でんこの元ネタ

でんこの元ネタ
■No.10 象潟いろは(Kisakata Iroha)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:11月23日

■出身駅: JR東日本 羽越本線 象潟駅(秋田)
いろは01

象潟駅は1921年(大正10年)に国鉄陸羽西線の延伸によって開業した駅であり、
1924年(大正13年)に羽越北線と陸羽西線がつながった事によって
所属が羽越線へと変更となります。
翌年の1925年(大正14年)に支線の開業によって羽越本線となり、
以後JRに移管の後も羽越本線の駅として現在に至っています。

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こちらは象潟駅の駅舎の外観です。
1966年(昭和41年)に改築された鉄筋平屋の駅舎ですが、
秋田デスティネーションキャンペーンを契機に
2012年(平成24年)に駅舎のリニューアルが行われ、
入口前に和風屋根に木製格子のついた防風壁が作られて現在の姿となっています。
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防風壁の内側の駅舎入口付近の様子です。
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入口脇にある駅名標。
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駅舎の中の様子です。
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入口の正面奥にある改札です。
駅長配置の有人直営駅となっており、
改札は列車別改札で、到着直前に案内があり改札されていました。
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入って左手には券売機ときっぷ売り場の入口があります。
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券売機の上の運賃表です。
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きっぷ売り場の中の様子となります。
特急券券売機があり、券売窓口のカウンターがあります。
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こちらが駅舎に入って右手の待合室側の壁です。
駅舎リニューアルによって和風テイストに改装されています。
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壁に掛かっていた駅名の由来。
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待合室の中の様子です。
木製の格子や飾り障子などで和風の装飾がされており、
広めの部屋の中央に木製ベンチが並んでいます。
自販機やコインロッカーのある付近はかつては売店があったそうです。
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待合室の一角にあるにかほ市の観光案内所。
9時から開いてレンタサイクルが借りられると聞いていたのですが
なぜか不在で閉まっていました。
この観光案内所はかつては「伯養軒」という
東北で有名な駅弁屋さんのスペースだったそうです。
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ホームに入って改札前付近の様子です。
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駅はいわゆる国鉄型と呼ばれる単式と島式の2面3線のホームとなっており、
こちらが駅舎のある1番線ホームとなります。
下り線の羽後本荘・秋田方面行きホームです。
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ホームにある観光案内の表示看板。
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1番線の南側の酒田方面側の光景です。
象潟駅は駅構内は列車交換の出来る複線ですが、
駅の前後は単線区間となっています。
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改札脇の待合室の窓の上には
「奥の細道 最北の地 象潟」の看板が掲示されています。
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1番線ホームにある観光案内所の窓です。
ホーム側にカウンターのある窓が観光案内所に必要だとは思えませんが、
元々が駅弁屋だったスペースの転用だと知れば納得がいきます。

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ホーム同士を連絡している跨線橋です。
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跨線橋からみた北の秋田方面の俯瞰。
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南の酒田方面への光景です。

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こちらは島式の2、3番線ホームです。
駅舎寄りの2番線がりの酒田・新潟方面行きとなり、
反対側の3番線は退避線となります。
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島式ホームの南側。
特急列車の停まる2番線はホームが継ぎ足されているのが分かります。
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こちらのホームにも観光名所の案内板はありますが、
1番線の国鉄式のものとは異なり絵入りとなっていて凝っています。
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3番線の東側には、南の酒田方面から分岐した退避線があります。
マルチプルタイタンパーなど保線車両が留置されていました。
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そして保線車両のある引き上げ線のさらに東側にもスペースがあり、
フェンスの向こう側にも草地が広がっています。
かつて貨物列車が全盛だった時代にはこの東側にも数本の貨物専用線があったそうですが
時代の移り変わりとともに専用線は廃止され、スペースはその名残りのようです。

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駅舎の前に戻ってこちらは駅前の広場の様子です。
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象潟駅の駅前は広場の中央部が駐車スペースとなっており、
その周囲をロータリーとして使用しています。
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駅前広場の南東の角にはご覧の店舗が。
1階は民芸品屋で2階が喫茶店という店舗ですが
恐らく同一のオーナーの店舗だと思われます。
私が訪れた時に駅近辺でちゃんと営業していたのはこちらくらいでした。
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店舗の並びにはご覧の案内看板と石碑が。
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石碑にほうには「天然記念物 象潟」と刻まれています。
これは象潟の地形そのものが国の天然記念物に指定されている事を示しているものです。
かつては鳥海山の噴火によって浅い潟湖と大小無数の島々の並ぶ景勝地であり、
松尾芭蕉が松島と並んで句に読んだほどの名勝でした。

そして江戸時代に地震で土地が隆起。
浅い海は陸地となり、大小の島々は田んぼに囲まれる事となりました。
この光景が1934年(昭和9年)に国に天然記念物として指定されています。

参考
文化庁 文化遺産オンライン「象潟」
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/215829

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石碑のとなりには象潟の光景を説明する案内板が設置されていました。

ふと思ったのですが、駅メモのでんこの「象潟いろは」が天然キャラなのは
象潟が天然記念物なので天然つながりなのでは
、と。

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こちらは駅前広場の正面中央にある時計塔です。
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時計の下には「ようこそ池田修三のふるさと象潟へ」とあり
特徴的なキャラクターの絵があります。
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駅舎の入口の脇の、待合室のガラス窓にもご覧の通り
「池田修三の町 象潟」と題された絵があります。
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さらに駅構内の1番線の改札脇にも
「池田修三のまち、象潟へようこそ」と書かれた
大きな看板が乗降客の出迎えをしています。
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待合室の隅には大きな立て看板とタペストリーで
池田修三氏のキャラクターが展示されていました。

池田修三というひとは象潟出身の木版画家で、
1980年代には秋田の銀行の通帳やキャッシュカードにキャラクターが載っていたり
生命保険会社のカレンダーに採用され、
その作品は「秋田の人は誰もが見た事のある」という画家でした。

なんでも秋田の人は慶事などの際に池田修三氏の作品を贈る習慣があったそうで
実際に象潟の街を歩くといたるところで作品を目にする事ができます。

全国的には著名な画家ではありませんでしたが、
没後の2012年(平成24年)に秋田県のタウン誌で特集された事を契機に
近年その作品が再評価され注目をされているとの事です。
参考
なんも大学「池田修三という宝物 前編」
https://nanmoda.jp/2016/07/294/

なんも大学「池田修三という宝物 後編」
https://nanmoda.jp/2016/07/297/

イーアイデム ジモコロ「『フリーマガジンをきっかけに再評価』奇跡の画家・池田修三をたどる旅」
https://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/dango04


こちらも余談ではありますが、
駅メモのでんこ「象潟いろは」には「絵が画商に評価される」という話が
「でんこの話」である
のですが、その話のモチーフは
駅前に溢れる池田修三氏の作品なのでは、と思ったり。

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そして駅前広場の民芸品店の目の前には
こちらの「象潟停車場線」の起点の標識があります。
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駅の正面から西へと伸びているこの道は
県道168号象潟停車場線という、いわゆる停車場線の県道となっています。
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この県道は羽越本線と並走する国道7号線(羽州浜街道)を連絡する県道となります。
長さは117mという短さで、国道の象潟駅前交差点まではご覧の通りすぐです。

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国道7号線の象潟駅飴交差点から
北へとおよそ1.5kmほど進むと「道の駅象潟」があります。
なんでも東北最大の規模の道の駅だそうです。
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こちらが道の駅のメイン施設「ねむの丘」です。
1階の物産館の他に上層には展望温泉があって入浴が可能です。
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「ねむの丘」の横にはご覧の足湯施設が。
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こちらではご覧のにかほ温泉の足湯が無料で利用できます。
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そして「ねむの丘」の6階にはこちらの展望台が。
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西側には象潟の浜と日本海が一望できます。
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展望台の西側の解説板。
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そしてこちらが東側の解説板です。
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東側には象潟の地名の由来でもある
天然記念物の象潟の九十九島が一望できます。
象潟を上から展望できる施設はこちらだけです。
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道の駅の駐車場には松尾芭蕉の俳句の発句短冊碑なるものが。
象潟は「奥の細道」の旅の中でも最北の地となり
松尾芭蕉や奥の細道に関する史跡がいくつかあります。

