宗谷本線02_93
引き続き宗谷本線の記事となります。


その1(旭川駅━比布駅)はこちら
その2(比布駅━士別駅)はこちら
その3(士別駅━名寄駅)はこちら



宗谷本線c87
こちらは道道939号日進名寄線がJR宗谷本線と交わる踏切付近を
東側から見た光景です。踏切手前の北側に次の駅の駅舎とホームがあります。
宗谷本線c88
道道939号線の8線踏切。
宗谷本線c89
踏切から西は260mほどの交差点で道道939号線は南へと左折しており
名寄市街の中心部へと通じています。
宗谷本線c90
切り返して西側から見た8線踏切方面。
宗谷本線c92
踏切から見た北側の駅のホームです。
宗谷本線c91
そしてこちらが日進駅の駅舎となります。
1955年(昭和30年)12月に日進乗降場として設置されたもので、
翌年の1956年(昭和31年)にご覧の待合室が作られています。
正式に駅として設置開業となったのは1959年(昭和34年)となります。
宗谷本線c93
駅舎の中はご覧の通りで床は無く直接地面に砂利が敷かれています。
木製のベンチが備え付けられたのみの簡素な造りとなっています。
宗谷本線c94
道道から駅舎、そしてホームまでは砂利が敷かれて通路となっています。
宗谷本線c95
砂利の通路からホームへと上がるスロープ。
宗谷本線c96
こちらが日進駅のホームの様子です。
単式ホーム1面1線で木製有効長1両分のいわゆる朝礼台タイプの駅です。
宗谷本線c97
無人駅であり、ホームの出入口は南の旭川方のスロープのみです。
宗谷本線c98
駅周辺はご覧の通り一面の農地が広がるのみとなっています。
この駅は「極端にご利用の少ない駅」としてJR北海道に挙げられた駅で
1日の利用者が1人未満であり廃止の候補でしたが
とりあえず2021年3月のダイヤ改正では名寄市の管理による存続が決まっています。


宗谷本線02_01
こちらは宗谷本線の「第2美深名寄線踏切」という踏切です。
宗谷本線02_02
踏切から南の旭川方を見ると駅のホームがあるのが見えます。
宗谷本線02_03
北へと踏切を渡って東へカーブする道を90mほど進むと
砂利の横道がありますがこちらが駅へと通じる道となります。
宗谷本線02_04
反対の東側から見た駅への入口付近。
宗谷本線02_07
砂利の道を進むとホームの入口が見えてきますが
その手前に木造の農機具小屋のような建物が見えます。
宗谷本線02_08
木造で下見張りに組まれた壁の、どう見ても農機具小屋のこの建物が北星駅の待合室です。
駅名標などはどこにも見当たらず、代わりに「毛織の北紡」という赤いホーロー看板が目立ちます。
北紡は旭川にあった毛糸を作る紡績会社でしたが1973年(昭和48年)に会社整理されています。
宗谷本線02_10
1959年(昭和34年)11月に宗谷本線の駅として新設開業した駅で、
仮乗降場からの昇格では無く、最初から駅として作られています。
宗谷本線02_09
待合室の中の様子です。外には駅名を示すの物はありませんが
中には運賃表や時刻表が掲示されている紛れも無い駅の施設です。
コンクリートの土間の上に木造の建屋が建っており、
木製の壁にベンチが作りつけられています。
窓も昔ながらの木枠のものとなっています。
宗谷本線02_11
待合室から砂利道を進むとすぐにホーム入口のスロープがあります。
宗谷本線02_13
スロープの足元の礎石には「昭和三十一年」の文字が。
駅は昭和三十四年に開設ですので詳細は謎です。
宗谷本線02_12
こちらがホームの様子です。単式ホーム1面1線の棒線無人駅です。
有効長1両分の木造ホームでいわゆる朝礼台と呼ばれるタイプの駅となっています。
宗谷本線02_14
この北星駅は2021年(令和3年)3月のダイヤ改正で廃止が決まっています。
2017年(平成29年)にもJR北海道が廃止を表明した駅で
当時は名寄町が承諾しませんでしたが、今回は廃止が承認されてしまいました。
宗谷本線02_15
駅の南側は線路に沿って天塩川が流れており、北側はご覧の通りの光景です。
駅周辺には集落はありません。
宗谷本線02_16
ちなみに名寄市の2016年(平成28年)度の住民基本台帳では
北星地区の住民数は1名となっています。
つまり駅周辺には住民が1名しかいないという事となります。
宗谷本線02_17
駅のホームから駅前の市道へと戻ります。
宗谷本線02_05
市道へと出て踏切と反対側の東の旭川方へと進むと
60mほどで片方が砂利道の三差路となります。
しかしこの先は車で進むとどちらへ行っても行き止まりとなっており
南の旭川方から駅へと通じる道路はありません
宗谷本線02_06
三差路の反対側は踏切を渡ると宗谷本線と併走をして北上しており、
そのまま1.8km先の智恵文駅の駅前まで一本道となっています。
周辺にほぼ民家が無い上、駅に至るには隣の駅前を通らないと行けない駅
これは正直廃止も已む無しなのかなと思わざるを得ません。


