廃線・廃駅

次は十和田観光電鉄についてです。


青森県の三沢駅から十和田市駅までの14.7kmを繋いでいた路線で
1922年(大正11年)開業という歴史ある路線でしたが
2010年の東北新幹線の七戸十和田駅開業、
そして2011年の東日本大震災の影響などを受けて赤字ローカル路線は力尽き、
沿線自治体への資金援助要請を断られ
2012年3月31日を以って廃止された路線です。



十和田観光電鉄01
こちらは十和田観光電鉄の三沢駅です。
青い森鉄道の三沢駅の目の前にあり、駅前ロータリーを共有しています。
十和田観光電鉄02
かつての国鉄、JRから第三セクターの青い森鉄道の駅となった三沢駅。
その駅舎を出て左に進むと十和田観光電鉄の駅舎の入口があります。
中へ進むと、かつては売店であった自販機コーナーがあり、
その奥へと進むと駅構内の駅そばがあります。
十和田観光電鉄03
そしてその奥に進むとかつての駅の券売窓口のある
待合室のスペースとなります。
現在は鉄道は走っていませんが、
十和田観光電鉄バスの停留所の待合室として利用されています。
そしてその奥がホームへと出るかつての改札となります。
十和田観光電鉄04
こちらがその、かつての改札をホーム側から見た光景です。
鉄道は廃線となっているので表示などは取り払われています。
十和田観光電鉄05
三沢駅のホームの全景です。
頭端式2線のホームの駅で、手前側が通常発着に使われていたホームだそうです。
十和田観光電鉄06
線路も既に撤去されており、草が覆い茂り
水が溜まってしまっている状態となっていました。
十和田観光電鉄07
線路部分はご覧の通りです。
ホームの右には旧東北本線の青い森鉄道の現役路線が見え、
奥には青い森鉄道三沢駅の跨線橋が見えます。
十和田観光電鉄08
ホームのすぐ先にある、かつての十和田観光電鉄の最初の踏切です。
奥は十和田市駅方面ですが、廃線跡はすでに草むらと化していました。




十和田観光電鉄10
大曲駅
駅名から秋田の大曲などを連想しますが無関係で、
ここの駅は単に線路が大きく曲がっているのが由来だそうです。
十和田観光電鉄09
県道10号三沢十和田線から県道20号八戸三沢線が分岐するあたりが
かつて大曲駅のあった所です。
写真だと左が県道10号線、手前の横の道が県道20号線です。
駅はご覧の通りにあったそうで、ホームに簡素な待合のついた棒線無人駅でした。
十和田観光電鉄11
県道10号線にはかつて踏切がありました。
こちらは踏切跡から駅を背に十和田市方面を望んだ光景。
田んぼの真っ只中です。



十和田観光電鉄12
柳沢駅
十和田観光電鉄13
ご覧の様にホームのみの棒線駅がここにありました。
県道10号線に沿うように十和田電鉄がかつて走っており、
真横には江戸時代の用水である稲生川が流れています。
この先の十和田電鉄は基本的にこの稲生川の築堤の上を走ります。
十和田観光電鉄14
ですので駅跡から三沢方面を見てもご覧の通り廃線跡の築堤が続きます。



十和田観光電鉄15
七百駅です。
県道10号線と県道211号線の交わる交差点から少し南へ下ると駅跡があります。
十和田観光電鉄16
県道211号線のかつて踏切のあった場所から三沢方面を。
ご覧の通り七百駅の一連の施設の建物がまだ残っているのが見えます。
敷地内には線路もまだ敷かれたままです。
十和田観光電鉄18
これだけ綺麗に線路が残っていると、何かテンションが上がります。
十和田観光電鉄17
手前の屋根の下にはトランスが山積みに。
十和田観光電鉄19
その先には機関庫と駅舎が見えます。
十和田観光電鉄20
こちらが七百駅の駅舎です。
駅舎は残っているものの、トラロープが掛けられて中には入れません。
十和田観光電鉄21
駅舎の左から中の様子が覗けたのでホームの様子を。
これだけの遺構が残っていたのは私としては幸いでした。




十和田観光電鉄30
古里駅
十和田観光電鉄32
かつて駅のあった場所は県道と用水に挟まれた更地となっており、
そのまま「古里」バス停となっていました。
十和田観光電鉄31
かつての駅はこのような感じでありました。
この駅も1面1線の棒線無人駅でした。



十和田観光電鉄26
三農高前駅
名前の通り、青森県立三本木農業高校の正門の前に作られた駅でした。
十和田観光電鉄28
こちらが三本木農業の正門です。
十和田観光電鉄29
県道を挟んで正門の反対側にはご覧の通り「三農高前」のバス停留所があります。
十和田観光電鉄27
かつてここを十和田観光鉄道が走っており、
駅もご覧のような感じでありました。
1面1線の無人棒線駅ながら、
三沢駅、十和田市駅に次いで乗降客が多かった駅だったそうです。



十和田観光電鉄22
高清水駅
十和田観光電鉄24
写真の左に見えるコンビニのような店舗が
オレンジハート高清水店です。
地図でも分かる通り、この店から県道10号線の交差点のはす向かいに
かつての高清水駅がありました。
十和田観光電鉄25
店舗側から見た交差点。
向こう側の水門の横あたりがかつての駅の跡です。
十和田観光電鉄23
ホームと待合室のみの棒線駅が
かつてはご覧の様にありました。



十和田観光電鉄33
北里大学前駅
十和田観光電鉄35
この駅もかつての駅跡が現在はバス停となっています。
十和田観光電鉄36
駅跡から南方を見ると
十和田自動車学校、十和田市立東中が見え、その向こう側に
駅名の由来となった北里大学の獣医学部があります。
十和田観光電鉄34
駅のホームはご覧の通り、用水を背に県道に向かってありました。



十和田観光電鉄37
工業高校前駅
十和田観光電鉄39
こちらが駅名の由来となった十和田工業高校の正門前です。
十和田観光電鉄41
正門はこんな感じですが。
十和田観光電鉄40
この十和田工の体育館のちょうど向かいあたり、
県道10号線と用水の間にかつての駅がありました。
十和田観光電鉄38
ホームはこんな感じで設置されていました。



