でんこの元ネタ

でんこの元ネタ
■No.99 指宿おとめ(Ibusuki Otome)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:3月13日

■出身駅: JR九州 指宿枕崎線 指宿駅(鹿児島)
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こちらはJR九州の指宿枕崎線の主要駅である指宿駅の駅舎の外観です。
1934年(昭和9年)12月に当時の鉄道省の指宿線が
喜入駅から当駅まで延伸した事に伴って開業した駅で、
駅舎は1980年(昭和55年)に改築された二代目となります。
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建替えられた二代目の駅舎はオレンジ色に黄色というトロピカルな色使いでしたが
2003年(平成15年)3月の九州新幹線開業に合わせて「開聞岳の松林」をイメージした
木目調の落ち着いた色使いへとリニューアルされています。
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駅舎の正面北寄りには観光案内所への入口がありますが、
その横には薩摩半島を象徴する薩摩富士こと開門岳の壁画があります。
さらに隣にはトイレの入口がありますが、暖簾が下がっていて
観光地らしく綺麗な造りとなっています。

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駅舎の出入口は東側の一ヶ所のみであり、
建物の目の前にある駅前広場の南半分には
時計回り一方通行の駅前ロータリーがあって駅前の道路と接しています。
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ロータリーの南側の入口付近にある指宿警察署の指宿駅前交番。
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そして駅利用者の駐車場とタクシープールが
ロータリー中央部の島部分に設けられています。
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タクシープールの正面の駅舎寄りにはタクシーの乗降場が。
観光地らしく多くのタクシーが客待ちをする光景が見られます。

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ロータリー島部分の北側にはモニュメント類の置かれた広場があります。
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広場の駅舎入口目の前付近にある竜宮城を模したゲートです。
指宿は全国諸説ある浦島太郎伝説の有力な地であり
街のいたるところに竜宮城や浦島太郎関連のものがあります。
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広場の中央には指宿の観光案内の地図が。
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その脇には歌人・与謝野晶子の短歌が刻まれた歌碑があります。
与謝野鉄幹・晶子夫妻は1929年(昭和4年)に指宿の地をおと訪れており、
その美しさから「一生の中で得た数なき幸の一つ」と述べています。
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広場の東側は駅前の道路に面しており歩道とつながっています。

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そして駅前広場の西側は歩行者用の広場となっていて
インターロッキングで舗装がされています。
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広場西側にはご覧の建物がありますがこちらは駅前の足湯があります。
指宿温泉郷の玄関口である駅前に2006年(平成18年)に地元有志が設置したもので
中央部に「湯浴みの像」が立ち夜にはライトアップがされています。
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北側は駅前道路に面していてご覧の駅前のバス停が置かれています。


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駅舎の入口へと戻って中へと入ります。
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こちらが駅舎の中の様子です。
タイル敷きの中はご覧の通りかなり広く天井も高い造りとなっています。
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駅舎出入口から改札へのいわゆるコンコース部だけでも
かなりの広さがあり、多くの看板が壁に掛かっていて
観光地の玄関駅の雰囲気が感じられます。
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そのコンコース部に置かれた「指宿のたまて箱」の顔出し看板。
観光列車の乗車数累計100万人突破を記念して2019年(令和元年)5月に作られたもの
デザインを一般公募して作られた凝ったものとなっています。
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看板の脇にはご覧のポケモンのぬいぐるみの入った展示物が。
指宿市では「イーブイ好き→いーぶいすき→いぶすき」と名前の語呂が似ている事から
2018年(平成30年)にイーヴイを指宿市スポーツ・文化交流大使に任命
市内にポケモンのマンホールを複数設置しています。
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こちらは駅前の交番前にあるイーヴイのマンホール。
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そして待合室の奥半分にはご覧のベンチが並ぶスペースがあります。
有名観光地駅の待合室だけにこれだけの数のベンチが並ぶ光景は圧巻です。
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そして一番奥には売店と指宿市の観光案内所が。
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ベンチの横にはご覧の階段があって駅舎二階へと上れますが、
現在はテナントとして会社が入居している様です。

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改札付近の様子です。
有人改札となっていますが自動改札やIC対応の簡易改札機などは無い為、
SuicaやSUGOCAなどのICカード乗車券は使用できません。
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改札内へと入るとすぐに左手へと通路が曲がっており、
ホームへと上がる階段があります。
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階段の左手には1番線ホームへと上がるスロープ通路の入口がありますが、
通路の中は「竜宮写真館」と題した指宿市や列車のギャラリーとなっています。
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スロープ通路の中の様子です。
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ホーム側から見たスロープ通路。
指宿駅に到着した観光客に見てもらう目的の様で
こちらのホーム側がギャラリーの入口となっている様です。
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右手の階段を上るとすぐに跨線橋の階段があります。
その階段の右側を抜けると1番線ホームとなります。

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こちらが駅の東側にある単式の1番線ホームの様子です。
指宿枕崎線は全線が単線の地方交通線の為、
指宿駅に到着する列車は上下線共に基本的にこちらの1番線ホームを使用します。
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1番線ホームの駅名標です。
指宿駅の駅名標はホームごとにデザインが異なっており、
こちらには指宿市の西側の鹿児島湾(錦江湾)に浮かぶ知林ヶ島と
「指宿のたまて箱」の列車ロゴマークがモチーフとなっています。
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ホーム南端の枕崎方の光景です。
建屋の屋根が黄色(    青(    で塗られていますが
黄色は指宿を象徴する花である菜の花の色が、
青は指宿のきれいな海の色をモチーフとしてカラーリングされています。
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駅舎はホームの北端側にあり、出入口も北側のみとなっています。
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ホーム北端の駅舎側の光景。
通路の先に構内踏切が見えますが一般旅客は使用する事はできません。

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ホームを連絡している跨線橋の中の様子です。
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跨線橋から俯瞰で見た駅構内の様子。

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駅の西側に位置する島式ホームの2、3番線の様子です。
列車交換時などで1番線が塞がっている時に使用されるホームで
2番線が下り枕崎方面行き、3番線が上り鹿児島中央方面行き列車が使用します。
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海側の2番線側の駅名標です。
駅前にある足湯と、指宿を象徴する花の菜の花をモチーフとしたデザインです。
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山側の3番線側の駅名標の外観です。
こちらは指宿市の特産品であるオクラとソラマメがモチーフです。
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ホーム出入口に近い北側にはベンチなどがあるものの、
南側のホームにはご覧の通り建屋の屋根があるのみの光景となっています。
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3番線のさらに西側には数本の留置線があり
駅構内はかなりの広さとなっています。
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一旦駅を出て駅前広場へと戻ります。
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駅の正面から北東の海側へと向かって伸びるこちらは
指宿中央通商店街の通りです。
この通りを進むと沿岸部南側に指宿の温泉街が広がっています。
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昭和30~40年代には温暖な気候を売り物に「日本のハワイ」として繁栄した街でしたが
海外旅行が安価に行ける時代となって指宿の観光産業は斜陽化。
今では閉店した店も多く「本土最南端のシャッター商店街」と揶揄される状態です。
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歩道にはアーケードがありレトロな造りの商店の並ぶ通りは
今でも昭和の温泉街の佇まいが残っています。

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こちらは駅前のロータリーに接する道路を北側から駅方面へと下った光景です。
1980年(昭和55年)に駅前広場が整備されており
駅前の部分の道路も車線が増やされ道幅が広くなっています。
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駅の正面にある交差点。
指宿中央通商店街と接する交差点は駅前ロータリーの入口でもあります。
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交差点の北東角にある広場。
小さな広場ですが指宿市の観光名所のポスターが並べられ
観光案内を兼ねたものとなっていますx。
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切り返して南側から駅前の交差点に向かっての光景です。
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この駅前交差点は県道240号指宿停車場線の起点となっており、
北へと向かってのご覧の道路が県道指定をされています。
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駅前交差点からは200mほどのご覧の渡瀬通り交差点で
県道240号指宿停車場線西へ向かって左折しており、
指宿枕崎線の踏切を渡った900mほど先で国道226号線へと連絡をしています。


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再び駅前広場へと戻り、足湯の西側、駅舎からは北側に行くと
ご覧の地下道への入口があります。
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地上駅舎である指宿駅には東口のみで西口は無く、
線路の西側へと連絡をする為にこちらの地下道が設けられています。
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こちらは西口側の地下道地上出口です。
階段とスロープの出口があり、こちらは東口から近い階段出口の地上付近の光景です。
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出口の南側には目の前に西口ロータリーが広がっています。
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こちらは西側から見た指宿駅西口広場の光景です。
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駅の西側には直接の出口は無いものの、指宿枕崎線の線路と併走して
西に400mほどに国道226号線が走っており
国道から駅へとやってくる乗降客の受け皿としてロータリーが整備がされています。
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西口ロータリー正面から西へと伸びる、中央分離帯のある2車線の道路。
こちらが駅西口と国道226号とを連絡している道路となります。
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ロータリーの中央部に設けられた駅前広場。
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中央部の北側は駅利用者の駐車場が設けられています。
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駅に近い西口ロータリーの東側の光景です。
地下通路のスロープ出口の建屋があるのが見えます。
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こちらがスロープ出入口で
自転車なども往来ができる様になっています。
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そしてロータリーの南東角には駅の駐車場があるのですが
その入口付近にご覧のコンクリートのスロープがあるのが見えます。
これは貨物積み込み用のものでかつては全国各地の駅で見られたものです。

指宿駅も1971年(昭和46年)までは駅で貨物営業をしていましたので
こちら側はかつての駅の貨物ヤードだったのだと思われます。


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こちらは指宿駅の駅構内の「竜宮写真館」に掲示されている
指宿と竜宮伝説との関係についての説明板の一文です。
観光列車「指宿のたまて箱」のそもそものモチーフは
「指宿の地が浦島太郎伝説の発祥の地である」という点から
始まっています。
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浦島太郎の物語の地については諸説がありますが、
古くは日本書紀にその記述があり、また8世紀に成立した「丹後国風土記」には
浦島太郎の物語の原型である話が収録されています。
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実際に「浦島太郎」の物語となったのは室町時代の「御伽草子」あたりと言われ、
現在知られる浦島太郎の物語は明治末に尋常小学校の国定教科書に収録された
「ウラシマノハナシ」であるとされています。

長い間に様々なバージョンの浦島伝説が流布されたこともあり、
京都の丹後半島を始めとして香川県の荘内半島、愛知県知多郡など
日本全国各地に「浦島太郎発祥の地」と称される場所があります
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そして指宿市の南にある、薩摩半島の南端の岬である長崎鼻
竜宮伝説の発祥の地であるとされており「指宿のたまて箱」のモチーフとなっています。
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指宿の浦島伝説は古事記に出てくる「山幸彦」がモデルであるとしています。

兄の海幸彦の釣り針を無くした山幸彦が老人の導きによって海の宮殿へと行き、
そこで海の神(豊玉彦)の娘である豊玉姫(乙姫のモデル)と出会い3年を過ごします。
そして釣り針を探す目的を思い出した山幸彦が海の神に相談。
釣り針を見つけてもらい元の世界へ戻る時に海の神から不思議な玉を授かる、
というのがおおまかな物語となります。
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指宿の地にある開聞岳は「海門山」とも呼ばれ
海の神様「豊玉彦」が鎮座した神聖な山であるとされてきました。
豊玉彦の娘の豊玉姫が乙姫であるとすれば
まさに指宿は竜宮伝説の地であるという事になります。
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そして長崎鼻から見下ろすご覧の砂浜は海亀の産卵地として知られており、
浦島太郎が亀と出会う格好の海岸ということになります。
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この長崎鼻はこの地に村人には「竜宮鼻」と呼ばれていたそうで、
岬の入口にはご覧の竜宮神社が建ち乙姫のモデルとされる豊玉姫が祭られています。


