嘉手納線a29
沖縄県営鉄道嘉手納線の続きです。


その1(那覇駅━城間駅)はこちら


嘉手納線61
城間(ぐすくま)駅の駅跡である、
城間大通りと国道58号線の交差する交差点のすぐ南側の
ガソリンスタンド前です。
嘉手納線62
市道の城間大通りから国道58号線に合流し、
国道を北上していくルートがかつての嘉手納線の廃線跡となります。
すっかり国道として整備をされてしまっていますので
かつての鉄道の面影は全く残っていません。
嘉手納線63
城間大通りから国道の反対側を見ると
ご覧の様に米軍の軍用地の入口となるゲートが見えます。
この付近の国道58号線の西側一帯は「牧港補給地区(キャンプ・キンザー)」という
アメリカ海兵隊の兵站施設となっています。
嘉手納線64
この付近の地図が通り沿いにありましたので
嘉手納線の廃線跡と廃駅の位置を書き込んでみました。

城間交差点から国道58号線をそのまま進む嘉手納線の廃線跡。
東へと大きく国道がカーブを描いた先、
城間交差点からはおよそ1.5kmほどの場所で
嘉手納線は国道から反れて南側の市道へと入っていきます。
嘉手納線65
国道58号線から反れた廃線跡は住宅地に飲み込まれてしまっており
300mほどはその痕跡は消し去られています。
ですが地図上で廃線跡を辿ると写真の住宅地の道路が現れます。
この道こそがかつての嘉手納線の廃線跡を転用した道路なのです。
嘉手納線66
廃線跡の道と県道153号線の交差点付近の光景です。
赤線の様に嘉手納線の線路が走っていたと思われます。
嘉手納線67
そして交差点から北に30mほどの付近に
かつての嘉手納線の駅がありました。


嘉手納線68
こちらが牧港駅(駅メモ未収録)の駅跡です。
駅は1937年(昭和12年)に住民の請願駅として設置されました。
嘉手納線の開通は1922年(大正11年)ですが、鉄道開通前は
牧港の集落の住人達は駅の設置に反対したそうです。

しかし開通後に鉄道駅の有用性に気がついた住人達は
駅用地を提供するなどし、開通から14年後に新たにこの場所に駅ができたのです。
開業時は単式1面1線の無人駅だったそうで、
沖縄線までのわずか8年間だけ営業を行った駅でした。
嘉手納線69
駅跡の向かいにはご覧の「マチナトガー」と呼ばれる湧き水があります。
「マチナト」が「牧港」で、「ガー」がどうやら湧き水の水場の意味の様です。


嘉手納線70
牧港駅跡を過ぎて、廃線跡の道を進み
県道153号線(牧港バイパス)の交差点を越えます。
嘉手納線71
交差点から100mほどのところにガジュマルの樹が立っていますが
その付近が次の駅の駅跡となります。

嘉手納線72
こちらが大謝名駅(駅メモ未収録)の駅跡付近です。
ガジュマルの樹の向かいの商店付近がかつての駅だった場所だそうです。
1922年(大正11年)の路線開通時に設置された駅で営業時は無人駅でした。
嘉手納線73
駅跡の向かいにあるガジュマルの樹です。
根元の石灰石を根が絡むように抱え込んでいます。
嘉手納線敷設の際に石灰石が削られており切り通しのようになっています。


嘉手納線74
大謝名駅跡を過ぎて廃線後の道を北へ。
嘉手納線75
駅跡から70mほどで住宅地に飲み込まれて
廃線跡の道は途切れてしまっています。
この先は戦後まもなく住宅が立ち並んだ場所で
鉄道の遺構は消え去ってしまっています。
嘉手納線76
廃線跡に沿って脇の路地を進むも
すぐに住宅の敷地に阻まれて完全に進めなくなります。
この先の廃線跡の延長線上120mほどの場所に
国道58号線の大謝名交差点があり鉄道も交差点の場所を通っていました。

元々は県道だった国道58号線の大謝名交差点は
旧県道の大謝名三叉路にあたります。
戦前は鉄道が下を通り、県道はその上を橋でオーバーパスしていたそうです。
嘉手納線77
この付近については宜野湾市役所が歴史文化遺産マップを作成しています。
宇地泊地区のリーフレットには鉄道跡のルートが書き込まれおり、
嘉手納線の軽便鉄道跡地をたどるのに非常に役に立つのでご参照下さい。
参考
宜野湾市公式「歴史文化遺産マップ」
http://www.city.ginowan.okinawa.jp/organization/bunkaka/isanbunkarekishimap.html



