でんこの元ネタ
■EX No.01 エルミーヌ・ワロン(Hermine Wallonne)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:10月4日

■出身駅: 無し(苗字のワロンはベルギー南部のワロン地域(Walloon Region)から)


駅メモのでんこであるエルミーヌ・ワロンは2018年(平成30年)7月に
「エルミーヌのミステリートレイン」という謎解きイベントで実装されたキャラクターです。

鉄道で移動をしながら謎を解く、というイベントの為に用意されたのは
推理小説での名作「オリエント急行殺人事件」をモチーフとしたキャラでした。


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「オリエント急行殺人事件(Murder on the Orient Express)」
イギリスの推理小説の巨匠アガサ・クリスティ(Agatha Christie)の手による小説で、
彼女の手によるエルキュール・ポアロシリーズの8作目の作品となります。

1934年(昭和9年)に発表された本作は著者の代表作の1つに挙げられている名作であり、
この「オリエント急行殺人事件」をはじめとする一連の推理小説の主人公が
エルキュール・ポワロ(Hercule Poirot)という名探偵で、
「灰色の脳細胞 (gray matter) 」の名セリフで
シャーロック・ホームズなどと並ぶ推理小説界を代表する探偵に数えられています。

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推理小説界の名作はこれまでに数多くの映像化がされてきました。
代表的なのは1974年(昭和49年)にアメリカで制作された
映画「オリエント急行殺人事件」でしょう。

豪華なキャストが話題となった本作は北米で公開されヒットを記録。
その年のアカデミー賞で6部門にノミネートされるなどしており
ポワロ映画の代表作とされています。
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主演のポワロを務めたイギリスの俳優アルバート・フィニー(Albert Finney)
その怪演で印象深い役者ですが、ポワロを演じたのはこの映画一作のみとなります。

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そして数々のポワロ作品の中で外せないのが
1989年(平成元年)から2013年(平成25年)まで24年に渡って制作された
イギリスのテレビドラマ「名探偵ポワロ」でしょう。
1990年(平成2年)からは日本でもNHKで吹き替え版が放送されていた作品です。

ポワロを演じたデヴィッド・スーシェ(David Suchet)の演技は
「最も原作に近いポワロ」と称され名探偵ポワロのイメージを決定付ける名演を見せています。


こうして多くの映像化もされた名探偵エルキュール・ポワロは
19世紀中頃の生まれでベルギー南部のフランス語圏(ワロン地方)出身とされています。
駅メモのでんこのエルミーヌ・ワロンの苗字であるワロンは
モチーフであるポワロの出身地から取られている
と考えて良いでしょう。
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またエルミーヌのデザインを見てみると
帽子は鹿撃ち帽(ディアストーカー)に虫眼鏡といういでたちであり、
探偵をモチーフにしている事は明らかです。
本当は鹿撃ち帽に虫眼鏡、パイプというアイテムはポワロでは無くホームズ由来なのですが
探偵を示すかなり一般的なアイコンとなっていますのでやむを得ないでしょう。


余談ですがベルギー王国は連邦制となっており3つの地域に分かれています。
首都のブリュッセル首都圏、フランス語が公用語の南部ワロン地域、
そしてオランダ語の一種であるフラマン語が公用語の
北部フランダース(フランデレン)地域となります。

フランダースといえば1975年(昭和50年)に世界名作劇場で放映された
アニメ「フランダースの犬」が有名であり思い出されますが、
ベルギーの地域を区切ってみるとあの話は北部ベルギーの話である事が分かります。



■モデル車両: 国際寝台車会社(ワゴン・リ) オリエント急行
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オリエント急行は国際寝台車会社(ワゴン・リ)によって運行された長距離寝台急行で、
1883年(明治16年)10月4日に開通記念列車が
パリ━ コンスタンティノープル(イスタンブール)間を走行

寝台車2両、食堂車1両、荷物車(兼車掌車)2両の編成で走りました。

このオリエント急行をモチーフとしているでんこエルミーヌ・ワロンの誕生日は
10月4日に設定されていますがこれは開通記念列車の走行日が元ネタ
であると見て良いでしょう。


1883年(明治16年)からのオリエント急行はまだ全通しておらず、
ルーマニアとブルガリア国境のドナウ川を渡船、ブルガリアの鉄道で黒海まで出て
最後は汽船でコンスタンティノープルへと向かうルートでした。

1889年(明治22年)にはコンスタンティノープルまでの直通列車が
ベオグラード・ソフィア経由で実現。
王侯貴族や高級官吏、富豪などのごく限られた人々が利用できる豪華列車が運行されるも、
1914年(大正3年)の第一次世界大戦によって
国を跨いで走るオリエント急行は運休
を余儀なくされました。