十和田観光電鉄42
ひがしの団地駅
十和田観光電鉄44
こちらが十和田観光電鉄バスのひがしの団地停留所ですが、
この先にひがしの団地駅がありました。
十和田観光電鉄43
これまでの駅と同じように用水と県道の間に
1面1線の待合室のみの無人駅がありました。




十和田観光電鉄45
そして終点である十和田市駅です。
十和田観光電鉄46
かつてこの場所に「ダイエーとうてつ駅ビル店」が建っており、
この商業ビルの2階が改札となっている駅ビルが立っていました。
用水と公道の間の1面1線のホームからは
跨道橋で道路南側の駅ビルへと連絡していてなかなかの景色だったようです。

ですが2007年に駅ビルのスーパーが閉店。
駅と銀行、郵便局以外のショッピングセンター全てが閉店してしまい、
2012年の廃線まで5年近くは十和田市駅関連の施設だけが開いている状態だった様です。
十和田観光電鉄48
2016年の私の訪問時には駅ビルは綺麗に解体された後で
ご覧の通り駅関連の施設はほぼ何も残って以内状態でした。
かつて駅ビルのあった場所では何度も再開発がペンディングとなっていた様子ですが
やっと再開発の計画が進んだみたいで、
ご覧の通り仮囲いで工事が始められていました。
十和田観光電鉄47
ホーム付近に寄ってみると、左手に踏切の遺構が残っています。
廃止となった2012年当時にはすでにこの踏切は無くなっていて
写真の立て札付近で線路は終わっていました。
十和田観光電鉄49
駅ホーム付近を切り返して西に向かった写真です。
右の電柱付近が踏み切りの遺構ですが、
かつてはここから線路がさらに伸びており、
車両基地や移設前の十和田市駅などがあったそうです。




十和田観光電鉄50
さて、こちらは青い森鉄道の三沢駅、
すなわち十和田観光電鉄線の起点の三沢駅からのレーダーの様子です。
ご覧の通りレーダー射程12駅では十和田観光電鉄線に限って言えば
北里大学前駅までは届く事が分かります。
すると三沢駅からレーダーで届かない廃駅は
工業高校前駅、ひがしの団地駅、十和田市駅の三駅
となります。

結論から言うと、三沢駅から届かない十和田観光電鉄の上記3駅については
現役の鉄道路線からレーダーで取る事はできません
。届きませんので。
ですので何らかの方法で十和田観光電鉄線の末端に向かって近づく事が必要となります。
でないと十和田観光電鉄線のコンプはもちろん、
マスターオブ青森を取る事もできない
のです。



すると一番取り易い方法は、
十和田観光電鉄が廃止した鉄道の代替として運行しているバス路線、
「十和田~三沢線(電車代替バス)」への乗車となるでしょう。
以下はバス路線の停留所とと鉄道の廃駅との対比です。
参考
十和田観光電鉄「十和田~三沢線(電車代替バス)時刻表」
http://www.toutetsu.co.jp/jikoku/towada-misawa.htm


三沢駅 ━ 三沢駅停留所
大曲駅 ━ 大曲試験場停留所
柳沢駅 ━ 柳沢停留所
七百駅 ━ 七百停留所
古里駅 ━ 古里停留所
三農高前駅 ━ 三農高前停留所
高清水駅 ━ 高清水停留所
北里大学前駅 ━ 北里大学通停留所
工業高校前駅 ━ 工業高校停留所
ひがしの団地駅 ━ ひがしの団地停留所
十和田市駅 ━ 元町東停留所

名称に「鉄道代替バス」と付いている路線なだけに
ほぼ十和田観光電鉄線の路線に沿って走っているバス路線となります。
駅名と紐つけた停留所は旧駅跡のほぼ近くにありますので
取りづらさは感じないと思います。
本数も1時間に一本ペースで運行されていますので
ローカル路線としては比較的アクセスはしやすいと言って良いのではないでしょうか。




2016年6月現在で十和田観光電鉄の遺構として残っていたのは
三沢駅と七百駅の駅舎のみでした。
他の駅は軒並み撤去されてしまっており、
知らなければ鉄道が走っていたと分からない状態です。

バスの待合所として機能している三沢駅の駅舎も
再開発の計画が進んでいる様子で遠くない将来に解体されてしまうでしょう。
末端の駅はレーダーでは届かない様子ですし、
せっかくなのですから攻略のついでに
十和田観光電鉄線の遺構を目にしてはいかがでしょうか。


では。

南部縦貫鉄道線00
さて。次は廃線である南部縦貫鉄道線です。


この路線は青森県上北郡野辺地町の野辺地駅から
上北郡七戸町の七戸駅を結んでいた路線で
旧型レールバスの運行が行われていました。

1997年に運行が休止され、2002年には正式に廃止となっています。
ですので現在は列車の運行は無く、鉄道で路線を辿る事のできない廃線です。




南部縦貫鉄道線18
南部縦貫鉄道線01
こちらは南部縦貫鉄道の七戸駅の跡です。
かつて南部縦貫鉄道が運行していた時の終点の駅です。
営業当時から南部縦貫鉄道の本社が駅舎に入っていました。
ご覧の通り、現在(2016年7月)でも駅舎は当時のまま残されています。
南部縦貫鉄道線04
駅舎の中にはかつての南部縦貫鉄道のアイテムが展示されていました。
南部縦貫鉄道線05
かつてのホーム側から見た駅舎。
南部縦貫鉄道線02
そしてこちらが現在残っている七戸駅のホーム跡です。
南部縦貫鉄道線06
駅舎に一番近いこちらがかつての1番線。
南部縦貫鉄道線07
そしてその隣のこちらが2番線ホーム。
後ろの建物は南部縦貫鉄道の機関庫です。
南部縦貫鉄道線03
機関庫の入口にはかつての駅の構内図がありました。
南部縦貫鉄道線08
機関庫の中にはかつての南部縦貫鉄道の車両が。
南部縦貫鉄道線09
機関庫内に保管されているレールバスは
内部に入って見学ができました。
南部縦貫鉄道線10
機関庫の片隅にはかつてのヘッドマークが。
すでに廃線になった南部縦貫鉄道の鉄道むすめのヘッドマークが
なんとも言えません。