国道58号線の大謝名交差点の西側は
宜野湾市の区画整理事業が行われている土地で、
再開発によって廃線跡は途切れ遺構は残っていません。
嘉手納線78
こちらは大謝名交差点から北に800mほどの地点で
宜野湾警察署の西側の裏手付近となります。
二車線ある区間は再開発の手が入っており
廃線跡であるかは概ねそうであるとしか言えません。
道幅が狭く1車線になる付近からは嘉手納線の跡地と見て間違い無い様です。
嘉手納線79
嘉手納線の跡地が転用された道路です。
この先が次の駅の駅跡となります。

嘉手納線80
こちらが真志喜駅(駅メモ未収録)の駅跡付近です。
嘉手納線の全線開通の翌年である1923年(大正12年)に与儀駅と同時に新設されました。
嘉手納線81
駅跡の向かいを見ると、木の根元の土が切り通しのようになっており
かつてここが線路であった痕跡をうかがい知る事ができます。

嘉手納線82
真志喜駅跡を過ぎて北に進むと
廃線跡は崖上を通過しており眼下に芋畑を見下ろしています。
ニトリの裏手を通過する廃線跡。
駅跡から1kmほどは廃線跡が道路として続いています。
嘉手納線83
大山地区の付近では廃線跡と道路がずれており、
線路のあった場所には住宅が立ち並んでいます。
その横を並走するように走る生活道路をいかにも廃線跡と思いがちですが
実際には嘉手納線はややずれて走っていた様です。
嘉手納線84
そしてゲートボール場として使われていた空き地を通り過ぎると
その先が次の駅跡付近となります。

嘉手納線85
こちらが大山駅(駅メモ未収録)の駅跡付近となります。
1922年(大正11年)の路線開業時にに開設された駅で、
単式ホーム2面2線で列車交換の可能な有人駅だったそうです。
貨物用の側線と蒸気機関車用の給水給炭設備まである大きな駅でしたが
周辺の集落からは離れた場所にあり不便で、
駅開設の翌年には南に真志喜駅が新設されています。
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駅跡敷地の南端付近と思われる旧ゲートボール場の空き地。
嘉手納線88
駅跡に建つマンションの敷地の大きさを見ると
交換可能駅であったという当時の駅跡というのも納得がいきます。
嘉手納線89
大山駅の駅跡を過ぎた北側の光景です。
駅跡付近の生活道路が不自然に湾曲しているのが分かりますが、
このあたりが駅の敷地であったと考えると符号する形となっています。

廃線跡が再び道路と合流し、およそ800mほどはそのまま生活道路として進みます。
国道58号線の伊佐浜交差点付近で廃線跡は国道と合流。
隣の伊佐(北)交差点付近までおよそ300mほどは国道付近が廃線跡となります。

嘉手納線92
そしてこちらは国道58号線の北前付近。
廃線跡が国道から分岐した伊佐(北)交差点からは北へ700mほどの地点です。
国道58号線の東側一帯は米軍普天間基地となっており、
歩道橋のあるこの場所には普天間基地の第5ゲート(北前ゲート)があります。

嘉手納線の廃線跡は国道の東側を100mほど離れて並走しており、
この第5ゲート前の信号から150mほどの場所には嘉手納線の遺構が残っています。
嘉手納線90
ゲートの真東付近の嘉手納線の廃線跡です。
この付近は廃線跡を転用した道路と住宅が細切れに混在しています。
嘉手納線91
切り返して見た廃線跡付近。
赤線で示したのが線路があったと思われる場所です。
嘉手納線93
そして廃線跡の道は普天間川へとぶつかりますが、
こちらに嘉手納線の遺構があります。
嘉手納線94
普天間側に架かるその名も「軽便橋」です。
名前の通りこの橋はかつて嘉手納線の軽便鉄道の橋梁があった場所にある橋です。
嘉手納線95
橋の橋脚を見ると分かりますが、
この橋脚はかつて軽便鉄道の渡っていた鉄道橋を支えていたものです。
元々は「佐阿天原橋梁」の橋脚でしたが、
上に載る橋が1988年(昭和63年)に「軽便橋」として架け換えられました。

嘉手納線96
軽便橋の北側の先は当然ながら廃線跡となりますが、
ご覧の通り住宅が行く手を阻んでおり、再開発に飲み込まれてしまった様です。
それもそのはずで、普天間川(佐阿天川)の北側は沖縄線の後に米軍が接収。
「ハンビー飛行場」が建設され米軍基地となっていたのです。

