でんこの元ネタ
■No.101 田原町つばさ(Tawaramachi Tsubasa)
■タイプ:アタッカー
■誕生日:3月27日
■出身駅: えちぜん鉄道 三国芦原線 田原町駅(福井)

田原町駅は1937年(昭和12年)4月1日に三国芦原電鉄の駅として新設されました。
三国芦原線は1928年(昭和3年)に開業していた路線のため、
駅はすでに営業している路線に新たに作られたものです。
1942年(昭和17年)に三国芦原電鉄が京福電気鉄道に合併されて
三国芦原線も京福電気鉄道の路線となったものの
戦時の1944年(昭和19年)に鉄道は一旦休止。
1950年(昭和25年)11月に駅の場所が東寄りの現在の位置へと移転のうえ
営業再開され、併せて福井鉄道も田原町駅まで延伸されて
京福電気鉄道と福井鉄道の乗り換え駅となります。

駅メモラーにとっては京福電気鉄道といえば
京都を走る軌道線の「嵐電」こと嵐山線が思い浮かぶことでしょう。
社名に京都の「京」と福井の「福」を冠する通り
京福電気鉄道は京都市内のる嵐山本線・北野線と
福井を走る越前電気鉄道線(越前本線と三国芦原線)を併せて運営する会社でした。
しかし福井の京福電気鉄道は2000年(平成12年)末と2001年(平成13年)夏に
半年で2回もの列車同士の衝突事故を起こしてしまい、
国土交通省と中部運輸局福井運輸支局より全線の運行停止と
事業改善命令が命ぜられました。
これによって京福電気鉄道は収支の見通しが立たず
福井県内の鉄道事業を運営する福井鉄道部の営業継続を断念。
2001年(平成13年)10月に越前本線と三国芦原線の廃止届を提出します。
こうして豪雪地帯である福井市内は京福電気鉄道の運行を失って
バス代行に頼る冬を迎えた訳ですが、それまで鉄道を利用していた
通勤通学客の多くが自家用車へシフト。結果として市内幹線道路は大渋滞となります。
当然ながら代行を含めたバスのダイヤも遅延で無ダイヤ状態となり、
はからずも積雪地で鉄道を廃止したらどうなるかという
一種の公共交通の比較社会実験を行う事となったのです。

当時の報道で「壮大な負の実験」と称されたこの状況を受けて
福井県と沿線市町村は第三セクター方式による鉄道存続を選択。
2002年(平成14年)9月にえちぜん鉄道が設立され、
京福電気鉄道から2003年(平成15年)に事業譲渡がされました。
地元自治体が出資をした第三セクター会社の運営となった事で
えちぜん鉄道では既存の駅施設の改修や新規駅の設置などが進みます。

そしてえちぜん鉄道と福井鉄道との間での相互直通乗り入れ運転の計画も具体化され、
LRV(ライトレール)車両の運行の為に低床ホームの整備が進みます。

その為、えちぜん鉄道と福井鉄道が連絡接続をする田原町駅では
既存の駅施設改修や駅周辺整備、そして両路線の線路の接続が行われました。

こうして2016年(平成28年)3月27日より
えちぜん鉄道の鷲塚針原駅から福井鉄道の越前武生駅までの間を
「フェニックス田原町ライン」と名づけて直通運転が開始。
愛称の「フェニックス」は戦災、震災、水害、雪害など多くの苦難を乗り越えた福井市の象徴で
えちぜん鉄道の三国芦原線と勝山永平寺線、福井鉄道の福武線をあわせた路線図が
まるでフェニックスが翼を広げたような形となることから命名されています。

こちらは県道30号福井丸岡線の福井市田原付近の光景です。
古くは五畿七道の1つである北陸道であり、旧国道8号線である道路で
1985年(昭和60年)に市民公募で「フェニックス通り」の名称となっています。

フェニックス通りの南側は福井市の中心市街地を通り抜けており、
古くは福井藩の1万石以上の上級家臣の武家屋敷が並んでいたことから
「大名町通り」と呼ばれ市民に慣れ親しまれていました。

こちらはフェニックス通りに面した西側にあるフェニックス・プラザです。
福井中央卸売市場の移転跡地に1985年(昭和60年)に建てられた多目的ホールであり、
現在は福井市の所有となっている建物です。

フェニックス通りの中央部分には福井鉄道福武線の軌道線が走っていますが
ご覧の通りフェニックス・プラザの北側で西へと反れて専用線へと入ります。
線路に併走して道路も分岐しており、車に注意を促す看板が設けられています。

