廃線・廃駅

下津井電鉄a36
さて、廃線である下津井電鉄の続きです。

その1(茶屋町駅━児島駅間)の記事はこちら


先にその1でご紹介した区間は1972年(昭和47年)に廃止されています。
しかし今回ご紹介する児島駅━下津井駅間の区間は
1991年(平成3年)の全線廃止に至るまで更に20年近く営業を行っていました。



下津井電鉄81
こちらはJR児島駅から西へ800mほどの場所にある
文化センター交差点付近です。
この交差点の近くにかつての駅が現在も残っています。
下津井電鉄75
こちらが下津井電鉄の児島駅の駅舎跡です。
1987年(昭和62年)の倉敷市の再開発事業によって改築移転された駅舎が
廃線となった後も観光案内所などが入って残されています。
下津井電鉄77
下津井電鉄の廃線跡は倉敷市に譲渡されており、
児島駅以南は「風の道」としてサイクリングロードに整備されていて
この旧駅舎がその起点となっています。
下津井電鉄76
駅舎の入口から中に進むとご覧の通り
営業当時のモダンな作りが残されています。
下津井電鉄78
駅舎内の光景です。
屋内にプラットホームが設けられています。
下津井電鉄80
駅舎の二階部分はご覧の通りテラスとなっており
かなりおしゃれな駅だった事が分かります。
下津井電鉄79
ホームの様子です。
かつては頭端式2面1線の駅でした。
下津井電鉄82
そして児島駅のホームの先にはスロープが設けられており、
下電バスの児島営業所の脇を抜ける廃線跡へと降りられる様になっています。
下津井電鉄83
駅脇の下電バス児島営業所の様子です。



下津井電鉄84
児島駅の駅跡は日中しか開放されていない為、
廃線跡のサイクリングロードの起点にはご覧のゲートがあります。
下津井電鉄85
架線柱の残る廃線跡を進むとすぐにある
遊歩道の案内板です。
下津井電鉄86
廃線跡地を利用したサイクリングロードです。
架線柱が残されており廃線だと分かるようになっています。
児島以北の区間は40年以上前に廃線になった区間なので
普通の道路として整備されていましたが、
児島駅以南のこちらのサイクリングロードは
平成になってからの廃止区間なので
同じサイクリングロードでもコンセプトが感じ取れます。
ちなみに地面はアスファルトではなく、
コストの安い真砂土による土系舗装がされていました。
下津井電鉄87
そして児島駅から1.1kmで次の駅が見えてきます。


下津井電鉄88
こちらが備前赤崎駅の駅跡となります。
1914年(大正3年)に児島駅━下津井駅間の開業に伴って開設された駅です。
開業時は相対式ホーム2面2線の駅で、
廃駅となった現在でもその遺構が残っています。
駅名標は営業時のものはありませんが、
サイクリングロード用に模した看板が設置されています。
下津井電鉄89
ホーム南端のこちらは明らかに構内踏切の跡であり、
かつてはここにあった構内踏切でホームが連絡していたと思われます。
下津井電鉄90
そして東側のホームの上が、かつての駅舎のあった跡地となります。
下津井電鉄91
駅前の道から駅敷地への光景です。



下津井電鉄92
駅跡を背に南へと廃線跡を進みます。
下津井電鉄93
駅跡から200mほど進むと廃線跡は国道430号線へと差し掛かります。
下津井電鉄94
電車は国道を垂直に横切っていたのでしょうが、
廃線跡のサイクリングロードを進んできた自転車は
信号のある交差点まで大きく迂回する必要があります。
下津井電鉄95
国道を越えて進む廃線跡のサイクリングロード。
下津井電鉄96
廃線跡と道路が並走状態となる付近、
前の駅跡からは500m、国道からも300mほどの
呉服店の先あたりに次の廃駅跡が見えてきます。


下津井電鉄97
こちらが阿津駅の駅跡です。
児島駅━下津井駅間の開業は1914年(大正3年)ですが
この駅は1949年(昭和24年)に新設されて開業した駅となります。
単式ホーム1面1線の駅だった様子で駅舎は無かった様です。



下津井電鉄98
駅跡を出るとご覧の通りで
このあたりの区間は花が植えられるなどかなり手入れのされている区間となります。
下津井電鉄99
そして鷲羽山の麓を登り始めると、土系舗装だった廃線跡は
アスファルトの舗装へと変わって上り坂となります。
下津井電鉄a01
1988年(昭和63年)に開業したJR瀬戸大橋線(本四備讃線)の高架をくぐる廃線跡。
3年ほどは高架下を電車が走っていました。
下津井電鉄a02
瀬戸大橋線をくぐると瀬戸内海と瀬戸中央道に挟まれた場所を
廃線跡が進みます。
下津井電鉄a03
海の方をみると児島競艇場が眼下に見下ろせます。
下津井電鉄a05
この付近に次の廃駅跡があります。


下津井電鉄a04
琴海駅です。
1914年(大正3年)の路線の区間開業時に設置された駅です。
島式ホーム1面2線の駅だったそうで、当時のホームが現在でも残っています。
駅名標は廃線跡がサイクリングロードに整備された際に設置されました。
下津井電鉄a06
ホームからは瀬戸内海の児島の大畠漁港が見下ろせます。
漁港のすぐ北が児島競艇場です。
下津井電鉄a07
そして駅の北側の隣にはご覧の変電所の設備が。
「本四連絡橋公団 児島変電所」とありますが、
こちらは鉄道では無く瀬戸中央道の高速道路の変電所となります。
下津井電鉄a08
ホームの北側が広場のようになっていますが
駅舎はこちらではなく、ホームから線路を挟んだ海側に
ご覧のような位置関係であったそうです。



下津井電鉄a09
鷲羽山の等高線に沿うように山の中腹をクネクネと走る廃線跡。
下津井電鉄a10
そして瀬戸中央道の下を廃線跡が潜ります。
瀬戸大橋の開業が1988年(昭和63年)ですので
このトンネルも建設時には下津井電鉄が走っていました。
下津井電鉄a11
廃線跡の高架下。
下津井電鉄a12
高速道路の下を抜けると切り通しの先に
次の駅の駅跡が見えてきます。


下津井電鉄a13
こちらが鷲羽山駅の駅跡です。
1931年(昭和6年)に臨時駅として新設開業し、
すぐに正式な駅へと昇格した駅です。
単式ホーム1面1線の棒線駅だったそうで、
現在公衆トイレのある付近にかつての駅舎があったそうです。
下津井電鉄a14
駅跡の東端には鷲羽山の山頂へと至る道と、
県道へと下って連絡する坂があります。
下津井電鉄a15
そしてホームの西側へと進むと
西端にはご覧の展望台が設置されています。
下津井電鉄a16
展望台からは、鷲羽山の先に瀬戸大橋のうちの一つである
下津井瀬戸大橋が至近に一望できます。
路線の末期にはこの瀬戸大橋へのビューを売りに
観光路線への脱却を目指したほどの景色が見れます。



下津井電鉄a17
鷲羽山駅を出るとご覧のの下りを進み、
県道393号線(鷲羽山スカイライン)とX状に交わります。
下津井電鉄a18
県道と廃線跡の交点付近です。
下津井電鉄a19
県道脇の築堤下を進む廃線跡。
アスファルトだった舗装は再び土系舗装へと戻っています。
下津井電鉄a20
跨道橋の下を潜るとすぐに、
次の駅の駅跡となります。


下津井電鉄a21
東下津井駅の駅跡です。
1914年(大正3年)の路線開業時に開設された駅です。
駅跡は雑草が覆い茂る状態となっていました。
下津井電鉄a22
駅の南側のかつては踏切であったであろう道路。
廃線跡と並走するのは県道393号線(鷲羽山スカイライン)で、
その左の小高くなった上には下津井中学校があります。
下津井電鉄a23
その踏切跡の前にはハマダベーカリーがあります。
下津井電鉄の営業時からあったパン屋で
たまごパンを始め田舎とは思えないクオリティの知る人ぞ知るパン屋だったそうです。
ご覧の通り店は開いておらず、もしかすると現在はもう営業していないのかもしれません。
下津井電鉄a24
駅跡から東に一本はいった裏手の道路です。
かつてはこの先に木造の駅舎があったそうです。
下津井電鉄a29
駅舎のあった場所は当時の写真などを参考にすると
おおよそご覧のあたりだった様子です。



下津井電鉄a25
駅跡を出て県道を並走する廃線跡。
下津井電鉄a26
進むと道は序々に下がり始め切り通しを進みます。
下津井電鉄a27
獣道の様になっている廃線跡のサイクリングロード。
このあたりの左手は瀬戸大橋架橋記念公園となっています。
下津井電鉄a28
車道と交わる廃線跡。
この先廃線跡のサイクリングリードは大きく左手へとカーブを描きます。
下津井電鉄a30
下津井の集落の外周を抜ける廃線跡。
このあたりでは右手は山ろくの県道、左手には住宅地が広がっています。
下津井電鉄a31
そして県道21号線の跨線橋の下を潜ると次の駅が見えてきます。
下津井電鉄a32
獣道のようになったサイクリングロードの終端と
その先に現れる廃線跡のレールです。



