でんこの元ネタ
■No.80 那珂湊ねも(Nakaminato Nemo)
 ■タイプ:アタッカー
 ■誕生日:1月28日

■出身駅: ひたちなか海浜鉄道 湊線 那珂湊駅(茨城)
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那珂湊駅の開業は1913年(大正2年)12月で、
軽便鉄道として開業した湊鉄道湊線の勝田駅━那珂湊駅間の終着駅としてでした。
その後1924年(大正13年)には湊線が磯崎駅まで延伸して途中駅となり、
1928年(昭和3年)に阿字ヶ浦駅までの延伸で現在の湊線が全通します。


1929年(昭和4年)には国鉄との相互乗り入れにより
湊線の列車の国鉄水戸駅までのの直通運転が開始。
そして1944年(昭和19年)には戦時の県内交通統合によって
水浜電車、茨城鉄道と湊鉄道が統合。茨城交通湊線となります。

国鉄水戸駅までの直通運転は1963年(昭和38年)で休止となったものの、
1969年(昭和44年)には阿字ヶ浦海水浴場へのレジャー客を見込んで
上野駅━阿字ヶ浦駅間を運行する臨時列車、6両編成の急行あじがうら号が設定されます。
この海水浴臨時列車はその後の海水浴ブームの終焉とともに
快速、普通列車へと格下げされた後に1992年(平成2年)に運行を終了。
このあじがうら号の運行があった為、
湊線の昔からの駅のホーム有効長は6両編成に耐える長さとなっています。


2005年(平成17年)に茨城交通が地元自治体のひたちなか市に対して
赤字の湊線を2008年(平成20年)3月で廃線にしたい旨を表明。
茨城県、ひたちなか市、茨城交通の協議によって第三セクター化が合意されて
2008年(平成20年)4月1日よりひたちなか海浜鉄道へと移管されます。

赤字によって廃止寸前だったローカル鉄道の湊線ですが、
その後堅実な施策によって収支は持ち直して黒字化。
現在は終点の阿字ヶ浦駅から国営ひたち海浜公園までの3.1kmの延伸計画が進むなど
異例の回復振りから「奇跡のローカル線」と呼ばれるまでになりました。

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こちらは那珂湊駅の駅舎の外観となります。
建物は修理などの手は入っているものの開業以来のものという事ですから
築100年以上を経ている建物ということになります。
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駅前にはご覧のロータリーがあります。
時計回りに通行する広場の中央にはタクシーの待機スペースもあります。
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駅前広場の南側には隣接して県道6号水戸那珂湊線が走っており、
目の前は那珂湊駅前という信号となっています。
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県道から駅前広場への入口にある案内板。
イデオグラム(表意文字)をつかったデザインが特徴的です。
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駅舎の東側の目の前にある那珂湊の観光案内地図です。
那珂湊の街中の各所でも同じデザインの案内を見ることができますが、
これはひたちなか海浜鉄道の駅名標をデザインしたデザイナーの
小佐原孝幸氏の手によるもの
です。
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観光案内図の脇にある白いポスト。
今では都会では見かけないかなりローカルなアイテムとなりました。
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一旦駅舎の入口の前へ。
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駅舎の入口を挟んで観光案内版の反対の西側を見ると
バスの待合所が駅舎内に併設されています。
ベンチの置かれた待合室は外からはもちろん、
駅舎の中からも出入りができるようになっています。
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バス待合所のさらに西側の隣はご覧の茨城交通那珂湊営業所があります。
かつては飲食店や弁当屋がテナントとして入居していた場所なのだそうですが、
現在ではかつて湊線を運行していた茨城交通が入っています。
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茨城交通の営業所からさらに西へと進むと
駅舎の先の線路沿いはバス駐車場となっており
茨城交通のバスが停まっているのが見えます。
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駅舎の中に入り、こちらが待合室の様子です。
木製のベンチの並んだ待合室で、
壁まわりには駅や鉄道の写真や資料が並んでいました。
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待合室の東側には券売窓口があり、自動券売機も1台設置されています。
券売機の横には1998年(平成10年)に選定された「関東の駅百選」のプレートが。
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こちらはホームへと出る改札口の様子ですが、
引き戸のガラスをよく見ると黒猫のシールが貼られていました。
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ホーム側から見た改札付近です。
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駅舎のある単式ホームの1番線です。
上り線の勝田方面行き列車の発着するホームとなります。
ホーム上の建屋の屋根も開業以来のものが生かされていますが、
広いホームは2017年(平成29年)に舗装が直されて綺麗に改修されています。
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ホーム西端にはフェンスが設けられていますが、
カットされた古いホームがそのまま残っており
改修前と改修された後のホームの違いを比べて見る事ができます。
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木造の梁と柱の上屋は、その下に入ると改めてその大きさを感じます。
ホーム上に物置として立てられたプレハブが全く邪魔になっていない事で
その広さを感じる事ができるかと思います。
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ホーム上に掛けられている旧式の駅名標。
茨城交通時代の形式のものだと思われますが、
高田の鉄橋駅ができて直されているため駅名標自体は新しくピカピカでした。
その横の名所案内は100年使っていそうな風格がありますが。
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改札口前付近となるホームの東端です。
ホームの一部が改修されてバリアフリーのスロープが作られていました。
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そのスロープの目の前、改札を入ったすぐ右手にあるのが
こちらの運転指令所です。
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指令所の前には信号機器ボックスが置かれているのですが、
こちらの下が那珂湊駅に住み着く猫の住処となって「駅猫」と呼ばれるようになりました。