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道の駅象潟と、象潟駅のちょうど中間あたりの国道7号線には
ご覧の蚶満寺(かんまんじ)の案内看板があります。
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案内に従い進むと羽越本線の踏切があり、
その奥に「皇宮山 蚶満寺」と書かれた寺標のある参道がありました。
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中へと入ると古くから文人墨客が訪れた名刹である寺の説明の看板が。
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象潟の地で句を読み、この蚶満寺へも訪れている松尾芭蕉の像がありました。
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芭蕉像の向かいには西施の像が。
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この象潟の地で芭蕉は
「象潟や 雨に西施が ねぶの花」
という句を詠んでいることから、
中国四大美人の一人である西施の像が置かれています。
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蚶満寺は象潟の九十九島の南端付近に位置しており、
境内からは島々を巡る遊歩道が伸びています。



■モデル車両: JR東日本 485系700番台 きらきらうえつ
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「きらきらうえつ」は羽越本線沿線への観光振興を目的として
2001年(平成13年)11月23日より新潟駅━酒田駅間で運行を開始した快速列車の名称です。

駅メモのでんこである「象潟いろは」の誕生日が11月23日に設定されているのは
モチーフであるきらきらうえつの運行開始日からと見て間違い無い
でしょう。
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車体外装は白を基調としており、
羽越本線沿線の色彩豊かな四季の風景をイメージカラー化して
パッチワーク風に様々な色をカラフルに配色
しているのが特徴的な車両です。

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「きらきらうえつ」の車両は元々は
国鉄時代に交直流型の特急車両として活躍をした
ご覧の485系がベースとなっています。

485系のうちの4両がJR東日本土崎工場(現・秋田総合車両センター)で改造。
足回りのみ485系の種車から流用し、
車体は新製されてあらたにジョイフルトレインとなりました。

形としては485系の改造車両となるため、
485系の700番台として番号が付与されています。
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他の485系700番台の車両としては、すでに廃車となっていますが
駅メモのマスターにはおなじみの「NO.DO.KA」などがあります。

「NO.DO.KA」と「きらきらうえつ」は共に
元の種車が485系であるジョイフルトレインであり、
いわば姉妹車とも言える存在
と言えるでしょう。


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それではきらきらうえつの各車両について個別に見てみたいと思います。

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きらきらうえつの1号車である酒田・象潟方面の先頭車両クハ484-702です。
ク(制御車)ハ(普通車)ですので運転台のある普通座席車両となります。
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また、カタカナに続く3桁の数字は4(交直流対応)8(特急電車)という意味があります。
実際は普通車なのですが元が485系なので485系700番台となっています。
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乗降扉は車両の後方の新潟方のみにあり、
デッキには日本海側にトイレと洗面所が、
山側にはスロープとなった客室への通路があります。
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切り返して2号車への扉方向の様子。
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トイレは洋式と男性用が並んでおり、奥が洗面所となります。
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洗面所の様子です。
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こちらは車内客室の様子です。
日本海側に2×10列、山側に2×9列の計38席となっています。
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客室前方の運転台の真後ろにはレストバーベンチが設けられた
簡易展望スペースとなっており自由に入る事ができます。


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酒田・象潟方面二両目の2号車モハ484-702です。
モ(中間電動車)ハ(普通車)ですのでモーターを搭載している車両となります。
この車両は「きらきらラウンジ車両」となっており定員には含まれていません。
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この車両の南側、新潟方面側の屋根には
ご覧のひし形パンタグラフが載っています。
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乗降扉はこの車両も新潟方にのみ設けられており、
デッキも乗降スペースのみとなっています。
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デッキから客室へと入るとまずあるのがこちらの「きらきら情報コーナー」です。
ジオラマのようになっている沿線地図と、プロジェクションマッピングにより
沿線の観光情報を案内しています。
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反対側の壁には沿線の観光情報やパンフレット類が。
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情報コーナーから奥へと進むと合計18席のボックス席があります。
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このボックス席のラウンジはかつては自由に座れるスペースでしたが
現在では茶屋での飲食物購入者が40分利用できるスペースとなっています。
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ラウンジの通路の窓の上には沿線各地の名物が飾られています。
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そしてボックス席の奥にはご覧の茶屋があります。
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こちらでは飲食物やグッズなどを販売しており、
購入者はラウンジのボックス席の利用が出来ます。
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また売店の目の前の通路にはカウンターが設けられてミニビュッフェとなっており
こちらでも飲食などの利用が可能となっています。


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酒田方面からは三両目、新潟方面から二両目の3号車のモハ485-702
モ(中間電動車)ハ(普通車)のモーター搭載車ですが
こちらの車両にはパンタグラフは無く、また車内には通常の座席があります。
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車両の新潟方にある乗降デッキ。
号車表示の隣に車椅子マークがついていることからも分かる通り
この車両にはデッキに多目的トイレが設置されています。
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トイレの隣には多目的室があり、車掌に頼むと利用が可能です。
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客室内の様子です。
日本海側に2×11列、山側には2×8列に車椅子用座席が2席あり
合計で40席となっています。
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こちらが山側の9列目と10列目の車椅子対応座席。
車椅子固定用のベルトも装備されています。
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座席のある客室から酒田方へと抜けると
ご覧のスペースがあります。
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通路にも窓のある山側のスペースは「きらきらルーム」と題されており、
カウンターと折りたたみの椅子が設置されて塗り絵が置かれていました。
このスペース、元は喫煙室だったものを改造したそうです。
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日本海側のスペースにはご覧のスタンプ台が。
きらきらルームの向かいには業務用室が置かれていました。


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新潟方の先頭車両となる4号車のクハ485-701です。
ク(制御車)ハ(普通車)ですから運転台のある普通車両ということになり、
基本的には1号車と同じ形と考えて差し支えありません。
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こちらは4号車の乗降デッキです。
基本的には1号車と同系なのですが、先頭車両同士で逆方向を向いている為に
こちらの4号車のみは乗降デッキが酒田方にあります(他の3両は全て新潟方にある)。
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客室側からみた乗降デッキとの扉付近です。
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こちらが客室内です。
合計で38席なのは1号車と同じですが、
4号車は日本海側が2×9列、山側が2×10列となっています。
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こちらも先頭部には簡易展望スペースがあります。
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最前部の運転台の様子です。

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21世紀の初頭から17年に渡って羽越本線の観光列車として運行し
すっかり馴染まれているきらきらうえつですが、
2019年(平成31年)9月での引退が事実上決定となっています。

というのは2019年10月には新潟県・庄内ディスティネーションキャンペーンが予定されており、
それに合わせて新観光列車である「海里」が運行開始する事が
プレスリリースで発表されているからです。
参考
JR東日本 新潟支社「新潟・庄内の食と景観を楽しむ列車「海里」デビュー」
http://www.jrniigata.co.jp/press/20181016kairi.pdf


鉄道系のニュースではJR東日本はきらきらうえつの引退廃車を決めたとの報道もありますし、
実際に私がきらきらうえつに乗車している際にも
車掌が乗客に、2019年10月にきらきらうえつと海里が入れ替えになる旨を案内していました。

ですのできらきらうえつに乗れるのもあと1年となります。
引退直前は混雑が予想されますので、
是非とも今のうちに「象潟いろは」のモデル車両を見ておくことをお勧めします。

