でんこの元ネタ

でんこの元ネタ
■No.65 湯前ひびき(Yunomae Hibiki)
 ■タイプ:ディフェンダー
 ■誕生日:3月8日

■出身駅: くま川鉄道 湯前線 湯前駅(熊本)
ひびき01

ひびき02
こちらは国道219号の湯前町付近の光景です。
ひびき03
ご覧の交差点から南へと入ると駅前の道となります。
ひびき04
国道から駅への道を100mほど進むと駅舎が見えてきます。
ひびき05
こちらが湯前駅の駅舎の外観となります。
駅は1924年(大正13年)に当時の鉄道省が敷設した
湯前線のの終着駅として誕生しました。
駅の所属は1949年(昭和24年)に国鉄湯前線に、1987年(昭和62年)にJR湯前線となり、
第三セクター転換されて1989年(平成元年)にくま川鉄道湯前線の駅となっています。
ひびき06
切妻造りの木造平屋造りの駅舎は改修こそ行われたものの
建物自体は1924年(大正13年)の開業時のものがそのまま残っています。
ひびき11
駅前の広場の様子です。
国道から駅前ロータリーまでが赤いインターロッキングで舗装されていました。
ひびき33
ロータリーの西側に隣接してある駐輪場。
屋根がソーラーパネルになっていて太陽光発電を行っています。
ひびき07
駅舎の中の様子です。
待合のテーブルやベンチも木製となっていますが改札のラッチは金属製でした。
待合室内は「湯前ギャラリー」として観光案内の為に整備してありました。
ひびき08
その一環としてか待合室に掲示されていた湯前線の歴史年表です。
(画像クリックで拡大します
ひびき09
ホーム側から見た駅舎改札付近の様子。
ひびき10
改札脇にはご覧の国指定登録有形文化財のプレートがあります。
この駅舎は2014年(平成26年)12月19日づけで
「くま川鉄道湯前駅本屋」として文化庁の文化財指定
を受けています。
参考
文化財オンライン「くま川鉄道湯前駅本屋」
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/211267
ひびき34
改札前のホームの軒の柱にある「賽の鐘」と「潮の鐘」です。
これは湯前町にある「おっぱい神社」こと潮神社と、
「男性の神様」賽神社に由来するもの
です。
ひびき35
鐘の前には両神社の案内が書かれた説明板が掲示されていました。
ひびき12
ホームの様子です。
相対式ホーム2面1線となっていますが、
実質的には駅舎のある側のホームのみの単式1面1線の駅と考えて良いでしょう。
通常運行時に使用されているのも駅舎側のコンクリートのホームのみです。
ひびき13
行き違い設備などは無く、この駅まで到着した列車は
そのまま反対方向へと折り返して運行しています。
ひびき36
駅舎前のホーム上にある自販機。

ひびき14
そして駅前に戻り駅舎の前を東側に進むと
ガラス張りの平屋のテナントの入った建物が見えます。
ひびき20
こちらは「ふれあい交流センター『湯~とぴあ』」という施設です。
湯前町を始めとする近隣の1市4町5村では
「人吉球磨広域行政組合」という特別公共団体を結成しており、
行政サービスの一部を共同で行っています


「湯~とぴあ」はその広域行政組合によって作られた公共施設であり、
地元特産品を販売する販売所をはじめ、ダンスやバンド演奏が楽しめる音楽室、
各種体験に利用できる工作室などが設けられています。
レンタサイクルもこちらで貸し出しがされていました。
ひびき16
その「湯~とぴあ」の物産館の脇からは建物をくぐって
くま川鉄道の線路側へと出ることができます。
ひびき17
こちらが「湯~とぴあ」の線路側の光景です。
線路側のはオープンデッキのテラスが設けられていました。
ひびき18
テラスから見た湯前駅のホーム東端です。
ひびき19
反対側を見るとテラス前にくま川鉄道の終点の車止めがありました。

ひびき21
前の道へと戻り、「湯~とぴあ」の東の斜向かいにある
湯前町の商工会館の建物です。
ひびき22
その隣には小さな駅前のパチンコ屋が。
ひびき23
そして商工会館とパチンコ屋の向かいあたりにあるのが
こちらの半円のアーチです。
下の車と比べて頂ければ大きさが分かると思います。

湯前駅には広域行政組合によって整備され、
1990年(平成2年)に作られた複合施設である
「レールウィング」という広場があります。
こちらのアーチはそのレールウィングの入口に設けられたもので
ランドマーク的なモニュメントの役割を果たしています。
ひびき24
このアーチは金属製に見えますが実は木製であり、
上にはくま川鉄道のマスコットキャラでもある「せぐっちょ」という魚のキャラがいます。
ひびき25
ちなみに「せぐっちょ」の元ネタは「ヨシノボリ(葦登)」というハゼ科の淡水魚で
球磨川に生息をしている魚だそうです。
ひびき26
レールウィングの入口にある建物。
展望台のようになっており、コンクリート基礎の上は檜で建てられています。
ひびき27
広場入口にあるスモールハウス。
駅前の賑わいづくりの為に2017年(平成29年)9月に3棟が作られて
展示体験施設とマンガ図書館、そして「ユノカフェ」というカフェが入っています。
ひびき28
広場への入口に設けられた上屋の屋根。
ひびき29
屋根をくぐるとご覧の広場が広がっています。
こちらが「レールウィング」の多目的広場であり、
床は一面が総檜造りのウッドデッキとなっています。
これは湯前町の「町の木」が檜であり、
球磨檜の工芸品なども特産であるという背景から檜が用いられたと思われます。
ひびき30
ご覧の通りレールウィングの広場はくま川鉄道の湯前駅に面しており、
広場の端はいわば2番線ホームの体裁を取っています。
ひびき31
実際に列車からの乗降も可能であり、
通常営業時は使用されていませんがイベント時などに
実際にホームとして使用する事もできる
ようになっています。
ひびき32
レールウィングの人吉方は広場が狭くなっており
通常のホームのようになっています。



■モデル車両: くま川鉄道 KT-500形気動車 田園シンフォニー
ひびき38

JR湯前線がくま川鉄道へと第三セクター転換したのは1989年(平成元年)ですが、
転換に際してJR九州が湯前線へと1986年(昭和61年)に導入したのが
KT-100形(4両)とKT-200形(3両)の気動車でした。

しかし開業から30年近くが経ち車両が老朽化した為、
くま川鉄道では車両の入れ替えとして新たに2014年(平成26年)に新型のKT-500形を導入
1月にKT-501から503の3両、12月に504、505の2両が増備されています。
ひびき68
車両のデザインは日本各地の観光列車を手がけてお馴染みの
インダストリアルデザイナーの水戸岡鋭治氏の手によるもので、
「人吉球磨盆地特有の四季をイメージ」して車両ごとに季節のテーマを設定、
車体色や内装が各車両ごとで変えられています。

また、KT-500形をモチーフとした駅メモのでんこ「湯前ひびき」の衣装は
茶、赤、ベージュ、青、白の五色が使われていますが
これはKT-500形の501~505までの5両の配色と同じ
となっています。


KT-500形は平常時は普通列車として湯前線内を運行していますが、
2014年(平成26年)3月8日より1日1往復を観光列車「田園シンフォニー」として運行しており
アテンダントが同乗し、沿線名勝での徐行運転や
「おもてなし隊」による物産品の販売などを行っています。
ひびき59
観光列車「田園シンフォニー」運行の様子です。
アテンダントのアナウンスによる案内や
名所での案内、そしてタブレット交換の様子などを案内してくれました。
ひびき66
途中駅で停車時間を取ってのお土産の交換と販売も。
ひびき67
おかどめ幸福駅では「幸福の駅」を散策する停車時間もありました。


また2018年(平成30年)9月には
田園シンフォニーの公式テーマソングもリリースされ
くま川鉄道の全面協力のPVも作成されています。

参考
カサンドラ(casandra)/田園シンフォニー MV
(くま川鉄道「田園シンフォニー」公式イメージソング)




ひびき65
それでは「田園シンフォニー」に使われる
KT-500形の5両を順に見ていきたいと思います。

ひびき39
まずはKT-501で、車両イメージは「冬」となっており
車体色は茶色(    )となります。
ひびき41
車体に描かれた「冬」のロゴマーク。
ひびき42
正面の貫通扉にはト音記号をモチーフにした田園シンフォニーのロゴが描かれており、
また扉の上部の窓の上には「WINTER」と文字が入っています。
ひびき40
このKT-500形はくま川鉄道の沿線が田園地帯であることから
各車両共通のデザインとしてベートーヴェンの交響曲第6番「田園」がモチーフとなっています。
その為車体には「田園」の第一楽章の出だしの譜面がデザインされています。

