でんこの元ネタ
■EX No.18: 石橋おくる(Ishibashi Okuru)
 ■タイプ:サポーター
 ■誕生日:5月6日

■出身駅: 岩手開発鉄道 日頃市線 岩手石橋駅(岩手)
おくる01



岩手開発鉄道は岩手県大船渡市で石灰石の輸送を行っている貨物鉄道です。

元々は戦前に盛駅から釜石線平倉駅までを結ぶ鉄道として計画されたもので、
太平洋戦争で工事が中断した後に1950年(昭和25年)に岩手開発鉄道として開業。
小野田セメント(現・太平洋セメント)の鉱山や工場へと路線が延伸されて
貨物営業が会社を支える鉄道へとシフトされていきます。

開業から細々と行っていた旅客営業は、貨物輸送の減少によって運行の経営的余裕が無くなって
1992年(平成4年)に廃止されており、第三セクター鉄道ではあるものの
現在は実質的に太平洋セメントの子会社として石灰石輸送専業の鉄道となっています。

おくる04
こちらは岩手県道180号上有住日頃市線の光景です。
おくる07
ご覧の通り大船渡市側の国道107号線から
五葉山の六郎峠を越えて上有住へと通じています。
おくる05
国道107号から分かれておよそ900mほど1.5車線の幅の県道を進むと
駅へと通じる分岐路の橋があります。
おくる06
分岐路の駅と反対側への正面にはご覧の建物のある広場が。
おくる08
広場の東側にあるこちらの建物は石橋鎧剣舞伝承館で、
この石橋地区に江戸時代から伝わっている鎧剣舞の伝承活動の拠点となります。
おくる09
北側の奥にある石橋地区公民館の建物。
おくる10
そして公民館の横には五葉山神社の鎮座する小山があります。
三陸沿岸の最高峰である霊峰五葉山には山頂に五葉山神社があり
山の麓を囲んでいくつもの里宮が置かれています。
こちらの石橋の五葉山神社もその里宮の一つでしょうか。
おくる11
神社から見下ろした広場の俯瞰。
おくる12
県道180号上有住日頃市線を神社の脇からさらに西の奥へと進んだ光景です。
この先は集落を抜けると五葉山の六郎峠へと続く狭隘区間となり
曲がりくねった道を5kmほどで峠となります。
おくる13
切り返して県道を南へと戻って駅の前付近へ。

おくる14
県道から駅への道に架かる橋です。
ガードレールには「石橋駅前橋」との橋銘板があります。
1970年(昭和45年)竣工の銘板がついていますので
駅の開業の10年後に作られた橋という事になります。
おくる15
坂を登って駅方向へと進むと正面に大きなホッパーの建物が見えます。
おくる16
道路脇にある砂利敷きの駐車場。石灰石の砕石を行うセメント会社があるので
その駐車場が道路脇に設けられています。
おくる17
その先を見たこちらが岩手開発鉄道の岩手石橋駅の駅の全景となります。
岩手開発鉄道日頃市線は1950年(昭和25年)に盛駅━日頃市駅間が開業していましたが
長岩鉱山の石灰石を輸送する為に1960年(昭和35年)6月21日に
こちらの岩手市橋駅までが延伸開業
されました。
おくる18
駐車場から坂を上るとすぐにあるのがこちらの石橋駅前踏切です。
おくる19
この踏切を通過した列車は奥で一旦スイッチバックをして
ホッパーのある線路へと戻ってきます。
おくる20
踏切を渡るとすぐに右手にある築堤を登る階段です。
駅前の道路からかつての旅客ホームへと連絡をしていた階段となります。
おくる21
駅前道路を踏切からさらに登ると上の平地へと出ます。
おくる22
坂の上の平地から南側へと駅前の道は続いていますが、
奥の南側には石灰石の採掘を行うセメント会社があります。
おくる23
切り返して北側を見ると岩手石橋駅の駅の敷地が広がっています。
写真中央に見える土盛りはかつての岩手石橋駅の旅客ホームです。
おくる24
かつては赤線で示した付近にホームに沿って旅客用の線路が敷かれていて
ホームで乗客が乗り降りをしていました。
しかし収益の為というよりは従業員家族の福利厚生の一環としての性格も強く
貨物輸送の減少で経営的余裕が無くなって1992年(平成4年)に旅客営業は廃止されています。
おくる25
岩手石橋駅の旧旅客ホーム跡の様子です。
旅客営業当時も一両での運行でしたのでホームの有効長もさほど長くはありません。
現在ではホーム上にはPC枕木など資材が置かれていました。
おくる26
岩手石橋駅のホーム上の駅名標は残ってはいますが、
ご覧の通り文字は全て剥げ落ちてしまっていて白紙状態となっていました。
肉眼で良く見るとかすかに文字の跡を見る事ができます。
おくる27
切り返して見た旧ホーム。営業当時の写真などを見ると
旅客ホームの線路はホーム端の少し先で車止めとなっていました。
おくる28
旧ホームの北端の先にあるこちらが岩手石橋駅の駅舎です。
開業時からの建物で旅客営業時には切符の販売なども行っている駅舎でしたが、
現在では貨物列車の到着の際に駅務を行う為の詰所となっています。
おくる29
営業当時の写真を見るとホーム側の駅舎妻側の出入口の引き戸は
駅の旅客営業時には無く、中に券売窓口のある待合室となっていた様です。
現在は石灰石の貨物輸送のみの取り扱いなのでご覧の通り
待合室の入口や横の腰壁なども塞がれて部屋となっています。
おくる35
かつての旅客用の駅舎入口だった扉の脇の壁には
木製の「岩手石橋」と書かれた駅名標が。
旧旅客ホームの駅名標は文字が消えてしまっていますので
貨物駅となった現在残っている駅名標はこちらのみとなります。
おくる30
ホーム東側には駅舎と駅前の道路とを連絡する舗装された取付道路があります。
おくる34
ホッパー下の積み込み用の線路の東の旧旅客ホーム側には
機関車の機回し線があり、その隣にはもう一線引き上げ線がありますが
引き上げ線には車輪が並べられており使用されている様子はありません。
おくる37
こちらは引き上げ線の終端付近。
旧旅客用ホームの終端とほぼ同じくらいの場所に設けられています。
かつての旅客用の線路も隣に並んで線路の終端があった様です。

