でんこの元ネタ

でんこの元ネタ
■No.77 リト=フォン=シュトゥットガルト(Reto von Stuttgart)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:4月12日

■出身駅: ドイツ鉄道(DB) シュトゥットガルト中央駅(ドイツ)
リト01


リト03
シュトゥットガルト(Stuttgart)はドイツ連邦共和国の都市で、
バーデン=ヴュルテンベルク州の州都でもあります。
メルセデス・ベンツで有名なダイムラーやポルシェといった自動車メーカー、
電動工具で有名なボッシュといった世界的メーカーが本社を置いており
ドイツを代表する工業都市となっています。


ドイツの鉄道は旧西ドイツ国鉄(Deutsche Bundesbahn:ドイツ連邦鉄道)と
旧東ドイツ国鉄(Deutsche Reichsbahn:ドイツ国有鉄道)が1994年(平成6年)に統合された
ドイツ鉄道(Deutsche Bahn)となりました。


シュトゥットガルト中央駅(Stuttgart-Hauptbahnhof)
ドイツ連邦共和国バーデン=ヴュルテンベルク州の州都である
シュトゥットガルト市の中心駅です。

haupt(ハウプト)は「中央の」、bahn(バーン)が「鉄道」、
hof(ホフ)が「大きな建物」の意味だそうで
合わせてHauptbahnhof(ハウプトバーンホフ)で「中央駅」という意味となります。
またドイツ鉄道では駅が規模によってカテゴリー1から7までに分けられていますが、
シュトゥットガルト中央駅はドイツに21駅しか無い最上位のカテゴリー1に属しています


ドイツ連邦時代の1845年にヴュルテンベルク中央鉄道の駅として、
路線の開通と共に最初のシュトゥットガルト駅が開業をしています。

鉄道の交通量増加によって1860年代には駅の改修が行われた様子ですが、
さらに次々と鉄道路線が乗り入れ20世紀初頭には交通量のキャパシティは限界に達します。
ヴュルテンベルク州立鉄道が現在の位置に新しい中央駅の建設を計画。
ドイツが共和制となり鉄道もドイツ国営鉄道となった1922年10月に
現在のシュトゥットガルト中央駅が開業
しました。
リト04
こちらが駅舎の外観です。この場所での駅の開業は1922年(大正11年)ですが、
駅舎が全て完成したのは1928年(昭和3年)となります。
建築家パウル・ボーナツ(Paul Bonatz)の設計による駅舎は
新しいキュービズムの様式で作られた重量感のある巨大な建物となっています。
リト08
この駅舎でひときわ目を引くのがこちらのステーションタワーです。
高さ56mのタワーはシュツットガルトのランドマークであり、
駅周辺にこのタワーより高い建物はありません。

そしてタワーの頂点にはメルセデスベンツのロゴマークである
巨大なスリーポインテッド・スターが回転をしています。
これは1952年(昭和27年)に取り付けられたもので、
広告収入は大戦後の駅再建の費用に充てられたそうです。
リト02
駅は東西に広がる駅舎の北側に、頭端式に8つの島式ホームが並んでおり
合計で16線のホームが横一列に並んでいます。
リト05
こちらはホームを俯瞰で見たものです。
シュツットガルトという都市は東西と南側の三方を山に囲まれた盆地なので
鉄道は全て開けた北側からシュツットガルトへと入ってきます。
新幹線にあたるICE、特急にあたるIC、
そして普通列車のホームがが横一列に並ぶ姿は圧巻です。
リト06
またシュツットガルトではドイツ鉄道の近郊をつなぐ普通電車網として
Sバーン(S-Bahn Stuttgart)という都市近郊鉄道が整備されており、
1978年(昭和53年)の中央駅地下線開通によってまず3路線が開業しています。

その後Sバーンは順次延伸や新規開業がされており、
現在では7系統がシュツットガルト中央駅へと乗り入れ
総延長距離は215 kmとなっています。

リト07
そしてこちらはシュツットガルトのシュタッドバーン(Stadtbahn)のホームです。
元々は1868年(明治元年)に起源を持つシュツットガルトの路面電車は
近代化の要望によって1966年(昭和41年)には
メーリンゲン(Möhringen)━ファイインゲン(Vaihingen)間が地下化。
以後路線の地下化や狭軌だった市電の標準軌化がされてライトレール化が行われ
シュタッドバーン網が構築されていきます。


尚、現在シュツットガルト中央駅では「Stuttgart 21」という
駅と周辺の大改修プロジェクトが行われています。
これは南北に線路が走る頭端駅の終着駅である中央駅を、
線路を付け替えて東西に列車が通過できる構造へと改修することで利便性を高めるという工事です。
しかし2010年(平成22年)に始まった工事は遅々として進んでおらず、
運用開始は今のところ2025年(令和7年)と予定されていますが
期間内に完工するのは難しいというのがもっぱらの見方です。


リト09
こちらはJR西日本の北陸本線福井駅西口の光景です。
リト10
西口広場には福井鉄道の路面電車が乗り入れており、
広場の西側にはご覧の福井駅停留場が設けられています。

駅メモで2019年(令和元年)11月に行われた
「でんこと全国各地の駅におでかけしようキャンペーン~アンコール~」では
福井駅停留場がチェックポイントとして設定
されており、
駅メモのでんこであるリトのゆかりの駅とされています。



■モデル車両: 福井鉄道 F10形電車 RETRAM(レトラム)
リト11


レトラムは元々は坂道の多いシュトゥットガルト向けの車両として
ドイツのエスリンゲン機械製造所(Maschinenfabrik Esslingen)が製造をした車両です。

シュツットガルトの路面電車は
その名もシュトゥットガルト路面電車(Stuttgarter Straßenbahnen AG)が運行しており、
SSBと略されます。
また車両は4本の車軸を有する路面電車(Gelenktriebwagen 4-achsig)であり、
この連接式路面電車はSSB GT4と呼ばれています。
日本風に記すとシュトゥットガルト路面電車GT4形電車、といったところでしょうか。


SSB DT4の最初の編成は1959年(昭和34年)に営業運転を開始しており、
1965年(昭和40年)までに350編成が投入されています。
リト12
【上写真:シュツットガルトを走るSSB DT4】
シュツットガルトの路面電車では終点にループ線を設けており、
電車はループを回って方向転換をします。
その為運転台はパンタグラフのある前部の車両にのみ設けられていて、
また乗降の扉も片側にのみ作られています。

シュトゥットガルトの路面電車はその路線網の殆どを1000mm軌間の
いわゆるメーターゲージで作られていたので、
当然ながらSSB DT4電車も1000mm軌間で作られていました。

しかしシュツットガルトの路面電車は
1989年(平成元年)からの専用軌道化および標準軌(1435mm)への改軌が行われ
シュタッドバーンとしてライトレール化
が成されます。
メーターゲージで車体の小さいSSB DT4形はその輸送力不足もあいまって
徐々に大型車両のDT8形と入れ替わっていきます。

こうして老朽化も進んだSSB DT4形は2007年(平成19年)に全車両が引退。
シュツットガルトの街から姿を消し、一部電車は他の都市へと譲渡されていきました。


日本の高知県の路面電車を運行する土佐電気鉄道では、
1989年(平成元年)に開業85周年を迎えた記念事業として
「世界の路面電車を自社線で走らせる」事を企画
します。
その第一弾として輸入されたのが西ドイツ(当時)のSSB DT4形でした。

終点が折り返しとなっている土佐電ではシュツットガルトを走っていた状態、
片側運転台で片側乗降扉では運行できない事から
1964年(昭和39年)製の714と1965年(昭和40年)製の735の
それぞれ運転台側の車両を組み合わせて一つのユニットに組み直し
ています。
この時に軌間も1000mmから土佐電の1067mmへと直されています。

こうしてSSB DT4電車は土佐電気鉄道735形電車として
1990年(平成2年)から運行を開始したものの、
市民には日本の車両のアンパンマン電車の方が人気という皮肉な結果となります。
独特な構造から故障も多く、また土佐電で新型車両が導入されていった事もあって
735形は2005年(平成17年)を最後に車庫で休車状態となっていました。


そして福井県の福井鉄道が観光資源としてのイベント車両として
土佐電で眠っている735形に着目。
2013年(平成25年)に福井県の予算で購入されて整備が行われ、
車両の形式名がF10形へと改められています。
リト13
【上写真:福井鉄道F1000形「FUKURAM」 】
併せてこのシュツットガルト出身の車両の愛称も2014年(平成26年)2月下旬より市民に公募。
福井鉄道が導入を進めていた次世代型低床車両「FUKURAM(フクラム)」とレトロ(retro)を組み合わせた
「RETRAM(レトラム)」の愛称が付けられています。

レトラムの福井鉄道での営業運転開始は2014年(平成26年)4月12日で、
福井駅前━田原町間の運行が福井鉄道でのスタートでした。
駅メモのでんこであるリト=フォン=シュトゥットガルトの誕生日が4月12日に設定されていますが、
これはレトラムの福井鉄道での運行開始日が元ネタと考えて良い
でしょう。