「交響曲」は英語で「シンフォニー(symphony)」ですから
まさしく「田園シンフォニー」は「交響曲 田園」な訳です。
ひびき63
列車内に飾られている交響曲第6番田園の額。

また駅メモのでんこ「湯前ひびき」の「ひびき」という名前は
交響曲の「響」から取った
と思われます。
ひびき47
車内の様子です。
車両ごとに内装のカラーリングが異なっており、
モチーフが「冬」のこの車両はシックな配色となっています。
ひびき48
湯前方の先頭部の運転室脇にはご覧の「こども展望席」があります。
ひびき51
湯前方運転席の後部のソファ席。
ひびき70
ソファの下には非常時用の脚立がありました。
ひびき49
人吉方に作られた展望カウンターと展望席。
ひびき50
展望カウンターと並びのソファ席です。
ひびき69
対面ボックス席の折りたたみテーブル。
ご覧の様に開閉する仕組みとなっています。
ひびき71
木枠の窓の間に飾られた車両イメージの額。
ひびき72
つり革も木製でした。



ひびき45
KT-502「秋」。車体色は赤(    )です。
ひびき60
車体の「秋」のロゴマーク。
ひびき52
「秋」がモチーフの車内の様子です。
ひびき53
湯前方のソファ席。
この車両は展望カウンターは無く大きなソファー席となっています。
ひびき54
座席は折りたたみテーブルのある対面シートと
2列のシートが配置されていました。
ひびき55
そしてこの車両の人吉方には沿線の特産品が飾られた
ショーケースが置かれています。
ひびき56
人吉方の車端部の様子です。


ひびき44
KT-503「春」。車体色はベージュ(    )です。
ひびき61
「春」のロゴと田園シンフォニーの大きなロゴマーク。
ひびき57
車内客室の様子です。

以上の501から503までの3両が2014年(平成26年)1月に運行を開始した車両です。
この後の504、505の2両は同年12月に増備された車両となります。

ひびき43
KT-504「夏」です。車体色は青(    )となります。
ひびき62
「夏」のロゴマークの描かれた車体横。
ひびき58
車内の様子です。
「夏」がモチーフなので青が基調のデザインとなっています。


ひびき46
KT-505「白秋」。車体色は白(    )です。
ひびき64
くま川鉄道ではKT-500形の運用について
4両稼動、1両点検というサイクルで行っている様子で
私が行った日にはこちらの「白秋」が人吉温泉駅の車庫で点検中でした。
後日改めて撮ってきたいと思っています。


【写真撮影:2018年8月】

でんこの元ネタ
■No.75 阿下喜ニナ(Ageki Nina)
 ■タイプ:アタッカー
 ■誕生日:2月7日

■出身駅: 三岐鉄道 北勢線 阿下喜駅(三重)
ニナ02


阿下喜駅が開業したのは1931年(昭和6年)7月8日 のことで、
当時この地で桑名の財界人が中心となって発起された北勢軽便鉄道の駅としてでした。

阿下喜の地は北の美濃からの街道と、桑名へと通じる濃州道(員弁街道)が交わる宿場町で、
江戸時代には桑名から員弁(いなべ)川を舟運が遡る商業が栄えた土地だったそうです。
ここに三重県北部では3番目となる軽便鉄道の敷設が計画され、
1914年(大正3年)に大山田駅(現・西桑名駅)━ 楚原駅間が開通しました。

その後の延伸によって1916年(大正5年)には六石駅(2004年廃止)まで延伸したものの、
阿下喜駅までのわずか1.4kmの区間の工事が地形に阻まれて
第一次世界大戦の最中という条件もあり難航。
結局免許を取得し着工したのは1930年(昭和5年)となり、
翌年の1931年(昭和6年)に阿下喜駅が終着駅として開業しました。

ニナ29
こちらが現在の阿下喜駅の駅舎の外観となります。
元々は木造の駅舎が建っていましたが、
2006年(平成18年)に改築されて現在の駅舎となっています。
駅舎入口に扉は無く、ポリカーボネイトの防風板が設置されています。
ニナ28
駅前の広場の様子です。
中央に街頭が立つ島のあるロータリー状となっています。
ニナ30
左手を見ると駅舎前の赤川という川に小橋が架かっていて
脇には駅周辺の名所案内の看板があります。
ニナ31
対岸から見た赤川の小橋。
ニナ32
橋を渡った駅の対岸にはコンビニエンスストアがあります。

ニナ33
駅前ロータリーに面する道路から北へと70mほど進み、
先ほどのコンビニの前を通過するとまもなく信号があります。
ニナ34
この信号の角にあるのが「阿下喜温泉 あじさいの里」です。
ニナ35
こちらの施設は2006年(平成18年)に設置されたいなべ市の公共施設であり、
天然温泉の大浴場のほかに健康増進施設や食堂、物販店を併設しています。

三岐鉄道ではこの阿下喜温泉までの入場券付き往復切符を企画切符として発売しており、
この施設が阿下喜駅の観光名所の一つとなっています。

ニナ36
駅舎へと戻りこちらは入口付近の光景です。
ニナ37
駅舎内へと入ると左手の壁に待合室へのドアがあります。
ニナ38
待合室にはベンチと自販機が置かれており、
エアコンで空調も効いているのでなかなか快適でした。
ニナ39
待合室の向かい側にはトイレがあります。
ニナ03
通路の奥には自動改札機が設置されており、その前には有人窓口があります。

北勢線では起点の西桑名駅以外の全駅が東員駅の運転司令室での集中管理となっており、
この阿下喜駅も駅舎改築時に無人遠隔管理に対応した設備となっています
が、実際には朝の時間帯と午後には駅員が配置されており
列車到着時には有人での対応を行っています。
ニナ05
ホーム側から見た改札付近の光景です。
ニナ40
こちらがホームの様子です。島式ホーム1面2線となっています。
かつては単式ホーム1面のみの駅でしたが、
2006年(平成18年)の改修によって構内2線化が行われて島式ホームとなりました。

尚、駅名標は他の駅の様にプラスチック製のものが無く、
掲示パネルに画鋲で留められた紙製でした。
ニナ41
写真の列車が停まっている側が1号線、反対が2号線ホームとなります。
ニナ07
ホーム西端の西桑名方の光景。
ニナ10
こちらは駅舎手前で止まっている1号線の車止め付近です。
ニナ09
同じく2号線の車止め付近。

ニナ42
そして駅の南側、1号線の線路の反対側にはご覧の転車台と線路が見えます。
こちらはボランティアで運営されている軽便鉄道博物館の施設となります。

停まっている電車はモニ226で、1983年(昭和58年)に廃車になるまで
北勢鉄道時代から現役で走っていた車両です。
また転車台は阿下喜駅の北側で埋もれていたもので
かつては木材運搬の為に活躍をしていたものを2004年(平成16年)に
この場所に復元したものです。
ニナ43
駅舎の南側に駐輪場が設けられていますが、
線路に沿って奥へと進むと転車台があります。
ニナ45
地上から見た転車台と軽便鉄道博物館の施設です。
通常時は博物館は閉まっておりモニ226も車庫前に留置されています。
ニナ46
この軽便鉄道博物館は毎月2回、第1第3日曜日に開館しており
ミニ電車を走らせ博物館の中も公開しています。
ニナ47
こちらが博物館の中の様子です。
ミニ電車などを格納する車庫の壁に北勢線に関する展示がされています。



ニナ22
所は変わってこちらは三岐鉄道三岐線の伊勢治田駅です。
三岐鉄道は三重県内北部で並走するように二つの盲腸線を運行しています。 ニナ21
そして三岐線で終点から4駅目の伊勢治田駅と、北勢線の終点の阿下喜駅は
ご覧の通り2.1kmの距離にあります。
ですので徒歩移動でも30分弱での移動が可能となります。
ニナ23
伊勢治田駅の駅前広場から、前の道を北へと進んで
三岐線の踏切を越えます。
ニナ24
圓福寺というお寺の前を通過。
ニナ25
古い住宅地を抜けて坂を下ると
国道365号線の権現坂交差点となり角にコンビニがあります。
ニナ26
権現坂交差点。
ニナ27
国道を越えて更に坂を下り、S字のカーブの先で員弁川を渡ると
阿下喜の市街地へと入りすぐに駅が見えてきます。

