でんこの元ネタ

でんこの元ネタ
■No.35 神畑いおり(Kabatake Iori)
 ■タイプ:ディフェンダー
 ■誕生日:8月1日

■出身駅: 上田電鉄 別所線 神畑駅(長野)
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こちらは上田市神畑付近の光景です。かつてはこの道路は
県道65号上田丸子線の一部でしたが南側に築地下之郷バイパスが開通すると
2020年(令和2年)に県道指定が外されており、現在は旧道の市道となっています。
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旧県道65号線の神畑交差点。
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反対の南側から見た神畑交差点付近の光景です。
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この神畑交差点はT字の交差点となっており、南西の別所温泉方向へと分岐をしています。
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6kmほどで別所温泉の温泉街へと通じるこの道は別所街道とも呼ばれていました。
この道路もかつては県道177号鹿教湯別所上田線という県道でしたが
2020年(令和2年)に神畑交差点から800mほどの区間が県道指定を外され現在は市道です。
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その神畑交差点から別所街道を南に60mほど進むと
上田電鉄の神畑踏切があります。
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南側から踏切を見ると、ご覧の通り神畑交差点までの近さが分かります。
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そしてこの神畑踏切の北西側の線路脇に
駅へと通じる連絡路があります。
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線路脇を進んだこちらが神畑駅の駅入口となります。
駅は1921年(大正10年)に上田温泉電軌の駅として開業したもので、
何度か路線の所属会社が変わったものの一貫して無人駅として現在に至ります。
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駅入口の階段前付近の様子です。
踏切脇の道路からの連絡通路の脇には駅の駐輪場があります。
また駐輪場の手前には民家の入口がありました。
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ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の無人駅となっており駅舎はありません。
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代わりに中央付近に待合室の建屋が置かれています。
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待合室の中の様子。
奥の壁側がベンチとなっています。
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ホーム南側が入口となっており、
自動券売機は無いものの自販機が置かれています。
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ホーム建屋の屋根は待合室部分だけではなく
別所温泉方にも張り出しており、外にもベンチが置かれています。
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北側から見た駅ホームの全景。

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駅ホームの裏手である西側一帯は畑が広がっています。
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そしてホームの北西側にはりんごの木が並んだりんご畑となっています。
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畑の側から見た神畑駅の全景です。

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こちらは神畑駅から県道65号上田丸子線を南におよそ2km離れた
2駅隣りの下之郷駅が最寄りである生島足島神社です。

古来、朝廷に仕えて機を織る職能集団を「服部(はとりべ)」と言いましたが、
神宮に仕えて神の御衣を織る「神服部(かんはとり)」という人たちがいました。
神畑(かばたけ)の地名は生島足島神社の神服部が訛ったものとされています。

【写真撮影:2020年3月ほか】



■モデル車両: 上田電鉄1000系電車 1001編成
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現在の上田鉄道別所線のルーツは1921年(大正10年)の上田温泉軌道によるもので、
青木線と川西線の2つの路線で三好町駅(現在の城下駅)━別所駅(現在の別所温泉駅)が
開業をしています。
1924年(大正13年)には千曲川鉄橋ができて省線(後の国鉄)上田駅まで延伸。
現在の別所線となる線路が全通となります。

その後、丸子鉄道と上田温泉軌道(→上田電鉄)が1943年(昭和18年)に合併して
上田丸子電鉄となったのが現在の上田電鉄のルーツであり、
1958年(昭和33年)に東急の系列会社となって現在に至ります。
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こちらは列車の車体につけられた上田電鉄の社章です。
1969年(昭和44年)に上田丸子電鉄は上田交通に社名変更されましたが、
その後鉄道部門が上田交通から分離し2005年(平成17年)に再び上田電鉄となります。
社章は1939年(昭和14年)発足の初代の上田電鉄のものが再び使われています


東急系列である為、上田電鉄では東急の払い下げ車両を歴代で使用してきました。
1000系の前任車両である上田交通7200系電車は1993年(平成5年)に
東急から譲り受けて上田交通(当時・現上田電鉄)へと入線しましたが、
その時点で既に26年使用されていた車両であった為、当然老朽化が進む事となりました。
この7200系を置き換える為に導入されたのが上田電鉄1000系電車となります。
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【上写真:東急1000系1015編成】
置き換え用として上田電鉄へと譲渡されたのは東急1000系電車で、
1991年(平成3年)に東急池上線用に作られた4次車で
「1000N'系」と呼ばれる編成のものです。
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【上写真:上田電鉄1000系1001編成(旧東急1000系1015編成)】
上田電鉄へと譲渡される事となった1000系のうち、
2008年(平成20年)3月に1015Fと1018Fの2編成が
東急テクノシステム長津田工場で改造が行われました。

運賃箱や整理券発行機などワンマン運行の為の設備の設置や
連結面の転落防止幌の設置などが行われた他、
デハ1000形の運転台寄りにパンタグラフを増設し2基搭載なったのが
主な改造工事の内容となります。

上田電鉄1000系の1001編成と1002編成となった2編成は
2008年(平成20年)8月1日に上田電鉄別所線での営業運転を開始
しました。

駅メモのでんこである神畑いおりの誕生日が8月1日に設定されていますが、
これは上田電鉄1000系の別所線での営業運転開始日が元ネタとなります。
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また神畑いおりのコスチュームのカラーリングを見ると
灰色の地色に赤い帯色となっています。
これは上田電鉄で運行開始をした当時の東急色のカラーリング
灰色はステンレス車体の地色、赤(    は車体の帯色と同じです。
帯色が胴の裾が車両前面と同じ太い一本線、袖が車体横と同じ2本線となっている事からも
元々の東急カラーがモチーフであるが分かります。
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2022年(令和4年)5月27日より駅メモで行われた
「いおりと巡る別所温泉・寺社仏閣の旅」イベントで上田電鉄と駅メモがコラボを行っていますが、
このイベントで神畑いおりが上田電鉄公認キャラクターとなっています。
イベントを完走すると上田電鉄の窓口でいおりのキャラクターカードが配布されましたが、
このカードにいおりの元ネタが1001編成であることが明記されています。
ですので神畑いおりの元ネタ車両は上田電鉄1000系1001編成で確定となります。
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【上写真:(上)伊賀鉄道200系】(下)一畑電車1000系】
上田電鉄と同じく東急1000系が譲渡されて使用されている例としては
伊賀鉄道200系や一畑電車1000系などがあり、最近では福島交通1000系も同様です。



【上動画はクリックで再生します。】
こちらは下之郷車庫から出庫する上田電鉄1000系1001編成の動画です。
以下では編成の各車両について見てみたいと思います。

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編成の上田方のデハ1000形1001です。デ(電動車)ハ(普通車)
元は東急池上線用4次車であった東急1000系デハ1310形1315であり、
編成略記号McM(動力車)c(制御車)の制御電動車でした。
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東急時代には一つだったパンタグラフが上田電鉄譲渡時の改造で
運転台側に1基増設されており計2基となっています。
1000系をモチーフとしている神畑いおりの背中のパンタグラフを見ると
同じシングルアームの形状である事が分かります。
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上田方車端の運転台付近の様子です。
運転台後方の仕切り壁上方の液晶ディスプレイと運賃箱は
上田電鉄譲渡によるワンマン化改造で設けられました。
壁には他に東急車輛の1991年(平成3年)の製造銘板と
改造を行った東急テクノシステムの2008年(平成20年)の銘板があります。
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運転台の中の様子です。T型ワンハンドルの制御装置は東急時代から変わりませんが、
上田電鉄譲渡時にワンマン運転の為にドア開閉ボタンが増設されています。
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車内の様子です。基本的には東急時代から変化しておらず
車端部には4人掛けのシートが、中央部には9人掛けのロングシートが
それぞれ設置されています。
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別所温泉方の車端の連結部付近。4人掛けロングシートが両側に設置されています。
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切り返して見た車内客室。中央部のロングシートは座席間に
仕切板が設けられており3人づつのシートが3つ連なる形状となっています。


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こちらは別所温泉方に編成されているクハ1100形1101です。
ク(制御車)ハ(普通車)ですので動力は無く運転台のある制御車両となります。
編成略記号ではTcですのでT(付随車)c(制御車)となり
東急池上線時代に目黒方の先頭車両だった1000系クハ1000形1015が元となります。
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上田方車端の連結部付近です。こちらの車両はロングシートが片側だけで
もう一方側は座席の無い車椅子対応フリースペースとなっています。
東急時代には両側が座席でしたが上田電鉄譲渡時に片側の座席が撤去され、
バリアフリー対応の改造が施されています。
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車内の様子です。
こちらの車両も基本的には東急時代の座席がそのまま使われています。
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別所温泉方車端の運転台後部付近。
ワンマン対応の運賃箱の他、乗降扉脇には整理券発券機がありますが
上田電鉄では2021年(令和3年)からQRコードによるキャッシュレス決裁が導入されており
ご覧の通り整理券箱の上にQRコードの読み取り機があります。
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列車内に掲示されていたQR決裁の案内。
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別所温泉方の運転台の様子です。
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切り返して見た車内。
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上田方のデハ1000形でも同様ですが、車内の優先座席は
運転台寄りロングシートの中央部3席の部分が指定されています。
ご覧の通りモケットの色などは通常席と変わっておらず
優先席を示すシールが窓に貼られているのみとなっています。

【写真撮影:2022年5月ほか】

でんこの元ネタ
■No.115 調布みずか(Chofu Mizuka)
 ■タイプ:サポーター
 ■誕生日:9月29日

■出身駅: 京王電鉄 京王線 調布駅(東京)
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こちらは国道20号線の甲州街道の調布市調布ヶ丘付近の様子で、
ご覧の信号は布多天神前交差点です。
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名前の通り布多天神の参道が甲州街道と交わる交差点であり、
北に100mほど進むとご覧の布多天神の鳥居があります。
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布多天神は927年(延長5年)編纂の延喜式神名帳に名のある式内社であり、
当地には1477年(文明9年)に遷座したとされています。
少彦名神と菅原道真公を祭る神社で、甲州街道の布田の五宿の総鎮守で、
明治時代には合併した調布町の総鎮守でした。
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神社を背に切り返して南の甲州街道方面へと戻ります。
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布多天神前交差点で甲州街道と南北に交わる道は「天神通り」と名付けられている参道です。
甲州街道の旧道から神社までの300mほどが参道商店街となっています。
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天神通りにはご覧の通りいたる所にゲゲゲの鬼太郎のオブジェがあります。
これは漫画家の水木しげる氏が長年調布で活動をしていて
布多天神の鎮守の森が鬼太郎の世界観のモチーフとなっている事に由来しています。