リト14
では改めて福井鉄道 F10形電車 RETRAM(レトラム)について見て行きたいと思います。

まずは福井駅停留場から出発をしていくレトラムの光景です。
【上動画はクリックで再生できます】
リト15
こちらはレトラムの前面部の様子です。
リトの服のお腹の飾りと前照灯を並べて比較して見ると
モチーフにしているのがよく分かります。
車体のSSBのロゴはシュトゥットガルト路面電車(Stuttgarter Straßenbahnen AG)のものです。
リト17
前面部の脇に描かれているドイツ国旗はシュツットガルトから土佐電気鉄道へと
譲渡された際に描かれたものと思われます。
土佐電時代の国旗と比べると若干大きくなっていますが、
これは福井鉄道が譲り受けた際に書き直されたものと思われます。
また、リトの頭のリボンがドイツ国旗カラーなのはこの国旗がモチーフと思われます。
リト16
車体に比べて大きなパンタグラフは下の根元が太くなっているタイプです。
キャラと比べると忠実にモチーフにしているのが分かります。
リト18
車内はご覧の様にクロスシート座席となっています。
ドイツ時代は片面にしか扉の無い構造でしたので、
扉のある側が一人用、窓側が二人掛けのシートとなっています。
リト19
シートは転換式などでは無く固定式となっているので
ご覧の通り可動はしない構造となっています。
リト20
そして運転台のある車端部のみ、
運転席の真後ろにロングシートが置かれています。
リト22
車両最前列の右側にも乗降扉があり、
運転台を入口を仕切るついたて状の扉があります。
先端が細くなっている車両の運転席はご覧のように
こじんまりとしたスペースとなっています。
リト31
「乗務員用出入口」と書かれた車両前部の扉の脇のボタンです。
「Aussteigen Bitte Knopf drücken」(終了ボタンを押して下さい)とありますので
扉の開閉の手動ボタンなのでしょうか。
ボタンの上に書かれた「Ausgang in der Mitte」(途中で終了)
ちょっと何を指すのか分かりません。
リト23
運転席後部の壁には車両の番号が表示されており、
そのまわりには車両の来歴も合わせて書かれていました。
赤いプレートのドイツ語は「bitte hinten aussteigen(後ろから降車して下さい)」
リト21
車内の案内サインです。
アイスクリームのマークが飲食禁止、ローラースケート禁止などは見れば分かります。
椅子のプラスのマークはどうやら病院の意味の様子で、
日本でいう優先座席の対象者が来たら席を譲りましょうという意味の様です。
リト24
こちらの車内表示は「Schwarzfahrer」と書かれていますが、
Schwarz(シュワルツ:黒)fahren(ファーレン:乗車)で「黒い乗客」となり
無賃乗車を意味する言葉です。
欧州の列車は改札が無い代わりに車内検札が巡っており、
正規の切符が無いと問答無用で高額の罰金を徴収されます。
その為どの列車でも車内でこうした啓発広告を見かけます
リト25
上を見ると手すりにつり革が下がっています。
日本の様に取っ手が無く、革がループしているだけの文字通りのつり革です。
リト26
こちらはレトラムがドイツ時代に走っていたシュタッドバーンの路線図ですが
「Tarifzonen-Einteilung」と書かれています。
料金ゾーン(Tarifzonen)分類(Einteilung)ですのでどうやらシュタッドバーンの料金表の様です。
リト27
車内にはもう一種類、こちらの路線図もあります。
これはドイツ鉄道(DB)のものですので、接続駅からの乗り換え案内の為のものでしょう。
リト28
車両中央部の連結部付近には座席は無く、
点対称に乗降扉が配置されています。
リト29
乗降口にはご覧のステップが設けられていますが、
これは福井鉄道に譲渡された後に設置されたものだそうです。
走行時には立てて収納する為、かんぬきの留め金がついています。
乗降時にはアテンダント(車掌)が手動でかんぬきを外してステップを降ろします。
発車前にはステップにつけられたワイヤーを手繰って収めかんぬきを掛ける必要があり、
はたから見ていても車掌はなかなかの手間だと思いました。
リト30
扉の横にはご覧の行き先方向幕がありますが、
表示を変える際には車掌がハンドルを挿して手動で回転させていました。

リト32
福井鉄道に譲渡される前には土佐電気鉄道で10年近く休車状態だったレトラム。
元々車両自体も50年以上前に製造されたものであるだけに、
福井鉄道での運行当初は故障が頻発していたそうです。

営業運転開始直前の2014年(平成26年)3月29日にはレトラムの披露式が行われましたが、
肝心のレトラムは配電設備の不具合で車庫を出て数十メートルで故障による停止。
披露式の会場までたどり着けませんでした
リト33
営業運転が開始された4月12日以降も
空気調整弁の劣化が原因でブレーキが解除できなかったり
ドアが開きにくくなったりするトラブルが続発。
春季運行を当初の予定よりも2週間早く打ち切る事を余儀なくされました。

国産では無い古い外国製車両の為、部品の調達や整備などでかなり苦戦を強いられた様子で、
リトの足に絆創膏がいくつも貼られているのは度重なる故障を表現していると考えられています。

なお近年ではさすがに日本の鉄道会社だけに、
整備のノウハウを得て運休も無く安定した運行が可能となっている様です。

【写真撮影:2019年10月】

でんこの元ネタ
■EX No.16 天台ヤコ(Tendai Yako)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:6月12日

■出身駅: 千葉都市モノレール 2号線 天台駅(千葉)
ヤコ01


ヤコ02
こちらは千葉都市モノレール2号線の天台駅の駅舎外観です。
高架駅となっており、国道126号線の真上を軌道が走っていて
駅舎も国道の上に設置されています。
ヤコ03
モノレールという特性から道路の上空に駅が作られており
駅前広場といったものは無く、代わりに駅付近の歩道が広めに作られています。
こちらは駅舎の西側の歩道付近の光景です。
ヤコ04
駅の跨道橋へと上る西側の階段付近です。
階段の下を利用して市営の駐輪場があります。
ヤコ05
南側から見た天台駅の駅舎外観です。
ヤコ06
駅から国道を100mほど南に進むと信号があり横断歩道があります。
ヤコ07
国道を渡って反対側の駅東側の歩道の光景です。
スーパーに面した歩道にはこちらも駐輪スペースが設けられています。
跨道橋の東側階段も。
ヤコ08
階段の裏手にエレベーターがあるのも西側と同様です。
ヤコ09
駅の北側は70mほどで天台駅交差点の信号があります。
ヤコ15
北側を駅ホームから俯瞰で。

ヤコ10
階段を上り駅の東西を連絡している跨道橋の中の様子です。
ヤコ11
西側階段の上付近の様子。
ヤコ12
こちらは東側の階段付近です。
ヤコ13
改札の正面には駅出口の案内看板がありますが、
大学の最寄駅であること以外これといった施設は記されていません。
ヤコ14
改札付近の光景です。
ヤコ16
こちらは改札内の光景。
駅は相対式ホーム2面2線となっているので
改札内でコンコースが両方のホームへと連絡しています。

ヤコ17
駅の南側にある1番線ホームの様子です。
下り千城台方面行きのホームとなります。
ヤコ18
ホームには階段の他には、中央付近にベンチが多少置かれているのみとなっています。
懸垂式モノレールですので軌道は上にあり、列車の通る場所はコンクリートの土間となっています。
ヤコ19
中央付近にはエレベーターがありバリアフリーにも対応しています。
ヤコ20
駅は相対式ホーム2面2線となっています。

ヤコ21
こちらは北側の2番線ホームです。
千葉駅方面への上り線ホームとなります。
ヤコ22
1番線と構造的にはほぼ同じで
中央付近にベンチとエレベーターがあります。
ヤコ23
1991年(平成3年)に路線と共に開業した駅で30年ほと経っていますが
建物にはさほどの古さは感じません。

ヤコ24
駅を出ると、南側100mほどに信号があるのは先に述べた通りですが、
その信号の目の前東側には作草部公園という公園があります。
ヤコ25
公園の中に入るとご覧の通り、遊具が置かれグランドが整備されています。
ヤコ26
その公園の東の端に建っているのがこちらの「平和の礎」という石碑です。
下には「陸軍歩兵学校之跡」と刻まれており、この場所がかつては
1912年(大正元年)に置かれた陸軍歩兵学校の跡地
であることを示しています。
ヤコ27
公園の東側にはご覧の児童相談所、私立保育園、千葉少年鑑別所などがありますが、
天台駅の東側一帯がかつての陸軍歩兵学校の敷地だったそうで
かなりの広さがあった様子です。
ヤコ28
作草部公園の南側の市道を東へと進むと、
公園から続く土塁が次第に高くなっていきます。
ヤコ29
この土塁はかつての歩兵学校の外壁の跡なのだそうですが、
公園から100mほどの場所に歩兵学校の正門跡の煉瓦が残っています
ヤコ30
そして正門跡からさらに120mほど東に進むと
信号のある交差点へとたどり着くのですが、
この交差点から独特の形の建物が見えます。
ヤコ31
この建物はかつての陸軍気球連隊の第二格納庫であり、
当時の建物がそのまま現存して残っています。
現在では民間の倉庫会社の倉庫となっています。
ヤコ32
倉庫前の信号の交差点に残っている
陸軍用地を示す境界杭です。
ヤコ33
天台駅の東側一帯は陸軍歩兵学校の敷地でしたが、
国道の反対側の西側はかつての陸軍兵器補給廠の跡地です。
またモノレールの西側はほぼ同一ルートを併走するように
軍用鉄道の廃線跡となっています。
この通り天台駅一帯はかつての陸軍施設が置かれていた場所なのです。