三岐鉄道では三岐線と北勢線の両方で使える一日パスを発売していますので
徒歩でのワープは鉄道ファンの間では割とメジャーなルートの様です。



■モデル車両: 三岐鉄道 270系電車
ニナ11

北勢線は元々は北勢軽便鉄道として開業しましたが、
その後国家総動員法による陸運統制令に基づく閣議決定によって
三重県の6鉄道が合併して1944年(昭和19年)に三重交通となり、
1965年(昭和40年)には近鉄に買収され近鉄北勢線となります。

そして当時の近鉄が北勢線の近代化事業の一環として
1977年(昭和52年)に近畿車輛で新規製造を行ったのがこちらの270系となります。
導入時にはモ270形(制御電動車)が271~276の6両、
ク170形(制御車)が171、172の2両と計8両が新たに新製されました。
ニナ13
ところで北勢線は特殊狭軌線(ナローゲージ)と呼ばれる軌間762mmとなっています。
写真の運転士と対比して見てみると、車体にコンパクトさを感じると思います。

そもそも新幹線などで用いられている国際標準軌が1435mmであり、
日本で広く採用されている1067 mmの軌間は狭軌となります。
ですからJRなども本来はナロー(狭)ゲージ(軌)なのですが、
歴史的経緯で日本では狭軌がスタンダードとなっていることから
日本でナローゲージと言えば軌間762mm以下の鉄道を指すのが一般的です。


ニナ48
こちらがモ270形で、モーターを搭載して列車を引く制御電動車となります。
基本的に北勢線では電動車が阿下喜方に編成されます。
ニナ49
モ270形の車両の桑名方の屋根にはパンタグラフが載っていますが
小さい車体との対比でその大きさが目立ちます。
ニナ50
車内の様子です。座席はロングシートとなっています。
やはりナローゲージ車両ですので普段JRなどの車両の大きさに
感覚が慣れていると若干の狭さを感じます。
ニナ51
阿下喜方の車端部の様子です。
運転台のすぐ後ろには冷房装置が置かれています。
これは2006年(平成18年)より行われた冷房化工事で設置されたもので、
車両重心などの問題から床置きとなっています。
ニナ52
こちらが1977年(昭和52年)に新規導入された
モ270形の271から276までの6両です。

2005年(平成17年)以降には車両の高速化工事、
そして2006年(平成18年)以降には車両の冷房化工事が行われていますが、
車両ごとに工事の行われたタイミングや内容が違う為、
こうして並べると各車両ごとに微妙に形が違っているのが分かります。

また高速化工事が行われたことで271、272の2両はクモハ270形に、
同じく高速化工事が行われたものの冷房の搭載されていない273から276までの4両は
クモハ273形へとそれぞれ車両形式番号の変更が行われています。

ニナ53
こちらは1990年(平成2年)に北勢線に増備されたモ277形です。
近鉄内部線及び八王子線(現・四日市あすなろう鉄道)用の260系を流用して作られた車両で
導入しされたのはこの277の一両のみとなっています。
番号的には270形の続き番号となっています。


以上の271から277までの7両が「三岐鉄道270系」の電車です。
駅メモのでんこ「阿下喜ニナ」のモチーフが270系であると考えれば
以上の7両がモデル車両
となります。
ニナ64
ですが実際の運用ではこの270系を阿下喜方の先頭車両として
それぞれの編成を組んでおり、三岐鉄道では7編成が走っています。
271F(Fは編成の意)から277Fの7編成はそれぞれ固定の編成となっていますので、
ここでは270系電車と一体のものとして見て
以下に編成の付随車両についても記したいと思います。


ニナ54
こちらはクモハ170形の171です。
元々はク170形として、モ270形の6両と共に
1977年(昭和52年)に新規導入された車両です。

北勢線では西桑名方の先頭車両は制御車(動力を持たず運転台のある車両)が編成されており
このク170形も導入時は制御車でしたが、2006年(平成18年)の高速化工事で
台車が動力着きに交換されて制御電動車となったことから
形式番号がクモハ170形へと変更されています。
ニナ55
同じくクモハ170形の車両である172。
この形式の車両で新製されたのは171と172の2両のみです。
ニナ56
172の車内の様子です。
車両の両端部に冷房機が設置されており
座席はロングシートとなっています。


ニナ57
桑名方の制御車であるク140形です。

元々この車両は、三重交通三重線の車両として
1960年(昭和35年)からサ2000形として7両が作られたものです。

1964年(昭和39年)に三重電気鉄道湯の山線が改軌されると
全車が北勢線に転籍。三重電気鉄道が近鉄に合併されると
サ140形の141から147へと車両形式番号が改番されました。
ニナ58
そして北勢線の近代化が行われた1977年(昭和52年)に
奇数番号の141、143、145は西桑名側に270系の運転台が新設され
モ270形と固定編成を組む事となります。
ニナ59
こちらは偶数番号の142と144です。
北勢線近代化の際にはこちらの2両も阿下喜方に運転台が付けられましたが、
三岐鉄道移管後の2003年(平成15年)には運転台が撤去されて
再び付随車へと戻されてサ140-1形の142と144となっています。
ニナ60
そして146と147の2両は北勢線への転籍以来、中間付随車として
編成の中央のロングシートの客車車両として運行しています。


ニナ61
こちらはサ130形となります。
中間車両として連結される付随車であり
元々は三重交通サ360形として運行していましたが、
近鉄への吸収合併によってサ130形に改番されています。

車体は各部の丸みの強い準張殻構造となっていて
車端部が直線の切妻となっている270形とは若干イメージが異なります。
また三岐鉄道では運転台を取り付けた車両があったり
妻面への貫通扉の設置など各車両ごとに細かく改造が行われており、
同じ130形でも部分によって微妙に形が違っています。


ニナ62
こちらは三岐鉄道200形の編成で、
湘南型の2枚窓構成のク202、付随車のサ101とサ201の3両が
270形のモ277に連結されて4両編成となっています。

元々は三重交通モ4400形という電車でしたが、
三重電気鉄道、近鉄を経て車番が改番されており、
また三岐鉄道の近代化事業で現在の編成となっています。

車体の色は三岐鉄道への転用時には黄色でしたが、
2013年(平成25年)の北勢線開業100周年記念の一環として
三重交通の標準色であったクリーム色とグリーンのツートンとなりました。


ニナ63
北勢線ではこのように数種の車両が在籍しています。
時代によって3両から4両の編成で変遷している様子ですが、
基本的に固定編成となっており、パンタグラフが載った電動車が
阿下喜方につながれるのは変わっていない様です。


三岐鉄道270系の8両が北勢線に配置されたのは
1977(昭和52)年10月11日となります。
また北勢線が開業したのは1914年(大正3年)4月5日です。
駅メモのでんこ「阿下喜ニナ」の誕生日は2月7日に設定されていますが、
車両や路線の歴史を調べてみても2月7日に因んだものは見当たりません。

こうした点をふまえると、2月7日という誕生日の設定、
そしてニ(2)ナ(7)という名前などは、
モチーフとなった車両の270系という数字から因んだという説がどうやら有力な様です。

