でんこの元ネタ
■No.99 指宿おとめ(Ibusuki Otome)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:3月13日

■出身駅: JR九州 指宿枕崎線 指宿駅(鹿児島)
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こちらはJR九州の指宿枕崎線の主要駅である指宿駅の駅舎の外観です。
1934年(昭和9年)12月に当時の鉄道省の指宿線が
喜入駅から当駅まで延伸した事に伴って開業した駅で、
駅舎は1980年(昭和55年)に改築された二代目となります。
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建替えられた二代目の駅舎はオレンジ色に黄色というトロピカルな色使いでしたが
2003年(平成15年)3月の九州新幹線開業に合わせて「開聞岳の松林」をイメージした
木目調の落ち着いた色使いへとリニューアルされています。
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駅舎の正面北寄りには観光案内所への入口がありますが、
その横には薩摩半島を象徴する薩摩富士こと開門岳の壁画があります。
さらに隣にはトイレの入口がありますが、暖簾が下がっていて
観光地らしく綺麗な造りとなっています。

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駅舎の出入口は東側の一ヶ所のみであり、
建物の目の前にある駅前広場の南半分には
時計回り一方通行の駅前ロータリーがあって駅前の道路と接しています。
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ロータリーの南側の入口付近にある指宿警察署の指宿駅前交番。
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そして駅利用者の駐車場とタクシープールが
ロータリー中央部の島部分に設けられています。
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タクシープールの正面の駅舎寄りにはタクシーの乗降場が。
観光地らしく多くのタクシーが客待ちをする光景が見られます。

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ロータリー島部分の北側にはモニュメント類の置かれた広場があります。
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広場の駅舎入口目の前付近にある竜宮城を模したゲートです。
指宿は全国諸説ある浦島太郎伝説の有力な地であり
街のいたるところに竜宮城や浦島太郎関連のものがあります。
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広場の中央には指宿の観光案内の地図が。
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その脇には歌人・与謝野晶子の短歌が刻まれた歌碑があります。
与謝野鉄幹・晶子夫妻は1929年(昭和4年)に指宿の地をおと訪れており、
その美しさから「一生の中で得た数なき幸の一つ」と述べています。
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広場の東側は駅前の道路に面しており歩道とつながっています。

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そして駅前広場の西側は歩行者用の広場となっていて
インターロッキングで舗装がされています。
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広場西側にはご覧の建物がありますがこちらは駅前の足湯があります。
指宿温泉郷の玄関口である駅前に2006年(平成18年)に地元有志が設置したもので
中央部に「湯浴みの像」が立ち夜にはライトアップがされています。
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北側は駅前道路に面していてご覧の駅前のバス停が置かれています。


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駅舎の入口へと戻って中へと入ります。
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こちらが駅舎の中の様子です。
タイル敷きの中はご覧の通りかなり広く天井も高い造りとなっています。
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駅舎出入口から改札へのいわゆるコンコース部だけでも
かなりの広さがあり、多くの看板が壁に掛かっていて
観光地の玄関駅の雰囲気が感じられます。
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そのコンコース部に置かれた「指宿のたまて箱」の顔出し看板。
観光列車の乗車数累計100万人突破を記念して2019年(令和元年)5月に作られたもの
デザインを一般公募して作られた凝ったものとなっています。
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看板の脇にはご覧のポケモンのぬいぐるみの入った展示物が。
指宿市では「イーブイ好き→いーぶいすき→いぶすき」と名前の語呂が似ている事から
2018年(平成30年)にイーヴイを指宿市スポーツ・文化交流大使に任命
市内にポケモンのマンホールを複数設置しています。
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こちらは駅前の交番前にあるイーヴイのマンホール。
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そして待合室の奥半分にはご覧のベンチが並ぶスペースがあります。
有名観光地駅の待合室だけにこれだけの数のベンチが並ぶ光景は圧巻です。
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そして一番奥には売店と指宿市の観光案内所が。
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ベンチの横にはご覧の階段があって駅舎二階へと上れますが、
現在はテナントとして会社が入居している様です。