では。

【写真撮影・2018年11月】

でんこの元ネタ
■No.66 蛍茶屋みなも(Hotarujaya Minamo)
 ■タイプ:アタッカー
 ■誕生日:8月2日

■出身駅: 長崎電気軌道 蛍茶屋支線 蛍茶屋停留場(長崎)
みなも01


みなも02
こちらは国道34号線の新長崎街道の光景です。
JR長崎駅から東へおよそ2kmほどの距離に位置する場所です。
国道の中央部には併用軌道(道路上に敷設された線路)が見えます。
みなも04
走っている路面電車は長崎電気軌道の蛍茶屋支線であり、
この付近に支線の終端が設けられています。
みなも03
終点の電停へと入線する路面電車の前面展望です。
みなも05
こちらが蛍茶屋停留場の外観となります。
島式ホーム1面2線となっており、北側が1号線、南側が2号線となっています。
みなも06
電停自体は上屋として屋根があるのみで、
長椅子のベンチが置かれた簡素な作りとなっています。
島式ホームは長崎電気軌道ではこの電停のみだそうです。
みなも07
ホームには行灯式と呼ばれる電車の行き先表示機が設置されています。
こちらは入口の東端の表示機。
みなも08
そしてこちらはホーム西端に置かれた行き先表示機です。
みなも09
西端の先の長崎駅方面には列車を入れ替える
シーサスクロッシングがあるのが見えます。

みなも12
電停の北側の国道沿いの目の前にはご覧のビルがあります。
こちらはNEビルという、長崎電気軌道の自社ビルです。
ビル名の「NE」はおそらく長崎(Nagasaki)電気軌道(Electric Railway)の
頭文字だと思われます。
みなも13
ビルの1階にはご覧のファミリーマート蛍茶屋店が入居しています。
みなも14
そしてコンビニの横にはご覧の長崎電気軌道の蛍茶屋営業所の入口があります。
みなも15
コンビニの真上の2階が営業所となっているのですが、
1階の入口の真上あたりがガラス張りとなっているのは
ここに蛍茶屋の配車室があるからです。
この電停を見渡せる場所からマイクで配車指令が
運転士に次の乗務の指示を飛ばしています。

みなも10
終点である蛍茶屋電停の、その先である東側の蛍茶屋交差点を見ると
国道である長崎街道の中央部を走っていた軌道が
S字を描いて国道から外れているのが見えます。
みなも11
切り替えして見た蛍茶屋交差点付近の光景。
みなも16
国道から外れて専用軌道となった線路は
すぐにご覧の建物への入っていきます。
みなも17
中を見ると、建物の1階部分の奥まで線路が伸びているのが分かります。
こちらは長崎電気軌道の蛍茶屋車庫で、
「NEビル2」というビル名が見える通り長崎電気軌道の自社建物となります。
みなも18
車庫の脇には駐車場の入口があり、
長崎電気軌道が経営する有料駐車場となっています。
また看板から分かる通り、車庫の建物には
レンタルビデオ店とファミレスがテナントとして入居しています。

みなも19
蛍茶屋車庫の北隣には、新長崎街道から分岐した細い道があります。
こちらの道こそが長崎街道の旧道となります。

旧道の入口付近には「遠山左衛門尉景晋」と書かれた案内板があります。
なんでもこの場所は長崎奉行だった遠山左衛門尉景晋の住居だった場所だそうで、
遠山左衛門尉景晋は時代劇でおなじみの「遠山の金さん」の父にあたる人物だそうです。
みなも20
車庫の裏手の旧街道を進むと橋が見えてきます。
みなも21
川は中島川といい、橋は「一の瀬橋」という橋で
かつては長崎街道の長崎の入口とされた橋だそうです。
みなも22
橋を切り返して反対側から見ると、
川のほとりの橋の目の前に蛍茶屋車庫があるのが分かります。
みなも23
車庫の裏門の脇には、一の瀬橋を中心とした一帯を
「一の瀬口」として長崎市指定の史跡となっている表示板がありました。
みなも24
そして橋の南側の旧街道沿いにあるのが
こちらの「蛍茶屋」の石碑です。
みなも25
石碑の横には史跡の説明板があります。

そもそも「一の瀬」という言葉は「川の一番渡りやすい場所」という意味であり、
長崎街道が中島川を渡るこの地が一番渡河しやすい場所だったことが分かります。

一の瀬橋が架けられたのが承応2年(1653年)だそうですが、
案内板によると1800年代にこの一の瀬橋のたもとに茶屋が設けられました。
茶屋というと時代劇のだんご屋を思い浮かべますが、
こちらにあったのは酒を酌み交わす料亭だった様です。

中島川のほとりのこの一帯は樹木が茂った土地で、
夏には川を蛍が飛び交う風流な景色だったことから
茶屋には「蛍茶屋」の名前がつき、これが現在に至る由来となっています

みなも26
新長崎街道から見下ろした、蛍茶屋車庫と一の瀬橋一帯の俯瞰です。


みなも27
こちらは長崎の鳴滝にある「シーボルト宅跡」です。
国の重要文化財に指定されている史跡となります。
みなも28
案内に従い門の中に入るとシーボルトの胸像があります。

江戸時代後期に長崎に、出島のオランダ商館付きの医師として来日した
ドイツ人医師シーボルトは長崎郊外の鳴滝に塾を開き蘭学を教えました。
これが「鳴滝塾」であり、歴史の教科書に必ず載っている史実です。
みなも29
そして胸像から先を見るとご覧の洋館が建っています。
これは長崎市が1989年(平成元年)に鳴滝塾跡地の隣に開設した
シーボルト記念館の建物となります。
参考
文化庁 文化遺産オンライン「シーボルト宅跡」
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/163991

日本人なら誰もが知っている鳴滝は蛍茶屋電停の北の一帯を指す地名であり、
電停からシーボルト記念館まではおよそ700mほどの距離となっています。
みなも30
こちらは蛍茶屋電停の隣の新中川町電停の目の前にある
シーボルト記念館への案内標識です。
現在記念館の最寄りは公式には新中川町電停となっていますが
実際には蛍茶屋電停からもほぼ等距離の中間地点に記念館は位置しています。



■モデル車両: 長崎電気軌道 370形
みなも31
こちらは長崎電気軌道370形と呼ばれる車両となります。

それまで長崎電気軌道で走っていた木造車の老朽化が進んだことから
1961年(昭和36年)から全金属製の2軸ボギー車への車両置き換えが始まりました。
みなも43
また長崎電気軌道としては初となる全車体が鋼製となり、
パンタグラフもZパンタが採用されるなどデザイン的にも長崎電気軌道オリジナルとなっています。

このうち1961年(昭和36年)に新製導入された7両は昭和36年から360形とされ、
翌年の1962年(昭和37年)に計画通りに続けて導入された7両が370形とされました。
現在360形は361~367の7両、370形は371~377の7両が現役で走っています。
みなも32
こちらが360形の365号車です。
みなも34
そしてこちらが370形の376号車。
並べてみると360形と370形はほぼ同じ形である事が分かります。
それもそのはずで、370形は360形の増備車であり基本的には同じ設計の車両だからです。
同じ形式の車両で360形が一次車、370形が二次車だと考えても良いかもしれません。
みなも36
360形の導入時に起きた衝突事故などの教訓から、
翌年導入の370形では台車やバンパーの強化など目に見えにくい改良が行われています。
そんな中で外観で一目で分かる違いはご覧の尾灯の位置でしょう。
360形では下にある尾灯が370形では方向幕の横についています
みなも33
このように360形と370形は外見がほぼ一緒であるため、
通常であればどちらがでんこのデザインモチーフであるのかは区別がつかなかったでしょう。
しかしながら「蛍茶屋みなも」が登場したのは4月1日であったため、
登場日にご覧のように駅メモではエイプリルフールのネタとして
370形がでんこのリリース告知に登場
しています。
この事から「蛍茶屋みなも」の元ネタ車両は370形であると推測できる訳です。
みなも35
という訳で、全ての車両ではありませんが
「蛍茶屋みなも」のモチーフとなった370形の車両を可能な範囲で並べてみます。
上から372号車、373号車、376号車、377号車となります。


みなも38
そして車内について、こちらの360形364号車の中を見てみたいと思います。
蛍茶屋みなものモチーフは370形ですが、360形も内装については同一ですので
この364号車をモデルとしたいと思います。
みなも37
こちらがその車内の様子です。
折り返し運転を行う路面電車ですので、
車両の両端に運転台があり、車両中央部の両側に乗車扉、
車端部の運転台前に降車扉がある点対称の配置のロングシート車両となっています。
みなも39
運転台裏付近の光景です。
みなも40
こちらが運転台の様子です。
みなも41
運転台横に掲示されていた車両の経歴書。
長崎電気軌道の電車には車両によってはこうした経歴書が掲示されています。


