でんこの元ネタ

でんこの元ネタ
■No.93 美々津あさひ(Mimitsu Asahi)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:10月1日

■出身駅: JR九州 日豊本線 美々津駅(宮崎)
あさひ01


あさひ24
こちらが美々津駅の駅舎の外観となります。
駅は1921年(大正10年)に当時の鉄道省が宮崎本線を延伸して開設されたもので、
1923年(大正12年)に日豊本線の駅となります。
かつては有人の駅舎があったものの1984年(昭和59年)に無人化。
1993年(平成5年)に駅舎が解体されて現在の待合室が建てられました。
あさひ25
駅の西側には正面のみ舗装のされた駅前広場があります。
あさひ26
駅舎の右手の南側には木造のトイレが。
あさひ27
その通路脇の駅舎左正面には県指定文化財の
美々津手漉き和紙の案内看板がありました。
あさひ28
反対側の駅舎前にある電話ボックスとポスト、そして乗合バスのバス停。
そして駅舎の北側には隣接して自転車置き場があります。
あさひ29
駅舎の中はご覧の通りで、実際には駅舎というよりは待合室という表現が正しいものです。
屋根の下には木製のベンチが設けられていますが、駅務を行う部屋などはありません。
ちなみにこのベンチは旧駅舎時代のものを移設したのだそうです。
あさひ30
壁には駅時刻表の他に周辺の案内図や駅構内の配膳図が。
あさひ31
ホーム側から見た駅舎の様子です。
中のホームに並行する様にスペースがありますが
これは恐らく旧駅舎があった時のスペースの跡だと思われます。
あさひ32
駅舎のある1番線ホームの様子です。
単式ホーム1面1線となり、単線区間にある駅の主本線となります。
あさひ33
ですので通常時は上り延岡方面行き、下り宮崎方面行きが共に
こちらの1番線ホームを使用しています。
あさひ34
美々津駅は単式ホームと島式ホームの計2面3線の駅となっていて
ホーム同士は跨線橋で連絡しています。
あさひ35
跨線橋の裏手の南側にもホームがありご覧の様に伸びています。
あさひ36
そして跨線橋の下にあった駅周辺の名所案内。
あさひ37
跨線橋に上がった光景です。
屋根は無く金網で仕切られたタイプとなっています。
あさひ38
上から見下ろした駅の俯瞰。
あさひ39
こちらは島式の2、3番線ホームとなります。
基本的にこちらのホームの待避線で2番線が下り宮崎方面、
3番線が上り延岡方面行きの列車が停車します。
あさひ40
特急列車が美々津駅を通過する際は主本線の1番線を通過しますので
その際に普通列車がこちらの島式ホームで退避する、という訳です。
あさひ41
2番線は駅構内の信号機の配置が理由で上り延岡方面への発着ができませんので
必然的に下り列車の専用となります。
あさひ42
ホームの東側の三番線の向こう側に立てられた
日向市観光協会の看板。
古事記に記された神武天皇の東征で、舟を造り船出をしたのが
この日向の国の美々津とされています。
あさひ43
こちらの島式ホームは中央部付近に上屋の屋根があります。
あさひ44
島式ホームの跨線橋の裏手。

あさひ46
駅舎を出て駅前の広場へと戻ります。
この広場は県道231号美々津停車場線の起点となっており
国道と駅とを連絡する県道の出発点となります。
あさひ45
駅前広場の出口前にある床屋さん。
店名がさすが神話の地だけのことはあります。
南のグランドへの取付け道路が店の前に。
あさひ47
床屋の横から20mほどでご覧のT字路となり、
県道231号線は北へと曲がっています。
あさひ48
駅前T字路の南側はご覧の様に生活道路となっており、
市道では無いのか地図にも掲載されていません。
あさひ49
T字路の北へと伸びる県道231号美々津停車場線。
あさひ50
駅前から50mほどで再びT字の交差点へと差し掛かります。
西へと分岐する道は広めに作られており国道へと通じています。
ですので美々津駅前のバス停は駅前広場ではなく
こちらの交差点に設けられています。
あさひ51
バス停のT字路から20mほど北のすぐの場所で線路側を見ると
市営住宅があり、その奥に美々津駅の車庫とスロープが見えます。
美々津駅は1974年(昭和49年)に荷物取扱いを廃止していますが、
スロープはかつてここが貨物ヤードであった名残りなのでしょう。
あさひ52
さらに県道を北に進むと公民館と消防団の倉庫が。
あさひ53
そして公民館の先で県道はT字路に突き当たり
駅前からはおよそ400mといった場所で西の左側へと進路が曲がります。
あさひ54
東の海側はすぐにJR日豊本線の川向踏切があり、
その向こう側には美々津中学校が見えます。
あさひ55
踏切と反対の西側は県道231号線美々津停車場線の続きですが、
途中に川向バス停があります。
あさひ56
そしてその川向バス停の前にあるこちらの民家には
県指定無形文化財と書かれた看板が掛けられています。
美々津駅の駅舎前に美々津和紙の無形文化財を案内する看板がありましたが、
こちらがその和紙を作っているお宅となります。
あさひ57
西へと県道を進むとショッピングセンターの先で国道10号線へと合流。
この信号の交差点が県道231号線美々津停車場線の終点となります。
踏切からはおよそ200mくらいの距離です。
あさひ58
美々津は耳川という川の河口に作られた美々津港で栄えた街で
江戸時代は藩の上方(大阪)交易の拠点として、明治大正時代には
水運の積出港として繁栄しその町並みは
国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

しかし1921年(大正10年)に鉄道が敷設されると
美々津駅は街の中心地からは離れた石並川の反対側へと作られます。
ですので駅周辺はこれまで見た通り民家が散在する光景となっています。
あさひ59
県道231号美々津停車場線と国道10号が交わる
美々津中学校入口交差点の信号。
600mほどの距離が美々津駅からはありますので
徒歩で10分弱の場所となります。
あさひ60
国道10号の交差点北側はすぐに、石並川に架かる石並橋があります。
東の海側を見ると河口手前に日豊本線の石並川橋梁の赤い橋が見えます。
あさひ61
石並川の北側の左岸に沿って海側へと向かうと600mほどで河口に辿り着きます。
あさひ63
この石並川の河口の北側の海岸が美々津海岸で、
写真の岬の向こう側が耳川の河口に作られた美々津港です。
美々津の街の中心はこの海岸の内陸側となります。
あさひ62
そして神武天皇の東征の船出の地とされるこの海岸の
石並川河口近くにはご覧の「御舟出の地」の石標が置かれています。
海岸から沖に見える灯台は「神のみあかし」と呼ばれる美々津港灯台で、
七ツ礁(ななつばえ)という岩礁の上に設けられています。
神武天皇は東征の際にこの七ツ礁と一ツ礁の間を抜けて出征したとされています。

