島原鉄道00
さて、次は長崎県の島原鉄道についてです。

島原半島の北岸から東岸を走る鉄道路線である島原鉄道は
開業が1911年(明治44年)というなかなか古い歴史のある路線です。

北目線と呼ばれる旧・島原鉄道の諫早駅━南島原駅間と
同じく南目線と呼ばれた南島原駅━加津佐駅間の口之津鉄道が合併し、
かつては諫早駅から加津佐駅までの島原半島を80km弱走る鉄道でした。

しかし旧・口之津鉄道の区間が赤字の8割を占めるという状況もあり、
2008年(平成20年)に島原外港駅━加津佐駅間のおよそ35kmが廃止されており、
現在は諫早駅━島原外港駅間の43.2kmを運行しています。


島原鉄道01
こちらは諫早駅の東口の外観です。
1898年(明治31年)に当時の九州鉄道の長崎線の駅として開業。
国鉄長崎線の駅となった後に
1911年(明治44年)に島原鉄道が開業して乗り換え駅となりました。

1934年(昭和9年)に2代目の木造二階建ての駅舎に改築された後は
ながらく同じ駅舎が使われていましたが、
2022年に長崎新幹線が開業予定で諫早駅も新幹線停車駅となる為
諫早市の駅周辺整備事業によって2018年(平成30年)8月より
ご覧の3代目となる橋上駅舎の供用が開始されています。
島原鉄道02
東口駅前の様子です。
駅前ロータリーは供用開始しているものの、
再開発中の周辺は仮囲いが立っており
新幹線開業に向けて着々と工事が進められています。
島原鉄道04
東口駅前の交差点の角にある県営バスの諫早バスターミナル。
島原鉄道03
駅前ロータリーを起点として県道16号諫早停車場線が走っており、
バスセンターの前を南に曲がり国道207号線までおよそ400mほどを連絡しています。
島原鉄道05
こちらは諫早市の駅周辺整備事業による
諫早駅東口の開発イメージ図です。
2022年にはこの図が現実に出来上がる予定となります。
島原鉄道06
駅舎の東口から中へ。
島原鉄道07
中は吹き抜けのエントランスホールとなっており、
新幹線駅らしく長いエスカレーターが上階へと通じていました。
島原鉄道08
そしてエスカレーターの裏手には「島鉄のりば」の案内表示があり
短い階段とエスカレーターが。
島原鉄道09
通路を奥へと進むと駅舎内に島原鉄道の諫早駅がありました。
島原鉄道10
券売窓口脇には切符の自動販売機があり、
通路の両脇にはベンチが設置されて待合室を兼ねています。
島原鉄道は基本的にワンマン運転の車内清算なので
ホームへの出口にいわゆるラッチはありませんでした。
島原鉄道11
券売機の上の運賃表です。
島原鉄道12
ホーム側から見た駅舎入口。
島原鉄道13
駅舎とホームとを繋ぐ連絡通路です。
駅ビルが工事中の為、グリーンフェンスで柵が設けられていました。
島原鉄道14
こちらがホームの様子です。
島原鉄道のホームは単式1面1線となっています。
島原鉄道15
隣にはJR長崎本線の線路が走っており、
起点駅なので車止めが駅舎側に設置されています。
島原鉄道16
車止めの前付近のホーム北端にはベンチが並び
列車待ちの待合スペースとなっています。
島原鉄道17
そしてベンチスペースの脇にあるこちらのパネルは「150形蒸気機関車」のもので、
イギリスから輸入された日本で最初の蒸気機関車であり
1号機関車と呼ばれているものです。

日本発の鉄道路線である新橋━横浜間を走っていたこの機関車は
1911年(明治44年)に島原鉄道の開業用として鉄道院から譲渡。
貴重な資料であるとして1930年(昭和5年)に鉄道省に返還されるまで
島原鉄道を現役で走っていました。
島原鉄道18
この1号機関車の実機は1997年(平成9年)に国の重要文化財に指定され、
現在は埼玉県さいたま市の鉄道博物館で静態保存されています。
【写真:裏辺研究所 http://www.uraken.net/rail/alltrain/150.html



