廃線・廃駅

江差線96
【上写真:江差線キハ40 photolibrary

さて、続いてはJR江差線の廃線区間である
木古内駅━江差駅間についてです。


現在残っているJR江差線の区間は
第三セクターの道南いさりび鉄道へと転換
していますので
いさりび鉄道について書いた以下の記事をご参照下さい。
 【攻略】道南いさりび鉄道線 その1。(木古内━上磯)
 【攻略】道南いさりび鉄道線 その2。(上磯━五稜郭)




江差線01
こちらは道南いさりび鉄道の木古内駅の駅舎です。
かつての旧江差線の木古内駅駅舎を改修して使用しています。

この木古内駅から現在のJR海峡線と同じルートを南下し、
道道5号線の踏切を越えた付近で西へと江差線の線路は延びていました。
以後線路はしばらく道道5号線と並走するように走ります。


江差線02
こちらは道道5号線江差木古内線で木古内駅から2km少々進んだ付近です。
横断歩道と信号機があります。
江差線03
信号の目の前には木古内町郷土資料館があります。
この建物は2011年(平成23年)に廃校となった鶴岡小学校の廃校舎を転用したものです。
門には「鶴岡小学校」の表札がそのまま残っています。
江差線04
その郷土資料館の西側に面した道に
ご覧の通り「道南トロッコ鉄道 鶴岡公園駅」の表示があります。
こちらがかつての駅への道となります。
江差線05
道を進むと待合室と踏切が見えてきます。
江差線07
こちらがかつての渡島鶴岡駅の駅舎です。
駅舎と言っても待合室のみの建物ですが、
江差線が営業していた当時の建物が今でもそのまま使用されています。
私が訪問したときには改装中でちょうど駅舎の中に新たなカウンターなどを
大工さんが作っている最中でしたが。
江差線09
駅舎の前にある「天ノ川駅」の駅名標。
かつて江差線の線路脇にあった、駅を模した観光モニュメントにあったものですが
現在はここに置かれていました。
江差線10
反対側の駅舎脇には観光案内板が。
江差線06
駅舎のすぐ脇にあるこちらが駅のホームです。
江差線営業当時のホームがそのまま残っています
駅は1964年(昭和39年)に国鉄江差線の駅として新設されたもので
2014年(平成26年)の木古内駅━江差駅間廃止まで使われていました。

現在では廃線跡の線路を利用して「道南トロッコ鉄道」という
軌道自転車が営業しており「鶴岡公園駅」となっています。
江差線08
踏切跡のホームと反対側、木古内方面の様子です。
江差線11
道道5号線へと戻って郷土資料館の隣を見ると
鶴岡農村公園の駐車場があります。
江差線12
駐車場の西の端にある農村ふれあいセンター。
江差線13
そして駐車場の一角にはこちらの表示板がありました。
内容を読むと「鶴岡」というこの地の地名が山形の鶴岡が由来である事、
1885年(明治18年)に庄内藩士105戸が開拓の為入植したこと、
木古内町と鶴岡市が姉妹都市であることが分かります。
江差線14
同じく駐車場の一角にある記念の石碑です。
江差線15
公園はご覧の様に草地の広場となっていますが、
広場の片隅には「江差線追想」という石碑のある枝垂桜が植樹されています。
江差線16
そして農村公園にはご覧の水路が作られていますが。
江差線17
水路は江差線の線路沿いに作られており、
ご覧の様に水路の横にはホーム跡があります。

江差線18
そして再び道道5号線に戻り
鶴岡農業公園の先を見ると禅燈寺というお寺の参道があり、
中を進むと山門があります。
江差線19
山門の先を見ると本道との間の参道に
踏切が設けられているのが見えます。
この踏切は江差線の営業当時には実際に使われていたものであり
「お寺の山門の前を列車が横切る」というシュールな光景で有名なスポットでした。
江差線21
踏切から見た江差方面。
観光用の軌道自転車が今でも走っていますので廃線はそのまま残されています。
江差線20
旧渡島鶴岡駅跡の最寄りのバス停はこちらの「鶴岡禅燈寺前停留場」で
公園の入口前の道道沿いに置かれています。



江差線22
木古内川に沿って道道5号線を西へ3kmほど進むと
次の駅のあった付近へと到着します。
江差線23
かつての駅前商店であった戸辺商店。
江差線24
その戸辺商店の西隣にある砂利の空き地がかつての駅前広場となります。
現在では周辺の工事の現場事務所があり仮設のプレハブが置かれています。
広場の奥がかつての駅のホームのあった場所となります。
江差線27
反対の東側からみた駅前広場付近。
江差線25
こちらが吉堀駅の駅舎です。
駅は1935年(昭和10年)の国鉄上磯線の延伸で開設され、
2014年(平成26年)の木古内━江差間廃止によって廃駅となりました。

今も残っている黄色い駅舎はヨ3500形車掌車を改造した現役当時のものです。
駅舎に沿ってホームがあったのですが、現在ではご覧のように
廃線跡ごろ草に埋もれてしまっています。
江差線39
こちらは営業当時の駅の様子です。
江差線26
かつての駅前広場にある函館バスの吉堀停留場。
江差線28
こちらが函館バスの路線バスとなります。



吉堀駅から次の神明駅までは13.2kmの距離があります。
分水嶺でもある吉堀峠をかつての鉄道は越えていましたが、
道道5号線からは離れて北のウグイ川に沿って迂回するルートを走っていました。
江差線29
こちらは鉄道跡が再び道道5号線と並走に戻る付近。
峠を越えたので並走する川が天野川に変わり、
神明ノ沢川が天野川に合流する付近となります。
道道5号線からご覧の道を300mほど入ると写真の踏切跡があります。
江差線30
踏切脇のこちらがかつての神明駅のあった跡地となります。
1957年(昭和32年)に国鉄江差線の時代に新設開業した駅でした。
江差線31
撤去される前の神明駅の駅舎とホームです。
見比べると確かにここが駅だったことが分かります。
江差線32
駅舎のあった場所を見ると、地中まであった基礎を除いて埋め戻した跡が
綺麗に建物の形に残っていました。
地元自治体が江差線施設の撤去作業を10年がかりで進めていますので
恐らく神明駅の施設は最近(註:2018年)解体されたのだと思います。
江差線33
まだレールの残る廃線跡から江差方面を見ると
50km1/2の距離標が線路脇に残っていました。
江差線34
振り返って駅の跡地の光景です。
江差線35
道路まで戻ると駅舎の反対側の踏切脇が舗装された広場のようになっており、
函館バスの神明停留場が設置されていました。
江差線36
広場は道路と一体の様に舗装されていましたが、
鉄道用地の境界杭が埋もれていましたので道路では無い様子でした。
江差線40
踏切から木古内方面の廃線跡。
民家への砂利道の脇に線路が残っていました。
江差線38
広場の東隣の町道沿いにあった看板。
この地でかつて農水省の整備事業があったことを示す看板ですが
完了昭和64年とありますので、事業は江差線廃止の25年前ということになります。
江差線37
東側から駅跡を見ると、町道にはまだ踏切の標識が残っていました。



江差線41
神明駅から道道5号線を下って3km弱を進むと
湯ノ岱温泉への案内表示、湯ノ岱郵便局の前を通り
かつての駅前へと差し掛かります。
江差線42
横断歩道のあるこちらの交差点が駅跡への入口で、
道道には駅への案内表示も残っていました。
江差線49
反対側から見た駅前の交差点。
江差線50
駅と反対側の交差点前にはご覧の酒屋がありました。
江差線43
道道と駅を連絡する駅前の道路です。
江差線47
湯ノ岱駅の駅舎は駅前の道の突き当たりの
ご覧の場所に建っていました。
江差線44
こちらが駅の跡地となります。
1935年(昭和10年)の国鉄上磯線の延伸によって作られた駅ですが、
列車交換のできる島式1面2線のホームの他に留置線もあったそうで
跡地はなかなかの広さとなっています。
江差線45
この駅も江差線の施設撤去事業が進められて駅舎やホームは既に無く、
建設の許可表を見ると跡地には町立の複合施設が作られている様です。
江差線46
かつてのホームと、同じ場所の撤去後の様子です。
江差線51
駅舎跡から駅前の道付近を見ると
建物や商店が空き地の向かって建っており、
かつて駅がここにあったことが分かります。
江差線48
駅跡の建築現場の現場事務所の脇には
プレハブのバス待合室が置かれて湯ノ岱停留場が置かれていました。



江差線52
こちらは湯ノ岱駅から西へ4kmほど道道5号線を進んだ付近です。
道道と天野川に沿って走っていた江差線の天野川第一橋梁がこちらにあります。
鉄道の営業当時には絵になる人気撮影スポットだったそうです。
江差線53
橋梁の先で道道は右へとカーブをしていますが、
その傍らの草むらにに唐突に踏切の標識が立っている場所があります。
江差線54
その踏切跡へと入って左側に、かつて「天ノ川駅」と呼ばれた
鉄道駅を模した観光モニュメントがありました。
跡地の廃線脇には64キロの距離標もまだ残っています。

正式な鉄道駅ではありませんので駅メモにも収録はもちろんされていませんが、
江差線の歴史の中では忘れられないモニュメントでした。


江差線55
湯ノ岱駅からは7kmほど、天ノ川駅モニュメントからは3kmほどの
道道5号線の光景です。「宮越」の地名標識があり、
その先に青看板のある分岐があります。
江差線62
反対方向からみた分岐付近。
江差線56
分岐の真ん中の歩道にある函館バスの宮越停留場です。
江差線57
分岐した道を進むとすぐに左にカーブしており、
その先すぐに江差線の踏切跡があります。
江差線59
踏切の目の前に砂利の広場がありますが
こちらがかつての宮越駅の駅跡となります。
1964年(昭和39年)の国鉄江差線時代に新設された駅でした。
江差線58
駅舎とホームはご覧の場所にありました。
江差線60
駅前広場のすぐ南には天野川が流れており、
道には宮越橋という橋が架かっています。
江差線61
橋から見た駅跡方向の光景です。