【写真撮影:2017年12月】

でんこの元ネタ
■No.30 八雲レーノ(Yakumo Reno)
 ■タイプ:アタッカー
 ■誕生日:11月21日

■出身駅: JR北海道 函館本線 八雲駅(北海道)
レーノ34

1903年(明治36年)に当時の北海道鉄道が延伸開業したことによって
この八雲駅も設置され開業しました。
1907年(明治40年)には鉄道国有法に基づいて国鉄となり、
その後の1909年(明治42年)には函館本線の駅となります。
レーノ35
こちらが八雲駅の駅舎となります。
現在の駅舎は1969年(昭和44年)に改築されたもので、
近年駅舎の塗装や正面の駅名標がホタテにリニューアルされています。
レーノ36
八雲駅の改修がいつ頃行われたのか、正確な時期の資料が見つからなかったのですが、
2011年(平成23年)に改修された同じ函館本線の五稜郭駅の駅名標が
ご覧の通り明らかに同じ系統のデザインですので、
おそらく同時期に八雲駅のリニューアルも行われたと推測されます。
レーノ37
駅前広場の様子です。
旧国道5号線である道道1029号花浦内浦線に広場は面しており、
中央部が駐車スペースのロータリーとなっています。
レーノ38
こちらは旧国道の駅前付近は西側から。
レーノ39
同じく東側から駅前方向を望んだ旧国道の光景です。
レーノ40
その旧国道と駅前で交差して、
駅舎正面を北東へと伸びているのがこちらの道道202号八雲停車場線です。
国道と駅を結ぶ道道でしたので当初は旧国道まで35mの道だったそうです。
ですが1983年(昭和58年)に国道5号八雲バイパスができた事によって
終点がバイパスまでに変更され現在では650mほどの道となっています。
レーノ41
駅舎へと戻り入口を見ると、北海道の駅らしく風除室が設けられています。
レーノ42
中へと入って待合室の様子です。
冬場も列車を待つ事ができるしっかりとした作りとなっています。
社員配置駅ですが夜間早朝は駅員不在となっています。
レーノ43
待合室の一角にはコインロッカーがあり
その横には八雲の特産品コーナーのガラスケースがあります。
レーノ44
こちらが改札口です。
この駅は列車別改札となっている様で
基本的には列車到着の10分前に改札を行っています。
レーノ45
ホーム側から見た駅舎の改札付近。
レーノ46
駅舎のある単式ホームの1番線の様子です。
上り線の森・函館方面行きホームとなります。
レーノ47
気動車の短い編成が多い北海道の駅としてはかなり長いホームです。
レーノ48
単式ホーム1面1線、島式ホーム1面2線のいわゆる国鉄形の駅ですが、
他にも待避線1線と引き上げ線のある駅となっています。
ホーム間はご覧の跨線橋で連絡をしています。
レーノ50
跨線橋の中の様子。
レーノ49
こちらは跨線橋から見た駅構内の様子です。
レーノ51
島式の2、3番線ホームです。
2番線は下り線の長万部・札幌方面行きとなります。
そして一番外側の3番線は貨物列車の退避ホームとして使われています。
レーノ52
ホームの西側ではご覧の通り、旅客使用の無い3番線側が切り欠きのように。
レーノ53
東側の跨線橋の階段付近には上屋の屋根があります。


レーノ54
再び駅前の広場へと戻り、
こちらはロータリー西側にある函館バスの八雲駅前停留場です。
レーノ55
ご覧の通り、こちらが函館バスの「江刺八雲線」の停留場であり、
駅メモで北海道最難関と言われる江差線の江差駅と八雲駅を繋ぐバス路線が出ています
レーダーブースターの登場によってその価値は下がりましたが、
実際に江刺駅まで行きたい方には今でも選択肢の有力な一つでしょう。

レーノ56
また、駅舎を背に左側を見るとご覧の旅館があるのですが、
旅館と線路の間には歩行者用の小路があります。
レーノ57
線路に沿って西に小路を進むと、
八雲駅のパーク&ライド用の駐車場の向かいに
ご覧の跨線人道橋があります。
レーノ58
跨線人道橋の中の様子です。
北側の階段上には「JR八雲駅」の案内板があります。
レーノ59
そして南側の階段上には「郷土資料館」の案内表示が。
レーノ60
南側から見た跨線人道橋の様子です。
こちら側にも広大な土地があって
八雲駅のパーク&ライド駐車場のスペースがあります。
レーノ61
跨線橋の階段の目の前にあるA-CORPやくも店。
レーノ62
A-CORPとは反対側に、跨線橋から真西へおよそ300mほど、
駐車場を横断して住宅街をワンブロック向こう側へと抜けると
八雲町の公民館があります。
レーノ63
こちらがその八雲町公民館の建物で、中に郷土資料館があります。
レーノ64
その公民館の敷地の駐車場の奥へと目を向けると
何やら銅像が建っているのが見えます。
レーノ65
胸像には「徳川さん」の文字が。
「○○翁」だとか「○○先生」というのは何度も見ましたが
これは初めて見たパターンです。
レーノ66
その隣には「木彫熊 北海道発祥の地」と刻まれた石碑があります。
レーノ67
この公民館から南西0.5kmにある八雲病院の付近は
1878年(明治11年)に徳川農場が開設された場所であり、
旧尾張藩の士族が開墾の為に移住してきた場所
でした。

この徳川農場があることが縁で、
当時の尾張徳川家第19代当主の徳川義親氏が毎年八雲へと来訪。
この徳川義親氏がさきほどの「徳川さん」の胸像の当人でした。

後に八雲で「熊狩りの殿様」、マレー半島で「虎狩りの殿様」の異名を取る徳川氏ですが、
スイス来訪時に購入した木彫りの民芸品を「冬季の現金収入になるのではないか」と
八雲の農民に木彫りの民芸品制作を奨励。見本として八雲村に提供したことが
いわゆる北海道みやげの「木彫りの熊」の発祥となります。

その後昭和30年代から40年代にかけて北海道観光のブームが起こり、
「木彫りの熊」が爆発的に売れた事から
八雲だけでなく北海道全土でが木彫りが作られるようになります。
「鮭をくわえた木彫り熊」はこの時に定着したイメージです。
レーノ68
駅のホームの名所案内にこのように「木彫熊発祥の地」とあったので気になったのですが
まさか尾張徳川家がそのルーツだとは知りませんでした。

レーノ69
そういえば駅舎の前にはご覧の顔出し看板があり、
「八雲町開拓の祖 徳川慶勝公」と書かれていました。
この徳川慶勝氏は、先ほどの木彫りの徳川義親氏の二代前の尾張徳川家第17代当主であり、
徳川農場を実際に八雲に作って士族を入植させた人物となります。

この徳川義親氏が古事記に記された
須佐之男命(「日本書紀」では素戔嗚尊)が詠んだという

「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を」

という和歌からちなんだのが地名の由来となったと言われています。

【写真撮影:2018年7月】



■モデル車両: JR北海道 DD51形北斗星色 トワイライトエクスプレス
レーノ01


レーノ02
DD51形ディーゼル機関車は国鉄が
1962年(昭和37年)から1978年(昭和53年)にかけて
製造を行ったディーゼル機関車です。

導入当時は幹線から蒸気機関車を廃する「無煙化」が推進されており、
また車両標準化によってメンテナンスや運用のコストを落とす目的などから
性能の安定したDD51形が長期にわたって量産されて
日本全国に配置運用されています。


レーノ03
国鉄民営化(JRへの転換)の翌年である1988年(昭和63年)には
青函トンネル(津軽海峡線)が開業したことによって
上野駅━札幌駅間を運行する寝台特急列車、いわゆるブルートレインの
「北斗星」が営業運転を開始しています。

このうち電化された青函トンネルを抜けた北斗星は
函館駅でJR北海道のDD51形ディーゼル機関車が牽引することとなります。
当初は函館のDD51形もオレンジ色だった様ですが、
北斗星の牽引に使われた事からイメージアップのために
全車両が青く塗り替えられています


このJR北海道函館運輸所所属のDD51形のカラーリングは「北斗星色」と呼ばれており、
国鉄色の青20号(ブライトブルー    )を車体の基調として
金色(    )の帯色が入れられています。

レーノ04
そして北斗星デビューの翌年である1989年(平成元年)7月21日には
旅行会社の企画商品によるツアー用臨時列車として
臨時寝台特急列車の「トワイライトエイクスプレス」がデビューをします。

大阪駅から日本海沿岸を経由して青函トンネルを潜り
札幌までのおよそ1500kmを23時間ほどかけて運行する寝台特急は
JR分割民営化後としては日本一の営業キロを誇る旅客列車であり、
また「ホテルのおもてなし」をコンセプトに本格派のシェフが同乗して料理を振舞うなど
現在流行っている豪華クルーズトレインのはしりと言える列車です。
レーノ05
こちらは現在運行をしている「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」の車両ですが、
「トワイライト」の名前を受け継いでいることからも分かる通り
コンセプトとしてはトワイライトエクスプレスの後継列車にあたります。
レーノ06
「トワイライトエクスプレス」の客車の写真をこうして並べてみると
深緑(    )の車体に金色(    )の帯色が双方ともに同じであり、
瑞風のカラーリングはトワイライトエクスプレスの客車の色を受け継いでいるのが分かります。
なんでも好事家の間ではトワイライトエクスプレスを「初代」、
瑞風を「二代目」と呼ぶ向きもあるそうですが、これを見ると良く分かります。


レーノ07
改めて北斗星色のDD51形です。
DD51形では基本番台(0番台)は重連での運転に対応していませんでした(非重連形)。
そして500番台の592号車以前までは「半重連形」と言って
重連総括制御装置を搭載しているものの、
前の機関車がブレーキをかけても後ろの補機のブレーキは作動しませんでした。

そして500番台の593号機以降と1000番台は「全重連形」と言い、
前の機関車(本務機)のブレーキが後ろの補機と連動できました。

国鉄からJRへの転換の際には半重連形は基本的には廃車となり、
JR北海道には全重連形計25両が継承されました。
その中で一番車番が若かったのがDD51-1006となります。

DD51-1006は1972年(昭和47年)11月21日に五稜郭機関区に新製配置。
北海道内の各地で活躍しJR北海道に継承され空知運転区(旧岩見沢機関区)に所属。
1994年(平成6年)の空知運転所の廃止によって函館運転所の所属となります。

