でんこの元ネタ
■No.34 碇ヶ関ひいる(Ikarigaseki Hiiru)
 ■タイプ:サポーター
 ■誕生日:12月1日

■出身駅: JR東日本 奥羽本線 碇ヶ関駅(青森)
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こちらは国道7号線で
江戸時代には羽州街道と呼ばれた脇往還(五街道に準じる主要道)でした。
国道には駅への案内標識がありますが、
標識の真横の道は県道202号碇ケ関大鰐停車場線という県道となります。

その奥30mほどの信号が碇ヶ関駅入口交差点であり、
信号から西へと分岐している県道237号碇ケ関停車場線が駅への連絡道路となります。
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国道から駅までの140mほどの連絡道路が県道237号線で、
停車場線特有の短い県道となっています。
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こちらが碇ヶ関駅の駅舎の外観となります。
駅は1895年(明治28年)に当時の官営鉄道の奥羽北線が
弘前駅からこちらの碇ヶ関駅まで延伸した際に設置されました。
4年後の1899年(明治32年)には奥羽北線がさらに延伸されて途中駅となっています。
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駅舎の中の様子です。
広めの待合室にはベンチが置かれています。
平川市への簡易委託駅となっており
券売窓口ではPOSによる指定席の発券も行っています。
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待合室のホーム側改札脇に掲示されていた駅名の由来の看板です。
駅で補足した張り紙もありましたので併せて。
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同じく改札脇にあった碇ヶ関の温泉の由来です。
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ホーム側から見た改札付近。
関所を模した軒と提灯が下がっています。
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提灯はご覧の様に夜には実際に灯りがともります。
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駅は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線のいわゆる国鉄型と言われる形式で、
こちらは駅舎のある1番線ホームとなります。
奥羽本線の上り秋田方面行きの列車が使用しています。
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1番線ホームにある碇ヶ関駅の観光案内看板。
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2つのホームはご覧の跨線橋で連絡されています。
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跨線橋から見た駅構内の様子です。
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こちらは島式の2、3番線ホームです。
基本的に3番線が下り線の青森方面行き列車のホームとなります。
駅舎側の2番線は上下共用の待避線で一部の列車が上下線ともに停まります。

【上の埋め込み動画は試聴ができます。】
JR東日本では2010年(平成22年)に東北新幹線新青森開業キャンペーンを行って行っており、
「MY FIRST AOMORI」として9月よりドラマ仕立てで計7本のCMが放映されました。
その中で碇ヶ関駅のホームが、劇中駅員の旧所属駅のホームとして使われています。

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そして碇ヶ関駅の北側には、国道7号線沿いに隣接するように
道の駅いかりがせきがあります。
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「津軽『関の庄』」という愛称がつけられている様に
江戸時代に津軽藩が設置した碇ヶ関の関所にちなんでおり、
敷地内には碇ヶ関御関所という関所の資料館が設置されています。
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また同じく道の駅の敷地内には関の庄温泉という温泉が併設されており
かけ流しの温泉に入浴することができます。
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敷地内にある、駅メモラーには欠かせない足湯です。

【写真撮影:2016年7月】
※写真等は後日追加して加筆の予定です。



■モデル車両: JR東日本 E751系電車 特急「つがる」
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盛岡━青森間を運行していた特急「はつかり」は
485系電車が20年を経過したことから老朽化が進んでいました。

交直流電車である485系の後継としてはE653系電車がすでに開発されていましたので、
485系を取り替えるのであれば本来はE653系を投入すれば車両交代は可能でした。

しかしながらJR東日本ではコストを考慮した結果、
将来の直流区間への乗り入れを考慮しない交流専用電車を
E653系をベースとした別形式として開発

1999年(平成11年)から2000年(平成12年)かけて6両編成3本がE751系として製造されました。

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(写真上:特急いなほ、下:特急つがる)
駅メモ的な余談で言えば、E653系というのは常磐線のスーパーひたちとして開発され、
後に羽越本線に投入された特急いなほの車両です。

そのE653系をベースに開発されたのがE751系ということですから、
碇ヶ関ひいる(E751系)は豊栄なほ(E653系)を元にして作られたということになります
残念ながらその経緯を設定として生かす話は駅メモにはありませんが、
元ネタの車両を並べてみるとなるほど似ているのが分かります。
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2000年(平成12年)3月11日に盛岡━青森間の特急「スーパーはつかり」として走ったのが
E751系としての営業運転デビューとなりますが、
2002年(平成14年)12月1日に東北新幹線の盛岡━八戸間の開業に併せて
E751系は八戸━青森間の特急「つがる」として営業運転を開始
しました。