江差線63
宮越駅跡から2km少々、道道5号線を北西へと進むと
次の駅への入口が見えてきます。
江差線64
こちらが道道から駅へと連絡する道です。
江差線69
反対方向から見た道道の駅入口付近。
江差線65
道の先のこちらがかつての江差線の桂岡駅の駅跡です。
1936年(昭和11年)に国鉄江差線が湯ノ岱駅から江差駅まで延伸した際に
設置された駅となります。
江差線67
営業当時の駅の様子です。
道道からの道路の正面に車掌車駅舎があり
その奥に単式のホームがありました。
江差線66
撤去後の駅跡地の様子です。
江差線68
道道5号線へと戻り、駅入口付近にある函館バスの桂岡停留場。



江差線70
桂岡駅からも道道5号線と並走していた線路は
河北小学校付近で右手へと反れて道道から離れます。
反れてしばらく進んだご覧の交差点付近が次の駅の駅跡となります。
江差線71
中須田駅の駅の跡地です。
江差線の江差延伸当時はこの駅はありませんでしたが、
付近の住民の要望で1948年(昭和23年)に仮乗降場として新設されました。
江差線72
営業当時の駅の様子です。
車掌車駅舎とプラットホームのみの駅でした。
江差線74
駅舎跡から南の木古内方面を見ると
道の反対側の廃線跡にまだレールが残っていました。
江差線75
踏切だったであろう場所には痕跡は全くありませんでしたので
道路の舗装は比較的新しい様です。
江差線73
その踏切跡から右手を見ると目の前に函館バスの豊田停留場が。
江差線76
西側から見た駅跡とバス停付近の様子です。



江差線77
こちらは函館バスの大留停留場。
道道5号線沿いで桂岡駅跡からは北西に3kmほど進んだ付近です。
江差線78
バス停の目の前はご覧のショッピングセンターがあります。
江差線79
ショッピングセンターの先の大留交差点で道道5号線は
直角にカーブする国道228号線に合流。
この交差点から江差までは国道と道道の重複区間となります。
江差線87
反対側から見た交差点付近の様子です。
この大留交差点の北に、かつての上ノ国駅がありました。
江差線80
こちらが駅の駅舎の入っている建物です。
駅は1936年(昭和11年)の国鉄江差線延伸時の設置ですが、
上ノ国町商工会館と駅の合築の建物として1992年(平成4年)に改築されています。
江差線81
その商工会の入口の東側を見ると
棟続きの平屋部分のガラス戸に「上ノ国駅」と書かれています。
こちらが駅の待合室部分への入口となります。
江差線82
東側に回りこんでの駅舎付近の光景です。
写真中央を線路が走っていて駅舎沿いにホームがありました。
江差線84
待合室のホーム側出口の外観です。
江差線85
出口からかつてホームのあった場所まで
細い舗装が伸びているのが分かります。
江差線83
かつての駅のホームはご覧の様にありました。
旅客で使うホームは駅舎側の単式1面1線のみでしたが、
貨物用ホームと引き上げ線がありましたので
相対式の様にホームが並んでいました。
江差線86
駅の江差方面側の廃線跡を塞ぐように建っている金物屋の店舗。
江差線の廃止が2014年(平成26年)の事ですから、
廃線跡に建つこの店はまだ出来て2年(註:2018年現在)程度と思われます。



江差線88
こちらは道道215号江差停車場線の南端の光景です。
JR江差線の江差駅と江差市中心街とを結び国道228号線まで至る
全長1.6kmほどのいわゆる停車場線となります。
この南端にかつての駅がありました。
江差線89
駅より南側は市道となりますが、
道道から市道に変わったところで道幅が狭くなっているのが分かります。
江差線91
停車場線に面した駅前広場です。
ロータリー状となっており中央部が駐車場スペースとなっています。
江差線92
江差駅の駅舎は広場の奥にご覧のように建っていました。
駅は1936年(昭和11年)に国鉄江差線の終着駅として開業。
1975年(昭和50年)に鉄筋コンクリートの駅舎に改築されていました。
江差線90
駅の跡地の様子です。
かつては貨物側線もある駅だったそうですが、晩年は単式1面1線の駅でした。
廃線から2年後の2016年(平成28年)の年末に解体作業が進み、
現在は駅跡地には市営住宅の建設が進んでいます。
江差線93
広場の北側にある旧江差駅資料展示館です。
駅の営業当時は「えさし おもてなしプラザ」として
観光案内と物産販売が行われていた建物です。
江差線94
展示館の中の様子です。
江差線95
掲示してあった営業当時の江差駅の駅舎の写真です。
江差線99
展示館の前にある函館バスの陣屋団地停留場。



以上でJR江差線の廃線区間については全駅となります。
江差線97
こちらはau 4G LTEでの電波エリアマップです。
基本的に道道5号線の区間は電波が届くので駅へのアクセスは問題がありません。

ただ一点、吉堀駅━神明駅間の吉堀峠を越える区間については
電波圏外の区間が続きます

道路に「携帯電話不感地帯」の標識が立っていたりするくらいですので
この区間についてはアクセスもできません。

特に神明駅がアクセスしづらいと思いますが、
駅跡の場所から湯ノ岱駅方面へ少し離れれば電波はつながりますので
落ち着いて道道5号線に戻り神明駅のエリアでアクセスして下さい。
最悪はレーダーなどを使えばリカバリーは容易です。



では既存の鉄道路線からレーダーを使って
江差線を取りに行く場合は一体どうなるのかというと、
結論から書くと営業中の鉄道上から江差線の全駅取得は不可能です。
江差線98
こちらは北海道新幹線の知内信号場、
駅メモではJR海峡線の廃駅である知内駅からのレーダー射程範囲です。
ご覧の通り射程12で中須田駅までは届くのが分かります。

なつめのスキルを使ってレーダー射程14にした場合でも
江差線で届くのは上ノ国駅まで
であり終点の江差駅だけ届きません。

しかし唯一レーダーで江差駅を取れる瞬間があるのですが、
それはイベント期間にレーダー射程が+2となっている場合です。
この時になつめを使うとレーダー射程が最大16まで延びます。
そして知内駅から射程16があるとギリギリ江差駅までレーダーが届くのです。


ちなみにですが道南いさりび鉄道の駅からの方が江差駅には距離的には近いのですが、
函館市電の路線にも近づいてしまう為レーダーでは市電の干渉で
江差線にはむしろ届かなくなる
という事情があります。
ですので江差駅へのレーダーについては
新幹線で青函トンネルを抜けたあたりが勝負となります。



そして実際に公共交通機関で江差駅跡まで行きたい、という場合は
函館バスの木古内江差線がJR江差線の代替バスとして運行しています。
江差線a01
こちらがそのバスの時刻表(註:2018年4月改正分)ですが
一日6往復となっており片道で所要時間一時間半、運賃1120円が必要となります。


ちなみにJR函館本線の八雲駅からも江差へとバスが出ているのですが、
こちらは片道二時間半が必要な上、一日2往復のみの運行で運賃片道1830円となります。
しかも江差駅以外はレーダー使用が必要となりますので
予算は5000円程度必要となるプランとなります。

せっかく江差まで行くのであれば
思い切って自由の利くレンタカーを利用する方が楽
だと思うのですが、
免許が無いなど車を使えない場合もありますので
事情に合せてプランを検討して下さい。


以上で江差線の廃線については全てです。

では。

留萌本線a62
さて、北海道の留萌本線の続きです。


その1(深川駅━留萌駅間)はこちら



留萌本線a63
留萌駅から先の留萌本線については
2016年(平成28年)12月を以て廃止されています。
ですので列車は走っていません。

この記事で紹介している留萌駅━増毛駅間については
廃線1ヶ月半前の2016年(平成28年)10月に写真を撮ったものです。
現在は駅や線路の撤去作業も進められており
ホームや駅舎などはなくなっている駅が多い点、
列車という交通手段では攻略できない点をご注意下さい。


留萌本線25
留萌駅からは2kmほど離れたこちらの
国道231号(日本海オロロンライン)から、
横道を下って日本海へと向かって行く道が駅への道となります。
留萌本線26
カーブの先に踏み切りが。
留萌本線27
この踏切の横にあるのがご覧の瀬越駅のホームです。
留萌本線28
ホームは1面1線の棒線無人駅です。
元々この駅は1926年(大正15年)に鉄道省留萠線の仮乗降場として
海水浴客への利便を目的にした季節営業で設置された臨時駅でした。
その後住民の利用が増えたことから正式な駅へと昇格をしています。
留萌本線29
ご覧の通りホームからは日本海が目前です。
…ちょっとこの日は列車が運休した強風で波が逆巻いてますが。
留萌本線a64
駅舎は無く、ホーム上にはご覧のコンクリート製の待合室が作られています。
元々は貨車駅舎が置かれていたそうですが、
海に近い為、塩で劣化が激しくコンクリートの待合室に作りかえらえたそうです。
留萌本線30
待合室の中には小さな椅子がポツリ。



留萌本線31
瀬越駅から国道231号線(オロロンライン)に沿って4kmほど南下すると
礼受駅前バス停(鉄道廃止後は礼受第1バス停)から北に150mほどの場所に
ご覧の駅への横道となる砂利の坂道があります。
留萌本線32
坂を上がると広場があり、ご覧の礼受駅の貨車駅舎があります。
留萌本線33
こちらがホーム。1面1線の棒線無人駅です。
1921年(大正10年)の留萌本線全通時に駅が設置されました。
駅名の由来は地名からで、アイヌ語で「レウケ・プ」(曲がっている所)が由来だそうです。
留萌本線34
ホームから日本海は見ての通り目前です。