分岐の北側にはこちらの歩道橋が。

歩道橋から見たフェニックス通りの南側の福井市街方の光景です。

反対のフェニックス通りの北側のあわら市方面の俯瞰。
えちぜん鉄道の踏切があるのが見えます。

歩道橋北側のえちぜん鉄道新田原町踏切。

踏切から見る南側の福井口駅方の光景です。

そして反対の北側の三国港駅方を見ると駅があるのが見えます。

踏切の北側へと渡ると周囲には福井大学をはじめとして
いくつもの学校が集まっており通学時間には学生の姿が多く見られます。
県道は九頭竜川を渡って北へ向かい国道8号線の現道へと合流をしています。

切返して北側から見た踏切方面の様子です。

北側から見た歩道橋には福井鉄道の軌道による幅員減少の標識がありました。

その歩道橋の西側には線路と県道に囲まれた
三角形の形の駅前広場があるのが見えます。

広場にある周辺の地図です。
県道に面する三角の広場は北広場と書かれています。

田原町駅の駅周辺や広場の整備は駅舎改修の後に進められており、
2018年(平成30年)に完成し供用されています。設計は公共空間設計で実績を持ち
数多くの駅周辺デザインを手がけている東京のGK設計が行っており、
「公園の中に電車が滑り込んでくるような景色を持つ駅」としてデザインされています。

北広場の南東端付近です。
田原町駅前のバス停留場の待合室が置かれています。
駅前広場の整備前にはここにはコンビニが建っていたそうです。

県道の歩道に接する付近はインターロッキングで舗装されていますが
広場の内側は芝生が貼られています。
中央部にはステージのような大きなベンチが。

広場南側の福井鉄道の線路沿いは小高く土が盛られていました。

ベンチ近くにある広場の案内図です。
裏側には広場使用の注意書きが。

広場北側の様子です。
県道から線路に沿った部分は駅前広場の整備前から
駅舎と県道を連絡する通路であった部分でした。
現在も駅入口までインターロッキング舗装がされています。

切返して駅側から見た光景。
線路沿いには屋根つきの駐輪場が設けられています。

こちらがえちぜん鉄道の田原町駅の駅舎外観です。
以前の木造駅舎は1950年(昭和25年)の福井鉄道乗り入れ時に作られたもでした。
現在のえちぜん鉄道側の駅舎は2016年(平成28年)1月に供用開始されたものとなります。

ホームへの通路の横には駅務を行う建屋が建てられており、
壁の駅入口付近には駅周辺の案内地図がありました。

奥の券売窓口の手前の壁には駅舎の駅名標があり、
その下には吹き出し形に形取られた駅構内図がありました。

えちぜん鉄道の券売窓口付近。
島式ホームへの入口と構内踏切が目の前にあります。

券売窓口前から西側のホームへと入るスロープです。
低床ホームの2番線につながっているので勾配はゆるやかです。

こちらが2番線ホームの様子です。2番線と3番線は島式ホーム1面ではありますが、
南側の2番線がLRV(ライトレール)車両に対応する為低床ホームとなっており
北の3番線とは段差があります。また東側が扇形に広がっている形状もあって
実質的には別々の単式ホームの様相と言える形となっています。

2番線ホーム側にある待合室。
木製ベンチの置かれた部屋は空調が効いています。

ホーム西端の鷲塚針原方の光景です。
2番線は福井鉄道とえちぜん鉄道の相互直通列車専用の乗り場となります。
なのでホームから東は福井鉄道福武線、西はえちぜん鉄道三国芦原線となっています。

駅の出入口に近いホーム東側の越前武生方の様子です。

2番線ホームと3番線ホームを連絡する階段。
同じ島式ホームのプラットホームですが嵩上げされたホームと
低床ホームではこれだけの段差があります。

階段の脇にはバリアフリーの為設けられた2番線と3番線をつなぐスロープが。

島式ホームの北側の3番線ホームです。
こちらのホームは嵩上げされた高床式ホームであり、
えちぜん鉄道三国芦原線の専用ホームとなっています。

低床式ホームの2番線とは段差がある為柵で仕切られており、
3番線側には木材で目隠しの壁が設けられています。

3番線ホームにあるこちらの壁はホーム待合室の壁ですが、
出入りは2番線側からしかできず3番線側は壁のみとなっています。

ホーム東側の福井方の様子です。先にはフェニックス通りの新田原町踏切が見えます。
田原町駅の線路は駅改修で付け替えが行われていますが
えちぜん鉄道側の線路は旧来のものがそのまま使われています。