南部縦貫鉄道線12
七戸駅を出たかつての南部縦貫鉄道は
牧場の脇を通り抜けて国道394号線と交差する場所にあった
盛田牧場前駅に停車しました。
南部縦貫鉄道線11
現在の盛田牧場前駅付近。
写真の道が国道394号線です。
駅があったのは写真中央に見える看板のうしろあたりで。
南部縦貫鉄道線13
営業当時の写真などを見ると、
赤線で描いたような感じで駅があった様です。
南部縦貫鉄道線14
駅跡前に残された南部縦貫鉄道を説明する看板。
南部縦貫鉄道線15
駅跡と国道を挟んだ向かい側には、野辺地方面へと向かって
かつて列車が走ったであろう線路跡が道の様に伸びていました。
南部縦貫鉄道線16
駅跡から東へ200mほど行くと、
国道と東北新幹線が交差する地点となります。



南部縦貫鉄道線17
レールバスの次の駅は営農大学校前駅となります。
南部縦貫鉄道線19
こちらが駅名の由来となった青森県営農大学校です。
南部縦貫鉄道線20
この営農大学校の正門の右手前の広い更地のあたりに
ご覧の様な感じでかつての駅があった様子です。
南部縦貫鉄道線21
ホームがあったであろう付近から七戸方面を望んだ光景。
営農大学校の敷地、かつての線路に沿って桜並木が続きます。
鉄道の営業当時の春はさぞ綺麗な光景だったのでしょう。
南部縦貫鉄道線22
営農大学校の正門前には国道4号線が通っており、
門前には「奥州街道」の石碑も建てられています。
南部縦貫鉄道線23
ここから50mほど南に進むと
国道には「七戸十和田駅」と「道の駅しちのへ」の案内標識があります。
実際に営農大学校駅の跡から七戸十和田駅までは直線でおよそ300mほどの距離で、
もし南部縦貫鉄道が営業していたならば乗り換え駅となっていたでしょう。



南部縦貫鉄道線24
そして次の駅は中野駅となります。
国道4号線(奥州街道)の中野三差路交差点のすぐ近くに
コンビニのサンクス七戸中野店があるのですが、
その真裏あたりの現在は砂利敷きの駐車場のあたりが中野駅の跡地となります。
南部縦貫鉄道線25
ご覧のように駅があったそうで、
路線のあった場所は現在は農道として舗装されていました。
現在では駅の痕跡は全く残っていない状態でした。



南部縦貫鉄道線26
そして次は天間林駅です。
南部縦貫鉄道線28
国道4号(奥州街道)から七戸町役場へT字路を曲がると、
なにやら道路を埋めたような跡があります。
南部縦貫鉄道線29
こちらは上の写真を切り返して撮った写真。
この跡はかつて南部縦貫鉄道の踏切があった場所で、
踏切の北側、この写真だと右側にかつて天間林駅がありました。
南部縦貫鉄道線27
踏切すぐの辺りに駅舎があったそうで、
その北側奥に島式1面2線のホームがありました。
南部縦貫鉄道線37
更地となった駅跡の傍らには
コンクリートの枕木が詰まれていて
かつてここが駅であった事を微かに教えてくれます。
南部縦貫鉄道線30
航空写真で見るとご覧の感じで駅があった様です。
南部縦貫鉄道線31
こちらが駅のすぐ東側にある七戸町役場。



南部縦貫鉄道線32
その次は道ノ上駅です。
南部縦貫鉄道線34
こちらは国道4号線(奥州街道)の森ヶ沢付近。
町立天間館中のあたりの信号です。
この交差点の、右手に見える美容室の真裏あたりに
かつて道ノ上駅がありました。
南部縦貫鉄道線35
交差点から20mほど南の国道の反対側には
「天間林土地改良区」の大きな木製の碑があります。
この碑の向かいあたりの道を入るとかつての駅のあった場所へ行けます。
南部縦貫鉄道線36
駅のあったあたりから望んだ七戸方面。
ここを写真奥に向かって線路が通っていました。
南部縦貫鉄道線33
振り返って北側方向。
ご覧の感じでここに道ノ上駅がありました。
現在では駅の痕跡はほぼ残っていません。



南部縦貫鉄道線38
坪川駅です。
天間館前川原付近で国道4号から右手に入ったあたりにかつてあった駅です。
国道からまっすぐではない道を進んで行くと、
民家の集まるT字路に差し掛かります。
ここから右手へ進むと坪川駅の跡地となります。
南部縦貫鉄道線40
右手に道を進んでいくとご覧の光景が。
川に沿って道を進むと何やら橋梁の跡らしきものが見えてきます。
南部縦貫鉄道線41
木の向こう側に見える築堤と、その先にある橋梁の橋脚。
ここが坪川駅のあった場所です。
南部縦貫鉄道線42
かつてホームはご覧の様にあったそうです。
築堤上に片側1面のホームのこじんまりした駅だったそうです。
南部縦貫鉄道線43
駅の七戸側には坪川が流れており、かつてはすぐに橋梁となっていました。
こちらは駅跡の真横に残っている橋脚の跡です。
南部縦貫鉄道線44
坪川の対岸側にも橋脚の跡が。
橋脚の先は七戸駅方面となります。
南部縦貫鉄道線46
こちらは駅舎のあった駅跡から野辺地方面を望んだ写真です。
線路のあった築堤が続いています。



南部縦貫鉄道線45
坪駅
国道4号線の坪交差点から横に入ってすぐの場所に駅がありました。
南部縦貫鉄道線47
坪交差点から60~70mほどでご覧の農協倉庫が見えてきます。
手前の道路に横に側溝が走っているあたりが
かつての南部縦貫鉄道の踏切の跡で
踏切の右手にかつての坪駅がありました。
南部縦貫鉄道線48
駅とホームはご覧のような感じであったそうです。
南部縦貫鉄道線49
あたりはは更地になっているものの、
ホームのあった場所の盛り土はまだ残っていました。
南部縦貫鉄道線50
踏切から野辺地方向はこんな感じです。



