でんこの元ネタ
■No.89 総天ギンカ(Stain Ginka)
■タイプ:ディフェンダー
■誕生日:12月1日
■出身駅: 無し(デハ5201は総合車両製作所横浜事業所、
クハ5251は上田電鉄下之郷車庫に留置)
総天は「すてん」と読みます。
日本の鉄道に於いて現在および過去に「総天」という名前の駅が存在した事はありません。
ステンレス鋼は英語で「Stainless Steel」と書き「錆びない鋼」という意味となります。
「より変色しにくい (stains less)」という事がステンレスの語源とされており、
その名前の通りステンレスの最大の特徴は耐食性でありまさしく錆びない事です。
駅メモのでんこの総天ギンカのモチーフである東急5200系は
日本で初めてのステンレス製車体を持つ電車であり、
錆びない事による塗装の省略とメンテナンスの簡単さによるコストダウンを目的として作られました。
5200系を作った戦後当時の東急車輛は後発メーカーであり、
名門を相手に生き残るためには新技術の開発が必要でした。
そうして生まれたのが5200系というステンレス製鉄道車両であり、
その製造マニュアルは国内のステンレス製車両製造の基礎となりました。
ステンレスは日本では業界用語や一般的にもしばしば略されて「ステン」と呼ばれる事があります。
総天ギンカの「総天」はステンと読みますが、
これは日本初のステンレス車両をモチーフとしている事から
ステンレスの「ステン」に当て字をして苗字としたと考えて良いと思われます。
■モデル車両: 東急電鉄(上田交通)5200系電車
【上写真:東急東横線を走る5200系】
東急5200系電車は日本初のステンレスカーとして1958年(昭和33年)11月に東急車輛製造で
デハ5201(先頭車)、サハ5251(中間車両)、デハ5202(先頭車)の1編成3両が製造されました。
1958年(昭和33年)12月1日より東急東横線で運用を開始。
田園都市線、東横線、目蒲線と転属し中間車両2両が増備されるなどした後に
1986年(昭和61年)5月に東急での運用を終了しています。
5200系をモチーフとしている駅メモのでんこの
総天ギンカの誕生日が12月1日に設定されているのは
東急東横線での営業運転開始日が元であると思われます。
そしてその1986年(昭和61年)に車両の近代化が急務であった
東急系列の上田交通(現:上田電鉄)へと3両が譲渡された5200系は
同年10月より上田交通別所線での運用を開始。
1993年(平成5年)5月に7200系との置き換えによって営業運転を終了しています。
ちなみにデハ5202は上田交通への譲渡時に電装が解除されて
クハ5250形5251と改番がされています。
【上写真:東急車輛製造(現:J-TREC)に留置されているデハ5201】
上田交通での役割を終えた車両のうち、先頭車のデハ5201は東急に返還されており、
長津田検車区に留置された後に東急車輛製造横浜製作所の構内へと移され静態保存されています。
このデハ5201は東急車輛産業遺産制度(現:J-TREC産業遺産制度)の
第1号として永久保存が決定しており、2012年(平成24年)8月には
日本機械学会から機械遺産第51号の認定を受けるなどしています。
なお、このデハ5201の保存されているJ-TREC(総合車両製作所)は
企業の機密情報保持の観点から構内はおろか
敷地外からの撮影も厳しく禁止されている事で有名です。
駅メモの総天ギンカが極度に写真を撮られる事を嫌うという設定は
こうしたJ-TRECの撮影禁止が生かされた設定だと思われます。
【上写真:下之郷車庫の裏手の留置線に置かれたクハ5251(デハ5202)】
一方で中間車両のサハ5251と先頭車のデハ5202(クハ5251)は上田交通へと残され、
下之郷車庫で倉庫として留置され使われていました。
その後中間車サハ5251は解体されており、先頭車5202(クハ5251)のみが倉庫として静態保存されています。
【上写真:2020年に城下駅でイベント公開されるクハ5251(デハ5202)】
この先頭車は2006年(平成18年)にイベント用として復元されて公開されており、
