でんこの元ネタ

でんこの元ネタ
■EX No.01 エルミーヌ・ワロン(Hermine Wallonne)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:10月4日

■出身駅: 無し(苗字のワロンはベルギー南部のワロン地域(Walloon Region)から)


駅メモのでんこであるエルミーヌ・ワロンは2018年(平成30年)7月に
「エルミーヌのミステリートレイン」という謎解きイベントで実装されたキャラクターです。

鉄道で移動をしながら謎を解く、というイベントの為に用意されたのは
推理小説での名作「オリエント急行殺人事件」をモチーフとしたキャラでした。


エルミーヌ04
「オリエント急行殺人事件(Murder on the Orient Express)」
イギリスの推理小説の巨匠アガサ・クリスティ(Agatha Christie)の手による小説で、
彼女の手によるエルキュール・ポアロシリーズの8作目の作品となります。

1934年(昭和9年)に発表された本作は著者の代表作の1つに挙げられている名作であり、
この「オリエント急行殺人事件」をはじめとする一連の推理小説の主人公が
エルキュール・ポワロ(Hercule Poirot)という名探偵で、
「灰色の脳細胞 (gray matter) 」の名セリフで
シャーロック・ホームズなどと並ぶ推理小説界を代表する探偵に数えられています。

エルミーヌ01
推理小説界の名作はこれまでに数多くの映像化がされてきました。
代表的なのは1974年(昭和49年)にアメリカで制作された
映画「オリエント急行殺人事件」でしょう。

豪華なキャストが話題となった本作は北米で公開されヒットを記録。
その年のアカデミー賞で6部門にノミネートされるなどしており
ポワロ映画の代表作とされています。
エルミーヌ02
主演のポワロを務めたイギリスの俳優アルバート・フィニー(Albert Finney)
その怪演で印象深い役者ですが、ポワロを演じたのはこの映画一作のみとなります。

エルミーヌ03
そして数々のポワロ作品の中で外せないのが
1989年(平成元年)から2013年(平成25年)まで24年に渡って制作された
イギリスのテレビドラマ「名探偵ポワロ」でしょう。
1990年(平成2年)からは日本でもNHKで吹き替え版が放送されていた作品です。

ポワロを演じたデヴィッド・スーシェ(David Suchet)の演技は
「最も原作に近いポワロ」と称され名探偵ポワロのイメージを決定付ける名演を見せています。


こうして多くの映像化もされた名探偵エルキュール・ポワロは
19世紀中頃の生まれでベルギー南部のフランス語圏(ワロン地方)出身とされています。
駅メモのでんこのエルミーヌ・ワロンの苗字であるワロンは
モチーフであるポワロの出身地から取られている
と考えて良いでしょう。
エルミーヌ43
またエルミーヌのデザインを見てみると
帽子は鹿撃ち帽(ディアストーカー)に虫眼鏡といういでたちであり、
探偵をモチーフにしている事は明らかです。
本当は鹿撃ち帽に虫眼鏡、パイプというアイテムはポワロでは無くホームズ由来なのですが
探偵を示すかなり一般的なアイコンとなっていますのでやむを得ないでしょう。


余談ですがベルギー王国は連邦制となっており3つの地域に分かれています。
首都のブリュッセル首都圏、フランス語が公用語の南部ワロン地域、
そしてオランダ語の一種であるフラマン語が公用語の
北部フランダース(フランデレン)地域となります。

フランダースといえば1975年(昭和50年)に世界名作劇場で放映された
アニメ「フランダースの犬」が有名であり思い出されますが、
ベルギーの地域を区切ってみるとあの話は北部ベルギーの話である事が分かります。



■モデル車両: 国際寝台車会社(ワゴン・リ) オリエント急行
エルミーヌ05


オリエント急行は国際寝台車会社(ワゴン・リ)によって運行された長距離寝台急行で、
1883年(明治16年)10月4日に開通記念列車が
パリ━ コンスタンティノープル(イスタンブール)間を走行

寝台車2両、食堂車1両、荷物車(兼車掌車)2両の編成で走りました。

このオリエント急行をモチーフとしているでんこエルミーヌ・ワロンの誕生日は
10月4日に設定されていますがこれは開通記念列車の走行日が元ネタ
であると見て良いでしょう。


1883年(明治16年)からのオリエント急行はまだ全通しておらず、
ルーマニアとブルガリア国境のドナウ川を渡船、ブルガリアの鉄道で黒海まで出て
最後は汽船でコンスタンティノープルへと向かうルートでした。

1889年(明治22年)にはコンスタンティノープルまでの直通列車が
ベオグラード・ソフィア経由で実現。
王侯貴族や高級官吏、富豪などのごく限られた人々が利用できる豪華列車が運行されるも、
1914年(大正3年)の第一次世界大戦によって
国を跨いで走るオリエント急行は運休
を余儀なくされました。


第一次世界大戦の休戦後の1919年(大正8年)には
パリ━ヴェネツィア間のシンプロン急行を延長する形で
シンプロン・オリエント急行(Simplon Orient-Express)が運行を開始します。

1930年代はオリエント急行の最盛期となり、
ドーバー海峡に面したフランスのカレーやパリから、
イスタンブールやアテネへと毎日オリエント急行が運行していました。
アガサ・クリスティの「オリエント急行殺人事件」が発表されたのもこの年代で、
主人公の探偵ポワロはシンプロン・オリエント急行に乗車して捜査を行っています。


1941年(昭和16年)の第二次世界大戦の勃発でオリエント急行は再び運休。
戦後の1945年(昭和20年)に再び運行を再開するものの、
座席車や簡易寝台車を含む編成となっており、
最盛期の豪華クルーズトレインの姿には蘇っていませんでした。

そしてモータリゼーション時代の到来や航空機の性能向上によって
鉄道で長距離を移動するオリエント急行の乗客は減っていきます。
これにより1971年(昭和46年)は国際寝台車会社(ワゴン・リ)が寝台車の営業から撤退。
1977年(昭和52年)には最後のオリエント急行の名を冠した列車が廃止され、
パリ━イスタンブール間の直通列車は消滅しています。


その後、旧国際寝台車会社の客車を使用して
戦前のオリエント急行を模した観光列車が運行されており、
主なところではノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行(NIOE 1977年~2007年)
ベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス(VSOE 1982年~)といった列車が挙げられます。

エルミーヌ07
そして1988年(昭和63年)にはTV局の企画によって
「オリエントエクスプレス'88」が運行され日本でもオリエント急行の車両が走行しています。

当時ヨーロッパで運行されていた
ノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行(NIOE)の車両を使用した列車は
1988年(昭和63年)9月にパリを出発。仏独を経由してソ連(当時)中国を走り、
およそ一ヶ月をかけて最後は香港の九龍へと至っています。

香港から貨物船で運ばれ日本の山口県笠松に陸揚げされたオリエント急行の車両は
10月17日に日本国内で運行を開始。12月25日まで本物のオリエント急行が
クルーズトレインとして全国各地を走りぬけました。

日本国内の走行に関しては当時発足したばかりのJRグループが協力。
豪華な客室での旅というコンセプトやノウハウはその後の
「北斗星」「トワイライトエクスプレス」、そして「四季島」や「瑞風」といった
日本の寝台特急に大きな影響を与えています


また国際寝台車会社(ワゴン・リ)のオリエント急行車両は
その重厚な内外装や歴史から列車運行以外の用途に使われる例も見られます。

滋賀県大津市には1966年(昭和41年)に開業した「紅葉パラダイス」という遊園地がありました。
びわ湖温泉が併設された温泉宿泊施設(健康センター)併設型のレジャー施設は
その後に「びわ湖温泉 紅葉パラダイス」と名称を変えていますが、
紅葉パラダイスのTVコマーシャルは当時の関西人ならば誰もが知っている存在でした。
エルミーヌ06
この紅葉パラダイスに1978年(昭和53年)に設置されたのが
「ホテル・オリエント・エクスプレス」です。
国際寝台車会社(ワゴン・リ)製の本物の個室寝台車8両を設置した宿泊施設は話題を呼びましたが、
当時はオリエント急行の車内を浴衣の宿泊客が往来し、
横では売れない演歌歌手の歌謡ショーが繰り広げられるというかなりシュールな光景
だった様です。
その後の紅葉パラダイスは経営不振によって1998年(平成10年)に閉鎖。
ワゴン・リの客車も老朽化などでその数年前に撤去され、
行き場を無くした客車は関西の山中に放置状態で朽ち果てたそうです。


オリエント急行の後継の観光列車のうち、
ノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行(NIOE)を運行していた
インターフルーク社(Intraflug)は1993年(平成5年)にNIOEを経営難から売却。
オリエンタル急行の車両は数社を点々とした後、
権利関係の問題から2007年(平成19年)にNIOEの名前は使えなくなり
オリエント急行を名乗る事ができなくなりました。

こうした経緯の中、国際寝台車会社(ワゴン・リ)のオリエント急行車両も
所有者を転々とする車両が続出し、散逸の憂き目を見る状態でした。

そんな中でワゴン・リのオリエント急行の車両が一両、
日本の箱根の美術館で保存展示されて現在でも見ることが可能
となっています。

エルミーヌ08
こちらは箱根登山バスの千石案内所です。
国立公園内となっている仙石原周辺は美術館が数多く集まり別荘地となっています。
エルミーヌ09
案内所の前の道は県道75号湯河原箱根仙石原線の終点近くですが、
この案内所から県道を50mほど東に進むと箱根ラリック美術館の入口があります。
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美術館の駐車場西側の市道側の入口。
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駐車場に面した東西に長い建物の窓からは
オリエント急行の独特の青い車体が覗けます。
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駐車場から美術館敷地内への入口です。
エルミーヌ13
美術館の敷地内は庭園の中に建物が散在するスタイルで配置されており、
箱根の自然の景観を生かした作りとなっていました。
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その庭園の中央にある、ガラス張りの中のクラシックカーです。
実は車は作品の単なる台座に過ぎず、
ボンネットの先端のカーマスコットがラリック作のいわば主人公となります。