宗谷本線02_18
こちらは道道252号美深名寄線の名寄市智恵文付近の光景です。
前方の交差点で道道252号線は左の西側へと向かって曲がり
美深方面へと伸びています。
宗谷本線02_24
西の美深方面への道道252号線。
宗谷本線02_19
交差点の南西角にある八幡神社。
この神社があるからか、このあたりは智恵文八幡地区と呼ばれています。
宗谷本線02_20
神社の裏手には天塩川の三日月湖の智恵文沼が。
宗谷本線02_21
交差点の南側も道道252号線が延びており、2kmほど先の
天塩川を渡った対岸が智恵文の中心地区となっています。
宗谷本線02_22
神社の向かい、交差点の南東角には広場があって消防団の倉庫が。
この倉庫脇の東へ向かう道は宗谷本線と併走しており、
およそ2km先の北星駅までの一本道となっています。
宗谷本線02_23
そして交差点の北西角には智恵文郵便局があります。
この郵便局の前の道は道道292号智恵文停車場線という道道に指定されており、
八幡神社の交差点から駅までのおよそ100mの短い停車場線となります。
宗谷本線02_25
停車場線を進んだ北のつき当たりには砂利の広場があり
奥に駅があるのが見えます。
宗谷本線02_26
こちらが智恵文駅の駅舎の外観となります。
1911年(明治44年)11月に鉄道院天塩線が名寄駅━恩根内駅間を
延伸開業した際に途中駅として設置開業しました。
木造の駅舎がある駅でしたが国鉄時代の1986年(昭和61年)に無人化され
ほどなく駅舎も解体されて代わりに貨車駅舎が設置されました。

当初は素の貨車にペイントが成された駅舎でしたが
錆びた車体が補修され、鋼鈑サイディングが貼られて現在の外観となっています。
宗谷本線02_31
ホームと駅前広場との間に残る木造駅舎時代の基礎の跡。
宗谷本線02_32
駅前広場は広さこそあるものの特に構造物がある訳でもなく
ご覧の通りの空き地は広がっている状態です。
宗谷本線02_27
駅舎の中の様子です。
貨車駅舎なのでご覧の通りベンチが置かれたのみの簡素なものとなります。
宗谷本線02_33
ホーム側から見た駅舎の様子。
宗谷本線02_28
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となります。
かつては相対式2面2線の駅で貨物の引込み線まであったそうですが
1986年(昭和61年)の無人化に併せて交換設備も撤去されています。
宗谷本線02_29
ホームも砂利敷きとなっており、駅前広場と砂利が地続きとなっています。
宗谷本線02_30
線路の反対側にかつての交換設備のスペースを感じますが
ご覧の通り痕跡はほぼ残っていません。


宗谷本線02_34
智恵文駅前で西へと曲がった道道252号美深名寄線を
宗谷本線と智恵文沼に挟まれて2kmほど進むと
T字路で道道は再び右手へと進路を変えています。
宗谷本線02_35
反対の西側から見たT字路付近。
宗谷本線02_41
交差点の南側にはご覧の一面の農地が広がり視界を遮るものはありません。
宗谷本線02_36
T字路を北へと入るとすぐに宗谷本線の
第3美深名寄線踏切があります。
宗谷本線02_37
踏切から西の稚内方を見ると線路脇に駅のホームがあるのが見えます。
宗谷本線02_38
北へと踏切を渡って美深方面へと伸びる道道252号線。
この先に集落があり駅の利用者があるそうです。
宗谷本線02_39
切り返して踏切方面の光景。踏切脇に駅への入口があります。
宗谷本線02_40
道路から入るとすぐにホームへの階段があります。
この駅には駅前広場といったものは無く、
線路脇の敷地が僅かにあるのみとなっています。
宗谷本線02_43
ホームの入口の様子です。
階段は鉄骨階段でホームの土台や柵なども鉄骨造りとなっています。
ホームの土間はPC(プレキャストコンクリート)板が使われていました。
宗谷本線02_42
こちらが駅のホームの様子です。単式ホーム1面1線の棒線無人駅です。
1959年(昭和34年)11月に旭川鉄道管理局設定の智北仮乗降場として設置され、
JR北海道へと移管された1987年(昭和62年)に正式な駅へと昇格をしています。
宗谷本線02_44
現在ホーム東の目の前の踏切の道道252号美深名寄線は
1991年(平成3年)にルートが付け替えられて現在の位置となっています。
その際に旧道脇にあった智北駅も現在の場所へと東に100mほど移動しています。
駅が鉄骨造りで新しいのは移転で作られたものだからです。
宗谷本線02_45
智北駅には駅舎は無くホーム上にご覧のプレハブの待合室があります。
宗谷本線02_46
中はご覧の通りでプレハブの室内に木製のベンチが置かれています。
風雪に晒された外壁はベニヤで補修の跡が見られますが
室内は比較的綺麗な状態でした。


