でんこの元ネタ

でんこの元ネタ
■No.60 倶利伽羅しおり(Kurikara Shiori)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:3月14日

■出身駅: IRいしかわ鉄道 倶利伽羅駅(石川)
しおり01


しおり02
こちらが倶利伽羅駅の駅舎の外観となります。
駅は1908年(明治41年)に官設鉄道北陸線の倶利伽羅信号所として設置されたもので、
翌年の1909年(明治42年)に旅客駅へと昇格して倶利伽羅駅となりました。
駅舎の建物は1907年(明治40年)築とのことですので信号場時代からのものとなります。

その後国鉄、JRの北陸本線の駅として営業をしてきましたが、
2015年(平成27年)の北陸新幹線金沢延伸開業によって
JR北陸本線の直江津駅━金沢駅間が第三セクター化。
石川県内がIRいしかわ鉄道となり倶利伽羅駅もその所属となりました。
しおり03
駅前の様子です。
数件の家はあるものの山間の集落に作られた駅の周囲は
どちらかというと閑散とした印象です。
しおり04
駅舎入口の脇にある昔ながらの赤ポスト。
しおり05
建物の中の様子です。
こじんまりとした待合室の脇には木製のベンチが置かれており、
自動券売機とICOCAチャージ機、飲料の自販機などが置かれています。
改札の真ん中には簡易ICOCA改札機が。
しおり07
入口脇には無料貸し出しの傘の傘立てがありました。
しおり06
その傘立ての横の小さなテーブルには駅スタンプが。
図案は倶利伽羅古戦場の火牛でした。
しおり08
待合室に貼られていた倶利伽羅不動寺の案内です。
「倶利伽羅」の地名の由来である寺であり、
サンスクリット語で「黒い龍」が倶利伽羅の意味であることが書かれています。
しおり09
こちらは倶利伽羅駅の時刻表。
改札脇に掲示されていました。

しおり10
駅構内側から見た駅舎の改札付近です。
しおり11
改札脇の軒下にはベンチが置かれ、
その奥には倶利伽羅の火牛のオブジェが置かれていました。
しおり12
牛の前の壁にあった倶利伽羅駅の観光案内板です。
しおり13
こちらは構内側の駅舎前付近の様子です。
駅舎からは跨線橋でホームへと連絡しているのですが、
ご覧の通り結構な距離で離れており連絡通路が延びています。
しおり14
これは北陸本線の旧線がご覧のように駅舎の目の前を走っていた為で、
元々駅舎は線路に隣接して建てられたものだったからです。
1955年(昭和30年)に新しいトンネルが開通して線路も新線へと付け替えられた為、
ホームの位置も北西へと移動したという訳です。
しおり15
そして駅舎の東側、ホームからは南側にはご覧の広い駅の敷地があります。
かつての北陸本線の旧線の倶利伽羅駅━石動駅間は急勾配の難所で、
後押し用専用の蒸気機関車が峠越えの為に駅に待機していたそうです。
その為の敷地や旧線、そして旧ホーム跡などがこの敷地にありました。
しおり16
広場の一隅の線路沿いにある火牛の像です。
台座の銘板によると津幡町の観光協会によって
1986年(昭和61年)に建てられたものだそうです。
しおり17
火牛の反対側の広場の道路沿いにはこちらの大看板が。
倶利伽羅の合戦の錦絵が描かれたこの看板は、駅のホームに降りた人が
最初に目にする位置に建てられています。
しおり18
改札前に戻り、こちらは跨線橋の駅舎側の階段です。
この駅の階段には階段アートが施されています。
駅舎側の上段が倶利伽羅峠の八重桜、下段が源氏太鼓の図案となっています。
しおり19
こちらが跨線橋の中の様子です。
しおり20
ホーム側の階段にも階段アートが施されており、
倶利伽羅峠の戦いで戦った両家の家紋、
上段が平維盛の「丸に揚羽蝶」、下段が木曽義仲の「笹竜胆」となっています。
しおり21
ホームの様子です。
島式ホーム1面2線となっており、上下線ともに外側に側線も設けられています。
しおり22
この倶利伽羅駅はあいの風とやま鉄道とIRいしかわ鉄道の境界駅となっており、
南側の1番線がIRいしかわ鉄道の金沢方面行き、
反対側の2番線があいの風とやま鉄道の富山方面行きホームとなっています。
しおり23
ホーム上には富山方にご覧の建屋が、
金沢方には跨線橋前に上屋の屋根があります。
しおり24
屋根の下には風除けのガラスを備えたベンチがあります。
しおり25
跨線橋から金沢方の南西にも多少ホームは伸びていましたが
途中で立ち入り禁止の柵が設けられていました。

しおり26
駅舎の前へと戻って線路沿いに左手の北東富山方へ。
進むとすぐに東側の広場の大看板の前へと出ます。
大看板の錦絵の裏側は倶利伽羅峠付近の観光案内図でした。
しおり27
案内図の大看板の前を過ぎてさらに北東の富山方へ。
序々に道路は下り坂となります。
しおり28
坂から南側に見える道は県道286号刈安安楽寺線で国道8号線の旧道にあたります。
1991年(平成3年)にくりからバイパスが開通するまで国道だった道路であり、
鉄道と併走するように走っています。
しおり29
さらに坂を下ると途中に線路側への道が分かれており、
ご覧の煉瓦造りの跨道橋があります。
駅舎からはおよそ90mほどに位置しているこちらは
国鉄北陸本線の旧線の遺構となります。
しおり30
手前の煉瓦作りの部分が明治に開通した旧線の橋となります。
かつてはこの橋の上を線路が走っていました。
しおり31
煉瓦の橋の北側の奥にあるこちらが現在上を鉄道が走っている橋となります。
「広畑函渠」と書かれたこの橋は1954年3月築と記されています。
北陸本線が新線に付け替えられたのが1955年(昭和30年)ですから
作られた年月はきちんと符合しています。
しおり32
橋を北側から見ると、ちょうど真上に倶利伽羅駅ホームの建屋が見えます。
つまりこの橋は駅ホームの真下に架かっているということが分かります。
しおり33
上で位置関係を類推するとおおよそご覧の様になります。

しおり34
駅舎へと戻って西側の目の前を見ると電話ボックスとバス停があります。
しおり35
その隣、駅舎の南西にはご覧の駅駐車場がひろがっています。
しおり36
駐車場前からさらに西へと進むとご覧の跨線橋が見えてきます。
しおり37
この橋は倶利伽羅駅跨線橋という橋で、
名前のとおり旧北陸本線のIRいしかわ鉄道の線路を跨いでいます。
しおり48
1994年(平成6年)に架けられた様ですので、
JR西日本の時代に架けられた橋ということになります。
しおり38
跨線橋から見た、駅のある富山方の光景。
しおり39
同じく金沢方の俯瞰です。
しおり40
跨線橋を渡ると北側にすぐ、今度は跨道橋があります。
こちらは国道8号線くりからバイパスを跨いでいる橋です。
駅の北側裏手を鉄道と併走するバイパスは、
かつての北陸本線のトンネルを拡張し道路転用した倶利伽羅トンネルへと続いています。
しおり41
鉄道の跨線橋への戻ると、北西の脇に線路沿いに下る道があります。
下ると線路脇に神社の社柱が立っているのが見えます。
しおり42
社号を見ると笠野神社とあります。
調べるとどうやらこの付近一帯の神社の神様を集めた惣社なのだそうです。
しおり43
苔が生した参道は非常に雰囲気があります。
しおり44
神社のお社。
しおり45
線路脇の道を跨線橋へと戻ります。
しおり46
西側から見た駅周辺の遠景です。