ラリック美術館のオーナー一族は東京都内で映画館やビル、ボーリング場などを
いくつも所有している資産家であり、映画館のシネスイッチ銀座などもその一つです。
そしてオーナーは元々クラシックカーの蒐集家で、
カーマスコットがラリックの作品であることを知って魅せられたことから
美術館が作れるほどのラリック蒐集家となったのだそうです。
エルミーヌ15
さすがに美術館の中は撮影ができませんので、
ラリック作品については各自調査にて。
エルミーヌ16
そして美術館の入口近くへと戻ると、
すぐ左手にあるこちらが「特別展示 ル・トラン」であり
オリエント急行の車両が展示してあるスペースとなります。
ル・トラン(le train)とはフランス語で「列車」という意味です。
エルミーヌ17
ル・トランと並んでカフェ・レストラン「LYS(リス)」が併設されており、
レストランの受付でオリエント急行の車内見学の予約をします。
こちらが予約の際にもらえる乗車券。
入場の際には改札挟で実際に切符を切って入場します。
エルミーヌ18
受付の脇にある、展示車両と同じ型の模型のディスプレイ。
エルミーヌ19
ル・トランの室内の様子です。
さすがに美術館なので壁と屋根のある完全な室内で静態保存されており
保存環境としては申し分の無い状態です。
エルミーヌ20
入場すると車両内へと入る前に、列車手前のデッキにて映像を鑑賞。
エルミーヌ21
展示されている車両の説明と、箱根への搬入の様子がDVDで流れます。

元々美術館の建設時の図面にはオリエント急行の展示スペースは無かったそうなのですが、
列車の車内装飾がラリックの手による事を知ったオーナーが
スイスでオリエント急行の車両を探して購入。
追加で建築の図面が引き直されたのだそうです。

美術館の開設は2005年(平成17年)3月ですが、
車両が箱根へと搬入されたのはその前年の2004年(平成16年)3月のことだそうです。
DVDの映像を見ると車両を据えた後に建屋が作られた事が分かります。
エルミーヌ22
こちらが車両の外観です。
この車両はWSP 4158DEという車両で1929年(昭和4年)製造となります。
国際寝台車会社(ワゴン・リ社)がパリとイタリアの国境の町ヴェンティミリアを結ぶ
「プルマン・コート・ダジュール急行(Pullman Cote d'Azur Express)」を
運行する際に作られた車両です。
エルミーヌ23
プルマン車とは欧州では食卓を持つ高級座席車のことで、
コート・ダジュール急行のプルマン車は「コート・ダジュール型」と呼ばれ
当時の欧州各地の列車に連結していたプルマン車のなかでも最も豪華なものでした。
コート・ダジュール急行は1941年(昭和16年)第二次世界大戦による運休となりますが、
1982年(昭和57年)にノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行(NIOE)で
現役の運行へと復帰し、2001年(平成13年)まで実際に運行をしていました。
エルミーヌ24
オリエント急行の車体はロイヤルブルー(    )を基調としています。
上半分は白(    )に塗られたツートンカラーで、
間に黄色(    )のラインが入っています。
白(無彩色)も黄色(補色)もロイヤルブルーに関連する色彩ですので
基調色に準じて高級感を出すデザインである事が分かります。
エルミーヌ42
エルミーヌの衣装のカラーリングもロイヤルブルーが基調となっていて
アクセントに黄色のラインが入れられており、
オリエント急行の車両がモチーフであることが分かります。
エルミーヌ41
またエルミーヌの羽織っているポンチョの肩には丸いアクセントがありますが、
こちらはワゴン・リの車両で用いられる丸窓や装飾と同じ形となっています。
エルミーヌ25
車体の横にあるこちらは国際寝台車会社(ワゴン・リ)のエンブレムです。
日本の寝台特急「北斗星」のエンブレムはこのワゴン・リのエンブレムを模したものなのだそうです。

エンブレムの下にある番号はUIC番号と呼ばれるもので、
国際鉄道連合が規定している識別番号で欧州の国際列車についているものです。
「51 85 09-30 000-1」の内容を見ると
 51(国際列車用・固定ゲージ客車)
 85(スイス国鉄)
 09(私有特別車)
 30(最高速度140 km/h、暖房方式)
 000-1(車体シリアル番号とチェックディジット)

となります。
ラリック美術館で購入する前は車両はスイスにあったそうですから
購入当時の番号が残されいるものと思われます。

エルミーヌ26
美術館では車体横の乗降扉からではなく、車両後部の貫通部から入るので
こちらは後部の貫通扉付近の光景です。
通路などに使われいる木製の内装はマホガニー製なのだそうです。
エルミーヌ27
貫通扉の目の前は乗降扉のある乗降デッキとなっており、
円形の手動ブレーキのハンドルもありました。
エルミーヌ28
乗降扉のデッキ反対側にあるトイレ。
展示車両ですので使用は禁止となっています。
エルミーヌ29
乗降デッキから客室への通路。
エルミーヌ30
通路の途中の室内窓からは個室の中の様子が見えます。
エルミーヌ31
こちらがオリエント急行のプルマン車「コート・ダジュール」の客室内の様子です。
アール・ヌーヴォーとアール・デコの両時代に渡って活躍した
ルネ・ラリックの手がけた室内の装飾は豪華ですが落ち着きのある雰囲気です。
エルミーヌ32
車内の装飾品で一番目を引くのはなんといっても
「彫像と葡萄」と題されたガラス工芸品の装飾レリーフでしょう。
列車内に150枚以上あるとされるレリーフはそれぞれが違った図案となっており、
ガラスの内側に銀を貼った鏡面加工を施すことで
列車の移動や昼夜の光の加減などで光が反射され、
作品が様々な表情を見せるという仕掛けになっています。
エルミーヌ33
卓上や天井のランプシェードもラリックの作品だそうですが、
天井のシェードのモチーフは不明なのだそうです。
エルミーヌ34
椅子や床の絨毯にはご覧の花柄が用いられています。
生地はゴブラン織りというかつてはフランス王室ご用達だった織物が用いられ、
通気性を保つ為に椅子の中には藁がつめられているそうです。

日本では水戸岡鋭治氏デザインの観光列車が数多く走っていますが、
多くの水戸岡列車の座席モケットには花柄が用いられています。
実際に観光列車のデザインについて水戸岡氏はラリックに言及していますが、
花柄のモケットだけを見てもデザインのルーツのひとつは
オリエント急行のラリックの内装デザインである事が実際の列車内を見て得心しました。
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入ってきた側とは反対側の車端もご覧の様に客室の奥は通路になっており、
同じように4人が掛けられる個室があります。
個室の壁にはルネ・ラリックの娘のシュザンヌ(スザンヌ)・ラリック作の
「花束」と題されたパネルが置かれています。

エルミーヌ38
客室の大きな窓はハンドルを回して開閉をする仕組みとなっています。
車両の窓内側にはもう一枚、窓枠下部のみを覆うガラスがはめ込まれています。
これは防風の為と物の落下を防ぐ為のものだそうです。
エルミーヌ39
窓の下にはご覧の呼び出しのボタンが。
乗客がスチュワート(乗務員)を呼ぶ際に使われたものです。
エルミーヌ44
そしてテーブルの下を見ると一本足で折り畳めるようになっており、
なにやら金具がついています。
エルミーヌ45
そしてテーブルの上の壁にはご覧の丈夫そうなフックが。
これは跳ね上げたテーブルを固定するベルトを掛けるフックです。
清掃の際やプルマン車でダンスを行った際などに
畳んだテーブルを固定する為のものなのだそうです。
エルミーヌ46
客室内の角にあった手動で引く警笛のレバー。

エルミーヌ35
こちらはラリック美術館「ル・トラン」の見学に際して供されるティーセットです。
季節によって内容は若干変わる様です。
エルミーヌ36
使われている食器にはノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行(NIOE)の
ロゴがひとつひとつに描かれていました。
エルミーヌ40
ティータイムのテーブルに置かれていたオリエント急行のパンフレット。
展示されている車両はノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行(NIOE)のものですが、
卓上に置かれたパンフはなぜか
ヴェニス・シンプロン・イスタンブール・オリエント急行(VSOE)のものでした。


ラリック美術館のプルマン車WSP 4158DEは
第二次大戦前はコートダジュール急行を走っており、
オリエント急行に加わったのは国際寝台車会社(ワゴン・リ)の手による運行ではなく
その後に民間企業が復活させたNIOEの運行となってからでした。
ですから厳密にはポワロが活躍したとされる1930年代には
オリエント急行ではありませんでした


しかしコートダジュール急行は国際寝台車会社の運行路線でしたし、
プルマン車WSP 4158DEも国際寝台車会社製の車両で間違いありません。
マホガニーとラリックの装飾品が使われた内装もまごうこと無きオリエント急行のものであり
NIOEでの運行実績や、日本を走ったオリエント急行'88などでも走行している車両は
「オリエント急行」の名を冠するにふさわしい車両であると思います。

【写真撮影:2019年12月】

でんこの元ネタ
■No.80 那珂湊ねも(Nakaminato Nemo)
 ■タイプ:アタッカー
 ■誕生日:1月28日

■出身駅: ひたちなか海浜鉄道 湊線 那珂湊駅(茨城)
ねも01


那珂湊駅の開業は1913年(大正2年)12月で、
軽便鉄道として開業した湊鉄道湊線の勝田駅━那珂湊駅間の終着駅としてでした。
その後1924年(大正13年)には湊線が磯崎駅まで延伸して途中駅となり、
1928年(昭和3年)に阿字ヶ浦駅までの延伸で現在の湊線が全通します。


1929年(昭和4年)には国鉄との相互乗り入れにより
湊線の列車の国鉄水戸駅までのの直通運転が開始。
そして1944年(昭和19年)には戦時の県内交通統合によって
水浜電車、茨城鉄道と湊鉄道が統合。茨城交通湊線となります。