南部縦貫鉄道線51
後平駅
国道4号線のみちのく有料道路入口交差点より北に一つとなりのT字路を入って
田んぼの中の道を進むとかつての駅の後があります。
南部縦貫鉄道線52
こちらが駅跡…ではなく、この場所から40mほど右手が駅跡となります。
現地で細長く直線の道があったので廃線跡と勘違いをして撮影してしまいました。
南部縦貫鉄道線53
こちらが駅跡前付近から国道方向を見た写真です。
中央付近の白い建物が上の写真のガレージで、
手前右が後平駅のホーム跡、
道の左の電柱の間あたりには自主運行バスのバス停がありました。
南部縦貫鉄道線54
こちらが後平駅のホーム跡。
周囲は田んぼが一面に広がって遮るものがありません。
かつてのホームは道にほぼ隣接するようにあった様子です。



南部縦貫鉄道線55
西千曳駅

南部縦貫鉄道が1962年に国鉄東北本線の千曳駅を終点として開業しましたが
1968年に東北本線の電化に伴って千曳駅付近の線路が東に移設され、
千曳駅も南東の、現在の青い森鉄道の千曳駅の場所へと移りました。

移設によって廃止された旧東北本線区間のうち
南部縦貫鉄道では元々の東北本線との合流地点から
移設された新東北本線との合流部分までを借り受けて営業をする事とし、
旧国鉄千曳駅を西千曳駅として使用、
終点を国鉄野辺地駅まで延伸する事となりました。

そして18年後の1986年に駅を七戸寄りに移設。
廃線時まで使用していたのが今回訪れた西千曳駅跡となります。
南部縦貫鉄道線58
こちらが西千曳駅のあった場所となります。
南部縦貫鉄道線56
当時のホームはご覧の場所にありました。
片側1線の棒線ホームに大きな待合室が乗った駅だったそうです。
南部縦貫鉄道線59
駅のすぐ東には道があり踏切がありました。
現在はバスのバス停となっています。
南部縦貫鉄道線60
手前のコンクリートの部分をよく見てみると、
かつてレールを柱に転用して構造物があったであろう遺構がありました。
南部縦貫鉄道線57
東の方向を見ると細長く轍のような道のようなものが伸びています。
直線でまっすぐ、黄色で示したのが旧東北本線の廃線跡です。
赤で右にカーブして示したのがかつての南部縦貫鉄道の線路跡。
1986年に移設された西千曳駅が合流地点付近に作られた事が分かります。



南部縦貫鉄道線61
そして終点の野辺地駅です。
南部縦貫鉄道はJRの野辺地駅を終点としていましたから
現在の青い森鉄道の駅である野辺地駅が当然かつての駅の場所な訳です。
南部縦貫鉄道線62
こちらはJR大湊線の野辺地駅ホームから見た青い森鉄道のホームです。
ホームの向こう側には日本で最初の鉄道防雪林があります。
この鉄道防雪林と青い森鉄道のホームの間に
かつての南部縦貫鉄道の野辺地駅がありました。
南部縦貫鉄道線63
現存する野辺地駅の跨線橋がかつては防雪林の手前まで伸びており
南部縦貫鉄道のホームまで繋がっていたそうです。
そして跨線橋の向こう側には駅舎がありました。
南部縦貫鉄道線64
反対側から見るとこのような感じで駅があった様子です。
南部縦貫鉄道線65
かつて駅があったあたりの光景です。
青い森鉄道の野辺地駅ホームから防雪林を見た時には
まさか自分がこの場所に立つとは微塵も考えていませんでしたが…
南部縦貫鉄道線66
防雪林を野辺地駅と反対側から見た光景。
ご覧の道が林を抜けて南部縦貫鉄道の野辺地駅跡へと続いています。
防雪林の中の道の両脇には鉄道の境界杭が続いており
一応公道として通れる様子でした。
まあ、駅があったら道が無いとたどり着けませんし。




そして当然の事ながら、
南部縦貫鉄道はすでに廃線ですので列車が走っていません。
ですので別の手段で現地に向かわないとなりません。

南部縦貫鉄道の廃線跡については
十和田観光電鉄の路線バスの野辺地線「三本木~馬門温泉」が
おおよそ路線に沿って走っています

以下、南部縦貫鉄道の駅(左)とバス停留所(右)を
対比紐つけしますので参考にして下さい。

野辺地駅 ━ 野辺地駅前停留所
西千曳駅 ━ 千曳停留所
後平駅  ━ 後平停留所
坪駅   ━ 上坪停留所
坪川駅  ━ 坪停留所
道ノ上駅 ━ 道ノ上停留所
天間林駅 ━ 七戸町役場前停留所
中野駅  ━ 中野停留所
営農大学校前駅 ━ 営農大学前停留所
盛田牧場前駅 ━ 変電所前(七戸町)
七戸駅  ━ 笊田川久保停留所

この中で注意が必要なのは
盛田牧場前駅についてです。
南部縦貫鉄道線69
盛田牧場前駅については
十和田観光電鉄バスの変電所前停留所が最寄となります。
確かにこの停留所から盛田牧場前駅はGPSで取れますが、
実はかなりエリア的にタイトなので取り逃しの危険性が大きいのです。

バスは奥州街道を通っていますが、
上のボロノイ図を見ると分かる通り、
十和田観光電鉄バスが盛田牧場前駅のエリアを通る区間はほんの僅かだけです。
この駅についてはバスの場合でもレーダー使用を想定しておいて下さい。

そしてこちらが十和田観光電鉄バス野辺地線の時刻表です。
参考
十和田観光電鉄バス「野辺地線時刻表」
http://www.toutetsu.co.jp/jikoku/towada-noheji-makado.html

