北海道

宗谷本線c86

さて、引き続き宗谷本線の記事となります。


その1(旭川駅━比布駅)はこちら
その2(比布駅━士別駅)はこちら


宗谷本線b75
こちらは道道850号瑞生下士別線が国道40号線と交わる士別市下士別の交差点で
道道850号は東に向かったこの交差点が終点となります。
宗谷本線b76
国道40号線上から見た交差点付近の光景。
宗谷本線b77
そして交差点から東への道路は道道925号武徳下士別線と名前を変え、
130mほどで宗谷本線の踏切となります。
宗谷本線b78
宗谷本線の42線踏切の南側に隣接して駅があり、
砂利敷きの駅敷地が道道に隣接しています。
宗谷本線b79
こちらが宗谷本線の下士別駅のホームの全景となります。
駅は1955年(昭和30年)に旭川鉄道管理局設定の下士別仮乗降場として設置されたもので
1959年(昭和34年)に駅へと昇格し下士別駅となりました。
隣の士別駅からは北に4.3kmほどの距離にあります。
(註:下士別駅は2021年3月のダイヤ改正で廃止が発表された駅のひとつです。)
宗谷本線b80
東側から見た42線踏切付近。
宗谷本線b81
そして東側から見た下士別駅の全景です。
宗谷本線b82
踏み切り脇の道道に面した駅の広場。
砂利敷きの広場に待合室とトタンの駐輪場があります。
宗谷本線b83
こちらが下士別駅の待合室です。
元は外壁も板張りで作られた待合室だった様ですが
よく見ると鉄板のサイディング材が上貼りされています。
宗谷本線b85
待合室の中の様子です。
壁はペンキが塗られているものの床は板張りで
ベンチや壁も木製ですので恐らく開業以来のものなのでしょう。
宗谷本線b84
待合室の正面を見るとホームに上るスロープがあるのが見えます。
見るとスロープもホームのデッキもPC(プレキャスト・コンクリート)板製であるのが分かります。
宗谷本線b86
ホームの様子です。単式ホーム1面1線の棒線無人駅です。
ホームの有効長はおよそ2両分で、PC板の堅固な造りではありますが
柵や手すりなどはホーム上にはありません。
宗谷本線b87
駅の周辺は田んぼが広がる光景となっており
周辺に障害物の無い景色が広がっています。


宗谷本線b88
こちらは宗谷本線の多寄駅の駅舎の外観です。
駅は1903年(明治36年)に北海道官設鉄道天塩線が士別駅から名寄駅まで
延伸された際に設置されました。
現在の駅舎は1988年(昭和63年)に建て直された簡易駅舎となります。
駅前広場は通路のみ舗装されており、駅前の36線道路に接しています。
宗谷本線b89
こちらは36線道路を西側から駅方面を見た光景です。
かつてはこの通りが駅前通りだったそうで、
線路の手前に大きな木造駅舎があって道路は駅前ロータリーで行き止まりでした。
宗谷本線b90
1999年(平成11年)に駅前通りが線路の反対側へと延長され、
駅舎は南へと移設されてご覧の36線踏切が設けられました。
宗谷本線b91
かつての駅裏だった線路東側はご覧の通り一面の農地が広がっています。
宗谷本線b92
切り返して駅東側から見た光景です。
この踏切の向こう側にかつて立派な木造駅舎がありました。
宗谷本線b93
東側からは駅のホームの全貌を望むことができます。
宗谷本線b95
隣の下士別駅と同様に多寄駅も駅前の踏切から130mの位置に
国道40号線が併走していて交差点があります。
ただ多寄駅はかつての多寄村の中心駅でしたので
駅近くの国道沿いはかつての村の中心街の面影が残っています。
宗谷本線b96
踏切脇の駅前広場はご覧の通り砂利敷きとなっており
駅舎への通路部分のみ舗装がされています。
宗谷本線b98
入口から駅舎の中の様子です。
4人掛けベンチが置かれただけのこじんまりとした待合室となっています。
部屋の中の扉は保線要員の休憩所が設けられているのでその入口です。
宗谷本線b99
ホーム側の出入口の様子です。
トイレは駅舎のホーム側に入口が作られています。
宗谷本線c01
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
ホームは1999年(平成11年)の駅舎移設の際に一緒に作られたものとなります。
宗谷本線c02
ご覧の通りホームからは一面の畑や田んぼがひろがる光景となっています。
宗谷本線c03
かつては駅は2面2線の相対式ホームだったそうで、
現在の踏切を中心とした千鳥配置だったのだそうです。
駅の北西側には農業倉庫がいくつかあって
かつてこの駅が貨物取り扱いをしていた名残と言えます。


宗谷本線c04
こちらは多寄駅から北に2.8kmほど進んだ国道40号線の光景で、
ちょうど31線道路と交わる交差点付近の様子です。
宗谷本線c05
交差点の北側にあるバスの31線停留場。
宗谷本線c06
切り返して北から見た国道の交差点付近です。
宗谷本線c07
この31線道路を国道から東へと進むと130mほどで宗谷本線の踏切となり
その脇に次の駅が設けられています。
宗谷本線c08
宗谷本線の31線踏切。
宗谷本線c09
その踏切の北西側のすぐ脇が駅の広場となります。
宗谷本線c10
こちらが瑞穂駅の駅の全景です。
1956年(昭和31年)に旭川鉄道管理局が設定した瑞穂仮乗降場として開設された駅で
JR北海道となった1987年(昭和62年)に駅へと昇格をしました。
宗谷本線c11
こちらは駅の敷地にある待合室です。
駅の開設当初はホームのみしか無かったそうですが、
1978年(昭和53年)に地元の有志によって待合室と
隣の駐輪場が作られたのだそうです。
宗谷本線c12
待合室の中はご覧の通りベンチが作り置かれた簡素なものです。
宗谷本線c13
ホームは広場東側の線路脇にあり、
南の旭川方にご覧のスロープがあって入口となっています。
宗谷本線c14
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
宗谷本線c15
仮乗降場が出自の駅だけにホームは有効長1両分で木製の
いわゆる朝礼台と呼ばれるタイプのものとなります。
宗谷本線c17
駅から宗谷本線の東側の一帯はパイロットファームの農場となっています。
パイロットファームとは「機械を導入し近代経営の形態をとる先駆的な実験農場」なのだそうで
私が行った時にはドローンで農薬を散布していました。
宗谷本線c18
こちらは31線道路から見た駅東側からの光景です。


宗谷本線c19
瑞穂駅から北に直線でおよそ3.5kmの位置にある
次の駅の風連駅の駅舎の外観です。
1903年(明治36年)に北海道官設鉄道天塩線が名寄駅まで延伸の際に開設された駅で
ご覧の駅舎は1989年(平成元年)に改築されたものです。
宗谷本線c20
駅の西側正面にはご覧の舗装された駅前広場があります。
特に区画などはされていませんがかなりの広さのある広場となっています。
宗谷本線c21
駅前広場から西へと駅正面に伸びる道路は70mほど先で
国道40号線と交わる風連町本町交差点の信号があります。
この国道までの短い区間が道道328号風連停車場線に指定されています。
宗谷本線c22
短い停車場線ですが両脇には風連駐在所と風連国民健康保険診療所といった
町の公共施設が置かれています。
宗谷本線c23
国道側から見た風連停車場線の光景。
宗谷本線c24
入口から駅舎の中へと入るとコンクリート土間の待合室が。
中にはプラスチックのベンチが設置されていました。
宗谷本線c25
そして駅舎の中はガラスで仕切られており、
もうひとつの部屋にもベンチが置かれていました。
こちらの部屋は元々は風連町(当時)が駅舎と合築した展示室だったのだそうです。
とはいっても展示品などは見当たらず、待合室が二つあるに等しい状態ですが。
今は撤去されていますが近年までは青いベンチの部屋には
小上がりのようなベンチも置かれていました。
恐らくは駅寝防止の為防犯上の理由から撤去されたのでしょう。
宗谷本線c27
ホームの様子です。
駅は千鳥式に配置された2面2線のホームとなっています。
宗谷本線c28
一線スルー方式の駅となっており、駅舎のあるこちらの1番線ホームは
特急から退避する普通列車などが使う副本線となっています。
その際風連駅には特急は止まりませんので反対側の番線を通過する事となります。
宗谷本線c29
普通列車は列車交換などが無ければ上下線ともに1番線の副本線に停車します。
ホームの北側の端部には跨線橋の階段があり
反対側のホームへと連絡をしています。
宗谷本線c30
こちらは跨線橋の1番ホーム側の階段入口と中の様子です。
橋はかつて橋梁として使われていたプレートガーターの桁が転用されているもので
屋根が取り付けられています。
宗谷本線c31
跨線橋から見た駅構内の俯瞰です。
一線スルーの線形となっているのが良く分かります。
宗谷本線c33
駅の東側の2番線ホームです。
一線スルーの主本線となっており特急がこちらのホームを通過します。
宗谷本線c34
普通列車の交換の際には列車が入線しますが
通常時はこちらのホームには列車は停車しません。
ですのでホーム上に待合室などは無くホームのみとなっています。
宗谷本線c35
ホーム南端には跨線橋の階段が。
出入口はこちら側のみとなっています。
宗谷本線c36
駅舎の前へと戻り、建物の東隣を見ると階段があるのが見えます。
こちらは宗谷本線の東側と、駅舎や国道のある西側とを連絡する人道跨線橋の入口です。
宗谷本線c37
人道橋はご覧の通り鉄の手すりのみで屋根の無いもので
1番線ホームの上を跨いでいます。
宗谷本線c38
東の出口側の様子です。1965年(昭和40年)に作られた人道橋は
すぐ近くにあった風連高校の生徒が利用するなどされていましたが
高校は2010年(平成22年)に廃校となっています。
宗谷本線c39
人道橋から伸びた通路と接している
風連駅東側の駅裏の市道の様子です。


宗谷本線c40
こちらは道道538号旭名寄線の光景で、
宗谷本線と交わる踏切付近を南側から見た様子となります。
風連駅から北に4.5kmほど進んだこの踏切の脇に宗谷本線の次の駅があります。
宗谷本線c41
第1風連旭名寄線踏切から見た駅方向の光景と
切り返して北側から見た踏み切り付近。
踏切脇に見える民家は一般民家ですが、
1986年(昭和61年)まではこの家が簡易委託で乗車券を販売しており
ホームへの出入り口もこの家の脇を抜けた線路脇の先にありました。
宗谷本線c42
踏切の西側の目の前は三差路となっており、
南の線路沿いの市道を40mほど下ると駅への入口の小さな広場があります。
宗谷本線c43
こちらが東風連駅の入口と待合のプレハブ小屋の光景です。
1956年(昭和31年)に新規の駅として設置されたもので
開設当初からの無人駅でした。
宗谷本線c44
現在のホームは線路の西側にありますが、駅設置当初は反対の東側にホームがありました。
ホームが移設されたのは1999年(平成11年)と比較的新しいため
鉄骨の基礎にPC(プレキャストコンクリート)板のデッキというホームとなっています。
宗谷本線c46
待合室の中はご覧の通りで、木張りの床に木製ベンチが設置された
簡素なものとなっていますがよく手入れがされており中は綺麗でした。
宗谷本線c45
駅の広場は市道とホーム入口との間に砂利を敷いたもので
見ての通りさほどの広さはありません。
宗谷本線c47
広場からホームへと上がる階段。
宗谷本線c48
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となります。
宗谷本線c49
駅の周辺はご覧の通り畑が広がる光景で
民家が点在するのみの景色が広がっています。
1999年(平成11年)にホームが移設される前には
線路のちょうど反対側の東側に木製のホームが置かれていました。
宗谷本線c50
ホーム北端の名寄・稚内方の光景です。
宗谷本線c51
駅を出て駅前の市道へと戻ります。
宗谷本線c52
駅側から見た踏切前の三差路付近。
左手は道道538号旭名寄線の名寄市街方面ですが、
1.2kmほど先に名寄高校が道路沿いにあります。
宗谷本線c53
東風連駅のある名寄市では、駅の利用者のほとんどが名寄高校生徒であるという実態から
高校の目の真に駅を移設する計画が具体化しています。
実際に2020年度(令和2年度)に名寄市では予算を計上しており、
早ければ2022年(令和4年)3月には移転が完了する見込みとなっています。


