものがあります。
嘉手納線33
ご覧のD51形蒸気機関車です。
D51-222という車両で小倉工場で生産され九州を走り、
最後は南延岡機関区に所属をしていた車両で、
D51の中では「標準形」と呼ばれる一番ポピュラーな形をしています。


嘉手納線はかつては築堤の上を走っていたそうですが、
戦後の復興で築堤は崩されて現在の国道330号線と姿を変えました。
ですのでこの付近では国道330号線が廃線跡ということになります。
嘉手納線34
与儀駅跡からの国道は「ひめゆり通り」と名を変えますが、
その由来となっているのが、駅跡から北に800mほどにあるこちらのひめゆり橋となります。

かつてはここに嘉手納線の橋が架かっており鉄道が走っていました。
その脇には人が一人渡っても揺れるという人道橋があり
ひめゆりの由来である県立第一高等女学校の生徒が通学に使っていました。

ある大雨の日にこの橋を渡っていた女学生が安里川に転落するという事故があり、
安全の為に女学生の名をとった木橋に架け替えられました。
そして昭和初期に更に丈夫な橋へと架け替えられて「ひめゆり橋」となり
現在へとその名が受け継がれています。
参考
栄町市場商店街「栄町市場について」
http://sakaemachi-ichiba.net/about.html

嘉手納線35
そして廃線跡であるひめゆり通りを、ひめゆり橋から100mほど進むと
沖縄都市モノレールの安里駅が見えてきます。
嘉手納線37
こちらの高架駅がモノレールの安里駅です。
かつての沖縄県営鉄道の安里駅(駅メモ未収録)
奇しくもモノレールの安里駅とほぼ同じ場所
にあります。
嘉手納線38
こちらはモノレールの安里駅ホームから見た駅の東側の光景です。
正面に見える「りうぼう」というスーパーの敷地付近が
「ひめゆり学徒隊」で有名な沖縄県立第一高等女学校の跡地となります。
嘉手納線36
モノレール駅の東側の光景に県営鉄道の線路跡と
駅があったと思われる付近を書き込みました。
この付近は沖縄戦と戦後の復興で鉄道の痕跡が残っておらず
駅の正確な位置は不明なのです概ねの目安と考えて下さい。


嘉手納線39
安里駅から北も嘉手納線は、
現在の国道330号線と同じルートを走っていました。
写真はモノレールのおもろまち駅で、
安里駅からはおよそ800mほど北に位置しています。
嘉手納線40
こちらはおもろまち駅の西側の光景ですが、
ここには沖縄戦最大の激戦であったシュガーローフ(安里52高地)がありました。
米軍が「シュガーローフ」「ハーフムーン」と呼んだ丘陵の間を
嘉手納線(現在の国道330号線上にあった)は切り通しで敷設されていました。
嘉手納線41
おもろまち駅から600mほど北上した国道330号線の真嘉比交差点付近です。
まだ嘉手納線と国道のルートは重なっています。
嘉手納線42
さらに400mほど北上した、こちらはモノレールの古島駅の南側付近の光景です。
この付近の嘉手納線の廃線跡は、戦後の復興開発の波に飲み込まれてしまっており
現在ではその正確な位置を把握することは困難です。
ですが過去の文献や、廃線の線形や地形などから推測すると
おおよそこの付近で嘉手納線の線路は写真左手の西側へと
国道から反れて敷設されていたはずです。
嘉手納線43
そしてこちらは古島駅からおよそ北西に300mほどの場所にある
県道82号線(環状2号)と県道251号線(パイプライン通り)の交る古島交差点です。
住宅や道路となり完全に跡形もありませんが
赤線で示したように嘉手納線はこの交差点まで敷設されていました。
嘉手納線44
古島交差点から見た北側への光景です。
ここから北の県道251号線が沖縄では「パイプライン」と呼ばれており、
沖縄本土復帰までは道路下に米軍の嘉手納基地などへの送油管が通っていました。
嘉手納線45
そのパイプライン通りを250mほど進むと次の駅跡の地点となります。
嘉手納線47
県道251号線である事を示す標識。
「内間」の地名が書かれています。

嘉手納線46
こちらが嘉手納線の内間駅(駅メモ未収録)があったとされる付近の光景です。
内間駅は1922年(大正11年)の嘉手納線開業時の駅で、
当初は無人駅だったものの後に有人駅となっています。
嘉手納線48
駅跡の前に建つ日本年金機構の浦添社会保険事務所。


嘉手納線49
県道の脇に設置されている「パイプライン通り」の標識です。
嘉手納線50
内間駅後からしばらく、嘉手納線はパイプライン通りを
廃線跡として北上をしていきます。
1.8kmほど進んだこちらは通り沿いにある屋富祖郵便局です。
ご覧の通りコンビニを併設している郵便局です。
嘉手納線51
そして通りを挟んだ郵便局の向かいには
琉球バスの大平特別支援学校前停留場があります。
嘉手納線52
停留場の名の通りバス停の裏は特別支援学校の敷地なのですが、
歩道脇の敷地の脇に嘉手納線の遺構が残っています
嘉手納線53
こちらがこの場所で1991年(平成3年)の街路工事で出土した
嘉手納線の線路のレール
です。
嘉手納線54
一緒に立っている石の三角杭はかつてこの道路に
パイプラインが走っていた当時に、軍用地の境界を示す為のものです。
当初はここに2本復元されていたはずですが、
現在では1本のみが残っていました。
嘉手納線55
そして支援学校の目の前の交差点がY字に分岐をしているのですが、
嘉手納線はこの交差点でパイプライン通りから
城間大通りという市道へと曲がっていたそうです。
嘉手納線56
廃線跡の市道を北西へと進みます。

嘉手納線57
城間大通りをちょうど1kmほど進むと国道58号線へとぶつかりますが、
ここにある城間交差点の角にあるガソリンスタンド(エッソ石油エクスプレス城間SS)付近が
嘉手納線の駅である城間駅の駅跡となります。
駅メモでは廃線の嘉手納線の駅は3駅しか登録されていませんが、
那覇側から数えてこの城間駅は2つ目の登録駅
となりますので
チェックインを忘れないように気をつけて下さい。

城間は(ぐすくま)と読み、城間駅は1922年(大正11年)の嘉手納線開業時に設置されました。
無人駅も多かった嘉手納線でこの駅は17.67坪の駅舎を持つ有人駅だったそうです。


嘉手納線58
こちらは嘉手納線の那覇駅から城間駅までの区間での
au 4G LTEでの電波エリアマップです。
ご覧の通りこの付近は全ての場所が電波圏内となっていますので
駅へのチェックインに困る事は無い
でしょう。

嘉手納線を地図に青線で示し、登録駅の与儀駅と城間駅の場所も
併せて地図上に示しましたのでご参照下さい。

嘉手納線59
こちらは沖縄都市モノレール(ゆいレール)で一番北にある
古島駅からのレーダーエリア範囲を示した図です。
射程8で与儀駅、射程11で城間駅に届くのがご覧いただけると思います。


全長22.4kmの嘉手納線、那覇駅━古波蔵駅間の1.2kmを足せば23.6kmの路線です。
那覇駅━城間駅間は8.4kmの営業距離でおおよそ半分といったところでしょう。
城間駅━嘉手納駅間の嘉手納線北部についてはその2に続きたいと思います。

では。