はい。今回は東京の廃駅についてまとめて見たいと思います。
東京都で廃駅が登録されている数は8つ。
そのうち、今回は西の4つについてです。
■武蔵横山駅(京王電鉄御陵線)
■多摩御陵前駅(京王電鉄御陵線)
こちらの二つは同じ京王電鉄御陵線の駅なので一緒に扱います。
まずは武蔵横山駅から多摩御陵前駅までの、京王御陵線のルートを
地図で描いてみたいと思います。

(地図はクリックすると拡大します)

まずは中央線と京王御陵線の交わっていた場所に。
当時の国鉄中央本線、そしてその先の甲州街道を
京王御陵線は高架でオーバーパスしていたそうです。

北に向かって進むこのあたりが、
かつて武蔵横山駅があったという場所になります。

こちらが現在(2015年11月)甲州街道の並木町交差点。

こちらは1965年ですから今から40年前に、
ほぼ同じ位置から撮られた武蔵横山駅の高架の解体現場の写真です。
八王子市郷土資料館で2011年(平成23年)に行われた
「八王子と鉄道」展の図録の57ページを参照すると、
武蔵横山駅は甲州街道の並木町交差点の南側にあったと記されています。
上の写真はどうやら、現在の並木町交番の一帯、
中央線のアンダーパスの北の西側付近にあたる様子です。

この並木町交差点のガソリンスタンド。
武蔵横山駅から甲州街道を挟んだ反対側のこのあたりを
京王御陵線の高架が延びていた様ですが、
このガソリンスタンドの裏手の駐車場に、御陵線の遺構が残っていました。

並木町交差点を北に100mほど進むと南浅川の橋があります。
ここを右折して、

川沿いの道を50mほど進みます。

こちらにコインパーキングも設置されている駐車場があります。
自動販売機の左の後ろの平屋の前に、御陵線の遺構はありました。
以下の地図の赤丸の場所です。


この平屋の民家の前の、パイロンのおかれたコンクリート。
これ、京王御陵線の高架の橋脚の根元の残骸です。
付近の道の角度や、駅のあった位置などからもドンピシャです。


そして、ここから南浅川を渡った反対側には
京王御陵線の橋脚そのものが残っています。


こちらが先ほどの橋脚の残骸と、
そのまま残っている橋脚の位置です。




…話には聞いていましたが、やはり実物を見ると圧巻ですね。
工事現場での解体を知っている人間にとっては、
この橋脚の解体がどれだけ手間か、は気が遠くなりそうです。
見える部分にだけでなく、地下にも橋脚を支えるフーチン(フーチング)という、

こんなのが埋まってるはずですから。
だから先ほどの橋脚の残骸も、半端に地上に残っている訳なんです。
そして京王御陵線が通っていたとおぼしき場所を徒歩にて。


こちらの陵南公園の北側、都道187号多摩御陵線にぶつかるこの場所が、
かつて多摩御陵前駅のあったとされる場所です。

こちらの医院がある場所が、駅のあった場所だそうで。

同じ場所にこのように御陵前駅(多摩御陵前駅)が建っていたそうですが
空襲で焼けてしまったとのことです。
私は西八王子駅から中央線を伝って武蔵横山駅跡まで来て、
そこから京王多摩御陵線の走っていた跡をたどりながら
多摩御陵前駅跡まで徒歩で来ました。
途中いろいろと探索をしながらでしたので
一時間ほどの行程でした。
この京王多摩御陵線の二つの廃駅、
別にわざわざ歩いて来なくても、
中央線で西八王子駅━高尾駅間で普通にGPSで取得が可能です。
ですから、現地まで行って駅奪取をする人は恐らく稀でしょう。
私中央線から取りましたが、
いつか直接やって来ようと思っていましたので、
これで本当に多摩御陵線を取れた気がします。
来た道を同じ道を、資料写真を取りながら戻っていると。