また天台という地名は1951年(昭和26年)に千葉市が天台町として設定したものですが、
名前の由来は明治天皇が陸軍の演習を統監された場所を天覧台と称した事に拠ります。



■モデル車両: 千葉都市モノレール 軌道作業車
ヤコ34


千葉都市モノレールはサフェージュ式懸垂式モノレールを運行していて
1988年(昭和63年)に開業した、千葉市を主体とした
第三セクターのモノレール鉄道事業者です。
ヤコ35
日中に旅客営業をしているモノレールの軌道保守の為に
終電後から始発までの間に保守点検作業を行う専用の工作車が軌道作業車となります。
ヤコ36
軌道作業車の車体の後部には「ニチユ」のロゴが入っています。
これは車両を製造したメーカーのロゴで、
現在の三菱ロジスネクストである日本輸送機の商標となります。

日本輸送機は総合物流システム企業で
蓄電池を電源とした各種の運搬車両を製造し実績を上げてきた会社です。
1939年(昭和14年)にバッテリーフォークリフト、
1958年(昭和33年)にはリーチフォーク(プラッター)を
日本で初めて作ったパイオニアメーカーでもあります。

鉄道の分野ではバッテリー機関車の製造を古くから手がけており、
車両基地での入れ替え用の機関車や、鉱山や工場などの専用線での機関車などで
多くの車両が活躍をしてきました。

(上動画はクリックにて再生可能です)
こちらは千葉都市モノレールの軌道作業車が実際に走行する映像です。
ニチユが得意とするバッテリーで走行しているのが音で分かると思います。
ヤコ37
千葉都市モノレールには4両の軌道作業車があり
それぞれ作01から作04の車両番号がつけられています
このうち作01~03までは同じ自走できる作業車で、
昇降機のある作04のみが動力が無く自走ができません。

(上動画はクリックにて再生可能です)
こちらは作04を使った点検作業の実演の様子です。
ヤコ38
作04は建築現場などで使われる高所作業車と同様の
シザース式(はさみ状に交差する支持脚を組み合わせ昇降)リフトとなっており、
横に張り出した作業プラットフォーム(かご)が垂直に昇降して作業ができます。

ヤコ39
こちらは千葉都市モノレール2号線の動物公園駅のすぐ南側にある
萩台車両基地です。検収庫の他に変電所や千葉都市モノレールの本社があります。
ヤコ40
本線と出入庫線で繋がった車両基地内には軌道作業車の車庫も置かれており、
作業の無い日中はこちらの車庫に作業車は置かれています。

ヤコ41
こちらは千葉都市モノレール1号線の県庁前駅の駅構内です。
相対式2面2線のホームを持つ駅ですが、
終点駅で列車は折り返し運転行う為、旅客営業では1番線のみを使用しています。
ヤコ42
そして空いている2番線は保線用車両の留置線などとして用いられており、
営業時間中にはご覧の様に軌道作業車が留置されていることがあります。

軌道作業車はモノレール軌道の点検行っている車両ですが、
実際に作業が行われるのは終電から始発までの夜間となります。

線路を走る電車に、走行に必要な電力を供給することを「き電」と言いますが
終電後には軌道へのき電の電力を落としている為、
軌道作業車は蓄電池(バッテリー)を搭載して走行の電力を得ています
ニチユでは他のモノレール事業者にも同様のバッテリー軌道作業車を供給していますが
その走行速度はおおむね25km/hから30km/h弱となっています。
ヤコ43
千葉都市モノレールの営業距離は15.2kmであり、
終電は0時30分ごろ、始発は5時30分ごろで列車の休止時間が5時間ほどとなります。
夜間の運行休止中に作業をする為、作業場所や作業内容によっては
車両基地に始発の時間までに作業車が戻れない場合もあり、
その為の留置線として終点の県庁前駅の2番線が用いられている訳です。
ヤコ44
この軌道者業車をモチーフとしたでんこの
天台ヤコの誕生日は6月12日に設定されていますが、
これは既に開業していた千葉都市モノレール2号線が
千葉駅━スポーツセンター駅間で延伸開業した日付
です。

また名前の「ヤコ」は、モチーフの軌道作業車の活動時間が夜であることから
「夜行性」の「ヤコ」ではないかと考えられています。
また千葉都市モノレールには「チコ」「マコ」というでんこが居るので
名前の語呂を合わせたのではないかとも推測
されますが公式の発表はありません。

【写真撮影:2019年10月】

でんこの元ネタ
■No.73 高岡やまと(Takaoka Yamato)
 ■タイプ:サポーター
 ■誕生日:8月28日

■出身駅: あいの風とやま鉄道 高岡駅(富山)
やまと01


高岡駅は1898年(明治31年)に中越鉄道の駅として開業しました。

中越鉄道というのは富山県最初の鉄道であり、
そして日本海側で最初に開業した私設鉄道でもあります。
高岡駅━城端駅間の免許を取った中越鉄道は1897年(明治30年)に
まずは黒田仮停車場━福野駅間を開業し、翌年に高岡駅まで延伸をしました。

中越鉄道の高岡駅開設から10ヶ月遅れた1898年(明治31年)11月には
官設鉄道北陸線が金沢駅━高岡駅間を延伸開業。
これによって高岡駅は官設鉄道と中越鉄道の連絡駅となります。

その後北陸線は国鉄北陸本線に、中越鉄道は国鉄中越線となり、
1942年(昭和17年)に中越線が当駅を境に氷見線と城端線に分けられます。

そして2015年(平成27年)に北陸新幹線の長野駅━金沢駅間の延伸開業により
並行在来線である北陸本線の直江津駅━金沢駅間が第三セクターへと転換

県単位で区切っての転換となった為、市振駅━倶利伽羅駅間の富山県内が
新たにあいの風とやま鉄道となっています。
やまと02
こちらは高岡駅の旧北口である古城公園口の駅舎外観で、
北陸本線がまだJRだった2011年(平成23年)に橋上駅舎へと改築されたものとなります。
駅舎は2014年(平成26年)に再開発によって作られた駅ビル「クルン高岡」となっており
店舗など商業施設が入居しています。
やまと03
古城公園口の駅前広場の様子です。
ペデストリアンデッキが整備されており、
バスの乗降場、タクシープールとタクシー乗降場、
一般車両乗降場と駐車スペースが分けられスムーズな流れを作っています。
やまと04
駅前広場の一番東側がご覧のバス乗降場となります。
合計で7つの乗降場が設けられています。
やまと05
バス乗降場の隣にはタクシープールが。
駅のタクシー専用の車寄せが乗降場となっています。
やまと06
そして広場の東側はロータリーとなっており
一般車の乗降できる車寄せがあります。
やまと07
その広場西側のロータリーから、西へと道路が分岐しており
広場に隣接して踏み切りが設けられています。
やまと08
この線路は万葉線の高岡軌道線のもので、
ご覧の様に踏み切りからすぐに駅ビルの中へと軌道が続いています。
やまと10
そして踏み切りのすぐ北側で線路脇にあるのがこちらの大伴家持像です。
大伴家持は万葉集で有名な歌人ですが、
越中国主として高岡に赴任してこの地で多くの歌を詠みました。
像は1981年(昭和56年)に駅前広場に建てられたもので、
2014年(平成26年)に万葉線の高岡駅前電停が駅ビルの中へ延伸移転した際に
電停の跡地へと移設
されて現在に至っています。
やまと09
旧電停はおおよそご覧のように設置されていました。
像のある場所は電停の軌道があった場所で多くの乗客が乗り降りをした場所です。
やまと22
そして駅前広場の西側、バス停のさらに西を見ると
ご覧のルーバーで覆われたような富山銀行の本店のビルがあります。
元々この場所には「高山駅前ビル」といういかにも昭和な
飲食店街となっている4階建てのビルがありました。
やまと23
その旧高岡駅前ビル跡地の真後ろには
同じく昭和の匂いを残しているご覧のアドニスビルがあります。
再開発された駅前では昭和の最後の遺構とも言える建物です。