留萌本線42
こちらは国道231号線(オロロンライン)沿いにある阿分漁港。
雷雨と強風でレンズが曇ってしまいましたが
礼受駅からは1.3kmほどの距離の場所です。
留萌本線35
漁港のすぐ北のあたりで再びオロロンラインから横道に。
留萌本線36
道を進むと右手に学校が見えてきます。
これは増毛町立阿分小学校ですが、2015年(平成27年)3月で廃校となっています。
留萌本線37
道を進み廃校の裏手に回りこんで進みます。
留萌本線38
するとその名も「学校踏切」の横に阿分駅がありました。
1963年(昭和38年)に国鉄留萠本線の駅として新設された駅だそうです。
駅名はアイヌ語の「アフン」(入り込んでいる)に由来するとの事です。
留萌本線39
こちらが駅のホーム。1両編成の列車長よりもホームが短く、
上りの留萌方面の列車が停車すると踏切いっぱいにはみ出てしまって
道を塞いでしまう状況となります。
また踏切の遮断機の内側にホームがあるので
列車停車中は駅から出られません。
留萌本線40
見ての通り小学校の真裏にホームと待合室があります。
留萌本線41
待合室の中を見ると、地元の自治会が
駅舎の内外の環境を保っている事が分かります。



阿分駅を過ぎると列車は短かいトンネルを抜けて
300mほど内陸部を走ります。
留萌本線43
北海道道94号線がオロロンラインから分岐してすぐのあたりで
ご覧の留萌本線と交わる踏切があります。
留萌本線44
その踏切の脇に信砂駅があります。
この駅も隣の阿分駅と同じく1963年(昭和38年)に新設された駅のようです。
駅名の由来となる地名は、
アイヌ語の「ヌプサペッ」(野を流れる川)、「ヌプ・サ」(原野・浜)など
諸説がある様子です。
留萌本線45
こちらがホームの様子。
1面1線の無人駅であり、待合室は工事用のプレハブが用いられています。



留萌本線46
次の駅は信砂駅からは0.8kmという近距離にあります。
オロロンラインの舎熊郵便局付近で
横道に入ると奥の行き止まりに貨車駅舎が見えるのが駅となります。
留萌本線47
舎熊駅
1921年(大正10年)の留萌本線全通時に設置された駅です。
アイヌ語で「イ・サッケ・クマ」(魚を干す竿)の転訛した「サックマ」が駅名の由来だそうです。
留萌本線48
ホームの様子。
1面1線の棒線無人駅で貨車駅舎となっています。
留萌本線49
ホームからは日本海が間近です。



留萌本線50
舎熊駅から1km半ほど南下した
オロロンラインから朱文別沢へと通じる横道の分岐点です。
留萌本線51
その道を進むとまもなく留萌本線の踏切に当たります。
留萌本線52
この踏切の脇に、次の朱文別駅があります。
1963年(昭和38年)に国鉄留萠本線に新設追加された駅です。
駅名は地名からで、アイヌ語の「シュフンペッ」(ウグイ・川)に由来するそうです。
留萌本線53
こちらがホームの様子。
単式1面1線の無人駅です。
留萌本線54
ホーム横の待合室の様子。
留萌本線55
待合室の中はご覧の通りです。



留萌本線56
朱文別駅からは1.3kmほど西の位置付近で
オロロンラインと箸別川が交わる橋があります。
橋から南に、海岸から少し内陸に入ったところに駅前の広場があり
ご覧の築堤を登る階段が設けられています。
留萌本線57
こちらが箸別駅です。
1963年(昭和38年)に新設追加された駅のひとつです。
単式1面1線の棒線無人駅となっています。
駅名の由来の地名は、アイヌ語の「ハシ・ペッ」(柴木の川)がなまったものだそうです。
留萌本線58
ホームから見返してみると日本海は至近に見え、
駅前の広場の右すぐには箸別川が流れていて
広場前の道にも川に橋が架かっているのが分かります。
留萌本線60
ホームから川の方を見ると
駅のすぐそばにも架橋されていました。
留萌本線59
駅の待合室をなめこんだ駅の全景。
留萌本線61
改めてホームから駅前の風景を。
砂利の駅前広場の向こうには、駅へと通じる内陸部に入る市道、
建物の奥には日本海が見え、海岸線には国道が走っています。

ちなみに廃線後のこの駅前の広場は
現在は養殖業者の私有地となっており立ち入り禁止とされています。
ですので駅跡へはは入れない状態となっています。




留萌本線62
そしてこちらが留萌本線の終着駅である増毛駅です。
1921年(大正10年)に留萌本線が全通して以来の終着駅です。
駅名の由来である地名はアイヌ語の「マシ・ケ(カモメ・処)」からだそうです。
ホームは1面1線のみで、列車はスタフ(通行証)を持ってそのまま折り返して行きます。 留萌本線63
ホームから駅舎の方へ向かうと。
留萌本線64
こちらが駅舎となります。
「留萌本線 終着駅」の看板が掲示されています。
留萌本線65
駅舎の目の前のある留萌本線の終端の車止め。
留萌本線66
反対側からみた駅舎とホームの全景です。
留萌本線69
かつては貨物の側線が分岐して転車台もあったという駅構内は
現在ではホームの1線のみが棒線状に残されて
広大な空き地となっています。
留萌本線67
駅の外側から見た駅舎。
留萌本線68
待合室への駅舎の入口。
木製の駅名標が掲げられています。
留萌本線70
こちらが駅の目の前にある風待食堂。
食堂とありますが食堂ではなく観光案内所です。

高倉健主演の映画「駅 STATION」(降旗康男監督・1981年東宝)で
駅前の商店が食堂に改装されて撮影されたもので、
観光名所として映画の撮影セットがそのまま残されて
観光案内所としてグッズや増毛駅入場券の販売などがされているそうです。
開くのがご覧の通り9時半からなので、
7時代の始発で到着すると開いていませんのであしからず。



以上で留萌本線の全駅となります。
留萌本線71
こちらはau 4G LTEでの留萌本線沿線の電波エリアマップです。
留萌駅━増毛駅間の廃線区間についても
電波状況は全線にわたって良好ですので
実際に現地で駅へのアクセスに困る事は無いと思われます。



さて、ご承知の通り、
留萌本線の留萌駅━増毛駅間については
2016年(平成28年)12月4日を以て廃止
となっています。
現在も駅メモの留萌本線には駅が登録されていますが
全て廃駅扱いとなっており、実際の列車も当然ながら走っていません。
ですので列車に乗っての取得はできないという事となります。

鉄道が廃止された現在、実際にこの区間を現地に行って取るには
まずはバス利用が一番現実的な方法となるでしょう。
留萌駅━増毛駅間はほぼ国道231号線、通称オロロンラインが並行して走っており、
沿岸バスの留萌別苅線という路線がオロロンライン上を運行しています。
留萌駅と増毛駅にはそれぞれ駅前の停留場がありますし、
途中の全ての駅にも至近にバス停があります。
朝7時台から夕方18時台までおよそ2時間に1本ペースでバスが運行していますので
留萌駅━増毛駅間の攻略方法としては現実的でしょう。
留萌本線73
こちら沿岸バス・留萌別苅線の増毛駅停留場。
留萌本線74
信砂駅近くの彦部第二停留場。
留萌本線75
礼受駅前停留場(現・礼受第1停留場)。


上の写真を撮った日には夜明け前から雷鳴が轟き、
オロロンラインを歩くと強風で体が持っていかれそうでした。
実際朝の列車を最後に留萌本線は強風で運休していましたし。
留萌本線76
私は増毛駅から4時間かけて留萌駅まで歩いたので
駅到着後に運休を知りましたが、沿岸バスは普通に定期運行していて
何度も追い抜かれたりすれ違いました。
このバス路線は列車廃止後は貴重な住民の足ですので
おいそれとは無くならないかと思います。
廃止後の実質的な代行バスですので、
公共交通機関で攻略する方はこのバスが最初の選択枝となると思います。


そしてその1でも述べましたが、JR北海道は深川駅━留萌駅間の留萌本線も廃止する意向であり、
実際に沿線自治体に廃止したい旨を表明伝達するなど
廃線へ向けての調整が具体化しています。

2020年(平成32年)を目処に廃止したい意向の様子ですが、
これまでの北海道で廃止された路線の動向を見る限り
高い確率で廃止は現実のものになりそうです。


留萌本線72
こちらは留萌駅からレーダーを飛ばした場合の
ボロノイ図上での射程距離図です。
見れば分かりますが留萌駅から射程12で増毛駅までレーダーが届きます
お手軽に済ませたいのであれば、まだ列車が運行している留萌駅まで行き
レーダーを飛ばせば留萌本線は廃止区間も含めて攻略ができる
でしょう。
しかしこの手法が使えるのはおそらく2020年までだと思われます。

留萌本線が全廃となった場合、
おそらく代替バスも留萌を境に分割されそうな気がしますし、
実際に現地まで行くにはなかなかの労力と時間が掛かりそうです。
高速バスで取りに行く方法なども考えられますが、
既存路線からレーダーでは取れなくなりますので
レンタカーなどの選択肢が現実的なものとなりそうです。



私は列車が走っているうちに乗っておきたい、と
区間廃止前に行ってきましたが、「廃止直前」のローカル線を見たのは初めてで
ずぶ濡れになりながらも正直いろいろと楽しい体験でした。
以上の情報が参考になれば幸いです。