このE751系をモチーフとしている駅メモのでんこ「碇ヶ関ひいる」の誕生日は
12月1日に設定されていますが、これはE751系が特急つがるとしてデビューした日と同じです。
岩手県の盛岡駅始発ではなく、青森県内の八戸から青森までの運行開始日であり
「つがる」の名称での運用開始日を誕生日に設定したのは青森色を強める為なのでしょうか。


以下が特急つがるの各車両についてとなります。
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まずは秋田方の先頭車両である1号車のクロハE750形です。
ク(制御車)ロ(グリーン車)ハ(普通車)となりますので
運転台があり、グリーン車と普通車が半室づつある車両という意味となります。
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反対側から見た1号車の全景。
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車体横の列車形式番号です。
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1号車のグリーン席は運転室の真後ろである秋田方にあります。
この車両の乗降扉は反対の青森方にのみとなっていますので、
グリーン車のマークはご覧の様に先頭側につけられていました。
写真左の扉は運転席の扉ですので当然乗客は使用できません。
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青森方の乗降扉付近です。
こちらにはグリーン席のマークはありませんが
これは半室グリーン車なので乗客が間違えない様にする配慮なのでしょう。
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乗降デッキの中の様子です。
1号車にはサニタリースペースが設けられており、
車椅子対応様式トイレ、男性トイレ、洗面台、そして多目的室があります。
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青森方の連結部手前にある洗面台。
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洗面台の向かい側には洋室トイレ、男性用トイレが並んでいます。
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こちらは洗面台の並びにある多目的室です。
中には椅子と折りたたみのテーブルがありました。
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1号車の青森方の半室となる普通車自由席の様子です。
2+2席のシートが5列と、車椅子対応座席が2席あり合計22席となります。
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青森方の車端に設けられた車椅子対応座席。
車椅子対応トイレのあるデッキからすぐの場所にあります。
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そしてこちらが秋田方の奥にあるグリーン席の様子となります。
2+2席が4列で計16席のグリーン席が設置されています。
座席の幅やシートピッチが普通席より広いのはもちろん、
普通席には無いヘッドレストがあり、床もじゅうたん敷きとなっていました。

また、車両の一番奥にグリーン席を設けた事により
通路を普通車の乗客が通ることはありません。
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奥には運転席への扉が。


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秋田方の2両目のモハE751形100番台です。
モ(電動車)ハ(普通車)ですのでモーターの搭載された普通車両となります。
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この車両の屋根の上にはパンタグラフが搭載されており、
主変換装置も搭載している中間電動車となります。
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乗降デッキの様子です。
2号車も青森方にのみ乗降扉があり、通路の両側には
車掌などが詰める業務洋室が設けられています。
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客室内の様子です。
普通車自由席のシートが2+2席が18列で計72席となります。


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秋田方からは3両目、青森方から2両目となる3号車のモハE750形100番台です。
モ(電動車)ハ(普通車)でモーターを搭載している中間電動車です。
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乗降デッキの様子です。
この車両も青森方にのみ乗降扉が設けられています。
デッキには共用洋式トイレ、男性用トイレ、洗面所があります。
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洗面所は1号車のものに比べるとやや小さめとなっています。
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3号車の客室内です。
普通車自由席の車両で2+2席が18列で72席となります。


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そして青森方の先頭車両であるクハE751形です。
ク(制御車)ハ(普通車)ですので運転台のある車両ということになります。
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車体の横の列車形式番号。
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乗降扉はこの車両も青森方にのみあります。
運転席のすぐ後ろに位置していますので、乗降スペースのみとなっています。
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客室内の様子です。
この車両は2+2席が17列で計68席となっています。


このE751系は新造されて盛岡━青森間を「スーパーはつかり」として
走り始めた時には6両編成の特急でした。
ですのでモハE750形基本番台モハE751形基本番台という2両が
編成の間に挟まれて運行を行っていました。

2010年(平成22年)12月の東北新幹線の八戸━新青森間延伸によって
E751系は一旦運用を離れ、2011年(平成23年)4月より秋田━青森間で運用復帰しますが
その際に4両編成に短縮されており、離脱した2両(3編成で合計で6両)はその後廃車となっています。
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E751系の先頭車両前面には「Tsugaru」のロゴが入っています。
これは特急つがるとなった2002年(平成14年)以降のことで、
それ以前にはスーパーはつかりとして「Hatsukari」と書かれていたそうです。

【写真撮影:2019年7月】