あさひ66
場所は変わって、こちらは県道231号美々津停車場線にある
美々津駅バス停の前にある公園です。
この公園のフェンスにある町内案内図を見ると、
駅の南側に「(財)鉄道総合技術研究所」とあるのが見えます。
これはかつて国鉄が1977年(昭和52年)に作った
リニアモータカー宮崎実験線の実験センターの場所を示しています。
あさひ65
美々津駅の南側の日豊本線沿いに作られた全長7kmのリニア実験線の高架線では
1979年(昭和54年)には517km/hの最高速度を記録するなどリニアの実験が進められていました。

しかし7kmの実験線では次第に実験に限界が生じた結果、
リニア新実験線が山梨県に建設される事となって
1996年(平成8年)に宮崎実験線でのは終了しました。

現在でも美々津駅から宮崎方面へと発車する列車に乗ると
車窓からはすぐに海側に実験線の高架が見えます。
しかし高架上にはご覧の通りソーラーパネルが並んでおり、
現在はソーラー発電所へとその役割を変えています。



■モデル車両: JR九州 713系サンシャイン
あさひ02


ローカル線の機関車牽引普通列車を電車化する為に
九州で初めての交流専用電車として1983年(昭和58年)に
当時の国鉄で作られたのが713系電車となります。

車両の形式番号のうち百の位の7~8は交流専用、
十の位の0~4は近郊形列車を示すので713系は交流専用近郊形電車であることが分かります。

また、当初は量産先行の為の試作車として作られた
「試作車」「量産先行車」を表す区分である900番台が充てられており、
713系900番台として登場していました。

1983年(昭和58年)7月23日に2両2編成、29日に2編成の
計4編成8両が作られたものの国鉄の財政が晩年だった為悪化
ローカル線の電化への列車投入はコストの観点から
余剰車を改修する事で充てられる事となり、713系が量産される事は無くなりました


新製後は南福岡電車区に配置され、クリーム色1号(    の地色に
緑色14号(    
の帯のカラーリングで長崎本線や佐世保線で運用されました。

1987年(昭和62年)の国鉄民営化によってJR九州へと引き継がれた713系は
帯色が青23号(    の「九州色」に変更されたものの
引き続き長崎本線や佐世保線で運用されます。
あさひ03
そして空港アクセス路線として宮崎空港線が建設されると
713系が空港アクセス電車へと転用されることが決定し、
1996年(平成8年)3月のダイヤ改正で
鹿児島運転所(現・鹿児島車両センター)へと転属
される事となります。
あさひ04
転属後は1996年(平成8年)7月18日の宮崎空港線開業に向けて車体の塗色が変更。
クリーム色が基調だった車体は赤(    一色へと塗り替えられ、
前面と車体横には「SUNSHINE MIYAZAKI」の文字と共に
インカ調の太陽のロゴがあしらわれました。

駅メモのでんこの美々津あさひの名前が「あさひ」なのは
太陽の光の意味である「陽光」と訳されるサンシャインからの連想
である、
と推測するのは容易でしょう。
あさひ64
また美々津あさひの誕生日が7月18日に設定されているのは、
現在のカラーリングでサンシャインという車両になるきっかけとなった
宮崎空港線の開業日が由来であると考えられます。



【上動画はクリックで再生します。】
こちらは美々津駅を発車する713系サンシャインの様子です。
それでは以下で713系の各車両について見ていきたいと思います。

あさひ05
まずは延岡方のクモハ713形です。
ク(制御車)モ(電動車)ハ(普通車)ですので運転台とモーターのある制御電動車となります。
あさひ07
車両の連結部に近い宮崎空港方の車端屋根上にはシングルアームの
パンタグラフが1基搭載されています。
あさひ08
車内客室へと入り、こちらは延岡方車端の運転席側の様子です。
乗降扉から運転席までの間にはかつてはロングシートが設置されていたそうなのですが、
2003年(平成15年)に車内収受式ワンマン運転対応化の改修で撤去されました。
現在はご覧の通りヒーターカバーが設けられています。
運転台の真後ろの箱は料金箱を収める箱で、進行方向側となった際には
収納箱から料金箱を引き出して使用します。
あさひ22
ワンマン運転用の料金表示機。
あさひ09
運転台の中の様子です。
中央部には貫通扉があり連結時には通行が可能です。
あさひ10
車内はセミクロスシートとなっており、
2ドアの乗降扉の間の座席がクロスシートとなっています。
客室内の壁や調度品には赤、青、緑の原色が使われており
なかなかビビットな配色となっています。
あさひ11
連結部側の車端妻側の壁には東急車輛の銘板が。
4編成のうちLK-1とLK-2の2編成は東急車輛製、
LK-3とLK-4は日立製となっています。
あさひ12
連結部側のロングシートは片側6人掛けが両側に設置。
バケットタイプで人数分のヘッドレストも設けられています。
あさひ13
そして連結部に近い側の乗降扉の前には乗車整理券発行機が。
その脇には2人掛けロングシートが置かれ天板の置かれた衝立が立てられています。
あさひ14
車両中央部のクロスシート部分ですが、
こちらは1996年(平成8年)の鹿児島運転所転属で改修されたもので
485系特急型電車の廃車発生品の回転リクライニングシートが転用されています。
その為通勤形車両でありながらバックテーブルもついた特急のシートが利用できます。


あさひ06
宮崎空港方のクハ712形です。
こちらはク(制御車)ハ(普通車)で運転台はありますが動力は搭載していません。
あさひ15
二両編成なので先頭車両同士の編成となります。
ですので宮崎空港方には運転台があります。
こちらの車両は運転台側の乗降扉の脇は二人掛けロングシートが置かれて
妊婦や老人などの優先座席となっています。
あさひ16
運転台側から延岡方へと見た車内客室の様子です。
中央部がクロスシートとなっているのは同様です。
あさひ17
そしてこの車両が延岡方のクモハ車と異なるのが
連結部側車端に設けられたこちらのトイレです。
この延岡方車端はロングシートが置かれており
トイレ側が5人掛け、反対側が7人掛けとなっています。
あさひ19
客室側のトイレの外側壁には使用中を知らせるランプが。
あさひ23
トイレの反対側の壁には車両番号と東急車輛の銘板がありました。
あさひ18
連結部側の乗降扉脇の衝立はこちらも天板が置かれカウンター状となっています。
そのカウンターの前には座席が置かれておらず、案内はされていませんが
車椅子などが待機できるフリースペースとしても活用できそうです。
あさひ20
クロスシートの様子。シートピッチは910mmで
ペダルで回転して転換する方式となります。
あさひ21
車内客室の床の模様。

【写真撮影:2020年8月】

でんこの元ネタ
■EX No.02 赤壕まひる(Sekigou Mahiru)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:10月1日

■出身駅: なし
まひる01


国鉄DD14形ディーゼル機関車は除雪用のディーゼル機関車であり、
現役時には北海道から関西まで広くで活躍した列車です。

特定の駅や路線に属する列車ではなく、
降雪のある地域で広く活躍した機体であるだけに
通常のでんこの様に駅名を苗字に冠するのは難しかった様子です。


「赤」はその機体の塗色からであると容易に推測できますが、
「壕」の文字については正直なところ由来は不明です。
本来であれば「土を掘って作った溝」が「壕」という文字の意味ですから
おそらく、はラッセル車という性格上「雪をかき分ける」という用途が
穴を掘った溝と共通点を感じて命名された、と推測するしかありません。