第一次世界大戦の休戦後の1919年(大正8年)には
パリ━ヴェネツィア間のシンプロン急行を延長する形で
シンプロン・オリエント急行(Simplon Orient-Express)が運行を開始します。

1930年代はオリエント急行の最盛期となり、
ドーバー海峡に面したフランスのカレーやパリから、
イスタンブールやアテネへと毎日オリエント急行が運行していました。
アガサ・クリスティの「オリエント急行殺人事件」が発表されたのもこの年代で、
主人公の探偵ポワロはシンプロン・オリエント急行に乗車して捜査を行っています。


1941年(昭和16年)の第二次世界大戦の勃発でオリエント急行は再び運休。
戦後の1945年(昭和20年)に再び運行を再開するものの、
座席車や簡易寝台車を含む編成となっており、
最盛期の豪華クルーズトレインの姿には蘇っていませんでした。

そしてモータリゼーション時代の到来や航空機の性能向上によって
鉄道で長距離を移動するオリエント急行の乗客は減っていきます。
これにより1971年(昭和46年)は国際寝台車会社(ワゴン・リ)が寝台車の営業から撤退。
1977年(昭和52年)には最後のオリエント急行の名を冠した列車が廃止され、
パリ━イスタンブール間の直通列車は消滅しています。


その後、旧国際寝台車会社の客車を使用して
戦前のオリエント急行を模した観光列車が運行されており、
主なところではノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行(NIOE 1977年~2007年)
ベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス(VSOE 1982年~)といった列車が挙げられます。

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そして1988年(昭和63年)にはTV局の企画によって
「オリエントエクスプレス'88」が運行され日本でもオリエント急行の車両が走行しています。

当時ヨーロッパで運行されていた
ノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行(NIOE)の車両を使用した列車は
1988年(昭和63年)9月にパリを出発。仏独を経由してソ連(当時)中国を走り、
およそ一ヶ月をかけて最後は香港の九龍へと至っています。

香港から貨物船で運ばれ日本の山口県笠松に陸揚げされたオリエント急行の車両は
10月17日に日本国内で運行を開始。12月25日まで本物のオリエント急行が
クルーズトレインとして全国各地を走りぬけました。

日本国内の走行に関しては当時発足したばかりのJRグループが協力。
豪華な客室での旅というコンセプトやノウハウはその後の
「北斗星」「トワイライトエクスプレス」、そして「四季島」や「瑞風」といった
日本の寝台特急に大きな影響を与えています


また国際寝台車会社(ワゴン・リ)のオリエント急行車両は
その重厚な内外装や歴史から列車運行以外の用途に使われる例も見られます。

滋賀県大津市には1966年(昭和41年)に開業した「紅葉パラダイス」という遊園地がありました。
びわ湖温泉が併設された温泉宿泊施設(健康センター)併設型のレジャー施設は
その後に「びわ湖温泉 紅葉パラダイス」と名称を変えていますが、
紅葉パラダイスのTVコマーシャルは当時の関西人ならば誰もが知っている存在でした。
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この紅葉パラダイスに1978年(昭和53年)に設置されたのが
「ホテル・オリエント・エクスプレス」です。
国際寝台車会社(ワゴン・リ)製の本物の個室寝台車8両を設置した宿泊施設は話題を呼びましたが、
当時はオリエント急行の車内を浴衣の宿泊客が往来し、
横では売れない演歌歌手の歌謡ショーが繰り広げられるというかなりシュールな光景
だった様です。
その後の紅葉パラダイスは経営不振によって1998年(平成10年)に閉鎖。
ワゴン・リの客車も老朽化などでその数年前に撤去され、
行き場を無くした客車は関西の山中に放置状態で朽ち果てたそうです。


オリエント急行の後継の観光列車のうち、
ノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行(NIOE)を運行していた
インターフルーク社(Intraflug)は1993年(平成5年)にNIOEを経営難から売却。
オリエンタル急行の車両は数社を点々とした後、
権利関係の問題から2007年(平成19年)にNIOEの名前は使えなくなり
オリエント急行を名乗る事ができなくなりました。

