北海道

石勝線93
さて、次は北海道の石勝線となります。


元々は夕張炭田の石炭を運ぶ目的で
北海道炭礦鉄道によって夕張線として1892年(明治25年)に
追分駅━夕張駅で開業した路線です。

国営化され国鉄夕張線となった後も貨物で賑わう路線でしたが
夕張炭鉱の衰退と共に地方の閑散ローカル線となっていきます。

しかし炭鉱の閉山と入れ替わるように
1981年(昭和56年)には千歳空港駅(現・南千歳駅)━追分駅間と
新夕張駅━上落合信号場━新得駅間が開業し、路線が石勝線に改称されます。
これによって北海道の道央と道東を結ぶ広域幹線としての役割を担い、
旧夕張線の追分駅━新夕張駅間の線路も路盤改良や複線化が行われて
札幌と帯広・釧路方面を結ぶ特急バイパス路線へと生まれ変わりました。



石勝線01
こちらはJR北海道の千歳線の千歳駅です。
正確にはこの駅は千歳線所属の駅であり、石勝線の駅ではありません。
ですから駅メモでも千歳線の駅として収録がされています。
石勝線02
島式ホーム2面4線の駅ですが、
このうち内側の2番線と3番線に石勝線の列車が発着を行っています。
石勝線03
石勝線の「夕張行き」を示す2番線の電光掲示板。
石勝線04
列車のサボも「夕張━千歳」となっています。
石勝線はその路線の特性上から、
南千歳駅が起点ではありますが全ての列車が千歳駅まで乗り入れ
をしています。

しかし新夕張駅━新得駅間には普通列車は運行しておらず
特急列車しか走っていません。
ですので石勝線の普通列車は千歳駅━追分駅間と、
千歳駅━夕張駅のみの運行
となっています。

実質的には石勝線は札幌と釧路を結ぶための特急用バイパス路線であり、
普通列車は特急の隙間を申し訳程度に走っているのみの状態です。
まるで新在直通の新幹線路線のようなダイヤになっているのが実状となっています。



石勝線05
こちらは南千歳駅の北口の外観となります。

1980年(昭和55年)に千歳線の千歳空港駅として開業したのが始まりで、
元々は信号場の予定だったものを、日本初の空港連絡駅として開設された駅です。
翌年の1981年(昭和56年)には石勝線の開業によって起点駅となり
路線の連絡駅として全ての特急が停車する様になりました。

1992年(平成4年)には新千歳空港の開設によって
新千歳空港駅までの空港支線が開業。
これによって南千歳駅へと改称され現在へと至っています。
石勝線06
正確にはこの建物は「南千歳駅連絡歩道」であり、
千歳市の公道の跨道橋となります。
ですので入口には「アルカディア自由通路」とは書かれていますが
JR南千歳駅のロゴ表記は見当たりません。
石勝線07
連絡歩道の中はオフィスビルのように整備されており、
跨道橋部分はタイルカーペット敷きとなっています。
石勝線08
通路から見た駅前の様子。
元々「千歳空港駅」として開業した1990年代には
こちらの駅東側は雑木林が広がるのみの光景だったそうです。
しかし空港アクセスの良さなどが着眼されて
2001年(平成13年)には千歳アルカディアプラザ開設、
そして2005年(平成17年)の千歳アウトレットパーク・レラの開業などがあり、
現在ではレンタカー会社が集結するなど開発が進んでいます。
石勝線09
連絡通路と駅のコンコースの境界の自動扉です。
石勝線10
中に入って駅の改札前付近の光景です。
元々「千歳空港駅」だったこの駅は現在でも空港の窓口駅としての面影を
改札脇のカウンターなどに残しています。
石勝線11
そして改札から西側の空港方面にも千歳市の連絡歩道が延びていますが、
こちら側はご覧の通りかなりうらぶらた状態となっています。
この歩道はかつての千歳空港への空港連絡通路でした。
石勝線12
通路はご覧のように千歳線と並走する国道36号線を跨いでいますが、
反対側の歩道より先で歩道は途切れています。
石勝線13
こちらは新千歳空港のエアポートヒストリーミュージアムにあった
南千歳駅(当時の千歳空港駅)の航空写真です。
駅から西側の通路が当時のターミナルまで伸びているのが分かります。
石勝線14
こちらは戻って改札内の光景です。
石勝線15
島式の1、2番線ホームです。
1番線は千歳線上り苫小牧・室蘭方面と石勝線下り釧路方面行きとなります。
そして2番線は基本的に千歳線の下り札幌方面行きのホームとなっています。
石勝線16
この駅では新千歳空港への空港アクセス列車である快速エアポートが
基本的に駅の中央の2、3番線に停車する為、
1、4番線を使用する千歳線や石勝線との対面乗り換えが可能です。
その為乗り換え客の為にホームにはご覧の大きな待合室が作られています。
石勝線17
こちらは西側にあ島式の3、4番線ホームです。
3番線が千歳線の空港支線へと向かう上り線で、
4番線が札幌方面行きの千歳線下りホームとなります。
石勝線19
そしてこちらのホームで特筆すべきは
この石勝線の0キロを示すモニュメントです。
北海道の形の石版に石勝線の路線が書き込まれています。
石勝線18
石版の位置の3番線ホーム下にはご覧のゼロキロポストも設置されています。
これによってこの南千歳駅が石勝線の起点であることが分かります。



石勝線20
こちらは追分駅の駅舎の外観です。
1892年(明治25年)に北海道炭礦鉄道室蘭線の駅として開業しました。
現在の駅舎は1980年(昭和55年)に改築されて以来のものであり、
南千歳駅からは17.6kmの距離があります。
石勝線22
駅の出口は東側のみで、駅舎の前にはご覧の広い駅前ロータリーがあります。
石勝線21
駅の正面にあるこちらは追分橋で、欄干には動輪が。
石勝線23
反対側の欄干には何やらメロディが流れるボタンがついていました。
石勝線24
駅前広場の一角にはこちらの動輪が置かれています。
こちらの追分駅は開業当時から追分機関庫が置かれており、
室蘭本線と夕張線(現・石勝線)の結節点にある石炭輸送の大動脈でした。

国有化され追分機関区となった後も数多くのD51形蒸気機関車が集結しているなど
「国鉄最後の蒸気機関車の車庫」として鉄道ファンの聖地ともいうべき場所だったそうです。

