でんこの元ネタ

でんこの元ネタ
■No.50 豊栄なほ(Toyosaka Naho)
 ■タイプ:ディフェンダー
 ■誕生日:9月28日

■出身駅: JR白新線 豊栄駅(新潟)
なほ01
この駅は1952年(昭和27年)12月23日に白新線の駅として開業しており、
当初の駅名は「葛塚駅(くずつかえき)」という名前でした。
これは駅の所在地の自治体が当時は新潟県北蒲原郡区葛塚町であったことからです。

その後葛塚町が周辺2村と合併して1955年(昭和30年)3月31日に豊栄町となっており、
1970年(昭和45年)に豊栄市として市制施行がされ、
葛塚駅の名称も1976年(昭和51年)4月1日には「豊栄駅」に改称されています。

その後豊栄市は2005年(平成17年)3月に新潟市に編入合併となって
現在は新潟市の一部となっています。
なほ02
こちらが豊栄駅の駅構内の様子。
この駅には単式ホーム1面1線、島式ホーム1面2線の計3線のホームがあります。
まずは南側にある島式の2番線と3番線の光景を。
なほ03
島式ホームの東端、新潟方面側です。
こちらのホームは2番線が9両分の有効長があるのに対して
3番線は4両分しかありません。
ですので2番線ホームは後から長さを足した様子で
3番線の端が切り欠いた様になっていました。
なほ04
上から構内を見下ろしてみると様子がよく分かります。
一番左が3番線で右へ2、1番線となっています。
1番線と2番線がそれぞれ本線として使用されており、
3番線は豊栄駅折り返しの普通列車や貨物列車の退避に使われています。
なほ05
同じく島式ホームの、こちらは西端の新発田方面側。
やはり3番線が屋根のある部分まででカットされているのが分かります。
なほ06
島式ホームの新潟側から見た豊栄駅の跨線橋。
この駅は橋上駅舎となっていて、
2006年(平成18年)3月25日に旧駅舎を全面改築して供用されています。
なほ07
こちらは単式ホームの1番線。
駅の南側にあるホームですが、旧豊栄市の市街地は駅の南側にあり
かつてはこの駅も南口しか無かったそうです。
なほ08
単式の1番線の西の新発田方面側にあった貨物の施設。
引込み線があって、どうやら貨車へとあおり板を渡して
荷物を積み込む施設の様です。
現在は使われていないのでしょうが、新潟県内の他の駅でも見かけました。 なほ09
こちらは駅の南口から見た駅舎の光景です。
元々あった駅前はこちら側ですが、
2006年(平成18年)の駅舎改築後に駅前ロータリーも整備されたそうです。
なほ10
南口の駅前の光景です。
なほ16
南口の広場の右手を見ると、
ホーム沿いの場所に何やら列車の車輪が見えます。
なほ17
近づいてみるとSLの動輪でした。
なほ18
D51の動輪の横には「歓天喜地」と書かれた石碑がありました。
こちらは白新線開通を記念して建立された石碑のようです。
なほ11
こちらの駅は橋上駅舎ですので、
跨線橋が東西駅前を繋ぐ自由通路となっていて
自転車も通行可能だそうです。
自由通路の中央部には駅の改札が。
なほ12
こちらは駅の北口から見た駅舎の様子です。
なほ14
駅の北側には元々出口はありませんでしたが、
1970年代以降に急激に宅地開発が進んで人口が増えた地域でもあります。
ですのでご覧の通り、駅前からは住宅地が広がっています。
なほ13
改築後に整備された駅前広場にも、立派な駐輪場が設置されていました。
なほ15
こちらは北口にもありましたが、
駅舎の壁に取り付けられている鳥のレリーフです。
これは国の天然記念物であるカモ科の渡り鳥であるオオヒシクイであり、
豊栄駅最寄の福島潟が日本一のオオヒシクイの越冬地であることから
駅舎の壁にあしらわれています。
なほ19
改札を入った内側の駅舎内の光景です。
橋上駅舎なので跨線橋の上にご覧の施設が設けられています。
なほ20
きらきらうえつの最初の停車駅でもあるので
リゾート列車のアピールに余念の無い豊栄駅。
なほ21
こちらは改札横にある駅の待合室なのですが。
なほ22
待合室の右の壁に何やら小窓があります。
なほ23
駅の改札外の自由通路の、改札脇に売店としてコンビニが設置されているのですが
この小窓はなんと売店の買い物が待合室内からもできるという。
芸というか小技が利いています。