こちらはフェニックス通りへと戻り、福井鉄道の軌道が田原町駅へと向かって
道路から専用線へと入る付近の光景です。

フェニックス・プラザと線路の間には
ご覧の西へと入る道路が分岐しています。

道を進むと屋根のついた横断歩道があり、
右手に駅、左手にはフェニックス・プラザへの入口があります。

福井鉄道の田原町駅の駅舎外観です。
えちぜん鉄道と福井鉄道直通運転開始に際して改築されたもので、
福井鉄道側の駅舎は2015年(平成27年)3月に完成し供用されています。

駅舎前は歩道の幅が広く作られ駅前広場の役割となっており、
入口前には車寄せが作られています。

駅前付近の見取り図です。

駅舎前の東側はご覧の様に小さな公園の様になっており
木の植えられた四角いベンチが置かれています。

入口の目の前に設置されている案内図の看板。
駅舎側には駅周辺の地図が描かれ、道路側には広場の見取図が載っています。

この広場の東側を見るとご覧の線路沿いの広場へと出る事ができます。
こちらは南広場と名づけられており駅周辺整備事業で整備されたものです。

ご覧の通り福井鉄道の線路の目の前に設けられた広場で
通過する電車を間近で見ることができます。

そして南広場の東側奥へは屋根のついた通路が広場沿いに延びており、
つきあたりには「田原町ミューズ」という多目的待合所があります。

田原町の駅周辺整備で駅前広場などと一緒に2018年(平成30年)1月に作られたもので
「音楽が溢れる街」を目指して作られたホールスペースとなっています。

中はご覧の通りの多目的スペースとなっており、
通常時は田原町駅の待合室として利用ができ、
イベントの開催などもできるスペースとなっています。

駅舎へと戻ってこちらは福井鉄道側の駅入口です。

券売窓口の向かい側にはガラス張りの待合室があります。
木製ベンチが両側にあり空調も効いており
電車の到着が部屋から良く見える待合室となっています。

駅前の道路側から見た待合室と、券売窓口とは反対側の待合室出入口。

窓口前の通路を通り抜けると目の前はすぐに構内踏切があり、
左の目の前が1番線ホームへと入るスロープとなっています。
福井鉄道の田原町駅は2016年(平成28年)3月より駅員のいる有人駅となっており
列車到着時には駅員が1番線ホーム入口で改札を行っています。

駅は列車別改札となっており、電車の発車時刻の5分前までは
ご覧の通りバーが下ろされていてホームへの立ち入りができなくなっています。

こちらが田原町駅の1番線ホームです。
福井鉄道の専用ホームとなっており、低床式ホームとなっています。
軌道線である福武線の終点であり、奥のホーム西側に車止めが設けられています。

西側奥の様子です。車止めまではご覧の長さがあり、
1編成を留置する事が可能で夜間滞泊も設定されています。

ホームは単式ホームであり、終点駅なので列車は折り返し運転で
越前武生方面行きのみとなっています。

1番線ホームには駅名標は置かれていません。
番線表示に越前武生方面行きであることが書かれているのみとなっています。

駅舎を出て駅前の市道へと戻って東の鷲塚針原方へ。

少し進むと左手にあるのがこちらの福井田原町郵便局です。

郵便局の先はつきあたりとなっており、
線路側には踏切があるのが見えます。

こちらが田原町駅の西側に位置する
えちぜん鉄道三国芦原線の田原町踏切です。

踏切を渡った北側は田原町商店街で、福井大学や藤島高校(旧制福井中学)など
周辺には福井を代表する学校が集まっている地域でもあります。

田原町踏切から駅舎までの線路沿いは駅前整備で整備されており、
インターロッキングで舗装され駐輪場なども設けられています。

この田原町駅の改修された駅舎についてはえちぜん鉄道駅舎、福井鉄道駅舎ともに
福井市の設計事務所であるヒャッカが設計を手がけています。

また田原町駅の改修後の駅のサイン(案内図や表示)のデザインについては
福井市のデザイン事務所のGOOD MORNINGが行っており、
吹き出し形の「おしゃべりなサイン」としてにぎわいや楽しさをイメージしています。
この事務所はえちぜん鉄道の相互乗り入れ車両「ki-bo」についても
名称やロゴデザインなどを行っている会社です。
■モデル車両: えちぜん鉄道 L形電車「ki-bo」

えちぜん鉄道L形電車はえちぜん鉄道と福井鉄道の
相互直通運転の為にえちぜん鉄道に導入された
低床2車体連接の路面電車車両です。
車両には「ki-bo」(キーボ)という愛称がつけられています。
「フェニックス田原町ライン」としてえちぜん鉄道三国芦原線の鷲塚針原駅と
福井鉄道福武線の越前武生駅間を走る直通運転は
2016年(平成28年)3月27日より開始されていますが、
「ki-bo」の営業運転もおなじ3月27日より開始されています。