■モデル車両: JR九州 キハ47形気動車8060・9079「指宿のたまて箱」
おとめ01


JR九州では2004年(平成16年)に九州新幹線(鹿児島ルート)の
新八代駅━鹿児島中央駅間が部分開業していましたが、
紆余曲折を経た後に2011年(平成23年)3月12日に博多駅━新八代駅間が開業。
これによって九州新幹線の鹿児島ルートが全線開業となります。

山陽新幹線との接続を果たし、東京から鹿児島までが新幹線で接続された事を踏まえて
JR九州では沿線の外側にも新幹線開通の効果を波及させるべく各地に観光列車を新設。
九州新幹線の終点である鹿児島中央駅から薩摩半島を走る指宿枕崎線に新たに作られたのが
「指宿のたまて箱」という観光列車となります。
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九州新幹線の全線開業日は2011年(平成23年)3月12日であり、
本来はこの新幹線開業日に併せて同時に「指宿のたまて箱」も運行を開始する予定でした。

しかしながらご存知の通り、前日の3月11日には東日本大震災が勃発
新幹線の開業は予定通り行われたものの、九州でも太平洋沿岸には1mの津波が到達。
太平洋岸を走る指宿枕崎線は日豊本線と共に3月12日は全面運休となりました。

その為第1便の列車が実際に運行をしたのは翌日の3月13日となり、
この日が「指宿のたまて箱」の運行開始日
となります。
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「指宿のたまて箱」を元ネタとしている駅メモのでんこの
指宿おとめの誕生日が3月13日に設定されていますが、
これは「指宿のたまて箱」の営業運転開始日が元と考えて良いでしょう。


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こちらはキハ47形気動車の九州色と呼ばれるカラーリングの車両です。
国鉄時代に開発されたキハ40形の系列(キハ40形、キハ47形、キハ48形)の車両は
当時赤字が問題となっていた国鉄が、ローカル線での老朽化車両の置き換えの為に作った車両です。

その為、大量投入を目的として「安価で丈夫」であることをコンセプトとして作られており、
1977年(昭和52年)から1982年(昭和57年)にかけて開発された車両は
40年近く経った今でも半数以上が現役で各地を運行しています。

しかしながらその車体の性能は現代の車両に比べると見劣りする事は否めず、
現状では運行本数の少ない閑散線区が主な運行場所となっています。
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JR九州は日本各地で発生した観光列車の草分け的な会社であり、
大量に保有しているこういった気動車をリニューアルして
観光列車へと変貌させる試みを全国に先駆けて行ってきた会社です。
「指宿のたまて箱」に用いられた車両も九州を走っていたキハ47形の車両が改造されたものであり、
JR九州だけでも100両近くあった古い気動車車両に見事に付加価値を与えた例と言えるでしょう。


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「指宿のたまて箱」の「たまて箱」とは浦島太郎の御伽噺に出てくる玉手箱の事です。
観光列車が目的地とする指宿の地は薩摩半島の先端部に位置しており、
半島の最南端の長崎鼻という岬は「浦島太郎伝説発祥の地」とされています。
この浦島伝説が列車全体のモチーフとなっている為
列車のロゴもご覧の通り玉手箱をイメージしたものとなっています。
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また、「指宿の玉手箱」の外観が海側が白色、山側が黒色に塗りわけられているのは
浦島太郎が玉手箱を開けたことで黒髪が白髪へと変わった事をモチーフとしています。

【上動画:乗降扉付近から湧き上がるミストの煙(動画はクリックで再生します。)】
そして列車は到着すると、ご覧の通り乗降扉付近に霧が沸き上がります。
これも玉手箱を開けた時の煙をイメージしたもので、扉の上部にある噴出口から
スモークミストを噴霧して玉手箱の演出
を行っています。
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「指宿のたまて箱」をモチーフとするでんこの
指宿おとめの名前の「おとめ」とは「乙姫(おとひめ)」が由来であろうと思われます。
髪を束ねるリボンが二つ輪の形状をしていますが、
この形は乙姫様の髪形の代名詞とも言える形でもあります。


【上動画はクリックで再生します】
こちらは「指宿のたまて箱」は発車をするシーンの動画です。
それでは以下で列車の各車両について見ていきたいと思います。

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指宿方の先頭車両のキハ47形8060です。元々はキハ47形60として
1979年(昭和54年)3月24日に新潟鐵工所(現・新潟トラシス)で新製された車両で
人吉機関区へと配属され、熊本運転所、豊肥久大運輸センターと転属しています。

1999年(平成11年)11月に機関(エンジン)を換装した事によってキハ47形8060へと改番
その後筑豊篠栗鉄道事業部直方運輸センター(日田彦山運用)へ移動した後に
2011年(平成23年)2月に鹿児島総合車両所へと転属され観光列車へと改造。
指宿枕崎線で運用されて現在に至っています。
おとめ09
海側の車体は白色がベースとなっており、
玉手箱の紐をイメージする金色のラインが引かれています。
デザインは今や鉄道では有名なドーンデザイン研究所の水戸岡鋭治氏で、
外観からも水戸岡氏のデザインした他の列車と共通するテイストが感じられます。
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乗降扉の真上の屋根にあるこちらがミストを噴霧する噴霧口です。
この仕掛けは他の列車には見られない装備となります。
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車内の様子です。元々キハ47形は片側に運転台がある車両であり、
指宿方の1号車にも運転台があります。
運転台のすぐ後ろはテーブルを挟んだ2×2のボックスシートが
左右両側にそれぞれ1組づつ置かれています。
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乗降扉は一両に片側2箇所づつありますが、
デッキの中央にはつかまる為のハンドルが設けられています。
実際に「指宿のたまて箱」に乗ると良く分かりますが
他の観光列車と比べると格段に車両が揺れるのを実感する事でしょう。
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中央部へと進むと海側には5席が並んだ窓向きのカウンター席があり、
山側には2席のボックス席が3列設けられています。
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山側のちょうど車両中央部付近にはご覧の本棚に囲まれたソファ席があります。
この椅子はフリースペースとなっているので座席番号は振られていません。
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指宿おとめの衣装の上着の裏地がカラフルなデザインとなっていますが
並べて見ると中央部のシートのモケットの柄が元ネタであることが分かります。
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さらに鹿児島中央方へと進むと2席のボックス席が通路左右に3列づつあり
その先は乗降デッキとなっています。
こちらのデッキにはつかまる為のハンドルは設置されていません。
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デッキの先の連結部側は山側がカウンターとなっていて
車内アテンダントの準備スペースとなっています。
反対の海側には車椅子対応の多目的トイレが設置されています。
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カウンターに置かれた玉手箱。
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連結部の貫通扉にはロゴの入った暖簾が下げられています。
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切り返して鹿児島中央方から見た1号車車内の様子です。
座席の背板やカウンター、内壁などにチーク材が用いられていますが、
木材を使うデザインはいわば水戸岡デザインの代名詞ともいえるものです。
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こちらは2両編成時の鹿児島中央方の先頭車両となるキハ47形9079です。
1980年(昭和55年)7月11日に新潟鐵工所で新製された車両で
製造時の車番はキハ47形1079という番号でした。
早岐機関区に配属され、唐津運輸区、直方気動車区と転籍をした後に、
こちらも2011年(平成23年)2月に鹿児島運輸区へと転籍され観光列車に改造されています。
観光列車化の際に機関(エンジン)も換装されてキハ47形9079へと改番されています。
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2号車の海側の車体の外観です。
白色をベースに金色のラインが入ったデザインは1号車と同様です。
乗降扉が片側2ヵ所であるのは元々の種車であるキハ47のものを受け継いでいます。
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2号車車内の指宿方車端付近の光景です。
海側にはカウンター席が3席設置されており、
反対の山側には2席掛けのボックス席が3列置かれています。
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2号車指宿方の乗降デッキには中央にハンドルが設けられています。
おとめ27
車両の中央部の様子です。この2号車は海側が全て
窓に向かったカウンター席となっており、
前後の乗降扉の間に計8席のカウンター席が設けられています。

山側は2席×2列のボックス席に前後を挟まれて
ご覧の本棚に囲まれたソファ席が2人掛け、1人掛け、1人掛けの計4席あります。
2号車のソファ席は指定席となっており座席番号が振られています。
おとめ28
「指宿のたまて箱」の特徴として、テーブルやカウンターのドリンクホルダーが
ご覧の様に深い受け皿が設けられてカップをしっかりホールドする構造となっている点です。
実際に走行中はペットボトルをそのまま立てておくと倒れるほどの揺れがありますので
必要性があって設けられたのでしょう。
おとめ29
そして鹿児島中央方の乗降デッキの先の妻側はキッズスペースとなっています。
海側には床が嵩上げされた子供用の小さなカウンター席が3席と
赤ちゃんを入れるベビーサークルが置かれています。
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キッズスペースの妻面の壁に掛けられた「指宿のたまて箱」のロゴ。
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貫通路の上には行灯型の行き先表示板がありますが、
「指宿のたまて箱」は3駅しか停まらないので表示はご覧の通りです。
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反対の山側はソファが置かれており、キッズスペースで遊ぶ子供を
親御さんが間近で見守りながら旅行を楽しめる空間となっています。
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鹿児島中央方の先頭部の運転台の様子です。
3両連結時にはご覧の様に中央の貫通路を通り抜ける事ができます。
おとめ39
運転台の操作盤をよく見ると「ミスト操作盤」と書かれた
到着時に玉手箱の霧を噴霧する操作盤があるのが見えます。
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こちらは鹿児島中央方から切り返して見た2号車車内の様子です。


「指宿のたまて箱」は通常は上の2両編成で運行されていますが、
土日祝日や多客繁忙期には予備車を増結した3両編成で運行がされます。
以下ではその予備車についても記したいと思います。

おとめ33
こちらが「指宿のたまて箱」の3両編成時の増結用予備車である
3号車のキハ140形2066です。

1980年(昭和55年)6月27日に新潟鐵工所でキハ40形2066として新造された車両で
長崎機関区に配属された後、直方気動車区、竹下気動車区と転籍をしています。

再び直方気動車区へと戻った後の1991年(平成5年)6月に機関換装がされて
車番がキハ140形2066へと改番。人吉鉄道事業部を経て
1995年(平成7年)に鹿児島運転所へと転籍をしています。

2004年(平成16年)に観光列車「はやとの風」へと改造がされて
ローカル線の普通列車から観光特急へと転進を果たしますが、
2年後には「はやとの風」に新たな車両が増備されて予備車扱いとなります。