蒸気機関車が引退した後も機関庫には何台ものSLが保存されていましたが
1976年(昭和51年)の機関庫の火災によって消失。
ここに動輪があるD51-465もその時に消失した一台のものです。
石勝線25
その後機関区には機関車の配置が無くなって「追分運転区」となり
1992年(平成4年)には運転士が追分駅に編入。
そして2005年(平成17年)には岩見沢運転所へ再編入されて
この駅はかつての拠点としての役割を終えています。
石勝線26
駅舎に戻り改札前の様子です。
この駅は社員配置の有人駅となっています。
石勝線27
駅舎側の単式の1番線ホームです。
主に特急列車が使用するホームで石勝線の上下線共に停車します。
石勝線28
ホーム上の駅舎の改札付近の様子です。
石勝線29
島式の2、3番線ホームとは跨線橋で連絡しています。
石勝線30
跨線橋の中の様子です。
石勝線33
こちらが2、3番線ホームです。
2番線は主に室蘭本線の下り苫小牧方面行き、
反対の3番線は室蘭本線の上り岩見沢方面行き列車が使用しています。
石勝線34
ホームから西側を見るとご覧の用に広大な駅の敷地が広がっており、
かつて機関庫のあった駅である面影が残っています。
石勝線32
そして島式ホームの北側には、
2番線ホーム側に切り欠きの4番線ホームが設置されています。
石勝線31
4番ホームの様子です。
石勝線の当駅止まりや回送の列車が使用することのあるホームとなります。



石勝線35
こちらは県道462号線の追分向陽十字路です。
追分駅の東の県道をそのまま4kmほど進んだ地点となります。
石勝線36
この交差点から北にはご覧の砂利道が伸びていますが、
こちらがかつての東追分駅へと伸びる道となります。
石勝線37
交差点の西の目の前には、
恐らく駅に一番近かったであろう農家があります。
石勝線38
県道から、その農家の北を見ると
石勝線のライトブルーのスノーシェッド(防雪の囲い)が二つ見えます。
こちらがかつての東追分駅の跡であり、現在は東追分信号場の設備となります。

2016年(平成28年)3月26日に旅客営業廃止となった為、
廃駅になったのは駅メモのリリース後となります。
その為駅メモでは石勝線の東追分駅として廃駅で登録されていますので
取り逃しの無い様に注意が必要な駅となります。
石勝線39
信号場への砂利道を進むとご覧の踏切が。
かつての駅跡の東200mほどにある東丘通り踏切です。

こちらはサントリー「金麦」のスポットCM「帰り道編」の動画です。
2010年(平成22年)9月よりオンエアーされたこのCMは、
当時の東追分駅横のこの踏切付近で撮影されました。
石勝線40
北側から見た踏切への道の様子です。
石勝線41
踏切から西の南千歳方面を見ると信号上のスノーシェッドが
ご覧の通り見えます。
石勝線42
踏切から石勝線の線路に沿って西への伸びる砂利道。
この道がかつて旅客営業をしていた東追分駅への道でした。
現在は東追分信号場として鉄道用地内となっていますので
入り口にはトラロープが張られて部外者は進入出来ません。
石勝線43
列車内から見た東追分信号場の中の様子です。
こちらは西側のスノーシェッド付近となります。
石勝線44
かつての駅のあった付近を信号停止中の車窓から。
石勝線45
こちらは旅客営業をしていた時の東追分駅の外観です。
写真奥側の跨線橋の向こう側が東丘通り踏切のある方角となります。
東側のスノーシェッドのすぐ目の前に相対式2面のホームと
跨線橋があったのが分かります。
(現在は取り壊されて駅施設は存在しません)
石勝線46
車中から見た東側スノーシェッドの中の様子。



石勝線48
追分駅から石勝線と並走するように走ってきた道道462号線も
こちらの由仁町川端で国道に合流し終端となります。
石勝線47
道道462号線の東端である川端交差点。
この交差点の南に次の駅があります。
石勝線49
ガソリンスタンドの前を過ぎた南に進むと駅舎が。
石勝線50
こちらが川端駅の駅舎外観です。
1894年(明治27年)に北海道炭礦鉄道の駅として開業しました。
開業時はここから400m東にあったそうで、
夕張川の川岸近くに駅があったのが駅名の由来だそうです。
隣の追分駅からは9.4km、東追分信号場からは5.4kmの距離にあります。
石勝線51
駅舎の中の様子です。
広い待合室がありますが中はガランとしています。
石勝線52
駅舎側の1番線です。
駅は相対式1面1線と島式1面2線の計2面3線の駅となっています。
石勝線53
二つのホームはご覧の跨線橋で連絡しています。
石勝線54
跨線橋から見た駅の全景です。
石勝線55
そして跨線橋の南側の端には外へと出る扉があり、
扉の外には階段があって客車の前に連絡していました。

この客車はスハフ44-11とスハフ44-27で、かつて函館本線で運行をしていた
「C62ニセコ号」という蒸気機関車の観光列車の客車です。
1996年(平成8年)に除籍された後、川端駅の横で開業した
「ユニトピア川端パークゴルフ場」のレストハウスとして
静態保存され現在に至っています。
石勝線56
しかしながらこのパークゴルフ場は2010年(平成22年)頃に営業を停止。
コースと共に客車も放置状態となっています。
石勝線57
島式の2、3番線ホームです。



石勝線58
こちらは川端駅前で東に進路を変えた国道274号線を8.8km東進し、
夕張市に入ってまもなくの付近にある滝ノ上の信号機です。
石勝線59
滝ノ上の信号には横断歩道があり、
その目の前には石勝線の次の駅があります。
石勝線60
滝ノ上駅の駅舎の外観です。
駅舎のルックスは隣の川端駅とほぼ同じ形となっています。