下津井電鉄a33
下津井駅の廃駅跡です。
1914年(大正3年)の下津井軽便鉄道(後の下津井電鉄)の全通時に
終着駅として開業した駅で、
単式1面1線、島式1面2線の計3線のホームを持つ駅でした。
他の下津井電鉄の敷地が倉敷市に無償譲渡されたのに対して
こちらの下津井駅の駅跡は今も下津井電鉄の所有地だそうです。
下津井電鉄a34
ご覧の単式ホームの上に木造平屋の駅舎と事務所棟がありました。
廃線後もしばらくは駅舎は残されていましたが、
老朽化が進んだ為現在は取り壊されています。
下津井電鉄a35
そして島式ホームの駅舎から一番遠かった番線側は
フェンスで仕切られていたものの、
下津井電鉄で走っていた電車が留置保存されていました。
下津井電鉄a37
こちらはホーム南端にある構内踏切の跡です。
下津井電鉄a38
駅舎のあった単式ホームのフェンスにある掲示板。
こちらの電車の保存活動をしている「下津井みなと電車保存会」の
活動紹介が掲示されていました。
下津井電鉄a39
かつての駅前であった場所の様子です。
商店跡がありましたが、現在は営業している様子はありません。
下津井電鉄a40
商店と駅前の道を挟んだ反対側には
下津井電鉄の初代社長である白川友一氏の銅像が。
この下津井の選挙区で代議士となり「軽便鉄道助成法」に尽力した人物です。
下津井電鉄a41
駅前通りの様子です。
下津井電鉄a42
通りの目の前にはご覧の下津井港が。
本州と四国とを結ぶ「四国往来」のメインルートとして
下津井━丸亀間航路の本州側の拠点だった港
です。
この場所へと連絡をする為に下津井電鉄は作られました。



以上で下津井電鉄の廃線跡については全てとなります。
その2でご紹介した児島駅━下津井駅間は
1972年(昭和47年)の児島駅以北の廃止以降も営業を続け、
観光路線としての脱皮を試みるなどして悪戦苦闘をした区間です。
当時としてはめずらしいワンマン運転などで努力をしたものの
瀬戸大橋の開通によって1991年(平成3年)に廃止されています。


下津井電鉄a43
こちらは児島駅━下津井駅間のau 4G LTEでの電波エリアマップです。
下津井のある児島半島は全域が電波圏内ですので
廃線跡で電波に困る事は基本的に無いでしょう。
下津井電鉄a44
そしてこちらは児島駅以南の下津井電鉄付近のボロノイ図です。
児島半島を縦に貫いてJR瀬戸大橋線(本四備讃線)が走っており、
この瀬戸大橋線から下津井電鉄の阿津駅、琴海駅、鷲羽山駅の三つの廃駅が
直接チェックインで取れる
事が分かります。

鷲羽山駅付近に記した赤い太線は瀬戸大橋線のトンネル区間ですが、
琴海駅と鷲羽山駅を取るのに影響は少ないことは分かると思います。
下津井電鉄a45
そしてJR瀬戸大橋線の児島駅からのレーダー範囲を見てみると、
ご覧の通り児島駅(下津井電鉄)から下津井駅までの区間の全駅が
射程8で届く
ことが分かります。

つまり瀬戸大橋線の児島駅で児島駅(下津井電鉄)、備前赤崎駅、
東下津井駅、下津井駅の四つをレーダーで取り、
そこから瀬戸大橋を渡るまでの間で阿津駅、琴海駅、鷲羽山駅の三駅を直接チェックインすれば
児島駅━下津井駅間の廃線廃駅は全て揃うということです。


駅メモの他の廃線もそうですが、
この下津井電鉄も近くの現役路線からレーダーを使えば乗らずに取れてしまいます。
しかしこれも他の駅メモと廃線と同様なのですが、
廃線跡がサイクリングロードとして残されており
比較的駅や廃線の遺構が残っていて実際に見ることが可能です。

是非とも時間があれば廃線跡を巡ってみて下さい。

では。

下津井電鉄00
さて、お次は下津井電鉄についてです。

この鉄道は、日本の鉄道の多くが1067mmの狭軌であるのに対して
軌間762mmのナローゲージ(特殊狭軌)で走っていた鉄道です。


元々下津井は瀬戸内海の要港であり、海運や軍事の重要拠点として発展してきました。
また漁港としても「下津井直送」がブランドになるほどであり、
そして本州と四国の往来は岡山側の下津井と四国の丸亀を結ぶ航路が中心でした。

しかし1910年(明治43年)に国鉄宇野線の全通と宇高連絡線の開設によって
本四間の人と物流は宇野━高松ルートへとシフト
この事に危惧を覚えた下津井や丸亀の有力者が中心となり
四国渡航客を取り戻すために、下津井から国鉄線までの鉄道路線が計画されました。
これが下津井電鉄の起こりとなります。

早速1911年(明治44年)に鉄道の工事が着工されるも
鷲羽山付近の岩盤開削の難工事の影響もあって
1913年(大正2年)に下津井軽便鉄道として
茶屋町駅━味野町駅(児島駅)が先に開業しました。
そして1914年(大正3年)には味野町駅(児島駅)━下津井駅が開業。
茶屋町駅から下津井駅までの21kmが全通となりました。


しかし乗客は宇野線で岡山から宇野、そして宇高連絡線へと直通しているのに
わざわざ途中駅の茶屋町で下津井電鉄に乗り換えるはずもなく、
本来の目的であった本州四国連絡の利用者はほとんどいませんでした。

戦中戦後の燃料難を電化への転換で乗り切り、
鷲羽山近辺への観光客も増え始めたものの、
1972年(昭和47年)の山陽新幹線の岡山開通と、
それにあわせた道路網整備によって乗客数は一気に激減してしまいます。
皮肉な事に下津井周辺の岡山行きの乗客は下津井電鉄には乗らず、
時間も短く直通で便利な下津井電鉄バスへとシフトしたのです。
この結果、茶屋町駅━児島駅間の14.5kmは1972年(昭和47年)3月末で廃止となりました。

本来の電鉄敷設の目的であった下津井━丸亀航路への連絡の為、
児島駅━下津井駅間の6.5kmは存続。
徹底的な合理化や観光路線への転換を目指すなどして経営をスリム化した結果、
収益のあるバス事業で鉄道の赤字を補填してなんとか路線は存続をしてきました。

しかし1988年(昭和63年)の瀬戸大橋開通によって
四国への乗客は完全に瀬戸大橋線へとシフト。
バス事業の乗客も激減して鉄道の赤字を補填できなくなり、
1990年(平成2年)末で鉄道は全線が廃止となりました。



下津井電鉄01
こちらはJR宇野線の茶屋町駅です。
1910年(明治43年)に国鉄宇野線の駅として開業しました。
下津井電鉄02
宇野線(宇野みなと線)と本四備讃線(瀬戸大橋線)の分岐しているこの駅は
1988年(昭和63年)の瀬戸大橋開通に伴って高架されています。
下津井電鉄03
こちらは現在のJR茶屋町駅の西口駅前ロータリーです。
高架化事業によって区画整理と整備が行われて
下津井電鉄の遺構は残っていませんが、
現在はバスが発着しているこの広場がかつてのホーム跡の北端付近となります。
下津井電鉄04
その駅前広場を南へと進むと、
備品倉庫らしき建物があり、その奥には
西口広場よりもひとまわり小さい広場があります。
下津井電鉄05
営業当時の写真や、JRの高架化事業の工事時の写真などから見比べても
この広場が下津井電鉄の茶屋町駅の跡地でほぼ間違いありません。
駅舎風の屋根が設けられているのもおそらくは駅跡地を意識して整備されたものなのでしょう。
下津井電鉄としての茶屋町駅
1913年(大正2年)に開業しています。

駅メモでは茶屋町駅はJR宇野線の現役駅として登録されており、
下津井電鉄の茶屋町駅とは同一駅となっています。

下津井電鉄06
駅跡地のすぐ南に建つ茶屋町郵便局。
下津井電鉄07
郵便局の南隣の線路跡はコインパーキングとなっていました。
下津井電鉄08
道を挟んだ向かい側には丸屋根の駐輪場がありますが、
この長細い駐輪場が下津井電鉄の線路跡となります。
下津井電鉄09
駐輪場の先を更に南に線路跡を進みます。
線路は右の車道では無く、左の歩道付近だったようです。
下津井電鉄10
そしてその先にはご覧のサイクリングロードの入口があります。
これは倉敷市が下津井電鉄の線路跡地を整備したものです。


下津井電鉄11
遊歩道を2kmほど進んだところにある、
こちらが天城駅の跡地となります。
1913年(大正2年)の路線開業時に設けられた駅で、
見ての通り花壇かと思ったここがプラットフォームの跡地です。
下津井電鉄12
反対方向からみた駅付近。
かつては民家の敷地に廃駅舎がそのまま残っていたそうですが
近年解体されてしまったそうです。
下津井電鉄13
ホーム付近から南の児島方面をみた光景。
下津井電鉄71
こちらが天城駅の座標の地図ですが、
現実の駅跡に駅メモの座標もピンポイントで設定されています。
この駅に関しては座標のズレはありません。


下津井電鉄16
天城駅を出て南へと進むと倉敷川に差し掛かります。
川に架かる塩干橋はかつては鉄道橋でしたが
現在は遊歩道用に架け替えられています。
下津井電鉄17
橋に残る鉄道橋時代のものと思われる橋脚跡。


下津井電鉄15
天城駅からは川を隔てて500mほどの距離で次の駅が見えてきます。
こちらが藤戸駅の駅跡です。
ご覧の通り営業当時のプラットフォームが現存しています。
駅が開業したのは1950年(昭和25年)で、
下津井電鉄の駅としては比較的新しい駅でした。
下津井電鉄18
ホームの様子です。
下津井電鉄19
残っている営業当時の駅名標です。
下地の白い塗装もほぼ無くなっている状態で、写真では分かりませんが
肉眼で近寄って見るとうっすら微かに「ふじと」の文字が見えます。
下津井電鉄37
こちらは藤戸駅の座標を示す地図ですが、
実際の駅跡と駅メモの座標が30mほどずれています。
ゲームをやる上ではほぼ影響はありませんが、
実際に現地へと行く方はご注意下さい。