島原鉄道19
諫早駅から島原鉄道は南西へと進路を取り
諫早市の中心市街地へと進んで行きます。
左手に諫早城址を過ぎるとまもなく次の駅があります。
島原鉄道20
本諫早駅の駅舎の外観です。
1911年(明治44年)6月に開業したこの駅は、隣の諫早駅よりも2ヶ月早く開業をしています。
現在の駅舎は1989年(平成元年)に改築されたものです。
島原鉄道23
駅西側にはご覧の引き上げ線があり
列車が留置されています。
島原鉄道21
駅舎の前から西への、ちょうど引き上げ線の前あたりの線路沿いには
ご覧の広大な駐車場があります。
島原鉄道32
駐車場にはご覧の島原鉄道の看板が。
島原鉄道22
また駅の直ぐ東側の隣にはコンビニがあり、
駅前の駐車場の一部がコンビニ用となっています。
そしてこのコンビニの前は県道55号有喜本諫早停車場線の終端にもなっています。
島原鉄道31
駐車場の中央付近の前の道路には諫早市役所を示す標識があり、
信号から100mほど北に市役所の建物が見えます。
このことからもに本諫早駅は諫早市の中心部にある事が分かります。
島原鉄道24
駅舎の中の様子です。
駅員が駅務を行う駅務室がある為、
乗客の入れる待合部分の室内はL字形になっています。
6時から22時まではホームへの改札口に駅員が立って改札を行っています。
島原鉄道25
ホーム側から見た駅舎と駅構内の様子です。
駅は相対式ホーム2面2線となっています。
島原鉄道26
駅舎のある1番線ホームで、下り線の島原方面行きとなります。
島原鉄道29
駅構内の1番線が本線の1線スルーの形となっており、
また終点の諫早駅に列車交換施設が無い為に
日に数本、1番線から発車する諫早駅行きの列車が設定されています。
島原鉄道27
ホーム東端にある構内踏切。
1番ホームと2番ホームを連絡していますが遮断機や警報機はありません。
島原鉄道28
2番線ホームです。諫早方面行きの上り線となります。
島原鉄道30
こちらのホームには長いすが置かれています。

島原鉄道34
また本諫早駅の北西500mほどには、諫早城の城跡である諫早公園があります。
こちらは公園に移築されている国指定の重要文化財である眼鏡橋です。
島原鉄道33
公園の本丸跡。
ちょうど駅の方向を眼下に望むことができます。
島原鉄道35
諫早公園にある高城神社です。
高城とは諫早城のことであり、諫早家初代龍造寺家晴公を祭っている神社です。
1882年(明治15年)の創建となります。



島原鉄道36
本諫早の駅前から県道を東に1.5kmほど進むと次の駅が近づきます。
島原鉄道39
諫早の市街地の東に位置するこの付近は
幹線道路も近く区画整理事業が進められ始めている地域です。
島原鉄道37
コンビニの前の交差点から南へと進むこちらが駅への道です。
島原鉄道38
80mほど進むと整体院の先に踏切があり、その脇に駅があります。
島原鉄道40
こちらが幸駅の外観です。
島原鉄道は明治に開業をしていますが、この幸駅の開業は2000年(平成12年)で
この路線では一番新しい駅となります。
島原鉄道41
駅の入口は踏切の脇にあり
スロープでホームへと連絡をしています。
島原鉄道42
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の無人駅となっています。
島原鉄道43
駅名標のすぐ右の柱にはご覧の「六難関十幸運」の文字が。
これは島原鉄道の初代社長の植木元太郎氏が残した言葉だそうで、
駅名標の上にはその英訳の
「Ten-fold fortunes lie beyond six-fold adversities.」とあります。
島原鉄道44
後から新設された駅だけに完全な棒線駅となっています。
島原鉄道45
ホーム東端にある駅周辺の案内図です。
島原鉄道46
駅へのスロープの脇にはホーム裏へと下りる別のスロープがあり、
ホーム下を利用した自転車置き場が設けられています。
島原鉄道47
そしてスロープ手前の駅入口付近を見ると
南側に広がる広大な駐車場への連絡路があるのが見えます。
島原鉄道48
駅南の駐車場は、目の前にある日本ハム諫早プラントの専用駐車場です。
企業私有地となっておりガードマンが巡回していますので
無断の立ち入りはできません。
島原鉄道49
駅の南東に隣接する日本ハム諫早プラントです。



島原鉄道50
幸駅を出た列車はまもなく国道57号線(島原街道)と並走します。
1.9kmほど東進して宗方交差点を過ぎると次の駅となります。
島原鉄道51
駅の案内標識に従って国道を曲がると見える
JAながさき県央小野支店の建物。
島原鉄道52
その脇を入ると駅があります。
島原鉄道53
こちらが小野本町駅の外観です。
1911年(明治44年)の路線開業時に小野村駅として設置された駅は
かつては駅舎があったそうです。
1964年(昭和39年)に現在の小野本町駅となっています。

駅の待合室の壁に描かれているのは
この地で大正時代に生まれた郷土芸能の小野島新地節です。
新地節は諌早の干拓事業の労働歌であり
干拓地独特の板鍬持ちとかがり担いと二人一組で踊る踊りです。
島原鉄道54
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
島原鉄道55
現在は駅に駅舎は無く、ホーム上にご覧のベンチのある上屋があります。
ホーム前の田んぼとの間の空き地にかつては下り線ホームがあって
列車交換ができたそうですが、現在では敷地以外にその痕跡は見られません。
島原鉄道56
駅前のJAの目の前の道路は
国道との間に駅前ロータリーのような側道があります。
かつて駅舎があったその面影なのでしょうか。