では。

勝田線00
お次は国鉄勝田線についてです。


元々は宇美や勝田の炭鉱からの石炭輸送を目的として
1918年(大正7年)に貨物線を開業した筑前参宮鉄道が元となる鉄道です。
翌1919年(大正8年)には全線開通によって
「参宮鉄道」の名前の通り宇美八幡宮への参拝客の輸送を目的とした
旅客営業を開始しました。


昭和30年代には石炭から石油へとエネルギーの転換が進んで
炭鉱が次々と廃鉱となり、国鉄に閑散ローカル路線として扱われて
勝田線は1985年(昭和60年)に廃止となりました。

廃止当時もすでに博多のベッドタウンとして周辺の宅地開発が進んでおり、
旅客輸送の需要は十分にあったと言われています。
しかしながらその需要に対して国鉄は目を向ける事は無く、
「石炭貨物輸送の役割を終えた閑散貨物路線」扱い
一日数本しか列車を運行しませんでした。

結果、並行路線で本数を走らせた西鉄のバスに旅客を奪われ営業係数は悪化。
利益を上げることが可能だった路線をみすみす捨てる結果となりました。
こういった状態は「国鉄最大の失策のひとつ」とされています。

現在の勝田線廃線跡を見ると二つのイオンモールや福岡空港が至近にあり、
また線路を共有していた篠栗線が直接博多駅まで乗り入れているなど
「何故勝田線を廃線にしてしまったのか」という意見を裏付ける状況となっています。



勝田線01
こちらはJR鹿児島本線とJR篠栗線の吉塚駅です。
かつてはこの駅が廃線となった勝田線の起点駅でした
写真は西口の光景となります。
勝田線02
駅の南方にある東西を繋ぐ自由通路。
勝田線03
こちらが吉塚駅の東口の光景です。
手前に見える高架線は山陽新幹線の高架で、
新幹線の高架の向こう側がかつての勝田線の廃線跡にあたります。
勝田線04
こちらは吉塚駅構内の南端にある篠栗線のゼロキロポストです。
島式の4、5番線ホームの先に設置されており、
ゼロキロポストの向こう側は山陽新幹線の線路です。

かつて吉塚駅から1.5kmほどは吉塚駅の駅構内扱いとして
篠栗線と勝田線が線路を共用して走っていたそうです。
その当時は線路が地上にあり、
現在の篠栗線の高架線の東側に沿って走っていました。
勝田線05
こちらは単式の1番線ホーム。
鹿児島本線の上り黒崎・小倉方面行きとなります。
勝田線06
島式の2、3番線ホーム。
鹿児島本線の下り博多・久留米方面行きであり、
2番線は吉塚駅止まりの列車が使用します。
勝田線07
そしてこちらが福北ゆたか線(篠栗線)ホームである
島式の4、5番線となります。
4番線が上り篠栗・直方方面、5番線が下り博多行きとなります。
勝田線08
そして4、5番線ホームの北端から見た
駅の北側の光景です。
写真右手に見える駅ビルの北側あたりが勝田線の廃線跡となります。



勝田線09
こちらは篠栗線(福北ゆたか線)の柚須駅です。
線路上の分岐点はここから西の吉塚駅寄りにありましたが、
実際に篠栗線と勝田線の線路が分かれて離れる分岐点がこちらにありました。

1985年(昭和60年)に勝田線が廃止された後に
分岐点跡を利用して1988年(昭和63年)に新設されました。
ですのでこの駅は勝田線時代には存在していません。
勝田線11
1番線ホームの東端を見ると、
徐々に右手にホームが広がっているのが分かります。
これがまさに勝田線が分岐していく形の名残りとなります。
勝田線13
柚須駅の構内図を見ると分岐の形が分かり易いと思います。
勝田線の廃線跡にスロープ、そして多目的トイレが設けられています。
勝田線12
そしてトイレの裏は駐輪場となっています。
ホームからは不自然に斜めに作られた駐輪場ですが、
勝田線の分岐した廃線跡だと分かれば納得でしょう。
勝田線10
そして概ね青線で示したような形で勝田線は分岐して行き、
廃線跡の遊歩道へとつながっていきます。
勝田線14
柚須駅前から南へと伸びる廃線跡の遊歩道。



勝田線15
遊歩道は200mほどで終わり、
しばらくは並走する市道脇の民有地となります。
さらに600mほど進んでイオン福岡東店が見えてくるご覧のあたりで
勝田線の廃線跡が公園となります。
勝田線20
見返すと廃線跡はパチンコ屋の駐車場に。
勝田線16
公園にある緑道の案内マップ。
ちょうどここから勝田線の廃線跡は糟屋町から志免町へと入ります。
そして志免町内では廃線跡は緑道として整備が成されていました。
そしてこの緑道の起点付近がかつての御手洗駅の駅跡となります。
勝田線18
駅跡はご覧の通り細長い公園として整備されています。
勝田線17
かつての駅のホームは写真を参考にすると
おおよそご覧のあたりにありました。
駅は1941年(昭和16年)に地元企業の寄付によって新設で作られたもので
勝田線の開業からの駅ではありません。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅で、
駅舎は無くホームに簡素な待合スペースがあるのみでした。
勝田線19
駅跡から南へと進む廃線跡は再び緑道に。


勝田線21
駅跡から廃線の遊歩道を400mほど下ると
幅の広い市道に突き当たります。
勝田線22
踏切があったであろうこの交点は
西に500mほど行けば福岡空港の北端にあたる場所です。

勝田線23
市道を越えて左にカーブを描きながら400mほど進むと
遊歩道は住宅地の中を縫うように進んでいます。
車止めには住所が刻まれていました。
勝田線24
枕木を転用したであろう木の歩道を抜けると
ご覧の特徴的な木製アーチのトンネルがあります。
こちらは廃線跡の左右に住宅が接近して隣接している区間だったので、
遊歩道の快適性と、住宅のプライバシーの為の目隠しを両立した結果
このような半シースルーのトンネルになったそうです。
勝田線25
トンネルを抜けて進むとまもなく次の駅の駅跡となります。



勝田線26
こちらが上亀山駅跡公園で、
その名前の通りここが上亀山駅の駅跡となります。
駅跡の公園はご覧の通り基本的にはグラウンドとなっています。
勝田線28
公園の南側にはトイレが設置されており、
その脇には県道に連絡している、いかにも駅前の道のような入口があります。
赤い建物は西校区ボランティアセンターという公共の建物なので
いかにもこちらがかつての駅入口の様に見えます。
勝田線27
しかし営業当時の写真や資料を見ると、
ホームは線路の北側にあったことが分かります。
位置的にはご覧のような感じで単式1面1線のホームがありました。

1919年(大正8年)の路線開業時に作られた駅であり、
住宅地の中の駅は嵩上げがされておらず
ホーム上に待合スペースがあるのみの駅だったそうです。
勝田線29
駅跡の公園の東側からは、廃線跡の遊歩道が更に続きます。

勝田線の廃線跡は県道24号線を越えた後にカーブを描いて南下。
イオンモール福岡の敷地内となって一旦廃線の遺構は無くなります。

イオンの敷地を出て再び遊歩道となり、
すぐに次の駅跡となります。



勝田線30
こちらは県道24号線と県道91号線が交わる鉄道公園前交差点です。
勝田線31
この交差点の一角に志免鉄道記念公園があり、
こちらが勝田線の志免駅の駅跡となります。
駅は1919年(大正8年)に新志免駅として開業したもので、
石炭輸送や特急回送など様々な用途で活躍をした駅でした。
勝田線40
交差点近くに設置されたポイント切替の転轍機。
勝田線37
公園のモニュメントには営業当時の勝田線の写真が
タイルになって貼られていました。
勝田線36
そしてモニュメントの傍らには、勝田線の遺構が
経産省の近代化産業遺産に指定されている旨のプレートがありました。
読むと鉄道としてよりも、石炭産業の一部として指定された様です。
勝田線38
鉄道公園として整備のされた公園内。
勝田線39
いたるところの構造物に枕木などが流用されています。
勝田線32
また、公園内にはホームの遺構がそのまま残されています。
ホーム上の構造物は公園として整備された際のものですが
プラットホームは営業当時のものです。
勝田線33
そして鉄道公園とホームの中央を分断して走る県道91号志免須恵線。
新しい県道の建設によってホームも中央部が削られてしまっています。
勝田線34
県道を挟んだ北側に分断されたホーム。
こちらには駅名標のレプリカなどが置かれています。
勝田線35
駅は島式ホーム1面2線で、
大きな木造の駅舎がホーム南端近くにありました。
おおよその位置は写真などを参考にすると
ご覧のような感じであった様です。
勝田線41
駅跡から南へとさらに廃線跡は続きます。



勝田線42
こちらは県道68号線の宇美八幡宮北交差点です。
目の前の宇美川には朱色に塗られた欄干の宇美橋があります。
宇美橋の向こう側に宇美八幡宮があり、
勝田線は元々は「筑前参宮鉄道」として
この宇美八幡宮参拝を目的のひとつとして作られました。
勝田線43
その宇美八幡宮に向かって勝田線の廃線跡の遊歩道は
県道に沿う様に南下をしています。
志免駅の駅跡からおよそ3kmほど南下したこの付近が次の駅の駅跡となります。
勝田線44
こちらが下宇美駅の駅跡となります。
ホームは営業当時に使われていたものの北側の一部が遺構として残されています。
駅は1919年(大正8年)の路線開業時に開設されました。
勝田線45
県道側から駅跡を見ると目の前にある西鉄バスの下宇美バス停。
勝田線46
駅跡には「下宇美緑道公園」と名前が付けられており、
モニュメントの時計塔には説明版がありました。
勝田線47
当時の写真や資料を元にするとご覧の感じで駅はありました。
ホームは隣の黄色いガソリンスタンドの方まで延びていた様で、
単式1面1線の棒線無人駅であり、
駅舎は無くホーム上の待合スペースのみの駅でした。
勝田線48
宇美橋側から見た駅跡の光景。
県道を挟んだ駅跡の向かいには営業時には病院が写っていましたが
現在(2018年1月)では更地となっていました。
勝田線49
かつてのホーム南端付近からの光景です。
勝田線50
南側を見ると遊歩道はここまでで終わっており、
その先は宇美川を渡って廃線跡は生活道路へと変貌しています。