宗谷本線c54
こちらは国道40号線と駅を連絡している道道540号名寄停車場線の
大通南7丁目交差点付近の光景です。
この交差点が駅前ロータリーの入口となっており東側に駅が設けられています。
宗谷本線c55
切り返して北側から見た交差点付近。
道路と接する駅前広場が一望できます。
宗谷本線c56
交差点の東側の駅前ロータリー入口。
ロータリーは右回りの一方通行となっており
交差点に入口と出口が集約されています。
宗谷本線c57
そして交差点側のロータリー入口脇には
歩行者用の広場があり石標が置かれていました。
宗谷本線c59
広場の北側に接して建っている食堂。
宗谷本線c58
ロータリーを進むと奥に駅舎が見えてきます。
宗谷本線c60
こちらが名寄駅の駅舎の外観です。
1903年(明治36年)北海道官設鉄道天塩線の延伸開業によって設置された駅であり、
名寄市の中心駅であり宗谷本線の主要駅でもあることから
機関庫も設置されている駅でした。
宗谷本線c61
現在の駅舎は1927年(昭和2年)に改築された2代目駅舎となります。
屋根は深緑色の駅舎でしたが、2018年(平成30年)にリニューアルされて
現在の小豆色の屋根へと塗り替えられています。
宗谷本線c62
ロータリーの駅舎側の奥にはご覧の広めの車寄せが設けられています。
宗谷本線c63
広場のロータリー中央部には駅の駐車場が設置されています。
宗谷本線c64
そして出口に近いロータリーの南側には
バス停が並んで設置されています。
宗谷本線c65
これはロータリー出口の角に道道に接して「駅前交流プラザ よろ~な」という
公共複合施設が建てられていて、1階が道北バスの案内所が入居して
バスの待合所も設置されている為です。
宗谷本線c66
駅舎に入口へと戻り、風除室を抜けて駅舎の中へと入ります。
駅員の配置されている有人駅であり、自動券売機の他に
有人窓口が設置された改札前のコンコースとなっています。
宗谷本線c67
コンコースの北側にはガラスで仕切られた
ご覧の広めの待合室があります。
奥の自販機の置かれたスペースはかつてKIOSKがありましたが
2016年(平成28年)の末に閉店廃止されています。
宗谷本線c68
そして待合室の片隅には小さな別室があり、
中には名寄駅関連の写真や資料が展示されていました。
宗谷本線c69
こちらは改札付近の光景です。
列車別改札となっており、通常時はチェーンが掛けられています。
宗谷本線c70
ホームの様子です。
駅は単式1面1線と島式1面2線の計2面3線となっており
こちらは駅舎のある単式の1番線ホームの様子です。
宗谷本線c71
ホーム北端の西側にはかつての貨物ヤードの跡が見えます。
コンテナが集積されているのが見えますがこれは名寄オフレールステーション
貨物列車の発着しないトラック輸送でのコンテナ貨物駅となっています。
宗谷本線c72
名寄駅のホームは特に方面別とはなっていませんが
特急列車は基本的にこちらの1番線に上下線とも停車をしています。
宗谷本線c76
階段前にある駅周辺の観光案内。
宗谷本線c73
跨線橋の裏手となるホーム南端側の光景です。
宗谷本線c74
この1番線の南端西側には、かつて名寄駅を終点としていた
深名線が発着していた切り欠きの0番線ホームがありました。
1995年(平成7年)に深名線は廃止されており、線路もご覧の通り現在は撤去されています。
宗谷本線c75
かつては宗谷本線の他に名寄本線と深名線の3線が乗り入れるターミナル駅で
機関区もあり扇形の車庫まである大きな駅でした。
ホーム周辺の広大な空地はかつての引込み線や転車台の跡地です。
宗谷本線c77
こちらは島式ホームと連絡をしている跨線橋の様子です。
宗谷本線c78
跨線橋から見た駅構内の俯瞰。
宗谷本線c79
島式ホーム側の階段出口付近はガラス張りの風除室が設けられており
列車を待つ間に風雪をしのぐ事ができます。
宗谷本線c80
駅の東側の島式ホームの2、3番線ホームです。
特急列車から退避する普通列車や、当駅折り返し始発の上り旭川方面行き列車は
こちらのホームを使用しています。
宗谷本線c81
2、3番線ホームのホーム北端付近の光景。
中央部にはフェンスが立てられています。
宗谷本線c82
3番線の線路から東側にはかなりの空地の向こう側に名寄運転所の建物が見えます。
空地はかつての名寄機関区の引き込み線や転車台などがあった跡地となります。
宗谷本線c83
ホームへの出入り口となる跨線橋の階段はホーム南端側にあります。
その為か普通列車も南よりに停車をしています。
宗谷本線c84
島式ホームの南端付近の光景。



宗谷本線では名寄駅を境目として南北で運転系統が分離されています。
中には旭川から稚内まで直通する普通列車もありますが、
その直通列車も名寄駅で列車番号が変わって運行をしています。
宗谷本線c85
名寄駅から北の宗谷本線についてはJR北海道が
「当社単独では維持する事が困難な線区」としている区間となります。

この名寄駅以北についてはその4以降にて記したいと思います。


では。

宗谷本線a37

さて、宗谷本線の続きです。


その1(旭川駅━比布駅)はこちら


宗谷本線a38
こちらは比布駅から北に3.1kmほど北上した
田んぼの中の町道の光景です。
この町道と宗谷本線が交わる比布町11号踏切の脇に次の駅があります。
宗谷本線a40
踏切から東に260mほどには道道520号鷹栖東鷹栖比布線が走っていますが
道道まではご覧の通り見渡す限りの田んぼが広がっています。
宗谷本線a39
切返して西へと向かって見た駅付近。
宗谷本線a47
駅の西側には細い歩行者と自転車のみ通行可の道が伸びています。
宗谷本線a48
南側にも線路に併走して歩行者自転車道が伸びていますが、
この道の標識にも地先車限定の表記がされています。
宗谷本線a41
こちらが北比布駅の待合室の外観です。
駅は1955年(昭和30年)に北比布仮乗降場(局設定)として開設されたもので
1959年(昭和34年)に駅へと昇格しました。
宗谷本線a43
ちなみにこちらは二つ南の南比布駅の待合室ですが、
並べて見ると北比布駅の待合室とうり二つであることが分かります。
北比布駅の待合室も2014年(平成26年)に建て直されたもので
南比布駅と北比布駅の待合室はほぼ同時に改築された様です。
宗谷本線a42
待合室の目の前の踏切東側脇にあるホーム入口。
宗谷本線a44
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅でとなります。
宗谷本線a45
この駅もホーム有効長が1両分で床が木製デッキという
いわゆる朝礼台と呼ばれる形式のホームとなっています。
宗谷本線a46
駅周辺を見渡してみても上川盆地の田んぼが広がるのみの光景となっています。


宗谷本線a49
こちらは北比布駅から北へと2.6km進んだ
次の駅の蘭留駅の駅前の道路の光景です。
宗谷本線a50
駅から東へと130mほどには国道40号線が併走しており
国道の比布町蘭留交差点が駅への入口となっています。
宗谷本線a51
こちらが蘭留駅の駅舎の外観です。
駅は1898年(明治31年)に北海道官設鉄道天塩線が
永山駅から当駅まで延伸開業した際に開設されました。
駅舎は1988年(昭和63年)に改築されたものとなります。
宗谷本線a52
駅前には駅舎前で行き止まりの広場があります。
舗装された広場は車を数台を停めることが可能な広さがあり
倉庫が広場に面して置かれています。
宗谷本線a53
駅と広場の東側すぐにあるバス停。
宗谷本線a54
駅舎の中はご覧の通りで、土間の床にベンチが設置されています。 宗谷本線a55
ホーム側から見た駅舎の入口です。
宗谷本線a56
駅舎のある東側の1番線ホームの様子です。
この駅も2番線が主本線の一線スルー方式となっており、
1番線ホームは上下副本線となり退避列車が停まるホームとなります。
宗谷本線a57
駅は千鳥式ホーム2面2線の構造となっています。
ホームの南端の旭川方に駅舎と構内踏切があります。
宗谷本線a58
こちらは1番線と2番線を連絡する構内踏切。
宗谷本線a59
西側の上下主本線となる2番線ホームです。
無人駅で特急通過駅なので駅舎の無い側が主本線となっています。
宗谷本線a60
ですので半分は通過線の役割である2番線には
ホーム上に待合室などの構造物はありません。
宗谷本線a61
また1番線の南側にはご覧の引き上げ線が設けられています。
1984年(昭和59年)までは駅での荷物取り扱いがあったそうですので
恐らくは貨物ヤードの名残りかと思われます。


宗谷本線a62
国道40号線の塩狩峠は石狩国と天塩国との境界にある事が名前の由来で、
石狩川水系と天塩川水系の分水嶺でもあります。
蘭留駅からは北西へおよそ5kmほどの国道40号線の塩狩峠付近には
東側へと入る分岐路があるのですが、この分岐路の先に
宗谷本線の次の駅が設けられています。
宗谷本線a63
線路につきあたって右にカーブを描いた道路は
左手に駅のホームを望みながら100mほどで駅舎へとたどり着きます。
宗谷本線a64
こちらが塩狩駅の駅舎の外観です。この付近は1899年(明治32年)に
蘭留駅━和寒駅間の延伸開業によって線路が敷かれていますが、
1916年(大正5年)にこの塩仮峠に塩狩信号所が設置されました。
駅へと昇格したのは1924年(大正13年)のこととなります。
現在の駅舎は1939年(昭和14年)に改築された切り妻屋根の駅舎です。
宗谷本線a65
駅舎は道路のつきあたりにあり、駅前付近の道は幅が倍となり
一応の車の展開程度はできるスペースがあります。
宗谷本線a66
道路から左手の改札ラッチを通り抜けて建物左手にまわり込むと
ご覧の二つの出入口があるのが分かります。
右の道路側が待合室、左が駅務室の入口となります。
宗谷本線a67
駅舎の中の待合室の様子です。
コンクリートの土間で木製ベンチがいくつか置かれています。
宗谷本線a68
駅舎の前はすぐにホームがあり、高台となっている駅舎から下る階段があります。
宗谷本線a69
こちらが駅舎の目の前にある1番線ホームです。
千鳥式ホーム2面2線の駅となっており、こちらの1番線が
一線スルー方式の上下主本線となっています。
宗谷本線a70
山中の峠の信号所だった駅だけにホームも土留めをした土のホームです。
宗谷本線a71
ホーム北端の名寄方には構内踏切が。
千鳥式に配置された駅の中央でお互いのホームを連絡していますが、
駅前の道路からは踏切に下る道が作られています。
宗谷本線a72
そしてこちらが2番線ホームです。上下副本線となり
列車交換時や退避列車が使用するホームとなります。
宗谷本線a73
二つの線路の間の間隔が開いていますが、これはかつて中央に待避線があった為で
現在は線路が撤去されているためです。
宗谷本線a74
駅舎の前の道路へと戻り国道方面へ戻ると
ちょうどカーブのところにユースホステルの建物が見えます。
宗谷本線a75
そのホステルの建物の目の前の、道路と線路の間にご覧の碑が建てられています。
これは「長野政雄氏殉職の地」顕彰碑で、当地で駅ができる前の1909年(明治42年)にあった
列車事故で殉職をした国鉄職員を記念したものです。

この事故は旭川在住の小説家・三浦綾子によって1966年(昭和41年)に
「塩狩峠」という小説として発表されてベストセラーとなり
1973年(昭和48年)には映画化され塩狩峠の名は日本中に知られる事となりました。
宗谷本線a76
顕彰碑の目の前の線路脇にある「塩狩峠」の木標です。
宗谷本線a77
そしてホステルや碑から道路の反対側は丘となっており
斜面を上へと登る階段があり、上には建物が建っているのが見えます。
宗谷本線a78
こちらは「塩狩峠記念館」で、「塩狩峠」を執筆した三浦綾子氏の
旭川の旧宅を移築した記念館となります。
宗谷本線a79
そして記念館の前の丘にはおよそ1600本の桜の木の並木の
「塩狩峠一目千本桜」があります。
1978年(昭和53年)から地元の和寒町や旭川鉄道管理局(当時)などで植樹したもので
北海道でも有数の桜の名所となっています。
宗谷本線a80
塩狩駅の名所案内にも千本桜の案内が。