こうした経緯の中、国際寝台車会社(ワゴン・リ)のオリエント急行車両も
所有者を転々とする車両が続出し、散逸の憂き目を見る状態でした。

そんな中でワゴン・リのオリエント急行の車両が一両、
日本の箱根の美術館で保存展示されて現在でも見ることが可能
となっています。

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こちらは箱根登山バスの千石案内所です。
国立公園内となっている仙石原周辺は美術館が数多く集まり別荘地となっています。
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案内所の前の道は県道75号湯河原箱根仙石原線の終点近くですが、
この案内所から県道を50mほど東に進むと箱根ラリック美術館の入口があります。
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美術館の駐車場西側の市道側の入口。
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駐車場に面した東西に長い建物の窓からは
オリエント急行の独特の青い車体が覗けます。
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駐車場から美術館敷地内への入口です。
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美術館の敷地内は庭園の中に建物が散在するスタイルで配置されており、
箱根の自然の景観を生かした作りとなっていました。
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その庭園の中央にある、ガラス張りの中のクラシックカーです。
実は車は作品の単なる台座に過ぎず、
ボンネットの先端のカーマスコットがラリック作のいわば主人公となります。

ラリック美術館のオーナー一族は東京都内で映画館やビル、ボーリング場などを
いくつも所有している資産家であり、映画館のシネスイッチ銀座などもその一つです。
そしてオーナーは元々クラシックカーの蒐集家で、
カーマスコットがラリックの作品であることを知って魅せられたことから
美術館が作れるほどのラリック蒐集家となったのだそうです。
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さすがに美術館の中は撮影ができませんので、
ラリック作品については各自調査にて。
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そして美術館の入口近くへと戻ると、
すぐ左手にあるこちらが「特別展示 ル・トラン」であり
オリエント急行の車両が展示してあるスペースとなります。
ル・トラン(le train)とはフランス語で「列車」という意味です。
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ル・トランと並んでカフェ・レストラン「LYS(リス)」が併設されており、
レストランの受付でオリエント急行の車内見学の予約をします。
こちらが予約の際にもらえる乗車券。
入場の際には改札挟で実際に切符を切って入場します。
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受付の脇にある、展示車両と同じ型の模型のディスプレイ。
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ル・トランの室内の様子です。
さすがに美術館なので壁と屋根のある完全な室内で静態保存されており
保存環境としては申し分の無い状態です。
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入場すると車両内へと入る前に、列車手前のデッキにて映像を鑑賞。
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展示されている車両の説明と、箱根への搬入の様子がDVDで流れます。

元々美術館の建設時の図面にはオリエント急行の展示スペースは無かったそうなのですが、
列車の車内装飾がラリックの手による事を知ったオーナーが
スイスでオリエント急行の車両を探して購入。
追加で建築の図面が引き直されたのだそうです。

美術館の開設は2005年(平成17年)3月ですが、
車両が箱根へと搬入されたのはその前年の2004年(平成16年)3月のことだそうです。
DVDの映像を見ると車両を据えた後に建屋が作られた事が分かります。
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こちらが車両の外観です。
この車両はWSP 4158DEという車両で1929年(昭和4年)製造となります。
国際寝台車会社(ワゴン・リ社)がパリとイタリアの国境の町ヴェンティミリアを結ぶ
「プルマン・コート・ダジュール急行(Pullman Cote d'Azur Express)」を
運行する際に作られた車両です。
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プルマン車とは欧州では食卓を持つ高級座席車のことで、
コート・ダジュール急行のプルマン車は「コート・ダジュール型」と呼ばれ
当時の欧州各地の列車に連結していたプルマン車のなかでも最も豪華なものでした。
コート・ダジュール急行は1941年(昭和16年)第二次世界大戦による運休となりますが、
1982年(昭和57年)にノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行(NIOE)で
現役の運行へと復帰し、2001年(平成13年)まで実際に運行をしていました。
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オリエント急行の車体はロイヤルブルー(    )を基調としています。
上半分は白(    )に塗られたツートンカラーで、
間に黄色(    )のラインが入っています。
白(無彩色)も黄色(補色)もロイヤルブルーに関連する色彩ですので
基調色に準じて高級感を出すデザインである事が分かります。
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エルミーヌの衣装のカラーリングもロイヤルブルーが基調となっていて
アクセントに黄色のラインが入れられており、
オリエント急行の車両がモチーフであることが分かります。
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またエルミーヌの羽織っているポンチョの肩には丸いアクセントがありますが、
こちらはワゴン・リの車両で用いられる丸窓や装飾と同じ形となっています。
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車体の横にあるこちらは国際寝台車会社(ワゴン・リ)のエンブレムです。
日本の寝台特急「北斗星」のエンブレムはこのワゴン・リのエンブレムを模したものなのだそうです。

エンブレムの下にある番号はUIC番号と呼ばれるもので、
国際鉄道連合が規定している識別番号で欧州の国際列車についているものです。
「51 85 09-30 000-1」の内容を見ると
 51(国際列車用・固定ゲージ客車)
 85(スイス国鉄)
 09(私有特別車)
 30(最高速度140 km/h、暖房方式)
 000-1(車体シリアル番号とチェックディジット)