下津井電鉄26
駅跡を出て引き続き廃線跡のサイクリングロードを南下します。
下津井電鉄27
県道165号線と廃線跡が交差する地点。
下津井電鉄28
郷内川に架かっている串田西橋を渡ります。


下津井電鉄20
そしてまもなく林駅の跡地が見えてきます。
駅間はおよそ2kmほどです。
下津井電鉄23
線路跡の遊歩道に面して建っている犬渕公民館。
この公民館の南側がかつての林駅のあった駅跡となります。
下津井電鉄21
線路跡にそって駐車場として使われているスペースがありますが、
ここにかつての駅舎やロータリーがあったそうです。
駅は1913年(大正2年)の路線開業時に開設されており、
相対式2面2線で列車交換のできる駅だったそうです。
下津井電鉄22
こちらがかつての駅へと通じる駅前の通りです。
下津井電鉄25
駅跡から切り返すとご覧の光景です。
突き当たりの左すぐには県道165号線の犬渕交差点があります。

いろいろなサイトなどを見ると、みなさん林駅のあった場所については
遺構が無いので確信が持てていない様子です。
ですが私が確認したところ、ここが間違い無く駅前の道と広場だったそうです。
下津井電鉄24
写真の軽トラの停まっている駅前の建物は作業場になっていました。
そしてこのあたりで、頭にタオルを巻いたガタイのいいガテン系の男がうろうろしていたので
不審に思われたのか、男はここのつなぎを着た方に「何か下見ですか?」と声掛けをされました。
恐らくは車上荒らしの類だと思われたのでしょう。

男は言いました。「昔ここに駅があったと聞いて写真撮りに来ただけッス」と。
そして言われました。「ああ、ここです。このあたりがロータリーです」と。

という訳でここが林駅の跡地だと地元の方の確認が取れました(笑)
下津井電鉄36
こちらは林駅の座標を示した地図です。
赤が実際の林駅の跡地の位置ですが、
青が駅メモで設定されている林駅の座標となります。
実際の駅は県道21号の北側にあったのですが、
駅メモではなぜか県道の南側に座標が置かれています。
距離にしておよそ600mのずれが生じてしまっているのです。
座標の付近にはそもそも下津井電鉄は走っおらず、
全く無関係の住宅地ですのでご注意下さい。



下津井電鉄29
林駅跡を過ぎて廃線跡のサイクリングロードを進むと、
まもなく道は県道21号線へと合流します。
下津井電鉄30
県道21号線と並走する遊歩道。
ご覧の場所は第一農協交差点付近ですが、
このあたりの県道から瀬戸中央自動車道の水島インターにかけてが
かつての下津井電鉄の走っていた場所となります。
サイクリングロードの区間は線路跡がそのまま道でしたが、
この付近は道路やインターとして再開発されてしまい
廃線跡の痕跡は全く残っていません

下津井電鉄31
県道と並走したサイクリングロードは
水島インターをかわす為に北側に弧を描いて迂回します。
そして再び県道と並走状態となり、
すぐに瀬戸中央自動車道と県道21号線の下をくぐって抜けます。
下津井電鉄32
県道をくぐるとサイクリングロードは
再び下津井電鉄の廃線跡を進みます。
下津井電鉄33
こちらは相引池の南東角にある相引池南交差点です。
信号もあるこの交差点のすぐ南側付近がかつての福田駅跡だったそうです。
駅は1913年(大正2年)の路線開業時に設置されました。
下津井電鉄35
こちらは福田駅の座標を示した地図です。
赤の四角が現実の下津井電鉄・福田駅の跡地です。
そして青の四角が駅メモでの福田駅の座標位置です。
ご覧の通りおよそ500mほど位置がずれてしまっています

レーダーなどで行かずに取る方には関係ありませんが、
実際に廃駅跡を見たい方は、駅メモの座標は全く違う場所なので注意が必要です。



下津井電鉄34
福田駅を出て南下すると、山の中腹を通過する為
等高線に沿う形で蛇行しながら山を越えていきます。
このあたりの勾配はおよそ20パーミルもあったそうです。
下津井電鉄38
瀬戸中央道の下をくぐる廃線跡のサイクリングロード。
下津井電鉄39
高速道路を潜り抜けると、池の手前をカーブしていき
県道21号線へと徐々に並走状態となります。
下津井電鉄40
県道21号線と並走状態となると、
ご覧の様に道路脇が公園となっている場所に差し掛かります。
県道の反対側には福林湖があり、下電バスの福南山バス停が設置されています。
湖のほとりには木華佐久耶比咩(このはなさくやひめ)神社もあり、
かつてはこの付近に下津井電鉄の福南山駅があったそうですが
現在はその痕跡を見ることはできません。
また駅メモ的には福南山駅は登録されていませんので関係ありません

下津井電鉄42
県道を並走するサイクリングロード。
下津井電鉄43
300mほどでサイクリングロードは県道と分かれて進みます。
下津井電鉄44
左手に見える大池のほとりを走る廃線跡。
下津井電鉄45
坂道を下りながら進みます。
下津井電鉄46
そしてご覧のピンク色のカフェの前で
県道276号線にサイクリングロードが突き当たります。
ここから下津井電鉄の廃線跡は県道に転用されてしまった様子で
東にむかって県道として進む事となります。
下津井電鉄47
稗田西交差点から稗田南交差点方向へ
400mほど県道を廃線跡として進むと
再びサイクリングロードへと分岐する地点となります。
下津井電鉄48
再度自転車専用道となる廃線跡。


下津井電鉄49
こちらが稗田駅の跡となります。
1913年(大正2年)の路線開業時に琴浦駅として開業し、
その後1920年(大正9年)に稗田駅と改称されました。

現在の駅跡地に営業時のプラットホームなどは残っていませんが、
ご覧の通り自転車道の傍らに模擬プラットホームと模擬駅名標が復元されています。
下津井電鉄52
駅名標の下には駅と下津井電鉄の由来が。
(クリックすると拡大します)
下津井電鉄50
ホームの反対側にある「稗田さくら公園」がかつての駅舎の跡地だそうです。
下津井電鉄51
公園から道路へと連絡するこの道はかつての駅舎への道なのでしょうか。
下津井電鉄41
こちらは稗田駅の座標についての地図です。
駅メモで登録されている稗田駅は、実際の駅跡地からは
北に600mほどずれた位置に設定
されています。
ゲームをする上ではさほど影響のあるズレでは無いのですが
実際に駅跡へと向かわれる方はご注意下さい。



下津井電鉄55
稗田駅を出てサイクリングロードを進みます。
廃線跡は次第に住宅地の中へと差し掛かります。
下津井電鉄56
1.4kmほど進んだところに次の柳田駅の跡があります。


下津井電鉄57
こちらが柳田駅の駅跡となります。
営業時の駅の構造物は残っていませんが、
駅跡にはプラットホームを模した花壇が設置されており
模擬駅名標も設けられています。
下津井電鉄58
こちらが柳田駅の座標の地図です。
実際に柳田駅のあった場所からは
駅メモで設定されている柳田駅の座標は西に500mほどずれています
下津井電鉄53
ちなみに駅メモ座標での柳田駅の場所の光景です。
私も最初は駅メモ座標を信用してここが駅跡だと思ってしましました。
実際には下津井電鉄の廃線跡からもかなり外れてしまった場所で
駅があったはずなど無い場所です。
なぜこんなに座標がずれて設定されているのかは分かりません。



下津井電鉄59
こちらはローソン倉敷小川七丁目店です。
中央を用水が走る市道に面したこのコンビニの裏手に
かつての下津井電鉄の児島小川駅がありました。
下津井電鉄60
コンビニのすぐ北にはご覧の歩道橋があります。
この歩道橋の南側一帯がかつての駅の敷地でした。
下津井電鉄61
歩道橋から南側を見た光景です。
横断歩道の向こう側が駅敷地となります。
下津井電鉄62
児島小川駅の跡地です。
中央の道に挟まれて木の生えている場所の向こう側あたりが
かつての駅舎の跡地のようです。
1913年(大正2年)の路線開業時に小田駅として開業し、
相対式ホーム2面2線の駅でした。
下津井電鉄63
そして駅舎跡地と細い道を挟んだ北西の向かい側、
コンビニ駐車場の北隣に隣接してあるのがこちらの「小川駅前集会場」です。
名前から分かる通り、かつての駅跡を示す貴重な存在です。
下津井電鉄64
そして駅跡の北の歩道橋の脇にある、市道沿いのご覧の民家には
非常に興味深い遺構が残っていました。
下津井電鉄65
それがこちらの橋脚です。
民家の庭に明らかに不必要な石柱が立っている光景がここにはありました。
小田川を渡る橋梁の橋脚の遺構だと思われます。
東京の京王御陵線の廃線跡には民家の庭に残る有名な橋脚がありますが、
まさか倉敷でもこんな光景が見られるとは。
下津井電鉄66
(上写真:民家の庭先に残る京王多磨御陵線の橋脚遺構)
下津井電鉄69
こちらは児島小川駅の座標についての地図です。
駅メモでの駅座標と実際の駅舎跡は50mほどずれていますが
これは誤差の範囲と言って良く、基本的には同じ場所だと考えて良いと思います。