ですので日本で現在過去ともに「赤壕」という駅は存在しませんので
固有の駅や地名が名前の由来となった訳では無さそうです。



■モデル車両: 国鉄DD14形ディーゼル機関車
まひる02


国鉄DD14形ディーゼル機関車が登場をしたのは1960年(昭和35年)のことで、
汽車製造によって製造され機関車であり、1972年(昭和47年)に川崎重工に吸収合併された後は
川崎重工が製造を引き継いで1979(昭和54年)年までに43両が製造されました。

まひる03
多くのディーゼル機関車が車体の中央部に運転台を置いて
両側にディーゼル機関を搭載した凸形の形状のセンターキャブ形をしているのに対して
このDD14形は片側に運転台が寄せられたエンドキャブ形の車両となっています。

除雪用のロータリーヘッドは着脱が可能である為、
雪の無い夏季には入替え用の機関車として使用する事も可能でしたが
運転台と反対側のボンネット側の視界が極端に悪いという特性があり
入換用の機関車が配備され始めると使用されなくなりました。


近年は除雪作業には保線機械扱いで動力車免許の要らない
モータカーが使用される事がほとんどとなり、
DD14形が除雪に使用される事は稀となっています。

そして2020年(令和2年)9月に327号機が廃車回送となった為、
車籍が残っているのはJR東日本の310号機のみとなっています。


以下は現在(註:2020年9月現在)静態保存されているDD14形のうち
鉄道資料館で保存され公開されている3両についてとなります。


まひる04
こちらは新潟県の新津鉄道資料館で静態保存されているDD14-332です。
JR移管後も信越本線の直江津駅━黒姫駅間で使用されていた長岡車両センター所属の車両で、
同区間が北陸新幹線開業による第三セクター移管を予定していた為
除雪のモーターカーが配備されなかったという事情から生き残っていたものです。

2015年(平成27年)3月に同区間がえちごトキめき鉄道へと移管されると
DD14-332も運用を離脱。同年7月に新津鉄道資料館へと搬入され、
以後は静態保存車として展示されて現在に至ります。
まひる05
こちらはDD14-332が保存されている新津鉄道資料館です。
最寄りの新津駅からは2.2kmほど離れた場所にあります。
まひる06
信越本線と羽越本線、磐越西線が乗り入れる新津は
大正時代に機関庫が設置された土地であり、1941年(昭和16年)に
新潟鉄道局新津工場が置かれて以来鉄道車両の作られる「鉄道の街」として発展しました。
まひる07
その街に1983年(昭和58)に作られたのが新津鉄道資料館であり、
屋内の常設展示の他に数多くの車両が静態保存されています。
まひる08
この鉄道資料館の屋外に作られた屋根つきの常設展示場に
DD14-332が静態保存されています。
まひる09
こちらが新津で静態保存されているDD14-332です。
屋根のある展示場に置かれている為状態は非常に良好です。
まひる10
1977年(昭和52年)10月27日に川崎重工兵庫工場で作られ長岡機関区へと配備。
豪雪の新潟地区で主に上越線や只見線などで活躍した機体となります。
まひる11
DD14形は第14次車(329~333号機)より前照灯がシルドビーム2灯式となっています。
この後ラストナンバー車となる第15次車の335号機まで前照灯は2灯式が採用されています。
まひる12
前照灯に触れたのはDD14形をモチーフとするでんこの赤壕まひるの
胸元の飾りが前照灯をモチーフとしているのですが形が2灯式であるからです。
デザインを参考に考えると赤壕まひるの元ネタはDD14形第14次車以降のモデルとなりますが
実際の所は分かりませんのであくまで参考情報となります。
まひる13
前面のロータリーヘッドは車体と同じ赤で塗られており、
332号機の銘板も取り付けられています。
まひる15
新津鉄道資料館の屋内展示ではDD14形に関する展示もあります。
まひる16
【上画像はクリックで拡大します。】
DD14形の寸法が書かれた図面も展示されていました。


まひる14
続いては北海道の三笠鉄道記念館で保存されているDD14-1です。
番号で分かる通りDD14形のファーストナンバー機であり
1960年(昭和35年)に製造され苗穂機関区に配置されプロトタイプ機として
除雪試験が行われるなど開発の試験機の役割を果たしていました。
往年は旭川機関区に配属されて主に石北本線などで活躍をした機体です。
まひる17
三笠鉄道記念館はかつての北海道で最初に開通した鉄道路線の一部でであった幌内線の、
貨物の終点である幌内駅の構内を利用して作られた三笠鉄道村の敷地内にあります。
まひる18
こちらが鉄道記念館の建物です。
鉄道資料や炭鉱関係資料等が保存されています。
まひる22
レンガ造りの建物の西側は車両保管庫となっており
中には蒸気機関車など数両が静態保存されています。
まひる19
鉄道村の敷地内には気動車を利用した食堂もあり、
また動態保存されている小型蒸気機関車が走っています。
まひる20
そして記念館の西側の敷地には多くの列車が屋外で静態保存されており、
その中にDD14形のラッセル車も展示されています。
まひる21
こちらが三笠鉄道記念館で保存されているDD14-1です。
DD14形のファーストナンバー車という貴重な車両です。
前照灯は白熱灯が用いられています。
まひる23
1960年(昭和35年)に汽車製造で作られた車両は
新形式の1号機ということで当初は苗穂機関区所属となり深名線で除雪試験を行いました。
まひる24
作られた当初の1号機のロータリーヘッドは「パイルハック形」という
2軸のローター(羽根車)で雪を飛ばす方式のものでした。
しかし試験を重ねた結果パイルハック形では思う様な成果が出ず、
4号機以降ではロールバー形が本格採用されました。
まひる25
1号機も後にロールバー形に改造されており、
三笠での保存車両もロールバー形のロータリーヘッドを装着しています。


まひる26
そして最後はこちらのDD14-323
小樽市総合博物館に保存されている車両となります。
13次車(323~328号機)であるこの形式の車両は
前照灯はシールドビーム1灯式となっています。
まひる27
北海道の鉄道は幌内の炭田の石炭を小樽港から船に載せる為に敷設されたという性格上、
小樽市内にも手宮線という北海道最初の鉄道路線の一部が走っていました。
手宮線の跡地は現在でもレールが残され鉄道遺産として保存がされています。
まひる28
この手宮線は国鉄となってからの線名で開通時は官営幌内鉄道でしたが、
手宮線跡地の先の旧手宮駅跡にあるのがこちらの小樽市総合博物館です。
まひる29
構内敷地5.8haの中には旧手宮機関庫など
数々の鉄道記念物や準鉄道記念物が保存されています。
まひる30
こちらは敷地にある準鉄道記念物の北海道鉄道開通起点標。
まひる31
そして博物館の敷地の正面入口近くに2両のラッセル車が留置されており、
そのうちの一両がDD14形の機関車です。
まひる32
DD14-323の車体の外観です。
1976年(昭和51年)7月23日に川崎重工兵庫工場で製造された機体で
第13次車(323~328号機)にあたり前照灯がシールドビーム1灯となっています。
新製され岩見沢第二機関区に配属され、後に空知運転所に転属されています。
まひる33
ロータリーヘッドにも銘板がありますが
製造は新潟鉄工所のものが付けられていました。