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改札付近の様子です。
有人改札となっていますが自動改札やIC対応の簡易改札機などは無い為、
SuicaやSUGOCAなどのICカード乗車券は使用できません。
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改札内へと入るとすぐに左手へと通路が曲がっており、
ホームへと上がる階段があります。
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階段の左手には1番線ホームへと上がるスロープ通路の入口がありますが、
通路の中は「竜宮写真館」と題した指宿市や列車のギャラリーとなっています。
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スロープ通路の中の様子です。
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ホーム側から見たスロープ通路。
指宿駅に到着した観光客に見てもらう目的の様で
こちらのホーム側がギャラリーの入口となっている様です。
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右手の階段を上るとすぐに跨線橋の階段があります。
その階段の右側を抜けると1番線ホームとなります。

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こちらが駅の東側にある単式の1番線ホームの様子です。
指宿枕崎線は全線が単線の地方交通線の為、
指宿駅に到着する列車は上下線共に基本的にこちらの1番線ホームを使用します。
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1番線ホームの駅名標です。
指宿駅の駅名標はホームごとにデザインが異なっており、
こちらには指宿市の西側の鹿児島湾(錦江湾)に浮かぶ知林ヶ島と
「指宿のたまて箱」の列車ロゴマークがモチーフとなっています。
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ホーム南端の枕崎方の光景です。
建屋の屋根が黄色(    青(    で塗られていますが
黄色は指宿を象徴する花である菜の花の色が、
青は指宿のきれいな海の色をモチーフとしてカラーリングされています。
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駅舎はホームの北端側にあり、出入口も北側のみとなっています。
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ホーム北端の駅舎側の光景。
通路の先に構内踏切が見えますが一般旅客は使用する事はできません。

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ホームを連絡している跨線橋の中の様子です。
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跨線橋から俯瞰で見た駅構内の様子。

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駅の西側に位置する島式ホームの2、3番線の様子です。
列車交換時などで1番線が塞がっている時に使用されるホームで
2番線が下り枕崎方面行き、3番線が上り鹿児島中央方面行き列車が使用します。
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海側の2番線側の駅名標です。
駅前にある足湯と、指宿を象徴する花の菜の花をモチーフとしたデザインです。
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山側の3番線側の駅名標の外観です。
こちらは指宿市の特産品であるオクラとソラマメがモチーフです。
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ホーム出入口に近い北側にはベンチなどがあるものの、
南側のホームにはご覧の通り建屋の屋根があるのみの光景となっています。
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3番線のさらに西側には数本の留置線があり
駅構内はかなりの広さとなっています。
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一旦駅を出て駅前広場へと戻ります。
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駅の正面から北東の海側へと向かって伸びるこちらは
指宿中央通商店街の通りです。
この通りを進むと沿岸部南側に指宿の温泉街が広がっています。
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昭和30~40年代には温暖な気候を売り物に「日本のハワイ」として繁栄した街でしたが
海外旅行が安価に行ける時代となって指宿の観光産業は斜陽化。
今では閉店した店も多く「本土最南端のシャッター商店街」と揶揄される状態です。
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歩道にはアーケードがありレトロな造りの商店の並ぶ通りは
今でも昭和の温泉街の佇まいが残っています。

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こちらは駅前のロータリーに接する道路を北側から駅方面へと下った光景です。
1980年(昭和55年)に駅前広場が整備されており
駅前の部分の道路も車線が増やされ道幅が広くなっています。
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駅の正面にある交差点。
指宿中央通商店街と接する交差点は駅前ロータリーの入口でもあります。
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交差点の北東角にある広場。
小さな広場ですが指宿市の観光名所のポスターが並べられ
観光案内を兼ねたものとなっていますx。
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切り返して南側から駅前の交差点に向かっての光景です。
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この駅前交差点は県道240号指宿停車場線の起点となっており、
北へと向かってのご覧の道路が県道指定をされています。
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駅前交差点からは200mほどのご覧の渡瀬通り交差点で
県道240号指宿停車場線西へ向かって左折しており、
指宿枕崎線の踏切を渡った900mほど先で国道226号線へと連絡をしています。