宗谷本線02_47
こちらは美深町の最南部の天塩川北岸に位置する美深3線道路の光景です。
周囲には見渡す限りの田畑が広がる光景となっています。
宗谷本線02_48
この美深3線道路が宗谷本線と交わる場所にご覧の3線踏切という踏切があります。
宗谷本線02_49
その踏切の東側の線路脇に南美深駅のホームが設けられています。
駅は1956年(昭和31年)7月に旭川鉄道管理局設定の南美深仮乗降場として設置されたもので
1959年(昭和34年)に正式な旅客駅へと昇格をしています。
宗谷本線02_53
ホーム入口のスロープは稚内方にのみありますが、
直接踏切に接している状態で駅入口は踏切内にあるという状況です。
宗谷本線02_50
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
木製ホームで有効長1両分という朝礼台タイプのホームとなっています。
宗谷本線02_51
この南美深駅は2021年(令和3年)3月のダイヤ改正で廃止が決定しています。
2016年(平成29年)にもJR北海道より廃止の意向が美深町に伝えられましたが、
この時は「世代交代が進み将来有望な地域」として廃止を拒みました。
しかしながら今回は廃止を受け入れざるを得なかった様です。
宗谷本線02_52
踏切から南西方面の光景です。目の前が三差路となっていますが
写真手前の踏切から奥へと伸びる美深3線道路は900mほど先で
国道40号線と交わっています。
宗谷本線02_54
西側の道道252号線上から見た駅方面。
宗谷本線02_55
踏切の西側の三差路からは、美深3線道路から分岐した道が
東に向かって宗谷本線に沿い旭川方へと道が伸びています。
この道を進むと隣の智北駅までたどり着くことができます。
宗谷本線02_56
そして切り返して三差路へと戻ると北東の角にある
こちらが南美深駅の駅待合室です。
木造の建屋の壁一面に緑のトタン板が貼り付けられた建物は
駅の表示は表には無く「南美深待合所」と書かれた看板が架かっています。
宗谷本線02_57
中の様子です。木造の羽目板張りとなっており、
床や壁の一部には合板が張られています。無垢の状態の為
羽目板には水染みが、合板は剥がれかけた箇所が見受けられます。
宗谷本線02_59
簡易テーブルに丸椅子とビールケースのみというのが
建物の造りと併せて農家の物置感を強く感じさせます。


宗谷本線02_60
こちらは国道40号線の大通南一丁目交差点付近の光景です。
美深町の中心市街地である国道沿いのこちらの交差点が
国道から駅への入口となっています。
宗谷本線02_61
交差点の北西の稚内方にも沿道に店舗が立ち並んでおり、
個人商店が多くシャッターの降りた店も多いとはいえ
周辺の畑と山しか無い光景と比べると、さすが名寄以北では稚内に次ぐ都市だと言えるでしょう。
宗谷本線02_62
切り返して北西側から見た大通南一丁目交差点付近。
宗谷本線02_63
この交差点は北東側が道道680号班渓美深停車場線という道道であり
国道40号線と駅とを300mほどで連絡している停車場線となります。
宗谷本線02_64
停車場線を駅の方向へ。突き当たりに駅前広場と駅舎があります。
宗谷本線02_65
こちらが美深駅の駅舎の外観です。
1911年(明治44年)11月に鉄道院天塩線の延伸開業によって設置された駅で
当初は「ぴうか駅」という読みでしたが
1951年(昭和26年)に現在の「びふか駅」と読みが改められています。
宗谷本線02_66
国鉄時代までは木造駅舎が建っていましたが、
民営化後の1987年(昭和62年)に美深町によって現在の
「美深町交通ターミナル」との合築駅舎へと改築されています。
宗谷本線02_67
駅前広場は広さはあるものの舗装されたのみのもので
駐車場としての区画によって駅前ロータリーの役割を果たしています。
宗谷本線02_68
広場に置かれた美深町の観光案内地図看板。
宗谷本線02_69
看板に描かれた美深駅周辺の地図です。
宗谷本線02_70
広場から国道方面の停車場線を見返すと、
T字路の南東角に美深駅前交番があります。
宗谷本線02_72
こちらは駅前広場に面している、宗谷本線と併走している町道。
南東側は住宅が並んでおり、線路側には公園があります。
宗谷本線02_71
北西側は赤レンガの農業倉庫が並んでいますが
現在は本来の用途では使用されていません。