やまと11
こちらは駅前広場の北側に接して、鉄道に沿って東西に走る
県道247号中川南町線です。
駅前の交差点は高岡駅前交差点という名称となります。
やまと12
そして高岡駅前交差点から広場の正面を北へと延びているのが
こちらの県道23号高岡停車場線です。
全長400mあまりの県道の中央を万葉線が走っており、
歩道はアーケード商店街となっています。
やまと13
県道の停車場線からみた南の駅方向の光景です。
やまと14
この二つの県道が交差する高岡駅前交差点の、駅の反対側に建っている
大きな建物は「ウイング・ウイング高岡」という公益施設と民間施設が入居する複合施設です。
公益私設としては高岡市立中央図書館や県立志貴野高等学校が入居しています。
やまと15
ウイング・ウイング高岡の交差点角に面した敷地は
ご覧の通り小高くなった広場となっています。
やまと16
この広場の西の一角の、施設の入口前にあるのが
ご覧の「ドラえもんの散歩道」です。
モニュメントは高岡市出身の藤子・F・不二雄氏にちなんだもの
元々は1994年(平成6年)に、県道の停車場線を300mほど北に進んだ
アーケード脇にある万葉の杜という広場に設置されたものです。
広場が駐車場になるということで2011年(平成23年)に
現在あるウィング・ウィング高岡の広場へと移設されました。
やまと17
こちらは藤子・F・不二雄氏のサインの入ったモニュメントの銘板です。
やまと18
高岡駅前交差点の角には地下道の入口が設けられています。
鉄道と並行して走る県道247号線、そして駅前広場の下を貫くように
ご覧の通路が通っています。
やまと19
地下道を南の駅側へと進むと階段があって通路が下がっていますが、
階段の先が駅ビルの地下街の部分となります。
やまと20
地下街には店舗が並んでおり、
柱にはデジタルサイネージの画面が幾つも設置されていました。
やまと21
地下街を抜けてさらに南へと進むと駅への連絡通路があり、
階段で地上へと通じています。
やまと24
地下道からの階段を上った先のこちらが
古城公園口(北口)側の自由通路への入口となります。
やまと28
階段には鉄道駅への入口であることを示す案内が。
やまと26
ペデストリアンデッキの下に位置するこちらのスペースの目の前には横断歩道があり、
駅前広場に沿ってデッキ下は車寄せとなっています。
やまと25
そして自由通路の階段からは案内のラインが引かれており、
ご覧の様に地下街への階段へとラインが伸びています。
やまと27
そのラインから分岐するように分かれるこちらは
万葉線の乗り場への案内のラインです。
やまと29
案内の先にはコインロッカーとエレベーターがあり、
その先に万葉線の高岡駅停留場があります。
元々は駅前広場にあった電停ですが、2014年(平成26年)の駅再開発に際して
新しく建てられた駅ビルのカラン高岡の1階に乗り場が新設されました。
やまと30
電停の北側はガラス扉でスクリーン状に仕切られており、
その向こう側には待合室があります。
やまと31
こちらが待合室の中の様子です。
万葉線の電停が一望できるほか、駅前広場のバス停の待合室をも兼ねています。
部屋の奥にはか加越能バスのチケット発売所も。
やまと32
万葉線の電停への扉の脇にはこちらの「ドラえもんポスト」が置かれています。
ポストは高岡銅器で作られており、藤子・F・不二雄氏の生誕80周年を記念して
2013年(平成25年)に作られたものだそうです。

やまと33
こちらは高岡駅の自由通路と改札前の光景です。
この通路は高岡駅とその周辺の再開発事業の端をきって
2009年(平成21年)に作られ「万葉ロード」と命名されています。
やまと34
改札前から自由通路を北側へと進み古城公園口側の光景です。
やまと35
駅ビルのカラン高岡のスペースを抜けると
駅前広場の外周に張り巡らされたペデストリアンデッキへと通じています。
やまと36
改札側へと戻ると、駅ビルと自由通路の境目付近に
駅前広場へと降りる階段が設けられていて、
万葉線の入口やバス停の前へと通じています。
やまと37
階段前の自由通路にある観光案内所。
やまと38
案内所の向かいは切符売場の窓口があります。
改札から窓口までは、大判の合わせガラスの内側に特殊発色の銅版が仕込まれており
駅の入口のゲートサインとなっています。
やまと39
改札前を抜けて自由通路を南側へ。
南口は駅舎改修後は瑞龍寺口と名づけられています。
やまと40
古城公園口(北口)に比べるとこじんまりとしているものの
こちらの駅前もバス乗降場とタクシー乗降場、
そして一般車用ロータリーが分けられて設けられています。
やまと41
こちらが旧南口の瑞龍寺口の駅舎外観です。
やまと42
地上から見た駅前広場の様子。
やまと43
駅舎の正面を南へと伸びる駅南大通りです。
南に通りを進むと瑞龍寺へと通じる八丁通りまで500m、
新幹線まで1.5kmほどとなります。中央分離帯には石灯籠が。

やまと44
瑞龍寺口まで戻り階段を上がって再び駅の自由通路へ。
やまと45
自由通路の改札の向かい側は広場の様になっており、
ご覧の様に待合の椅子が並んでいます。
やまと46
この待合の広場はちょうど駅の東側へと面しており、
窓から富山方面を見ると北アルプス立山連峰が見えるので
案内パネルも置かれています。
やまと47
広場から向かいの改札へ。
ちなみに自由通路の天井はアルミの建材で立山連峰を表現しているそうです。
やまと48
改札内の様子です。
中は橋上駅舎の連絡通路となっています。
やまと49
改札脇に設けられたガラス張りの待合室。
やまと56
駅は島式ホーム3面6線と単式ホーム1面の計4面7線となっています。
それぞれのホームは跨線橋で連絡していますが、1、2番線ホームはご覧のように
他のホームから少々離れて設置されています。
やまと50
こちらが駅の一番南側にある島式ホームの1、2番線です。
JR城端線が使用するホームなので駅名標もJR西日本の仕様となっています。
やまと51
ホーム西側を見ると、1番線はJR城端線のみで
2番線は城端線とあいの風とやま鉄道の金沢方面の両方に繋がっているのが分かります。
その為1番線はJR城端線のみの発着ですが
2番線には城端線のほかにあいの風とやま鉄道の下り列車の一部も停まります。
列車の運用では1番線がJR城端線の本線となっています。
やまと52
ですので駅名標も1番線側は城端線の新高岡のみが書かれていますが
2番線側は反対方向の越中大門も書かれています。
やまと53
中央付近には連絡通路へと上がる階段やエスカレーターが。
やまと54
橋上駅舎に改築された跨線橋の前後には屋根が設けられており、
待合のベンチは主に跨線橋下に置かれていました。
やまと78
城端線ホームの東端の右手には構内踏み切りがあり、
その先にはJR西日本の北陸広域鉄道部高岡運転派出の建物があります。
これはかつての高岡鉄道部で、氷見線と城端線の運営を行っています。
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切り替えしてのホームの様子です。

やまと57
こちらは跨線橋の連絡通路の、3、4番線の階段付近です。
1、2番線の入口が緑だったのに対してこちらは黄色で塗られており、
色による視覚で乗客が階段を区別できるように配慮がされています。
やまと59
島式ホームの3、4番線です。
あいの風とやま鉄道の上り線石動・金沢方面行きホームとなります。
3番線には下り金沢方面行きの一部列車が停車する事もあります。
金沢方面の上り線は4番線が本線となっています。
やまと58
また、あいの風とやま鉄道ではご覧の通り駅名標を山側と海側で色分けをしています。
乗客が列車を降りた時に海が見えるホームが青、山が見えるホームが緑となりますが、
富山県は北が日本海、南が内陸部という地理ですので
南側ホーム(乗客が北面)が海の青北側ホーム(乗客が南面)が山の緑となります。
やまと60
ホーム中ほどの待合室です。
雪国の富山ですのでガラスで仕切られてて空調が効いています。
やまと61
西端の金沢方は途中で柵が設けられており
ホームがカットされていました。
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中ほどの跨線橋の下付近のホームの様子。
やまと63
東の富山方のホームはかなりの長さが柵で仕切られてカットされていました。

やまと64
連絡通路に戻ってこちらは5、6番線への階段付近です。
こちらは入口が赤色となっています。
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ホームの駅名標です。
南の5番線が青、北側の6番線が緑となります。
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こちらのホームはあいの風とやま鉄道の上り線富山方面行きとなります。
下り線の本線は5番線で、6番線は一部氷見線の列車が停まることもあります。
基本的に5番線が使われる為、ベンチなども5番線向きに設置されています。
やまと67
このホームの金沢方は屋根の途中に柵が作られてホームがカットされていました。
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こちらのホームにも空調の効いたガラス張りの待合室が。
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跨線橋の下付近から東側のホームの様子です。
東側の富山方のホームも柵でカットされています。
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ホームの屋根は北陸本線時代からのもので、
橋上駅舎への改修で作られた跨線橋との古さの対比がなかなか面白いです。

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そして自由通路の7番線への階段付近。
入口は青色となっていました。
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東側への階段を下りると、目の前が柵で仕切られていました。
かつては柵の置く左手150mほど先に氷見線のホームがあり
こちらからホームへと連絡していました。
駅舎の改修により2010年(平成22年)に氷見線ホームは移設され
旧ホームは現在では駐輪場となっているそうです。
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7番線ホームを西へ。
このホームのみ単式ホームとなっている為、
跨線橋下付近は若干狭い印象があります。
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7番線ホームの西側付近です。
この単式ホームは氷見線の専用ホームとなっています。
駅名標はこちらのホームにのみ見当たりませんでした。
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旧駅舎の時代には階段の手前付近に北口改札口が設けられていていました。
やまと76
かつての改札付近には、現在では万葉線の停留場があります。



■モデル車両: あいの風とやま鉄道 413系電車 とやま絵巻
やまと79


やまと80
【上写真:国鉄413系北陸色】
413系電車は国鉄が設計し1986年(昭和61年)した近郊型車両です。

国鉄末期の北陸の地方都市圏輸送は本数も少なく、
機関車が長い編成の客車を引くといった旧態依然のものでした。
これに対して国鉄は編成を短くして定間隔のダイヤで
車両のスピードをアップするなどダイヤ改正による輸送改善を行いました。
この改善で低落傾向だった乗客数は増加に転じたものの、
古い車両では特にラッシュ時の乗降に課題が残りました。
やまと81
【上写真:国鉄419系北陸色】
余剰の特急車両を改造した419系や715系を投入するも近郊型車両としては適しておらず、
また新しく開発した417系、713系といった車両はコストの問題で
末期の国鉄では量産ができませんでした。

