でんこの元ネタ
■No.78 海部なる(Kaifu Naru)
 ■タイプ:アタッカー
 ■誕生日:3月26日

■出身駅: 阿佐海岸鉄道 阿佐東線 海部駅(徳島)
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海部駅の開業は1973年(昭和48年)10月で、
当時の国鉄牟岐線の牟岐駅━海部駅間の延伸によって終着駅として開業しました。


元々は改正鉄道敷設法の別表第107号による
「高知県後免ヨリ安芸、徳島県日和佐ヲ経テ古庄附近ニ至ル鉄道」の一部という
鉄道敷設の計画があり、1942年(昭和17年)には国鉄牟岐線として牟岐駅までが開業しています。

そして牟岐駅から西の区間は阿佐線として1959年(昭和34年)に建設線に昇格。
1964年(昭和39年)3月に発足した日本鉄道建設公団(鉄建公団)が建設を進めることなります。

こうして1973年(昭和48年)に牟岐駅━海部駅間 (11.6km)が開業。
既にあった牟岐線に組み込まれて海部駅が牟岐線の終着駅となります。

翌年の1974年(昭和49年)には海部駅より西の区間の工事が阿佐東線として着工。
1980年(昭和55年)2月には海部駅から宍喰駅までの区間でレール敷設までが完了します。
しかし同年10月に国鉄再建法の施行によって阿佐東線の工事が凍結
甲浦駅までの区間がほぼ完成した状態で線路は宙に浮く事となりました。


そして8年後の1988年(昭和63年)に
徳島県などが阿佐東線の第三セクター会社での引き受けを決定。
阿佐海岸鉄道が設立されて工事が再開され、
1992年(平成4年)3月26日に海部駅━甲浦駅間が阿佐海岸鉄道阿佐東線として開業をしました。
これによって海部駅はJR牟岐線と阿佐海岸鉄道の接続駅となります。

ちなみに駅メモのでんこ「海部なる」の誕生日が3月26日に設定されていますが、
これは阿佐海岸鉄道の開業日が元ネタとなっていると思われます。


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こちらは海部川に架けられた国道55号線の新海部川橋です。
1968年(昭和43年)に国道付け替えによって架橋されました。
現在は標識では海部大橋と書かれています。
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国道の海部大橋の上流側に並んで架かっているJR牟岐線の海部川橋梁。
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海部大橋の南東側のたもとには海陽町役場海部庁舎の建物があります。
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その役場の庁舎の南東側すぐ目の前には
国道と県道298号上皆津奥浦線との分岐があります。
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この県道と国道の分岐の交差点の南側角を見ると、
JR牟岐線の線路に構造物のみのトンネルが見えます。
このトンネルは町内トンネルというトンネルで、
1973年(昭和48年)の国鉄牟岐線の牟岐駅━海部駅間の延伸で設けられました。

開業時には小山を抜ける普通のトンネルでしたが、
おりしもトンネル周辺では宅地開発工事が進んでおり
トンネルの地山も造成で削られていました。
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結果開業から3年後の1976年(昭和51年)ごろには
トンネルまわりの土は完全に削り取られ、構造物のみが剥き出しとなりました。
かくして全長44mの短いトンネルは「意味の無いトンネル」として
好事家の間では有名なトンネルとなったのです。
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造成によって山が削られた場所付近にはご覧のように家が並んでいました。
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トンネル脇の国道55号線はご覧の様に切り通しとなっています。
国道はトンネルの5年前に開通していますから、
先にできた国道に合わせてトンネルの地山が削られ造成されたのでしょう。