2009年(平成21年)から住み着きはじめた黒猫は「おさむ」と名づけられ
「駅猫おさむ」として全国的に有名な存在になりました。
ひたちなか海浜鉄道のPRに貢献した存在でしたが、
2019年(令和元年)6月に高齢の為黒猫おさむは永眠しています。
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こちらはおさむ存命時の信号機ボックスの様子です。
指定席のサボが貼られているのが分かります。
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那珂湊駅の駅名標の「湊」の字に描かれた猫はこの「駅猫おさむ」であり、
名実ともにこの駅のシンボルのひとつであった事が分かります。

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改札から運転指令所の目の前にはこちらの構内踏切があります。
駅は単式ホームと島式ホームの2面がありますが、
こちらの構内踏切でお互いを連絡しています。

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こちらのホームが島式の2、3番線ホームとなります。
2面のホームがありますが、基本的に旅客で使われているのは
駅舎と反対側の北側にある3番線のみとなります。
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2番線は普段は乗り降りには使用されておらず主に留置線としてのみ使われています。
3番線には阿字ヶ浦方面行きの下り列車が停まります。
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2番線側の線路は途中で1番線の線路へと合流しており、
構内踏切や駅舎に近い東側ではホームと線路が離れてしまっていて乗降ができません。
その為ベンチも3番線の方向にのみ向けられています。


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駅前へと戻って、目の前の県道6号線を西へ100mほど進むと信号がありますが、
交差点にはご覧の案内看板が設置されています。
案内に従って住宅地の道を進みます。
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県道から一本南へと入った住宅地の中にこちらの山上門があります。
東京の文京区にある小石川後楽園は水戸徳川家の江戸上屋敷にあった庭園ですが、
この江戸上屋敷の正門右側にあったのがこちらの山上門です。
1936年(昭和11年)に原型のままこちらに移設されました。
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門の中はあづまが丘公園という公園となっており、
門から階段で公園内の丘を登ると上が広場となっています。
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そしてこの広場にあるのがこちらの那珂湊反射炉です。
幕末に日本近海に頻繁に外国船が現れるようになって
沿岸の警備と異国船のうち払いの為に高性能の大砲の鋳造が求められました。
その為、鉄製の大砲鋳造を目的とした大型の金属溶解炉が全国に十数か所作られましたが
この反射炉はそのうちの一つとなります。
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水戸藩主徳川斉昭の命で作られ1857年(安政4年)に完成した洋式高炉では
モルチール砲やカノン砲が鋳造され実際に配備もされました。
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那珂湊駅の駅名標の「那」の字に描かれているのは
この那珂湊反射炉
であり、幕末の水戸藩の史跡の一つでもあります。
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駅から反射炉までの地図。

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駅名標のモチーフについて「那」と「湊」については紹介しましたが、
残る「珂」の字に描かれている鉄道車両はこちらのケハ601となります。

1960年(昭和35年)に新潟鐵工所で試験的に作られた日本初のステンレス製気動車であり、
茨城交通が購入して海に近い湊線で実際に運用された車両です。
1992年(平成4年)に廃車となった後は台車が外されて那珂湊機関区に留置。
錆びない車体は倉庫として利用され、近年はギャラリーとしても利用されています。

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また駅前から県道6号線を東へと800mほど進むと那珂湊漁港があります。
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観光案内地図での駅から港まで。
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この那珂湊漁港は那珂湊駅近辺で随一の人気観光スポットでもあり、
港で水揚げされた新鮮な魚貝をなかみなとお魚市場で購入したり
取れたての魚を食べる事も可能となっています。



■モデル車両: ひたちなか海浜鉄道 キハ20形 205
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国鉄キハ20系の気動車は、国鉄が1957年(昭和32年)に開発した一般形気動車です。
10系客車のノウハウを踏まえ、それまでのキハ10系気動車よりも車体を大型化。
平坦用がキハ20形、寒冷地用がキハ22形で1エンジン車、
勾配路線用がキハ52形で2エンジン車となっています。

車体のベースの色は国鉄制定色のクリーム4号    )で、
国鉄部内の慣用色名称は「小麦色」、一般的にはベージュ色と呼ばれる色となります。
また車体の裾の色は国鉄制定色の朱色4号    )で、
慣用色名称は「金赤色」と呼ばれています。
このクリーム4号と朱色4号の組み合わせは1959年(昭和34年)9月に
国鉄一般形気動車色として気動車の標準色に制定
されています。