2011年に「指宿のたまて箱」が誕生すると「はやとの風」と「指宿のたまて箱」の
共通の予備車両という扱いとなりますが、「指宿のたまて箱」が好調な為、
2012年(平成24年)3月に「指宿のたまて箱」の専用増備車としてリニューアル改造が行われます。
おとめ34
通常編成の2両が片運転台のキハ47形をベースとしているのに対して
こちらの3号車は両運転台であるキハ40形がベースとなっています。
また車両中央部付近に大きなガラス窓が設置されていて
他の2両とは若干外観のイメージが違う車両となっています。
おとめ35
車内の様子です。
元々「はやとの風」として作られた車内は1号車や2号車とは若干雰囲気の違いを感じます。
シートも「はやとの風」時代からの転用ですがモケットは「指宿の玉手箱」仕様へと変えられています。
指宿方には通路の左右に2席のボックス席が5列づつ置かれています。
おとめ36
車両中央部には山側にはソファ席が、海側にはカウンター席が設置されています。
カウンター席の椅子はベンチタイプの複数人掛けとなっており、
足元までの大きな窓の展望席となっています。
おとめ37
この中央部の展望席はフリースペースとなっており
座席番号は附番されていません。
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展望席から鹿児島中央方には2席のボックス席が通路左右に3列づつ。
おとめ41
そして鹿児島中央方の車端部の山側にはカウンターのある
車椅子対応スペースが設置されています。
おとめ42
その向かいの海側にはトイレが。
キハ40形がベースなので入口は通路側では無く妻側に設けられています。
おとめ43
鹿児島中央方の運転台。
おとめ45
切り返して見た車内客室の様子です。

おとめ47
最後に山側の黒く塗られた「指宿のたまて箱」の車体外観を。

【写真撮影:2021年1月】

でんこの元ネタ
■No.98 新鶴まふゆ(Niitsuru Mafuyu)
 ■タイプ:サポーター
 ■誕生日:11月1日

■出身駅: JR東日本 只見線 新鶴駅(福島)
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まふゆ02
こちらは県道221号新鶴停車場線の光景です。
「駅前」の標識がありますがこれはこの付近がかつて
「新鶴村大字新屋敷字駅前という地名だったからです。
まふゆ03
2005年(平成17年)に新鶴村が合併で会津美里町となった事で
「駅前」の地名は無くなっていますが標識はそのまま残っているものです。
まふゆ04
道の北側を見ると大きなエノキがあり雷神社という小さなお社が。
まふゆ05
お社の先を西へと進むと新鶴郵便局が見えてきます。
まふゆ06
さらに西へと進むと、郵便局からおよそ100m程で
道はつきあたり正面奥に駅前広場と駅舎が見えます。
まふゆ07
駅前の交差点付近の光景です。
この交差点が県道221号新鶴停車場線の起点となっています。
まふゆ08
そしてこちらが新鶴駅の駅舎の外観となります。
駅は1926年(大正15年)10月15日 に国鉄会津線の会津若松駅━会津坂下駅間の
開業によって設置されたもので、1942年(昭和17年)に只見線となり現在に至ります。
まふゆ09
【上写真:(上)会津高田駅(下)会津本郷駅】
駅舎は2000年(平成12年)に改築されたもので、
同じ只見線の会津高田駅や会津本郷駅の駅舎と同じデザインとなっています。
まふゆ10
駅前広場の様子です。建物の正面は全面が舗装されていますが、
舗装の状態から南側の駐車スペースはおそらく後から追加で舗装された様子です。
まふゆ11
広場の北側の半分は植え込みが作られており、
駐輪場と観光案内の地図、そしてトイレが設置されています。
まふゆ12
観光案内の大看板。地図はペンキで手書きで描かれています。
まふゆ13
その隣にある赤い壁のトイレの建物。
駅舎にはトイレはありませんのでこちらが駅のトイレとなります。
まふゆ14
そして広場を囲むように作られた駐輪場の屋根。

まふゆ15
こちらは駅舎の中の様子です。
ベンチの置かれたこじんまりとした待合室となっています。
まふゆ17
壁には新鶴駅の料金表や時刻表が。
まふゆ16
待合室脇のホーム寄りに置かれたきっぷの回収箱。
只見線は車内精算なので各駅に置かれています。
まふゆ23
ホーム側から見た駅舎と駅入口付近。
旧駅舎は木造の大きなものでしたのでかつての建物跡が舗装されています。
まふゆ18
ホームの様子です。
新鶴駅は単式ホーム1面1線の棒線駅となっています。
無人駅ですので駅員はいません。
まふゆ19
只見線は会津若松駅を出たあとは会津盆地の南縁を迂回してから
西の奥只見方面へと向かっています。
その為盆地西側の新鶴駅では北行が下り会津川口方面行き、
南行が上り会津若松方面行きとなります。
まふゆ20
こちらが南側の会津若松方の光景です。
まふゆ21
ホーム南端に設置されている旧式タイプの駅名標。
「福島県大沼郡新鶴村」の所在地表記がペンキで塗り消されていました。
まふゆ22
駅の西側は一面の田んぼが広がっているのですが、
線路に沿って防雪林があり風雪を防いでいます。
まふゆ26
こちらは西側から見た駅付近の様子です。

まふゆ24
そして現在のホームから線路の反対側を見ると
かつての線路の跡地と使われなくなったホームの遺構が残っています。
新鶴駅はかつては相対式2面2線の駅で列車交換が可能でした。
まふゆ25
また、ホーム南端から東側を見ると草に埋もれた敷地の反対側の
建物の際がプラットホーム状であるのが見えます。
草に埋もれているのはかつての新鶴駅の旧貨物引込み線跡で、
建物は現在のJA(農協)の倉庫です。

1971年(昭和46年)に貨物取り扱いが廃止される前には
新鶴米や木材などが貨物で出荷され肥料などを受け取っていたそうですから
農協の倉庫は旧貨物ヤードに建てられたのでしょう。

まふゆ27
駅を出て駅前へと戻ります。
まふゆ28
広場の案内板から駅付近の地図を。
まふゆ29
駅前のT字交差点を北へと進みます。
線路沿いのこちらの道は駅前商店街となっており
民家に混じって飲食店が数件並んでいます。
まふゆ30
駅前から80mほどの、桜肉の焼肉店の先には駐車場の入口があり
裏手はご覧の広い駐車場があります。この駐車場は駅前広場と接していて、
駅の駐輪場付近とつながっていて出入りができます。
まふゆ31
駐車場から50m、駅前からは120mほどでご覧の交差点がありますが、
ここから北は会津パールラインに合流する事となります。
まふゆ33
会津パールラインとは会津若松市の公設地方卸売市場へ農作物を運ぶ為に
会津柳津までの25kmにわたって整備された広域農道
です。
ちょうど新鶴駅の北側で只見線を越える為、ご覧の駅付近でクランク状に曲がっています。
まふゆ34
道幅が広げられたパールラインとなって北に進むと
100mほどでつきあたりとなります。
まふゆ35
パールラインは西へとつきあたりを曲がり
すぐに只見線の踏切を渡ることとなります。
まふゆ36
新鶴駅の会津川口方の北方にある柳津街道踏切。
まふゆ37
踏切から南の新鶴駅方面を見た光景です。
まふゆ38
脇には鉄道防雪林を示す杭があり、
線路の西側には一列に防雪林が並んでいました。

まふゆ39
駅前へと戻り、今度は南側へと進みます。
まふゆ40
新鶴駅の南側に隣接するJAのガソリンスタンド。
1986年(昭和61年)に新鶴駅が無人化された際には
このスタンドで切符販売の委託がされていたそうです。
まふゆ41
道を挟んでガソリンスタンドの反対側にある
JA会津よつば新鶴支店の建物。
まふゆ42
線路沿いに道を南へと下ると両脇にはJAの施設が並んでいます。
まふゆ43
合流するように線路の脇を併走する道路を南下すると
駅から200m強で只見線の踏切があります。
まふゆ44
JR只見線の立行事踏切。
まふゆ45
踏切から南へも道路は線路と併走しており、
400mほど南下をすると旧新鶴村役場の会津美里町新鶴庁舎があります。
まふゆ46
立行事踏切を渡った西側には田んぼが広がっており、
当地の新鶴温泉は直線距離で1.5kmほど南東に位置しています。

まふゆ47
余談ですが、新鶴駅では毎年12月初旬から1月初旬の約1ヶ月間
駅にイルミネーションが飾られています。
調べてみるともう10年近く行われている様子で、
毎年地元の商工会が飾りつけを行っているそうです。



■モデル車両: JR東日本 キハE120形気動車
まふゆ48



まふゆ49
E120形気動車は運用していたキハ58系およびキハ52形気動車の老朽化による
車両入れ替えを目的としてJR東日本新潟支社が新製導入をした車両で、
2008年(平成20年)11月1日に羽越本線、磐越西線、信越本線、米坂線で営業運転を開始しました。

車体には軽量ステンレスが用いられており、帯色のカラーリングには
福島・新潟・山形の3県境にまたがる飯豊連峰のブナ林をイメージしたオレンジ(    
米坂線の新潟・山形県境付近の荒川渓谷のナナカマドをイメージした赤(    が配色されていました。
まふゆ50
キハE120形をモチーフとした駅メモのでんこの新鶴まふゆの誕生日が11月1日に設定されていますが、
これはキハE120形が新潟支社で営業運転を開始した日が元と考えて良いでしょう。


新潟地区で運用されていたE120形ですが、2018年(平成30年)に新潟駅の高架化がされると
駅構内の列車自動停止装置(ATS)にATS-Pが採用設置された為、
ATS-Pの車載器を搭載していないE120形は新潟駅高架ホームに先頭車では入線できなくなりました
まふゆ51
【上写真:GV-E400系電気式気動車】
新潟支社管内の他の線区でもATS-Pの設置が進んだ結果
両端にキハ110系を連結した編成の中間車両として使われるなど
非常に使い勝手の悪い状況となり、また入れ替えの為に
GV-E400系電気式気動車が普及するなどしており
キハE120形の転属が噂される状況となっていました。
まふゆ52
そして2019年(令和元年)11月から2020年(令和2年)3月にかけて
新津運輸区所属のキハE120形の全8両が郡山総合車両センターへと回送。
只見線への転属となり、2020年3月14日のダイヤ改正で只見線での営業運転を開始しています。
まふゆ53
転属に際して車体のカラーリングに変更が成されており、
「只見川と残雪、冬の厳しさに負けじと萌える新緑の山々」というコンセプトで
上段が「冬の只見線」の白(    、中段には「新緑の森」をイメージした濃緑(    
下段には「只見川」のイメージの緑(    となっています。
新鶴まふゆの衣装のカラーリングを見ると只見線カラーが反映されているのがよく分かります。