【※以上写真撮影:2017年1月】


■モデル車両: JR東日本E653系
なほ24
【写真:2016年1月豊栄駅にて撮影】
元々は常磐線の特急ひたちとして走っていた485系列車の
老朽置換えの為に開発された列車だそうで、
1997年(平成9年)に1次車、1998年に2次車、2005年2月に3次車が製造され
おもに「フレッシュひたち」としてこのE653系列車は走っていたそうです。

その後2012年3月ダイヤ改正でE657系電車(勿来メイのモデル列車)
上野駅━いわき駅間の「スーパーひたち」「フレッシュひたち」として
投入される事が決定。
E653系はそれまで特急の定期運用が行われていなかった
いわき━仙台間に新設される特急列車に転用される予定となります。

ところが2011年3月の東日本大震災によって
ご存知の通りいわき━仙台間の常磐線は寸断されてしまいこの計画は頓挫。
2012年9月に羽越本線特急いなほで運用される485系の置換えとして
このE653系が投入される事が発表されました。
なほ25
【写真:2016年1月新潟駅にて撮影】
羽越本線へと転用されるE653系1000番台は郡山総合車両センターで
仕様変更改造が実施されて特急いなほへと変身。
現在のいなほのカラーリングもここで実施されたもので、
「日本海に沈む夕日に輝く波とあかね空をゆるやかな曲線で表現」
しているそうです。
なほ26
普通車の座席は新潟を代表する織物「小千谷ちぢみ」をモチーフにしているとか。
なほ27
グリーン車の方はご覧の感じで
一列ごとに間仕切りが設けられ、またフリースペースも設置されていました。
なほ28
でんこ的に重要なパンタグラフも一枚。
なほ29
こうして「フレッシュひたち」から「いなほ」へと生まれ変わった列車は
2013年(平成25年)9月28日のダイヤ改正で「いなほ7号・8号」として
正式に羽越本線での定期運用を開始
しています。
豊栄なほの誕生日が9月28日に設定されていますが、
これはこのE653系1000番台の「特急いなほ」としての羽越本線デビューの日付
です。



元々は常磐線を走っていた「豊栄なほ」が、
「勿来メイ」と交代をして常磐線から羽越本線へと転属となり、
現在は「象潟いろは」や「粟生津しいら」などと一緒に日本海沿岸を走っている訳です。
このあたりは駅メモ的に元ネタを調べるとなかなか面白い話かと。


では。

でんこの元ネタ
■No.51: 敷島ヒメギ(Shikishima Himegi)
 ■タイプ:サポーター
 ■誕生日:8月28日

■出身駅: JR上越線 敷島駅(群馬)
ヒメギ04
1924年(大正13年)3月31日に開業した駅で、
駅名はこの地域が旧敷島村であったことに由来します。
上越線a01
ホームは単式1面1線と島式1面2線の計3線があります。
上越線a02
こちらが跨線橋で連絡している島式ホーム。
駅舎側の中央のホームは旅客使用されておらず、
フェンスで区画がされています。
ですので番線表示もこちらは一番外側が2番線とされており、
実質的に単式2面2線の駅となっています。
上越線a03
ホーム側から見た駅舎の入口。
上越線a04
こちらが駅舎の外観です。
元々は古い木像の駅舎だったそうですが、目の前の県道の整備に伴って
2003年(平成15年)よりご覧のモダンな駅舎となっています。
上越線a05
駅舎の中の様子。
新駅舎が出来た当時は有人駅でしたが、新駅舎供用から1年ほどで無人駅となり
駅務の窓口はご覧の通りピカピカのまま使用されていません。
上越線a06
そして駅メモ的に特筆すべきなのがこちらの待合室のベンチです。
この駅は2016年12月に追加されたでんこの「敷島ヒメギ」の由来駅です。
名前の「ヒメギ」はこのベンチの背に彫られているヒメギフチョウ」からと言われており、
こちらがその蝶の彫り物です。
上越線a07
こちらがそのヒメギフチョウで、敷島駅が生息地の最寄りであることから
ベンチにこの蝶があしらわれた様子です。

なんでも専門家が見るとベンチの蝶はヒメギフチョウと違うんだそうですが、
別に図鑑の図案じゃないのでそこに突っ込む必要無いと思うんですけどね。
せっかく善意でベンチに意匠をあしらってくれたというのに。
度し難い見本の様な話だと思います…

ヒメギ01
駅近辺には商店などは数えるほどしかありませんが、
そのうちの一つが駅前交差点の駅舎の眼前にある赤城田舎まんじゅうの荒井商店。
隣には昔ながらの薬局がありました。
ヒメギ02
そして駅の並びにあるのがこちらのスーパー田子。
食料品を買えそうなところは駅前ではこちらくらいかと…。
コンビニとかは近くには見当たりませんでしたし。
ヒメギ03
あとはご覧の、群馬銀行とヤクルトの販売店くらいしか。
【※以上写真撮影:2016年12月】