「ki-bo」をモチーフとしている駅メモのでんこの
田原町つばさの誕生日が3月27日に設定されていますが
これは「ki-bo」の営業運転開始日が元ネタと考えて良いでしょう。
車両はドイツのアドトランツ社が製造した通称「ブレーメン形」と呼ばれる車両と
後継車種の「インチェントロ」が元となっています。
このドイツの路面電車車両を日本の新潟トラシスがライセンス生産。
日本向けにカスタマイズして供給しているもので、
現在の日本で新型路面電車といえばこの形式とも言える車両です。

こちらが日本各地で導入されている「ブレーメン形」の低床車両です。
「ki-bo」と並べてみると非常に良く似た外観で同系列の車両であることが分かります。
実際に「ki-bo」と同じフェニックス田原町ラインを走る福井鉄道の「FUKURAM」は
3年先の2013年(平成25年)に導入されていますが、
運行や保守の観点からえちぜん鉄道も導入にあたって
先行の福井鉄道と車両を共通化しているという経緯もあります。

車両は正式には「L形」と名づけられていますが、
「L」は「LRV(Light rail vehicle・ライトレール車両)」のLだと思われます。
予算の半分は環境省の二酸化炭素排出抑制対策事業費等補助金を利用しており、
残りを福井県が負担して6億円の予算で2編成が導入されています。
福井鉄道の「FUKURAM」が3連接車両であるのに対して
「ki-bo」はご覧の通り2連接車両であり、乗車定員もFUKURAMより少なくなっています。

「ki-bo」モチーフの田原町つばさの登場に際しては、
まとめ髪の元であろう車体の「角」と称される突起が話題となりました。
この突起はバックミラーの代用として取り付けられたCCDカメラであり、
運転士が左右後方の死角を確認する為のものです。
そして「ブレーメン形」の日本各地の車両を見ると
どの車両にも同じ角が装備されているのが分かります。
つまり実はこの「角」は「ki-bo」独自のものでは無いということです。

「ki-bo」のネーミングやロゴデザインなどは田原町駅のサインのデザインも行った
福井市のデザイン事務所GOOD MORNINGが手がけています。
「黄色」+「坊、相棒、ロボ」→「ki-bo」(キーボ)というネーミングで
希望の意味も込められています。
相互乗り入れ運転で福井鉄道側のFUKURAM(フクラム)と合わせると
「希望、ふくらむ。」となる仕掛けなのだそうです。
こちらは「Ki-bo」が田原町駅2番線ホームへと入線する様子です。
以下で車両の細部について見てみたいと思います。

越前武生方に連接されているこちらが「ki-bo」のA車です。
こちらの車両には屋根の上にシングルアームのパンタグラフが搭載されています。

「ki-bo」モチーフの田原町つばさの背中のパンタグラフと
実車のパンタグラフを並べてみると同じものであることが分かります。

A車の越前武生方の車端部の運転台。
ワンマン運転なので運転台の後ろが降車デッキとなっています。

車内の様子です。中央部は2席+2席のボックスシートとなっており、
東側に2組、西側に1組半の計14席が設けられています。

連接部に近い鷲塚針原方には西側に乗車扉があり、
扉の正面の東側には優先座席となる2人掛けロングシートがあります。

ボックスシートの様子。通路と座席部には小さいながら段差があり、
段鼻に黄色いステップが取り付けられて注意を喚起していました。

座席モケットは福井が拠点の繊維会社セーレンのものが使用されており、
製品名の「viscotecs」のタグがつけられています。

切り返して鷲塚針原方から見た車内客室の光景。

A車とB車の連接部の様子です。
連接部の床はA車側かフラット、B車側が円形の形でつながっています。

鷲塚針原方に連接されるこちらがB車です。
台車はA車、B車ともに各車1台づつとなっており、
左右の車輪が車軸の無い独立した台車を使用しています。

こちらは鷲塚針原方の先頭部の運転台です。

運転台後方の料金箱。料金箱の前付近は車椅子やベビーカーの優先スペースで
床にご覧の優先を示すサインが表示されています。

車端部運転台後方の乗降デッキ付近。低床車両として乗降口が低くなっている為、
座席のある通路部とデッキには6cmの段差があってスロープ状となっているので
床にはスロープ注意を示すサインが描かれていました。

B車の車内の様子です。基本的に千鳥配置で反転しているだけで
座席や設備などの配置はA車と同様となっています。

反転して越前武生方から見た車内。

乗車扉の床も入口と通路に段差があってスロープになっているので
足元に注意喚起のサイン表示が描かれています。
【写真撮影:2021年3月】
■No.101 田原町つばさ(Tawaramachi Tsubasa)
■タイプ:アタッカー
■誕生日:3月27日
■出身駅: えちぜん鉄道 三国芦原線 田原町駅(福井)