宗谷本線a81
こちらは塩狩峠から7.4kmほど国道40号線を北上した和寒町の中心街付近の光景です。
ご覧の交差点の北側に宗谷本線の次の駅があります。
宗谷本線a82
切り返して見た交差点付近。
この交差点付近では南東から北西方向へと国道40号が走っており、
宗谷本線もすぐ北側を併走しています。
宗谷本線a83
この駅前の交差点に名前はついていませんが、
駅と反対側の南側の道路は交差点を起点とする道道48号和寒幌加内線となっており、
130mほど進むとY字路となって道道99号和寒鷹栖線が分岐しています。
宗谷本線a84
国道40号の交差点から北側の駅方向へ。
40mほどで駅前の広場となります。
宗谷本線a85
駅前広場から見た国道40号線方向の光景。
宗谷本線a86
こちらが和寒駅の駅舎の外観です。
1899年(明治32年)に北海道官設鉄道天塩線が蘭留駅から当駅まで延伸して開設され、
現在の駅舎はJR移管後の1988年(昭和63年)に改築されました。
駅舎の外観は塩狩峠をイメージしているのだそうです。
宗谷本線a87
駅舎前の駅前広場はご覧の通りかなり広めの舗装されたスペースとなっています。
特に広場内に区画などはされていませんが、ご覧の通り車を停めてもかなりの余裕があります。
宗谷本線a88
駅舎の中の様子です。
土間の床の待合室にベンチが設置されています。
待合室の北側には駅務を行う事務室がありますが
1995年(平成7年)に出札業務が廃止され無人となったので
現在は保線員の詰め所として使われています。
宗谷本線a89
ホーム側から見た駅舎出入口付近の様子です。
宗谷本線a90
駅舎のある駅西側の1番線ホームです。
和寒駅は単式1面1線と島式1面2線の計2面3線の駅となります。
1番線は下り線の名寄・稚内方面行きホームとなります。
宗谷本線a91
千鳥式に配置された二つのホームは跨線橋で連絡されています。
宗谷本線a92
ホーム南側の旭川方の光景。
増設されたのか細いホームが延びています。
宗谷本線a93
南側から見た駅構内の様子です。
宗谷本線a94
こちらが駅の跨線橋の中の様子です。
宗谷本線a95
橋から見た駅構内の俯瞰。
宗谷本線a96
島式ホーム側の階段上にはパイプ椅子が置かれており
屋根の無い島式ホームの待合室の役割も果たしている様子です。
宗谷本線a97
こちらが島式の2、3番線ホームです。
駅舎に近い西の内側が2番線で上り線旭川方面の列車が使用します。
一番外の3番線は上下線双方の待避線となっています。
宗谷本線a98
ホームの端は柵が立てられて2番線側のみが舗装された
擬似の切り欠きホームのようになっています。
宗谷本線b01
そして3番線ホームのさらに外側にも2本の留置線があるのが見えます。
これはかつての貨物側線で往年の駅の反映の名残と言えるでしょう。
宗谷本線a99
ホーム南端の跨線橋の裏側。
こちらも2番線側のみが舗装されて柵が立っています。
宗谷本線b02
駅舎を抜けて再び駅の外へ。
宗谷本線b03
北側の駅舎の横にはご覧の青い跨線橋があります。
これは宗谷本線の西側と東側とを連絡する連絡橋で
1973年(昭和48年)に作られました。
宗谷本線b04
そして駅前から北側の駅敷地に隣接して
こちらの和寒町交流施設ひだまりの建物があります。
建物は2002年(平成14年)に建てられたもので
当初は地域の交流施設でしたが2018年(平成30年)に
物産販売所を兼ねた観光案内所が設置され和寒町をPRする場所となりました。


宗谷本線b05
和寒駅から北西に一直線に5kmほど進むとご覧の踏切があります。
宗谷本線b06
およそ500mほど東に国道40号線が宗谷本線と併走して北上しており、
ほぼ障害物の無い一直線の町道からはその交差点を彼方に見ることができます。
宗谷本線b07
こちらが町道の東6線踏切。
この踏切の脇に次の駅が設置されています。
宗谷本線b08
反対の西側から見た踏切付近の光景。
線路の周囲に木々が生えているのは鉄道防風林で風雪から列車を守っています。
宗谷本線b09
こちらが東六線駅の駅の外観です。
1956年(昭和31年)に旭川鉄道管理局設定の東六線仮乗降場として開設された駅で、
3年後の1959年(昭和34年)に正式な駅へと昇格しています。

駅名の東六線とは殖民開拓の区画に由来するもので、
原野を碁盤の目に区画する際に基線と呼ばれる基準の道から
並行する道路を「東~線」「北~線」とし、
直交する道路を「西~号」「南~号」とした事が元となっています。
ですので東六線とは基線から東に六本目の道路となります。
宗谷本線b10
こちらが東六線駅の待合室の建物です。
トタン板の張られた建物に「東六線乗降場」と駅名標が掲げられています。
宗谷本線b11
待合室の中はご覧の通りで土間は打たれておらず地面が剥き出しであり
壁際に木製のベンチが作られています。
宗谷本線b12
ホームへは待合室の前から石が敷かれており
南側のスロープが唯一の入口となります。
宗谷本線b13
こちらがホームの様子です。
単式1面1線の棒線無人駅となっておりいわゆる朝礼台の
有効長1両分の木製ホームが設置されています。
宗谷本線b14
鉄道防風林の外側は一面の田畑が広がっています。
宗谷本線b15
ホーム側から見た待合室。
宗谷本線b16
駅周辺に広がる田んぼや畑の光景です。


宗谷本線b17
こちらは東六線駅から北西に3.6kmほど進んだ
剣淵町の中心市街にある剣淵駅の駅舎の外観です。
駅は1900年(明治33年)に北海道官設鉄道天塩線が
和寒駅から士別駅まで延伸された際に設置されました。
現在の駅舎は1988年(昭和63年)に建替えられたものとなります。
宗谷本線b18
駅舎の前から西へと伸びる道路は道道293号温根別剣淵停車場線で
剣淵駅が終点の停車場線となっており、130mほど先の交差点で北へと曲がっています。
なお停車場線が曲がる交差点の南西側には剣淵町役場があります。
宗谷本線b19
駅前にある駅周辺の地図です。
宗谷本線b20
ご覧の通り駅舎の前には舗装された広場があります。
特に構造物や区画などは無い舗装された駅の敷地となっています。
宗谷本線b21
広場を挟んで駅舎の反対側正面の道道脇にある駅前商店(丸八おざわ商店)。
宗谷本線b22
この丸八おざわ商店は剣淵駅の簡易委託販売所となっており
乗車券の販売を行っていて駅舎の壁にご覧の通りその旨が掲示されています。
宗谷本線b23
丸八おざわ商店の道道の向かい側にある駅前旅館。
宗谷本線b24
駅前広場から道道の停車場線と直交して北へと向かう町道。
250mほどで道道984号温根別ビバカルウシ線に合流しています。
宗谷本線b25
駅舎の中の様子です。入口を入るとコンクリートの土間の待合室があり
片隅にプラスチックのベンチが置かれています。
宗谷本線b26
そして外の入口の左側を見るともう一対入口の扉があり
「剣淵町観光物産館」と「バスターミナル」と書かれています。
中は町のバスターミナルと物産の展示された棚があり、
駅待合室とはガラス戸で仕切られて別の部屋となっています。
宗谷本線b27
ホーム側から見た駅舎の様子です。
宗谷本線b28
現在は無人化された駅の為、ホームと外との間に柵などはなく
自由に出入りができる状態となっています。
宗谷本線b29
ホームの様子です。
駅は相対式ホーム2面2線となっていて駅舎のある西側が1番線となります。
宗谷本線b30
こちらは一線スルーの上下主本線となっており
基本的には列車はこちらに停まります。
宗谷本線b31
ホームの床は舗装はされておらず砂利敷きとなっています。
宗谷本線b32
こちらがホーム同士を連絡する跨線橋です。
ガーター橋の桁がこの駅でも跨線橋に転用されているのが分かります。
宗谷本線b33
上から見た駅構内の俯瞰。
宗谷本線b34
こちらが2番線ホームとなります。
上下副本線となり列車交換時や特急の退避などで使用されるホームです。
宗谷本線b35
かつては2面3線の国鉄形の駅だった為、
2番線ホームのさらに東側にも線路が敷かれ島式のホームでしたが
現在では線路が撤去されて単式ホームとなっています。


宗谷本線b36
剣淵駅から宗谷本線を直線で5km北上すると次の駅となります。
こちらは剣淵町北部の12線道路の宗谷本線踏切付近の光景です。
線路の脇には鉄道防風林の木々が見えます。
宗谷本線b37
宗谷本線の12線踏切。
この踏切の南側の脇に次の駅が設置されています。
宗谷本線b38
反対の西側から見た踏切付近。
宗谷本線b39
踏切から南側を見ると駅のホームが見えます。
宗谷本線b40
道路脇のこちらが北剣淵駅の待合室の外観です。
1959年(昭和34年)に鉄道管理局設定の北剣淵仮乗降場として新設された駅で
正式な駅へと昇格したのはJR北海道に移管した1987年(昭和62年)となります。
宗谷本線b41
待合室の中の様子です。
駅名標も特には掲げられておらず全て木造の建物は物置にしか見えませんが、
中はご覧の通り板張りの床にベンチが設けられています。
宗谷本線b42
待合室の前からけもの道のような通り道を南に進むと
すぐに線路脇へと出てホームの入口が見えます。
宗谷本線b43
ホーム北端の入口です。
スロープでは無く木製の階段となっています。
他の同様の駅はホーム土台は鉄骨などで作られているのですが
この駅のホームは土台まで木造となっていました。
宗谷本線b44
北剣淵駅のホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅で列車有効長1両分の朝礼台ホームとなります。
宗谷本線b45
鉄道防風林と地平線までの畑が広がっているのみで
農家を数軒見る以外には駅周辺には何もありません。
駅から西の道道536号剣淵原野士別線までは1.4km、
東の国道40号までは1.5kmの距離があり、
国道に接続する道央自動車道の士別剣淵ICが周囲の唯一といって良い施設となります。
宗谷本線b46
ホームから12線道路への光景。


宗谷本線b47
北剣淵駅を出た宗谷本線は引き続き一直線に北へと向かいます。
こちらは3.7kmほど北の士別市街にある道道297号士別停車場線の光景です。
駅から350mほどで国道40号線へと連絡をする停車場線となります。
この停車場線の西端に駅があり道道の起点となっています。
宗谷本線b48
こちらが宗谷本線の士別駅の駅舎の外観となります。
1900年(明治33年)に北海道官設鉄道天塩線が和寒駅から当駅まで延伸され設置されました。
駅舎は三代目となり1966年(昭和41年)にRC造りに改築されたものです。
宗谷本線b49
建物の前にある士別の観光案内地図。
宗谷本線b50
駅舎の前はかなり広めの駅前ロータリーとなっており
広場に四方の市道や道道が接続する形状となっていました。
宗谷本線b51
駅前広場の東側の、停車場線への入口の角にある士別軌道の士別駅前バス停。
士別軌道はかつてこの地を走っていた軽便鉄道で1959年(昭和34年)に軌道事業は廃止。
現在はバス事業のみとなっておりこちらはそのバス停です。
宗谷本線b52
広場の南側を見ると駅前交番が置かれており、
その奥の南側はJAがあって煉瓦造りの農業倉庫がいくつか見えます。
宗谷本線b53
交番前から見た道道297号士別停車場線。
宗谷本線b54
反対の広場北側には駅前の蕎麦屋さんがあります。
宗谷本線b55
蕎麦屋の向かいの広場北側に面した線路沿いの敷地は
ご覧の通り駅利用者の駐輪場となっています。
宗谷本線b56
その北側は士別市の駅駐車場に。
宗谷本線b57
駅舎の入口へ戻ります。
宗谷本線b68
入口脇にある黒板の伝言板。
都市部では今はほとんど見られません。

