次はJR札沼線についてですが、
こちらでは札沼線の非電化区間についてを分けて書きたいと思います。
札沼線は1931年(昭和6年)に石狩沼田駅━中徳富駅(現・新十津川駅)間を
国鉄札沼北線として開業したのが始まりで、
1934年(昭和9年)には札沼北線が浦臼駅まで延伸し、
南側の桑園駅━石狩当別駅間が札沼南線として開通しています。
1935年(昭和10年)に石狩当別駅━浦臼駅間が開通したことによって
札幌駅と石狩沼田駅を結ぶ国鉄札沼線となりました。
しかし「赤字83線」に挙げられた事からも分かる通り採算が取れておらず、
留萌本線の石狩沼田駅から新十津川駅までの区間は1972年(昭和47年)に廃止されました。
北海道医療大学駅より南については大学の開校と
それに伴う近隣の開発によって需要が高まり、電化されて札幌近郊路線へと変貌しました。
しかし北海道医療大学駅より北の区間については非電化のままであり、
JR北海道で一番営業係数の高い路線として2020年(令和2年)の廃止が決定しています。
こちらは石狩当別駅の1番線ホームです。
南北で運行の様子が全く異なる札沼線ですが、この石狩当別駅が運行上の境目となります。
1番線は「学園都市線」の愛称を持つ札幌駅からの電車が入線するホームで、
札幌方面の上り電車が折り返すホームとなります。
そしてこちらは石狩当別駅の島式の2、3番線ホームですが、
当駅から北へと向かうにはこちらのホームで乗り換える事となります。
その3番線ホームに停まっているこちらの気動車が、
朝7時代に出発する新十津川行きの始発にして最終列車です。
途中の浦臼駅や石狩月形駅までは他にも列車は出ているのですが、
終点の新十津川駅が一日に上下各1本の列車しか発着しない為、
ご覧の列車が「朝7時の最終列車」として全国的に有名となっています。
石狩当別駅で並ぶ通勤型の735系電車と、札沼線専用のキハ40形400番台の気動車。
札沼線の電車と気動車の運行の境界はこの石狩当別駅なのですが、
電化区間は隣の北海道医療大学駅まであり、電車も走っています。
そして気動車が当駅始発で運行していますが、
非電化区間である北海道医療大学駅より以北については
2020年(令和2年)5月6日を最後日として廃止が決まっています。
ですので札沼線の記事については北海道医療大学駅を境に
存続区間と廃止予定区間で区切りたいと思います。
こちらは北海道医療大学当別キャンパスです。
1974年(昭和49年)に東日本学園大学として設立された大学で、
医学部こそ無いものの5学部8学科からなる医療系総合大学となります。
大学の前の道路は学園通りという名前の町道で、
ご覧の通りから田んぼを挟んで駅のホームが見えます。
駅と学園通りの間には大学関係者用の駐車場が。
かなりの台数の停められる広さがあり、まるで商業施設の駐車場の様です。
駐車場入口からさらに北へと進むと
すぐに大学と駅とを結ぶ跨道橋が見えます。
跨道橋をくぐった北側すぐには
大学の敷地への入口ゲートがあり、ゲート脇には守衛の詰め所が。
ゲートのすぐ北側には横断歩道があり、
その先が駅への取付道路となっています。
学園通りから駅前広場までの様子です。
駅前広場に隣接してあるログハウス造りのカフェ。
地元の農家が副業で開いていた店の様ですが、現在も営業しているのかは不明です。
こちらが駅前広場から見た北海道医療大学駅の駅入口付近の外観です。
駅は1981年(昭和56年)に目の前にある東日本学園大学の請願により
大学前仮乗降場として設置され、翌年の1982年(昭和57年)に正式に駅となっています。
1995年(平成7年)に大学の名称が変わった事を契機に現在の駅名となりました。
左手のホームへの階段の前にはかつて駅舎がありました。
しかし駅の性格上駅舎を利用する人がほとんどいない為、
2015年(平成27年)に解体されており階段も封鎖されています。
そしてこちらが現在の駅への入口です。