■モデル車両: JR東日本(旧国鉄)C61-20
ヒメギ05
国鉄C61形蒸気機関車は計33両が製造された車両であり、
1947年(昭和22年)から1949年(昭和24年)にかけて作られた蒸気機関車です。
当時余剰ぎみだった貨物用機関車のD51形などのボイラーを流用し、
旅客用に転用改造をして戦後の旅客需要急増に対応をしました。

C61-20は1949年(昭和24年)8月1日に
三菱重工業三原製作所にて製造番号 659として完成。
青森機関区、仙台機関区などに所属をして
特急「はつかり」や「はくつる」などの牽引を担当していました。

東北本線や奥羽本線の電化が進んで活躍の場を失ったC61-20は
1971年(昭和46年)に宮崎機関区に配転。
9月19日より運用を開始し、急行「日南51号」から貨物列車までを牽引して稼動したものの
1973年(昭和48年)8月28日に廃車となりました。
敷島ヒメギの誕生日が8月28日に設定されていますが、
これはC61-20の国鉄時代に廃車日が元になっていると思われます



廃車後のC61-20は他のC61の様に解体はされず、
群馬県伊勢崎市へと無償譲渡され、
伊勢崎市の華蔵寺公園遊園地で静態保存されました。


そして21世紀となり、国鉄も民営化してJRとなりましたが
JR東日本でのSLイベント運転の需要が高まって
新たな稼動可能なSLを全国で探した結果、
華蔵寺公園のC61-20が保存状態が良好である事が分かり
2009年12月に正式に復元が発表されました。


大宮総合車両センターで復元工事の行われたC61-20は
2011年(平成23年)3月31日付けで車籍復帰。
所属先となる高崎車両センターへ回送されたC61-20は
2011年(平成23年)6月4日に上越線の高崎発水上行きの
「快速SL C61 復活号」で営業運転を再開しています。
廃車になってから復活まで、その間38年でした。


ヒメギ29
ヒメギの元ネタ車両に関しては現在のところ諸説あります。
「でんこ(D)のNo.51」だからD51-498ななのではないか、との説もあります。
帽子に付いている照明に副灯がある点も、D51-498にも2015年に副灯が増設されて
現在は2灯となっていますし。
ただ、当初から髪飾りの形が
C61-20の煙突室のハッチのハンドルの形と一緒と言われており、
D51-498ののものとは形が違うので、
この点から元ネタ車両はC61-20だと言われています。


ヒメギ06
という訳で、現在C61-20のメインの職場である「SLみなかみ号」です。
敷島駅のあるJR上越線を走っています。
ヒメギ07
SLが発車する2番線ホームは、
エスカレーターからしてご覧の通りSL仕様に飾られています。
ヒメギ08
高崎駅2番線ホームもご覧の通りで、
自販機までSLラッピングになっています。
ヒメギ09
ホームの案内板にも「SL」の表示が。
ヒメギ10
高崎駅2番線ホームにC61-20が入線してきました。
ヒメギ11
高崎駅ホームでは単なる撮影会状態に。
まあそうなるでしょうね。


ヒメギ12
高崎駅を出発したSLみなかみ号は新前橋駅停車後、
次の渋川駅で30分ほど停車をします。
ヒメギ13
当然ながら渋川駅でも撮影会状態に。
ヒメギ14
渋川駅駅舎の反対側から撮ったC61-20です。
ヒメギ15
真上からはなかなか見る機会が無いと思って
跨道橋の上からも一枚。


ヒメギ16
沼田駅、後閑駅と停車をしたC61-20は
この列車の終着の水上駅の2番線ホームへと入線します。
ヒメギ17
客車切り離しを終えて発車をするC61-20。
ヒメギ18
この後上りでの運転を控えている為、
転車台へと向かって行きます。
それにしてもSLと雪景色は似合いすぎです。

ヒメギ20
この水上駅にはかつて水上機関区があって敷地と引込み線がありました。
その一角に転車台と蒸気機関車を留置する引込み線を設け、
下り列車到着から上り列車発車までの間、蒸気機関車を見学できる様に
「転車台広場」という広場が作られています。
ヒメギ19
転車台で方向を転換するC61-20。
ヒメギ21
方向転換を終えてバックしていくC61-20。
ヒメギ22
こちらがSLの転車台です。
ヒメギ23
水上駅でのSL留置線に入るC61-20。
ヒメギ25
およそ3時間近くこの留置線で停車するので
その為の準備をしている様子です。
ヒメギ26
めったに無い機会なので資料を兼ねて、
留置中のC61-20の全身をそれぞれアップで撮っておきました。