そういえはこの付近の緑道は、以前の写真を見るとタイル舗装だったのですが
私が行った時はご覧の通りアスファルト舗装になっていました。
恐らくはメンテナンスの手間や費用の問題でしょうか。



勝田線51
こちらはJR香椎線の宇美駅です。
勝田線52
香椎線としては単式ホーム1面1線の駅で、
到着した列車が折り返し運転をしている駅ですが、
かつてはこの駅が勝田線と香椎線の乗り換え駅でした。
勝田線53
なぜか駅前広場に置かれたでっかい「U」のモニュメント。
勝田線54
香椎線は元々は博多湾鉄道(博多湾鉄道汽船)の路線であり、
勝田線は筑前参宮鉄道の路線でした。
別々の会社がこの地に駅を開設したため、両駅はおよそ100m離れていました。
両駅の路線は西鉄に吸収され、戦時に国鉄となり同一駅となりましたが
乗り換えで100mの移動をする状態は廃止まで変わりませんでした。
勝田線56
駅前の広い広場を南西に向かうと南西角付近にご覧の駐車場があります。
勝田線55
駐車場の南側付近が勝田線の駅跡であり、
宇美駅の駅舎とホームはおおよそご覧のあたりにあった様です。
勝田線57
駅の南の廃線跡は道路の拡張によってその面影はありません。



勝田線59
こちらは県道68号線にある西鉄バスの勝田バス停です。
宇美駅からおよそ3km南のこの付近がかつての勝田線の筑前勝田駅の駅跡となります。
勝田線60
バス停の目の前の廃線跡は原田緑道公園として整備がされています。
勝田線58
駅は営業当時の航空写真ほか資料を参考にすると
ご覧の付近にあった様です。
勝田線61
こちらの写真奥にあるスーパーセンタートライアルのあたり
(西鉄バス原田橋バス停付近)を筑前勝田駅跡とする情報も多くありますが、
機回し線など線路は延びていたものの
実際に廃線の時にあった駅の位置は勝田バス停付近だった様です。
勝田線62
(上地図:国土地理院地図「大宰府1969年」を参照の上加工して使用)
こちらが昭和40年代の筑前勝田駅付近の地図です。
現在の付近の地図と見比べれば、駅が勝田バス停付近にあったことが分かります。

この付近は駅の構内を流れる井野川が
1973年(昭和48年)には溢れて勝田線を水没されるなどしており、
井野川やその本流である宇美川が何度も河川改修をされています。
具体的にいつ井野川が付け替えられたのかは不明ですが、
勝田線の廃線跡が現在は川になっているのはそういった事情の様です。
勝田線63
勝田バス停前の県道にある中村商店。
筑前勝田駅の駅跡の目の前にあり、いかにも駅前商店といった風情です。
勝田線64
駅舎跡付近の公園内の階段には鉄道の枕木が使用されていました。



以上で国鉄勝田線の廃線跡については全てとなります。

勝田線66
こちらはau 4G LTEでの勝田線付近の電波エリアマップです。
さすがに博多近郊の地域だけに電波の入らない場所はありません


勝田線65
こちらはJR香椎線の終点の宇美駅からのレーダー範囲です。
勝田線の宇美駅でもあるこの駅からは、
レーダーで取れる勝田線の廃駅は志免駅から筑前勝田駅までの3駅となります。
上亀山駅、御手洗駅には宇美駅からは射程圏外となります。
勝田線67
そしてこちらは福岡市営地下鉄空港線の福岡空港駅からのレーダー範囲の一部です。
宇美駅からは届かなかった上亀山駅と御手洗駅が取れるのがお分かり頂けるでしょう。
上亀山駅と御手洗駅についてはJR篠栗線(福北ゆたか線)の柚須駅~長者原駅間、
JR香椎線の伊賀駅~酒殿駅間でもレーダー射程圏内となります。

ちなみに二つの路線を乗って勝田線を集めるのが煩わしいという方は、
JR篠栗線(福北ゆたか線)で博多から電車に乗り
吉塚駅~筑前山手駅間を移動しながらレーダーを打てば
射程10があればコンプ可能
です。


勝田線68
そして実際に現地まで行きたい方は、西鉄バス34系統「大濠公園━原田橋」線
吉塚駅東口バス停~勝田バス停まで利用すれば
ほぼ勝田線に近いルートを走っているので全駅チェックインが可能です。
平日なら15分に1本、休日でも30分に1本は走っている路線なので
比較的利用がし易いバス路線だと思います。
所要時間は片道で40分ほど、運賃は540円となります。


また車で勝田線を巡りたい場合、
福岡空港近辺でのレンタカーの利用という方法もあります。
空港近辺はどの都市もレンタカーが充実しており、
当日予約なしでも恐らく利用は可能でしょう。
また複数のレンタカー会社が陣取っているので
短時間の安いプランでの利用なども可能ですので
十分に選択の候補になると思われます。
福岡空港と勝田線の上亀山駅はおよそ500mほどの距離ですので
一考の余地はある
のではないでしょうか。



博多から程近く、廃線時の閑散とした時代とはうってかわって
住宅地の広がる大都市近郊にある廃線ですので非常に訪れ易いと思います。
全線で13.8kmという路線なので徒歩で全てはなかなか大変ですが、
交通機関を使って是非現地まで行ってみてはいかがでしょうか。


では。

宮之城線a81
国鉄宮之城線の続きです。


その1(川内駅━宮之城駅間)はこちら



宮之城線88
宮之城駅までは1926年(大正15年)に開通をした宮之城線でしたが、
路線はさらに北西へと大口までを目指して延伸を続けます。



宮之城線89
宮之城駅から廃線跡の市道を3kmほど東に進むと
次の佐志駅の駅跡が見えてきます。
宮之城線91
こちらが駅跡です。
廃線部分は道路へと変貌をしていますが
ホームは当時のものが概ねご覧の様に残っていました。

駅は1934年(昭和9年)の路線延伸によって開設されたもので、
待合室のみの駅舎のある単式ホーム1面1線の棒線無人駅でした。
宮之城線90
ホームの北端部は若干削り取られている様子で、
営業時には赤線で示した場所に小さな駅舎がありました。
宮之城線92
駅舎のあった場所の裏手付近の敷地には
駅跡を示す石碑と車輪が置かれていました。



宮之城線93
こちらは佐志駅から廃線跡を転用した市道を2kmほど北上した付近であり、
ここに次の駅の駅跡があります。
宮之城線94
かつての薩摩湯田駅の駅跡がこちらとなります。
1934年(昭和9年)の路線延伸時に開設された駅で、
この駅も単式ホーム1面1線のみの棒線無人駅だったそうです。
宮之城線95
駅のホームはご覧の感じでありました。
ホーム上には待合の上屋があるのみで駅舎は無かったそうです。
宮之城線96
ホーム北側にあたる盛り土の上には
駅跡を示す石碑と車輪があります。
敗戦後もかつてここには駅前のイチョウの木があったのですが
現在は伐採撤去されてしまった様です。
宮之城線97
ホームから垂直に伸びるこの道は
かつての停車場線ともいうべき道であり、
駅付近を走る市道と駅を連絡していました。
廃線跡が道路に転用された際にホームの盛り土が削り取られた様です。
宮之城線98
駅跡の南側に隣接して建っている
湯田下営農研修館。周囲にあるのはこの建物くらいです。



宮之城線99
薩摩湯田駅を出た宮之城線は東にカーブを描き
そのまま東進するルートを取ります。
宮之城線a10
道路に転換された廃線跡を進んで2.5kmほど進むと次の駅跡となります。
この付近の廃線跡は農免道路として整備されていました。
宮之城線a09
かつての駅前には駅前商店であったであろう民家が見えます。
宮之城線a01
こちらが薩摩鶴田駅の駅跡となります。
現在はご覧の鶴田鉄道記念館と公民館を兼ねた建物が建っています。

この駅も1934年(昭和9年)の路線延伸時に開設された駅ですが、
翌年にさらに延伸されるまでの間は終着駅でした。
宮之城線a02
中を覗くとご覧の様に鉄道関連の展示物が並んでいました。
宮之城線a03
記念館前の敷地を見ると外にも鉄道関連の展示物が。
宮之城線a04
駅前の一角にはご覧の「つるた駅ニュータウン」の地図があるのですが、
この場所はかつての薩摩鶴田駅の跡地を宅地開発した一角となっています。
宮之城線a05
かつて線路のあったニュータウンの一角の様子です。
宮之城線a06
当時の写真などを参考に
ニュータウンの地図にかつての駅の配置を書き込むと
おおよそご覧のような感じとなっていました。
宮之城線a07
鉄道記念館の建物の東に残る短いホームは
営業当時の写真などからおそらく使用していたホームの一部と思われます。
元々のホームはもっと長く、記念館の建物付近まで延びていた様子です。
宮之城線a08
駅舎は記念館の位置ではなく、ご覧の道路よりのあたりにあった様です。
駅は相対式2面2線でしたが1985年(昭和60年)の無人駅化後は
駅舎側の1面のみを使用していたそうです。