来るときにもいた猫が、
堂々と線路の真ん中(だった場所)でくつろいでました。
東京の廃駅はまだまだありますので続きはその2で。
では。
東京都で廃駅が登録されている数は8つ。
そのうち、今回は西の4つについてです。
■武蔵横山駅(京王電鉄御陵線)
■多摩御陵前駅(京王電鉄御陵線)
こちらの二つは同じ京王電鉄御陵線の駅なので一緒に扱います。
まずは武蔵横山駅から多摩御陵前駅までの、京王御陵線のルートを
地図で描いてみたいと思います。

(地図はクリックすると拡大します)

まずは中央線と京王御陵線の交わっていた場所に。
当時の国鉄中央本線、そしてその先の甲州街道を
京王御陵線は高架でオーバーパスしていたそうです。

北に向かって進むこのあたりが、
かつて武蔵横山駅があったという場所になります。

こちらが現在(2015年11月)甲州街道の並木町交差点。

こちらは1965年ですから今から40年前に、
ほぼ同じ位置から撮られた武蔵横山駅の高架の解体現場の写真です。
八王子市郷土資料館で2011年(平成23年)に行われた
「八王子と鉄道」展の図録の57ページを参照すると、
武蔵横山駅は甲州街道の並木町交差点の南側にあったと記されています。
上の写真はどうやら、現在の並木町交番の一帯、
中央線のアンダーパスの北の西側付近にあたる様子です。

この並木町交差点のガソリンスタンド。
武蔵横山駅から甲州街道を挟んだ反対側のこのあたりを
京王御陵線の高架が延びていた様ですが、
このガソリンスタンドの裏手の駐車場に、御陵線の遺構が残っていました。

並木町交差点を北に100mほど進むと南浅川の橋があります。
ここを右折して、

川沿いの道を50mほど進みます。

こちらにコインパーキングも設置されている駐車場があります。
自動販売機の左の後ろの平屋の前に、御陵線の遺構はありました。
以下の地図の赤丸の場所です。


この平屋の民家の前の、パイロンのおかれたコンクリート。
これ、京王御陵線の高架の橋脚の根元の残骸です。
付近の道の角度や、駅のあった位置などからもドンピシャです。


そして、ここから南浅川を渡った反対側には
京王御陵線の橋脚そのものが残っています。


こちらが先ほどの橋脚の残骸と、
そのまま残っている橋脚の位置です。




…話には聞いていましたが、やはり実物を見ると圧巻ですね。
工事現場での解体を知っている人間にとっては、
この橋脚の解体がどれだけ手間か、は気が遠くなりそうです。
見える部分にだけでなく、地下にも橋脚を支えるフーチン(フーチング)という、

こんなのが埋まってるはずですから。
だから先ほどの橋脚の残骸も、半端に地上に残っている訳なんです。
そして京王御陵線が通っていたとおぼしき場所を徒歩にて。


こちらの陵南公園の北側、都道187号多摩御陵線にぶつかるこの場所が、
かつて多摩御陵前駅のあったとされる場所です。

こちらの医院がある場所が、駅のあった場所だそうで。

同じ場所にこのように御陵前駅(多摩御陵前駅)が建っていたそうですが
空襲で焼けてしまったとのことです。
私は西八王子駅から中央線を伝って武蔵横山駅跡まで来て、
そこから京王多摩御陵線の走っていた跡をたどりながら
多摩御陵前駅跡まで徒歩で来ました。
途中いろいろと探索をしながらでしたので
一時間ほどの行程でした。
この京王多摩御陵線の二つの廃駅、
別にわざわざ歩いて来なくても、
中央線で西八王子駅━高尾駅間で普通にGPSで取得が可能です。
ですから、現地まで行って駅奪取をする人は恐らく稀でしょう。
私中央線から取りましたが、
いつか直接やって来ようと思っていましたので、
これで本当に多摩御陵線を取れた気がします。
来た道を同じ道を、資料写真を取りながら戻っていると。

来るときにもいた猫が、
堂々と線路の真ん中(だった場所)でくつろいでました。
東京の廃駅はまだまだありますので続きはその2で。
では。