360形と370形の電車はその半数以上が「カラー電車」と呼ばれる
車体を全面広告とした車両となっています。
他社の電車で言えばいわゆる「ラッピング列車」という奴です。
みなも42
しかし「蛍茶屋みなも」のデザインモチーフは
クリーム色(    )とグリーン(    )のツートンカラーという
長崎電気軌道の標準の配色が元となっています。
ですのでこちらにオリジナル配色の370形373号車の写真を載せておきます。

【写真撮影:2018年10月】

でんこの元ネタ
■No.36 蓮台寺ミオ(Rendaiji Mio)
 ■タイプ:サポーター
 ■誕生日:7月20日

■No.72 蓮台寺ナギサ(Rendaiji Nagisa)
 ■タイプ:アタッカー
 ■誕生日:2月4日

■出身駅: 伊豆急行 伊豆急行線 蓮台寺駅(静岡)
ミオ02


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こちらは国道414号線(下田街道)の下田市河内付近です。
稲生沢川と国道が並走しているこの付近に伊豆急行の駅があります。
ミオ12
国道の蓮台寺駅前交差点には駅への案内標識が。
ミオ11
稲生沢川には橋が架かっており、駅へと連絡をしています。
ミオ16
駅前付近の川岸には降りる事ができるので
季節によっては釣り人が釣りを楽しむ光景が見られます。
ミオ18
橋から見た駅舎の方向。
ミオ76
こちらが蓮台寺駅の駅舎の外観となります。
伊豆急の線路は築堤上にありますが、駅舎は線路前の地上に設けられています。

元々は伊豆急の線路は、河津駅から海岸線を通って下田へと通じる予定でした。
しかし東急グループと西武グループの「伊豆戦争」によって
西武グループが鉄道予定地の下田市白浜付近の土地を買収し、
結果として東急グループの伊豆急の線路は
河津駅から山中を迂回
して下田へと向かうことととなります。
迂回がなければ蓮台寺駅は作られていませんでしたので、
奇しくも伊豆戦争のおかげでこの駅は誕生した訳です。
ミオ19
駅自体は1961年(昭和36年)12月の伊豆急の開業で作られており、
終点のひとつ手前の駅ということもあって当初は普通列車のみが停まる駅でした。
ですが鉄道の達していない伊豆半島南西部の堂ヶ島や松崎といった観光地へは、
この蓮台寺駅が拠点となりバスの発着などが行われたことから
1996年(平成8年)には全ての特急列車が停車する駅となりました。

しかしながらその後のモータリゼーションや旅行形態の変化などから
蓮台寺駅から西伊豆へのバスの乗客は減少。
2009年(平成21年)には蓮台寺駅は全ての特急列車が通過となっています。
ミオ75
橋のたもとにはご覧の駅前広場があり、
バスの展開スペースとなっていると共に数台分の駅前駐車場が設けられています。
ミオ78
駅舎内へと入り改札付近の様子です。
ミオ79
建物の中に入ってすぐ左手には
ご覧の待合室が設けられていました。
ミオ80
駅構内側から見た改札付近の様子です。
築堤上にホームがあり、ホームと外を連絡する地下道の入口の目の前に
駅舎が作られています。
ミオ23
駅舎と築堤の間の通路脇には
ご覧の池がありました。
ミオ24
池の反対側にはなまこ壁を模したついたてがあり
蓮台寺温泉の起源についての案内が書かれています。
ミオ77
ホームと駅舎とを繋ぐ連絡通路です。
築堤上にホームがあるので階段となっています。
駅にエレベーターやエスカレーターはありません。
ミオ81
階段を上がるとホームには屋根があり
待合のベンチが置かれています。
ミオ13
ホームの様子です。
島式ホーム1面2線となっています。
ミオ14
ホーム北端の伊東方の光景。
ミオ15
こちらは南端の伊豆急下田方の光景です。
ご覧の通り駅舎と反対側の山側1番線が主本線の1線スルー方式となっており、
通過する優等列車は1番線を通ります。
そして停車する普通列車は下り伊豆急下田方面が1番線、
伊東方面の上り列車は海側の2番線を使います。
ミオ25
2番線の正面にある43キロ1/2の距離標です。


ミオ82
駅から稲生沢川を渡って蓮台寺駅前交差点を直進し、
ホームセンターの脇を進むとまもなく道が突き当たります。
左へと曲がって南に進むとまもなく河内温泉があります。
ミオ83
こちらが「伊豆一の木造大浴場『千人風呂』」のある河内温泉の金谷旅館です。
日帰り入浴の出来るこちらの温泉は蓮台寺の観光名所のひとつとなっています。

ミオ84
金谷旅館からさらに南へと進むと
稲生沢小学校の前の陸橋へと差し掛かります。
ミオ85
この陸橋の交差点が蓮台寺温泉の入口となっており、
県道118号線を西へと進むと温泉街があります。
ミオ86
温泉街と言っても温泉旅館が数件ある街ですが、
源泉の無い下田市街の下田温泉の湯はこの蓮台寺温泉から引き湯をしているという
下田の温泉の源とも言うべき湯量の豊富な温泉となります。

県道となっているその温泉街の道を進むとまもなく松陰通りがあります。
ミオ87
こちらが蓮台寺温泉の松陰通りです。
駅からは徒歩で15分といったところでしょうか。
ミオ88
その松陰通りを北へと入って進むと
まもなくブロック塀に絵が描かれた一角が現れます。
ミオ89
こちらが蓮台寺温泉の足湯です。
駅の改札内にあった案内と同じ書体で足湯の看板があります。
ミオ90
松陰通りの足湯の様子です。

ミオ91
そして足湯からさらに北へと松陰通りを進むと
通りの名前の由来となっている吉田松陰萬寄所があります。
ミオ92
幕末明治の日本の重要人物である吉田松陰が
下田に来航したペリー艦隊に便乗しての海外密航を企図した際に
身を寄せたのがこちらの萬寄所こと旧村山邸となります。
蓮台寺にある史跡であり観光名所でもあります。


ミオ26
こちらは蓮台寺駅前から下田街道(国道414号線)を
北に700mほど進んだ付近にある、お吉ヶ渕交差点です。
ミオ267
この交差点の北すぐの場所に、
下田の観光名所のひとつである「お吉ヶ渕」があります。

幕末の下田で米国総領事のハリスの世話を頼まれた芸妓のお吉が
地元の人々に「羅紗緬(外国人の妾)」の偏見を受けて苦しみ、
身を投げたという稲生沢川の淵がこの「お吉が渕」です。
後に数多くの小説や映画となったことから「唐人お吉」の物語は
幕末開港に伴う悲話として全国的に有名となりました。
ミオ28
「お吉桜」の元には新渡戸稲造がお吉の慰霊の為に建立したという地蔵が。
ミオ29
地蔵のすぐ北にはご覧の地蔵尊と、鯉の泳ぐ池が作られています。



■モデル車両(ミオ): 伊豆急行2100系電車 R-5編成 アルファリゾート21
ミオ01


伊豆急行2100系は伊豆急行電鉄を走る列車です。
「乗って楽しい電車」をコンセプトに左右の座席配置が異なるという
日本初の左右非対象の車体構造での設計、
先頭車両には眺望を運転士がひとりじめしないように」と
開かれたパノラマ展望室が設けられるなど
観光を強く意識した列車として作られました。

初代のR-1編成が1985年(昭和60年)7月20日に営業運転を開始。
駅メモのでんこ「蓮台寺ミオ」の誕生日が7月20日に設定されているのは
この初代の運行開始の日付が元
と考えて良いでしょう。
モチーフのR-5編成のものではなく初代の日付を採用したのは
「リゾート21」全体としての誕生の日付を意識したのでは無いでしょうか。