1897年(明治30年)に北海道炭礦鉄道の駅として開業した駅で、
石勝線の駅となっている現在では追分駅━夕張駅間の普通列車が日に6本停まるのみです。
位置的には石勝線の特急列車の通過線上にありますが、
運行的には廃止の決まった夕張支線の列車しか停まらず
夕張支線の一部と言っても過言では無い状態
です。
石勝線61
建物内の待合室の様子です。
石勝線65
ホーム側から見た駅舎付近。
石勝線62
駅舎側の単式の1番線ホームです。
下り線の夕張方面行きホームとなります。
石勝線63
そしてこちらがホーム同士を連絡している跨線橋。
石勝線66
この駅の跨線橋の特徴として、ホームからの階段以外に
駅の外への階段が両側についていて、
あたかも自由通路のような構造になっているという点です。
石勝線64
島式の2、3番線ホーム。
2番線が上りの本線で千歳方面行きとなっており、
反対側の3番線は上下の副本線として列車交換時の退避用となっています。
石勝線67
そして駅の東側のスノーシェッドの先は踏切となっていて、
中から駅への様子が窺えました。



石勝線68
滝ノ上駅から国道274号線を夕張川に沿って4kmほど東進すると
国道沿いの線路上にスノーシェッドが見えてきます。
このスノーシェッドは現在の石勝線の十三里信号場のものです。
石勝線69
その先には信号施設の建屋がありますが、
この付近がかつての十三里駅の駅跡となります。

駅が開設されたのは1962年(昭和37年)と国鉄時代のことであり
石勝線の駅としては新しい駅となります。
駅メモリリース後の2016年(平成28年)3月に駅が廃止された為、
ゲーム上では現在でも廃駅として収録されていますので
取り逃しには十分注意をして下さい。
石勝線70
ご覧の建屋の前の道が営業時の駅の入口でした。
写真のバリケードの向こう側がかつての駅前広場のスペースであり、
スノーシェッドの目の前にホームと跨線橋がありました。
石勝線71
まだ駅施設があった当時の写真がこちらです。
相対式2面2線の駅だったことが分かります。
跨線橋の階段下は密閉された待合スペースとなっていました。
そして信号建屋には「十三里駅」と大きく書かれていたのが分かります。
石勝線72
現在の建屋を見ると、かつて駅名の書かれていた場所は
壁と同じ色のペンキで塗りつぶされているのが分かります。
石勝線73
駅跡の国道反対側の正面には、この付近の唯一の人家ともいえる
メロン農家の小野農園があり、お土産の販売所も置かれています。
農園入口の「夕張わメロンの里:ダドー」の看板は
十三里駅前の名物でもありました。
石勝線75
こちらは十三里信号場の南西側のスノーシェッド。
石勝線74
夕張方面側である北西側のスノーシェッドは
国道274号線と道東自動車道の立体交差のすぐ手前にあります。
「周辺に人家の無い秘境駅」と言われた十三里駅ですが
国道沿いにあり近くには道東自動車道夕張インターもあるため
車での来訪は比較的容易な駅でした。
石勝線76
夕張側スノーシェッドの先すぐで道東自動車道と石勝線が立体交差していますが、
その真下には小野通り踏切があって信号場方面を見渡すことができます。



石勝線77
十三里信号場から3kmほど国道274号線を進むと
石勝線は夕張川を渡り紅葉山交差点へと差し掛かります。
紅葉山交差点を西へと曲がると石勝線が見えてきますが、
こちらが次の駅の駅前ロータリーへの入口となります。
石勝線78
看板に従って駅前へ。
石勝線79
新夕張駅の駅舎の外観です。
1892年(明治25年)に北海道炭礦鉄道の紅葉山駅として開業した駅で、
石勝線の開通した1981年(昭和56年)に新夕張駅へと改称がされています。
石勝線80
こちらは駅前ロータリーの片隅に移設されている
紅葉山駅時代の駅名標です。

石勝線開通までは追分駅━夕張駅間は夕張線でしたが、
新夕張駅へと改称と同時に石勝線へと所属が変更。
そして新夕張駅━夕張駅間は石勝線の夕張支線となり、
この新夕張駅が支線の起点となりました。
石勝線81
駅前ロータリーの様子です。
2017年(平成29年)に拡張工事がされて現在の広さになっています。
石勝線82
ロータリーの正面には階段があり、
一段低い夕張市の武道館前がかつては駅前のバス停となっていました。
現在は夕鉄バスのバス停は駅前ロータリーへと移動しています。
石勝線83
駅舎へと戻り入口を入ると正面が改札で、
左手には待合スペースがありました。
石勝線84
改札内に入るとご覧の連絡通路が。
ホームが築堤上の高台にあるので地下通路のようになっています。
石勝線90
連絡通路からホームへと階段で上がると
ホーム出口前はご覧の様に密閉式となっており
待合のベンチが設置されていました。
石勝線91
振り返って階段の降り口の軒を見ると
「ようこそ夕張へ」のメロンの看板が。
石勝線85
駅舎寄りの島式ホームの1、2番線です。
1番線は上下線の特急停車ホームとなっています。
そして2番線は副本線として普通列車の一部が使用する下り夕張方面ホームとなります。
石勝線86
こちらのホームにある夕張方面行きの乗り換え案内。
石勝線87
島式の3、4番線ホームです。
石勝線の上下の普通列車の停まるホームとなります。
ちなみに石勝線では新夕張駅以東への普通列車は運行していませんので
上り線は千歳方面行きですが、下り線は夕張方面行きとなります。
石勝線92
こちらのホームの階段も密閉され待合スペースになっています。
石勝線88
そして4番線ホームの線路の向こう側には車止めのある引き上げ線があります。
その線路の脇にご覧の石勝線の夕張支線のゼロキロポストがありました。
石勝線89
そしてこちらは3、4番線ホームの東端です。
かつては赤線で示した切り欠きの0番線ホームがありました。
これは石勝線の登川支線の発着ホームで、
1981年(昭和56年)に支線が廃止されるまで楓駅と新夕張駅を往復していました。
現在はご覧のように跡形もなく撤去されています。



石勝線94
こちらは石勝線の起点である南千歳駅から新夕張駅までの区間の
au 4G LTEにおける電波エリアマップです。
周囲に一面のトウモロコシ畑のある区間などを通るわりには
全ての区間で電波エリア圏内となっています。
この区間で駅へのアクセスに困ることは無いでしょう。

またこの区間には東追分駅と十三里駅という廃駅が含まれています
普通列車であればおおむね信号場で運転停車をするので
現在は信号場である二つの廃駅も取り易いでしょう。
しかし特急の場合は高速で信号場を通過するので
廃駅があると認識していないと取り逃す危険性は小さくありません。
この点は注意が必要でしょう。