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甲州街道へと戻り布多天神前交差点の信号から西へ50mほど進むと
すぐに調布駅入口交差点の信号となります。
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この調布駅入口交差点のT字路北側一帯には国立の電気通信大学の敷地が広がっています。
電通大がこの地に移転してきたのは1957年(昭和32年)のことで、
これは1948年(昭和23年)に当地に作られた東京青年師範学校(現・東京学芸大)の
移転跡地に作られたものです。
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ちなみに電通大の敷地の北西側向かいには東京現像所があります。
日本のアニメの半分はこちらでフイルムになったと言っても過言では無いスタジオで、
現在でもポストプロダクション工程を担う映画の街の重要な施設です。
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反対の西側から見た調布駅入口交差点付近。
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甲州街道との三差路となるこの交差点から南へ分かれる道が
電通大通りという道路で駅と甲州街道とのアクセス道路となります。
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南へと進んだ電通大通りの様子。
みずか14
甲州街道から240mほど進むとご覧の調布駅北口交差点となります。
この交差点は都道119号北浦上石原線という甲州街道の旧道と交差しています。
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調布駅北口交差点付近の旧甲州街道の様子。
1956年(昭和31年)に現在の甲州街道がバイパスとしてできるまでは
こちらが国道20号線だったという通りであり、
駅北の大型店舗ををはじめとする繁華街となっていて
日中にはかなりの人通りがあります。
みずか16
ですので交差点の東25mほどには布田天神の参道の入口があり、
かつての甲州街道に向かって神社の標柱も立っています。
みずか17
調布駅北口交差点に戻り、電通大通りをさらに60mほど南下すると
駅前のロータリーへの入口となります。ロータリー奥には
かつては地上駅舎と線路のあった跡地の駅前広場があります。
みずか19
こちらがその広場にある調布駅の地上出口の外観です。
京王線の連続立体交差事業によって2002年(平成14年)に駅は地下駅となっており、
地上部分にはトリエ京王調布という駅ビルが2017年(平成29年)に作られました。
みずか20
こちらが2008年(平成20年)まで地上にあった旧北口駅舎の様子です。
駅ビルが建てられるまでは仮設橋上駅舎が設けられていました。
現在では駅舎と線路跡は駅前広場の一部となっています。
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調布駅の駅前広場付近の地図。
ロータリーは南北二ヶ所あり、かつての北口の南口の名残りが残っています。
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駅前の北側ロータリーです。中央部にバスプールとタクシープールが設けられており
外周部には屋根つきのバス乗降場が整備されています。

ロータリー西側にガラス貼りの調布サウスゲートビルという
保険会社のロゴの入ったビルがありますが、旧駅舎の写真と照らし合わせると
北側ロータリーが旧北口駅舎のあった場所である事が分かります。
みずか22
西側から見た北側ロータリー。
内部では時計回りの一方通行となっています。

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こちらは駅前広場の中央部の様子です。
かつての線路やホームのあった土地は平時のイベント空間や
非常時には非難場所としての機能を持つ広大な歩行者広場となっています。
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その広場に面するトリエ京王調布のA館地上部に
調布駅の地上出入口である中央口が設けられています。
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中央口を出た右手が北側の駅前ロータリーであり
ロータリーへと連絡する上屋の屋根が設けられています。
みずか26
反対の中央口から左手の南側目の前には
調布警察署の調布駅前交番が置かれています。
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そして中央の広場の、北側ロータリーに接する様にある
こちらが調布駅の広場口の地上出入口です。
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広場の中央部付近はイベントや避難などに供するため
樹木などが植えられておらずスペースが広めに取れる様になっています。
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南側のロータリーに接する付近には区画の為か
街路樹が植えられて舗装もインターロッキングとなって
歩行者の動線が区画されています。
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駅前広場の南西に接している調布グリーンホール。
市が設置している多目的ホールを有する文化施設です。
みずか31
このホール前付近に広場は本来は様々なべんちが置かれた
あらゆる年齢の人々がくつろげる憩いの広場なのだそうですが
現在(註:2022年)には仮設プレハブが置かれています。

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そして駅前広場の南側となる南側ロータリーです。
かつての駅南口ロータリーにあたるものであり、
バスプールとタクシープール、バス停留場やタクシー乗降場が置かれています。
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この様に南行のバスは南側ロータリー、北行は北側ロータリーへと仕分けられていますが
南側のロータリーに関しては2025年度を目処に拡張が予定されている様です。
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南側ロータリーの出口には調布駅南口交差点の信号があり
かつての調布駅南口正面の駅前通りが延びています。
みずか35
南側の駅前通りの光景。店舗や集合住宅の大きな建物が並んでいます。
270mほど南下すると調布駅南入口交差点へとつきあたります。
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T字路と呼んで差し支えの無い十字路で東西への市道と交わっており、
その南側は駅南方の住宅地となっています。
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この調布駅南口交差点からおよそ500mほどの直線南の位置には
かつての日活多摩川撮影所がありました。
跡地の一部は多摩川5丁目児童遊園という公園になっており
「調布映画発祥の地」の石碑が入口に建てられています。
みずか39
都道120号下石原小島線沿いにある現在の角川大映スタジオの目の前付近が
かつての日活撮影所跡で石碑の児童公園も目の前にありますが、
最寄り駅は隣の京王多摩川駅から徒歩3分の位置となります。
みずか37
調布駅南口交差点から切り返して見た北の駅方向。

みずか41
駅前広場へと戻って中央口の地上出入口から階段を下って駅へと入ります。
みずか42
階段を下るとご覧の通り目の前が中央口改札となります。
調布駅のメインとなる改札で自動改札機が並び左手北側には有人窓口があります。
みずか43
改札側から見た中央口の階段。
みずか44
ガラス張りの有人改札窓口の脇には自動券売機が並んでいます。
みずか45
そして券売機の先には西へと向かってご覧の地下連絡通路が伸びています。
通路の両側には銀行ATMやコンビニが。
みずか46
駅ビルへのエレベーターの前を過ぎて西へと進みます。
みずか47
テナント店舗の前を進むとご覧の通り
つきあたりに地上へと上がるエスカレーターと階段があります。
みずか48
上へと上がると駅前広場の中央付近に。
こちらが調布駅の広場口の地上出入口です。

みずか50
改札を入り、こちらは中央口改札の内側からの光景です。
みずか51
北側の有人窓口の前には自動精算機があります。
みずか52
B1階の改札内コンコースの光景です。
みずか58
線路に沿って東西に作られたコンコースは西側がメインの中央口改札、
東側が駅裏手へと通じる東口改札となっています。
みずか53
東端の改札前付近の光景です。
みずか54
奥へと進むとご覧の東口改札があります。
窓口はインターホンがあり中央口の駅員とリモートでのやり取りとなります。
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切り返して見た構内側の東口改札前付近。
改札のすぐ脇には1、2番線ホーム階と通じるエスカレーターがあります。
みずか56
そのエスカレーターの並びにある駅トイレの入口。
みずか57
西の中央口改札方面へと戻ります。
みずか59
コンコースの中央部付近に設けられたエレベーター。
バリアフリー対応の為駅の各ホームと改札階とを連絡しています。
みずか60
エレベーターの向かい側には3、4番線ホーム直通のエスカレーターが。
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コンコースを西の中央改札口方面へと戻ると
もう一ヶ所ホーム階へと下る階段とエスカレーターがあります。
みずか63
1、2番線ホームへの階段。3、4番線エスカレーターの裏手にあります。

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ところでこの調布駅の改札階コンコースには
「ガメラ」や「大魔神」の壁画パネルが並んでいます。
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これらの作品は調布にあった大映東京撮影所(現・角大映スタジオ)で撮られたもので
映画の街調布をアピールするひとつとして調布駅地下化に際に設置されたものです。


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こちらは調布駅の地下2階の下り線ホームである
京王八王子・橋本・高尾山口方面行きホームの構内図です。
改修前は地上で上り線と下り線が平面交差する構造だった調布駅は
地下化改修後では上り線と下り線を上下に分離する事で交差を解消しています。
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実際の下り線ホームの光景。1番線と2番線が設置されている島式ホームであり、
この階ではホームドアなどの構造物を青色で統一する事で行き先方向をわかり易くしています。
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新宿方のホーム東端の光景です。
当駅より東は全ての路線が合流して京王本線のみとなっています。
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切り返して西の方向へ。
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東端近くにはエスカレーターがあり、
改札階の東口改札脇と連絡しています。
みずか68
エスカレーターの先へホームを西進。
ホーム中央部に設置されているエレベーターの裏手付近の様子です。
みずか69
このエレベーターの裏手には、B3Fホームとこのホームを連絡する
エスカレーターがあります。上り線ホームは赤で意匠を統一していますので
上りホーム行きのエスカレーター入口も赤くなっています。
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さらにホームを西へと進みエレベーターの表側へ。
エレベーターの正面には上階(改札階)と下階(上り線ホーム)へと通じる階段があります。
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下り線ホームエレベーター前の光景。
階段の正面の東側にはエレベーター2基の乗降口があり
こちらも改札階と上りホームへと連絡しています。
みずか72
さらに西進すると上階へのエスカレーターと下界へのエスカレーターが
向かい合って設けられたエリアがあり、通り抜けるとホームの西端側が見えてきます。
みずか73
下り1、2番線ホームのホーム西端付近。
こちら側はエスカレーターの裏手のあたるのでベンチなどは置かれていません。
みずか75
調布駅では京王本線と相模原線が分岐していますので
このホーム西端の先でそれぞれ京王八王子駅、橋本駅へと列車は進みます。
みずか76
こちら側の線路脇の壁にはご覧のカラフルな表示があります。
これは車両によってホームドアと乗降扉の位置を合わせる停車位置が異なるので
それぞれの列車の停止許容範囲を運転士に示しているものなのだそうです。
下り線は西側が先頭なのでこちらに表示が設けられています。
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再び切り返して東方向へと戻ります。
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ホーム西寄りから改札階へと連絡するエスカレーター。
こちらの西側エスカレーターは中央改札前へと通じています。
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東方向へと見たホームの光景。
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3層構造の地下駅のちょうど中間層となるこのホームには
中央部に数多くの階段が行き来をしています。
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再びホーム東側に。