まひる34
DD14形の車体は国鉄色である朱色4号(    で塗られています。
その為DD14形をモチーフとする赤壕まひるの服の色も朱色4号となっています。
服の胸元はフロントキャブの窓の形を模したデザインとなっており
特徴的な旋回窓もデザインへと反映されています。


【写真撮影:2018年11月(新津)2020年8月(小樽・三笠)】

でんこの元ネタ
■No.94 下新ゆき(Shimonii Yuki)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:10月1日

■出身駅: 松本電鉄 上高地線 下新駅(長野)
ゆき01


ゆき02
こちらは松本市新村下新付近の市道の様子です。
ゆき03
田んぼがひろがる中を南北に走る道路で
道沿いに民家が並び、その背後には田んぼが広がる光景となっています。
ゆき04
北に向かうと国道158号線へと連絡していますが、
その途中にアルピコ交通の踏切があり、脇に駅があります。
ゆき05
踏切の南東側にある駅の駐輪場。
線路を挟んだ向かい側には駅ホームが見えます。
ゆき06
踏切から見た駅の様子。
ゆき07
そして踏切の北東脇にあるこちらが下新駅となります。
1921年(大正10年)に当時の筑摩鉄道の島々線駅として開業し、
路線は松本電気鉄道、アルピコ交通と社名を変えて現在に至っています。
現在のログハウス風駅舎は1997年(平成9年)に改築されたものです。
ゆき08
市道に面した駅の前には駅前広場があります。
砂利敷きの広場の奥の半分は隣の民家の敷地なので
駅の敷地は市道側のご覧の半分となります。
ゆき09
市道と駅舎との間にはご覧の通り歩道と縁石があるので
車両や自転車などは正面から直接広場には入れず、
北側に接している市道の脇道から入る事になります。
ゆき10
踏切側の線路沿いに作られたバリアフリーのスロープ。
ゆき11
こちらが駅舎の入口で、左手の奥には駅務室に入る扉があります。
ゆき12
中の様子です。ログハウス風の駅舎のホーム側半分が待合室となっており
ご覧の通り木製ベンチが設けられています。
駅務室側には券売窓口がありますが、委託社員が詰めるのは朝限定なので
日中はご覧の通りシャッターが閉められています。
ゆき13
ログハウスの作りなので上を見ると天井は高く吹き抜けており
明かり取りの天窓が設けられていました。
ゆき14
ホーム側から見た駅舎の入口。
ゆき15
こちらが駅のホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線駅となっています。
ゆき16
ご覧の通り駅舎付近のみ広くなっていて待合のベンチが置かれていますが
あとは乗降の為のホームが延びるのみのシンプルな作りとなっています。
ゆき17
南端のホーム側は踏切に面しており
駅舎もこちら側に設けられています。

ゆき18
駅前の市道へと戻り、北西へと進むと100mほどで
国道158号線の下新交差点があります。
ゆき19
下新交差点から南西方向は国道158号線がアルピコ交通とほぼ併走しています。
国道は上高地から高山、美濃白鳥を抜け九頭龍線と併走し福井まで抜けていますが
途中が有名な酷道区間なので、長野県側は実質的に上高地へと向かう国道です。
ゆき20
北東方向は松本市街へと向かっており、
松本駅の西700mほどの渚一丁目交差点で国道19号と交わっています。
途中には長野自動車道の松本インターもあるなど
松本市の動脈とも言える道路となっています。
ゆき21
そして下新交差点から松本方面へ80mほどにあるのが
こちらのレストラン上高地です。
ゆき22
下新駅周辺は田んぼの中に道沿い民家が立つ環境で
周囲に商店の類は見当たりません。
国道158号線はすぐ北側を走っていますが
ご覧の通り通過点に位置している環境なので
このレストラン以外に駅周辺に飲食の出来る店舗は見あたりませんでした。
ゆき23
アルピコ交通上高地線は長大な路線ではありませんので
往復しても2、3時間程度ですが、ご覧の通りの状況ですので
必要な方は事前に買い物を済ませる事をお勧めします。



■モデル車両: 松本電鉄3000系電車
ゆき24



ゆき26
それまで松本電鉄(現・アルピコ交通)では東急から譲り受けた
東急5000系を改造した電車が走っていました。「青ガエル」の愛称を持ち、
最近渋谷駅前から大館駅へと移設されたことでも話題となった車両は
当然のことながら老朽化が進んでおり、
新たに京王電鉄で代替廃車となった京王3000系電車を譲り受け導入する事となりました。

ゆき25
京王電鉄初のオールステンレス車両として
1962年(昭和37年)に登場した京王3000系は前面にFRPを使用。
ステンレスとプラスチックを使用したことから「ステンプラカー」と呼ばれました。

1996年(平成8年)以降京王の車両入れ替えで廃車が進みましたが
ローレル賞も受賞したその優れた車両は全国の地方私鉄へと譲渡され、
伊予鉄道3000系、北陸鉄道8000系、上毛電鉄700形など各地で稼動をしています。

ゆき27
導入当時の松本電鉄では1999年(平成11年)10月25日に2両編成2本(3001編成、3003編成)、
2000年(平成12年)7月7日に2両編成2本(3005編成、3007編成)の計8両を導入しており、
現在もこの4編成が稼動をしています。
ゆき32
車体の色で特徴的なのが長さの違う5色のストライプです。
アルピコグループは1992年(平成4年)にCI(グループアイデンティティ)を実施していますが、
この時に企業ブランディング大手の米国ランドーアソシエイツ社の手によるデザインで生み出されのが
「ダイナミックストライプ」と呼ばれる5色のストライプです。
ストライプの色は紫・ピンク・黄色・緑・赤の五色で、
長野の高原に咲き乱れる美しい花々や草木の新緑をイメージしています。
ゆき33
2011年(平成23年)にはグループのバス会社と松本電鉄が合併して
アルピコ交通となっていますが、アルピコグループのバスも
ご覧の通り上高地線の鉄道と同じ配色とカラーリングとなっています。
ゆき47
また松本電鉄は現在はアルピコ交通へと社名変更をしているので
路線名も正式にはアルピコ交通上高地線となりますが、
駅内の案内表記などでは今後も松本電鉄の表記を愛称として使用するそうです。

ゆき28
駅メモのでんこである下新ゆきの誕生日は10月1日に設定されています。
アルピコ交通で10月1日を調べると、1966年(昭和41年)10月1日に
バスターミナルが移設され赤松駅を新島々駅に改称
した日であることが分かります。

他のでんこの設定からすると、松本電鉄に3000系が移籍した10月25日や
大元の京王3000系として新造された4月30日、路線が最初に開業した10月2日などが
誕生日の設定日として選ばれるのが普通です。
デザインや他の設定から下新ゆきの元ネタが松本電鉄3000系であることは確実ですが、
なぜ誕生日の設定を10月1日にしたのかは謎です。