宮之城線a11
こちらは国道267号線から県道402号線が分岐している
求名橋付近の様子です。
橋の欄干には車輪を模した飾りがあります。
宮之城線a12
橋の袂のこの付近がかつての薩摩求名駅の駅跡となります。
宮之城線a15
駅の西側の廃線跡から見た駅の遠景です。
宮之城線a14
駅跡にはご覧の「下中福良自治公民館」と看板の出ている建物があります。
この建物こそが営業当時の薩摩求名駅の駅舎が現存しているものです。
鉄道が走っていた当時から駅舎には公民館が同居していました。
宮之城線a13
営業時のホームはご覧の様に駅舎の北側にありました。
駅舎自体は改札と待合室のスペースが塞がれており、
営業当時とは若干形が変わっています。
宮之城線a35
こちらは二つ隣の薩摩永野駅に保存されている
薩摩求名駅の駅名標。



宮之城線a16
こちらは国道504号線の広橋バス停です。
この近くにかつての宮之城線の広橋駅がありました。
宮之城線a17
ご覧のバス停脇の坂の上がかつての駅跡です。
宮之城線a18
かつての駅跡には薩摩町の町立の薩摩学校給食センターが建っています。
宮之城線a19
給食センターから西へ伸びるご覧の道は
かつての宮之城駅方面への廃線跡です。
宮之城線a20
国道504号からさつまクリニックの裏手を見ると
築堤の上を走る廃線跡の道路を望むことができます。
宮之城線a21
駅跡には営業時の写真を参考にすると
おおよそご覧の感じでホームと木造の駅舎があった様子です。
宮之城線a22
こちらはホームと線路があった付近の光景です。
駅は1935年(昭和10年)の宮之城線延伸に際して設置されました。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅だった様子です。
宮之城線a23
そして給食センターの敷地の廃ホーム跡付近から
国道504号と穴川の方角を見ると、川の向こう側に橋台跡があるのが見えます。
宮之城線a24
国道から見た対岸の橋台。
宮之城線a25
当時の写真と橋台の遺構から、
ご覧のように国道と穴川をガーター橋が架かっていた様です。
宮之城線a26
隣の薩摩永野駅に保存されている広橋駅の駅名標。



宮之城線a27
広橋駅から国道504号線に沿って西に4kmほど進んだ廃線跡の道路です。
道の脇には桜は植えられていて桜並木となっています。
宮之城線a28
その先へと東に進むと腕木式信号があり、
シーサスクロッシングの線路が現れます。
宮之城線a29
線路が終わる先がかつての駅跡となります。
宮之城線a36
終端に留置されている国鉄ヨ8000形車掌車のヨ8958。
宮之城線a30
こちらが駅跡に建つ永野鉄道記念館です。
宮之城線の廃線の資料などを保存展示する為に
駅の廃止後にさつま町によって建てられました。
宮之城線a31
駅舎の中はご覧の通り、駅の待合室風に作られています。
営業当時の建物では無く廃線後に建てられたものですが
駅名標などは当時の物が使われている様子です。
宮之城線a32
こちらは記念館の中の展示スペースです。
普段は近くに鍵を預かる委託管理者の店があるそうで扉は閉まっていますが
希望者が申し出れば見学ができるそうです。
宮之城線a33
営業当時の駅舎は木造で、
写真を参考にするとご覧のあたりに建っていた様子です。
駅は1935年(昭和10年)の延伸によって終着駅として開業し、
1937年(昭和12年)の宮之城線全線開通によって中間駅となりました。

シーサスクロッシングが残る事からも分かる通り
この駅は営業当時はスイッチバック駅となっており、
島式ホーム1面2線でした。
宮之城線a34
駅舎跡の南側にあるホームの遺構です。
現在でも鉄道記念館の一部として当時のホームが保存されています。
ホーム上には薩摩永野駅だけでなく、広橋駅と薩摩求名駅の駅名標も。
宮之城線a37
脇の線路には保線用のモーターカーが留置されています。
宮之城線a41
そしてスイッチバック駅ですのでホームの東側で
ご覧の様に線路が一本にまとまって行き止まりとなっていました。
宮之城線a38
こちらは鉄道記念館側から見た正面の道路。
かつてはこの道が「停車場線」であり、
突き当たりに走る県道50号線と連絡をしている道路でした。
宮之城線a39
県道側から見た駅前の道。
宮之城線a40
県道50号線には鉄道記念館への案内板があります。
宮之城線a42
駅から再び西側に来た廃線後を戻ると
すぐにご覧の道路の分岐点があります。
宮之城線a43
こちらがスイッチバックの分岐点で、
写真右側の桜並木のある方が川内・宮之城方面、
左が薩摩大口方面となります。



宮之城線a45
スイッチバックで分かれた宮之城線は北方に進路を取り、
山間のトンネルを幾つも抜けながら7kmほど進みます。
写真のご覧の道が、かつての駅と県道を連絡する道路となります。
宮之城線a46
鉄道記念公園として整備されているこちらが針持駅の駅舎跡です。
宮之城線a49
市による公園の使用心得の看板がありました。
宮之城線a47
こちらは公園に置かれた駅名標。
宮之城線a48
同じく公園に置かれた「針持駅跡之碑」と刻まれた石碑です。
宮之城線a44
1937年(昭和12年)の宮之城線延伸による全線開業時に設置された駅であり、
島式ホーム1面2線を持つ列車交換可能駅でした。
しかし無人化で線路も片面が撤去され、
廃止時には駅舎と反対側の1面のみが残され使用されていたそうです。
写真の黄色線は撤去された方の線路の位置を示したものです。
宮之城線a50
駅跡の公園北隣にある針持駐在所。
宮之城線a51
駅敷地の南西隣にある消防団の倉庫です。
宮之城線の営業時には木造の倉庫だった様で廃止後も使われていた様ですが
現在ではご覧のコンクリート造りに建て替えられていました。
宮之城線a52
駅跡南側から宮之城方面を見た光景です。
廃線跡の道路が、営業時の線路の形そのままに残っているのが分かります。



宮之城線a54
針持川の西側を川に沿うようにS字を描きながら北上し
3.6kmほど進むと次の駅が見えてきます。
宮之城線a55
こちらが西太良駅の駅跡となります。
宮之城線a56
駅の敷地はこちらも鉄道記念公園して市の公園になっていました。
宮之城線a57
公園に置かれた駅名標です。
宮之城線a58
こちらにも「西太良駅跡之碑」と刻まれた石碑がありました。
宮之城線a53
公園の場所が駅舎のあった場所となり、
前の道がホームと線路の跡となります。
当時の写真を参考にするとおおよそ配置はご覧の通りです。

1937年(昭和12年)の路線延伸時に開業した駅で
島式ホーム1面2線の駅でした。
1971年(昭和46年)に交換設備が撤去されて以降は
駅舎と反対側の1面のみが使用されていました。
宮之城線a59
公園の北隣にある消防団の倉庫。
宮之城線a60
駅の北すぐの廃線跡は切り通しとなっており、
営業当時から使われている跨線橋が今も使われています。



宮之城線a61
国道267号線を沿うように北上し2.8kmほど進むと
ご覧の「羽月駅前」交差点があります。
宮之城線a62
名前の通りこの交差点の目の前が羽月駅の跡地となります。
宮之城線a64
駅跡の敷地はこちらも市の公園となっています。
宮之城線a65
公園に置かれた駅名標。
宮之城線a66
こちらにも「羽月駅跡之碑」と刻まれた石碑が置かれていました。
宮之城線a67
公園の裏手の国道と反対側のこちらが
かつての宮之城線の廃線跡となります。
宮之城線a63
駅舎とホームは当時の写真を参考にすると
おおよそご覧のあたりにありました。
公園の石碑などのあるあたりが駅舎の場所と思いがちですが、
実際には交差点から廃線跡への道路付近が駅舎だった様です。

駅は1937年(昭和12年)の開業で、
単式ホーム1面1線の棒線駅だった様です。
宮之城線a68
公園の南側には廃線後に道路になった駅舎跡がありますが、
その南側にも駅の敷地だった公園駐車場があります。
宮之城線a69
国道を挟んだ駅跡の向かい側にあるJA北さつまの駅前配送センター。
宮之城線a70
その斜向かいにある羽月駅前簡易郵便局。
駅は廃線でなくなってもうだいぶ経ちますが、
付近には駅前の名前がいたるところに残っていました。



宮之城線a72
こちらは旧・大口市(現・伊佐市)の中心街にある大口ふれあいセンターです。
1988年(昭和63年)に鉄道が廃止された駅の跡地に、
「大口歴史民族鉄道資料館」などを設けた市の建物として
1992年(平成4年)に建てられました。
宮之城線a71
このふれあいセンターの目の前の道が
かつての薩摩大口駅の駅舎への道路であり、
写真を参考にするとおおよそご覧の感じで木造駅舎が建っていたようです。
宮之城線a74
そしてこちらはふれあいセンターの南方にある
南国交通バスの降車場です。
宮之城線a73
大口終着のバスの降車場であるここが
かつて宮之城線が走ってきた時に使っていた
薩摩大口駅0番線ホームのあった場所
だそうです。

駅廃止の1年前に宮之城線は廃止されていますが
0番線のホームは路線廃止後は閉鎖されていたそうです。
宮之城線a75
宮之城線0番ホーム跡のバス停の南側には
「大口ポケットパーク」が設けられており、
腕木式信号機や国鉄ヨ8000形車掌車のヨ8952が留置されています。
宮之城線a76
公園に設置されている案内板。
宮之城線a77
ポケットパークの様子です。