下津井電鉄67
そして児島小川駅の駅跡からさらに廃線跡のサイクリングロードは南下しており、
カーブを描きながら小田川に突き当たるところで自転車専用道は終わっています。
下津井電鉄68
小田川の大正橋の北隣にはかつては下津井電鉄の橋梁があったのですが
現在はわずかに橋台の一部らしき跡が見られるのみです。
川の対岸の廃線跡は文化センターと公園として再開発されており
鉄道の痕跡は全く残っていません

そして文化センターの南側に、ご覧の児島駅があります。
下津井電鉄70
下電の児島駅は初代は小田川の大正橋の南詰付近にあり、
1972年(昭和47年)に路線の部分廃止に伴って
現在の児島図書館の前付近へと移転。
そして1987年(昭和62年)の市の区画整備事業によって
上の写真の駅舎となりました。
駅メモでの下津井電鉄・児島駅は1987年以降の場所に設定されています。


ここまでが下津井電鉄の1972年(昭和47年)の部分廃止区間となります。
廃線はまだまだ続きますが、とりあえず一旦ここまでで区切りたいと思います。



下津井電鉄72
こちらはau 4G LTEでの下津井電鉄の茶屋町駅━児島駅間の電波状況のマップです。
詳細を書く必要が無いほど全域が電波エリア内である事が分かります。

下津井電鉄73
こちらは茶屋町駅からレーダーを飛ばした範囲です。
下津井電鉄の廃駅には林駅までが届くことが分かります。
下津井電鉄74
そしてこちらは茶屋町駅から3駅南の
上の町駅からのレーダーの範囲図です。
茶屋町駅からは届かなかった福田駅━児島駅間が取れる事が分かると思います。

つまりJRの瀬戸大橋線からレーダーを飛ばせば
茶屋町━児島駅間の廃線区間は乗らないでも取れる
という事です。



それでは児島駅以南の1991年(平成3年)廃止区間については
その2として続きたいと思います。

では。

福井鉄道鯖浦線67
さてさて。
お次は福井鉄道鯖浦線についてです。


鯖浦線は福井県鯖江市の鯖江駅と丹生郡織田町(現越前町)の織田駅を結んでいた
全長19.5kmの路線でした。

1923年(大正12年)に鯖浦電気鉄道の路線として
東鯖江駅━佐々生駅間が開業したのが始まりで、
翌年には佐々生駅━織田駅間が開業。
1929年(昭和4年)には鯖江駅━東鯖江駅間が延伸開業しています。

織田駅から越前海岸の四ヶ浦まで延伸する計画でしたが
計画は難航し、織田駅から先はバス路線として定着します。


しかしいわゆるモータリゼーションによって経営は悪化。
国鉄北陸本線の拡張によって鯖江駅━水落駅間が廃止され
起点が新・水落駅となったことで路線へのアクセスが悪化。
これを皮切りとして路線の乗客減少は止まらず
1973年(昭和48年)に全線が廃止となっています。



福井鉄道鯖浦線01
こちらはJR西日本の北陸本線の鯖江駅です。
福井鉄道鯖浦線02
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の計2面3線の駅であり、
特急列車は「しらさぎ」全列車と「サンダーバード」の一部が停車するという駅です。
1896年(明治29年)に開業した駅で、
鯖浦線としては1926年(大正15年)に鯖浦電気鉄道線として開業。
1962年(昭和37年)の鯖浦線廃止まで起点駅となっていました。

鯖浦線は現在のJR鯖浦駅の1番線ホームの反対側を使っていた、
とも言われており、この西側にある駅舎出口の北側付近が
かつての鯖浦線の鯖江駅だった様子です。



福井鉄道鯖浦線03
こちらは鯖江駅から北に0.4kmほど北陸本線に沿って進んだ場所で、
国道417号線が北陸本線をオメガループの跨線橋で越えている地点です。
この付近がかつての鯖浦線の東鯖江駅の跡地となります。
福井鉄道鯖浦線04
写真は国道のオメガループの内側ですが、
実際の東鯖江駅は過去の資料などから推測すると
どうやらオメガループの北側、写真の奥のあたりにあった様です。
駅メモでの東鯖江駅の座標もここに設定されています。

1962年(昭和37年)に当時の国鉄の北陸本線が
複線化と電化の為に拡張をする事となり、
その結果鯖浦線の用地がいわば侵食を受ける形となって廃止になりました。
ですので鯖浦線の跡地も現在は全く原型を留めていません。



福井鉄道鯖浦線06
こちらは国道4174号線の鯖江郵便局口交差点付近の陸橋の光景です。
1926年(大正15年)に鯖浦線の前身の鯖浦電気鉄道が開業し、
北陸本線の拡張計画に伴って1959年(昭和34年)に移設されるまで
この陸橋の写真右側付近に鯖浦線の神明駅と福武線の水落駅がありました。
営業していた当時は、今も残る福武線の線路を
鯖浦線が立体交差で直角に潜っていたそうです。
福井鉄道鯖浦線05
こちらは陸橋と並行して走る福武線の線路脇に残る、
移設前の福武線水落駅の構内複線跡の遺構です。

福井鉄道鯖浦線07
そしてこちらが移設された後の水落駅。
現在も福井鉄道福武線の駅として使用されている駅です。 福井鉄道鯖浦線08
駅が移設された1959年(昭和34年)は、
この現・水落駅から鯖浦線の水落信号所までの連絡線が作られた年でもあります。
それまで鯖浦駅━織田駅間だった鯖浦線が、国鉄北陸本線の拡張によって
水落駅━織田駅間となったのがこの年です。

上の写真は水落駅のホーム南端の光景で、
右手に見えるのが国道417号の陸橋であり
線路沿いに国道を潜っている道がかつての連絡線跡だそうです。
国道417号の制定は1982年(昭和57年)ですから
鯖浦線の連絡線のできた1959年(昭和34年)には陸橋は無かったことでしょう。
陸橋の向こう側がかつての水落信号所で、連絡線は信号所から鯖浦線に合流します。

以上が鯖浦線の水落駅についてですが、
駅メモの廃線「福井鉄道鯖浦線」にはこの水落駅は登録されておらず、
現役の福井鉄道福武線の駅として登録
されています。


水落信号所跡地からは鯖浦線は東に一直線に伸びていました。
現在も廃線跡の道路が同様に一直線に伸びており、
500mほど進むと廃線跡はサイクリングロードに姿を変えます。
福井鉄道鯖浦線09
こちらはそのサイクリングロードが日野川を渡河する地点に架かっている
その名も平成橋という名の歩道橋です。
かつて鯖浦線が走っていた当時の鉄道橋から、
現在の自転車も渡れる歩行者橋へと架け替えられていました。
福井鉄道鯖浦線10
川を渡った後も東に伸びるサイクリングロード。
福井鉄道鯖浦線11
橋から500mほど進むとサイクリングロードの脇が公園の様に
整備されている場所へとたどり着きます。


福井鉄道鯖浦線12
ここがかつての鯖浦線の越前平井駅の跡地となります。
駅の読み仮名は「えちぜんへいい」でしたが、
この場所の地名は「ひらい」ですので、駅跡の公園の駅名標も「ひらい」となっています。

越前平井駅は1926年(大正15年)の鯖浦電気鉄道の開業によって設置された駅で、
福井鉄道鯖浦線の駅となった後に1973年(昭和48年)の鯖浦線廃止に伴って駅も廃止されました。
福井鉄道鯖浦線13
営業当時の駅は相対式2面2線の駅だったそうです。
現在サイクリングロードの片側に残っているのは当時のホームの遺構であり、
ホーム上の樹木も営業当時の写真と比べるとそのまま残されている様です。

ホームと道を挟んだ反対側には平井児童センターがあって遊具などが置かれていますが
センターのある場所がかつての駅舎ともう1線のホームのあった場所です。
福井鉄道鯖浦線14
(画像をクリックすると拡大します)
こちらは広場の駅名標の下に書かれた鯖浦線の由来について。


福井鉄道鯖浦線15
鯖浦線跡地を転用したサイクリングロードはまだまだ続きます。
元々が線路用地だっただけに、途中では道路の横に道路が並走するという
なかなか奇妙な区間があったりします。
福井鉄道鯖浦線16
そして越前平井駅跡からおよそ1.7kmほど東にサイクリングロードを進むと
県道189号線と合流する手前付近の道の傍らに
三角形の小さな公園が見えてきます。

福井鉄道鯖浦線17
この公園こそがかつての川去駅の跡地です。
この案内板の横に、かつては駅名標を模した「かわさり」の看板があったそうですが
現在は撤去されて無くなってしまっています

公園の前の歩道の部分がかつての線路のあった場所だそうです。

川去駅も1926年(大正15年)の鯖浦線開業でできた駅で、
1973年(昭和48年)の鯖浦線廃止と共に消えた駅です。
福井鉄道鯖浦線18
この屋根のある付近前後がかつての駅ホームのあたりです。
営業時は相対式2面2線の駅だったそうですから
歩道を挟んだ反対側の、現在の車道のあたりにもホームがあったと思われます。
福井鉄道鯖浦線19
公園の北側に回りこんだ光景。
この公園の正面から北に伸びる道がかつての駅前通りだった様です。
公園のベンチの上は藤棚になっており、シーズンには紫色の美しい光景だそうです。



川去駅跡から、廃線跡である県道脇のサイクリングロードを西に進むと
すぐに遊歩道は北西へとカーブを描いて県道から離れていきます。
遊歩道は川までで途切れていますが、
かつての鯖浦線は川を渡ってさらにまっすぐ伸びていました。