【上動画はクリックで再生します】
こちらは松本電鉄3000系電車が下新駅へと入線をする様子の動画です。
それでは以下で編成の各車両について見ていきたいと思います。

ゆき29
新島々方の先頭車両であるモハ3000形です。
モ(動力車)ハ(普通車)が示す通りモーターを搭載した動力車であり、
京王時代には中間車両の電動車デハ3100形だった車両です。
ゆき31
ステンレス車両でありながら車体は白で全面が塗られており、
前面と車体横には5色のストライプが施されています。
ゆき40
京王時代の1M方式と呼ばれる、全ての必要な機器が組み込まれた車両の為
松本方の車端屋根上にはパンタグラフも搭載されています。
ゆき34
二両編成で両方ともに先頭車両の為、
新島々方の車端はご覧の通り運転台があります。
ゆき37
運転席への扉の上には案内用の液晶モニターが設置。
ゆき38
上高地線ではワンマン運転を行う為、
京王時代には無かった料金箱が置かれています。
ゆき39
また上高地線では2017年(平成29年)より車内で使える無料Wi-Fiの
「ALPICO FREE Wi-Fi」のサービスを始めている為、
機器を納めたサーバラックが置かれています。
ゆき35
客室内は片側3扉のロングシート車となっており、
京王線時代の通勤型車両の形がそのまま残っています。
ゆき36
中央の乗降扉の前には乗車証明書を発券する発券機が。

ゆき30
こちらは松本方の先頭車両のクハ3000形です。
ク(制御車)ハ(普通車)で運転台のある車両という意味で
京王時代にはユニット方式の電動車デハ3050形だった車両です。
ですのでこの車両にもモーターが搭載されています。
ゆき41
松本方車端の運転台の様子。
ゆき42
運転席後方は新島々方の車両と同様に
ワンマン運転用の料金箱や機器類が置かれています。
ゆき43
運転台に一番近い乗降扉のすぐ脇の座席は優先席となっていますが、
座席モケットの色は通常席と同じで表示シールとつり革の色で案内がされています。
ゆき44
車内はこちらも同様にロングシートとなっています。
ゆき45
ちょうど客室中央部付近の天井近くにはご覧のように
モニターとスピーカーが設置されており、
乗客への案内を行っています。


ゆき46
元ネタとなった松本電鉄3000系と駅メモのでんこの下新ゆきを並べてみると、
ベルトのバックルが前照灯であったり、上着の裾の飾りが赤い標識灯であるなど
デザインのモチーフとなっていることが良く分かります。

長野県は近隣に別のでんこのモデル列車も走っていますので
一度乗りに行ってみてはいかがでしょうか。

では。

でんこの元ネタ
■EX No.09 夕陽ヶ丘マツカ(Yuhigaoka Matsuka)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:10月29日

■EX No.10 夕陽ヶ丘ウシオ(Yuhigaoka Ushio)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:10月29日


■出身駅: なし(苗字の由来は愛知こどもの国の「ゆうひが丘」から)
ウシオマツカ01


愛知こどもの国は1974年(昭和49年)10月29日に開園した児童遊園施設であり、
「こどもと自然との対話、こどもとこどもの対話、こどもと親との対話」をテーマとして
愛知県政100周年を記念して作られた公園です。
ウシオマツカ02
愛知県西尾市東幡豆町にある施設の敷地はおよそ100万平方メートルで、
東側のあさひが丘と西側のゆうひが丘という二つの山のエリアに分かれています。
ウシオマツカ03
こちらは愛知こどもの国の中央広場で、
あさひが丘とゆうひが丘に挟まれた中央に位置しており
園内を管理するご覧の中央管理棟が置かれています。
ウシオマツカ04
そして園内には「ランドトレイン」という連結のトロッコバスが走っており
中央広場とあさひが丘、ゆうひが丘を連絡しています。
※註:ランドトレインは土日祝日の運行のみ。
ウシオマツカ05
ランドトレインは中央広場の南側に架かっている「なかよし橋」という跨道橋を渡って
ゆうひが丘へのおよそ5分の道のりを走ります。
ウシオマツカ06
なかよし橋の南のたもとの正面はゆうひが丘の山となっており
ご覧の通り「ゆうひが丘入口」の看板が掛かっています。
ウシオマツカ07
駅メモのエクストラでんこである夕陽ヶ丘ウシオと夕陽ヶ丘マツカの苗字は
この愛知こどもの国の南半分のエリアである「ゆうひが丘」が由来
となっています。
多くの駅メモのでんこの様に駅名が由来ではありませんが、
このゆうひが丘のエリアは数多くの乗り物の遊具が集められたエリアであり、
園内を運行するこども汽車の線路が敷設されているエリアですので名前の由来となった様です。

ウシオマツカ08
ゆうひが丘の山の等高線を東側から時計回りに走る園内道路を
ランドトレインに乗って進むと、山の南側にあるのがこちらのゆうひが丘の乗降場です。
ウシオマツカ09
このランドトレインの乗降場のある場所が
「ゆうひ棟」というゆうひが丘エリアの管理棟のある場所で
いわばこのエリアの入口側と言える場所となります。
ウシオマツカ10
ゆうひ棟の脇にある、園内道路からゆうひが丘へと入る階段。
ウシオマツカ11
上へと登ると建物の前には自由広場と題された広場がひろがっており、
ミニカーやゴーカートといった園内の乗用遊具があります。
ウシオマツカ12
そして広場の東側には園内道路が階段から延びており、
130mほど進むとこども汽車の乗り場が設けられています。
ウシオマツカ13
こちらが愛知こどもの国のゆうひが丘エリア内を周回している
こども汽車の乗降場であるこども汽車駅の駅舎です。

駅メモのでんこの夕陽ヶ丘ウシオとマツカの苗字が駅名では無いのは、
乗降場の駅名が「こども汽車駅」では苗字にならなかったのも一因でしょう。
ウシオマツカ14
園内道路から乗降場へと上がる階段。
ウシオマツカ17
俯瞰で見たこども汽車駅付近の様子です。
ウシオマツカ15
駅舎の前には広場があってキャンバスの屋根とベンチがあり
汽車を待つ乗客の待合スペースとなっています。
ウシオマツカ16
広場の片隅にあるこども汽車のスペックや
線路標識の説明などが書かれた看板。
ウシオマツカ18
こちらが駅舎の入口となります。
入口すぐ右には自動券売機があり、奥が柵で区切られた改札となります。
ウシオマツカ19
乗客は左奥の外階段からホームへと上がり、
降車客はホームから線路をくぐって出るという一方通行となります。
基本的には遊園地の遊具なので列車別改札となっており、
乗客は汽車の発車時刻前までは改札前で待つ事となります。
ウシオマツカ20
階段を登った上の乗車ホームの様子です。
1番線を示す札のある単式ホームとなっており、
上屋の屋根が設けられたホームは下手なローカル線の無人駅よりも
広めのホーム幅がある作りとなっています
ウシオマツカ21
そして1番線の西側にあるこちらが降車ホームとなります。
2番線の表記札がありますがこちらのホームは島式1面2線となっています。
上屋の屋根がホーム全体を覆っており、北側ホーム端に階段があります。
ウシオマツカ22
駅のすぐ南側には隣接してご覧の転車台があります。
こちらは降車ホームのさらに西側にある、
車庫のある引き上げ線の南端に設けられています。
ウシオマツカ23
降車ホーム北端の階段を下ると線路の下をくぐる通路があり
駅舎の入口へと通じています。
ウシオマツカ24
こちらが出口で、窓口が置かれています。
ウシオマツカ25
この愛知こどもの国のこども汽車は
ゆうひが丘の山の山腹を周回する全長1135mの路線となっています。
全線が敷地内を走る遊具ではありますが本物の蒸気機関車が走っており、
こども汽車駅を発車して三ヶ根山や三河湾を望むコースを周回し
再びこども汽車駅へと戻る環状運転となっています。