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こちらは地下3階の上り線新宿方面行きホームの構内図です。
3番線と4番線がある島式ホームとなります。
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上り線ホームの様子です。基本的な意匠は赤で統一されています。
みずか84
新宿方の東側ホーム端の光景です。
みずか85
切り返して見たホーム。
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ホーム東側にある、上階の1、2番線ホームと連絡しているエスカレーター。
そのエスカレーターの裏手へと進むとエレベーターの裏側が見えてきます。
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西に進んでエレベーターの表側へ。
エレベーターの正面には階段下を利用して自販機が設置されています。
みずか89
切り返して見たエレベーターの正面側の光景。
エレベーターは1、2番線ホーム(B2F)や改札階(B1F)へと連絡しています。
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そのエレベーターの西側にある階段。
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エスカレーターの裏手すぐに作られたこちらの階段も
1、2番線ホームのあるB2Fとの連絡階段となっています。
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階段の西側へとさらに進むとエスカレーターが。
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構内図を見ると分かる通り、上り線3、4番ホームの西側には
改札階へのエスカレーターと1、2番線ホームへのエスカレーターが
2基並んで設けられています。
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エスカレーターを抜けてホーム西端付近へ。
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こちらが上り線ホームの京王八王子・橋本・高尾山口方の様子です。
京王相模原線ろ京王本線が合流する駅で、駅西側にクロッシングポイントがあるのが見えます。
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再び切り返して東方向へ。
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ホームの一番西にあるエスカレーターで上階の1、2番線ホームへと通じています。
上階では降りた正面に改札階行きのエスカレーターがあり
連続して改札階まで上る事ができます。
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東のエスカレーター裏側へと進むと2つ目のエスカレーターがあります。
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この西側2つ目のエスカレーターは地下3階の上りホームから
地下1階の改札階までノンストップで連絡しているものです。
みずか98
エスカレーター脇から東方向へ。
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地下ホームでは基本的にホーム中央部に角柱を設け
一本で支える構造とすることでホームの見通しを確保しています。

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この調布駅では駅名標を見るとフィルムを模したデザインである事が分かります。
2012年(平成24年)の駅の地下化事業時に当駅オリジナルデザインとして採用されたもので
「映画の街調布」をアピールする目的となっています。


みずかa03
改札階へと戻ってこちらは東口改札です。
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駅ビルの東側裏手へと通じている改札は
構内側には自動精算機、改札外には自動券売機があり、
中央口改札からリモートで管理されて自動改札が設置されています。
みずかa05
改札の左手北側には地上に通じるエレベーターが。
みずかa06
正面の通路を進むと折り返すように地上への階段が設けられています。
みずかa07
東口地上へと通じる階段とエスカレーター。
みずかa10
地上部は駅ビルのトリエ京王調布A館を南北に通る通路へと通じています。
みずかa08
こちらがその階段上の通路の実際の光景です。
みずかa11
反対側から見た通路。駅ビルの外の両側にある側道へと通じています。
みずかa14
東口通路の駅ビル南側出口。
みずかa09
南側の出入口前の道路の光景です。
みずかa12
南側出入口の目の前に建つ飯野病院。
みずかa15
こちらは反対の東口通路北側の出入口の外観です。
みずかa13
北側出入口前の光景。
みずかa16
この北側の出入口を東方向へと進むと
かつての線路脇の店舗街が残る一角となっています。



■モデル車両: 京王電鉄5000系電車
みずか02


近郊路線での着席帰宅ニーズが高まる中で2014年(平成26年)頃から
京王電鉄では座席指定列車の導入が検討され始め、
「既存車両の改造より新車両導入の方が鉄道会社としてインパクトがある」として
2017年(平成29年)に導入されたのが京王5000系電車です。
みずかa38
車両はステンレス車両のパイオニアである総合車両製作所(J-TREC)製で、
同社のブランドである「sustina(サスティナ)」S24(車体長20mの4扉車)シリーズ
という車両となります。
みずかa35
「従来イメージの刷新」をコンセプトとしたデザインでは
これまでの京王電車には無かった先頭部に500mmのノーズ部分を作っています。
車両の前面部にはシャープな印象を与える黒(    を多用。
ベース色はステンレス車体の地色で側面窓上に京王レッド(    
窓下には京王ブルー(    とそれぞれコーポレートカラーの帯が配されています。
みずかa37
また前面の排障器(スカート)も京王レッドで塗られており
デザイン的にも目立ち映えるものとなっています。

車両は2017年(平成29年)9月29日より普通列車として営業運転を開始
座席指定車である京王ライナーとしては翌年の2018年(平成30年)2月22日の
ダイヤ改正からの運用となっています。
みずかa36
駅メモのでんこの調布みずかの誕生日が9月29日に設定されていますが
これは京王5000系の営業運転開始日が元であると考えて良いでしょう。
衣装のデザインも銀をベースに黒と京王レッド、京王ブルーが使われており
京王5000系をデザインモチーフとしている事は明らかと言えます。
みずかa39
京王ライナーのロゴマークはKとLを組み合わせたデザインなのですが、
調布みずかの衣装のベルトのバックルを見ると京王ライナーのロゴの形である事が分かります。
こちらも京王ライナー車両がモチーフである事を補強するものであると言えるでしょう。
みずかa84
また背中のシングルアームパンタグラフも実際の車両のものと並べて見ると
同じ形のものである事が分かります。



それでは以下で京王5000系電車の各車両についての詳細を見てみたいと思います。
みずかa17
京王八王子方の先頭車両となる1号車のクハ5750形です。
編成略記号Tc2T(付随車)c(制御車)となり動力を持たない運転台のある車両となります。
みずかa27
運転台のある京王八王子方の車端部の車内光景。
乗務員室の扉は右端に設置されており、仕切り壁上方には液晶モニターがあります。
みずかa28
東の新宿方へと向かって見た1号車車内の様子です。
みずかa32
片側4扉の車内座席は「デュアルシート」と呼ばれるもので
運用によってクロスシート形状とロングシート形状に転換が可能となっています。
扉間に2人掛けシートが片側3組づつ設置されており電動で転換する仕組みとなっています。

座席のモケットは八王子地区の伝統工芸である「多磨織り」がモチーフとなっていて
上質かつ高級感を演出しているそうです。
みずかa29
新宿方車端部の連結部付近。貫通路の扉はガラス製となっています。
車端の座席は南側に3席のロングシートが優先座席となっており、
1席ごとに肘掛けで仕切られています。
みずかa30
反対の南側は座席が無く、車椅子やベビーカーなどのフリースペースとなっていて
手すりと腰あてのクッションが取り付けられています。
みずかa31
切り返して京王八王子方へと望んだ車内客室。


みずかa34
こちらはクロスシート運用時の車内の光景です。
ご覧の形状は京王ライナーとしての運用時にのみ使用されます。


みずかa18
京王八王子方の二両目の2号車であるデハ5050形5200番台です。
編成略記号がM2"M(動力車)の中間電動車です。
デハ5000形とユニットを組む車両で電動空気圧縮機(コンプレッサー)や
補助電源などを搭載しています。
編成ではデハ5050形は10両編成の三両目、六両目、九両目に組まれています。
みずかa45
この車両の京王八王子方の車端屋根上には
シングルアームパンタグラフが1基搭載されています。
みずかa40
2号車京王八王子方車端の車内客室の様子です。
こちらの車端は両側が3席ロングシートの優先座席となっています。
車端のロングシートはボックスシート形態時にも転換しません。
その為各座席のコンセントが座席仕切りに設けられています。
みずかa41
1号車との貫通路の「妻引戸」と呼ばれるガラス製貫通扉です。
みずかa42
客室内の光景です。4扉の扉間にデュアルシートが各片側3組づつあるのは
京王5000系の車内では基本的に共通の構造となっています。
みずかa43
新宿方の車端部付近。南側が3席ロングシートの優先席、
北側が「おもいやりゾーン」と名づけられたフリースペースです。
みずかa44
切り返して京王八王子方へと見た車内。


みずかa19
こちらは京王八王子方の三両目の3号車のデハ5000形5200番台です。
編成略記号M1"M(動力車)となる中間電動車です。
デハ5050形とユニットを組む車両でパンタグラフと主制御機があります。
10両編成の二両目、五両目、八両目にデハ5000形は編成されています。
みずかa46
この3号車も京王八王子方車端にパンタグラフが1基搭載されています。
みずかa47
車内客室の京王八王子方車端付近の光景です。
両側に優先座席のロングシートがあるのは他の車両と変わりません。
みずかa48
新宿方へと向かって見た車内。
みずかa49
3号車新宿方の車端です。
みずかa50
切り返して見た客室内。


みずかa20
京王八王子方四両目、4号車のサハ5550形です。
編成略記号T2T(付随車)となって動力源を持たない客車車両です。
みずかa51
西側の京王八王子方の車端部。ここも両側が優先座席の3席ロングシートです。
京王電鉄では貫通路付近の車端部座席は全車両で優先座席としているそうで
この5000系も例外ではありません。
みずかa52
4号車車内客室。基本的構造は他の車両と同様です。
乗降扉脇の仕切りは上部がガラス製で見通しが良く開放感があります。
みずかa53
優先座席とフリースペースのある新宿方の車端部付近。
みずかa54
切り返して見た車内客室の光景です。


みずかa21
京王八王子方5両目、新宿方からは六両目となる5号車のデハ5050形5100番台です。
編成略記号M2'M(動力車)でありデハ5000形とユニットを組む車両です。

他のデハ5050形には屋根上にパンタグラフがあるもののこの5100番台には無く、
代わりに床下に車上蓄電システムを搭載しています。
みずかa55
京王八王子方車端。両側が優先座席の3席ロングシートです。
みずかa56
車内客室内の様子。他の車両と基本構造は変わりません。
みずかa57
新宿方車端の連結部付近の光景。こちらも3席ロングの優先席と
フリースペースが設置されています。
みずかa58
切り返して京王八王子方へと見た車内客室。


みずかa22
6号車の新宿方五両目、デハ5000形5100番台です。
編成略記号M1'M(動力車)の車両です。
制御装置を搭載しデハ5050形とユニットを組んでいる車両います。
みずかa59
この車両も京王八王子方の車端屋根上にパンタグラフが設置されています。
みずかa60
京王八王子方の車端連結部前付近の光景です。
みずかa61
6号車の車内客室。
みずかa62
新宿方の車端連結部付近です。
みずかa63
切り返して京王八王子方へと客室内を戻ります。


みずかa23
新宿方の四両目に位置する7号車のサハ5050形です。
編成略記号T1付随車で動力を持たない客車車両となります。
みずかa64
西寄りの京王八王子方の車端付近の光景です。
優先座席のロングシートがあります。
みずかa65
新宿方へと向かって見た車内。
みずかa66
奥の新宿方車端の様子です。
みずかa67
切り返して見た車内。基本的な車内の構造は他の車両と変わりません。


みずかa24
こちらは新宿方の三両目になる8号車のデハ5050形5000番台です。
編成略記号はM2M(動力車)となりモーター搭載の中間電動車です。
コンプレッサーや補助電源装置があるのは2号車、5号車と同じです。
デハ5000形とユニットを組む車両となります。
みずかa68
京王八王子方車端の屋根上のパンタグラフ。この車両にも1基搭載されています。
みずかa69
こちらは車内京王八王子方の優先座席の様子です。
みずかa70
8号車の車内客室の光景。
みずかa71
フリースペースと優先座席がある新宿方の車端です。
みずかa72
切り返して京王八王子方へと望む車内。