国鉄水戸駅までの直通運転は1963年(昭和38年)で休止となったものの、
1969年(昭和44年)には阿字ヶ浦海水浴場へのレジャー客を見込んで
上野駅━阿字ヶ浦駅間を運行する臨時列車、6両編成の急行あじがうら号が設定されます。
この海水浴臨時列車はその後の海水浴ブームの終焉とともに
快速、普通列車へと格下げされた後に1992年(平成2年)に運行を終了。
このあじがうら号の運行があった為、
湊線の昔からの駅のホーム有効長は6両編成に耐える長さとなっています。


2005年(平成17年)に茨城交通が地元自治体のひたちなか市に対して
赤字の湊線を2008年(平成20年)3月で廃線にしたい旨を表明。
茨城県、ひたちなか市、茨城交通の協議によって第三セクター化が合意されて
2008年(平成20年)4月1日よりひたちなか海浜鉄道へと移管されます。

赤字によって廃止寸前だったローカル鉄道の湊線ですが、
その後堅実な施策によって収支は持ち直して黒字化。
現在は終点の阿字ヶ浦駅から国営ひたち海浜公園までの3.1kmの延伸計画が進むなど
異例の回復振りから「奇跡のローカル線」と呼ばれるまでになりました。

ねも02
こちらは那珂湊駅の駅舎の外観となります。
建物は修理などの手は入っているものの開業以来のものという事ですから
築100年以上を経ている建物ということになります。
ねも03
駅前にはご覧のロータリーがあります。
時計回りに通行する広場の中央にはタクシーの待機スペースもあります。
ねも04
駅前広場の南側には隣接して県道6号水戸那珂湊線が走っており、
目の前は那珂湊駅前という信号となっています。
ねも06
県道から駅前広場への入口にある案内板。
イデオグラム(表意文字)をつかったデザインが特徴的です。
ねも05
駅舎の東側の目の前にある那珂湊の観光案内地図です。
那珂湊の街中の各所でも同じデザインの案内を見ることができますが、
これはひたちなか海浜鉄道の駅名標をデザインしたデザイナーの
小佐原孝幸氏の手によるもの
です。
ねも41
観光案内図の脇にある白いポスト。
今では都会では見かけないかなりローカルなアイテムとなりました。
ねも43
一旦駅舎の入口の前へ。
ねも42
駅舎の入口を挟んで観光案内版の反対の西側を見ると
バスの待合所が駅舎内に併設されています。
ベンチの置かれた待合室は外からはもちろん、
駅舎の中からも出入りができるようになっています。
ねも44
バス待合所のさらに西側の隣はご覧の茨城交通那珂湊営業所があります。
かつては飲食店や弁当屋がテナントとして入居していた場所なのだそうですが、
現在ではかつて湊線を運行していた茨城交通が入っています。
ねも45
茨城交通の営業所からさらに西へと進むと
駅舎の先の線路沿いはバス駐車場となっており
茨城交通のバスが停まっているのが見えます。
ねも07
駅舎の中に入り、こちらが待合室の様子です。
木製のベンチの並んだ待合室で、
壁まわりには駅や鉄道の写真や資料が並んでいました。
ねも08
待合室の東側には券売窓口があり、自動券売機も1台設置されています。
券売機の横には1998年(平成10年)に選定された「関東の駅百選」のプレートが。
ねも09
こちらはホームへと出る改札口の様子ですが、
引き戸のガラスをよく見ると黒猫のシールが貼られていました。
ねも10
ホーム側から見た改札付近です。
ねも11
駅舎のある単式ホームの1番線です。
上り線の勝田方面行き列車の発着するホームとなります。
ホーム上の建屋の屋根も開業以来のものが生かされていますが、
広いホームは2017年(平成29年)に舗装が直されて綺麗に改修されています。
ねも15
ホーム西端にはフェンスが設けられていますが、
カットされた古いホームがそのまま残っており
改修前と改修された後のホームの違いを比べて見る事ができます。
ねも12
木造の梁と柱の上屋は、その下に入ると改めてその大きさを感じます。
ホーム上に物置として立てられたプレハブが全く邪魔になっていない事で
その広さを感じる事ができるかと思います。
ねも13
ホーム上に掛けられている旧式の駅名標。
茨城交通時代の形式のものだと思われますが、
高田の鉄橋駅ができて直されているため駅名標自体は新しくピカピカでした。
その横の名所案内は100年使っていそうな風格がありますが。
ねも14
改札口前付近となるホームの東端です。
ホームの一部が改修されてバリアフリーのスロープが作られていました。
ねも16
そのスロープの目の前、改札を入ったすぐ右手にあるのが
こちらの運転指令所です。
ねも17
指令所の前には信号機器ボックスが置かれているのですが、
こちらの下が那珂湊駅に住み着く猫の住処となって「駅猫」と呼ばれるようになりました。

2009年(平成21年)から住み着きはじめた黒猫は「おさむ」と名づけられ
「駅猫おさむ」として全国的に有名な存在になりました。
ひたちなか海浜鉄道のPRに貢献した存在でしたが、
2019年(令和元年)6月に高齢の為黒猫おさむは永眠しています。
ねも18
こちらはおさむ存命時の信号機ボックスの様子です。
指定席のサボが貼られているのが分かります。
ねも19
那珂湊駅の駅名標の「湊」の字に描かれた猫はこの「駅猫おさむ」であり、
名実ともにこの駅のシンボルのひとつであった事が分かります。

ねも20
改札から運転指令所の目の前にはこちらの構内踏切があります。
駅は単式ホームと島式ホームの2面がありますが、
こちらの構内踏切でお互いを連絡しています。

ねも21
こちらのホームが島式の2、3番線ホームとなります。
2面のホームがありますが、基本的に旅客で使われているのは
駅舎と反対側の北側にある3番線のみとなります。
ねも22
2番線は普段は乗り降りには使用されておらず主に留置線としてのみ使われています。
3番線には阿字ヶ浦方面行きの下り列車が停まります。
ねも23
2番線側の線路は途中で1番線の線路へと合流しており、
構内踏切や駅舎に近い東側ではホームと線路が離れてしまっていて乗降ができません。
その為ベンチも3番線の方向にのみ向けられています。


ねも46
駅前へと戻って、目の前の県道6号線を西へ100mほど進むと信号がありますが、
交差点にはご覧の案内看板が設置されています。
案内に従って住宅地の道を進みます。
ねも47
県道から一本南へと入った住宅地の中にこちらの山上門があります。
東京の文京区にある小石川後楽園は水戸徳川家の江戸上屋敷にあった庭園ですが、
この江戸上屋敷の正門右側にあったのがこちらの山上門です。
1936年(昭和11年)に原型のままこちらに移設されました。
ねも48
門の中はあづまが丘公園という公園となっており、
門から階段で公園内の丘を登ると上が広場となっています。
ねも49
そしてこの広場にあるのがこちらの那珂湊反射炉です。
幕末に日本近海に頻繁に外国船が現れるようになって
沿岸の警備と異国船のうち払いの為に高性能の大砲の鋳造が求められました。
その為、鉄製の大砲鋳造を目的とした大型の金属溶解炉が全国に十数か所作られましたが
この反射炉はそのうちの一つとなります。
ねも50
水戸藩主徳川斉昭の命で作られ1857年(安政4年)に完成した洋式高炉では
モルチール砲やカノン砲が鋳造され実際に配備もされました。
ねも51
那珂湊駅の駅名標の「那」の字に描かれているのは
この那珂湊反射炉
であり、幕末の水戸藩の史跡の一つでもあります。
ねも55
駅から反射炉までの地図。

ねも52
駅名標のモチーフについて「那」と「湊」については紹介しましたが、
残る「珂」の字に描かれている鉄道車両はこちらのケハ601となります。

1960年(昭和35年)に新潟鐵工所で試験的に作られた日本初のステンレス製気動車であり、
茨城交通が購入して海に近い湊線で実際に運用された車両です。
1992年(平成4年)に廃車となった後は台車が外されて那珂湊機関区に留置。
錆びない車体は倉庫として利用され、近年はギャラリーとしても利用されています。

ねも53
また駅前から県道6号線を東へと800mほど進むと那珂湊漁港があります。
ねも56
観光案内地図での駅から港まで。
ねも54
この那珂湊漁港は那珂湊駅近辺で随一の人気観光スポットでもあり、
港で水揚げされた新鮮な魚貝をなかみなとお魚市場で購入したり
取れたての魚を食べる事も可能となっています。



■モデル車両: ひたちなか海浜鉄道 キハ20形 205
ねも24


国鉄キハ20系の気動車は、国鉄が1957年(昭和32年)に開発した一般形気動車です。
10系客車のノウハウを踏まえ、それまでのキハ10系気動車よりも車体を大型化。
平坦用がキハ20形、寒冷地用がキハ22形で1エンジン車、
勾配路線用がキハ52形で2エンジン車となっています。

車体のベースの色は国鉄制定色のクリーム4号    )で、
国鉄部内の慣用色名称は「小麦色」、一般的にはベージュ色と呼ばれる色となります。
また車体の裾の色は国鉄制定色の朱色4号    )で、
慣用色名称は「金赤色」と呼ばれています。
このクリーム4号と朱色4号の組み合わせは1959年(昭和34年)9月に
国鉄一般形気動車色として気動車の標準色に制定
されています。


ねも25
写真の車両は国鉄キハ20形のラストナンバー
(※この形式で最後に作られた車両)であるキハ20-522
であり、
1965年(昭和40年)9月に帝国車輛にて製造され
国鉄小牛田機関区へと配属された車両となります。

その後一ノ関、加古川、姫路と機関区を転籍した後にJR西日本へと承継され
1989年(平成元年)に姫路機関区で除籍。
翌年の1990年(平成2年)より水島臨海鉄道に譲渡されて
水島臨海鉄道キハ210へと改番されています。