この機関車は夜行急行「はまなす」、上野からの寝台特急「カシオペア」、
そして北斗星やトワイライトエクスプレスなどでJR北海道内での運行を担当していました。
また定期列車の運行の間には苗穂━手稲間の回送列車の牽引もしていたそうです。
2008年(平成20年)4月に廃車となった後
は2012年(平成24年)にミャンマー国鉄へと譲渡。
現地で活躍をしているそうです。

また駅メモのでんこ「八雲レーノ」の誕生日は11月21日に設定されていますが、
これはDD51-1006が三菱重工で新造された日付が由来
と見て間違い無いでしょう。

レーノ08
場所は変わって、こちらは京都鉄道博物館です。
JR西日本の鉄道に関する展示の行われている博物館なのはご存知の通りですが、
こちらにトワイライトエクスプレスの車両が展示をされています。
レーノ09
博物館の入口を入ってプロムナードを抜けると
本館の脇の屋外に「トワイライトプラザ」と題された展示スペースがあります。
レーノ10
まず目に入るのがこちらのEF81形電気機関車です。
日本海縦貫のルートは交流区間と直流区間が入り混じっており、
交直流両用の機関車であるこのEF81が大阪駅━青森駅間を牽引していました。
トワイライトエクスプレスとしては重要な機関車ですが、
駅メモ的にはさほど関係は無いかと。

レーノ11
こちらがスシ24形客車の1号車です。
大阪方の後方三両目である3号車として連結されていました。
レーノ13
ス(37.5t以上42.5t未満)シ(食堂車)の名前の通り
トワイライトエクスプレスの目玉の一つであった食堂車となります。
レーノ12
それまでの食堂車が調理済みの料理を暖めるだけだったのに対して
このスシ24形では「ダイヤプレヤデス」というフレンチレストランとなっていて
実際にシェフが車内で調理を行うという画期的な食堂車でした。
レーノ16
車体のロゴにも「DINER Pleiades」の文字が。
diner(ダイナー)は食堂車、プレヤデス(Pleiades)はおうし座の星団で昴(すばる)ですね。
レーノ14
窓からのぞいた調理場の様子です。
レーノ15
同じく窓からのぞいた客室内の食堂の様子。

レーノ17
こちらがスロネフ25形の501号車です。
大阪方の最後部車両で1号車となります。
レーノ24
ス(37.5t以上42.5t未満)ロネ(A寝台車)
フ(緩急車・ブレーキのある車掌室のある営業車)となり
A寝台の車掌室つき客車となります。
レーノ18
トワイライトエクスプレスを象徴する車両であり、
車端部を占有するA寝台スイート1室と、A寝台ロイヤル4室がある
最大定員6名という客車となります。
レーノ19
乗降扉の上にある「A個室」の表示。
レーノ21
車体にあるトワイライトエクスプレスのロゴマーク。
レーノ20
そして車端部にあるヘッドマークです。
レーノ22
スイート個室の様子を窓から。
レーノ23
同じく4室あるロイヤル個室の様子です。

駅メモの「八雲レーノ」の衣装のデザインにはドレープが多用されていますが、
客室内装のカーテンなどを見るとモチーフになっていることが分かります



レーノ25

また博物館の本館内にもトワイライトエクスプレスの車両が展示されていました。
レーノ26
こちらはオハ25形の551号車。
大阪方の四両目である4号車だった車両です。
レーノ27
オ(32.5t以上37.5t未満)ハ(普通車)ですので
区分的には一般的な客車となります。
レーノ28
車体のロゴには「Salon du Nord」とあります。
Salonはそのままサロンで応接間ですし、Nord(ノール)はフランス語で「北」の意味で
「北欧」のニュアンスもあるかもしれません。
ですから意味としては「北の社交場」といった所でしょうか。
「北」には「北海道(や東北)」と「北欧」のニュアンスが掛けられている気がします。
レーノ29
頑張って中をのぞくとご覧のソファーとテーブルが。
まさしくサロンでセレブリティな談笑がされていそうですが
一応普通車ということになっています。
レーノ32
こちらは車体にある方向幕。

レーノ30
そしてこちらが札幌方の機関車の真後ろに連結されていた
電源車のカニ24形12号車です。
レーノ33
青森駅━五稜郭駅間の青函トンネル区間では最後尾車両となりますので
ご覧の通りヘッドマークがついています。
レーノ31
カ(47.5t以上)ニ(荷物車)となっており、
客車で使う電源を確保する為のディーゼル発動機を搭載している車両となります。
車両のほとんどがこの発電設備ですので実質的には電源車と言って良い車両でしょう。

また客室に近い1/3程度には荷物室があります。
とは言っても普通貨物を積んでいた訳では無く、
トワイライトエクルプレスで使用するリネン類や食堂車の機材などを積んでいた様です。


他にもA寝台車のスロネ25形500番台や、B寝台車であるスロネ25形500番台などが
トワイライトエクスプレスでは連結されており、機関車を除く10両編成となっていました。

【写真撮影:2018年12月(一部は写真素材サイトより調達)】

でんこの元ネタ
■No.56 橿原らら(Kashihara Rara)
 ■タイプ:ディフェンダー
 ■誕生日:12月13日

■出身駅: 近畿日本鉄道 橿原線 橿原神宮前駅(奈良)
らら22

1923年(大正12年)に大阪電気軌道畝傍線が延伸したことによって
橿原神宮前駅が終点として設置されたのが駅の始まりです。
らら23
こちらは橿原神宮の一の鳥居の目の前の表参道広場ですが、
開設当初の橿原神宮前駅は文字通り神宮の目の前のこの場所にあったそうです。

1923年(大正12年)には吉野鉄道が吉野口駅から延伸して橿原神宮前駅へと乗り入れ。
大阪鉄道が1929年(昭和4年)3月に延伸によって橿原神宮駅、久米寺駅を設置。
同年8月には吉野鉄道に大阪電気軌道に買収され、
同年10月には大阪鉄道が大阪電気軌道の傘下となって
橿原神宮一帯の鉄道が実質的に大阪電気軌道一社に統一されます。
らら24
そして1940年(昭和15年)は皇紀2600年にあたることから
初代神武天皇を祀る橿原神宮の周辺整備と神域拡大が行われます。

まず1939年(昭和14年)には橿原神宮の神域拡大で
橿原神宮前駅の移動が余儀なくされて畝傍線が新線へと付け替え。
大阪電気軌道の久米寺駅を橿原神宮駅駅へと改称して西大寺━橿原神宮駅間が橿原線となります。
この旧久米寺駅の橿原神宮駅駅が現在の近鉄の橿原神宮前駅と同じ場所の駅となります。

翌年の1940年(昭和15年)には大阪鉄道の久米寺駅を橿原神宮駅駅に改称。
戦中戦後の鉄道再編によって関西急行鉄道、近畿日本鉄道へと所属会社が変わります。

長らく「『橿原神宮駅』駅」という名前が「駅駅」の珍しい駅名でしたが
1970年(昭和45年)に「橿原神宮前駅」へと改称され
現在のすっきりとした駅名となっています。
らら25
こちらが駅の中央口の駅舎外観です。
駅が統合されて橿原神宮駅駅となった1940年(昭和15年)に建てられたものです。
設計は建築家の村野藤吾氏の手によるもので、コンクリート駅舎ながら
奈良近辺の関西地方で見られる高塀造(大和棟)と呼ばれる建築様式を模しており、
急な屋根の下に緩やかな錣屋根のある造りはまるで神社かお寺かと思わせる外観です。
らら26
中央口の目の前にはご覧の駅前ロータリーがあり、
ロータリーの中央部は駅前公園となっています。
らら27
公園の真ん中にある黄色いポスト。
神話では神武天皇が日向(宮崎県)の高千穂から橿原へと東遷されたことから
宮崎市と橿原市が姉妹都市となった縁で設置されているそうです。
らら28
駅前広場から駅舎正面に伸びているこちらの道路は
県道125号橿原神宮公苑線で、300mほどで分岐して
橿原神宮の表参道の一の鳥居へと通じています。
らら29
駅舎の中の様子です。
かなり広々とした改札前のホールで、天井はまるで吹き抜けのように高く
天窓や木製の建具が取り付けられています。
らら30
内側の屋根の妻には奈良絵のような大きなレリーフが。
らら31
出札窓口の上には大和三山と橿原神宮が描かれています。
らら32
中央口の改札を駅構内側から。
標準軌の大阪電気軌道(橿原線)と
狭軌の大阪鉄道(南大阪線・吉野線)の駅を統合したという性格上
二つの駅をコンコースで繋いだような構造となっています。
中央口は橿原神宮への正面入口ではありますが、
駅から見ると中間点に作られた出口なので
内側から見ると比較的目立たずこじんまりと設置されています。
らら33
中央口から東側のコンコースの光景です。
らら34
コンコースの東端と、二つの島式ホームの南端が接する形となっており、
目の前には橿原線を跨ぐ構内踏切があります。
らら36
こちらは駅の一番東側にある島式ホームです。
構内踏切からはスロープで連絡しています。
らら35
西側の1番線は標準軌の橿原線のホームとなっており、
同じく標準軌の京都線への乗り入れを中心に名古屋や伊勢志摩、
大阪難波方面へも発着があります。