石勝線の続きはその2にて。

では。

根室本線_花咲線00
さて、次は根室本線の花咲線についてです。

根室本線自体は道央西部の滝川駅を起点として
北海道のど真ん中を貫いて根室半島の先の根室駅まで続く
全長443.8kmの長い路線です。

そして釧路駅を境に根室駅までの根室半島の区間135.4kmは
同じ根室本線ながら釧路駅以西とは完全に運行が分離されています。
1991年7月には「花咲線」の愛称がつけられて
この区間のワンマン運転が開始されています。
花咲線で釧路駅━根室駅の所要時間は片道でおよそ2時間半程度となっています。



根室本線_花咲線01
こちらはJR釧路駅
根室本線はこの釧路駅で運転系統が分割されており、
釧路駅━根室駅間を運行する花咲線の始発駅となっています。
この区間の「花咲線」の愛称は1991年につけられました。
根室本線_花咲線02
こちらはD51-467の動輪。
釧路駅開業90周年を記念して1991年に駅前に設置されたものだそうです。
根室本線_花咲線03
釧路駅の駅舎を背に左手を見ると
バスロータリーがあり、15番乗り場まである一大拠点となっています。
そして黄色い看板の目立つスーパーホテルの建物の1階に
釧路駅前バスターミナルが設置されており、
待合室とバスの券売所や案内所が設けられています。
根室本線_花咲線04
こちら駅舎内の改札付近。
さすが雪国らしく、改札のホーム側はガラスで仕切られて
風雪が吹き込まないようになっていました。
根室本線_花咲線05
こちらが駅舎に一番近い1番線ホーム。
根室本線_花咲線06
こちらは1番線にある釧路の駅弁販売店の釧祥館(せんしょうかん)です。
根室本線_花咲線07
各ホームは地下道で連絡されています。
根室本線_花咲線08
こちらが駅舎から一番遠い4、5番線ホーム。
根室本線_花咲線09
真ん中の3、4番線ホームには石炭のオブジェや湿原の鐘などが設置されていました。
根室本線_花咲線10
こちらが石炭のオブジェ。
かつて釧路にあった太平洋炭礦の石炭の様です。
根室本線_花咲線11
こちらが湿原の鐘。
くしろ湿原ノロッコ号の停車駅に設置されたものの様ですね。




根室本線_花咲線12
東釧路駅
島式ホーム1面2線の駅です。
根室本線の途中駅ですが、釧網本線の起点駅でもあります。
根室本線_花咲線16
こちらが駅の構内踏切。
根室本線_花咲線13
構内踏切の先の、駅舎をホーム側から見た外観です。
駅舎とホームの間の空き地はかつての引込み線があった用地で
ぽつんと釧網本線のゼロキロポストが設置されています。

かつては太平洋石炭販売輸送臨港線がこの駅から分岐していたり、
雪印の釧路工場への専用線が延びていたりと
貨物線の分岐する場所だっただそうですが
現在は花咲線と釧網本線のみが使用する駅でさながら途中駅の体です。
根室本線_花咲線14
こちらが駅舎の外観。
根室本線_花咲線15
駅舎の前は生協の駐車場となっています。



根室本線_花咲線17
武佐駅
単式1面1線の棒線無人駅です。
駅名は地名からで「ムサ」とはアイヌ語でイラクサの事だそうです。
駅北側は原野が広がり、南側は住宅が立ち並んでいます。



根室本線_花咲線18
別保駅
単式1面1線の無人駅です。
駅名は地名からでアイヌ語の「ベッ・ポ(川の子)」が由来だそうです。



根室本線_花咲線19
上尾幌駅
2面2線のホームがあり、単式ホームと島式ホームの片側が使用されています。
かつては炭鉱町として栄え多くの引込み線があったそうですが
現在は無人駅となっています。



根室本線_花咲線20
尾幌駅
単式1面1線の無人駅で駅舎は貨車駅舎となっています。
駅名は地名からアイヌ語の「オ・ポロ・ペッ(河口の大きい川)」に由来するそうです。



根室本線_花咲線21
門静駅
単式1面1線の棒線無人駅です。
駅名は地名からで、アイヌ語の「モイ・シュツ(湾のかたわら)」に由来するそうです。



根室本線_花咲線22
厚岸駅
単式ホームが二つある2面2線の駅です。
花咲線の中間駅では唯一となる有人駅で、
花咲線の運行管理もこの駅で行っています。
根室本線_花咲線23
駅舎から遠い2番線ホームは跨線橋で連絡しています。
こちらのホームは列車交換時の下り列車のみが使用します。
根室本線_花咲線24
跨線橋から見た駅の構内。
根室本線_花咲線25
階段を降りるとご覧の駅舎への通路があります。
根室本線_花咲線27
駅舎のホーム側の光景。
根室本線_花咲線26
駅舎の入口の目の前には1番ホームへと渡る橋があります。
根室本線_花咲線28
こちらが橋を渡った1番線ホーム。
基本的にこの駅の列車は上下線ともにこのホームで発着を行います。
根室本線_花咲線29
こちらが駅舎の外観です。
根室本線_花咲線30
駅前の様子。
根室本線_花咲線31
駅前広場の右手にはご覧の氏家待合所があります。
こちらは厚岸の駅弁であるかきめしなどを作っており、
事前に電話予約をすると列車到着時に
ホームまで持ってきてくれるシステムとなっています。



根室本線_花咲線32
糸魚沢駅
単式1面1線の棒線無人駅です。
駅名の由来は、アイヌ語の「チライ・カリ・ペツ(イトウのいる川)」で
和訳をして糸魚沢となったそうです。
現在ある写真の駅舎は2015年に新しく作られた駅舎で
それまでは隣に木造平屋建てで切り妻屋根の旧駅舎があったそうです。



根室本線_花咲線33
茶内駅
千鳥式の相対ホーム2面2線の駅で列車交換の可能な駅となっています。
かつては駅員がいましたが現在は無人駅で、
ホーム同士は構内踏切で行き来する構造です。
駅名は地名からで、アイヌ語の「イチャン・ナイ(サケの産卵場のある川)」に由来するそうです。