車体には山側に青(    )、海側に赤(    )をそれぞれ斜めに帯状に配色しており、
こちらがリゾート21の基本カラーとなっています。
ミオ04
【上写真・伊豆急2100系二次車(R-2編成)】


そして「蓮台寺ミオ」のモチーフである元ネタ車両とされているのが
こちらの五次車(R-5編成)、アルファリゾート21
です。
キャラクターの襟元のデザインが特徴的な前照灯の配置と同様となっていることなどから
デザインモチーフであると推測できます。
ミオ05
【上写真・伊豆急2100系五次車(R-5編成)】
1993年(平成5年)7月3日より運用を開始した五次車(R-5編成)は
1~4次車までとは異なる全面の外観を採用しています。
ミオ06
それまでの「リゾート21」にプラスアルファを加えたということで
「アルファリゾート21」という名称が編成に付けられました。
4次車までは片面一色だった車体側面の赤と青の帯も、
アルファリゾート21では赤帯と青帯が交互に配色されるなど
基本デザインにプラスアルファが為されています。


1993年(平成5年)から2016年(平成28年)まで
およそ20年にわたって運行してきたアルファリゾート21ですが、
伊豆急行が「新たな列車」への改装リニューアルを発表した為
2016年(平成28年)7月で一旦運行が休止されます。

そして一年後の2017年(平成29年)7月21日よりアルファリゾート21は
「THE ROYAL EXPRESS」となって再び運行を再開しています。
ミオ07
「美しさ、煌めく旅。」をコンセプトとした「THE ROYAL EXPRESS」は
近年旅行業界が注目しているアクティブシニア層をメインターゲットとした
高級感のある富裕層向けの観光列車です。
ミオ08
乗車に際しては車内ドレスコードが設定されるなど
JRで運行している「四季島」「瑞風」「ななつ星」などと同様のコンセプトを目指していますが
横浜駅━伊豆急下田駅間の運行のため、車内宿泊施設はありません。
内外装のデザインは数々の観光列車を手がけている水戸岡鋭治氏の手によるものです。

これまで伊豆急を走ってきたリゾート21のシリーズは
「普通乗車券で追加料金無しで乗れる観光列車」でした。
これに対して「THE ROYAL EXPRESS」は東急電鉄が催行する旅行企画用団体列車ですので
乗車をするには乗車券では無く、旅行商品の購入参加が必要となっています。



■モデル車両(ナギサ): 伊豆急行2100系電車 R-3編成 キンメ電車
ミオ03

伊豆急行2100系のR-3編成は1988年(昭和63年)3月28日に落成した車両であり、
R-1、R-2編成が足回りを100系から流用しているのに対して
完全な新製で作られた車両です。

1988年(昭和63年)4月20日に快速「リゾートライナー21」として
私鉄車両として初めて東海道本線東京駅まで入線しており、
これが後の特急「リゾート踊り子」へとつながります。


運用から20年が経過した2100系は、伊豆の海辺を走るという特性から
潮風による塩害の影響などで車体の腐食が進んでおり、
R-1編成からR-3編成までが車両置き換えの廃車の候補へと挙がります。

そしてR-1編成、R-2編成が順次廃車となり、
R-3編成についても置き換え廃車の予定だったものの計画が中止。
継続使用の為に2008年(平成20年)10月に全般検査が実施されます。

検査を終えたR-3編成は赤と青のオリジナルカラーでのさよなら運転の後
リニューアル工事に入り、 2011年(平成23年)10月に「リゾートドルフィン号」となって
再び営業運転へと復帰しています。
ミオ30
【上写真・リゾートドルフィン号】
リゾートドルフィン号の車体の色は伊豆急開業時に普通電車だった100系のものであり、
オーシャングリーン(    )とハワイアンブルー(    )の車体色となっています。

5年にわたって運行したリゾートドルフィン号ですが
2016年(平成28年)8月の定期検査で再び塗装変更が行われ、
伊豆を代表する観光資源である「金目鯛」をPRする
地域プロモーション電車に再び生まれ変わります

ミオ31
【上写真・Izukyu KINME Train】
こちらが再度リニューアルされた伊豆急2100系R-3編成で、
「キンメ電車」と呼ばれ正式には「Izukyu KINME Train」と名づけられた車両です。
2017年(平成29年)2月4日より営業運転を開始しています。

駅メモのでんこの蓮台寺ナギサの誕生日が2月4日に設定されていますが
これはR-3編成がキンメ電車にリニューアルされて営業運転を再開した日付が
元ネタ
となっていると考えて間違い無いでしょう。


また余談ですが、駅メモの設定では蓮台寺ミオが姉、ナギサが妹となっています。
ですが姉のミオ(R-5編成)の落成が1993年(平成5年)であるのに対し、
妹のナギサ(R-3編成)は1988年(昭和63年)3月落成となっており、
姉より妹の方が車齢は5年古いという逆転現象が起こっています。
ミオ32
車体横にはリゾート21シリーズの列車であることを示すロゴが入っており、
赤(    )をメイン色としてシルバーグレー(    )のグラデーションが
車体下に施されています。

沿線各市町のPRを各号車ごとに行っているこのキンメ電車について、
編成の各車両を個別に見ていきたいと思います。
ミオ33
まずこちらが伊豆急下田方の先頭車両であるクハ2150形2156です。
運転台のある車両(ク)で普通車(ハ)となっています。
ミオ72
車体横の窓下には金目鯛が列で描かれていますが
一匹だけ伊勢海老が混じっています。
これは1号車が南伊豆町のPR車両とであるからで
伊勢海老は南伊豆の特産品です。
ミオ34
こちらが乗降デッキ。1号車は乗降扉は車両中央一箇所のみとなっています。
ミオ35
デッキから見た車両の先頭側。
先端部には展望席があり、デッキからは階段を上って入る事となります。
ミオ36
先頭部の半室の展望席の様子です。
シアター状に座席が階段状に設置されており前面の展望がし易くなっています。
また運転席の仕切りも腰の高さより上はポリカーボネートで透明となっており、
左右の窓も大きく取られていて快適に景色が楽しめます。
ミオ37
こちらは車両後部の半室の客室の様子です。
リゾート21シリーズの特徴である左右非対称デザインとなっており、
伊豆半島の海の眺望を楽しむために
海側は窓に向かって座席が設置され窓も大きくなっています。


ミオ38
伊豆急下田方の二両目、モハ2100形2111です。
モーターを搭載した電動車(モ)の普通車(ハ)となります。
屋根にはパンタグラフを搭載しています。
ミオ73
2号車の窓下の金目鯛の列にはひとつだけサザエが。
ミオ39
こちらは伊豆急下田方の乗降デッキです。
下田市のPR車両である2号車は乗降デッキにも金目鯛が。
ミオ43
号車表示はキンメに下田市の地図が。
ミオ40
車内客室の様子です。
この車両の座席は青地にキンメ模様のモケットとなっています。
ミオ41
伊東方の乗降デッキには流木アートも展示されています。


ミオ42
伊豆急下田方の三両目、サハ2170形2173です。
動力などを持たない付随車(サ)の普通車(ハ)でありいわゆる客車となります。
ミオ44
伊豆急下田方の乗降デッキ。
ミオ45
客室の中の様子です。
この車両は赤、青、オレンジとモザイク状に座席のモケットの色が配置されています。
ミオ46
「キンメミュージアム」と題した3号車
車内に金目鯛に関したウンチクやPRが掲示されています。
こちらは伊東方の乗降デッキ。


ミオ47
7両編成の中央部である4号車のモハ2100形2110です。
二両目と同じ形式この車両もモーターのある電動車(モ)の普通車(ハ)で
屋根にパンタグラフを搭載しています。
ミオ74
車体横の金目鯛の列には一箇所だけ、
二匹の鯛がキスをしている図案が混じっていました。
ミオ48
伊豆急下田方の乗降デッキ。
号車表示は河津町の地図となっています。
ミオ49
車内客室の様子です。
この4号車は河津町のPR車両であり、車内の荷物棚には
河津桜をイメージしたであろう桜の枝が飾られていました。
ミオ50
伊東方の乗降デッキには流木アートが。