一方東側は番線が振られていませんがかつての0番線乗り場で狭軌となっています。
通常は使用しませんが、お召し列車や団体列車、臨時列車が停車することがあります。
らら37
そして旧0番線側のスロープ脇付近にはご覧のゼロキロポストが。
これは近鉄吉野線のゼロキロポストとなります。
この場所にあるのは1番線は吉野線と繋がっ通じておらず、
繋がっているのが旧0番線だけだからでしょうか。

らら38
そしてこちらは1番線の西側に並んであるもう一つの島式ホームの入口です。
中央コンコースの東端とこちらの島式ホームの南端は続きとなっています。
らら39
この島式ホームは2、3番線ホームとなっており
両方ともに橿原線の標準軌となっています。
らら40
西側の3番線ホームはご覧の通り
コンコースの手前で車止めとなっています。
らら42
一方の2番線は構内踏み切りを越えて南側の引き上げ線へと繋がっています。
南には吉野線や南大阪線の線路がありますが
橿原線とは軌間が違うため繋がってはいません。

らら41
一方、0番線のさらに東側には「51号線」と呼ばれる引き上げ線があって
ご覧の台車振替場(標準軌・狭軌台車取り替え施設)があります。
これは狭軌の南大阪線の車両の検査を
標準軌の大阪線にある五位堂検修車庫で行う為の施設であり、
南大阪線の車両は台車をここで取り替えて検査へと向かいます。
らら61
この台車振替場の建物がある付近は
かつては小房線(おうさせん)という路線のホームがありました。
南大阪線の前身であった大阪鉄道が国鉄桜井線と畝傍駅で連絡していた時の路線で
1945年(昭和20年)に休止され、正式な廃止となった後にホームが撤去されて
後に台車振替場が建てられた、という訳です。

らら43
橿原線の二つの島式ホームの南側の構内踏切ですが、
その先にはご覧の東口改札が設けられています。
らら44
こちらが東口の駅舎の外観となります。
中央口より後に立てられた東口駅舎も中央口に倣って
高塀造風になっています。
らら47
改札前の光景です。
らら45
パーテションのように改札前に立つ壁には
万葉集でも有名な持統天皇の
「春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣ほしたり 天の香具山」
の和歌がレリーフで飾られています。
らら46
こちらが駅前のロータリーの様子です。
ここから東へ向かって県道124号橿原神宮東口停車場飛鳥線という道路が延びており
数々の史跡の残る飛鳥・斑鳩方面へと通じています。

らら49
再び駅構内へと戻り、東口改札前の構内踏切を渡ります。
らら63
踏切と中央コンコース、そして2、3番線ホームの交わる場所には
ファミリーマートとマツモトキヨシが駅構内店としてあります。
らら64
以前はこちらのコンコース中央に
ご覧の様に柿の葉寿司の売店があったのですが、
現在は撤去されて中央改札の正面の店舗のみとなっている様です。
らら65
中央改札口の前を通過して中央コンコースを西へと進むと
ごらんの様に地下へと潜る階段があります。
らら66
こちらが地下通路となります。
南大阪線の下を通っており、各ホームと西口改札を連絡しています。
かつては南大阪線のホームが構内踏切でつながっていましたが
1995年(平成7年)にこちらの地下通路が作られました。
らら52
島式ホームの4、5番線ホームです。
橿原神宮前駅が狭軌の路線である南大阪線の終点かつ吉野線の起点となっており、
下り線であるこちらの4、5番線は吉野方面行きの吉野線ホームとなっています。
らら53
この駅が南大阪線の折り返しの拠点駅であり、
区間準急はこの駅が終点となっています。
また吉野線の各駅の有効長が4両分なので
南大阪線を走ってきた列車はここで切り離し作業をすることとなります。
らら54
こちらがこの駅で一番西側にある、島式ホームの6、7番線ホームです。
南大阪線ホームとして大阪阿部野橋方面行きの上り線となります。
らら55
かつては上下線ともに乗車ホームと降車ホームに分けられていた時代もあったそうですが
列車数が増えた結果、現在はどちらのホームも乗降ができる状態となっています。
らら56
西口駅舎の外観です。
中央口の駅舎のデザインに近づけらた印象の建物となっています。
かつてこの駅が「久米寺駅」だった時の由来でもある久米寺へは
こちらの出口が最寄りとなっています。
らら60
正面ロータリー側だけではなく、
線路沿いの北側にも駅舎に駅名標がついています。
らら58
駅前にはご覧のロータリーが設けられています。
らら59
ロータリーから駅の正面に伸びる県道133号戸毛久米線。
駅前のロータリーがこの県道の終点となっています。
らら62
駅舎へと戻ると改札へは地下へと降りる階段で向かいます。
これは南大阪線をくぐる地下通路の先に、同じ高さで地下改札口があるためです。
地下でありながら駅舎屋根の天窓から外光が差し込んでおり
改札前は明るくなっています。



■モデル車両: 近畿日本鉄道 22000系 ACE新塗装
らら01


らら20
近鉄では1960年代から特急車両として11400系のエースカーと呼ばれる車両が走っていました。
このエースカーの老朽化に伴い入れ替え車両として1992年(平成4年)に登場したのが
ご覧の22000系、愛称「ACE」という車両です。
近鉄の車両は代々オレンジと紺のツートンカラーでしたが、
このACEは前面塗装がオレンジ(    )一色となっています。
これまでは側面にも帯状に連続して紺色(    )が塗られていましたが、
ACEでは窓部分のみのブロックパターンとなっています。
らら21
そして22000系AECも導入から23年が経過したことから
車体のリニューアル工事が行われ、車体塗装も変更となりました。
一番最初にリニューアル工事が行われたのが上の22110F(Fは編成(Formation)の略)で、
2015年(平成27年)12月13日にリニューアルカラーでの運行を開始
しています。
塗装はクリスタルホワイト(    )を基調に、上下にブライトイエロー(    )を配色。
窓下にはゴールド(    )のラインを入れています。

駅メモのでんこ「橿原らら」の誕生日が12月13日となっていますが、これは
22000系22110編成のリニューアル後の営業運転開始日が元
と考えて間違い無いでしょう。


22000系AECには4両編成と2両編成の2種類の編成がありますが、
2両編成は4両編成から中間車両を抜いたものと考えて概ね間違い無いので
(正確には4両編成先頭車のパンタグラフは一つだが、2両編成の先頭車には2つ載っている)
こちらでは4両編成について各車両を見てみたいと思います。
らら02
大阪方(大阪難波・大阪上本町・京都方面)の先頭車両であるモ22100形です。
編成略記号はMcとなりM(動力車)C(制御車)となるので
モーターを搭載し運転台のある車両となります。
らら03
車両の後方の屋根には下枠交差式のパンタグラフが。
らら67
乗降の扉は車両の前部と後部にあり、
こちらは運転台のすぐ後ろの前部乗降デッキとなります。
先頭車両も貫通式なので運転台の脇を通り抜ける通路があります。
らら05
こちらが客室内の様子です。
2+2列の座席が14列あり計56席となっています。
前方の車端部にはスーツケースの置ける荷物スペースが。
らら68
車両後部の名古屋方の乗降デッキは
乗降スペースのみとなっています。


らら06
大阪方の二両目、モ22200形です。
編成略記号はMでモーター搭載の動力車となります。
らら14
客室内は2+2列の座席が14列と、
車椅子対応座席が2席で合わせて58席となっています。
らら15
こちらが大阪方最後列にある車椅子対応座席です。
目の前の客室の扉がこちらだけ両開きで広くなっており
車椅子で通り易くなっています。
らら69
大阪方にある乗降デッキです。
こちらの車両は乗降デッキは一箇所のみとなります。
乗降扉は車椅子対応の為幅広となっており、
デッキには車椅子対応トイレ、男性用トイレ、そして洗面所があります。
らら70
洗面台の様子です。