見ると分かりますがバスの本数は一日7本前後です。
本数が少ないので乗車と攻略には事前の計画が必要となるでしょう。
南部縦貫鉄道の区間の乗車であれば所要時間はおよそ40分弱です。




南部縦貫鉄道線67
また、こちらは青い森鉄道の野辺地駅からレーダーを飛ばした時の到達範囲です。
12駅射程ですと南部縦貫鉄道の駅に限って見てみると
天間林駅までは届く
事が分かります。
逆に言えば中野駅~七戸駅までの4駅は届かないという事です。
南部縦貫鉄道線68
こちらは東北新幹線の七戸十和田駅からのレーダー。
同じく南部縦貫鉄道に限って見ると
後平駅までレーダーが到達しています。
南部縦貫鉄道で取れないのは西千曳駅のみ(野辺地駅をのぞく)です。

ご覧の通り、現役の路線上からレーダーを飛ばす事で
南部縦貫鉄道は全駅を取る事が可能
です。
ゲームとして駅メモを楽しむ方はこれで十分でしょう。
ただ、私個人はそれでは満足感がありませんので
廃駅跡を巡ってきましたが、それは人それぞれですので
情報としてレーダーの到達範囲も記しておきます。




以上が南部縦貫鉄道の攻略についての情報です。
レーダーだけでもこの廃線は攻略可能ですが、
現役当時の列車の姿も見れるなどしますので
是非一度現地を訪れてみてはいかがでしょうか。


では。

岩泉線59
さて。お次は岩手県をかつて走った廃線である
JR岩泉線についてです。



岩泉線01
こちらは岩手県のJR山田線の茂市駅です。
かつてこの茂市駅を起点として、JR岩泉線が運行をしていました。

2010年7月に起きた土砂崩れによって全線で運休をしていたこの路線は、
そのまま復旧が成される事無く2014年4月に正式に廃止となりました。

岩泉線02
駅舎の中に入り、こちらが待合室。
岩泉線03
切符の窓口の左手には、岩泉線に関する簡単な掲示がされていました。
岩泉線04
待合室を抜けると出る、こちらが茂市駅の一番線ホーム。
このホームこそがかつて岩泉線が使用をしていたホームです。
岩泉線05
そしてこれが1番線ホームの駅名標です。
左側が緑色のテープで隠されている為若干濃い色ですが、
ここの下に、岩泉線の次駅である「岩手刈谷」が表記されていたそうです。
岩泉線06
茂市駅の跨線橋から盛岡方向をみたのがこちらの写真です。
右端に見えるホームが1番線の旧岩泉線ホーム。
その前の線路こそが岩泉線で、奥に向かう方向が岩泉駅方面だそうです。




岩泉線07
続いてこちらが岩手刈谷駅です。
はい。2016年3月下旬現在で
ご覧の通り全てが綺麗に撤去されてしまっていました
駅のあった頃の資料を見ると、上の写真のあたりには
単式一面のホームや味のありすぎる駅舎があったそうなのですが
本当に何も無くなっていました
土地の感じから、ここが線路だったんだろう、という跡は分かったのですが。
岩泉線08
私が訪問した時に岩手刈谷駅の痕跡として残っていたのは、
駅跡の前の市道にあった「岩手刈屋駅」の朽ちかけたこの標識だけ
でした。
岩泉線09
こちらが最初に見て私が旧駅舎と勘違いをした、
駅に隣接していた建物です。
かつて駅があったのは、この写真を撮った私の背中側でした。




岩泉線10
次は中里駅です。
国道340号線に面して有るこの駅は
ご覧の通り待合室と単式ホームのみという見るからに無人駅だった跡でした。
岩泉線11
ただ、ご覧の通りホームには駅名標がまだ残っていましたし。
岩泉線12
ホームの前あたりには線路も撤去されずに残っていたのが
岩泉線のあった確かな痕跡として見れて非常に嬉しかったですね。
岩泉線13
ご覧の通り、廃墟化は着実に進んでいる様子なので
いつ撤去されてもおかしくないですが。

岩泉線53
起点の茂市駅から中里駅までの間は
ご覧の通り国道340号線沿いにau 4G LTEの電波サービスエリア内ですので
各駅ともGPSでの位置情報を取る事は可能です。



岩泉線14
次の駅へと車で移動。
この道は一応国道340号線です。


岩泉線15
そして次の岩手和井内駅
駅舎は小さいものの比較的新しく、十分に現役で使える状態でした。
でも、待合室の戸は立て付けが悪くなっていましたが。
岩泉線16
そしてホームの方も残ってはいるのですが、
こちらは着実に廃墟化が始まっていました。
岩泉線17
もう列車は来ません…
岩泉線52
この岩手和井内駅まではau 4G LTEでの電波サービスエリア内となっています。
ですので普通に現地で駅の取得が可能となっています。




岩泉線18
さて。次の駅へと向かう為に国道をひたすら走ると
どんどんと道が狭く酷い事になっていきます。
「酷道」とは良く言ったものです。
岩泉線19
道を間違えていない証拠にちゃんと国道の標識があります


岩泉線20
そしてこちらが、次の駅である押角駅の駅前です。
ちゃんと駅前の国道ですここは。
岩泉線21
…え?
いったい駅はどこにあるのでしょうか…?
岩泉線22
あ、ああ。標識の先に、国道から駅へと向かう道がありましたよ(棒読み)
岩泉線23
こちらが刈谷川に掛かっている橋。
この橋を渡って左手に行くと押角駅のホームへと行けるはずです。