田原町駅は1937年(昭和12年)4月1日に三国芦原電鉄の駅として新設されました。
三国芦原線は1928年(昭和3年)に開業していた路線のため、
駅はすでに営業している路線に新たに作られたものです。
1942年(昭和17年)に三国芦原電鉄が京福電気鉄道に合併されて
三国芦原線も京福電気鉄道の路線となったものの
戦時の1944年(昭和19年)に鉄道は一旦休止。
1950年(昭和25年)11月に駅の場所が東寄りの現在の位置へと移転のうえ
営業再開され、併せて福井鉄道も田原町駅まで延伸されて
京福電気鉄道と福井鉄道の乗り換え駅となります。

駅メモラーにとっては京福電気鉄道といえば
京都を走る軌道線の「嵐電」こと嵐山線が思い浮かぶことでしょう。
社名に京都の「京」と福井の「福」を冠する通り
京福電気鉄道は京都市内のる嵐山本線・北野線と
福井を走る越前電気鉄道線(越前本線と三国芦原線)を併せて運営する会社でした。
しかし福井の京福電気鉄道は2000年(平成12年)末と2001年(平成13年)夏に
半年で2回もの列車同士の衝突事故を起こしてしまい、
国土交通省と中部運輸局福井運輸支局より全線の運行停止と
事業改善命令が命ぜられました。
これによって京福電気鉄道は収支の見通しが立たず
福井県内の鉄道事業を運営する福井鉄道部の営業継続を断念。
2001年(平成13年)10月に越前本線と三国芦原線の廃止届を提出します。
こうして豪雪地帯である福井市内は京福電気鉄道の運行を失って
バス代行に頼る冬を迎えた訳ですが、それまで鉄道を利用していた
通勤通学客の多くが自家用車へシフト。結果として市内幹線道路は大渋滞となります。
当然ながら代行を含めたバスのダイヤも遅延で無ダイヤ状態となり、
はからずも積雪地で鉄道を廃止したらどうなるかという
一種の公共交通の比較社会実験を行う事となったのです。

当時の報道で「壮大な負の実験」と称されたこの状況を受けて
福井県と沿線市町村は第三セクター方式による鉄道存続を選択。
2002年(平成14年)9月にえちぜん鉄道が設立され、
京福電気鉄道から2003年(平成15年)に事業譲渡がされました。
地元自治体が出資をした第三セクター会社の運営となった事で
えちぜん鉄道では既存の駅施設の改修や新規駅の設置などが進みます。

そしてえちぜん鉄道と福井鉄道との間での相互直通乗り入れ運転の計画も具体化され、
LRV(ライトレール)車両の運行の為に低床ホームの整備が進みます。

その為、えちぜん鉄道と福井鉄道が連絡接続をする田原町駅では
既存の駅施設改修や駅周辺整備、そして両路線の線路の接続が行われました。

こうして2016年(平成28年)3月27日より
えちぜん鉄道の鷲塚針原駅から福井鉄道の越前武生駅までの間を
「フェニックス田原町ライン」と名づけて直通運転が開始。
愛称の「フェニックス」は戦災、震災、水害、雪害など多くの苦難を乗り越えた福井市の象徴で
えちぜん鉄道の三国芦原線と勝山永平寺線、福井鉄道の福武線をあわせた路線図が
まるでフェニックスが翼を広げたような形となることから命名されています。

こちらは県道30号福井丸岡線の福井市田原付近の光景です。
古くは五畿七道の1つである北陸道であり、旧国道8号線である道路で
1985年(昭和60年)に市民公募で「フェニックス通り」の名称となっています。

フェニックス通りの南側は福井市の中心市街地を通り抜けており、
古くは福井藩の1万石以上の上級家臣の武家屋敷が並んでいたことから
「大名町通り」と呼ばれ市民に慣れ親しまれていました。

こちらはフェニックス通りに面した西側にあるフェニックス・プラザです。
福井中央卸売市場の移転跡地に1985年(昭和60年)に建てられた多目的ホールであり、
現在は福井市の所有となっている建物です。

フェニックス通りの中央部分には福井鉄道福武線の軌道線が走っていますが
ご覧の通りフェニックス・プラザの北側で西へと反れて専用線へと入ります。
線路に併走して道路も分岐しており、車に注意を促す看板が設けられています。