1996年(平成8年)に茨城交通へと譲渡されて茨城交通キハ205と改番。
塗装も旧国鉄色へと塗り直されています。


元国鉄キハ20-522であるこの車両は、
国鉄色(  ) ━首都圏色(  ) ━加古川色(  ) ━水島臨海鉄道色(   ) ━茨城交通色(   
と車体の塗色を変えており、現在は再び国鉄色へと塗り直されています。
ねも26
こちらは2016年(平成28年)に車窓から見たキハ20-205(旧国鉄キハ20-522)です。
国鉄色の車体ですが、経年劣化でかなり色褪せてしまっているのが分かります。
ねも27
そのキハ20-205は、2019年(令和元年)6月から9月まで全般検査が行われており、
併せて車体の全面塗装が行われて塗り直されています。
見比べると同じ国鉄色ながら色が鮮やかになっているのが分かります。
ねも31
この車両をモチーフとしている駅メモのでんこ那珂湊ねもの衣装は
ご覧の通り国鉄色が用いられているのが分かります。
ロングブーツについている丸いものは前面の赤色灯だと思われます。
ねも32
また那珂湊ねもの首のペンダントはヘッドライト(前照灯)と同じ形であり、
イヤーガードは前照灯の脇にあるタイフォン(警笛)がモチーフとなっています。
ねも33
そして那珂湊ねもの上着の裏地は花柄となっています。
湊線の終点の阿字ヶ浦駅から北に4kmほどにある国営ひたち海浜公園では
毎年4月中旬から5月上旬ころが見ごろのネモフィラが一面に咲き誇り
絶景として有名となっています。
上着の裏地の花柄は国営ひたち公園のネモフィラがモチーフであると思われ、
那珂湊ねもの名前の「ねも」はこのネモフィラが由来だと考えられています。


ねも28
キハ20系の基本形式であるキハ20形は暖地向けの両運転台車両であり
エンジンは1基を搭載している形となります。
ねも30
国鉄時代に合計で409両が製造されたキハ20形ですが、

①1957年(昭和32年)製造の初期形のバス窓車(1~103)
②1958年(昭和33年)から1962年(昭和37年)製造である
 室内が白熱灯である二段上昇窓車(201~484)
③1963年(昭和38年)から1965年(昭和40年)製造の
 二段上昇窓で室内蛍光灯車(501~522)


と大きく3種類に分類ができます。
ひたちなか海浜鉄道のキハ20-205は国鉄時代のキハ20-522ですから
③の二段階上昇窓で蛍光灯の車両ということになります。
ねも29
基本的にキハ20形には車内にトイレが設置されていましたが、
キハ20-522は1990年(平成2年)に水島臨海鉄道キハ210となった際に
トイレが撤去されて座席が設置
され、併せて冷房化工事が行われています。

そして1996年(平成8年)1月28日に茨城交通へと譲渡され入線
茨城交通キハ205と改番されます。
これは当時の茨城交通が「性能が安定し長寿命で故障が少ない」として
日本全国からキハ20系気動車をかき集めていた一環であり、
湊線はさながら全国の鉄道車両の動態保存場と化していました。
そしてこの車両をモチーフとする那珂湊ねもの誕生日が1月28日に設定されていますが、
これはキハ205の湊線への入線日が元ネタとなっていると考えて良いでしょう。

入線後から7ヶ月後の1996年(平成8年)8月にはキハ205にワンマン化工事が実施。
ワンマン運転に必要な機器類が車内に設置されました。
ねも34
車内の様子です。
客室内の中央部の座席はボックスシートとなります。
ねも35
乗降扉付近の車端部の座席はロングシートとなっています。
かつては車端部もボックスシートだった様子ですが、
トイレの撤去やワンマン設備の設置によってロングシート座席に改修された様です。
ねも37
水島臨海鉄道時代に撤去されたトイレがあった付近。
運転台の右後ろの助手席真後ろあたりにかつてトイレがありました。
ねも36
こちらが運転台の様子です。
車両の前後両方に運転台のある両運転台と呼ばれる形式で、
かつては客室と運転台の間には壁と扉がありました。
ねも38
通路上の天井には扇風機が。
そして水島臨海鉄道時代に増設されたデンソー製の冷房があるのが見えます。
ねも39
ボックスシートは中央のシートのみ背もたれが分厚くなっているのが分かりますが、
これは壁にエンジンからの排煙ダクトが通っている為です。
ねも40
運転席後ろの壁に貼られていたキハ205の車両の生い立ち。

【写真撮影:2019年11月】

でんこの元ネタ
■No.77 リト=フォン=シュトゥットガルト(Reto von Stuttgart)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:4月12日

■出身駅: ドイツ鉄道(DB) シュトゥットガルト中央駅(ドイツ)
リト01


リト03
シュトゥットガルト(Stuttgart)はドイツ連邦共和国の都市で、
バーデン=ヴュルテンベルク州の州都でもあります。
メルセデス・ベンツで有名なダイムラーやポルシェといった自動車メーカー、
電動工具で有名なボッシュといった世界的メーカーが本社を置いており
ドイツを代表する工業都市となっています。


ドイツの鉄道は旧西ドイツ国鉄(Deutsche Bundesbahn:ドイツ連邦鉄道)と
旧東ドイツ国鉄(Deutsche Reichsbahn:ドイツ国有鉄道)が1994年(平成6年)に統合された
ドイツ鉄道(Deutsche Bahn)となりました。


シュトゥットガルト中央駅(Stuttgart-Hauptbahnhof)
ドイツ連邦共和国バーデン=ヴュルテンベルク州の州都である
シュトゥットガルト市の中心駅です。

haupt(ハウプト)は「中央の」、bahn(バーン)が「鉄道」、
hof(ホフ)が「大きな建物」の意味だそうで
合わせてHauptbahnhof(ハウプトバーンホフ)で「中央駅」という意味となります。
またドイツ鉄道では駅が規模によってカテゴリー1から7までに分けられていますが、
シュトゥットガルト中央駅はドイツに21駅しか無い最上位のカテゴリー1に属しています


ドイツ連邦時代の1845年にヴュルテンベルク中央鉄道の駅として、
路線の開通と共に最初のシュトゥットガルト駅が開業をしています。

鉄道の交通量増加によって1860年代には駅の改修が行われた様子ですが、
さらに次々と鉄道路線が乗り入れ20世紀初頭には交通量のキャパシティは限界に達します。
ヴュルテンベルク州立鉄道が現在の位置に新しい中央駅の建設を計画。
ドイツが共和制となり鉄道もドイツ国営鉄道となった1922年10月に
現在のシュトゥットガルト中央駅が開業
しました。
リト04
こちらが駅舎の外観です。この場所での駅の開業は1922年(大正11年)ですが、
駅舎が全て完成したのは1928年(昭和3年)となります。
建築家パウル・ボーナツ(Paul Bonatz)の設計による駅舎は
新しいキュービズムの様式で作られた重量感のある巨大な建物となっています。
リト08
この駅舎でひときわ目を引くのがこちらのステーションタワーです。
高さ56mのタワーはシュツットガルトのランドマークであり、
駅周辺にこのタワーより高い建物はありません。

そしてタワーの頂点にはメルセデスベンツのロゴマークである
巨大なスリーポインテッド・スターが回転をしています。
これは1952年(昭和27年)に取り付けられたもので、
広告収入は大戦後の駅再建の費用に充てられたそうです。
リト02
駅は東西に広がる駅舎の北側に、頭端式に8つの島式ホームが並んでおり
合計で16線のホームが横一列に並んでいます。
リト05
こちらはホームを俯瞰で見たものです。
シュツットガルトという都市は東西と南側の三方を山に囲まれた盆地なので
鉄道は全て開けた北側からシュツットガルトへと入ってきます。
新幹線にあたるICE、特急にあたるIC、
そして普通列車のホームがが横一列に並ぶ姿は圧巻です。
リト06
またシュツットガルトではドイツ鉄道の近郊をつなぐ普通電車網として
Sバーン(S-Bahn Stuttgart)という都市近郊鉄道が整備されており、
1978年(昭和53年)の中央駅地下線開通によってまず3路線が開業しています。

その後Sバーンは順次延伸や新規開業がされており、
現在では7系統がシュツットガルト中央駅へと乗り入れ
総延長距離は215 kmとなっています。

リト07
そしてこちらはシュツットガルトのシュタッドバーン(Stadtbahn)のホームです。
元々は1868年(明治元年)に起源を持つシュツットガルトの路面電車は
近代化の要望によって1966年(昭和41年)には
メーリンゲン(Möhringen)━ファイインゲン(Vaihingen)間が地下化。
以後路線の地下化や狭軌だった市電の標準軌化がされてライトレール化が行われ
シュタッドバーン網が構築されていきます。


尚、現在シュツットガルト中央駅では「Stuttgart 21」という
駅と周辺の大改修プロジェクトが行われています。
これは南北に線路が走る頭端駅の終着駅である中央駅を、
線路を付け替えて東西に列車が通過できる構造へと改修することで利便性を高めるという工事です。
しかし2010年(平成22年)に始まった工事は遅々として進んでおらず、
運用開始は今のところ2025年(令和7年)と予定されていますが
期間内に完工するのは難しいというのがもっぱらの見方です。


リト09
こちらはJR西日本の北陸本線福井駅西口の光景です。
リト10
西口広場には福井鉄道の路面電車が乗り入れており、
広場の西側にはご覧の福井駅停留場が設けられています。

駅メモで2019年(令和元年)11月に行われた
「でんこと全国各地の駅におでかけしようキャンペーン~アンコール~」では
福井駅停留場がチェックポイントとして設定
されており、
駅メモのでんこであるリトのゆかりの駅とされています。



■モデル車両: 福井鉄道 F10形電車 RETRAM(レトラム)
リト11


レトラムは元々は坂道の多いシュトゥットガルト向けの車両として
ドイツのエスリンゲン機械製造所(Maschinenfabrik Esslingen)が製造をした車両です。