工事用の単管パイプの手すりがついたどう見ても仮設橋ですが、
駅の営業当時から使っていた立派な本設橋だそうです。
廃駅となったので立ち入り禁止になっており、
これ以上進めないのが残念ですが。
法に抵触しない事を旨としているので已むを得ません。
岩泉線24
しょうがないので脇から近づけるだけ進んで
ホームの方向を撮ってみましたが。
藪しか見えませんよね。
岩泉線25
最大限拡大して撮影して、かろうじてぼんやりと
押角駅の駅名標の裏側が見えました。
肉眼では「押角駅」と書いてあるのが読めたんですが。
岩泉線27
この押角駅、auでは完全に電波圏外です。
4G LTEのサービスエリアの外なので、押角駅周辺でGPSの位置情報取得はできません。
この押角駅の目の前にDocomoの基地局アンテナが設置されていて
Docomoだけは位置情報が駅近辺で取得可能となっています。
岩泉線28
こちらはボロノイ図による押角駅の取得できるエリアの図です。
上のauの電波エリア図と見比べれば分かりますが
押角駅のエリア内でauの電波の入る場所はありません
つまりauのキャリアの方はレーダーでしか押角駅は取れないという事になります。
GPSでのチェックインで押角駅を取りたければ
Docomoの携帯で来るしか無いということになります。




岩泉線26
押角駅を後にして国道を進むと
岩泉線の線路がそのまま残っている光景が見れます。
たしかにこんな山奥の線路は撤去する労力もバカになりませんし
近隣に迷惑もかからないでしょうから放置することになるのは分かります。


国道340号線を押角駅からおよそ10km北上するも、
その間auの携帯の電波は一切入りません。
県道171号大川松草線とのT字路を左に曲がってしばらく進むと。
岩泉線29
ご覧の通り岩手大川駅への案内表示が現れます。
岩泉線30
表示にしたがって坂を上り、
かつて駅前広場だった場所から見た
岩手大川駅の全景です。
ご覧の通り、駅の構造物はほぼ撤去されており、
ホームの跡がかろうじて残るのみでした。
岩泉線31
ホームに近づいてみてもご覧の通り。
岩泉線32
しかしホームに上がってみると、
岩泉線の走っていたレールが残っていました。
岩泉線33
かつて岩手大川駅の駅名標のかかっていた枠です。
現在は外されてしまい、枠だけがさびしく残ります。
岩泉線34
ホームを背に県道の方向へと戻ると、
駅前広場にネコが歩いてこちらを伺っていました。
岩泉線35
こちらがau 4G LTEの電波サービスエリアの図です。
岩手大川駅はギリギリでサービス圏内に入っています。

この駅の前後の押角駅と浅内駅が両方共にauでは電波エリア圏外の廃駅ですので
auの方はこの岩手大川駅からレーダーで両駅を取る事になると思います。
Docomoの方は岩泉線に関しては必ず駅近辺に基地局アンテナが立っていますので
普通にGPSで取る事が可能でしょう。



県道171号線を戻って国道340号線へと戻り、
次の駅へと向かいます。
岩泉線36
岩泉線の線路と近づく地点では、
それぞれご覧の通りの素敵な光景が。
岩泉線37
岩泉線の橋梁などは、見ての通り
バリケードが作られて立ち入りができないようにされていました。



岩泉線38
そして次の浅内駅
前の岩手大川駅からはおよそ6kmほど西にあります。
こちらは浅内駅の駅舎の跡です。まだ残っていました。
岩泉線39
駅舎のホーム側。
直接駅舎からホームに上がる形ではなく、
ご覧の通り通路を経てホームと駅舎は離れていました。
岩泉線40
ホームはご覧の通り。
営業していた当時からホームは舗装されていなかったそうですから
当時の面影が残っているのだと思います。
岩泉線41
この駅も駅名標はご覧の通り枠のみが残っている状態です。
岩泉線42
この駅も岩泉線の線路が残っていましたが、
ご覧の通り線路の脇には、
かつてSLが走っていた時代の給水塔が残っていました。
岩泉線43
こちらがau 4G LTEのサービスエリアの図です。
浅内駅はエリアの圏外となっていますので、
駅近辺では位置情報が取れません。
岩泉線44
ボロノイ図で浅内駅のエリアをチェックしてみると、
押角駅同様にエリア内はほぼ圏外となっています。
つまりこの駅もauではレーダー以外では取れないという事になります。
Docomoはこの駅も普通にGPSで取る事が可能です。



浅内駅を出て国道340号線を進み、
途中で国道455号線へと入って進むとあるのが二升石駅です。
岩泉線45
こちらが二升石駅。
国道沿いの広場の前の斜面の上にホームがあるのが見えます。
かつてはホームには小さな待合室があって
広場には駅舎があったはずなのですが、
既に全て撤去されており、ホームのみが残っていました。
ロープが張られていた為ホームに上がることはできず。
岩泉線46
駅名標もすでに外されていました。
岩泉線47
ご覧の通りauでの電波サービスエリアには
二升石駅は入っていますのでGPSで普通に駅が取れます



岩泉線48
そして国道455号線を東に更に進んで行くと
岩泉線の終点であった岩泉駅へと辿り着きます。
岩泉線49
駅前には岩泉駅の碑が。
岩泉線50
駅の施設は閉鎖されて中には入れませんでしたので、
外から岩泉駅のホームを。
駅名標は外されてしまっていました。
岩泉線51
ご覧の通りau 4G LTEでは岩泉駅はエリア圏内ですので
問題なくGPS位置情報が取れます。





以上で岩泉線は全駅となります。
既に廃線となっていますので列車に乗って制覇をすることはもはやできません。
ですのでこの岩泉線を制覇するには車を使うしか無いという事になります。


岩泉線廃止の代替として、現在は岩泉線とほぼ同じ区間である
茂市駅━岩泉病院間を東日本交通の岩泉茂市線というバス路線が走っています。
岩泉線56
参考
東日本交通「岩泉茂市線のご利用案内について」
http://ej-bus.com/guide/
JR東日本「岩泉線に代わる路線バスの運行開始について」
http://www.jr-morioka.com/cgi-bin/pdf/press/pdf_1393477772_1.pdf


ただ、元々が一日3本しか走っていなかった岩泉線の代替路線なので。
岩泉線54
バスがご覧の通りの本数しか走っていません。
盛岡か宮古に宿を取ったとしても
岩泉線を往復するだけで恐らく一日が終わってしまうでしょう。