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再び駅前広場へと戻り、足湯の西側、駅舎からは北側に行くと
ご覧の地下道への入口があります。
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地上駅舎である指宿駅には東口のみで西口は無く、
線路の西側へと連絡をする為にこちらの地下道が設けられています。
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こちらは西口側の地下道地上出口です。
階段とスロープの出口があり、こちらは東口から近い階段出口の地上付近の光景です。
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出口の南側には目の前に西口ロータリーが広がっています。
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こちらは西側から見た指宿駅西口広場の光景です。
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駅の西側には直接の出口は無いものの、指宿枕崎線の線路と併走して
西に400mほどに国道226号線が走っており
国道から駅へとやってくる乗降客の受け皿としてロータリーが整備がされています。
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西口ロータリー正面から西へと伸びる、中央分離帯のある2車線の道路。
こちらが駅西口と国道226号とを連絡している道路となります。
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ロータリーの中央部に設けられた駅前広場。
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中央部の北側は駅利用者の駐車場が設けられています。
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駅に近い西口ロータリーの東側の光景です。
地下通路のスロープ出口の建屋があるのが見えます。
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こちらがスロープ出入口で
自転車なども往来ができる様になっています。
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そしてロータリーの南東角には駅の駐車場があるのですが
その入口付近にご覧のコンクリートのスロープがあるのが見えます。
これは貨物積み込み用のものでかつては全国各地の駅で見られたものです。

指宿駅も1971年(昭和46年)までは駅で貨物営業をしていましたので
こちら側はかつての駅の貨物ヤードだったのだと思われます。


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こちらは指宿駅の駅構内の「竜宮写真館」に掲示されている
指宿と竜宮伝説との関係についての説明板の一文です。
観光列車「指宿のたまて箱」のそもそものモチーフは
「指宿の地が浦島太郎伝説の発祥の地である」という点から
始まっています。
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浦島太郎の物語の地については諸説がありますが、
古くは日本書紀にその記述があり、また8世紀に成立した「丹後国風土記」には
浦島太郎の物語の原型である話が収録されています。
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実際に「浦島太郎」の物語となったのは室町時代の「御伽草子」あたりと言われ、
現在知られる浦島太郎の物語は明治末に尋常小学校の国定教科書に収録された
「ウラシマノハナシ」であるとされています。

長い間に様々なバージョンの浦島伝説が流布されたこともあり、
京都の丹後半島を始めとして香川県の荘内半島、愛知県知多郡など
日本全国各地に「浦島太郎発祥の地」と称される場所があります
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そして指宿市の南にある、薩摩半島の南端の岬である長崎鼻
竜宮伝説の発祥の地であるとされており「指宿のたまて箱」のモチーフとなっています。
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指宿の浦島伝説は古事記に出てくる「山幸彦」がモデルであるとしています。

兄の海幸彦の釣り針を無くした山幸彦が老人の導きによって海の宮殿へと行き、
そこで海の神(豊玉彦)の娘である豊玉姫(乙姫のモデル)と出会い3年を過ごします。
そして釣り針を探す目的を思い出した山幸彦が海の神に相談。
釣り針を見つけてもらい元の世界へ戻る時に海の神から不思議な玉を授かる、
というのがおおまかな物語となります。
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指宿の地にある開聞岳は「海門山」とも呼ばれ
海の神様「豊玉彦」が鎮座した神聖な山であるとされてきました。
豊玉彦の娘の豊玉姫が乙姫であるとすれば
まさに指宿は竜宮伝説の地であるという事になります。
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そして長崎鼻から見下ろすご覧の砂浜は海亀の産卵地として知られており、
浦島太郎が亀と出会う格好の海岸ということになります。
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この長崎鼻はこの地に村人には「竜宮鼻」と呼ばれていたそうで、
岬の入口にはご覧の竜宮神社が建ち乙姫のモデルとされる豊玉姫が祭られています。