シュツットガルトの路面電車は
その名もシュトゥットガルト路面電車(Stuttgarter Straßenbahnen AG)が運行しており、
SSBと略されます。
また車両は4本の車軸を有する路面電車(Gelenktriebwagen 4-achsig)であり、
この連接式路面電車はSSB GT4と呼ばれています。
日本風に記すとシュトゥットガルト路面電車GT4形電車、といったところでしょうか。


SSB DT4の最初の編成は1959年(昭和34年)に営業運転を開始しており、
1965年(昭和40年)までに350編成が投入されています。
リト12
【上写真:シュツットガルトを走るSSB DT4】
シュツットガルトの路面電車では終点にループ線を設けており、
電車はループを回って方向転換をします。
その為運転台はパンタグラフのある前部の車両にのみ設けられていて、
また乗降の扉も片側にのみ作られています。

シュトゥットガルトの路面電車はその路線網の殆どを1000mm軌間の
いわゆるメーターゲージで作られていたので、
当然ながらSSB DT4電車も1000mm軌間で作られていました。

しかしシュツットガルトの路面電車は
1989年(平成元年)からの専用軌道化および標準軌(1435mm)への改軌が行われ
シュタッドバーンとしてライトレール化
が成されます。
メーターゲージで車体の小さいSSB DT4形はその輸送力不足もあいまって
徐々に大型車両のDT8形と入れ替わっていきます。

こうして老朽化も進んだSSB DT4形は2007年(平成19年)に全車両が引退。
シュツットガルトの街から姿を消し、一部電車は他の都市へと譲渡されていきました。


日本の高知県の路面電車を運行する土佐電気鉄道では、
1989年(平成元年)に開業85周年を迎えた記念事業として
「世界の路面電車を自社線で走らせる」事を企画
します。
その第一弾として輸入されたのが西ドイツ(当時)のSSB DT4形でした。

終点が折り返しとなっている土佐電ではシュツットガルトを走っていた状態、
片側運転台で片側乗降扉では運行できない事から
1964年(昭和39年)製の714と1965年(昭和40年)製の735の
それぞれ運転台側の車両を組み合わせて一つのユニットに組み直し
ています。
この時に軌間も1000mmから土佐電の1067mmへと直されています。

こうしてSSB DT4電車は土佐電気鉄道735形電車として
1990年(平成2年)から運行を開始したものの、
市民には日本の車両のアンパンマン電車の方が人気という皮肉な結果となります。
独特な構造から故障も多く、また土佐電で新型車両が導入されていった事もあって
735形は2005年(平成17年)を最後に車庫で休車状態となっていました。


そして福井県の福井鉄道が観光資源としてのイベント車両として
土佐電で眠っている735形に着目。
2013年(平成25年)に福井県の予算で購入されて整備が行われ、
車両の形式名がF10形へと改められています。
リト13
【上写真:福井鉄道F1000形「FUKURAM」 】
併せてこのシュツットガルト出身の車両の愛称も2014年(平成26年)2月下旬より市民に公募。
福井鉄道が導入を進めていた次世代型低床車両「FUKURAM(フクラム)」とレトロ(retro)を組み合わせた
「RETRAM(レトラム)」の愛称が付けられています。

レトラムの福井鉄道での営業運転開始は2014年(平成26年)4月12日で、
福井駅前━田原町間の運行が福井鉄道でのスタートでした。
駅メモのでんこであるリト=フォン=シュトゥットガルトの誕生日が4月12日に設定されていますが、
これはレトラムの福井鉄道での運行開始日が元ネタと考えて良い
でしょう。

リト14
では改めて福井鉄道 F10形電車 RETRAM(レトラム)について見て行きたいと思います。

まずは福井駅停留場から出発をしていくレトラムの光景です。
【上動画はクリックで再生できます】
リト15
こちらはレトラムの前面部の様子です。
リトの服のお腹の飾りと前照灯を並べて比較して見ると
モチーフにしているのがよく分かります。
車体のSSBのロゴはシュトゥットガルト路面電車(Stuttgarter Straßenbahnen AG)のものです。
リト17
前面部の脇に描かれているドイツ国旗はシュツットガルトから土佐電気鉄道へと
譲渡された際に描かれたものと思われます。
土佐電時代の国旗と比べると若干大きくなっていますが、
これは福井鉄道が譲り受けた際に書き直されたものと思われます。
また、リトの頭のリボンがドイツ国旗カラーなのはこの国旗がモチーフと思われます。
リト16
車体に比べて大きなパンタグラフは下の根元が太くなっているタイプです。
キャラと比べると忠実にモチーフにしているのが分かります。
リト18
車内はご覧の様にクロスシート座席となっています。
ドイツ時代は片面にしか扉の無い構造でしたので、
扉のある側が一人用、窓側が二人掛けのシートとなっています。
リト19
シートは転換式などでは無く固定式となっているので
ご覧の通り可動はしない構造となっています。
リト20
そして運転台のある車端部のみ、
運転席の真後ろにロングシートが置かれています。
リト22
車両最前列の右側にも乗降扉があり、
運転台を入口を仕切るついたて状の扉があります。
先端が細くなっている車両の運転席はご覧のように
こじんまりとしたスペースとなっています。
リト31
「乗務員用出入口」と書かれた車両前部の扉の脇のボタンです。
「Aussteigen Bitte Knopf drücken」(終了ボタンを押して下さい)とありますので
扉の開閉の手動ボタンなのでしょうか。
ボタンの上に書かれた「Ausgang in der Mitte」(途中で終了)
ちょっと何を指すのか分かりません。
リト23
運転席後部の壁には車両の番号が表示されており、
そのまわりには車両の来歴も合わせて書かれていました。
赤いプレートのドイツ語は「bitte hinten aussteigen(後ろから降車して下さい)」
リト21
車内の案内サインです。
アイスクリームのマークが飲食禁止、ローラースケート禁止などは見れば分かります。
椅子のプラスのマークはどうやら病院の意味の様子で、
日本でいう優先座席の対象者が来たら席を譲りましょうという意味の様です。
リト24
こちらの車内表示は「Schwarzfahrer」と書かれていますが、
Schwarz(シュワルツ:黒)fahren(ファーレン:乗車)で「黒い乗客」となり
無賃乗車を意味する言葉です。
欧州の列車は改札が無い代わりに車内検札が巡っており、
正規の切符が無いと問答無用で高額の罰金を徴収されます。
その為どの列車でも車内でこうした啓発広告を見かけます
リト25
上を見ると手すりにつり革が下がっています。
日本の様に取っ手が無く、革がループしているだけの文字通りのつり革です。
リト26
こちらはレトラムがドイツ時代に走っていたシュタッドバーンの路線図ですが
「Tarifzonen-Einteilung」と書かれています。
料金ゾーン(Tarifzonen)分類(Einteilung)ですのでどうやらシュタッドバーンの料金表の様です。
リト27
車内にはもう一種類、こちらの路線図もあります。
これはドイツ鉄道(DB)のものですので、接続駅からの乗り換え案内の為のものでしょう。
リト28
車両中央部の連結部付近には座席は無く、
点対称に乗降扉が配置されています。
リト29
乗降口にはご覧のステップが設けられていますが、
これは福井鉄道に譲渡された後に設置されたものだそうです。
走行時には立てて収納する為、かんぬきの留め金がついています。
乗降時にはアテンダント(車掌)が手動でかんぬきを外してステップを降ろします。
発車前にはステップにつけられたワイヤーを手繰って収めかんぬきを掛ける必要があり、
はたから見ていても車掌はなかなかの手間だと思いました。
リト30
扉の横にはご覧の行き先方向幕がありますが、
表示を変える際には車掌がハンドルを挿して手動で回転させていました。

リト32
福井鉄道に譲渡される前には土佐電気鉄道で10年近く休車状態だったレトラム。
元々車両自体も50年以上前に製造されたものであるだけに、
福井鉄道での運行当初は故障が頻発していたそうです。

営業運転開始直前の2014年(平成26年)3月29日にはレトラムの披露式が行われましたが、
肝心のレトラムは配電設備の不具合で車庫を出て数十メートルで故障による停止。
披露式の会場までたどり着けませんでした
リト33
営業運転が開始された4月12日以降も
空気調整弁の劣化が原因でブレーキが解除できなかったり
ドアが開きにくくなったりするトラブルが続発。
春季運行を当初の予定よりも2週間早く打ち切る事を余儀なくされました。

国産では無い古い外国製車両の為、部品の調達や整備などでかなり苦戦を強いられた様子で、
リトの足に絆創膏がいくつも貼られているのは度重なる故障を表現していると考えられています。

なお近年ではさすがに日本の鉄道会社だけに、
整備のノウハウを得て運休も無く安定した運行が可能となっている様です。

【写真撮影:2019年10月】

でんこの元ネタ
■EX No.16 天台ヤコ(Tendai Yako)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:6月12日

■出身駅: 千葉都市モノレール 2号線 天台駅(千葉)
ヤコ01


ヤコ02
こちらは千葉都市モノレール2号線の天台駅の駅舎外観です。
高架駅となっており、国道126号線の真上を軌道が走っていて
駅舎も国道の上に設置されています。
ヤコ03
モノレールという特性から道路の上空に駅が作られており
駅前広場といったものは無く、代わりに駅付近の歩道が広めに作られています。
こちらは駅舎の西側の歩道付近の光景です。
ヤコ04
駅の跨道橋へと上る西側の階段付近です。
階段の下を利用して市営の駐輪場があります。
ヤコ05
南側から見た天台駅の駅舎外観です。
ヤコ06
駅から国道を100mほど南に進むと信号があり横断歩道があります。
ヤコ07
国道を渡って反対側の駅東側の歩道の光景です。
スーパーに面した歩道にはこちらも駐輪スペースが設けられています。
跨道橋の東側階段も。
ヤコ08
階段の裏手にエレベーターがあるのも西側と同様です。
ヤコ09
駅の北側は70mほどで天台駅交差点の信号があります。
ヤコ15
北側を駅ホームから俯瞰で。