ウシオマツカ26
こちらは名古屋鉄道蒲郡線のこどもの国駅の外観です。
元々は前身の三河鉄道の洲崎駅として1936年(昭和11年)に開業した駅ですが、
1974年(昭和49年)10月に愛知こどもの国が開設されたのに合わせて
最寄り駅とする為に洲崎駅を東へ400m移設。
二年後の1976年(昭和51年)には駅名も改称してこどもの国駅となりました。
ウシオマツカ27
高架駅となっているこどもの国駅の西側にがご覧の市道が面しています。
ウシオマツカ29
市道は南北へと通じており、南側は150mほどで県道321号東幡豆蒲郡線があって
その南側はすぐに三河湾の海が広がっています。
ウシオマツカ28
駅から北側の市道は愛知こどもの国へと通じています。
ウシオマツカ30
1kmほどであさひが丘の駐車場へと通じる市道は
その先も中央広場、そしてゆうひが丘へと山腹を蛇行しながら
園内の中央を縦貫しています。
ウシオマツカ31
駅の北側には広めの駅前広場の敷地があり、
鉄道利用者は無料で利用できる駐車場となっています。
ウシオマツカ32
広場の出口付近にあるこどもの国への案内看板。
ウシオマツカ33
高架沿いの広場にはかつてはご覧の場所に木造の三角屋根の駅舎があったそうですが
近年に老朽化の為に取り壊されており現在はありません。
ウシオマツカ34
駅舎のあった場所の壁を見ると
ご覧の様に今でも三角屋根の形の跡が残っていました。
ウシオマツカ35
その駅舎跡の奥にホームへと上がる階段があり、
高架のへこみは駐輪場として利用されていました。
ウシオマツカ36
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
階段付近には上屋の屋根が設けられており、
西側の屋根下にはベンチの脇に自動券売機が置かれています。
ウシオマツカ37
山に囲まれた無人駅ながらホームの幅は広めに作られています。
かつて1984年(昭和59年)頃までは特急列車が停車していたこともあり、
ホームの長さも6両編成に対応した長さがあります。
ウシオマツカ38
しかしながら近年は観光客の嗜好の変化やモータリゼーションなどで
蒲郡線の利用客が減少しており、列車もワンマン運転となり
ICカードの利用にも対応はしていません。
ウシオマツカ39
駅周辺は民家はある程度の数が見えるものの
基本的には山の中の無人駅といった様相です。



■モデル車両(マツカ): 愛知こどもの国 こども汽車B11「まつかぜ」
ウシオマツカ40

■モデル車両(ウシオ): 愛知こどもの国 こども汽車B12「しおかぜ」
ウシオマツカ41

愛知こどもの国が開園したのは1974年(昭和49年)10月ですが、
この園内のゆうひが丘エリアを敷設された線路を走るのがこども汽車です。

軌間762mmのナローゲージの鉄道であり、
これは三岐鉄道北勢線や黒部渓谷鉄道などと同じ軌間となります。
園内を一駅のみで環状運転を行っており
鉄道事業法による鉄道ではなく遊具の扱いではありますが、
実際に石炭を焚いて蒸気機関車が走っており、
その設備なども実際の鉄道と言って過言では無いものとなっています。


ウシオマツカ42
このこども汽車の線路を実際に運行しているのが二両の蒸気機関車であり、
B11号機「まつかぜ」B12号機「しおかぜ」です。

駅メモに登場している2名のエクストラでんこである
夕陽ヶ丘ウシオとマツカはこのこども汽車の蒸気機関車が元ネタとなります。
名前も「まつかぜ」からマツカ、「しおかぜ」からウシオと付けられたであろうことは
想像が容易
であり難くありません。

またウシオとマツカの誕生日が10月29日に設定されていますが、
これは愛知こどもの国の開園日およびこども汽車の運行開始日である
1974年(昭和49年)10月29日が元
であると考えて良いでしょう。


この二両は愛知こどもの国が開園する二ヶ月前の
1974年(昭和49年)8月に二両共に落成をしています。

製造を行ったのは福島県の協三工業で、日中戦争から太平洋戦争にかけて
軍需用の小型蒸気機関車の製造をしていた機関車メーカーです。
戦後はガソリン機関車やディーゼル機関車も製造をしており、
森林鉄道や建設省の河川事務所、地方鉄道などに小型機関車の納入を行っています。

また国内の遊園地やテーマパークなどで使用する
小型機関車と客車の製造をも行っており、
1991年(平成3年)には東京ディズニーランドの
ウエスタンリバー鉄道の機関車を納入
しています。


ウシオマツカ43
こちらがB11「まつかぜ」です。
さきに述べた通り1974年(昭和49年)8月製造の機関車で
同年10月より運行を開始しておりすでに40年以上を経ている機体です。
戦後に各地で蒸気機関車がテーマパーク内を走る様になりましたが
愛知こどもの国の蒸気機関車はその草分けとも言える存在です。

また多くのテーマパークなどの機関車が引退した車両を復活させたものでしたが、
愛知こどもの国では二両の蒸気機関車を新製しており
こちらも当時としては画期的だったそうです。

2010年(平成22年)にB12「しおかぜ」がボイラーの故障で運休した際には
6年間にわたってこども汽車の運行を1両でがんばった車体です。
その為2016年(平成28年)にしおかぜが復帰した後に、
今度は長年の稼動の為に車輪が磨耗したまつかぜが走れなくなりました。
ですので現在は(註:2020年9月現在)運行はしておらず
降車ホーム西側に留置された状態
となっています。


ウシオマツカ44
こちらがB12「しおかぜ」の車体となります。
まつかぜと一緒に作られたので製造は同じ1974年(昭和49年)8月となります。
愛知こどもの国の開園以来、まつかぜと一緒にゆうひが丘を40年以上運行してきた機関車です。

このしおかぜが2010年(平成22年)にボイラーの故障によって運休となり、
高額の修理費を捻出する目処がたたずに6年に渡って留置されることとなりました。
ウシオマツカ45
運休中に愛知こどもの国の運営が県営からNPO法人への委託となり、
2016年(平成28年)には修理費を募るクラウドファンディングを実施。
失敗するプロジェクトも多い中で見事に目標額の支援を達成し、
同年11月には修理を終えたしおかぜは再び愛知こどもの国を走り始めました。