分岐の北側にはこちらの歩道橋が。

歩道橋から見たフェニックス通りの南側の福井市街方の光景です。

反対のフェニックス通りの北側のあわら市方面の俯瞰。
えちぜん鉄道の踏切があるのが見えます。

歩道橋北側のえちぜん鉄道新田原町踏切。

踏切から見る南側の福井口駅方の光景です。

そして反対の北側の三国港駅方を見ると駅があるのが見えます。

踏切の北側へと渡ると周囲には福井大学をはじめとして
いくつもの学校が集まっており通学時間には学生の姿が多く見られます。
県道は九頭竜川を渡って北へ向かい国道8号線の現道へと合流をしています。

切返して北側から見た踏切方面の様子です。

北側から見た歩道橋には福井鉄道の軌道による幅員減少の標識がありました。

その歩道橋の西側には線路と県道に囲まれた
三角形の形の駅前広場があるのが見えます。

広場にある周辺の地図です。
県道に面する三角の広場は北広場と書かれています。

田原町駅の駅周辺や広場の整備は駅舎改修の後に進められており、
2018年(平成30年)に完成し供用されています。設計は公共空間設計で実績を持ち
数多くの駅周辺デザインを手がけている東京のGK設計が行っており、
「公園の中に電車が滑り込んでくるような景色を持つ駅」としてデザインされています。

北広場の南東端付近です。
田原町駅前のバス停留場の待合室が置かれています。
駅前広場の整備前にはここにはコンビニが建っていたそうです。

県道の歩道に接する付近はインターロッキングで舗装されていますが
広場の内側は芝生が貼られています。
中央部にはステージのような大きなベンチが。

広場南側の福井鉄道の線路沿いは小高く土が盛られていました。

ベンチ近くにある広場の案内図です。
裏側には広場使用の注意書きが。

広場北側の様子です。
県道から線路に沿った部分は駅前広場の整備前から
駅舎と県道を連絡する通路であった部分でした。
現在も駅入口までインターロッキング舗装がされています。

切返して駅側から見た光景。
線路沿いには屋根つきの駐輪場が設けられています。

こちらがえちぜん鉄道の田原町駅の駅舎外観です。
以前の木造駅舎は1950年(昭和25年)の福井鉄道乗り入れ時に作られたもでした。
現在のえちぜん鉄道側の駅舎は2016年(平成28年)1月に供用開始されたものとなります。

ホームへの通路の横には駅務を行う建屋が建てられており、
壁の駅入口付近には駅周辺の案内地図がありました。

奥の券売窓口の手前の壁には駅舎の駅名標があり、
その下には吹き出し形に形取られた駅構内図がありました。

えちぜん鉄道の券売窓口付近。
島式ホームへの入口と構内踏切が目の前にあります。

券売窓口前から西側のホームへと入るスロープです。
低床ホームの2番線につながっているので勾配はゆるやかです。

こちらが2番線ホームの様子です。2番線と3番線は島式ホーム1面ではありますが、
南側の2番線がLRV(ライトレール)車両に対応する為低床ホームとなっており
北の3番線とは段差があります。また東側が扇形に広がっている形状もあって
実質的には別々の単式ホームの様相と言える形となっています。

2番線ホーム側にある待合室。
木製ベンチの置かれた部屋は空調が効いています。

ホーム西端の鷲塚針原方の光景です。
2番線は福井鉄道とえちぜん鉄道の相互直通列車専用の乗り場となります。
なのでホームから東は福井鉄道福武線、西はえちぜん鉄道三国芦原線となっています。

駅の出入口に近いホーム東側の越前武生方の様子です。

2番線ホームと3番線ホームを連絡する階段。
同じ島式ホームのプラットホームですが嵩上げされたホームと
低床ホームではこれだけの段差があります。

階段の脇にはバリアフリーの為設けられた2番線と3番線をつなぐスロープが。

島式ホームの北側の3番線ホームです。
こちらのホームは嵩上げされた高床式ホームであり、
えちぜん鉄道三国芦原線の専用ホームとなっています。

低床式ホームの2番線とは段差がある為柵で仕切られており、
3番線側には木材で目隠しの壁が設けられています。

3番線ホームにあるこちらの壁はホーム待合室の壁ですが、
出入りは2番線側からしかできず3番線側は壁のみとなっています。

ホーム東側の福井方の様子です。先にはフェニックス通りの新田原町踏切が見えます。
田原町駅の線路は駅改修で付け替えが行われていますが
えちぜん鉄道側の線路は旧来のものがそのまま使われています。