この駅付近はルパン三世の原作者のモンキー・パンチの出身地であり、
1番乗り場の駅名標横にはご覧の通り銭型警部の立看板が設置されています。
根室本線_花咲線34
こちらは駅舎の外観。
入口脇にはルパンが立っています。
根室本線_花咲線35
駅前の案内図には「モンキーパンチの故郷浜中町へようこそ」の文字が。



根室本線_花咲線36
浜中駅
単式1面1線の無人駅となっています。
駅名は地名からで、アイヌ語の「オタノシケ」(砂浜の真ん中)を意訳したものだそうです。
この駅は駅名標の横にルパンが立っています。



根室本線_花咲線37
姉別駅
単式1面1線の棒線無人駅でプレハブの待合室が設置されています。
駅名は地名よりアイヌ語の「アネ・ペッ(細い川)」に由来だそうです。
根室本線_花咲線38
待合室の窓にはご覧の通り、銃を構えるルパンと銭型警部が
窓にあしらわれています。



根室本線_花咲線39
厚床駅
単式1面1線の棒線無人駅となっています。
根室本線_花咲線40
2016年3月まではこの駅には2番線ホームがあり、
現在でもそのホームの跡や交換設備が残っています。
しかし3月以降はダイヤ改正によって2番線ホームは廃止され、
構内踏切も階段に蓋がされて閉鎖されています。
根室本線_花咲線41
またホームの駅舎の前には
かつてこの駅から分岐をしていた標津線の記念碑が設置されています。



根室本線_花咲線42
初田牛駅
単式1面1線ホームの棒線無人駅です。
駅名は地名からで、アイヌ語の「オ・ハッタラ・ウシ(河口に深い淵のある所)」に由来するそうです。
周辺はほぼ原野と言って良い状態であり、
民家はほとんど見当たりません。
 ※2017年3月廃止候補の駅。



根室本線_花咲線43
別当賀駅
この駅も単式1面1線の棒線無人駅です。
貨車駅舎の待合室が設置されています。
駅名は地名からで、、アイヌ語の「ペッ・ウッカ(川の瀬)」に由来するそうです。



根室本線_花咲線44
落石駅
根室本線_花咲線45
ご覧の通り相対式2面2線の駅です。
無人駅で木像の待合室の駅舎があり、
構内踏切でホームがつながれています。
駅名は地名から、アイヌ語の「オク・チシ(山の尾根のくぼみ)」に由来するそうです。
花咲線はこの駅より東では終点まで列車交換の設備はありません。



根室本線_花咲線46
昆布盛駅
珍しい名前が印象的な駅ですが、
由来は地名からでアイヌ語の「コンブモイ(昆布の入り江・昆布湾)」だそうです。
単式1面1線の棒線無人駅でホーム上には構造物は無く、
階段を降りた目の前に小さな待合室が設けられています。
根室本線_花咲線48
駅はご覧の通りカーブのすぐ先にあります。
根室本線_花咲線47
すぐ横にはその名も「昆布盛踏切」という踏切があり、
ホーム前の広場につながっています。



根室本線_花咲線49
西和田駅
単式ホーム1面1線の無人駅です。
駅舎は車掌車を待合室にしたものが設置されています。

駅名は地名からですが、この地域を開拓した屯田兵第二大隊の
大隊長の苗字からこの一帯が和田村となり、
中隊がそれぞれ村の東西に一つづつ置かれて
「東和田」「西和田」と称しました。
そしてこの駅の付近は西和田に所在したことから駅名となったそうです。
根室本線_花咲線450
駅は北海道道142号線沿いにあります。
根室本線_花咲線51
道道から駅へと通じる道はご覧の通り。
根室本線_花咲線52
運送会社の倉庫へと通じる道の先に駅があります。




根室本線_花咲線53
こちらは北海道道142号線から道道310号線へと連絡している
花咲線沿いに走る市道です。
この付近にかつて2016年3月まで花咲駅がありました。
現在は廃駅となっています
根室本線_花咲線54
市道から花咲線の線路へと延びる横道。
根室本線_花咲線55
駅跡には駅名標と同じ形の、
かつて花咲駅がここにあった事を示す記念のプレートが設置されていました。
根室本線_花咲線56
かつての駅のあった場所付近の線路。
ホームの盛り土も撤去されて平らに整地されており、
線路への侵入防止のトラロープが張られていました。
根室本線_花咲線57
線路側から見た記念プレート。
市道から駅まで至る道はご覧の感じです。
根室本線_花咲線58
記念プレートの裏側には花咲駅の歴史が記されていました。
このホーム前には廃止直前まで貨車駅舎がありましたが
現在はかつて花咲駅の設置に尽力をし用地を提供した
松浦牧場へと寄贈されて牧場入口付近に置かれているそうです。

駅名は地名からで、アイヌ語の「ポロ・ノッ」(大きな岬)が由来だそうです。
花咲カニで有名な花咲港の最寄駅ですが駅周辺は牧場しかなく、
港までは1.3kmほどあります。

この花咲駅はご覧の通りの廃駅で駅舎もホームももうありません。
駅のあった付近の線路は交換設備の撤去跡なのか
不自然に湾曲していますが、駅の存在を知らせるのはそのくらいしかありません。
列車に乗車していると見落としやすいと思いますが
駅メモでは駅として登録されていますので
忘れず取り逃しの無い様に注意が必要
でしょう。



根室本線_花咲線59
東根室駅
1961年に開業して以来「日本最東端の駅」となっています。
ホーム上と駅前の広場スペースにはその旨を示す記念碑が立てられています。
根室本線_花咲線60
見ての通り1面1線の棒線無人駅です。
駅の施設であるのはホームのみで待合室などはありません。



根室本線_花咲線61
根室駅
根室本線の終着駅です。
1面1線の単式ホームの駅で、ホームの目の前には側線があります。
駅員が常駐している根室市の代表駅です。
根室本線_花咲線62
ホームの西端にはご覧の「日本最東端有人の駅」とのプレートが設置されています。
本来の日本最東端の駅は東根室駅ですので
根室駅としては「有人では最東端」としています。
根室本線_花咲線63
こちらが駅の外観。
根室本線_花咲線65
駅舎の中はご覧の通り。
根室駅発の列車は一日6本しかありませんので
改札上の時刻表の文字が大きいのが印象的です。
待合スペースには駅スタンプが設置してあり、
根室駅と隣の東根室駅のスタンプが置いてありました。
根室本線_花咲線67
こちらが根室駅のスタンプ。
根室本線_花咲線66
こちらが東根室駅のスタンプです。
東根室駅は待合室すら無い無人駅ですので
根室駅にスタンプが置かれている様です。
根室本線_花咲線64
駅を過ぎた先も200mほど線路が続いており、
根室本線の線路と鉄道用地の終端の先には
ご覧のプレートが設置されていました。