■モデル車両: JR九州 キハ47形気動車8060・9079「指宿のたまて箱」
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JR九州では2004年(平成16年)に九州新幹線(鹿児島ルート)の
新八代駅━鹿児島中央駅間が部分開業していましたが、
紆余曲折を経た後に2011年(平成23年)3月12日に博多駅━新八代駅間が開業。
これによって九州新幹線の鹿児島ルートが全線開業となります。

山陽新幹線との接続を果たし、東京から鹿児島までが新幹線で接続された事を踏まえて
JR九州では沿線の外側にも新幹線開通の効果を波及させるべく各地に観光列車を新設。
九州新幹線の終点である鹿児島中央駅から薩摩半島を走る指宿枕崎線に新たに作られたのが
「指宿のたまて箱」という観光列車となります。
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九州新幹線の全線開業日は2011年(平成23年)3月12日であり、
本来はこの新幹線開業日に併せて同時に「指宿のたまて箱」も運行を開始する予定でした。

しかしながらご存知の通り、前日の3月11日には東日本大震災が勃発
新幹線の開業は予定通り行われたものの、九州でも太平洋沿岸には1mの津波が到達。
太平洋岸を走る指宿枕崎線は日豊本線と共に3月12日は全面運休となりました。

その為第1便の列車が実際に運行をしたのは翌日の3月13日となり、
この日が「指宿のたまて箱」の運行開始日
となります。
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「指宿のたまて箱」を元ネタとしている駅メモのでんこの
指宿おとめの誕生日が3月13日に設定されていますが、
これは「指宿のたまて箱」の営業運転開始日が元と考えて良いでしょう。


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こちらはキハ47形気動車の九州色と呼ばれるカラーリングの車両です。
国鉄時代に開発されたキハ40形の系列(キハ40形、キハ47形、キハ48形)の車両は
当時赤字が問題となっていた国鉄が、ローカル線での老朽化車両の置き換えの為に作った車両です。

その為、大量投入を目的として「安価で丈夫」であることをコンセプトとして作られており、
1977年(昭和52年)から1982年(昭和57年)にかけて開発された車両は
40年近く経った今でも半数以上が現役で各地を運行しています。

しかしながらその車体の性能は現代の車両に比べると見劣りする事は否めず、
現状では運行本数の少ない閑散線区が主な運行場所となっています。
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JR九州は日本各地で発生した観光列車の草分け的な会社であり、
大量に保有しているこういった気動車をリニューアルして
観光列車へと変貌させる試みを全国に先駆けて行ってきた会社です。
「指宿のたまて箱」に用いられた車両も九州を走っていたキハ47形の車両が改造されたものであり、
JR九州だけでも100両近くあった古い気動車車両に見事に付加価値を与えた例と言えるでしょう。


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「指宿のたまて箱」の「たまて箱」とは浦島太郎の御伽噺に出てくる玉手箱の事です。
観光列車が目的地とする指宿の地は薩摩半島の先端部に位置しており、
半島の最南端の長崎鼻という岬は「浦島太郎伝説発祥の地」とされています。
この浦島伝説が列車全体のモチーフとなっている為
列車のロゴもご覧の通り玉手箱をイメージしたものとなっています。
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また、「指宿の玉手箱」の外観が海側が白色、山側が黒色に塗りわけられているのは
浦島太郎が玉手箱を開けたことで黒髪が白髪へと変わった事をモチーフとしています。

【上動画:乗降扉付近から湧き上がるミストの煙(動画はクリックで再生します。)】
そして列車は到着すると、ご覧の通り乗降扉付近に霧が沸き上がります。
これも玉手箱を開けた時の煙をイメージしたもので、扉の上部にある噴出口から
スモークミストを噴霧して玉手箱の演出
を行っています。
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「指宿のたまて箱」をモチーフとするでんこの
指宿おとめの名前の「おとめ」とは「乙姫(おとひめ)」が由来であろうと思われます。
髪を束ねるリボンが二つ輪の形状をしていますが、
この形は乙姫様の髪形の代名詞とも言える形でもあります。