福井鉄道鯖浦線20
こちらは越前町役場から南東に150mほどの場所にある
福井鉄道の西田中バスターミナル付近の光景です。
福井鉄道鯖浦線201
福井鉄道バスの他に京福バス、
越前町コミュニティバスが発着をするバスターミナルですが、
ここがかつての鯖浦線の西田中駅の跡地となります。

他の駅同様に鯖浦線開通の1926年(大正15年)に開設されて
路線廃止の1973年(昭和48年)に廃駅となった駅ですが、
営業当時は相対式2面2線のホームの駅だったそうです。
福井鉄道鯖浦線22
ターミナルの前の道は南北に走っていますが、
鯖浦線の線路はこのターミナルの場所を東西に走っていたそうなので
ちょうど道路とは直角に線路が通っていたことになります。
福井鉄道鯖浦線23
こちらがバスターミナルの待合の建物。
建物横にある桜の木は、かつてホームにあった木がそのまま残されているそうです。
この西田中駅跡近辺は、路線廃止後に区画整理が行われていて
鯖浦線の跡や遺構はほとんど残っていない状態
です。
ですのでターミナルの桜の木は貴重な遺構と言えるでしょう。
福井鉄道鯖浦線24
待合の南側にあるバスの転回場。


西田中駅後を過ぎると、かつての鯖浦線は南へと大きくカーブを描きます。
そして線路は県道187号線を合流するように沿って南下します。
福井鉄道鯖浦線25
2kmほど県道を南下すると、ご覧の県道が山を削った地点に差し掛かります。
県道ひ左を並行して走っている道が鯖浦線の廃線跡となります。
福井鉄道鯖浦線26
廃線跡の道が県道からY字に分離してすぐに、
正面に家があって道はクランク状に左に逸れます。
鯖浦線の廃線跡は左に逸れた道ではなく、
正面の家のある場所が線路の場所でした。
福井鉄道鯖浦線27
鯖浦線の廃線跡を進みます。
廃線跡は道路では無く、道路の右の家の場所や草むらとなります。
福井鉄道鯖浦線28
そして道を進むと、廃線跡とおぼしき場所が
だんだんと築堤状に小高くなり、
木の付近にはなにやらコンクリートの構造物が現れます。
福井鉄道鯖浦線29
木の場所を登ってみると、
ご覧の通り相対式2面のホームがほぼそのまま残っていました。
この場所がかつての鯖浦線の佐々生駅の跡地となります。
1926年(大正15年)に鯖浦線開業時に開設された駅で、
およそ2年にわたって鯖浦線の終着駅でした。
また鯖浦線は1973年(昭和48年)の廃止でしたが
先駆けて1972年(昭和47年)に西田中駅━織田駅間が廃止となっており、
佐々生駅も全線廃止の前年の1972年に廃駅となっています。

廃線から50年近くたった現在では、
他の駅が跡形もなくなっている状態でしたので
まさかほぼ原型を留めた駅があるとは思いませんでした。



そして佐々生駅からは鯖浦線跡は
県道187号線とほぼ同じルートを辿って南下します。
2kmほど南下すると県道189号線と交わる岩開交差点がありますが、
この交差点の近くに次の駅がありました。
福井鉄道鯖浦線30
岩開交差点近くの県道187号線から見える
陶の谷駅跡付近の様子。
福井鉄道鯖浦線31
こちらは寺交差点から県道104号線を東に曲がってすぐの場所にある
福鉄バスの陶の谷バス停です。
福井鉄道鯖浦線32
バス停と寺交差点との間にある、こちらの横道が
陶の谷駅跡へと通じる道となっており、
消防団の倉庫の向こう側に線路とホームが残されています。
福井鉄道鯖浦線33
こちらが陶の谷駅の駅跡となります。
1928年(昭和3年)に鯖浦電気鉄道が佐々生駅━織田駅間が延伸した際に開業した駅で、
1972年(昭和47年)の西田中駅━織田駅間廃止に伴って廃駅となりました。
福井鉄道鯖浦線34
こちらは保存されている駅跡に立っている、
旧宮崎村の教育委員会の説明の看板です。
宮崎村は現在は越前町となっています。
福井鉄道鯖浦線37
そして廃駅跡に敷かれた石畳を良く見てみると。
福井鉄道鯖浦線36
見ての通り、鯖浦線の駅名のタイルが埋め込まれていました。
福井鉄道鯖浦線35
こちらは整備された駅跡の横の廃線跡に建てられた
越前町宮崎農村改善サブセンターの建物です。



陶の谷駅跡からは県道104号線に沿って鯖浦線は進みます。
福井鉄道鯖浦線38
こちらは駅間の県道の中央にある「長谷千足杉」で、
写真左側が廃線跡となるそうです。


福井鉄道鯖浦線39
こちらは陶の谷駅跡からおよそ2.5kmほど県道104号線を西に進んだ付近にある、
福鉄バスの新樫津バス停です。
このバス停のすぐ東で国道365号線が県道と合流しており、
バス停前は国道となっています。
福井鉄道鯖浦線40
バス停の目の前の、製材所の前を通り国道を進むと。
福井鉄道鯖浦線41
国道と製材所の敷地が不自然に離れ始め、
細長い空き地が姿を現します。
福井鉄道鯖浦線42
さらに進むと右手に消防団の倉庫があります。
駅の遺構は全く残っておらず諸説あるのですが
どうやらこの消防団の倉庫は樫津駅の跡地に建てられた様です。
福井鉄道鯖浦線43
反対方向からみた消防団倉庫付近。
三角地となっている敷地や、目の前の細い空き地、町の施設があるなど
廃駅跡としての雰囲気は十分にあると思います。
営業当時の写真や資料を見ても概ねこの付近で間違いはなさそうです。

駅は1928年(昭和3年)に開設された相対式2面2線ホームを持っていたそうで
1972年(昭和47年)にこの区間が廃止されたのに伴って廃駅となっています。
福井鉄道鯖浦線44
駅跡と思われる場所の向かいには
町営の物産館があります。



福井鉄道鯖浦線45
そして鯖浦線の廃線跡は国道365号線と並走するように進みます。


福井鉄道鯖浦線47
樫津駅跡から1km少々国道を進んだ、
宮崎総合事務所前交差点の手前付近の光景。
ここに福鉄バスの下江波バス停があります。
福井鉄道鯖浦線48
国道の北側の、バス停の目の前には駐在所がありますが、
駐在所から交差点にかけてご覧の通り細長くスペースが空いているのが分かります。
遺構らしきものは全く残っていないので諸説あるのですが
このあたりがかつての鯖浦線の下江波駅の跡地の様です。

こちらの駅も1928年(昭和3年)開業、1972年(昭和47年)廃駅となっています。
福井鉄道鯖浦線49
こちらは駅跡から国道を挟んだ斜向かいにある、
交差点名の由来でもある越前町宮崎コミュニティセンター。



福井鉄道鯖浦線50
鯖浦線の廃線跡は引き続き国道に沿って進みます。
こちらはその途中にある福鉄バスの江波バス停。
鯖浦線には下江波、江波の駅がありましたが
こちらのバス停は特にどちらの駅跡でもありません。


福井鉄道鯖浦線51
そしてこちらは国道365号線が右に大きくカーブを描くあたりで
左手には越前陶芸村があります。
福井鉄道鯖浦線52
和菓子屋の前を通過すると。
福井鉄道鯖浦線53
福鉄バスの陶芸村口バス停があります。
すでに駅の痕跡は全く残っていない状態なのですが
位置的にはこのバス停付近が江波駅の跡となるそうです。

1928年(昭和3年)開業、1972年(昭和47年)廃業のこの駅は
相対式2面2線の駅だったそうですが痕跡は見当たりません。



江波駅跡から国道365号線をさらに進み北上し、
1.5kmほど進むと下河原交差点に差し掛かります。
福井鉄道鯖浦線54
こちらは下河原交差点の南側の光景。
「織田信長一族発祥の地 織田へ」の看板が立っています。
福井鉄道鯖浦線55
看板から交差点にかけては、
田んぼと国道の間に空き地があり、営業をやめた飲食店の跡があります。
この付近が鯖浦線の矢倉駅跡らしく、どうやらこの空き地のあたりが駅跡の様です。

矢倉駅は1948年(昭和23年)に鯖浦線の新設駅として開業したものの、
1972年(昭和47年)の西田中駅━織田駅間の廃止に伴って廃駅となっています。
単式ホーム1面1線の棒線駅だったようです。
福井鉄道鯖浦線56
切り返して見た矢倉駅跡と思われる付近。
駅や廃線跡の痕跡は全く残されていません。
福井鉄道鯖浦線57
駅跡に近い下河原交差点付近の光景。



福井鉄道鯖浦線58
矢倉駅跡から廃線跡は引き続き国道365号線を北上しますが、
駅跡からすぐに川を渡ります。
こちらはその川に架かる国道365号線の「くにと橋」。


福井鉄道鯖浦線59
下河原交差点から国道365号線を1km少々北上すると
劔神社東交差点となります。
この付近がかつての鯖浦線の終点であった織田駅の跡地となります。
福井鉄道鯖浦線60
ご覧の通りこの付近の国道365号線には「信長通り」の名前がついています。
信長通りは旧矢倉駅跡の下河原交差点から旧織田駅跡を通過し、
国道417号線と合流する織田北交差点までの範囲となっています。
福井鉄道鯖浦線61
こちらは交差点の一角にある織田バスターミナルです。
鳥居を模した建物は元々観光物産館でしたが
2004年(平成16年)以降は営業をしていません。
以後は1階部分のバスターミナルのみが使用されています。
福井鉄道鯖浦線62
バスターミナルの前の交差点を見据える織田信長像。
・・・写真が見切れてしまいましたが。
福井鉄道鯖浦線63
営業当時の写真などを見ると、
どうやら鳥居のバスターミナルの建物辺りが駅舎だった様子で、
ちょうど信長通りに直角に道を塞ぐように建っていた様です。
そしてその奥の交差点の方へホームがあった様です。
福井鉄道鯖浦線64
1928年(昭和3年)に鯖浦電気鉄道の鯖浦線の終着駅として開業した織田駅は、
西田中駅━織田駅間の廃止に伴ない1972年(昭和47年)に廃駅になっています。
頭端式ホーム2面3線の駅だったそうですが、
廃止直前のホームの写真を見ると相対式2面2線に見えます。