以上で根室本線の花咲線の全駅となります。
根室本線_花咲線68
こちらはau 4G LTEでの花咲線の区間の電波エリアマップとなります。
基本的に花咲線の区間は全ての駅が電波エリア内となります。
駅での端末からのアクセスならばどの駅でもGPS位置情報が取得できるでしょう。
根室本線_花咲線69
上尾幌駅はかつて炭鉱の石炭や周囲の山林の木材を搬出していた駅ですので
ご覧の通り周辺には電波圏外の区間がありますが、
上尾幌駅とその前後の路線上は電波が入っていますので
駅を取る事自体に問題は無いでしょう。
根室本線_花咲線70
また初田牛駅━落石駅間のあたりも
原野の中を進む区間で電波圏外の箇所がありますが、
同様に駅の場所は電波が入りますので問題はありません。


また、花咲線をレーダーでなんとかできるか、と考えた場合、
結論から言うと何とかはできないでしょう。
花咲線を終点までレーダー射程範囲に収めるには、
射程14でも姉別駅、射程12では初田牛駅まで来ないと
終点の根室駅や東根室駅まで届きません。
上下ともに一日に6本しか無い花咲線で
途中駅で引き返して戻る事に時間的なメリットはありません。
終点まで乗って戻ってきても全く時間的には変わらないでしょう。
やはり基本的には素直に乗車するしか無いと思います。



まあ、路線を探索して東京とはまったくアナザーな世界で
非常に楽しかったので個人的にはアリな路線でした。

では。

留萌本線00
さて、お次は北海道の留萌本線です。
北海道深川市の深川駅から留萌市の留萌駅までを走る路線です。
全長は50.1kmで「本線」と名前の付くJR線では日本一短い路線となります。

深川駅━留萌駅間の列車所要時間はほぼ1時間となり、
一日の列車本数は下り(留萌方面)が8本、
上り(深川方面)が9本となっています。
(本数は2018年3月改正ダイヤのものです)
留萌本線a60
駅メモでは留萌本線は深川駅━増毛駅間の20駅で登録がされていますが、
これは駅メモリリース時には増毛駅まで現役で列車が運行していた為です。

留萌駅━増毛駅間の8駅16.7kmに関しては
2016年(平成28年)12月を以て廃止
となっていますので
現在は廃線で列車は走っていません。
しかしこの留萌本線の廃線区間も取らないと路線コンプ、
そして北海道コンプにはなりませんのでご留意下さい。



留萌本線01
こちらはJR深川駅
函館本線に所属する駅ですが、
留萌本線の起点となる駅でもあります。
留萌本線02
留萌本線のみが使用する6番線ホーム。
留萌本線03
この6番線には留萌本線のゼロキロポストが設置されています。
留萌本線04
真ん中の島式ホームの3番線と4番線。
4番線は留萌本線の列車も使用している番線です。
留萌本線05
ですのでこのホームの駅名標は見ての通り
函館本線と留萌本線の駅が併せられたものです。
留萌本線06
こちらは駅舎に一番近い1番線ホーム。
函館本線が通常に使用しているホームとなります。




留萌本線77
こちらは深川駅から北西に4kmほどにある北一已駅です。
1955年(昭和30年)に当時の国鉄留萌本線の駅として新設されました。

駅舎は以前はガラリ状の木壁でしたが、
現在はご覧の様にグレーの板が壁にはられています。
留萌本線82
駅前はご覧の通り一面の田んぼが広がっており
視界を遮るものがありません。
留萌本線78
駅舎の中の様子。
留萌本線79
改札を出るとホームが高くなっていて階段が作られています。
留萌本線80
ホームの様子です。
単式1面1線の棒線無人駅となっています。
駅名の元の地名の由来はアイヌ語の「イ・チャン」(ホリ)だそうで、
鮭や鱒が瀬につき川底に産卵する場所の意味だそうです。
留萌本線81
ホームから周辺を見渡してもご覧の通り一面の田畑。



留萌本線83
北一已駅から留萌方面に5kmほど進むと次の駅となりますが、
こちらがその秩父別駅の駅舎の外観です。
1910年(明治43年)に開業した駅であり、
現在の駅舎は1971年(昭和46年)に改築されたものとなります。
留萌本線84
駅前を南北に走る道路には「JR西通り」の名前が。
南北に走る留萌本線に沿うように道路が走っています。
留萌本線89
駅の北西すぐの一帯には米どころである秩父別の
農業用の倉庫が立ち並んでいました。
留萌本線85
そして駅舎の正面から伸びる道には
左右に民家が並んでいます。
この道は道道372号秩父別停車場線となっており
南に進むと秩父別町役場や学校などが並んでいます。
留萌本線86
駅舎の中の様子です。
有人駅だったときの窓口の跡が残っています。
留萌本線88
ホーム側から見た改札付近の光景です。
留萌本線87
こちらがホームの様子で、単式1面1線の棒線無人駅となっています。
駅名は関東の人間だと「ちちぶべつ」と読んでしまいそうですが
ご覧の通り「ちっぷべつ」と読みます
駅名はアイヌ語の「チ・クシ・ペッ」に由来する地名が元で、
「われらの越える川」「泥炭地」など意味には諸説ある様です。



留萌本線90
秩父別駅から2.4km進むと次の駅が設けられています。
周辺は一面の田んぼが広がる光景で民家もまばらにしか見当たりません。
留萌本線91
こちらが北秩父別駅の駅の全景となります。
見ての通りホームの有効長が1両分しかありません。
留萌本線92
ホームの様子です。
1面1線の棒線無人駅で、駅舎は無くホーム上の待合室のみの駅となっています。
留萌本線93
待合室の建物の様子です。
1956年(昭和31年)にこの駅が新設されたそうですから
この建物もおそらく開業当時のものがそのまま使われているのでしょう。
留萌本線94
待合室の中の様子です。
留萌本線95
中に張られた路線図を兼ねた運賃表。
留萌本線96
駅の時刻表です。
最寄の通勤客が深川方面へ朝出かけて夕方に帰ってくることのみを
想定している最低限の列車本数となっています。
留萌本線97
駅の東側の踏切付近を見渡すと、
秩父別川の橋がある以外は田んぼが広がっているのみです。
留萌本線98
そして踏切の北側を見ると築堤と跨道橋が見えます。
こちらは高規格自動車専用国道の深川留萌自動車道で、
この付近は2003年(平成15年)に開通した区間となります。
留萌本線99
駅と道路の間にあったため池。