宗谷本線b58
外から駅舎へと入ると雪国なのでまず風除室があります。
宗谷本線b59
左へ風除室を抜けると改札前のコンコースへ。
有人駅なので券売窓口があり駅員が常駐しています。
宗谷本線b60
改札前から北側の半室はガラスで仕切られた待合室となっており、
狭いながらもベンチが置かれ、駅そば店と売店が営業をしています。
売店は2002年(平成14年)までキオスクだったそうで、撤退後に今の店となっています。
待合室は入口の風除室からも直接入る事が可能です。
宗谷本線b61
ホーム側から見た駅舎の改札口付近です。
宗谷本線b62
駅のホームの様子です。
士別駅は全ての特急が停車するので高速通過の為の一線スルーとはなっておらず、
駅舎のある東側の1番線は旭川方面行き列車の上り線ホームとなっています。
宗谷本線b67
1番線ホーム南側にある大きな額。
「サフォームランドしべつ」と書かれ羊の群れが描かれています。
サフォーク種とは羊の品種で、顔が黒く主に羊肉をとる食肉種の羊です。
絵をよく見ると全てが羊毛で描かれており、士別が羊の街であることをアピールしています。
宗谷本線b63
駅舎のある1番線はホームの大部分に屋根があり風雪がしのげます。
宗谷本線b64
跨線橋の裏側となるホーム北端付近。
宗谷本線b65
「YOUKOSOサフォークの街士別へ」
看板の横は待合室の窓です。
宗谷本線b66
駅の北寄りにある跨線橋。
宗谷本線b69
橋から見た駅構内の俯瞰です。
宗谷本線b70
島式ホーム側への階段。
宗谷本線b71
こちらが島式ホームの2、3番線となります。
2番線は下り名寄・稚内方面行きの下り線ホームとなり
特急も停まるのでホームが伸ばされています。
宗谷本線b72
有効長を伸ばす為に増設されたホーム南側の様子です。
宗谷本線b73
ホーム北側の跨線橋寄りには屋根があります。
「羊のまち 士別へようこそ」の観光看板も。
宗谷本線b74
一番西側の3番線ホームは臨時列車と下り列車1本のみ使用という
事実上使われていない状態となっています。
冬季は雪の為3番線は閉鎖されるそうですが、
ご覧の通り夏でもホームにロープが張られていました。



宗谷本線は旭川駅から士別駅までで53.9kmとなっていますが、
全長359.4kmなので路線はまだまだ北へと続きます。
士別駅以北のつづきについてはその3にて。

では。

宗谷本線00

つづいては北海道の宗谷本線についてです。

日本で一番北に位置するJR宗谷本線は、
1898年(明治31年)に北海道官設鉄道の天塩線として
旭川駅━永山駅間が開業した事がルーツとなります。

1903年(明治36年)に名寄駅まで延伸した天塩線は1905年(明治38年)に国有化。
その後1912年(大正元年)に宗谷線へと路線名が改称されています。
宗谷本線97
音威子府駅まで延伸された宗谷線は、その後現在の宗谷本線とは違う
浜頓別経由の東側のルートで延伸
され、
1922年(大正11年)に稚内駅まで開通して宗谷本線となります。

一方で幌延経由の現在のルートは天塩線として延伸され
1926年(大正15年)に音威子府駅━稚内駅間が全通。
天塩線のルートが稚内までのメインルートとなり、
1930年(昭和5年)には天塩線ルートが宗谷本線となって
浜頓別ルートは北見線として分離されました。


宗谷本線01
こちらはJR北海道の旭川駅の北口の外観です。
1898年(明治31年)7月に北海道官設鉄道上川線の駅として開設され、
翌月の8月には天塩線(現在の宗谷本線)がこの駅を起点として開業しています。

駅舎は2010年(平成22年)に作られた四代目駅舎であり、
旭川鉄道高架事業の一環として高架駅となっています。
旭川の市街地は駅の北側に広がっており、
こちら側がいわばメインの出入口と言えるでしょう。
宗谷本線02
北口駅前の広場に面してご覧の市道が東西に作られており
駅へとアクセスをする車両の連絡道となっています。
宗谷本線03
駅前の広場の東半分はロータリーとなっており、
バス乗降場やタクシープールがそれぞれ専用で設けられています。
宗谷本線04
そして広場の西半分は「旭川駅北広場」という広大なタイル敷きの広場となっています。
ベンチの置かれた駅前公園の西側にはイオンモールが面しています。
宗谷本線18
イオンモール旭川駅前店。
駅周辺整備事業の一環として2015年(平成27年)に開業しており、
建物はJR北海道が主体となって建設されたものです。
その為上階にはJRイン旭川が入っています。
宗谷本線07
こちらは旭川駅の駅舎1階の見取り図です。
タワーマンションの様に建物の外周を通路が囲んでおり、
その中央部に部屋や施設がある構造となっています。
宗谷本線05
北口の西側入口から入った西側コンコースの光景です。
イオンモールとは隣接している為、西側コンコースから直接出入りが可能です。
宗谷本線06
旭川駅の西改札。
駅には東西それぞれに南北自由通路が設けられており、
改札も西と東にそれぞれ作られています。
宗谷本線15
西改札の改札内の様子です。
改札機の内側は広めのスペースとなっており、
正面に駅舎2階へと上がる階段があります。

宗谷本線08
駅舎建物の北側と南側には東西を連絡する通路があります。
こちらは北側の連絡通路の様子です。
外側はガラス張りで北口広場の様子が望め、
内側にはテナントやみどりの窓口などがあります。
宗谷本線09
駅舎の東側の南北自由通路の様子です。
宗谷本線10
東改札口の様子。
旭川駅の改札は東西それぞれの自由通路に面する2つとなります。
宗谷本線11
駅舎南側の東西連絡通路。
宗谷本線12
旭川駅の南口側から見た駅舎外観です。
道道98号旭川多度志線が駅の東側を走っており、
南口駅前の小さなロータリーが道道98号線に連絡しています。
宗谷本線14
駅の南側には忠別川が流れていて河川敷が目の前であり、
2014年(平成26年)完成の「北彩都あさひかわ整備事業」によって整備された
あさひかわ北彩都ガーデンが広がっています。
宗谷本線13
ですので市街地の駅北側の光景とはうってかわって
南側はご覧の通り自然公園の様相となっています。

宗谷本線16
東改札口へと戻り、こちらは改札内の様子です。
宗谷本線17
東西の改札からはそれぞれ正面に階段があり、
どちらも上ると同じ駅舎2階のコンコースへと通じています。
宗谷本線19
こちらが旭川駅の改札内2階コンコースとなります。
島式ホーム3面6線と単式ホーム1面1線の計4面7線の駅であり、
各ホームへと連絡をする為に2階中央部にこちらのコンコースが設けられています。
宗谷本線20
2階コンコース部の見取り図です。
宗谷本線21
一番南側に位置する島式の1、2番線ホームです。
構造上1~3番線までしか入線できない主に富良野線が使用していますが
他の路線の列車も発着しています。

宗谷本線24
次のこちらは3、4番線ホームです。
主に旭川駅に停車す特急列車が使用しているホームです。
その為ホーム上には売店や自動販売機のブースが他のホームよりも充実しています。
宗谷本線25
特急の停まる3、4番線ホームと5、6番線ホームには
ご覧の特急乗車口案内装置が設置されています。

宗谷本線22
続いて島式の5、6番線ホームです。
函館本線や宗谷本線などの普通列車も停車していますが
特急列車もこちらのホームから発着をしています。
宗谷本線27
5番線に停車する特急宗谷。
奥の隣の3番線には特急カムイが停まっているのが見えます。

宗谷本線23
そして一番北側に位置するこちらが単式の7番線ホームです。
こちらのホームは普通列車のみが使用しています。

宗谷本線26
こちらは旭川駅にある0キロポストです。
4路線が乗り入れている旭川駅ですが、
函館本線は函館駅、石北本線は新旭川駅、富良野線は富良野駅に0キロポストがありますので
旭川駅に存在する0キロポストは宗谷本線のもののみということになります。

事前の情報では旭川駅5番線ホームに0キロがあるという話が多かったのですが、
実際に現地で私が見たのはご覧の2番線と3番線のもののみでした。


宗谷本線28
こちらは国道39号線の4条通18丁目交差点付近の光景です。
旭川駅の北方を起点とする国道が1.2km東に進んだこちらの交差点で
直角に北へと進路を変えて網走方面へと向かっています。
宗谷本線29
その交差点から西に120mほどの場所を
ご覧の宗谷本線の高架線が横切っていますが、
この高架線の国道沿い南側に次の駅が設置されています。
宗谷本線30
国道から見えるこちらが旭川四条駅の高架ホームです。
駅は国鉄時代の1957年(昭和32年)に旭川四条仮乗降場(局設定)として設置開業。
当時駅の東には旭川電気軌道という路面電車の旭川四条駅があり、
旭川市長の請願によって仮乗降場が作られたのだそうです。
(※旭川電気軌道は1972年(昭和47年)末で廃止)
宗谷本線31
高架下の歩道には駅があることを示す案内の看板が。
宗谷本線33
反対側から見た高架下付近です。
宗谷本線32
この高架の西側にはご覧の鉄道関係のショップがあります。
そのショップと高架の間の道を南へと入るとすぐに駅の入り口があります。
宗谷本線34
こちらが旭川四条駅の入口付近の光景です。
高架駅の高架下にはご覧の待合室が設けられており
駅名標が表示されています。
宗谷本線35
待合室の中の様子です。
中はベンチが置かれ空調が設けられています。
宗谷本線36
待合室から高架下の出口を出ると
目の前に階段があり2つのホームへと連絡しています。
階段脇にはかつての駅務の窓口もありますが
1999年(平成11年)頃に無人化されている為シャッターが降りています。
宗谷本線37
階段は踊り場がコンコース状となっており
相対式のホームへの階段にそれぞれつながっています。
宗谷本線38
1番線への階段。
宗谷本線39
こちらが1番線ホームの光景です。
駅は相対式ホーム2面2線となっており、
1番線は旭川方面行きの上り線ホームとなります。
宗谷本線40
開業時には地上駅だった旭川四条駅は1973年(昭和48年)の
旭川駅━新旭川駅間の高架化事業によって高架駅となり、
それまで仮乗降場だったものが正式に駅へと昇格をしています。
宗谷本線41
階段踊り場へと戻ってこちらは2番線へと上る階段です。
宗谷本線42
2番線ホームの様子です。
こちらは名寄・稚内方面行きの下り線ホームとなります。
宗谷本線43
ホームへの入口はどちらのホームも北端の階段のみとなっています。
上屋の屋根が階段前にありますが、基本的にはホームのみと駅となっています。
宗谷本線44
階段を下って高架脇の通りへ。
待合室の向かいには食堂があります。
宗谷本線45
高架脇の道から国道へ出たところの歩道には
駅周辺の案内地図が立てられていました。
宗谷本線46
駅から東方向の国道39号線の光景。


宗谷本線47
こちらの道路は道道329号新旭川停車場線で、
新旭川駅から石狩川を渡って国道40号までの2kmほどを東西に繋ぐ道道です。
宗谷本線48
停車場線の東端にあるこちらが新旭川駅の駅舎となります。
駅は1922年(大正11年)に石北線が愛別駅まで敷設された際に
宗谷本線上に起点駅として新設されました。
駅舎は開業当時からのものと言われており、
建物の北側が撤去されるなど何度か改修は行われている様子です。
宗谷本線49
駅舎前の駅前広場。
中央に植え込みがある円形のロータリー状とはなっていますが
さほど広くはなくこじんまりとした広場となっています。
宗谷本線50
駅前広場に接して南北に走る市道。
道道の停車場線とは直角に交わっています。
宗谷本線51
切り返して市道を北側から駅方向を望んだ光景。
宗谷本線52
駅舎へと戻って中へと入ります。
宗谷本線53
こちらが駅舎の中の様子です。
コンクリートの土間にベンチの置かれた待合室となっています。
かつてはホーム側に改札のラッチがあったのだそうですが、
恐らくは待合室の改修で撤去された様です。
宗谷本線54
ホーム側から見た改札口付近。
宗谷本線55
こちらが駅舎のある4番線ホームです。
宗谷本線の下り名寄方面と石北本線の下り北見方面行きホームとなります。
宗谷本線56
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の計2面3線のいわゆる国鉄形と呼ばれる形式で、
通常は駅舎のあるホームが1番線となるのですが
新旭川駅ではなぜか駅舎から一番遠い側線が1番線となっています。
宗谷本線57
跨線橋の階段裏側の4番線ホーム北端付近。
宗谷本線58
こちらが島式ホームと連絡している駅の跨線橋です。
宗谷本線59
跨線橋上から俯瞰で見た駅構内の様子。
宗谷本線60
こちらが島式の2、3番線ホームです。
宗谷本線と石北本線ともに旭川方面行きの上り線ホームとなります。
宗谷本線61
ホーム東側の2番線の外側に側線がありますが、
このホームの無い側線が1番線でホームの番線が2番線、3番線となります。
宗谷本線62
ご覧の通り島式ホームはかなり広めに作られています。
この駅は宗谷本線と石北本線が分岐する「日本最北の分岐駅」なのだそうです。
宗谷本線63
島式ホームの出入口は南端の跨線橋の階段のみで、
階段前には3番線側からのみ見られる時刻表が立てられています。
宗谷本線64
そして2番線の跨線橋裏をのぞいて見ると
架線柱に石北本線の0キロポストが取り付けられているのが見えます。
宗谷本線65
跨線橋を渡って駅舎側へと戻ると
たしかに単式ホームが4番線であることが分かります。