ところで鯖浦線の「鯖」は起点の鯖江駅が由来ですが、
「浦」はいったいどこから取ったのでしょうか。
構想としては織田駅から西へ向かって越前海岸の四ヶ浦まで
鯖浦線を敷設する計画だった
そうで、「浦」は四ヶ浦の事だと言われています。

また、終点の織田とは信長通りや旧駅前の信長像からも分かる通り
織田信長の織田が由来であり、この地は織田一族の発祥の地だそうです。



福井鉄道鯖浦線65
こちらは鯖浦線の駅跡の、au 4G LTEにおける電波エリアマップです。
山間部を通る路線ではありますが、
かつて路線のあった区域はほぼ全線が電波エリア圏内となっています。
ですので駅へのアクセスに問題は出ないでしょう。



そして鯖浦線をレーダーなどのアイテムで取る方法ですが、
結論から先に言うとありません

鯖浦線の起点である鯖江駅から旧東鯖江駅、水落駅までは
JR北陸本線や福井鉄道福武線と鯖浦線は並走しています。
ですがその先は鯖浦線は海岸へ向かって垂直に西へと伸びる
盲腸線の形となっており、付近に他の路線はありません。

ですので既存の北陸本線や福井鉄道福武線などからは
なつめのスキルを使ってレーダーを飛ばしても旧川去駅あたりまで届くのがせいぜいであり、
西田中駅より奥の8駅には届かないのです。

鯖浦線の路線でいうと、旧陶の谷駅まで来てやっと旧織田駅が射程12で届きます。
レーダーで取る場合は別に廃線跡を通る必要はありませんが、
少なくとも旧陶の谷駅の座標よりは西に出るくらいでないと
終点の旧織田駅までは届かない
でしょう。


すると鯖浦線をコンプリートするには鉄道以外の方法で、
少なくとも旧陶の谷駅までは近づく必要があるということになります。

鯖浦線を運営していた福井鉄道では、
廃止後も「鯖浦線」という路線バスを運行
しています。
名前の通り鉄道の鯖浦線の代替バス路線なのですが、
バスの起点は鯖江駅ではなく福井鉄道福武線の神明駅となっています。

ですので旧西田中駅━旧織田駅間はほぼ鯖浦線の廃線跡をバスが走っており、
また旧越前平井駅、旧川去駅に関しても駅のエリアを通りますので
代替バスで直接のチェックインが可能となっています。
(旧東鯖江駅に関してはバスは通らないので注意。
ほぼJR北陸本線上に駅跡はあるので別の方法での取得は容易です。)

福井鉄道鯖浦線66
(クリックで画像が拡大します)
しかし上は代替バスの鯖浦線の下り織田方面の時刻表ですが、
ご覧の通り平日5本、休日10本という運行本数となっています。
基本的に織田周辺の住民が鯖江方面へと出るための路線なので、
鯖江側から乗る我々はかなりの時間ロスとなります。
バス利用の場合は一日が潰れる覚悟が必要と思われます。


他に鉄道以外の方法としてはレンタサイクルという手段があります。
鯖江市では、鯖江駅前の観光案内所と道の駅西山公園(福井鉄道の西鯖江駅の目の前)で
電動アシスト自転車を各5台用意してあります。
一日500円という安価で借りれるので、
こちらを使って旧陶の谷駅までの往復であれば
体力などにもよりますが1~2時間程度で戻れる
でしょう。
その場合は旧陶の谷駅跡からレーダーを飛ばす事になりますが。

注意点としては、まず鯖浦線は旧西田中駅あたりまでが平坦で、
その先は山間の登坂となります。
またレンタサイクルの貸し出しは9時(鯖江駅では10時)~16時までとなっていること、
悪天候の場合貸し出しを見合わせることがあること、
そして安全のため冬期(12月~2月末)の貸し出しは中止している点でしょう。



今回の福井鉄道鯖浦線は、既存営業路線からのレーダーでの取得が出来ない事から
駅メモの廃線の中では取りづらく難易度の高い路線です。
雪の北陸地方ですから冬季の取得はさらに難易度が上がり、
県外の人間の取得は実質的に困難だと思います。
ですので攻略には計画が必要だと思いますので
その点にご留意ください。


では。

鍛冶屋原線00
さて、お次は国鉄鍛冶屋原線です。


「国鉄」という表記でも分かる通り、こちらは旧国鉄時代に廃線となった路線です。
四国の徳島県板野郡の板野駅から鍛冶屋原駅までの6.9kmを走っていた盲腸線でした。


鍛冶屋原線01
こちらはJR四国の高徳線の板野駅の駅舎です。
板野駅は1923年(大正12年)に阿波電気軌道の阿波大寺駅として開業した駅で、
この時に鍛冶屋原駅までが開通しており、
鍛冶屋原線の原型となっています。

10年後の1933年(昭和8年)には国有化され板西駅と改称。
1935年(昭和10年)には高徳線が全通し、
この板野駅から鍛冶屋原駅までの区間が新たに「鍛冶屋原線」となりました。
鍛冶屋原線02
駅の中に入ると駅舎の前にはかつて使われていた構内踏切が。
現在はご覧の様に柵で入れなくなっており、
代わりに跨線橋が設けられています。
鍛冶屋原線03
ホームから見た跨線橋。
駅舎と二つの島式ホームを連絡しています。
鍛冶屋原線04
こちらが島式の1、2番線ホーム。
1番線は徳島方面の上り線で、
高松方面の下りは2番線となります。
鍛冶屋原線05
そしてこちらが3番線ホーム。
こちらのホームも下り線ホームとして現役で使用されています。
かつては島式2面だった様子ですが、現在では線路も外され柵がされて
単式1面のホームとして使用されています。
鍛冶屋原線06
跨線橋から見た駅構内の様子です。
右から1、2番線ホーム、3番線ホーム、そして側線がありその左側に
若干敷地に余裕があるのが分かります。
この空き地に、かつての鍛冶屋原線の島式ホームがありました。
駅の開設から1972年(昭和47年)の鍛冶屋原線廃止まで
この場所で列車が発着していた訳です。
鍛冶屋原線07
鍛冶屋原線板野駅の跡地。
現在は保線の留置線と空き地となっています。
鍛冶屋原線08
そしてホームの跡地の先に、
赤矢印で示した左カーブの道が県道12号鳴門池田線(撫養街道)で、
この道はかつての鍛冶屋原線の線路跡を転用した県道となります。
鍛冶屋原線09
ちょうど赤矢印の下あたりの県道沿いには
国鉄鍛冶屋原線の代替バスとして走っている
徳島バス鍛冶屋原線の板野駅南バス停があります。

バスで鍛冶屋原線を攻略する場合はここから乗ることになるのですが、
JR板野駅は北口しかなく、バス停は駅の南にあるので
列車からバスへの乗り換えには大きく迂回をしなければなりません。
鍛冶屋原線10
駅舎の出口を出て、駅駐車場に沿って西に100mほど進むと
高徳線の線路を潜る地下道があります。
鍛冶屋原線11
こちらがその地下道の入口。
これで道が合っているのか、非常に不安になるルックスですが、
反対側には先ほどの徳島バスのバス停がちゃんとあります。
鍛冶屋原線12
起点である板野駅からは基本的にずっと、
廃線跡は道路に転用されています。



鍛冶屋原線13
板野駅から県道12号線(撫養街道)を西に1.3kmほど進んだ付近です。
この先にかつての鍛冶屋原線の犬伏駅がありました。
鍛冶屋原線14
こちらは板野町によって建てられた「犬伏コミュニティハウス」という
町立の集会場で、この場所がかつての犬伏駅の跡地となります。
町の資料によると建てられたのは1983年(昭和58年)とのことですから
廃線後11年して建てられたということになります。
敷地には駅跡を示す石碑が建っていました。
この石碑は1998年(平成10年)に板野町によって建てられたそうです。
鍛冶屋原線15
コミュニティハウスの敷地の周囲を巡ってみると
単線であった線路(県道)に沿って三角形の敷地が
いかにも駅の跡地であったことを物語っていました。
鍛冶屋原線16
駅跡であるコミュニティハウスの西隣はご覧のコンビニがあり、
コンビニの目の前が徳島バスの犬伏バス停となっています。


鍛冶屋原線39
旧犬伏駅から西へすこし進むと
ご覧の徳島自動車道を県道が潜ります。
1994年(平成6年)開通の徳島自動車道は当然鍛冶屋原線があった時には存在せず、
廃線となり県道となってから高速道路が上を通りました。
鍛冶屋原線40
廃線跡である県道を走る、代替バスの徳島バス。