こちらはキハE120形が新鶴駅へと入線する様子です。
それでは以下で車両について見てみたいと思います。

まふゆ54
こちらがキハE120形の車両の外観となります。
JR東日本に現在8両しか無い車両であり、全車両が只見線に所属しています。

片側に乗降扉が2ヵ所であり両車端部近くに設けられています。
運転台が車両の両端にある両運転台車であり、一両で運行が可能名単行車両となっています。
只見線での運用では主に2両または3両編成で運行されています。
まふゆ66
運転台の上にはご覧のアンテナが装備されています。
これはNTTdocomoの衛星電話であるワイドスターのアンテナで
只見線では一部区間で列車無線が通じない事から装備されています。
ですのでキハE120系でも只見線転用に際してアンテナが設置がされたものです。
まふゆ67
また新鶴まふゆのジャケットのボタンを見ると
キハE120形の前照灯と同じ形である事が分かります。
まふゆ68
乗降扉はユニバーサルデザインということで
内側も外側も注意を喚起する黄色に塗られています。
まふゆ58
車内の様子です。
こちらは会津若松方の車端部の様子です。
まふゆ59
只見線では複数車両が連結して編成する場合でも
トイレのある側が会津川口方になるように編成されている様子です。
まふゆ56
ゴミ箱の横にあるでっぱりは排気管のパイプスペースでしょうか。
反対側には5人掛けのロングシートが設置されています。
まふゆ57
中央部には片側に2人組みボックスシート、反対側には4人組みのボックスシートが
それぞれ5組づつ配置されています。
まふゆ55
会津川口方の車端部の様子です。
まふゆ60
こちら側にはご覧の車椅子対応トイレが設置されており、
反対側には車椅子やベビーカーが置けるフリースペースがあります。
まふゆ61
そして会津川口方の2人掛けロングシートと2人組みボックスシート1組みは
優先座席となっており座席モケットも色が濃くなっています。
まふゆ62
会津川口方から見た車内の様子です。
まふゆ63
パイプスペースの下には業務用と書かれたコンセントがありました。
まふゆ64
客室座席部の窓には紫外線カットと熱線吸収の機能を備えた
IR(赤外線)カットガラスが採用されています。
まふゆ65
また天井には車内を写す防犯カメラも設置されていました。
まふゆ69
連結部側で見た運転台付近の様子です。
まふゆ70
こちらは運転台の車掌側のスペース。


まふゆ71
只見線では期間限定でおもてなし企画が行われており、
会津柳津駅━会津川口駅間において土日祝日の日中の列車で
普通列車でありながら車内インフォメーションの放送や
ビューポイントでの徐行運転などを行っています。

地域コーディネーターが同乗して観光ポイントの開設を行っており、
ご覧のワゴンで地元特産品の車内販売も行っていました。
2019年度につづき2020年度も2月末まで行われていますが、
来年度も継続されるかは分かりませんので
是非とも期間内に乗車されてみることをお勧めします。

【写真撮影:2020年12月】

でんこの元ネタ
■No.97 安来あまね(Yasugi Amane)
 ■タイプ:アタッカー
 ■誕生日:7月21日

■出身駅: JR西日本 山陰本線 安来駅(島根)
あまね47


あまね48
こちらはJR西日本の山陰本線の安来駅の駅舎の外観です。
1908年(明治41年)4月に当時の官設鉄道が
米子駅から当駅まで延伸した事により開設されました。
開業した駅は島根県でもっとも東に位置する駅であり、
同年11月に松江駅まで延伸開業するおよそ7ヶ月の間は終着駅でもありました。

現在の駅舎は2008年(平成20年)に改築されたもので、
安来市の観光交流プラザ「アラエッサ♪YASUGI」との合築となっています。
ちなみに駅舎の建物はどじょうをモチーフとした形なのだそうです。
あまね49
駅舎の北側にはご覧のほぼ円形の駅前ロータリーがあります。
あまね50
ロータリーの中央部にはご覧の船のオブジェが。
これは北前船の帆船と港を照らす灯明台で、
古くは室町時代の歴史物語書「増鏡」に「出雲国やすぎの津」と記された
物流の要衝であるこの地を記念して2008年(平成20年)に安来市が建てたものです。
あまね61
この北前船のオブジェの目の前の土俵のような中央部はタクシープールとなっており
日中にはご覧の通りタクシーが待機をしています。
あまね51
そして二車線となっているロータリーの中央線をよく見ると
ご覧の通り白線がどじょうの形となっているのが分かります。
これはどじょう掬いの安来節発祥の地である当地にちなんだもので
街にはいたるところにどじょうや安来節にちなんだものがあふれています。
あまね52
駅舎の東側には「観光交流プラザ」の看板が掛かっていますが
その前のロータリー東側には駅舎からの軒が伸びており
一般車両の車寄せとなっています。
あまね53
ロータリー南側の駅舎に沿った部分はバス停となっており、
東の2番乗り場は足立美術館へのシャトルバスが発着しています。
あまね54
そして駅入口の目の前となる1番乗り場はイエローバスと呼ばれる
安来市広域生活バスの発着バス停となっていて
市内の主要観光地へと向かうことができます。
あまね55
駅前ロータリーの西側にはご覧の駅舎と同じ色の壁の建物がありますが
こちらは駅前の駐輪場の管理棟となっておりレンタサイクルもこちらで借りることができます。
あまね60
駅舎と管理棟との間には車の入れる道が伸びており、
その奥の線路沿いには安来駅のパーク&ライド駐車場があります。
あまね56
管理棟の裏手西側には駐輪場が。
あまね57
そして管理棟の目の前にあるのがこちらの「すくい愛」と題された
安来節のどじょう掬いの石像です。
あまね58
その「すくい愛」の像から歩道沿いを見ると
縁石に沿って一列に並ぶ石像があります。
あまね59
こちらは安来市のマスコットキャラクターの「あらエッサくんと安来どじょっこ隊」で
2004年(平成16年)に市が商標登録をしている公式のキャラクターです。
石碑の下部には安来節の歌詞が刻まれていますが、
一説には安来節の歌詞は千首以上が存在しているそうです。

あまね62
安来駅の駅前ロータリーは目の前を東西に走る国道9号線に面しています。
この国道は古くは山陰街道と呼ばれた街道であり、
安来は京都の三条大橋から数えて24番目の宿場町でした。
あまね63
駅前にあった駅周辺の地図。
山陰本線と国道9号がほぼ併走しているのが分かります。
あまね64
駅の前から東の米子方面への光景です。
かつてはこの付近で国道を横切って日立金属安来専用線という
貨物線が走っていたそうですが現在は廃止されて跡形もありません。
あまね65
かつての廃線跡付近から切返して安来駅方面へと西に戻ります。
あまね66
駅ロータリーと国道との接点の信号は
安来駅前交差点という名前がついています。
あまね67
こちらは駅前から西側の国道9号線の光景です。
あまね68
安来駅前から150mほど国道9号を西へと進んだ南側に
こちらの銅像と説明版の建てられた一角があります。
あまね69
語臣猪麻呂(かたりのおみいまろ)という像であることが
横の説明板に書かれており、安来の地名の由来と
伝統の神事「月の輪神事」について記されています。

「月の輪神事」は現在も「月の輪まつり」として行われており、
5000発の花火が打ち上げられ神事の山車が練り歩く4日間の盛大な祭りとなっています。
あまね70
そして像の後ろの南側の空き地は「御茶屋御殿」という
かつての安来宿の本陣跡であり、像の横に本陣の説明の看板も置かれていました。
あまね71
その像からさらに50mほど西に進むと日立坂下交差点の信号があります。
この交差点の先の西側がかつての安来の宿場町であり、
現在でも市役所があるなど安来の中心市街地となっています。
あまね73
日立坂下交差点から南を見るとご覧の通り坂となっています。
この道は日立坂下交差点を起点とする県道9号安来伯太日南線という県道で、
坂を上るとすぐに山陰本線を跨ぐ跨線橋を渡ります。
あまね74
跨線橋を渡った反対側には日立金属安来製作所の山手工場の正門があります。
工場は安来駅の南側一帯に広大な敷地を持っており
駅のホームからも工場を至近で見る事ができます。

元々江戸後期の山陰の鉄生産量は全国の8割を占めており
日本古来の製鉄法「たたら製鉄」で生産された鉄を積み出す安来港は大いに栄えたそうです。

明治時代になると大量生産のできる西洋の製鉄技術が普及。
量産のできないたたら製鉄は衰退することとなります。
そのような状況で山陰のたたら経営者たちが安来港の近くに作ったのが
「雲伯鉄鋼合資会社」であり現在の日立金属の前身にあたる会社となります。
あまね75
安来節と並んで安来のもう一つの顔である鉄鋼において
「YSSヤスキハガネ」のブランドを持つ日立金属は
まさしく安来のもう一つの顔と言え、安来の歴史とは切り離せません。

あまね76
日立坂下交差点から国道9号を東に戻って
再び安来駅前へと向かいます。
あまね77
安来駅前交差点から駅舎の正面を北へと向かう道路は
県道229号安来港線であり、安来駅前を起点として安来港へと連絡する県道です。
あまね78
港への県道を進むとすぐに左手にカーブを描いており、
信号の先の右手に公園のような植え込みがあります。
あまね79
公園の様に見えたのは港の岸壁の端で、
こちらが汽水湖の中海に設けられた安来港となります。
港の端から駅までは直線でおよそ200mという至近の距離にあります。


あまね80
駅舎へと戻り入口から中へと入ります。
あまね81
こちらが駅舎の中の様子です。
駅前から中へと入るとコンコースの反対側正面が改札となっており
脇には待合の椅子が並んでいます。
あまね82
改札脇に置かれた水槽の中にはどじょうが。
「安来市へまたどうじょ」と書かれています。
あまねa12
またロータリーから駅舎への入口のすぐ脇は自販機コーナーとなっていますが
ここにはかつて2015年(平成26年)までKioskが入っていました。
現在は売店は撤退した為ご覧の通り自販機が置かれています。
あまねa13
ですのでご覧の通り自販機コーナーの上にあるどじょうの絵の看板は
実はKioskの看板で、現在は張り紙でKioskの文字が隠されていました。
あまね83
こちらは駅舎の中の見取図です。
あまね84
駅コンコース脇のつづきのスペースは安来市の情報発信エリアとなっており
出雲周辺の観光情報が集積されています。
あまね85
57インチのモニターで安来市のインフォメーションを行うエリア。
あまね86
安来節演芸館の案内と「あらエッサくん」のフィギュア。
あまね87
いたる場所にも安来節があふれていて
テーブルも安来節のキャラクターになっています。
あまね88
そしてこの情報発信エリアの一角にあるのがこちらの窓口で、
安来市の観光案内所と市民行政サービスの窓口を兼ねています。
あまね89
観光案内所の前を抜けて東側の部屋へと進むと
特産品の物販コーナーとなっています。
奥には飲食の出来る地産地消の店もあります。
あまね90
この観光プラザと合築の駅舎は地元の木材を用いて建てられており、
「小屋組構造」という伝統的な建築方法で作られ中からその構造が見られる様になっています。