【上動画はクリックで再生します】
こちらは「指宿のたまて箱」は発車をするシーンの動画です。
それでは以下で列車の各車両について見ていきたいと思います。

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指宿方の先頭車両のキハ47形8060です。元々はキハ47形60として
1979年(昭和54年)3月24日に新潟鐵工所(現・新潟トラシス)で新製された車両で
人吉機関区へと配属され、熊本運転所、豊肥久大運輸センターと転属しています。

1999年(平成11年)11月に機関(エンジン)を換装した事によってキハ47形8060へと改番
その後筑豊篠栗鉄道事業部直方運輸センター(日田彦山運用)へ移動した後に
2011年(平成23年)2月に鹿児島総合車両所へと転属され観光列車へと改造。
指宿枕崎線で運用されて現在に至っています。
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海側の車体は白色がベースとなっており、
玉手箱の紐をイメージする金色のラインが引かれています。
デザインは今や鉄道では有名なドーンデザイン研究所の水戸岡鋭治氏で、
外観からも水戸岡氏のデザインした他の列車と共通するテイストが感じられます。
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乗降扉の真上の屋根にあるこちらがミストを噴霧する噴霧口です。
この仕掛けは他の列車には見られない装備となります。
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車内の様子です。元々キハ47形は片側に運転台がある車両であり、
指宿方の1号車にも運転台があります。
運転台のすぐ後ろはテーブルを挟んだ2×2のボックスシートが
左右両側にそれぞれ1組づつ置かれています。
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乗降扉は一両に片側2箇所づつありますが、
デッキの中央にはつかまる為のハンドルが設けられています。
実際に「指宿のたまて箱」に乗ると良く分かりますが
他の観光列車と比べると格段に車両が揺れるのを実感する事でしょう。
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中央部へと進むと海側には5席が並んだ窓向きのカウンター席があり、
山側には2席のボックス席が3列設けられています。
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山側のちょうど車両中央部付近にはご覧の本棚に囲まれたソファ席があります。
この椅子はフリースペースとなっているので座席番号は振られていません。
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指宿おとめの衣装の上着の裏地がカラフルなデザインとなっていますが
並べて見ると中央部のシートのモケットの柄が元ネタであることが分かります。
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さらに鹿児島中央方へと進むと2席のボックス席が通路左右に3列づつあり
その先は乗降デッキとなっています。
こちらのデッキにはつかまる為のハンドルは設置されていません。
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デッキの先の連結部側は山側がカウンターとなっていて
車内アテンダントの準備スペースとなっています。
反対の海側には車椅子対応の多目的トイレが設置されています。
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カウンターに置かれた玉手箱。
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連結部の貫通扉にはロゴの入った暖簾が下げられています。
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切り返して鹿児島中央方から見た1号車車内の様子です。
座席の背板やカウンター、内壁などにチーク材が用いられていますが、
木材を使うデザインはいわば水戸岡デザインの代名詞ともいえるものです。
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こちらは2両編成時の鹿児島中央方の先頭車両となるキハ47形9079です。
1980年(昭和55年)7月11日に新潟鐵工所で新製された車両で
製造時の車番はキハ47形1079という番号でした。
早岐機関区に配属され、唐津運輸区、直方気動車区と転籍をした後に、
こちらも2011年(平成23年)2月に鹿児島運輸区へと転籍され観光列車に改造されています。
観光列車化の際に機関(エンジン)も換装されてキハ47形9079へと改番されています。
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2号車の海側の車体の外観です。
白色をベースに金色のラインが入ったデザインは1号車と同様です。
乗降扉が片側2ヵ所であるのは元々の種車であるキハ47のものを受け継いでいます。
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2号車車内の指宿方車端付近の光景です。
海側にはカウンター席が3席設置されており、
反対の山側には2席掛けのボックス席が3列置かれています。
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2号車指宿方の乗降デッキには中央にハンドルが設けられています。
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車両の中央部の様子です。この2号車は海側が全て
窓に向かったカウンター席となっており、
前後の乗降扉の間に計8席のカウンター席が設けられています。