みずかa25
新宿方の二両目、9号車となるデハ5000形5000番台です。
編成略記号ですとM1動力車となり中間電動車となります。
デハ5050形とユニットを組む車両であり主制御機が搭載されています。
みずかa74
この車両にも京王八王子方の屋根上にパンタグラフがあります。
みずかa73
9号車京王八王子方車端の連結部前付近です。
みずかa76
車内の様子。
みずかa77
8号車との連結部側となる新宿方の車端です。
みずかa78
切り返して車内を東の京王八王子方へ。


みずかa26
そしてこちらが新宿方の先頭車両となる10号車のクハ5700形です。
編成略記号ではTc1T(付随車)c(制御車)の動力を持たない運転台のある車両となります。
みずかa83
京王5000系の編成の番号はこの10号車の車両番号を元に表記されます。
例えば写真の車両は10号車5783ですので、この編成は5783編成となります。
みずかa79
こちらは10号車の京王八王子方の車端客室内です。
通常は5000系では新宿方にフリースペースが配置されていますが、
この車両は新宿方が運転台である為こちらの京王八王子方に設けられています。

またフリースペースの位置も他の車両では北側にあるのが
10号車のみ南側へと配置されています。
みずかa80
車内客室の光景。
みずかa81
新宿方車端の運転台後方の様子です。
上り電車ではこちら側が先頭となります。
みずかa82
切り返しで見た10号車客室内。


【写真撮影:2022年5月ほか】

でんこの元ネタ
■No.109 小涌谷あすか(Kowakidani Asuka)
 ■タイプ:サポーター
 ■誕生日:3月18日

■出身駅: 箱根登山鉄道鉄道線 小涌谷駅(神奈川)
あすか01



あすか43
こちらは箱根を走る国道1号線の光景です。
旧東海道の道筋を辿る国道1号ですが、箱根付近では旧街道からは外れており
明治時代の福沢諭吉の進言によって箱根七湯を巡るルートを通っています。
あすか44
元箱根方面へと九十九折りの坂道を登る国道1号はこの付近の区間では
「箱根国道」の名前がつけられています。
あすか47
道の脇に置かれた国道1号であることを示す道路標識。
「箱根町 小涌谷」の地名が書かれています。
あすか78
付近の地図を見ても国道が曲がりくねった様子が良く分かります。
あすか45
カーブの内側にある箱根宮ノ下郵便局。
あすか46
向かいのカーブ外側には箱根町消防本部があります。
あすか48
そして郵便局前のカーブから50mほど坂を進むと
箱根登山鉄道の踏切が見えてきます。
あすか49
こちらが国道1号線と箱根登山鉄道の交わる小涌谷踏切です。
毎年正月の箱根大学駅伝では「選手の通過を電車が待つ踏切」としても有名な場所です。
あすか66
小涌谷踏切から西の強羅方を見ると80mほど先に駅があり
カーブの先にホームがあるのが見えます。
あすか67
切り返して踏切の南側から宮ノ下方面を見た光景です。

あすか50
その小涌谷踏切を渡ってさらに50mほど国道の坂を登ると
ご覧の駅への入口があります。
あすか52
駅の入口前の道路脇には「小涌谷」の地名標識があり、
そのすぐ後ろには小涌谷駅前バス停があります。
あすか53
バス停に停まるバスの様子。
あすか54
このバス停の向かい側、国道を挟んだ北側に駅へと道が分かれています。
あすか55
入口付近から見た駅への分岐した道の様子です。

あすか56
駅の入口を過ぎて国道1号線をさらに元箱根方面へと登って進みます。
あすか57
国道を進んで行くと駅前からおよそ400mほどで
ヘアピンカーブに差し掛かります。
あすか59
こちらのカーブは中尾橋という橋になっており、
車沢という温泉の湯気が昇る沢が流れています。
あすか58
沢を越えてさらに坂を登ると道路の分岐を示す青看板の標識が見えてきます。
あすか60
標識に先にはご覧のコンビニが。
駅から直線で200mほどの場所にありますが、道路が曲がりくねった山道の為
徒歩では駅からおよそ10分ほどかかる場所となります。
あすか61
そのコンビニの先で標識のY字路が分岐しており、左手の西方向は元箱根方面への国道1号線、
右手の北方向への分岐は強羅駅方面へと向かう県道723号関本小涌谷線となります。
あすか62
Y字の三差路左手の国道1号線方面の光景です。
この先には箱根小涌園ユネッサンがあり、その先は
元箱根の芦ノ湖から箱根峠へと向かっています。
あすか63
T字路まで戻って今度は右手の県道723号関本小涌谷線へ。
あすか64
県道に入ってすぐの右手には源泉櫓があり「小涌谷温泉郷」の看板が。
あすか65
その先には二ノ平の台地が広がっており、
箱根登山鉄道と併走した県道が強羅へと向かっています。
あすか79
こちらは付近の地図です。

あすか68
県道を切り返して三差路へ。
あすか70
国道1号線を駅方向へと向かって戻ります。
途中のガソリンスタンドの先にフェンスには切れ目があって
ご覧の下へと降りられる階段があります。
あすか71
階段は国道1号から駅の駅舎前へとショートカットで連絡をしているものでした。
あすか72
さらに国道を下って駅前まで戻ります。

あすか73
駅入口の前の小涌谷駅前バス停の脇には
ご覧の坂道が南の方角へと向かって分かれています。
あすか74
勾配が急な為アスファルトではなくコンクリート舗装となっており
住宅の間を曲がりくねって登っています。
道は800mほどで箱根蓬莱園の脇へと抜けており
小涌谷の中心地へとショートカットで向かっています。
あすか75
坂から見下ろした駅付近の光景。
あすか76
小涌谷踏切の南側にも国道から分岐をしている道がありますが、
こちらは奥に入るとまもなくバリケードで通行止めとなっています。
あすか77
バリケード前から見た谷側の様子。

あすか80
国道1号線から駅への道へと入ります。
駅前の取り付け道路は幅が広く駅前広場を兼ねた造りとなっています。
あすか81
駅への案内標識の立つ国道と接した東側の端には防災倉庫が。
倉庫脇には付近のハイキングコースの案内看板があります。
あすか82
そのすぐ裏には国道の下り線に設けられた緊急避難所があります。
あすか83
駅前の道を西へと進むと駅舎方向に。
あすか84
こちらが小涌谷駅の駅舎の外観です。
1919年(大正8年)6月1日の箱根登山鉄道開業で設置された駅です。

当初の計画では宮ノ下駅から二ノ平(現・彫刻の森)駅までの間はトンネルで繋ぐ予定でしたが、
1916年(大正5年)の地質調査でトンネルは温泉脈に悪影響が出る事が判明。
この為山肌に沿ってゆるやかに登る遠回りのルートを取らざるを得なくなり
小涌谷を経由するルートに修正され、同時に小涌谷への駅設置も決まりました。
あすか85
国道から見た駅付近の俯瞰です。
あすか86
駅舎前の道路の西の奥の端には箱根登山鉄道の小涌谷変電所の建物が。
あすか87
国道へと連絡している階段が駅舎の目の前にご覧の通りあります。
あすか88
切り返して奥側から見た駅舎前の道路の光景です。
あすか89
ご覧の通り道路に区画などは無く、送迎などの車は
道の幅の広さを利用して切り返す事となります。

あすか90
駅舎の入口から中へと入ります。
待合室に木製ベンチが置かれた中は、外への出入口と
ホームへの改札口が千鳥配置で作られています。
あすか91
改札側から見た駅舎内待合室の光景。
あすか92
社員配置駅で9時から17時までは駅員がいる駅となっており
出札窓口と自動券売機が置かれています。
改札には木製のラッチの他にICカード改札機が設置されています。
あすか93
ホームの様子です。相対式ホーム2面2線の駅となっており、
駅舎のある南側が1番線ホームで下り線強羅方面行きとなります。
あすか94
東端側の箱根湯本方のホームの光景です。開業時には2両分の有効長のホームでしたが、
1993年(平成5年)の3両編成運用開始に伴ってホームの有効長が伸ばされました。
ホーム外側の柵が箱根湯本方の1両分だけ色が違うのを見ると
延長されたホームの痕跡なのだろう、と推測できます。
あすか95
切り返して強羅方の西方を見た光景。
あすか96
ホーム西端の強羅方です。駅舎もこちら側にあり
西端近くに改札口があります。
あすか97
そして1番線ホームの強羅方端部はご覧の通り
構内踏切が設けられて階段となっています。
あすか98
踏切を渡った先の反対側のホームへの階段。
あすか99
こちらが駅の北側にある2番線ホームです。
上り線箱根湯本方面行きのホームとなっています。
あすかa01
2番線の箱根湯本方の東側の光景です。
あすかa02
切り返して西方を望んだホームの様子。
あすかa03
ホーム西側寄りには待合のベンチと上屋の屋根があります。
あすかa04
西端の構内踏切前まで戻ると、
ホームとは反対側にも階段があるのが見えます。
あすかa05
「駅施設ではありません」との看板の奥へと進むと
駅変電設備の奥にアパートの建物が見えます。
あすかa06
このホーム奥の場所から国道1号線へと下れる道がある様ですが、
ご覧の通り藪に埋もれていて使われている様子がありません。
あすかa07
ホーム側への光景。



■モデル車両: 箱根登山鉄道2000形電車「サン・モリッツ号」
あすかa29


あすか02
箱根登山鉄道は1988年(昭和63年)に創業100周年を迎えており、
記念行事の一環として輸送力増強の為の新型車両を導入する事となりました。
その為に新しく導入されたのがこちらの箱根登山鉄道2000形であり、
1989年(平成元年)3月18日より第1編成(クモハ2001+クモハ2002)が運用を開始しています。
あすか03
駅メモのでんこの小涌谷あすかの誕生日が3月18日に設定されていますが、
これは2000形第1編成の運用開始日が元であると考えて良いでしょう。
あすか05
第1編成の車体の塗色を見ると、前面と側面窓まわりにはストロベリーレッド(    を配し、
側面腰板部分に白(    の地にスレンレッド(    の帯色が入っています。
あすか06
【上写真:小田急10000系HiSEロマンスカー】
箱根登山鉄道の車両は小田急ロマンスカーのカラーリングをモチーフする慣わしがあり
2000系は小田急10000系HiSEが元となった塗装になっています。
あすか07
2000形第1編成は1999年(平成11年)3月にスイスのレーティッシュ鉄道カラーに塗り替えられており、
2015年(平成27年)3月には3000形アレグラ号に準じた塗装に変更されています。
そして2018年(平成30年)2月に登場時のロマンスカーカラーへと戻されて現在に至っています。
あすかa08
駅メモのでんこの小涌谷あすかの胸の衣装の模様が第1編成の帯と同じデザインですが
これはこの2000形電車のHiSEカラーがモチーフと見て良いでしょう。