留萌本線a01
北秩父別駅から3.2km、秩父別駅からは6kmほどの場所にある
こちらが次の石狩沼田駅の駅舎となります。

1910年(明治43年)に鉄道院留萠線の駅として開業。
その後1931年(昭和6年)には札沼線が延伸開業して乗り換え駅となりました。
札沼線の「沼」はこの石狩沼田駅の「沼」が由来となっています。

しかし1972年(昭和47年)に札沼線は新十津川駅からこちらの駅までの区間を廃止。
併せて駅舎が改築されて現在のものとなっています。
留萌本線a02
駅前の舗装された広場と、その前を湾曲して走る町道。
町道は道道に、そして道道は国道へとアクセスをしています。
留萌本線a07
駅舎の入口にはご覧の風除室が。
留萌本線a03
そしてこちらが駅舎の中の様子です。
かつての乗り換え駅はその面影を残すべく待合室が広々としています。
現在でも時間指定の簡易委託ながら駅務が行われています。
留萌本線a04
ホーム側の駅舎出口の改札付近。
留萌本線a05
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線駅となっています。
留萌本線a06
そしてホームから線路の反対側を見ると
ご覧の通り島式のホームがあるのが見えます。
このホームはかつての2、3番線ホームであり、
1994年(平成6年)に交換設備が撤去されるまでは現役だったホームです。



留萌本線a08
石狩沼田駅付近から分岐した道道1007号恵比島旭町線に沿って
東へ3.4kmほど進むと次の駅があります。
留萌本線a09
こちらが真布駅の駅の全景です。
ご覧の通り畑の真ん中にある単式1面1線の無人駅です。
駅舎は無く、ホームと待合室が共に木製という駅となっています。
留萌本線a10
ホームの様子です。
1956年(昭和31年)に仮乗降場として新設された駅であり、
ご覧の通り列車1両分の有効長しかありません。
留萌本線a11
待合室はご覧の通りガラリ状の木壁で入口の引き戸も木製であり、
枠がゆがんでいるのがたてつけが悪く開けづらくなっていました。
留萌本線a12
待合室の中の様子です。
留萌本線a13
中に貼られた路線運賃表。
留萌本線a14
こちらは駅の時刻表です。
北秩父別駅よりは若干列車本数は多いものの
それでも一日に上り6本、下り5本という本数です。
留萌本線a15
駅の脇の踏切から周辺を見てもご覧の通り
一面に田んぼが広がるのみの光景となっています。



留萌本線a16
真布駅からおよそ3kmほど西へと進むと次の駅があります。
こちらは道道549号線から一本北へと入った町道の駅前交差点の様子です。
留萌本線a17
砂利の広い駅前広場の一角にあるこちらが恵比島駅の駅舎です。
北海道の無人駅でよく見かけるヨ3500形車掌車を転用した駅舎となっています。
留萌本線a23
側面と、ホーム側から見た駅舎の様子。
留萌本線a18
こちらは駅舎の中の様子です。
車掌車をベースとしているのでご覧の通りです。
留萌本線a20
そしてこの駅の駅舎の隣にはなぜか駅舎よりも立派な建物が建っています
留萌本線a21
いかにも昭和のレトロかつ立派な駅舎の雰囲気のこの建物は、
1999年(平成11年)4月から10月までNHK朝の連続テレビ小説で放送された
ドラマ「すずらん」の舞台である「明日萌駅」として組まれたセットです。
ドラマ終了後も観光資源としてそのまま残されており現在に至っています。
留萌本線a22
この駅は1980年代後半に駅舎が取り壊されて貨車駅舎となりました。
そして連続ドラマの撮影に際して、かつての駅舎の基礎跡の上にセットが建てられ、
貨車駅舎の外装にもセットと雰囲気を合わせる為に木版が貼られたのです。
ですから現在の駅舎はドラマのセットの化粧をそのまま使っているという状態なのです。
留萌本線a24
こうして駅の敷地全体を見渡すと、撮影のセットらしく非常に雰囲気があります。
留萌本線a32
駅前の一角に作られた「すずらんの鐘」。
ドラマ公開後しばらくは観光客が訪れていたそうですから当時の名残りでしょうか。
留萌本線12
セットの「明日萌駅」は営業中のホームにも駅舎さながらに建っています。
駅名標も残されており、初めてきた知らない人はこちらが本当の駅舎だと思うことでしょう。
留萌本線a25
恵比島駅としてのホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
駅は1910年(明治43年)に鉄道院留萠線の駅として開業したもので
1984年(昭和59年)に無人化されるまでは駅員が配置されていました。
留萌本線a26
駅舎から見た駅前の様子です。
留萌本線a27
駅前にあるこちらの「中村旅館」ですが、
この建物もドラマのセットとして建てられたものです。
留萌本線a28
元々は黒瀬旅館という本物の旅館だったそうで
撮影に際してセットとして作りかえられたようです。
留萌本線a29
旅館の南側の並びには撮影時には数件のセットが建てられていましたが
現在は撤去されて元の空き地に戻っています。
留萌本線a30
こちらは駅前広場に戻ってセットの駅舎の隣にある家。
「駅長の家」というセットの建物で、
駅舎以外で残っているセットは旅館とこの家のみとなっています。
そもそもここが撮影地に選ばれた理由が「周囲に邪魔なものが無い」からでしたので、
ブームの去った今では元の何も無い駅に戻っていました。