ヤコ10
階段を上り駅の東西を連絡している跨道橋の中の様子です。
ヤコ11
西側階段の上付近の様子。
ヤコ12
こちらは東側の階段付近です。
ヤコ13
改札の正面には駅出口の案内看板がありますが、
大学の最寄駅であること以外これといった施設は記されていません。
ヤコ14
改札付近の光景です。
ヤコ16
こちらは改札内の光景。
駅は相対式ホーム2面2線となっているので
改札内でコンコースが両方のホームへと連絡しています。

ヤコ17
駅の南側にある1番線ホームの様子です。
下り千城台方面行きのホームとなります。
ヤコ18
ホームには階段の他には、中央付近にベンチが多少置かれているのみとなっています。
懸垂式モノレールですので軌道は上にあり、列車の通る場所はコンクリートの土間となっています。
ヤコ19
中央付近にはエレベーターがありバリアフリーにも対応しています。
ヤコ20
駅は相対式ホーム2面2線となっています。

ヤコ21
こちらは北側の2番線ホームです。
千葉駅方面への上り線ホームとなります。
ヤコ22
1番線と構造的にはほぼ同じで
中央付近にベンチとエレベーターがあります。
ヤコ23
1991年(平成3年)に路線と共に開業した駅で30年ほと経っていますが
建物にはさほどの古さは感じません。

ヤコ24
駅を出ると、南側100mほどに信号があるのは先に述べた通りですが、
その信号の目の前東側には作草部公園という公園があります。
ヤコ25
公園の中に入るとご覧の通り、遊具が置かれグランドが整備されています。
ヤコ26
その公園の東の端に建っているのがこちらの「平和の礎」という石碑です。
下には「陸軍歩兵学校之跡」と刻まれており、この場所がかつては
1912年(大正元年)に置かれた陸軍歩兵学校の跡地
であることを示しています。
ヤコ27
公園の東側にはご覧の児童相談所、私立保育園、千葉少年鑑別所などがありますが、
天台駅の東側一帯がかつての陸軍歩兵学校の敷地だったそうで
かなりの広さがあった様子です。
ヤコ28
作草部公園の南側の市道を東へと進むと、
公園から続く土塁が次第に高くなっていきます。
ヤコ29
この土塁はかつての歩兵学校の外壁の跡なのだそうですが、
公園から100mほどの場所に歩兵学校の正門跡の煉瓦が残っています
ヤコ30
そして正門跡からさらに120mほど東に進むと
信号のある交差点へとたどり着くのですが、
この交差点から独特の形の建物が見えます。
ヤコ31
この建物はかつての陸軍気球連隊の第二格納庫であり、
当時の建物がそのまま現存して残っています。
現在では民間の倉庫会社の倉庫となっています。
ヤコ32
倉庫前の信号の交差点に残っている
陸軍用地を示す境界杭です。
ヤコ33
天台駅の東側一帯は陸軍歩兵学校の敷地でしたが、
国道の反対側の西側はかつての陸軍兵器補給廠の跡地です。
またモノレールの西側はほぼ同一ルートを併走するように
軍用鉄道の廃線跡となっています。
この通り天台駅一帯はかつての陸軍施設が置かれていた場所なのです。

また天台という地名は1951年(昭和26年)に千葉市が天台町として設定したものですが、
名前の由来は明治天皇が陸軍の演習を統監された場所を天覧台と称した事に拠ります。



■モデル車両: 千葉都市モノレール 軌道作業車
ヤコ34


千葉都市モノレールはサフェージュ式懸垂式モノレールを運行していて
1988年(昭和63年)に開業した、千葉市を主体とした
第三セクターのモノレール鉄道事業者です。
ヤコ35
日中に旅客営業をしているモノレールの軌道保守の為に
終電後から始発までの間に保守点検作業を行う専用の工作車が軌道作業車となります。
ヤコ36
軌道作業車の車体の後部には「ニチユ」のロゴが入っています。
これは車両を製造したメーカーのロゴで、
現在の三菱ロジスネクストである日本輸送機の商標となります。

日本輸送機は総合物流システム企業で
蓄電池を電源とした各種の運搬車両を製造し実績を上げてきた会社です。
1939年(昭和14年)にバッテリーフォークリフト、
1958年(昭和33年)にはリーチフォーク(プラッター)を
日本で初めて作ったパイオニアメーカーでもあります。

鉄道の分野ではバッテリー機関車の製造を古くから手がけており、
車両基地での入れ替え用の機関車や、鉱山や工場などの専用線での機関車などで
多くの車両が活躍をしてきました。

(上動画はクリックにて再生可能です)
こちらは千葉都市モノレールの軌道作業車が実際に走行する映像です。
ニチユが得意とするバッテリーで走行しているのが音で分かると思います。
ヤコ37
千葉都市モノレールには4両の軌道作業車があり
それぞれ作01から作04の車両番号がつけられています
このうち作01~03までは同じ自走できる作業車で、
昇降機のある作04のみが動力が無く自走ができません。

(上動画はクリックにて再生可能です)
こちらは作04を使った点検作業の実演の様子です。
ヤコ38
作04は建築現場などで使われる高所作業車と同様の
シザース式(はさみ状に交差する支持脚を組み合わせ昇降)リフトとなっており、
横に張り出した作業プラットフォーム(かご)が垂直に昇降して作業ができます。

ヤコ39
こちらは千葉都市モノレール2号線の動物公園駅のすぐ南側にある
萩台車両基地です。検収庫の他に変電所や千葉都市モノレールの本社があります。
ヤコ40
本線と出入庫線で繋がった車両基地内には軌道作業車の車庫も置かれており、
作業の無い日中はこちらの車庫に作業車は置かれています。

ヤコ41
こちらは千葉都市モノレール1号線の県庁前駅の駅構内です。
相対式2面2線のホームを持つ駅ですが、
終点駅で列車は折り返し運転行う為、旅客営業では1番線のみを使用しています。
ヤコ42
そして空いている2番線は保線用車両の留置線などとして用いられており、
営業時間中にはご覧の様に軌道作業車が留置されていることがあります。

軌道作業車はモノレール軌道の点検行っている車両ですが、
実際に作業が行われるのは終電から始発までの夜間となります。

線路を走る電車に、走行に必要な電力を供給することを「き電」と言いますが
終電後には軌道へのき電の電力を落としている為、
軌道作業車は蓄電池(バッテリー)を搭載して走行の電力を得ています
ニチユでは他のモノレール事業者にも同様のバッテリー軌道作業車を供給していますが
その走行速度はおおむね25km/hから30km/h弱となっています。
ヤコ43
千葉都市モノレールの営業距離は15.2kmであり、
終電は0時30分ごろ、始発は5時30分ごろで列車の休止時間が5時間ほどとなります。
夜間の運行休止中に作業をする為、作業場所や作業内容によっては
車両基地に始発の時間までに作業車が戻れない場合もあり、
その為の留置線として終点の県庁前駅の2番線が用いられている訳です。
ヤコ44
この軌道者業車をモチーフとしたでんこの
天台ヤコの誕生日は6月12日に設定されていますが、
これは既に開業していた千葉都市モノレール2号線が
千葉駅━スポーツセンター駅間で延伸開業した日付
です。

また名前の「ヤコ」は、モチーフの軌道作業車の活動時間が夜であることから
「夜行性」の「ヤコ」ではないかと考えられています。
また千葉都市モノレールには「チコ」「マコ」というでんこが居るので
名前の語呂を合わせたのではないかとも推測
されますが公式の発表はありません。

【写真撮影:2019年10月】

でんこの元ネタ
■No.73 高岡やまと(Takaoka Yamato)
 ■タイプ:サポーター
 ■誕生日:8月28日

■出身駅: あいの風とやま鉄道 高岡駅(富山)
やまと01


高岡駅は1898年(明治31年)に中越鉄道の駅として開業しました。

中越鉄道というのは富山県最初の鉄道であり、
そして日本海側で最初に開業した私設鉄道でもあります。
高岡駅━城端駅間の免許を取った中越鉄道は1897年(明治30年)に
まずは黒田仮停車場━福野駅間を開業し、翌年に高岡駅まで延伸をしました。

中越鉄道の高岡駅開設から10ヶ月遅れた1898年(明治31年)11月には
官設鉄道北陸線が金沢駅━高岡駅間を延伸開業。
これによって高岡駅は官設鉄道と中越鉄道の連絡駅となります。

その後北陸線は国鉄北陸本線に、中越鉄道は国鉄中越線となり、
1942年(昭和17年)に中越線が当駅を境に氷見線と城端線に分けられます。

そして2015年(平成27年)に北陸新幹線の長野駅━金沢駅間の延伸開業により
並行在来線である北陸本線の直江津駅━金沢駅間が第三セクターへと転換

県単位で区切っての転換となった為、市振駅━倶利伽羅駅間の富山県内が
新たにあいの風とやま鉄道となっています。
やまと02
こちらは高岡駅の旧北口である古城公園口の駅舎外観で、
北陸本線がまだJRだった2011年(平成23年)に橋上駅舎へと改築されたものとなります。
駅舎は2014年(平成26年)に再開発によって作られた駅ビル「クルン高岡」となっており
店舗など商業施設が入居しています。
やまと03
古城公園口の駅前広場の様子です。
ペデストリアンデッキが整備されており、
バスの乗降場、タクシープールとタクシー乗降場、
一般車両乗降場と駐車スペースが分けられスムーズな流れを作っています。
やまと04
駅前広場の一番東側がご覧のバス乗降場となります。
合計で7つの乗降場が設けられています。
やまと05
バス乗降場の隣にはタクシープールが。
駅のタクシー専用の車寄せが乗降場となっています。
やまと06
そして広場の東側はロータリーとなっており
一般車の乗降できる車寄せがあります。
やまと07
その広場西側のロータリーから、西へと道路が分岐しており
広場に隣接して踏み切りが設けられています。
やまと08
この線路は万葉線の高岡軌道線のもので、
ご覧の様に踏み切りからすぐに駅ビルの中へと軌道が続いています。
やまと10
そして踏み切りのすぐ北側で線路脇にあるのがこちらの大伴家持像です。
大伴家持は万葉集で有名な歌人ですが、
越中国主として高岡に赴任してこの地で多くの歌を詠みました。
像は1981年(昭和56年)に駅前広場に建てられたもので、
2014年(平成26年)に万葉線の高岡駅前電停が駅ビルの中へ延伸移転した際に
電停の跡地へと移設
されて現在に至っています。
やまと09
旧電停はおおよそご覧のように設置されていました。
像のある場所は電停の軌道があった場所で多くの乗客が乗り降りをした場所です。
やまと22
そして駅前広場の西側、バス停のさらに西を見ると
ご覧のルーバーで覆われたような富山銀行の本店のビルがあります。
元々この場所には「高山駅前ビル」といういかにも昭和な
飲食店街となっている4階建てのビルがありました。
やまと23
その旧高岡駅前ビル跡地の真後ろには
同じく昭和の匂いを残しているご覧のアドニスビルがあります。
再開発された駅前では昭和の最後の遺構とも言える建物です。