近年では2020年(令和2年)に城下駅で留置公開されるなど保存車両として再び日の目を見ています。
それでは以下で5200系の先頭車両のみですが
詳細について見てみたいと思います。
5200系は日本最初のステンレス鋼製車体の車両で
溶接時にひずみが出やすいステンレスの溶接をコルゲートと呼ばれる
波状のデコボコで覆った姿が特徴的で「湯たんぽ」と通称される事もありました。
鋼製の車両が外装に塗装が必要なのに対して
ステンレス外装の5200系は無塗装でも腐食せずメンテナンスが要らない利点がありました。
ご覧のデハ5202(クハ5251)も屋外で倉庫として使用されていたにも関わらず
外観は錆びひとつ無い綺麗な状態で車体が残っています。
公開されていた運転台の中の様子です。
方向幕の箱には上田交通時代の行き先が書かれていました。
基本的な性能は「青ガエル」と呼ばれた東急5000系と同一ですので
運転台も基本的に5000系と同じ構造となっています。
車体正面の上にはシールドビーム2灯の前照灯がありますが、
総天ギンカの衣装の襟元にある前照灯の飾りが同じ形である事が並べると分かります。
前照灯は製造当初は1灯式のものでしたが1983年(昭和58年)にご覧の2灯式に変えられています。
また車両前面の下方には両側に後尾灯がありますが、
総天ギンカの衣装の襟下に同じ形のライトを模した飾りがあり
モチーフとなっているであろう事が分かります。
総天ギンカのブーツを見ると車体下方のコルゲートを模したと思われる
凹凸が施されたデザインとなっています。
そして総天ギンカの背中にはひし形パンタグラフがありますが、
これも並べてみると5200系のものと同じ形である事が分かります。
現在上田電鉄で保存されているご覧のデハ5202(クハ5251)のパンタグラフは
倉庫として使われていた時には無くなっていましたが、
イベントでの公開に際して同じ長野のアルピコ交通から
2006年(平成18年)に同じ形の東急5000系のものを譲り受けて復元されたものです。
【写真撮影:2020年8月】
■No.89 総天ギンカ(Stain Ginka)
■タイプ:ディフェンダー
■誕生日:12月1日
■出身駅: 無し(デハ5201は総合車両製作所横浜事業所、
クハ5251は上田電鉄下之郷車庫に留置)
総天は「すてん」と読みます。
日本の鉄道に於いて現在および過去に「総天」という名前の駅が存在した事はありません。
ステンレス鋼は英語で「Stainless Steel」と書き「錆びない鋼」という意味となります。
「より変色しにくい (stains less)」という事がステンレスの語源とされており、
その名前の通りステンレスの最大の特徴は耐食性でありまさしく錆びない事です。
駅メモのでんこの総天ギンカのモチーフである東急5200系は
日本で初めてのステンレス製車体を持つ電車であり、
錆びない事による塗装の省略とメンテナンスの簡単さによるコストダウンを目的として作られました。
5200系を作った戦後当時の東急車輛は後発メーカーであり、
名門を相手に生き残るためには新技術の開発が必要でした。
そうして生まれたのが5200系というステンレス製鉄道車両であり、
その製造マニュアルは国内のステンレス製車両製造の基礎となりました。
ステンレスは日本では業界用語や一般的にもしばしば略されて「ステン」と呼ばれる事があります。
総天ギンカの「総天」はステンと読みますが、
これは日本初のステンレス車両をモチーフとしている事から
ステンレスの「ステン」に当て字をして苗字としたと考えて良いと思われます。
■モデル車両: 東急電鉄(上田交通)5200系電車
【上写真:東急東横線を走る5200系】
東急5200系電車は日本初のステンレスカーとして1958年(昭和33年)11月に東急車輛製造で
デハ5201(先頭車)、サハ5251(中間車両)、デハ5202(先頭車)の1編成3両が製造されました。
1958年(昭和33年)12月1日より東急東横線で運用を開始。
田園都市線、東横線、目蒲線と転属し中間車両2両が増備されるなどした後に
1986年(昭和61年)5月に東急での運用を終了しています。