あまね91
改札を出てホーム側から見た駅舎の入口付近の様子です。
あまね92
こちらが駅舎のある1番線ホームの様子です。
駅のホームは単式1面と島式2面のいわゆる国鉄形の配置となっており、
単式の1番線は上り線の米子方面行きホームとなっています。
あまね93
ホームの東側の米子方の光景。
この安来駅を含む伯耆大山駅━西出雲駅間は1982年(昭和57年)に
山陰本線でも一番早く電化された区間となっています。
あまね94
2016年(平成28年)より山陰本線ではラインカラーが設定されており、
安来駅のある米子駅━益田駅間では朱色(    のラインカラーが設定されています。
これは「日本海と宍道湖の夕日」をイメージした色であり
駅名標も朱色となっています。
あまね95
また改札近くのベンチのある付近の駅舎の壁には
月山富田城や清水寺といった安来市の観光案内板が掛けられています。
あまね96
そしてさらに改札に近い場所には安来駅の観光名所の看板がありますが
こちらもあめつちの意匠がこらされた物となっていました。
あまね97
ホーム中央部付近には駅舎の本屋があり跨線橋の階段があります。
階段の裏手にも屋根がありベンチが置かれています。
あまね98
ホームの西側の出雲市方の光景です。
普通列車は1両から2両といった編成ですが、
近年は7両編成のサンライズ出雲なども停車するため
ホームの有効長はかなり長めとなっています。
あまね99
駅舎の壁は赤土色をしていますが、
これはたたら製鉄で栄えた安来の街が由来であり、
赤鉄鉱や褐鉄鉱で鉄を精錬したことが所以なのだそうです。
あまねa01
単式の1番線ホームと島式の2、3番線ホームとを連絡する
跨線橋の中の様子です。
あまねa02
島式ホーム側の階段の蹴込みにはあめつちのロゴマークが描かれています。
観光客を出迎える「ようこそ安来節とハガネの町へ」の看板が。
あまねa03
こちらが駅の南側のホームである島式の2、3番線ホームです。
一番南側の3番線が下り線の出雲市方面行きホームとなっています。
あまねa04
島式ホームの米子方の光景。
駅舎側の2番線は中線で上下線共通の待避線となっており
普通列車が特急列車の退避の際に使用されています。
あまねa14
ちなみに2番線に退避する普通列車は上りのみで
下り普通列車の2番線退避は現在設定されていないそうなのですが、
ご覧の通り「WEST EXPRESS 銀河」は下り列車でも2番線に停車していました。
あまねa15
また上りの「あめつち」も2番線に入線していましたので
停車時間の長い観光列車などは待避線へと入る運用の場合もある様子です。
あまねa05
島式ホームの中ほどには屋根の上屋が。
あまねa06
ホーム中央のベンチ付近にある「あめつち」の乗降場所を示す表示があります。
あまねa07
跨線橋階段の「あめつち」の意匠デザイン。
あまねa08
ホーム西端の出雲市方の跨線橋裏手の光景です。
あまねa09
階段前のホームにわざわざ架線柱があることから
上屋の屋根は電化以前からあったのであろうと推測ができます。
あまねa10
そして3番線の南側を見ると線路の向こう側一面が
日立金属安来工場(山手工場)の敷地となっているのが見えます。
あまねa11
3番線と工場との間の敷地が開いていることや
工場の駅側がプラットホームの形をしていることからも分かる通り
かつて1983年(昭和58年)まではここに引込み線があって
日立金属の工場で生産された鉄鉱を貨車に積み込んでいたのだそうです。



■モデル車両: JR西日本 キロ47形気動車「あめつち」
あまね01

「あめつち」はJR西日本米子支社が2018年(平成30年)7月1日から運行開始した観光列車です。
2018年7月から9月にかけて開催された「山陰デスティネーションキャンペーン」にあわせて企画されたもので
前年に運行を開始し話題となった「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」を受けて
「『瑞風』よりさらに手頃に、身近に感じられつつ山陰を満喫できる列車」として計画されました。

「あめつち」をモチーフとする駅メモのでんこの安来あまねの誕生日が7月1日に設定されていますが
これはあめつちの運行開始日が元ネタであると考えて良いでしょう。


あまね04
「あめつち」は漢字では「天」と「地」と書くそうで、主に山陰地方を舞台とする神話が書かれた
「古事記」の書き出し「天地(あめつち)の初発(はじめ)のとき」が列車名の由来となっています。
その為、ヘッドマークのエンブレムにもご覧の通り天と地をデザインして「天地」と書かれています。
あまね05
上、中、下巻の三巻からなる古事記の上巻は日本列島の発祥と形成という
いわゆる日本神話が書かれた巻です。書き出しの「天地初発」を言い換えると
「天地開闢(てんちかいびゃく)」となり、いわばこの世界のあまねく全ての始まりが書かれています
古事記が大元のネタ元と考えると、駅メモのでんこの安来あまねの「あまね」という名前は
考えるに恐らくこの「普遍的、すべてにわたって」という意味の「あまねく」が由来
なのでしょう。



あまね02
こちらは今も走っているキハ47形気動車です。
国鉄時代の1977年(昭和52年)から1982年(昭和57年)にかけておよそ800両が作られた
キハ40系気動車のうちの都市近郊形の片運転台の形式であり、
開発当時に赤字だった国鉄が全国の非電化路線の列車を置き換える為に作られた車体は
安価で丈夫な一方でスピードはそこそこという車両でした。
あまね07
製造から30年~40年が経過したキハ47形ですが、
国鉄時代の車両は質実剛健で壊れにくく、多くの車両が今も元気に現役となっています。
しかし時代が進み民営化などで赤字路線も淘汰され、
JRもやみくもに新車を作らず計画的な車両入れ替えを行った結果
多くのキハ40系の車両がだぶつく事となりました。
あまね06
【上写真:キハ47形を転用した観光列車】
そのだぶついたキハ40系の車両を生かすため、
近年JR各社で行われているのが「観光列車への転用」です。
余剰のキハを改造し観光列車とする事で客単価を上げ売り上げを伸ばすという手法で、
現在日本全国のJR各社で走るおよそ60種類以上の観光列車の9割が中古の改造車両なのだそうです。
あまね08
そして「あめつち」も元の車両は米子地区を走っていたキハ47形であり
製造からはおよそ40年近くが経過している車両です。
キハ40系車両は旧国鉄からJR西日本へ計257両が受け継がれましたが
2020年現在でも254両が在籍しておりJR西日本での残存率は99パーセントとなっています。

とはいえ近年は赤字削減の為に普通気動車の運用削減や運用効率化が行われており、
車体が重い為に加速が鈍く上り勾配のスピードも遅いキハ40系の車両は
まっ先に入れ替えの対象となっても不思議ではありません
「あめつち」へと改造がされた2両は非常に幸運な車両と言えるでしょう。


【上の動画はクリックで再生します。】
こちらは「あめつち」が実際に出雲市駅を発車をする動画となります。
あまね39
「あめつち」のコンセプトは「ネイティブ・ジャパニース」であり、
神社、お酒、歌舞伎、相撲といった日本文化の様々なルーツが山陰地方にはある事から
島根出身の映画監督の錦織良成氏の総合ディレクションによって
山陰地方ならではの「古くて新しい日本」を発見する旅を演出しているそうです。
あまね03
「あめつち」の車体には前面部正面と上部、車体側面に計6個のエンブレムがあります。
これは出雲市の吉川製作所で作成されたもので、
列車のエンブレムとしては珍しいアルミニウムを素材に採用
着色では耐久性の高いアルマイト処理が行われ耐久性が上げられています。

エンブレムのデザインは先にも述べた様に
日本神話と出雲の自然を表現した立体のもので
「太陽」「神々」「白ウサギ」といったモチーフが用いられています。
あまね10
また車体の側面は上が山陰の美しい空と海をイメージした紺碧色(    
下が山陰地方で栄えた「たたら製鉄」で作られた日本刀の波紋をイメージして
銀色の地に黒と灰色のグラデーションとなっています。
あまね11
「あめつち」の車内の両端の運転席の壁にはご覧の通り
車体側面外装のグラデーションの原画が展示されています。
これはスタジオジブリの美術監督である松江出身の吉田昇氏の手によるもので
山陰地方の山並みを描いた原画であり、
連なることでまるで日本刀の波紋の様に見える
というものです。

アニメの背景美術ではカメラを横に振るPAN(パン)というカメラワークの為に
かなりの横長の絵を描く必要が多々あります。
部分を切り取っても一枚の絵となり、それが連続してつながっている絵を描く技術は
アニメーション美術ならではの技量
と言えるでしょう。


あまね14
それでは以下で、「あめつち」を編成する車両を個々に見てみたいと思います。

あまね09
こちらが二両編成の出雲市方となる1号車のキロ47-7006です。

元の種車は国鉄時代の1982年(昭和57年)6月11日に富士重工で作られ
向日町運転所に配置されたキハ47形-192です。
1990年(平成2年)に米子運転所へ転属となった後に
JR西日本鷹取工場での座席ロングシート化改修によって改番となり
1994年(平成6年)にキハ47形-2010となっています。
あまね12
そして2018年(平成30年)に米子のJR西日本後藤総合車両所にて
観光列車への改造が行われ現在のキロ47形-7006へと再度改番がされています。
全席グリーン席の観光列車の気動車なので車番はキ(気動車)ロ(グリーン車)となっています。
あまね13
乗降扉は連結部に近い鳥取方に片側一ヶ所のみとなります。
改造前のキハ47形では片側二ヶ所の乗降扉がありましたが、
観光列車化によって出雲市方の扉は潰されています。
あまね21
1号車の乗降デッキ付近の様子です。
外装のエンブレムに関する説明板はこちらのドア横に設けられていました。
あまね35
乗降デッキと客室との衝立部分には出雲の地の織物が展示されています。
こちらは1号車山側の出雲織。
あまね36
同じく1号車の海側の衝立には安来織が展示されています。
あまね15
こちらが1号車の車内の様子です。
海側の両端の座席はカウンター席となっていて窓外が眺望できる様になっており、
山側と海側中央部はボックス席でそれぞれテーブルが設けられています。
あまね16
運転台側から見た客室内の様子。
1号車は合計29席となっています。
あまね17
乗降デッキと連結部との間は多目的トイレと女性専用トイレ、
洗面台と業務用の荷物棚が設置されています。
あまね18
連結部手前にある洗面台です。
手洗い鉢には鳥取県岩美町の岩井窯で焼かれた鉢が使われており
ここでも山陰の工芸品が用いられています。
あまね20
反対側のトイレの様子です。
室内の壁には客室内と同じ青の和風の壁紙(クロス)が貼られています。
あまね19
荷物棚は業務用のもので、車内アテンダントの使うカートや
車内で供される物品などを置くスペースとなっていました。
あまね22
客室のテーブルやカウンターには市松柄の陶器が埋め込まれています。
これは日本三大瓦の一つに数えられる山陰名産の石州瓦であり、
鉄分の少ない白陶土に出雲地方で採れる来待石を釉薬にすることで
水の浸透が少なく強い赤褐色の瓦となっています。
あまね23
天井の照明にはご覧の通り色鮮やかなシェード(覆い)がつけられています。
こちらは鳥取県東部にあたる因幡名産の手すき和紙である
因州和紙が使われています。
あまね24
そして1号車の窓の間の壁にはこちらの木のオブジェがあります。
こちらは隔絶された自然環境から独特の生態系を持つ島根県隠岐の島で
主に島の東部に自生している隠岐の黒松を使った木細工です。