あすかa32
こちらは第1編成から2年後の1991年(平成3年)に増備された2000形第2編成です。
登場した当初は第2編成もHiSEロマンスカーのカラーリングでしたが
2002年(平成14年)にレーティッシュカラーに変更され、
そして2014年(平成26年)に3000形アレグラ号に準じた塗装となっています。
あすか09
【上写真:箱根登山鉄道3000形系アレグラ号】
2014年(平成26年)にデビューした3000形の写真を並べてみると
第2編成のカラーリングが3000形に揃えられている事が良く分かります。


あすか10
こちらは1997年(平成9年)6月17日に増備された第3編成(クモハ2005+モハ2203+クモハ2006)です。
この編成も2002年(平成14年)には一旦レーティッシュ鉄道カラーへと塗り替えられています。
あすか11
そして2009年(平成21年)3月14日にはレーティッシュ鉄道の看板列車である
「氷河急行(グレッシャー・エクスプレス)」カラーへと変更
されています。
あすか12
小涌谷あすかの衣装の上着の裾にはスイス十字があしらわれていますが
これはご覧の通り2000系第3編成の連結部付近のデザインがモチーフとなっています。
あすか13
こちらはその2000系第3編成のデザイン元である本家スイスのれーティッシュ鉄道の
氷河急行(グレッシャー・エクスプレス)の写真です。さすがに大元のデザインであるだけに
小涌谷あすかのデザインがこちらである、と言われても違和感がありません。


あすかa09
ご覧の通り箱根登山鉄道2000系の3編成は現在では全てが違う外観デザインとなっています。
この2000系がモチーフであると思われる小涌谷あすかの衣装だけを見ても
第1編成のHiSEの帯や第3編成のスイス十字が用いられていて
どちらの編成が元であるかという特定は難しい状況です。

第3編成も登場時には今の第1編成と同じHiSEデザインであった事を考えると
氷河急行(グレッシャー・エクスプレス)の車両のみが小涌谷あすかの元である、とも考えたくなりますが
すると誕生日の設定が第1編成の運用開始日である事との整合性が取れなくなってしまいます。
あすか15
また、現在の箱根登山鉄道2000系のパンタグラフはシングルアームですが、
小涌谷あすかの背中のパンタはひし形のものが描かれています。
元々2000系は登場時には全ての車両が下枠交差式パンタグラフでしたが
2018年から2019年ごろに3編成全てのパンタがシングルアーム形へと交換されています。
あすか16
こうした状況を総合的に考えてみると、小涌谷あすかのモチーフは
2000系の特定の編成では無く2000系全体が対象であると考えるのが合理的
だと思われます。
もちろの公式の発表は無いので推測にはなりますが、2000系の全てが
モチーフになっているのだと考えて良いのでは無いでしょうか。
あすか17
また小涌谷あすかの髪にはあじさいがあしらわれていますが、
箱根登山鉄道の沿線線路沿いに植えられた1万株以上の紫陽花がモチーフで
6月中旬から7月ごろには「あじさい電車」を走らせています。




こちらは箱根登山鉄道2000形「サン・モリッツ」号第3編成(S3編成)である
グレッシャー・エクスプレス(氷河急行)塗装車の宮ノ下駅入線の動画です。
以下で2000形の各編成の各車両について見てみたいと思います。

■S1編成「サン・モリッツ号」

あすかa10
まずはS1編成の小田原・太平台・強羅方の先頭車両であるクモハ2000形2001号車です。
編成略記号McM(動力車)c(制御車)であり動力のある制御電動車となります。
片側2扉で車体の中央寄りに乗降扉が設けられています。
あすかa12
運転台に近い側の屋根上にはシングルアームのパンタグラフが。
車両落成時には下枠交差式のパンタでしたが2019年(令和元年)に
シングルアームへと交換されています。2000形の編成では
基本的に奇数番号車両のパンタグラフは下げられて運用されています。
あすかa13
諸元が書かれた車端部に取り付けられた銘板。
あすかa14
運転台側の車端部付近の車内の様子です。
4人掛けのロングシートが左右にあり、片側が優先座席となっています。
あすかa15
運転台後部の仕切り壁に取り付けられた車両番号や製造の銘板。
あすかa16
運転席の中の様子です。
あすかa17
切り返して見た車内客室の光景です。
運転台側の乗降扉脇には3席分を潰して車椅子用スペースが設けられています。
スペースの壁は緊急時の資材が納められた棚となっています。
あすかa18
ご覧の通り客室内はロングシートとなっています。
製造時にはセミクロスシート車両だったそうですが
2010年(平成22年)にロングシートに改修されています。
あすかa19
連結部側の車端付近の様子です。両側に2人掛けロングシートが置かれています。
あすかa20
その奥にはご覧の床起きの冷房装置が2基あります。
これは登山鉄道という特性から車両の屋根や床下に設置スペースが無い為
客室内に設置されたものです。
あすかa22
切り返して見た客室内の様子。

あすかa11
出山・上大平台方の先頭車両のクモハ2100形2002号車です。
編成略記号がMcM(動力車)c(制御車)なのは2001号車と同様です。
あすかa24
小田原・太平台・強羅方となる連結部側車端付近の様子です。
冷房装置があり2人掛けロングシートが両側にあるのは同様ですが、
こちらの車両は両側共に優先座席となっています。
あすかa21
連結部面の貫通扉は急斜面を登る登山鉄道なので
通常時には通り抜ける事はできません。
非常口として設けられておりご覧の非常用ドアコックがあります。
あすかa25
切り返して出山・上大平台方の運転台方向へと見た車内。
ロングシート車両であるのは2001号車と同様ですが、
車椅子スペースが無いのでこちらの車両のほうが3席ほど多くなっています。
あすかa26
運転台後方付近の光景。こちらの車両は両側共に一般座席になっています。
あすかa27
運転台の中の様子です。
あすかa28
小田原・太平台・強羅方へと見た車内客室。
あすかa23
2000形がモチーフであるでんこの小涌谷あすかは2021年(令和3年)11月にリリースされていますが
モチーフの1つであるS1編成はご覧の通り登場時には入生田の車庫で改修中の状態でした。
営業運転へと戻ってきたのは2022年(令和4年)3月に入ってからのことで
リリースから半年近くに渡って乗れない状態でした。


■S2編成 アレグラ号塗装

あすかa30
まずは小田原・太平台・強羅方の先頭車両であるクモハ2000形2003号車です。
2000形の増備車として1991年(平成3年)に作られた車両なので
基本的には2000形第1編成と同じ車両です。

外装のカラーリングは2014年(平成26年)に3000形の登場に合わせて同じ塗装に塗り直されたので
バーミリオンはこね(    をベース色としてシルバー(    を配したカラーリングで
窓間にはダークグレー(    という3000形ベルニナ号と同じ塗装となっています。
あすかa33
車両の先端部付近の様子です。
運転台のすぐ後ろに左右ともにロングシートがあり
片側が優先座席となっている配置はS1編成2001号車と同様です。
あすかa34
片側2扉車で、運転台寄り乗降扉脇の座席が片側のみ
車椅子用スペースとなっているのも2001号車と同じ配置です。
あすかa35
車両後部の乗降扉脇の3人掛けロングシート。
あすかa36
出山・上大平台方の車端連結部前に置かれた床置きの冷房機器です。
あすかa37
切り返して見た客室内です。床の色が違う以外は
同形なので2001号車と同じ造りとなっています。

あすかa31
出山・上大平台方に編成される先頭車両のクモハ2100形2004号車です。
編成略記号McM(動力車)c(制御車)の制御電動車となります。
あすかa38
小田原・太平台・強羅方の連結部付近の様子。
両側のロングシートが優先座席となっていてその奥に冷房機器があります。
こちらもS1編成2002号車と同形なので同じ配置となっています。
あすかa39
奥の床置きの冷房機器。外から見るとちょうど車体がルーバーになっている場所です。
あすかa40
切り返して出山・上大平台方の先頭部へと向かって見た車内客室の光景です。
あすかa42
乗務員室への扉の上に取り付けられているサン・モリッツ号の銘板。
あすかa41
運転台の中の様子です。
あすかa43
再び切り返して小田原・太平台・強羅方に見た車内。
ご覧の通りS1編成とS2編成はその車内については基本的に同じであると言って良いでしょう。


■S3編成 グレッシャー・エクスプレス(氷河急行)塗装

先に述べた通り2009(平成21年)にスイス・レーティッシュ鉄道との姉妹提携30周年を記念して、
レーティッシュ鉄道の看板列車「氷河急行」のカラーリングを纏った編成です。
あすか18
小田原・太平台・強羅方の先頭車両となるクモハ2000形2005号車です。
編成略記号はMcM(動力車)c(制御車)となり、運転台があって
モーターを搭載している制御電動車となります。
あすか27
こちらは客室内の小田原・太平台・強羅方車端の運転台後部付近の様子です。
左右に3人掛けロングシートが設けられていて片側は優先座席となっています。
あすか28
そしてロングシートよりさらに車端の運転台真後ろには
ご覧の前面展望が望める2人掛けシートが左右に設置されています。
あすか41
運転室への扉の上に取り付けられた「サン・モリッツ号」の銘板。
箱根登山鉄道創業100周年で登場した2000形は、運用開始の1989年(平成元年)が
レーティッシュ鉄道との姉妹鉄道提携10周年であった事もあり
スイス政府観光局とサンモリッツ観光局の協力を得て「サン・モリッツ号」と命名されています。
あすか38
運転台の様子。中央に運転台が設けられており
運転座席は回転式バケットシートが設置されています。
2ハンドル式で左がマスコン、右がブレーキハンドルとなります。
あすか29
運転台側から見た車内の様子です。
片側2扉のセミロングシート車両となっており、中央部のシートは
3人掛けロングシートに挟まれて2+2席のボックス席が計4セットあります。
あすか32
連結部側となる出山・上大平台方車端には3人掛けのロングシートが左右に。
あすか30
その奥には客室床上に据えられた冷房装置があります。
箱根登山鉄道では初の冷房車である2000形ですが、
登山鉄道という性格上カーブが多い為車両の長さが短く
屋根上や床下に取り付けスペースも無かった事から
連結面側の客室内床上にインバータ式床置き冷房装置が設置されています。
あすか31
切り返して連結部側から見た車内。