【上動画はクリックで再生します】
こちらは復帰したしおかぜが本線を走行する姿の動画です。
現在(註:2020年9月現在)はこのしおかぜのみが土日祝日に運行を行っています。

ウシオマツカ46
愛知こどもの国のこども汽車は通常時は蒸気機関車の他に
電源車1両、客車4両、そして最後尾に車掌室付き客車1両の7両編成で運行しています。
こちらは客車の外観と客室内の様子です。
ウシオマツカ47
こども汽車の客車は赤い客車が5両(うち車掌室つき1両)と
青い客車5両の計10両があります。


ウシオマツカ48
愛知こどもの国は入園が無料の児童遊園施設であり、
その運営は毎年赤字が続いている状態なのだそうです。
こども汽車の乗車運賃も一回300円と安価なものであり、
現在運休中のまつかぜの修理代金の捻出も恐らく大変なのだと思われます。

せっかく駅メモのでんことなったこの二両、
支援も兼ねて是非とも一回乗りに行くことをお勧めします。

では。

でんこの元ネタ
■No.26 新百合ほこね(Shinyuri Hokone)
 ■タイプ:アタッカー
 ■誕生日:3月19日

■出身駅: 小田急電鉄 小田原線 新百合ヶ丘駅(神奈川)
うららほこねa26


駅メモのでんこである新百合ほこねはご覧の通り「新百合」が苗字として設定されています。
これは同じく小田急ロマンスカーを元ネタとしている新百合うららと同じ苗字であり、
設定上もほこねとうららは姉妹となっています。

苗字の由来である小田急小田原線の新百合ヶ丘駅については
以下の記事で詳細を載せていますのでご参照下さい。
参考
でんこの元ネタ ■No.25 新百合うらら(Shinyuri Urara)



もともと新百合ヶ丘駅付近は周囲に何も無い山あいの土地で、
小田急線の駅も西生田駅(現・読売ランド前駅)の次は柿生駅でした。

1960年(昭和35年)に百合丘団地の造成に伴って百合ヶ丘駅が新設。
これが「百合ヶ丘」という駅名の元となっています。
由来としては駅周辺に神奈川県花の山百合が自生していたからだとも、
周辺の地主100人が協力してニュータウン開発が行われたことから
「百人が力を合わせた」とする説など諸説があります。

そして小田急多摩線の建設と周辺の線形改善の為の線路付け替えが行われて
1974年(昭和49年)に分岐駅として新百合ヶ丘駅が開業。
既に駅周辺が「百合ヶ丘」のニュータウン名として定着していたことから
新しい百合ヶ丘駅ということで新百合ヶ丘駅の駅名となったそうです。


駅メモのでんこの新百合姉妹の苗字は「新百合ヶ丘」ではなく「新百合」ですが
新百合ヶ丘駅周辺の住民も百合ヶ丘駅との区別から「しんゆり」の略称を日常的に使用しており、
語呂も良いことなどもあってでんこの苗字に採用されたのだと思われます。



■モデル車両: 小田急電鉄50000系電車 VSE
うららほこねa28



元来小田急のロマンスカーは都心から箱根の温泉へと訪れる観光客を目的とした特急でした。
その為前面展望席を小田急ロマンスカーは代名詞としていましたが、
1996年(平成8年)導入のロマンスカーEXE車は通勤需要を目論み前面展望席が無くなりました。

しかしながらロマンスカーの代名詞である前面展望席が無くなったことで
逆に観光客へのイメージを損なう結果となりロマンスカーの利用者数が低下
これを受けて「小田急ロマンスカー」ブランドの復権を掲げた新型特急が企画されます。
うららほこねa84
こうして2005年(平成17年)に「小田急の新たなフラッグシップモデル」として作られたのが
前面展望席のある50000形ロマンスカーとなります。
車両のデザインには外部デザイナーとして建築家の岡部憲明氏を起用。
岡部氏はMSE車など以降のロマンスカーのデザインをも手がける事となりますが
50000系は最初にデザインした列車となります。

駅メモでは新百合うらら(MSE車)とほこね(VSE車)が姉妹の設定となっていますが、
車両デザインの生みの親が同じである事も姉妹設定の理由のひとつかと推測されます。
うららほこねa85
また50000系はその内装デザインから
「ドーム状の天井」の意を持つ「Vault(ヴォールト)」という単語を使った
「Vault Super Express」が愛称として付けられ略してVSE車と呼ばれる事となります。


それでは以下で50000系ロマンスカーVSE車の各車両について見ていきたいと思います。

うららほこねa30
箱根湯本方の先頭車両となる1号車のデハ50900形です。
デ(電動車)ハ(普通車)が示す通り動力を搭載している車両であり、
50000系VSE車では全車がモーターが搭載車となっています。
編成略記号ではM10cとなりM(動力車)c(制御車)で運転台のある制御電動車となります。
うららほこねa41
1号車は車両の中央部付近にご覧の乗降扉がありますが、
この扉は通常時には開閉されず使用できません。
ですのでこの車両に旅客用の乗降口はありません
うららほこねa42
新宿方の車端にはこちらの乗務員扉があります。
この扉は車掌の乗務する乗務員室の扉ですのでこちらも一般旅客は使用できません。
うららほこねa45
こちらは車内の様子ですが、2号車の箱根湯本方車端の乗降デッキから連結部を越えると
新宿方の1号車端部に乗務員室が左右計2室設けられています。
うららほこねa43
客室内の様子です。
1号車客室の新宿方の4席×8列の計32席は通常席となっています。
うららほこねa44
客室の中央部付近には先ほどの通常時には使用しない乗降扉があり、
ご覧の様に扉前にはカウンターが設置されています。
うららほこねa46
そして箱根湯本方の先頭側の4席×4列の16席は展望席となります。
ロマンスカーを象徴する代名詞ともいうべき展望席からは
列車の前面展望を遮ることなく望むことができます。
うららほこねa47
展望席の最前列はご覧の通り前がカウンターとなっており、
フロントガラスには視界を遮る窓枠がありません。


うららほこねa31
箱根湯本方の二両目となる2号車のデハ50800形です。
デ(電動車)ハ(普通車)ですのでモーターのある中間電動車となります。
編成略記号はM9でこちらも電動車を意味しています。
うららほこねa48
車両の箱根湯本方の車端には乗降扉があります。
1号車の乗降デッキをも兼ねる為、1号車と2号車の境近くに設けられています。
このデッキは2号車側としては乗降スペースのみ設けられています。
うららほこねa51
客室内の様子です。
一般席が4席×10列で計40席が設置されています。