■モデル車両: IRいしかわ鉄道 521系電車
しおり47


しおり49
【上写真:JR西日本521系】
521系電車は元々は2006年(平成18年)にJR西日本が、
当時車両老朽化の激しかった北陸本線へと投入した交直流近郊形電車です。
JR西日本としては新製投入した交直流近郊形電車は521系が初めてで、
営業用の交直流電車としては初の2両編成となっています。

そして2015年(平成27年)3月の北陸新幹線開業により
北陸本線の金沢駅━直江津駅間が並行在来線として第三セクターへと転換
されます。
この転換によって富山県内の市振駅━倶利伽羅駅間があいの風とやま鉄道に、
石川県内の倶利伽羅駅━金沢駅間がIRいしかわ鉄道という新会社となりました。
しおり51
【上写真:あいの風とやま鉄道521系】
第三セクター転換となり、JR西日本からあいの風とやま鉄道とIRいしかわ鉄道へ
それぞれ北陸本線を走っていた521系の車両が譲渡されました。
そのうちあいの風とやま鉄道へは16編成で計32両の521系が譲渡されています。

しおり52
【上写真:IRいしかわ鉄道521系】
そしてIRいしかわ鉄道には5編成10両の521系が同じく譲渡されました。
しおり53 【左写真:石川県旗】
車両の前面と横には水色(    )がカラーリングされています。
これは石川県の県旗の青を用いたもので、IRいしかわ鉄道のコーポレートカラーでもあり
「日本海と豊かな緑・清い水・澄んだ空気」を表わしています。
しおり50
そして521系の先頭部は貫通扉があるのですが、
横に転落防止幌という、ホームの乗客が連結部に落下するのを防止するガードがあります。
このガードと車体横のラインについて、IRいしかわ鉄道では5編成それぞれを
「加賀五彩」(藍・古代紫・臙脂­・黄土・草)の五色でそれぞれアクセントとして塗っています。
 ○第10編成:草/緑色(    
 ○第14編成:古代紫/紫色(    
 ○第30編成:藍/青(    
 ○第55編成:黄土/金(    
 ○第56編成:臙脂/赤(    
しおり54
そしてIRいしかわ鉄道521系をモチーフとした駅メモのでんこ、
倶利伽羅しおりのカチューシャの飾りは転落帽子幌の形をしています。
加賀五彩についても袖が緑、カチューシャ本体と肩が紫、スカート裾に金など
各所にデザインのアクセントとして使われているのが分かります。

こちらは倶利伽羅駅への521系の入線の動画です。
(クリックで動画は試聴できます。)

それでは編成の各車両を見てみたいと思います。
しおり55
まずこちらが金沢方に編成されるクモハ521形です。
ク(制御車)モ(電動車)ハ(普通車)ですので
運転台がありモーターを搭載している制御電動車という意味となります。
編成略記号でもMcとなりM(電動車)c(制御車)ですから同じ意味です。
しおり56
車内の様子です。
前面に貫通扉がついており、連結時は運転台の真ん中が開放されるため
運転席は密閉できるようになっています。
しおり57
車内のシートは転換クロスシートとなっています。
つり革や取っ手などは黄色にコーティングされていました。
しおり58
寒冷地を走る為、ドアにはボタンがついており
乗降時には乗客が自分でドアの開閉を行う半自動となっています。
また中央の乗降扉の両脇には補助席が設けられており
非混雑時には使う事ができます。
しおり66
こちらは車両後部の乗降扉の脇にある整理券発行機です。
床に直置きではなく、専用のカウンターの上に載っています。
JR北陸本線時代にはワンマン運転をしていたので整理券を発行していましたが、
IRいしかわ鉄道への変換後は車掌が乗務しワンマン運転は行っていないので
発行機にはカバーがされて使われていません。
しおり59
富山方の連結部側の車端のシートはロングシートとなっていて
ご覧の通りの優先座席となっています。


しおり60
そしてこちらが富山方に編成されるクハ520形です。
ク(制御車)ハ(普通車)ですので運転台のある制御車となります。
編成略記号ではTpc'ですのでT(付随車)p(パンタグラフ)c'(制御車)となり、
運転台はあるがモーターで自走はできずパンタグラフのある制御付随車という意味となります。
しおり61
車体横の車両番号。
しおり62
屋根の上に搭載されているパンタグラフです。
しおり63
倶利伽羅しおりのパンタグラフと並べてみると
同じ形をしているのが良く分かります。
しおり64
こちらが車内の様子です。
転換クロスシートであるのは同様となります。
こちらの車両は優先席がロングシートでは無いので
ヘッドカバーによって優先座席を区別しています。
しおり645
車両後部の金沢方の連結部手前付近の様子です。
こちらの車両にはトイレがついていますが車椅子対応トイレとなっています。
そしてトイレの前には車椅子が待機できるスペースが設けられており
手すりや車椅子用の表示があります。


【写真撮影:2019年10月】

でんこの元ネタ
■No.34 碇ヶ関ひいる(Ikarigaseki Hiiru)
 ■タイプ:サポーター
 ■誕生日:12月1日

■出身駅: JR東日本 奥羽本線 碇ヶ関駅(青森)
ひいる01


ひいる02
こちらは国道7号線で
江戸時代には羽州街道と呼ばれた脇往還(五街道に準じる主要道)でした。
国道には駅への案内標識がありますが、
標識の真横の道は県道202号碇ケ関大鰐停車場線という県道となります。

その奥30mほどの信号が碇ヶ関駅入口交差点であり、
信号から西へと分岐している県道237号碇ケ関停車場線が駅への連絡道路となります。
ひいる03
国道から駅までの140mほどの連絡道路が県道237号線で、
停車場線特有の短い県道となっています。
ひいる04
こちらが碇ヶ関駅の駅舎の外観となります。
駅は1895年(明治28年)に当時の官営鉄道の奥羽北線が
弘前駅からこちらの碇ヶ関駅まで延伸した際に設置されました。
4年後の1899年(明治32年)には奥羽北線がさらに延伸されて途中駅となっています。
ひいる40
駅舎の中の様子です。
広めの待合室にはベンチが置かれています。
平川市への簡易委託駅となっており
券売窓口ではPOSによる指定席の発券も行っています。
ひいる41
待合室のホーム側改札脇に掲示されていた駅名の由来の看板です。
駅で補足した張り紙もありましたので併せて。
ひいる42
同じく改札脇にあった碇ヶ関の温泉の由来です。
ひいる39
ホーム側から見た改札付近。
関所を模した軒と提灯が下がっています。
ひいる43
提灯はご覧の様に夜には実際に灯りがともります。
ひいる34
駅は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線のいわゆる国鉄型と言われる形式で、
こちらは駅舎のある1番線ホームとなります。
奥羽本線の上り秋田方面行きの列車が使用しています。
ひいる38
1番線ホームにある碇ヶ関駅の観光案内看板。
ひいる36
2つのホームはご覧の跨線橋で連絡されています。
ひいる37
跨線橋から見た駅構内の様子です。
ひいる35
こちらは島式の2、3番線ホームです。
基本的に3番線が下り線の青森方面行き列車のホームとなります。
駅舎側の2番線は上下共用の待避線で一部の列車が上下線ともに停まります。