ミオ51
伊東方の三両目、伊豆急下田方からは五両目となる5号車のモハ2100形2112です。
電動車(モ)の普通車(ハ)でパンタグラフがあるのは他の2100形と同じです。
ミオ52
パンタグラフのアップ。
ミオ53
伊豆急下田方の乗降デッキです。
号車表示は東伊豆町の地図に。
ミオ54
車内客室の様子です。
東伊豆町のPR車両である5号車には
稲取の「雛のつるし飾り」が飾られています。
ミオ545
伊東方の乗降デッキの様子です。


ミオ56
伊東方の二両目の6号車、モハ2100形2109です。
この車両もパンタグラフのある電動車(モ)の普通車(ハ)です。
ミオ59
伊豆急下田方の乗降デッキです。
号車表示は伊東市の地図になっています。
ミオ57
車内客室の様子です。
伊東市のPR車両である6号車は座席モケットが赤地で統一されていました。
ミオ58
伊東方の乗降デッキです。
他の車両同様にこちらにも流木アートが置かれています。


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そして伊東方の先頭車両である7号車、クハ2150形2155です。
1号車と同形で運転台のある(ク)普通車(ハ)となります。
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車両後方の半室の客室内です。
座席モケットは青地となっています。
ミオ68
7号車の乗降デッキです。
先頭車両は乗降デッキが中央に一箇所のみとなっています。
この7号車は熱海市のPR車両となります。
ミオ69
先頭部の半室の展望室の様子です。
劇場の座席のように階段状に椅子が設置されています。
ミオ70
運転席は前面展望の妨げにならないように客室から開けており、
運転席の座席モケットも金目鯛柄となっています。

ミオ71
余談ですが、こちらは伊豆急の売店で売っている駅弁の金目鯛弁当。

【写真撮影:2018年10月(一部2016年4月)】

でんこの元ネタ
■No.67 窪川まぜ(Kubokawa Maze)
 ■タイプ:ディフェンダー
 ■誕生日:10月1日

■出身駅: JR四国 土讃線 窪川駅(高知)
まぜ01

窪川駅は1951年(昭和26年)11月に
当時の国鉄土讃線の延伸によって終着駅として開業した駅です。

1963年(昭和38年)にはこの窪川駅から土佐佐賀駅まで国鉄中村線が開通。
2路線の乗り換え駅となります。

そして1974年(昭和49年)に予土線の若井駅までの延伸開通によって
窪川駅まで予土線列車が乗り入れを開始。
3路線が乗り入れるターミナル駅となります。


1988年(昭和63年)にはJR中村線が土佐くろしお鉄道へと移管。
これにより窪川駅へと乗り入れる路線は
JRの土讃線、予土線と土佐くろしお鉄道の中村線の2社3路線となり現在に至っています。

まぜ02
こちらはJR四国の窪川駅の駅舎外観です。
鉄筋コンクリート造りの駅舎となっています。
まぜ03
駅舎の中の様子です。
広めの待合室に椅子が設置されていますが、
かつてkioskが営業いた場所はシャッターが閉まっていました。
まぜ04
そして入口の脇にはプラレールの入ったショーケースが。
JR四国とプラレールは様々なコラボを行っていますので
こちらもその一環で展示されているのでしょう。
セットの中には窪川駅も置かれていました。
まぜ05
改札を出るとホームとは跨線橋で連絡していますので
ご覧の様に駅舎前に階段までの通路があります。
まぜ06
跨線橋の中の様子です。
まぜ07
こちらは島式の2、3番線ホームです。
土讃線の高知方面行きの列車と、土佐くろしお鉄道中村線へと乗り入れる
JRの特急がこちらのホームに入線発着をしています。
まぜ08
ホーム北端の高知方面の様子です。
土讃線は全線が単線ですのでホームの先で線路が一本に集約しています。
まぜ09
中村方面のホーム南端も、土佐くろしお鉄道が単線なので
同じく線路が一本に集約しています。
まぜ10
跨線橋に戻って4番線へ。
まぜ11
こちらが単式の4番線ホームとなります。
予土線の宇和島方面行き列車が発着するホームとなります。
まぜ12
ですので通常はご覧の予土線の普通列車が停まっていますが。
まぜ13
たまに予土線のホビートレインが停まっていたりもします。

まぜ15
一旦駅の外へと出て、こちらは駅舎前の駅前広場の様子です。
県道19号窪川船戸線に沿って舗装された広場が車寄せとして使われています。
まぜ14
広場の傍ら、駅舎の入口脇にはご覧の石碑が大小二つあります。
大きい方は「昭和二十六年十一月 鉄道開通記念」とありますので
窪川駅まで土讃線が延伸開業した記念の石碑だと分かります。

そしてその脇の小さい方の石碑には
「朝鮮民主主義人民共和国 帰国記念植樹」とあります。
横にはなぜかハート形に刈り込まれた植樹であろう木が。
これは高知の国労(国鉄労働組合)が中心となって
当時の社会党を世話人に北朝鮮への「帰国促進事業」を展開、
国鉄の切符を手配して帰国を支援した記念の植樹だそうです。
同様の植樹が高知駅前にもあります。
まぜ16
そして駅舎入口の反対側の脇にはこちらの「白いポスト」が。
青少年によろしくない本などを入れるこちらのポスト、
現在は都市部ではほとんど見かけません。
まぜ17
そのJR窪川駅前の広場から北側を見ると、
駐車場の先に緑の三角屋根の建物が見えます。
まぜ18
こちらが土佐くろしお鉄道の窪川駅の駅舎です。
まぜ19
駅舎には地元の路線バス会社である四万十交通の本社が入っており、
土佐くろしお鉄道の切符の販売の委託を受けています。
まぜ20
駅舎の中の待合室の様子です。
まぜ27
改札を出るとホームは一段高くなっていますので
階段が設けられています。
まぜ21
ホーム側から見た駅舎出口の外観です。
まぜ22
こちらが土佐くろしお鉄道の窪川駅ホームです。
単式ホームの1番線となります。

窪川駅のホームの番線は土佐くろしお鉄道が1番線、
JR四国が2から4番線という配線となっています。
まぜ23
こちらがホーム上にある土佐くろしお鉄道中村線のゼロキロポスト。
窪川駅が起点となりますので設置されています。
まぜ24
ホーム北端の先にはご覧の通り車止めが。
高知方面のJR線とは線路はつながっていません。
まぜ25
ホームの南端、中村・宿毛方面にはご覧の通り
連絡通路が延びていてJRの改札までつながっています。
まぜ26
JR改札方面から見た連絡通路。
こちらの方が県外からの乗客には見覚えがあるかもしれません。

まぜ28
駅外に戻ってJRの駅前広場を上から俯瞰で見た光景です。
まぜ29
駅前のT字路の信号を南へ。
まぜ30
県道沿いに喫茶店や食堂が駅前商店街のように並んでいます。
まぜ31
その商店の並ぶ向かい側には茶色い近代的な建物が。
まぜ32
窪川駅の南隣に隣接するこちらが
四万十町の町役場の建物です。
まぜ33
役場の前から駅の方向へと見返した光景です。
まぜ34
駅と役場の間にはご覧のガラス張りの跨線橋が架かっています。
四万十町役場は西庁舎と東庁舎が線路を挟んで建っており、
この跨線橋で連絡しています。
まぜ35
外部からも跨線橋は利用できます。
こちらは中の様子。
まぜ36
役場の跨線橋から見える、駅の跨線橋です。
まぜ37
駅と反対側の東側の跨線橋の袂です。
まぜ38
役場の連絡橋なので、当然反対側にはご覧の
町役場の東庁舎が。
まぜ39
役場東庁舎の南に隣接する窪川警察署の建物です。
まぜ40
町道を挟んだ役場の向かい側にはJAの施設が並んでいました。
駅周辺にこうした町の主要施設が集まっていることからも
窪川駅が四万十町の中心地区にある代表駅であることが分かります。