うららほこねa32
次は箱根湯本方三両目の3号車、デハ50700形です。
デ(電動車)ハ(普通車)の中間電動車で、編成略記号はM8でこちらも電動車の意です。
うららほこねa52
この3号車には箱根湯本方と新宿方のそれぞれの車端屋根上にパンタグラフがあり、
計2基のパンタグラフが一両に搭載されています。
うららほこねa49
3号車の箱根湯本方はご覧の通り、ガラスパーテションで区切られた
4席1室のサルーン席が3区画設けられています。
うららほこねa50
中央にテーブルが設けられた部屋は1区画ごとの販売となっており
グループでの旅行などでの用途が想定された座席となっています。
3号車の座席はこのサルーン席の4席×3区画の計12席のみとなっています。
うららほこねa53
車両中央部には乗降扉が設けられていますが
デッキにはカウンタースペースが設けられています。
ショーウインドウのあるカフェカウンターはVSE車内販売の拠点であり、
かつてはシートまでクルーが品物を運ぶシートサービスが行われていました。
うららほこねa54
カウンターから箱根湯本方を見るとサルーン席とデッキを仕切るガラス扉があります。
その脇の窓側にはAEDの置かれたパンフレットスペースがあります。
これはかつての喫煙室の跡で、デッキと喫煙室との境にはガラス扉がありました。
2007年(平成19年)に小田急ロマンスカーが全車終日禁煙となったことで
喫煙室も撤去されて現在に至っています。
うららほこねa55
乗降扉から新宿方はすぐにガラスの扉となっており、
その中に入るとゆったりトイレと男子小用、女性用のトイレがあり、
連結部付近には洗面台が置かれています。
うららほこねa58
こちらは連結部付近の様子です。


うららほこねa33
次は箱根湯本方四両目の4号車のデハ50600形となります。
中間電動車でデ(電動車)ハ(普通車)なのは同様で、
編成略記号はM7となりこちらも電動車の意味となります。
うららほこねa56
乗降扉と乗降デッキは箱根湯本方の車端部にあります。
4号車として乗り降りのスペースのみとなりますが、
隣の3号車の洗面トイレスペースと繋がっており一体の空間となっています。
うららほこねa57
客室内の様子です。4席×10列で計40席となっています。


うららほこねa34
こちらは箱根湯本方の五両目、5号車のデハ50500形となります。
同じくデ(電動車)ハ(普通車)となり、
編成略記号ではM6中間電動車となります。
うららほこねa63
箱根湯本方にある乗降デッキです。
乗り降りの設備のみとなっています。
うららほこねa60
客室内の様子です。
新宿方の車端の左右1席づつがご覧の通り車椅子対応席となっています。
うららほこねa61
この車両の座席は合計で36席となります。
基本的に4席×10列の構造ですが、車椅子スペースの分の座席が除かれています。
うららほこねa62
車椅子対応席に近い箱根湯本方は客室扉が2枚構造で幅が広く、
新宿方が通常サイズの1枚扉となっています。


うららほこねa35
新宿方から五両目にある6号車のデハ50400形です。
この車両も中間電動車を示すデ(電動車)ハ(普通車)で、
編成略記号はM5となり同じく電動車の意味となります。
うららほこねa64
こちらが6号車の客室内の様子で、
4席×10列の計40席の車両となります。
うららほこねa68
10両編成のVSE車は5号車と6号車の間がちょうど中間点となりますが、
この中間点を境に新宿方車両は新宿方に、箱根湯本方の車両は箱根湯本方に
それぞれ乗降デッキが設置されています。
ですので6号車の乗降デッキは7号車寄りの新宿方に設置されています。


うららほこねa36
次は新宿方の四両目、7号車のデハ50300形です。
デ(電動車)ハ(普通車)で編成略記号がM4の中間電動車です。
うららほこねa67
7号車の客室内も座席数は4席×10列の計40席となります。
中間車両の客車としてはスタンダードな形状の車両となっています。
うららほこねa69
新宿方車端にある7号車乗降デッキです。
7号車部分は乗降の設備のみしかありませんが、
隣の8号車のトイレ洗面部分とつながっていて一体の設備の様に見えます。


うららほこねa37
8号車となる新宿方の三両目、デハ50200形です。
編成略記号ではM3の電動車であり、デ(電動車)ハ(普通車)の意味であるのは
他の中間車両と同様です。
うららほこねa39
この車両の屋根上には新宿方と箱根湯本方の両端に
それぞれシングルアームのパンタグラフが計2基搭載されています。
うららほこねa70
車両の箱根湯本方車端部の様子です。
7号車の乗降デッキと連結部を挟み通じており、
女性用トイレ、男性用トイレ、洗面台と
車椅子対応のゆったりトイレが設置されています。
うららほこねa71
トイレ洗面スペースの箱根湯本方にはガラス扉が通路にあり、
扉の反対側となる車両通奥部付近にこの車両の乗降扉があります。
車椅子対応の為ドア幅が他の車両よりも広くなっています。
うららほこねa75
乗降デッキと一体となったスペースには
車内サービスのカウンターが置かれています。
そして新宿方にはかつて喫煙室だったパンフレットスペース、
そして客室へのガラス扉があります。
うららほこねa73
8号車新宿方の客室スペースの様子です。
ほぼ同様の構造の3号車では個室サルーン席になっていますが
こちらの8号車では通常の座席が計10席置かれています。
うららほこねa74
3列のうち箱根湯本方の列は車椅子スペースが作られて
左右1席づつとなっています。


うららほこねa38
新宿方二両目の9号車のデハ50100形です。
デ(電動車)ハ(普通車)の中間電動車で編成略記号M2となります。
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こちらも4席×10列の計40席のスタンダードな客車車両となっています。
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新宿方車端の乗降デッキ。


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最後は新宿方の先頭車両となるデハ50000形です。
1号車とならんでロマンスカーVSE車を象徴する流線型の美しい車両です。
デ(電動車)ハ(普通車)で電動車の意味なのは他の車両と同じですが、
編成略記号ではM1cM(電動車)の他にc(制御車)の表記が入っており
運転台のある電動車であることが分かります。
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車両の箱根湯本方の車端の扉は車掌の使う乗務員室のものであり
1号車と同様にこの車両に一般旅客用の乗降扉はありません。
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10号車の車両中央部付近にあるこちらの扉は
客室から外に通じる扉ですが、非常用として一般時は使用していないので
基本的に一般旅客が使用する事はありません。
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こちらは10号車の箱根湯本方の車端部です。
9号車乗降デッキから貫通路で入ると両側に乗務員室があり
ロマンスカーの車掌が乗務しています。
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10号車の客室内の様子です。
箱根湯本方の後ろ半分はご覧の様に通常座席が4席×8列の計32席並んでいます。
こちらは同じ先頭車両の1号車と同様の構造です。
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客室の中央部付近の様子です。
非常用扉の前が乗降デッキのようなスペースとなっており
カウンターが置かれています。
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この非常用扉の上の軒部分にはご覧のブルーリボン賞の標章があります。
50000系VSE車は2006年(平成18年)に鉄道友の会のブルーリボン賞を受賞しており、
VSE車モチーフのでんこの新百合ほこねの髪の青いリボンは
この受賞を示していると言われています。
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そしてこちらが新宿方先頭部の展望座席となります。
ロマンスカーを象徴する前面展望席は
4席×4列の計16席が置かれています。



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小田急50000系ロマンスカーVSE車の各車両については以上となります。
いつ乗っても箱根への乗客であふれている人気の高いロマンスカーは
ぜひとも一度は乗車されることをお勧めします。

では。

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