おくる31
盛駅方面からやってきた列車は駅前の踏切を通過した後
駅北西の山の中へと入って行きます。
この線路は駅舎前を過ぎた先にスイッチバックがあります。
おくる32
スイッチバックで切り返した列車は機関車が最後尾となって戻り
ホッパー下へと入線して石灰石を積み込みます。
おくる33
貨物車に石灰石が積み込み終わると機関車は離れて単独でスイッチバック方面へと戻り、
旧旅客ホームとホッパーとの間の機回し線から盛方の貨物最後尾へと迂回します。
最後尾から石灰石を積んだ貨車を押した機関車はスイッチバックで先頭側となり
盛方面へと坂を下って日頃市線を戻って行きます。
おくる38
駅から駅前の県道へと戻る道の光景。

おくる36
2019年(令和元年)9月に追加された駅メモのエクストラでんこの石橋おくるですが
岩手開発鉄道の機関車がモチーフとされているので
苗字の由来はこの岩手石橋駅の「石橋」から取られていると考えて良いでしょう。



■モデル車両: 岩手開発鉄道DD56形ディーゼル機関車
おくる39


岩手開発鉄道DD56形ディーゼル機関車は岩手県大船渡市にある岩手開発鉄道で
貨物列車の運行の為に使用されている機関車です。
おくる40
自社発注をして導入した車両で、元々は新潟鐵工所製センターキャブ式53tの機関車であり
車両形式もDD53形としてDD5651(1968年10月製)、DD5652(1969年12月製)、
DD5653(1973年12月製)の計3両が導入。1979年(昭和54年)にエンジン換装によって
自重が56tとなったことからDD56形へと改番され編入されています。
おくる41
こちらは1977年(昭和52年)6月に追加で作られたDD5601です。
製造当初から56t機として作られ岩手開発鉄道のDD56形のトップナンバーとなっています。
他の3両はDD53形からDD56形へと改番されている為に車番が50番台となっています。

このDD5601号機は他の3両とは運転台の窓の形状ほか細かい相違点はあるものの
現在はエンジンも同じ物が搭載されていますし
基本的な外観もおおよそ同じと言える形をしています。
おくる47
駅メモのエクストラでんこの石橋おくるは岩手開発鉄道のDD56形機関車がモチーフですが
衣装は機関車の外観をモチーフとしたデザインとなっており、
DD5601号機と他の3両とを区別する様な設定は特にありません。
ですので石橋おくるのモチーフ車両はDD56形の四両すべてと考えて良いのではないでしょうか。
おくる48
また石橋おくるの誕生日が5月6日に設定されていますが、
岩手開発鉄道の開業日やDD56形機関車の製造日や運用開始日などを見ても
5月6日に該当するものは見当たりません。ですので他のでんこでもある様に
車両の形式の56形から5月6日と設定したものと思われます。



【上動画はクリックで再生します。】
こちらは岩手開発鉄道のDD56形機関車が長安寺駅へと入線する光景です。
以下でDD56形の貨物運搬の様子について見てみたいと思います。