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トンネル脇の切り通しから130mほど南東の高知方面へと進むと
ご覧の信号のある交差点があります。
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この国道55号線の交差点の南西80mほどに駅があり、
いわばこの交差点は駅への入口となっています。
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交差点の南西側の先はゆるやかな登り坂となっています。
この先は太平洋岸へと出て高知方面へと向かっています。
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切り返して西側からみた駅入口の交差点付近。
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交差点の東側角には寂れた感じの食堂がありました。
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俯瞰で見た交差点付近の光景です。
南側は700mほどで鞆浦港があり、その先には太平洋が広がっています。
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国道と駅とを連絡している道路です。
中央部にあるのは鞆浦港まで流れている川で、
その両側にそれぞれ道路が併走しています。
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こちらが海部駅の駅舎の外観です。
1973年(昭和48年)に開業した駅は路線と共に
全国で高規格の鉄道路線を敷設した鉄建公団によって作られ、
四国初の高架駅として誕生しました。
その為駅のホームも町道を跨いだ高架上に設けられています。
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ちょうど駅の入口前付近の川には橋が架けらられていて
往来ができる様になっています。
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駅前にはご覧の小さな駐車場のような駅前広場が設けられていました。
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広場から見た駅舎一階部分の正面です。
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こちらはホームへと上る階段のふもと付近です。
階段入口に設けられた上屋は1992年(平成4年)の
阿佐海岸鉄道の開業時に改築されて現在の形となりました。
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JR時代には券売窓口と駅事務所のあった場所ですが、
阿佐海岸鉄道が開業すると駅は簡易委託化。
そして1995年(平成7年)に海部町観光案内所が置かれ発券業務も委託されていました。
2015年(平成27年)には観光案内所は移転し、改装されて現在では
「あまべの杜」という青少年交流施設が入居しています。
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階段前で目を引くのがこちらの「開通記念之碑」です。
阿佐海岸鉄道の開通を記念し、海部出身の自民党代議士の
森下元晴・元厚相の揮毫によって1993年(平成5年)に建てられたものです。
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その横の階段脇にはご覧の観光案内の地図が。
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さらに奥へと進むと地図の裏手に駅舎一階部分への入口があります。
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入口を中へと入ると、通路には駅のトイレと
一階部分への入口の扉があります。
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駅舎一階の中をのぞくと交流施設の
備品が置かれているのが見えました。
ここはJR時代には駅舎の待合室や券売窓口のあった場所となります。
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表の階段下へと戻り、町営バスの停留場のバスポール。
運行本数はご覧の通りです。
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ホームへと上る階段を下から見上げた光景です。
鉄建公団が鉄道を建設した当時はバリアフリーの概念が無かった為、
高架駅にエレベーターもエスカレーターも無い例が全国で散見されますが
この駅も例に漏れず高架ホームへ昇る手段は階段のみとなっています。
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階段を登りきったホーム入口付近の光景です。

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こちらが東の駅舎側にある海部駅の1番線ホームとなります。
この駅は相対式ホーム2面2線ですが、
JR牟岐線の終点駅ですので1番線はJR西日本仕様の駅名標となっています。
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ホームから甲浦方面への線路はつながっていますが、
JRの列車は全てこの駅で停まって折り返しとなります。
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1973年(昭和48年)の駅開業時には駅にはこの1番線のみしか無く、
国鉄牟岐線の終着駅として単式ホーム1面1線の駅だったそうです。
反対側の2番線ホームは阿佐海岸鉄道の敷設時に増設されたものです。
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こちらはホーム同士を連絡する構内踏切です。
先ほど述べたように高架線に新たにホームを増設したのですが
連絡通路を作るには予算が厳しかった為に作られたものです。
地上ではよく見る構内踏切ですが高架線上では非常に珍しいと言えます。
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構内踏切から見た駅構内。
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列車が停まるとご覧の光景となります。
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駅の西側に位置する2番線ホームです。
こちらのホームの駅名標は阿佐海岸鉄道の仕様となっています。
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中ほどにはガラスで囲まれた待合室が。
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ホーム南端の先に見えるのは奥浦トンネルで
阿佐海岸鉄道に乗り換えると最初にくぐるトンネルとなります。
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阿佐海岸鉄道の開業で増設されたホームは
実質的に阿佐海岸鉄道の専用ホームとなっており
甲浦方面からの列車がこのホームで折り返して運行しています。


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駅前へと戻り、駅下の高架を西へとくぐると
左手に駅の駐輪場があります。
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高架の先はすぐ突き当たりでご覧の料理店の建物があります。
駅の裏手となる西側は山が迫っているため
ご覧の通り集落内の狭い道が伸びているのみです。
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裏手の北側へは道路が線路と併走して延びており、
その先は町内トンネルの地山を削った造成地があります。
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裏手から見た海部駅。



■モデル車両: 阿佐海岸鉄道 ASA-100形気動車
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ASA-100形気動車は1992年(平成4年)3月に
阿佐海岸鉄道阿佐東線が開業した際に新規製造された車両となります。
開業時に阿佐海岸鉄道が保有していたのは
ASA-100形が1両とASA-200形が1両の計2両でしたので、
このASA-100形は1両しか存在しないということになります。

ASA-100形の運行開始日は1992年(平成4年)3月26日ですが、
これは上でも書いた通り阿佐海岸鉄道の路線自体の開業日でもあり、
すなわち駅メモのでんこ「海部なる」の誕生日と同日でもあります。

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【上写真:土佐くろしお鉄道TKT-8000形気動車】
車両製造は新潟鐵工所によるもので、
土佐くろしお鉄道TKT-8000形をベースに作られているので
基本的な構造はTKT-8000形とASA-100形は同一
となっています。