1981年(昭和56年)にハンビー飛行場跡地が変換された後は
地主組合による土地区画整理事業で再開発が行われ、
ショッピングセンターなどが立ち並ぶ街となっています。
嘉手納線97
そしてこちらが旧ハンビー飛行場の敷地内だった、
かつての嘉手納線の駅跡付近の光景となります。
嘉手納線98
北谷駅(駅メモ未収録)とされる場所です。
1922年(大正11年)の路線開業時に作られた駅ですが、
ご覧の通りかつての駅跡は現在は6階建てのマンション敷地となっています。

嘉手納線の廃線跡の資料を辿ると「沖縄県介護保険広域連合」の建物付近が
かつての北谷駅の駅跡であるとされています。
嘉手納線99
しかし沖縄県介護保険広域連合のサイトを見ると
2013年(平成25年)に庁舎が移転していることが記されています。
庁舎のあった場所に建っているマンションの不動産情報を見ると
2016年(平成28年)3月築とありますので、
かつての庁舎は解体されてマンションとなった事が分かります。
嘉手納線a01
資料からマンションの手前付近が駅跡らしいですが、
米軍飛行場建設でブルドーザーで整地され、
戦後の再開発で区画整理となっていることから
遺構は残っておらず痕跡を見つけるのは不可能となっています。
駅がここだったという話は、恐らく飛行場敷地の地権者の登記などから
この場所に駅があった、とされているのだと思われます。
嘉手納線a02
駅跡のすぐ近くにある安良波ビーチ。
こちらも飛行場の返還後に整備された海岸です。


嘉手納線a03
北谷駅跡から北へ900mほどの北谷町美浜の市道付近の様子です。
すぐ東側には国道58号線が走っており、その国道の東側は
米軍のキャンプ桑江があって海軍病院などが置かれています。
嘉手納線の次の駅跡はこの先の中学校の前付近にありました。
嘉手納線a04
こちらが北谷町立桑江中学校の校門前付近です。
この付近にかつての桑江駅(駅メモ未収録)があったそうです。

他の駅同様に1922年(大正11年)の路線開業時に作られた駅ですが、
跡地の校門前の道路が2車線の広い道路であることからも分かる通り
復興と再開発の手が入っており、駅前後のルートを正確に手繰る痕跡はありません。


嘉手納線a05
中学校前の桑江駅跡を後にすると
廃線跡は国道58号線の西側を並走する様に北上していました。
国道に沿って築堤が築かれていて並走しながら線路は北に向かっていたそうですが
今ではその築堤の痕跡を見ることはできません。

嘉手納線a06
そしてこちらは桑江駅跡から北に2.4kmほどに位置する
国道58号線の北谷町砂辺付近の様子です。
ファミリーマート嘉手納第一ゲート前店が国道沿いにある付近と言うと
位置が分かりやすいでしょうか。
嘉手納線の廃線跡はこの南側付近で国道を斜めに横断するように走っていたそうです。
嘉手納線a08
コンビニの店名からも分かる通り、
ここには米軍嘉手納基地の第一ゲートがあります。
国道58号線の砂辺(南)交差点がゲートへの入口前の信号で、
ゲートへの道にはご覧の通り米軍基地との境界線がペイントされています。
このゲートの南側付近にかつての嘉手納線の駅があったそうです。
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平安山駅(駅メモ未収録)の駅跡付近の光景です。
駅名は平安山と書いて「へんざん」と読みます。
この駅も1922年(大正11年)の路線開業時に設けられています。

嘉手納線a10
嘉手納基地の第一ゲート前を過ぎて国道は北上していますが、
ここから先は嘉手納線の廃線跡は米軍基地の敷地内へと東に切れ込んで行きます。
当然ながら民間人がその跡を辿ることはできません。

嘉手納線a11
こちらは第一ゲートから国道58号線を2.1kmほど北へと進んだ地点です。
近くにはローソンネーブルカデナ店があり、
「奥まで101km」の国道の距離標があります。
(※奥は国頭村奥の事で国道58号線の沖縄県内の北端)
この場所から東へおよそ500mほど嘉手納基地の中に入った場所が
地図上では野国駅(駅メモ未収録)の駅跡のあった場所となります。

資料を見る限りでは駅跡付近は嘉手納基地の滑走路となっていますので
恐らく駅の痕跡は全く残ってはいないでしょう。


嘉手納線a12
こちらは野国駅跡から1.3knほど北に位置する
嘉手納町役場の前の光景です。
嘉手納線a13
そしてこちらが嘉手納町役場の建物。
嘉手納線a14
役場の前の道を北へと進むとすぐにモニュメントがあります。
嘉手納線a15
こちらが沖縄軽便鉄道嘉手納線の嘉手納駅の跡地を示すモニュメントです。
嘉手納駅は駅メモに登録されている駅ですので
この駅を取らなければ沖縄県はコンプリートできません