あすか19
中間車両のモハ2200形2203号車です。
編成略記号はM動力車となりこの車両もモーターが搭載されています。

箱根登山鉄道の鉄道線では1993年(平成5年)より輸送力増強を目指して
3両編成での運行となり第1、第2編成にも中間車が増備されました。
1997年(平成9年)に運用開始の第3編成は当初から3両編成で作られており、
運用の都合で2004年(平成16年)に第1、第2編成から中間車が外された後は
2000形唯一の中間車両となっています。
あすか21
小田原・太平台・強羅方の車端部付近の光景です。
5人掛けのロングシートが両側にあり、片側は優先座席となっています。
ご覧の通り優先座席はピクトグラムと文字でかなり派手に主張をしたモケットとなっています。
あすか22
車内客室の様子です。この車両も片側2扉のセミロングシートとなっていて
扉間の車両中央部には2人+2列のボックス席が4セット置かれています。
あすか23
出山・上大平台方の乗降扉付近。中央側には2人掛け、
車端側には5人掛けのロングシートが扉脇の両側に設けられています。
あすか24
連結部付近にある床置きの冷房装置。
2000形では各車両に2基づつ設置されています。
あすか25
切り返して見た車内客室の様子です。
あすか26
中央のボックスシート席にはご覧の通り小テーブルが窓下に置かれています。

あすか20
出山・上大平台方の先頭車両のクモハ2100形2006号車です。
こちらも編成略記号はMcM(動力車)c(制御車)の制御電動車になります。
あすか33
車内客室の小田原・太平台・強羅方の連結部付近の様子です。
この車両は出山・上大平台方の先頭車両なので反対のこちら側に冷房装置があります。
また冷房装置脇の3人掛けシートもこちら側車端が両側共に優先座席となっています。
あすか39
客室内の様子です。両端にロングシート、中央部にボックスシートの
セミボックスシート車両となっているのは2000形の各車両で共通です。
あすか40
切り返して見た車内。


あすかa44
改めて見てみると箱根登山鉄道2000系の3編成は
同じ車両でありながらカラーリングや内装などが個別で異なっています。
実際に現地で乗られる場合は是非とも見比べてみて下さい。

【写真撮影:2021年11月、2022年3月】

でんこの元ネタ
■No.112 二見浦みえ(Futaminoura Mie)
 ■タイプ:サポーター
 ■誕生日:3月10日

■出身駅: JR東海 参宮線 二見浦駅(三重)
みえ01



みえ33
こちらは国道42号線の伊勢市二見茶屋付近にあるJR二見駅前交差点の信号です。
南へと70mほど進むと大鳥居があり、その先が駅前広場となっています。
みえ34
この鳥居は観光協会が設置した観光客向けのものの様で
ここが古来よりの神社の参道という訳では無い様です。
みえ35
鳥居をくぐった先にあるこちらがJR参宮線の二見浦駅の駅舎です。
1911年(明治44年)7月21日に国鉄参宮線が山田駅(現・伊勢市駅)━鳥羽駅間を
延伸した際に設置された駅で、現在の駅舎は1993年(平成5年)に
伊勢神宮の式年遷宮に合わせた整備により改築されたものです。
みえ36
ガラス張りの駅舎は二見浦の夫婦岩をモチーフとした形で、
伊勢参拝の入口の役割である二見浦を象徴した形となっています。
みえ37
駅前広場の様子です。舗装のされた広場は半ば道路と一体化しており
かなりの広さを感じる造りとなっています。
みえ38
広場の西側の光景です。区画はされていないものの
かなりの台数の車の駐車が可能となっています。
みえ39
西側の広場の線路沿いには歩道が。
みえ40
駅舎西側の前には伊勢市コミュニティバスのバス停があります。
バスは委託先の三重交通の車両が運行しています。
みえ41
駅舎の目の前の車寄せにはタクシーの乗降場が。
みえ42
広場の東側の駅敷地には駅前の公衆トイレと駐輪場があります。
みえ43
トイレの建屋の横に立てられた、夫婦岩の写真が載った観光看板。
「伊勢市観光振興課」とあるので市が設置したものの様です。
みえ44
看板の奥にある公衆トイレ。二見浦駅の構内にはトイレがありませんので
駅利用者はこちらを使用する事となります。
みえ45
そして広場の東端にある駅駐輪場です。
こちらも伊勢市が設置し運営をしています。
みえ46
駐輪場から駅舎方向へと戻ると広場の南東側に面してある
古民家を利用した喫茶店。
みえ47
喫茶店と大鳥居の間にはご覧の句碑が立っています。
戦後に活動をしていた旧二見町出身の俳人の植松冬嶺星の作品の様です。
みえ48
句碑の前に大鳥居脇には伊勢市の設置した二見浦の観光案内地図がありました。

みえ49
駅舎へと戻って中に入ります。
みえ50
中に入ると東側は待合室、西側には
簡易委託で使われていた窓口があります。
みえ51
待合室のスペースには木製のベンチが置かれており、
奥には二見浦の名産品が展示されたショーケースがあります。

駅にひな人形があるのは、毎年二見浦では春にひな人形を巡るイベントがあるからで
この時期には町中にひな人形が飾られているからです。
みえ52
壁にはおそらく陶板と思われるレリーフが。
夫婦岩と太陽が描かれている様ですが銘などは無く作者不詳の状態です。
みえ53
改札付近の様子です。駅は1983年(昭和58年)から駅員無配置となっていて、
駅舎が改築された1993年(平成5年)には乗車券を委託販売する簡易委託駅でした。
2011年(平成23年)には簡易委託も終了して無人駅となっており
窓口にもシャッターが降ろされています。
みえ54
ラッチを抜けて駅の構内側から見た改札付近です。
みえ55
改札内の様子です。駅舎とホームは地下道で連絡されており
こちらは駅舎側の地下道入口前となります。
みえ56
階段の周囲には壁が作られており、屋根のある半室内となっています。
また天井からは吊るし雛が下げられています。
みえ57
ホーム連絡地下道の入口付近。
みえ58
地下道をくぐってホームへと向かいます。

みえ59
駅ホームの光景です。島式ホーム1面2線となっており伊勢市駅管理の無人駅となります。
1番線が下り線鳥羽方面行き、2番線が上り線松阪・名古屋方面行きとなります。
みえ60
階段前付近のホーム中央にはベンチが。
背もたれがコンクリート製で端には「喫煙口」の札が貼られた
なかなかの年代物のベンチが設置されています。
脇には後から追加されたと思われる形のベンチも。
みえ61
上屋の屋根が途切れた先にもホームは続いています。
現在では多くても4両編成の列車の発着の駅ですが
かつての名残でホーム有効長はかなりの長さです。
みえ62
東側の鳥羽方のホーム端付近の光景。
みえ63
切り返してホーム端から松阪方を見たホームの様子です。
みえ64
上屋の屋根下のホーム中央付近。
みえ65
JRの駅周辺の名所案内の看板です。
みえ66
駅舎とホームを連絡する地下道への階段。
連絡通路はこの階段のみとなっています。
みえ67
階段からさらにホームを西へと進み松阪方の光景です。
みえ68
切り返して再び東へと戻り階段まで。

みえ69
ホームの北側には車止めのある側線がありかつての貨物ホームが残っています。
みえ70
旧貨物側線は鳥羽方で本線と今でもつながっていました。
みえ71
そして反対のホーム南側にはバラスト(砂利)の敷かれた用地が広く残っています。
線路の跡が見て取れることからも分かる通り、こちら側にはかつて2本の側線が敷かれていました。
みえ72
地下通路を戻ってホームから駅舎前へ。
みえ73
駅前の大鳥居から駅前の旅館とたばこやの前を通り抜けて
国道42号線のJR二見浦駅前交差点へと戻ります。
みえ74
交差点から国道を西へと向かった光景。
海岸寄りのルートで松阪方面へと通じています。
みえ75
駅前の交差点から100mほど西のコンビニの前で次の信号があり、
県道102号伊勢二見線が分岐をしています。
この県道は伊勢神宮と二見浦を連絡する道で「二見街道」と呼ばれています。
みえ76
JR二見駅前交差点へと戻り、今度は国道を東の方向へと向かいます。
みえ77
駅前交差点から東に80mほどでご覧の茶屋交差点の信号となります。
標識看板を見ると分かる通り、国道42号線が二つに分岐する三差路となっています。
みえ78
この交差点の北側は旧二見町の中心街にあたる場所なので
三差路には町のモニュメントが立っています。
みえ79
北に三差路から180mほど進むとある旧二見町役場の建物である
伊勢市二見総合支所。
みえ80
茶屋の三差路を東へと進むと「伊勢二見鳥羽ライン」の標識が見えます。
こちらの国道42号線は有料道路が2017年(平成29年)に無料開放されたものです。
みえ81
参宮線を跨ぐ跨線橋を渡り、二見ヶ浦トンネルを抜けて国道を山の南側へ。
みえ82
トンネルの先すぐ、駅前の交差点からは1kmほどの場所に三津交差点があります。
みえ83
三津の交差点を南へ進むと伊勢二見鳥羽道路の二見JCTですが、
西へと200mほど進むとご覧の忍者キングダムへの入口があります。
みえ86
二見浦駅から忍者キングダムまでの地図。
みえ84
こちらが「ともいきの国 伊勢忍者キングダム」の入口です。
施設は1993年(平成5年)に「伊勢戦国時代村」として開園した時代テーマパークで
2003年(平成15年)に「伊勢・安土桃山文化村」に名称を変更。
運営会社が変わって2019年(令和元年)に現在の名称となっています。


みえ85
再び国道42号線のJR二見浦駅前交差点へと戻って
今度は交差点を北へと入って進みます。
こちらは「夫婦岩表参道」と書かれた灯篭が立っていて
神宮参拝客の旅籠町であった二見の旅館街となっています。
みえ87
二見の農協や観光協会の前を過ぎると参道の両脇に
木造のレトロな建物が増え始めます。
みえ88
沿道には御福餅や菊一文字の打刃物店、伊勢といえばの赤福の店などが。 みえ89
駅前の交差点から400mほどで参道は老舗旅館へとつき当たり
東へと進路を変えます。
みえ90
この東へと向かう参道が旅館街のいわばメインストリートで
両側に数多くの木造の旅館が立ち並んでいます。
みえ91
この東への参道のすぐ北側は伊勢湾で、
名勝と言われる二見浦の浜参宮の清らかな渚が広がっています。
みえ92
分岐路を浜の方向の石畳を進むと、末と石灯籠の並んだ浜の参道へと出ます。
みえ93
国指定文化財の賓日館の前を抜けて参道を進むと
まもなく石畳の参道はつき当たりとなります。
みえ94
つき当たりを左へと曲がると目の前には二見興玉神社の鳥居があります。
二見の夫婦岩はこの神社の境内の磯にあるものです。
みえ95
浜沿いにある境内の参道。
みえ96
こちらが二見興玉神社の本殿です。
神社本庁の別表神社であり、古来より伊勢神宮へと参拝する前に
この神社を訪れる「浜参宮」をする事で穢れを祓い清める慣わしとなっています。
みえ97
そしてこちらが二見浦の代名詞ともいえる夫婦岩です。
古神道では磐座信仰と言って岩に神が宿るという考えがあり、
またこの二見の夫婦岩に掛けられた大注連縄は
沖合いに沈んでいる二見興玉神社のご神体の興玉神石の鳥居の役割なのだそうです。
みえ98
そして神社の裏手の国道沿いの浜には伊勢シーパラダイスがあります。