宗谷本線66
こちらは道道331号永山停車場線の光景です。
駅から東の国道39号線までの250mほどを連絡している道路で、
「永山駅前通」という名前がついていますが道道に指定されいる停車場線です。
宗谷本線67
この停車場線の西端が起点となっている駅前ロータリーとなります。
中央部が駅の駐車場となっており、広めに作られた歩道が車寄せの役割を果たしています。
宗谷本線83
ロータリーから停車場線への入口の分離帯にあるモニュメント。
「開拓の塔」と題されており2009年(平成21年)に駅前整備の際に建てられたものの様です。

ちなみに「永山」という地名はこの地を屯田し開拓した
帝国陸軍第7師団(北鎮部隊)の司令官の永山武四郎将軍の名前が由来です。
宗谷本線68
そしてロータリーに面しているこちらが永山駅の駅舎の外観です。
駅は1898年(明治31年)8月に北海道官設鉄道天塩線が開業した際に
最初の終着駅として設置されたものです。

駅舎は建物自体はどうやら開業以来のものの様ですが、
何度か改修が行われている様で外壁にはサイディングが張られて今風となっています。
宗谷本線69
ロータリーの北側には歩道に仕切られた先には
もう一つ別の転回用のロータリーがあります。
駅の北西の一帯は農業倉庫やかつての駅の貨物ヤードがあった場所なので
元は取付道路に入った車両の転回用なのでしょうか。
宗谷本線70
駅舎の中に入るとご覧の通りで 改札前には有人の窓口があり駅員が配置されています。
待合のベンチも数があり、中はご覧の通り広めに作られています。
宗谷本線71
改札はご覧の通り通常字にはチェーンが掛けられており
列車到着時に改札を行う列車別改札となっています。
宗谷本線82
ホーム側の改札脇には木製の駅名標が。
宗谷本線72
こちらは駅舎側の1番線ホームです。相対式ホーム2面2線の駅となっており、
1番線は基本的に旭川方面の上り列車が停車するホームとなります。
宗谷本線73
南側は跨線橋がその存在感を示しており、
橋の下にはシャッターの倉庫も設けられていました。
宗谷本線74
ホーム北側は駅舎の先ですぐ終端となっています。
こちら側も壁はサイディングで綺麗になっていますが、
軒の柱は昔ながらの木造のままで元が古い木造駅舎であることが分かります。
宗谷本線78
ホーム北端の名寄方にある「電子閉そく終了」の標識。
宗谷本線ではこの永山駅より南が都市部で使われる自動閉塞式(PRC付帯)なのに対して
ここから北側は特殊自動閉塞の電子符号照査式(電子閉塞)となります。
こちらは旭川方面に向かう線路なので、この先は列車運行管理システムの管理下となります。
宗谷本線75
跨線橋の中の様子です。
通路の中央部に白線が引かれています。
宗谷本線76
橋から見た駅構内の様子。
宗谷本線では車両基地の旭川運転所がある為に
新旭川駅までは電化されていて架線がありますが、
この永山駅から北は非電化区間で架線はありません。
宗谷本線77
2番線ホームの様子です。
基本的に下りの名寄・稚内方面行き列車のホームとなります。
ホーム上には跨線橋以外の建物は置かれていません。
宗谷本線79
かつては建物があった場所も現在は撤去されて基礎の跡が残るのみなので
ホームはご覧の通り幅が広めとなっています。
出入口はホーム南端の跨線橋の階段のみとなります。
宗谷本線80
跨線橋の階段脇にある「電子閉そく開始」の標識。
ここから北は特殊自動閉塞の電子閉塞区間となります。

電子閉塞区間ではRPCアンテナを使用して信号分岐器を制御するので
下り列車は車載器の調整が必要となります。
その為この永山駅には終日運転主任が常駐しており、
通過の特急や回送列車なども含む全ての下り列車は必ず2番線に停車します。
宗谷本線81
2番線のホーム南端付近の光景。
跨線橋の柱の裏側付近となります。


宗谷本線84
こちらは国道39号線の永山町15丁目交差点から西へと入った
田んぼの中の道路の光景です。
この付近では宗谷本線と国道39号は併走しており、
交差点からおよそ300mほどで踏切がありその脇に駅が設置されています。
宗谷本線85
踏切の南側にあるこちらが北永山駅の駅の全景となります。
駅は1947年(昭和22年)に北永山仮乗降場(局設定)として開業したもので
正式な駅へと昇格をしたのは国鉄時代の1959年(昭和34年)のことでした。

元々は600mほど北に駅はありましたが、
近隣の旭川農業高校の移転に伴って1990年(平成2年)に
現在の場所にホームが移設されています。
宗谷本線86
駅の目の前にある永山町14丁目踏切と
踏切から見た駅の光景です。
ご覧の通り駅舎は無くホーム上に待合室の置かれた無人駅となります。
宗谷本線87
反対の西側から見た駅方向の光景です。
周囲は見渡す限りの田んぼがひろがっており構造物がみあたりません。
宗谷本線88
こちらが駅の入口です。
踏切脇の歩道からホームへと上がる階段へと連絡をしています。
宗谷本線89
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
宗谷本線90
駅が移設されたのが1990年(平成2年)と比較的新しい為
ホーム床はPC板が用いられ土台と手すりは鉄骨、待合室はプレハブ作りとなっています。
宗谷本線91
待合室の中の様子です。
板張りの床に木製ベンチが置かれた簡素なものとなっています。
宗谷本線92
ホーム南端の旭川方の様子です。
出入口はこちらにしか設けられていません。


宗谷本線93
こちらは国道40号線の光景で、
国道が宗谷本線を跨ぐ比布跨線橋の南側に位置する場所となります。
宗谷本線94
跨線橋の両側には側道が伸びており、
その側道の入口付近には道北バスの基線3号停留場とバスの待合室があります。
宗谷本線95
バス停を過ぎて東側の側道を進むと180mほどで駅が見えてきます。
宗谷本線98
こちらが南比布駅の駅の全景となります。
旭川市内を走ってきた宗谷本線はこの駅から比布町内へと入ります。
駅は国鉄時代の1955年(昭和30年)に南比布仮乗降場(局設定)として設置されたもので
正式な駅へと昇格したのは4年後の1959年(昭和34年)でした。
宗谷本線96
駅前は比布跨線橋の側道となっており、
宗谷本線と共に側道も跨線橋の下をくぐっています。
宗谷本線99
こちらが南比布駅の待合室です。
2014年(平成16年)10月まで先代の木造待合室がありましたが
築50年以上で老朽化していた為解体され、同じ場所に二ヵ月後の12月に
現在の待合室が建て直されました。
宗谷本線a01
待合室の中の様子です。全て木製のこじんまりとした建物ですが、
きちんと基礎が組まれ間柱が立てられており
恒久的な建築物として作られているのが分かります。
宗谷本線a02
待合室の目の前のホーム南端にご覧のスロープが設けられています。
ホームへの出入口はこのスロープのみとなります。
宗谷本線a03
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となります。
宗谷本線a04
有効長が1両分の木製デッキのホームで
俗に言う朝礼台と呼ばれる形式のホームとなります。
宗谷本線a05
ホームから見た駅周辺はご覧の通り一面の田んぼが広がっており、
ところどころに家が散在する散村となっています。
宗谷本線a06
駅前から跨線橋をくぐった反対側の光景です。
宗谷本線a07
右手に分岐する細い道には「地先車両限定」と書かれた標識があります。
「地先」とは所有地や私有地のことなので「付近の住民以外は通れない」という意味となります。
宗谷本線a08
左手の道の先には駅側よりやや多めの家が見られます。
跨線橋脇の広場にはご覧の看板が。
宗谷本線a09
橋から駅方向の光景です。


宗谷本線a10
こちらは南比布駅から直線で北に2.4kmの位置にある比布駅の駅舎の外観です。
北海道官設鉄道天塩線が1898年(明治31年)に延伸した際に設置された駅で
比布町の中心地にある町の代表駅となります。
現在の駅舎は2016年(平成28年)に改築された三代目で
比布町で新たな観光施設として新築したものです。
宗谷本線a11
駅舎前には道路に接したご覧の広めの舗装された広場があります。
かなりの広さの広場は車止めなどで車両が入れない仕様となっており
歩行者や自転車でないと入れません。
宗谷本線a12
駅舎の入口の北側の壁の前にはスロープが設けられており、
その脇の壁際には国鉄時代の駅名標のレプリカが置かれています。
宗谷本線a13
そして反対側の入口南側にはご覧の顔出し看板が置かれています。
これは1980年(昭和55年)に撮影された藤本のピップエレキバンのCMに因んだ看板です。

【上動画はクリックで再生します。】
このピップエレキバンのCMが放映されたことで比布駅は全国的に名が知れ渡り
訪問する観光客で駅や町が賑わったというものです。
宗谷本線a14
広場の東側の道路沿いには観光案内の大看板がありますが、
その脇に置かれた物置には「小比布駅」と書かれていました。
宗谷本線a15
広場北側の道路沿いに建てられている自転車置き場。
宗谷本線a16
駅前広場の南側はご覧の通り駅駐車場となっています。

宗谷本線a17
広場に接して駅の前を南北に走る町道です。
いちごのキャラが看板に描かれているのは比布町がいちごの名産地だからです。
宗谷本線a18
切り替えして北側から見た駅前の町道。
宗谷本線a19
そして駅舎の正面から東に向かって伸びるこちらの道路が
比布駅を起点とする道道390号比布停車場線となります。
「駅前通り」の名がついており、比布町役場や比布神社など
比布町の中心市街地を抜けて1.2km先で国道40号線に連絡をしています。
宗谷本線a20
停車場線を切り返して駅舎へと戻ります。
宗谷本線a21
駅舎の入口を入るとまず風除室があります。
宗谷本線a22
風除室の壁にはピップエレキバンのCMに関する写真やサインが。
宗谷本線a23
こちらが待合室の様子です。町が観光拠点として整備しただけに
中はご覧の通り木材の腰壁が貼られるなど非常に綺麗なつくりとなっています。
宗谷本線a24
駅舎入口とホーム側出入口との間の北側にある
こちらが交流スペースを兼ねたカフェスペースの「ピピカフェ比布駅」です。
宗谷本線a25
ホーム側の出入口もご覧の通り風除室が作られています。
国鉄時代の1984年(昭和59年)に無人駅となっている為
駅務のスペースや改札ラッチは作られていません。
宗谷本線a26
構内側から見た駅舎の改札口付近です。
入口の脇に立派な木製の駅名標が掛けられています。
宗谷本線a27
駅舎のある1番線ホームの様子です。
相対式ホーム2面2線で一線スルー方式の駅となっており、
こちらの1番線は上下線の副本線となっています。
宗谷本線a28
これは比布駅が宗谷本線の特急通過駅となっている為で、
主本線に長い編成の特急が停まる必要が無い為、
高速で通過する特急を駅舎と反対側の簡素な主本線を通らせる為です。
宗谷本線a29
ですので特急から退避をする普通列車は上下線ともに
駅舎のある1番線に停車する為、乗客の乗り降りに便宜が図られているという訳です。
宗谷本線a30
1番線ホームにある名所案内の看板。
宗谷本線a31
駅の南側にある跨線橋の中の様子です。
相対式の2つのホームを連絡しています。
宗谷本線a32
上から見た駅構内の俯瞰。
宗谷本線a33
2番線ホームの様子です。
こちらが一線スルーの上下主本線となっていますが特急が停車することは無い為、
主にに列車交換時に普通列車が停車する際に使用されています。
宗谷本線a34
ですので主本線のホームながら、舗装された1番線に対して
こちらの2番線ホームは砂利と土のホームとなっています。
宗谷本線a35
2番線ホームの南端の旭川方。
宗谷本線a36
ちなみにこの駅の跨線橋は1955年(昭和30年)に作られたものですが、
よく見るとプレートガーター橋の橋桁を転用してあるのが分かります。