こうした事情からコスト低減をした上で、老朽化陳腐化した旧型車両の置き換えの為に
1986年(昭和61年)から随時投入されたのが413系と717系となります。


2015年(平成27年)にJR北陸本線の富山県内区間があいの風とやま鉄道へと
第三セクター転換された際に、413系は3両編成5本が譲渡されました。
413系のあいの風とやま鉄道での編成番号は「AM」となり、このうちのAM03編成が改造されて
2016年(平成28年)8月28日よりイベント列車「とやま絵巻」として運行を開始しています。

駅メモのでんこの高岡やまとは誕生日が8月28日に設定されていますが、
これはとやま絵巻の運行開始日を元ネタとしている
と見て良いでしょう。

【上動画:とやま絵巻・金沢駅入線(クリックで再生します)】


やまと82
とやま絵巻に改修されたAM03編成は
元々はJR西日本金沢総合車両所所属の車両でした。
JR西日本時代の編成番号はB03で、車両落成日は1986年(昭和61年)7月30日となっています。
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こちらはあいの風とやま鉄道のロゴマークですが、
文字の下の波線は「富山に吹く柔らかで優しくさわやかに吹く風」を表現しています。
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とやま絵巻の車体に使われている三日月形は、ロゴマークにもある風を表現したもので
列車全体にこの「風」が使われています。
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ヘッドマークにも使われている列車のロゴは
風のデザインを使って富山県の形を表現したものとなっています。

では以下で編成の各車両について見ていきたいと思います。

やまと83
まずはこちらが泊方の先頭車両となるクモハ413-3です。
ク(制御車)モ(電動車)ハ(普通車)ですので運転台がありモーターを搭載した
普通席車両の制御電動車となります。
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とやま絵巻の車両にはそれぞれ「海のモチーフ」「山のモチーフ」の図案が描かれており、
駅名標と同じく乗客が南面する北側が山北面する南側が海となっています。
まずはこちらは富山湾の名産であるベニズワイガニ
やまと85
同じく富山湾で夏が旬のバイ貝です。
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そしてこちらはクモハ413-3の南側の山のモチーフ側です。
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黒部川の扇状地の入善で作られる
楕円形の大きな形が特徴の入善ジャンボ西瓜
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富山市の八尾地区で毎年9月の頭に行われる民謡行事である
越中おわら風の盆です。
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車内の様子です。
座席は車端部がロングシートで中央部が非転換のクロスシートという
セミクロスシートとなっています。
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クモハ413-3の座席のモケットは黄緑となっており、
外装と同様にデザインされた富山県の名物がプリントされています。


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こちらは3両編成の中央部に位置するモハ412-3です。
モ(動力車)ハ(普通車)ですのでモーターを搭載している
中間電動車の普通席車両ということになります。
またこの車両の屋根の上にはパンタグラフが搭載されています。
やまと92
駅メモのでんこの高岡やまとの背中のパンタグラフは
こちらのパンタグラフがモチーフとなっており、
共にひし形パンタグラとなっています。
やまと93
こちらは富山名物のかまぼこの図案です。
富山湾で取れる近海魚でつくられた富山のかまぼこは板かまぼこではなく、
正月のおせちの伊達巻のように巻かれた巻きかまぼことなります。
やまと94
こちらは富山県の名産であるホタルイカで、
3月上旬から5月にかけてのみ漁期間と定められて水揚げされています。
また常願寺川河口から魚津港にかけての海岸は「ホタルイカ群遊海面」として
国の特別天然記念物に指定
されています。
やまと95
こちらは富山名産のます寿司です。
江戸享保年間に富山藩の料理人が8代将軍徳川吉宗に献上したのが起源とされ、
神通川を遡上するサクラマスを使った早ずしは富山の郷土料理となっています。
わっぱに笹を敷きつめた上に作られるます寿司は図案そっくりのルックスとなっています。
やまとa02
金沢方の車端に描かれたこちらはシロエビです。
ブリ、ホタルイカと並んで富山三大海産物のひとつに数えられる白エビは
「富山湾の宝石」とも呼ばれています。
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反対側へとまわり、山のモチーフが描かれた車両の南側の外観です。
やまと97
金沢方の端に描かれているこちらの図案は五箇山の合掌造り集落です。
岐阜県内にある飛騨の白川郷が合掌造り集落としてはあまりにも有名ですが、
隣接する富山県内側の五箇山の相倉集落と菅沼集落にも合掌造りの古民家が残っており、
「白川郷・五箇山の合掌造り集落」としてユネスコの世界遺産に登録されています。
やまと98
こちらは富山県の県花にもなっているチューリップです。
大正時代に水田の裏作の作物として砺波地方で始められたチューリップの栽培は
原産地の中央アジアと砺波地方の気候が酷似していたこともあって盛んとなり、
富山県のチューリップ球根出荷量は全国一となっています。
やまと99
越中だいもん凧まつりと題されたこちらの図案は
毎年五月にあいの風とやま鉄道の庄川橋梁の南側の河川敷にある
大門カイトパークで行われている凧あげのイベントです。
やまとa01
そして泊方の車端近くに書かれたこちらは呉羽梨
富山市から射水市にかけての呉羽山の西側では戦前に始められた梨の栽培が盛んで
呉羽梨としてその生産が受け継がれています。
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車内の様子です。
セミクロスシートの車両であるのは同様ですが、
座席のモケットの色が濃い青がベースとなっています。
やまとa04
この車両の座席モケットの図案は何色も使ったカラフルなものとなっており
ご覧の様に目を引くデザインとなっています。


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金沢方の先頭車両となるクハ412-3です。
ク(制御車)ハ(普通車)ですからモーター動力を搭載していない、
運転席のある普通車両ということになります。
やまとa06
こちらは氷見の寒ブリ
寒ブリといえば冬の日本海を代表する味覚ですが、
その中でも富山湾で取れ氷見港で水揚げされる寒ブリは
その地理的条件から最も脂がのっている状態で圧巻であるとされています。
やまとa07
こちらは海王丸
元々は1930年(昭和5年)に進水した商船学校の練習帆船だった船で、
1989年(平成元年)に引退した後に伏木富山港の新湊地区(富山新港)に作られた
「海王丸パーク」で1992年(平成4年)より展示されています。
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反対側の山のモチーフ側です。
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こちらはメルヘンおやべ源平火牛まつりの図案です。
小矢部市の商工会が商工祭りでに源平パレードを行ったのが始まりで、
イベントが統合されて「メルヘン祭り」となった中で「源平火牛まつり」となって
1999年(平成2年)から行われているものです。
重量700kgはある火牛をを引いて夜の街を疾走するという迫力あるレースが行われています。
やまとa10
そしてこちらは高岡御車山祭です。
高岡市の高岡関野神社の春季例祭であり、
御車山(みくるまやま)と呼ばれる山車が高岡の旧市街を巡行する祭りは
国の重要無形民俗文化財(祭り)と重要有形民俗文化財(御車山7基)の両方に指定されており、
またユネスコの無形文化遺産にも登録されています。
やまとa12
車内の様子です。
こちらの車内もセミクロスシートとなります。
座席モケットの色は水色がベースとなっています。
やまとa11
運転台の真後ろはロングシートとなっており、
優先座席が設けられています。
やまとa13
またこの車両にのみ、泊方の連結部手前にトイレが設置されています。
やまとa14
そしてトイレの向かい側のつり革には一つだけ、ピンクのハート形のつり革が。
とやま絵巻では各車両に一箇所づつハート形のつり革が設置されています。

【写真撮影:2019年10月】

でんこの元ネタ
■No.42 青砥そら(Aoto Sora)
 ■タイプ:アタッカー
 ■誕生日:5月21日

■出身駅: 京成電鉄 京成本線 青砥駅(東京)
そら01

京成電鉄は1912年(大正元年)11月に現在の押上線と、
本線にあたる曲金駅(現在の京成高砂駅)━伊予田駅(現在の江戸川駅)が開業したのが
実質的な最初の開業ですが、この時には路線上に青砥駅は設置されていませんでした。

青砥駅が開設されたのは1928年(昭和3年)のことで、
これは日暮里への延伸を目論んで分岐点の駅として作られたものです。

実際に他社を買収して鉄道敷設免許を獲得し、青砥駅━日暮里駅間が開通したのは
1931年(昭和6年)の事で、これによって京成電鉄は悲願であった都心延伸を果たしました。