【上の埋め込み動画は試聴ができます。】
JR東日本では2010年(平成22年)に東北新幹線新青森開業キャンペーンを行って行っており、
「MY FIRST AOMORI」として9月よりドラマ仕立てで計7本のCMが放映されました。
その中で碇ヶ関駅のホームが、劇中駅員の旧所属駅のホームとして使われています。

ひいる44
そして碇ヶ関駅の北側には、国道7号線沿いに隣接するように
道の駅いかりがせきがあります。
ひいる45
「津軽『関の庄』」という愛称がつけられている様に
江戸時代に津軽藩が設置した碇ヶ関の関所にちなんでおり、
敷地内には碇ヶ関御関所という関所の資料館が設置されています。
ひいる46
また同じく道の駅の敷地内には関の庄温泉という温泉が併設されており
かけ流しの温泉に入浴することができます。
ひいる47
敷地内にある、駅メモラーには欠かせない足湯です。

【写真撮影:2016年7月】
※写真等は後日追加して加筆の予定です。



■モデル車両: JR東日本 E751系電車 特急「つがる」
ひいる05

盛岡━青森間を運行していた特急「はつかり」は
485系電車が20年を経過したことから老朽化が進んでいました。

交直流電車である485系の後継としてはE653系電車がすでに開発されていましたので、
485系を取り替えるのであれば本来はE653系を投入すれば車両交代は可能でした。

しかしながらJR東日本ではコストを考慮した結果、
将来の直流区間への乗り入れを考慮しない交流専用電車を
E653系をベースとした別形式として開発

1999年(平成11年)から2000年(平成12年)かけて6両編成3本がE751系として製造されました。

ひいる06
(写真上:特急いなほ、下:特急つがる)
駅メモ的な余談で言えば、E653系というのは常磐線のスーパーひたちとして開発され、
後に羽越本線に投入された特急いなほの車両です。

そのE653系をベースに開発されたのがE751系ということですから、
碇ヶ関ひいる(E751系)は豊栄なほ(E653系)を元にして作られたということになります
残念ながらその経緯を設定として生かす話は駅メモにはありませんが、
元ネタの車両を並べてみるとなるほど似ているのが分かります。
ひいる07
2000年(平成12年)3月11日に盛岡━青森間の特急「スーパーはつかり」として走ったのが
E751系としての営業運転デビューとなりますが、
2002年(平成14年)12月1日に東北新幹線の盛岡━八戸間の開業に併せて
E751系は八戸━青森間の特急「つがる」として営業運転を開始
しました。

このE751系をモチーフとしている駅メモのでんこ「碇ヶ関ひいる」の誕生日は
12月1日に設定されていますが、これはE751系が特急つがるとしてデビューした日と同じです。
岩手県の盛岡駅始発ではなく、青森県内の八戸から青森までの運行開始日であり
「つがる」の名称での運用開始日を誕生日に設定したのは青森色を強める為なのでしょうか。


以下が特急つがるの各車両についてとなります。
ひいる08
まずは秋田方の先頭車両である1号車のクロハE750形です。
ク(制御車)ロ(グリーン車)ハ(普通車)となりますので
運転台があり、グリーン車と普通車が半室づつある車両という意味となります。
ひいる21
反対側から見た1号車の全景。
ひいる11
車体横の列車形式番号です。
ひいる09
1号車のグリーン席は運転室の真後ろである秋田方にあります。
この車両の乗降扉は反対の青森方にのみとなっていますので、
グリーン車のマークはご覧の様に先頭側につけられていました。
写真左の扉は運転席の扉ですので当然乗客は使用できません。
ひいる10
青森方の乗降扉付近です。
こちらにはグリーン席のマークはありませんが
これは半室グリーン車なので乗客が間違えない様にする配慮なのでしょう。
ひいる12
乗降デッキの中の様子です。
1号車にはサニタリースペースが設けられており、
車椅子対応様式トイレ、男性トイレ、洗面台、そして多目的室があります。
ひいる13
青森方の連結部手前にある洗面台。
ひいる14
洗面台の向かい側には洋室トイレ、男性用トイレが並んでいます。
ひいる15
こちらは洗面台の並びにある多目的室です。
中には椅子と折りたたみのテーブルがありました。
ひいる16
1号車の青森方の半室となる普通車自由席の様子です。
2+2席のシートが5列と、車椅子対応座席が2席あり合計22席となります。
ひいる17
青森方の車端に設けられた車椅子対応座席。
車椅子対応トイレのあるデッキからすぐの場所にあります。
ひいる18
そしてこちらが秋田方の奥にあるグリーン席の様子となります。
2+2席が4列で計16席のグリーン席が設置されています。
座席の幅やシートピッチが普通席より広いのはもちろん、
普通席には無いヘッドレストがあり、床もじゅうたん敷きとなっていました。

また、車両の一番奥にグリーン席を設けた事により
通路を普通車の乗客が通ることはありません。
ひいる19
奥には運転席への扉が。


ひいる20
秋田方の2両目のモハE751形100番台です。
モ(電動車)ハ(普通車)ですのでモーターの搭載された普通車両となります。
ひいる22
この車両の屋根の上にはパンタグラフが搭載されており、
主変換装置も搭載している中間電動車となります。
ひいる23
乗降デッキの様子です。
2号車も青森方にのみ乗降扉があり、通路の両側には
車掌などが詰める業務洋室が設けられています。
ひいる24
客室内の様子です。
普通車自由席のシートが2+2席が18列で計72席となります。


ひいる25
秋田方からは3両目、青森方から2両目となる3号車のモハE750形100番台です。
モ(電動車)ハ(普通車)でモーターを搭載している中間電動車です。
ひいる26
乗降デッキの様子です。
この車両も青森方にのみ乗降扉が設けられています。
デッキには共用洋式トイレ、男性用トイレ、洗面所があります。
ひいる27
洗面所は1号車のものに比べるとやや小さめとなっています。
ひいる28
3号車の客室内です。
普通車自由席の車両で2+2席が18列で72席となります。


ひいる29
そして青森方の先頭車両であるクハE751形です。
ク(制御車)ハ(普通車)ですので運転台のある車両ということになります。
ひいる33
車体の横の列車形式番号。
ひいる30
乗降扉はこの車両も青森方にのみあります。
運転席のすぐ後ろに位置していますので、乗降スペースのみとなっています。
ひいる31
客室内の様子です。
この車両は2+2席が17列で計68席となっています。


このE751系は新造されて盛岡━青森間を「スーパーはつかり」として
走り始めた時には6両編成の特急でした。
ですのでモハE750形基本番台モハE751形基本番台という2両が
編成の間に挟まれて運行を行っていました。

2010年(平成22年)12月の東北新幹線の八戸━新青森間延伸によって
E751系は一旦運用を離れ、2011年(平成23年)4月より秋田━青森間で運用復帰しますが
その際に4両編成に短縮されており、離脱した2両(3編成で合計で6両)はその後廃車となっています。
ひいる32
E751系の先頭車両前面には「Tsugaru」のロゴが入っています。
これは特急つがるとなった2002年(平成14年)以降のことで、
それ以前にはスーパーはつかりとして「Hatsukari」と書かれていたそうです。