まぜ41
再び駅前へと戻って県道19号線を南下。
町役場の前を通過すると国道381号線との交差点となります。
国道を越えて進むと岩本寺への案内標識があります。
まぜ42
標識に従って突き当たりを右に曲がると岩本寺への途中にある
こちらは旧都築家別邸。
1901年(明治34年)築で実業家都築半平の別宅ですが、
四万十町役場が観光資源として運営している古民家です。

門の前には窪川で生まれた幕末明治の軍人、谷干城の銅像が建っています。
谷干城は西南戦争の折に熊本鎮台司令長官として西郷隆盛と熊本城で対峙。
数的劣勢の中で篭城し城を死守して勝利。「西郷を止めた男」として名を馳せた人物です。
まぜ43
旧都築邸の先へと進むと、真言宗智山派の藤井山岩本寺があります。
四国八十八箇所霊場の第三十七番札所となっており
お遍路さんの巡礼先となっています。



■モデル車両: 土佐くろしお鉄道 2000系
まぜ44

こちらの2000系気動車は、主に土讃線における特急列車の速度向上を目的として
JR四国と鉄道総合技術研究所(鉄道総研)が共同で開発した車両です。
ですので本来は「JR四国2000系」と名乗るべき車両ではあります。

四国の山地を走行し急勾配や急カーブが連続する区間を走る為に、
開発が困難とされてきた振り子式気動車を
機械的に車体傾斜を生じさせる制御付自然振り子で作って解決。
振り子式気動車としては世界初、
制御付振り子式車両としては日本初の車両
となっています。

まぜ45
【上写真引用元:Railstation.net
こちらは1989年(平成元年)に作られたJR四国2000系試作車両「TSE」です。
「TSE」とは「Trans Shikoku Experimental」(四国横断実験)の略で
2000系気動車の量産化を目指したプロトタイプとして作られた車両となります。

1989年(平成元年)3月より特急「南風」「しまんと」の臨時列車として運用を開始。
その後1990年(平成2年)より特急「しおかぜ」増備車として予讃線で運用。
1993年(平成5年)に8000系の登場によって再び土讃線へと戻され
主に特急「宇和海」として運用されました。

まぜ46
そしてプロトタイプのTSEでのでの性能試験を経て作られたのが
こちらのJR四国2000系量産車です。

1990年(平成2年)7月16日から
予讃線の特急「南風」「しまんと」として順次運用を開始。
1992年(平成4年)までに先頭車、中間車を合せて
80両以上が生産されている車両です。
まぜ47
こちらはJR四国2000系の高知・宿毛方の下り方面先頭車両である2000形です。
駅メモのでんこ「窪川まぜ」のコスチュームのモチーフとなっている
量産車のオーソドックスなカラーリング
です。

ステンレス製の車体の大部分を占める水色(    )は
JR四国のコーポレートカラーですので多くの四国車両のベース色となっています。
また前照灯まわりには警戒色である黄色(    )が塗られています。


まぜ48
2000系量産車は基本的にJR四国の所有する車両ですが、
その中でこちらの2000系‐2030を先頭とする4両だけは
土佐くろしお鉄道の所属車両
となります。
これは特急「南風」と「あしずり」がJR四国の特急であり、
土佐くろしお鉄道へと直通乗り入れ運転をしている事が理由となります。

特急列車をJR四国の車両だけで運用した場合、
土佐くろしお鉄道にはJR四国へ一方的に車両使用料の支払いが発生してしまいます。
これを防ぐ為に、土佐くろしお鉄道側も特急車両を4両保有することで
JR四国から土佐くろしお鉄道への車両使用料の支払いも発生。
お互いの使用料を相殺することで支払い額を調整できる、という理由だそうです。
まぜ49
土佐くろしお鉄道所属の2000系気動車4両(2030、 2130、 2230、 2231) は
1990年(平成2年)10月1日に車両落成をしています。

駅メモのでんこ「窪川まぜ」の誕生日が10月1日に設定されているのは
この土佐くろしお鉄道車の落成日と一致
することから元ネタであると考えられます。
JR四国所属車ではなく土佐くろしお鉄道車をあえてモチーフとすることで
キャラクターの南国感を強調したかったのではないでしょうか。

車体のカラーリングは落成当時はJR四国車と同様のノーマル配色だった様ですが、
2000年(平成12年)にアンパンマン列車となった四国車両が好評だったことから
土佐くろしお鉄道車の4両も2001年(平成13年)3月よりアンパンマン列車となり
車体のアンパンマンのラッピングが施されました


アンパンマンの車体デザインはこれまで4回変更されており、
現在の5代目デザインは2009年(平成21年)9月から運用されています。

まぜ76
【上写真:JR四国2000系アンパンマン列車(緑)・写真引用元 Railstation.net
土讃線のアンパンマン列車は2種類あり、
先に2000年(平成12年)10月に登場したJR四国車は
「アンパンマン列車1号」としてグリーン(    )を基調としたグリーン編成となります。
まぜ77
これに対して後発の土佐くろしお車は「アンパンマン列車2号」として
オレンジ(    )基調のオレンジ編成となっています。

まぜ78
また2000系を使った特急の名前となっている「南風」は
特急列車としては「なんぷう」と読みますが、
紀伊半島南部から四国そして九州宮崎あたりでは「まぜ」と読む場合があります。
「真風」とも書く「まぜ」は、「春ごろから夏にかけて吹く南寄りのあたたかい風」という意味で、
土佐くろしお鉄道が走る高知の室戸付近では今でも漁師の間で使われている表現だそうです。

駅メモのでんこ「窪川まぜ」の「まぜ」は「特急南風」を高知の方言に読み替えたものを
元にしている
と考えると由来が符合します。



それでは実際にでんこのモチーフとなっている土佐くろしお鉄道2000系について
各車両ごとに見ていきたいと思います。
まぜ50
こちらが2000形2030です。
下り窪川方の非貫通型先頭車両であり、
グリーン席と普通席が半室づつの合造車となっています。
まぜ58
車体横に書かれた車両の番号。
まぜ51
窪川方の車端部の乗降デッキです。
運転台の真後ろのデッキの為、乗降扉のみとなっています。
まぜ52
車両の窪川方の半室となるグリーン席の客室内の様子です。
2+1のシートが6列あり18席となっています。
まぜ53
客室中央部の半室を仕切るドア。
まぜ54
車両の多度津方の半室の指定席エリアの客室内です。
4×6列の24席となっていますが、
見ての通りシートモケットにアンパンマンが描かれています
まぜ55
グリーン席との仕切りの扉や壁にもアンパンマンのキャラが描かれ
客室全体がアンパンマン一色となっています。
まぜ56
ちなみに参考までにこちらはノーマルのJR四国2000系の
2000形の指定席エリアの様子です。
まぜ57
多度津方の乗降デッキです。
かつて車販準備室だった場所に現在は自動販売機が設置されています。
またその向かいにはかつてカード式公衆電話の置かれた棚がありますが
現在は電話機は撤去されています。
まぜ73
そしてデッキの自販機との反対側には
洗面台とトイレが設置されています。


まぜ59
窪川方の二両目、2200形2231です。
モーターや運転台の無い中間付随車となっています。
まぜ60
窪川方車端部の乗降デッキです。
乗降扉のみとなっています。
まぜ61
車内客室の様子です。
2+2のシートが17列あり68席となっています。
まぜ66
シートや内装は普通のものですが、
通路の天井を見るとカレーパンマンをはじめとした
キャラクター達が描かれていました。
まぜ62
多度津方の車端の乗降デッキです。
こちらも乗降扉のみとなります。


まぜ63
窪川方の三両目、多度津方からは二両目となる2200形2230です。
二両目の2231同様に中間付随車、いわゆる客車であり
同じ2200形ですので細部も基本的に同様となります。
また2230と2231は同じ形式の車両である為、編成で順番が入れ替わる事があります
まぜ64
こちらは窪川方の乗降デッキ。
扉ののみとなっているのは2231と変わりません。
まぜ65
車内客室の様子です。
こちらも転換シートの座席が68席となります。
まぜ67
多度津側の乗降デッキです。
こちらも扉のみとなっています。