実際に岩泉線の現地を訪れるには、
現地近辺でレンタカーを借りて
国道340号線を車で走るのが一番現実的な方法かと思います。

私は自分の車で行きましたが、
盛岡駅から茂市駅まで県道106号線でおよそ1時間、
茂市駅から岩泉駅までもおよそ1時間で到達しました。
戻る時間を考えても岩泉線だけなら2、3時間あれば往復する事が可能かと思います。
実際にバスのこの区間を片道およそ1時間半で時刻表が設定されていますし。

ただ、この岩泉線に沿って走る国道340号線は
いわゆる「酷道」と呼ばれる悪路
です。
岩泉線55
実際に走った感想としては、言われるほど酷い道ではありませんでしたが、
すれ違いがギリギリの箇所は確かに数多くありました。
写真のあたりはダンプカーなども何台も往来をしていましたし。
実際にはマイクロバスが営業路線として走っている道ですので、
普通に運転ができる人ならば問題は無いと思いますが、
運転に自信が無い方にはお勧めはできない道ではあります。
また冬季は積雪や路面凍結が通常の区間ですから
スタッドレスタイヤは必須アイテムですし、
そもそも通行すらできない可能性も多々あるでしょう。



そこで駅メモでは「レーダー」というアイテムがあるので
近隣を通過する際にでもレーダーを飛ばして
岩泉線の駅を取るという方法
もあります。

ですが。
岩泉線57
こちらはJR山田線の平津戸駅━川内駅間からレーダーを飛ばした場合。
ご覧の通りレーダー射程が9あれば岩手大川駅まで届きます。
岩泉線58
こちらは三陸鉄道北リアス線の岩泉小本駅の少し来たからレーダーの場合。
二升石駅まで射程11というほぼMAXで届く事が分かります。

するとこの結果から岩泉線でただ一つ、
浅内駅だけは鉄道路線上からのレーダーでは届かないという事が分かります。
つまり何らかの方法で、鉄道(またはバス)を降りて
浅内駅へとある程度近づかなければレーダーすら届かないのです。



やはりもう列車の走っていない廃線、
しかも元々乗客数が少なく運行本数の無かったローカル線だけに
全線を制覇するには一工夫が必要でした。

この路線を決めてしまわないと岩手県の制覇はできませんので
なんらかの方策が必要でしょう。


では。

東京の廃駅についての続きです。

東京都で登録されている廃駅のうち、これまで扱ったのは以下の4駅です。


【攻略】廃駅(東京)・京王電鉄多摩御陵線、武蔵横山駅、多摩御陵前駅。
【攻略】廃駅(東京)・西武鉄道、東国分寺駅(多摩湖線)、上り屋敷駅(池袋線)。




■博物館動物園駅(京成本線)

まずはあえて上野駅のパンダ橋口からスタート。
博物館動物園01

博物館動物園03
パンダ橋を上野公園川への向かいます。

博物館動物園02
上野駅のホームを見下ろしながら。

博物館動物園04
上野駅の公園口に来ました。
本来は上野公園に行く方はここいらからですね。

博物館動物園05
公園口正面の東京文化会館

博物館動物園06
の、右横の道を抜けて行きます。

博物館動物園07
国立西洋美術館の前を通り抜けて、

博物館動物園08
そのまま上野公園の道を進むと、
メインの大通りとの交差点に差し掛かります。

博物館動物園09
大通りを右に見ると、奥には
東京国立博物館が見えます。
「博物館動物園駅」の「博物館」ですね。

曲がらずそのまま園内の道を進むと。
博物館動物園10
上野動物園の入り口が見えてきます。
「博物館動物園駅」の「動物園」です。

博物館動物園11
動物園の入り口の前のポストがパンダ模様になってます。

博物館動物園12
右を見ると東京都美術館が見えますが、

博物館動物園13
用は無いので右横の園内道路を進みます。

博物館動物園14
公道に突き当たると、正面には東京国立博物館内んいある立派な門が。
この門は「旧因州池田屋敷表門」と言って、
鳥取藩池田家江戸上屋敷の正門が残されているものです。

博物館動物園15
公道を左に曲がって進むと。

博物館動物園16
旧東京音楽学校奏楽堂が信号の交差点の左手にありますが、
その道路を挟んだ向かいを見ると。


博物館動物園17
なにやら見える石造りの建物こそが、
「博物館動物園駅」の地上口の建物です。

博物館動物園18
確かに「博物館動物園駅跡」というレリーフがついています。

博物館動物園19
なにやら説明書きのレリーフも。

博物館動物園20
横から見るとこんな感じですか。

博物館動物園21
反対側から。
こちらは国立博物館の敷地内です。 というか、この「博物館動物園駅」の建物自体は国立博物館の敷地の中なんですけどね。
博物館動物園22
京成本線が上野公園の区間は地下を走っていますので、
現在でも京王本線の車窓から博物館動物園駅のホームを見る事ができるそうです。


この博物館動物園駅の建物は中川俊二という建築家の手による設計だそうで、
皇室用地であった帝室美術館(現・東京国立博物館)の敷地内に建てられることになった為、
昭和天皇出席の御前会議でデザインが決定されたそうです。


博物館動物園23
ご覧の通り、京成本線でも取得は可能ですが、
JR山手線の鶯谷駅━上野駅の間でGPSで取得が可能です。



まあ、山手線から取れる駅をわざわざ現地に行って取る人は少ないでしょうが、
非常にアクセスのたやすいロケーションなので、現地で見てみるのも一興かもしれません




■昌平橋駅(鉄道院中央本線)

昌平橋駅は、万世橋駅が出来るまでの仮駅として
1908年(明治41年)から1911年(明治45年)の4年間だけ存在したという駅で、
かつては現在の中央本線の東京側の起点でした。