【写真撮影:2019年7月】

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■No.64 角館あけひ(Kakunodate Akehi)
 ■タイプ:アタッカー
 ■誕生日:3月16日

■出身駅: JR東日本 田沢湖線 角館駅(秋田)
あけひ01


あけひ23
こちらはJR東日本の田沢湖線の角館駅の駅舎の外観です。
駅は1921年(大正10年)に生保内軽便線として開業。
国鉄生保内線となり、1966年(昭和41年)に田沢湖線へと編入されました。

1970年(昭和45年)には国鉄角館線(秋田内陸南線→秋田内陸線)が開業して乗換駅となり、
新在直通運転による秋田新幹線開業によって1997年(平成9年)に新幹線停車駅となりました。
あけひ43
こちらは角館駅の列車時刻表です。
在来線の田沢湖線が上下7本づつなのに対して
秋田新幹線は上下線ともに15本が停車をしています。(註:2019年3月改正ダイヤにて)
あけひ05
入口の脇には「東北の駅百選」の選定駅であることを示すプレートが。
「小京都にふさわしく武家屋敷風の入母屋式薬医門を形どった駅」として
2002年(平成14年)に選出されています。
現在のこの武家屋敷風の駅舎は1976年(昭和51年)に改築されたものです。
あけひ24
駅前のロータリーの様子です。
駅の出入口は武家屋敷群などがある北西側にのみ設置されています。
外周部が車寄せへとロータリー部分となっており、
中央部の島には駐車スペースとタクシーの車寄せが設けられています。
あけひ25
駅舎とロータリーの間には平板タイルとインターロッキングで舗装された
歩行者の通行帯があり、その広さから歩行者用の駅前広場として機能しています あけひ27
駅舎の入り口前には風除けのパーテションが立てられており、
その内側にガラスの自動扉と観音扉が設けられています。
あけひ28
改札前の様子です。
通路状の部屋に券売窓口と券売機が設置されており、
反対側には待合室へのガラス扉があります。
あけひ29
ホーム側から見た改札付近。
昔ながらのスチール製の改札ラッチがあります。
あけひ30
この駅の改札には、新幹線停車駅となったことで
モバイルSuicaに対応する為に簡易型Suica改札機が設置されています。
改札機に「モバイル用」と貼り紙がしてありますが、
これは秋田県内では全駅がICカード未対応の為で、
使えるのは新幹線駅でのモバイルSuicaのみだからでしょう。
あけひ31
こちらがホームの様子です。
JR東日本のホームは単式1面1線と島式1面2線の計2面3線となります。
写真は駅舎のある単式の1番線ホームです。
あけひ32
1番線ホームは上り線用のホームとなり、
秋田新幹線の上り盛岡・東京方面行きと
在来線の田沢湖線の上り盛岡方面行きが停まります。
あけひ33
1番線ホームの北側には秋田内陸縦貫鉄道の線路とホームや車庫が。
あけひ34
元々国鉄角館線だった秋田内陸縦貫鉄道のホームは
1番線ホームの切り欠きホームとなっており、
仕切りのフェンスには臨時で使用できる入り口が設けられています。
あけひ35
武家屋敷をイメージした駅舎と接している1番線は
ホーム上にも数々の武家屋敷風オブジェが飾られています。
あけひ36
1番線の南端にはご覧の跨線橋の階段があり
島式の2、3番線へと連絡しています。
あけひ37
跨線橋の中の様子です。
あけひ38
島式の2、3番線ホームの様子です。
あけひ40
駅舎側の北側が2番線で秋田新幹線と田沢湖線の下り大曲方面行きホームとなります。
南側の3番線ホームは田沢湖線のみが使用しており、当駅始発の列車が上下線共に使用しています。
あけひ41
ですので新幹線の使う2番線ホームは3番線よりも有効長が長く作られています。
あけひ39
ホーム中ほどの待合室です。
上屋の屋根は鉄骨鉄製の近代的な屋根ですが、
待合室は駅舎の雰囲気に合わせて木製の外装で作られています。
あけひ42
またこちらのホームは跨線橋の階段裏まで2番線が延びており
設置されているエレベーターもこちらから乗る事ができます。

あけひ44
駅舎の前へと戻り、右手の北側を見ると
秋田内陸縦貫鉄道の建物があります。
あけひ45
こちらが秋田内陸線の角館駅の駅舎となります。
あけひ46
駅舎の入り口の両脇には狛犬のごとく置かれたなんかト○ロっぽい木彫りが。
あけひ47
こちらの建物は待合室となっており、
木製のテーブルや椅子、そしてだるまストーブなどが置かれていました。
あけひ48
待合室の横にはご覧の扉で囲まれて風除室のようになっている連絡通路があり、
コインロッカーのスペースとなっていました。
この部屋を抜けると秋田内陸線の券売窓口と改札のある部屋があります。
あけひ49
こちらが改札のある部屋です。
北側には券売窓口があり、その隣にはグッズ売り場となっている窓口があります。
ベンチがいくつか置かれており、その奥にホームへと出る出入口があります。
あけひ50
JRの駅舎から見ると北側の、出口を出た右手に
ご覧の屋根のついた連絡通路があります。
あけひ51
この通路のつきあたりにも駅舎の入り口があり、
秋田内陸線の改札前へと直接入る事ができます。
あけひ52
改札から、駅構内の改札前付近の様子です。
ホームは頭端式となっており、車止めの南側が柵で囲われたスペースとなっています。
ご覧の様にホーム端に柵が設けられていて、列車改札はこちらで行われます。
あけひ53
こちらが秋田内陸線の角館駅のホームの様子です。
1面1線となっており交換設備は無く、列車は折り返し運転となります。
あけひ54
ホームの出入口は南側の駅舎前のみとなっています。
またホームの西隣には秋田内陸線の車庫があります。
あけひ55
車庫へは引き上げ線が通じており、
北の鷹ノ巣方の分岐から入線することができます。
あけひ56
引き上げ線のポイント近くにある内陸線の看板。

あけひ57
内陸線の駅舎を出て、連絡通路を駅前ロータリーへと戻ります。
あけひ26
秋田内陸縦貫鉄道の角館駅の駅舎のすぐ西の隣にあるのが
こちらの「角館駅前蔵」という建物で、仙北市観光情報センターという
いわゆる駅前の観光案内所の建物です。
あけひ58
蔵を模した建物の中の案内カウンターでは、
武家屋敷までの道案内をはじめお食事処の紹介や
ホテル旅館の手配なども行っているそうで
パンフレットの置かれた館内は休憩にも利用ができます。
あけひ62
建物の南側の駅前ロータリー側にある蒸気機関車の鉄輪。
かつて生保内線(現・田沢湖線)を走っていた機関車のものだそうです。
あけひ59
角館駅前蔵と角館駅の駅舎の間の道を北に進むと
まもなくこちらの市営駐輪場の建物があります。
ご覧の通り駐輪場の建物も武家屋敷を意識した外観となっています。
あけひ60
その駐輪場の目の前、そして角館駅前蔵の裏手には
こちらの駅前バスロータリーがあります。
駅舎の前のロータリーは一般車とタクシー用となっており、
バスは北側に設置されたこちらのロータリーを使用しています。
あけひ61
バスロータリー側から見た角館駅前蔵の前の様子です。