駅は1923年(大正12年)の嘉手納線開業時に北端の終着駅として設置されたもので、
2面2線のホームを持つ有人駅であり、
側線も有して貨物の取り扱いも多い有人駅だったそうです。
嘉手納線a16
台座に刻まれた嘉手納線のと嘉手納駅の説明文。
嘉手納線a17
同じく台座にある嘉手納駅の営業時の写真です。
嘉手納線a18
モニュメントの先を北へと進むと「ロータリー広場」が見えてきます。
嘉手納線a19
広場の前にある看板。
嘉手納線a23
東側には再開発で作られたロータリープラザという嘉手納町の施設が建っており、
防衛省沖縄防衛局や入国管理局が入っています。
嘉手納線a20
こちらが広場の様子であり、嘉手納駅の駅跡とされている場所となります。
元々はこの広場は「嘉手納ロータリー」という
直径約120mの日本一の大きさのロータリーの中央部でした。

ロータリーは戦後の米軍統治時代に軍用道路1号線の一部として
米軍によって作られたもので、
作られた場所が嘉手納駅があった場所だったそうです。
嘉手納線a22
広場から役場までは直線の道が伸びていますが、
嘉手納駅跡の石碑付近から南はかつての国道58号線の旧道です。
2007年(平成19年)に現在のルートに国道58号線が付け替えられた際に
旧道の東側半分が削られ道幅が狭くなりました。

石碑より広場側はかつての嘉手納ロータリーの内側であり、
駅跡も写真の付近ではないかという話もあります。
ですが一旦米軍によって整地されてしまっている為
おおよその位置を推測するしか無いのが現状となります。
嘉手納線a24
こちらは嘉手納町役場の前にあった観光案内版の地図です。
嘉手納線a25
この地図に嘉手納線の通っていたとされるルートを書き込んでみました。



嘉手納線a26
こちらが嘉手納線の城間駅━嘉手納駅間の廃線跡の、
au 4G LTEでの電波エリアマップとなります。
ご覧の通り全ての区間で電波状態は良好ですのでアクセスに困る事は無いでしょう。

そして駅メモで嘉手納線の廃駅として収録されているのは
与儀駅、城間駅、嘉手納駅の3つのみですので
城間駅と嘉手納駅の中間地点がお互いの駅の境界となります。
この境界線付近にちょうどあるのが北谷駅跡となります。

ではレーダーを使用するとどうなるのか。
嘉手納線a27
こちらは嘉手納線の真志喜駅跡付近でのレーダーの射程です。
駅メモで真志喜駅は登録されていない為、チェックイン先は城間駅となりますが。

そしてこの真志喜駅付近でチェックインをすると
ちょうど12駅目で嘉手納駅がレーダー射程に入っているのが分かります。
通常時でのMAXの12駅射程では真志喜駅跡付近からが射程圏の様です。
この真志喜駅は嘉手納線で北谷駅からは南に2駅隣で
距離にしておよそ3kmといったところに位置しています。

ちなみになつめスキルを使って+2駅の14駅射程でも
やはり真志喜駅跡付近がレーダー射程の境界
となります。
スキルを使っても射程圏がほぼ変わらないのは
射程ボーダー付近であるゆいレールの駅間距離が近すぎる為
です。


そして2018年(平成30年)11月30日に駅メモでは
レーダーブースターというアイテムが実装
されました。
「レーダーの検知数を+4駅」というアイテムの登場により、
レーダーMAX(12駅)+なつめスキル(+2駅)+ブースター使用(+4駅)で
射程距離が最大18駅まで伸びる
というアイテムとなります。

これによって元々全県で18駅しか無い沖縄県は
県内のどこでアクセスしても全県の駅がレーダー射程圏内という事態となりました。

これまでは「どんなアイテムを使っても嘉手納駅だけは取れない」という状態で
「駅数は少ないながらも難易度は低くない」とされていた沖縄県コンプが
ブースター登場で途端にイージーになったということ
です。
那覇空港駅などは外国からのアクセスで取れる駅として有名ですから
「世界中から沖縄県がコンプできる」という時代となった訳です。


まあ、これまでも飛行時に携帯電波の使えないLCCではなく、
JALなど機内Wi-Fiの使える旅客機で沖縄北方の海上でアクセスすれば
通常チェックインで嘉手納駅が取れていた訳ですから
「何をいまさら」という意見もあるかと思います。
嘉手納線a28
しかし、個人的にはこの嘉手納駅跡の碑を肉眼で見た人こそが
真の沖縄マスター
なんじゃないか、と思っていたりします。


では。