連絡通路の入口ですが、現在ではこちらだけが駅の入口として使われています。
連絡通路へと入って右手の北西側を見ると目の前に自動扉があります。
自動扉の先は北海道医療大学の校舎内であり、
駅前広場に隣接して20周年記念会館という建物が建っています。
こちらには食堂の他にコンビニのセイコーマートが入っており、
列車を待つ学生はこちらの建物内で過ごすことが可能となっています。
連絡通路の、駅前広場と反対側にもご覧の入口があり
北海道医療大学の大学駐車場が広がっています。
駅前広場、連絡通路、20周年記念会館、そして駐車場は全て大学の敷地内にあり、
大学が駅設置を請願した際に、線路と隣接する敷地の一角を
駅施設として提供したであろうことが想像できる造りと言えるでしょう。
連絡通路の南東側に設けられた改札付近の様子です。
簡易Kitaca改札機が設置されています。
改札を入って右手にはホームへの連絡通路があり、
その先には2番線ホームがあります。
2番線ホームの様子です。
上り線の札幌方面行き列車のホームとなります。
2番線の北側の改札前付近にはご覧の車止めがあります。
ですので2番線は当駅始発となる折り返し列車が停まるホームとなり、
駅名標にも終着駅のごとく札幌方の駅名しか表記されていません。
元々この駅は開設時には単式の1番線しかありませんでした。
しかし発着列車数が増加したことによって1995年(平成7年)の駅名改称時に
こちらの2番線が新たに増設されました。
2番線に停まる札幌近郊を走る電車。
JR北海道が札沼線の電化に合わせて2012年(平成24年)に導入した通勤形車両です。
そして2番線ホームの北端、改札の左斜め前には
ご覧の1番線ホームへと連絡する通路があります。
こちらの通路までが1995年(平成7年)に増設された部分となります。
1番線ホームの様子です。
元々線路のあった場所に1981年(昭和56年)に
仮乗降場として設置されたのがこちらのホームとなります。
現在は上下線共に停まりますが、
主に十津川方面に行き来する気動車が使用するホームとなっています。
線路の反対側を走っている道路は国道275号線という国道です。
1番線ホームに停まる札沼線の気動車。
こちらは北海道医療大学駅のホームから北に150mほどの位置にある
北5号道路踏切という踏切です。
別段変わったところの無い様に見えるこの踏切は
札沼線そしてJR北海道にとって非常に意味のある踏切でもあります。
というのはこちらの踏切の先に札沼線の電化架線の終端があるからです。
札沼線は北海道医療大学駅を境に電化区間と非電化区間とに分かれますが、
この踏切が電化区間の終端部となります。
踏切から見た南の駅方向の様子です。
こちらは北海道医療大学駅前を通っていた学園通りを
北へと2km少々北上した付近の光景です。
こちらに次の駅へと連絡する取付道路の入口があります。
石狩金沢駅の駅舎外観です。
1935年(昭和10年)に国鉄札沼線の延伸によって開業した駅で、
かつては木造駅舎があり、現在でも駅舎の基礎跡が駅前に残っています。
ホーム側から見たかつての駅舎跡。
車掌車のヨ3500を転用した貨車駅舎の中の様子です。
貨物の荷室にベンチが置かれて待合室となっているいわゆるダルマ駅です。
駅舎はホーム南端の前にあり、
スロープでホームへと上がる構造となっています。
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
線路の向こう側60mほどには国道275号線が併走しています。
かつてはホームは島式として使用されていたもので、
駅舎と反対側にもう一つ単式ホームのある2面3線の駅だったそうです。
1979年(昭和54年)に無人化された後にレールが撤去されて
ホームの駅となった様です。
こちらは石狩金沢駅から北に4.2kmほどの距離にある
国道275号線の光景です。
周囲にほとんど何も無くひらけた視界のこの付近に