留萌本線a31
恵比島駅からトンネルを2本抜けた7.6km先の
道道549号線沿いに次の駅が設けられています。
留萌本線a33
こちらが峠下駅の駅舎の外観です。
1910年(明治43年)に鉄道院留萠線の駅として開業しました。
駅名はアイヌ語の「ルシチ・ポク」(峠の下)の意訳に由来した地名からとなっています。
留萌本線a34
駅舎の中の様子です。
かつては有人駅だった面影が残っています。
留萌本線a35
ホームはご覧の様に千鳥式2面2線ホームとなっています。
深川駅~留萌駅間では唯一の列車交換可能駅となっています。
留萌本線a36
こちらが駅舎のある留萌方面行き下り線ホーム。
番線はこの駅では設定されていない様子です。
留萌本線a37
駅構内でホームを連絡している構内踏切。
留萌本線a38
反対側の深川方面行き上り線ホームです。
こちらのホーム上には何もありません。



留萌本線a39
峠下駅から6km少々進むと次の駅となります。
留萌本線a40
幌糠駅の駅舎です。
北海道でよく見かける貨車駅舎となっています。
1910年(明治43年)に鉄道院留萠線の駅として開業しており、
駅名はアイヌ語の「ポロ・ヌツカ・ペッ」(大きな野の川)に由来するとの事です。
留萌本線a44
駅舎から見た駅前の様子です。
道の向かいにはJAの支所の建物がありました。
留萌本線a41
駅舎の中の様子です。
貨車駅舎なのでご覧の通り。
留萌本線a42
ホーム側から見た駅舎です。
留萌本線a43
こちらがホームの様子です。
単式1面1線の棒線無人駅となります。
留萌本線a45
かつては御料林があってこの駅付近は貯木場となっていて、
木材の貨車搬出の拠点だったそうです。
現在では留萌本線に沿って南側には国道233号線が走り、
そのさらに南側には深川留萌自動車道が通って
留萌幌糠インターチェンジも付近に設けられています。



留萌本線a46
こちらは幌糠駅から5.5km進んだ国道233号線の光景です。
信号付近が次の駅の駅前となっています。
留萌本線a47
藤山駅の駅舎の外観です。
木造の駅舎は敷地に対してなぜかアンバランスにこじんまりとした印象があります。
留萌本線a48
駅舎の側面を見るとご覧のようにトタン板で一面覆われています。
これは木造家屋を半分解体した際によく見られるものであり、
実際にトタンの張られた東側は、駅務スペースがあったものの解体された様です。
留萌本線a52
駅舎の中の様子です。
留萌本線a49
ホームは単式1面1線の棒線無人駅となっています。
留萌本線a50
駅前にある、開拓70周年で作られた「藤山開拓の碑」。
この付近は明治時代の小樽の実業家である藤山要吉氏が
藤山農場を開墾した土地で、
地名や駅名の由来ともなっています。
留萌本線a51
藤山駅に停まる留萌本線の列車。



留萌本線a53
こちらは藤山駅から4km少々進んだ付近で、
かつてこの場所の北側には大和田炭鉱という炭鉱があった場所です。
留萌本線と国道233号線、留萌川が並走している場所に駅がありますが、
駅へは国道から直接は入れずご覧の市道から連絡しています。
留萌本線a54
大和田駅の駅舎です。
1910年(明治43年の鉄道院留萠線開通で開業した駅ですが、
有人駅だった駅も1984年(昭和59年)には無人化され、
その後かつての駅舎は解体されてしまいました。
現在はヨ3500形車掌車を用いた駅舎が置かれる
いやゆる「ダルマ駅」となっています。
留萌本線a55
駅舎の中の様子です。
留萌本線a56
ホーム側から見た駅舎の光景です。
かつての駅舎の基礎の上に貨車駅舎が置かれているのが分かります。
留萌本線a57
1面1線の単式ホームの棒線無人駅となっています。
かつてはホームは島式で反対側にも線路が走っていたそうで、
駅舎がやや離れた場所にあるのがその名残を感じます。
留萌本線a58
ホームから見える、留萌本線と並走する国道233号線。



留萌本線a589
そして留萌駅です。
1910年(明治43年)の鉄道院留萠線開通で開業し、
増毛駅まで延伸する1921年(大正10年)まで終着駅でした。

長らく途中駅として営業していましたが、
2016年(平成28年)12月に留萌駅━増毛駅間の廃止によって
再びこの駅が終着駅となっています

留萌本線17
相対式2面2線のホームを持つ駅で
路線の名前を冠していることからも分かる通り
北海道北部西海岸の中心都市の中心駅で、この路線の中心駅でもあります。
基本的に列車は駅舎側の1番線を使用しています。
留萌本線18
駅舎から離れたご覧の2番線は朝イチの下り列が使用するのみとなっています。
留萌本線19
こちらが通常使用される1番線。
留萌本線20
ホームはご覧の跨線橋でつながっています。
留萌本線22
2番ホームの駅舎の反対側にはご覧の通り空き地が広がっていますが
これは貨物用の側線や、かつてこの留萌駅を起点としていた羽幌線のホームの跡地です。
列車が走っていた当時は跨線橋はこの空き地にあった
4番線、5番線ホームまで延びていたそうです。
留萌本線21
こちらが留萌駅の駅舎の外観。
留萌本線23
駅舎内の改札前です。
片隅には巨大は木製の数の子のオブジェが置いてあったりします。
留萌本線24
改札脇にはNHKの朝ドラで運行したSLのヘッドマークが。



以上で留萌本線で現在(2018年7月)列車が運行している区間は全てとなります。
留萌本線71
こちらはau 4G LTEでの電波エリアマップです。
見ての通り留萌本線については全線がauのサービスエリア圏内となっていますので
路線上のどの位置からでもキャリア端末でGPSへのアクセスが可能となっています。
駅の位置情報は全駅問題なく取れますのでその点は心配いらないでしょう。


留萌本線a61
そしてこちらは重要な話なのですが、
JR北海道では「維持困難線区」を13路線挙げており、
そのうち4線区については2020年(平成32年)を目処に廃止の方向性が濃厚です。
そして4線区のうちのひとつが留萌本線の深川━留萌間となります。

つまり、2020年(平成32年)には留萌本線の全線がなくなる可能性は非常に高い状況です。
廃止後は路線コンプにも非常に手間がかかるのは
同じ北海道の廃線の江差線などを見れば明らかでしょう。
ですので列車が走っているうちに乗ったほうが駅メモ的にも無難と言えるでしょう。



留萌以遠の2016年(平成28年)廃止区間についてはその2にて。

では。

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