鍛冶屋原線17
そして旧犬伏駅跡から2.0kmほど県道を進んだ地点が
次の羅漢駅の跡地付近となります。
鍛冶屋原線18
さらに県道を進むと徳島バスの羅漢バス停があり、
コンビニの向かい付近がかつての羅漢駅の跡地となります。
鍛冶屋原線19
道の向こう側の写真の付近がかつての駅跡です。
鍛冶屋原線20
羅漢バス停から見た駅跡付近。
鍛冶屋原線21
バス停のすぐ隣にあるこちらの「羅漢老人憩の家」という
板野町の老人福祉施設の敷地の角に、ごらんの通り羅漢駅の駅跡の石碑があります。
鍛冶屋原線22
駅跡付近は県道の交差点となっており、
ちょっと逆光で見づらいですが向かいにはコンビニがあります。
鍛冶屋原線23
斜向かいには板野西部消防組合消防署が。
鍛冶屋原線24
消防署の向かいには羅漢郵便局があります。
鍛冶屋原線25
そして郵便局の前の道は
ご覧の通り県道に並行して町道が走るという不思議な光景となっています。
しかし県道はかつての鍛冶屋原線の線路であったこと、
ここに駅があったことを考えると
この町道は線路沿いの駅前の道だったことが分かります。
鍛冶屋原線41
旧羅漢駅付近でも代替の徳島バスとすれ違い。


鍛冶屋原線42
廃線跡を次の駅へと、県道を進みます。



鍛冶屋原線26
旧羅漢駅跡から県道12号線(撫養街道)を1.7km進むと
ご覧の光景に。
鍛冶屋原線27
少し進むとこちらのT字路となりますが、
このT字路の付近がかつての神宅駅の跡地となります。
鍛冶屋原線28
駅跡の一角はご覧の三角形の公園となっており、
その前には徳島バスの神宅バス停が設けられています。
鍛冶屋原線29
そしてT字路の交差点の、公園の反対側の一角には
上板町老人集会所が設けられています。
鍛冶屋原線の廃止は1972年(昭和47年)ですが、
この老人集会所の設置条例が上板町で1973年(昭和48年)に制定されていますので
駅廃止後すぐに跡地に集会所が作られた様です。
この集会所も駅の跡地であり、
ご覧の通り駅跡を示す記念の石碑が設けられています。
鍛冶屋原線30
当時の写真を参考にすると、およそご覧のような位置に
駅舎とホームがあった様子です。



鍛冶屋原線31
起点の板野駅からずっと県道12号線(撫養街道)を廃線跡として進んできましたが、
ご覧のY字路で県道から廃線跡が逸れることとなります。
鍛冶屋原線32
廃線跡の町道を進むと上板町役場の前を通過。
役場の落成は1982年(昭和57年)だそうですので
鍛冶屋原線が廃線となった後に役場が移転してきた様です。


鍛冶屋原線33
そして町道を進み、上板郵便局を過ぎると
鍛冶屋原線の終点が見えてきます。
鍛冶屋原線34
写真の付近から奥にかけて、道路の左手が
かつての鍛冶屋原駅の駅構内の跡となります。
写真の左手前は上板町商工会館。
鍛冶屋原線35
そして商工会館の奥の、
上板町ITセンターと阿波銀行上板支店の敷地の間の時計の台座の奥に、
鍛冶屋原駅の駅跡を示す石碑が置かれています。
鍛冶屋原線36
阿波銀行のさらに奥の並びは駐在所となっており、
銀行から駐在所にかけてのあたりに駅舎があった様です。
鍛冶屋原線37
切り替えして東側を向いた旧鍛冶屋原駅前付近の光景です。
鍛冶屋原線43
かつての駅舎の位置から外側を見ると
なんとなく終着駅の駅前という雰囲気を感じるのは気のせいでしょうか。
鍛冶屋原線38
旧駅前に設置された徳島バスの鍛冶屋原バス停。
以前はJR四国バスのターミナルが鍛冶屋原にあったそうですが
いまはこのバス停のみとなっています。



以上で旧国鉄鍛冶屋原線の全駅となります。
全長が6.9kmという短い盲腸線ですので、散策しながらの徒歩でも
1時間半程度で終点まで歩けました。
鍛冶屋原線44
(画像をクリックすると拡大します)
こちらは鍛冶屋原バス停の板野方面の時刻表です。
廃線跡を歩いていても20~30分間隔でバスとすれ違いましたので
思ったよりは代替バスの本数はある様です。
鍛冶屋原線45
鍛冶屋原バス停から板野駅南バス停までの帰りは
代替の徳島バスに乗車しましたが、
運賃330円で所要時間15分ほどで到着してしまいました。
鍛冶屋原線46
こちらは旧鍛冶屋原線の区間の
au 4G LTEによる電波エリアマップです。
市街地で電波状況は良好ですのでアクセスに困る事は無いでしょう。


鍛冶屋原線47
そしてこちらは鍛冶屋原線の起点である
JR高徳線の板野駅からのレーダー射程です。
ご覧の通り犬伏駅から神宅駅までレーダーが届いています。
こちらの画像では終点の鍛冶屋原駅が届いていませんが、
位置によっては板野駅から射程12で鍛冶屋原駅が届く様です。
なつめのスキルを使って射程14なら確実でしょう。

鍛冶屋原線48
そしてこちらは板野駅からJR高徳線で高松方面へ3駅目の
引田駅からのレーダーの射程です。
ご覧の通り、鍛冶屋原線の全5駅が
射程11で入っている
のが分かると思います。
つまりJR高徳線に乗車している間に引田駅でレーダーを使えば
鍛冶屋原線は乗らずにコンプが可能
だということです。

鍛冶屋原駅についてはJR徳島線の石井駅━牛島駅間でレーダーで届く事が
Wikiなどで紹介されていますが、
別路線でわざわざ取るよりは、同じ高徳線一本で済むこちらの方が楽だと思います。



しかしできれば、バスで手軽に終点まで行けますので
廃線めぐりを楽しんで見てほしいなどと思う次第で。

では。

倉吉線64
倉吉線はかつて鳥取県倉吉市を走っていた国鉄の路線です。
1912年(明治45年)に倉吉軽便線として
上井駅(現在の倉吉駅)━倉吉駅(打吹駅)間が開業したのが始まりです。

1922年(大正11年)に改正された鉄道敷設法では
第89号で「岡山県勝山ヨリ鳥取県倉吉ニ至ル鉄道」と定められて
正式に国の計画路線となりました。
これによって倉吉駅から、現在の姫新線の中国勝山駅までが予定線となります。

1941年(昭和16年)には関金駅まで延伸、
そして1958年(昭和33年)には山守駅まで延伸して
「国鉄倉吉線」として営業していた区間の全線が開業しています。

そして国鉄の経営悪化によって1980年(昭和55年)に国鉄再建法が制定。
倉吉線は第1次廃止対象特定地方交通線に選定され真っ先に廃止整理対象となります。
その結果1985年(昭和60年)に倉吉線は廃止され、
中国勝山駅までの延伸は叶わず73年の歴史にピリオドが打たれたのです。



倉吉線01
こちらはJR倉吉駅の駅舎の外観です。
1903年(明治36年)開業という歴史のある駅で、
山陰本線の駅として全ての特急が停車する駅です。
智頭急行の特急スーパーはくとはこの駅を始発駅としています。
現在の駅舎は2011年(平成23年)に橋上駅舎化がされ改築されたものです。

1912年(明治45年)に駅名を上井駅と改名した後に倉吉軽便線が開業。
以後廃止に至るまで倉吉線の起点駅となっていました。
倉吉線02
こちらは現在の倉吉駅3番線ホーム。
単式ホームであることからも分かる通り、
橋上駅舎に改築される前は駅舎側の1番線として使われていたホームです。
倉吉線03
その旧1番線である現3番線の、鳥取方面側の東側には
ご覧のモニュメントが設置されています。
倉吉線04
ここにはかつて倉吉駅の跨線橋があり、
この場所がちょうど1番ホームの跨線橋の階段前でした。
倉吉線05
そしてモニュメントの東側の写真のあたりが
かつて1番線ホームを切り欠いて作られていた
倉吉線の5番線ホームがあった場所となります。
倉吉線06
倉吉駅の駅舎東側にある駅よこプラザの前にある
バスターミナルがかつての倉吉線の跡であり、
ここから東に向かった倉吉線が大きく南へカーブを描いて
南方へと伸びていました。



倉吉線07
こちらは天神川の西岸にある国道179号線の見日町東交差点です。
かつてここを倉吉線が走っていました。
倉吉線08
交差点のすぐ西には天神側の支流の玉川が流れており、
倉吉線の新玉川橋梁の橋台が残っているのが見られます。
倉吉線09
川を渡った先の倉吉線跡は整備されて
「緑の彫刻プロムナード」という市の遊歩道となっています。
倉吉線10
川から遊歩道を200mほど進むとモニュメントが。

倉吉線11
このモニュメントがある場所が、
かつて倉吉線の上灘駅のあった場所となります。
上灘駅は1912年(大正元年)に倉吉軽便線開通の4ヵ月後に設けられた駅で、
単式ホーム1面1線と小さな駅舎を持つ駅だったそうです。
倉吉線12
こちらは市道沿いにある上灘駅跡を示す石の標柱。です。
倉吉線13
標柱から市道を北に見ると、
写真中央付近を倉吉線が通っていたので踏切があったはずです。
その北の信号は県道の見日町交差点です。
倉吉線14
市道の踏切跡を旧線の遊歩道から。
倉吉線15
石碑の後ろ、市道の西側にはかつての駅前広場とおぼしきスペースがあります。
倉吉線16
こちらは駅跡に設けられた「上灘コンフォートステーション」という
公衆トイレの設けられた建物です。
倉吉線17
残された写真などから推測すると
おおよそご覧の様な感じで駅舎とホームがあった様です。