次の駅へと連絡する道が国道から分かれています。
国道から駅までおよそ100mほどの取付道路の先に駅が見えます。
こちらが本中小屋駅の駅舎の外観です。
1935年(昭和10年)の国鉄札沼線延伸で設置されたのは石狩金沢駅と同様であり、
車掌車のヨ3500を転用した貨車駅舎であるのも同じです。
この駅もかつては木造駅舎があった駅で、
現在の駅舎の目の前に基礎の跡が残っています。
そして駅前には空き地が広がっており、
国道の向こう側まで一面が平らで地平線の見える光景となっています。
駅舎の中はご覧の通り、貨車駅舎の荷室にベンチが置かれています。
ホーム側から見た駅舎。
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
ホームの反対側には山と畑が見えるものの
民家は散在している状態です。
本中小屋駅から引き続き国道275号線と併走しながら北上する札沼線。
3.2kmほど進んだ中小屋郵便局のある付近が次の駅の駅前となります。
郵便局の並びの北側にある、営業している様子の無い食堂。
食堂の前に横断歩道があり、
中小屋の名前のついた信号が設置されてます。
信号から切り返して西側を見ると、国道に隣接して駅前の広場が。
こちらが中小屋駅の駅舎です。
1935年(昭和10年)開設でヨ3500を転用した貨車駅舎であるのは
石狩金沢駅、本中小屋駅と同じです。
この駅もかつては木造駅舎があって基礎の跡が残っています。
駅舎の中の様子です。
ベンチが置かれた待合室となっているのも他のダルマ駅と同様です。
ホーム側から見た駅舎付近。
こちらがホームの様子です。
単式1面1線の棒線無人駅となります。
ホーム南端の東側にはかつての貨物側線の線路がまだ残っていました。
駅の向かい側には水田がひろがっており、
その奥には丘が見えます。
引き続き札沼線は国道275号線と併走して北上し、
2.8kmほど進んだ月ヶ岡の信号付近の国道沿いに次の駅があります。
反対の北側から見た月ヶ岡の信号付近。
信号には横断歩道が設けられており、
目の前が駅の敷地の入口となっています。
国道に隣接した敷地は舗装された駐車場となっており、
さながら国道脇に作られた公園の休憩スペースの様になっています。
駐車場の北東角にあるオブジェ。
こちらが月ヶ岡駅の駅舎となります。
駅は1958年(昭和33年)にすでにある線路脇に新設されたものであり、
現在の駅舎は前の駅舎が焼失したために
1993年(平成5年)に公園休憩所として立て直されたものです。
ログハウス風の駅舎の入口付近。
こちらが駅舎の中の様子です。
前の駅舎が無くなって代わりの待合所として作られた建物ですが、
地域の集会所や国道のドライバーの休憩所としても使われています。
ホームへの入口は、駅舎の北側の駐車場前にあります。
入口前に立てられた月形町のガイドマップ。
こちらがホームへと上がる階段となります。
ホームは単式ホーム1面1線で、
土盛りでは無く鉄骨にアスファルト敷きで作られています。
手すりはあるもののホーム上に白線などは無く
無骨にホームがあるのみの状態となっています。
ホーム北端の先にある月ヶ岡道路踏切。
こちらは道道11号月形厚田線という道道で、
札沼線と併走してきた国道275号線から東へと伸びている道路です。
国道から西に700mほど進んだ場所にご覧の厚田岩見沢線踏切があります。
この踏切の北側の線路脇に次の駅が設けられています。
こちらが知来乙駅の駅舎の外観です。
隣の月ヶ岡駅と同様に1958年(昭和33年)にすでに敷かれた線路脇に新設された駅となります。
建物の中の様子です。
無人駅の木造の待合室で長椅子タイプのベンチが置かれています。
奥の扉はトイレとなります。
ホーム側から見た駅舎前の様子です。
線路脇の砂利敷きの広場が駅前の敷地となります。
そして駅舎の前にはホームの南端があり、スロープで上がることができます。