■モデル車両: JR東海 キハ75形気動車200・300番台「快速みえ」
みえ02


伊勢神宮への参詣客の輸送を目的として参宮鉄道が1893年(明治26年)に
津駅━宮川駅間を開業したのが現在のJR参宮線の始まりです。
路線が国有化された後の1911年(明治44年)に鳥羽駅まで全通し現在の形となっています。

戦後になると近鉄が伊勢志摩方面の観光事業を推進。
徐々に伊勢方面への路線を延伸整備し、1970年(昭和45年)の近鉄鳥羽線の全通によって
名古屋から伊勢志摩方面へ特急が直通運転をするようになると
かつては伊勢駅━鳥羽駅間の鉄道輸送を独占していた国鉄参宮線は
乗客を奪われローカル線へと転落をする事となります。


こうして名伊間の鉄道輸送においては近鉄が国鉄を完全に逆転する状況となった訳ですが、
1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化でJR東海が発足すると
ホームライナーみえ(名古屋駅━伊勢市駅間:1988年(昭和63年))、
臨時快速「伊勢路」(土休日の名古屋駅━鳥羽駅間:1989年(平成元年))などを設定し
競争力強化に向けて積極的姿勢へと転じる事となります。

そしてこれらの名伊間の快速列車を発展させる形でJR東海は
1990年(平成2年)3月10日に快速「みえ」を営業運転を開始
「ホームライナーみえ」「伊勢路」を廃止して新たに名古屋駅━松阪駅間を最速72分接続で
日中8往復という設定で新幹線接続の利点を生かすなどの施策を行い
近鉄の名伊間急行に対して明確な対抗姿勢へと転じる事となります。
みえ04
駅メモのでんこの二見浦みえの誕生日が3月10日に設定されていますが
これは快速「みえ」の営業運転開始日が元
と考えて良いと思われます。

また、名前の「みえ」についても快速「みえ」が由来と思われ、
二見浦みえのモチーフは快速「みえ」なのだという事が分かります。
みえ03
1993年(平成5年)には伊勢神宮の式年遷宮が予定されている事から
伊勢方面への大量の人員輸送の需要の発生が見込まれていました。
これを受けて、それまでの他線余剰の気動車によって運用されていた快速みえにおいて
スピードアップとサービス向上を目指して作られたのがキハ75形気動車です。

1993年(平成5年)8月1日に快速「みえ」にキハ75形が投入され
キハ58形とキハ65形の置き換えとして1999年(平成11年)までに計40両が作られています。
名古屋駅━多気駅間では快速ながら特急「南紀」とほぼ同一の停車駅であり、
最高速度120km/hでの運転を誇り当時の日本国内で最速の気動車快速列車でした。

みえ06
【上写真:キハ75形0・100番台】
まず1993年(平成5年)に導入されたこちらがキハ75形0・100番台です。
日本車輌製造で2両編成6本の12両が作られており、現在に至るまで
全車両が名古屋車両区に配置され主に快速「みえ」の運用に就いています。
みえ05
【上写真:キハ75形200・.300番台】
そしてこちらが1999年(平成11年)に投入された
2次車にあたるキハ75形200・300番台となります。
1次車と同じく日本車輌製造で製造され8編成16両が製造されています。
0・100番台との大きな違いとして前面貫通扉の上に前照灯が増設されています。

2015年(平成27年)には1200・1300番台として3編成6両、
3400・3500番台として3編成6両が改造されて美濃太田車両区に転属しており、
現在(註:2022年)に快速「みえ」として残っている200・300番台は2編成4両のみとなっています。
みえ08
キハ75形をモチーフとしている二見浦みえですが、
衣装の襟には前照灯と思われる意匠があしらわれています。
これは0・100番台には無く200・300番台にしか無いものです。
ですので二見浦みえのデザインモチーフはキハ75形200・300番台であると考えられます。

快速「みえ」は合計8編成が運用されており、
7編成が走って1編成が休みとなっています。(註:2022年現在)
内訳は0・100番台が6編成、200・300番台が2編成なので
その日に来た列車が二見浦みえモチーフの車両である確率は1/4か1/7となり
およそ2割前後でしか会えないということになります。
みえ07
【上写真:キハ75形400・500番台】
またこちらは200・300番台と同時に作られたほぼ同一形のキハ75形400・500番台で、
1999年(平成11年)に6編成12両が武豊線へと投入されています。
現在は武豊線電化による転用で2015年(平成27年)より主に高山線や太多線を走っています。

みえ11
キハ75形の車体はステンレス鋼製であり、先頭部のみ普通鋼製となります。
車体にはJR東海のコーポレートカラーであるオレンジ(    の帯が配されています。
低床構造となっている為乗降扉付近にステップはありません。
みえ12
種別行先表示と号車番号表示などは字幕式となります。
みえ13
二見浦みえの帽子には「かいそく」と書かれた赤いタグがありますが
これは前面の種別表示がモチーフと思われます。



【上動画はクリックで再生します。】
こちらは二見浦駅へと入線するキハ75形200・300番台の快速「みえ」です。
以下で各車両の詳細部分について見てみたいと思います。

みえ09
快速「みえ」の鳥羽片へと編成される1号車のキハ75形200番台です。
キ(気動車)ハ(普通車)となりディーゼルエンジンを2基搭載しています。
基本的に快速「みえ」は百位が偶数の番台を1号車、奇数の番台を2号車とします。
みえ15
鳥羽方の車内客室車端付近の光景です。
片側3扉の車両となっており、運転台後部も乗降扉があります。
みえ14
運転台の様子です。客室とは全面仕切りとなっていますが、
前面貫通となっている為連結時には貫通通路となり運転台が半室構造の様になります。
みえ16
客室内の光景です。座席は2人掛けの転換クロスシートとなっています。
みえ17
中央部の乗降扉付近。ドア開閉のスイッチがあり、
ドア前の床はユニバーサルデザインで黄色く塗られて注意を喚起しています。
みえ18
この乗降扉にはドア脇に半透明のカーボン製仕切りがあり、
室内の座席種別を表示する札が掛けられています。
快速「みえ」では2両編成の場合1号車鳥羽方の半室が指定席となります。
みえ19
車内後方へと進み名古屋方の車端付近へ。
こちらにも乗降扉があります。
みえ20
快速「みえ」の偶数番台(0・200・400番台)にはトイレが設置されており、
この車両にも名古屋方の山側車端に車椅子対応トイレが設置されています。
みえ21
トイレの反対の海側にはご覧の優先座席が。
ヘッドカバーを黄色にして一般座席との区別を行っています。
乗降扉側の座席は座面を跳ね上げて車椅子を置くスペースにできます。
みえ22
切り返して鳥羽方へと見た車内客室の様子。


みえ10
名古屋方に編成される2号車のキハ75形300番台です。
キ(気動車)ハ(普通車)であるのは1号車と同様です。
キハ75形は片運転台車で基本的に2両セットで編成されますが、
走行は1両単独でも可能となっています。
みえ23
鳥羽方の連結部付近の客室内の様子です。こちらの2号車は座席のみの車両なので
連結部前にも両側にボックスシートが設置されています。
みえ29
座席は1号車同様に転換式クロスシートですが
乗降扉のすぐ脇の座席のみ背もたれが固定式となっています。
みえ24
名古屋方へと見た客室内。
みえ30
中央部の乗降扉脇の半透明のパーテション。
2号車は基本的に全席自由席で運用されているので
席種別の札も自由席の表示となっています。
みえ25
名古屋方の半室の座席の様子です。
みえ31
転換式クロスシート。名古屋駅や鳥羽駅での折り返しでは
運転士や車掌が移動の際に座席の方向を直す姿が見られます。
みえ26
名古屋方車端の運転台後方付近です。
みえ27
運転台の中の様子。
みえ28
切り返して鳥羽方へと見た300番台の客室内です。



みえ32
こちらは参考までに1次車であるキハ75形0・100番台の車内の光景です。
2次車の200・300番台に比べてシートピッチが30mmい長いなど細い差異はありますが
通常に見比べても2次車とはほとんど違いは感じないレベルです。


【写真撮影:2022年3月】

でんこの元ネタ
■No.113 新田野なのか(Nittano Nanoka)
 ■タイプ:ディフェンダー
 ■誕生日:2月1日

■出身駅: いすみ鉄道 いすみ線 新田野駅(千葉)
なのか07



なのか28
こちらは国道465号線のいすみ市新田野付近の光景です。
あたり一面に水田が広がる光景で、南側には小山が見えます。
なのか29
国道脇にあるいすみ市民バスの新田野駅停留場。
なのか30
バス停の向かい側の倉庫脇には「いすみ鉄道応援自販機」と書かれた
黄色い自動販売機が置かれています。これはいすみ鉄道が展開している自販機で、
売り上げの一部がいすみ鉄道へと寄付される仕組みとなっています。
なのか31
その自販機の先へと進むとすぐに、国道の北側に面して
併走する線路に駅があるのが見えます。
なのか32
こちらがいすみ鉄道いすみ線の新田野駅の駅入口付近の光景です。
なのか33
北側から見た新田野駅の駅の全景。
この地には1930年(昭和5年)に国鉄木原線が開通していますが
新田野駅が作られたのは1960年(昭和35年)6月20日のことで
戦後に新たに追加で設けられた駅となります。
なのか34
駅から国道を西へと進むと150mほどで踏切があります。
なのか35
踏切の脇にあるこちらは新田野ファームの直売所です。
新田野ファームはこの付近で企業化された150ヘクタール(東京ドーム32個分)の
大規模稲作を行っている会社です。
なのか36
ファームの目の前にあるいすみ鉄道の第二大多喜街道踏切。
なのか37
切り返して西側から見た踏切の光景です。
なのか38
踏切付近から見た新田野駅北側に広がる田んぼの光景。
なのか39
国道を東の駅方向へと戻ります。
なのか40
駅の西側に隣接してある第二田尻踏切。
なのか41
第二田尻踏切から線路を渡った北側の光景です。
この付近は落合川周辺に田んぼが広がっており農家が散在しています。
なのか42
切り返し南の踏切方向へ戻って国道465号線へ。
なのか43
駅の目の前を東の大原方へと望んだ国道の様子です。