島原鉄道57
こちらは国道57号線(島原街道)の尾崎交差点の光景です。
県道124号大里森山肥前長田停車場線という県道が北からこの交差点まで走ってきており、
ここから東へと国道と県道の併用区間となっている場所です。
島原鉄道58
交差点の北西角にあるハーレーの販売店。
島原鉄道59
そのバイク店の目の前の県道にご覧の島原鉄道の踏切があります。
島原鉄道60
そして踏切脇に駅への入口があり、
ちょうどバイク店の裏が次の駅となっています。
隣の小野本町駅からは0.7kmと至近にある駅となります。
島原鉄道61
こちらが干拓の里駅の外観となります。
1995年(平成7年)の開設と比較的に新しい駅となります。
これは北に1kmほどの場所に「諫早ゆうゆうランド干拓の里」という
諫早市の公共施設が1994年(平成6年)に出来たことから
施設へのアクセスの為に設置されたものです。
島原鉄道62
踏切側の駅の東端にスロープがあり
こちらからホームへと上がる事ができます。
島原鉄道63
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅です。
島原鉄道64
駅舎は無くホーム上の上屋があります。
島原鉄道65
この駅の駅名標にはムツゴロウのキャラクターが描かれていますが、
これは「諫早ゆうゆうランド干拓の里」のキャラクターです。
同じキャラが描かれていることからも、施設のアクセスに併せてできた駅であることが分かります。
島原鉄道66
駅の北側には田んぼが広がっており
ホームと田んぼの間の道は砂利道となっています。
島原鉄道73
目の前に広がる田んぼ。
島原鉄道67
駅前を南北に走る県道124号線。
この道を北へと進むと干拓の里があります。



島原鉄道68
こちらは国道57号線の森山駅前交差点付近の光景です。
干拓の里駅からは2kmほど東に進んだ付近ですが
この付近は有数の渋滞箇所の様で、国道の拡張工事が行われていました。
島原鉄道69
交差点の北側を見るとご覧の橋脚が建設中です。
なんでも現道の国道57号線を一般道路として拡張するほか、
並走して自動車専用道路を設けているそうです。
島原鉄道70
森山駅前交差点から50mほど東へと国道を進むと横断歩道があり、
自転車店の脇に駅へと通じる道があります。
島原鉄道71
わき道を北に進むとすぐに周囲が開けて
駅が見えてきます。
島原鉄道72
森山駅の外観です。
1911年(明治44年)の路線開業時からの駅で、
現在の上屋は1987年(昭和62年)に改築されて作られたものです。
島原鉄道75
駅前には舗装された広場があって駐車スペースとなっています。
広場の向こう側には建設中の国道57号バイパスの高架の橋脚が。
島原鉄道74
広場の西側を見ると線路に沿って
保線区の倉庫が見えます。
島原鉄道76
ホームの様子です。
相対式ホーム2面2線となっており列車交換が可能な駅となります。
上屋のある南側のホームは上り線の諫早方面行きとなります。
島原鉄道77
ホーム上の上屋の様子です。
島原鉄道78
待合の上屋の壁にある駅周辺の案内地図。
島原鉄道79
そしてホームの西端には構内踏切があり
相対式のホーム同士を連絡しています。
島原鉄道80
こちらは北側のホームです。
下り線の島原外港方面行きとなります。
ホームのみで上屋やベンチなどは置かれていません。
島原鉄道81
駅の北側はご覧の様に一面の水田が広がっています。
この付近は江戸時代から昭和にかけて干拓が行われた地区であり、
そのさらに北側には近年の干拓事業でニュースにもなった中央干拓地が広がっています。



島原鉄道82
森山駅から路線は引き続き国道57号(島原街道)と並走。
2kmほど東へと進むと次の駅付近となります。
島原鉄道83
こちらの信号機と横断歩道から駅への道が通じており、
奥には建設中の国道57号のバイパスが見えます。
島原鉄道84
標識が無いと駅への道だとは気がつきにくいですが
住宅地の路地のような道を進み、高架の下をくぐると駅が見えてきます。
島原鉄道85
こちらが釜ノ鼻駅の駅の外観です。
路線開業後の1935年(昭和10年)に新たに設置された駅で、
上屋の壁に描かれているのは、本村浮立と白塔掛打という
森山地区に伝承され諫早市の無形民俗文化財に指定されている伝統芸能です。
島原鉄道88
駅前はご覧の通り国道57号線の自動車専用バイパスの高架が建設中で、
完成すればこの付近の島原鉄道はバイパスが並走することとなります。
島原鉄道86
ホーム側から見た駅の上屋の様子です。
屋根のベンチがあり、ホームへの入口が上屋の中にあります。
島原鉄道87
こちらがホームの様子で、単式1面1線の棒線無人駅となります。
島原鉄道89
この付近も江戸時代以降の干拓地にあたり、
駅の目の前にはご覧のように水田が広がっています。