宗谷本線は全長259.4kmの52駅という非常に長大な路線となります。
比布駅から先の駅についてはその2へと続きたいと思います。

では。

【写真撮影:2020年8月】

札沼線b38
JR札沼線の非電化区間についての続きです。
浦臼町、新十津川町を走る区間について書きたいと思います。


非電化区間その1(北海道医療大学━札比内)についてはこちら



札沼線a31
こちらは晩生内駅の駅舎の外観です。
1935年(昭和10年)の国鉄札沼線延伸の際に設置された駅となります。

隣の札比内駅からは国道275号線とほぼ併走して札沼線は北上しており、
札比内駅との距離はおよそ4.5km離れています。
札沼線a33
隣の札比内駅もそうでしたが、この駅の木造駅舎も
かつてはもう少し横に長かったものが減築されて小さくなっています。
札沼線a32
駅前には線路と並行してご覧の町道が通っています。
特に駅前広場というものはありませんが、
ご覧の通り駅前の道が十分すぎるほど広いので十二分に広場の役割を果たしています。
札沼線a34
駅舎の正面から西へと伸びる町道。
札沼線a35
こちらは駅舎の中の様子です。
木製のベンチの向かいに革張りのベンチが置かれていました。
札沼線a36
ホーム側の改札前の光景です。
この駅もかつてホームは島式だった為、駅舎とホームとの間に
線路が敷かれていた敷地が空いています。
札沼線a37
こちらがホームの様子となります。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅です。
札沼線a38
特に南の札幌方の線路はポイント跡をうかがわせるカーブを描いており、
隣の晩生内駅と同様に、かつて島式ホームで交換可能だった跡が残っています。
札沼線a39
線路の反対の東側目の前を走る国道275号線。



札沼線a40
こちらはJR札沼線の札的通り踏切です。
国道275号線とほぼ併走状態ほ北上する札沼線の、
晩生内駅から2.9kmほどの位置にある踏切です。
札沼線a41
東におよそ90mほどに併走している国道275号線は
踏切からも十分に目視する事ができます。
札沼線a42
東の国道側から見た踏切。
札沼線a43
この札的通り踏切の北側の線路脇に次の駅の待合室とホームがあります。
札沼線a45
こちらが札的駅の駅の全景です。
駅は1960年(昭和35年)に路線上に新たに新設設置されました。
札沼線a44
踏切脇の広場に面してホーム南端の階段があり、
その脇にご覧の待合室が設けられています。
この待合室は駅の外側に入口は無く、ホーム上にのみ出入口があります。
札沼線a46
待合室の中の様子です。
木造モルタル作りの待合室の中には木製のベンチが置かれていました。
小型の除雪機も待合室の傍らに。奥のドアはトイレとなります。
札沼線a47
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅です。
札沼線a48
この駅は後から新設された駅なので開設当初から
駅の様子はほとんど変わっていない様子です。
札沼線a49
そしてホーム南端の階段前の広場に木材が敷かれた場所がありますが、
これはかつて広場を横切って用水路が流れていた名残りらしいです。
そう思って板の横を見ると確かに線路が用水路を跨ぐ箇所がありました。



札沼線a50
こちらは国道275号線の浦臼町役場の前の交差点の様子です。
札的駅からもJR札沼線は国道と併走しており、1.8kmほどでご覧の役場付近となります。
札沼線a51
信号の角にある浦臼町役場の建物。
札沼線a52
役場前の国道の信号からは道道603号浦臼停車場線という県道が延びており、
西へ200mほどの停車場線として国道と駅を連絡しています。
札沼線a53
こちらが浦臼駅の駅舎外観です。
駅は1934年(昭和9年)に国鉄札沼北線が延伸し南端の終点駅として開業。
南から延伸してきた国鉄札沼南線が当駅まで延伸したことによって
全通した国鉄札沼線の駅となります。

現在の駅舎は1997年(平成9年)に浦臼町が建て替えたもので
「ふれあいステーション」を併設する近代的な駅舎となっています。
札沼線a60
駅前の道路は広めに作られており、
またバスの車寄せもあるので広場の役割を十分に果たせる道幅があります。
札沼線a54
駅舎の中の様子です。
ご覧の通り暖房も備えた綺麗な待合室が設けられています。
この待合室は駅の待合室ですが、
「ふれあいステーション」に入居している歯科医院の入口もこの待合室にあります。
札沼線a55
待合室からホームへの出口。
札沼線a56
ホームへと上がる階段は待合室の出口前にありますが
駅舎の中に入らなくとも外から直接ホームへも入れる構造となっています。
札沼線a57
ホーム上から見た入口の階段付近。
札沼線a58
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線となっています。
列車交換の設備は無く、すれ違うには石狩月形駅まで南に下るしかありません。
札沼線a59
かつては相対式ホームの駅で貨物側線もあるなどかなり大きな駅だった様ですが、
現在では敷地こそその名残りを感じるものの、綺麗な棒線駅となっています。
札沼線a61
この浦臼駅からは、石狩月形方面行きの上り列車は一日6本あります。
しかしそのうち5本は当駅での折り返し列車であり、残りの1本が新十津川からの列車です。

そして新十津川方面行きの下り列車は1日1本のみとなっています。
つまり浦臼駅より北は始発が最終列車となっています。



札沼線a62
引き続き国道275号線とJR札沼線は併走しながら北上を続け、
3.4kmほど進むとご覧の砂利道が西へと伸びています。
開けた場所で周囲に目印はありませんが、
Docomoの携帯基地局のアンテナが砂利道の脇に立っており、
その奥に次の駅が設けられています。
札沼線a63
田んぼの中のあぜ道のような道を
国道から西へと160mほど進むと駅が見えてきます。
札沼線a64
こちらが鶴沼駅の駅の外観です。
1956年(昭和31年)に路線上に旅客駅として新設追加された駅となります。
駅舎は無く待合室の小さな建物が設けられています。
札沼線a65
ホームへと上がる階段です。
手すりやホームの基礎、そして階段は鉄骨で作られています。
札沼線a66
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となります。
札沼線a67
元々は一両分の有効長のホームだった様で、
北側に木製のホームが増設され延長されています。
札沼線a68
こちらは駅の待合室です。
木造にトタンの壁と屋根の小さな建物です。
札沼線a69
待合室の中の様子です。
中の壁もトタン張りで、木製のベンチが置かれていました。
札沼線a70
駅の時刻表はご覧の通り、上下共に1本づつというダイヤとなっています。
浦臼駅以北の駅では上り方面の列車に乗ると日帰りはできません
札沼線a71
そしてホーム脇に見えるこちらのコンクリートの構造物ですが、
これは用水路が線路の下を立体交差する為の水門です。



札沼線a72
引き続き北上を続けるJR札沼線ですが、
併走してきた国道275号線とは若干距離が開いてきます。
こちらは次の駅に近い12号線踏切ですが、国道からは800mほど離れています。
札沼線a73
踏切からさらに西へと80mほど進むと、
田んぼの中の砂利の道が北へと伸びています。
札沼線a74
砂利道を北へと80mほど進むと
用水路に架かるガードレールの欄干の橋が。
札沼線a75
欄干には「於札内駅通線」と書かれており、
この砂利道が駅への道であることを示しています。
札沼線a76
橋を渡ってさらに進むと、踏切の先に駅が見えてきます。
札沼線a77
こちらがJR札沼線の水野作場踏切です。
「作場」とは耕作地の事で田畑を指します。
つまり水野さんの田んぼの踏切という意味ということに。
おそらくこの周辺は水野さんの田んぼなのでしょう。
札沼線a78
この踏切にはご覧の道路標識があります。
これは「車両通行止め」の標識ですので、
12月31日から3月31日の間はこの踏切を車両は通れないという事になります。
歩行者は通行止めでは無いので駅へは行ける様です。
札沼線a79
そしてこの踏切にはもう一つ、
「鉄製のキャタピラーで横断すると故障します」の看板が。
これは冬季の除雪車に対する注意の様で、
故に除雪ができないので冬季は車両通行止めとなるという。
一つの踏切でなかなか密度が濃いです。
札沼線a80
そして踏切の北側の線路脇にあるこちらが
於札内駅の外観です。
駅は1959年(昭和34年)に鉄道管理局設定の仮乗降場として設置されました。
国鉄分割民営化の1987年(昭和62年)に駅に昇格して現在に至ります。
札沼線a81
踏切側のホーム南端に階段があり上る事ができます。
札沼線a82
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅です。
駅舎は無く待合室が設置されています。
札沼線a83
昭和に作られたホームなので鉄骨造りで
床はPCコンクリート板敷きでした。
札沼線a84
トタン張りの待合室の入口の上には
錆びた国鉄仕様の駅名標が。
札沼線a85
待合室の中は物置のようですが
窓があり木製のベンチも設置されていました。
札沼線a86
中に掲示されている時刻表。
上下線とも1本づつです。
札沼線a87
ホーム上から見た駅前の踏切と駅までの道の様子。
札沼線a88
こちらは駅前の道を、北側を見た光景です。



札沼線a89
こちらは新十津川町を走る南16号線という町道です。
この付近の開拓地では入植にあたって
300間(およそ550m)の等間隔で縦横に道路を作って碁盤目のように区画をしました。
その区画の目にあたる道路が号線道路と呼ばれています。
札沼線a90
この南16号線とJR札沼線が交わるこちらの踏切が
下徳富下9号線踏切となります。
札沼線と併走してきた国道275号線からは西へ850mほどに位置しており、
於札内駅からは北に1.5kmほどとなります。
札沼線a91
この踏切の北側の線路脇に南下徳富駅のホームが置かれています。
駅は1956年(昭和31年)に新設されたもので、
2012年(平成24年)までは道路に面したホーム脇に小さな木造の待合室がありました。
老朽化の為に木造待合室は撤去されており、現在ではホームのみの駅となっています。
札沼線a92
ホームは踏切脇からバラストを踏みスロープで上がりますが、
かつて待合室があった場所の前にガラス掲示板が新設されており
時刻表もこの掲示板に納められていました。
札沼線a93
駅のホームの様子です。
単式1面1線ホームの棒線無人駅となります。
札沼線a94
北側はPCコンクリート板の床であるのに対し
南のスロープ側は木製の床となっています。
札沼線a95
駅周辺を見回してみるとご覧の通り、
どちらを見ても一面に田んぼが広がる光景で近くに建物は見当たりません。



札沼線a96
こちらは国道275号線の西側550mほどを南北に併走している町道です。
この道のさらに80mほど西にはJR札沼線の線路も併走しています。
南下徳富駅からは2kmほど北に位置するこの付近に次の駅があります。
札沼線a97
切り替えして北側から付近を見ると、
ちょうど南12号線と南13号線の中間付近のこの付近には
JAの資材倉庫が並んでいます。
札沼線a98
この倉庫街の町道の途中に駅への取付道路が西へと延びていました。
札沼線a99
下徳富駅の駅舎の外観となります。
1934年(昭和9年)の国鉄札沼線延伸に際して設置された駅で、
ご覧の駅舎は1979年(昭和54年)まで有人駅舎だったものです。
札沼線b07
駅舎側から見た駅前の様子です。
舗装された広場に木が生えており、国道と連絡する道路の両脇は
JAの倉庫へと通じています。
札沼線b01
駅舎の中の様子です。
有人駅だった時代の出札窓口はベニ板で封じられていますが
広めの待合室は往時のままの様子で
プラスチックのベンチが並べられていました。
札沼線b02
ベニヤの上に貼られていた下徳富駅のポスター。
札沼線b03
ホーム側へと出ると土盛りのホームが若干離れてあり、
上る階段が正面にありました。
札沼線b04
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線駅となっています。
札沼線b05
この駅のホームもかつては島式ホームで列車交換が可能でした。
しかし交換設備は撤去されており、
駅舎とホームの間にはかつての線路のあったスペースが残っています。
札沼線b06
またホームの南端の札幌方の先には貨物用ホームの跡が残っています。



札沼線b08
こちらの写真の、ガソリンスタンドの奥に見える建物は
新十津川町役場の庁舎です。
札沼線b09
この交差点は中央18交差点で、
国道275号線と道道625号学園新十津川停車場線が
それぞれこの交差点で直角に曲がって交わっています。
札沼線b10
交差点の角にあるコンビニエンスストア。
札沼線b11
この交差点から南へと道道625号学園新十津川停車場線が下っており、
その名前の通り道の先には駅があります。
札沼線b12
通りの脇に建っている地元のJAのたまねぎ出荷の貯蔵庫。
札沼線b13
コンビニ前の交差点から250mほど南に進んだところで
道路は行き止まりとなります。
脇には道道625号線の終点の標識が。
札沼線b14
行き止まりの右手、西側には駅前広場の敷地が隣接しています。
札沼線b15
広場の奥には新十津川駅の駅舎が。
この駅は元々1931年(昭和6年)に留萌本線の石狩沼田駅から当駅までを
国鉄札沼北線として開業した際に終着駅としてできたものです。
開業当初は中徳富駅という名前でした。