あけひ63
JR角館駅の駅舎前へと戻り、左手の南側を見ると
駅舎に隣接してホテルフォルクローロ角館の建物があります。
元はJR東日本の社宅跡地だった場所にJR東日本のホテルグループがホテルを建設。
駅舎に合わせた武家屋敷風の外観となっています。
あけひ64
あけひ65
あけひ66
そしてこちらは交番の目の前にある、
駅前ロータリーの西側のロータリー出口付近です。
ロータリーから西の、駅正面の通りは県道257号広久内角館停車場線となります。
あけひ67
切り返して北側から駅方面を見たロータリー入り口付近。
あけひ68
その入り口の交番の並びにはご覧のタクシー会社があります。
このタクシー会社ではレンタルサイクルの貸し出しを行っており
1時間300円で自転車が借りられます。

角館駅前ではレンタルサイクルを貸し出す場所が2ヶ所ありますが、
個人的にはこちらのタクシー会社一択
だと思います。
パッと見は案内も無く古い自転車が置いてあって「大丈夫か?」と思いますが
車を扱っているだけに整備が行き届いており非常に快適です。


あけひ69
駅前ロータリーから正面の駅前通りを西に進んで行くと
500mほどで徐々に通りが商店街の様に店舗が並ぶ光景となります。
あけひ70
さらに200m、駅からは700mほど西で駅前通りは角館郵便局に突き当たります。
あけひ71
郵便局の付近は「外町」と呼ばれる地域で
商家などの並ぶかつての城下の商人町の地区です。
あけひ72
外町の休憩施設に展示されていた山車。
角館鎮守の祭礼として毎年9月に行われる角館の祭りは
「角館祭りのやま行事」として国指定重要無形民俗文化財に指定されており、
また「山・鉾・屋台行事」としてユネスコ無形文化遺産の一つにも登録されています。
あけひ73
郵便局から北西へ230mほど進むと
県道250号線の広い交差点に差し掛かります。
あけひ74
交差点の角にあるコンビニも武家屋敷風に景観を意識した外装です。
あけひ75
コンビニのある県道から北に50mほどには
併走するように東西に走る通りのような空き地があります。
これは「火除け」という商人町と武家屋敷の間に設けられた緩衝地帯であり
文字通り火災の延焼を防ぐ目的で設けられた空き地です。
あけひ76
そして火除けから北の地区が「内町」と呼ばれる武家屋敷群で、
芦名氏そして佐竹氏の城下町として家臣の住んだ一帯です。
1976年(昭和51年)には国の重要伝統的建造物群保存地区の指定を受けており
角館観光の中心地区となる地域です。
あけひ77
そして武家屋敷群の北側、角館駅からは北西に1.7kmの場所にあるのが
こちらの角館城跡となります。
あけひ78
戸沢氏が築いたと言われる角館城は別名小松山城と言い、
芦名氏、佐竹氏が治めた角館城下は
現在では「みちのくの小京都」と呼ばれる観光名所となっています。

あけひ79
角館駅へと戻ってこちらはホームから見た駅の東側の様子です。
遊具のある広い緑地と駐車場があるのが見えます。
あけひ80
緑地の入口へと来てみると「角館 駅東公園」の入口看板があります。
あけひ81
この公園は国土交通省のまちづくり交付金を活用して
仙北市が「角館駅東地区整備事業」として整備し2009年(平成21年)に完成したものです。
あけひ82
市としては「各種イベント会場としての活用を念頭」に置いたそうで
緑地の広場に広い駐車場があるのもその為だと思われます。

しかしながら一応国道105号線からは200mという場所にあって
公園と国道を連絡する市道も新設されてはいますが、
東口の無い角館駅からは隣接しているにも関わらず
徒歩では最低でも20分はかかってしまうという立地
ということもあり
イベント利用はほとんど無いのが現状の様です。



■モデル車両: JR東日本 新幹線E6系電車 秋田新幹線「こまち」
あけひ02

JR東日本では1997年(平成9年)3月に
在来線である田沢湖線を狭軌(1067mm)から標準軌(1435mm)へと改軌し、
新在直通運転のミニ新幹線の運用を開始しました。
これがいわゆる秋田新幹線の開業となります。
あけひ21
(上写真:秋田新幹線E3系)
開業当時の秋田新幹線はE3系の車両が投入され運行していました。
長らくE3系が秋田新幹線では活躍をしていましたが、開業から16年が経ち
東北新幹線区間での最高速度320km/h運転を行うべく第二世代車両が開発されました。
あけひ22
こうして開発されたのがこちらのE6系の新幹線となります。
2013年(平成25年)3月16日のダイヤ改正から「スーパーこまち」として
秋田新幹線に車両が投入
されたのを皮切りにE3系からE6系への車両の置き換えが進み、
現在では盛岡━秋田の秋田新幹線区間ではE6系がメインとなって走っています。

駅メモのでんこ「角館あけひ」の誕生日が3月16日に設定されているのは
モチーフとなったE6系の秋田新幹線での営業運転開始日が元ネタ
で間違い無いでしょう。
あけひa24
E5系のデザインを手がけたのは工業デザイナーの奥山清行氏で、
フェラーリのデザインを手がけて
「イタリア人以外で初めてフェラーリをデザインした男」として話題となった人物です。

車の他に鉄道のデザインも数多く手がけており、
JR東日本の「TRAIN SUITE 四季島」や「リゾートしらかみ」、
東武鉄道の「リバティ」などが分かり易いところでしょうか。


それではE5系新幹線の各車両について個別に見て行きたいと思います。

あけひ823
まずはこちらはE611形です。
11号車として編成される車両で、東京・秋田方の先頭車両となります。
編成略記号はM1scで、M(動力車)s(グリーン車)c(制御車)ですので
動力モーターを搭載し、運転台のあるグリーン客室を持つ車両となります。
あけひ88
車体のカラーリングは、上部を茜色(    )で塗っており、
これは秋田の伝統的な竿灯まつりの提灯の明かりや、
なまはげの面をイメージしたコンセプトだそうです。

車体の下部は飛雲ホワイト(    )という薄いグレーとなっています。
これは北海道・東北新幹線のE5系の下部と同じ色となります。
そして二色の境目や車体側面にはアローシルバー(    )の帯色が入っており
この二つの色で秋田の雪の銀世界や伝統工芸の銀線細工などイメージしています。
あけひ87
また、こまちの先頭車両は「アローライン」を基にデザインされています。
矢のような形状でトンネル内での空圧の軽減や騒音対策を施しており、
結果車両先端のノーズ部分は13mという長さとなっています。
あけひ84
乗降扉は車両後方の大曲方に設けられています。
扉の脇にはグリーン車を示すマークが。
あけひ85
乗降デッキの様子です。
スーツケースなどが置ける荷物棚が設けられており、
棚の向かいの壁にはゴミ箱が置かれています。
あけひ86
客室の中の様子です。
グリーン車である11号車の座席は2+2の4列配置となっており、
4×5列に車椅子用の座席が2席あって合計22席となります。
あけひ89
東京・秋田方には運転席がありますので
客室の先にはご覧のロックされた扉があります。
グリーン車の車内は「伝統であつらえたプライベートな空間」をイメージしており、
端部の壁は楢岡焼きの釉薬「海鼠釉」をモチーフにした青(    )となっています。
あけひ90
大曲方には乗降デッキばありますので、客室とデッキを区切る自動扉があります。
最後方の2席は車椅子対応の座席となっていて、固定のベルトが付いています。