5200系をモチーフとしている駅メモのでんこの
総天ギンカの誕生日が12月1日に設定されているのは
東急東横線での営業運転開始日が元であると思われます。
そしてその1986年(昭和61年)に車両の近代化が急務であった
東急系列の上田交通(現:上田電鉄)へと3両が譲渡された5200系は
同年10月より上田交通別所線での運用を開始。
1993年(平成5年)5月に7200系との置き換えによって営業運転を終了しています。
ちなみにデハ5202は上田交通への譲渡時に電装が解除されて
クハ5250形5251と改番がされています。
【上写真:東急車輛製造(現:J-TREC)に留置されているデハ5201】
上田交通での役割を終えた車両のうち、先頭車のデハ5201は東急に返還されており、
長津田検車区に留置された後に東急車輛製造横浜製作所の構内へと移され静態保存されています。
このデハ5201は東急車輛産業遺産制度(現:J-TREC産業遺産制度)の
第1号として永久保存が決定しており、2012年(平成24年)8月には
日本機械学会から機械遺産第51号の認定を受けるなどしています。
なお、このデハ5201の保存されているJ-TREC(総合車両製作所)は
企業の機密情報保持の観点から構内はおろか
敷地外からの撮影も厳しく禁止されている事で有名です。
駅メモの総天ギンカが極度に写真を撮られる事を嫌うという設定は
こうしたJ-TRECの撮影禁止が生かされた設定だと思われます。
【上写真:下之郷車庫の裏手の留置線に置かれたクハ5251(デハ5202)】
一方で中間車両のサハ5251と先頭車のデハ5202(クハ5251)は上田交通へと残され、
下之郷車庫で倉庫として留置され使われていました。
その後中間車サハ5251は解体されており、先頭車5202(クハ5251)のみが倉庫として静態保存されています。
【上写真:2020年に城下駅でイベント公開されるクハ5251(デハ5202)】
この先頭車は2006年(平成18年)にイベント用として復元されて公開されており、
近年では2020年(令和2年)に城下駅で留置公開されるなど保存車両として再び日の目を見ています。
それでは以下で5200系の先頭車両のみですが
詳細について見てみたいと思います。
5200系は日本最初のステンレス鋼製車体の車両で
溶接時にひずみが出やすいステンレスの溶接をコルゲートと呼ばれる
波状のデコボコで覆った姿が特徴的で「湯たんぽ」と通称される事もありました。
鋼製の車両が外装に塗装が必要なのに対して
ステンレス外装の5200系は無塗装でも腐食せずメンテナンスが要らない利点がありました。
ご覧のデハ5202(クハ5251)も屋外で倉庫として使用されていたにも関わらず
外観は錆びひとつ無い綺麗な状態で車体が残っています。
公開されていた運転台の中の様子です。
方向幕の箱には上田交通時代の行き先が書かれていました。
基本的な性能は「青ガエル」と呼ばれた東急5000系と同一ですので
運転台も基本的に5000系と同じ構造となっています。
車体正面の上にはシールドビーム2灯の前照灯がありますが、
総天ギンカの衣装の襟元にある前照灯の飾りが同じ形である事が並べると分かります。
前照灯は製造当初は1灯式のものでしたが1983年(昭和58年)にご覧の2灯式に変えられています。
また車両前面の下方には両側に後尾灯がありますが、
総天ギンカの衣装の襟下に同じ形のライトを模した飾りがあり
モチーフとなっているであろう事が分かります。
総天ギンカのブーツを見ると車体下方のコルゲートを模したと思われる
凹凸が施されたデザインとなっています。
そして総天ギンカの背中にはひし形パンタグラフがありますが、
これも並べてみると5200系のものと同じ形である事が分かります。
現在上田電鉄で保存されているご覧のデハ5202(クハ5251)のパンタグラフは
倉庫として使われていた時には無くなっていましたが、
イベントでの公開に際して同じ長野のアルピコ交通から
2006年(平成18年)に同じ形の東急5000系のものを譲り受けて復元されたものです。
【写真撮影:2020年8月】
コメント