でんこの元ネタ
■No.105 下灘いよ(Shimonada Iyo)
 ■タイプ:ディフェンダー
 ■誕生日:3月2日

■出身駅: JR四国 予讃線 旧線(愛ある伊予灘線) 下灘駅
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こちらは愛媛県伊予市から八幡浜市を経由し宇和島市に至る
国道378号線の旧双海町日喰付近の光景です。
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国道の青看板にも表記がある通り、「日喰」の地名標識のあるご覧の分岐路が
駅へと国道から向かう連絡道路となります。
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切り返して反対の南側から見た国道の分岐付近。
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分岐には駅がある事を示す看板も立てられていました。
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この国道378号線は元々は県道を1975年(昭和50年)に国道指定したものでした。
しか指定当初は車のすれ違いも難しい狭隘な道でいわゆる「酷道」と評される類の道路で、
この状況を改善する為に海を埋め立てて国道を拡張する改修工事が行われ
1993年(平成5年)には改修区間が全線2車線となって
「夕焼け小焼けライン」の愛称が付けられています。
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そして今では駅へと通じる連絡道路であるこの分岐からの道こそが
指定当初の国道378号線の旧道なのです。
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「駅まで400m」とある旧国道を進みます。
停まっている軽自動車と比べれば道の幅が分かると思います。
途中には車が離合する為の待避所が。
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国道から200mほど進んだ所にあるJR予讃線のガード。
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道幅が1.5車線の切り通しを抜けると線路のある右側が次第にひらけてきます。
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旧国道の海側にはフェンスが立てられていますが、その中は
かつて終着駅であった駅のヤードの一部で、現在は使われていない敷地が広く残っています。
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その敷地脇で見通しが良くなった旧国道を進むと
まもなく横断歩道が見え駅前へと到着となります。
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こちらが下灘駅の駅舎の外観です。駅は1935年(昭和10年)6月9日に
当時の国鉄予讃本線が伊予上灘駅から一駅だけ延伸し終着駅として開業をしました。

伊予灘を海岸線を走る予讃線はしばしば天候に悩まされた路線で
1986年(昭和61年)に内陸の内子線経由の新線が開業すると
下灘駅経由の海まわりの線路は旧線となって幹線ではなくなります。
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しかし1998年(平成10年)から2000年(平成12年)まで3年連続で
下灘駅の光景がJRの青春18きっぷのポスターに使われた事で一躍その名が全国区となり、
鉄道愛好家を超えて今や観光地として連日観光客でにぎわう駅となっています。

2014年(平成26年)には予讃線の海まわり旧線に「愛ある伊予灘線」の愛称がつけられて
観光列車「伊予灘ものがたり」が運行されています。
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駅舎の南側の並びの旧国道沿いにある駅駐車場。
数台が駐車可能ですが今や下灘駅に車で来る観光客は多く
日中はまず空くことが無い状態となっています。
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駐車場からはフェンスの切れ目があってホームに直接入る入口が。
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駅舎の向かい側には「下灘珈琲」というキッチントレーラーの珈琲スタンドが。
愛媛県松山市内の結婚式場の会社が2017年(平成29年)にオープンしたもので、
地方の無人駅で商売が成り立つという点でここが観光地である事を感じさせます

かつてはこの場所にはたばこ屋があって下灘駅の簡易委託先としてきっぷを売っていました
2000年ごろにはたばこ屋は休業して委託も廃止となっています。
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駅舎の入口脇には郵便ポストと四国の形の穴の開いた木製ベンチが。
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こちらが駅舎の中の待合室の様子です。
1986年(昭和61年)に簡易委託駅となるまでは駅員が居た駅でしたので
改札の窓口が残っています。
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反対側には木製の長ベンチが置かれています。
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ホーム側の改札口には鋼製のラッチが。
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改札脇にはご覧のらぶらぶベンチが置かれています。
座面に傾斜がついていて強制的に寄り添う仕掛けのベンチは
最近では全国各地のローカル駅で見かけますが下灘駅にも置かれていました。
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らぶらぶベンチの反対側には、駅舎表にも置かれていた
四国の形の穴の開いた木製ベンチが。
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改札前からホームへは渡り廊下の様に手すりがついていますが
これはかつてホームが島式1面2線だった時に線路があった場所に設けられたものです。
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ホームの様子です。単式ホーム1面1線の棒線駅となっています。
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伊予上灘駅方の北側のホーム端の先を見ると
かつてポイントがあった名残りの湾曲が線路に残っており
列車交換が可能な駅であった痕跡となっています。
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切り返して南側へと向いたホームの様子です。
駅の眼前に伊予灘の海が広がっているのが良く分かります。
ホーム下に見える国道378号線は海を埋め立てて拡張されたもので
1993年(平成5年)に完成する以前は国道部分までが海だったそうです。
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南側の伊予大洲駅方の光景です。
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国道がかつては海だった事を考えると
海岸線ギリギリの傾斜地に通された路線であった事が良く分かる光景です。
台風が頻繁に通過する四国である事を考えると運行がままならなかった事は想像に難くありません。
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再び切り返して駅舎方向へ。
かつての線路跡がひまわり畑となっていて初夏には美しい光景を生み出しています。
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下灘駅ホームの中央付近にあるベンチと上屋の屋根です。
簡素でシンプルなものですが、伊予灘にのぞむ駅のロケーションと非常にマッチをしてます。
柱にあるホーロー製の駅名標は2009年(平成21年)頃に無くなってしまったものを
地元の有志が2014年(平成26年)に復刻させ取り付けたものです。
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駅舎の正面付近のホームの様子。
駅名標はかつては海側にのみ取り付けられていましたが、
1999年(平成11年)の青春18きっぷのポスターが駅舎側から撮った写真で、
「同じアングルで撮りたい」という要望に応えてJR四国が駅舎側にも駅名標を増設たものです。
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ホームから駅舎寄りの場所の様子。
駅舎寄りのホームの白線が今でも残っています。
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目の前に広がる伊予灘は遮るものが無く水平線の見える海です。
そして西側に位置している事から特に夕方の光景はご覧の通りの絶景となります。
ですので何も無い無人駅にもかかわらず、日没前になると駅のホームは
観光客が大勢集まってさながら都心の通勤時間帯の様になります。