やまと11
こちらは駅前広場の北側に接して、鉄道に沿って東西に走る
県道247号中川南町線です。
駅前の交差点は高岡駅前交差点という名称となります。
やまと12
そして高岡駅前交差点から広場の正面を北へと延びているのが
こちらの県道23号高岡停車場線です。
全長400mあまりの県道の中央を万葉線が走っており、
歩道はアーケード商店街となっています。
やまと13
県道の停車場線からみた南の駅方向の光景です。
やまと14
この二つの県道が交差する高岡駅前交差点の、駅の反対側に建っている
大きな建物は「ウイング・ウイング高岡」という公益施設と民間施設が入居する複合施設です。
公益私設としては高岡市立中央図書館や県立志貴野高等学校が入居しています。
やまと15
ウイング・ウイング高岡の交差点角に面した敷地は
ご覧の通り小高くなった広場となっています。
やまと16
この広場の西の一角の、施設の入口前にあるのが
ご覧の「ドラえもんの散歩道」です。
モニュメントは高岡市出身の藤子・F・不二雄氏にちなんだもの
元々は1994年(平成6年)に、県道の停車場線を300mほど北に進んだ
アーケード脇にある万葉の杜という広場に設置されたものです。
広場が駐車場になるということで2011年(平成23年)に
現在あるウィング・ウィング高岡の広場へと移設されました。
やまと17
こちらは藤子・F・不二雄氏のサインの入ったモニュメントの銘板です。
やまと18
高岡駅前交差点の角には地下道の入口が設けられています。
鉄道と並行して走る県道247号線、そして駅前広場の下を貫くように
ご覧の通路が通っています。
やまと19
地下道を南の駅側へと進むと階段があって通路が下がっていますが、
階段の先が駅ビルの地下街の部分となります。
やまと20
地下街には店舗が並んでおり、
柱にはデジタルサイネージの画面が幾つも設置されていました。
やまと21
地下街を抜けてさらに南へと進むと駅への連絡通路があり、
階段で地上へと通じています。
やまと24
地下道からの階段を上った先のこちらが
古城公園口(北口)側の自由通路への入口となります。
やまと28
階段には鉄道駅への入口であることを示す案内が。
やまと26
ペデストリアンデッキの下に位置するこちらのスペースの目の前には横断歩道があり、
駅前広場に沿ってデッキ下は車寄せとなっています。
やまと25
そして自由通路の階段からは案内のラインが引かれており、
ご覧の様に地下街への階段へとラインが伸びています。
やまと27
そのラインから分岐するように分かれるこちらは
万葉線の乗り場への案内のラインです。
やまと29
案内の先にはコインロッカーとエレベーターがあり、
その先に万葉線の高岡駅停留場があります。
元々は駅前広場にあった電停ですが、2014年(平成26年)の駅再開発に際して
新しく建てられた駅ビルのカラン高岡の1階に乗り場が新設されました。
やまと30
電停の北側はガラス扉でスクリーン状に仕切られており、
その向こう側には待合室があります。
やまと31
こちらが待合室の中の様子です。
万葉線の電停が一望できるほか、駅前広場のバス停の待合室をも兼ねています。
部屋の奥にはか加越能バスのチケット発売所も。
やまと32
万葉線の電停への扉の脇にはこちらの「ドラえもんポスト」が置かれています。
ポストは高岡銅器で作られており、藤子・F・不二雄氏の生誕80周年を記念して
2013年(平成25年)に作られたものだそうです。

やまと33
こちらは高岡駅の自由通路と改札前の光景です。
この通路は高岡駅とその周辺の再開発事業の端をきって
2009年(平成21年)に作られ「万葉ロード」と命名されています。
やまと34
改札前から自由通路を北側へと進み古城公園口側の光景です。
やまと35
駅ビルのカラン高岡のスペースを抜けると
駅前広場の外周に張り巡らされたペデストリアンデッキへと通じています。
やまと36
改札側へと戻ると、駅ビルと自由通路の境目付近に
駅前広場へと降りる階段が設けられていて、
万葉線の入口やバス停の前へと通じています。
やまと37
階段前の自由通路にある観光案内所。
やまと38
案内所の向かいは切符売場の窓口があります。
改札から窓口までは、大判の合わせガラスの内側に特殊発色の銅版が仕込まれており
駅の入口のゲートサインとなっています。
やまと39
改札前を抜けて自由通路を南側へ。
南口は駅舎改修後は瑞龍寺口と名づけられています。
やまと40
古城公園口(北口)に比べるとこじんまりとしているものの
こちらの駅前もバス乗降場とタクシー乗降場、
そして一般車用ロータリーが分けられて設けられています。
やまと41
こちらが旧南口の瑞龍寺口の駅舎外観です。
やまと42
地上から見た駅前広場の様子。
やまと43
駅舎の正面を南へと伸びる駅南大通りです。
南に通りを進むと瑞龍寺へと通じる八丁通りまで500m、
新幹線まで1.5kmほどとなります。中央分離帯には石灯籠が。

やまと44
瑞龍寺口まで戻り階段を上がって再び駅の自由通路へ。
やまと45
自由通路の改札の向かい側は広場の様になっており、
ご覧の様に待合の椅子が並んでいます。
やまと46
この待合の広場はちょうど駅の東側へと面しており、
窓から富山方面を見ると北アルプス立山連峰が見えるので
案内パネルも置かれています。
やまと47
広場から向かいの改札へ。
ちなみに自由通路の天井はアルミの建材で立山連峰を表現しているそうです。
やまと48
改札内の様子です。
中は橋上駅舎の連絡通路となっています。
やまと49
改札脇に設けられたガラス張りの待合室。
やまと56
駅は島式ホーム3面6線と単式ホーム1面の計4面7線となっています。
それぞれのホームは跨線橋で連絡していますが、1、2番線ホームはご覧のように
他のホームから少々離れて設置されています。
やまと50
こちらが駅の一番南側にある島式ホームの1、2番線です。
JR城端線が使用するホームなので駅名標もJR西日本の仕様となっています。
やまと51
ホーム西側を見ると、1番線はJR城端線のみで
2番線は城端線とあいの風とやま鉄道の金沢方面の両方に繋がっているのが分かります。
その為1番線はJR城端線のみの発着ですが
2番線には城端線のほかにあいの風とやま鉄道の下り列車の一部も停まります。
列車の運用では1番線がJR城端線の本線となっています。
やまと52
ですので駅名標も1番線側は城端線の新高岡のみが書かれていますが
2番線側は反対方向の越中大門も書かれています。
やまと53
中央付近には連絡通路へと上がる階段やエスカレーターが。
やまと54
橋上駅舎に改築された跨線橋の前後には屋根が設けられており、
待合のベンチは主に跨線橋下に置かれていました。
やまと78
城端線ホームの東端の右手には構内踏み切りがあり、
その先にはJR西日本の北陸広域鉄道部高岡運転派出の建物があります。
これはかつての高岡鉄道部で、氷見線と城端線の運営を行っています。
やまと55
切り替えしてのホームの様子です。

やまと57
こちらは跨線橋の連絡通路の、3、4番線の階段付近です。
1、2番線の入口が緑だったのに対してこちらは黄色で塗られており、
色による視覚で乗客が階段を区別できるように配慮がされています。
やまと59
島式ホームの3、4番線です。
あいの風とやま鉄道の上り線石動・金沢方面行きホームとなります。
3番線には下り金沢方面行きの一部列車が停車する事もあります。
金沢方面の上り線は4番線が本線となっています。
やまと58
また、あいの風とやま鉄道ではご覧の通り駅名標を山側と海側で色分けをしています。
乗客が列車を降りた時に海が見えるホームが青、山が見えるホームが緑となりますが、
富山県は北が日本海、南が内陸部という地理ですので
南側ホーム(乗客が北面)が海の青北側ホーム(乗客が南面)が山の緑となります。
やまと60
ホーム中ほどの待合室です。
雪国の富山ですのでガラスで仕切られてて空調が効いています。
やまと61
西端の金沢方は途中で柵が設けられており
ホームがカットされていました。
やまと62
中ほどの跨線橋の下付近のホームの様子。
やまと63
東の富山方のホームはかなりの長さが柵で仕切られてカットされていました。