以上で宮之城線の廃線跡の全駅となります。

宮之城線a80
こちらはau 4G LTEでの電波エリアマップです。
宮之城線の走っていた区域については基本的に全線が電波エリア内と考えて良いでしょう。

宮之城線a79
こちらも参考までに薩摩大口駅からのレーダーの射程範囲です。
薩摩大口駅からは薩摩求名~薩摩大口間の宮之城線の駅が全て取れる事が分かります。


宮之城線の宮之城駅から薩摩大口駅までの間を公共交通機関で攻略するには
南国交通バスの「宮之城~湯田~求名駅~曽木~大口」線の利用が一番適しているでしょう。
宮之城停留場━大口バスセンター間で所要時間は1時間10分前後、
運賃は820円
となっています。
以下はこの路線バスの運行ルートです。
宮之城線a78
(上画像をクリックすると拡大します)

こちらの路線バスも基本的には国道267号線をそのまま辿るルートとなっています。
ですので宮之城線の当該区間の駅が国道267号線上にエリアがあるかどうか、
がそのままチェックインの可否になると思って良いでしょう。
以下はバスの停留場と宮之城線の駅の対比表です。

 ■佐志駅  :チェックイン不可(要レーダー)
 □薩摩湯田駅:柏原橋停留場(大願寺~山越 間で取得可能)
 □薩摩鶴田駅:鶴田駅入口停留場(鶴田中学校前~羽有 間で取得可能)
 □薩摩求名駅::求名駅前(求名下手~橋掛口 間で取得可能)
 □広橋駅 :搦停留場(駅のエリアが狭く搦停留場付近のみチェックイン可能)
 ■薩摩永野駅:チェックイン不可(要レーダー)
 □針持駅  :針持停留場(境田~関白陣 間でチェックイン可能)
 □西太良駅 :西太良駅停留場(門前~下殿 間でチェックイン可能)
 □羽月駅  :羽月駅前停留場(南中学校前~山之口(羽月) 間でチェックイン可能)
 □薩摩大口駅:大口バスセンター停留場(ニシムタ(大口店)~終点でチェックイン可能)

このバス路線では佐志駅と薩摩永野駅が直接のチェックインができません
別の方法で直接に佐志駅と薩摩永野駅のエリアまで行くか、
レーダーなどのアイテム使用が必要となるでしょう。


その1でも書きましたが、直接チェックインを狙うにしても
アイテム使用をするにしても車で移動するのが宮之城線では一番楽でしょう。
車の使用が可能な方には一番にお勧めします。


公共交通機関では、鹿児島空港発のバスなどでも宮之城線の攻略が可能ですが、
空港連絡バスだけでのコンプリートができないだけに、路線バスなどとの併用が必要でしょう。

一つだけ確実に言えるのは、
「宮之城線は既存鉄道路線からはレーダーを使ってもコンプはできない」
ということです。
こちらを含めた様々な情報を吟味して攻略をして下さい。


では。

宮之城線86
さて、お次は宮之城線についてです。

元々は大正期に川宮鉄道が設立されて工事が中断された路線を
国が計画線の一部として国有化し、
1924年(大正13年)に川内町駅(現・川内駅)━樋脇駅が開業したのが始まりとなります。

その後延伸されて1937年(昭和12年)に薩摩大口駅まで延伸開業し、
宮之城線としての全線が開通しました。

しかし沿線の人の流れは西側が川内、
東側が粟野・隼人の生活圏として分断された状態であり、
また両端からの他線への乗り継ぎも接続が悪いなど使い勝手が良く無い為
1984年(昭和59年)には第2次特定地方交通線として廃止が承認されてしまい、
その後1987年(昭和62年)に国鉄のJR転換を目前にして廃線となったのです。

宮之城線01
こちらはJR九州の鹿児島本線と九州新幹線の駅である川内駅です。
駅の開業は1914年(大正3年)に川内町駅としてで、
宮之城線が開通して乗り入れたのは1924年(大正13年)となります。

かつては鹿児島本線のローカル駅だったこの駅も
2004年(平成16年)の九州新幹線の延伸開業によって新幹線停車駅となりました。
その為新幹線開業に併せて、ローカル駅舎は近代的なご覧の新幹線駅へと改築されています。
宮之城線02
そしてこちらが川内駅の新幹線ホームの光景です。
なぜ在来線では無く新幹線のホームを載せたかというと、
今回ご紹介する国鉄宮之城線の川内駅ホーム(旧3・4番線ホーム)は
現在の新幹線ホームの真下にあった
という事からです。
宮之城線03
こちらは川内駅の東口と、駅から北へと伸びる新幹線ですが
かつての宮之城線も新幹線の走るあたりを鹿児島本線と並走して北上していた様子です。

川内駅は現役のJRの駅ですので新幹線やJRで取れば
自動的に廃線の駅も取った事となります。



宮之城線06
こちらは県道394号線の薩摩川内市白浜町付近です。
宮之城線05
この県道はかつての宮之城線の廃線跡に拡張整備された道路であり、
ご覧の付近に薩摩白浜駅がありました。
駅は1936年(昭和11年)の開業ですので
宮之城線が開通してから20年あまりして新設された駅だった様です。
宮之城線04
当時の写真を参考にすると
赤線で描いたあたりに単式ホームが設置されていました。
宮之城線10
ご覧の通り駅跡のすぐ西で県道が広くなっているので勘違いされる方が多い様子ですが
実際にホームがあったのはそのすぐ東側の、
上写真の赤線で描いた位置となります。
単式ホーム1面1線のみの棒線無人駅だった様です。
宮之城線07
駅跡の東側すぐ隣にあるバイク屋です。
付近で目印になるのはこの店くらいしかありません。
宮之城線08
駅の西側すぐには「八幡神社」と書かれた表示のある小路が。
宮之城線09
奥には小さなお社がありました。



宮之城線11
廃線跡は県道394号線と並走しつつ東へと進みます。
左手に川内川に架かる赤い東郷橋が見えるこのあたりが
かつての楠元駅の駅跡となります。
宮之城線12
こちらが駅跡です。
営業当時の駅舎や駅名標が「楠元駅鉄道記念館」と銘して
現地にご覧の通り残されていました。

ただ、駅舎は当時のものですが、
北側の市道を整備する際に90度回転して移築されていますので
当時そのままの場所に建っている訳ではありません。
宮之城線13
営業当時の写真などからおおよそご覧の位置に
駅舎とホームが、ちょうど東郷橋に対して垂直にあった様です。
相対式ホーム2面2線の駅だったそうですので
駅構内はかなり広かったはずで、駅員の常駐する駅だったそうです。

状況から判断すると、恐らく宮之城線の廃線跡を市道として整備した際に
東郷橋と市道を連絡する為に駅舎とホームのど真ん中に道を作る必要が生じ、
保存の決まっていた旧駅舎を90度回転させて移築
したのだと思われます。
宮之城線14
鉄道記念館となっている旧駅舎。
営業当時の写真と比べると明らかに形が違っていますので、
恐らく「旧駅舎の建材を使った」のだと思います。
宮之城線15
当時のものと思われる改札のラッチです。
宮之城線16
窓から覗いた記念館の中の様子。
宮之城線17
敷地内にはポイントの分岐器や車輪などがありました。
宮之城線18
駅跡の目の前に架かる東郷橋。
かつて駅のあった頃には
この橋を渡った対岸の東郷町の利用客がメインだったそうです。



宮之城線19
市道に沿って道なりに4キロほど南下すると
ご覧の光景となります。
宮之城線20
市道沿いに吉野山郵便局が見えてきますが
この付近が次の駅である吉野山駅の跡地となります。
宮之城線22
こちらは吉野山郵便局の建物です。
この郵便局は宮之城線の営業当時からここにありましたので
駅の場所を知る上で非常に参考になる建物です。
宮之城線21
吉野山駅はおおよそご覧の感じであった様です。
1924年(大正13年)の路線開業時にできた2面2線の駅だそうですが、
廃線時の写真を見ると単式ホームの棒線駅になっていました。
宮之城線23
郵便局の前にある吉野山駅跡の石碑。
まさしくこの場所に木造の旧駅舎が建っていました。
宮之城線24
石碑に並んでレールと車輪も置かれています。
宮之城線25
ホーム跡の北端付近にある、平佐東地区コミュニティーセンター。
郵便局と道を挟んだ向かい側となります。
宮之城線26
コミュニティセンターと郵便局との間の道は、
写真奥側の東に向かって200mほどある
「鹿児島県道334号吉野山停車場線」という県道でした。
駅と県道335号を連絡する道でしたが2005年(平成17年)に
県道としては廃止されています。



宮之城線27
こちらは県道333号線と335号線の重複区間となる樋脇町付近で、
ご覧の通り「樋脇鉄道記念館前」というバス停があります。
宮之城線28
その東側にあるT字路が、かつての県道343号線樋脇停車場線となります。
この道は2005年(平成17年)に県道廃止となり現在は市道です。
宮之城線29
T字路の角には廃ガソリンスタンドが。
宮之城線30
150mほどの旧停車場線を進むと駅舎が見えてきます。
宮之城線31
こちらが樋脇駅の駅跡となります。
廃止後の現在も旧駅舎は当時ものをそのまま残してあり
樋脇鉄道記念館となっています。

駅は1924年(大正13年)の路線開業時の開設で、
1926年(大正15年)に宮之城駅に延伸されるまでは終着駅でした。
宮之城線32
駅舎の中の様子です。
入り口には「鉄道記念館」の木看板が下がっており、
中は営業当時の待合室です。
宮之城線33
券売窓口から中を覗き込むと
駅務のスペースはご覧の通りでした。
宮之城線34
こちらがかつての駅構内のホーム側の様子です。
レールが複線で残され、車軸のついた車輪が置かれています。
構内踏切と警報機も。
宮之城線35
駅構内の敷地はご覧の通り鉄道公園となっていました。
銘板で宮之城線の開業と廃止の年月日が。
宮之城線36
駅前広場の一角の物置には「駅前自治会」や「駅前公民館」の文字があります。
宮之城線37
駅跡の東側は駐車スペースとなっており、
その隣には市の運営する「鷹の巣冷泉」という日帰り入浴施設があります。