あけひ91
こちらは東京・秋田方の二両目の12号車となるE628形で、
編成略記号はTkとなります。T(付随車)k(売店設置車両)となります。
あけひ912
屋根の上には集電装置(パンタグラフ)を搭載しており、
主変圧器で変圧をして前方の動力車へと給電をしています。
あけひ93
車両の東京・秋田方に乗降扉が設けられており
車椅子対応のマークがあって間口が広く取られています。
あけひ94
中の乗降デッキの様子です。
右側の丸窓のついた扉が多目的室の入口で、
反対側の鍵のついた扉は車販準備室(略記号のkにあたる)となっています。
あけひ95
その奥に車端部には車椅子対応トイレと男性用トイレが並んでおり、
反対側には洗面台と公衆電話が設置されています。
あけひ96
車椅子対応の大型トイレの中の様子です。
あけひ97
客室内の様子です。
普通車の車内は「実り豊かな秋田の大地」をイメージしてデザインされており、
黄金色(    )の座席モケットは豊かに実った稲穂を表現、
通路は田んぼの中の一筋のあぜ道に見立てて
自然の恵みへの感動の思いを表現しているそうです。
あけひ98
座席は2+2の4列配置が8列並んでおり、車椅子対応座席の2席を加えて34席となります。
乗降デッキに近い東京・秋田方の座席が車椅子対応座席となります。
あけひa23
客室とデッキとの自動扉のガラスに描かれた稲穂。
あけひ99
大曲方の車端部は客室扉の両脇が乗務員室となっており
運行時に車掌が詰める部屋となっています。


あけひa01
東京・秋田方の三両目となる13号車のE625形0番台です。
編成略記号はM1で、モーターを搭載した中間電動車となります。
あけひa02
乗降扉は東京・秋田方の車端部にあり、
中は乗降デッキのみとなっています。
あけひa03
13号車の客室内の様子です。
普通車指定席の車両なので、黄金色の座席モケッとなのは同様です。
2+2の4列配置の座席が15列ありますので車両全体で60席となります。
あけひa04
客室内の東京・秋田方にはトランクなどの大型荷物を置く事ができる
荷物収納棚が設けられており、海外旅行客やスキー客などに対応しています。
あけひa05
大曲方の車端部には男女共用トイレ、洗面所、
そして男性用トイレが設置されており、
連結部から14号車の乗降デッキへと連絡してます。


あけひa06
こちらは14号車のE625形100番台です。
東京・秋田方からも大曲方からも四両目のちょうど中央部に位置しています。
編成略記号がM1なのは同じE625形の13号車と同様で中間電動車となります。
あけひa07
乗降扉はこの車両も東京・秋田方に設けられており、
中は乗降デッキのみで13号車のトイレ洗面スペースへと連結してます。
あけひa08
客室の中は普通車指定席の座席で、同じE625形である13号車と同様に
2+2の4列配置の座席が15列で60席となっています。
あけひa09
大曲方の車端部に共用トイレ、洗面台、男性用トイレがあるのも
13号車と同様となっています。


あけひa10
大曲方の三両目、15号車のE627形です。
編成略記号はM1でこの車両も中間電動車となっています。
あけひa11
東京・秋田方の車短部にある乗降扉から中は
乗降デッキのみとなり、14号車のトイレ洗面スペースと連結部で隣接しています。
あけひa12
こちらが客室内の様子です。
普通車指定席車両なのは他の車両と同様ですが
この車両は車端部にトイレなどの設備が無い為、
2+2の4列配置の座席が17列設置されて合計68席と
こまちの車両で一番乗客の定員が多くなっています。
あけひa13
東京・秋田方の客室端にある荷物棚。
あけひa14
反対側の大曲方は、客室の自動扉を開くと
すぐ目の前が連結部となっています。


あけひa15
大曲方の二両目となる16号車のE629形です。
編成略記号はTで中間付随車となります。
あけひa16
屋根の上にはご覧のパンタグラフが。
編成に2基あるシングルアームのパンタグラフは
走行中は1基のみが使用されます。
あけひa17
東京・秋田方に設けられた乗降扉。
中は乗降デッキのみとなっています。
あけひa18
16号車の客室内の様子です。
この車両も普通車指定席ですので座席は黄金色で、
2+2の4列配置の座席が15列設置されていますので合計で60席となります。
あけひa19
大曲方の車端部には洗面台、男性用トイレ、男女共用トイレ、
そしてカード式の公衆電話が設けられています。


あけひa20
そしてこちらが大曲方の先頭車両であるE621形です。
編成略記号はM1cでM(動力車)c(制御車)となりますので
動力モーターを搭載した運転台のある車両ということになります。
あけひa21
客室内の様子です。
17号車は普通車指定席となっており、
2+2の4列配置座席が8列並んでいて合計32席となっています。
あけひa22
大曲方の客室先端部にある、運転席へのロックされた扉。


あけひa26
E6系の車両はいわゆるミニ新幹線の車両として作られている為、
通常の新幹線車両よりも車幅が狭くなっています。
その為乗降口には乗降ステップが設けられています。

秋田新幹線の場合、ミニ規格の在来線区間である盛岡駅━秋田駅間については
ホームと列車の間に隙間が無いのでステップは収められたままの状態です。
あけひa27
ですがフル規格である東京駅━盛岡駅間では、幅の広い東北新幹線の車両が走っている為、
ミニ新幹線のE6系はどうしてもホームと列車の間に隙間が生じます。
その為ご覧の様に乗降ステップを開くことで乗り降りの安全を確保しています。

あけひa25
また駅メモのでんこ「角館あけひ」は手を繋ぐのが好きだという設定がありますが、
これは東京駅━盛岡駅間では北海道・東北新幹線のE5系「はやぶさ」との併結運転を行っている為、
連結する「こまち」と「はやぶさ」をイメージしていると思われます。


【写真撮影:2019年7月】

でんこの元ネタ
■No.22 巽レン(Tatsumi Ren)
 ■タイプ:アタッカー
 ■誕生日:4月16日

■出身駅: 大阪市交通局(現・Osaka Metro) 千日前線 南巽駅(大阪府)
レン01

南巽駅のある千日前線は、元々は大阪市交通局時代の
1969年(昭和44年)4月16日に
5号線として野田阪神駅━桜川駅間が開業
したのが始まりです。
その後計画に沿って徐々に延伸していき、
1970年(昭和45年)の桜川駅━谷町九丁目駅間の開通によって
野田阪神駅━新深江駅間の10.1kmが千日前線となりました。