らら07
大阪方三両目、名古屋方(近鉄奈良・賢島・近鉄名古屋方面)二両目となる
モ22300形です。編成略記号はMですので動力車となります。
この車両も大阪方の屋根にパンタグラフが載っています。
らら17
車両の両端に乗降扉があるので乗降デッキも二つありますが、
大阪方の乗降デッキには自動販売機が置かれています。
販売機の向かいは車内販売準備室ですが、
現在は車内販売が行われてませんのでシャッターが閉められています。
らら13
客室内のシートは2+2列シートがが15列あり
合計で60席となっています。大阪方の端には荷物置き場があり、
カーブでスーツケースが走らないようにロープが掛けられています。
らら71
名古屋方の乗降デッキは乗り降りのスペースのみとなります。
らら72
連結部から1号車の方を見るとトイレなどがある1号車のデッキと続いており、
まるで一つのデッキのように見えます。


らら08
そして名古屋方の先頭車両となるモ22400形です。
らら73
この車両は運転台の真後ろの名古屋方にのみ乗降扉があります。
デッキにはガラス張りの喫煙ルームが設けられています。
らら75
喫煙ルームの中の様子です。
レストバーベンチが置かれています。
らら74
喫煙室前の通路の様子です。
らら09
こちらは客室内の様子。
2+2列の座席が14列あり計56席となっています。
らら12
客室を出た大阪方には男女兼用トイレ、女性専用トイレ、
そして洗面所があります。洗面所にはおしぼりホルダーがあるのが近鉄流です。

【写真撮影:2018年6月】

でんこの元ネタ
■No.52 浦佐ノア(Urasa Noa)
 ■タイプ:アタッカー
 ■誕生日:4月29日

■出身駅: JR東日本 上越新幹線 浦佐駅(新潟)
ノア01


浦佐駅は1923年(大正12年)の上越北線の延伸で開業した駅で、
1931年(昭和6年)に清水トンネルの開通による上越線の全通以降は
関東と新潟とを結ぶ在来幹線の駅となります。

貨物列車も運行する重要な幹線の駅という一面はありましたが、
旅客駅としては冬のスキー客が訪れる他は
地元民の利用する小さなローカル駅にすぎませんでした。
しかし1981年(昭和56年)の上越新幹線の開通によって
この浦佐駅に新幹線ホームが設置されたものの
今でも上越新幹線全駅で最も利用者が少ない駅となっています。
ノア02
こちらは東口の駅舎外観です。
八海山口という副称が浦佐駅の東口にはつけられています。
1982年(昭和57年)11月に上越新幹線開業の前年に改築されたもので、
手前の在来線の橋上駅舎と、奥の新幹線高架駅舎が併設された
新幹線駅特有の独特のつくりとなっています。
ノア03
駅の目の前を国道17号(三国街道)が走っており、
国道に面して並走するように駅が設けられています。
ノア07
駅舎側から見た駅前の広場の光景。
この東口広場が整備されたのは1978年(昭和53年)のことであり
新幹線開業の3年前の事でした。
元々の浦佐駅の出口は西口側でしたので、
こちらの東口側は比較的新しく開発された側の出口となります。
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そして国道に面した東口ロータリーの、南側を見ると
銅像が建っているのが見えます。
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こちらがこの浦佐駅を含む旧新潟3区を選挙区としていた
第64代内閣総理大臣の田中角栄氏の等身大の銅像です。

角栄氏は議員時代にはこの浦佐のある魚沼地区での支持拡大を元に地盤を築き、
上越新幹線開業に際しては六日町駅や小出駅が候補だった新幹線駅を
この浦佐に決定する影響力があった、と噂されるなど
浦佐の街とは浅からぬ関係がありました。

銅像は角栄氏の後援組織である越山会が中心となり、
存命中の1985年(昭和60年)に2億円の寄付を集めて建立したものです。
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建立当初は銅像のみで屋根はありませんでした。
しかし角栄氏の娘で元外相の国会議員の田中真紀子氏が
「パパが寒くてかわいそうだから屋根をつけてほしい」と要望。
「銅像に屋根をかけるなど聞いたことがないし、風圧などで強度も危険」とする
銅像を管理していた元越山会の角友会と対立し、
真紀子氏側が屋根設置を求めて南魚沼簡裁に調停を申し立てました。
結果2005年(平成17年)にご覧の屋根がついています。

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こちらは橋上の改札前の光景です。
改札前は広場のように広くなっており、
正面にコンビニの売店があってその裏手は広い待合広場となっています。
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改札前を通り過ぎて西へと進むと、
新幹線の下をくぐる為に低くなった通路が伸びています。
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こちらが浦佐駅の西口の駅舎外観です。
西口は「毘沙門口」の副称があります。
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こちらにも駅前ロータリーがありますが、
元々新幹線開業前の上越線のローカル駅だった時代の駅前広場はこちらでした。
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現在は南魚沼市にある浦佐駅は元は大和町という町の中心駅でした。
ですので西口の駅前には大和町の旧市街が今でも残っています。
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駅舎の改築によってこちらの西口も区画整理が行われた為
その記念碑が駅前に置かれていました。
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西口の入口を入るとご覧のように広いロビーに
大きな階段があっていかにも新幹線駅といった造りとなっています。
ですが売店などは全く無く人影がまばらなのがむしろ寂寥感を感じさせます。

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橋上へと戻ってこちらが改札の光景です。
自動改札機があるのは実は新幹線の改札で、
上越線に乗る在来線改札口は窓口前の狭い一本の通路のみです。
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こちらが在来線改札口付近の様子です。
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在来線の改札内に入るとご覧の通り広いコンコースがあります。
こちらも必要以上のスペースが空いてがらんとしています。
これだけスペースがあるにもかかわらず、在来線改札内には
エレベーターもエスカレーターも設置されておらず
ホームとの昇り降りは階段のみ
となっています。
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島式ホームの1、2番線ホームです。
在来線ホームとなっており、1番線が下り長岡・新潟方面行きとなります。
2番線は臨時ホームとなっており通常時に使用されることはありません。
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ご覧の通り1、2番線ホームは高架下に作られており、
真上には上越新幹線の高架線が走っています。
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跨線橋から見た在来線ホームの俯瞰です。
左から4、3、2番線となり1番線は右の新幹線駅舎の下となります。
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こちらは島式の3、4番線ホーム。
一番外側の4番線ホームが上り線の越後湯沢・水上方面行きとなっています。
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内側の3番線は2番線同様に通常時は使用されていない予備ホームとなります。

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一旦改札に戻り、こちらは新幹線ホーム付近の様子です。
浦佐駅では、在来線ホームと新幹線ホームを連絡する通路や出入口は無く、
上越線と新幹線を乗り換えるには一旦改札外へ出る必要があります。
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新幹線改札を入ると最初に右手に目に入るのがこちらのオブジェです。
これは浦佐駅からは北東に4kmほどにある
魚沼市の西福寺開山堂の天井のレプリカとなります。

西福寺には「江戸のミケランジェロ」と呼ばれた石川雲蝶の彫刻が多く残されており、
開山堂の天井には「道元禅師猛虎調伏の図」という大作があります。
1981年(昭和56年)に小出高校の絵画クラブが文化祭でこの大作のオブジェを制作。
ダンボールを素材としながらなかなかの力作に仕上がりました。

作品は文化祭後にJR浦佐駅の新幹線コンコースに飾られ、
これが現在に至るまで写真の通り展示されているのです。
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改札内の新幹線コンコースの様子です。
さすが新幹線の改札内だけに広々としていますが、
階段奥の新潟方はガラスで区切られて閉鎖されていました。
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柱には現美新幹線の紹介の看板が掲示されていました。
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こちらは11番線ホームへと上がるエスカレーター。
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浦佐駅新幹線ホームの11番ホームです。
新幹線ホームは相対式2面2線となっており、
こちらは下り線新潟方面行きホームとなっています。
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相対式ホームですのでそれぞれのホームの作りは単式のシンプルなもので、
線路側は柵が設けられています。
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反対側の12番線ホームで、こちらは上り線の越後湯沢方面行きとなります。
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そしてこれは11番ホームも同様なのですが、
新幹線ホームの新潟方の階段はご覧の様に鉄の門が設置されて入れません。
これは階下の新幹線コンコースがおよそ半分を閉鎖している為です。
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そして相対式ホームの間の線路を見ると、
11番線と12番線の間に2本の線路があるのが見えます。
これは優等列車が通過する通過線ですが、
この駅では通過線が本線でホーム停車の番線が副本線となっています。