島原鉄道90
釜ノ鼻駅からも引き続き国道57号線と島原鉄道は並走しており、
2km弱ほど東へ進むと次の駅となります。
こちらは諫早東高下交差点で、この交差点を北へと進むと駅があります。
島原鉄道91
交差点の角にある衣料品店。
島原鉄道92
この衣料品店前の交差点に駅への案内標識があります。
島原鉄道93
衣料品店の脇の道を北に進むと店の裏手に線路と踏切が。
島原鉄道94
踏切脇に駅への入口があり、
ちょうど衣料品店の裏手が駅となっています。
島原鉄道95
こちらが諫早東高校前駅の駅の外観となります。
1984年(昭和59年)に開設された駅ですので比較的新しい駅となります。
島原鉄道96
ホームは単式1面1線で棒線駅となります。
駅舎は無くホーム上に待合の上屋が設けられています。
島原鉄道97
上屋の様子です。
島原鉄道98
壁には駅周辺の案内地図が。
島原鉄道a01
ホーム北端の諫早方の光景。
島原鉄道a02
こちらは南端の島原方の光景です。
田んぼの中をカーブを描いて線路が走っています。
島原鉄道99
国道の交差点へと戻り、小川の側道へと入ると100mほどで
駅名の由来となっている諫早東高校があります。



島原鉄道a04
こちらは諫早東高校前駅から南東へと800mほどの場所で、
島原鉄道は諫早市から雲仙市へと入ってこちらは愛野町付近となります。

これまで国道57号線だった島原街道が分岐して国道251号線へと名前を変え、
鉄道は引き続き島原街道に沿って走っています。
島原鉄道a05
国道251号線沿いに建っている愛野記念病院です。
写真は国道から一本入った住宅地の病院裏手となります。
島原鉄道a06
裏手の道を西へと進むとすぐに駅前広場が。
島原鉄道a03
こちらが愛野駅の駅舎の外観となります。
1911年(明治44年)の島原鉄道開業時に最初の終着駅として愛野村駅として設置されました。
翌年には島原鉄道が延伸して中間駅となりました。
現在の駅舎は1986年(昭和61年)に改築されたもので
「愛の駅」として屋根に十字架のある協会を模した建物となっています。
島原鉄道a07
駅舎の前にある、かつての温泉軽便鉄道の愛野村駅があったことを示す
駅名標を模した記念碑です。
島原鉄道a08
1923年(大正12年)には当駅より温泉軽便鉄道が開業。
雲仙鉄道となった後の1938年(昭和13年)に廃止されるまでは
この駅は乗り換え駅でした。
島原鉄道a09
駅舎の西側の線路沿いの道路。
こちらがかつての温泉軽便鉄道の跡だそうです。
島原鉄道a11
そして駅舎の前のこちらは「ほほえみの像」。
なんでも愛野町は「日本ロマンチスト協会」の本部があるそうで、
像は「愛のオブジェ」の一つとして設置されたものだそうです。
また駅舎の外装もロマンチスト協会とのタイアップで
2009年(平成21年)にデザイン公募によって塗り替えられたものです。
島原鉄道a10
駅前の広場の様子です。
島原鉄道a12
こちらは駅舎の中の様子です。
現在は無人駅ですが、2017年(平成29年)までは有人駅でしたので
かつての券売窓口が残っています。
島原鉄道a17
ホーム側から見た駅舎の様子。
島原鉄道a13
南側の駅舎のある1番線ホームです。
駅は相対式2面2線となっており、こちらは上り線の諫早方面行きとなります。
島原鉄道a14
ホーム東側の構内踏切です。
こちらでホーム同士が連絡されています。
島原鉄道a15
こちらが2番線ホームとなります。
下り線の島原方面行きとなります。
島原鉄道a16
2番線ホームの裏手には引き上げ線が1線あり
ホームの目の前にバラスト(線路に敷く砂利)が積まれています。
東側には保線の倉庫と車止めがありました。



島原鉄道a18
こちらは島原鉄道の諫早駅━愛野駅間のau 4G LTEでの電波エリアマップです。
ご覧の通り全線が電波圏内となっていますので駅へのアクセスに困る事は無いでしょう。


路線は諫早市の近郊区間を抜けて雲仙岳の麓の島原半島の外周へと入ります。
風光明媚で有名な島原鉄道の続きはその2以降にて。

では。
【写真撮影:2018年11月】