山側は2席×2列のボックス席に前後を挟まれて
ご覧の本棚に囲まれたソファ席が2人掛け、1人掛け、1人掛けの計4席あります。
2号車のソファ席は指定席となっており座席番号が振られています。
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「指宿のたまて箱」の特徴として、テーブルやカウンターのドリンクホルダーが
ご覧の様に深い受け皿が設けられてカップをしっかりホールドする構造となっている点です。
実際に走行中はペットボトルをそのまま立てておくと倒れるほどの揺れがありますので
必要性があって設けられたのでしょう。
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そして鹿児島中央方の乗降デッキの先の妻側はキッズスペースとなっています。
海側には床が嵩上げされた子供用の小さなカウンター席が3席と
赤ちゃんを入れるベビーサークルが置かれています。
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キッズスペースの妻面の壁に掛けられた「指宿のたまて箱」のロゴ。
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貫通路の上には行灯型の行き先表示板がありますが、
「指宿のたまて箱」は3駅しか停まらないので表示はご覧の通りです。
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反対の山側はソファが置かれており、キッズスペースで遊ぶ子供を
親御さんが間近で見守りながら旅行を楽しめる空間となっています。
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鹿児島中央方の先頭部の運転台の様子です。
3両連結時にはご覧の様に中央の貫通路を通り抜ける事ができます。
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運転台の操作盤をよく見ると「ミスト操作盤」と書かれた
到着時に玉手箱の霧を噴霧する操作盤があるのが見えます。
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こちらは鹿児島中央方から切り返して見た2号車車内の様子です。


「指宿のたまて箱」は通常は上の2両編成で運行されていますが、
土日祝日や多客繁忙期には予備車を増結した3両編成で運行がされます。
以下ではその予備車についても記したいと思います。

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こちらが「指宿のたまて箱」の3両編成時の増結用予備車である
3号車のキハ140形2066です。

1980年(昭和55年)6月27日に新潟鐵工所でキハ40形2066として新造された車両で
長崎機関区に配属された後、直方気動車区、竹下気動車区と転籍をしています。

再び直方気動車区へと戻った後の1991年(平成5年)6月に機関換装がされて
車番がキハ140形2066へと改番。人吉鉄道事業部を経て
1995年(平成7年)に鹿児島運転所へと転籍をしています。

2004年(平成16年)に観光列車「はやとの風」へと改造がされて
ローカル線の普通列車から観光特急へと転進を果たしますが、
2年後には「はやとの風」に新たな車両が増備されて予備車扱いとなります。

2011年に「指宿のたまて箱」が誕生すると「はやとの風」と「指宿のたまて箱」の
共通の予備車両という扱いとなりますが、「指宿のたまて箱」が好調な為、
2012年(平成24年)3月に「指宿のたまて箱」の専用増備車としてリニューアル改造が行われます。
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通常編成の2両が片運転台のキハ47形をベースとしているのに対して
こちらの3号車は両運転台であるキハ40形がベースとなっています。
また車両中央部付近に大きなガラス窓が設置されていて
他の2両とは若干外観のイメージが違う車両となっています。
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車内の様子です。
元々「はやとの風」として作られた車内は1号車や2号車とは若干雰囲気の違いを感じます。
シートも「はやとの風」時代からの転用ですがモケットは「指宿の玉手箱」仕様へと変えられています。
指宿方には通路の左右に2席のボックス席が5列づつ置かれています。
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車両中央部には山側にはソファ席が、海側にはカウンター席が設置されています。
カウンター席の椅子はベンチタイプの複数人掛けとなっており、
足元までの大きな窓の展望席となっています。
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この中央部の展望席はフリースペースとなっており
座席番号は附番されていません。
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展望席から鹿児島中央方には2席のボックス席が通路左右に3列づつ。
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そして鹿児島中央方の車端部の山側にはカウンターのある
車椅子対応スペースが設置されています。
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その向かいの海側にはトイレが。
キハ40形がベースなので入口は通路側では無く妻側に設けられています。
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鹿児島中央方の運転台。
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切り返して見た車内客室の様子です。

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最後に山側の黒く塗られた「指宿のたまて箱」の車体外観を。

【写真撮影:2021年1月】