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こちらがASA-100形の外観となります。
並べてみると土佐くろしお鉄道TKT-8000形とそっくりなのが分かると思います。
ディーゼルエンジンを搭載した気動車で車体はステンレス製となっています。
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車体に描かれた赤(    )、青(    )、緑(    )のカラーリングは
室戸阿南海岸国定公園の美しい海岸線と
太平洋の打ち寄せる波と砂浜をイメージ
しています。

【上動画はクリックで再生します。】
こちらはASA-100形の入線の様子です。
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ASA-100形をモチーフとしている駅メモのでんこの海部なるを見ると
車体のカラーリングと同じ色を衣装にあしらっているのが分かります。
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そして一両のみしか作られなかったASA-100形には
ご覧の通り「しおかぜ」の愛称がつけられています。
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ヘッドマークは甲浦方に「あさちゃん」、海部方に「てっちゃん」の
二種類の伊勢えびのキャラクターが描かれています。
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これは阿佐海岸鉄道の宍喰駅の改札前にある、
水槽の駅長室にいる二匹の伊勢えび駅長にちなんだものです。
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なるの頭に付いている筒のような髪飾りは
信号炎管という運転席上の屋根にある保安部品がモチーフです。
気動車にはパンタグラフがありませんので
代わりに屋根の上で目立つこの信号炎管がつけられたのでしょう。
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また衣装のトップスのバスト下のデザインは
車両前面にある前照灯と標識灯をモチーフとしているのが
並べてみると良く分かります。

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車内の様子です。
セミクロスシート車両となっており、車両の両端部の座席はロングシート、
中央部の座席は転換クロスシートとなっています。
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車両の中央部にある転換クロスシート席。
2+2席が5列で計20席分があります。
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そして客室の両端部にはロングシートが。
ロングシート席は計30席分となっており、
車両全体では座席は合計50席となっています。
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車端部の様子です。
運転台は左側にあり、前面部には貫通扉があります。
乗降口は左右に折り戸式のものが設けられています。
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ワンマン運転用の運賃箱と乗車証明の発行機はご覧の通り
カバーがかけられて使われていませんでした。
料金の精算は運転士と直接受け渡しをする様で、
運賃箱は運転席の扉としてのみの役割となっていました。
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また、ASA-100形は両車端部に運転台があり基本的には同じ形ですが、
海部方と甲浦方で若干の形状の違いがあります。
甲浦方の車端にはご覧のTVモニターが設置されています。
また運転席後部のパイプスペースと思われる出っ張りの脇には
細長い両替機がありました。
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一方のこちらは海部方の車端部ですがTVモニターは無く、
代わりに運転台後ろのパイプスペース下部は棚状になっていました。
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天井を見ると空調の吹き出し口が。

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また阿佐海岸鉄道では利用促進策に積極的で、
定期的に列車に装飾を施す列車を走らせるなど
「お金をかけずにできるアイデア」を実施しています。
こちらは私が訪れた2017年(平成29年)夏に実施していた「天の川列車」。
トンネルの多い阿佐東線の特性を生かし天井をLEDで埋め尽くしています。
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こちらは2020年(令和2年)2月に実施していた「吊るし雛列車」の様子です。


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そして阿佐海岸鉄道では2020年度(令和2年)の営業運行開始を予定して
DMV(Dual Mode Vehicle、デュアル・モード・ビークル)の準備が進められています。

このDMV導入によって阿佐海岸鉄道の阿佐東線は全線がDMV専用路線に転換され、
JR四国と阿佐海岸鉄道の会社境界が海部駅から阿波海南駅へと変更、
阿佐東線とJR牟岐線のレールも分離される予定なのだそうです。

全線がDMV化される阿佐東線は鉄道用の信号機も撤去してスタフ閉塞に切り替えるそうで、
これによって従来の鉄道車両が走る事はできなくなります
どのような影響がこれによって生まれるのかというと、
でんこのモデルとなったASA-100形の車両が不要となるということです。

不要となったASA-100形の車両は運が良ければ
他社への車両譲渡や静態保存などの道もありますが、
引き取り先が無ければ廃車解体への道をたどる事も十分に考えられます。
つまり、せっかくでんこのモデルとなった車両が
最悪あと1年で見られなくなる可能性がある
という事です。


ASA-100形と同じ1992年(平成4年)3月26日に導入されたASA-200形は
その導入日から「海部なる」のモチーフの一つの可能性がある車両なのですが、
2008年(平成20年)6月の車庫での脱線事故によって廃車解体となり
現在ではその姿を見ることはできません。

ですからASA-100形も営業運転をしている今見ておかないと
遠くない将来に見ることができなくなる
と思われます。
なので今のうちに一度は阿佐海岸鉄道を訪れてASA-100形に乗車される事をお勧めします。

【写真撮影:2020年2月】