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
駅周辺はご覧の通り畑の広がる地域で
あたり一面に視界を遮る建物がありません。
西側の道道から見た駅周辺の光景。
こちらは道道376号石狩月形停車場線の光景です。
道道はいわゆる停車場線で、月形町役場の前を南北に走って
ご覧の交差点で西へと曲がり駅へと連絡しています。
交差点から南の役場方面の様子。
こちらが交差点から西の駅への光景で、
駅から交差点まではおよそ100mほどです。
石狩月形駅の駅舎の外観です。
1935年(昭和10年)の国鉄札沼線の延伸によって開設されたのは周辺駅と同様ですが、
この駅は月形町の中心駅であり、札沼線の非電化区間唯一の社員配置駅となります。
道道の停車場線は駅前が起点となっており、
T字路の突き当たりに駅舎が設けられていました。
駅前の駅舎とトイレの間に立っていた
月形町の案内地図の看板です。
駅舎を背にして見た道道376号石狩月形停車場線。
こちらが駅舎の中の様子です。
待合室にはダルマストーブが置かれていました。
有人駅ですので窓口が営業していますが、
非電化区間はワンマン運転なので駅で改札業務は行っていません。
改札は行いませんが列車到着時にはご覧の案内札は下げられており、
駅員さんも構内に立って業務にあたっていました。
待合室の時刻表。当駅終着の列車が2本ある為、
この駅から北の新十津川方面へは一日6本となっていました。
改札を出ると構内踏切を渡って島式のホームへ。
こちらがホームの様子となります。
島式ホーム1面2線となっており、駅舎のある東側が札幌方面行きの上り線、
反対の西側が新十津川方面行きの下り線ホームとなります。
上り線と駅舎との間には貨物の積み下ろし用の線路が残っており
保線用の待避線として使われています。
この石狩月形駅より北の札沼線に交換設備は無く1閉塞区間となっています。
その為か当駅より北側はスタフ閉塞となっています。
こちらは石狩月形駅から国道275号線を4.8kmほど北上した付近の光景です。
右手の東側には石狩川が併走しているこちらから、
西に向かって道路が分岐していて駅への案内標識が設置されています。
案内に従って国道から西へと一本道を1kmほど西進すると
坂を上った先に橋が見えてきます。
豊ヶ丘陸橋と橋名の銘板があるこの橋は、
次の駅の北側170mほどで札沼線を跨いでいる跨線橋となります。
跨線橋から南を望むとご覧の通り、
直線の線路と駅を俯瞰できる絶好の撮影スポットであるのが分かります。
金網の穴は不心得者の撮り鉄が撮影の為に工具で破壊した跡だと言われています。
個人的には現場を見たら許さない行為なのですが。
反対の北側の金網にも同様の穴が開けられていました。
この穴は鉄道漫画にも描かれている穴で一部には有名な様です。
こちらは跨線橋を国道とは反対側の西側から見た光景です。
道路が橋の手前でカーブを描いているのが分かります。
跨線橋から60mほどのそのカーブから一本の砂利道が分かれているのですが、
畑の中のあぜ道に見えるこちらこそが駅への道となります。
駅がある事を示す標識などは無く、駅があると知らなければ
ここが駅への入口とは分からないと思います。
鉄道保安林の中を通る砂利道をおよそ200mほど進むと
小さな建物の屋根が見えてきますが、こちらが駅の待合室となります。
こちらが札沼線で随一の秘境駅として名高い
豊ヶ岡駅の駅の外観となります。
駅は1960年(昭和35年)に豊ヶ丘地区の住民の請願によって新設開業しました。
尚、この地の地名は豊ヶ「丘」ですが駅名は豊ヶ「岡」となっており理由は不明なのだそうです。
こちらが駅舎となります。小さな木造の待合室で、
入口の上に木製の駅名標がまるで山小屋のようにあります。
駅舎の中はご覧の通りで、壁沿いに木製のベンチが設けられていますが
待合室の真ん中には誰かが持ち込んだテーブルが置かれていました。