まぜ68
そして多度津方の先頭車両である2100形2130です。
運転台付きの貫通型先頭車となっています。
まぜ69
車体横の車両番号。
まぜ70
こちらが窪川方の乗降デッキです。
この車両にはトイレと化粧台、そして喫煙ルームが設置されています。
まぜ72
乗降デッキに面した折り戸の喫煙ルーム。
まぜ71
喫煙ルームと作った為、残りのスペースには
ご覧のゴミ箱と鏡の化粧台スペースが作られました。
まぜ74
客室内は普通車座席となっており
2+2が13列で52席が設置されています。
まぜ75
多度津方の乗降デッキです。
運転台の真後ろにありますが、
連結時には運転台の貫通扉をご覧の通り、通り抜けができます。

【写真撮影・2018年8月】

でんこの元ネタ
■No.70 桂みやび(Katsura Miyabi)
 ■タイプ:ディフェンダー
 ■誕生日:3月30日

■出身駅: 阪急電鉄 京都本線 桂駅(京都)
みやび01

みやび02
こちらは阪急電鉄の桂駅の東口の外観です。
桂駅は1928年(昭和3年)に新京阪鉄道の開通によって設置された駅で、
1985年(昭和60年)に橋上駅舎に改築されています。

東口の駅前広場から見える建物は「MEW阪急桂」という駅ビルで
京都市と阪急の行った「桂駅周辺整備事業」によって
1993年(平成5年)に出来たもの
です。
みやび03
東口の駅前広場の様子です。
京都市の駅前整備計画によって1995年(平成7年)に整備されたもので、
ロータリーの中央に広場が設けられています。
みやび04
広場に置かれていた案内板の、駅周辺の地図です。
みやび05
ロータリー中央の広場にはタクシープールが設けられており
タクシー乗り場が置かれています。
みやび06
広場に置かれているモニュメント。
「桂東自治連20周年記念」と銘板がありました。
みやび07
そして駅前広場の横断歩道の先に
駅へと入る入口があります。
みやび08
駅ビル1階には改札階へと上がる階段前に
ご覧の広場スペースが取られています。
みやび09
出口前の駅敷地内に作られている阪急そば。
みやび10
駅の改札階は3階に設けられているので
2階で折り返して上へと上がります。
みやび11
橋上駅ですので階段からは跨線橋が
そのまま西口ペデストリアンデッキまで通路として伸びており、
東口側階段は駅ビルと合体する形となっています。
東西を繋ぐ通路に面して駅の改札があります。

みやび13
西口へと通じる跨線橋部分の通路。
みやび14
桂駅には隣接して阪急電鉄の桂車庫があるため
ご覧のように跨線橋が広大な車両基地を跨いでいます。
みやび31
外から見た跨線橋。
みやび15
こちらは西口のペデストリアンデッキから見た駅舎出口です。
みやび16
西口の駅舎外観です。
駅ビルに覆われた東口に比べると橋上駅舎であることが良く分かります。
みやび18
西口の駅前広場の様子です。
ペデストリアンデッキが公道を跨いで広場へと通じています。
みやび17
広場の様子です。
みやび19
ライオンズクラブが立てた洛北の案内板。
みやび20
広場南端にはバス停の前に桂西口交番が置かれています。
みやび21
駅前から西への伸びる道です。
国道9号線(山陰道)や京都大学桂キャンパス方面へと向かう道ですが、
昔は田んぼが広がる光景だったというだけあって
新興住宅地といった風情の光景となっています。

みやび22
コンコースに戻ってこちらは改札前の光景です。
みやび23
改札右手には券売機があり、その並びには売店があります。

みやび24
改札内に入った構内の光景です。


みやび27
こちらのホームは島式ホームで1号線とC号線の2線のあるホームです。
阪急嵐山線の起点駅ですので列車は全て嵐山方面行きとなります。
みやび29
一番西側のホームはC号線という、番線表示がアルファベットという珍しいものです。
これはこのC号線が桂車庫に直接つながっているという特性上から、
旅客用の1、2、3ではなく、車庫用のA、B、Cという表示となった為です。
案内上は嵐山線のホームとされており、実際に早朝に当駅始発の列車が
車庫から直接入線するそうです。
みやび30
C号線の北端付近でホームから目の前に見える
桂車庫の車両洗車機です。
みやび28
そしてホーム北端の先には跨線橋から乗務員専用の階段が設けられており、
その先に阪急嵐山線のゼロキロポストが置かれていました。

みやび26
島式ホームの2、3号線ホームです。
阪急京都本線の上り河原町方面行きホームです。

みやび25
こちらは島式の4、5号線ホームです。
阪急京都本線の下り線、高槻市・梅田方面行きのホームとなります。



■モデル車両: 阪急1300系電車(二代目)
みやび32

阪急電鉄では長らく走っていた通勤型車両である1000系電車、1300系電車について
老朽化による車両更新の為、新型通勤車両を開発導入する事となりました。

まずは神戸線と宝塚線(神宝線)を走る1000系について
2013年(平成25年)11月に新型の車両を「1000系(二代目)」として導入。
車両限界が神宝線とは異なる京都線用に、この1000系をベースとしながら
車体寸法やモーターなどが違う新型車両としてつくられたのが1300系(二代目)となります。

1000系と同じ設計思想で作られた為、1000系同様に
車体はアルミニウムのダブルスキン構造(ダンボールの様な断面)であり
軽量化と強度を兼ね備えています。
みやび48
車体の色についてですが、
アルミ製の車体には阪急電鉄系列の鉄道車両に開業以来使われている
阪急マルーン(    )という阪急伝統色が塗られています。
また屋根の肩部には阪急アイボリー(    )が使用されています。
基本的に阪急の電車はどの列車も阪急マルーンで塗られています。


1300系が実際に阪急京都線で営業運転を開始したのは
2014年(平成26年)3月30日となります。
駅メモのでんこ「桂みやび」の誕生日が3月30日に設定されているのは
1300系の営業運転開始日が由来
と見て良いでしょう。


みやび33
こちらは梅田方の先頭車両となる1300形です。
編成記号はTcとなり制御車として車端部に運転台があります。
みやび34
こちらがその運転台の様子です。
みやび35
車内客室の様子です。
通勤型車両なのでシートはロングシートとなっています。
みやび36
河原町方の車端部は優先座席となっています。
赤紫の座席モケットで一般席との区別がつくようになっています。
また車椅子の乗客がそのまま乗車する為のスペースが設けられています。


みやび37
梅田方2両目となる1800形です。
編成記号はMとなりパンタグラフを搭載する中間電動車となります。
みやび38
この車両で目を引くのは、車両の屋根の両端に1基づつ、
計2個のシングルアームパンタグラフが設置されていることです。
みやび47
車内客室の様子です。
ロングシートの座席には大型の仕切り板やスタンションポールが設置されています。


みやび39
梅田方の3両目の1900形です。
編成記号はM'で1800形とユニットを組んでいる中間電動車となります。
みやび46
車内の様子ですが、通勤型車両なので基本的に他の車両と同様の作りとなっています。


みやび40
梅田方4両目に連結される1350形です。
編成記号はTで、特別な機器類は何も搭載していない中間付随車の客車となります。
みやび45
この車両も内装については他の車両と基本的に同様です。


みやび41
梅田方5両目、河原町方からは4両目となる1450形です。
この車両も編成記号はTとなり、機器類の無い中間付随車となります。


みやび42
河原町方の3両目、1850形です。
編成記号Mの中間電動車であり、
この車両も屋根にパンタグラフを2基搭載しています。


みやび43
河原町方の2両目である1950形です。
編成記号M'であり1850形とユニットを組んでいる中間電動車です。


みやび44
そして河原町方の先頭車両となる1400形です。
編成記号Tcの制御車であり運転台のある車両となります。


以上の8両編成が阪急電車1300系の編成となります。
通勤型の車両なので、各車両の設備についてはそれぞれ違いがあるものの
車内のシートなど車内装備についてはどの車両もほぼ同じです。

【写真撮影:2018年8月】

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