あまね25
こちらの車両は「あめつち」の鳥取駅側に編成される2号車のキロ47-7005です。

こちらは大元は1981年(昭和56年)8月4日に新潟鐵工所で作られ
岡山運転所に配置されたキハ47形-1115となります。
1992年(平成4年)に米子運転所へ転属となった後に
後藤車両所にて1996年(平成8年)ロングシート化改造がされて
キハ47形-3016へ改番されました。
あまね26
そして「あめつち」の車両へと選定されて後藤総合車両所にて改造が行われ
2018年(平成30年)にキロ47形-7005へと再度改番となりました。
あまね27
ですので車両端に取り付けられた銘板には「日本国有鉄道」と一緒に
「新潟鐵工所 昭和56年」と書かれています。
あまね28
2号車の乗降扉です。
この車両も元は片側2扉だった車両が改造されて
連結部側の乗降扉のみが残された形となっています。
あまね29
乗降デッキから出雲市方の連結部側には物販カウンターがあり、
その反対側に窓辺のサブカウンターとなっています。
あまね30
そのサブカウンターの奥の車端部妻側の壁には
こちらの神楽衣裳が額装されて展示されています。
この衣裳は島根県西部(石見地方)で受け継がれる石見神楽のもので、
室町時代から続くといわれる石見神楽は2019年(令和元年)には日本遺産に指定されています。
あまね33
また物販カウンターの奥に掛かっているのれんは「西尾絞り」で、
鳥取県佐治市で工房を開く絞り染作家の西尾正道氏のオリジナル手法の絞りとなります。
あまね37
乗降デッキと客室との間の衝立には2号車にも織物が展示されています。
こちらは2号車海側の倉吉絣。
あまね38
2号車山側の衝立には鳥取県境港市の弓ヶ浜に伝わる
弓浜絣が展示されていました。
あまね31
2号車の客室内の様子です。
こちらの車両も海側両端にカウンター席が設けられており、
山側は1列×1席のテーブルつきボックス席、
海側中央は2列×2席のボックス席となっています。
あまね32
切返して運転台側から見た客室内の光景です。
こちらの2号車は計30席となっています。
あまね34
窓の間の壁に掛けられている智頭杉の木工オブジェ。
鳥取県智頭町は全国的にも名高い杉の名産地で
「杉のまち」として林業の盛んな土地となっています。


あまね40
近年の観光列車では停車駅にも観光列車用のデザインをあしらう例が多くあります。
「あめつち」の場合も同様で、こちらは出発駅となる鳥取駅の様子です。
改札にもあめつちの意匠があしらわれており、改札正面の階段にもあめつちが描かれています。
あまね41
鳥取駅改札前のコンコースに置かれた「あめつち」の顔出し看板。
柱の反対側にもあめつちの立て看板が置かれています。
あまね42
改札内の階段コンコースの柱にもあめつちの意匠が。
あまね43
ホーム上でも階段の袖壁にあめつちが描かれていました。

あまね44
こちらは折り返しの終点となる出雲市駅のホームです。
あめつちの乗降に使う階段にご覧の通り意匠があしらわれています。

あまね45
列車は鳥取駅━出雲市駅間の154.3kmを片道およそ4時間をかけて運行しています。
山陰本線の普通列車の時速は95km/hなのだそうですが、
あめつちはこれを下回る80km/hでの運行となります。

土日を中心とした運行で全席グリーン車指定席となっており
乗車券としての18きっぷの使用はできません。
あまね46
「あめつち」の車内ではいわゆるカートによる車内販売はありません。
物販カウンターでお菓子や飲料などを買うことはできますが、
弁当などは事前予約による販売のみとなっています。
これは恐らく料理の内容が注文販売でないと提供できないからだと思われ、
当日に車内で予約無しで買うことはできません。


【写真撮影:2020年11月】

でんこの元ネタ
■No.96 荻窪アヤ(Ogikubo Aya)
 ■タイプ:サポーター
 ■誕生日:2月23日

■出身駅: 東京メトロ 丸ノ内線 荻窪駅(東京)
アヤ01


アヤ31
こちらはJR荻窪駅の北口の光景です。
駅ビルであるルミネ荻窪が大きくそびえていますが、
1963年(昭和38年)に駅東側に南北地下自由通路が設けられており、
駅設備としては自由通路の北側の地上出入口のみとなっています。

荻窪駅は1891年(明治24年)に甲武鉄道の駅として開業しており、
1906年(明治39年)に国有化された後は中央線の駅として現在に至っています。
アヤ32
荻窪駅北口の前にはご覧の駅前ロータリーが設けられています。
この北口のロータリーは杉並区の再開発事業によって
2011年(平成23年)に整備が完了したものです。
アヤa04
こちらは北口駅前付近の地図です。
ご覧の通り駅と青梅街道との間に駅前広場が設けられており、
バス停やタクシーの乗降場、一般車両の車寄せが置かれています。
アヤ58
荻窪駅北口ロータリーに接しているこちらは青梅街道の光景です。
アヤ59
駅から東側の青梅街道は400m先の天沼陸橋でJRの線路を跨いでいます。
かつてはこの道路を市電が走っていたそうです。
アヤ72
荻窪駅の北口界隈は戦後に闇市が立った場所で、
市のそばに出来た数軒のラーメン屋が後の荻窪ラーメンへと発展します。
その為現在でも青梅街道沿いのこの付近には何軒かのラーメン屋が並んでいます。
アヤ69
天沼陸橋側からみた駅方面の青梅街道の様子です。
陸橋の西側の信号の交差点は荻窪駅前入口交差点という名前の交差点となります。
アヤa01
荻窪駅前入口交差点付近の地図。
右上が荻窪駅のある場所となります。
アヤ70
交差点から南の線路側へは一方通行の道路が延びています。
アヤ71
道が線路に突き当たった場所にご覧の荻窪地下道の地上出入口があります。
1966年(昭和41年)までこの場所には通称大踏切と呼ばれる踏切がありました。
踏切の廃止に伴って線路の南北を連絡する為に作られたのがこの地下道です。
アヤ73
地下道の中の様子です。
壁に無数の傷があるのは「はつり」と言ってタイルや煉瓦を
コンクリート壁から削り取った際にできる跡です。
所々に残るモルタルの跡からもかつての地下道の壁がタイル張りであったことが分かります。
アヤ74
地下道の入口から駅方面へと続く一方通行路。
かつてはこの道が青梅街道の旧道だったのだそうです。
アヤ84
その旧道から駅北口ロータリーへの出口付近。
アヤ85
ロータリーの反対側には交番がありますが、
この交番の南側の道も青梅街道の旧道であり
この先で現在の青梅街道と旧道が合流をしています。
北口駅前の道路が若干不自然な形に見えるのは旧道の付け替えがあったからなのです。
アヤa02
こちらは荻窪駅北口の地図に青梅街道の旧道を書き込んだものです。

アヤ34
北口の地上出口の東隣りに設けられている歩行者の広場は
再開発前には民間の建物が並んでいた場所でした。
アヤ35
この広場の線路沿いに「荻窪の荻」が植えられています。
当地にある「萩寺」こと光明院の萩が荻窪の地名の由来ですが、
都市化により荻窪の自生の萩はほぼ消滅。この萩を後世へと残そうと
1965年(昭和40年)に荻窪の萩の保存会が生まれました。
その保存会が自生の萩を株分けして移植した最初の場所がこの荻窪駅の線路脇なのです。
アヤa37
こちらがその「萩寺」こと光明院です。
JR荻窪駅から西の高尾方へ400mほどの環八と交わる付近の
北側線路沿いに荻窪の名前の由来となった寺があります。

アヤ36
こちらは荻窪駅の北口の入口付近の様子です。
南北自由通路の地上出口なのでご覧の通り階段があります。
アヤ37
階段を下ると自由通路の北側にJRの改札、
南側に東京メトロの改札があります。
アヤ38
北側のJR荻窪駅の東改札前付近の光景です。
改札の向かいには自動券売機があり、その横にはみどりの窓口もあります。
アヤ39
自由通路を南へと進み東京メトロ側へ。
アヤ40
こちらが自由通路南側の東京メトロ側の改札前の光景です。
自動券売機と自動改札、有人の窓口が設けられています。
アヤ41
メトロ側の改札前付近の見取り図。
アヤ50
改札の向かい側にある階段は駅の南口へと通じています。
アヤ51
そしてこちらが荻窪駅の南口の地上出入口の外観です。
アヤ52
地上出入口からの階段は南北自由通路の南端の
東京メトロの改札の目の前へと通じています。
アヤ75
南口地上出入口前の道路を挟んだ向かい側にあるこちらは
南口b地上出入口となります。
アヤ78
南口bの階段を下ると地下の南北自由通路の南端へ。
アヤ76
メトロ改札前の自由通路側から見た南口bの階段です。
アヤ77
そして南口bの地上出入口の西側すぐにあるこちらが
エレベータの地上出口となります。
アヤ53
この南口の目の前にある道路は「南口駅前通り」という区道で、
東側へ進んだ先で青梅街道と合流しています。
アヤa03
南口周辺の地図。
アヤ79
駅前通りを南口から150mほど進んだ東の
荻窪四丁目交差点にある荻窪地下道の南側出入口です。
アヤ80
地下道の出入口は交差点の両側に設けられています。
アヤ81
南側からの荻窪地下道の様子。
こちら側もタイルを剥がした跡が残っています。
アヤ86
こちらは地下道が通っている付近の線路の光景です。
ここにかつての荻窪大踏切があり、青梅街道の旧道が線路を渡って通っていた場所です。
アヤ82
さらに駅前通りを東へと進んだ天沼陸橋交差点の信号で
ご覧の通り青梅街道と合流しています。
この地下道の南の出入口からこの青梅街道に合流するまでの道が
かつての青梅街道の旧道でした。開かずの踏切解消の為の
天沼陸橋の落成による青梅街道の付け替えは1955年(昭和30年)のことでした。

アヤ54
駅前通りの区道は駅の西側で環状八号線と交わっており、
2005年(平成17年)に道幅拡張が行われています。
しかし依然として交通量が多いことから環八から駅南口の先までの600mほどは
現在でも車両は一方通行となっています。
アヤ55
南口の出入口の目の前付近の区道の光景です。
アヤ56
この付近が駅改札のある南北自由通路の南端付近の真上となります。
アヤ57
南口の西側すぐには交番があり、
その先には線路に沿って南口のバス停があります。

アヤ60
南口の地上出口を下って再び地下の自由通路へ。
アヤ42
こちらが東京メトロ丸ノ内線荻窪駅のJR荻窪駅方面改札です。
この地下鉄の荻窪駅は1962年(昭和37年)1月に営団地下鉄荻窪線の延伸によって開設されたもので、
1972年(昭和47年)に丸ノ内線に編入されて現在に至っています。
アヤ43
横には出口専用の改札機が。
アヤ83
JR荻窪駅方面改札の改札内の様子です。
こちらは駅の西端に位置する改札なので
正面にホームへと下る階段があります。
アヤ99
階段を下ってメトロのホームへ。


アヤ44
東京メトロ丸ノ内線の荻窪駅ホームの様子です。
島式ホーム1面2線となっており、終点駅なのでどちらのホームも
池袋方面行きとなっています。
アヤ45
駅ホームはホームドアが設置されていますが
これは丸ノ内線全線ホームドア化によって2006年(平成18年)に設置されたものです。
アヤ46
ホームの中央部にはベンチが設けられています。
終点駅で日中は折り返しの電車が待っている事が多い駅ですが
なぜかホームのベンチで佇む人は意外と多い様子です。
アヤ47
島式ホームの西寄りにはエレベーターが、東寄りには売店が置かれており、
その間のホーム中央部にご覧のベンチは置かれています。
アヤ48
ホーム東端の階段にはエスカレーターが設置されていますが
こちらは1999年(平成11年)に設置されたものです。
アヤ49
1日におよそ9万人が乗り降りするホームは
ご覧の通りラッシュ時を想定してか広めに作られています。