駅前広場といったものはこの駅にはありませんが、
駅への連絡道である砂利道がゆるやかな坂となっており、
待合室周辺が若干広くなっています。
そして駅舎の目の前にあるこちらが札沼線の豊ヶ岡踏切です。
遮断機の無いこちらの踏切の脇に駅のホームがあります。
こちらが駅ホームへの入口となる階段です。
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
札沼線の他の駅のホームが土盛りやアスファルトなのに対して
この駅のホームは板張りとなっています。
数年前まではコンクリートのホームだった様なのですが、
老朽化で崩れかけており板張りに直された様です。
ホーム柵も単管パイプとネットが張られて直されていますが
クランプカバーの新しさが改修まもない事を示しています。
そして踏切から駅舎と反対の東側にも
ご覧の砂利道が伸びているのが見えます。
ゆるやかな坂を上ると道が左手へと曲がり周囲が開けた光景となります。
曲がり角から切り返して見た駅方面の光景。
130mほど進むと砂利道は舗装された道路へとぶつかります。
合流した場所は、豊ヶ丘陸橋の東側すぐ手前の地点でした。
つまり豊ヶ岡駅へと向かうには、
陸橋の西と東のどちら側からも砂利道が通じているということです。
こちらは国道275号線の札比内信号付近の光景です。
豊ヶ岡駅を出た札沼線は再び国道と近づき、
鉄道の営業キロで2.5km、国道の豊ヶ岡駅入口からは2kmほどで次の駅の駅前となります。
国道から駅舎へは60mほどの取付道路が延びているのですが、
間が何も無い空き地となっているのであたかも広大な駅前広場がある様に見えます。
こちらが札比内駅の駅舎の外観です。
1935年(昭和10年)の国鉄札沼線の延伸で設置された駅で、
かつては写真左側にも駅舎が伸びていましたが、減築されて現在の大きさとなった様です。
駅舎の中の様子です。
1979年(昭和54年)に無人駅となっていますが、かつて使われた窓口は残っていました。
この窓口も2010年(平成22年)頃までは使われていたそうです。
窓口に掲示されている「切符を委託販売している薬局」というのは
国道の反対側正面にあるこちらの建物の様です。
ホーム側から見た駅舎前の様子です。
改札を出ると数m離れてホームへ上る階段があります。
これはかつて島式1面2線だった頃の線路のあった跡です。
こちらがホームの様子です。
現在の駅は単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
駅周辺にはご覧のように畑と空き地が広がっていますが
周辺にはちらほらと民家が見えます。
こちらはJR札沼線の北海道医療大学駅━札比内駅間の
au 4G LTEでの電波エリアマップです。
ご覧の通り線路上では全ての区間が電波エリア圏内となっています。
北海道の平原でトンネルもありませんので駅へのアクセスに困る事は無いでしょう。
石狩川の対岸およそ4kmほどの距離をJR函館本線が併走しており、
函館本線からのレーダーで基本的に札沼線の駅は取得が可能です。
また北海道医療大学駅までは都市近郊路線で電車本数も多く、
月ヶ岡駅まではレーダー射程圏内となっています。
北海道医療大学駅より北に関しては先にも述べた通り
2020年(令和2年)5月6日を最後に廃止が決まっています。
しかしながら区間が丸ごと廃駅となってしまっても、函館本線からアイテムで取れるという特性上
さほど駅メモでのプレイに影響は与えないでしょう。
ですが、せっかくまだ乗れるチャンスがあるのですから
廃止前に一度は「始発で最終」の列車に乗ってみるのも一興かと思います。
乗って札沼線を攻略できるのはあとわずかしかありません。
札比内駅より北についてはその2にて。
では。
【写真撮影:2018年5月】
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