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写真の車両は国鉄キハ20形のラストナンバー
(※この形式で最後に作られた車両)であるキハ20-522
であり、
1965年(昭和40年)9月に帝国車輛にて製造され
国鉄小牛田機関区へと配属された車両となります。

その後一ノ関、加古川、姫路と機関区を転籍した後にJR西日本へと承継され
1989年(平成元年)に姫路機関区で除籍。
翌年の1990年(平成2年)より水島臨海鉄道に譲渡されて
水島臨海鉄道キハ210へと改番されています。

1996年(平成8年)に茨城交通へと譲渡されて茨城交通キハ205と改番。
塗装も旧国鉄色へと塗り直されています。


元国鉄キハ20-522であるこの車両は、
国鉄色(  ) ━首都圏色(  ) ━加古川色(  ) ━水島臨海鉄道色(   ) ━茨城交通色(   
と車体の塗色を変えており、現在は再び国鉄色へと塗り直されています。
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こちらは2016年(平成28年)に車窓から見たキハ20-205(旧国鉄キハ20-522)です。
国鉄色の車体ですが、経年劣化でかなり色褪せてしまっているのが分かります。
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そのキハ20-205は、2019年(令和元年)6月から9月まで全般検査が行われており、
併せて車体の全面塗装が行われて塗り直されています。
見比べると同じ国鉄色ながら色が鮮やかになっているのが分かります。
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この車両をモチーフとしている駅メモのでんこ那珂湊ねもの衣装は
ご覧の通り国鉄色が用いられているのが分かります。
ロングブーツについている丸いものは前面の赤色灯だと思われます。
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また那珂湊ねもの首のペンダントはヘッドライト(前照灯)と同じ形であり、
イヤーガードは前照灯の脇にあるタイフォン(警笛)がモチーフとなっています。
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そして那珂湊ねもの上着の裏地は花柄となっています。
湊線の終点の阿字ヶ浦駅から北に4kmほどにある国営ひたち海浜公園では
毎年4月中旬から5月上旬ころが見ごろのネモフィラが一面に咲き誇り
絶景として有名となっています。
上着の裏地の花柄は国営ひたち公園のネモフィラがモチーフであると思われ、
那珂湊ねもの名前の「ねも」はこのネモフィラが由来だと考えられています。


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キハ20系の基本形式であるキハ20形は暖地向けの両運転台車両であり
エンジンは1基を搭載している形となります。
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国鉄時代に合計で409両が製造されたキハ20形ですが、

①1957年(昭和32年)製造の初期形のバス窓車(1~103)
②1958年(昭和33年)から1962年(昭和37年)製造である
 室内が白熱灯である二段上昇窓車(201~484)
③1963年(昭和38年)から1965年(昭和40年)製造の
 二段上昇窓で室内蛍光灯車(501~522)


と大きく3種類に分類ができます。
ひたちなか海浜鉄道のキハ20-205は国鉄時代のキハ20-522ですから
③の二段階上昇窓で蛍光灯の車両ということになります。
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基本的にキハ20形には車内にトイレが設置されていましたが、
キハ20-522は1990年(平成2年)に水島臨海鉄道キハ210となった際に
トイレが撤去されて座席が設置
され、併せて冷房化工事が行われています。

そして1996年(平成8年)1月28日に茨城交通へと譲渡され入線
茨城交通キハ205と改番されます。
これは当時の茨城交通が「性能が安定し長寿命で故障が少ない」として
日本全国からキハ20系気動車をかき集めていた一環であり、
湊線はさながら全国の鉄道車両の動態保存場と化していました。
そしてこの車両をモチーフとする那珂湊ねもの誕生日が1月28日に設定されていますが、
これはキハ205の湊線への入線日が元ネタとなっていると考えて良いでしょう。

入線後から7ヶ月後の1996年(平成8年)8月にはキハ205にワンマン化工事が実施。
ワンマン運転に必要な機器類が車内に設置されました。
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車内の様子です。
客室内の中央部の座席はボックスシートとなります。
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乗降扉付近の車端部の座席はロングシートとなっています。
かつては車端部もボックスシートだった様子ですが、
トイレの撤去やワンマン設備の設置によってロングシート座席に改修された様です。
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水島臨海鉄道時代に撤去されたトイレがあった付近。
運転台の右後ろの助手席真後ろあたりにかつてトイレがありました。
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こちらが運転台の様子です。
車両の前後両方に運転台のある両運転台と呼ばれる形式で、
かつては客室と運転台の間には壁と扉がありました。
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通路上の天井には扇風機が。
そして水島臨海鉄道時代に増設されたデンソー製の冷房があるのが見えます。
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ボックスシートは中央のシートのみ背もたれが分厚くなっているのが分かりますが、
これは壁にエンジンからの排煙ダクトが通っている為です。
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運転席後ろの壁に貼られていたキハ205の車両の生い立ち。

【写真撮影:2019年11月】