倉吉線18
こちらは県道161号線の明治町二丁目交差点。
倉吉線19
交差点角の交番の裏に蒸気機関車のC11-75が留置されているのが見えます。
倉吉線20
SLの前の市道から南方を見た光景です。
ここにかつての打吹駅がありました。
1912年(明治45年)の倉吉軽便線開業時に終点として開業した駅であり、
倉吉線開業後は倉吉駅を名乗った倉吉市の中心駅で
単式1面1線と島式1面2線のホームが線路南側にありました。

駅舎は単式ホームに面して
南方に伸びる駅前通りを正面に見据えてあったそうですので
おおよそご覧の感じで駅があったと推測されます。

駅舎より写真手前側の市道は、駅の廃止後に駅前通りを延伸したものだそうで
営業当時には無かった道となります。
倉吉線21
市道を横から。遊歩道が倉吉線の廃線跡ですから
このあたりに市道を跨ぐように駅構内の敷地がありました。
ホーム3線に引き上げ線があったそうですからかなり広かったはずで、
現在は公園となっているスペースを見てもその広さが推測できます。
倉吉線22
駅構内だった市道東側の場所の広場にはモニュメントが。
この付近も「緑の彫刻プロムナード」の一部として整理されています。
倉吉線23
広場の南東には倉吉線鉄道記念館が。
倉吉線24
中には倉吉線の歴史展示がされており、
入場料無料で見学ができます。



倉吉線25
こちらは倉吉市西倉吉町にある「ロードステーションにしくら」です。
廃線跡地に公園とトイレが設けられています。
そしてこの場所が倉吉線の西倉吉駅の跡地となります。
西倉吉駅は1941年(昭和16年)に倉吉線が延伸された際に開設された駅で、
島式ホーム1面2線と貨物用ホームを持つ駅でした。
倉吉線26
そしてトイレの建物の裏手にはご覧の通り、
ホームと線路が一部残されています。
倉吉線27
残っているのは単式ホームで、駅舎がご覧のあたりにあった様です。
右側の道は県道501号倉吉東郷自転車道線という県道で、
倉吉線の廃線跡を利用している道路です。
かつてはこの県道の場所に島式ホームがあったそうですが
道路の拡張工事によって撤去されました。
倉吉線28
残された線路の先端の場所には
「花と緑のふれあいロード」の案内看板があります。
県道501号線としては書類上はこの駅跡の前後にも続いているのですが、
「廃線跡に作られた遊歩道」としてはこの西倉吉駅跡が起点となります。



倉吉線29
こちらは国道313号線から遊歩道へと通じる道ですが、
この道がかつての駅への道でした。
倉吉線31
ここに「ロードステーションおがも」が設けられており、
かつての小鴨駅の跡地となります。
小鴨駅も1941年(昭和16年)に倉吉線が関金駅まで延伸した際に設けられました。
倉吉線30
単式1面1線の棒線駅で、かつては駅舎があったらしいですが
廃止時にはご覧の様な感じでホームに簡単な待合があるのみでした。
倉吉線32
駅前のスペースにある案内板。
西倉吉駅から続く遊歩道「花と緑のふれあいロード」の
ほぼ中間地点にあたります。
倉吉線33
旧小鴨駅付近の、廃線跡である遊歩道の様子です。
倉吉線34
周辺は一面の田んぼが広がっています。



倉吉線37
こちらは国道313号線からかつての上小鴨駅へと通じていた道路。
駅跡を背に撮ったこの写真から200mほどで国道へと連絡しています。
倉吉線35
振り返って駅跡付近の様子。
ご覧の場所にかつては駅舎がありました。
この駅も1941年(昭和16年)の関金駅までの延伸で開設されたもので、
単式ホーム1面1線の棒線駅だったそうです。
倉吉線36
駅跡には「ロードステーションかみおがも」が設けられ、
公園とトイレが設置されています。
倉吉線38
倉吉線の廃線跡に作られた遊歩道「花と緑のふれあいロード」も
この駅跡の先で終点となっています。
倉吉線39
廃線跡である遊歩道の、ホームのあったあたりの様子。
倉吉線40
駅跡から西に100mほど進むと遊歩道は
国道313号線と合流して終点となっています。
倉吉線41
県道である遊歩道の入口にはご覧の表示が。



倉吉線42
こちらは倉吉市関金町付近の県道45号線。
倉吉線43
この場所から、いかにも駅前商店街といった趣きの道が
県道から分かれて伸びています。
ちなみにこの付近の地名は「倉吉市関金町大鳥居駅前です。
倉吉線45
一番駅に近かった場所の建物には
「駅前自治公民館」の看板が掛かっていました。
倉吉線44
この駅前通りの並木の一番奥がかつての関金駅の跡地です。
1941年(昭和16年)に打吹駅からこの関金駅まで倉吉線が延伸し、
山守駅まで延伸された後にも事実上の終着駅として機能していた駅です。
ホームは島式ホーム1面2線と貨物用1線があったそうで、
倉吉線で列車交換ができたのはこの駅が一番最後となります。

駅舎はご覧の様な感じで、関金温泉の玄関口の駅として
結構立派な駅舎があった様子です。
倉吉線46
駅舎の跡地の奥はかつての駅構内だった場所です。
駅のヤードらしく開けた場所となっており、
廃線跡は現在は県道50号線として綺麗に整備されています。



倉吉線47
こちらは関金町泰久寺地区の南方を通る県道45号線。
ご覧の場所でスロープ状の横道があります。
倉吉線48
坂の脇には泰久寺と書かれた標識と共に
カヌーの形をした「ここは泰久寺です」の看板があります。
目印らしい目印はこれくらいでしょうか。
倉吉線49
分岐した坂道を進みます。
倉吉線50
すると県道からも見える場所で
ご覧の様に跨道橋の橋台が残っていました。
という事は橋台の右手の築堤は倉吉線のものとなります。
倉吉線51
築堤の上へ登ってみるとレールが残っていました。
倉吉線52
築堤を抜けて左カーブを進んで50mほどでしょうか。
墓地の目の前にご覧の横道があります。
ここが泰久寺駅の入口です。
倉吉線53
ご覧の通り山の林の中にホームがほぼ原状のまま残っていました。
単式1面1線の駅で、二両編成でもはみ出るほど有効長の短いホームだということですが
現物を見ると確かにはみ出るだろうなという長さでした。
倉吉線54
こちらの駅名標は当時のものが残っている訳ではなく、
廃線トレッキングが催されていてレプリカが設置されたそうです。
倉吉線55
営業時にはご覧の場所に小さな駅舎があったそうです。
倉吉線56
こちらが倉吉方で、先ほどの跨道橋はすぐです。
倉吉線57
そしてこちらが終点の山守方。



倉吉線58
さて、ここは住所で言うと倉吉市関金町堀となりますが、
ご覧の杭までが、かつて倉吉線の線路のあった場所となります。
中央の道が倉吉線の廃線跡であり、写真中央付近の木の生えているあたりが
倉吉線終点だった山守駅の跡地となります。
左に見える道は県道45号線。
倉吉線59
終端を切り返した写真がこちらで、
右の赤い屋根の建物は山守郵便局となります。
倉吉線60
県道45号線に戻り、ご覧の小路が分かれている箇所があります。
この道こそが山守駅への道であり、
写真右中央の大きな木は駅前にあった桜の木です。
倉吉線62
いうなればここが駅前な訳ですが。
倉吉線61
駅舎とホームはご覧の感じでありました。
単式ホーム1面1線の駅で機回し線などは無く、
列車は単純に折り返すのみでした。
線路とバラストが舗装に変わっている以外は
営業当時の光景とほぼ変化はありません



以上が倉吉線の全9駅となります。
現在も鉄道が走っているのは起点の倉吉駅のみです。


倉吉線の廃止代替バスとしては
日本交通バス(日交バス)の関金線(明高行き)が走っており、
倉吉線の全線を攻略可能となっています。

ただ、倉吉線終点の山守駅付近のバス停は「今西上」停留場なのですが、
倉吉駅前からこの今西上停留場まではほぼ1時間前後の間隔で
一日9本しかバスの本数がありません(H27.6月現在)。
倉吉駅前━今西上停留場までは片道720円(H27.6月現在)となっています。

そして山守駅(今西上停留場)から倉吉駅へ戻るにもバスに乗るしかありませんが、
今西上停留場の最終バスは18時20分発となっています。
終バス以降に山守駅に行っても帰れませんから、
最終に間に合うバスで山守駅まで行く、と考えると
下り線で使えるバスは一日6本となります。
バスの所要時間は50分程度なので、往復には3時間弱は見るべきでしょう。
倉吉線起点の倉吉駅は前後何十キロも山陰本線しか走っていませんから、
実際に山守駅まで倉吉線を制覇するなら相応の計画が必要です。


倉吉線63
そしてこちらは倉吉駅からレーダーを飛ばした場合の
射程についてです。
ご覧の通り射程12駅のフルでも泰久寺駅までしか届かず、
終点の山守駅を取る事はできません

そして残念な事に三条なつめのスキルを使って射程を14まで延ばしても
倉吉駅からは山守駅には届かない
のです。

しかし、ここで倉吉線は倉吉駅から南西へと走っている事を思い出して下さい。
山陰本線で倉吉駅から西に3つ隣の浦安駅からは射程12で山守駅までレーダーが届きます
西に5駅隣の赤碕駅でも山守駅には射程9で届きますので、
山陰本線で倉吉駅以西に乗って順次レーダーを飛ばせば
倉吉線は現地まで行かずにコンプできる
という事になるのです。



でも、個人的には山守駅まで行って倉吉線は取ってほしいな…とか思ったりして。

では。

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