宗谷本線02_73
駅舎へと戻って中の様子です。
美深町が窓口業務を委託されている簡易委託駅ですが
待合室はご覧の通りちょっとしたロビーの様になっています。
宗谷本線02_75
その待合室の一角には美深町の観光案内所があり
物販コーナーが併設されています。
宗谷本線02_74
そしてベンチの並ぶその奥には二階へと上がる階段があり、
階段の蹴込みには「旧国鉄美幸線資料館」と書かれています。
宗谷本線02_76
上へと上がると二階に資料室の入口が。
宗谷本線02_77
中には美深駅からかつて分岐していた国鉄美幸線の資料が
並べて展示されていました。

宗谷本線02_78
こちらは改札付近の様子です。
ホーム側には木製の「美深驛」と書かれた駅名標があります。
宗谷本線02_79
駅は千鳥式ホーム2面2線となっており、こちらは駅舎のある1番線ホームです。
下り線の稚内方面行き列車の使用するホームとなります。
宗谷本線02_80
旭川方のホーム南東端の光景。
かつて美幸線が分岐していた南側が望めます。
宗谷本線02_81
切り返して稚内方を見たホームの様子。
20m6両分の有効長があります。
宗谷本線02_82
ホーム北西端の跨線橋入口。
跨線橋は宗谷本線でいくつか見かけるガーター橋の転用されたものです。
宗谷本線02_83
こちらは跨線橋の中の様子です。
二つのホームを構内で連絡しています。
宗谷本線02_84
跨線橋からの駅構内の俯瞰です。
宗谷本線02_85
駅の北側に位置する2番線ホームの様子。
上り線の旭川方面行き列車が使用するホームとなります。
宗谷本線02_86
ホーム北西端の稚内方の光景。
元々美深駅は国鉄形のホーム配線の駅で、こちらのホームは島式ホームでした。
ですので現在の2番線の反対側にはかつての3番線がありましたが
今では草に埋もれて跡形もありません。
宗谷本線02_87
そして2番線ホームから北へと延びるこちらの舗装通路。
草むらの空き地を横切って離れた町道へと通じています。
宗谷本線02_88
連絡道路の先の町道の様子。
宗谷本線02_89
美深駅の北側に接する空き地はかつての製材所が立ち並んだエリアでした。
駅から貨物の引込み線もあって、林業が主要産業であった美深の材木を加工していましたが、
外国産の安い木材に次第に押され、今ではご覧の通り全ての製材所廃業しています。
宗谷本線02_90
旭川方のホーム端の様子です。
跨線橋の階段があり、くぐった先がホームの終端となります。

宗谷本線02_91
美深駅の駅舎の上にあるこちらの塔は「美幸の鐘」です。
駅舎改築の際に作られた鐘楼でフランス製の鐘が下がっています。
かつて美深町は美幸線の全通に力を注いでおり、その情熱と英知を忘れず
「未来に向かって『美しく幸多い』町でありたい」という想いから命名されたのだそうです。
宗谷本線02_92
そして駅前広場の脇から鐘を見上げる銅像があり「西尾六七氏之像」とあります。
西尾氏は戦後20年に渡って美深の町長を務めた人物で、
美幸線の全通に尽力をされた方なのだそうです。
これらを見ると「日本一の赤字線」と言われた美幸線に対する
美深の街の人々の想いを感じます



美深駅はちょうど宗谷本線の真ん中くらいに位置している駅ですので
ようやく路線の半分まで来た、といった所です。

まだまだ宗谷本線は続きますのでその6にて。


では。

【写真撮影:2020年8月】