となります。
ラリック美術館で購入する前は車両はスイスにあったそうですから
購入当時の番号が残されいるものと思われます。

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美術館では車体横の乗降扉からではなく、車両後部の貫通部から入るので
こちらは後部の貫通扉付近の光景です。
通路などに使われいる木製の内装はマホガニー製なのだそうです。
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貫通扉の目の前は乗降扉のある乗降デッキとなっており、
円形の手動ブレーキのハンドルもありました。
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乗降扉のデッキ反対側にあるトイレ。
展示車両ですので使用は禁止となっています。
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乗降デッキから客室への通路。
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通路の途中の室内窓からは個室の中の様子が見えます。
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こちらがオリエント急行のプルマン車「コート・ダジュール」の客室内の様子です。
アール・ヌーヴォーとアール・デコの両時代に渡って活躍した
ルネ・ラリックの手がけた室内の装飾は豪華ですが落ち着きのある雰囲気です。
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車内の装飾品で一番目を引くのはなんといっても
「彫像と葡萄」と題されたガラス工芸品の装飾レリーフでしょう。
列車内に150枚以上あるとされるレリーフはそれぞれが違った図案となっており、
ガラスの内側に銀を貼った鏡面加工を施すことで
列車の移動や昼夜の光の加減などで光が反射され、
作品が様々な表情を見せるという仕掛けになっています。
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卓上や天井のランプシェードもラリックの作品だそうですが、
天井のシェードのモチーフは不明なのだそうです。
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椅子や床の絨毯にはご覧の花柄が用いられています。
生地はゴブラン織りというかつてはフランス王室ご用達だった織物が用いられ、
通気性を保つ為に椅子の中には藁がつめられているそうです。

日本では水戸岡鋭治氏デザインの観光列車が数多く走っていますが、
多くの水戸岡列車の座席モケットには花柄が用いられています。
実際に観光列車のデザインについて水戸岡氏はラリックに言及していますが、
花柄のモケットだけを見てもデザインのルーツのひとつは
オリエント急行のラリックの内装デザインである事が実際の列車内を見て得心しました。
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入ってきた側とは反対側の車端もご覧の様に客室の奥は通路になっており、
同じように4人が掛けられる個室があります。
個室の壁にはルネ・ラリックの娘のシュザンヌ(スザンヌ)・ラリック作の
「花束」と題されたパネルが置かれています。

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客室の大きな窓はハンドルを回して開閉をする仕組みとなっています。
車両の窓内側にはもう一枚、窓枠下部のみを覆うガラスがはめ込まれています。
これは防風の為と物の落下を防ぐ為のものだそうです。
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窓の下にはご覧の呼び出しのボタンが。
乗客がスチュワート(乗務員)を呼ぶ際に使われたものです。
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そしてテーブルの下を見ると一本足で折り畳めるようになっており、
なにやら金具がついています。
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そしてテーブルの上の壁にはご覧の丈夫そうなフックが。
これは跳ね上げたテーブルを固定するベルトを掛けるフックです。
清掃の際やプルマン車でダンスを行った際などに
畳んだテーブルを固定する為のものなのだそうです。
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客室内の角にあった手動で引く警笛のレバー。

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こちらはラリック美術館「ル・トラン」の見学に際して供されるティーセットです。
季節によって内容は若干変わる様です。
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使われている食器にはノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行(NIOE)の
ロゴがひとつひとつに描かれていました。
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ティータイムのテーブルに置かれていたオリエント急行のパンフレット。
展示されている車両はノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行(NIOE)のものですが、
卓上に置かれたパンフはなぜか
ヴェニス・シンプロン・イスタンブール・オリエント急行(VSOE)のものでした。


ラリック美術館のプルマン車WSP 4158DEは
第二次大戦前はコートダジュール急行を走っており、
オリエント急行に加わったのは国際寝台車会社(ワゴン・リ)の手による運行ではなく
その後に民間企業が復活させたNIOEの運行となってからでした。
ですから厳密にはポワロが活躍したとされる1930年代には
オリエント急行ではありませんでした


しかしコートダジュール急行は国際寝台車会社の運行路線でしたし、
プルマン車WSP 4158DEも国際寝台車会社製の車両で間違いありません。
マホガニーとラリックの装飾品が使われた内装もまごうこと無きオリエント急行のものであり
NIOEでの運行実績や、日本を走ったオリエント急行'88などでも走行している車両は
「オリエント急行」の名を冠するにふさわしい車両であると思います。

【写真撮影:2019年12月】