アヤ87
一旦ホームの西端に戻り、西口方面への階段を登ります。
アヤ88
東側と比べて小さめですが、階段を上りきると
有人窓口のある改札前のスペースがあります。
アヤ89
改札の外に出た、東京メトロ荻窪駅の西改札改札前の光景です。
自動券売機の置かれた改札前からは通路は折り返すように
改札脇へと続いています。
アヤ90
折り返した通路にはすぐに地上へと出られる階段があり、
階段脇には同じく地上へのエレベーターへと続く通路があります。
アヤ91
壁にある西改札付近の見取図です。
アヤ92
上へと階段を上ると途中の踊り場にビルへの入口があります。
アヤ93
折り返してさらに上ると地上への出口が。
アヤ94
こちらが東京メトロの西口の地上出入口の外観です。
JRの線路も南側の駅前通りの区道へと通じています。

アヤ95
西改札の改札階へと戻り、地上出口への階段の前を過ぎて
通路を奥へと進みます。
アヤ96
こちらは西改札付近にある見取り図ですが、
改札裏から東の方向へと通路が延びているのが分かります。
アヤ97
地下連絡通路の様子です。
西改札側から東に向かっての光景です。
途中にご覧の自動改札機のある入口があります。
アヤ98
この連絡通路の途中にある改札が
東京メトロ荻窪駅のエレベーター専用改札口です。
車椅子などのバリアフリーを目的として設けられており、
直接エレベーターでホーム階へと下ることができます。
アヤa05
エレベーター改札を過ぎて通路をさらに西へ。
アヤa06
自販機やコインロッカーが見えてきた付近で
ご覧の駅の事務室の入口があります。
アヤa07
その先を進むとすぐに西側の改札に。
この通りメトロの東西の改札は連絡通路で結ばれています。

アヤa08
メトロの連絡通路から東の南北地下自由通路へと戻ったので
左手の南へと自由通路を進みます。
アヤ61
荻窪駅にはメトロの丸ノ内線の他にJRの荻窪駅も設けられており、
一般的には荻窪駅と言えばJRの駅の事を指しますが、
こちらは南北自由通路に面しているJR荻窪駅の東改札の様子です。
アヤ62
東改札の内側の様子。
この通り東側は地下駅の造りの駅となっています。
アヤ63
改札の奥は左右への連絡コンコースとなっており
二つのホームへの階段が左右それぞれに設けられています。
アヤ64
左の南側にある1、2番線ホームへの階段。
アヤ65
こちらがJR荻窪駅の1、2番線ホームの様子です。
JRの駅は島式ホーム2面4線となっており、
こちらは中央総武線の各駅停車用ホームとなっています。
アヤa12
1番線が西行きの三鷹方面行きホーム、
そして2番線が東行きの新宿・千葉方面行きホームとなります。
JR中央線には東京メトロ東西線が三鷹まで直通乗り入れをしており、
荻窪駅から東西線直通の列車はご覧の通り2番線に停まる事となります。
アヤ66
ホームの東側付近の様子です。
乗降客の多い駅だけにホームの幅は広めに作られています。
アヤ67
JR中央線は現行で10両編成の為、荻窪駅のホーム有効長も10両分となっています。
ホームの中央付近にはセンターにベンチが置かれていますが、
ラッシュ時の安全の為なのかベンチの左右には自販機がガードの様に置かれています。
アヤ68
ホームの西側付近の光景です。
西端には跨線橋へと上る階段があります。

アヤa09
階段を上り跨線橋の上へ。
JR荻窪駅の西改札は橋上駅舎の造りとなっています。
アヤa10
基本的に連絡通路である跨線橋に作られた改札なので
ご覧の通り改札内のホームを連絡する通路はあまり広くはありません。
アヤa11
跨線橋の北側にある3、4番線ホームへと下る階段。
アヤa13
こちらがJR荻窪駅3、4番線ホームの様子となります。
中央線快速列車の上下線が停まるホームです。
アヤa14
ホームの西端側付近の光景。
アヤa15
こちらのホームも中央部付近にはベンチが置かれています。
中にはご覧の様なデザインされているベンチも。
アヤa16
東側へと進むと地下の改札へと通じる階段があり、
その先にはホームの東端の新宿方が見えてきます。
アヤa17
中央線快速ホーム東端部付近の光景。
アヤa18
こちらの島式ホームは東端側だけ少々狭くなっているのが
中央部付近の幅と見比べると分かります。
アヤa19
一番乗降客が多く見られるホーム中央部付近。

アヤa20
跨線橋の上へと戻り西改札へと戻ります。
アヤa21
こちらが西改札の改札外の様子です。
外側も跨線橋上の通路が南北を連絡しています。
アヤa22
南側の跨線橋上通路の様子です。
JR荻窪駅の三鷹方となる西側出口は南北にそれぞれ出入口があります。
しかしJRではこの三鷹方の出口には特に名前をつけておらず、
一般的には北も南も「西口」と呼称
されています。
アヤa23
地図を見ると分かりますが南端は駅前通りの区道の上を跨ぐ跨道橋となっており、
道路の南北に入口が設けられています。
アヤa24
橋上から見た南側の駅前通りの光景です。
アヤa25
こちらが区道北側の、東に位置する跨線橋の階段です。
階段入口の軒にはJR荻窪駅の表記がされています。
アヤa26
区道北側の、こちらは西側の階段出口です。
環八方面へと向かう場合はこちらからとなります。
アヤa27
そして区道を跨いだ反対側にも下へと降りる階段が。
アヤa28
こちらは区道南側の地上出口となります。
ご覧の通り東京メトロの荻窪駅の西口出口と並んで作られています。


アヤa29
西改札から右手の北側は自動券売機が並ぶスペースがあり、
その外側はペデストリアンデッキへと接続をしています。
アヤa30
こちらは西口北側のペデストリアンデッキに設けられた広場部分。
荻窪駅北側に建っているタウンセブン外周へと接続しています。
アヤa31
改札前のデッキから地上へと降りる階段。
階段下の軒には駅名標が掲げられています。
アヤa32
出口からは40mほどのカーブをした道があり
荻窪白山通りの商店街の道へと連絡しています。
アヤa33
こちらは白山通り商店街の荻窪駅西口付近の光景です。
アヤa34
白山通りを右手の北方へと曲がると90mほどで青梅街道へと出ます。
歩道橋がある場所は青梅街道の旧道と現道がちょうど交わる付近となります。



■モデル車両: 東京メトロ2000系電車
アヤ02


アヤ03
【上写真:営団02系】
丸ノ内線では1988年(昭和63年)からご覧の02系電車が運用されてきましたが、
30年以上の経年による老朽化のほか、今後に丸ノ内線に導入予定の
CBTC(無線式列車制御システム)に02系では対応できないなどの理由から
新型車両の新造が行われる事となりました。
アヤ04
こうして新たに作られたのが丸ノ内線2000系であり、
2020年の東京五輪に向けて開発が進められ2018年(平成30年)に試作の第01編成が完成。
試運転を重ねた後に2019年(平成31年)2月23日より営業運転を開始しています。
アヤ05
駅メモのでんこである荻窪アヤの誕生日が2月23日に設定されていますが、
これは元ネタ車両の2000系が丸ノ内線で営業運転を開始した日が元と見て良いでしょう。
アヤa35
【上写真:地下鉄博物館に保存される営団300系301号車】
車体の色は「世界有数の大都市“TOKYO”に活気を与える
インパクトのある形状や四季に映える色」
として
丸ノ内線開業当時に走っていた300形電車の車体色を再現した
鮮やかなグローイング・スカーレット(    が用いられています。
アヤ07
車体の横には白いラインが入っており、サインウェーブが描かれていますが、
これは丸ノ内線開業当時の300系に描かれていた文様で
以降代々の丸ノ内線電車に描かれていたものです。
荻窪アヤの髪のスカーフのデザインがサインウェーブであるのは
丸ノ内線由来であるが故と言えるでしょう。
アヤ16
また丸ノ内線は軌間が1435mmの標準軌であり、
集電方式も第三軌条集電方式を採用しています。
これは東京メトロでは銀座線と二番目の丸ノ内線のみの方式です。
日本で最初の地下鉄である銀座線では
「トンネルの断面積を小さくできる」という理由から第三軌条が採用されており、
続いた丸ノ内線もこれに倣ったものです。
ですので丸ノ内線の車両にパンタグラフはありません


【上動画はクリックで再生します。】
こちらは丸ノ内線2000系の駅発車シーンの動画です。
それでは以下で編成の各車両について見てみたいと思います。

アヤ08
荻窪方の一両目となる1号車の2100形です。
編成略記号ではCMC(制御車)M(動力車)となり
運転台とモーターのある制御動力車となります。
アヤ17
こちらは1号車の客室内の様子です。
3ドアの通勤形車両で座席はロングシートとなります。
アヤ18
車両の連結部側である池袋方の車端はご覧の通り優先座席となっています。
黄色と黒のグラデーションの座席モケットの他、
車椅子やベビーカー用のフリースペースが設けられています。
そしてこの2000系車両では地下鉄車両では初めてとなるコンセントが設置
モバイル機器の充電ができる様になっています。
アヤ19
また連結部の貫通扉は全面ガラスで視認性を良くしていますが、
衝突防止の為に丸ノ内線の路線図を元として
沿線名所のアイコンイラストを配置したデザインが描かれています。
アヤ20
通常座席の座席モケットは赤と黒のグラデーションで、
客室の内壁は薄いピンク色となっています。
アヤ21
そして荻窪アヤの衣装のベルトからはアクセサリーが下がっていますが
この小物は車内のつり革がモチーフであることが並べてみると良く分かります。


アヤ09
続いて荻窪方二両目の2号車2200形です。
編成略記号でM1となりM(動力車)となります。
アヤ22
客室内の様子です。2000系の内装は「丸」ノ内線だからでしょうか、
丸を意識したデザインとなっています。
アヤ23
ロングシートの車内は両端部の座席が優先座席となっており
つり革と座席の握り棒が黄色くなっています。


アヤ10
荻窪方の三両目の3号車となる2300形です。
編成略記号ではM2で中間電動車となります。
アヤ24
3ドアのロングシート車両であるのは他の車両と同様です。
両車端の座席が優先座席で、荻窪方が4席ロングシート、
池袋方が2席ロングシートとフリースペースとなります。
アヤ25
こちらは池袋方の優先座席です。
アヤ26
中間車両は基本的には内装は同じ作りとなっており、
天井の室内灯はLEDが用いられて省電力化されています。


アヤ11
4号車となる池袋方の三両目の2400形です。
車両動力を搭載している編成略記号M3の中間電動車です。
アヤ27
ご覧の通りロングシート車両であるのは他と同様です。
アヤ28
丸ノ内線2000系の中間車両客車はそれぞれ定員137名となっており、
座席数は44席が設けられています。


アヤ12
次は池袋方の二両目の5号車2500形です。
編成略記号M4でこの車両も中間電動車の客車車両となります。
アヤ29
こちらも中間車両客車なので3ドアロングシート車となります。
アヤ30
袖仕切り板や貫通扉などで使われているガラスは強化ガラスが使われています。


アヤ13
最後は池袋方の先頭車両の6号車の2000形となります。
アヤ14
1号車と同じく先頭車両車である6号車は
ロングシート車両ですが座席数が36席で定員122名と
中間車両に比べて若干定員が少なくなっています。
アヤ15
他の車両は全て池袋方に車椅子スペースが設けられていますが、
この6号車は池袋方先頭車両で運転台がある為
車椅子スペースは唯一荻窪方へと設置されています。