ヒメギ27
そして帰りの上り運行の出発時刻の迫る
水上駅1番線ホーム。
転車台で転換したC61-20が客車に連結する為には
一旦ここを通過していくと思って待ち構えていると。

案の定やってきましたので
動画で走る姿を撮影してみました。
スマホでの撮影なので画質等をご容赦を。

戻ってきたC61-20が客車と連結する様子も動画で撮ったのですが、
スマホの自動露出では雪が基準になって暗くなってしまいました…
まあ汽笛など雰囲気を味わうと思って下さい。
ヒメギ28
一応客車の方も撮っておきました。
【※以上写真等撮影:2017年1月】

でんこの元ネタ
■No.49: 勿来メイ(Nakoso Mei)
 ■タイプ:ディフェンダー
 ■誕生日:現在不明

■出身駅: JR常磐線 勿来駅(福島)
メイ01
1897年(明治30年)2月25日に開業した駅で、
常磐線の下り列車で福島県内に入って最初の駅です。
単式ホーム2面2線の駅で、業務委託駅として駅務員が常駐しています。
メイ02
こちらは東京方面行きの上り1番線ホーム。
メイ03
2番線ホームとはご覧の跨線橋で連絡しており、
またホームには「勿来の関」の最寄りである事を示す立看板が設置されています。
メイ04
こちらがその看板のアップ。
平安時代に奥州平定などで活躍をした、源頼朝や足利尊氏の祖でもある
「八幡太郎」こと源義家の読んだ和歌、
「吹く風を勿来の関と思へども道もせに散る山桜かな」(千載和歌集)
が記されています。
メイ05
こちらは2番線ホーム。
メイ06
2番線ホームの外側には、かつて貨物線として使われていた
何本もの留置線が残っていますが、
2006年(平成18年)にこの駅での貨物扱いが終了して以来不要となっており
ご覧の通り撤去作業が進められていました。
メイ08
駅舎の外観です。
2013年(平成25年)3月18日にリニューアル工事が竣工し、
勿来の関所をイメージしたゲートが入口に立てられるなどしています。
また東北の駅百選に選出されている駅でもあります。
メイ09
駅前広場にも源義家の銅像と関所をイメージしたオブジェがあります。

この勿来駅から南に2kmほどのところに「勿来の関」の跡があって
勿来の関公園として整備されているそうです。
「勿来」という言葉は漢文として読むと「来る勿れ」、
つまり「来るんじゃないぞ」という意味
となります。

平安時代より和歌の歌枕(定番の題材)の一つとされて
数多くの和歌で勿来の関が詠まれています。

いわきの勿来の関については江戸時代に藩が整備したのが始まりの観光地ですが、
考古学的な発掘調査を根拠とした所在地の推定は勿来の関所については現在確定しておらず、
つまり、実は今を以てどこにあったか、現存したのかも分かりません
【※以上写真撮影:2016年12月】


■モデル車両: JR東日本E657系
メイ07
こちらは勝田駅に停車するE657系列車。
いわゆる常磐線の特急「スーパーひたち」「フレッシュひたち」として運用されている車両です。


メイ10
E657系は2012年(平成24年)3月3日に臨時特急「復興いわきフラガール号」として
上野━いわき間を運行したのが営業運転デビューとなります。

そして直後の2012年(平成24年)3月17日実施のダイヤ改正によって
それまでの651系やE653系の置き換えとして常磐線に投入され、
特急「スーパーひたち」「フレッシュひたち」となって運用を開始しました。

その後2015年(平成27年)3月14日のダイヤ改正では
上野東京ラインの開業に伴って常磐線特急が品川駅まで乗り入れを開始。
これに伴って特急「スーパーひたち」「フレッシュひたち」の名称は
速達タイプの列車が「ひたち」、停車タイプの列車が「ときわ」に改称されました。

勿来メイの誕生日が3月14日と発表されていますが、
E657系で3月14日に関係するのは2015年のこの出来事くらいですので
誕生日の由来はこの特急ひたちの品川乗り入れによる改称が由縁と思われます



車両のカラーリングは赤みを帯びた白をベースに窓部分に黒を、
窓下に紅梅色の帯を配して「白梅・赤梅」を表現しているそうです。

ちなみにこの時置き換えられたE657系は改造が加えられて秋田へ転属。
羽越本線特急「いなほ」として転用されています。
この特急「いなほ」は2016年11月に追加されたでんこ「豊栄なほ」のモデルの車両です。
つまり駅メモ的に現うと、元々常磐線を走っていた「豊栄なほ」が「勿来メイ」と交代。
「豊栄なほ」は常磐線から羽越本線へと転属になった、ということ
です。


また追加の情報があれば書き加えます。
では。

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