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駅舎の前へと戻って旧国道の道を南へと進みます。
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かつて国道に指定されていたことが本当かと疑いたくなる様な
車の離合がなかなか厳しい幅の道が続きます。
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駅舎から南に200mほど進んだ付近の右側にある標識。
北の方向に向かって「伊予16km」の表記のこの標識は国道時代に設置されたものです。
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この標識のすぐ先でご覧の峠となっているカーブに差し掛かりますが、
このカーブはご覧の通り下灘駅が眼下に俯瞰で一望できるポイントとなっています。
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下灘駅を見下ろした光景。
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ビューポイントの先は下り坂となりますが、下り始めてすぐに駐車場の表記があり
左手に分岐する坂道があるのが見えます。
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この分岐の坂道が、下灘駅の駅舎脇のフェンスに書かれている
20台が駐車できる下灘駅臨時駐車場の入口です。
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こちらが駐車場の様子です。
下灘駅の駅舎脇の駐車場は常に満杯なのに対して
こちらの駐車場は比較的いつでも停められるので覚えておいて損はありません。
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駐車場の北側には駐輪場がありますが、その奥には下灘駅までの
ショートカット通路が設けられています。
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こちらが駅へのショートカットの坂道。
旧国道へと通じていて駅までは120mほどに位置に出られます。

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駐車場から旧国道へと戻って南の方向へと進みます。
現国道が近づいてくると次第に建物が見え始めます。
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駅舎からおよそ400mほどにある予讃線の豊田踏切を越えると
旧国道は現国道と併走する側道となります。
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「上浜」の地名標識のある、旧国道と現国道378号線との合流地点。
旧国道は引き続き左手の集落の中へと続いていますが、
こちらが南側の下灘駅への現国道からの入口となります。
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合流点から現国道の378号線を南へと向かうと
右手に下灘漁港が見え、国道はすぐに海を跨ぐ橋を渡ります。
橋の南側には下灘の集落が広がって商店や学校などがあります。
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切り返して北方向を見た国道378号線の下灘駅への分岐付近。

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下灘集落の北側から国道378号線を北の松山方向へと進みます。
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国道側から見上げて見える下灘駅。
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駅の下の国道を伊予灘に沿ってさらに北上します。
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双海町林業センターの建物の前を過ぎると
下灘駅の北側の入口である日喰の分岐路に辿り着きます。

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駅メモのでんこの下灘いよの苗字の「下灘」は
予讃線の下灘駅が由来であるのは異論の無いところでしょう。

名前の「いよ」についてですが、下灘駅のある愛媛県の旧国名は伊予であり、
駅所在地の伊予市や眼前の伊予灘など「いよ」という名前は周辺に無数にあります。
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公式には発表がありませんので推測となりますが、
下灘駅のある予讃線の海まわり旧線の愛称は「愛ある伊予灘線」です。
でんこの下灘いよの衣装の袖にハートマークがあしらわれている点などを考えると
個人的には「愛ある伊予灘線」が名前の由来であると考えたいところです。



■モデル車両: JR四国 キハ32形気動車(キハ32形12~21の富士重工車)
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1987年(昭和62年)4月1日に国鉄分割民営化によって
全国に5つのJRが生まれた事はご存知の通りです。
そしてJR北海道、JR九州そしてJR四国の3社については
発足前からその経営基盤が脆弱になると予測されていました。
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【上写真:キハ20形】
当時地方の非電化ローカル線には30年近く使われていたキハ20形などが残っており、
新会社転換後の遠くない将来に老朽化の置き換えが予想されていました。
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【上写真:新潟鐵工所の軽快気動車NDC】
こうした状況を踏まえて第三セクター向けの軽快気動車NDCなどをベースとして
国鉄仕様で設計した車両を作り、民営化前のローカル線車両を交換する事となります。
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こうした経緯によって、主にJR四国向けとして分割民営化の2ヶ月前である
1987年(昭和62年)2月に作られて配置されたのがご覧のキハ32形気動車です。
低コストで作るために廃車の再生品を流用したり、バス部品を転用して
ローコスト化
を図っています。