1959年(昭和34年)に橋上駅舎化されてホームの幅も拡張。
その後は青砥駅━高砂駅間の立体化および複々線化の工事が
1972年(昭和47年)より開始されて青砥駅も一旦高砂駅寄りに仮駅を設置して高架化。
実際に高架駅舎が完成したのは1985年(昭和60年)のことでした。
そら02
こちらは駅から西に80mほどにある青砥駅北口交差点の光景です。
交差点を中心に鉄道に沿った南北300mほどの商店街は
青戸サンロード商店街と名づけられています。
そら03
この交差点から西へと400mほどには環状7号線が走っており、
1985年(昭和60年)に完成した中川に架かる青砥橋があります。
そら05
交差点から北に100mほどには、1956年(昭和31年)に戦後葛飾区内に初めてできた
公団住宅の青戸第一団地があり、人口の増加によって駅周辺の田畑が開発されて
次第に市街地を形成してきました。
そら04
青砥駅北口交差点から駅までの80mほどの間は
北ウイング青戸商店街という駅前商店街となっています。
そら06
北ウィング商店街を南に抜けると京成の高架に突き当たります。
戦後に急速に住宅地が発展した駅周辺には駅前広場を作る様な土地は無く、
高架下に歩行者用の広場が設けられています。
そら08
この駅前広場の一角には、ご覧の高架の柱を利用した
「ワルツの塔」というモニュメントがあります。
これは1992年(平成4年)にかつしかシンフォニーヒルズ(葛飾区文化会館)が出来た際に
事業の一環として最寄の青砥駅前に「ワルツ王」と呼ばれた
ヨハン・シュトラウスの像が置かれたものです。
そら10
駅前広場の、高架下道路沿いにある駅周辺の案内地図。
そら09
広場の東側にはご覧の駅舎内への入口があります。
そら11
入口付近の様子です。ご覧の様に階段となっています。
この階段はA階段と名前がついています。
そら69
A階段の左には駅ビルのショッピングセンターの入口がありますが、
その前にB階段の入口があり、上るとA階段の踊り場へと通じています。
そら12
A階段とB階段の合流した階段を上るとご覧のコンコースがあります。
ここは駅舎の中二階にあたり、線路の下を南北に走る通路の途中に改札口があります。
そら13
中二階コンコース中ほどの改札前の様子です。
そら64
改札前を通過して売店の前を過ぎると
コンコースの反対側の階段があります。
階段上にはC階段の表記があるのが分かります。
そら65
こちらがコンコースの北側の先にあるC階段側の入口の光景です。
駅ビルのジョッピングセンターの入口前にコンコースへの階段があります。
そら66
入口前の道路から見た光景です。
そら67
こちらがコンコースへの入口となります。
階段を上り進むと改札前へと至ります。
そら68
駅にあった構内の見取り図です。

そら14
こちらは改札を入った中の様子です。
コンコースから改札を通ると、左右にホーム階に上る階段があります。
そら70
改札階から階段を上がったこちらが駅の二階ホームです。
二階は島式ホーム1面2線となっておりどちらも上り線の列車が使用します。
そら72
1番線が押上方面行きの京成押上線ホーム、
反対の2番線が京成上野方面行きの京成本線ホームとなります。
そら71
元々は平面交差で二つの路線が交わっていた駅でしたが
現在の駅ができてからは階によって列車の方向を分け
二重高架の方向別配線となりました。
そら72
立体構造とする事によって、押上方面(京成押上線)と上野方面(京成本線)の乗り換えは
同じホームでの並行移動で行うことができます。
また上野方面から下り線で来た乗客が押上方面へと乗り換えるには
階段を降りれば乗り換えられるなど、楽な乗り換えができる様に動線が工夫されています。
そら73
ホームの成田方面方寄りにはご覧の青砥そばという立ち食い蕎麦店があります。
そら74
またホームの売店は京成グループの子会社が運営するコンビニとなっており
ファミリーマートがホーム上へと展開しています。
そら75
二階の上りホームのコンビニはご覧の様に自販機店舗となっています。
そら76
こちらは二階と三階のホームを連絡している階段。

そら77
こちらが三階の下り線ホームとなります。
当駅止まりの列車以外は全ての列車が3、4番線共に京成高砂駅へと向かい、
その先で京成本線方面と、北総線・成田スカイアクセス線方面へと分岐します。
そら78
こちらが三階ホームの京成高砂方の光景です。
ガラスで仕切られた待合室が三階ホームには置かれています。
そら79
ホームの中ほどにはご覧のファミリーマートが。
三階のファミマは有人店舗となっています。
そら80
京成上野方にも階段があり、その先には待合のベンチが置かれています。
そしてホームの端には券売機のある建屋が建っているのが見えます。
そら81
ホーム端にあるこちらは青砥駅のイブニングライナーの待合室です。
京成ではスカイライナーの車両を使用した通勤ライナーを運行しており、
朝がモーニングライナー、夜がイブニングライナーとなっています。
そして青砥駅には夜のイブニングライナーが停車するのですが
この駅では8号車(最後尾車両)の乗降扉しか開きません。
駅ごとに乗車する車両を分けて乗客を分散する為なのですが、
その為8号車の目の前となる京成上野方のホーム端に待合室が置かれているのです。

そら82
こちらは青砥駅ホームから東方に見える青砥橋です。
駅からはおよそ350mほど北東に位置しており、
中川に架かる環状七号線の橋梁です。
そら84
駅から北に350mほどの写真の場所で
京成と環七が立体交差しているのですが、そのすぐ東側が青砥橋となります。
そら83
中川の川岸から見た青砥橋。
そら85
京成の高架と中川は青砥駅付近ではおよそ150mほどの距離であり
河口に近い川はさながら港のような光景です。

そら86
高架下の駅入口前の「ワルツの塔」から西側の道路へと出ると
ご覧の「かつしかシンフォニーヒルズ」への案内表示があります。
そら87
80mほど進むとご覧の交差点に。
ここは青砥駅の南端でもあり、頭上では京成本線と京成押上線が
分岐をしている場所でもあります。
そら88
シンフォニーヒルズの案内に従ってさらに100mほど進むと
歩道にモニュメントのこちらのある交差点があります。
そら89
高架をくぐったこちらのインターロッキング舗装の道路が
シンフォニー通りで、300mほどシンフォニー通りを南に進むとホールへと辿り着きます。
そら90
こちらが駅前でヨハン・シュトラウスの像が示していた
かつしかシンフォニーホールです。



■モデル車両: 京成電鉄 AE形(2代目) スカイライナー
そら16


京成電鉄では新東京国際空港(現・成田国際空港)と都内との空港アクセス輸送の為に
1972年(昭和47年)3月より京成AE形 (初代)を開発し落成しました。
AEとは「Airport Express」からつけた名前であり、
この車両が空港アクセスの為の特急車両として開発されたことが分かります。

1972年(昭和47年)10月の新東京国際空港の開港予定に合わせての開発でしたが
空港反対運動の活発化によって当初の開港予定が大きくずれこみ、
実際に空港が開港したのは1978年(昭和53年)5月のことでした。

初代AE形の車両はは空港反対運動の過激派に翻弄され続け
およそ1年半にわたって車両基地で雨ざらしの憂き目に遭います。
1973年(昭和48年)にはやっと特急としての運用を開始したものの、
当初は京成上野駅━京成成田駅間を一日に1往復するといった状態でした。
そら17
こちらは空港開業に合わせて京成で1978年(昭和53年)5月21日に設置された
旧・成田空港駅である現在の東成田駅
です。
前日の5月20日に紆余曲折を経てようやく空港が開港し、
京成のスカイライナーもこの成田空港駅の開業に合わせて運行が開始となりました。

駅メモでスカイライナーをモチーフとしたでんこである
青砥そらの誕生日が5月21日に設定されていますが
これは初代スカイライナーの営業運転開始日が元ネタ
であると思われます。
そら22
当時は空港アクセスの鉄道として成田新幹線の計画があった為、
空港公団は京成の旅客ターミナル直下への乗り入れに難色を示していました。
その為、京成の空港駅は旅客ターミナルとは離れた位置での開業を余儀なくされました。
そら18
現在の京成線ホームから見える、当時のスカイライナーのホームです。
「成田空港」の駅名標がまだ残っているのが見えます。
そら19
そしてこちらは現在でも使用している、東成田駅改札前から
空港第2ビルへと通じる歩行者用の地下道です。
ご覧の通り駅から空港第2ビルまでは500mの距離があります。
この様な状況だった為、当時のスカイライナーは
アクセスの良いリムジンバスに乗客を奪われてしまい閑散とした状態でした。

しかしその後の成田新幹線計画は空港反対派の抵抗などで工事が進まず断念。
1991年(平成3年)に現在の成田空港駅が開業して
JRと京成が旅客ターミナル直下への乗り入れを開始しました。
これによって初代の成田空港駅は東成田駅へと改称されています。
そら20
【上写真:京成AE100形、写真出典元:Railstation.net
ターミナルビルへの乗り入れに際して編成の都合などもあり
京成では新しくAE100形という特急車両を1990年(平成2年)に投入。
以降初代AE形の車両は順次AE100形へと置き換えられる事となりました。

そして2010年(平成22年)には北総鉄道の線路を通り、
印旛日本医大駅━空港第2ビル駅間を新設した「空港アクセス線」が開業。
北総鉄道部分は京成との重複区間とした京成成田空港線となりました。
そら21
このアクセス線では一部の区間で最高速度を160km/hとする事などから
京成では高速運転に対応した新型の特急車両を導入。
「空港アクセスと京成の原点回帰」の想いを込めてAE形の名前を継承した車両が
2010年(平成22年)7月17日に空港アクセス線の開業に合わせて営業運転を開始しました。

そら23
二代目のAE形の車両デザインはファッションデザイナーの山本寛斎氏の手によるものです。
エクステリアデザインのテーマは、速さの象徴である「風」がイメージされており
先頭車両は「疾風」をイメージした流線型となっています。
車体のベースカラーはストリームホワイト(    )で、
日本の伝統色である藍色をメタリックにアレンジしたウインドブルー(    )との
ツートンカラーの塗りわけとなっています。
そら61
先頭車両の全面の前照灯もご覧の様なスタイリッシュなデザインとなっています。
このライトにはLEDを使用しているそうです。
そら62
駅メモのでんこの青砥そらのネクタイのデザインを見ると
この先頭車両の前照灯がモチーフとなっているのが分かります。