3年後には浦臼駅まで延伸し途中駅となり、
その翌年の1935年(昭和10年)に札沼線が全通。
1953年(昭和28年)には駅名を現在の新十津川駅へと改称しています。
札沼線b16
駅前の広場の様子です。
札沼線b17
そして新十津川駅の駅前広場に隣接する形であるのがこちらの空知中央病院です。
駅前でひときわ目立つ大きな建物ですが、
実はこの病院は新十津川駅とも密接な関係があります。
札沼線b18
駅前広場の病院側の目の前にある、
新十津川町の案内マップです。
札沼線b19
広場の一角にはこちらの顔出し看板が。
「日本一早い最終列車が出発する終着駅」と書かれています。
札沼線b20
駅舎の中の様子です。
1986年(昭和61年)に無人駅となり券売窓口も使われなくなりましたが、
新十津川町観光協会が窓口を2018年(平成30年)より観光案内所として活用しています。
札沼線b21
ホーム側から見た駅舎前の様子です。
札沼線b22
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線のみとなっており、
終着駅ですので列車はそのまま折り返す事となります。
札沼線b23
ホーム脇にある76キロ1/2の距離標。
起点の桑園駅からの距離となります。
札沼線b24
かつては途中駅だった時代もあるこの駅は
駅舎とホームとの間にスペースがあり、
かつては交換設備の線路があったであろうことをうかがわせます。
札沼線b25
ホーム上にある名所案内の案内板。
札沼線b26
そしてこの駅を全国的に有名にしているのが
「日本一終電の早い駅」であるという点です。
札沼線b27
浦臼駅━新十津川駅間は2016年(平成28年)以降は一日に一往復しか運行されておらず、
朝九時台に到着した列車は当駅到着の最終列車となり、
十時ちょうどの当駅発石狩当別行きの列車が始発で最終列車となっています。
札沼線b29
朝に到着する「最終列車」がホームに停まると
駅の目の前にある空知中央病院に併設された保育所の園児達が
列車の乗客をお出迎えを行っています。
この空知中央病院では新十津川駅の駅ノートの管理も行っており、
病院のWebには駅ノートのページが設けられています。
札沼線b28
そしてこちらは新十津川駅の駅長犬のララ。
札沼線b30
新十津川駅のホームからは200mほど北に線路が延びています。
空き地の真ん中に線路があり、両脇にはJAの倉庫が並んでいます。
札沼線b31
こちらが札沼線の北端の車止めです。
札沼線b32
かつて1972年(昭和47年)まではここから北へと線路が延びていました。
新十津川駅━石狩沼田駅間が廃止となって線路は撤去され、
現在ではご覧の様に車止めの先の、かつての廃線跡には住宅が建っています。
札沼線b33
そして駅舎を後にして、駅前の停車場線を再び北上し、
国道275号線との交点の交差点まで戻ります。
札沼線b34
こちらの交差点のコンビニの駐車場には
ご覧の中央バスの新十津川役場停留場が置かれていました。
札沼線b35
時刻表を見ると、札沼線の列車と接続できるバスが
滝川駅方面に出ている事が分かります。
札沼線b36
こちらからバスに乗ると、石狩川を渡って4kmほどにある
JR函館本線の滝川駅まで行く事ができます。
札沼線を乗車する愛好家には良く知られているバスワープのルートのようです。



札沼線b37
こちらは札比内駅━新十津川駅間のau 4G LTEでの電波エリアマップです。
この区間も全線が電波エリア圏内となっていますので
駅へのアクセスに困る事はありません



こちらの札比内駅━新十津川駅間に関しては、
東側4kmほどを並行して北上しているJR函館本線からレーダーを飛ばせば
通常射程県内で全ての駅がレーダー取得が可能
です。
札沼線が廃線となった後でもアイテムを使えば
路線コンプはさほど手間では無いでしょう。


しかしJR北海道の廃駅は撤去が非常に早く、
早ければ廃止の翌日から早速撤去が始まったりします。
私は昨年廃止された駅がもう跡形も無くなっているのも見ましたし、
施設の撤去だけはJR北海道は非常に迅速です。

という訳で札沼線の姿が見れる時間もあとわずかです。
今のうちに見に行く事をお勧めします。

では。
【写真撮影:2018年5月】

札沼線00
次はJR札沼線についてですが、
こちらでは札沼線の非電化区間についてを分けて書きたいと思います。


札沼線は1931年(昭和6年)に石狩沼田駅━中徳富駅(現・新十津川駅)間を
国鉄札沼北線として開業したのが始まりで、
1934年(昭和9年)には札沼北線が浦臼駅まで延伸し、
南側の桑園駅━石狩当別駅間が札沼南線として開通しています。

1935年(昭和10年)に石狩当別駅━浦臼駅間が開通したことによって
札幌駅と石狩沼田駅を結ぶ国鉄札沼線となりました。

しかし「赤字83線」に挙げられた事からも分かる通り採算が取れておらず、
留萌本線の石狩沼田駅から新十津川駅までの区間は1972年(昭和47年)に廃止されました。

札沼線a30
北海道医療大学駅より南については大学の開校と
それに伴う近隣の開発によって需要が高まり、電化されて札幌近郊路線へと変貌しました。
しかし北海道医療大学駅より北の区間については非電化のままであり、
JR北海道で一番営業係数の高い路線として2020年(令和2年)の廃止が決定しています。


札沼線02
こちらは石狩当別駅の1番線ホームです。
南北で運行の様子が全く異なる札沼線ですが、この石狩当別駅が運行上の境目となります。
1番線は「学園都市線」の愛称を持つ札幌駅からの電車が入線するホームで、
札幌方面の上り電車が折り返すホームとなります。
札沼線03
そしてこちらは石狩当別駅の島式の2、3番線ホームですが、
当駅から北へと向かうにはこちらのホームで乗り換える事となります。
札沼線01
その3番線ホームに停まっているこちらの気動車が、
朝7時代に出発する新十津川行きの始発にして最終列車です。
札沼線04
途中の浦臼駅や石狩月形駅までは他にも列車は出ているのですが、
終点の新十津川駅が一日に上下各1本の列車しか発着しない為、
ご覧の列車が「朝7時の最終列車」として全国的に有名となっています。
札沼線05
石狩当別駅で並ぶ通勤型の735系電車と、札沼線専用のキハ40形400番台の気動車。

札沼線の電車と気動車の運行の境界はこの石狩当別駅なのですが、
電化区間は隣の北海道医療大学駅まであり、電車も走っています。
そして気動車が当駅始発で運行していますが、
非電化区間である北海道医療大学駅より以北については
2020年(令和2年)5月6日を最後日として廃止
が決まっています。

ですので札沼線の記事については北海道医療大学駅を境に
存続区間と廃止予定区間で区切りたいと思います。



札沼線06
こちらは北海道医療大学当別キャンパスです。
1974年(昭和49年)に東日本学園大学として設立された大学で、
医学部こそ無いものの5学部8学科からなる医療系総合大学となります。
札沼線07
大学の前の道路は学園通りという名前の町道で、
ご覧の通りから田んぼを挟んで駅のホームが見えます。
札沼線08
駅と学園通りの間には大学関係者用の駐車場が。
かなりの台数の停められる広さがあり、まるで商業施設の駐車場の様です。
札沼線09
駐車場入口からさらに北へと進むと
すぐに大学と駅とを結ぶ跨道橋が見えます。
札沼線10
跨道橋をくぐった北側すぐには
大学の敷地への入口ゲートがあり、ゲート脇には守衛の詰め所が。
札沼線11
ゲートのすぐ北側には横断歩道があり、
その先が駅への取付道路となっています。
札沼線12
学園通りから駅前広場までの様子です。
札沼線123
駅前広場に隣接してあるログハウス造りのカフェ。
地元の農家が副業で開いていた店の様ですが、現在も営業しているのかは不明です。
札沼線14
こちらが駅前広場から見た北海道医療大学駅の駅入口付近の外観です。
駅は1981年(昭和56年)に目の前にある東日本学園大学の請願により
大学前仮乗降場として設置され、翌年の1982年(昭和57年)に正式に駅となっています。
1995年(平成7年)に大学の名称が変わった事を契機に現在の駅名となりました。
札沼線15
左手のホームへの階段の前にはかつて駅舎がありました。
しかし駅の性格上駅舎を利用する人がほとんどいない為、
2015年(平成27年)に解体されており階段も封鎖されています。
札沼線16
そしてこちらが現在の駅への入口です。
連絡通路の入口ですが、現在ではこちらだけが駅の入口として使われています。
札沼線167
連絡通路へと入って右手の北西側を見ると目の前に自動扉があります。
札沼線18
自動扉の先は北海道医療大学の校舎内であり、
駅前広場に隣接して20周年記念会館という建物が建っています。
こちらには食堂の他にコンビニのセイコーマートが入っており、
列車を待つ学生はこちらの建物内で過ごすことが可能となっています。
札沼線19
連絡通路の、駅前広場と反対側にもご覧の入口があり
北海道医療大学の大学駐車場が広がっています。
駅前広場、連絡通路、20周年記念会館、そして駐車場は全て大学の敷地内にあり、
大学が駅設置を請願した際に、線路と隣接する敷地の一角を
駅施設として提供したであろうことが想像できる造りと言えるでしょう。
札沼線20
連絡通路の南東側に設けられた改札付近の様子です。
簡易Kitaca改札機が設置されています。
札沼線21
改札を入って右手にはホームへの連絡通路があり、
その先には2番線ホームがあります。
札沼線22
2番線ホームの様子です。
上り線の札幌方面行き列車のホームとなります。
札沼線23
2番線の北側の改札前付近にはご覧の車止めがあります。
ですので2番線は当駅始発となる折り返し列車が停まるホームとなり、
駅名標にも終着駅のごとく札幌方の駅名しか表記されていません。
札沼線24
元々この駅は開設時には単式の1番線しかありませんでした。
しかし発着列車数が増加したことによって1995年(平成7年)の駅名改称時に
こちらの2番線が新たに増設されました。
札沼線29
2番線に停まる札幌近郊を走る電車。
JR北海道が札沼線の電化に合わせて2012年(平成24年)に導入した通勤形車両です。
札沼線25
そして2番線ホームの北端、改札の左斜め前には
ご覧の1番線ホームへと連絡する通路があります。
こちらの通路までが1995年(平成7年)に増設された部分となります。
札沼線26
1番線ホームの様子です。
元々線路のあった場所に1981年(昭和56年)に
仮乗降場として設置されたのがこちらのホームとなります。
札沼線27
現在は上下線共に停まりますが、
主に十津川方面に行き来する気動車が使用するホームとなっています。
線路の反対側を走っている道路は国道275号線という国道です。
札沼線28
1番線ホームに停まる札沼線の気動車。
札沼線30
こちらは北海道医療大学駅のホームから北に150mほどの位置にある
北5号道路踏切という踏切です。
別段変わったところの無い様に見えるこの踏切は
札沼線そしてJR北海道にとって非常に意味のある踏切でもあります。
札沼線31
というのはこちらの踏切の先に札沼線の電化架線の終端があるからです。
札沼線は北海道医療大学駅を境に電化区間と非電化区間とに分かれますが、
この踏切が電化区間の終端部となります。
札沼線32
踏切から見た南の駅方向の様子です。



札沼線323
こちらは北海道医療大学駅前を通っていた学園通りを
北へと2km少々北上した付近の光景です。
こちらに次の駅へと連絡する取付道路の入口があります。
札沼線34
石狩金沢駅の駅舎外観です。
1935年(昭和10年)に国鉄札沼線の延伸によって開業した駅で、
かつては木造駅舎があり、現在でも駅舎の基礎跡が駅前に残っています。
札沼線39
ホーム側から見たかつての駅舎跡。
札沼線35
車掌車のヨ3500を転用した貨車駅舎の中の様子です。
貨物の荷室にベンチが置かれて待合室となっているいわゆるダルマ駅です。
札沼線36
駅舎はホーム南端の前にあり、
スロープでホームへと上がる構造となっています。
札沼線37
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
線路の向こう側60mほどには国道275号線が併走しています。
札沼線38
かつてはホームは島式として使用されていたもので、
駅舎と反対側にもう一つ単式ホームのある2面3線の駅だったそうです。
1979年(昭和54年)に無人化された後にレールが撤去されて
ホームの駅となった様です。