なのか44
国道465号線の北側の駅寄りの光景です。
駅が国道に面してあるので駅前広場といったものは無く、
歩道とホームとの間の敷地がいわば駅前広場の代わりのようなものとなります。
なのか48
駅と歩道の間の木は桜であり、新田野駅から東の国道沿いは
根元の菜の花と桜のコントラストが見事な「新田野桜街道」の名前のついた桜の名所となっています。
駅メモのでんこの新田野なのかの衣装のハイソックスには桜の花びらがあしらわれていますが
これは新田野駅から桜街道が桜の名所であることがモチーフと思われます。
なのか66
菜の花は千葉県の県花でもあり、またいすみ鉄道の沿線は
春には菜の花が咲き誇ることで有名です。
新田野なのかが菜の花の髪飾りをつけている事からも分かる通り、
名前の「なのか」は菜の花から取られたものであろうと思われます。
なのか45
歩道とホームとの間は生垣で仕切られており、
ご覧の生垣の切れ目が駅への入口となっています。
なのか46
駅入口の西側の目の前にある駅駐輪場の建屋。
2、3台停めると満杯になるこじんまりとしたものです。
なのか47
駅西の踏切手前付近の駅敷地。
なのか49
切り返して西方向へと見た駅敷地の様子です。
なのか50
駅待合室の裏手に置かれた新田野駅停留場のバスポール。
なのか51
駅入口からホームへと入ります。

なのか52
ホームの様子です。単式ホーム1面1線の棒線無人駅であり
駅舎などは無くホームのみの駅となっています。
なのか53
上総中野方のホームの先を見ると踏切の器具箱の脇にキロポストが立っています。
なのか54
ホーム中央部付近には駅出入口の西側に駅名標、
東側にはホーム待合室が置かれています。
なのか55
駅舎の無い駅のホーム待合室。
無人駅ながらいすみ鉄道の駅は定期的に清掃されているので
基本的に埃などは無い綺麗な待合室となっています。
なのか57
待合室の駅名標。いすみ鉄道では駅のネーミングライツ権を販売しており、
新田野駅は香川県のプラント設備機器企業のサンテックが購入して
「サンテック新田野駅」となっています。
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大原方のホーム西側の光景です。
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切り返して駅中央部の待合室方向へと戻ります。
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ホーム側から見た駅出口。
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ちなみに新田野駅の以前の駅名標はご覧のものでした。
2021年(令和3年)6月に旧国鉄木原線の時代のものを模した
木製の鳥居型の現在のものへと交換されました。

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「新田野」という地名の由来については
「無名の野原を新しく水田として開拓した」ことから付けられたという説があります。
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駅周辺を見渡してもご覧の通り一面の水田が広がる光景となっており
名前の由来を裏付ける景色となっています。
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駅前から東に国道を80mほど進むと寺の案内表示がある横道があります。
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路盤が崩れるのを防ぐ敷き鉄板が敷かれた砂利道を南へと進むと
250mほどで池へとたどり着きます。
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こちらが新田野駅から真南におよそ300mほどの距離にある「前堰」という溜め池です。
いすみ市付近では江戸時代から夷隅川の支流をせき止めて作った溜め池が200以上あります。
房総南部では溜め池を「堰」と呼ぶそうで、こちらの前堰もそのひとつとなります。
こうした溜め池がある事が、この地が農業開発が行われた土地である事を示しています。



■モデル車両: いすみ鉄道 いすみ350型気動車
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いすみ鉄道は千葉県の中央部を小湊鐵道と連絡し横断する鉄道で、
1930年(昭和5年)に国鉄木原線として大原駅━大多喜駅間が開業した路線です。
延伸されて1934年(昭和9年)には上総中野駅まで開業し現在の形となっていますが、
元々人口の少い地域を走っていた事から営業成績は芳しくなく
1981年(昭和56年)には国鉄再建法で第1次特定地方交通線に指定されています。

「旅客輸送密度4,000人未満でバス転換が適当」とされた第1次特定地方交通線ですが
千葉県や沿線自治体などの出資により1988年(昭和63年)3月にいすみ鉄道として第三セクター化
いすみ鉄道いすみ線となって現在に至ります。

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【上写真:いすみ鉄道200'型】
第三セクター転換に際して「レールバス」と呼ばれる
富士重工の閑散線区向け車両LE-Car IIが7両作られて
いすみ100型の101━107として運用が開始されます。
車内の改修によっていすみ200型、いすみ200'型と名前を変えたものの
以後およそ20年にわたっていすみ鉄道の主力車両として運行を支えています。


開業以来慢性的な赤字に悩まされたいすみ鉄道は県などが主宰する「いすみ鉄道再生会議」によって
「2009年度までの2年間は収支検証期間」として「改善見込みが立たない場合廃止も検討」とされました。

これを受けたいすみ鉄道では2008年(平成20年)の社長公募などを経て経営改善策を進めた結果
経営状態の回復が認められて2010年(平成22年)に鉄道の当面の存続が決まり、
老朽化していた車両の交換に着手する事となります。

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【上写真:いすみ鉄道のキハ52形】
2011年(平成23年)にはJR西日本から譲渡された国鉄キハ52形125が導入され
4月からいすみ鉄道で観光列車的に運用を開始しています。
このキハ52が翌年からのいすみ鉄道の普通列車車両の置き換えに
少なからずの影響を与えています。

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【上写真:いすみ鉄道300型】
鉄道存続を受けて、老朽化した主力のいすみ200'型の置き換え車両として
新たに新潟トランシス製のローカル線向け軽快気動車NDC
2012年(平成24年)よりいすみ300型として新たに2両新製されます。
車内の座席モケットを国鉄を意識した紺色を使うなどしていますが
基本的にはいすみ300型の2両は一般的な軽快気動車といって良いでしょう。
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そしていすみ300型の3両目として2015年(平成27年)6月に導入されたのが
こちらのキハ20形1303です。車両の中身はいすみ300型と同じ軽快気動車NDCなのですが
ご覧の通り外観がキハ20形を意識した形状となっており、
カラーリングも国鉄気動車一般色のクリーム4号(    朱色4号(    となっています。

車両のエクステリアデザインはこの車両の後に導入されるいすみ350型と完全に同一ですが
車内はセミクロスシートでトイレ有りといすみ300型と同様になっています。
ですので分類としてはいすみ300型に含まれています
言ってみれはいすみ350型の外装のプロトタイプといったところでしょうか。
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当時のいすみ鉄道社長の鳥塚亮氏はいすみ200'型の置き換え枠5両分のうち
残りの2両に関して、セミクロスシート車両であるいすみ300型を
通勤通学帯の利便性などを考慮してロングシート車両とするプランを立てていました。

その際に残りの置き換え2両に関して「外観をキハ20形に似せる」事を発案。
すでに導入されていた国鉄形のキハ52形やキハ28形と並んでも違和感が無く、
限られた予算の中での観光鉄道としての見栄えとインパクトを観光客に与える事を狙いました。
幸いいすみ300型はキハ52形の製造元である新潟鉄工所の系譜の新潟トランシスでしたので
何度もの交渉と試行錯誤末に誕生したのがいすみ350型となります。
参考
えちごトキめき鉄道社長(いすみ鉄道前社長)
鳥塚亮の地域を元気にするブログ「いすみ350形誕生秘話」
https://www.torizuka.club/2013/03/28/%e3%81%84%e3%81%99%e3%81%bf%ef%bc%93%ef%bc%95%ef%bc%90%e5%bd%a2%e8%aa%95%e7%94%9f%e7%a7%98%e8%a9%b1/

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こちらが2013年(平成25年)2月1日に営業運転を開始した
いすみ鉄道350型351と2014年(平成26年)導入の352となります。
エンジンや台車などの走行機器はいすみ300型と同一で
新潟トランシスのNDCがベース
となっています。

いすみ300型の2次車ながら大きな違いとなっているのはその外装であり、
前面窓・貫通扉・前照灯・尾灯の形状と配置、屋根部の色などを
キハ52形などのキハ20系気動車にとことん似せたデザインとなっています。

車体のカラーリングは沿線に咲き誇り千葉県の県花でもある
菜の花をイメージした黄色(    をベース色として
房総の野山を示した濃緑(    浅緑(    のラインが入った
いすみ鉄道の基本色で塗装されています。
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駅メモのでんこの新田野なのかの誕生日が2月1日に設定されていますが
これはいすみ350型の営業運転開始日が元ネタであると考えて良いでしょう。



【上動画はクリックで再生します。】
こちらは大多喜駅を発車するいすみ350型の動画です。
それでは以下で車両の詳細について見てみたいと思います。
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こちらがいすみ鉄道350型気動車の外観です。中身は軽快気動車のNDCなのですが
エクステリアに関しては徹底的にキハ20系に似せた作りとなっています。
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二段窓であるのはいすみ300型と同様ですが窓の配置などは完全に別物になっています。
いすみ350型には351と352の二両がありますが前照灯のケース形状のみ細かい差異があります。
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反対の北側から見た車両の外観。
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車内の様子です。通勤通学時間帯の乗客キャパの確保という観点から
ロングシート車両でトイレなしとなっています。
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上総中野方の車端南側に設置された優先座席。
国鉄時代のシルバーシートを意識した水色のモケットとなっています。
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車端部の光景。左右に乗降扉があり、左側に密閉された運転台があります。
また車端中央部には貫通扉が設けられており連結時には行き来が可能となります。
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運転台の中の様子。半室構造の運転室となっていて
ワンハンドルマスコンでの操作となっています。
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切り返して大原方へと見た車内の光景。
優先座席と乗降扉の間の出っ張りは排気塔のスペースです。
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その排気塔の出っ張り脇にあるこちらは
イベント運用などの際に使用できる簡易手洗器です。
通常時はご覧の通り鍵が掛けられて収納されています。
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片側2ドアのロングシート車両なのでご覧の通り
車両中央部には4人欠けロングシートが片側5つづつ並べられています。
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ロングシートの下には文字通りバスに使われているバスヒーターが。
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大原方の車端にも北側に優先座席が設けられていますが、
その脇には車椅子スペースが設置されています。
車椅子スペースの床にある箱は緊急時のスロープなどが納められたものです。
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いすみ鉄道では追加料金で自転車が持ち込み可能ですので
車椅子スペースはご覧の通り自転車を置くスペースにも用いられています。
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ワンマン運転に対応した料金箱。
行き先料金表示のモニターはLEDモニターです。
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大原方の運転台の様子。両運転台の車両なので両端に運転席があります。
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車内の通路の床を見てみると四角い蓋が並んでいるのが見えます。
これは車両を観光列車として使用する際にテーブルを固定する為のフック
通常運行時にはご覧の通り床に収納されています。

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ちなみにこちらは足回りはいすみ350型と同様ながら
セミクロスシート車両で洋式トイレを備えているいすみ300型の車内の様子です。
350型との比較参照までに。


【写真撮影:2022年3月】

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