そら523
一方で車内のインテリアデザインは「凛」がコンセプトで、
無駄をそぎ落とした、機能的で清涼な美しさが目指されています。
客室内はドーム形の天井に間接照明を施しており、
解放感と適度な落ち着き感を作り上げたそうです。
そら54
またスカイライナーは終点に到着すると乗客が下車した後に車内清掃が行われます。
そして座席が反対方向へと回転して転換されるのですが、
この座席転換がスカイライナーでは自動で行われています

こちらは青砥駅を通過する京成スカイライナーの動画です。
(上動画はクリックすると再生できます。)


それでは各車両について見ていきたいと思います。
そら24
まずは成田空港方の先頭車両である1号車です。
編成略記号ではM2cとなり、M(電動車)c(制御車)ですので
モーターと運転台のある制御電動車ということになります。

スカイライナーの車両番号は、例えば写真の1号車ですと「AE6-1」となっています。
これはAE(スカイライナーの形式番号)6(第6編成)-1(編成の1号車)という意味で、
他社の車両のように1両ごとに形式番号が分けられてはいない様子でした。
そら48
1号車の乗降扉は成田空港方にありますので
ご覧の通り運転席の後ろが乗降デッキとなっています。
そら26
1号車の客室内の様子です。
2+2席が10列設置されており、計40席となっています。
乗降デッキのある成田空港方の端にはご覧の荷物置き場が設けられています。


そら25
成田空港方2両目の2号車です。
編成略記号はM1となりM(電動車)ですので
モーターのある中間電動車となります。
そら57
2号車の屋根上にはご覧の通りシングルアームのパンタグラフがあります。
スカイライナーではどうやら偶数車両にパンタグラフがあるようです。
そら63
駅メモのでんこの青砥そらの背中にも
このシングルアームのパンタグラフがありますので見比べてみて下さい。
そら51
成田空港方の車端にある乗降デッキ付近の様子です。
そら46
客室内はご覧の通りで、2+2席が14列並んで計56席が設置されています。
中間車両ということで中は完全な客車となっています。


そら27
こちらは成田空港方3両目の3号車
編成略記号M2NでM(電動車)の中間電動車です。
Nは本来は寝台車の略号なのですが、ちょっとこの車両では
何を指しているのか分かりませんでした。
そら44
成田空港方の車端の乗降デッキ付近の様子です。
乗降スペースのみなのは2号車と同様です。
そら45
客室内の座席が2+2席×14列の計56席であるのも2号車と同様となります。
スカイライナーでは基本的に荷物置き場が乗降デッキ側に設けられており、
空港からスーツケースを持った旅客へと対応をしています。


そら28
成田空港方4両目の4号車です。
編成略記号はM1'となり、この車両も中間電動車となります。
そら47
この車両で目を惹くのがこちらの扉横にある縦に三連の丸窓です。
デザイン的には風の軽快さをアクセントとして表現しているそうです。
そら58
乗降デッキの上あたりの屋根にあるパンタグラフ。
そら40
成田空港方に乗降扉があるのは他の車両と同様ですが、
4号車にはデッキ内にサービススペースが設けられています。
ご覧の通り自販機が置かれ、丸窓の内側には小さなカウンターテーブルがあります。
そら39
客室内の座席は2+2席が13列と1列分少なくなっており、
合計で52席となっています。


そら29
成田空港方から5両目、京成上野方からは4両目となる5号車です。
編成略記号はT2でT(付随車)ですから自走のできない中間車両の客車ということになります。
そら52
この5号車で特徴的なのは何と言っても車体に描かれたこちらのロゴでしょう。
車体と同じく山本寛斎氏のデザインのロゴは毛筆でスカイライナーの頭文字が表現されており
成田空港からの外国人観光客の注目を集めているそうです。
そら41
5号車の乗降扉も成田空港方にありますが、
デッキには車椅子対応の多機能トイレがあり、その向かい側には洗面台も置かれています。
そら42
こちらが洗面台で、カウンターと一体の形とすることで
車椅子での使用をし易くしています。
そら43
またデッキ奥の車両連結部近くには通常の洋式トイレと
男性用トイレが設置されています。
そら49
車内客室の様子です。
5号車は2+2席が10列に車椅子用2席を合わせての計42席となります。
そら50
成田空港方の1列目のこちらが車椅子用のスペースで、
ご覧の通りシートがありませんが左右で計2台の車椅子を停めることができます。


そら30
京成上野方の3両目の6号車です。
編成略記号はT1ですのでこちらも動力の無い付随車となります。
そら59
6号車の屋根の上のパンタグラフ。
そら55
成田空港方の乗降デッキ付近の様子です。
そら56
客室内の様子。
2+2席が14列で合計56席となっています。


そら31
こちらは京成上野方2両目となる7号車です。
編成略記号がM2SでM(電動車)となりますから、
モーターの搭載されている中間電動車という意味となります。
Sはグリーン車を意味する記号なのですが、スカイライナーにグリーン席はありませんので
なぜSがついているのかは私にはちょっと分かりませんでした。
そら38
成田空港方の車端にある乗降扉です。
中のデッキはこの車両も乗降スペースのみとなっています。
そら37
客室内の様子です。
この車両も2+2席が14列で合計56席の客車となります。


そら32
そしてこちらが京成上野方の先頭車両である8号車です。
編成略記号がM1cですのでM(電動車)c(制御車)となり、
モーターを搭載し運転台もある制御電動車という意味となります。
そら60
こちらの車両もパンタグラフが屋根の上に載っています。
そら323
この車両も乗降扉は成田空港方にあります。
そら34
客室内は2+2席のシートが10列あって計40席となっています。
そら35
またこの車両は1号車とは違って運転席への扉が客室内にあります。
そら36
各車両に設けられている荷物棚の様子です。
大型スーツケース用の滑り止めのバーが下段にはあり、
棚の上には防犯カメラも置かれていました。

【写真撮影:2019年10月】

でんこの元ネタ
■No.60 倶利伽羅しおり(Kurikara Shiori)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:3月14日

■出身駅: IRいしかわ鉄道 倶利伽羅駅(石川)
しおり01


しおり02
こちらが倶利伽羅駅の駅舎の外観となります。
駅は1908年(明治41年)に官設鉄道北陸線の倶利伽羅信号所として設置されたもので、
翌年の1909年(明治42年)に旅客駅へと昇格して倶利伽羅駅となりました。
駅舎の建物は1907年(明治40年)築とのことですので信号場時代からのものとなります。

その後国鉄、JRの北陸本線の駅として営業をしてきましたが、
2015年(平成27年)の北陸新幹線金沢延伸開業によって
JR北陸本線の直江津駅━金沢駅間が第三セクター化。
石川県内がIRいしかわ鉄道となり倶利伽羅駅もその所属となりました。
しおり03
駅前の様子です。
数件の家はあるものの山間の集落に作られた駅の周囲は
どちらかというと閑散とした印象です。
しおり04
駅舎入口の脇にある昔ながらの赤ポスト。
しおり05
建物の中の様子です。
こじんまりとした待合室の脇には木製のベンチが置かれており、
自動券売機とICOCAチャージ機、飲料の自販機などが置かれています。
改札の真ん中には簡易ICOCA改札機が。
しおり07
入口脇には無料貸し出しの傘の傘立てがありました。
しおり06
その傘立ての横の小さなテーブルには駅スタンプが。
図案は倶利伽羅古戦場の火牛でした。
しおり08
待合室に貼られていた倶利伽羅不動寺の案内です。
「倶利伽羅」の地名の由来である寺であり、
サンスクリット語で「黒い龍」が倶利伽羅の意味であることが書かれています。
しおり09
こちらは倶利伽羅駅の時刻表。
改札脇に掲示されていました。