【写真撮影・2017年1月】



■モデル車両: JR東日本 E3系700番台 現美新幹線
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現美新幹線は上越新幹線で運行されているジョイフルトレインであり、
「世界最速の芸術鑑賞」のキャッチフレーズの元で
2016年(平成28年)4月29日に越後湯沢駅━新潟駅間で運用を開始しています。

駅メモのでんこ「浦佐ノア」の誕生日が4月29日に設定されていますが
これは現美新幹線の運用開始日が元と見て良い
でしょう。
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E3系の新幹線は元々は、新在直通運転を行う秋田新幹線への
投入の為に開発された新幹線車両です。

E3系では1997年(平成9年)に作られた
0番台のR2編成からR16編成までが最初の量産車となります。
そして増備の為のプロトタイプ的なR17編成の開発を経た後に
2002年(平成14年)から2005年(平成17年)にかけて作られた
R18編成からR26編成が増備車両となり、
現美新幹線へと充当されたR19編成もこの増備車でした。
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2002年(平成14年)11月18日に新製されたR19編成は
5億円の費用をかけて川崎重工業車両カンパニー兵庫工場にて改装。
2016年(平成28年)1月4日に改装が完成し0番台(基本番台)から700番台へと改番されました。
また運用が新潟県内に限定となった為、
所属先も秋田車両センターから新潟新幹線車両センターへと変更となっています。


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現美新幹線のエクステリアデザイン(外装)については
映画監督で写真家の蜷川実花氏が手掛けています。

演出家の蜷川幸雄氏の娘でもある蜷川実花氏は
写真家として第26回木村伊兵衛写真賞をはじめ幾つもの賞を受賞しており、
多くの女優やタレントの写真集を手掛けるなど活躍をしています。
また2007年(平成19年)には映画監督としてもデビュー。
2012年(平成24年)の「へルタースケルター」では22億円の興行収入を挙げています。
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外装には「日本三大花火」のひとつでもある長岡の花火の写真がラッピングされており、
黒を基調とした車体と共に独特の存在感を放っています。

ちなみに駅メモのでんこ「浦佐ノア」のビスチェとラップスカートは
外装の花火をモチーフとしたと思われるデザイン
となっています。


それでは現美新幹線の各車両についても見てみたいと思います。
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まずは越後湯沢方の先頭車両、11号車のE311-702です。
編成略記号ではM1scとなっておりM(動力車)S(グリーン車)C(制御車)となります。
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乗降扉は新潟方の車端にのみあります。
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乗降デッキの様子です。
車掌室、車椅子対応トイレ、多目的室、洗面所などがあります。
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乗降デッキと客室への扉の間にある車掌室。
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12号車への通路側にある多目的室の扉。
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同じく通路に作られた洗面所です。
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こちらが11号車の客室内の様子です。
普通車指定席車両となっており、2+2列のシートが6列(最後尾に車椅子対応席あり)で
合計23席が設置されています。
元々が秋田新幹線こまちのグリーン席ですので
座席は非常にゆったりとしています。
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新潟方最後列の車椅子対応座席です。
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現美新幹線ということで各車両には現代美術のアーティストの作品が展示されていますが、
こちらの11号車は現代絵画の松本尚氏の作品となっており、
今回の室内のデザインは「五穀豊穣」「祝祭」「光」をコンセプトとしているそうです。

松本氏はインスタレーションという、
特定の室内や屋外などにオブジェや装置を置いて作家の意向に沿って空間を構成し
変化異化させて場所や空間全体を作品として体験させる芸術
を得意としています。
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作品はトンネルの多い上越新幹線の環境を利用した光のインスタレーションとなっていて
暗くなったトンネル内で見えるカーテンや座席モケットの作品が
トンネルを出ると黄色い光に包まれて消える、その変化を楽しむ仕掛けだそうです。
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客室の先は運転台がありますので、
扉は施錠されて関係者以外は立ち入りができません。


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こちらは越後湯沢方の二両目車両となる12号車のE326-702です。
編成略記号ではM2となっており、M(動力車)としてモーターと変圧器を搭載しています。
屋根にはシングルアームのパンタグラフが一基搭載されています。
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乗降扉は車両の越後湯沢方にあり、
11号車のデッキと連結部を経てつなぎとなっています。
扉の脇にはAED装置が。
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客室内の様子です。
12号車は現代美術家の小牟田悠介氏の作品となります。
小牟田氏は折り紙をモチーフにした作品やステンレスを用いた作品などで知られる作家です。

鏡面ステンレスのタイルを用いたこの車両の作品は
新潟の車窓と乗客が鏡に映りこむことで
まるで自分がアートの一部になったかのような体験が生まれる
という作品だそうです。


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こちらは越後湯沢方の三両目、13号車E329-702となります。
編成略記号はT1となりますので動力などを持たないT(付随車)であり
いわゆる客車となる車両です。
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乗降扉は越後湯沢方にあり、デッキは乗降スペースのみとなっています。
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デッキから客室へと入るとご覧のキッズスペースがあります。
この空間はパラモデル(Paramodel)という林泰彦氏と中野裕介氏の両名による
アートユニットの手による作品となっています。

Paramodelは「極楽模型制作」をテーマに様々な形式の作品を発表していますが、
中でもタカラトミーの「プラレール」を大量に使用したインスタレーションが有名です。
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この13号車のキッズスペースも
プラレールの線路をモチーフをした図案に山を模したオブジェが配されており、
現代アートの中で本物のプラレールで実際に子供が遊べる空間となっています。
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そして13号車の新潟方の半室はカフェとなっています。
カフェの壁の作品は現代絵画家の古武家賢太郎氏の作品で、
古武家氏は自然木に色鉛筆で直接書き込む手法の幻想的な作風が特徴です。
13号車の作品は新潟の旧道「三国街道」を中心とした上越の風景を表現しているそうです。
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カフェのカウンターとキッズスペースの間には
ごらんのテーブルが置かれています。
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新潟方にあるカフェからデッキへの扉です。
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カフェを出て新潟方へと出ると14号車への通路があります。
連結部の13号車側には乗務員室が。
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乗務員室の向かいには洗面所が置かれています。


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新潟方三両目の14号車E328-702
編成略記号はT2でこちらもT(付随車)となります。
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13号車の通路から連結部を経てつながっている14号車の乗降デッキです。
旅行トランクなどを置ける荷物棚があります。
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14号車は七大陸最高峰登頂を達成した探検家であり、
写真家の石川直樹氏の写真が展示されています。

元々新潟では十日町市と津南町で「大地の芸術祭」という芸術祭が3年周期で開催されるなど
いくつかの芸術祭が行われて現美新幹線が生まれるきっかけとなっています。
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こうした芸術祭に参加する際に撮影された新潟の春夏秋冬を人々の暮らしを捉えた写真に、
表面のアクリルに映り込む車窓の景色が合わさることで
写真の中の止まった時間と流れ行く車窓の風景が融合する空間が生まれるとのことです。


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新潟方の二両目の15号車であるE325-702です。
編成略記号ではM1となりM(動力車)としてモーターや変圧器を搭載しています。
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この車両も屋根にはシングルアームのパンタグラフが。
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15号車の乗降扉は越後湯沢方にあり、
乗降デッキも荷物棚が置かれた程度の乗り降りのスペースのみとなっています。
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この車両は現代美術家の荒神明香氏の作品が展示されています。
荒神氏は、大小の異なるアクリルレンズを空間に吊るした「contact lens」など
日常的な風景を抽象化し非日常的な光景空間へと再構築する
インスタレーションを制作する作家です。
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この車両では、水面で揺れ動く物体をイメージした作品が釣り糸で吊り下げられており
列車がスピードを上げるとともにゆらゆらと水面を漂うように揺れ動く仕掛け
となっています。
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新潟方の車端部は16号車へと通じる通路となっており、
両脇にはトイレ、男性用トイレ、洗面台、そして公衆電話が設置されています。

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こちらが16号車となるE322-702です。
新潟方の先頭車両となります。
編成略記号ではM2cとなり、M(動力車)C(制御車)ですので
運転台のあるモーター搭載車両となります。
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乗降扉は越後湯沢方にあり、15号車の通路とつながっています。
16号車のスペースには乗降デッキと荷物棚がある程度となっています。
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こちらの車両はアメリカ人のアーティスト、
ブライアン・アルフレッド(Brian Alfred)氏の作品となります。
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ペインティングやコラージュ、アニメーション映像などの作品を発表しているアルフレッド氏は
実際に新潟を旅した記憶からの四季の風景をポエティックに表現しています。
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16号車の客室の先は運転台となっていますので
乗客が入れるのはここまでとなります。

【写真撮影・2018年11月】

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