昌平橋01
秋葉原駅の電気街口を出て、高架下を伝って中央通り(国道17号)の交差点に。

昌平橋02
そのまま高架下の道をまっすぐに突き進みます。

昌平橋03
昌平橋の交差点が見えてきます。
上に見える緑の鉄橋は秋葉原のランドマークとも言うべき
「松住町架道橋」です。こちらは総武本線が通ります。

昌平橋04
松住町架道橋の真下から昌平橋の交差点。
奥は昌平橋です。
昌平橋の向こうには、中央本線の煉瓦作りの高架橋が見えます。

昌平橋05
昌平橋の方向に向かって進むと。


昌平橋06
橋の上から見える、中央本線の高架下のご覧の部分が、
かつて昌平橋駅のあった場所です。
煉瓦の構造物は、営業当時ほぼそのままで残っているそうです。

昌平橋07
こちらが昌平橋駅のあった場所の地図です。


昌平橋08
川と反対側から見た昌平橋駅跡。
この煉瓦の4連アーチのうち、中央通り側に一番近いアーチ、
この写真に写っている場所が、かつて駅の入り口だったそうです。

昌平橋10
この煉瓦アーチの高架橋は「紅梅河岸高架橋」という名前だそうです。

昌平橋09
駅跡の北側。この神田川に張り出した階段から、上にあるホームへと上がったそうです。
現在はその階段の跡はありません。

昌平橋11
駅の前には「淡路坂」の表示が。


昌平橋12
昌平橋駅跡から昌平橋を挟んだ反対側に伸びる煉瓦アーチ。
その終端には万世橋駅がかつてありました。

昌平橋13
「神田郵便局前」の交差点から「昌平橋」交差点の方向を望む風景です。



昌平橋14
この昌平橋駅は、現在の中央本線上にある駅ですので
当然、中央線の御茶ノ水駅━神田駅間で取得が可能です。
また、ほぼ横を通る総武本線の御茶ノ水駅━秋葉原駅間でも取る事は容易にできます。

交通量の多いメジャーな路線から取れるので、
特に駅奪取に苦労をする事はありません。




さて、今回ご紹介の二つの駅は、
まるでオマケの様に簡単に取れる廃駅なので
現地まで行く人はあまり居ないような気がします。

私は実際に行って取る事が楽しいですので
わざわざ出向いていますが、意外と楽しかった事をここに書いておきます。


ではまた。

東京の廃駅についての続きです。

東京都で廃駅が登録されている数は8つですが、
前回はそのうちの二つを扱いました。


【攻略】廃駅(東京)・京王電鉄多摩御陵線、武蔵横山駅、多摩御陵前駅。


今回は続いて西武鉄道の廃駅を追いたいと思います。



■東国分寺駅(西武鉄道多摩湖線)

西武鉄道の多摩湖線は国分寺駅を起点としている路線で、
現在も国分寺駅━西武遊園地駅間を営業しています。


東国分寺0001
1933年(昭和8年)から1945年(昭和20年)まであった駅で、
ご覧の通り1947年(昭和22年)発行の地図にはきちんと載っています。



国分寺駅から西武多摩湖線を伝うように歩いて
およそ7、8分くらいで東国分寺駅跡に到着する事ができます。


東国分寺01
ご覧の道路が左に少し膨らんでいるあたりが東国分寺駅の跡です。

東国分寺03
もう少し寄って見ると良く分かります。
ここには西武バスの「第三小学校」バス停があります。


東国分寺04
反対方向に向き直ると「西武鉄道国分寺第五踏切」があります。
この踏切を渡る道路は都道134号線、通称「連雀通り」です。



東国分寺05
歩道橋から、踏切の南側を見下ろした写真です。
赤線の部分に出来て最初にあった「東国分寺駅」の駅舎がありました。
現在は横の道路を拡張するために土地が削られてしまっており、
その痕跡は残っていません。
東国分寺06
駅舎のあった場所を反対側から。
1933年(昭和8年)~1936年(昭和11年)までの旧・東国分寺駅駅舎跡地です。



向き直って歩道橋から踏切の北側を見ると。
東国分寺07
こちらが1936年(昭和11年)に北に75m移動された後の東国分寺駅です。
移動する事で駅構内の線路が複線化され交換(単線で列車がすれ違う事)ができる駅となりました。

東国分寺08
赤丸のあたりが駅のあった場所です。
道路の斜線部はかつて駅構内の用地だった場所で、
近年までそのままはみ出て存在し、交通のネックになっていたそうです。
現在は削られて道路が直線になり、渋滞は解消されています。
横の道路の膨らみはその当時の名残りのようです。



東国分寺09
ご覧の通り、東国分寺駅を取得するには、
やはり西武多摩湖線の国分寺駅━一橋学園駅間でGPSで取るのが一番確実で容易でしょう。
実際に駅があった場所を電車で通過しますので、
忘れずに奪取して下さい。




■上り屋敷駅(西武鉄道池袋線)

山手線の池袋駅からも、目白駅からもおよそ8分程度歩けば着く場所に
今は無き上り屋敷駅がありました。

「上り屋敷」とは江戸時代に八歳将軍吉宗のときにあった狩場の休憩所の事だそうで。

こちらを走る西武池袋線の池袋三号踏切のあたりに上り屋敷駅がありました。
上り屋敷01


上り屋敷02
上り屋敷駅のあった場所に現在建っているコンビニ。
上り屋敷03
ご覧の通り店名が「西池袋上り屋敷店」となっています。

上り屋敷04
駅舎跡地のコンビニの裏に回って線路をのぞいたあたりが、
上り屋敷駅のホームがあったあたりとなります。


上り屋敷05
赤線で囲んだあたりが、上り屋敷駅の下り線ホームの跡です。

上り屋敷06
反対側から見た下りホーム跡地。



上り屋敷07
こちらが上りホームのあったあたりです。

上り屋敷08
上りホームの真横から。



上り屋敷09
目白庭園の長屋門の近くの方の踏切から見た上り屋敷駅跡近辺です。




上り屋敷10
西武池袋線の廃駅ですので、
当然、池袋駅━椎名町駅間で普通にGPSで取得が可能ですが、
地図を見ていただければ分かるように、
JR山手線の池袋駅━目白駅間でもGPSで取れてしまいます
ですので全く狙っていないのに取ってしまった人も多数存在すると思います。


GPSで取れば別に問題はないのですが、
非常に容易に行ける場所にあるだけに、
折を見て一度見て見るのも乙かもしれませんよ。



東京の廃駅はまだ4つ残っていますので、
また追って。
では。

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