しおり10
駅構内側から見た駅舎の改札付近です。
しおり11
改札脇の軒下にはベンチが置かれ、
その奥には倶利伽羅の火牛のオブジェが置かれていました。
しおり12
牛の前の壁にあった倶利伽羅駅の観光案内板です。
しおり13
こちらは構内側の駅舎前付近の様子です。
駅舎からは跨線橋でホームへと連絡しているのですが、
ご覧の通り結構な距離で離れており連絡通路が延びています。
しおり14
これは北陸本線の旧線がご覧のように駅舎の目の前を走っていた為で、
元々駅舎は線路に隣接して建てられたものだったからです。
1955年(昭和30年)に新しいトンネルが開通して線路も新線へと付け替えられた為、
ホームの位置も北西へと移動したという訳です。
しおり15
そして駅舎の東側、ホームからは南側にはご覧の広い駅の敷地があります。
かつての北陸本線の旧線の倶利伽羅駅━石動駅間は急勾配の難所で、
後押し用専用の蒸気機関車が峠越えの為に駅に待機していたそうです。
その為の敷地や旧線、そして旧ホーム跡などがこの敷地にありました。
しおり16
広場の一隅の線路沿いにある火牛の像です。
台座の銘板によると津幡町の観光協会によって
1986年(昭和61年)に建てられたものだそうです。
しおり17
火牛の反対側の広場の道路沿いにはこちらの大看板が。
倶利伽羅の合戦の錦絵が描かれたこの看板は、駅のホームに降りた人が
最初に目にする位置に建てられています。
しおり18
改札前に戻り、こちらは跨線橋の駅舎側の階段です。
この駅の階段には階段アートが施されています。
駅舎側の上段が倶利伽羅峠の八重桜、下段が源氏太鼓の図案となっています。
しおり19
こちらが跨線橋の中の様子です。
しおり20
ホーム側の階段にも階段アートが施されており、
倶利伽羅峠の戦いで戦った両家の家紋、
上段が平維盛の「丸に揚羽蝶」、下段が木曽義仲の「笹竜胆」となっています。
しおり21
ホームの様子です。
島式ホーム1面2線となっており、上下線ともに外側に側線も設けられています。
しおり22
この倶利伽羅駅はあいの風とやま鉄道とIRいしかわ鉄道の境界駅となっており、
南側の1番線がIRいしかわ鉄道の金沢方面行き、
反対側の2番線があいの風とやま鉄道の富山方面行きホームとなっています。
しおり23
ホーム上には富山方にご覧の建屋が、
金沢方には跨線橋前に上屋の屋根があります。
しおり24
屋根の下には風除けのガラスを備えたベンチがあります。
しおり25
跨線橋から金沢方の南西にも多少ホームは伸びていましたが
途中で立ち入り禁止の柵が設けられていました。

しおり26
駅舎の前へと戻って線路沿いに左手の北東富山方へ。
進むとすぐに東側の広場の大看板の前へと出ます。
大看板の錦絵の裏側は倶利伽羅峠付近の観光案内図でした。
しおり27
案内図の大看板の前を過ぎてさらに北東の富山方へ。
序々に道路は下り坂となります。
しおり28
坂から南側に見える道は県道286号刈安安楽寺線で国道8号線の旧道にあたります。
1991年(平成3年)にくりからバイパスが開通するまで国道だった道路であり、
鉄道と併走するように走っています。
しおり29
さらに坂を下ると途中に線路側への道が分かれており、
ご覧の煉瓦造りの跨道橋があります。
駅舎からはおよそ90mほどに位置しているこちらは
国鉄北陸本線の旧線の遺構となります。
しおり30
手前の煉瓦作りの部分が明治に開通した旧線の橋となります。
かつてはこの橋の上を線路が走っていました。
しおり31
煉瓦の橋の北側の奥にあるこちらが現在上を鉄道が走っている橋となります。
「広畑函渠」と書かれたこの橋は1954年3月築と記されています。
北陸本線が新線に付け替えられたのが1955年(昭和30年)ですから
作られた年月はきちんと符合しています。
しおり32
橋を北側から見ると、ちょうど真上に倶利伽羅駅ホームの建屋が見えます。
つまりこの橋は駅ホームの真下に架かっているということが分かります。
しおり33
上で位置関係を類推するとおおよそご覧の様になります。

しおり34
駅舎へと戻って西側の目の前を見ると電話ボックスとバス停があります。
しおり35
その隣、駅舎の南西にはご覧の駅駐車場がひろがっています。
しおり36
駐車場前からさらに西へと進むとご覧の跨線橋が見えてきます。
しおり37
この橋は倶利伽羅駅跨線橋という橋で、
名前のとおり旧北陸本線のIRいしかわ鉄道の線路を跨いでいます。
しおり48
1994年(平成6年)に架けられた様ですので、
JR西日本の時代に架けられた橋ということになります。
しおり38
跨線橋から見た、駅のある富山方の光景。
しおり39
同じく金沢方の俯瞰です。
しおり40
跨線橋を渡ると北側にすぐ、今度は跨道橋があります。
こちらは国道8号線くりからバイパスを跨いでいる橋です。
駅の北側裏手を鉄道と併走するバイパスは、
かつての北陸本線のトンネルを拡張し道路転用した倶利伽羅トンネルへと続いています。
しおり41
鉄道の跨線橋への戻ると、北西の脇に線路沿いに下る道があります。
下ると線路脇に神社の社柱が立っているのが見えます。
しおり42
社号を見ると笠野神社とあります。
調べるとどうやらこの付近一帯の神社の神様を集めた惣社なのだそうです。
しおり43
苔が生した参道は非常に雰囲気があります。
しおり44
神社のお社。
しおり45
線路脇の道を跨線橋へと戻ります。
しおり46
西側から見た駅周辺の遠景です。



■モデル車両: IRいしかわ鉄道 521系電車
しおり47


しおり49
【上写真:JR西日本521系】
521系電車は元々は2006年(平成18年)にJR西日本が、
当時車両老朽化の激しかった北陸本線へと投入した交直流近郊形電車です。
JR西日本としては新製投入した交直流近郊形電車は521系が初めてで、
営業用の交直流電車としては初の2両編成となっています。

そして2015年(平成27年)3月の北陸新幹線開業により
北陸本線の金沢駅━直江津駅間が並行在来線として第三セクターへと転換
されます。
この転換によって富山県内の市振駅━倶利伽羅駅間があいの風とやま鉄道に、
石川県内の倶利伽羅駅━金沢駅間がIRいしかわ鉄道という新会社となりました。
しおり51
【上写真:あいの風とやま鉄道521系】
第三セクター転換となり、JR西日本からあいの風とやま鉄道とIRいしかわ鉄道へ
それぞれ北陸本線を走っていた521系の車両が譲渡されました。
そのうちあいの風とやま鉄道へは16編成で計32両の521系が譲渡されています。

しおり52
【上写真:IRいしかわ鉄道521系】
そしてIRいしかわ鉄道には5編成10両の521系が同じく譲渡されました。
しおり53 【左写真:石川県旗】
車両の前面と横には水色(    )がカラーリングされています。
これは石川県の県旗の青を用いたもので、IRいしかわ鉄道のコーポレートカラーでもあり
「日本海と豊かな緑・清い水・澄んだ空気」を表わしています。
しおり50
そして521系の先頭部は貫通扉があるのですが、
横に転落防止幌という、ホームの乗客が連結部に落下するのを防止するガードがあります。
このガードと車体横のラインについて、IRいしかわ鉄道では5編成それぞれを
「加賀五彩」(藍・古代紫・臙脂­・黄土・草)の五色でそれぞれアクセントとして塗っています。
 ○第10編成:草/緑色(    
 ○第14編成:古代紫/紫色(    
 ○第30編成:藍/青(    
 ○第55編成:黄土/金(    
 ○第56編成:臙脂/赤(    
しおり54
そしてIRいしかわ鉄道521系をモチーフとした駅メモのでんこ、
倶利伽羅しおりのカチューシャの飾りは転落帽子幌の形をしています。
加賀五彩についても袖が緑、カチューシャ本体と肩が紫、スカート裾に金など
各所にデザインのアクセントとして使われているのが分かります。

こちらは倶利伽羅駅への521系の入線の動画です。
(クリックで動画は試聴できます。)

それでは編成の各車両を見てみたいと思います。
しおり55
まずこちらが金沢方に編成されるクモハ521形です。
ク(制御車)モ(電動車)ハ(普通車)ですので
運転台がありモーターを搭載している制御電動車という意味となります。
編成略記号でもMcとなりM(電動車)c(制御車)ですから同じ意味です。
しおり56
車内の様子です。
前面に貫通扉がついており、連結時は運転台の真ん中が開放されるため
運転席は密閉できるようになっています。
しおり57
車内のシートは転換クロスシートとなっています。
つり革や取っ手などは黄色にコーティングされていました。
しおり58
寒冷地を走る為、ドアにはボタンがついており
乗降時には乗客が自分でドアの開閉を行う半自動となっています。
また中央の乗降扉の両脇には補助席が設けられており
非混雑時には使う事ができます。
しおり66
こちらは車両後部の乗降扉の脇にある整理券発行機です。
床に直置きではなく、専用のカウンターの上に載っています。
JR北陸本線時代にはワンマン運転をしていたので整理券を発行していましたが、
IRいしかわ鉄道への変換後は車掌が乗務しワンマン運転は行っていないので
発行機にはカバーがされて使われていません。
しおり59
富山方の連結部側の車端のシートはロングシートとなっていて
ご覧の通りの優先座席となっています。


しおり60
そしてこちらが富山方に編成されるクハ520形です。
ク(制御車)ハ(普通車)ですので運転台のある制御車となります。
編成略記号ではTpc'ですのでT(付随車)p(パンタグラフ)c'(制御車)となり、
運転台はあるがモーターで自走はできずパンタグラフのある制御付随車という意味となります。
しおり61
車体横の車両番号。
しおり62
屋根の上に搭載されているパンタグラフです。
しおり63
倶利伽羅しおりのパンタグラフと並べてみると
同じ形をしているのが良く分かります。
しおり64
こちらが車内の様子です。
転換クロスシートであるのは同様となります。
こちらの車両は優先席がロングシートでは無いので
ヘッドカバーによって優先座席を区別しています。
しおり645
車両後部の金沢方の連結部手前付近の様子です。
こちらの車両にはトイレがついていますが車椅子対応トイレとなっています。
そしてトイレの前には車椅子が待機できるスペースが設けられており
手すりや車椅子用の表示があります。


【写真撮影:2019年10月】

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