駅メモのでんこ「巽レン」の誕生日が4月16日に設定されているのは
5号線(千日前線)開業日が元
と見て間違い無いと思われます。

そして11年後の1981年(昭和56年)12月に新深江駅━南巽駅間の3.0kmが延伸開業。
これによって南巽駅も千日前線の終着駅として開業しました。

レン02
こちらは国道479号線の大阪内環状線の生野区巽中付近です。
1993年(平成5年)に国道へと昇格するまではこの道路は府道1号大阪内環状線でした。
レン03
その国道の東側、デイリーヤマザキ南巽駅前店と路地を挟んだ向かい隣に
こちらの南巽駅の1番出入口があります。
レン05
一方、1番出入口から国道を挟んだ反対の西側を見ると
こちらにも地上出入口があるのが分かります。
レン06
こちらが地上2番出入口となります。
レン07
1番、2番の地上出入口から国道を南へ100mほど下ると
こちらの南巽駅前交差点があります。
レン08
その南巽駅前交差点の南西角にあるのが
こちらの地上3番出入口です。
南巽駅にある地上出入口は1~3番の3つで全てとなります。
レン15
こちらは地上出入口から地下へと下った改札前付近の光景です。
国道の真下を南北に通路が通っており、その途中に改札が設けられています。
レン16
駅構内側から見た改札。
レン17
改札内の通路です。
ホーム階へは更にここから階段で下ります。
レン20
階段の途上から見たホームです。
レン18
ホームの様子です。
島式ホーム1面2線となっています。
レン19
ホームドアは2014年(平成26年)に設置されています。

レン09
そして3番出口のある南巽駅前交差点からさらに南へ110mほど下ると
ご覧の横断歩道があり、東側には「巽神社参詣道」の看板が立っています。
レン10
参詣道の道路を東へと進むとすぐに鳥居が見えてきます。
レン11
こちらが巽神社です。
1907年(明治40年)に巽村の八幡神社を主体に村内5社を合祀し巽神社となっています。
主体の八幡神社は平安時代の和名類聚抄という辞書に「河内国渋川郡五邑の氏神」とあり
1000年以上の歴史がある社のようです。
レン12
境内の様子です。神社の名前の元となった
巽の地名は大阪城からみて辰巳(南東)の方角に位置するため
についたそうです。
レン13
境内に置かれた神社の由緒を記した由緒記です。
レン14
そしてこちらは巽神社の一の鳥居です。
国道から巽神社までは東に70mほどですが、
一の鳥居は国道の西側30mほどの場所にあります。
かつてはこの一の鳥居から神社の参道だったそうですが、
現在では参道が分断され国道が横切る形となっています。

レン21
こちらは府道159号平野守口線の巽小学校付近の光景です。
この道路は府道には指定されているものの、実質的には住宅地の生活道路です。
南巽駅からは北西に250mほどに位置します。
レン22
こちらは道路の脇にある「田村亦三顕彰之碑」です。
巽村発足に際して名前を決めて役場を立ち上げた人物だそうです。
レン23
その顕彰碑のある児童公園です。
レン24
公園には史跡の由緒を案内する看板が立っていました。
この場所にかつての巽村の役場があったそうです。
レン25
看板をアップで。


ところで2018年(平成30年)の11月1日から12月31日まで行われた
駅メモのイベント「でんこと全国各地の駅におでかけしよう」では
実質的にでんこの名前の由来駅がイベントチェックポイントとなっていました。

そして巽レンのチェックポイントは北巽駅か南巽駅のどちらかとなっていました
つまりこのでんこの名前由来駅は「北巽駅と南巽駅の両方」であると
事実上公式にアナウンスされたに等しい
ということになります。
レン29
こちらの地図は南巽駅のコンコースにある、駅周辺の史跡の案内図ですが、
北巽駅と南巽駅のそもそもの名前の由来である巽村の中心部は南巽駅周辺であり、
実際に巽神社や巽村役場跡なども南巽駅周辺にあります。

ですので個人的には「巽レンの実家駅は南巽駅」だと思うのですが、
オフィシャルが北巽駅と南巽駅を並列に扱っている以上は
両方の駅を由来駅として扱うべき
でしょう。


というわけで、以下では北巽駅についても紹介したいと思います。
この駅も1981年(昭和56年)12月の南深江駅━南巽駅間の延伸で設置された駅ですので
南巽駅と開業日時は同一となります。
レン26
こちらは国道479号線(内環状線)と府道173号大阪八尾線の交差する
北巽駅前交差点の信号です。
南巽駅からは北へ1.1kmほどの距離の場所にあたります。
この交差点が北巽駅の北端の真上にあたる場所であり、
それぞれの角には駅の地上出入口が設けられています。
レン27
東側の角にある2番出入口です。
レン28
南の角の3番出入口。
レン30
そして西の角にある4番出入口となります。
レン31
こちらは北巽駅前交差点の北側の角にある銀行の、
その隣にある大阪シティバス(旧・大阪市営バス)の北巽バスターミナルです。
バスと地下鉄は元々ともに大阪市交通局の事業でしたので、
バスターミナルの建物に地下鉄の北巽駅の1番出入口が併設されています。
レン32
こちらがそのバスターミナル内の1番出入口です。
1~4番までの出入口は、同じ地下コンコースの北側へと通じています。

レン34
一方でこちらは北巽駅前交差点から内環状線を南へ100mほど下った付近の光景です。
ちょうど駅のホームの南端の真上に位置するこちらに
駅の5番地上出入口が設置されています。
北巽駅の地上出入口は5箇所で、南側はこの5番出入口のみとなります。
レン33
改札や券売機のある地下コンコースの様子です。
ちょうどホームの真上に概ね同じ長さで通路が設置されています。
レン35
改札内の通路の様子です。
レン36
ホームの様子です。
島式ホーム1面2線となっており、1番線が下りの南巽方面行き、
2番線が上りの野田阪神方面行きとなっています。
レン37
ホームは8両分の有効長があるものの
千日前線が4両編成で運行している為、
列車の停車しない部分には柵が設置されています。



■モデル車両: 大阪市交通局(現・Osaka Metro) 25系
レン04

大阪市営地下鉄では1984年(昭和59年)より通勤形電車として
アルミ合金製の20系を導入しました。

この20系をベースとして、車体をアルミ合金からステンレスへと変えて
1990年(平成2年)より開発導入されたのが新20系と呼ばれる車両群で、
21系(御堂筋線)、22系(谷町線)、23系(四つ橋線)、24系(中央線)、
そして25系(千日前線)の5種類の列車が運行しており、
Osaka Metroとなった現在の標準型車両となっています。


レン38
南巽方の先頭車両である1号車の2600形です。
千日前線では25600番台の列車番号が振り分けられています。
レン45
列車細別記号はTec1となり、空気圧縮機や補助電源装置などの補機を搭載している
制御車(運転台を持つ車両)です。
レン46
千日前線は第三軌条方式となっており、
電気はレール横の専用軌条から集電靴で取っていますので
屋根の上にパンタグラフは載っていません。
レン43
車両前面の左上と端部側面には新20系になって採用された、
ご覧のVVVFインバーター装置搭載を示すロゴがあります。
レン44
車内はご覧の様にロングシートとなっています。


レン39
南巽方の二両目である2号車の2100形です。
千日前線では25100番台となっています。
列車細分記号はMb1で、片方の台車に集電装置を装備する電動車となります。


レン40
こちらは野田阪神方の二両目である3号車の2300形です。
細分記号はMb2で、二両目と同じく片方の台車にのみ集電装置がある電動車です。
25系の2300形なので25300番台の数字が割り振られています。


レン41
そして野田阪神方の先頭車両である2900形です。
列車細分記号はTec2で、補機を搭載する制御車(運転台のある車両)です。
25900番台が各列車へと割り振られています。
レン42
他の車両でもそうですが元々新20系の車両の車体には
大阪市営地下鉄のマークである「マルコ」マークが描かれていました。
マルコマークは大阪市のO(オー)と高速鉄道のコを組み合わせて作られました。