アヤa36
ご覧の通り丸ノ内線2000系は非常にスタイリッシュなデザインの電車であり、
モチーフとした駅メモのでんこの外観も非常にスタイリッシュな印象となっています。
都内に来れば比較的容易に乗る事が可能な車両ですので
是非一度乗って確かめてみてはいかがでしょうか。

【写真撮影:2020年10月】

でんこの元ネタ
■No.14 美深ふぶ(Bifuka Fubu)
 ■タイプ:サポーター
 ■誕生日:3月11日

■出身駅: JR北海道 宗谷本線 美深駅(北海道)
ふぶ01


ふぶ28
美深駅は1911年(明治44年)に官設鉄道天塩線が延伸開業した際に設置されました。
開業時の駅所在地名は「下名寄村字ピウカ」だった為、
漢字を当てはめて開業当初は美深(ぴうか)駅でした。
地名はは天塩川の砂利川原を指す
アイヌ語の「ピウカ(piwka)」(石の多い場所)に由来するのだそうです。
ふぶ29
駅は1949年(昭和24年)に国鉄に移管されており、1951年(昭和26年)に
駅名の読みが「ぴうか」から「びふか」に変更
されています。
ふぶ45
ご覧の現在の駅舎は1987年(昭和62年)に美深町によって
「美深町交通ターミナル」として建てられたもので
駅舎としての機能の他に観光協会も設置されて案内所が設けられています。
ふぶ46
そして駅舎の上にそびえる塔は「美幸の鐘」であり、
フランス製の鐘の下がる鐘楼となっています。
駅舎改築の際に作られ名称を町民から公募した結果、
美深駅からかつて分岐していた美幸線を記念した名前となりました。
ふぶ30
駅の西側にはご覧の駅前広場が接しています。
広場は舗装されたフラットなものですが、中央部に駐車スペースが区画されており
外周を動線とした駅前ロータリーの役割を果たしています。
ふぶ31
広場の南側にある観光案内地図。
地図の看板の後ろの広場南側には「ふれあい公園」が設けられています。
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公園の一番駅舎に近い一角にある銅像。
台座に「西尾六七氏之像」と書かれており美深出身の北海道議長さんだそうです。
西尾氏は美深町の6代目町長でもあり在任中に美幸線の敷設に尽力をされた方なのだそうです。
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ふれあい公園の中の様子です。大きな噴水広場などもあり、
JRの線路にそってご覧の広い公園が町によって整備されています。
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こちらは駅前広場の北西角にある民営の旅館。
入口が広場側に面して作られています。
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駅前広場に接した南北方向には町道が走っています。
北側はかつての農業倉庫である赤レンガ倉庫が並んでおり
北海道では良く見る駅前の光景となっています。
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反対の南側は町によって区画が整理されており、
公園の反対側は住宅地となっています。

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そして駅舎の正面から西に向かっては
ご覧の駅前通りが延びています。
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この通りは道道680号班渓美深停車場線として道道に指定されており
美深駅前がその道道の終点となっています。
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道道自体は12kmほどありますが、美深駅前から国道40号までの300mほどが
停車場線として国道と駅との連絡の役割を果たしています。
国道側が美深の中心市街地であり、停車場線の両側には商店が並んでいます。
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こちらは国道40号と停車場線の交わる大通北一丁目交差点です。
旭川と稚内を結ぶこの国道沿いが美深町の中心市街となります。
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大通北一丁目交差点から北側の稚内方への光景。
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同じく交差点の南側の旭川方の光景です。
ちなみにこの交差点から350mほど南には日本最北のセブンイレブンがあります。
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そしてこの交差点から駅を背に西へと進むと
200mほどで美深町役場があります。

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国道から停車場線を、一旦駅舎の方向に東へと戻ります。
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こちらは美深駅の駅舎の入口です。
特別豪雪地帯に指定されている地域ですので入口には風除室が。
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駅舎の中の待合室の様子です。
鉄筋の建物なので中の床はタイル張りでベンチが置かれています。
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入口脇の観光案内所と物産コーナーは営業時間が
9時から16時半となっています。
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ホームへの出入り口の前の券売窓口は美深町へと委託されており
こちらも営業時間は16時半までとなっています。
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そしてこちらは待合室にある「美幸線資料館」と書かれた階段です。
上へと登ると観光協会の事務室がありました。
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事務室の向かいには「交通記念第2展示室」と書かれた部屋が。
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部屋の中には国鉄美幸線の資料が陳列展示されていました。

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ホーム側から見た駅舎の入口です。
ドアの上には木製の駅名標が掲げられています。
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こちらが駅舎側の1番線ホームです。駅は相対式ホーム2面2線となっており
こちらの1番線は稚内方面行きの下り線となります。
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1番線ホーム南端の外側に見えるふれあい公園。
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旭川方のホーム南端の先には除雪車の保管庫、安全側線があり、
その先に美深駅の交換設備としてのポイントがあります。
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ホーム側の駅舎の外観。
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1番線の北側には駅舎があり、北端に跨線橋の階段があります。
美深駅のホームは千鳥式の配置となっていますが、
これはタブレット交換時代の名残りでしょうか。
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跨線橋の様子です。
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橋上から見た駅構内の俯瞰。
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反対側の2番線ホームへと下る階段です。
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こちらが2番線ホームの様子です。
旭川方面行きの上り線ホームとなります。
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2番線ホームの中ほどには東側の駅の外へと通じる道があり、
途中には駐輪場も置かれています。
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ホームからの通路は駅東側の町道へと通じています。
元々美深は林業と製材が盛んな町であり、美幸線が駅の南側から東へと伸びていた頃には
この駅東側の空き地は以前は一面に製材所が立ち並んだ場所でした。
かつては製材を積み下ろしする専用の貨物引込み線もあったそうなのですが
今では製材所はほぼ全て廃業しておりご覧の跡地の更地が広がっています。
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ホーム北側の稚内方の光景です。
特急停車駅でもあるのでホームは長めに作られています。
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宗谷本線の普通列車はワンマン運転なので
跨線橋に近いホームには上屋の屋根が設けられています。
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2番線のホーム南端付近です。
跨線橋の柱があり、南側には駅舎や1番線が見えます。



■モデル車両: JR北海道 キハ261系基本番台「宗谷」
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キハ261系はJR北海道が地方幹線区用の特急車両として開発した車両であり、
宗谷本線の特急列車に用いるために1998年(平成10年)より導入が開始されました。
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2000年(平成12年)3月11日に特急「スーパー宗谷」として運行を開始した際には
試作車4両と量産車8両の計12両が投入され、
2001年(平成13年)に増結用2両が作られて基本番台としては計14両となっています。
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駅メモのでんこである美深ふぶの誕生日が3月11日に設定されていますが
これはキハ261系がスーパー宗谷として運行を開始した日が元ネタ
で間違い無いでしょう。

【上動画はクリックで再生します。】
こちらはキハ261系の発車の様子です。


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まずは稚内方の先頭車両である1号車のキロハ261形200番台です。
キ(気動車)ロ(グリーン車)ハ(普通車)となり稚内方の半室がグリーン席の車両となります。
編成略記号ではMcsとなりM(動力車)c(制御車)s(グリーン車)となりますので
運転台とエンジンのある車両の意味となります。
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1号車は乗降扉が車両の前後に二つあり、
こちらは運転台後方の稚内方の乗降デッキの様子です。
運転台への通路には黄色いロープが張られています。
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稚内方の半室のグリーン席の様子です。
2+1席のシートが3列あり系9席がグリーン席となっています。

デンマーク国鉄との共同デザインによって作られた座席は
大元の設計はキハ281系「スーパー北斗」のグリーン席をベースとしていますが
濃い青の革張りとなっており、肘掛けは木製となっています。
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こちらは1号車中央部のデッキの様子です。
稚内方のグリーン席の半室と後方の指定席の半室を繋ぐデッキで
両側に業務用室がある他、ご覧の腰椅子のあるスペースがあります。
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そして1号車の札幌方半室の普通客室の様子です。
特急宗谷として運行の際には指定席となる座席で2+2席×7列の計28席があり
座席モケットは青色となっています。
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1号車札幌方車端の乗降デッキです。
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このデッキは1号車部分は乗降デッキのみとなっていますが
連結部を挟んだ2号車側の洋式トイレと洗面所のあるデッキと
直結して一体となっています。


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つづいて稚内方の二両目となる2号車のキハ260形200番台です。
キ(気動車)ハ(普通車)で中間車両として編成される普通車車両です。
編成略記号ではM2となりM(動力車)ですのでディーゼルエンジンを搭載しています。

特急宗谷の車両は基本的に2両で1ユニットとなります。
札幌方先頭車を含むユニットと稚内方先頭車を含むユニットを組み合わせた4両が基本編成となり、
SE(Soya Express)を冠した編成番号が附番されます。

M1車を含むユニットを「SE-100(番台)編成」、
M2車を含むユニットを「SE-200(番台)編成」と表記し、
稚内方の200番台の2両のユニットは後者のSE-200番台編成となります。
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2号車の客室内の様子です。
普通客室でシートモケットは赤色となっており、
2+2席×15列で計60席となります。
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札幌方の車端には乗降デッキがあります。
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3号車側には通路の脇に業務用室があって
奥は連結部となり自動扉が設けられています。


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こちらは札幌方二両目の3号車キハ260形100番台です。
キ(気動車)ハ(普通車)で中間車両の客車であるのは2号車と同様で、
編成略記号ではM1となりM(気動車)でエンジン搭載の客車となります。

3号車と4号車は100番台の車両なのでSE-100番台編成となります。
多客時には特急宗谷が6両に増結されることがありますが、
その場合には基本的にグリーン席半室が無いSE-100番台のユニットが増結されます。
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稚内方の車端には両側に乗務員用の扉があります。
中は片側が車掌の乗務する乗務員室となります。
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そして乗務員室の通路の反対側はご覧の通り
開放型の車掌台となっています。
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3号車の客室内の様子で、グリーンのシートモケットの座席が
2+2席×13列設置されています。札幌方最前列の座席は
1席が車椅子専用シートとなっていて2+1席となりますので
3号車の座席数は計51席となります。
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こちらは車椅子専用座席はご覧の通りです。
JRの他の特急車両と同様に着席時に座席が回転できるなど
車椅子の乗客に対応した作りとなっています。
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札幌方の車端には乗降扉があり、乗降デッキには車椅子対応トイレが設置されています。
多くの特急の車椅子対応トイレは通路側に扉が設けられていますが
この車両では進行方向側に扉があるのが特徴と言えるでしょう。
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トイレ脇には通路があり、連結部へとクランク状に連絡をしています。


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そして札幌方の先頭車両となるキハ261形100番台です。
キ(気動車)ハ(普通車)でエンジン搭載の普通車であり、
編成略記号ではMcM(動力車)c(制御車)であるように運転台のある車両となります。
かつては先頭の貫通扉に自動幌装置がありましたが2017年(平成28年)に撤去されています。
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4号車の稚内方車端の乗降デッキです。
乗り降りのスペースのみのデッキとなっています。
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客室内の様子です。4号車は先頭車両ですが、
同じ先頭車両の1号車とは違って全室が普通客席の車両となっています。
座席モケットは青色で、2+2席×14列の計56席となります。
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札幌方の乗降扉とデッキの様子です。
運転台のすぐ後方に位置するデッキとなります。
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デッキから運転台への通路。
ロープが張られており一般乗客は立ち入りができません。


【写真撮影:2020年8月ほか】

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