おくる42
JR気仙沼線と三陸鉄道の盛駅の様子です。
駅構内へと入るとまずBRTの専用舗装道路があり、
渡ったホームの反対側に三陸鉄道の線路が敷かれています。
そして三陸鉄道の線路の東側には何両にも連なるホッパー車を見る事ができます。
おくる43
この盛駅の東側は岩手開発鉄道の車両基地となっており、
輸送に使われる本線の線路の他、貨物のホッパー車などが留置される留置線があります。
おくる44
貨物輸送の運行が行われている日中はご覧の通り
貨車は出払っていて留置線は空になっています。
おくる45
この盛駅の三陸鉄道ホームの北端から北側を見ると
右手の線路脇に「岩手開発鉄道 盛駅」と書かれた駅務の詰所の建物が見えます。
おくる46
東側の線路脇の道路から見た盛駅の駅務詰所付近。
おくる49
その詰所から線路に沿って北へと進むとまもなく旧旅客ホームが見えてきます。
おくる50
こちらが岩手開発鉄道の盛駅の駅舎と旧旅客ホーム跡です。
おくる51
1992年(平成4年)に旅客営業は廃止されるまで使われていたホームは
現在は立入禁止となり駅務員が業務で使用するのみとなっています。
おくる52
旧旅客ホームの北側に接する岩手開発鉄道の中井街道踏切。
遮断機にはJRの中井踏切の表示も残っていますが
JRはBRT化されて線路はつながっておらず岩手開発鉄道の単独の踏切となっています。
おくる53
西側の県道230号丸森権現堂線(国道45号線の旧道)側から見た中井街道踏切。
おくる54
踏切の北東脇、旧旅客ホームからは道路を挟んだ向かい側に
岩手開発鉄道の本社の二階建ての建物があります。
おくる03
本社建物の裏手の線路沿いには検収庫が置かれており、
この盛駅が岩手開発鉄道の拠点である事が分かります。


おくる55
こちらは岩手開発鉄道日頃市線の長安寺駅の駅舎の外観です。
盛駅からは3.3kmほどの場所に設けられています。
1950年(昭和25年)に路線開業で駅が設置され旅客営業を開始しており、
駅開設当時の駅舎がご覧の通り現在も残っています。
おくる56
線路側にはご覧の通り旅客ホームも残っていますが、
1992年(平成4年)に旅客営業が廃止された後は
実質的に信号所としての役割のみの駅となっています。
おくる57
この駅では日に何度か列車交換が設定されており、
岩手石橋駅へと向かう空の貨車の列車が当駅で停車をして
赤崎駅へと向かう石灰石を積載した列車が通過をしています。


おくる58
こちらは盛駅から6.4kmの地点に置かれた日頃市駅の駅舎の外観です。
1950年(昭和25年)に日頃市線が開業した当初は終着駅として旅客営業をしていました。
その後1960年(昭和35年)に岩手石橋駅までの延伸で途中駅となり
1992年(平成4年)の旅客営業廃止で実質的な信号場となっています。
おくる59
駅舎は開業当時からの平屋建てのものが残っていますが
現在は旅客営業をしていないので駅舎は立ち入り禁止となっています。
おくる60
駅構内の様子。かつては相対式ホームの駅でしたので
列車交換のできる構造となっています。


おくる62
空のホッパー車を引いたDD56形機関車は日頃市線の終点の岩手石橋駅へと到着をします。
おくる61
この岩手石橋駅は小野田セメント(現・太平洋セメント)大船渡鉱山(長岩鉱山)の
石灰石を搬出する為に1960年(昭和35年)に日頃市駅から延伸されて開業した駅です。
ご覧の大きな積込み用のホッパーが印象的な駅で、
ここで石灰石を積んだ貨物列車は再び日頃市線を戻ることとなります。
おくる64
石灰石を積込み岩手石橋駅を出る貨物列車。

おくる63
荷物を積んだ貨物列車が長安寺駅付近を通過します。
おくる65
盛駅の構内を通過するDD56形が引く石灰石を積んだ列車。
日頃市線から赤崎線へと進んで行きます。


おくる66
こちらは県道9号大船渡綾里三陸線の光景です。
西側に岩手開発鉄道赤崎線が併走しており、
太平洋セメント(旧・小野田セメント)大船渡工場へと差し掛かる付近です。
おくる67
県道を工場へと連絡するベルトコンベアーが跨いでいますが
その線路側を見ると岩手開発鉄道の赤崎駅の2階建ての駅舎があるのが見えます。
おくる68
赤崎駅に到着して石灰石を降ろす貨物列車。
おくる69
この赤崎駅にはホッパー車から降ろした石灰石を
ベルトコンベアーで工場へと搬出する設備があります。
おくる70
列車の石灰石を工場に送るコンベアー。


おくる71
岩手開発鉄道は貨物鉄道で現在は旅客営業を行っていない為、
公式には時刻表や運行の情報は外部には公開されていません

また基本的に土日祝日は列車が運休している上、
月に数回の計画運休日があるなどしているので
原則的に列車が走るのを見られるのは平日のみとなっています。

鉄道の所在地が三陸の沿岸である大船渡市という地理でもあり、
BRTの大船渡線や三陸鉄道、少し離れた釜石線など本数の少ない路線でのアクセスを強いられ
他の地方からの日帰りを困難にしているという性格から
比較的列車を見る難易度が高めの鉄道でもあります。


しかしながら盛駅で当日に列車運行が確認できれば
一時間おきに上下線の列車を見る事ができる路線でもありますので
余裕があれば是非一度は訪れて見ていただきたいものです。

では。

【写真撮影:2020年6月、2021年12月ほか】