しかし2018年(平成30年)に地下鉄が民営化されOsaka Metroとなり、
社章も立体的な螺旋状のM(メトロの頭文字)のマークとなったことから
マルコマークの上にOsaka Metroのマークのステッカーが貼られています

でんこの元ネタ
■No.12 有栖川もぼ(Arisugawa Mobo)
 ■タイプ:ディフェンダー
 ■誕生日:7月25日

■出身駅: 京福電気鉄道 嵐山本線 有栖川駅(京都)
もぼ01

有栖川駅は1910年(明治43年)に嵐山電車軌道の駅として開業したもので、
当初の駅名は駅所在地の「京都府葛野郡太秦村大字嵯峨野」(註:開業当時の地名)から取った
「嵯峨野駅」という名前でした。

しかし京都で嵯峨野と言えば嵐山を含む一帯を指すことから
観光客が誤って下車をしてしまう事例が多発しており、
京福電気鉄道となった後の1975年(昭和50年)に現在の有栖川駅へと改名しています。

駅名の有栖川という名の元は駅の西200mほどを流れる川の名前で、
川は嵯峨大覚寺北方の観空寺谷から流れ出て嵯峨野を南に下り桂川に注いでいます。
「有栖」とは、荒樔(あらす)荒瀬(あらせ)の意で祓(はらい)を行う場所の意があり
身体に付いた汚れを洗い清める川なのだそうです。


もぼ02
こちらは三条通の右京区嵯峨野付近です。
西大路通から葛野大路通までの区間は嵐電が併用軌道、
つまり路面電車として走っている区間ですが、
太秦天神川駅を過ぎて以西も嵐電と三条通は並走しています。
もぼ03
三条通沿いにある京都嵯峨野郵便局。
この郵便局の前に信号機と横断歩道が設置されています。
もぼ04
西側から見た嵯峨野郵便局前の信号付近の三条通の光景です。
信号のすぐ西側はT字路となっており北へと道が伸びています。
もぼ05
T字路の角の、郵便局の斜向かいにあるコンビニ。
もぼ06
そのコンビニの脇の道を北へと100mほど進むと
途中で道幅が半減した後に嵐電の踏切へと差し掛かります。
もぼ07
この踏み切りは「有栖川1号踏切」という名前で、
こちらを基点に点対称に有栖川駅のホームが千鳥式に2面2線配置をされています。
もぼ08
踏切の南側のすぐ脇に入口のあるこちらが
駅の下り線嵐山方面行きのホームとなります。

もぼ09
ホームの様子です。
駅舎はありませんがホーム上に屋根の上屋が設けられています。
もぼ10
上屋の壁に掲示されている「嵐電 界隈館」のパネルです。
嵐電の各駅には駅最寄りの名所の写真が掲げられています。
有栖川駅には南西100mほどにある斎宮神社の写真が。
斎宮とは天皇に代わって伊勢神宮に仕える皇族の御所のことで、
有栖川の辺に野宮を建てて精進潔斎したと伝わる神社だそうです。
もぼ11
屋根とベンチの上屋はホームの西寄りにあります。
もぼ12
そしてホーム入口の踏切脇にある「千代の古道」の石標です。
千代の古道とは平安時代の貴族や天皇が
北嵯峨の大覚寺への遊行の折に通った道の事で、
新古今和歌集での藤原定家や後撰和歌集の在原業平など
平安時代の多くの和歌に詠まれた道でもあります。
もぼ13
下り線ホームから見た踏切です。
ホーム同士を連絡する構内通路は無く、
こちらの踏切を渡ってお互いのホームの行き来をする事になります。
もぼ15
こちらは踏切の北側にある四条大宮方面行きの上り線ホーム。
ホーム上に屋根とベンチの上屋はありますが、下りホームに比べて
こちらの上りホームは敷地の都合幅が狭くなっています。
もぼ16
駅の踏切から北へと伸びる道の光景です。
数件の店舗が駅近くにありますが基本的に北側は住宅地となっています。
道路を境界に右側が嵯峨野神ノ木町、左が嵯峨野有栖川町となります。
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角に掲示されていた有栖川町の町内の案内板です。
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踏切の方向へと南へ戻り、
駅の北東の線路沿いへと入ります。
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線路沿いの道路脇には神ノ木町の町内会の花壇が。
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そしてこの道路の、駅の東側すぐにこちらの踏切があります。
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住宅の狭間の路地へと通じるこの踏切は
車は当然通れない広さで歩行者か自転車でないと渡れません。



■モデル車両: 京福電気鉄道 モボ621形 621号車
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京福電気鉄道では長らく運用されていたモボ111形などの旧型車が
置き換えの必要な時期となりました。
その為サービス向上を目指して武庫川車両工業(現・阪神車両メンテナンス)で車両が製造され
1984年(昭和59年)よりモボ501形が投入されることとなります。

しかし将来的なワンマン運転を目論んだ設計は
乗客の動線を妨げるなどの問題点が表面化することとなりました。

こうした経緯をふまえ、同じ武庫川車両工業の製造による
「新・嵐電スタイル」の車両として登場したのがモボ611形・621形・631形となります。
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こちらの写真は上からモボ611形、621形、631形です。
パンタグラフの形がシングルアームだったりZ形パンタだったりの違いがありますが、
2分割の前面窓や前照灯の位置、前後配置の幅の広い乗降扉など
基本的な形は三つの形式の車両はどれも同じであることが分かります。

この中でモボ611形は1992年(平成4年)に、
モボ631形は1995年(平成7年)に製造されていますが、
「新・嵐電スタイル」の車両の中で最初に作られたのは
1990年(平成2年)製造のモボ621形でした。
モボ621形の車両で最初に製造されたのが621号車であり、
1990年(平成2年)7月25日が621号車の車両製造日
となっています。
駅メモのでんこ「有栖川もぼ」の誕生日が7月25日に設定されているのは
この「新・嵐電スタイル」で最初に作られたモボ621形621号車の製造日が由来
と見て間違い無いでしょう。
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【写真引用:裏辺研究所 http://www.uraken.net/
こちらがデビュー時のモボ621形621号車の写真です。
京福電鉄の標準色であるダークアイボリー(    )と
ダークグリーン(    )のツートンカラーとなっています。

モボ621形をモチーフとしたでんこ「有栖川もぼ」の衣装も
ダークアイボリーをベースとした着物風ワンピースに、
帯や裏地、そしてギターの色がダークグリーンとなっています。
これはモボ621形の登場時の京福電鉄標準色を元にしていると思われます。
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その後2010年(平成22年)3月には京福電鉄が嵐電開業100周年を記念して
シンボルカラーを京紫色(    )に制定します。
これによって嵐電の電車が順次京紫色へと塗り替えられていき、
モボ621形621号車も4両目の塗色変更車として2010年(平成22年)10月より
京紫色となって運用を開始しています。
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現在も運行している京紫色のモボ621形621号車の外観です。
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車内の様子です。乗降扉が前後配置となっており、
その間を間断無くロングシートが置かれています。
運転席後部には料金精算機が置かれており、
ワンマン運転の場合は運転士が対応をします。

【写真撮影:2018年12月】

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