こちらはフェニックス通りへと戻り、福井鉄道の軌道が田原町駅へと向かって
道路から専用線へと入る付近の光景です。

フェニックス・プラザと線路の間には
ご覧の西へと入る道路が分岐しています。

道を進むと屋根のついた横断歩道があり、
右手に駅、左手にはフェニックス・プラザへの入口があります。

福井鉄道の田原町駅の駅舎外観です。
えちぜん鉄道と福井鉄道直通運転開始に際して改築されたもので、
福井鉄道側の駅舎は2015年(平成27年)3月に完成し供用されています。

駅舎前は歩道の幅が広く作られ駅前広場の役割となっており、
入口前には車寄せが作られています。

駅前付近の見取り図です。

駅舎前の東側はご覧の様に小さな公園の様になっており
木の植えられた四角いベンチが置かれています。

入口の目の前に設置されている案内図の看板。
駅舎側には駅周辺の地図が描かれ、道路側には広場の見取図が載っています。

この広場の東側を見るとご覧の線路沿いの広場へと出る事ができます。
こちらは南広場と名づけられており駅周辺整備事業で整備されたものです。

ご覧の通り福井鉄道の線路の目の前に設けられた広場で
通過する電車を間近で見ることができます。

そして南広場の東側奥へは屋根のついた通路が広場沿いに延びており、
つきあたりには「田原町ミューズ」という多目的待合所があります。

田原町の駅周辺整備で駅前広場などと一緒に2018年(平成30年)1月に作られたもので
「音楽が溢れる街」を目指して作られたホールスペースとなっています。

中はご覧の通りの多目的スペースとなっており、
通常時は田原町駅の待合室として利用ができ、
イベントの開催などもできるスペースとなっています。

駅舎へと戻ってこちらは福井鉄道側の駅入口です。

券売窓口の向かい側にはガラス張りの待合室があります。
木製ベンチが両側にあり空調も効いており
電車の到着が部屋から良く見える待合室となっています。

駅前の道路側から見た待合室と、券売窓口とは反対側の待合室出入口。

窓口前の通路を通り抜けると目の前はすぐに構内踏切があり、
左の目の前が1番線ホームへと入るスロープとなっています。
福井鉄道の田原町駅は2016年(平成28年)3月より駅員のいる有人駅となっており
列車到着時には駅員が1番線ホーム入口で改札を行っています。

駅は列車別改札となっており、電車の発車時刻の5分前までは
ご覧の通りバーが下ろされていてホームへの立ち入りができなくなっています。

こちらが田原町駅の1番線ホームです。
福井鉄道の専用ホームとなっており、低床式ホームとなっています。
軌道線である福武線の終点であり、奥のホーム西側に車止めが設けられています。

西側奥の様子です。車止めまではご覧の長さがあり、
1編成を留置する事が可能で夜間滞泊も設定されています。

ホームは単式ホームであり、終点駅なので列車は折り返し運転で
越前武生方面行きのみとなっています。

1番線ホームには駅名標は置かれていません。
番線表示に越前武生方面行きであることが書かれているのみとなっています。

駅舎を出て駅前の市道へと戻って東の鷲塚針原方へ。

少し進むと左手にあるのがこちらの福井田原町郵便局です。

郵便局の先はつきあたりとなっており、
線路側には踏切があるのが見えます。

こちらが田原町駅の西側に位置する
えちぜん鉄道三国芦原線の田原町踏切です。

踏切を渡った北側は田原町商店街で、福井大学や藤島高校(旧制福井中学)など
周辺には福井を代表する学校が集まっている地域でもあります。

田原町踏切から駅舎までの線路沿いは駅前整備で整備されており、
インターロッキングで舗装され駐輪場なども設けられています。

この田原町駅の改修された駅舎についてはえちぜん鉄道駅舎、福井鉄道駅舎ともに
福井市の設計事務所であるヒャッカが設計を手がけています。

また田原町駅の改修後の駅のサイン(案内図や表示)のデザインについては
福井市のデザイン事務所のGOOD MORNINGが行っており、
吹き出し形の「おしゃべりなサイン」としてにぎわいや楽しさをイメージしています。
この事務所はえちぜん鉄道の相互乗り入れ車両「ki-bo」についても
名称やロゴデザインなどを行っている会社です。
■モデル車両: えちぜん鉄道 L形電車「ki-bo」

えちぜん鉄道L形電車はえちぜん鉄道と福井鉄道の
相互直通運転の為にえちぜん鉄道に導入された
低床2車体連接の路面電車車両です。
車両には「ki-bo」(キーボ)という愛称がつけられています。
「フェニックス田原町ライン」としてえちぜん鉄道三国芦原線の鷲塚針原駅と
福井鉄道福武線の越前武生駅間を走る直通運転は
2016年(平成28年)3月27日より開始されていますが、
「ki-bo」の営業運転もおなじ3月27日より開始されています。