札沼線40
こちらは石狩金沢駅から北に4.2kmほどの距離にある
国道275号線の光景です。
周囲にほとんど何も無くひらけた視界のこの付近に
次の駅へと連絡する道が国道から分かれています。
札沼線45
国道から駅までおよそ100mほどの取付道路の先に駅が見えます。
札沼線46
こちらが本中小屋駅の駅舎の外観です。
1935年(昭和10年)の国鉄札沼線延伸で設置されたのは石狩金沢駅と同様であり、
車掌車のヨ3500を転用した貨車駅舎であるのも同じです。
札沼線48
この駅もかつては木造駅舎があった駅で、
現在の駅舎の目の前に基礎の跡が残っています。
札沼線52
そして駅前には空き地が広がっており、
国道の向こう側まで一面が平らで地平線の見える光景となっています。
札沼線47
駅舎の中はご覧の通り、貨車駅舎の荷室にベンチが置かれています。
札沼線49
ホーム側から見た駅舎。
札沼線50
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
札沼線51
ホームの反対側には山と畑が見えるものの
民家は散在している状態です。



札沼線53
本中小屋駅から引き続き国道275号線と併走しながら北上する札沼線。
3.2kmほど進んだ中小屋郵便局のある付近が次の駅の駅前となります。
札沼線58
郵便局の並びの北側にある、営業している様子の無い食堂。
札沼線54
食堂の前に横断歩道があり、
中小屋の名前のついた信号が設置されてます。
札沼線55
信号から切り返して西側を見ると、国道に隣接して駅前の広場が。
札沼線56
こちらが中小屋駅の駅舎です。
1935年(昭和10年)開設でヨ3500を転用した貨車駅舎であるのは
石狩金沢駅、本中小屋駅と同じです。
この駅もかつては木造駅舎があって基礎の跡が残っています。
札沼線57
駅舎の中の様子です。
ベンチが置かれた待合室となっているのも他のダルマ駅と同様です。
札沼線59
ホーム側から見た駅舎付近。
札沼線60
こちらがホームの様子です。
単式1面1線の棒線無人駅となります。
札沼線61
ホーム南端の東側にはかつての貨物側線の線路がまだ残っていました。
札沼線62
駅の向かい側には水田がひろがっており、
その奥には丘が見えます。



札沼線623
引き続き札沼線は国道275号線と併走して北上し、
2.8kmほど進んだ月ヶ岡の信号付近の国道沿いに次の駅があります。
札沼線65
反対の北側から見た月ヶ岡の信号付近。
札沼線64
信号には横断歩道が設けられており、
目の前が駅の敷地の入口となっています。
札沼線66
国道に隣接した敷地は舗装された駐車場となっており、
さながら国道脇に作られた公園の休憩スペースの様になっています。
札沼線68
駐車場の北東角にあるオブジェ。
札沼線67
こちらが月ヶ岡駅の駅舎となります。
駅は1958年(昭和33年)にすでにある線路脇に新設されたものであり、
現在の駅舎は前の駅舎が焼失したために
1993年(平成5年)に公園休憩所として立て直されたものです。
札沼線69
ログハウス風の駅舎の入口付近。
札沼線70
こちらが駅舎の中の様子です。
前の駅舎が無くなって代わりの待合所として作られた建物ですが、
地域の集会所や国道のドライバーの休憩所としても使われています。
札沼線71
ホームへの入口は、駅舎の北側の駐車場前にあります。
札沼線72
入口前に立てられた月形町のガイドマップ。
札沼線73
こちらがホームへと上がる階段となります。
札沼線74
ホームは単式ホーム1面1線で、
土盛りでは無く鉄骨にアスファルト敷きで作られています。
札沼線75
手すりはあるもののホーム上に白線などは無く
無骨にホームがあるのみの状態となっています。
札沼線76
ホーム北端の先にある月ヶ岡道路踏切。



札沼線77
こちらは道道11号月形厚田線という道道で、
札沼線と併走してきた国道275号線から東へと伸びている道路です。
国道から西に700mほど進んだ場所にご覧の厚田岩見沢線踏切があります。
札沼線78
この踏切の北側の線路脇に次の駅が設けられています。
札沼線79
こちらが知来乙駅の駅舎の外観です。
隣の月ヶ岡駅と同様に1958年(昭和33年)にすでに敷かれた線路脇に新設された駅となります。
札沼線80
建物の中の様子です。
無人駅の木造の待合室で長椅子タイプのベンチが置かれています。
奥の扉はトイレとなります。
札沼線82
ホーム側から見た駅舎前の様子です。
線路脇の砂利敷きの広場が駅前の敷地となります。
札沼線81
そして駅舎の前にはホームの南端があり、スロープで上がることができます。
札沼線83
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
札沼線84
駅周辺はご覧の通り畑の広がる地域で
あたり一面に視界を遮る建物がありません。
札沼線85
西側の道道から見た駅周辺の光景。



札沼線86
こちらは道道376号石狩月形停車場線の光景です。
道道はいわゆる停車場線で、月形町役場の前を南北に走って
ご覧の交差点で西へと曲がり駅へと連絡しています。
札沼線87
交差点から南の役場方面の様子。
札沼線88
こちらが交差点から西の駅への光景で、
駅から交差点まではおよそ100mほどです。
札沼線89
石狩月形駅の駅舎の外観です。
1935年(昭和10年)の国鉄札沼線の延伸によって開設されたのは周辺駅と同様ですが、
この駅は月形町の中心駅であり、札沼線の非電化区間唯一の社員配置駅となります。
札沼線91
道道の停車場線は駅前が起点となっており、
T字路の突き当たりに駅舎が設けられていました。
札沼線94
駅前の駅舎とトイレの間に立っていた
月形町の案内地図の看板です。
札沼線90
駅舎を背にして見た道道376号石狩月形停車場線。
札沼線92
こちらが駅舎の中の様子です。
待合室にはダルマストーブが置かれていました。
有人駅ですので窓口が営業していますが、
非電化区間はワンマン運転なので駅で改札業務は行っていません。
札沼線95
改札は行いませんが列車到着時にはご覧の案内札は下げられており、
駅員さんも構内に立って業務にあたっていました。
札沼線93
待合室の時刻表。当駅終着の列車が2本ある為、
この駅から北の新十津川方面へは一日6本となっていました。
札沼線96
改札を出ると構内踏切を渡って島式のホームへ。
札沼線97
こちらがホームの様子となります。
島式ホーム1面2線となっており、駅舎のある東側が札幌方面行きの上り線、
反対の西側が新十津川方面行きの下り線ホームとなります。
札沼線98
上り線と駅舎との間には貨物の積み下ろし用の線路が残っており
保線用の待避線として使われています。

この石狩月形駅より北の札沼線に交換設備は無く1閉塞区間となっています。
その為か当駅より北側はスタフ閉塞となっています。



札沼線99
こちらは石狩月形駅から国道275号線を4.8kmほど北上した付近の光景です。
右手の東側には石狩川が併走しているこちらから、
西に向かって道路が分岐していて駅への案内標識が設置されています。
札沼線a01
案内に従って国道から西へと一本道を1kmほど西進すると
坂を上った先に橋が見えてきます。
札沼線a02
豊ヶ丘陸橋と橋名の銘板があるこの橋は、
次の駅の北側170mほどで札沼線を跨いでいる跨線橋となります。
札沼線a03
跨線橋から南を望むとご覧の通り、
直線の線路と駅を俯瞰できる絶好の撮影スポットであるのが分かります。

金網の穴は不心得者の撮り鉄が撮影の為に工具で破壊した跡だと言われています。
個人的には現場を見たら許さない行為なのですが。
札沼線a04
反対の北側の金網にも同様の穴が開けられていました。
この穴は鉄道漫画にも描かれている穴で一部には有名な様です。
札沼線a05
こちらは跨線橋を国道とは反対側の西側から見た光景です。
道路が橋の手前でカーブを描いているのが分かります。
札沼線a06
跨線橋から60mほどのそのカーブから一本の砂利道が分かれているのですが、
畑の中のあぜ道に見えるこちらこそが駅への道となります。
駅がある事を示す標識などは無く、駅があると知らなければ
ここが駅への入口とは分からない
と思います。
札沼線a07
鉄道保安林の中を通る砂利道をおよそ200mほど進むと
小さな建物の屋根が見えてきますが、こちらが駅の待合室となります。
札沼線a08
こちらが札沼線で随一の秘境駅として名高い
豊ヶ岡駅の駅の外観となります。
駅は1960年(昭和35年)に豊ヶ丘地区の住民の請願によって新設開業しました。
尚、この地の地名は豊ヶ「丘」ですが駅名は豊ヶ「岡」となっており理由は不明なのだそうです。
札沼線a09
こちらが駅舎となります。小さな木造の待合室で、
入口の上に木製の駅名標がまるで山小屋のようにあります。
札沼線a10
駅舎の中はご覧の通りで、壁沿いに木製のベンチが設けられていますが
待合室の真ん中には誰かが持ち込んだテーブルが置かれていました。
札沼線a11
駅前広場といったものはこの駅にはありませんが、
駅への連絡道である砂利道がゆるやかな坂となっており、
待合室周辺が若干広くなっています。
札沼線a12
そして駅舎の目の前にあるこちらが札沼線の豊ヶ岡踏切です。
遮断機の無いこちらの踏切の脇に駅のホームがあります。
札沼線a13
こちらが駅ホームへの入口となる階段です。
札沼線a14
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
札沼線の他の駅のホームが土盛りやアスファルトなのに対して
この駅のホームは板張りとなっています。
札沼線a15
数年前まではコンクリートのホームだった様なのですが、
老朽化で崩れかけており板張りに直された様です。
ホーム柵も単管パイプとネットが張られて直されていますが
クランプカバーの新しさが改修まもない事を示しています。
札沼線a16
そして踏切から駅舎と反対の東側にも
ご覧の砂利道が伸びているのが見えます。
ゆるやかな坂を上ると道が左手へと曲がり周囲が開けた光景となります。
札沼線a17
曲がり角から切り返して見た駅方面の光景。
札沼線a18
130mほど進むと砂利道は舗装された道路へとぶつかります。
札沼線a19
合流した場所は、豊ヶ丘陸橋の東側すぐ手前の地点でした。
つまり豊ヶ岡駅へと向かうには、
陸橋の西と東のどちら側からも砂利道が通じているということです。



札沼線a20
こちらは国道275号線の札比内信号付近の光景です。
豊ヶ岡駅を出た札沼線は再び国道と近づき、
鉄道の営業キロで2.5km、国道の豊ヶ岡駅入口からは2kmほどで次の駅の駅前となります。
札沼線a21
国道から駅舎へは60mほどの取付道路が延びているのですが、
間が何も無い空き地となっているのであたかも広大な駅前広場がある様に見えます。
札沼線a22
こちらが札比内駅の駅舎の外観です。
1935年(昭和10年)の国鉄札沼線の延伸で設置された駅で、
かつては写真左側にも駅舎が伸びていましたが、減築されて現在の大きさとなった様です。
札沼線a23
駅舎の中の様子です。
1979年(昭和54年)に無人駅となっていますが、かつて使われた窓口は残っていました。
この窓口も2010年(平成22年)頃までは使われていたそうです。
札沼線a24
窓口に掲示されている「切符を委託販売している薬局」というのは
国道の反対側正面にあるこちらの建物の様です。
札沼線a25
ホーム側から見た駅舎前の様子です。
改札を出ると数m離れてホームへ上る階段があります。
これはかつて島式1面2線だった頃の線路のあった跡です。
札沼線a26
こちらがホームの様子です。
現在の駅は単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
札沼線a27
駅周辺にはご覧のように畑と空き地が広がっていますが
周辺にはちらほらと民家が見えます。



札沼線a28
こちらはJR札沼線の北海道医療大学駅━札比内駅間の
au 4G LTEでの電波エリアマップです。
ご覧の通り線路上では全ての区間が電波エリア圏内となっています。
北海道の平原でトンネルもありませんので駅へのアクセスに困る事は無いでしょう。


石狩川の対岸およそ4kmほどの距離をJR函館本線が併走しており、
函館本線からのレーダーで基本的に札沼線の駅は取得が可能です。

また北海道医療大学駅までは都市近郊路線で電車本数も多く、
月ヶ岡駅まではレーダー射程圏内となっています。
札沼線a29
北海道医療大学駅より北に関しては先にも述べた通り
2020年(令和2年)5月6日を最後に廃止
が決まっています。
しかしながら区間が丸ごと廃駅となってしまっても、函館本線からアイテムで取れるという特性上
さほど駅メモでのプレイに影響は与えないでしょう。

ですが、せっかくまだ乗れるチャンスがあるのですから
廃止前に一度は「始発で最終」の列車に乗ってみるのも一興かと思います。
乗って札沼線を攻略できるのはあとわずかしかありません。


札比内駅より北についてはその2にて。

では。
【写真撮影:2018年5月】

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