やまと64
連絡通路に戻ってこちらは5、6番線への階段付近です。
こちらは入口が赤色となっています。
やまと65
ホームの駅名標です。
南の5番線が青、北側の6番線が緑となります。
やまと66
こちらのホームはあいの風とやま鉄道の上り線富山方面行きとなります。
下り線の本線は5番線で、6番線は一部氷見線の列車が停まることもあります。
基本的に5番線が使われる為、ベンチなども5番線向きに設置されています。
やまと67
このホームの金沢方は屋根の途中に柵が作られてホームがカットされていました。
やまと68
こちらのホームにも空調の効いたガラス張りの待合室が。
やまと69
跨線橋の下付近から東側のホームの様子です。
東側の富山方のホームも柵でカットされています。
やまと70
ホームの屋根は北陸本線時代からのもので、
橋上駅舎への改修で作られた跨線橋との古さの対比がなかなか面白いです。

やまと71
そして自由通路の7番線への階段付近。
入口は青色となっていました。
やまと72
東側への階段を下りると、目の前が柵で仕切られていました。
かつては柵の置く左手150mほど先に氷見線のホームがあり
こちらからホームへと連絡していました。
駅舎の改修により2010年(平成22年)に氷見線ホームは移設され
旧ホームは現在では駐輪場となっているそうです。
やまと73
7番線ホームを西へ。
このホームのみ単式ホームとなっている為、
跨線橋下付近は若干狭い印象があります。
やまと74
7番線ホームの西側付近です。
この単式ホームは氷見線の専用ホームとなっています。
駅名標はこちらのホームにのみ見当たりませんでした。
やまと75
旧駅舎の時代には階段の手前付近に北口改札口が設けられていていました。
やまと76
かつての改札付近には、現在では万葉線の停留場があります。



■モデル車両: あいの風とやま鉄道 413系電車 とやま絵巻
やまと79


やまと80
【上写真:国鉄413系北陸色】
413系電車は国鉄が設計し1986年(昭和61年)した近郊型車両です。

国鉄末期の北陸の地方都市圏輸送は本数も少なく、
機関車が長い編成の客車を引くといった旧態依然のものでした。
これに対して国鉄は編成を短くして定間隔のダイヤで
車両のスピードをアップするなどダイヤ改正による輸送改善を行いました。
この改善で低落傾向だった乗客数は増加に転じたものの、
古い車両では特にラッシュ時の乗降に課題が残りました。
やまと81
【上写真:国鉄419系北陸色】
余剰の特急車両を改造した419系や715系を投入するも近郊型車両としては適しておらず、
また新しく開発した417系、713系といった車両はコストの問題で
末期の国鉄では量産ができませんでした。

こうした事情からコスト低減をした上で、老朽化陳腐化した旧型車両の置き換えの為に
1986年(昭和61年)から随時投入されたのが413系と717系となります。


2015年(平成27年)にJR北陸本線の富山県内区間があいの風とやま鉄道へと
第三セクター転換された際に、413系は3両編成5本が譲渡されました。
413系のあいの風とやま鉄道での編成番号は「AM」となり、このうちのAM03編成が改造されて
2016年(平成28年)8月28日よりイベント列車「とやま絵巻」として運行を開始しています。

駅メモのでんこの高岡やまとは誕生日が8月28日に設定されていますが、
これはとやま絵巻の運行開始日を元ネタとしている
と見て良いでしょう。

【上動画:とやま絵巻・金沢駅入線(クリックで再生します)】


やまと82
とやま絵巻に改修されたAM03編成は
元々はJR西日本金沢総合車両所所属の車両でした。
JR西日本時代の編成番号はB03で、車両落成日は1986年(昭和61年)7月30日となっています。
やまとa15
こちらはあいの風とやま鉄道のロゴマークですが、
文字の下の波線は「富山に吹く柔らかで優しくさわやかに吹く風」を表現しています。
やまとa17
とやま絵巻の車体に使われている三日月形は、ロゴマークにもある風を表現したもので
列車全体にこの「風」が使われています。
やまとa16
ヘッドマークにも使われている列車のロゴは
風のデザインを使って富山県の形を表現したものとなっています。

では以下で編成の各車両について見ていきたいと思います。

やまと83
まずはこちらが泊方の先頭車両となるクモハ413-3です。
ク(制御車)モ(電動車)ハ(普通車)ですので運転台がありモーターを搭載した
普通席車両の制御電動車となります。
やまと84
とやま絵巻の車両にはそれぞれ「海のモチーフ」「山のモチーフ」の図案が描かれており、
駅名標と同じく乗客が南面する北側が山北面する南側が海となっています。
まずはこちらは富山湾の名産であるベニズワイガニ
やまと85
同じく富山湾で夏が旬のバイ貝です。
やまと86
そしてこちらはクモハ413-3の南側の山のモチーフ側です。
やまと87
黒部川の扇状地の入善で作られる
楕円形の大きな形が特徴の入善ジャンボ西瓜
やまと88
富山市の八尾地区で毎年9月の頭に行われる民謡行事である
越中おわら風の盆です。
やまと89
車内の様子です。
座席は車端部がロングシートで中央部が非転換のクロスシートという
セミクロスシートとなっています。
やまと90
クモハ413-3の座席のモケットは黄緑となっており、
外装と同様にデザインされた富山県の名物がプリントされています。


やまと91
こちらは3両編成の中央部に位置するモハ412-3です。
モ(動力車)ハ(普通車)ですのでモーターを搭載している
中間電動車の普通席車両ということになります。
またこの車両の屋根の上にはパンタグラフが搭載されています。
やまと92
駅メモのでんこの高岡やまとの背中のパンタグラフは
こちらのパンタグラフがモチーフとなっており、
共にひし形パンタグラとなっています。
やまと93
こちらは富山名物のかまぼこの図案です。
富山湾で取れる近海魚でつくられた富山のかまぼこは板かまぼこではなく、
正月のおせちの伊達巻のように巻かれた巻きかまぼことなります。
やまと94
こちらは富山県の名産であるホタルイカで、
3月上旬から5月にかけてのみ漁期間と定められて水揚げされています。
また常願寺川河口から魚津港にかけての海岸は「ホタルイカ群遊海面」として
国の特別天然記念物に指定
されています。
やまと95
こちらは富山名産のます寿司です。
江戸享保年間に富山藩の料理人が8代将軍徳川吉宗に献上したのが起源とされ、
神通川を遡上するサクラマスを使った早ずしは富山の郷土料理となっています。
わっぱに笹を敷きつめた上に作られるます寿司は図案そっくりのルックスとなっています。
やまとa02
金沢方の車端に描かれたこちらはシロエビです。
ブリ、ホタルイカと並んで富山三大海産物のひとつに数えられる白エビは
「富山湾の宝石」とも呼ばれています。
やまと96
反対側へとまわり、山のモチーフが描かれた車両の南側の外観です。
やまと97
金沢方の端に描かれているこちらの図案は五箇山の合掌造り集落です。
岐阜県内にある飛騨の白川郷が合掌造り集落としてはあまりにも有名ですが、
隣接する富山県内側の五箇山の相倉集落と菅沼集落にも合掌造りの古民家が残っており、
「白川郷・五箇山の合掌造り集落」としてユネスコの世界遺産に登録されています。
やまと98
こちらは富山県の県花にもなっているチューリップです。
大正時代に水田の裏作の作物として砺波地方で始められたチューリップの栽培は
原産地の中央アジアと砺波地方の気候が酷似していたこともあって盛んとなり、
富山県のチューリップ球根出荷量は全国一となっています。
やまと99
越中だいもん凧まつりと題されたこちらの図案は
毎年五月にあいの風とやま鉄道の庄川橋梁の南側の河川敷にある
大門カイトパークで行われている凧あげのイベントです。
やまとa01
そして泊方の車端近くに書かれたこちらは呉羽梨
富山市から射水市にかけての呉羽山の西側では戦前に始められた梨の栽培が盛んで
呉羽梨としてその生産が受け継がれています。
やまとa03
車内の様子です。
セミクロスシートの車両であるのは同様ですが、
座席のモケットの色が濃い青がベースとなっています。
やまとa04
この車両の座席モケットの図案は何色も使ったカラフルなものとなっており
ご覧の様に目を引くデザインとなっています。


やまとa05
金沢方の先頭車両となるクハ412-3です。
ク(制御車)ハ(普通車)ですからモーター動力を搭載していない、
運転席のある普通車両ということになります。
やまとa06
こちらは氷見の寒ブリ
寒ブリといえば冬の日本海を代表する味覚ですが、
その中でも富山湾で取れ氷見港で水揚げされる寒ブリは
その地理的条件から最も脂がのっている状態で圧巻であるとされています。
やまとa07
こちらは海王丸
元々は1930年(昭和5年)に進水した商船学校の練習帆船だった船で、
1989年(平成元年)に引退した後に伏木富山港の新湊地区(富山新港)に作られた
「海王丸パーク」で1992年(平成4年)より展示されています。
やまとa08
反対側の山のモチーフ側です。
やまとa09
こちらはメルヘンおやべ源平火牛まつりの図案です。
小矢部市の商工会が商工祭りでに源平パレードを行ったのが始まりで、
イベントが統合されて「メルヘン祭り」となった中で「源平火牛まつり」となって
1999年(平成2年)から行われているものです。
重量700kgはある火牛をを引いて夜の街を疾走するという迫力あるレースが行われています。
やまとa10
そしてこちらは高岡御車山祭です。
高岡市の高岡関野神社の春季例祭であり、
御車山(みくるまやま)と呼ばれる山車が高岡の旧市街を巡行する祭りは
国の重要無形民俗文化財(祭り)と重要有形民俗文化財(御車山7基)の両方に指定されており、
またユネスコの無形文化遺産にも登録されています。
やまとa12
車内の様子です。
こちらの車内もセミクロスシートとなります。
座席モケットの色は水色がベースとなっています。
やまとa11
運転台の真後ろはロングシートとなっており、
優先座席が設けられています。
やまとa13
またこの車両にのみ、泊方の連結部手前にトイレが設置されています。
やまとa14
そしてトイレの向かい側のつり革には一つだけ、ピンクのハート形のつり革が。
とやま絵巻では各車両に一箇所づつハート形のつり革が設置されています。

【写真撮影:2019年10月】

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