車両は21両が作られ松山運転所に7両、徳島運転所に8両、高知運転所に6両が配置され
1987年(昭和62年)3月6日から営業運転を開始しています。
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その後徳島運転所のキハ32形は1000系へと置き換えられて転出。
現在(註:2021年現在)では松山に1~15の計15両、
高知に16~21の計6両が配置されています。
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このキハ32形は新潟鐵工所と富士重工の2社で作られており、
キハ32-1から11までの11両が新潟鐵工所、
12から21までの10両が富士重工で作られています。

同一の形式ですので基本的な造りは一緒ですが、
外装などで細い点ではいくつもの差異があります。
その中で一番目立ち分かりやすいのは正面のライトの形状で、
丸型が新潟鐵工所製、角型が富士重工製となっています。
ライトが角型の富士重工車は高知運転所の車両が6両全てなのに対して
松山では12~15の4両のみが富士重工車となっています。
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下灘駅のある予讃線は松山運転所の管轄ですから
松山のキハ32形富士重工車(12~15)が下灘いよのモデル、と考えたい所ですが、
11両が新潟鐵工車、4両が富士重工車の松山では角型ライト車両に会える確率は
4/15と3割を切っています。下灘駅の発着は一日上下とも9本ですので
下灘駅で富士重工車に会うのはなかなか大変です。
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キハ32形をモチーフとしている駅メモのでんこの下灘いよですが、
両方の二の腕のアームレット(腕輪)が角型のライトと同じ形状をしています。
この点からキハ32形の中でも富士重工製の車両がモチーフであると思われます。

またキハ32形では車体の配色にアイボリー(    をベースとして
JR四国のコーポレートカラーでもある水色(    のラインを車体下部に配しています。
下灘いよの衣装のワンピースの配色はまったく同一であり、
胸元の水色のラインは車体前面と同じ形状であることが並べるとよく分かります。


【上動画はクリックで再生します】
こちらは松山運転所所属のキハ32形が駅へと入線をする様子の動画です。
それでは以下で車両の詳細について見てみたいと思います。
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車両の外観です。車体は普通鋼製となっています。
車体の長さは国鉄車両の基本は20mなのだそうですが
キハ32形は閑散路線用なので16mと小型化されています。
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松山運転所在籍のキハ32形は予土線と予讃線の松山以南で終日主力として運用されています。
一方高知運転所所属のキハ32形は土佐山田~須崎間の土讃線で朝から昼までの間の運用であり
午後は土讃線でのキハ32形の運用がありません。
ですのでキハ32形を見たいという方は注意が必要です。
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車内の様子です。両運転台で運転席は左側の半室となっています。
乗降扉は両車端部の左右に設けられており、バス用の折り戸となっています。
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座席は4人掛けロングシートを片側に6つ、反対側には5つ繋げて並べてあり、
排気塔脇の3人掛けシートを合わせて計47席となっています。
車両の途中には扉は設けられていません。
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正面は貫通扉があり併結運転の際には貫通路を移動できます。
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運転台の様子。
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客室側から見た運転台後方の壁付近です。
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正面妻側の上に取り付けられた車両番号と製造工場の銘板。
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切り返して見た車内客室の様子。
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こちらが座席にダクトスペースが出っぱっている部分の様子で
座席が分かれて一ヶ所だけ3人掛けシートとなっています。
この3人掛けシートは優先座席となっていました。
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外から見た排気筒の出口。
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座席の下にはバス用を転用したヒーターがありました。
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冷房はご覧の通り天井と壁に入り隅にダクトスペースがあり
送風口が所々に設けられています。その前には円形のつり革が一列に。
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車内にトイレの設備は無く、乗降扉脇の小窓には
その旨を記したステッカーが貼られていました。

今回駅メモのでんことなった事で思わぬ付加価値がつきましたが、
2~3時間という長時間をトイレなしのロングシート車で移動を強いられる車両という事で
元々はキハ32形は鉄道愛好家にはあまり評価の高い車両ではありませんでした。
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キハ32形の車両新製日は1987年(昭和62年)の2月16日と2月26日であり、
運用開始日は同年3月6日となっています。
駅メモのでんこのキハ32形をモチーフとする下灘いよの誕生日が3月2日に設定されていますが、
転属されたダイヤ改正日などを見てもキハ32形に関連して3月2日という日付は見当たりません
ですのでキハ32形の「32」という形式名から3月2日に誕生日を設定したもである、と推測されます。


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余談ですが「四国新幹線」として有名なご覧の鉄道ホビートレインは
松山運転所所属のキハ32-3であり2014年(平成26年)より0系新幹線の姿で運用されています。


【写真撮影:2021年8月ほか】