宮之城線38
樋脇駅から2kmほど東に廃線跡を転用した市道を進むと
次の駅の駅跡が見えてきます。
県道は川の対岸で周囲は市街地からは外れています。
宮之城線39
この交差点の向こうの左側がかつての上樋脇駅となります。
宮之城線40
かつての駅入口だった交差点の角にある
「上樋脇駅開設記念碑」と刻まれた石碑です。
駅の営業当時の写真にはありませんので、
おそらく廃線後に建てられたものと思われます。
宮之城線41
こちらが現在も残っている駅のホームの跡です。
駅は1959年(昭和34年)に新駅として追加されたもので、
単式ホーム1面1線の無人駅だったそうです。
宮之城線42
5、6年前には駅の待合室が残っていたそうなのですが、
2018年(平成30年)1月現在では上屋は無くなっていました。
かつての待合室の上屋はホーム中央あたりにご覧の様にあったそうです。
宮之城線43
廃線跡は舗装されて生活道路となっており、
ホームの一部は削り取られて隣接する家の出入口となっています。
宮之城線44
廃線跡であるホーム前の道は
東側の奥がご覧の通り行き止まりとなっています。
ガードレールの向こう側は樋脇川であり、
かつてはこの先に宮之城線の橋梁が架かっていました。



宮之城線45
こちらは国道328号線の入来郵便局付近です。
上樋脇駅から3kmほど進んできた廃線跡の市道が
この付近で国道と合流しています。
宮之城線46
合流点にある入来鉄道記念館前のバス停。
宮之城線47
その先がかつての入来駅の駅跡であり、
跡地は薩摩川内市鉄道記念公園として整備がされています。

駅は1926年(大正15年)に宮之城線の延伸開通によって設けられました。
宮之城線48
こちらは駅の跡地に建てられたSLを模した記念館です。
当時の写真の展示などもある様子ですが、
中は公民館として使われているようです。
宮之城線49
公園整備の経緯を記した銘板。
宮之城線51
記念館前から西のほうを見ると、
線路を模したであろう歩道が敷地外の入来郵便局の裏まで続いています。
宮之城線52
郵便局の裏手のこの市道がかつての宮之城線の廃線跡であり、
ちょうど郵便局建物の裏手付近から鉄道公園の中に向かって
線路が敷かれていた様子です。
宮之城線50
当時の写真を参考にしたので若干のずれはあると思いますが、
概ねご覧のような感じで入来駅のホームと駅舎が置かれていた様です。
ホームは千鳥式の2面2線だったそうで、
列車交換が出来るため駅員の常駐していた駅だそうです。
宮之城線54
参考に入来郵便局の周辺の様子を。
宮之城線53
記念館の脇に置かれたポイント切替器。
当時使われていたものなのでしょうか。



宮之城線55
廃線跡は国道を越えて北上しています。
4kmほど進んだ付近にある、
道の脇に残る腕木式信号。
宮之城線56
その先に廃線跡を進むとすぐにある消防団の倉庫。
廃線跡である敷地の先には久富木川に残る宮之城線の橋梁の土台が見えます。
宮之城線57
橋梁の橋台の跡に近づいてみると、
その後ろに伸びる宮之城線の築堤の上に一面のソーラーパネルが設置されていました。


宮之城線58
こちらは廃線跡に沿って走る県道393号線で、
駅跡の付近はご覧のように広場になっています。
宮之城線60
広場の向かいには、いかにも駅があったころには
駅前商店だったという風情の店が一軒あります。
宮之城線59
こちらが薩摩山崎駅の廃駅跡となります。
宮之城線66
駅跡の北隣にある久富木簡易郵便局。
宮之城線65
かつての駅には本数は少ないものの
現在はコミュニティバスのバス停が併設されています。
宮之城線62
どうやらこのあたりの廃駅跡ではセットになっているらしい
車輪と駅跡を示す石碑です。
宮之城線61
1926年(大正15年)の路線延伸時に開業をした駅で、
ご覧の場所にに木造駅舎がありました。
駅舎の向こう側に単式ホーム1面1線を持つ棒線駅でしたが、
かつては相対式2面だったそうです。
宮之城線63
ホームと線路のあったはずの場所を見ると
ご覧の通りに一面のソーラーパネルが。
駅跡から久富木川まで500m弱は廃線跡にソーラーが続いています。
宮之城線64
駅跡の立て看板を見て・・・なるほど。
ここがソーラープラントになったのは2014年(平成26年)だそうです。



宮之城線69
薩摩山崎駅を後にして廃線跡を進むと
国道267号線と並走をする区間があります。
そしてその国道と再び分かれるあたりに次の船木駅の駅跡があります。
宮之城線70
廃線跡の市道から見下ろすと見える国道267号線。
見えるあたりにバスの停留場もあります。
宮之城線68
写真のこのあたりがかつての船木駅の駅跡の様です。
宮之城線67
営業当時の写真などをみると
どうやらご覧のあたりに単式ホーム1面と駅舎があった様です。
駅は1936年(昭和11年)に新設されたもので、
開設当初は有人駅で鉄道員の宿舎もあったのだとか。



宮之城線71
こちらは国道267号線の宮之城駅前交差点です。
名前の通りこちらの目の前が宮之城駅の駅跡となります。
宮之城線72
この建物は宮之城鉄道記念館で、
廃駅となった宮之城駅跡に1987年(昭和62年)に建設されました。
中は観光案内所やJRの券売所、バス待合室を兼ねています。
宮之城線73
鉄道記念館の前はご覧のロータリーに。
宮之城線74
宮之城は竹細工などが名産の竹の街であり、
全国に数多ある「竹取物語」のかぐや姫伝説の地のひとつです。
ですのでかぐや姫の像が記念館の横に。
宮之城線75
そのかぐや姫に並んであるのが
宮之城駅の駅跡を示す石碑です。
宮之城線76
記念館の中の様子です。
待合スペースには竹細工が置かれています。
宮之城線77
こちらが宮之城線関連の展示スペースです。
宮之城線78
当時の写真や運賃表など。
宮之城線79
鉄道記念館の東側にはご覧のバス停があります。
バスでの宮之城線攻略の時にはルートにもよりますが
中継地点の一つとなるバス停です。
宮之城線80
そのバス停の東側にはご覧のレールや信号機、ポイント切替器などの
鉄道関連の展示がされています。
機関車はC57-124で鹿児島を中心に走っていたSLです。
宮之城線81
宮之城駅自体は1926年(大正15年)の開業で、
樋脇駅からの延伸開業によって終着駅となりました。
その後1934年(昭和9年)に宮之城線がさらに延伸した為中間駅となっています。
宮之城町の中心駅で相対式2面2線のホームを持ち、
さらに数本の引き上げ線があったそうです。



宮之城線87
こちらは川内駅━宮之城駅間のau 4G LTEでの電波エリアマップです。
廃線となって線路はありませんが、
廃線跡はほぼ全ての区間が電波エリア圏内となっています。


宮之城線82
こちらは参考までに宮之城駅からのレーダーの範囲です。
宮之城線83
路線図で示すと赤線を引いたご覧の範囲でレーダーが届きます。
川内駅からはレーダーで入来駅までは取れますので、
バスで川内駅→宮之城駅までの移動ができれば
レーダーで宮之城線の西側2/3は取れる
のが分かると思います。


川内駅━宮之城駅間のバス路線としては、
鹿児島交通の「宮之城車庫━川内駅━川内営業所」線が一番使い易いでしょう。
川内駅停留場━宮之城駅停留場までの所要時間はおよそ1時間弱、
運賃は690円(2018年1月現在)
となります。
この路線バスの運行ルートは以下の通りです。
宮之城線85
基本的に川内駅から宮之城駅までほぼ全線を国道267号線を走る路線です。
その為宮之城線の廃線跡とは川内川の対岸を走る区間がほとんどですが、
概ね並走しているので多くの廃駅にチェックインが可能です。
以下は宮之城線の各駅と路線バスの停留場の対比表です。

 □川内駅 :川内駅停留場
 □薩摩白浜駅:今村停留場(中郷~今村中 間で取得可能)
 □楠元駅  :斧渕停留場(小路三叉路~司野上 間で取得可能)
 □吉野山駅 :野瀬下停留場(司野峠~南瀬局 間で取得可能)
 ■樋脇駅  :チェックイン不可(要レーダー)
 □上樋脇駅 :須杭下停留場(大塚~須杭 間で取得可能)
 ■入来駅  :チェックイン不可(要レーダー)
 □薩摩山崎駅:山崎停留場(須杭入口~山崎小学校前 間で取得可能)
 □船木駅  :五反田停留場(クオラ病院前~文化センター前 間で取得可能)
 □宮之城駅 :宮之城駅停留場
宮之城線84
国道267号線上には樋脇駅と入来駅のエリアはありません。
ですのでこの2駅は上のバス路線からのチェックインはできません
レーダーを使うか別の方法でこの二つの駅のエリアへ行くしかないでしょう。


しかしこの廃線を攻略するのに一番楽なのは
なんといっても車での移動でしょう。
駅付近の道路の写真を見ても分かる通り、
この宮之城線の沿線道路は基本的に2車線の道路が多く
車の運転が非常に楽な廃線なのです。
川内駅から宮之城駅まででおよそ30km、
薩摩大口駅まででも70kmありませんので、
車で往復するだけなら3時間でおつりがくるでしょう。
私は宮之城線の全駅を巡りましたが、それでも8時間で川内━薩摩大口間が往復できました。



宮之城駅━薩摩大口駅間についてはその2で書きたいと思います。
では。

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