「ki-bo」をモチーフとしている駅メモのでんこの
田原町つばさの誕生日が3月27日に設定されていますが
これは「ki-bo」の営業運転開始日が元ネタと考えて良いでしょう。
車両はドイツのアドトランツ社が製造した通称「ブレーメン形」と呼ばれる車両と
後継車種の「インチェントロ」が元となっています。
このドイツの路面電車車両を日本の新潟トラシスがライセンス生産。
日本向けにカスタマイズして供給しているもので、
現在の日本で新型路面電車といえばこの形式とも言える車両です。

こちらが日本各地で導入されている「ブレーメン形」の低床車両です。
「ki-bo」と並べてみると非常に良く似た外観で同系列の車両であることが分かります。
実際に「ki-bo」と同じフェニックス田原町ラインを走る福井鉄道の「FUKURAM」は
3年先の2013年(平成25年)に導入されていますが、
運行や保守の観点からえちぜん鉄道も導入にあたって
先行の福井鉄道と車両を共通化しているという経緯もあります。

車両は正式には「L形」と名づけられていますが、
「L」は「LRV(Light rail vehicle・ライトレール車両)」のLだと思われます。
予算の半分は環境省の二酸化炭素排出抑制対策事業費等補助金を利用しており、
残りを福井県が負担して6億円の予算で2編成が導入されています。
福井鉄道の「FUKURAM」が3連接車両であるのに対して
「ki-bo」はご覧の通り2連接車両であり、乗車定員もFUKURAMより少なくなっています。

「ki-bo」モチーフの田原町つばさの登場に際しては、
まとめ髪の元であろう車体の「角」と称される突起が話題となりました。
この突起はバックミラーの代用として取り付けられたCCDカメラであり、
運転士が左右後方の死角を確認する為のものです。
そして「ブレーメン形」の日本各地の車両を見ると
どの車両にも同じ角が装備されているのが分かります。
つまり実はこの「角」は「ki-bo」独自のものでは無いということです。

「ki-bo」のネーミングやロゴデザインなどは田原町駅のサインのデザインも行った
福井市のデザイン事務所GOOD MORNINGが手がけています。
「黄色」+「坊、相棒、ロボ」→「ki-bo」(キーボ)というネーミングで
希望の意味も込められています。
相互乗り入れ運転で福井鉄道側のFUKURAM(フクラム)と合わせると
「希望、ふくらむ。」となる仕掛けなのだそうです。
こちらは「Ki-bo」が田原町駅2番線ホームへと入線する様子です。
以下で車両の細部について見てみたいと思います。

越前武生方に連接されているこちらが「ki-bo」のA車です。
こちらの車両には屋根の上にシングルアームのパンタグラフが搭載されています。

「ki-bo」モチーフの田原町つばさの背中のパンタグラフと
実車のパンタグラフを並べてみると同じものであることが分かります。

A車の越前武生方の車端部の運転台。
ワンマン運転なので運転台の後ろが降車デッキとなっています。

車内の様子です。中央部は2席+2席のボックスシートとなっており、
東側に2組、西側に1組半の計14席が設けられています。

連接部に近い鷲塚針原方には西側に乗車扉があり、
扉の正面の東側には優先座席となる2人掛けロングシートがあります。

ボックスシートの様子。通路と座席部には小さいながら段差があり、
段鼻に黄色いステップが取り付けられて注意を喚起していました。

座席モケットは福井が拠点の繊維会社セーレンのものが使用されており、
製品名の「viscotecs」のタグがつけられています。

切り返して鷲塚針原方から見た車内客室の光景。

A車とB車の連接部の様子です。
連接部の床はA車側かフラット、B車側が円形の形でつながっています。

鷲塚針原方に連接されるこちらがB車です。
台車はA車、B車ともに各車1台づつとなっており、
左右の車輪が車軸の無い独立した台車を使用しています。

こちらは鷲塚針原方の先頭部の運転台です。

運転台後方の料金箱。料金箱の前付近は車椅子やベビーカーの優先スペースで
床にご覧の優先を示すサインが表示されています。

車端部運転台後方の乗降デッキ付近。低床車両として乗降口が低くなっている為、
座席のある通路部とデッキには6cmの段差があってスロープ状となっているので
床にはスロープ注意を示すサインが描かれていました。

B車の車内の様子です。基本的に千鳥配置で反転しているだけで
座席や設備などの配置はA車と同様となっています。

反転して越前武生方から見た車内。

乗車扉の床も入口と通路に段差があってスロープになっているので
足元に注意喚起のサイン表示が描かれています。
【写真撮影:2021年3月】